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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★10

231まぐな:2015/01/01(木) 19:25:57
記憶が善の根拠という本を上げてたんだが、そこのamazonレビューでこんなんがあったお。
ミニハンはどう思うかね。


この世界には実体や本質は存在せず、すべては「無常」であり、「自我」さえも本当は存在せず(=「無我」)、「因果律」も幻想であると考える仏教は、倫理や善/悪をどのように捉えるのか? アリストテレスの『ニコマコス倫理学』であれば、人間という実体の可能態/現実態として善を捉えるのだが、「無常」の立場からはそれはできない。著者の立場はアリストテレスの対極にあるが、しかし西洋哲学を専攻する評者の目からすると、意外にも、カント、キルケゴール、ラカンなど西洋近代の思考に近いように感じられた。著者は、それ自体が「無根拠で」矛盾したものである「自己という存在様式」から出発する。著者によれば、「他者に課せられている自己、矛盾と困難に満ちた自己という存在様式を引き受ける」のが善であり、それを拒否するのが悪である。ここで「他者に課せられている」という点が重要で、私は自分が望んでこの世に生まれてきたのではなく、親たちが勝手に作ったものであり、また乳児期より、言語や規範を親や共同体から叩き込まれ、「自己」という存在そのものが最初から他者によって言語化・構造化されている。これは、ラカンの「大文字の他者」「象徴界」「鏡像としての小文字の私」などを思い浮かべると、よく分かる考え方であり、奇妙なものではない。「嘘をつく」ことが悪であるのは、言語化・構造化されている「自己」という存在様式を破壊するからであり、これはカントの「定言命法」と非常に近い。




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