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1 : 掲示板が新しくなりました。(103) / 2 : 感想など何でも掲示板(315)
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1 掲示板が新しくなりました。 (Res:103)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1佐藤 公則 :2022/08/01(月) 22:51:36
今日、8月1日より掲示板が新しくなりました。
これまでの書き込みをすべて持ち込んでの移動です。
少し勝手が違いますが、ご容赦願います。
不便をおかけしますが、今後もよろしくお願いします。

97nishiyan :2024/04/03(水) 19:47:13
別に「画像詩」として、言葉と固有の映像とが関わり合うものとして時々UPしているものがあります。この「水詩」に至るシリーズも、★現在が映像の時代であるのに合わせて構成しているのかもしれませんが、最初はたしか「Tシャツ詩」でした。これは誰かがそんなことをやっているのを目にして面白そうだと模倣したものです。書いている途中からは、どんな画像を持ってくるか意識するようになってきたと思います。「Tシャツ詩」や「傘立て詩」や「木詩」のようにシリーズ通して同じ画像というのもあります。
今回のは、川端の画像ですが、川が半分見えるのもあったのですが、あえて川が入っていない部分を持ってきました。

ところで、★「現在が映像の時代である」というのは、うまく言いにくいのですが、誰にとっても避けられない或るものとしてあるような気がしています。例えば、昔の歌手は直立して歌っていました。ところが、時とともに変貌して、今では歌は、激しいダンスや映像(照明)を伴わないと歌として成立しないのかなという印象を持っています。それは、歌が踊りや音楽と結び合っていただろう太古の新たな反復なのか、あるいは歌の衰弱なのか、見極めがたい感じの中にいます。でも、もはや直立して歌う時代には戻れないことは確かでしょう。


98佐藤公則 :2024/04/04(木) 10:19:42
 投稿ありがとうございます。
 反復と衰弱、どちらもありそうですね。難しいですが、流行と、閉塞と、意識的なアップデートを交互に繰り返しながら、螺旋状に延びてきているのかなと言う気がします。
そこで、ユニットを組んでダンスしながら歌うというのが最近の流行で主流になっている気がしますが、いずれまた飽きが来て変わるんだろうとは思います。
 こうした意味合いでは直立したままの歌謡法も、あるいは現代詩という様なものも、時代性と言うことで変わりゆくものなのでしょうね。詩は一時期、格闘形式で朗読さ
れたりしていましたけれども、ほどなく沈静化してしまいました。この先もいろんな試みが成されるんだろうと思います。そういうことを視野に入れながら、それでもぼくなんかは
相変わらずを繰り返すしかないので、それを続けていくことになるかと思います。

 「吉本隆明を読む」の最新の文章も読ませてもらいました。面白かったです。ご健筆を。


99nishiyan :2024/04/05(金) 10:54:22
記事の紹介です。

「未来を生きる人たちへ

SNS、インターネット上に大量の言葉が飛び交ういま、
92歳の詩人は何を思うのか。
日本を代表する詩人・谷川俊太郎さんに、
「いきる」「はなす」「あいする」「きく」「つながる」
という五つのキーワードで話を聞いた。」(朝日新聞)

というのがネットで読めます。
 ht★tps://www.asahi.com/special/tanikawashuntaro/?ref=culture_mail_top_20240404
 (urlに★印を加えています。)


100佐藤公則 :2024/04/05(金) 22:43:07
 記事の紹介ありがとうございました。
 一通り読みました。読みながら、吉本さんの谷川評も浮かんできました。
 ここではふれていませんが、谷川さんの詩でぼくが一番衝撃を感じたのは「なんでもおまんこ」というタイトルの詩です。
こんな詩も書くのかという驚きで、いまも鮮烈に印象に残っています。こんなテーマを一流の詩に仕上げる力量はたいし
たものだなあと感服しました。むかし、「生きる」や「かっぱ」の詩を取り上げて子どもたちに紹介していた谷川ファンの女
性教員がいましたけれど、ベースはこっちに在るとその時ぼくは考えました。これでもって、ほかに詩はたくさん読みはしま
せんが谷川さんは超一流の詩人と納得しました。ただぼくはそれ以上ではありません。何となく言うことは分かるなあと
それくらいの感じです。すべてを網羅して読もうとするファンにはなり得ないようです。
ど、


101佐藤公則 :2024/04/05(金) 22:44:57
 文末最後の「ど、」は単純な消し忘れです。


102nishiyan :2024/04/07(日) 11:07:22
昔、鈴木志郎康のハチャメチャな「プアプア詩」にも驚きましたが、谷川俊太郎にも別の詩で「こんな詩も書くのかという驚き」を持った覚えがあります。わたしも谷川俊太郎の詩は少ししか読んでいませんが、あらゆる人間的なことに言葉を開いていると言うことでしょうか。だから、興味深いと思う一部の表現だけで谷川俊太郎という作者の全体像を捉えることはできないでしょうね。もちろん、それは一般にも言えることですが。


103佐藤公則 :2024/04/07(日) 23:42:52
 自然の事物や事象に関わる関わり方が、どこか宮沢賢治と似ていて、エロス的だって思います。
 なんて言うか、自然が対立的なものではなくて、いつでもサッと友達関係、恋愛関係に入り込め
るみたいな、資質を持っている気がします。ぼくなんかは真逆で、いやだいやだと思いながら人事の
枠内にとどまって、狭苦しい中で翻弄されてしまうわけです。自然に対して精神が流れていかない、
溶けて広がっていかない。狭い中で汲汲としているわけです。意識も身体も自然も一体と見なせる
感受と、意識と意識以外と二別する感受と、その差異には興味があります。幼少期の育ち方の違
いかなあなんて思ったりします。


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2 感想など何でも掲示板 (Res:315)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1nishiyan :2022/03/24(木) 11:50:50
地震のお見舞い
https://note.com/iwanaminote/n/n7a78210a96cd



309佐藤公則 :2022/05/06(金) 09:32:46
Re: 土詩 #8
 「土詩 #8」の投稿ありがとうございます。

 昔吉本さんが四季派の詩人たちを批判する中で、最終的なところでは自然回帰、あるいは自然に逃げてしまうと言うような疑義を述べていました。これは安易な逃げ方だというニュアンスがあり、単純なわたしはそれはだめなんだと思い、遠ざかったという記憶があります。もっと違う言い方をすると、その時、「逃げるな」という吉本さんの声をわたしは聞いたと言うことだったと思います。
 最近、YouTubeで養老孟司さんの発言を聞いている中で、このごろの若者たちは人間関係に重く縛られていて、「自然」というもの、あるいは自然との関係がものすごく希薄だと言っていてとても印象的でした。つまり、それだと逃げ場がないよ、と言いたかったのだと思うのです。
 わたしは「逃げない」と言うことも大事にしたいし、同時に、どこにどんな風に逃げればよいかも考えておくことが必要で、「逃げる」ことも大事だなと考えてきました。
 人社会に疲れたら周縁の自然にちょっと後退して、そこから人社会を客観視してみる、そういう行き来が誰にでもあればいいよねと思います。

 nishiyanさんの畑仕事は、そうした意味からも貴重で羨ましく思えたりします。安藤昌益は万人に田畑を分配すべきと語っていましたが、自分たちの食い扶持はそれしかないとなれば、怠惰なわたしも必死にやるだろうなという気がします。

 ちょっととりとめもないことを書き流してしまいました。ゴールデンウィークの最中、遊び疲れで頭がぼーっとしているのでしょう。すみません、今日はこんなところで失礼します。
 よい作物の収穫となりますように。





310nishiyan :2022/06/11(土) 02:19:49
土詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000303M.jpg

土詩 #9


遙か未来にんげんが
方舟に乗って地球を離脱するとき
土との別れが完了する

遙かな昔、水から上陸して
土になじんだように
今度は宇宙空間の何になじむのだろうか


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


311佐藤 公則 :2022/06/20(月) 09:20:24
Re: 土詩 #9
 「土詩 #9」の投稿ありがとうございます。

 表現されている内容についてはわたしも何度も脳裏に浮かべ、また反芻してきたことだなあと共感します。ただ最近は未来については予測ができないのであまり考えないし、どこかで思考停止させてしまいます。近未来ということだと現在と同じで、とにかく地球環境をロケットの機内やウエアー内に持ち込んで、それで当分やっていくことになるんだと思いますが。ただ先の脊椎動物の上陸に関しては、気の遠くなるほどの命の犠牲の上に成り立ったものだろうと思われますので、そう思うと本格的な宇宙進出というものは絶体絶命のピンチがない限りあり得ないかなという気もします。そこまではとりあえずのお遊びで、やはり地球環境を身にまとっての遊覧飛行にとどまるんだろうな、と。可能性はなくはないけど、宇宙人になりきるのは遥か先のことではないでしょうか。分からないですね。

 仙台近郊ということになりますが、このあたりでも最近は畑を借りて野菜作りをする、たぶん定年退職後の人たちが増えています。送迎車を走らせている間のちょっと見だけですが、たぶん指導してくれる人がいて、葉物、緑黄野菜が見事なできばえです。いつも車が4,5台止まっていますから、畑を何区画かにわけて貸し出しているものでしょう。寄り合って、互いに意見交換したり、教えてくれる人の話を聞いたりしながら進めてでもいるのだろうと思います。また互いに褒め合ったりしながらということもありましょう。それはそれでよい年の送りかたかなと感じます。ちょっと羨ましくもあります。
 nishiyanさんも手間暇かけて世話することはたいへんでしょうが、その分よい収穫期を迎えての喜びも大きいのでしょう。そんな収穫ができますように、遠い地からですが祈っております。では、今日はこの辺で失礼します。

 




312nishiyan :2022/07/06(水) 13:45:50
土詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000305M.jpg

土詩 #10

稀薄な大気の遠出をしても
必ず帰ってくる
このしっとりみどり匂う手すり



※佐藤さんへ
前回のことにコメントしますと、普通の人間的な時間スケールを超えた超未来について考えることは、空想的にならざるを得ませんし、通常の生活時間からはほとんど無意味ですが、人の思考はそこまで行ってしまうことがありますね。これは逆行させれば、人が人以前であった陸棲や水棲の時期の像を尋ねることと対応しているように思われます。





313佐藤 公則 :2022/07/07(木) 08:55:12
Re: 土詩 #10
 「土詩 #10」の投稿、ありがとうございます。

 コメントの方へのコメントということで言えば、仰っていることの意味はよく分かります。そしてその通りだろうなと思います。ただ命を落としかねない上陸の動機、きっかけってどういうものだったのか。実際に想像を超える犠牲を伴いながらのそれだったのでしょうから、もう上陸するしかないという衝迫はどこにあったのかと考えてしまいます。そして現在の人間世界および地球環境において、その兆候はどこに想定できるんだろうか。それがぼくにはまだちょっとよく分からないというところなんです。

 「土詩」では、どこまでも遠出することが出来る意識と、身体感覚が捉える近場との対比が謳われていると読みました。また、詩の中では意識の働きと感覚の働きとは同じ比重で同等であるよという作者の声も聞こえるように感じました。これも、その通りなのだろうと思いますし、このことはよくよくわきまえておくべきであると教えられているようにも思います。

 さて、ブログの方ではスイカの写真も載せられていましたね。今年は出来がよかったとか。何よりです。
 このあたりでは山形県の尾花沢のスイカがブランドで、昔はよく車で売りに来ていました。あの頃は大きなものでも結構安かったように記憶しています。買ったスイカは井戸につるして冷やしてから食べてました。今はちょっと大きなものでもスーパーなどでは結構な値段がついています。

 ぼくの住まいは小規模な団地の中にありますが、団地だと夏の風物詩は壊滅してしまいましたね。ちょっと寂しくはあります。

 今日はこれで失礼します。nishiyanさんの活動からいつも刺激をもらってます。今後ともよろしくお願いします。





314nishiyan :2022/12/05(月) 20:45:33
https://i.postimg.cc/kGQ3Wrbt/tuchisi-15.jpg


土詩 #15
 
土の匂いがしてもしなくても
もうこの道を
進んで行くんだ(わかっているさ)


315nishiyan :2024/01/03(水) 13:35:17
https://i.postimg.cc/5N0mjmz8/tuchisi-28.jpg


土詩 #28

昔より土の中がだいぶん見える
ようになっても まだまだ
わからないことがあり 日々付き合う


佐藤さんへ

新年おめでとうございます。
今年もがんばってみましょうか。


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