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第2章(pp.43-53)
1
:
OR
:2012/06/22(金) 23:37:52
キリスト教が広まったのはケルト人に布教しやすかったから、という話のようでしたが、
なるほどと思う反面、やっぱりソースきぼんぬな感じもありますね。
ケルト人の間で祭司階級が偉いから布教しやすいって言っても、そう簡単に他の宗教で
置換できるの?
ケルト人以外はどうなの?ケルト人に布教させれば勝ち的なシステムだったの?
本当にローマの社会システムだとキリスト教の布教は難しかったの?
等々色々な疑問が湧きあがりますが…
それから、数に神秘性を見出すことについてのくだりですが、この本では、
星空は神秘的→天文学は数学と不可分→だから数学も神秘的
という説明でしたが、天文学がなくとも数それ自体に神秘性は見出されてましたよね?
ピュタゴラスももちろんですが、カバラとか他にも色々あると思うんですが…
それから、またcultusの話っぽいのが出てきましたね。
修道士が農耕するという。
2
:
YS
:2012/06/23(土) 10:22:25
本来なら、ORさんがオフェンス側にまわったら、こちらはディフェンス側にまわったほうが競技ディベートっぽいし
なによりも公平さが保たれてるっぽい(あくまで、っぽいですが)ので、ディフェンス側にまわりたい気持ちは山々なのですが・・・
>ケルト人の間で祭司階級が偉いから布教しやすいって言っても、
>そう簡単に他の宗教で置換できるの?
これはいいというか、説得的な疑問ですね。そもそもケルト人が祭司階級を支配者階級にしていた時代には、独自の宗教観等があったと予想できますが、
その内容だけをきれいに取り除いて、支配者階級だけを支配者階級に位置づける形式だけを移入するのは、「常識的」というか「一般的」に
考慮すると無理がありますよね。
>それから、またcultusの話っぽいのが出てきましたね。
>修道士が農耕するという。
ここは、僕も話題に出したかった箇所です。日本と中世ヨーロッパ社会の精神的類似ないしは近似という
おおきな文脈内の記述文ですよね。でもやっぱり、この点においても決定的なちがいがあると思うんです。
で、そのちがいというのは、中世ヨーロッパでは祭司階級が農耕に従事したのにたいして、日本の祭司階級
は農耕に従事していないのではないかという点です―ちゃんと調べていない、印象なので、信用しないでください。
著者自身も述べていることですが、祭司階級になるには専門的な知識を相当必要とし、修練期間がかなりおおくないと
修養できない専門性を有しているわけですよね。そういった専門家が、その仕事と平行して農耕にも従事するというのは、
すこし無理があると妄想している次第です。
おそらく著者は、このちがいを生み出した最大の原因は、p. 51の真ん中に記述されて
いる文章で理由づけると思うのですが、いってみれば、中世ヨーロッパは森を切り開く必要があって、その際に修道士が先兵になって
いたからだという理屈になると思います。でも、う〜〜〜ん。もともと手仕事を奴隷にさせていた人々が、森の切り開きだけは
率先してやり始めるというのも、なんだかおかしな話が気がしてきます・・・
ここの箇所で気になったのは、もうひとつあります。
これも、妄想に基づく気がかりですが、著者の図式って、たとえば星空への知識にかんする場合だと・・・
中世・・・自然のまま星空を観察
現代・・・人口によって、星空の観察は不可能。よって理論によって理解
みたいな図式になっていて、自然のまま星空を観察していた人間のほうがより価値のある知識というか、よりおおく
のことを承知している、みたいな図式ですよね?乱暴にいってみれば、自然の状態に価値を認める価値観の住人の理屈になると
思うのですが。
その著者をして、中世の人間も森を切り開くという行為によって、森を森のまま生きる道から異なる道を選んでる。しかもその行為の結果、
「広々と開放された世界」と記述している。なんとなく肯定的に捉えられる表現だと思う(開放的等)のですが。自然性への妥当にたいする
著者なりの理屈づけがどうなっているのか、これから読解するのにモチベーションが与えられた気がします。
3
:
YS
:2012/06/23(土) 10:36:58
やっぱり、退歩史観ないしは没落史観なのかな、ここでもw
そう仮定すると、すっきり理解できるのは否めないですが・・・w
森にすんでいたケルト人(優)
森を切り開いた中世ヨーロッパ人(劣)
ほんとうにこの解釈でいいの?w
数にかんするORさんの記述文ですが、「天文学がなくとも数それ自体に神秘性は見出されてましたよね?」←これは著者の
文章にたいする反証例としての文章なのでしょうか?
申し訳ありません、ORさんの意図しているのは、反論と予想できるのですが、よくわからなかったので、もうすこしご説明いただけると
たすかります。
4
:
OR
:2012/06/26(火) 00:56:51
>「常識的」というか「一般的」に考慮すると無理がありますよね。
やっぱりここがけっこう引っ掛かりますよね。
言い方は悪いですが、キリスト教って他宗教とガッツンガッツン衝突しまくる宗教のような気が
するんですが、そんなにすんなりとケルト人をキリスト教化できたんでしょうかね…?
ケルト人が物凄く寛容だったのかもしれませんが、キリスト教徒は今までの宗教は捨てろと
言うでしょうし、それにはいはいと従ったと考えるのもちょっと無理が…
>もともと手仕事を奴隷にさせていた人々が、森の切り開きだけは率先してやり始める
たしかにここも引っ掛かりますね…
専門知識の勉強もしつつ開拓とかバイタイリティーありすぐる…
トマスの時代だと、トマスのように学問に従事する修道士と、托鉢したりして財政を担う修道士
という分業制になってたらしいですが、この時代からすでにそういった分業制ができてたん
でしょうか?
>自然の状態に価値を認める価値観の住人の理屈
他のスレにも書きましたが、やっぱりこの著者の方、中世贔屓してるような気がするんですよね。
退歩史観ではなく。
>著者の文章にたいする反証例としての文章なのでしょうか?
あ、分かり難くてすみません…
著者の方は、中世の人が数に神秘性を見出した理由として、天文学との関連を挙げていましたが、
それを主な理由とするのは僕はちょっとどうかと思います。
天文学がなくともピュタゴラスは数それ自体に神秘を見出していたわけですし、ヨーロッパ世界に
影響を与えた思想(カバラ等)の中にも、数自体に神秘を見出すものはあったわけで、天文学は
間に入らなくても別に数に神秘性は見出されると思います。
…と書きたかったんです……
5
:
YS
:2012/06/28(木) 07:44:36
>中世贔屓してるような気がするんですよね。
その発想はなかったw
でも、そうかんがえるのが一番自然的ですね。
今後の読解としては、なぜ中世人が優れているといえるのか、この問いをいかに説得的に
提示できているのか、という点に注目して読み進めていきたいですね―たぶん、記述していない
気がしますが・・・\(^o^)/
>数に神秘性を見出した理由として、天文学との関連を挙げていましたが、
>それを主な理由とするのは僕はちょっとどうかと思います
むむむ。ORさんのその読解の成立させた記述文は、p. 47f.ぐらいの箇所ですよね?
ここの箇所は、おおきな文脈だと、中世人にとって天体の運行は、天使によって動かされている
ものとかんがえられてきた。よって、天体の運行は神秘的である。ただし、そこには微妙な差異もあって
この差異は、トマスやアウグスティヌスによってみいだせる(天使の数と天の数の関係や、占星術について)。
しかしそれでもやはり、この差異そのものもまったくの断絶を意味するわけではなく、占星術であろうと、キリスト教
であろうと、天へのあこがれという点では共通している。みたいな流れですよね?
で、問題にしたいのは、中世人が数に神秘性をみいだした理由について、この著者は記述しているのか
どうかという点です。申し訳ない。ORさんが「数に神秘性を見出した理由として、天文学との関連を
挙げていた」という箇所について、ご教示いただけると大変に助かります。
6
:
OR
:2012/07/01(日) 10:54:23
すみません…ちょっと読み違えてました。
数に神秘性云々は、はっきり書かれてはいませんでしたね…
そう読み違えてしまったのは、p.48の
「現代英語でも、数(ナンバー)が運命を意味することがある。こういうものは、ヨーロッパにおける占いの歴史から来ているものと考えておくべきだろう」
という箇所があったからです。
ここで「占い」と言われているのは占星術のことでしょうが、そうするとちょっと違和感を覚えます。
天へのあこがれ-天文学-数学 というワンセットのみが、「数(ナンバー)が運命を意味することがある」ことの理由になっていて、数学"のみ"だとそうはならない、というように読めてしまうからです。
(実際は数だけでも十分占いに使えるだけの神秘性を持っていたはずです)
以上、ちゃんとしたお答えになっているかわかりませんが、とりあえず弁解としましてはこんな感じです。
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