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悟りについて語ろう

141らぴ。:2023/10/12(木) 22:29:43

◎行深般若波羅蜜多時 照見五蘊
gaṃbhīrāyāṃ prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ
caramāṇo vyavalokayati sma:pañca skandhās

pāram-itā 智慧の完成 智慧による到彼岸
caryāṃ 修行する
caramāṇa 実践する
(らぴ。のよく使う言葉「実践」が出てきました!(嬉)
vyavalokayati 見極める
pañca 5

深い智慧の完成の修行を実践していた時、
5つの要素があることを見極めた

ちなみに
5つの要素とは
色受想行識のことです
これから出てきます

◎皆空
原文は
tāṃś ca svabhāvaśūnyān paśyati sma
であり「皆空」の2文字は
原文をきちんと表せていません

tāṃś それら
ca そして

svabhāvaśūnyānという単語は
svabhāvaーśūnyānで、複合語です

svabhāva- は
sva「自体の」+bhāva「存在」で、
全体としては「本性」「自性」「実体」などの意味
また「常にそれをそれであり続けさせているもの」
という解釈もあるようです

śūnyān 空性・空なる性質

paśyatiは見るという意味
sma 過去時制を表す

よって皆空は原文より

そしてそれらは本性が空性であることを見抜いた

と訳せますね

そして皆空という言葉はシンプルに
すべては空の性質を持つと言える

般若心経で表されている「空」という文字は
サンスクリット語の原文では
空ではなく
空なる性質という意味です


はじまりはじまり!

ちなみに般若心経の
度一切苦厄は
サンスクリットの原文には
存在していません(;・∀・)

こんなこともあるので
原文に触れるのは大切だと思います。

142らぴ。:2023/10/12(木) 22:30:41

◎(舎利子) 色即是空 空即是色
iha Śāriputra rūpaṃ śūnyatā, śūnyataiva rūpam

iha この世
śūnyatā 空なる性質ないし特性
rūpaṃ 物質・現象
śūnyataiva=śūnyata+ eva  eva まさしく

シャーリプトラよ
この世界において
物質・現象(rūpaṃ)は
空なる性質(śūnyatā)であり
(この世界においては)
空なる性質(śūnyatā)とは
まさしく物質・現象(rūpaṃ)である

この世は
空なる性質として色=物質・現象がある
とも言えるということですね

◎色不異空 空不異色
rūpān na pṛthak śūnyatā, śūnyatāyā na pṛthak rūpaṃ

般若心経では
色即是空 空即是色が先にきていますが
サンスクリット原文ではこの場所になっています。

na 否定
pṛthak 異なる、別々の

物質・現象は空なる性質と異なっておらず
空なる性質は物質・現象と異なっていない


◎般若心経に漢訳なし
yad rūpaṃ sā śūnyatā,yā śūnyatā tad rūpam

yad yā 関係代名詞(what is 〜)
sā tad それ(指示代名詞)

物質・現象なるもの、それは空なる性質であり
空なる性質なるもの、それは物質・現象である

色即是空 空即是色と
同じことを言っていますね


◎受想行識 亦復如是
evam eva vedanā-saṃjñā-saṃskāra-vijñānāni

evam eva まさしく 直前の語を強調
vedanā- 苦痛・感覚 感知作用「受」
saṃjñā- 意識 知覚作用「想」
saṃskāra- 共にすること 意志作用「行」
vijñānāni 認識・判断 認識作用「識」

(この世では)
まさしく
感覚作用、知覚作用、意志作用、認識作用も
空なる性質である

◎是諸法空相
sarvadharmāḥ śūnyatālakṣaṇā

sarvadharmāḥ あらゆるもの 森羅万象
śūnyatā  空なる性質ないし特性
lakṣaṇā 表現する 特色づけられた

この世のあらゆるものが
空なる性質を表現している

143らぴ。:2023/10/12(木) 22:31:33

◎不生不滅 不垢不浄 不増不減
anutpannā aniruddhā amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ

anutpannā an (否定) +生じる=生じない
aniruddhā a(否定)+妨げる=障害のない・滅びない
amalāvimalā a(否定)amala=汚れていない 
       a(否定)vimalā=汚れを離れていることもない
nonā na(否定)+ūna欠けている=欠けていない・減らない
na paripūrṇāḥ na(否定)+paripūrṇā増えること=増えないこと

(空は)
生じることも滅ぶこともなく、
汚れることもなく浄いこともなく、
減ることもなく増えることもない。

◎是故空中無色 無受想行識
tasmāc chāriputra śūnyatāyāṃ na rūpaṃ na vedanā
na saṃjñā na saṃskārā na vijñānaṃ

tasmāc それ故に
śūnyatāyāṃ 空なる性質
na 否定

それ故にとは
前の事柄の当然の結果として
後の事柄が起こることを示します
それ故とは
不生不滅 不垢不浄 不増不減であるから
と理解できます

それ故に=(前の文=)
(不生不滅 不垢不浄 不増不減なので)
空性は
物質・現象が無く(na rūpaṃ)
感覚作用、知覚作用、意志作用、認識作用も無いのだ。
そして「無色 無受想行識」を筆頭に
これ以降、無のつく言葉が続きます
無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
うん、ぬん、、、、

この部分は
不生不滅 不垢不浄 不増不減である
空そのものについての内容であり
空とはどういうものか
空そのものの性質について
これ以降も詳しく書かれています


ちなみに否定の単語ですが

不生不滅 不垢不浄 不増不減

無色 無受想行識

不と無で使っている言葉が違います

これは上手に漢訳されているなぁと思うのですが

不は動作を否定するものです

不生不滅 不垢不浄 不増不減
生まれたり滅したり汚れたり浄くなったり
増えたり減ったりすることがない
=変化がない・変化という動きがない
ということ

無は状況を表すものです
無色 無受想行識
色受想行識が無い状況という意味

よって不生不滅 不垢不浄 不増不減は
空そのもののこと(状態)であり
無色 無受想行識は
空の性質ということがわかります

実際悟ると行為がありません

まさしく
不生不滅 不垢不浄 不増不減なのです

だからよってその結果
無色 無受想行識

間違いありません

144らぴ。:2023/10/12(木) 22:32:15

同じ空性(という文字)であるのに
色受想行識があったり無かったり

それはどういうことかというと
空そのものについてではなく
空なる性質についてだからです

空の性質だからです
すべて空そのものの
性質の一部だからです

空そのものにはいろいろな性質、側面があるわけです
よって此岸も彼岸も同時に含みます

色即是空 空即是色は
例えて言えばこの世での話です
これは此岸=この世のことです

この世では空の性質は
色や受想行識として表現される
そして色や受想行識は空の性質をもつ

そして空そのものは
不生不滅 不垢不浄 不増不減であり
そうである場合
空の性質は
無色であり
無受想行識であるということ

言い換えると
「色即是空 空即是色」は
悟る前・此岸においてのことで
その場合
空の性質は
色(物質・現象)や受想行識に表されている
この世ではあらゆるものが
そのような空なる性質を表現している

空そのものは(悟った状態)
不生不滅 不垢不浄 不増不減であり
空そのものの状態であれば
空の性質は
無色・無受想行識
=色(物質・現象)や受想行識が無い
と表現できる
そしてさらに無い、無いと
空そのものの性質を表す言葉が続く

空そのもの=悟りはどうやっても
言葉に表しつくせないため
無の文章が多く続く

空性はありとあらゆるものに在り
この世では色や受想行識として表現される
空性は色や受想行識の大元でもある

しかし空そのものは
不生不滅 不垢不浄 不増不減であり
よって空そのものから現れる性質は
無色無受想行識である

空そのものが
悟りの状態です

145らぴ。:2023/10/12(木) 22:33:17

では空の性質と
空そのものはどう違うのか?

空の性質とは
空というものの性質であり
空ではない

例えを用いてみます

私の性格という時
それは私の存在の一部です

私そのものという時
それは私という存在であり
性格などもすべてをひっくるめた
全てのもの

そして私からはいろんな性格が表現され
私を表現するものは変化する

私にはいろいろな性格があります
場面によって、状況によって
いろいろな性格が出てきます
状況によって変わる性格の断片だけをみて
私とはこうである
とは断言できません
そのうちの数個の性格だけを見ても
私のすべてを正しく言い表せません

空性=性格
空そのもの=私という存在

という感じでしょうか

よって般若心経では
無色無受想行識以降の
無のつく単語が多く続きますが
それは空そのものの性質を
言葉で表しており
しかし言葉は空の断片であるから
たくさんの言葉を必要とし
それでいて語りつくせないのです

以前に
日常には悟りの断片が存在している
気づいていない内に
悟りを経験している
だからこそ人は悟りに憧れるのだ

という感じの内容を
ブログに書いたことがあります

般若心経を見ても
その通りだったんだなと確認できました

146らぴ。:2023/10/12(木) 22:34:28

ちなみにこの般若心経に
悟りの状態が書かれていますよ

無い無いの言葉が続き

このような内容の箇所があります

◎以無所得故 菩提薩埵依般若波羅蜜多故 心無罣礙
tasmād aprāptitvād bodhisattvānāṃ prajñāpāramitāṃ
āśritya viharaty a-cittā varaṇaḥ

tasmād それ故に
aprāptitvād 得るの否定形(a 否定)
bodhisattvānāṃ 菩薩または人 
prajñāpāramitāṃ  智慧の完成
āśritya おかげで 頼りにして
viharaty vi(離れて) + harati- 暮らす
a-cittā varaṇaḥ a (否定) +citta 心 + ā (近接) +varaṇaḥ 覆う

それ故に得ることもなく菩薩(悟った人)は
智慧の完成のおかげで
心を覆うものなく暮らしている

◎無罣礙故 無有恐怖 
cittāvaraṇa-nāstitvād atrasto

cittāvaraṇa citta 心 + ā (近接) +varaṇaḥ 覆う
nāstitvād na(否定)+āstitvā ある いる=存在しないこと
atrasto a(否定)+trasto 恐れていること

心を覆うものは存在しないので、恐怖も無い

◎遠離一切顛到夢想 究境涅槃
viparyāsātikrānto niṣṭha-nirvāṇaḥ

viparyāsātikrānto 誤った見解
niṣṭha ni(〜の中) + ṣṭha- 〜の状態にある 存在している
nirvāṇaḥ nir(〜離れて)+vāṇa 消失・消滅した

誤った見解から離れており、消滅した状態にある

直訳で消滅した状態にある
という意味のniṣṭhanirvāṇaḥは
一般的に
永遠の悟りに入っている
悟りの境地に達している
涅槃
と訳されています

よって
悟りの境地に達する=消滅した状態にある
です

これについても
私自身の状態について
よくブログに書いていますので
そうだよね、と確認しました

そしてよく覆われているものが無い
ってのも書いてたな

般若心経をよく知りませんでしたが
うん、らぴ。の状態にぴったりでした

147らぴ。:2023/10/12(木) 22:35:19

この世では
色即是空 空即是色
色不異空 空不異色
受想行識 亦復如是
でした。

この世では色受想行識が
空なる性質となって表れています
上記、悟った状態ではありません

「色受想行識」という単語のみ用いて
簡単に説明しています。
なぜなら当たり前のことだからです
例えを使って説明をする必要がありません

しかし悟った状態では
空の性質は

無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界
無無明 亦無無明尽
乃無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
至無老死 亦無老死尽

このように無い、無いを
いろんな形で表現しています

般若心経は
悟っていない人に伝えるものですから
いろんな例えを使って伝えたのですね


色即是空 空即是色
=般若心経の一部の言葉

この世の物質・現象は
悟りの一部の性質であり
悟りの一部の性質として
物質・現象がある

この世でのごく普通のこと
についての内容です。

ただそのごく普通の日常が
悟りの一部の性質を持っていた
これは知らない人にとっては
大発見かもしれませんね

この文章の「空」は
空なる性質と訳するのが正しい

それは悟りの性質の一部を表現しているのであって
悟りそのものではありません

悟りは有るも無いも無い

よって悟りの性質としては
有るはあるし
無いもある

それが悟りでは
無いのですよ

以上です

読んでくださってありがとございます

@(*・ω・*)ポッ


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