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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2485SAKURA:2014/12/23(火) 20:26:05 ID:???
「トキ様」へ「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>2465>>2466>>2468>>2484 投稿の続きです…。
― 『 日・本・版 …』―  
■―― 霊界通信 ――■    −4−
「親樹の通信」 浅野和三郎 著
■――――― 新樹の生涯 ―――――(その2)―――――――――■

■ 彼は昭和二年の末に大連に赴任し、爾来支店長や同僚の気受も
至極良好で、熱心に社務に精励してゐました。翌くる三年の七月
彼の父は渡欧の途次大連に立ち寄り、同十四日から十八日まで
足掛五日間、専ら彼を案内者として、見物に、訪問に又座談講演に
多忙な時日を送りましたが、特に十七日の旅順見物、二○三高地の
登臨、夜に入りて老虎灘の千勝館に戻って来ての水入らずの会食の
状況などは、今も彼の父の心の奥にはっきり刻まれて居ります。

 当時の新樹には露だに不健康な模様は見えませんでした。
ただ十四日バイカル丸から下船して一年ぶりで埠頭でわが児に
逢った時の第一印象は、彼が、いつの間にかずっと大人びて来た
ということでした。それから彼の父は無事に欧米の心霊行脚を終り、
同年の暮に鶴見に戻って来て、正月をすませ、いささか寛ぎかけた
二月の二十七日に突如新樹が黄疸にかかり、満鉄病院に入ったという
飛電に接しました。両三回電報を受け取りました。その際は策を
施すどころか、殆んど考える隙さえもありませんでした。

 新樹の遺した日記帳を繙いて見ても、彼が病気に対して、又死に
対して、全然不用意であった模様がよく窺われます。二月十二日の部に
『昨日から風邪気味で今朝は十一時出社す、夜は読書』とあるのが、
彼の健康異状を物語る唯一の手がかりです。尤も日記が二月十三日で
終り、それから全然空白となっている所を見ると、その頃は筆を
執るのも相当大儀だったのでしょう。その癖同十七日、即ちその死に
先立つことたった十一日というのに彼は同僚両三人と星ケ浦に遊び、
その際同所で撮った写真には、例の如く両手をズボンのポケットに
突こんで、大口開いてカラカラと笑いこけて居ます。

きけば二十六日の朝まで殆んど何の異状も認めなかった病状が、
その日の昼頃俄かに亢進して脳を冒し、それっきり充分に意識を
回復しなかったのだといいます。満鉄病院に於いてむろん昏睡
状態をつづけ、そのまま死の彼岸へ旅立ったということで、
正気で死に直面するの苦痛を免れことは、本人にとりて幾分幸福で
あったかも知れません。
兎に角あまり碌い(はかな)碌い死方ではありました。

 父の手によりて持ちかえられた彼の遺骨は鶴見総持寺の境内に
埋められ、一片の墓標が其所在を示して居ります。が、そんな
ものは殆んど無意識に近い物質記念物に過ぎません。
彼の現世の遺すべき真正の紀念物が、彼岸の彼が心をこめて送り
つつある、その続物の通信であることは申すまでもありません。
            昭和六年八月二十日    編者誌
             つづく
❤〜SAKURA


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