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2021/3/21 村田純一『「わたし」を探検する』批判
1
:
野口
:2021/02/14(日) 21:53:30
岩波哲学塾・『「わたし」を探検する』批判を行い、心身問題の意見交換をしたいと思います。
特に第6日と補講を中心に行います。該書が手に入らなくても、資料は用意しますので安心してご参加下さい。
クオリア、哲学ゾンビ、水槽の脳、スペクトルの逆転、ハードプロブレム等にご関心の方にはぜひ。
双書 哲学塾 「わたし」を探検する 、村田純一、岩波書店、2007年。
村田先生は東大の現象学・科学哲学者です。
2
:
ムラタ
:2021/02/17(水) 19:16:33
購入してまだ少ししか読んでいませんが今のところ簡にして要の良書だという感想です。
調べたら東大教養学部教授から立正大教授と野矢茂樹と同じ経歴なんですね。
哲学的内容も野矢茂樹と割合近いものを持っているように思われました。
お互い影響を与えあった関係だったのかもしれません。
どういった反論がありうるのか興味もあるので、多忙でなければ久しぶりに出席させてもらおうと思います。
3
:
野口
:2021/02/22(月) 15:01:16
ムラタさん。
興味あるテーマの、読みやすい本です。理解困難はありません。
私なりの批判を行う予定です。
楽しみにしています。
4
:
ムラタ
:2021/02/22(月) 17:11:04
最後まで読みましたが、特に補講最後の質問者Cとその回答は読んで思わず膝を打ってしまいました。
この本は「脳が世界を生み出す」という類の主張を否定していますが、野口さんはそこに疑問があるのでしょうか。
当日はよろしくお願いします。
5
:
akira
:2021/03/11(木) 00:27:42
以前に数回参加した者です。心身問題に興味があるので参加したいのですが、ここ以外に連絡先が見つからなくて……。2021/3/21に浪速区民センターに行ってよろしいでしょうか?
6
:
ウラサキ
:2021/03/11(木) 04:16:40
どうぞ、お越し下さい。
お待ちしております。
7
:
横山信幸
:2021/03/13(土) 19:07:44
久しぶりに参加しますよろしくお願いします
8
:
野口
:2021/03/14(日) 10:17:07
ムラタさん。
私は、当日「脳が世界を生み出す」を主張するつもりです。
9
:
ムラタ
:2021/03/14(日) 15:12:16
「脳が世界を生み出す」という命題をわたしは偽の命題だと思っていますが、そう考える理由を以下に記しておきます。
こんな思考実験をしてみます。
誰かの脳を取り出し、その脳を世界の全く存在しない場所、ひどく抽象的な場所ですが、本当に何にもない場所に放置したらどうなるでしょうか? なんにもない場所、絶無の場所に脳だけがあるのです。
その脳は世界を生み出すか?と考えてみると、それはさすがにNOと言わざるを得ないでしょう。したがって脳は世界を生み出しません。
これに対し、しかし、脳に信号が与えられれば世界は存在できるのだ、という反論が考えられます。その反論に対し、わたしはこう応えます。そう、【脳に信号が与えられれば】世界は存在できるのです。そして脳に信号が与えられなければ世界は存在できないのです。
つまり、「脳が世界を生み出す」という命題(Aとします)を「脳は独立に世界の出発点となる」(Bとします)という命題だと解釈するのなら、命題Bは否定され、残る道は命題Aを「世界との関係性の中で脳が世界を生み出す」という命題(Cとします)だと解釈する道ですが、これは命題Aを主張する人たちがそれを述べた時に言いたかったことではないはずです。命題Cが真だと主張した時点で脳神話は崩壊しています。
廣松渉がどこかでこんな比喩をしていました。
比喩なんて、と思うかもしれませんが、この比喩は本当にうまく行っている比喩なので彼のこの比喩は傾聴に値すると思うのですが、それはこんなものです。
目の前に蛇口があります。蛇口をひねれば水が出ます。では、「この蛇口は水を生み出している」と言えるでしょうか?
もし蛇口を工具で取り外し、その状態で蛇口をひねれば、もちろん水は出ません。
したがって、「蛇口は独立に水を生み出している」という主張は斥けられます。生き残る主張は「蛇口は世界の水の循環の中において、その部分(蛇口)だけに着目するならば、そこは水を生み出している」ということになるでしょう。そしてそれは正当な主張になると思います。
この比喩において、水が世界、蛇口が脳に対応しています。
結局、命題Aは命題Bと解釈するなら偽の命題であり、真の命題とするには命題Cと解釈するしかないですが、命題Cはつまり脳が世界との絡み合いの中で世界を成立させているということを意味し、それを認める時点でいわゆる脳神話は崩壊しているということです。
10
:
ムラタ
:2021/03/14(日) 15:13:20
>横山さん
久しぶりにお会いできるのを楽しみにしています。
11
:
久保共生
:2021/03/15(月) 00:04:57
>>9
ムラタさんの主張を僕なりに解釈してみたのですが、大体こういうことでしょうか?
脳が単体で世界を生み出すというのは無理だ。
何の電気信号も一切与えられない脳それ自体には、何の機能も存在しえないからだ。
そこで「脳+刺激が世界を生み出す」と言いたくなる。
しかし、この主張もおかしい。
なぜなら、脳が刺激を受け取ると想定している時点で、そこには脳に刺激を与えうる「外界」、つまり何らかの世界の存在が前提されているからである。
かくして、「脳が世界を生み出す」という主張は想定困難である。
12
:
久保共生
:2021/03/15(月) 00:28:02
このように考えると、「水槽の中の脳」の可能性を仮に認めたとしても、「脳が世界を生み出す」という主張は全く導出されえないことになりますね。
『「わたし」を探検する』では、水槽の中の脳の思考実験を、脳が世界を生み出す可能性を検討する思考実験と解釈していたように思いますが、それは不正確ではないでしょうか。
というのも、「水槽の中の脳」では、脳に刺激を送る何者かの存在(スーパーコンピューター等)が前提されており、すなわち何らかの外部の「世界」が予め想定されているからです。
蛇口の機能が水の存在を前提としているのと同様、脳機能も何らかの外部刺激の存在を前提にしている。
この至極常識的な考えを受け入れるのならば、「脳が世界を生み出す」という主張は、必然的に棄却されざるを得ないのではないかと思われます。
13
:
ムラタ
:2021/03/15(月) 19:04:26
>>11
その解釈の通りで間違いありません。
>>12
>「水槽の中の脳」では、脳に刺激を送る何者かの存在(スーパーコンピューター等)が前提されており、すなわち何らかの外部の「世界」が予め想定されている
そうですね。
培養槽の脳の思考実験って、脳の外界を見えにくく隠して、脳がそれ自体独立に世界を生み出しているように錯覚させるのですが、実は脳の外界を議論の前提に密輸入しているんですよね。
培養槽の脳の可能性を認めたとしても、脳は独立に世界を生み出しているとは言えませんね。
14
:
ウラサキ
:2021/03/16(火) 12:53:30
そもそも、「水槽の中の脳」は「今経験しているこの世界は幻影ではないか?」という懐疑論で、
何も外界の存在を一切否定しているわけではないと思いますよ。
よく引用されるイラストにも水槽やスーパーコンピューターは描かれていますので。
パトナムは「水槽脳は、外界についての経験を前提としているので循環論法だ」って批判してたけど、
別に、生まれてからずっと水槽の中で培養された脳ではなく、事故か何かで大人になってから取り出された脳だと想定すれば無理なく想定可能かと。
15
:
ムラタ
:2021/03/16(火) 13:52:43
>>14
ウラサキさん
>そもそも、「水槽の中の脳」は「今経験しているこの世界は幻影ではないか?」という懐疑論で、何も外界の存在を一切否定しているわけではないと思いますよ。
>よく引用されるイラストにも水槽やスーパーコンピューターは描かれていますので。
その通りで、だから「脳が世界を生み出す」という命題が無理だと
>>9
で述べさせてもらいました。
16
:
久保共生
:2021/03/16(火) 14:08:45
> そもそも、「水槽の中の脳」は「今経験しているこの世界は幻影ではないか?」という懐疑論で、
何も外界の存在を一切否定しているわけではないと思いますよ。
確かにそうなんですが、「水槽の中の脳」は、観念論(あるいは独我論)における「意識」をそっくりそのまま「脳」に置き換えたような主張、すなわち、「この世界は全て脳の産物だ」というような主張と結び付けられて語られることも多いように思います。
このような「独脳論?」と「水槽の中の脳」が(実は両者は前提が異なる議論であるにもかかわらず)しばしば混同されがちであるということについては、注意しておいた方が良いかもしれません。
17
:
野口
:2021/03/16(火) 16:42:11
ムラタさん。
「脳が世界を生み出す」と言うのは、
脳の内部に、外界=世界の情報が系として存在しており、その脳内情報世界と現下の脳への入力情報(感覚入力)との比較により世界の中の自分を確認できるということと考えます。
従って生まれた時から、脳に外界世界情報が入力されなければ、世界どころか意識も生まれないと考えます。
18
:
ウラサキ
:2021/03/16(火) 17:06:05
野口さん、
「現下の脳への入力情報(感覚入力)」を想定しているのなら、
当然、外界からの入力を想定しているので、「脳が世界を生み出す」という表現は不適切では?
さしずめ「脳と感覚のコラボで認識している」くらいが相応しい表現だと思います。
19
:
ムラタ
:2021/03/16(火) 17:56:35
野口さん
外界に存在する脳が、外界のある入力情報を受け取り、それによって脳内情報世界が生み出される、ということですね。
野口さんにひとつお尋ねしたいのですが、野口さんが今このパソコンの画面を見ている両目の近くにある脳というのは、外界に存在する脳なのでしょうか?それとも脳内情報世界の脳なのでしょうか?
20
:
久保共生
:2021/03/16(火) 20:22:05
>脳の内部に、外界=世界の情報が系として存在しており
単に記憶や学習のことを仰りたいのでしょうか?
もしそうならば、「脳が世界を生み出す」と主張するのは変だと思いますが。
「世界を生み出す」のではなく、単に「世界の情報を記録している」だけですよね。
それとも、やはりもっと別のことを仰りたいのでしょうか?
21
:
野口
:2021/03/17(水) 11:02:24
ムラタさん
「脳が世界を生み出す」というのは、外界の実世界を生み出すのではなく。脳内に情報としての世界を脳が生み出すと考えます。
だから「脳と感覚のコラボで認識している」でもいいかもしれません。
もう一つ、両目の近くにある脳というのは、外界に存在する脳ともかんがえられますし、脳内情報の脳とも言えます。
実体に確実に接近できないという意味では、情脳の脳と考えた方がいいかもしれません。
22
:
ムラタ
:2021/03/17(水) 12:21:20
>>21
野口さん
>両目の近くにある脳というのは、外界に存在する脳ともかんがえられますし、脳内情報の脳とも言えます。
>実体に確実に接近できないという意味では、情脳の脳と考えた方がいいかもしれません。
?
理解できませんでした。
野口さんが仰る外界の実世界と脳内情報世界というものが一体何を指しているのか判然としないために理解できないのでしょう。
23
:
野口
:2021/03/17(水) 13:10:26
ムラタさん 久保さん
実世界は我々が直接接触できない世界のことで、脳内情報世界とは実世界情報を感覚受容器から信号として取り込み
その信号を意味のある情報として再構成したものです。
例として直線を見てもそれ単体では直線という意味のある情報にななりません。
直線の外、円・だ円・四角・三角その他自然に存在する多くの物を信号として取り込み
それらの全ての信号を基に外界世界と同じとする情報世界を創り上げ、その中で直線は直線と認識できると考えます。
つまり脳内情報世界が神経の活動系に創生されます。久保さんのおっしゃる単に「世界の情報を記録している」だけではありません。
そしてそれら脳内情報世界の意味を理解するのも、神経系のある部分が理解するとかんがえます。
神経系が持つ情報の意味は神経系だけが理解します。
つまり意識を理解するのは神経系だけです。
外部の第三者の目には、単なる神経細胞のパルスとしかみえないのです。
24
:
ムラタ
:2021/03/17(水) 14:16:44
>>23
野口さん
>実世界は我々が直接接触できない世界のことで、脳内情報世界とは実世界情報を感覚受容器から信号として取り込みその信号を意味のある情報として再構成したものです。
外界の実世界が我々が直接接触できない世界であるということは、我々に直接接触できる世界は脳内情報世界だけということになりますが、その理解で構わないのでしょうか?
つまり、野口さんに表象される世界はあまねくすべて脳内情報世界だということになりますが。
25
:
野口
:2021/03/17(水) 15:24:58
ムラタさん。
その通りです。
26
:
久保共生
:2021/03/17(水) 17:09:31
野口さんの考えが、多分なんとなく分かりました。
おそらく、カントの「物自体」と「現象」に近い考え方に、「脳」を結び付けておられるのではないでしょうか。
我々は世界そのものを認識しているのではなく、脳によって意味や価値を付与された世界を認識しているといった感じでしょうか。
だとすれば、「脳が世界を生み出す」というよりは、「脳が意味を生み出す」とか「脳が世界を意味づける」と主張すべきではないでしょうか。
これならば一応趣旨は理解できます。(尤も、この考えにも異議はありますが。)
27
:
野口
:2021/03/17(水) 23:47:03
久保さん
その通りです。
そこで久保さんの異議ををお聞きしたいです。当日楽しみにしています。
28
:
ムラタ
:2021/03/18(木) 01:19:55
野口さん
我々に開かれている世界、我々に表象する世界が脳内情報世界だということですね。
そして、我々が直接接触できない世界、背後の世界が実世界、外界だと。
それなら、やはりわたしがひっかかるのは脳の身分です。
野口さんの頭蓋骨の中にはやわらかなピンク色の物体、つまり脳があるはずです。
おぞましいことを言って恐縮ですが、その野口さんの頭蓋骨を開けて、野口さんがそのピンクの物体を鏡か何かで見た時、そのピンク色の物体は一体どの世界に属することになるのでしょうか。
野口さんの定義によれば、それは野口さんの脳内情報世界に属することになるはずです。
なぜなら見えているそのピンク色の物体は、野口さんの周囲の物、例えばモンブランの万年筆などとなんらその身分の違わない、野口さんに表象されている物体だからです。
そのピンク色の物体は野口さんの経験される世界の背後、表象される世界の背後に隠れているものではなく、ごくふつうに野口さんに現実のものとして表象されているものであるはずです。
さらに言えば、野口さんはこのピンクの物体が現象されない実世界のものから信号を受け取るということを言われていますが、そのピンクの物体に信号を与えるものはそんな現象の背後に隠れている物自体のようなものではなく、普通に野口さんが接している世界の物体のはずです。
あまりここで語りすぎても当日の楽しみが減るし、野口さんにもご負担でしょうから、僕はもうこのへんにしておきます。当日は宜しくお願いします。
29
:
ウラサキ
:2021/03/18(木) 08:14:22
これまでの野口さんの説明を読んで、昔読んだ養老孟司『唯脳論』を思い出しました。
タイトルから想像した唯心論的主張ではなく、
要するに「文化や価値は全て脳が生み出したもの」という唯物論的な主張でした。
30
:
野口
:2021/03/18(木) 22:07:40
ムラタさん
当日楽しみにしています。
31
:
野口
:2021/03/18(木) 22:22:33
ウラサキさん
唯物論、そうかもしれません。
32
:
横山信幸
:2021/03/21(日) 20:48:07
久しぶりに参加させてもらってやはり面白かったです。
野口さん、発表ありがとうございました。
野口さんの説は唯物論的な物理主義の立場からカント的な超越論的な視点も踏まえつつ心身問題に迫ろうとするとこんな形になる、という一つのモデルをしてしてもらったという風に解釈して話を聞かせてもらいました。その視点で見ると野口さんの言われた話はそれぞれ話の筋は通っていて了解できるものだったと思います。
しかし、久保さんやムラタさんからの指摘があったようにそれが現象学やその他の哲学の立場の心身問題の回答になっていたかと言うと疑問が残るところはあったような気がします。しかし、それでも、今日の野口さんと久保さん等との議論のすれ違いのなかにそのすれ違ってしまう問題の種子みたいなものが見えた気がして、その点とても興味深かったです。僕はそこにカントの言う権利問題(アプリオリな形式がどこまでアポステリオリな質料に対して口出しできるのかという問題)が関係してるように思われました。
これまでの野口さんの唯物論的視点と哲学的心身問題の視点との対立の構図は今日の話し合いでもやはり見られましたが、今日はそれをいう権利がどこまであるのかという問題が見え隠れしていたぶんいつも以上に有意義な話し合いだったように思いました。
また参加させてもらいます
33
:
ウラサキ
:2021/03/22(月) 13:10:16
野口さんの説は、脳が外界からの刺激を処理加工の上、認識しているという、ごく穏当で自然科学的な見方との印象を受けました。
ただ用語が少々混乱気味であったので、聴講していた我々に伝わりにくかったのではないかと思います。
チャ―マーズのいう「ハード・プロブレム」も脳科学の進歩によってやがて解決・解消されるであろうというお立場かと。
外界刺激を想定している以上、「唯脳論」にせよ「脳が世界を生み出す」にせよ、一種の刺激的キャッチ・コピーに過ぎないのではないでしょうか?
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