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第2章(pp.43-53)
2
:
YS
:2012/06/23(土) 10:22:25
本来なら、ORさんがオフェンス側にまわったら、こちらはディフェンス側にまわったほうが競技ディベートっぽいし
なによりも公平さが保たれてるっぽい(あくまで、っぽいですが)ので、ディフェンス側にまわりたい気持ちは山々なのですが・・・
>ケルト人の間で祭司階級が偉いから布教しやすいって言っても、
>そう簡単に他の宗教で置換できるの?
これはいいというか、説得的な疑問ですね。そもそもケルト人が祭司階級を支配者階級にしていた時代には、独自の宗教観等があったと予想できますが、
その内容だけをきれいに取り除いて、支配者階級だけを支配者階級に位置づける形式だけを移入するのは、「常識的」というか「一般的」に
考慮すると無理がありますよね。
>それから、またcultusの話っぽいのが出てきましたね。
>修道士が農耕するという。
ここは、僕も話題に出したかった箇所です。日本と中世ヨーロッパ社会の精神的類似ないしは近似という
おおきな文脈内の記述文ですよね。でもやっぱり、この点においても決定的なちがいがあると思うんです。
で、そのちがいというのは、中世ヨーロッパでは祭司階級が農耕に従事したのにたいして、日本の祭司階級
は農耕に従事していないのではないかという点です―ちゃんと調べていない、印象なので、信用しないでください。
著者自身も述べていることですが、祭司階級になるには専門的な知識を相当必要とし、修練期間がかなりおおくないと
修養できない専門性を有しているわけですよね。そういった専門家が、その仕事と平行して農耕にも従事するというのは、
すこし無理があると妄想している次第です。
おそらく著者は、このちがいを生み出した最大の原因は、p. 51の真ん中に記述されて
いる文章で理由づけると思うのですが、いってみれば、中世ヨーロッパは森を切り開く必要があって、その際に修道士が先兵になって
いたからだという理屈になると思います。でも、う〜〜〜ん。もともと手仕事を奴隷にさせていた人々が、森の切り開きだけは
率先してやり始めるというのも、なんだかおかしな話が気がしてきます・・・
ここの箇所で気になったのは、もうひとつあります。
これも、妄想に基づく気がかりですが、著者の図式って、たとえば星空への知識にかんする場合だと・・・
中世・・・自然のまま星空を観察
現代・・・人口によって、星空の観察は不可能。よって理論によって理解
みたいな図式になっていて、自然のまま星空を観察していた人間のほうがより価値のある知識というか、よりおおく
のことを承知している、みたいな図式ですよね?乱暴にいってみれば、自然の状態に価値を認める価値観の住人の理屈になると
思うのですが。
その著者をして、中世の人間も森を切り開くという行為によって、森を森のまま生きる道から異なる道を選んでる。しかもその行為の結果、
「広々と開放された世界」と記述している。なんとなく肯定的に捉えられる表現だと思う(開放的等)のですが。自然性への妥当にたいする
著者なりの理屈づけがどうなっているのか、これから読解するのにモチベーションが与えられた気がします。
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