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1
:
名無しさん
:2015/04/22(水) 14:03:06
いや〜、夕べのライヴは最高だったな!
でさ、、ログ流しってなに?
俺らみたいなバーズのカヴァーバンドのメンバーとかバーズの愛好家が全員宗教関係者とかいう噂になってんだよね
そんで調査したらデマの発信元がここだとわかったのよ
俺ら関係ねえのに勝手に宗教のヤツと同一人物とか書いてんじゃねえよ
そんで頭に来たから仲間に呼びかけてここを潰しにきたんだよ
バーズは全員同一人物と書いたことを謝罪せよ
われわれのライヴ活動にも影響するんでね
ケジメつけてくれ
ケジメつけてくんなきゃこれからも続くぞ
これをやることで我々の名誉が保てるんだからな
[バーズイズム]
#959 2015/04/19 17:18
スレで謝罪がなければバクサイとかに直で苦情言うぞ
[バーズイズム]
961 2015/04/19 18:14
>>959
そんなんじゃ生ぬるいぜ
チケットの売り上げが下がったら損害賠償払ってもらおう
バクサイに聞けば書いたヤツのIPとかわかるんだろ?
[マッギンくん]
2
:
管理人さん大変です!
:2015/04/22(水) 14:11:07
管理人さんに!
明らかな、犯罪的な連中が、脅し揺すりを 正体不明なバンド「バーズイズム」
「マッギンくん」の名を使いやっています!
脅迫罪、恐喝罪、詐欺罪の疑いが強いので警察に届けて下さい!
3
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あぼーん
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あぼーん
4
:
名無しさん
:2015/09/16(水) 07:15:54
>本門戒壇の大御本尊とされる写真
これってよく分からないのですが、犀角独歩氏がネットに上げた画像の写真ですか?
通称熊田本、由井本、東京本門独一講発行の大石寺写真集に載る戒壇本尊写真は
大石寺の印可もあるのでそちらと違いますよね?
5
:
名無しさん
:2015/09/16(水) 08:15:23
戸田門下生様
>日蓮大聖人が弘安二年(1279)十月十二日に顕わされた一閻浮提総与の大御本尊は、末法の衆生のためのものであり、
万機万縁となる。それ以前に大聖人が特定の信者に与えられた本尊を一機一縁の本尊ということもある。
では授与書きも無く、特定の信者に与えられたわけでない保田妙本寺蔵「万年救護本尊」はどうでしょう?
一機一縁の本尊? 戸田さんの言う「金庫の前に貼られた証文」?
(ただし、自分は万年救護本尊を一部の人が言う、戒壇の大本尊とは思っていない)
6
:
名無しさん
:2015/09/16(水) 08:53:34
堀日亨師の
御荷物の中に「生御影」「御骨」はかならず御奉持であるべきであるが、
板本尊にいたっては研究の余地が存ずる。(中略)現存大石の多数のものは、
南条下之坊保管の物であり興師の延山時代には関係ない。
の著書の「板本尊にいたっては研究の余地が存ずる」の部分を、運搬方法に付いてわからないから
運搬方法に付いて「研究の余地が存ずる」と言ってるのだ、と言う方がいます。
しかし、同じ法華講の方でも意見が分かれているようですね。
ある法華講員の方のサイトから
『さて、当方の友人はこの
『「身延離山時での板御本尊の持ち出し」に大変懐疑的なのです』
に関しこのように申しておる。参考までに記載する。
友人曰く、
『「堀日亨上人は、59世の御法主様であられますが、永年にわたる宗旨の研究から、広く仏教界においての碩学の御立場でありました。
特に富士門の研究においては、他門との学術面での交流をお持ちでした。また、詳伝の発刊からすでに半世紀経ちますが、
当時は妙蓮寺、保田、讃岐、定善寺 等で合同帰一の流れがありました。
ここで、日精上人の家中抄について、「生御影、御骨は必ず御奉持であるべきであるが板本尊にいたっては研究の余地が存ずる」
と仰せなのは、このような背景の中で日亨上人が仏教史研究者として、学術的に公正無私の御立場(つまり、
一宗の御法主の御立場を離れた意味での)の表現と拝察いたします。そうでなくては、詳伝 上下巻での他の箇所で、
戒壇大御本尊について述べられている事実と整合性がありません。つまり彼らは、何とか戒壇大御本尊様を否定したいという底意があり、
そのために利用できるものは何でも利用したいのです。私達は、そのような邪なる輩の策謀にのせられてはいけません。』
全面的に同感である!
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52867026.html
7
:
名無しさん
:2015/09/16(水) 09:00:24
御荷物の中に「生御影」「御骨」はかならず御奉持であるべきであるが
「生御影」(保田蔵大石寺御影?)「御骨(奉安堂安置遺骨?)は
かならず御奉持で「あるべきであるが」の「あるべきであるが」は
あるべき、だが、違っていた? 御奉持していなかった?
8
:
名無しさん
:2015/09/16(水) 09:22:45
戸田門下生様
>※「日法師が楠板に謹刻」とそれでは、いつ、どの様に、謹刻されたのでしょうか。
昔の学会の書籍に「日法の玉沢門流(日昭門流が玉沢門流、間違い)には昔から
戒壇本尊のお文字を彫った木屑が存在してると言う邪義を言ってるが、これこそ戒壇本尊が
存在していた証拠ではないか」と書いてあります。
これは正しいですか? 尚、多数の人が日法門流、日春門流寺院に尋ねたがその様な物は
無いとのこと。
9
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:
名無しさん
:2015/09/16(水) 10:18:37
小樽問答に付いて
あれは、茶番よりも、ヤジと屁理屈のディベート問答だったのではないでしょうか?
学会はとにかく勝つ事を考え、身延側は法義、勉強会程度に考えていた。
特に法主の日昇師、柿沼、早瀬師一行が来るというので、お互いの旧交を温めながら、
有意義な法義を語り合えれば、程度に甘く考えていたと思います。
しかし、実際は、喧嘩腰の学会のディベート論戦に巻き揉まれてしまった。
あと人選ミスもあった。
論客の室住一妙師は、身延版ご遺文集編纂、編集員に堀日亨師と共に参加するほどの学者、学僧です。
http://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/GALLERY/show_image.html?id=5314779&no=0
信仰も熱く、日蓮のご遺文に目にする度、落涙する程の生真面目だったそうです。
だから法義を語り合う僧侶相手ならともかく、日蓮の遺骨を「どこの馬の骨だ!」との怒号、嘲笑には
「おお!大聖人のお遺骨を馬の骨とは!愚かな!・・・」と絶句状態だったのでしょう。
もしもヤジ、罵倒禁止、法義のみ語りあったら、室住師の学識の前に小平、辻両名は絶句状態だったかも知れません。
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名無しさん
:2015/09/16(水) 10:46:10
「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども」
この文は「もし地頭(領主)が謗法になったら我(日蓮の魂)は汚らわしくてここには住まない、と御遺言
にあった」という意味ですか?
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名無しさん
:2015/09/17(木) 08:24:37
> 彼らがどちらを指しているのかは不明です。
> 私は、河辺メモが指す「戒壇の大御本尊『の』」は、本門戒壇の大御本尊様を指している話ではなく、写真の話をしていると主張しています。
要するに日顕師は「戒壇の大御本尊(と称する写真)『の』」は、偽物である」と言う意味ですか?「戒壇の大御本尊を撮したと、称する写真は偽物」だと。
もしそうなら、熊田本、由井本、大石寺写真集などに載る戒壇本尊写真は無く、犀○独○氏がネットに上げた戒壇本尊と称する写真(カラー版もある、弥四郎国重の端書きも微かに撮ってる)の方を日顕師は、言われたと思います。
当初から、「一般の正宗寺院の板本尊を撮したのでは?」「御開扉の盗撮?」と法華講員の間で
曰く付きだったようです。
方や、熊田本、由井本、大石寺写真集などに載る戒壇本尊は、御影堂の御開扉法要の撮影とハッキリしていますし、書に寄っては、土屋日柱師(当時学頭)の寄せ書きが書かれて発行されていますので、宗門公認です。此方を日顕師が「偽物の写真」と言われるわけがありません。
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名無しさん
:2015/09/19(土) 08:11:33
>日蓮正宗は、本門戒壇の大御本尊様と日興上人いらいの御相伝を信じる宗旨である。
御書はもちろんだが、御歴代上人の御指南を信じている。
この堀米日淳師の「大坊棟札真筆論」も信じてるのですね?
「この元朝がんちょう勤行とても……。二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、
広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります。大石寺大坊棟札に、『修理を加え、丑寅勤行怠慢なく広宣流布待つべし』とあるが、それであります」(大白蓮・昭和34年・1月号)と。
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名無しさん
:2015/09/19(土) 09:50:12
道郷騒動など大石寺の作った伝説です。
上野の重鎮、日道、日郷が相次いで亡くなり、地頭の南条家が領地替えし、南条家のお家騒動が勃発した時にドサクサに紛れ、大石寺(蓮蔵坊)強奪の
謀略をしたのは、奥州法華衆(小野寺家)らをバックにした加賀野の日行です。
元々大石寺は南条、新田(小野寺)家の旦那寺であり、日目は生まれは伊豆の新田家領地、母は南条時光の姉という南条、新田家の血が強い僧です。
日郷は日目の弟子で、日目在世から上野と保田の法華堂を行き来きしています。
日目は甥の日道(日興弟子で日郷の兄弟子)に奥州の領地(新田坊所)を譲り、奥州布教の礎にしました。日道と日郷は兄弟子関係で、日目授与本尊を譲られるなどそれほど関係は悪くなかったようです。 大石寺御影は日郷の弟子日伝が、謀略によって泣く泣く連蔵坊を日行派の日時に明け渡した時に、所蔵の重宝を小泉に移動した時に一緒に移動した御影です。大石寺が言うように盗んだわけでなく、相続した連蔵坊の重宝を移動しただけです。
尚、奥州小野寺家の祖に「小野寺弥四郎重道」という人物がいます。
加賀野(小野寺家親戚)の日行の兄は「行重」です。推測ですが何か似てませんか?
奥州は藤原時代より金の産地です。奥州には漆工芸も古来よりあります。
楠は下野(栃木、小野寺家領地)が最北です。栃木の信行寺には戒壇本尊と寺伝にある紫宸殿本尊摸刻本尊があります。
日目生誕の伊豆の領地も温暖で楠は自生しています。
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名無しさん
:2015/09/21(月) 07:58:35
四世の日道著「御伝土代」には
さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ
と書かれていますが、無名さんはこれを戒壇本尊の証だと思いますか?
「その時、日蓮は感ずる事があり、弟子ながら「日興上人」と書写した本尊に上人号を書き表し、日興の弟子日秀日弁二人にも上人号を授けた」が
正しい読み方ではないですか? 法難当時、日興は身延におらず不在でした。
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