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【ひとりごと板】

1110さくら:2012/10/20(土) 16:45:58
古事記などを英訳して西欧社会に紹介した、日本研究学者ののチェンバレンは、古事記のことを「荒唐無稽なポルノグラフィー的な物語」と見なしたそうですが、
表面だけで解釈すれば、その通りですよね。
西欧文明を、キリスト教精神を背景に、進化論的に発達した文化と位置づけて、高度なものと考えていたのですから、
一見秩序のない、おおらかなアニミズムやシャーマニズム的な原始の物語をこのように考えるのは、
当然なのかもしれませんね。

一方、同じ外国人でも、日本文化研究のラフカディオハーンは、日本を最も原型的、原像的な人類文化の宝物が残されていると、神道を理解しました。
ハーンは、出雲大社へ参拝したおり、「大気の中に神々しいなにものかがおわすことを感じ取ること」こそが、神道の感覚であると書いています。
ハーンは、森羅万象の中に、神聖さを見出す、アニミズム的な霊感にすぐれた方だったのですね。

本来日本人は、宗教をやっていなくても、…というか、むしろ、下手なロゴス的な宗教をやっていない方が、こうした感覚を保てる民族なのではと思っています。

ロゴスに陥ると、この「気」を読み取れないということがおこり、
教えの解釈云々で、宗教でも解釈が違うとか、争いだのがおこるのだとおもいますけど、。

気を読み取るというのは、
似非スピリチュアル的な、波長があわないとか、生理的に受け付けない、とか、真の生長の家がなにかを自分の安易な直感で決めることではなく、(これは、宗教では、やってはいけないことだと思っています)

随神…というか、なにものかおわしますことに、深くこころを寄せられる、宗教的な畏敬の念に基づくものだと感じます。


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