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【ひとりごと板】

1トキ:2012/07/26(木) 11:42:30
例えば、聖典板で感動しても、聖典以外の事は書き込みに躊躇します。
そんな時に感想を書けたり、自分の書き込みたい板で会話が盛り上がっていて
割り込みはしたくないけど、他は板の趣旨に合わないから書けないなぁという時に
ボソッと独り言を書き込める板です。

基本的に会話禁止で、いちいち「割り込み」を意識しないで書ける板です。

長文で思いの丈を吐いたり、短文でボソッと他板や他掲示板に突っ込みを入れたり
そういう自由にひとりごとを呟ける板としてお使い下さい。

1034うのはな:2012/10/15(月) 10:16:05
 
 この訊け氏の自分の好き勝手につくったブログの数々にはひどい苦痛を
味わいました。それと、わたしの勤務や担当で、ひどい褥瘡になった人はいないし、
家族の人はふだん見舞いにも来ない方が多いので、家族の苦痛まではっきりわかりません。

1035うのはな:2012/10/15(月) 12:18:17
 本流復活と今の教えを考える2 より

1987 :うのはな:2011/11/12(土) 14:42:17 ID:iM0b0bt6 > しつこい管理人さんへ

 > わたしは、以前に、あなたが指摘してきた文章を
   ここで、削除要請したと表現してるのをお忘れなく。

  それが該当してる文はどこなのかとか何回もしつこくいってこられるのは
いやなので、今思い出しても頭痛がします。

1036うのはな:2012/10/15(月) 13:07:37

掲示板のある人の付和雷同に驚く 

 http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1441

1037うのはな:2012/10/15(月) 14:25:35
674 :志恩:2012/08/26(日) 00:28:36 ID:.QY5jUA6 解説者様

あなたは、島流し板の方で,自分は、30代の若輩者だと自己紹介されてますよ。
それが、なぜ、戦争行かれない老人だとおっしゃるのですか。

どちらが、ほんとうなのでしょう。



http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1343270550/75

1038うのはな:2012/10/15(月) 14:28:10
>1037

 わたしは解説者様は40代ぐらいで、現教団職員だと想像してましたよ。
なんとなく現場の人っぽい話だから。

1039初心者:2012/10/16(火) 09:19:15
さくらちゃんへ

今はどうであるのか、わかりませんが、かつてのモンゴルでは、大地に建物を
立てるのはもちろん、大地を耕すという行為さえ、それは聖なる大地を傷つける
行為として激しく嫌悪されていたといいますね(このために、大地を耕す中国人
を、モンゴル人は蛇蠍のごとく嫌っていたようです)。

そんなモンゴルのチンギスハンの時代に、ひとつだけ「町」と呼べる建築物が
あったといいますね。わたしの記憶では、町をつくったのはトオリルハンという
人物ですが、たしかトオリルハンはキリスト教ネストリウス派を信仰していた人物で
もあったと記憶しています。町の建設に一神教の影響があったのかどうか、それは
わかりません。

それにしても、「蛇蠍(だかつ)のごとく嫌われる」の言葉から、あの「誰か」を思い
だしてしまうというのはどうしたことでしょう。「へび殺し」となにか関係があるの
かもしれませんね。ちなみに蠍とは「さそり」のことです。

ところで以前、光明掲示板にいかれたおりに、「神の定義は秩序である」といって
おられた方がいましたよね。この「秩序」とはなにかといえば、これこそが万物の
起源を頂点におこうとする、ロゴス中心主義のヒエラルキーであるといえます。

このヒエラルキーは階層性をなしていて、国家を頂点としたヒエラルキーを形成
することもできるはずです。あの方が「秩序」といわれたのは、どの階層のヒエラ
ルキーであるのかはわかりませんが、ダライラマの名前がでた途端に、話の論点が
「国の指導者論」におきかえられたところをみると、どうやらあの方のなかでは、
すでにある決まったヒエラルキーが形づくられているとみたほうがよいような
気がいたしますね。

1040初心者:2012/10/16(火) 11:32:51
さくらちゃんへ

ロゴス中心主義とはなにか、ということでまえに話したのは、「言葉いぜんに
意味があるとする思い込み」というものでした。

「思い込み」とは、言葉いぜんに意味がはたしてあるのかと、ただの一度として
疑うことなく、「言葉いぜんに意味はある」と信じきっている状態をいいますね。
そうした思い込みの結果、「言葉いぜんに真理はある」との思い込みが生じ、言葉
はその真理を言い当てることができるとする思い込みが生じます。ソシュールは、
こうした思い込みをロゴス中心主義であるとして否定したと考えてよいでしょう。

ソシュール的には、言葉は外界を認識するための器官であり道具です。人は、言葉
によって外界を認識すると同時に意味の感覚を生じさせていると考えるのが、
ソシュールの言語学です。言葉いぜんに、言葉によって指し示されるべき意味や
概念があるのではなく、意味や概念は、言葉によって外界が認識されると同時に
生じさせられたとするのがソシュールの思想であるはずです。

こうした考え方によれば、「真理」と呼ばれる意味感覚にしても、それは言葉いぜん
に存在する確固とした実在ではけっしてなく、言葉という器官によってつくり出さ
れたひとつの感覚でしかないということになってしまうはずなのですね。

生長の家がソシュールにたいして不利であるのは、「言葉には意味があるとの思い
込みから教義が構築されている」ということをすでに言い当てられてしまっている
ことです。少なくとも生長の家は、ソシュール的な考え方にたいして、「自分たちの
教義は、言葉には意味があるとする思い込みによって打ち立てられた教えでは
ない」と抗弁することはできないということです。なぜかといえば、「言葉で真理
を語ることはできる」とするのが、生長の家の根本的な考え方であるはずだからです。

一神教の思想を支えているのは、「真理は言葉によって語ることができる」とする
考え方であるはずです。これをロゴス中心主義といいます。だからこそ、「はじめ
にロゴスあり」と示すことで、ロゴス、つまりは言葉の万能性を示す必要があったの
ではないかと考えます。

1041初心者:2012/10/16(火) 11:48:31
わたしは、神道にかんしましてははなはだしく不勉強でありますので、正確な
ところはわかりませんけども、神道の根本にあるのは、「それがなんであるかを
言い当てることはできない」とする考え方ではないかと想像いたします。

この意味で、ほんらいの神道はロゴス中心主義とはちがっていたのではないか
ということを、どうしても考えてしまいます。

1042「訊け」管理人:2012/10/16(火) 12:38:56

>>神道の根本にあるのは、「それがなんであるかを
言い当てることはできない」とする考え方ではないかと想像いたします。<<

 ・・・・つづけてこう来るのが、(雅春先生解釈の)神道なのではないでしょうか。それは、言い当てることが出来ぬくらいに、「神は姿を隠している(※)」と。




<註>


※ 神は姿を隠している

 神さまはその存在を、「意識しない時ほど、よく働く」という意味です。(全文未拝読での返信を、お許しください。)さらに「全てが神の顕現である」と観るのが、雅春先生ご解釈での日本神道になろうかと、思います。
 まとめるならば「それがなんであるかを言い当てることはできない」なぜならば、「神は姿を隠しておられるのだ」となります。そしてその意味は、「神は『わたしがこうした』と主張されずあくまでも、『貴方たちのお蔭です。』『貴方たちがおられるから、私(神)も存在しております』」と、礼拝されておられるからになります。少なくともそう、思います(あくまでも生長の家の解釈では)。

1043さくら:2012/10/16(火) 12:41:19
初心者さま

お昼ごはんは何食べますか?
もう食べました?
さくらは、まだなんですか、今日はどうしよっかな〜。

初心者さまは書くペースが早いので、正直、追いつきません。
なので、ポツポツ勝手に書きますね、、。


一神教が「森の破壊」の思想的背景があることを書きましたが、
いまは、ヨーロッパでも森の保全を大きな課題として取り組んでいて、
一神教の国の方が、地球環境問題への意識が高いということもありますね。
逆に、アニミズム的思想をもつはずの日本や中国、東洋諸国の方が無頓着なことがあり、森の思想など追いやられて、豊かさや欲望を優先させてきたようです。

ただ、やはり一神教の環境問題への考えは、「エコロジー」と言われるように、これもまた、ロゴスなのですね。
なぜ、自然を保護するかといえば、支配する権利と共に、自然の秩序を守る義務に対しても、はっきりした責務の自覚のもてる思想であり、
それこそ「ヤハヴィの契約」厳守のようなものが、それを支えているといえるかもしれせん。

だから、法的なアプローチの徹底があります。
環境税とか、リサイクル法、ISOとか、やはり社会的な法律規制を守ることなんですね。

自然は、当然の権利と責任により、支配し保護するという、一神教的には、そう考えるのに対し、
多神教的には、自然は、畏敬し恵みを受ける存在で、自分たちの思うように支配するものではないので、現代的な環境への取り組みは疎いところがあると言えるかもしれません。

ただ、宗教的なアプローチとしては、このアニミズム的思想を広げていくほうが良いとおもいます。

1044初心者:2012/10/16(火) 13:42:53
訊け様

「神は姿を隠している」と言いあてようとすることじたいが、ロゴス中心主義
なのですよ。

1045さくら:2012/10/16(火) 14:16:34
あ、さくらまた、訊け監督の読まずに投稿…。

なんか話がずれて来てごめんなさい、
さくらはぼちぼちしか読めないので、ごめんなさい。

1046「訊け」管理人:2012/10/16(火) 14:27:41

>>1044

 ああなるほど(笑)そういう意味でのご発言、なのでありますね。理解致しました。





1047初心者:2012/10/16(火) 19:26:54
訊け様

言葉にさきだって意味や真理が存在し、適切な言葉をもちいさえすればそれが
なんであるかを言い当てられる、とするのがロゴス中心主義の考え方です。

こうした考え方にたいして、言葉にさきだって意味や真理が存在するとするのは
思い込みにすぎず、それを言葉で言い当てられるとするのも思い込みでしか
ない、としたのがソシュール以降の近代思想の考え方です。

たとえばある考え方を信じたことで病気が治ったとされる奇跡的体験にしても、
それは言葉によって解釈され、意味づけされた体験でしかないと、ソシュールは
考えます。言葉いぜんには、病気もなければ治癒もないとするのがソシュールです

じっさいわたしは、「病気」という言葉に大変な違和感をおぼえます。それは
わたしにとって「未知のなにか」ではあっても、「病気」という言葉で、世間一般で
意味づけられている「なにか」であるとはとてもおもうことができないものです。

それは世間の人々が「病気」と呼んでいる出来事とはひどくちがった別の出来事
のようにおもえます。人は、言葉いぜんの世界で起きている、それを神秘といって
もいいような未知の出来事を、病気という言葉で意味づけすることで、病院に
いって治療しなければならない別の「なにか」として実体化させているにすぎない
という気がいたします。

言葉がなければ、病気もなく奇跡的体験もない。そこにあるのは未知なる神秘で
あるのかもしれない。そんな神秘を、言葉によって別のものとして意味づけること
で、病気や奇跡的体験が実体化される。それは言葉のうえだけの話でありますが、
それが拡張されたところに「真理」が置かれる。いうまでもなく、その「真理」は
言葉で言い当てることができるものとみなされます。

1048さくら:2012/10/16(火) 23:20:43
初心者さま

そういえば、老子の言葉は、…ソシュールとか宇宙の成り立ちさえ、包括するような気がしてきます。

「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」

「これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。

これが本当の「名前」だと呼べる様な名前は、真実の名前ではない。
天地が創られた時には名前などは存在せず、万物が生み出された後にそれらは勝手に名づけられたのだ。
だから無欲な心をもって見れば、“名前に左右されない”物事の本当の姿を人は見る事ができるだろう。
欲望の心のままでは、人は物事の上辺の姿しか見る事ができない。名前に左右されてしまう。

この世は、すべてが1つの同じ根源存在から創られたのに、陰と陽という2つの別々の名前を持っている。
その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている。これが、この世の万物が生まれ出る門です。 」

ある方が、この言葉をわたしに送ってくれて、とても素敵なので覚えてました。

おやすみなさい。

1049神の子様:2012/10/17(水) 00:19:56
うのはなさん
部室板2読みましたよ。
私は(過去のことではありますが)介護にかんしては素人ではありませんので言わせてもらいます。

>>在宅介護でも、すべての人が褥瘡ができるわけではありません。<<

あんたは在宅の看護の事なんか、これっぽっちも知らないのに、知ったかぶりで言うな!

1050うのはな:2012/10/17(水) 04:50:14
>あんたは在宅の看護の事なんか、これっぽっちも知らないのに、知ったかぶりで言うな


在宅の看護のことなんか、これっぽっちも知らないということはありませんよ。
といっても、看護と介護はちがうのですけどね(笑)

1051うのはな:2012/10/17(水) 05:39:30

昔、私がある大学病院に入院したとき、むかいのベッドにいた30代の女の人が
いきなり私に向かって「○○さん、私の愚痴を聞いてね」なんて言いだし、
自分の父親のことや入院生活についての愚痴や看護師などにたいする不満を
話だし、応対に困ったことがありました。

彼女は会社社長の父親の話をし、わたしが「しっかりしたかんじのおとうさんね」
なんて讃嘆しても、「父親は強いから弱いもの気持ちがわからない」なんて
不満をもらし「父親が死んだとき。せいせいした」なんていってましたが、
わたしは自分の人生をふりかえって、彼女がいうところの「強いものは弱いものの気持ちがわからない」
というのはわかるな、と思います。

わたしが、ルンルンさんやそれ以外の人から不遜だ傲慢だといわれるのも
納得できる部分があるのですが、どんな人間にも苦労はあるのです。

わたしは知ったかぶりで介護の話などしているのではありませんが、
今後はこんな話をもちかけてくるのは御遠慮ねがいます。

訊けみたいに、謹慎中だ、和解が大事だといいながら他人の仕事や介護の話に
首をつっこみ、じいさんが褥瘡だんなんだかんだとベラベラ自分のほうからしゃべり
それを指摘されると、素人介護の恥を話してくれてありがとう。
でも他のひとにはそんなこといわないほうがいいよ、なんて反論してくる男のクズ。

そんな人はひとりだけいればそれで十分です。

1052初心者:2012/10/17(水) 09:36:43
さくらちゃんへ

>ただ、宗教的なアプローチとしては、このアニミズム的思想を広げていくほうが良いとおもいます。

ソシュールは、どうもこちらではあまり受けがよくありませんね。ソシュールがなに
をやったかといえば、西洋流のロゴス中心主義の考え方をコテンパンにやっつけた
と見られているということですね。

いってみればソシュールは、東洋思想の心づよい味方とでもいいたくなるような
存在なのですが、なぜかこちらでは受けがよくありません。なぜ受けがよくないの
かといえば、たどりつく結論は、生長の家じたいがロゴス中心主義だから、という
ことになりそうです。

一神教の思想の根本には、どうしてもロゴス中心主義が置かれることになります
よね。そうなると、すでに書いたように、万物の起源を頂点とした、万物のヒエラル
キー化がなされます。こうしたヒエラルキー化は、アニミズムの考え方とは対極に
あるはずです。

少なくとも生長の家にかんしていえば、宗教的なアプローチとしてアニミズムの
方向へむかうという選択肢はありえないことだと考えます。それはソシュールに
たいする反発をみていただければ、おわかりいただけることだろうと考えます。

アニミズムの方向ということでいえば、わたしはソシュールにその可能性を見いだ
したいと考えているところです。

1053初心者:2012/10/17(水) 10:27:41
さくらちゃんへ

人間という存在は上からも下からも悪によってはさまれている、とする考え方が
あります。上ではルシファーが待ち構え、下ではアーリマンが待っていると
する考え方です。

こうした考え方には一理あるとおもいます。なにごとも一方に振れすぎると
よくないということです。上ばかり見ていると、上の世界に閉じ込められて
しまいます。下ばかり見ていると、その世界からぬけだせなくなります。

どうすればよいのかというので、でてきたのが「イロニー」の思想です。イロニー
とは、上と下とを行ったり来たりすればよいではないか、とする考え方です。一方
にとどまれば、その世界に閉じ込められてしまうのだから、それを避けるには、
あちらとこちらとを行ったり来たりするしかないではないか、という話です。

では、「あちらとこちら」とはなんでしょう。「上と下」とはなんでしょう。じっさいの
ところ、上と下とが逆転しているのですね。ふつう「上」だと考えられているのが
じつは「下」であり、「下」と考えられているのが「上」であったりいたします。

これはわたし個人による大胆な仮説ですが、「上」というのは理性ですね。理性の
光によって照らしだされる世界です。これにたいして、「下」は無意識です。無意識
のカオス的ともいえる暗い世界、これが「下」だと考えられます。

ところがじっさいには、無意識が「上」ではないかと考えられるのですね。上とか下
とかいいだすと、これはロゴス中心主義のヒエラルキー化を連想させる手法です
が、じっさいそうなのです。本物の宇宙論の根本にはあるのは、これもロゴス中心
主義ですので、これはこれで仕方のないことなのですね。

無意識が上だとする理由説明ははぶきます。ひと言いっておけば、この無意識的
世界こそが、アーリマンが待ち構えるアニミズム的世界であり、理性によって照ら
しだされた世界こそが、ルシファーが待っている一神教的世界ではないかとの
仮説をたてたところです。

こうした仮説からいかなる結論がみちびきだされるのでしょう。アーリマンにも
ルシファーにもつかまらないためには、ひとところにとどまるのではなく、上と下と
を行ったり来たりしながら考えるしかないといったところでしょう。上にあるものを
下に実現し、下にあるものを上に実現する。これがイロニーの思想のおそらく核心
となる考え方であるはずです。

1054初心者:2012/10/17(水) 14:53:49
さくらちゃんへ

>これが本当の「名前」だと呼べる様な名前は、真実の名前ではない。
天地が創られた時には名前などは存在せず、万物が生み出された後にそれらは勝手に名づけられたのだ。
だから無欲な心をもって見れば、“名前に左右されない”物事の本当の姿を人は見る事ができるだろう。
欲望の心のままでは、人は物事の上辺の姿しか見る事ができない。名前に左右されてしまう。

老荘思想では「語られるものはタオではない」といわれていますね。「語りえぬ
タオ」こそが真実のタオであるといわれていますね。

「語られる」というのは「言い当てられた」という意味であるはずです。「言い当て
られたものは真理ではない」とでもいうべき考え方が、老荘思想の根本にはある
ようにおもわれます。

言葉で語られるとはどういうことなのでしょう。それは、言葉によって名づけられる
ということなのですね。ソシュール的には、すべての事物は名づけられることで
存在を開始します。名づけられる以前に存在はなく、そこにあるのは事物と事物の
関係だけ、と考えます。事物と事物を分け隔てる関係性が名づけられることで、
すべての事物がその存在を開始するというのがソシュールの考え方ですね。

「言い当てられたもの」とは、ソシュール的には、「言い当てられたことで存在を
開始したもの」ということになります。言い当てられるまでは、それは存在しなかっ
たと考えます。言葉いぜんにすでに存在していた「なにか」が言い当てられたので
なく、言葉いぜんには存在しなかった「なにか」が言い当てられたために、その
「なにか」が存在を開始したと考えるのがソシュールの発想です。

もしも真理が言い当てられたとすれば、その真理は言い当てられたことで存在を
開始した真理ということになります。言い当てられたことで存在を開始した真理は
ほんとうの真理ではない。「語られるものはタオではない」の表現で老荘思想が
いわんとしているのは、「語られるタオ」とは語られたことで存在を開始したタオで
しかない、ということになりますね。

>この世は、すべてが1つの同じ根源存在から創られたのに、陰と陽という2つの別々の名前を持っている。
その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている。これが、この世の万物が生まれ出る門です。 」

幽玄とは、もともとが老荘思想からきた言葉ですよね。神秘的ななにものかが湧き
でてくる。幽玄にはこうしたイメージがあります。

本物の宇宙のさらに奥には、デイヴィッド・ボームが「純粋可能性の領域」と名づけ
た神秘の領域があり、さらにその奥には別の神秘ともいえる「直観知性の領域」が
あると考えられます。

以上のごとく名づけられているということは、本物の宇宙論がロゴス中心主義で
あることの、なによりの証拠ということになるでありましょうね。

1055秋風:2012/10/17(水) 20:44:59
現象世界で生長の家を騙る者達は全部如何わしい。

原宿教団と学ぶ会などもコインの裏表で、役不足である。

実相世界の生長の家は金剛不壊に実在する。

真の生長の家の家族達は、今も自由に神想観することによって、実相世界の生長の家で雅春先生の講習会や誌友会に集まり、互いに讚嘆し、歓喜している。

信仰とは個人の意志の努力によって到達しうる解脱した生活である。

菩提無上、証は感謝である。ありがとうございます。

1056さくら:2012/10/17(水) 23:10:16
>>1053
初心者さま

今日は、ヒノキのアロマでアフロに入りました。
アニミズム的森の思想をおもいながら、笑。

>どうすればよいのかというので、でてきたのが「イロニー」の思想です。イロニー
とは、上と下とを行ったり来たりすればよいではないか、とする考え方です。一方
にとどまれば、その世界に閉じ込められてしまうのだから、それを避けるには、
あちらとこちらとを行ったり来たりするしかないではないか、という話です。

イロニーの思想は、よく分かりませんが・・これはお釈迦様が説いた「中道」の教えとおなじようなことでしょうか。
これもロゴスの罠に陥らない、すばらしい知恵のある教えだと思います。
お釈迦様は、命をかけた苦行に偏り、この方法では悟れず、中道の悟りを得られますね。
生長の家も、「当たり前」のなかに真理がある、といいますけど、
これも、わたしには中道の教えと本質的に同じものだと感じたのですが。
なにか特別なものに偏ることなく、淡々と一瞬一瞬の自分の生活の中に神聖なものを見ることができるというのは、自分の中に中心の自覚があるからできることだと思います。

絶対信というのは、なにかを一点動かないものをかたくなに信じることではなく、
いつも自分の中心を置くことで、本来は、柔軟で揺らぎのある、そして融合の力のある、ほんとうの強さを秘めるもののようだとおもいます。
信じる考えが違うから付き合えない、とか、そんな偏見も本来はないものだとおもいますけどね、。

「ヤハヴェとの契約」を守れないものは死を意味しましたし、砂漠の厳しい気候の中ではぐくまれた一神教的なロゴスの信仰は、強い「こだわり」を持つゆえに、ぶつかる宿命なのかもしれませんね。
ドイツの文化批評家が、日本の「こだわり」のなさに驚き、その節制のなさを批判したものがありましたが、日本の「寛容の文化」を理解できないのだとおもいました。

一神教は「蛇殺し」の宗教だと先に書きましたが、多神教的信仰のシンボルに「竜」がありますけど、
これもさまざまな動物のいいとこどりをした「融合のシンボル」にもなっているのですね。
道教や儒教、また仏教にも融合し、神道にも取り入れられています。
一神教の神は他の神とは決して共生することができませんし、融合にたいして徹底して
不寛容です。

1057さくら 訂正・。:2012/10/17(水) 23:12:01
>ヒノキのアロマでアフロに入りました。

アフロ、は、お風呂と読んでください、笑。

1058神の子様:2012/10/17(水) 23:55:08
>>1055訂正

役不足ではなく、役者不足、人材不足です。気になるので訂正します。

1059神の子様:2012/10/18(木) 00:39:30
うのはなさん
あなたの床ずれに関する書き込みは、体験したご本人さんや
その家族さんの気持ちを逆なでする ニュアンスの書き込みです。
あなたは、もう一度床ずれをネットで調べなおしてみなさい。あんたが思ってるより、そしてあんたの体験した病気より、ずっとずっと苦しい苦しい症状だってわかります!
それから、あんたは、病院で床ずれの症状を、見てません!というより見れません!
誰が、あなたのようなド素人に(医者が)患部を見せるものですか?
あなたに見せて、何の特になるのです?あんたは、何か役にたってるのですか?
あんたが、本当に寝たきりの末期の方の役に立ちたいのなら、看護師かせめて介護士の資格を取りなさいよ。
全てはそれからです!どんな大変かその時解りますよ!
病院は、何の資格もない人の募集なぞしてません!

1060色なき風:2012/10/18(木) 07:03:52
秋風さま

だれでしょう? 私の名と親戚のような名をつけた人は?
色なき風って、秋風のことを言うのですもの(笑)

私は、冬風とか、木枯らしに、変えようかしら…
でも、それですと、なんだか、寒そうで、風邪引きそうです。

私は、寝不足は、よくあるんですけれどね。
焼き不足も、ありますよ。お料理のとき…

役不足とは、人材不足のことだったのですね。

1061初心者:2012/10/18(木) 08:14:44
>現象世界で生長の家を騙る者達は全部如何わしい。
原宿教団と学ぶ会などもコインの裏表で、役不足である。

「如何わしい」とか「役不足」とかといいながら、どのようにいかがわしく、どのよう
に役不足であるのか、あいもかわらず具体的な言及がありませんな。

言及がないというよりも、言及できない。人間の知性は具体的なことを書けるか
書けないかで判明するといいますね。具体的なことがらをいっさい言及できない
あなた様の知的能力は、いったいどれほどのものがあるといえるのでしょう。

能力がないにもかかわらず、相手をみくだしたようなことを書きたがる。頼みの綱
は、シュレーバー症候群ともいえる誇大妄想。まったくあわれな存在です、あなた様は。

1062初心者:2012/10/18(木) 08:53:54
「絶対的信」とやらで、人は、具体的言及をいっさい必要としない妄想的世界に
閉じ込められてしまうようですね。V氏は、そのことを証明する、まったくのよい
お手本のような人物であります。

「神の声を聞くことができる」と主張するシュレーバー症例に特徴的なものに
「基本語」というのがあるといいます。妄想を正当化するために、ある特定の定式
化された表現がくり返しもちいられる現象のようです。「基本語」のひとつに「言葉
を話す鳥たちのまったく無意味語、常套句のくり返し」というのがあるそうです。

V氏の発言には、

>実相世界の生長の家で雅春先生の講習会や誌友会に集まり、互いに讚嘆し、歓喜している。

>信仰とは個人の意志の努力によって到達しうる解脱した生活である。

>菩提無上、証は感謝である。

というように、具体的言及をいっさい必要としない、無意味語としての常套句が
くり返しあらわれてまいります。これは、典型的なパラノイア症例とおもわれます。

この方は、すでにルシファーの手に堕ちておられるようですが、もちろんそのこと
に気づくことはかないません。妄想を正当化する「基本語」が、このさきも延々と
発話され続けることになります。

1063蜻蛉:2012/10/18(木) 09:33:57
私は総てではない。私は無と戦う生命である。私は永久に戦う自由な意志である。

 汝、戦え。そして私と共に燃えよ。

 戦え。神は絶えず戦いを止めない。神は征服者だ。

1064初心者:2012/10/18(木) 09:49:07
さくらちゃんへ

>一神教は「蛇殺し」の宗教だと先に書きましたが、多神教的信仰のシンボルに「竜」がありますけど、
これもさまざまな動物のいいとこどりをした「融合のシンボル」にもなっているのですね。
道教や儒教、また仏教にも融合し、神道にも取り入れられています。
一神教の神は他の神とは決して共生することができませんし、融合にたいして徹底して
不寛容です。

一神教の思想は、たしかに不寛容な思想といってよさそうですね。生長の家の
排他的な性格にしても、一神教の思想によってもたらされた不寛容であるという
ことがいえそうです。

「真の生長の家」の発言が不寛容の好例ですね。真と偽とをわけ、ホンモノと
ニセモノとをわけ、ニセモノと見なした相手は徹底した不寛容の姿勢で排除しよう
とする心的傾向(じっさいは欲望なのですが)が、「真の生長の家」の発言には
あらわれているともいえます。

生長の家でも「一即多、多即一」とていのよい表現はもちいられておりますが、
じっさいには「多様性」を認めようとはしていないようです。自分が信じるものとは
異なる考えは、すべてが「虚説」とされ、自分が信じるものとは異なる発言をする
ものは、すべてが「迷った人」とされます。

自分の「基準」だけが、物事の成否を判断するゆいいつの尺度であり、他の尺度は
いっさい受け入れようとしない。これが「真の生長の家」の真のあり方というもので
ありますが、その「基準」がいくら間違った基準であったとしても、その「基準」しか
知らないものは、その間違いに気づくことさえできない、ということになりますね。

1065初心者:2012/10/18(木) 10:40:24
ひと言いっておきましょう。

「如何わしい」や「役不足」と論評することで、決定的なことを自分は知っている
との印象を読み手にあたえることはできるのかもしれません。しかし、具体的な
ことがらにいっさい言及できない論者は、じっさいには、その如何わしさについて
も役不足についても、なにもわかっていないということです。

わかっていないことをわかっているかのようにみせかける。ここでも「不在の
論理」がもちいられております。生長の家は「不在の論理」でやっとこさ持ちこたえ
ているといったありまさなのでしょうか。

1066初心者:2012/10/18(木) 10:49:54
「ありまさ」ではなく「ありさま」でありました。

1067秋風:2012/10/18(木) 11:56:45
>>1060

親愛なる「色なき風」さま、あなたさまの分身にして茶飲み友達の「秋風」で〜す。

トキ幼稚園の年長組の初心者くんが早速やってきて、いちゃもんをつけていますが、ほんとにこの子はひねくれ者ですね〜。

訊けくんときたら、見積書みたいな口上でふざけてばかりだし、うのちゃんはしつこいし、さくらはこざかしい屁理屈ばかりいうし、保母のトキ先生は放任することが管理だと日教組みたいに開き直っているし・・・

秋風は大人なので、子供の砂遊びには付き合っている暇がない。

「大人と子供」も「男と女」も「善人と悪人」も「光と暗黒」も、信によってのみ止揚され、調和と和解にいたるのであります。

1068さくら:2012/10/18(木) 12:33:57
初心者さま

ネガキャンに付き合うことないですよ、まじめなのですね、初心者さまは、笑。

人はそれぞれの学びの中で、懸命に生きているんです。

誰が、人をバカにできるでしょうか?
自分を上におかないと、存在価値が感じられない人がいるんですよ。

こういう人は、人間の愚かさもいとしさも、しみじみと味わうことができない、
可哀想な人だとおもいましょ、笑。

拝。

1069さくら:2012/10/18(木) 12:45:37
初心者さまは、こころのきれいな方です。
決して、人をバカにして差別したり、わたしの無知を馬鹿にしたり一度もされません。
「生長の家」じゃないことを話しても、混乱するから距離をおく、なんてこともしません。
小賢しいことなんて言わずに、辛抱強く対応して下さいます。

ほんとうのやさしさを持っている方です。

感謝してます。

1070蜻蛉:2012/10/18(木) 12:55:54
 我のみを観よ

 他を信ずるは人生最大の恥辱だ

1071さくら:2012/10/18(木) 13:21:24
人を賛嘆するのは、信じてることではないですよ。
区別をつけられるようになるとよいですね。

1072初心者:2012/10/18(木) 13:23:51
さくらちゃんへ

>ネガキャンに付き合うことないですよ、まじめなのですね、初心者さまは、笑。

そういたしましょう。それにしても、生長の家と一般社会の言論のあり方のちがい
が如実にあらわれてきてますね。

これほど鮮やかにあらわれるとは、予想外の収穫です。生長の家がなにをいって
きたか、そしてなにをいえずにいるか、それを知るためのダイジェスト版とでも
いってよさそうな価値ある書き込みがなされていますね。

1073さくら:2012/10/18(木) 13:28:22
初心者さま

ほんとですね、
一般社会で、これくらいのこと話しても、
人間知だの小賢しいだの、洗脳だの、距離をおく、
など言われたこともないですからね、笑。

まあ、わたしの周りの生長の家の方もいいませんけどね、笑。

1074「訊け」管理人:2012/10/18(木) 13:56:06

<一連のネガキャンに関する私見>


 甘い、甘いですよ・・・・・お二方とも、甘い。一般社会にないですと?甘いなあ(笑)

 ・・・・掲示板のネガキャンは、一般社会にもあるんです。たとえば「キャバクラの控え室」とか半島方面とか・・・(中略)・・・以上、「訊け」管理人でした。さようなら。

1075さくら:2012/10/18(木) 14:13:27
見積もり管理人さま。

さくらだって、舞台女優をしていたときには(…いつ?)控え室のネガキャンや意地悪なんて、そりゃザラでしたわよ、、ほら、女の嫉妬ってこわいじゃない?

でも、宗教の…、っていうのが、なんだか鼻持ちならなくて、一番好きになれないのよ…。

拝。

1076初心者:2012/10/18(木) 15:25:02
訊け様

でもですよ、いかに世間といえども、「われらが信じるもの以外は虚説だ」とは
いわんでしょう。

1077「訊け」管理人:2012/10/18(木) 15:40:08


>>いかに世間といえども「われらが信じるもの以外は虚説だ」とは
いわんでしょう。<<


 そうですね、大半の方は違いますね。でも、キャバ嬢だけは違いますね。リーダー格の女性
が言う事以外、それは「すべてが虚説」です。たとえばNo1「さくら」ちゃんという子がいたと
してそして、正々堂々の勝負でナンバー1の地位に上りつめていたとしましょう。でもリーダー
格がこう言えばこうなります。たとえば――「ああ、あの子はお客さんとすぐ・・・(中略)・・
・ちゃうじゃん?」こういう女は、リーダーになれます。少なくともキャバクラではそうなり
ます。お茶ひいてたって、リーダーです・・・

 リーダーがあの子はウリ行為しているといえば、周囲も「そう」言わねばならぬのです。それに
反対する奴は、書き込み禁止にしちゃえばいいんです・・・・いや、店を転籍させるか、イジメちゃ
えばいいんです。正々堂々の勝負したら、負けちゃいますんでね・・・・

 まとめますと、

 「われらが信ずるもの以下は虚説」――百万回唱えれば、以下二種類の人間いずれかには
なれます。ひとつ目は「キャバ控え室でのリーダー格に」ふたつ目は掲示板でのリーダー格に」





追伸

 まあ、リーダーとは申せ付いてくるのは、「オッチョコチョイ」や「裏切り者」系
に、なろうかと・・・・(まあ世間ですが、大半の方はマトモですからね。)

1078蜻蛉:2012/10/18(木) 15:42:53
『黴菌とも和解せよ!』と新しい教が出ましたからね

1079「訊け」管理人:2012/10/18(木) 16:29:52



>>1078

 ソースをどうぞ。


追伸

 ちなみにあの、ホニャララ研究会のWEBサイトですが、ウソを確認しましたよ(笑)。あの雅宣総裁のご著書『神を演ずる前に』ですが、内容を確認しました。

 さてあの、ホニャララ研究会の発表内容ですが、覚えておられますか。あれは初歩的エラーをしながらも総裁を、なんか「人間=動物であるかのように主張した」(?)系のまあ、そんな意見でした。(よく読んでないけども・・・まあ、人間の神性を否定したかのような批判、されてましたよね)

<参考資料>
**********************************************
「現代の生物学は、人間と他の動物との間に本質的な差をほとんど認めなくなってい
る。これは、プラトンの昔から、また聖書の『創世記』にある天地創造の物語の時代
から、西洋諸国の文化に根づいていた「人間は神の似姿をした特別な存在」という考
え方が、今や崩壊しつつあることを示している。」
(『神を演じる前に』谷口雅宣著・生長の家刊32頁)
**********************************************

 ちなみに私の返信文はhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/741

 さて話を戻します。でも、でもですね(笑)あの『神を演ずる前に』の63頁をご覧ください。総裁先生、そんなこと「ま――ったく主張されておられません」でしたよ。

 同研究会はこう、主張しております。この上記数行の引用だけを以て同書は

>>『西洋諸国の文化に根づいていた「人間は神の似姿をした特別な存在」という考え方が、今や崩壊しつつあることを示している』と説くが、この記述は「人間は神の似姿に似せて創られた特別最高の存在であり、神の最高の自己実現である」という生長の家の教えを否定してしまっているのではないか、という点であった。<<


 とまで、断じておられます・・・・いやもう少し先まで、読んで頂きたかったですね。すぐ1頁先に行けば総裁先生、もう、真逆の主張をされておられるのですが(武士の情けで全文謹写は、しないことにします・・・・って単に、手元にないだけの話なんですがね)

余談

 これなんかも相当に、悪質な決め付けですね。ウソだとお思いの方は『神を演じる前に』谷口雅宣著の33頁をご高覧ください。現総裁が「だからと言って人間を動物同等などと観るのは間違いである」という線で論を、展開されておられます・・・・

1080「訊け」管理人:2012/10/18(木) 16:38:43

>>初心者さま
>>さくらマネ

 まあ>>1079のレポートですが、これもリーダー格のお姉さま(控え室の)に、
認められないと虚説です。ええ・・・「総裁はそう、言ったんです!!!」と
断言されれば、そっちが正論になっちゃいます。(笑)





1081初心者:2012/10/18(木) 17:46:59
訊け様

人間は信じたいものしか信じない。そういうものですよ。

1082初心者:2012/10/18(木) 18:13:17
>1079
訊け様

生長の家の知的レベルがどういうものか、おわかりになられましたでしょう。
なぜあれほどまでに「人間知」を否定しなければならないのか、その理由も
おわかりになられましたでしょう。

V氏はたしか、「スターダスト様を尊敬している」とまでいっておられましたからね。
世間の水準とはおそろしくかけ離れているとしかいいようがありません。

1083神の子様:2012/10/18(木) 19:24:53
>>1066
真面目な初心者さんが好きだったりします。
それに比べて不真面目なさくら氏と訊け氏は大嫌いです。

1084神の子様:2012/10/18(木) 19:27:42
>>1073
笑って小馬鹿にするのが生長の家の方なんですね。わかりました。

1085さくら:2012/10/18(木) 19:30:18
あら、さくら、普段は
「あなた、お固すぎるのよ、そんなんじゃ、彼氏もできないわよ、」
なんて言われるから、不真面目なんてすてきな褒め言葉だわ…、ありがとう、。

それから、感性のもんだいで、〜氏は、やめてね、
真面目な神の子様ならわかるでしょ?

わたしも、名前名乗らないような人の不真面目さは、きらい、笑。

1086さくら:2012/10/18(木) 19:32:09
真面目な人なら、ちゃんと真面目に対応するけど、
どうしますか、笑。

内容も読まずに人格否定しといて、人に真面目を要求する、
どれだけ、ふざけるのかしら?笑。

1087さくら:2012/10/18(木) 19:34:13
生長の家のかた?
人を勝手に決めつけないでね。

名前も名乗れないくせに。笑。

真面目な対応のぞんでるなら、それだけの礼儀を備えてくださいね。
人格否定だけなら、めっちゃ、つまらないから。

1088さくら:2012/10/18(木) 19:40:11
真面目に書けば、
宗教やってるからって、
どんだけ、人を下にみれば気が済むのかしら?

感性の問題だとか、虚説だとか、波長が合わないから真理じゃないとか…
どんだけ自分がきれいなつもりで、どんだけ正義のつもりなの?

えせスピリチュアルみたいなこという宗教は、
ほんと、鼻持ちならない。

それが、生長の家なんですか、って、あなたは、なぜわたしをみて、
判断する?

本流でも、現教団でも、あちらの掲示板でもみて判断すれば?

わたしは、生長の家の代名詞じゃないんだよ、
さくらなんだけど。

1089さくら:2012/10/18(木) 19:43:15
どうぞ、内容で、言いたいことあるなら、論点、
はっきりしてください。

はい、どうぞ。

1090さくら:2012/10/18(木) 19:47:06
人の話の内容も把握してないのに、
人格だけ否定されて、話を中断されてるんですよ。

笑ってるとおもってんの?

どっちがふざけてるとおもう。

この掲示板見てる、生長の家が判断する?

みんな、人格否定された内容を信じて、笑えばいい。

さくらがどんなに真剣に生きてるか、
判断してもらおうなんて、
思ってもないから。

1091さくら:2012/10/18(木) 19:49:07
さあ、はやく、論点はなんですか?

真剣さを要求するなら、いい加減茶々いれるような
ふざけた態度をやめて、
真剣に向き合ってください。

真剣にひとと向き合えず、馬鹿するひとは、
それだけの対応しかしませんが。

1092さくら:2012/10/18(木) 20:09:10
名前も名乗らずに、人の話の内容の理解もなく
茶々をいれる。

生長の家以前に、ひととしてたいへん不真面目さを感じます。

わたしも真面目な人間なんで、
真理を、えせスピリチュアル的に扱うことや、
ひとを理解する真摯さもないことには、
とても、不快なものを感じます。

1093さくら:2012/10/18(木) 20:45:45
ちなみに、上の書き込みから、さくらは、やはり女だから感情的になっている、
とご判断なさらないでください。
論点をきちんと持ってきてくだされば、人格否定や身分詮索、その言葉から人物分析などせずとも、能力範囲以内では、内容を理解しやりとりする冷静さは十分あります。

ちなみに、初心者様との小賢しいやりとりは、生長の家は萬教帰一であり神道的寛容と融合を果たし、和解の実現を果たす宗教であるはずで、
読み違いがなければ、現実にも真理を実現できるはずの教えなのに、
本流と名のつくところが実現は無理だと主張しているし、
どこかとらえ方がまちがっているかもしれない違和感のある状況があるので、
その方向を一般宗教的な思想などをもとに、
漠然と、考えているだけです。

深い見地から語ってくださるなら、ぜひご教授お願いいたしたくおもいます。

ただ、真の生長の家の方には、だれにも役に立たない、現象人間知の小賢しいものなので、
その場合、どうぞお構いなく。

島なので、やってるだけです。
管理人のトキさまがやめろといえば、いつでもやめます。

1094さくら:2012/10/18(木) 21:04:02
深刻ぶれば、人を根拠なしに批判しても、それは真の生長の家。

話の内容以前に、人格云々言われて、苦笑すれば、
「それが生長の家なのですね、わかりました、」
って、

何の話やねん、となれない大阪弁でつっこみたくなります。

それで、今日は話は終わりですか、神の子さん。

で、わたしはそんなに暇じゃないんで、とかなんとか、
いくらでも逃げられますものね。

そうですか。それが生長の家なのですね、わかりました。

1095神の子様:2012/10/18(木) 21:28:53
おお、恐い恐い、生長の家の人は恐いんですね。入会するのはやめておきます。雅宣様さようなら〜

1096さくら:2012/10/18(木) 21:36:24
わたしも、神の子さんのような話もできない人のはいってる宗教は、絶対はいりません。
どこの卑怯な宗教団体なんですか?
人の話を聞けない、対話できない宗教って、ほんと、こわい、、。

ひととしての常識も教えてもらえない宗教ですか。
そんな宗教にひっかからないよう気をつけますね。

ほんと宗教は、こわいわ。

1097「訊け」管理人:2012/10/18(木) 21:37:29

 まあまあまあ・・・・エリート信者んし(衆)も、元女スパイも、〝だいやめ〟すっど。


<全訳>

 落ち着いてください。エリート信者方も元女スパイの方も、飲み会しましょうよ、ええ。




1098さくら:2012/10/18(木) 22:00:45
こら〜、訊け管理人!
よくも、さくらをキャバ嬢扱いしたな。(八つ当たり)

さくらさんとはなんだか波長があいませんことよ、
って、お嬢に言われるじゃないか。


教団と本流の和解を仲裁してる、ここの管理人さまだって、掲示板の個人の諍いさえ、仲裁できないじゃない。

人のこころを大切にできない宗教なんて、やらないほうがいいや、さくらは。

雅春先生は、大尊敬するが、宗教組織は、きらい。



…な〜んてね、。

飲んでるから、言ってみただけ。

今日は仕事帰りQUEENを熱唱してきました〜。
宗教掲示板でなく、飲み会の席なら、神の子さんとも仲良くできたかもね。



1099初心者:2012/10/18(木) 22:14:38
とりあえず、問題提起をいたしましょう。たとえばロラン・バルトの嘆きということ
で、以下のごとく。

バルトの嘆き、これをひと言でいうと、キリスト教圏の言語でもちいられる単語の
多くがキリスト教の思想とわかちがたく結びつけられており、ありとあらゆる言語
表現がキリスト教で説かれている真理へと中心帰一させられている、といった嘆き
であったようです。

どの単語をもちいてなにを語ろうとも、けっきょくはキリスト教の思想を語ることに
なってしまう。言論の自由と呼べるものは、じっさいのところどこにもない。バルト
にとってのフランス語とは、キリスト教によって指し示された万物の起源を中心と
した言語のヒエラルキー化によって、なにを語ろうとも、最終的にはキリスト教の
思想に中心帰一させられるしかない言語であったということです。

そんなバルトが、日本語にたいしてだけは憧れをいだいていたといいますね。日本
語のいかなる単語も特定の存在へと帰一させられていない。日本語のすべての
単語はいかなるヒエラルキーにしばりつけられることもなく自由に飛びまわって
いる。このように感じられたことが、バルトをして日本語にたいする憧れをいだか
せる一因となっていたようです。

そんな日本語の特徴を、バルトは「シニフィエなきシニフィアン」と表現したよう
です。つまり、ひとつひとつのシニフィアンが、フランス語のように、特定の宗教的
シニフィエと結びつくようには中心帰一させられてはいないというのが、日本語の
特徴であり美点であるとバルトは看破したということなのですね。

どのシニフィアンであっても、いかなるシニフィエとも結びつかずにすむような
仕組みを支えているのが天皇制であると看破したのもバルトです。天皇制は、
歴史上、いかなるシニフィエであることも要求したことはなかった。いかなる
シニフィアンにたいしても、自分に帰一するように要求したことはなかった。これが
バルトによる天皇制の見方であったようです。

もしも天皇が、日本人にとって中心帰一すべき存在であったとすれば、フランス語
がキリスト教の思想に中心帰一させられているように、日本語はとっくの昔に
天皇制に中心帰一させられた言語になっていたにちがいありません。そうはなって
いないばかりか、逆にバルトがいうように、いかなる中心も必要としない言語と
して日本語が機能できているとすれば、そうした日本語の特徴こそが天皇制の
本質であるとするのが、もっとも自然な考え方であるはずです。

部分と全体がイコールであるとするホログラムの考え方からもわかるように、いか
なる部分も中心である必要はないというのが真理です。あえていうなら、すべて
が中心であり、特定のなにかが中心でなければならないということはない、という
のがホログラムの考え方といえるはずです。

「日本には一木一草に天皇制がある」といった人がいたようです。どのような
意味あいでこれが語られたにしろ、天皇制をこれほどうまく表現した言葉はない
といえそうです。

いずれにしても、天皇制を中心帰一の対象とすることには相当な無理があると
いえそうです。一木一草にも天皇制がある。これをアニミズムの発想とすれば、
天皇制は、いかなる部分にも全体と等しき価値を見いだそうとしているであろう
アニミズムの思想にこそ結びつけて語られるべきものではないかと考えます。

中心帰一の発想は、万物の起源を想定し、その起源を中心に万物をヒエラルキー化
しようとするロゴス中心主義の発想でしかないということをいっておきましょう。
以上をもって、とりあえずのところの問題提起ということにいたします。

1100初心者:2012/10/18(木) 22:44:22
英語、フランス語、ドイツ語といったキリスト教圏の言語が、万物の起源を語る物語を
中心にヒエラルキー化されているとする構造分析がなされたのは、それほど古い
ことではないはずです。もしかしたらそれはソシュール以降のことであったのかも
しれません。

おそらくソシュール以前には、自分の国の言語がすでに究極の起源を中心にヒエラ
ルキー化されてしまっているという事実には誰も気づいていなかったとおもわれ
ます。気づかれなければなにが起こるかといえば、言語を適切にあやつり、流れを
うまくたどっていけば、やがて究極の真理へとだとりつくことができると人々は
考えはじめるだろうということです。

たとえば“pale”という単語ですが、日本ではこれはたんに「青白い」と訳される
だけでありますが、英語圏の人々にとって、これはなにやら、聖書のなかのある
場面を思い起こさせてしまう言葉であるようですね。

日常的言語が聖書的世界を語りかけてくる。こうしたことが、かの地の人々の
あいだでは当たり前のように起きてくるようです。こうしたことが続けば、言葉
は真理を内包している、この言葉をたどっていけば、その先には究極の真理が待ち
受けていると予感する人々があらわれたとしても、なんら不思議なことではない
といえます。

言葉の先には究極の真理が待ち受けている。こうした信念が、西洋人のあいだに
はびこっていたとしても、これまた不思議なことではありません。ですけどもこれ
は、あくまでも、すべての言語が万物の起源を中心にヒエラルキー化されている
国々の話でしかありません。

この国ではどうでしょう。すでに述べたように、この国の言語はいかなる起源にも、
いかなる究極の存在にも結びつけられていないと考えられています。ひとつ
ひとつの言葉から『古事記』の一場面をどうしようもなくおもいうかべてしまうと
いう人は、この国にはほとんどいないものと考えられます。

言葉をたどることで究極の真理へとたどりつくことができるとか、言葉をうまく
並べることができれば究極の真理を語ることができるとか、おそらくこうしたこと
は、この国では考えられていなかったはずです。それが「あえて言あげせず」の
意味であったのかもしれません。

いつのころからか、日本人も西洋人のように、言葉で真理を語ることができると
おもいはじめたようです。それはいったいいつの頃からであったのでしょう。それは
もしかして、ロゴス中心主義の思想がこの国に取り入れられた以降のことであった
のかもしれません。

1101SAKURA:2012/10/19(金) 00:39:39
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1087>>1088>>〜〜〜>>1095>>1096の“投稿…”を拝読させて頂きますと…??

■ひらがなの「さくらさま」と…ローマ字(大文字)の【SAKURA…】は、別人です。
そして、私の“パートナー”は〜〜〜【NANCY】という“ネーミング…”です。

■いつの間にか??討論の中で??【現総裁雅宣先生…擁護派】的?モドキ?見たいな感じは??
誤解を受けてしまいますでしょうかと…思いまして?
特に>>1095>>1096閲覧させて頂きながらかと〜〜??よ〜〜〜く!考えてみますと〜?
私の記憶では??
【神の子様…】は?確か〜〜〜【ア ン チ 雅 宣 派】では〜???その記憶です。…が?

そうです〜〜〜ネ!
■【本流…ボード板…「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2】も含めまして…
誤解されてはと思いますので…改めまして…此処に “ 明記 ” させて頂きました次第です。

                                                再合掌
PS::
これから??時々お邪魔してみましょうかしら〜〜〜ン!
あくまでも…ロ―マ字(大文字)の 【SAKURA】としてです。…が??宜しくお願い致しま〜〜〜す。

1102蜻蛉:2012/10/19(金) 01:37:02
  『蜜蜂たちの魂とは何ですか?』


  『蜜蜂の魂はその女王である』

1103さくら:2012/10/19(金) 09:38:22
こちらでも、どうぞ、どうぞ。

仲良く<映画「THE SAKIMORI」>のはなしでも、
人格攻撃でも、仲良くどうぞ。

1104初心者:2012/10/19(金) 10:21:55
都市計画の王道は、この国では、縦と横の直線で都市をくぎることだと
考えられているかのような印象があります。平城京や平安京は、たしかに
そうした都市計画の王道にしたがって、整然とした町並みが形づくられて
いたにちがいありません(どこかの国の都市を真似たというのはありますで
しょうけど)。

都市の防衛上の理由から、整然とした町並みはふさわしくないとの考え方が
あるにせよ、そうした町並へのあこがれから、日本の諸都市の町づくりの計画は
創案されてきたともいえる気がいたします。

ヨーロッパの街並みは、日本人の考える王道とはひどくかけ離れているように
おもえます。都市には中心があり、その中心から放射状に直線が延びています。
ヨーロッパの都市ということでいえば、こうしたイメージを思い浮かべるのが
一般的であるといえそうです。

ヨーロッパ人が必要とするのは中心であるかのようです。それも、誰にとっても
あきらかな中心であるかのようです。ヨーロッパの人々にとっての都市の中心、
それはロゴスを象徴するもの、あるいはロゴスそのものといえるのではないでしょうか。

ロゴスを中心に広がる街並み。これがヨーロッパ人にとっての理想なのでしょう。
理想を形あるものにしたのが、ヨーロッパの都市景観の理想であり、それはいう
までもなく、ロゴス中心主義を象徴したものであるはずです。

日本はどうでしょう。日本人に、ヨーロッパ人に見られるような中心へのあこがれ
や執着があるのでしょうか。わたしには、日本人は中心を必要とせず、たとえば
都市景観ということでいえば、空間を縦と横に仕切るのが好きな国民であると
しかおもえません(日本庭園というのは、これとはちがっていますけども、ヨーロッ
パの庭園ほどには、中心への執着は感じられないようにおもいます)。

もしも日本人に縦横に仕切られた都市へのあこがれがあるとすれば、これはなに
を意味するのでしょう。わかりやすければよい、ということなのでしょうか。ことの
真実はともかくとして、ひとつだけはっきりといえるのは、日本人はヨーロッパ人が
そうであるのとちがって、中心がなくとも生きていける民族である、ということが
明示されているのではないかということです。

日本人は、世界には中心があるとする考え方にたよらずとも、平気で生きていける
国民なのでしょう。その平気でいられる精神構造を支えてきたのが天皇制であった
はずです。もしもこの国から天皇制が消滅すれば、日本人といえども、ヨーロッパ人
のごとくロゴス中心主義に陥っていくよりほかはないものと考えます。

1105蜻蛉:2012/10/19(金) 15:05:46
光明掲示板で「西田幾多郎博士との対話」が掲載されていますが

『新生の書』以外に書かれた本は無いのでしょうかねぇ

1106蜻蛉:2012/10/19(金) 15:17:45
 あっ、ここの方々はアク禁でしたね

1107神の子様:2012/10/19(金) 15:30:53
>>1106
アク禁は約三名ほどではなかったですか?

1108初心者:2012/10/19(金) 15:47:19
生長の家の教えは、日本的なふうを装いながら、そのじつ語られているのは
ヨーロッパ的思想である可能性が高そうです。それはいってみれば、プラトン
主義の焼き直しのひとつでしかない。そんな気がいたします。

ここに真実の世界はない。真実の世界はべつの場所にある。このように、
けっきょくのところは真なる世界を立ててしまう、いや立てなければならなく
なる。典型的なプラトン主義としかいいようがありません。

ここを否定しておきながら、べつのどこかに真なる世界を求めてしまうと
いうのであれば、ここを真なる世界と見ることとたいしてちがわぬことの
ようにおもわれます。

1109さくら:2012/10/20(土) 16:45:27
初心者さまへ。

神道には、神社形態や国家主義的な天皇制、「古事記」など文字で残された歴史的情報として捉える、見える形で伝えられたものと、
起源の定かでない伝承的なものとして人々の文化や生活、折口信夫がいった「あたゐずむ」的に伝えられた、日本人の精神性に深く関連する、見えない神道という側面がありますが、
前者は、とくに明治以降、近代国家体制の統合に、
また戦時的には、天皇に対する中心帰一のような概念は…前にトキさまが話していたような、組織教学に利用されたということがありますよね。
初心者さまが、本流派に見ているのは、ロゴス中心に捉えたヒエラルキー的な国家主義を指摘しているのかとおもいますし、
縹さまと話しても、「宗教的和解」が、国家のヒエラルキー的な秩序を壊すことだ、という信念が硬くおありのようで…
ずいぶん神道的な天皇信仰とはかけ離れたものは、感じました。

悟りの理念としての中心帰一なら、宗教的和解が、秩序をみだすなどと、考えられませんから。

雅春先生は、時代の背景から方便として説かざるを得なかったことが思われますし、のちに、聖戦発言などを撤回されて、理念としての天皇を本質として説いてこられたとおもいますが、(そのことにより、雅宣総裁からの「雅春先生も間違えがあった」発言でしょうが)
それを、初心者さまがご指摘のように、ロゴス中心とした運動への固執が残存しているように感じます。
だから、アジ演説的な、また民衆を?見下す大上段からの教えの説き方が歓迎されているし、政治の大量コスペが、人を救うことだと思っているんだと感じますけど。

…まあ、ここで、人を小馬鹿にしたようなことを毎回かく、初心者さまの天敵?の方も、その部類のことを信じて、絶対信を確立しているのは自分だけだと、人を見下しているのでしょうね。
そのような心は信仰の感覚とはほとんどかけ離れてるのに、絶対信など使うのは、よほどそれは偏狭な信なのでしょうね。

1110さくら:2012/10/20(土) 16:45:58
古事記などを英訳して西欧社会に紹介した、日本研究学者ののチェンバレンは、古事記のことを「荒唐無稽なポルノグラフィー的な物語」と見なしたそうですが、
表面だけで解釈すれば、その通りですよね。
西欧文明を、キリスト教精神を背景に、進化論的に発達した文化と位置づけて、高度なものと考えていたのですから、
一見秩序のない、おおらかなアニミズムやシャーマニズム的な原始の物語をこのように考えるのは、
当然なのかもしれませんね。

一方、同じ外国人でも、日本文化研究のラフカディオハーンは、日本を最も原型的、原像的な人類文化の宝物が残されていると、神道を理解しました。
ハーンは、出雲大社へ参拝したおり、「大気の中に神々しいなにものかがおわすことを感じ取ること」こそが、神道の感覚であると書いています。
ハーンは、森羅万象の中に、神聖さを見出す、アニミズム的な霊感にすぐれた方だったのですね。

本来日本人は、宗教をやっていなくても、…というか、むしろ、下手なロゴス的な宗教をやっていない方が、こうした感覚を保てる民族なのではと思っています。

ロゴスに陥ると、この「気」を読み取れないということがおこり、
教えの解釈云々で、宗教でも解釈が違うとか、争いだのがおこるのだとおもいますけど、。

気を読み取るというのは、
似非スピリチュアル的な、波長があわないとか、生理的に受け付けない、とか、真の生長の家がなにかを自分の安易な直感で決めることではなく、(これは、宗教では、やってはいけないことだと思っています)

随神…というか、なにものかおわしますことに、深くこころを寄せられる、宗教的な畏敬の念に基づくものだと感じます。

1111さくら:2012/10/20(土) 16:46:39
それから、この書き込みによって、人を見下して、こけにしたくてしょうがない、そして、真の生長の家の受け取りが違うから、距離をおくという、
神の子だか、餅だか風だかの、
真の生長の家のみなさん。
自分の主張と、論点を持ってきてやってください。

人格攻撃、ただのこき下ろしたいだけの茶々、品性もユーモアもない妨害、だからなんだ、という大量コスペ。
人の神性を見下すくださない人格攻撃するなら、
すこしは、マシな論点を持ってきて言ってください。

よろしくお願いいたします。



1112神の子様:2012/10/20(土) 17:46:23
コスペて何の略?

1113神の子様:2012/10/20(土) 17:52:19
恐い恐い
逃げろ〜
&epsilon;=&epsilon;=&epsilon;=&epsilon;=&epsilon;=&epsilon;=┌(; ̄◇ ̄)┘

1114初心者:2012/10/20(土) 20:15:55
さくらちゃんへ

>気を読み取るというのは、
似非スピリチュアル的な、波長があわないとか、生理的に受け付けない、とか、真の生長の家がなにかを自分の安易な直感で決めることではなく、(これは、宗教では、やってはいけないことだと思っています)
随神…というか、なにものかおわしますことに、深くこころを寄せられる、宗教的な畏敬の念に基づくものだと感じます。

わたくしどもの文章にたいする、こちらの方々の反応の仕方というのは、なにが
書かれているかではなく、どのような心持ちでそれが書かれたかに集約される
ようですね。

それはどういうことかというと、わたくしどもの文章を読んだとしても、なにが
書かれているかは、こちらの方々には理解できないわけですけども、読めばなんら
かの感情が湧きおこってくるということですね。それは感情というよりも、生理的
嫌悪感とでも呼ぶべき反応なのですが、内容を理解できない読み手は、嫌悪感と
いう生理現象に反応するしかないような状況におかれることになりますね。

そういう状況におかれた読み手はつぎのように考えます。こういう嫌悪感が、正し
い信仰をもつ自分のなかに起きたということは、書き手は、正しくない信仰のもと
に、正しくない心持ちでこの文章を書いたにちがいないと、こういうことを思い
込もうとしますね。

その結果としての人格批判、これがはじまります。じっさいのところは、理解できな
いことにたいする防衛反応でしかないのですけども、それを認めるわけにはいか
ないので、問題はすべて書き手の人格にある、という方向へ持っていくしかないと
いうことですね。

すぐに人格批判をはじめたがる人というのは、内容を理解できない人なのですね。
理解できていれば、内容にたいする批判をすれば、それですむはずです。

1115さくら:2012/10/21(日) 04:22:55

ほんなこて、さくらはリアルで、生長の家の良い方に恵まれてよかったですよ。
掲示板だけなら、宗教不信にさらなる歯止めがきかなかったから。

ところで、初心者さま。
出会った頃のさくらを思い出してください、あのさくらが、恐れられるまでに成長しましたよ、笑。

おそらく、真の生長の家の神の子さんらは、はすじょa hopeさんのファンかなんかで、
あれから執拗にさくらに、茶々をいれたいのですね。学んだら、真の生長の家を実行しろとかなんとか、言ってましたからね。
さくらは、自分の考えは、恥ずべきものはなにもないし、後悔もしてないですけどね。

わたしに付き合うと真の生長の家の神の子さんが、混乱しますよ。
どうぞ波長の合う真の生長の家だけで、お勉強、頑張ってください。

1116神の子:2012/10/21(日) 08:02:56
 高飛車なキャラで、女らしくない女だな

1117神の子:2012/10/21(日) 08:07:46
みっともないことを平気でいう下品な女
日本社会の変質を嘆く

1118初心者:2012/10/21(日) 08:49:35
>みっともないことを平気でいう下品な女
日本社会の変質を嘆く

だからさあ、どこがどうみっともないのか、具体的に書きなさい、って言ってるの。

「日本社会の変質」ってなに?

具体的に書けないようじゃ、あんたこそみっともないよ。

1119神の子様:2012/10/21(日) 09:13:08
さくら=初心者?

1120初心者:2012/10/21(日) 09:37:18
生長の家=ロゴス中心主義

これについて、キミはどうおもう?

1121さくら:2012/10/21(日) 09:54:03
この展開か。

真の生長の家ばかりのこの掲示板は、
近々さるつもりだったけど、人格攻撃でさるわけじゃないからね。

こんなの、わたしのような女には、とるに足りないことですわよ(タカビーって気持ちいいわ〜、笑)

はすじょ攻撃が、よっぽど悔しかったんだね、
じゃ、論点もってきてよ、ってのに。
なんも内容もなんもないなら、じょうしん行でその気持ち、清めてね。

1122神の子:2012/10/21(日) 09:59:57
どこがどうみっともないのか具体的に書きなさいって、言わなきゃわからないのか?
言わなくとも、わかるやつにはわかっとる。わからんのはあんたたちだけだ。
ふたりしてこれ以上醜態を晒すな。

1123さくら:2012/10/21(日) 10:01:38
>>1118

初心者さま。
これに至っては、あまりの内容のなさに、ツッコミようもありませんでした。

1124さくら:2012/10/21(日) 10:05:23
>>1122

内容がなさすぎる…
わかっとるひとには、わかっとる。これよくでますね。

トキさまが、みっともないからここをやめろと言えば、いま、この掲示板、
すぐやめますよ。
あなたは、やめろという、なんの権限が?

1125さくら:2012/10/21(日) 10:16:10
初心者さま。

この掲示板にも、以前は、多様性がありましたね。
前は、寛容に満ちたユーモアのある、生長の家の人たちが書き込みしていて、好きだったな、あの雰囲気。
自由に歴史や哲学の話もしていて、勉強になりました。

いまは、真の生長の家以外は、距離をおくか攻撃するか、という、偏狭な教団みたいになりましたね。
生理的に受け付けないのでしょう、「多様性」は。

初心者さまもさくらも、ここでは、最後の「魔女」かもしれませんね。内容のない人格批判でわかりますよ。

感謝してます。

1126初心者:2012/10/21(日) 10:23:56
中身はないが、やっとこさ3行ほどの文章を書けたようだな。

もう少し努力して10行ほどでも書けるようになったら相手をしてやるぜ。

1127初心者:2012/10/21(日) 11:01:27
さくらちゃんへ

>いまは、真の生長の家以外は、距離をおくか攻撃するか、という、偏狭な教団みたいになりましたね。
生理的に受け付けないのでしょう、「多様性」は。
初心者さまもさくらも、ここでは、最後の「魔女」かもしれませんね。内容のない人格批判でわかりますよ。

距離をおくというよりも、距離がありすぎて近寄れないというのが実情のようで
す。こちらの書く内容は、世間並みにはふつうのことなのですが、「真の生長の家」
を標榜するあの人たちには、理解ができないほどに難しく感じられるようですね。

理解できないことを書く相手には生理的嫌悪感が湧いてくる。これは誰もが経験
することでしょう。わかりますか?嫌悪感といってもその正体は、こちらが書く内容
に向けられた嫌悪感ではなく、理解できないことを書かれることへの、文字どおり
の生理的嫌悪感なのですよ。

そんな生理的嫌悪感をいくら表明しようとも、中身などあるはずがありません。

1128初心者:2012/10/21(日) 12:09:12
わたしが西洋の思想に染まっていると考えておられるなら、それは部分的にしか
正しくないでしょう。西洋の思想に染まっているのは、むしろ生長の家なのです。
その理由については、これまでいくつかを述べてきましたし、これからもいくつか
の理由を述べることができるかもしれませんが、今はその必要はないと考えます。

生長の家を批判するには、西洋の思想をもってするのがもっとも確実な方法という
ことになるでしょう。生長の家の思想が西洋であるからこそ、西洋によればこそ
確実に批判できるわけだし、西洋いがいの思想で批判するのは、たぶん簡単では
ないはずです。

わたしがやろうとしているのは、西洋による西洋の批判、つまりは、西洋の思想に
よる生長の家の思想の批判なのです。むろんこれは、私だけでなく、総裁もまた
おなじことをなさろうとしておられるにちがいありません。

生長の家を批判しようとすれば、その論調は西洋的なものにならざるをえない
ようです。総裁とわたしの論調が似ているために、同一人物とみなされることも
あるようですが、論調が似てしまうとすれば、そのわけは、生長の家の思想が西洋
の思想に依存しているためであり、それを批判しようとすれば、西洋による西洋の
批判とでもいうべき同一方向からの批判にならざるをえないということなのです。

西洋を批判できるのは西洋だけであるはずです。東洋をもって西洋に対立ないし
は対比させることはできるでしょうけど、その内懐に入り込んで本質的な部分を
批判するまでにはいたらないはずです。

総裁とわたしの思考パターンが似ているとすれば、そのことじたいが、生長の家の
思想が西洋に染まっていることを証明しているということになりそうですね。

1129るんるん:2012/10/21(日) 12:19:36
さくらちゃん

《論点をきちんと持ってきてくだされば、人格否定や身分詮索、その言葉から人物分析などせずとも、能力範囲以内では、内容を理解しやりとりする冷静さは十分あります》
       ↑
さくらちゃん、カックイー!男前!   ☆:*・゚(*´∀`)ノ゙*・゚   エエドー

1130神の子様:2012/10/21(日) 12:58:33
>>1125
初心者の相手はいらない(笑)

1131初心者:2012/10/21(日) 13:45:39
こんどは1行か。あいかわらずだな。

このあたりが限界といったところか。

1132初心者:2012/10/21(日) 13:54:39
10行とはいわぬ。5行でもいいから、具体的なことがらに言及してみな。

1133神の子様:2012/10/21(日) 15:05:37
初心者はそのままで素晴らしいからなんら文句はない


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