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佐藤公則
:2025/05/28(水) 10:09:48
徹底して身体を、そして生命を辿っていきますと、細胞に、さらに辿ると物質に突き当たりますから、否応なく宗教的にならざるを得ないのだと思います。つまり神秘ですね。現在の段階では、突き詰めていくと、そうなると思います。三木さんが幾ばくか学者の世界で傍流として遇されたのは、科学と宗教の境界の所まで考えを詰めたからだという気がします。ですからnishiyanさんが「宗教イメージにも通じるやわらかな人間観」と評するのも、あり得ないことではないという気もします。実際三木さんが、「おもかげ」を多用して論ずるくだりなどは、ちょっと危なく感じました。ですからまったくそういう所が、宗教的要素が、ないとは言えないとは思います。ですがやはり解剖学者ですから、著述の方は徹底的に論理的だという印象をぼくは持っています。それを超えたところですね、それを超える先があって、そこでは宗教的なところを許容しなければならない。そういう「やわらかさ」、それは持っていたように思います。
もうひと言だけ付け加えますと、安藤と三木さん、それに養老さんも加えて考えたときに、ぼくは共通するのは頭の働きに対する危惧だと思っています。実に人間的な本質のところで、人間性という言い方も含めて、三者三様に、危ないもんだよと警告を発しているような気がしています。よいと考えること、理想とするところを考えると言うことは、文明が不可逆に進むように、人間にとっては単に不可避であって、結果的によいことかどうかは分からないことだ。そう言っている気がします。現に社会はよくなっているどころか、生きづらさが増して全体としては悪くなる一方ではないかと。これに関して言うと、他方、吉本さんが全幻想領域という、登る峰を別にして、登って行ったわけです。ぼくからすれば三人は深入りするなと言っているように思えますし、一方吉本さんは解明に向かって突き進むという方向性だったと思えます。三人は人間の考えを信じるなと言うことを考えていたし、吉本さんは、考えろ、だがすべてを疑えという考えだったと思います。ぼくはここでハタと立ち止まってしまいます。もちろんどちらも人間や人間社会の理想を念頭に置いて言っていることは間違いないと思います。その意味では同じとも言えましょう。
ぼくとしては、nishiyanさんもこういう所は視野に置かれているだろうという気はしています。そしてそれを上手く処理できているよということであれば、そこの所を伺ってみたいなと思います。
ずいぶん長々と書いてしまいました。ただ長いだけのとりとめのない文章になってしまったかも知れませんが、ご容赦ください。では、今日はこれで失礼します。
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