[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
甲野善紀 氏ツイードメモ
1
:
kikimiko
:2013/07/29(月) 18:29:12 ID:hic8GbtQ
気になったものをどんどん貼り付け
2
:
?
:2013/07/29(月) 18:35:27 ID:???
20120730
マスコミの動向をいちいち裏読みしなければならないとは、
猜疑心の強い人間になりそうで、我ながら嫌になるが、今リツイートしたことが事実とすると、
やはりよほど注意深く、政府や、マスコミの動向を見張っていなければならない気がする。
こんな時代に付き合っていると、ピダハンの世界がいっそう貴重に思えてくる。
私の知友の多くが『ピダハン』(みすず書房刊)を読んで、感銘を受けたようなので、
まだお読みになっていない方は、ご購読をおすすめしたい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%94%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95-%E3%80%8C%E8%A8%80%E8%AA%9E%E6%9C%AC%E8%83%BD%E3%80%8D%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%82%8B%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BBL%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/4622076535
¥3570
3
:
kikimiko
:2013/07/29(月) 18:42:59 ID:???
20120801
人の価値観は様々だが、料理とも言えないくらい手をかけず、素材そのものを出すようにしたら
身体もスッキリすると思うのに、どうして世の中の人は、こんなに食べ物の調理に時間をかけるのだろうか、
と思ってしまう。
事情が許せば、かつてやったように、水に漬けた生玄米と、生ゴマ、生大豆、生野菜、といった食物だけで、
過ごしたいという思いは、心の中にずっと潜在的にある。なにしろ、これを実行していた時の目覚めの爽やかさ、
身体の軽さは、ほんとうに忘れられない。
ただ、こういった町中で暮らしていると、感覚が敏感になりすぎて、ほんのちょっとした乱雑な人の態度やら
言動が、ひどく堪えて、とても辛くなってしまい、「これは山の中にでも入ってやらなければ精神がもたないなあ」
と思って断念したのである。
*****
あと、故福岡正信翁の『わら一本の革命』とか、頭の価値観を転換する本は、探せば、けっこう有るものだ。
なんといっても「事実は小説より奇なり」は、私自身本当に実感しているから!
4
:
kikimiko
:2013/07/29(月) 19:31:32 ID:???
20120814
それにしても、何ともいえない気持ちの日々が続く。
あまり暗くなるような事をツイートするのは極力控えようと思っていると、なかなかツイートも出来ない。
ただ、本当に難しい時代だ。それだけに12日の読売新聞の編集手帖「昭和の戦争を振り返る夏。
夢をかなえられなかった時代の若者の無念を想いつつ、今は伸び伸びと自己の才能を高め、
発揮する若者たちに日の丸を打ち振る。ロンドン五輪も最終日を迎えた。」には驚いた。
あまりにも現代という困難な時代に対する認識不足に呆然とした。
確かに戦争中は、その大変さが肌身に沁みたと思う。負けたら国がなくなる恐怖も大変だったと思う。
しかし今、福島の4号機のプールの水が抜けたら敗戦どころか、この国のかなりの部分に住めなくなるのだ。
しかも、昨夜は震度5の地震が起きたばかりだ。小さな刃物ひとつも危険、危険と大騒ぎするこの国が、
その何万倍どころではない危険を内包している福島原発の収束に、国を挙げて取り組んでいるとは、
とても思えない状況だ。
「報じられなければ無かったと同じ」という感覚になりたいという気持ちも分からないではないが、
いま何よりもやらなけれならない事、国民全体が3度の飯を2度にしてもやらなければならない事が、
福島の収束ではないのか。
もし真に日本の国を思う政治家なら、例えかつては原発を大推進した自民党であっても、
とにかく4号機の収束に全力を尽せと民主党に迫るべきだと思う。消費税よりも何よりも、今はそれは最優先だ。
私が一番気に入らないのは政治家が体裁のいい事ばかり言って、国民に覚悟を求めるような事を言わないことだ。
覚悟の決まった発言を聞くことが出来たら、それはそれで随分と私の、この心の曇りも晴れるだろう。
ただ、それは現代の政治家に求める事は「木によりて魚を求む」ほど見当外れな事のようだから、
何とか自分の中で自分を変えるしかなさそうだ。
5
:
?
:2013/07/29(月) 19:51:11 ID:???
20120825
野元氏のメールがキッカケか、このツイートを始めたためか、夜に入って急速に気持ちが落ちてゆく
しかし、あらためて考えればどうにもならない事だらけ。
福島の4号機の危険さも少しも変わっていないのだし…。
バベルの塔以上の恐ろしい物をこんなに沢山作ってしまった人間が、何もなしで済むと考える方が
おかしいのではないか(キリスト教徒なら一層)と、思う。
今夜は今までで一番その恐ろしさが私の心に迫ってくる。
「考えても仕方がないから考えない」というのも、一つの方法かもしれない。
しかし罪を犯し、その報いが来そうな者に「考えても仕方ないから、仕方ないことは考えないことだよ」と、
まっとうな人は言うだろうか。
「罪は償うべきだ」と言うのが本当ではないかと思う。「自分にその気はなかった」と言っても
「業務上過失」という事もある。「人が生きるために、これだけ好き勝手やって、さらに便利にして、
この問題をしのごうとしている。一体そんな事が許されるのか」と、今夜は本当に考えてしまう。
そうは言っても、この時代に生まれてきてしまったのだ。
せめて自分が生きている事そのものに申し訳なさを持って、この時代、この事態を多少は何とか
出来るようにしたいと思う。
いま、あの震災後初めて、私が“心の故郷”とまで思っている宮城県の七ヶ宿に住む、
炭焼き職人佐藤光夫・円夫妻のところに向かうべく、山形新幹線のつばさに揺られている。
佐藤円夫人は、すでに、いままで何度も私の著書などに述べたように、私が人として最も尊敬する女性で、
いままで何度この円さんの言葉に深く頭が下がったかわからない。
今回は、私の精神状態が、落ちているだけに、「人が人であること」について、多分また、
心に響くような言葉をいただけそうである。
しかし、私の精神状態は、昨夜遅く、京都の、田口慎也氏から、私が田口氏と行っているメールマガジンでの
往復書簡「狭霧の彼方に」の返信が、送られて来た事で、かなり救われている。
6
:
?
:2013/07/29(月) 20:07:26 ID:???
20130827
今回、恐らく2年ぶりだろう。
宮城県の七ヶ宿に行って、震災後というか、原発事故後の状況について、佐藤家の円さんからいろいろと
話を聞いたが、その中に次のようなものがあった。
事故後、佐藤夫妻ともかなり体調が悪くなったらしいが、米の研ぎ汁の乳酸菌飲料や、この乳酸菌の
豆乳ヨーグルトなどで、ずいぶん体調が救われたらしい。
事実、私も佐藤家で、その乳酸菌のジュースやヨーグルトを飲んで食べて、おみやげにも貰って、
その後2時間かけて仙台の稽古会、稽古3時間、打ち上げ、そして重いお土産を持って身体はかなり
疲れた感じだが、このツイートや、原稿を書く気力はまったく落ちない。
「私の気分を落ち込ませたり、また少し掬い上げたりと、まったく誰が私をこうも弄ぶのか!」と思うが、
「人間が生きているとは、そういう事なのかもしれない」と思う。
7
:
?
:2013/07/29(月) 20:13:07 ID:???
20120828
私が今まで出会った本の中で最も衝撃を受けた本を3冊挙げろと言われたら、1冊は『山岡鉄舟』で、
あと2冊のうち1冊は特定できないが、もう1冊は、
みすず書房の『ピダハン−言語本能を超える文化と世界観−』だと思う。
もちろん、なるべくしてなってきたとも言える時代の流れの中で、私もただ自分の配役をこなしてゆく
しかないのだが、ただ自分の、このどうしようもなく湧き出てくる「思い」は訴え続けるしかない。
8
:
?
:2013/07/29(月) 20:18:05 ID:???
20120829
高島屋の民芸展に寄ってくる。ある程度覚悟はしていたが、一言で言えば「悲惨」だった。
民芸とは、元々他から評価して貰う事を、考えず、ただ、日常の生活用具を、
その人なりの好みで作った物である。
昭和2年の段階で、その「民芸」を世に出した柳宗悦自身が、資本主義体制下で、民芸が堕落したと、
激しく嘆いている。
私にはわからない分野の物はとにかく、私もかつて作った燭台は、一見して、そのレベルの低さがまる見え。
本体は、ろくろく鍛造もせず、材料をほとんどそのまま曲げて使い、燭台の皿と、本体を溶接している情けなさ!
素朴、簡素を、「手抜き」にすり替えた燭台を、仮にも70年ぶりの「民芸展」に出すとは!
「これはないだろう」と、怒りがこみあげる。
身体教育研究所の野口裕之先生が「いやぁ、親父(整体協会の創設者、野口晴哉先生)も、
早く死んで正解でしたよ。いま生きていたら堪えられないでしょう」と、時折いわれるが、その相槌に、
深く頷くしかない。
9
:
?
:2013/07/29(月) 21:39:57 ID:???
20120906
妙好人とは、私のメールマガジン『風の先・風の跡』の中で行なっている京都の田口氏との往復書簡
「狭霧の彼方に」の中でも先日触れたが、「因幡の源左」とか「讃岐の庄松」など、何の学問もなくとも
人としてその精神が一歩別次元に入った人達のこと。
ネットで検索して頂けば、妙好人達の、さまざまなエピソードが紹介されているが、源左などは自分の
畑でこっそり草を刈っている(おそらく牛の餌用に)人に向かって、「そこの草もいいけれど、あっちに
もっといい草があるで」と声をかけたような人物。
一燈園の西田天香翁が「年をとると腹が立ちやすくなるが、そこをこらえて暮らしなされや」という話をしたと聞き、
「おらあ、まだ人さんに堪忍してあげたことはござんせんやなあ。人さんに堪忍してもらってばかりおりますだいな」
と答えたという。
円さんも自らの天然ボケでまわりに迷惑ばかりかけていると心底思っていて、まわりにいつも感謝して
暮らしているが、その様子が本当に絵になっていて美しい。努めてそうするという事と、そうせざるを得なくて
そうしている、という事の差をつくづく感じる。
普通の人には信じ難いかもしれないが、原発事故で撒き散らされ、皆に嫌われているセシウムなどの
放射性物質にも、「自分で好んで嫌われ者になっている訳でもないのに本当に可哀相だ」と、
心から同情しているような人だ。
10
:
?
:2013/07/29(月) 21:53:09 ID:???
20120918
豆乳乳酸菌ヨーグルトに関しては、関心のある方が少なくないようなので、
私が株を分けてもらった七ヶ宿の佐藤円さんの作り方を紹介した
https://docs.google.com/file/d/0B6l0CKsQn3LWOTJWZ3czQk5CaG8/edit
11
:
?
:2013/07/30(火) 18:36:59 ID:???
20121230
昨年2011年の11月17日に、このツイッターと私のサイトにニューヨーク
リハビリテーション研究所の壁に書かれたという「病者の祈り」という詩を載せた。
私は決してキリスト教と相性のいい方ではないが、あれから1年以上の日が経ち、
今年2012年も、もうあと45時間余を残す時となって、なぜかどうしてもあの詩を再度読み直し、
ここに載せたくなった。
再度載せるにあたって、句読点をつけて1回のツイッターへの字数を増やした。原文の英文を読みたい方は、
私のサイトの2011年11月17日の随感録をどうぞ。
http://www.shouseikan.com/zuikan1111.htm
病者の祈り
大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人々の中で、最も豊かに祝福されたのだ。
昨夜、ニューヨークリハビリテーション研究所の壁に書かれていたという「病者の祈り」を、
どうしてもまた読みたくなり、また縁のある人に伝えたくなって、一年と一ヵ月半ほど前にツイートしたものを
再び紹介した。
すでに書いたように、私はあまりキリスト教と相性はよくない。よくないどころか、キリスト教が世界のさまざまな
地域の文化を滅亡させる事に一役も二役もかっている事に対して、憎悪にも似た思いがあった。
「あった」というより今もある。
したがって、キリスト教の宣教師でアマゾンのユニークな部族ピダハンの言葉に一番精通した
ダニエル・エヴァレット氏が、ピダハンの人々にキリストの福音を伝えようとして、逆にピダハンの人々の
満ち足りた生き方に感動し、キリスト教を捨ててしまったという話はひどく痛快だった。
だ、私の知人で、奈良で深くキリストの教えを、信仰されているF氏夫妻は「おっしゃるようにキリスト教という組織は
悪で、キリストの教えを歪めてしまっています」と言われ、その信仰の揺るぎなさは見事であった。
そして、そのF家の洗面所に貼ってあったのが、この「病者の祈り」で、これには、理屈を超えた有無を言わせない、
感動があった。
それは、我々はピダハンのような自然と共に生きているわけではなく、すでにきわめて不自然な生活を送り、
その不自然生活の象徴ともいえる原発が大事故を起こしてしまってさえも、これに頼ろうとしている現状があるから
だろう。
いま我々は、否応もなく便利漬けにさせられて、その維持のため、経済を破綻させてはいけないという
「人間が生きる」という事を原点から見れば決して本質的ではない筈の事のために、こき使われ、
抜け出せなくなっている。
そうした今だからこそ、この「病者の祈り」は心に響くのだ。
それにしてもNHKEテレ「地球ドラマチック」で見たピダハンの村の変貌ぶりはショックだった。
あの家財道具など殆どなかった人々のところに学校があり、電気が来て、テレビが映る。
そうした余計なおせっかいが言葉のリカージョン(入れ子構造)のない独特なピダハン語を消滅させ、
人間の言語には必ずリカージョンがある、という学説を揺るがないようにしようとしている一部の言語学者が
圧力をかけていたらしい事は本当に許しがたい暴挙だ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板