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スピノザ『エチカ』読書会

1ムラタ:2019/04/22(月) 22:16:33
6月23日(日)よりスピノザ『エチカ』の読書会を新たにはじめることになりました。
新規参加者を募集します。
参加希望者はこの掲示板に書き込むか、久保またはムラタに連絡を下さい。大阪哲学同好会以外の方であっても、どなたでも歓迎いたします。

テキストは中公クラシックスの翻訳『エティカ』(工藤・斎藤訳)を標準のものとして使用しますが、どうしてもこの訳本でなければならないというわけではありません。
第一回の範囲は第一部のはじめから定理15まで(P3〜34)です。
各自読んだ上で参加されることが推奨されます。

日時:6月23日(日) 14時から
集合場所:阪神なんば線 出来島駅近くの教会
範囲:第1部最初〜定理15(p3〜34)
会場費1000円を参加者で等分して負担

2ウラサキ:2019/04/23(火) 08:07:15
参加希望致します。

3ムラタ:2019/04/23(火) 22:16:44
了解です、ウラサキさん

4久保共生:2019/04/23(火) 23:28:17
ムラタさん、スレッド立てていただいてありがとうございます。
ウラサキさん、今後ともよろしくお願いします。

範囲に関して一点補足しておくと、定理15の後の、やや長めの注解も範囲に含みます。
よろしくお願いします。

5ムラタ:2019/04/28(日) 20:59:54
GWに入って本格的に『エティカ』を読み始めたけれど、予想していた以上に面白い。
第一部「神について」を読んで、ヘッセの『シッダールダ』でとても印象に残っていた一文を思い出しました。

「この石は石である。動物でもあり、神でもあり、仏陀でもある。私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになり得るだろうからではなく、ずっと前からそして常に一切であるからだ。」(新潮・高橋健二訳)

スピノザが「神」と表現しているのは、言い方は違うかもしれないけれど、古来賢者たちが洞察していたものと根本においては共通したところがあるのかもしれません。

6則天去私:2019/05/06(月) 07:23:42
まだ変更の可能性はありますが、参加する予定です。

7久保共生:2019/05/06(月) 16:25:29
則天去私さん

歓迎いたします。
もし参加されるなら、当日13時50分くらいに出来島駅の改札前でお待ちください。
会場まで案内します。

8横山:2019/05/10(金) 22:24:41
第1回6.23に参加させてください。

2回目以降はこの掲示板での質問させてもらうだけの参加しかできないかもしれませんが、それを有効なものにするためにも1回目は是非とも参加したいと思ってました。
それが、なんとかなりそうです。

よろしくお願いします。

9久保共生:2019/05/10(金) 23:19:22
横山さん、参加歓迎します。
会場まで案内しますので、当日13時50分くらいに出来島駅の改札前でお待ちください。
楽しみにしています。

10則天去私:2019/05/12(日) 05:12:13
いろいろ考えたのですが、6月のエチカ読書会に参加するのは無理があります。

11則天去私:2019/05/12(日) 06:24:24
エチカ読書会を、どれくらいの頻度で開催するかにもよりますが。

12則天去私:2019/05/12(日) 07:22:49
実は今月、追突事故を起こしたので、疲れに対して慎重になっているんです。

13ウラサキ:2019/05/12(日) 07:40:05
則天去私さん、

読書会は大体月一回の開催になると思います。
遠距離で交通費もかかるとの事ですし、あまり無理をなさらず、
掲示板上で参加して頂いたらどうでしょうか?

14則天去私:2019/05/12(日) 19:07:06
うらさきさん
ありがとうございます。検討してみます。

15則天去私:2019/05/12(日) 20:05:28
エチカの指定箇所を、岩波文庫版で読んでみましたが、かなり難しいです。かろうじて、神が実体であることはわかりました。

16則天去私:2019/05/12(日) 20:06:55
そういえば、ドゥンス・スコトゥスも幾何学で哲学しているらしいですね。

17野口:2019/05/19(日) 23:03:20
「エチカ」読書会楽しみにしております。
しかし、6月19日から7月11日まで予定が入っています。
そこで、第一回目は残念ながら出席できません。第二回目以降からの出席を希望します。
よろしくお願いいたします。

18ムラタ:2019/05/20(月) 09:06:02
野口さん

了解致しました

19久保共生:2019/05/20(月) 18:16:31
野口さん

こちらこそ楽しみにしています。
第二回の日程と範囲は、第一回終了後にここに書き込みますので、よろしくお願いします。

20野口:2019/05/21(火) 00:28:25
ありがとうございます。

21横山:2019/05/22(水) 00:06:05
「エティカ」の読みで気になるところを挙げていっても良いでしょうか?
もし分かるところがあれば教えてもらえるとありがたいです。

第一部の最初ページの
「定義3、実体とは、それ自身のうちに在り」(岩波文庫p37)
「公理1、すべて在るものはそれ自身のうちに在るか、」(同p39)
の、「それ自身のうちに在る」ってどういうことを言ってるのか?

「定義7、・・一定の様式において存在し作用するように他から決定されるものは必然的である」(同p38)
の《必然》の定義と、
同じ「定義7」の「自己の本性の必然性のみによって存在し自己自身のみによって行動に決定されるものは自由」の《必然》や
「定義8」の「存在が永遠なるものの定義から必然的に出てくると」の《必然》は、
一義ではないように思われる。《必然》には(わざわざ定義されているのに)二つの意味が使い分けられてると考えて良いのか?

22横山:2019/05/22(水) 06:57:13
「それ自身のうちに在る」は、

例えば、
「この赤い何か」は、ここにそれが在るということ自体がその「赤い何か」の存在となるから、それ自身のうちに在るものと言える。
けれど、
「赤い」については、何かの赤い存在者が在ったとしてもそれは「赤い」そのものがあるのじゃないから、それ自身のうちに在るものとは言えない。

ってそんな感じでしょうか?

23則天去私:2019/05/22(水) 07:17:44
横山さん
すごいですね。僕にはその発想は全くなかったです。スピノザは幾何学の方法を使いながら、厳密には成功してないわけですね。

24久保共生:2019/05/22(水) 18:12:19
横山さん

「それ自身のうちに在る」というのは、「他に依存しないで存在している」、「独立自存している」くらいの意味で僕は解釈しました。
ちなみに、中公版では次のように訳されています。

定義三 実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである。いいかえれば、その概念を形成するために他のものの概念を必要としないもののことである。

「必然」についてですが、横山さんは具体的にどのような意味の違いがあるとお考えですか?
今読んでいる感じでは、スピノザに「必然」の意味を意識的に使い分けようとする意図はないように思われます。
むしろ彼に言わせれば、全て神の必然性ということになるのではないでしょうか。

25横山:2019/05/22(水) 19:32:23
久保さん、
ありがとうございます。


「それ自身のうちに在る」は「独立自存」。なるほど、です。
中公の訳を聞くと、大分分かりました。


「必然」も中公の訳を見るとすっきりするのかも。

岩波文庫の「定義7」はこう書かれてます。
「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定される、ものは必然である、あるいはむしろ強制されると言われる。」(p38)

この文のなかで2ヶ所「必然」が出てきてます。

前者は、「自己の本性」の「(一般的な意味での)必然性」(つまり、自己の本性の、それ以外ではあり得なさ)について語られているように見えます。

一方、後者は、「ある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるもの」が「必然」や「強制」の定義(つまり「他から決定されて必ずそうであるもの」とされる)だと言っているように見えます。

これは、「定義」の話なので、他から決定されるもの以外の必然はここでは必然と見なさないと、されているようにも見えます。

それで、どうも変だなあ、と思っている次第です。
これも中公の訳を見ればそんな変な話ではないのでしょうか。

26ムラタ:2019/05/22(水) 19:33:30
横山さん

ご承知のように、公理1については、

それ自身のうちにある存在=「神(実体)」
他のうちにある存在=「非神(様態)」

という構造をしているのでしょう。

つまり、「それ自身のうちにある」というのは絶対無限であり自己原因である神の性質を言い表したものになるのだと思います。ちょっと形而上学的、我々の経験を超えたような存在のようにも思えますね。

27ムラタ:2019/05/22(水) 19:54:26
>>25
横山さん

中公の定義7は以下のように書かれています。

「自由といわれるものは、みずからの本性の必然性によってのみ存在し、それ自身の本性によってのみ活動するように決定されるものである。だがこれに反して、必然的あるいはむしろ強制されているといわれるものは、一定の仕方で存在し、作用するように他のものによって決定されるものである」

一文目の「必然」は神についての「必然」であり、二文目の「必然」は有限な存在者に関する「必然」ということになるでしょう。

二文目で「必然」という言葉を、むしろ「強制」なのだと言い換えていますが、必然性というものは有限的存在者の性格を表したものではなく、無限な存在者の性格を言い表すものだとしたいというところにスピノザは重きを置きたいのではないでしょうか。
中公の注に書かれているのですが、常識的には「自由」の反対語として「必然」があるのですが、むしろスピノザは「自由」と「必然」を同様のものとしてくくり、それらの反対語を「強制」としているというわけです。

28ムラタ:2019/05/22(水) 21:01:53
簡単に言うと
必然に逆らうのが自由なのではなく、
必然に従うのが自由だといいたいのでしょう。
則天去私のような境地。

神=実体との離反は自由でなく
むしろ神=実体にありつつそれに即して必然的にあるありかたこそ自由だと言いたいのでは。

29横山:2019/05/22(水) 21:12:20
>>26

ムラタさん、ありがとうございます。

「それ自身にある存在」というは、例えば、語「ウマ」でもって種「ウマ」であるところのすべての個体を指示するような感じの外延的指示で、個物に到達する感じなのかなぁと、だから、それは無限の指示を求めることになり、すなわち「神」による指示だということになるのかなぁと、

「他のうちにある存在」というのは、例えば、語「ウマ」でもって種「ウマ」を他の生物種(ウシとかシカなど)から分類する区分方法にしたがって指示する感じの内包的指示で、個物に達しない感じなのかなぁと、なので、それは有限の指示で済んでしまうので単なる「被造物」による指示だということになるのかなぁと、

そんな感じで考えたのですが、無限の神と有限の被造物の関係って、そんな理解で大丈夫でしょうか?

30横山:2019/05/22(水) 21:18:17
>>28
ありがとうございます。

「強制」が「自由」対立するものとして「定義」されているのであって、「必然」は「自由」と対立するものとして「定義」されているわけではない、と読み下せば良いということですか。

ここのところは、訳の悪さではなく、スピノザの書きようの曖昧さがあるのですかね。

31ムラタ:2019/05/22(水) 21:42:01
>>29
「それ自身のうちにある存在」というのは、僕のイメージでは「ウマ」のようなある概念というよりは、神であり、実体であり、自然であり、無限の存在であるというイメージなのですが。
「無限なるすべて」というイメージ。

違うかもしれません。

32横山:2019/05/22(水) 22:05:22
>>31
ムラタさん、
その感覚、わかる気もします。
ですが、

「定理11、神、あるいはおのおのが永遠無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、は必然的に存在する」(岩波p47)
について証明がわざわざされてあります。
もし、実体が即ち神なのであれば、
「定理7、実体の本性には存在することが属する」
でもってすでに神の存在が言えていることになるので、証明の必要はないような気がします。
わざわざ「おのおのが永遠無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」の存在の証明をしてるってことは、単なる「実体」と「おのおのが永遠無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」は別のものだと考えているように思われるのです。

33ムラタ:2019/05/22(水) 22:28:19
>>32
横山さん

僕は神を完全に実体と等しいものだと考えていました。

というのも、例えば定理14に
「神以外にはいかなる実体も存在しえないし、また考えることもできない」

と記述されているからです。

なので、
「実体」=「おのおのが永遠無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」
ということになるのではないでしょうか?

34横山:2019/05/22(水) 23:08:50
>>33
ムラタさん、ありがとうございます。

ホントだ。ホントですね。
「神の他にはいかなる実体も存し得ずまた考えられない」とされてました。
すべての実体は神なのですね。

ならば、

すべての個物を指示してしまうような「すべてのウマ」とか、「ここにあるこのリンゴ」などという、個物としての存在はどうなるのでしょうか?

それは神の部分とされ得るのでしょうか?でも神は分割不可能なのですよね。
あるいは、それは単なる「様態」でしかないものなのでしょうか?

35ムラタ:2019/05/22(水) 23:23:46
>>34
横山さん


>すべての個物を指示してしまうような「すべてのウマ」とか、「ここにあるこのリンゴ」などという、個物としての存在はどうなるのでしょうか?
>それは神の部分とされ得るのでしょうか?でも神は分割不可能なのですよね。
>あるいは、それは単なる「様態」でしかないものなのでしょうか?

個物としての存在は、神から分割されたある別の存在というより、神によって産み落とされた神の「変様」ということになるかと思います。
神(実体)と個物的存在の関係は、例えば、海と波の関係にも似たものでしょう。
波は海から生み出され、かつ海でもある存在です。
いわゆる汎神論ですね。

36ムラタ:2019/05/22(水) 23:34:25
ちなみに>>35の海と波の比喩は中公の注に書いていたことで、僕の独創ではありません。

37久保共生:2019/05/22(水) 23:57:31
僕の今のところのイメージでは、神≒世界そのものです。
そう理解すると腑に落ちる部分が多いです。

神は唯一の実体であって、絶対無限、すなわちその外部を考えることが不可能なもの。
すべては神のうちに在り、その中に存在する個物は神の変容的様態である。

神を世界に変えても意味が通じるように思います。


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