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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2493SAKURA:2014/12/27(土) 20:24:40 ID:???
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こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>2465>>2466>>2468>>2485>>2486>>2486>>2492投稿の続きです…。

― 『 日・本・版 …』―  
■―― 霊界通信 ――■    −5 −
「親樹の通信」 浅野和三郎 著
■――――― (一) 通信の開始  ―――――(その1 )―――――――■

■新樹が満鉄病院で歿(なく)なったのは昭和四年二月二十八日
午後六時過ぎでした。彼の父はその訃報に接すると共に直ちに

旅装を整へ、翌る三月一日の朝特急で大連に向ひ、同四日大連着、
五日告別式火葬、六日骨上げと、かかる場合に通有の筋書を半ば
夢見る心地で急がはしく辿りつつありました。かくて同十二日の
夕暮には彼の遺骨を携へてさびしく鶴見の自宅に歸着しました。

■彼の父に取りて甚だ意外だったのは新樹の霊魂が早くもその一
日前(三月十一日)に中西霊媒を通じて、不充分ながらもすでに
通信を開いて居たことでした。

 最初霊媒にかかって来た新樹は、自分の死の自覚を有って居な
かったさうで、あたかも満鉄病院に病臥して居るかの如く、夢中
で頭部の苦悩を訴へたといひます。その時立會人の一人であった
彼の叔父(正恭中將)は、例の軍人気質で、短刀直入的に彼がす
でに肉體を棄てた霊魂に過ぎないことをきっぱり言ひ渡し、
一時も早く彼の自覚と奮起とを求めたそうであります。

『えっ! 僕、モ−死……僕……残……念……だ……。』
  さう絶叫しながらその場に泣き崩れたと言ひます。

■新樹の霊魂はその後数回中西霊媒を通じて現はれ、、
又一度ちょっと粕川女史にも感応したことがありました。
それ等によりて彼の希望は次第に明白になりました。掻いつまむと
それは斯んなことでした。――

(一) 約百ケ日過ぎたら母の躯に憑りて通信を開始したい。

(二) 若くて死んだ埋合わせに、せめて幽界の状況を報告し、父の
仕事助けたい。

彼の父も母の百ケ日の過ぎるのを待ち構へてその準備を急ぎましたが、
大体に於いてそれは予定の如く事実となり現われました。

彼の母は十数年前から霊視能力を発揮して居ましたが、
今回新樹の死を一転期として霊言能力をも併せ発揮し、不完全
ながら愛児の通信機関として心苦しき任務を引き受けることに
なりました。

             (その1 )につづく
❤〜SAKURA


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