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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★10
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前スレ
連投規制で書けなくなった人あつまれー ★9
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1414916254/
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ミニハン的には「善」とかどうよ。
「全ては許されている!(キリッ」的なあれには批判的なんじゃねえのか。
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御坊のブログ(本人が書いた物を編集したものらしいが)
ttp://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/523255a085e20ad6f0dee1683db43634
「ありのまま」批判。
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連投規制だ。
なにわっこ娘だった。
それはそうと、オウム真理教のことは全然知らないが、
いちおう、原始仏典を根拠にした前世来世を肯定する宗教だったらしい。
まあ、中村元が原始仏典を翻訳した影響でできた新興宗教というのが正しいのだろうな。
でも、普通なら、宙に浮かねえか。宙に浮いてる時点で、だます気確実だな。
やっぱ、有罪だな、オウムも大川隆法も。
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>>231
「自己」という存在そのものが最初から他者によって言語化・構造化されている。
これは、ラカンの「大文字の他者」「象徴界」「鏡像としての小文字の私」などを思い浮かべると、よく分かる考え方であり、
このへんそうだよねと思った
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>>234
中村元も輪廻ってえのは生死すら空であるってことを凡夫に説明するための方便って書いてるのになあ
だから前世来世とかは方便
チベット仏教とかアウト
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>「自己」という存在そのものが最初から他者によって言語化・構造化されている。
ここは微妙
無意識の構造としての言語は、むしろ「自己」という存在が仮象であることを示すためにある
非無意識の言語ならこの文章でよいが
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自己は他者であるというalienationという理屈と、無意識の構造としての言語をごっちゃにしてるな、そいつは
他者によって定立される自己という存在は、無意識の構造としての言語(隠喩や換喩)によって解体されうる、とするのがラカン理論
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これもあれだ、大文字の他者ってえのは、小笠原さんの理論だと、象徴界に空いた穴がイコール大文字の他者なんだが、
一般的なラカン解釈は、象徴界の穴が空いてない部分イコール大文字の他者になる
だから話がまったく逆になったりする
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象徴界に空いた穴だから、定立された自己をぶち壊すのが大文字の他者だったりする、小笠原理論だと
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で現代精神医学心理療法は自己の定立を手放しで「善」としているから、わたしは「悪魔に取り憑かれて死んでくれ」と言うわけだ
「善」なんてのも言葉にすぎん
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別に誰が何を善としてもいんじゃね
人それぞれで
わたしが心理療法の逆のことを善と言うもよし、心理士が心理療法がなすことを善とするのもよし
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垢かえた
rarara000な
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五年前か、結構前からあるな。
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ミニハンの言うのでalienationってのはいまいちよく理解できないな。
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自己って存在も空である
なのに人は自己は空じゃないと思うわけだ
それがalienation
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ブレイキング・バッドはしみじみパート2までだな
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>>244
つい垢か
ネトゲのキャンペーン応募用に作った
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説明を試みてみるか
たとえば、わたしがいつも言う具体例、ホステスの例を考えよう
ホステスは店で源氏名で呼ばれている自己があるわけだな
客たちに愛される自己
ところが化粧を落としてアパートでジャージで足の爪を切ってる「私」を、客たちは愛さないだろう
源氏名で呼ばれる「私」は、客や店などという他者の関係の中にあるものだ
だから自己とは他者であるというのがalienationだと言ったわけだな
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なるほど、「あなたの気持ちは(痛いほど)分かる」とか「気持ちが通じ合えてる」とか言うあれか。
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>>250
はミニハンの昔のカキコヺ参考にした。
98 :名無しさん:2014/08/31(日) 13:58:26
まあこうやって自分が考えていることを他人が考えていることにするのが、男女問わず大体の人間に共通する(もちろん例外はいる、自閉症とか)狂気なわけだ
これがalienationって奴
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カキコを、だわ。機種依存文字が出た。
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>>250
うん
そういうのって「自己」があってするものだと思われているが、
そういった心理によって自己が定立する、という発想
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ちなみに、南直哉の「善の根拠」は、
自己の他に他者を想定できて初めて善悪が生まれるとしている、
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>>254
>>231とまったく違った話になってるのがおもしろいが原本を読み直す気にもならない
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>>237
ここら辺昨日は頭に入らなかった。
今日はワインオンリーだからかな。
私はさー
「自分は何かに作られた」という意識自体を持ちにくいんだ。
反語的には持つこともあるだろうけれど。
逆に言えば反語的じゃない意味で自分が自分を作ったと言うことも、できない。
私にとっては世界も自分もバラバラで不定形なものなんだよな。
ただこの自覚もいつ生まれたものかわからない。
子どもの頃は自分を人間だと信じてもらえない人間だと思っていたので喜怒哀楽はもう少し素直だっただろうし、他者に教えられた世界観を真実だとしか思っていなかった。
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だから言葉さえも、信奉するような重みを置くこと、言葉ならばそれが可能であるような幻想世界を信じられないのかもしれない。
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喋り言葉での演技が達者ではなかったからだとも言える。
脳みその問題を抱えてる人間の緊張がイコール何かを処理することができない(フリーズ)、したくないとかの意識すらなくなるほど、とは誰も思わないからね。
しかしなぜ「喋り言葉での演技」と思ったんだろう。
書き言葉ならば少しはましだったが、小学校ですでに先生という存在は信用していなかったし、書かされる感想文をまともに書けたことはないので、書き言葉ですら、
友人との手紙のなかではまだマシだった程度で、観念的と観察されるほどには直接的な言葉の論理を持ってはいなかった。
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そういう意味で私の言葉が反語を突き詰めて行くことでしか出来ていないという意味では、私の言葉も作られたものだと言えようね、ただ誰かの一定の意志などこの世には存在しない。
意志よりもなにかを「続行」するために意志しないことのほうがはるかに存在を持続しやすい。
言葉の美しさなど歴史でしかないのに、美文調の小説を懐かしむために努力を買う。
よくこなれた言葉や中身のない風体をしている言葉を文学と言う人はとりあえずいなさそうでしょう。
私は私の世界を自分にさえも規定されることができない。
そしてそれに憧れることもできないししたことがない。
するとしたならばそれは、楽になりたい時なのだろうね私の場合は。
惜しんでいる暇もない。
特別さを誰かに与えるたびに、それは信仰になり、安心になり、鋳型になる。
でもそれは同好の士を探す向きには活用できる装いなのだと思う。
ああ、つまりこの世への失望を語る言葉を、持つ人は、まだ人間を探せる人なのかなと、そのような偏見を持っているのだろうか。
彼らがそのように生きることで「希望」と「希望」でもいいし「絶望」と「絶望」でもいいのだけれど、型が一致して幸いになるのが「社会」ならば、その態度は間違ってはいない。
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私は詩人だねって、最近友人に書かれて、そのように言われることがいくらかあったことを思い出す。
私は詩誌も詩の棚も「人の言葉」すぎて自分の形があわなくて、あまりたくさん読むことができない。
子ども時代に流行った詩はポエムと呼ばれるものだった。つまりは80年代的な「乙女ちっく」なやつ。
だから私は(友人は本を読む人なので精確に捉えて言ってくれているのがわかるのだが)詩人だと言われることは相手からの距離の表明だと思っていた。
(つまり手紙などの前置きに、詳しいことはよく分かりませんが、と書くような感じでスルーされているような気分)
詩のような言葉を紡ぐことは言うなれば片言の言葉なのだけれど、そのようなものを愛するがゆえに気障な表現をすることができるだけの幸福さを有した人間としての私。
という断絶、クレバスをいつも他者との間に持っていた。
直裁に喋らなくなってからあまりそのように見られることもなくなったが。
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外国人がカタコトを喋っていると子ども扱いされる。
その人が母国語ではどんなにとうとうと話すことができるとしても。
国の言葉をカタコトでもわざわざ勉強して話してくれる人を、たいがいの国の人は幼児の喋り言葉に似ているという感覚で反応して軽く見ることで相手のキャラクターや関係性を作ってしまう。
(通訳などがいる場ではまた違うけれど)
眠くなってきてしまったな。
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言葉のなかに閉じ込められるという感覚ならば少しわかる気がする。
喋り言葉に似つかわしくない「書かれた言葉」で話すがゆえに私の言葉はどこかしら浮き上がり、演技や嘘っぽい、あるいは宗教的な(聖書の言葉のように)怪しさを持つことになる。
宮崎駿の「風立ちぬ」の主役が子ども時代に話していた言葉は書き言葉なんだよね。
よく知りはしないけど、上流の家庭の子どもはそのように話さなければならなかったというような話を含む批評を読んだのかな。
今読みかけで家においてある小説で古本が好きな少女が出てくるのだが、彼女が話そうとする瞬間に頭の中の語彙が多すぎて、けれどそれは現代の話し言葉とは限らないために、するすると話をすることができずに無口で囁くように話すのだが。
眠くなってきた。
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人間なんて乱丁や落丁だらけの本で、表紙も裏表紙も傷んでとうにどこかへ紛失している。
読んだところでなにが書いてあるかなんて他人には意味もないことだ。
それを書きつけた者、あるいはその人を継時的によく知る人で、その人のことを知ろうとした人がいない限りは、それはただの焚き火のための燃料としての紙としての意味しかない。
私にとっての奇跡は、言祝ぐことができるとしても私以外の人に取り特別なものでもなにもない。
眠い。
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言葉だからこそそこに人は「私」あるいはその言葉に似た言葉を話していた人の思い出という「私」を読むことができる。
それはその書かれた誰かが物語であるからではない。
読まれれば起動するプログラムのように誰かのなかにその著者が生きることはできない。
それを生きるとは私は言わない。
書かれたものの価値と読まれるものの価値は別々のところにある。
眠い。
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読まれる楽しさを楽しみに、自分ではない自分が生起して行くことを夢としたならば、
もしそのカラクリで齟齬を来たさない人であったのならば、
アイドルにもなれる。
だめだ寝るなー。
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解体しなきゃだめなんだ。
求めても貶してもその価値をつけるだけの話で。
こんな傷では病気にもなれない、という螢の歌が頭に浮かんだが、
ただそれは「こんな傷」が「病気」になれないものだからといって、「こんな」傷なのかどうかは別の話だ。
病気にならなければならないために傷がなにではならないと規定されることはおかしな話だ。
他人の受けたどんな傷を受けていなくても、身体に傷害や傷跡が残らなくても、それが病気と言われることがどうしてもなくても、
病気と認められるような苦しみを人生の中から探してくることと、自分の人生を自分を視点として整理して再度、認められなかった苦しみを主張することとは別のことだ。
自分の人生や成果に答えを探してはだめだ。
そのように刈り込んだ「私」が実感を支えてくれる物語の時代はとうにすぎてしまったのだから。
答えもまた過ぎてゆく。
それは自然のことで、価値を測る目安などではない。
病気は認められるためにあるものではない。
認められることは治療手段でしかない。
それもそもそも「治療」を望むことを続けることで起こることにその人がまだ余地を望むのならである。
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誰かとあなたは探すという姿勢だけが同じだったのだろうか。
その対象も同じだったのだろうか。
全く同じとはならなかっただろう。
眠い。
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好奇心という言葉さえ、もうほとんど、良い意味を失ってしまったんだろうか。
定義さえ取り払えば、
厳密なさがしものをしている人間は山ほどいる。
そのことを他人と分かち合うかどうかは別として。
そしておそらくなにかや誰かを、それだと思うことができた人も山ほどいる。
かき分けてもかき分けても。
でもこの言葉のようにはそれは外から見分けがついたりはしない。
なぜなら自分の持つものを持たない人への失望も、自分の持たないものを持つものへの失望も、相手がそれをどう思っているかを待つことはない。
たやすく失望するのが生命の勢いのよいものの特権だとしても。
同じ問いをする者は少なかろう。
たやすくそれは思春期の引きずりやモラトリアムと呼ばれるだろう。
近くにいる同年齢の他人たちがサナギから出てしまえば、
その圧力は少しだけ緩くなる。
その時にも問うことはたやすいだろうか。
眠い。
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(ほぼ独り言です。眠い。)
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>>259
一応おがさわらさんの文脈での信仰とは別。
ファン心理かな。
自我理想と理想自我がわかればどっちかのことなんだろうけど。
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自分をとりあえず「私」とすることで生き延びようとした私の判断はまだマシだったのだろうか。
今の時代の若い人が置かれた世界の「私」という言葉に仕組まれた爆弾の複雑さから比べれば。
幼いことが付加価値として尊ばれることが、生の断絶が断絶であるという理由だけで(それはエネルギーがあるからだ)、短すぎる急勾配の物語として死から逆照射される論理が、思索する人に結実として結ばれる隘路は、これだけは誰かが作ったものなのだと私は言おう。
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頭が使えなくなってきたので(普段からだけど)寝よう。
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alienationの説明の続き
>>203-213の説明にもalienationはある
まず一つ目が、「母親の欲望する何かに同一化する」こと
もう一つが、「母とは別の第三者(父)が登場し、それが言語領野の活動開始とたまたま時期を同じにする」こと
前者がいわば「特殊alienation」後者が「一般alienation」だ
イメージ的なalienationと象徴的なalienation
alienationが異状だと気付くには、両者からこぼれ落ちてなくてはならない
母との二者関係からこぼれ落ちた私と、オイディプスからこぼれ落ちた私
かたっぽだけだと人間はもうかたっぽの様態で「こぼれ落ちない」ようにするからな
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マグナ向けにいうなら、おそらくマグナが理解しているのが特殊alienation=イマジネールなalienationで、
マグナがファザコンとか言ってるのが一般alienation=象徴的なalienation
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どういうことよそれ。
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[_]∠)_
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[▓
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[____]_(:3」∠)_
[____])_
(¦
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どういうことと言われてもまあそういうもんだと思っておけばおk
イメージだろうが象徴的だろうがどんな他者を作っても穴がある、みたいな話
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_(:3」[_]
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('、3[ヽ__]_
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よく読んでみたら何かわかるような、ネット辞書も見たらだが。
ご幼いときに外出して人の家だったかに上がったんだが、その時土間で自分の顔に靴の裏側をくっつけてみて、こうしたのだから、母親の顔にも靴の裏側をくっつけなければいけない、
と思い、くっつけてみたらこっぴどく(後で父親にも)怒られたことがあった。だが何故怒られたのか理解できなかった。これなんかは「想像界」ということだろう。
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いやそれはちょっとちがうw
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それはどっちかってとalienationへの違和感じゃねえかなあ
顔を土足で踏みにじるってことだから
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alienation以前の前性器的リビドー態勢ってのは自他未文化なんだな
自他未文化と自他同一化は別物、ってことかな
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('、3[ヽ__]_
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_(┐「ε:)_
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>>282
この話つまらなかったか。
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訳あって長文が書けない。(¦
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幼稚園の時、みんなが叩いているのでいじめられっこを教師用の箒で軽くぶったら私が先生に怒られたのを思い出した。
あの子にはとても悪いことをしたとのちのち反省した。
怒られたのでそのことを覚えているのだが、その頃の私は人の真似をしなければならないという行動の取り方をしていたんだな。相手にはなんの感情もなかった。
なので怒られていることへの反発もなく、意味がわからなかった。
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布団の人はじかれるのな。
(:3[※※]͟
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>>282
なんというんだっけ、手を内側に向かって振るのとかと似てて、エコラリアに似てる行動だと思うな。
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私はよく姉が習っている習い事を自分がやらないのがなぜかわからなかったので母親にそのように聞いたらしい。
母は私自身の姉への対抗心と取ったが、私にとっては姉と私の区別がついていないというか、姉に起こることは自分にも起こるもの(それがこの世の理)だと思っていたのだと思う。
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マグナにとっては自分がやったことは母もやるものだと思った、とか。
(そうでないのが気になったというか)
幼児だと自閉圏かどうか問わずやることはあるらしいけれど、なんとなく感覚的にわかるような気がする。
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眠る。ノシ
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逆に言うと、幼児の時点で空気を読んで怒られないほうにつくことができるものがいて、そうでなく模倣で学んでいる段階のものもいるという感じかな。
その対比で、怒られないほうに行けないものが便宜上悪になる。
(私のしたことはあの子に対しては悪いことだったが)
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>>288
興味深いよ
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>>296
先生に構われたくて悪いことをする、というのも先生との感情の駆け引きで、箒でぶった時の私はどちらでもなかったので(他のみんなは見えないとこでやってたが目撃された)私がたまたま怒られたことがよくわからなかった。とも言える。
多くの大人は子どもが自分(や周り)を困らせたくて何かをするものだと思っているものだ。人間と人間の関係、以外の関心について知らないと言える。
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あるいは大人が困らせられる自分、しか見えていないというか(これはあんま言うと気の毒だが)。
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_(┐「ε:)_ ふぬう。
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夢でゲームしてて「トラウマクエスト」ってゲームタイトルだけ思いついて目がさめた
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今でも薬でトラウマ回帰しやすい脳の状態にできたりするんだろうか、と
トラウマ回帰しにくい状態にできるならその逆やればいいわけだから
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「幽霊にはね、おおまかにわけて、二種類あるんだ」
「火のないところに煙は立たない、とか言うだろ。だけど人間ってものは、火のないところに煙を見てしまう生き物なんだ。
一方で、実際は火がある煙もある。私たちは、火のない煙と、火がある煙、両方を見ている。めったなことじゃその違いはわからない。
幽霊なんかも例に漏れず、そういうものだ。
つまり、火のない幽霊と、火がある幽霊、二種類に分けられる」
「だがしかし、ここが重要なところなんだが」
「この区分は、幽霊に限らない。私たち人間が見ているものすべてが、おおまかに言えば、火のない煙と火がある煙、二種類に分けられる」
「今君が見ているこの私。君がここにいると思っているであろう君自身。
つまり、人間という存在は、どっちになると思う?
それは幽霊と違って、大体どっちかなんだ。
火のない煙か、火がある煙か」
「実は、人間という存在は、火のない煙なんだ。
幽霊にも、私たち人間と同じ火のない煙のものもあるが、その中には、火がある煙としてのそれがある」
「実在、という言葉を仮に使ってみよう。
火のない煙は根拠のないまぼろしのようなものだ。つまり実在性がない。一方、火がある煙は根拠があるのだから、実在性があるとなる。
幽霊には、実在性がないものと、実在性があるものがある、というわけだ」
「そして、付け加えると、むしろこっちの方が問題なのだが、人間という存在は、大体のところ、実在性がないものなんだ」
こう言い換えることもできる。幽霊と人間を比べたら、幽霊の方が実在性があるものだ、と」
「突拍子もないことを言っていると思っているかい?
そう思うのが普通だよ。
でもね、その、いわば火がどういうものかわかれば、私たちが思っている人間という存在は、どうしようもなく、火のないところに立つ煙であることがわかるんだ」
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「むしろ、幽霊話の方に、火があることがある。実在性がある可能性がある。もちろんすべての幽霊話がそうだというわけではないが」
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「幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんて言うけれど、私たちが思っている人間の方が、枯れ尾花なんだよ」
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昨日から攻撃うけているとのこと。
ttp://ch2.ma.cx/
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2ちゃん全鯖落ちですよ。
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暇なので、感想くれ。おいらの新作。感想もらってる最中に落ちたよ。
ラノベだけどね。4000字くらい。
【アドレス】 ttp://www5.pf-x.net/~wannabees/cgi-bin/upload/src/si5048.txt
【ジャンル】 ファンタジー
【タイトル】不死の勇者の冒険他四篇
【評価基準】
・どれか面白かったものがあったか。それは何か。どこがどう面白かったか。
・読んでよかったか。
・独創性はあるか。
【改稿】 可
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ttp://map.ipviking.com/
米中サイバー戦争の真っ只中みたい。すごい激しい攻防。
日本も、2ちゃんのサーバーのあるフィリピンも関わってないけど、
2ちゃんは全滅です。
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マイクロソフトもグーグルも本社は、サンフランシスコにあるなあ。
サイバー戦争で攻撃を受けているのは、主に、アメリカ国会のあるフィラデルフィアのようだ。
ホワイトハウスって何州にあったっけ?
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ホワイトハウスのあるワシントンDCはバリアがあるかのように防御力が高く、
不思議な攻防線を描く。
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2ちゃん復旧した。
アメリカで攻撃されてる場所は、フィラデルフィアではなく、
セントルイスらしい。連邦準備銀行があるらしい。
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また2ちゃん落ちた。
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サイバー戦争の攻撃拠点、インド洋のノルウェー領ブーベ島にはいったいどんなやつらがいるんだ?
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もう僕の肛門も閉鎖しようぜ
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2ちゃん、復旧した。
なんか、情報が錯綜しているが、
サイバー戦争の原因は、
アメリカで台湾の国旗掲揚に中国が
↓
北朝鮮がジョンウンの誕生日記念に
↓
北朝鮮が艦これのアニメに抗議して
ようわからん。
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なんとなく罪悪感にかられたので、もうお薬噛みません、と書いておこう。
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この苦味がいいんだよ、的な(アモバン)
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あるある、あ。
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「社会に対する違和感」と「世界に存在することの違和感」は、通じるところがなくはない
ハイデガーなどは現象学をきっかけに「世界に存在することの違和感」を根拠に思索していたのであろうが
彼の「黒いノート」などの反ユダヤ主義は、社会=ユダヤ人として「社会に対する違和感」であったりしたろう
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黒ノートってタイトルがすごいよな、本当に単純に黒いノートだったらしいが
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反ユダヤ主義といえばセリーヌ
セリーヌは萌える
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「世界に存在することへの違和感」を隠喩する「社会に対する違和感」だから、それは現実原則的な社会ではなく、「ユダヤ人が裏で支配している社会」にしなければならなかったのか
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>>284
強迫的なのが昔っからあったからなあ。だが特に何で母親かといえば矢っ張り意味があると思える。
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最近童貞に凝ってるんだが、童貞ってただ単に言葉だけだろ。
まんまんにちんちん入れた感覚はあるが、その感覚さえも全てが空という価値観から見れば妄想だし、童貞というのも言葉だけじゃねえか。
だが言葉に拘る文学好きにとっては童貞かそうでないかという事はやはり意味があるんだよな。
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>>294
やって当然、的な感じだったからな。
これは今でも実はある。相手が自分と違う事をやってることに気付いたらきょどる。合わさせないとと思ったりする訳だ。
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父の強迫ではなく母の強迫みたいなことか
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文学板死んでる?
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>>172
ここ見るとわかる。
また攻撃受けてるのかな。
全板落ちてるっぽ。
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どのスレもいかんっぽいな。
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またこのみや君おちょくりカキコしたかったのになあ。
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