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荘周 その言葉

1アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:17:54
『荘子』の中から、荘周その人の本来の思想を表している部分を選び抜き、
できるだけわかりやすく紹介していこうという試み。

2アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:28:16
荘子 内篇

第一 逍遙遊 ─ あてどもなき彷徨い ─

〔一〕

世界の北のはて…… といっても、北極とか、そういうことではありません。

私たちの住んでいる太陽系も、太陽系のある天の川銀河も、そのほかの銀河も越えて、

宇宙すら越えた北のはて…… そこには暗い海があります。

暗い海には、一匹の魚が棲んでいます。 鯤《コン》という名の魚です。

そんな遠くて広い海に、一匹で棲んでいるものだから、鯤の大きさは、並大抵のものではありません。

銀河の端から端までを、いったいいくつ重ねたかわからないくらい 大きいのです。

さて、鯤は齢を重ねるうち、これ以上魚でいるのが嫌になってきました。

3アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:28:49
──もしも俺に翼があったなら、どこへでも好きなところへ飛んでゆくのだがなあ。


たった独り、鯤は夢を見続けました。

強く願った《夢》は《現実》になって、あるとき、鯤は背に大きな翼をもった鳥に化身しました。

これを呼んで、鵬《ホウ》といいます。

ばかでかい魚の化身だから、鵬だってやっぱりばかでかい。

翼を広げると、背中の広さは、銀河の端から端までを いくつ積み重ねたかわからないくらいです。


──これで、俺はどこへでも行ける。


ひとたび、奮い立って羽ばたくと、その姿は世界をすっぽりおおう雲のよう。

海が嵐で荒れたとき…… 今だ!

鵬は決意して、世界の南のはてにある、暗い海へと飛び駆けます。

そこを呼んで、天池《テンチ》といいます。

4アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:31:38
さて、鵬の話は、これ以上は荘周《わたし》の手に余ります。

ここから先は、幻想怪奇の専門家、斉諧《セイカイ》の口を借りましょう。

彼は、世にも奇妙な物語を、山ほど知っている男でね。彼が言うには、


「鵬が天池を目指す時には、幾つもの銀河を翼で打ち、その反動を翼で受けて、高く高く飛び上がる。

気の遠くなるような旅を終えるまで、翼を休めることはない」 そうですよ。

5アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:41:17
【解説】

『荘子』冒頭の話。原文の書き下しは、
「北冥に魚有り、其の名を鯤と為す。鯤の大きさ、其の幾千里なるかを知らざるなり。
化して鳥と為る。其の名を鵬と為す。鵬の背は、其の幾千里なるかを知らざるなり。
怒りて飛ぶに、其の翼は垂天の雲のごとし。」です。

ここは最初の部分だけに、肝心だと思ったので、大胆なアレンジを加えてみました。
そう、「北冥」の遠さや、鯤と鵬のスケールを、原作以上にググググッとでかくしてみたんです。

現代人が原文でこの部分を読むと、「ああ、世界の果ては北極でしょ?」と思ってしまうなど、
知識がノイズになってしまいます。
でも、太陽系、銀河系、その隣の銀河系、私たちの住む宇宙、さらに隣の宇宙……
どこまでも どこまでも 越えた先といえば、
現代人であっても途方もないと感じることができるでしょう。

荘周はそういう途方もなさを伝えたいと思って語を選んだだろうし、
私はその感覚をそのまま現代人にも持ってほしかったんです。

6アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:49:06
〔二〕

さて、この鵬の目には、眼下の眺めはどう見えているのでしょう。

たとえば私たちの住む地上には、さまざまなものがひしめき合っているのに、空は青一色にしか見えません。

あの青々とした色は、空本来の色ではないのですが あまりにも遠く離れているために、あんな風に見えるのです。

地上と空でさえそうなのだから、鵬から見たら、眼下はそれと同じように、茫々としていることでしょう。

鵬は、それほど高くを飛んでいるのです。

どうして、そんなに高く駆け上がる必要があるか、ですって?

だって、水に浮かべる舟だって、大きければ、浮かべるのにたくさんの水が要ります。

コップ一杯の水をこぼして水たまりを作っても、せいぜい埃が浮くだけで、

そこにコップを置いても、浮かずに つかえてしまいます。

とするなら、空間も広々、高くなければ、鵬の大きな大きな翼を支えられないのです。

──さあ、今こそ 出発のとき。

大鵬は何もさえぎることなき高みに駆け上がり、南をさして飛び立つのです。

7アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 01:51:19
【解説】

大鵬の目から見た、ただ一色の眼下の眺め……
それは、荘子の思想の根本である「万物斉同」「絶対無差別」の暗示なのです。

8アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:05:32
〔三〕

ヒグラシや小鳩は、この大鵬の姿を見て、あざ笑いました。


「おい、おれが力いっぱい飛んでも、木から木へと飛び移るのがやっとなんだぜ。

ときどき、地面に落っこちるときもある。

なのに奴ときたら、あんなに高く飛び上がってさ、南へ飛んでいくなんて、ばかばかしいや!」


この二匹の小さな生き物は、自分の尺度でしか ものを捉えていないのです。

たとえば、ちょっと近くへ出かけるだけなら、何の準備もせずに出発して

ご飯は行き先で済ませて帰ってきても、お腹が空くことはないでしょう。

けれど、少し遠い場所に行くことになったら、前日からいろいろ準備しないといけないし、

海外赴任となれば、三ヶ月前には準備を始めなければならないのです。

まして、先に書いたような大鵬の道のりを思えば、

この二匹などに、どうしてその心を おしはかることができるでしょうか。

9アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:14:41
【解説】

荘周はこの部分で、小さな存在を、超越した存在である大鵬と対置しました。
一つ、注意点があります。

荘子の基本思想は「万物斉同」です。そこでは大小や賢愚の区別さえないはずで、
大鵬を上、この二匹を下としているのは、ある意味矛盾です。

しかし、冒頭の部分であるがゆえに、これは仕方のない措置だと思います。
本格的に絶対無差別の論を展開する前に、まず常識を否定するところから入らなければ
ならなかったということでしょう。

荘周はけして高慢ちきで、人を見下す癖があるわけではありません。
あくまでここは導入であって、本論は後にあるのです。

10アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:23:07
〔四〕

この例でもわかるように、小さな知恵は 大きな知恵には及ばないし、

短い寿命のものは 長い寿命のものに及ぶことはできないのです。

両者の隔たりは、とても大きい。

朝の間しか生きられない茸は、朝を知っても昼を知ることはできません。

蝉は羽化しても、七日の間しか地上を見ることができません。

これが短命なものの例です。

一方、楚の南には冥霊《メイレイ》と呼ばれる大木があって、五百年を春とし、五百年を秋としています。

また上古には大椿《ダイチン》と呼ばれる樹があって、八千年を春とし八千年を秋としたとか。

これこそ長命なものと呼ぶべきでしょう。

ところが、荘周《わたし》の生きる世の中では、八百歳まで生きた彭祖《ホウソ》という人間が長寿だというので

大きな評判になり、人々は皆あやかりたいと思っています。

何ともスケールが小さく、かわいそうだという他はないではありませんか。

11アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:33:58
【解説】

小知と大知に続き、短命と長命の差異が描かれています。
古来、死すべき定めの人間は不老不死に憧れ、さまざまな作為をして永遠の命を手に入れようとしてきました。
荘子を祖と仰ぐ道教の徒は、まさに意欲的にそれを手に入れようとしてきた連中でしょう。
しかし、荘子が長命礼賛主義を持っていたというのは、全く間違いです。

万物斉同を説く荘子は、生と死を等価値と見ます。生を尊び死を忌む感覚は、荘子の否定するところです。
生ある時は生を受け入れ、死ぬときは死を受け入れる。そこに喜びも悲しみもない。
それが荘子の思想です。

では、なぜここで、一見 短命を蔑み長命を讃えるがごとき描写が出てくるのか?
それはこういうことだと思います。

「短命なものは、しょせん短命なものであり、それは運命である。
ひとたび、短命な茸、蝉、あるいは人間として生まれたからには、短命を受け入れるべきである。
長命に憧れたり、命を長らえようと作為するものではない。
長命なものである、冥霊や大椿は、もともと長命を背負って生まれてきたものだ。
かれらは、木であるがゆえに、持って生まれた長命の運命をありがたいとも思わず、
手放したくないとも思っていないであろう。
長命にして、しかも運命に随順しているのだ。
短命な人間が、欲して、長命を望むのは道から足を踏み外している。」

12アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:50:14
殷の湯王が賢人の棘にたずねたときも、棘は先に述べた寓話をもって答えました。


「極北の、草も生えない不毛の地の、さらに北……

そこには暗い海と呼ばれているものがあります。これこそ天池に他なりません。

ここに魚が棲み、その背の広さは数千里、身の丈に至っては、誰ひとり知るものもありません。

その名を鯤といいます。

また、ここに鳥が棲み、その名を鵬といいます。

その背は泰山のよう、翼は天空に垂れ込める雲のようです。

鵬は立ち上る旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海のかなたに出で、

青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとします。

これを見たウズラは、せせら笑いながら呟きました。

『奴はいったい どこへ行くつもりなのだろう?

おれは躍り上がって飛び上がったって、いくらも行けずに下りてきて、

ヨモギの草むらを飛び回るのがせいぜいだ。

これだって、飛ぶものにとっては精一杯の限度なのに、奴はいったい どこまで行くつもりなんだろう!』

ここにこそ、陛下、小さいものと大きいものとの分かれ目があるのですぞ。」

13アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 02:58:32
上の>>12は〔五〕です。

〔六〕

したがって、せいぜい一官職を勤め上げる知能しかもたず、

たかだか一地方の人々に親しまれる程度の行いしかなく、

わずか一人の君主に認められる程度の徳をそなえて、一国の臣下として召されるようなものが、

得々としてうぬぼれているのは、このウズラと似たようなものなのです。


ところで宋栄子《ソウエイシ》は、このような連中を見て、ひややかな笑みを浮かべます。

彼は、たとえ世を挙げて褒められようとも 一向によい気分になることはなく、

反対に 世を挙げて謗られようとも 一向に気をくさらすことはありません。

というのも、かれは、内にある自己と外にある世間の評価が無関係であることを知り、

真の栄誉と真の汚辱が何であるか、その区別を明らかにしているからなのです。

かれは、世間の評価に対して、心を煩わされることがないのです。

しかし、その宋栄子も、まだ自己の立場を確立しているとはいえないところがあります。

14アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 03:03:32
かの列子は、風のまにまに乗り遊びます。ひょうひょうとして、いかにも楽しそうです。

彷徨い歩いて十五日たつと、ふたたび我が家に帰ります。

彼は、わが身に幸福をもたらすものについて、何の関心も抱くことがありません。

だが、その列子も、足で歩く煩わしさから解放されているとはいえ、

まだ頼みとする他者──風を残しているのです。


これに比べると、自然の運行に身を委ね、無限の世界に遊ぶ者は、

何をも頼みとすることがありません。

だからこそ、「至人には自我がなく、神人には功をたてる心がなく、聖人には名を得ようとする心がない」

といわれるのです。

15アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 03:10:40
【解説】

ここで初めて、「至人」「神人」「聖人」という言葉が出てきます。
荘子ではよく使われる言葉ですが、その意味は儒教でいうそれとは大きく異なります。

一切、自我を持たず、それどころか自他の区別すらもたず、
天地の変化のうちに没入して一体となり、絶対無差別の境地に入るもの、
それこそが聖人だと荘周は言います。

功名を得ること、それは物事に対して何か働きかけをすること。
つまり、そこには人為が働いています。
自然の状態を崩すことになるわけです。

この節は、単なる虚栄心の否定ではなく、人為を排せ、と言っているんです。

16アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 03:22:31
〔七〕

このような境地に達した者としては、許由《キョユウ》を挙げることができましょう。

賢人の呼び声高かった許由は 堯帝から禅譲の申し出を受けました。


「日月が出ているのに、かがり火を燃やし続けるのは、明るくするために、無駄な骨折りをすることではあるまいか。

ほどよい雨が降っているのに、田畑に水をやり続けるのは、地を潤すために、いらぬ苦労をすることではあるまいか。

先生のような人物が天子の位に立たれたならば、天下はすぐにも治まるのに、

私がいつまでも天下の主になっているのは、我ながら飽き足らぬ思いがする。

どうか、天下をお受け取り願いたい」

17アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 03:27:46
許由は答えました。


「あなたが天下を治められて、現に天下は立派に治まっているではないか。

それなのに、私があなたに代わるというのは、何のためであろうか。名声のためであろうか。

もし私が名のために天子になるとしよう。

名というものは、実質の添え物でしかない。

あなたは私に 添え物になれとでも言われるつもりか。

ミソサザイは深林に巣を作っているが、とまる分には 一本の枝があればじゅうぶんだし、

モグラは大河に水を飲みに出かけても、腹いっぱい以上に飲もうとはしない。

私も今の生活に満足していて、これ以上は何も望まない。

さあ、もうお帰りなさい。

私には天下などというものに用はない。

いくら料理番が料理しないからといって、神主が代役を務めることはあるまい」

18アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:04:25
〔八〕

神人の聞こえある肩吾《ケンゴ》は、同じく神人の連叔《レンシュク》に尋ねて言いました。


「私は接輿《セツヨ》がしゃべるのを聞いたことがあるんだがね。

その話は大きいばかりで、もっともらしいところがなく 口からでまかせで、とりとめがない。

聞いていると、そら恐ろしくなるんだよ。

何だかね、天の川の果てしない彼方を見る思いがする。

あまりにも常識ばなれしていて、世間の人情とは ほど遠いものがあるよ」


連叔が言いました。「接輿は何を言ったんだい」

19アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:24:38
肩吾は答えました。


「彼は言うんだ。藐姑射《ハコヤ》の山に、神人が住んでいる。その肌は氷か雪のよう、たたずまいは処女のよう。

五穀を食わず、風や露を食らって生き 雲に乗って、飛竜に車をひかせて 生き物の棲む世界の外まで遊び出る。

神人自身の心は静かで動きがないが、ほかの全ての他者が心身を欠損させることをなくし、五穀豊穣をもたらすのだと。

私には狂気の沙汰に思えて、とても信じることはできないね」


「まことに、そうであろう」 連叔は答えます。

「目の見えない者は模様や色彩の美しさを知ることができない。

耳の聞こえない者は鐘や太鼓の音を知ることができない。

そして こうしたことは、知恵の働きにも同じことがいえるのだ。

知恵についての盲人、聾人とは、お前のような人間を言うのだよ。

20アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:26:10
「この話に出てくる神人は、その人柄といい、徳といい、すべて万物を混然として融合し、

これを一つにする偉大なはたらきの持ち主だ。

たとえ世俗の人間どもが、この世を治めてほしいと願い出たとしても、

どうしてあくせくと天下の政治などに心を労することがあるだろうか。

いかなるものも、この人を傷つけることはできないし 天まで届く大洪水も、この人を溺れさせることはない。

また、たとえ大日照りが起こり、金石は溶けて流れ、大地が焼け尽くすことがあっても、

この人に熱気を感じさせることはできない。

この人の爪の垢を持ってきても、堯や舜のような聖人を作り上げることができるほどだ。

こんな人が、どうして世俗のことなどに心を労することがあろうか。

21アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:33:13
「それに、こういう話もあるよ。

宋の人間が、章甫《ショウホ》という厳めしい冠を売りつけるために越の国に行った。

ところが越の地にはザンギリ頭で刺青をする風習があったから、せっかくの冠もさっぱり役に立たなかった。

もう一つ、これに似た話がある。

堯帝は天下を治め、政治を安定させたのち、藐姑射の山に行って四人の神人に面会した。

統治について、諮問するためだ。

ところが四神人にとっては天下の政治などまったく無用のものであったから、堯を振り向きもしなかった。

堯は汾水の北岸にある自分の都まで帰り着いたときには、茫然自失して、天下のことなど忘れてしまっていたのだそうだ」

22アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:43:19
【解説】

許由や藐姑射の山の神人は、荘子の思想の体現者です。
彼らはすでに自分の心を治めており、政治に関わろうとしないのです。

隠者というやつですが、隠者にもいろいろなタイプがあります。
意外かもしれませんが、儒家にも隠者はいるのです。
彼らは天下に政治が正しく行われれば出ていって政治に関わるのですが、
行われなければ隠れます。
基本的に政治的志向が強いのです。

それに対して、荘子は政治を「人為」であり、自然の状態を損ねるものとして嫌います。
こうした姿勢が社会的共感を得られなかったのは、当時の中国であろうと、いつの世の中であろうと、
変わらないと思います。
そもそも社会を否定しているのですから。

ただ、怠惰にして社会と関わらないのと、荘子は全く異なると思います。
怠惰な人は、労働を嫌い、安穏を愛して 何もしないのですが、
荘子は何かを嫌い、何かを愛する 差別をも否定しています。
何も肯定せず、何も否定せず、いっさいを受け入れ、人為を排して……
枯れ木のようであることが荘周の理想なのでしょう。

23アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 14:11:39
【解説2】

ここで、あれっと思った人もいると思います。
「万物斉同」「絶対無差別」を思想とするなら、人為を嫌ったり社会を否定するのは
おかしいのではないか? という指摘は、当然考えられます。
当時から、荘子を攻撃する人たちはこの指摘をしてきました。
そして、荘周なきあとの荘子学派の人々も、自己矛盾に耐えきれなくなったのか、
この指摘を受け入れるようになっていきます。

『荘子』には「内篇」「外篇」「雑篇」があり、「外篇」「雑篇」は全て後世の荘子学派の筆になるものです。
「外篇」「雑篇」は、一部を除いて「内篇」とは全く異なるものといえます。
内容は、人為すら人間の持って生まれた自然であるとして認め、政治も肯定します。

理由の一つには、人間というものをどうとらえるか、それが変化したこともあるでしょう。
荘周は、自然は全て人間の外側にあると思っていた。
人間の心の動きは、なにかはかり知れない大きなものによって決められているものだと思っていた。
「道《タオ》」と呼ばれるやつです。

それが、人間の内面というものが意識されていくにつれて、それを認めようじゃないか、と
思われていったのが大きいと思います。

こうして書かれた「外篇」「雑篇」の中には、『老子』色が強くなったものから、さらに積極性を増し
儒家、ときには法家的な思想をもった記述さえ見られるようになります。

結局、荘周の思想は荘周個人の死をもって『荘子』本編からは消えていきます。

24アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 01:58:45
〔九〕

論理学派の恵施《ケイシ》くんと話したとき、かれがこんな話を聞かせてきました。


「魏王が私に大きな瓠の種をくれてね。蒔いて育ててみたら、五石も入るほどの大きな実がなった。

ところが、こいつに飲みものを入れると、堅いし重いし、持ち上げることもできない。

そこで、割って柄杓にしてみたら、浅いし平たいし、水を汲むこともできない。

ばかでかいだけで、使い道がないから、ぶちこわしてしまったよ」

25アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:20:20
これを聞いて、荘周《わたし》は言ってやりました。


「お前さんは、元々 大きいものを使いこなすのが下手だからな。丁度こういう話がある。

昔、宋の国に男がいた。あかぎれ知らずの薬を作る名人だ。代々、真綿を水にさらして暮らす家に生まれた。

ある時、旅の者がこの噂を聞きつけて、秘宝を百金で買いたいと申し入れてきた。

男は、一族を集めて相談したそうだ。


──我が家は代々、真綿のさらしをやってきたが、収入はせいぜい数金どまりだ。

ところが、今一度にこの技術を百金で売ることができる。ひとつ、売り渡すことにしたいと思うが……

26アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:21:10
結局、旅の男はこの薬を手に入れて、呉王にその効能を説き立てた。

呉越の戦争が起こったとき、男は将軍となって、冬のさなかの水戦で、大いに薬を役立てた。

越軍を大いに破った男は諸侯に昇ったというよ。

どちらもあかぎれ知らずの薬を作ることでは変わりがないが、一方は諸侯になり、他方は真綿のさらし業から抜けられない。

同じものでも、使い方が異なっているわけだ。

今、お前さんも、せっかく五石も入る瓠を持っているんだから、いっそ大きな樽を作って舟に仕上げ、

ゆうゆうとした大江や湖に浮かべてはどうかな。

それもしないで、浅く平たくて水も汲めないなどと愚痴をこぼしているところを見ると、

お前さんも案外、融通のきかない男のようだな」

27アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:43:13
【解説】

『荘子』に十数回に渡って登場する恵施が、ここで初めて登場します。
荘周は恵施の最も厳しい論敵でもあり、最大の理解者でもあり、よき友人でもありました。

この節では、荘周の思想のうちでも重要な「無用の用」が初めて示されます。
「無用の用」とは、

「世間にとって有用なものは、有用なゆえに放っておかれず、人為の世界に組み込まれてしまう。
無用なものこそ、世間の煩わしさから解放され、万物斉同、絶対無差別の世界を手に入れることができる」

という考え方です。

恵施の手に入れた瓠は、日用品にはとても向かなかった。
それゆえに、日用品なんぞに使われることなく、ゆうゆうと水に浮かぶことができたはずだった。

ここでの寓話には注意点があります。
この話では、諸侯となった男を上、真綿のさらし業にとどまった男を下とみなしていて、
本来の思想とはかけ離れているように思えます。
立身出世など、荘周は無関心のはず。
まして「無用の用」は上に書いたように無心の遊びに役立つということであり、世の実用ではないのですから、
誤解を生みかねません。

おそらく、これは導入段階であるがゆえにわかりやすい話を用いることを選んだ、ということだと思われます。
大切なのは、むしろ

「いっそ大きな樽を作って舟に仕上げ、ゆうゆうとした大江や湖に浮かべてはどうかな」

というところです。

28アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:50:24
〔十〕

それが悔しかったのでしょう。恵施くんは荘周《わたし》に言い返してきました。


「私の家に大木があってな、人はこれを樗《チョ》と呼んでいる。

太い幹は、こぶだらけで、墨縄のあてようがない。

小枝のほうは曲がりくねって、さしがねも役に立たない。

だから、この木を道端に立てておいても、大工も振り向かん始末だよ。

あんたの議論も、この樗の木のようなもんでな…… 大きいばかりで無用のしろものだ。

誰も振り向いてくれる者はいないよ」

29アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 03:01:17
「ヤマネコというものを知っているかね、お前さんは」 荘周《わたし》は答えました。


「しゃがんでじっと獲物を待っているんだ。いざ獲物とみると、右へ左へ跳ね回り、あたりの土地の高低も眼中にない。

挙げ句の果てに、罠にかかって、網の中で死ぬのがおちだよ。

これと反対なのは野牛さな。野牛の大きさは、天をおおう雲ほどもある。

これは確かに大物で、罠や網にかかる心配はないが、そのかわりヤマネコのように獲物をとらえることはできない。

さあ、このヤマネコと野牛、どっちが良いとあんたは思うかね。

お前さんは、せっかく大木をもちながら、役に立たないことを気にしておられるようだ。

それならいっそのこと、これを無何有の郷、広漠とした果てしない野原に植えて、

その側で彷徨いながら無為に暮らし、木陰でゆうゆうと昼寝したらどうかね。

斧や鉞で命を落とす心配もないし、危害を加えられる心配もないものは、少しも困らないものだよ。

たとえ、それが無用のものであってもね」

30アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 03:06:35
【解説】

社会的に無用な存在は、世の煩わしさから解放され、個人の自由な生活を得られる。無用の用。
それは単に身の安全をはかるという、保身の次元にとどまるものではありません。
宗教の真理は、外物を追う政治の世界にはなく、
孤独な個人の内面生活のうちにのみ現れます。

さて、逍遙遊篇はこれで終わりです。
読んでいておもしろく、心の栄養になる篇ですが、
解説で何度も指摘しているように、荘周の思想の根本である万物斉同の説は、まだ示されていません。
思想として最も重要なのは、次の「斉物論篇」です。

31アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 20:40:32
【小話】

「荘周の思想の体現者に『隠者』はいないということ」

荘周の思想に生きる人は、隠者ではありません。
政治に無関心で出仕しないのなら隠者じゃないか、と言われそうですが、
正確に言えば、そういう人たちは自分を隠者だとは思っていない ということです。

隠者という言葉を見てみましょう。
隠れる者です。

政治を行う者にとって、政治の場こそが表の世界。
そこに出てこない者は、隠れている、というわけです。

また隠れている立場の人からすれば、
今の政治は気に入らない。だから私は隠れるのだ、隠者になるのだ、
といった具合になります。

「隠者」とは、政治の場を意識している者にのみ適用される言葉なんです。

荘周の思想の体現者にとって、政治の場など眼中に入っていない。
自分の生活こそが表であり全て。
だから隠れていない。

老荘=隠逸という認識には、少しの誤りがあるわけですね。

32アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/06(金) 00:51:26

第二 斉物論 ─ 物を斉しくする論 ─

〔一〕

楚の国に、子綦という人が住んでいました。

城の南に庵を結んでいたので、南郭子綦と呼ばれていたのですが、今日はこの人の話をしましょう。

ある時、南郭子綦は机にもたれて座り、天を仰いで、大きなため息を吐きました。

この時、目の前には弟子の顔成子游が立ち控えていたのですが、

子綦は茫然として、いっさいの相手の存在を忘れ去っているかのようでした。

顔成子游が言いました。


「先生、いったいどうなさいましたか。

どうすれば、このように身体を枯れ木のように、心を冷え切った灰のようにすることができるのでしょう?

今、机にもたれかかっていられる先生は、先程 机にもたれかかっていられた先生と、まるで違っているように思われます」

33アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/06(金) 00:52:09
すると、子綦は口を開きました。


「子游よ、お前も見所があるね。そのような質問をするのだからな。

今、わしは《我》を忘れていたのだ。それがお前にもわかったのかね。

だが、お前は人籟……人が奏でる音楽を聞いたことはあるにしても、地籟……地の奏でる音楽を聞いたことはあるまい。

それにもし地籟は聞いたことがあるにしても、天籟……天の奏でる音楽は聞いたことがないだろう」

34 ◆FFuF8qXBFw:2012/06/09(土) 20:43:13
うーん…、難しくて分かんない(笑)

35アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/06/10(日) 09:24:28
俺は荘子「逍遙遊」を三年間、気が向いた時に読み、読み、読み返して
始めて心に曇り無く理解できたと確信した。
逍遙遊は恐らく荘周が非常に若く、まだ思想が確立されていない頃に書いたものではないかと
俺は思っているが、
逍遙遊を理解できてしまえば、内篇の他の篇はなしくずしに理解できる。

36アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/06/10(日) 09:26:12
俺は、今自分が理解したものをわかりやすく書いてはいるが、
それにしても、たった一度読んだだけで、理解するのは難しいのではないか?
「難しくてわかんない」と思った先に読み返しがあるか、ないか、ということだ

37 ◆FFuF8qXBFw:2012/06/10(日) 22:53:14
なるほど、逍遙遊ね。それにしても三年間ってすごいなー。
老荘の教えは結構好きですが、あまり詳しくない…
でも、荘子の人格は気に入ってます。
彼の悠々とした人生を自分もおくりたい

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