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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1128SAKURA:2012/02/15(水) 16:13:17 ID:b5yt5Rk.
皆様へ…
昨日の「バレンタインデ−」続編でしょうか・・・?
此処の【お部屋】…話題豊富のようで〜〜〜すネ?
楽しく〜〜ルン〜〜ルン〜〜♫ 「拝読」

「眠れる森…??」から目覚めまして…本日の「神様からの啓示」…
投稿させていただきます〜〜〜〜〜ネ??
                      再合掌

1129SAKURA:2012/02/15(水) 16:14:25 ID:b5yt5Rk.
トキ様 へ
皆さま へ

【栄える生活365章】
      ■自己のうちに一切がある

現象的には時間の流れに於て、そして空間的ひろがりに於て、一切のものは現れ、
行われるのであるけれども、実在の世界に於ては時間空間を超越して其処に既に
「完全なるもの」があるのである。
実在の世界は、空間を超越しているから、縦横厚みの広がりを超越して
「無空間」とも謂い得るが、「無限次元」とも謂い得るのであって、
縦横厚みの三次元に見える空間は、無限の次元のうちから、感覚器官が、
ただ縦横厚みだけを捉え得ただけであって、残る「無限の次元」は
感覚器官が捉え得なかっただけだとも謂い得る。
その無空間又は無限次元の世界に於ては、自己の内に「無」があり、
同時に自己の内に「無限次元」があるのであるから、
自己の想うことは同時に「無限次元」が想うことであるのである。
まことに「われ祈れば天地応え、われ動けば宇宙動く」である。
自己が悟ることは全人類が悟ることである。
地上に戦争が絶えないのは皆自分がわるいのである。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日は【三次元の世界…!時間空間…縦横の厚み…】>三界唯心所現…

今の「生長の家」は、まさのにその様にも思えます…。
「実相…」では起きない“問題点”其処に“ゆがみ・歪”が出てくる…何故?
“信者・職員・幹部達…の考え方”が?それは“ゆがみ・歪”に見えてくるのカモ

以前、私はいつも想うのですが…何故?
今は亡き2代目総裁先生清澄先生がご生存中“本部の補修工事”を
しなかったのですか?更に!
【第1期のかなりの優秀な信者】が離散……?

私が高校の頃は、私の周辺部は「生長の家の信者」が多かったのです…。
更に!熱心な信者が当時【市が合併する前迄は○○区…】でした…
区の中心の駅に…道場!!しかも当時と致しましては
“コンクリート建ての2階建て”!立派な“モノ”でしたが……!!!!
その頃は、小学校??4〜6年位??でしたでしょうか…?
「中学の夏休み」に、なりますと…必ず!「早朝行事…」がありまして参加!!
このように、熱心に【信仰=真理=哲学】学んでおりましたが…?(理解度は個々?)
その頃の信者…“私達の世代”は、今は何をしているのでしょうか…??
「雅春先生」が亡くなってから、その後の私達の仲間は離れていましたが…??
その頃の「熱心な信者」は何処へ〜〜〜何処へ〜〜〜♫
私の近所のお兄さんは、今現在!世界中のひのき舞台で活躍中です…。

                 <続く>         No.1

1130SAKURA:2012/02/15(水) 16:15:27 ID:b5yt5Rk.
<続く>         No.2

「亡き2代目総裁清澄先生」が、現役時代は…
正直申しますと「雅春先生のテキスト」よりご自身の“テキスト中心”に思えますが?
今思いますと…此処から既に根本が多少ずれてきているのでしょうか…?
ここから…“捉え方の尺度”が当然「雅春先生」とは違いますから…“中身”は…?
このように漠然的に思えます…。

まず!は「現3代目総裁先生」が
目覚める事を…もう一度!!信じてみようとも想いたいのですが……?
「昨日バレンタインデ−」…いつもですと…「チョコレ−トケ−キ」を作りますが…
正直!作る気持ちには、なれませんでしたが…(現状を考えますと)
【現象世界】にどっぷり浸っている様にも思えますが…

■【われ祈れば天地応え、われ動けば宇宙動く・・・】

まず!!!各々【真理は一つ】なのです…。
一つ理解すれば…全てが見えてくるのではないのでしょうか?
それを、あらゆる観点より「雅春先生」は私共にご指導して
頂いているモノと思いますが…?

このたび、私は「母の御霊様」を見まして…人間は「霊的人間」悟りましたが…
誰〜〜誰〜〜とかの【優越感の問題】ではない!!!!と思います…。
雅春先生の【人類光明化…生活に実践】この事が…

■人間がどうして生きてゆくべきかの「生きる道…」これが根本…
…自己が悟ることは全人類が悟ることである…!

上記の事を認識して…【一人一人が歩む限り…「生長の家」は不滅!!】
もう一度、私達は考えなければならない直面に来たものと想う所存ですが??
                             再合掌

PS:
トキ様へ…私の解釈論ですが…トキ様でしたらどの様に解釈されますでしょうか?
ご指導して頂きますと…幸いに思います。

1131トキ:2012/02/15(水) 16:51:05 ID:YIKhrEHc
>>1112 :SAKURA 様

 こんにちは。少し用事があり、お返事が遅れてすみません。

 私が先輩から言われたのが、「悟ったフリをするな」という事でした。
分からないのなら、分からないと正直に言いなさい、という事です。本
に書いてある・・・・というのは、読めばわかるのですが、それが心の
底から分かった、と言えるのは、いろんな体験をしてからだと思います。
 私は、今でも、生長の家で分からない点が多く、勉強の最中です。
きっと、死ぬまで勉強でしょうね。

 と、いい加減なご返答でごめんなさい。

1132トキ:2012/02/15(水) 16:58:30 ID:YIKhrEHc
ももんが様

 山本玄峰老師の講話テープですか。探してみます。しかし、ももんが様もマニアックなテープを
ご存知ですね(笑)。山本老師は、昭和天皇からもご信頼があつかったと聞いております。非常に
幅の広い人から尊敬を受けました方です。ただ、女性にだらしない男性、とくに不倫をする男性を
非常に嫌ったと言います。
 逸話の多い、面白い方です。また、何か書いてみたいです。

 では、また、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1133トキ:2012/02/15(水) 17:12:31 ID:YIKhrEHc
「訊け」管理人 様

 お久しぶりです。どうされたかと心配をしておりました。が、義春さんも登場して
彼も元気みたいですね。鶴岡八幡宮で暴漢を取り押さえた、との記述もありました。
 あんまり、心配する必要もなさそうですね(笑)

 ところで、いつも素晴らしいご文章を紹介して下さり、ありがとうございます。
素晴らしい内容で、感服しております。今みたいな時期だからこそ、ああいう
文章は大切ですね。頑張って下さい。

1134「訊け」管理人:2012/02/15(水) 17:16:48 ID:???

>女神さま

 合掌ありがとうございます。

 さて、「この人はなんだろうか」と思わせてしまった様です。女神さまの脳内
掲示板にこの訊け、またなにか書いてしまいましたでしょうか。それならば
謝ります。

 なお、同掲示文は復興Gさま並びに、ニャンコ先生へ向けて書いたもの
であります。貴女は ま っ た く 関 係 ご ざ い ま せ ん 。 貴女
さまが誤読されたのであればわたしの文責であります。謝罪致しますので本
件でのご心配から、早々に解放されんことを祈念致します。

 重ねてではありますが、どうも、申訳ありませんでした。



1135うのはな:2012/02/15(水) 18:27:07 ID:El6gIMAw
  訊けさんへ

> なお、同掲示文は復興Gさま並びに、ニャンコ先生へ向けて書いたものであります。
貴女は まったく関係ございません。貴女さまが誤読されたのであればわたしの文責であります。

 
 わたしは今日の訊けさんの投稿だけでなく、わたしの脳内では、訊け管理人さんの過去文や
谷口雅春に訊けブログを見て、それらの文意からの感想をいっただけです。
別に誤読してるとは思っていません。
 あなたがなにかにつけて細かいことを気にする性格で、いちいち理屈立てる性癖の持ち主なのは
以前から知っていますが、余計な文責の心配をされることはないと思います。
こんなことで「祈念いたします」なんていう大げさないいぐさには呆れます。

1136役行者:2012/02/15(水) 18:27:37 ID:KDgzEzMg

 ももんが様
 ハマナス様
 
>>1111
にて


 > 例え、どんな時でも、相手を批判したりしない事 は、出来るようで、出来がたい、行為ですね 。
 まずもって、相手を祈る事からする。 ハマナス様、良き御言葉、ありがとうございます。<


 生長の家にとっての根本聖典が失われようとしている現在、
過去いろいろあった人間関係におけるまた、思想上における、行き違い、錯綜、恨み、憎しみなどを一旦、棚の上に置いといて、双方とも許し合い、祈り合いに入ることが大切かと存じます。
 複雑に絡み合った双方の遺恨は数十年ものと推察するため、それはそれはちょっとやそっとでは収まり着かないことは分かります。


 ただ、いまここ非常事態!信徒のことを第一に考えて、まずは祈り合いからはじめて、一刻も早く手打ちがなされることを望みます。
 もちろん、双方ともに生かし生かされた条件のもとにおいて・・・なお、鈴夜チャマも浄円月観をとおして、祈ってくれています(#^_^#)
    
           合掌

1137うのはな:2012/02/15(水) 18:52:29 ID:El6gIMAw
 われわれも“通訳”  先生にお供して 徳久克己 先生

 ニューヨークで、生長の家の信徒幹部が、谷口先生御夫妻をお招きして、夕食会をした時、
谷口先生が「9年前にきて、私は生長の家の真理の種を、アメリカにまいたのですが、通訳がよくなかった
ので、真理が正しく伝えられず、その種が育たず枯れてしまったようです。こんどは通訳もよいので、時間は
短かかったけれど、私の伝えようとする真理は、十分に理解されたと思います。どうぞ、この私のまいた種を、
皆さんで育ててください」

というような意味の御挨拶をされました。私は、ジーンと心を打たれました。これは、アメリカだけのことではない。
日本だって、同じことだ。先生のお伝えになろうとする真理を、私たち講師は、通訳して伝えているようなものだ。
講師が生長の家の真理を、十分に理解して、正しく伝えなかったら、通訳が悪くて、先生のお伝えになろうとする真理を、
まちがって通訳するのと同じことだ。先生は40年にわたって、御自分の身をローソクのように燃やして、真理を伝えておられるのに、
私たち講師幹部がもっともっと、先生のまかれた種を、育てなければならない、と深く反省させられました。

 ニューヨークでは、ユニティのバタワース博士の教会で朝の10時から、午後の5時までの1日御講習をされました。
その講習料は15ドル(約5000円)でした。それでも教会がいっぱいでした。
そして、先生のお話を聞いて、感激した聴衆によって、ニューヨークにあった先生の英語の御本は、売り切れてしまいました。

「私は医者ですが、もっと生長の家で、霊的な力を得て病人を癒したい。どのようにすればよいですか?」
と尋ねてきた人もいました。また、
「私はローマンカトリックの牧師なのですが、生長の家の先生になりたい。どのような手続きをとればよいですか?」
という牧師もありました。
 先生のお話を一度聞いて、現職の牧師が、それをやめて生長の家の講師になりたいというのです。生長の家の真理が
いかに高度のものであるか、ということを、私はヒシヒシと教えられました。


『真理は民族を超えて』 谷口雅春先生御夫妻海外御巡錫記念写真帖

1138「訊け」管理人:2012/02/15(水) 20:36:00 ID:???
 人を心で憎むことと、人の悪口を言うこととは、短刀をもってその人を
刺し貫くに等しい。
 
『生命の實相』37巻86項より謹写

二月十一日の法語
悪評は盗罪、嘲笑は殺人

 「人の悪評をつたえるのは、人からその名声を奪う盗罪である。人を嘲笑
するのは人の尊敬の念を殺す殺人である。盗みとは物質ばかり盗むのだと考
えてはならないのである」とガードナー・ハンチング氏は言っている。人間
がそのゴシップ中で人を賞めることばかりやっていたならば、どんなにか此
の世は天国になるであろう。

『光明法語』より謹写


二月十二日の法語
後ろから卑怯に斬るな

 若し相手に悪がないのに虚構して悪口するのであれば尚一層卑怯である。誰
も警戒していないのに後ろからバッサリやるのは昔から〝悪ざむらい〟の所行
である。

 幸福になろうとする者は人の美点を賞めることから始めよ。

『光明法語』より謹写

二月十四日の法語
他人に対して寛大なれ

他に寛大なるものは、神からも寛大に取扱われるであろう。其処に「善人なおもて救われる況や悪人をや」と親鸞の言ったことがもっともだと思われるのである。人を赦すものは神からも赦されるのである。人を審判く者は法則によって審判かれるのである。神につかえる道は人につかえることにあるのである。

1139ももんが:2012/02/15(水) 20:50:45 ID:XXCuaQns
>>1136

役行者様

役行者様、いつも、お褒めのコトバを賜り、大変、嬉しゅうございます。本当に、色々と、心配りして頂き、感謝しております。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。


私も、教団の中で、両方の気持ちが、一つになれたらと、『和解』は、心から願っております。


今、この、掲示板では、復興G様の御言葉へ賛同が、多いようですね。

私も、内容的には、復興G様の御言葉は、大変素晴らしく思い、賛同に近いのですが?

実際は、『聖光録』289〜301ページにある。第二代総裁・谷口清超先生の御文章が、
『法燈継承の真義』として、書いてあります。

特に、この文章の中の『御心のままに』に中間には、谷口雅春先生の、清超先生へ法燈継承のコトバがあり。


その後、『不立文字の継承』の部分には、谷口清超先生
の御コトバとして、継承の意義をお説きくだされてます。
〜<<継承とか嫡々相承というこはそういうことなんです。例えば、明治天皇様が、大正天皇様にお位をお譲りになる、あるいは、大正天皇様が今上天皇様(当時は昭和天皇様)にお位をお譲りなるという事は、『わしと同じ事をお前達はせよ』ということでは、なかったのです。真理というのは、その時その時に応じて色々な相をもって展開されねばならかったのです。〜>>


と、谷口清超先生の御言葉として、信徒が守るべき『聖光録』に記されいます。


私は、清超先生の御コトバを、謝りであり、反故にしてはもらいたくは、ありません。

その昔、武烈天皇という、悪帝みたいな、時代も、日本にはありました。


意見が、別れて、教団を去られた方も、本当は、素晴らしい、神の子さんだと、信じております。


総裁や幹部が、嫌でも、教団の中に居ながら、教団の教えの良いとこと、本流の教えの良いとこが、自然な形で、交わりながら、変えていくのが、私は、一番素晴らしいと、思ってます!


人間なんて、個性と個性のぶつかり合いだと思います。
だから、本流派の人たち、教団が、嫌いかも、しれないけど、一緒にやりながら、お互いの良いところを、混じわって、認めあうように、頑張って貰えたら、嬉しくですね。


役行者様、私は、生長の家の信徒の皆様は、やれば出来る人ばかり、霊力たかい人ばかりですから、本流の人たちが、来たら、教団も変わると思いますよ。


私の、夢の希望です!
清超先生の真似して、カン拾いも、実戦中の、ももんが、です。

役行者様、いつも、やさしい御言葉と気遣いとても、感銘を受けております。不作法は私ですが、また、よろしくお願いいたします。感謝敬白、合掌、拝。

1140うのはな:2012/02/15(水) 21:38:38 ID:El6gIMAw
訊け管理人さんは女信者の投稿を何回も連続投稿転載するだけでなく、
これみよがしに、何回も同じ聖典引用をして、認知症でないならなんですか?

認知症の人はさっき食事しても、ごはんはまだかといったり、何回もおなじことを
いうのが特徴ですよ。

1141ももんが:2012/02/15(水) 21:48:19 ID:XXCuaQns
>>1132

トキ様

トキ様、いつも、丁寧なコメント有難うございます。合掌、拝。

玄峰老師のテープは、落語のテープより味があります(^_^)
雅春先生も、面白いですよね
田中忠雄先生の師の、沢木老師のテープもありますよ(^_^)

トキ様お話は、変わりますが、やはり、掲示板と言う場所は、それなりのマナーやルールで規制しないと、実に、管理やお互いのプライバシーさえ保てない事もあるし、その人の、日常の人格とは、違う人格に成ってしまい、お互いが、意識の深い部分で、歪み会うような、心で相手を観ている物ですね。


このコミュニケーションの世界は、生長の家の出来たころは、存在していなかったので、このコミュニケーションが、人間の心や、脳に与える、影響は、生命の実相の中では、説かれていないと、私は、思うのですが、トキ様は、ご存知ですか?

実際、パソコンの使いすぎにより、脳ミソの過労で、過敏性のテンカンや、発作なども、あると、聞いたことが、あります。


パソコンやインターネット内は、黄泉国と言えるかなて?私は、思ってます。


人格をパソコン内に置いてきてしまう、人は、たくさんいるようです。


トキ様は、この様な人を現実の世界で、指導されてるのかと、思うと、本当に、精神カウンセラー待遇だと思え、頭が下がります。


私、でも、以前の会社で、上記の様な若い者の面倒を観て、大変だった経験はあります。勿論、私は、仕事でしたけれども。


トキ様、私はこの場所は、皆様の心の垢の捨て処と、最近は、思えてきました。


トキ様、たくさんの個性の方々を調和させるて、大変ですね。本当に、トキ様は、忍耐に、感謝敬白です。御体きおつけて、これからも、頑張ってください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1142ももんが:2012/02/15(水) 22:54:00 ID:XXCuaQns
>>1114

ハマナス様

いつも、ステキ、お返事を下さり、大変有り難く、心に染み入る思いです。本当に、慈悲深い御言葉、ありがとうございます。感謝合掌、拝


とくに、この御文章


<<でも、清超先生がご本の中で、「ピアノと同じように、訓練をすれば上手になる。」と
お書きになられていますので、私も日々、『魂の訓練』をして行きたいと思っております。

あまり、争いや口論が好きではないので、この掲示板だけでなく、他の掲示板でも、
数人の方が喧嘩ごしに悪口を書いたり、お互いに傷つけあうことばを見ますと、
心が痛みます。
ましてや、インターネットで不特定多数の方が見ているとなると、なおさらです。

『甘露の法雨』の中の「懺悔の神示」の中の次のことばを思い出しました。

「懺悔は密室にて行うか、手紙に書きて教えの先達に送りても宜し。
 されど暗(やみ)の前に、いたずらに悪評する民衆の前に、罪を暴露しても
何の効なし。暗に暗を照らさしむるとも何の甲斐(かい)かあらん。」>>


全く持って、私の心と同じでございます。



私は、生命の実相を今、読んで、おりますが。


人間=霊人(ヒト)=コトバ(文字も含む)



コトバ=話コトバ、文字、コミュニケーションの全般含む(手話も、ゼエスチャーや、その時々の色々方法も含む)

上記は、いま、少し読んでる。清超先生の『ありがとうは素晴らしい』に似た内容が出てましたので、正しいかなと、思うしだいです。



明るいコトバ、プラスのコトバ、コミュニケーションを、広める事が、人類光明化運動の、大切な仕事の一つだとすると、毎日、各自一人、一人が『ありがとう』や『おはようございます』を広める事は、人類光明化運動をしてる人間(コトバ)と言えると、私は、思うのです。


逆に、人を批判するコトバ、人に悪言を言うのは、その人自体が、無意識であったにせよ。マイナスのコトバ、マイナスのコミュニケーションを広めているわけだから、知らない内に、人類暗黒化運動をその人が、しているのだと、言えると、私が、生命の実相を読んだところでは、そう感じらました。


だから、無意識であっても、自分が正しくて、相手が間違えているとしても、人を批判したり、指摘仕方に寄っては、他者との軋轢を産みやすくなり、その人自体の心が、暗黒化しやすくなるのだと、私は、思うしだいです。


ハマナス様の昨日の御文章を読み、プラスのコトバを使い続ける難しさを改めて、実感しております。

そう簡単に出来たら、先生方皆様、出来てしまわれるでしょね。そこが、また、耐え忍ぶからこそ、魂も鍛え磨かれて行くのだと、私は、思うしだいです。


ハマナス様、本当に、いつも、御優しいコトバで、教えいただき、ありがとうございます。お寒いですから、暖かくしてお休みください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1143SAKURA:2012/02/15(水) 23:27:37 ID:FEa/NNlc
>1141 モモンガ様 
独り言…
「聖光緑…」これって??昭和28年1月1日から〜〜始まりましたよ〜〜ネ!
「雅春先生」からではないの〜〜ですか? “変”です〜〜ネ!!

確かに、幾つかの変遷はありましたでしょうが…?
それから??私の手元にありますのが“古〜〜〜いモノ”なので…?

失礼ながら…
いつ頃の「改訂版」なのでしょうか?            再合掌

1144ももんが:2012/02/16(木) 00:08:03 ID:XXCuaQns
>>1143

SAKURA様

SAKURA様、こんばわ。合掌、拝。


私の手元にある『聖光録』は、
正式名=『新編 聖光録』(生長の家信徒必携)

監修:谷口清超

発行人:中島省治

発行所:㈱日本教文社

印刷・製本:光明社

平成八年二月二十日発行


となってます。

これでも、古いかも、知れませんね。


駄目でしたら、教えて下さい。

ありがとうございます。合掌、拝。

1145うのはな:2012/02/16(木) 01:24:27 ID:El6gIMAw

 某氏が女子大生をナンパしてるなんてのも、デマみたいなものだと思いますが、
他の人のことをデマしても、自分のことになると神経質に騒ぎ立てる男のクズもいるようです。

1146ハマナス:2012/02/16(木) 01:30:32 ID:u5mC.eb2
ももんが様
 
ご丁寧にお返事ありがとうございました。ありがたいお言葉を頂き、恐縮しております。
また、お教授を頂き、嬉しゅうございます。

清超先生の『ありがとうは素晴らしい』のご本は、手元にありましたので、拝読しておりますが、
新書サイズで読みやすい本です。
雅春先生は、生涯400冊位のご本と書かれたと聞きましたが、清超先生も沢山お書きに
なっておられるのですね。

ももんが様の素晴らしご御文章に感動しました!

>私は、生命の実相を今、読んで、おりますが。

人間=霊人(ヒト)=コトバ(文字も含む)
コトバ=話コトバ、文字、コミュニケーションの全般含む(手話も、ゼエスチャーや、その時々の色々方法も含む)

上記は、いま、少し読んでいる。清超先生の『ありがとうは素晴らしい』に似た内容が出てましたので、正しいかなと、思うしだいです。

明るいコトバ、プラスのコトバ、コミュニケーションを、広める事が、人類光明化運動の、大切な仕事の一つだとすると、毎日、各自一人、一人が『ありがとう』や『おはようございます』を広める事は、人類光明化運動をしてる人間(コトバ)と言えると、私は、思うのです。

逆に、人を批判するコトバ、人に悪言を言うのは、その人自体が、無意識であったにせよ。マイナスのコトバ、マイナスのコミュニケーションを広めているわけだから、知らない内に、人類暗黒化運動をその人が、しているのだと、言えると、私が、生命の実相を読んだところでは、そう感じらました。

だから、無意識であっても、自分が正しくて、相手が間違えているとしても、人を批判したり、指摘仕方に寄っては、他者との軋轢を産みやすくなり、その人自体の心が、暗黒化しやすくなるのだと、私は、思うしだいです。


まったく、同じ思いでございます。

私たちは、幸運にもこの素晴らしい真理に触れて、素晴らしい恩師の方々の
お陰で、幸福になりました。
生長の家がなかったら、今の私もないと思います。

是非とも、この最高の真理と云われています、生長の家の御教えを先輩の皆さまと
共に手を取り合って、日本そして世界中にお伝えしなければならないとの思いを
強く致しました。

素晴らしいおことばに、心より感謝致します。

1147うのはな:2012/02/16(木) 02:46:21 ID:El6gIMAw
志恩様へ

 昨夜訊けさんから誤読だといわれて眠れないので、前から気になっていたことを
お尋ねします。志恩さんはよくここでキケサンのブログを紹介されていますが、
その中には私へのからかいや攻撃が満載になっていた、私の記事転載しまくっていた
クレームブログや、本流サイトへ挑むようなページやからかうような写真が掲載されていたのを
ご存知のうえで、おすすめになっているのでしょうか?

なにをすすめ、どこに何を書かれようが、それはもちろん志恩さんの御自由ですが、
こないだもどなたかへの返信を本流でされていたようです。
失礼ですが、本流掲示板で「志恩様へ」の記事を再読されることをおすすめします。

余談ですが、個人のホームページでも、デザインやなにやらで20万以上かかる計算になるとき
があります。そんな中で無料レンタル版を使い、他人の記事をネタに遊んでるんだからいい気なもんだと
思っています。

1148志恩:2012/02/16(木) 07:10:59 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

うのはなさん、コメントありがとう。うのはなさん、昨夜は、遅くまで、眠れなかったのですね。

今、新設された「愛国源流『谷口雅春先生の大復活』ブログ」と、訊け君の「谷口雅春に訊け」ブログを、拝見したところです。

「愛国源流」掲示板、すばらしいのが、新設されましたね。そうですね、今度から、こちらも、お勧めしないと。

ここを、ご覧の皆様、「愛国源流」という、大変すばらしいブログが新設されましたよ、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
管理人は、澤水紘一様(67)と書いてありました。皆様、よろしかったら、こちらも観て下さいね。

訊けブログについてですが、私が、訊けブログを宣伝してきたは、なぜかと言いますと、
私の場合は、気持ちとしては、ここをご覧の、世界中の生長の家の皆様を対象にと、いつも考えて来ているからです。

私のことも、悪く書いてある訊けブログ内のクレーム欄も読んでいます。
うのはなさんに関する以前の特集は、今は奥の院へ入って見えなくなっています。

そういえば、最近、本流記事に挑むクレーム記事が、多く載っていますね。
これは、本流派としては、×××の気持ちになりますけれど、

トキさまや、訊け君に挑む記事は、本流のほうに、たくさん載っていますから、お互い様だと、私は思っていて、
本流は、大激流なので、多少、ブーイングされるのは、しょうがないとも思っているのです。

しかし、それらはさておいて
それに勝る「今の教え」にはない ほんものの生長の家の真理を 訊けブログは、日々載せて下さっている。広く考えれば、まるで、本流の応援記事のようでもあると感じまして
それで、私は、宣伝しているのです。

もう、本流掲示板や、愛国☆掲示板、そして、ここで、さんざん「今の教え」や現総裁の内幕は、暴露されてきました、その相乗効果で「学ぶ会」関係の記事も読まれていると思います。
世界中のネットを観てる人の、知るところとなりました。ボディーブローは、効いています。

いろいろな意見があるので、相互が、刺激されて、観るお方の注目度も高くなり、よりよくなっているのでは、ないでしょうか、
ですから、本流のカウント数が、少し前までは、一日3,000が、平均だったのですが、最近、増えていますよ。

それから,本流掲示板「志恩さんへ」の記事ですか。あぁ、あれね、
あちらに投稿するときは、「私は、総裁を引退させるというここの趣旨に、賛同するものです」と宣言してから、書き込むようにというのね。
うっかり、わすれていました。すみませんでした。

1149ももんが:2012/02/16(木) 09:39:33 ID:XXCuaQns
皆様、トキ管理人様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。今日も、寒気いっぱいの朝ですが、元気に、明るく、楽しく、神の子として感謝感謝の、楽しい日にいたしましょう!ありがとうございます!合掌、拝。


皆様は、カラスくんや、野良猫くんに、挨拶した事は、ありますか?

私、何時も、会う、三羽のカラスくんと、三毛猫の三毛太郎君に、いつもの彼らの縄張りで、会う度に。

『おはよう!』

『今日は、ごはん、食べたと』

挨拶をします。不思議ですが、彼らも、コトバは無いのですが、鳴き声や、仕草で、挨拶してくれてる感じを私はするのです。気の性だと思われる方は、そう思って下さい。(^_^)


動物達と挨拶出来るだけでも、地球の光明化に役立つかな?と一人よがりな、自分であります。

〜明るい未来を思え〜

<<このように、物事の光明面を見て、明るく伸々と、たのしく生活し、さらに伝動などして『よいこと』をしていると、必ず『よいこと』が起こり、思いが叶い、どこからともなくポッカリと幸運が舞い込んで来るのである。それ故、多くの人々が『神の子人間』を信じ、ありがとうと“日時計主義の生活”をやるようになることが、日本の運命をよくし、豊かにし、平和にする唯一最高の道であると言うことが出来る。

谷口清超先生著書:『ありがとう』はすばらしい!より〜23〜24㌻


ありがとうを、言う事は、日時計主義であり、日時計主義は、人類光明化運動だと、確信するしだいだいです。

さあ、皆様、今日も嬉しく、たのしく神の子生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。

1150役行者:2012/02/16(木) 09:42:29 ID:KDgzEzMg

 >>1139

 ももんが様


 文章全体の流れを良く理解しました。
 本流宣言掲示板は三代目総裁を追放することも目的としてます。ですから、あのような表現になってしまうのでしょう。

 ただ、そのような掲示板であるはずなのですけど、最近、和解を旨とする文章もときどき垣間見れますね。
 何か大いなるもののはからいを感じる今日この頃です。
 

 さて、法統継承のことなのですが、結論から言いますと、私は天皇家と同様に男系の血筋の方が継ぐことを望んでおります。
 いろいろとあると思いますが、日本という国は家族制度により守られてきたと思うのです。家に中心があり、その文化・伝統が連綿と続き、この象徴が天皇家と思っております。
 その天皇家が代々受け継がれてきた伝統の一つに大和の精神が厳然と存在していると思います。

 この大和の心の継承が家制度の延長線で繋がってきたところに、日本の国の現在の平和があると思っております。たとえば老舗文化もそのひとつと思ってます。

 その意味でも、私は三代目、四代目と、長兄血筋が継承されるべきと思っています。
 それが秩序だからです。
 それと同時に、復興G様の仰るよう、一人一人がそれぞれの立場において、【あるべきよう】(明恵上人の言葉)的に、神の子の自覚をされ、それぞれの細胞も生かされて行くべきと思っております。
 頭脳も、心臓も、手足も、一切者の自覚をもって生きていくのが最善と思っております。
 


 また、時代背景や説かれた場所によって同じ真理を語ったとしても随分と表現が違ってきます。

 しかしそれは表現の問題であって真理は永遠不滅です。
 ですから、時代にあった表現方法は大切かと思っております。

そして、


 >総裁や幹部が、嫌でも、教団の中に居ながら、教団 の教えの良いとこと、本流の教えの良いとこが、自然な形で、交わりながら、変えていくのが、私は 一番素晴らしいと、思ってます! 人間なんて、個性と個性のぶつかり合いだと思いま す 。だから、本流派の人たち、教団が、嫌いかも、しれ ないけど、一緒にやりながら、お互いの良いところ を、混じわって、認めあうように、頑張って貰えた ら、嬉しくですね。<
 

 まったくもって、異議ありません。
 本流の皆様もできれば日本をより良い国にするため、大同団結して一つの方向に進むことを望んでいらっしゃるとおもうのです。
 ところが、数十年の遺恨、ならび現総裁は雅春先生の生命の実相、並び甘露の法雨を消滅させ、自らの聖典を拵えるのではないか!というような恐怖が、総裁追放に火を付けていると思うのです。
 でしたら、同じテーブル上に付き、そのことも含め、十数年の遺恨もさながら、徹底的に議論を交わしたら良いかと思うのです。
 きっと、疑惑は晴れることと信じております。
 

> 役行者様、私は、生長の家の信徒の皆様は、やれば 出来る人ばかり、霊力たかい人ばかりですから、本 流の人たちが、来たら、教団も変わると思います よ。
  私の、夢の希望です! 清超先生の真似して、カン拾いも、実戦中の、もも んが、です 。<

  
 そのように思います。
 まったくもって、皆様元気で、百歳になっても現役で頑張って行くのでしょう(^。^;)

 同じ土俵にあがってともに、日本の国のため、世界のため、人類光明化運動に邁進すべきと思う今日この頃です。
 すべての人を生かしながら、大いに議論し、昔のように皆ともに人類光明化に貢献すべきと思っております。

           合 掌

1151トキ:2012/02/16(木) 10:00:33 ID:TWnjN6n.
>>1149

ももんが様

 おはようございます! ももんが様の御文章に刺激を受けて、書きたい事がありますが、
少し長くなるので、後で投稿します。

 では、本日もすばらしい1日でありますよう、お祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1152「訊け」管理人:2012/02/16(木) 10:06:54 ID:???

>復興G閣下

 昨日久し振りに『人生の秘訣365章』を拝読しておりました。そうしました
ら下記のようなご文章がございました。ここに謹んでご報告申し上げます。

『人生の秘訣365章』309項より謹写――
――――――――――――――――――――――――――――
宗教家よ口に剣をとること勿れ

 世界の平和は、神を信ずる宗教ですら宗派争いをして激しく他の教団の
悪口を宣伝して自分の宗派を拡大しようというような劣悪な教団が幅を利
かせているような有様では、到底達成することはできないのである。この山
にてもあれ、この教会にてもあれ、この寺院にてもあれ、本尊の名前は異
なれども、等しく宇宙本源の唯一の神を礼拝するようにならなければなら
ないのである。キリストは「剣をとる者は剣にて滅びる」とペテロに教えてい
るのであるが、この剣は決して、鋼鉄をもってつくられた剣だけのことでは
ないのである。烈しく他教団を悪口をもって斬りまくる宗教人は、やはり剣
をとる者である。神は愛であるのに、愛をもって一切宗教を包容することが
できずに、攻撃をもって自分の勢力圏の拡大を願う如きは、結局、我執と
貪欲と権勢欲によって掉り廻されているのであって、そのような者は宗教
界の風上にも立つことができないものである。
――――――――――――――――――――――――――――

 以上であります。

 ・・・・それでもどうしても、現総裁。「引退に追い込むにはどうすべきか?
」というような、そんな話は起ると思います。ならば悪口攻撃に代えてどん
な攻撃方法があるのでしょうか。(ここでいう〝攻撃方法〟とは無論、方便
の表現ではありますが)聖典に準拠したかたちではなにか、この腹のムシ
を押さえる方法はないものでしょうか。

 聖典に準拠したかたちでの〝総裁追放策〟ですが、まあ、下記箇所の
ようなものになるかと考えます。愚生蔵書の聖典80冊ではこれ、雅春先
生〝ご許可〟の方法としては、これしかないと考えます。

『幸福を招く365章』186項 より謹写――
―――――――――――――――――――
<「迷い」はどうしたら消えるのか>

 心の「迷い」を無くするには、「迷い」を捉えて破壊しようと力む事は要
らないのである。それは却って自分の心が「迷い」を掴むことになって益々
大いに「迷う」ばかりである。「迷い」を無くする唯一の道は、心を「迷い」
から一転せしめて、「人間」の本来完全なる相を見詰めるようにすれば好い
のである。自分の病気を癒すには、自分の病気を見詰めないで、自分の実相
の完全さを見詰めれば好いのであるし、他の病気を治すには、彼の病気を治
そうとか、病気をどうしようとか思わないで、ただ彼の完全さを見詰めれば
好いのである。全世界の人々が、ただ、他の善のみを見詰めるようにすれば
忽ち平和は来るのである。

 〝自分が〟祈る力や、自分の思念力によって不幸や病気を退散せしめよう
などと思ってはならないのである。われわれが善き言葉で祈り、善き想いを
想念したならば、あとは神が成就したまうのであると知らなければならない
のである。それは種を蒔くのと同じことである。善き言葉又は善き想念を述
べることは、大宇宙の創化力の沃地に、善き種子を蒔くことになるのである。
その種子を育て生長せしめたまい実を結ばしめ給う力は神にあるのである。
吾々は自分の力で、蒔いた種子から茎や葉を引張り出そうなどと考えてはな
らないのである。「吾れはただ善き想念の種子を蒔く、これを育てたまうの
は神の力である」と念じて、静かに神に全托せよ。
―――――――――――――――――――

 以上、雑談のようなご報告でありました。

追伸

 閣下ご提唱の法燈継承――これに関連いたしまして昨日、ブログ記事を
作成致しました。各信徒が自分の中の「主人公」、これにいかに呼びかけ
るかが重要と考えます。わたし個人もこれから毎日、「主人公、主人公」と
呼びかけて参りたい所存です。雅春先生が「是非実行なさってくださいま
せ」とお勧めされてもおられますし、まあ、やらねばならぬでしょう(笑)

●『光の言葉』
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65631587.html

1153うのはな:2012/02/16(木) 10:24:21 ID:El6gIMAw

マッチポンプといわれてる人やひとりよがりな人がこういうことは楽しくやらなくてはいけないと
といって騒ぎを起したり漫才やりだしたり、他人の投稿や投稿時間を追いかけて
あれこれいうのもへんだと思います。口に剣というほどではなくても。

1154a hope:2012/02/16(木) 10:56:04 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

平等にして差別があるのが大調和


或る時、一人の行者が仏様の教えをきいて悟りました。
本当は悟ったと思ったのです。
どう悟ったかといいますと、生きとし生けるものは、ことごとく仏の子であるから、
どんなものでも兄弟だと思い、深切にしなければならぬと思ったのでした。
そう思って、或る朝庭に立って見ておりますと、
一匹の毒蛇がにょろにょろとその行者のところへやって来ました。
行者は、生きとし生けるものはみんな兄弟であるから、深切にしてやらねばならぬと思って、
座敷の上へ上げてやり、食物を与えて大切に飼っておきました。

すると一人の友人が来て、「君は毒蛇を飼っているそうだが、
人間は人間、畜生は畜生であるからいっしょの待遇をしてはならぬ。
ことに毒蛇などと一緒の生活をしたら、しまいには噛み殺されてしまう」と、
深切に忠告してくれました。

しかし行者は答えました。
「生きとし生けるものは、みな兄弟であるから、深切に平等の扱いをしなければならない。
君のように差別的なことを言うものは迷っているのだ。」

友人は自分の忠告がきかれないのを、悲しく思いながら帰って行きました。

その後しばらく、行者は毒蛇と仲よく暮らしておりましたが、
或る日食物を集めるために、やや遠いところへ旅をしました。
一週間も家を明けて帰って来ますと、毒蛇は餌(え)を与える人がないので、
行者を待ちかねていましたので、行者が「そら蝮(まむし)さん、さぞひもじかっただろうね」
と言って、餌を口のところへ持って行ってやりますと、毒蛇はあまりにもお腹が空いていましたので、
あわてて餌と間違えて行者の指先に咬みつきました。

見る見る行者の指先から毒が廻り、腕が腫れ、身体ぜんたいが赤紫に腫れてしまって死んでしまいました。


・・・・・生きとし生けるものが平等だということは、
生きる命はみんな神様の力でやどっているのであるから、どれも皆同じように尊いということである。
しかし形の世界では、その神様の力のあらわれ方がみんな異う。
平等にして差別ありの真理を知らねばならぬ。
人間はみんな尊いが、人と時と処の三つの相応(ちょうどよい)ということを知らねばならぬ。
この相応を得たときにすべてのものが大調和するのである。


蛇を座敷へあげるというようなやり方では、この行者のように、
遂に毒蛇に咬み滅ぼされてしまうものです。

(つづく)




みなさま おはようございます。
なんか、この板、すごく深いお話が展開されているようですね。

後で、もう一度みなさまの投稿を拝見して、わたしも、自分なりに考えてみたいと思います。

それでは、わたしの大好きな「生長の家」のみなさま、今日もすばらしい一日をお過ごしください!

1156ももんが:2012/02/16(木) 16:10:45 ID:XXCuaQns
ハマナス様

ハマナス様、御言葉ありがとうございます。ハマナス様の心遣いは、真に素晴らしいです。いつも、教えていただき、ありがとうございます。感謝合掌、拝。


<<私たちは、幸運にもこの素晴らしい真理に触れて、素晴らしい恩師の方々の
お陰で、幸福になりました。
生長の家がなかったら、今の私もないと思います。

是非とも、この最高の真理と云われています、生長の家の御教えを先輩の皆さまと
共に手を取り合って、日本そして世界中にお伝えしなければならないとの思いを
強く致しました。>>


そうですね、基本は『明るい心』をいかに、保ち、これを、コトバ(コミュニケーションを取る方法なら、深い意味では、コトバらしい)

で伝えて行くが、光明思想の在り方のようですね。


昨晩は『天使の言葉』をあげていましたが、ベートーベンの事が、出できますよね?

ベートーベンは、耳がきこえません。

通常、『コトバ』と言えば、『音』もイメージしますよね。


ベートーベンの様な人は、『コトバ』は、音で聞かないわけですよね。


実際には、色々なコミュニケーションの手段で、『コトバ』や『音』を心で捉まえて理解するのでしょ。

人間は霊的存在で、魂や心を使って、日常活動してるからですよね。

人間だけじゃない、ネコや犬でも、そうじゃないかな?思わせられる時ありますね。

気の性かもしれませんが。

でも、そう考えると、万物皆兄弟と、思えてきますね。

本当にそうなったら、いいですね。

では、ハマナス様、お仕事、お忙しいのに、私に色々教えてくださり、ありがとうございます。インフルエンザ流行ってますから、気おつけて下さい。感謝敬白、合掌、拝。

1157ももんが:2012/02/16(木) 16:12:45 ID:XXCuaQns
トキ管理人様


1155の文章は、未完成文です。削除願います。

1158ももんが:2012/02/16(木) 16:15:38 ID:XXCuaQns
>>1150

役行者様、

役行者様、ご丁寧なお返事いつもながら、心遣い、御礼もうします。ありがとうございます。感謝合掌、拝。

役行者様の御文章を読み、私と、同じ様に思えていただき、感謝感激でございます。

<< さて、法統継承のことなのですが、結論から言いますと、私は天皇家と同様に男系の血筋の方が継ぐことを望んでおります。
 いろいろとあると思いますが、日本という国は家族制度により守られてきたと思うのです。家に中心があり、その文化・伝統が連綿と続き、この象徴が天皇家と思っております。
 その天皇家が代々受け継がれてきた伝統の一つに大和の精神が厳然と存在していると思います。>>
真の法燈継承としては

役行者様は、清超先生の『法燈継承の真義』の御言葉を大切にされる御気持ちは、私と同じ気持ちである事に、感銘を覚えました。


そして、復興G様の『継承』意味は

<< それと同時に、復興G様の仰るよう、一人一人がそれぞれの立場において、【あるべきよう】(明恵上人の言葉)的に、神の子の自覚をされ、それぞれの細胞も生かされて行くべきと思っております。
 頭脳も、心臓も、手足も、一切者の自覚をもって生きていくのが最善と思っております。>>
 

各自の心の部分での『継承』と言う事ですね。


それならば、理解出来るし、納得出来きるものです。

役行者様のこの御言葉、全く、そうなってくれたれ、大変、私は、信徒の一人として、嬉しい思いです。

<< 本流の皆様もできれば日本をより良い国にするため、大同団結して一つの方向に進むことを望んでいらっしゃるとおもうのです。
 ところが、数十年の遺恨、ならび現総裁は雅春先生の生命の実相、並び甘露の法雨を消滅させ、自らの聖典を拵えるのではないか!というような恐怖が、総裁追放に火を付けていると思うのです。
 でしたら、同じテーブル上に付き、そのことも含め、十数年の遺恨もさながら、徹底的に議論を交わしたら良いかと思うのです。
 きっと、疑惑は晴れることと信じております。>>
 
今日、生命の実相第1巻の、

172㌻の3行目に、こんな文章がありました。

〜だから、わたしはこのページを読まれのを機会に、読者諸君にむかって、あなたの全ての隣人をゆるすことを提議したいのであります。〜

それから、170㌻に

〜万物調和=万物一体 、この真理から生ずる感じが愛でありますから、

その反対たる

万物孤立=万物争闘、という『迷い』から生ずる悪感情(したがって生ずる生理的反映たる病気)を征服するには、やさしい言葉や行いでかたわらにいる人が『愛』をありありと実際に示してくれるかぎるのであります。〜


今、お互いが、お互いを、心の底辺では、即ち、無意識の層において、『許す』事は出来ていないのでは、ないでしょか?

確かに、裁判は、本流サイドの支援や応援してる側が、『勝ち』目に見える型では、総裁や幹部のしてる行為は、信徒を裏切る行為なのかもしれません。

しかし、もし、『勝ち』側のサイドが、無償で、全ての権利を放棄して、教団や総裁、幹部を許せるなら、それは、一般の思考と違い、宗教的思考からするなら、すごい、事であり、本流サイドの人たちの優れた、宗教者として資質を示す事になるように、私は、思うのです。

あまりに、大きい事を言うと、叩かれますね。

ももんがの、単なる、夢に、過ぎません。


役行者様、いつも、素晴らしい、御言葉と、私へ気遣いは、本当に、感謝してもしきれません、いつも、ありがとうございます。また、色々、教えて下さい。
ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1159ももんが:2012/02/16(木) 18:22:57 ID:XXCuaQns
>>1151

トキ管理人様

トキ管理人様、御寒いですね。いつも、お心遣い、感謝しております。合掌、拝。


今朝の、『ありがとう』のお話で、恐縮なのですが。


トキ管理人様や、本部関係の方に、清超先生は、偉大なお方で、私の様な、一信者が、清超先生のゴミ拾いの日常の風景を目撃出来るなんて、罰当たりと、思われても、仕方ないですね。

本当に、申し訳ありません。
しかし、逆に、裏表の無い、真の宗教者の姿を教えていただき、本当に、私は幸せ者です。


実は、私の禅の方の師も、清超先生と良く似て、裏表なく、淡々と日常をこなす方でした。

私は、清超先生の御文章から、いつも、”曹洞宗の風 ”を感じていましす。


大分前ですが、安泰寺の住職であらされた、内山興聖老師のお話を、テレビで見ていました。

内山老師が、折紙を降りながら、色々なお話をされていましたが、折紙を手から離して、覚りについて、お話されていと思います。

『手放し、手放し』と何回も、同じコトバを繰り返して、お話される姿は、自然な雰囲気をかもし出して、なんとも、すがすがしさを感じました。

清超先生も、わかりませんが、どこかで、内山老師とかと、お話される機会が、会ったのかと、想像してしまいます。

正法眼蔵随聞記、いいでしょ?トキ様?

なんか、いろんな、物が、凝縮されていて、いつも、心で味わうようにしてます。


今夜は、寒いです。暖かくして、おやすみ下さい。不作法な、ももんがより、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1160ハマナス:2012/02/16(木) 18:42:25 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま
ありがとうございます。今日は寒い一日でした。

  二月十六日  自己の尺度を捨てる日  (『光明道中記』P.58より謹写)

 他(ひと)を自分の尺度で測って善ならしめようとすれば、
相手を害(そこな)い、自分を害う。 (『生命の實相』七巻)

 電車の中で人の顔を見ていると、実にいろいろの顔があり、色々の事を教えられる。
 一つの顔を眺めても、見ている人の立場の位地の相違から、悉く異なって見えるもの
である。争いは、見る立場は一つしかないと云う根本的な迷誤(まちがい)から発(おこ)る
のである。或る人には一つ顔の横顔が見え、或る人には正面が見え、或る人には斜めに
見える。もっと委(くわ)しく分けるならば、一つの顔でも全然同じように見えることは
あり得ないのである。そこですべての人の意見は一致しないのが本当な位である。

そこで吾等が他と争うことを避けようと思うならば、吾等は事物を考えてやるのに相手の
立場に立って考えてやらなければならないのである。「あの人の身になったらどうだろう」
此の思いやりが本当の愛である。愛は自他一体である。昔は、「己の欲せざるところを他に
施す勿れ」と言ったが、今は己の欲せざる所も、彼は欲するかも知れないし、己の欲する所も、
彼は欲しないかも知れないことを知って、各々相手の立場に立って相手を生かして
やらなければならぬ。

毎日、神想観の前に、『生命の實相第37,38巻』『光明道中記』『光明法語』の
その日の箇所を読んでいます。
数々の素晴らしい聖典を残して下さいました、雅春先生に深く感謝いたします。

合掌

1161ハマナス:2012/02/16(木) 19:41:04 ID:u5mC.eb2
ももんが様

合掌ありがとうございます。ご親切にご教示頂きまして感謝いたします。。

>昨晩は『天使の言葉』をあげていましたが、ベートーベンの事が、出できますよね?
ベートーベンは、耳がきこえません。
 通常、『コトバ』と言えば、『音』もイメージしますよね。
ベートーベンの様な人は、『コトバ』は、音で聞かないわけですよね。

実際には、色々なコミュニケーションの手段で、『コトバ』や『音』を心で捉まえて
理解するのでしょ。 
人間は霊的存在で、魂や心を使って、日常活動してるからですよね。


そうなのですね。私たちは目、耳などの五感を使って見たり聞いたりしているようですが、
実際は魂や心を使って見聞きしている、見聞きしなければならないのですね。
そうなると、講習会での総裁先生ご夫妻のご講話や練成の講話などの、真理のことばは
頭だけでなく、“こころの耳を開いて”、聞かないといけないことが、わかりました。

いつも大切なことを気づかせ頂きましてありがとうございます。

ももんが様も、お寒いですのでどうぞお身体を大切になさって下さいませ。
  感謝合掌

1162トキ:2012/02/16(木) 19:44:46 ID:TWnjN6n.
ももんが様

 道元禅師の逸話でしたが、ももんが様のご文章を拝読しえ思い出した事があります。もし間違っていたらごめんなさい。

 確か、道元禅師が鎌倉幕府の執権の北条時頼から招かれた時のエピソードだったと記憶しているのですが、
北条時頼を訪問した時に、北条時頼が手みやげを道元禅師に渡そうとしたら断られたので、随行の弟子に
手渡したそうです。で、永平寺に返ってから、弟子が道元禅師にその手みやげを渡そうとしたら、道元禅師
が激怒し、即座に破門したばかりか、彼がいつも座っていた場所の下の土をも掘り出して遠くに捨てた、と
いう話が記憶にあります。(間違っていたらごめんなさい)

 そう言えば、谷口清超先生も、普段は温厚な方でしたが、教えや信仰の純粋性には厳しい方だったという
印象を持っています。その点は、道元禅師に共通する、真摯な姿勢の持ち主だったという感想があります。

 もっとも、私のようなふざけた人間は、道元禅師の弟子としても、谷口清超先生の弟子としても、落第のよう
な気がします。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1163SAKURA:2012/02/16(木) 20:46:10 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

【幸福を招く365章】  
■重荷を負える者よ 我れに来たれ
神にまかせるのでは無条件全托である。
完全に神にその処置権を譲り渡すのでなければなりません。
何一つ、自分のところへ止めて置くと云うものがあってはならないのです。
魚釣の餌のように、神に与えたものに釣糸をつけて置くと
云うようなことをしてはならないのです。
人間は神に任せた程度に従って、自分の肩の重荷がおりるのです。
神の自動車にのせて頂きながら、自分の荷物を自動車の中で
肩にかけているようなことをしてはなりません。
「重荷を負える者よ、吾れに来たれ、吾れ汝らを休ましめん。」
神はこう云い給うているのです。
あなたが重荷を負う位なら、神は貴方を救う必要がないのです。
神は貴方を完全に重荷から解放するために生長の家を
お創になったのです。
                    (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■「全托…」
「無条件に処置権…」を、神に与える事でしょうか…?
今の私は…又!新たなる【難問題…】が起きてきていますが… ><
“全神経神”を、集中させていこうと思います…。

今日は?「歯科院へ…」
以前から“歯の痛み”があり…担当医は休みでしたが…
とりあえず「歯石」をとって頂きまして(多少の予防策かしら〜〜ン)と思いつつ?
それも兼ねまして…「歯石」を取って頂きましたが…
其の「歯石を取る」これが?物凄く〜〜〜〜〜〜“イタイ”のです。><
そこを私は「神の子」と唱えて…「痛みはない」と云いながら……><
一番痛い“歯”〜〜〜〜〜其の箇所に来た時は??もう〜〜〜〜たまらなくなり??
「神に委ねて」…任せて「歯石」を取って頂きましたら……

不思議です…。かなりの出血でしたが…「綺麗な〜真っ白な〜歯」に…
最終的には“レントゲン”を取って頂き「虫歯もない!!」結果に!!
今日は、担当医がいなくて、他の先生に見て頂きましたが…
日常の小さな出来事でも〜〜〜「たかが歯?」位でも…思われるかもしれませんが?
「神に重荷を委ねます…」と…必ず!いい方向に行くと“確信”…

今!「イヤ〜〜ナ吸血鬼・ゾンビ達・黒幕デザイナ−」の問題に悩んでいますが…
■「重荷を負える者よ、吾に来たれ、吾れ汝らを休ましめん」
安心して“神に委ねます”……“神の御心に”
せっかく「事務所」を構えたのに…
又??又??どうしてこの様になるのでしょうか…・…?

全て「神の御心に…全托」
    この法則を教えて頂いた「雅春先生」に感謝申し上げます…。

                           再合掌 

PS:トキ様へ
本日の解釈?「日常の出来事」を踏まえまして、捉えてみましたが…?
どのように解釈されますでしょうか?

1164a hope:2012/02/17(金) 11:37:18 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

白鳩と烏と料理人


或る所に、長者があって白鳩を一羽飼っておりました。
白鳩を入れてある鳥籠は、長者の家の料理場の出口のところにかけてありましたが、
料理場にはおいしそうな魚や羊の肉がならべてありましても、
白鳩は欲深ではありませんでしたから、自分のために与えられてある豆、粟、玉蜀黍(とうもろこし)などのほかは、
けっして手をつけませんでした。
すると或る日、一羽の烏(からす)がやって来て、料理場をのぞいてみると驚きました。
魚のフライや、羊の挽肉がおいしそうにならんでいるではありませんか。
烏は、「白鳩というものはなんてぜいたくな御馳走を食べているものだろう」と羨ましくなりました。
そして、「ひとつあの白鳩の友達になって、その魚や羊の肉を食べたいものだ」と思いまして、
計略を考えつきました。

白鳩の鳥籠の入口は自由に空いていまして、いつでも出入りができるようになっていました。
毎朝、夜があけると、料理人が料理場の出入口の扉を開きますので、
そこから白鳩は遊びに行ったり、間食(おやつ)を探しに行ったりするのでした。
烏はそれを待っていて、白鳩と友達になろうと、しきりに白鳩を追いかけて飛んで行くのでした。

「なぜあなたは、私のあとばかりねらって飛んで来るのですか。
私は白鳩ですし、あなたは黒い烏ですから、夫婦になるわけにはゆきません」と白鳩は申しました。

烏は猫撫で声をして申しました。
「私はごらんのとおり黒い醜い鳥ですから、あなたのように、
その白い清浄な美しい方と夫婦になろうなどとは思ってはいません。
あなたの飛んでいられる上品な羽の姿を見せていただいていますと、
私もこの黒い羽が白くならなくとも、せめてあなたのような立派な美しい飛び方が、
見よう見まねでできるだろうと思うのでお近づきになりたいと思うのです、
どうぞ私をあなたのお友達にならせてください。」

白鳩は烏に誉められたので、得意になってしまいました。
そして烏に友達になることを許して夕方、白鳩は自分の籠へ烏を連れて帰ってまいりました。

料理人はそれを見つけて、「白鳩が黒鳩を連れて帰って来た」と申しまして、
二羽分の豆や粟や玉蜀黍を入れてくれました。

或る日、長者は親類の人々をお招きするのだと言いまして、たくさんの魚と羊の肉とを料理人に買わせました。
夜があけて料理場を見ると、それらの肉がおいしそうにズラッと俎(まないた)の上や料理台の上にのっております。

白鳩は「烏さん、一緒に外へ遊びに行きましょう」と申しました。

烏は「いいえ、今日はお腹が痛くて飛べませんから、あなたひとりで遊んできてください」
といって、ただひとり籠の中に残っているように頑張りました。
(つづく)

1165a hope:2012/02/17(金) 11:45:10 ID:kcv2QXTk
(つづき)

「烏が腹痛などになるものではない、おまえは貪欲(よくばり)のことを考えているね。
欲深いことをすると、必ず自分を害することがあるから気をつけなさい。」
こう言って白鳩は飛んで行ってしまいました。

料理人たちは魚を料理し、羊を挽肉にして、一方で煮立てながら、
それらの料理を盛るべきお膳を取りに行こうと、みんな一度に出て行きました。

烏は、ちょうど好いおりだと思いまして籠から飛び降り、
回転式になっているスープの濾器(こしき)の上にとまって、
一つの大きな羊の肉片(にくきれ)をとらえました。
スープ濾器は、烏の重さと肉片の重さで、それを啄(ついば)むたびごとにコトコト音を立てました。

料理人は、猫でも来たのであろうかと思って急いでやって来てみますと、猫ではなくて烏なのです。

「鳩が羊の肉を食べる奴があるか。妙に黒い鳩だと思ったら、お前は烏だったんだな。
よく人間様を騙しやがった。」こう言って料理人は烏の羽をことごとく引きむしって、
その爛(ただ)れた傷あとへ、印度辛子のピリピリしみる奴をつけて、籠の中へほうりこみました。

白鳩はそこへ帰って来て烏に申しました。


「・・・・・だから私はお前に言ったのだ。何事も分(ぶん)を守らねばならぬ。
欲張ったら自分を滅ぼすことになると。
誰でも、与えられているものが、一番その時の自分にとって好いものである。
今あるものを感謝して受け、今あるもののありがたさを、
しみじみ受け味わって行くようにすれば、他(ひと)のものを欲張ることはいらぬ。
日光の中で羽を伸ばす喜び、空気の中を思うさま翔けまわる喜び、空から下界を見下ろす喜び、
心の目を開いてみれば、誰にも感謝し切れない喜びがこの世界に満ちているのだ。」

烏は白鳩の教(おしえ)を聴きながら死んで行きました。
彼は白鳩の教をきいたので、その次に生まれかわって出る時には、
釈迦の弟子として生まれたと『本生経』に書いてあります。
世の中に不平を持っている人は、この愚かな烏と同じことです。
実際心の眼をひらけば、喜べる恩恵が、自分にいっぱい与えられていながら、
それに気づかず人のものを欲しいと思うのです。

仕事でも忙しいといって不平に思う人がありますが、
はじめて就職して仕事を得た時に「仕事があることがどんなに嬉しかったか」を考えてごらんなさい。
今、勉強がうるさいとか面倒くさいとか考える学生さんは、
入学できて勉強できる資格ができた時の嬉しさを、もういちど思い起こしてごらんなさい。

1166a hope:2012/02/17(金) 12:17:19 ID:kcv2QXTk

みなさま こんにちは

わたしは、このお話を読んで、自分が、はじめて「生命の實相」を手にした時、
「生長の家」の教えに触れた時のことを、思い出してみました。
魂が震え、「この教えこそ、わたしが今まで求めていた教えだ!」
と実感した時の喜びがよみがえってきました。

しかし、現実の「生長の家」教団は、あまりにもわたしの求める、「教え」とかけ離れていました。

本流復活をめざす方々は、それは、雅宣総裁先生の指導が間違っているからだと、
おっしゃっています。
そして、信徒の方々ですら、そう思っている方が多いのだと思いますが、
新入生のわたしには、それはわかりませんでした。
だから、わたしは、雅宣先生の間違った教えのために、自分の魂が混乱して、
体調まで壊してしまったのだと思いました。

でも、今はこの「生長の家」の問題は、雅宣総裁先生だけが原因ではないと思っています。

復興Gさまの、

>「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、
生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきではないか――――と。<

とご教示をきいて、今までの自分の心のわだかまりが、“ぱーっ”と消えたような気がしました。
雅春先生は、「生長の家」を愛するすべての人々に、「法燈継承」して下さっていたのですよね。
そのために、たくさんの聖典を残して下さっているのですものね!

わたしは、この「生長の家」の教えに出会えたことに、あらためて大きな感謝の気持ちが湧いてきました。
そして、この素晴らしいみなさまとのご縁にも感謝の気持ちでいっぱいです。

わたしの大切な「生長の家」の先輩方、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

1167「訊け」管理人:2012/02/17(金) 12:34:31 ID:???

>a hopeさま

――――――――――――――――――――――――――――――――――

復興Gさまの、

>「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、
生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきではないか――――と。<

とご教示をきいて、今までの自分の心のわだかまりが、“ぱーっ”と消えたような気がしました。
雅春先生は、「生長の家」を愛するすべての人々に、「法燈継承」して下さっていたのですよね。
そのために、たくさんの聖典を残して下さっているのですものね!

――――――――――――――――――――――――――――――――――



 チ  ェ  ス  ト  !  !

1168ハマナス:2012/02/17(金) 23:03:40 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。今夜は、雪がちらついていました。

  二月十七日  自在を得る日 (『光明道中記』より謹写)
 
 一つのものにでも執したら、苦しみは其処から始まる。(『生命の實相』第十一巻)
 
 解脱を仏と言う。解脱とは執なきを言う。
 執のなきを自在と言う。執を縛と言う。執は一定のところに縛り附けて其の自由を
奪って了(しま)うからである。
 
子供に執すれば、子供はその自由を失って病気に罹ったり成績が悪くなったり
するであろう。執愛は縛愛であり、一定の場所に相手を縛りつけて自由を失って
了う愛であるからである。
 
子を愛する者は、子をよく放たねばならぬ。小鳥を愛する者は小鳥をよく放たねば
ならぬ。小鳥を愛すると称して籠の中につなぎとめて置くとき、その小鳥は永生き
しないであろう。放たれてこそ、小鳥はその『生命の實相』の自由を発揮して健全
なるを得るのである。故も亦斯くの如くよく放つとき、よく生きる。

「愛」を釈迦は煩悩のうちに数えた。愛をキリストは神性のうちに数えた。
愛は煩悩より出でて神性にまで昇るものである。
愛は神性より出でて煩悩にまで墜落するものである。
 
愛が愛である使命を果たすには智慧に導かれねばならぬ。

1169ももんが:2012/02/18(土) 05:59:10 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。首都圏は、昨晩から雪が降ったりして、寒いですね。それでも、元気だして、明るく、楽しく、笑顔で、家族と供に、素晴らしい日を造りましょう!ありがとうございます。合掌、拝。

〜いのちの環3月号より〜
☆いのちの回廊
毎日毎日を、神から与えらた
『幸福』の日であると信じて“毎日”を感謝しなさい。
あなたが素直に“神の祝福”を見る眼をもって
“毎日”を迎えらるならば、至る処に神の祝福を見出されるに
相違ないのであります。
そこに、今、愛し愛し愛される家族があるではありませんか?
親も子も配偶者もない天涯孤独の人であっても、そこに今“神”が居たまうのです。

〜谷口雅春著『如意自在の生活365章』173㌻


昨日は、大変暖かい日でしたね。しかし、夜には大粒の雪が、降って来て、春と冬との狭間に、いま、季節は、あるのですね。

トキ管理人様、ハマナス様、役行者様、皆様、昨日は、私用が多く、御返事も書き込みも出来なくて、相すいませんでした。

生長の家の、現在の現象も、季節の移り変わりの如く、必ず、”春“は来るはずです。
まずは、心に春の日差しを描くようにすれば、神様は、知らない内に物事を解決する事もあるように、私は思われます。

では、では、本日は天候も良くないですが、暖かくして、明るく、楽しく、お過ごしください。ありがとう、ございます。感謝合掌、拝。

1170役行者:2012/02/18(土) 07:00:37 ID:KDgzEzMg

 合 掌 

 昨夜の雪が信じられないほどの今朝のさわやかな晴天は、春の日差しをさえ感じます。


 さて、本日18日は、天皇さまが手術をなさる日です。
 春の日差しが、春風に乗って よいお知らせを運んで下さると信じつつ、ご平癒をお祈り申し上げます。 

 すべては良くなる兆しなのでしょう。

1171ももんが:2012/02/18(土) 07:17:21 ID:XXCuaQns
>>1170
役行者様

役行者様、おはようございます。合掌、拝。

私も、同思いでございます。今朝の、神想観でも、天皇陛下の御快癒御祈りいたしました。

本日は、春の日差し、よき日に成といいですね。

誠に、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1172ハマナス:2012/02/18(土) 08:24:18 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま

おはようございます。
今日の、天皇陛下の手術が大成功であります事をお祈り申しあげます。
そして、皆さまにとって、素晴らしい新生の一日でありますように
お祈り致します。

     先ず自分自身に和解する  (『生活の智慧365章』P.112より)

 どんな不調和な状態が現在その団体にあろうとも、又その家庭にあろうとも、
又人と人との関係にあろうとも、その団体を祝福し、その幹部及びメンバーに
感謝し、その家庭を祝福し、その家族ひとりひとりに完全に感謝し、紛争の
起こっている相手があるならば、その相手の人を神想観の時に祝福し、その相手に
和解と善意と感謝の愛念を送ることにするならば、相互の間は不思議に調和を
取り戻すことができるのである。
 
 原因は環境にあり、又相手側にあると見える時にも実は自分の心の内にあるのである。
紛争や不調和が起こる原因の一番根底には「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。自分自身を嫌悪しているために、それが他の人に移入されて文句を
言いたくなるのである。吾々はもっと度々神想観をして、自分自身を祝福し自分自身に
感謝し、自分自身に和解しなければならない。

感謝合掌

1173役行者:2012/02/18(土) 08:41:58 ID:KDgzEzMg

 ももんが様
 ハマナス様


 世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに良くなっていきます。

           合掌

1174トキ:2012/02/18(土) 11:27:33 ID:IcchsNRU
ももんが様

 いつも素晴らしい御文章を投稿して下さり、深く感謝申し上げます。
 私も、よく留守をしますから、気にされないで下さい。書ける時に、投稿をして下されば結構です。

おっしゃる通り、気候でも冬がくれば、春が来ますから、生長の家も春は近いと思います。
寒い日ですが、元気で過ごしましょう。

合掌 ありがとうございます

1175a hope:2012/02/18(土) 12:52:29 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著
]
猿と園丁(えんてい)
 
 
或る王様の国の御料林(ごりょうりん)に、猿がたくさん棲んでいました。
園丁は猿と仲好しになっていまして、猿の中に、猿の王様というべき頭があって、
園丁の言うことはなんでもわかり、園丁の言うことには、なんでも素直にそのとおりしてくれるのでした。

その頃、王様の即位三十周年記念祭がありまして、国の都で大仕掛な花火や花車(だし)や、
神輿などの催しがあり、国を挙げての大騒ぎが始まりました。
園丁は、御料林の樹を枯らしてはならないと思いまして、猿の王様を招(よ)んで、

「私はお祭見物に王様の都へ行って来るから、この林の中の、
旱(ひでり)に弱い灌木には水を毎日掛けておいてください」と言って頼みました。

「よろしゅうございます。私が猿の家来どもに申しつけて、必ず有効に水を全部の灌木にかけておきます。」
こう言って猿の王様は引受けました。

山の灌木に水を皆そそぐことは、なかなか大変な仕事であり、谷川の流れまで水を汲みに往っても、
それを山の上まで持ち上げるのは、猿にとって大変でした。
そこで猿の王様は、好いことを考えついたと思って家来どもを集めてこう言いました。・・・・・

「おい皆のものよ、水を谷から上げるのは、人間のように真直に立って歩けない吾々猿にとっては、
なかなか大変なことであるから、水を有効に使わなければならない。だから灌木に水をかけたときには、
どのくらいまで実際水が根に沁みているのか、灌木の根をいちいち引き抜いてみて検(しら)べた上で、
あまり水の多いのは、こんど水をかけるのを節約しなければならぬ」と言いきかせました。
猿達は御料林にある灌木に水をかけて、いちいち引抜いては挿し、引抜いては挿してゆきました。

園丁が、国の都の祭りが終って帰って来たときには、山中の灌木という灌木は、
猿達がいちど引抜いてまた挿したためにことごとく枯れていました。
園丁は自分の仕事をおろそかにしたというので、きびしく罰せられました。


・・・・・智慧のない深切は、かえって殺すことになるというのが、生長の家の教えである。
人は自分に委(まか)された仕事を、自分が遊ぶために他(ひと)に委せては、こんな失敗が起こる。
自分に委された仕事は、自分に一番適するから委されているのである。

(第四章 終り、 次回、第五章 能力の生かし方)




みなさま こんにちは

今日は、朝、とても寒かったですが、今はとても暖かくてなりました。
今朝は、調子のちょっと悪い子どもを病院へ連れていったのですが、インフルエンザでなくてよかったです。
もう、元気に遊んでますし...(笑)

今朝は、土曜日ということもあり、ちょっと朝寝坊して神想観する時間がありませんでした。
それで、病院の待合室で椅子に座り、心の中で神招歌を唱えてから神想観をしてみました。

まわりはざわざわしているし、TVのボリュームも大きかったのですが、意外とすぐに集中できました。
これなら、どこでも、いつでも神想観ができると思い嬉しくなりました。
試験の前とか、面接の前とか、スピーチの前とか、緊張するようなとき、
神想観で心を落ち着かせることができたら、鬼に金棒ですよね!
わたしも、天皇陛下の御快復、お祈りさせていただきました。

1176SAKURA:2012/02/18(土) 15:20:04 ID:q9UkkTZw
トキ様 へ
皆さま へ  
こんにちは

昨日は「母の法要…」と私用のために“留守”しておりました。
今日“パソコン”を開きますと、皆様のいろんな方の“意見投稿”が…目にとまり…
昨日は、お寺に行く途中“雪が降り”出して…此処九州でも雪が今現在降っておりますが?
“雪の中”を風を切る様に歩いて…無事!に着き…
「亡き母の57日法要」も無事に終えてまして、その後いろんな世間話をしまして、
私は、此処昨今の改めて「人生の月日の流れ」をかみしめた次第ですが…?
「生長の家」が、今!どの様にこれからの【航海の舵…】を握る事は…
一人一人の多種多様な考え方もあり…「一つ過渡期」でしょう〜ネ?
当に!!これから良くなる【自壊作用…】の始まりでしょう…。

■幸福を招く365章
【自分の罪を赦しなさい…】

すべての不安は、神と離れた感じから起こるのである。
だから「神と一体である」という自覚を呼び起こすあらゆる方法はすべて、
不安を解消し、健康を増進する目的に適うのである。
神と離れていると云う感じは、「罪がある」という自覚からくるのであるから、
「罪がゆるされた」と云う感じを与える方法は
不安を解消し健康を増進する目的に敵うのである。
だからイエスは「汝の罪赦されたり」と云う語(ことば)で
人々の病気を治しているのある。
病気の人は自分が自分の罪を赦せばよいのである。
イエスは「審判(さばき)は子(人間)にゆだねられたり」云っている。
自分を罰するのも自分であれば、自分の罪を宥すのも実は自分であるのである。
「神がわが罪を赦したまいて、その愛の蓑手をもて抱きたまう、
我はすでに癒されたり」と念ずるのは、自己責罰を自分で赦すよき方法である。
メニンジャー博士はその著「おのれに背くもの」
(日本教文社発行、下巻の(焦点的自殺)の項)の中で咳が他を憎んで
毛嫌いする心から起こると云うことを書いているのであるが
1951年1月21日発行のウイ−クリ−・ユニティ誌に於いてもスティヴンス・
ハットフィ−ルド氏が「正しく思え、正しくあれ」(Think right Be right)
の中で同じような実例を挙げている――或る婦人が自分の甥を貰って
実子のように育てていたのである。
甥は戦争のため入隊したが或る日休暇で一人の友人と共に帰って来た。
海軍の服装をつけているためにその年齢では出入出来ない遊び場に出入
するようになった。酒場で出入りして酒を飲む、パチンコをやる、
ダンス、賭博とある限りの歓楽を尽くすのである。
養母はどんなに説得してもきかなかった。
その時20年間影をひそめていた気管支炎が再発して重体に陥った・・・・・・
この種の家庭に於ける精神的葛藤が病気を起こすことは数知れずである。
殆ど病気の大部分がそれであると云うことが出来る。
吾々の肉体は、吾々の抱懐する想念感情と同じような種類の形につくられる。
家族の誰かに対していだいている怒りをゆるすことは、自分の心を
縛っていた縛りをほどいてしまうことになるのである。
身体が硬直したり、不自由になったりする病気は人を赦さないことから
起こっている場合が多いのである。
だから人を審判(さば)いてはならないのである。
たとい相手が悪くとも、相手が悪いからとて、こちらが心を硬(こわ)ばらせば、
自分の肉体の組織が硬ばることになるのである。
狭心症や血管の硬化や、喘息や、組織を狭窄(きょうさく)せしめる
病気は人をゆるさない心から起こることが多いのである。

                          (谷口雅春著)


今日の内容は、現実的な事にも入るのでしょうか?
今回【原宿本部と社会事業団との裁判の行方…】は?確かにどちらが悪いとか??
確か「中島様」は現総裁より年上の方なのでしょう…。
「現総裁先生=>お孫さん」という見方で、多少は自分のご年齢(経験…)も踏まえ、
「自分が正しい…」という感覚から来たのでは?と思えるふしが…
多少なきにもあられるのでは?ないのでしょうかしら〜〜ン??
             <つづき>             No.1

1177SAKURA:2012/02/18(土) 15:21:16 ID:q9UkkTZw
             <つづき>             No. 2

「雅春先生亡き20年間」の間に…「雅宣先生」側に加担するより…
「2代目清超先生」に加担されていたのでしょうか…?
既に!!!この時から「2代目清超先生 対 3代目雅宣先生」この派閥間での、
【闘争問題…】がありました事を、お聞きいたしている次第です…。

この件を、或る時?“お話”を聞いたことがありますが…
もう何年前の事ですので…但し現状は…??まだ?続行なのでしょうかしら〜〜ン?

「2代目清超先生」が、倒れられまして、何年かした頃?当時の理事会の方が…
【派閥】に分かれていて…大変!と聞いたことがあります…。
この頃からの「2代目清超先生」が亡くなられてからの【闘争問題…浮上】でしょう?

冷静な目で判断させて頂きますと…
「ときみつる会」「学ぶ会」の方々の中には…「2代目清超先生」がご健在の頃は…?
【怠慢!!増冗漫!!的行動…】が、私達一般信者(末端)でも見えましたが…

■どちらが正しいのではなく…まず“年輩の方”から“腰を下ろす”事も必要では…?
これが…【人格…】
“一般信者”はたまた?“世間の見方”…このように捉えるのではないでしょうか…?

まず!!「現総裁」をたててから…「話し合い…じっくり」が必要ではと思います…。
肝心なのは!!!!
■【我と我の張り合い…】これは最終的には、何も生み出せませんし、逆に…??

私事ですが、現在!いろんな形で「不利な立場」に於かされていますが…
【吸血鬼・ゾンビ…黒幕??】
【中傷…金の為】に、あらゆる所に…もしかしたら「生長の家」の個人相談まで…(微笑)
■■【今日先生の言葉】から、まず!【神の儀に入ることが神の入門】ではと…
少し思えるようになりましたが…私も今回!!
この「先生の言葉」が“的”をうって…いるのかしら〜〜〜〜ン?

此処!九州…雪が降っています。昨日と違って、“積りそう〜〜”にも見えます。
TYO方面は、如何でしょうか…?

■私がTYO在中の頃ですが…?【 或る天気予報の方…】が…
【2月一番寒い時に、大きな地震が来ると…】云っておりました“言葉”…
私の潜在意識の中に入り込んでおりますので…“気になり”ます。
(ネガティブな感情で…ごめんなさい)
……トキ様……皆様 風邪をひかれませんように…

PS:
トキ様でしたら「今日言葉」の解釈どの様に…思われますでしょうか?

1178ハマナス:2012/02/18(土) 20:50:00 ID:u5mC.eb2

ももんが様
役行者様
皆さま

ありがとうございます。
天皇陛下の手術が無事に終わり、ほっと致しました。
皇后様も黒田清子様もどんなにかご心配されてお待ちあそばされたことでしょう。
ご平癒をお祈り申し上げます。

 >世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに
良くなっていきます。

私もそう信じます。
神様の御心のもとで早く生長の家が世界に使命を果たす日が来る事を
信じたいと思います。

感謝合掌

1179ももんが:2012/02/18(土) 20:53:38 ID:XXCuaQns
>>1174
トキ管理人様

トキ管理人様、今日は、晴れていて、大変よかったですが、風が、大変冷たかったですね。いつも、心尽くしの御返事、感謝しております。誠にありがとうございます。合掌、拝。


先日、頂戴した、道元禅師と北条時頼公の下記のお話の件、お答えします。


<< 道元禅師の逸話でしたが、ももんが様のご文章を拝読しえ思い出した事があります。もし間違っていたらごめんなさい。

 確か、道元禅師が鎌倉幕府の執権の北条時頼から招かれた時のエピソードだったと記憶しているのですが、
北条時頼を訪問した時に、北条時頼が手みやげを道元禅師に渡そうとしたら断られたので、随行の弟子に
手渡したそうです。で、永平寺に返ってから、弟子が道元禅師にその手みやげを渡そうとしたら、道元禅師
が激怒し、即座に破門したばかりか、彼がいつも座っていた場所の下の土をも掘り出して遠くに捨てた、と
いう話が記憶にあります。(間違っていたらごめんなさい)>>


トキ管理人様の上記の、お話のとうりで、ございます。

宝治元年に、在家の弟子の波多野義重公の頼みで、時の執権・北条時頼公の招きに応じて鎌倉へ八ヶ月程滞在したそうです。それは、その後のお話です。
道元禅師は、先師・天童如浄禅師の遺言である。
『町中に住んではならない、権力者にもちかづいてはならない、深山幽谷に住み、たたっひとりでもよいから本当の弟子を育てるのだ、禅の道をたやすでないぞ。』

正法眼蔵随聞記を読むと、道元禅師が、天童如浄禅師の事の教えを意かに忠実に守って来た理解できるし、今日の曹洞宗の教えの中でも心に刻みたい教えです。
トキ管理人様。清超先生が職員の皆様に厳しいのは、雅春先生の継承者として常に厳しくあったのでしょね。清超先生と道元禅師が、トキ管理人様のお話から、だぶって、来てしまいした
後、北条時頼公も、禅僧として諸国行脚した逸話があるほどの人です。玄峰老師の本にこんな、詩が載ってました。

『心こそ、心迷わす、心なり、心に心心許すな』

最明寺時頼こと、北条時頼公の詩です。

後、お話変わりまして、別の版にあった、トキ様のお話に、宗教者の香りを感じた、私であります。

<< ただ、最近、ようやく分かったのが、相手を「型」にはめるのではなく、相手の
個性とか人格を伸ばすのが、大切だと思います。生長の家だからこうあるべきだ、
というのではなくて、その人の根底にあるものが生長の家の信仰であれば、自由
であり、平等だと思っています。

 環境がどうの、とか、国家がどうか、という大きな話には正直、あまり関わりが
ありません。死ぬ時には、どうせ裸で死ぬのですから、生長の家という大きな看板
を掲げるのではなくて、一人の人間として、もう一人の人間と接する、という姿勢
でお会いしています。たまたま、早く産まれたり、あるいは早く生長の家に触れた
ので、お世話をさせていただいています。生長の家が真理だとか、他の宗教が悪い
とか、というスタンスではなくて、この信仰を通じて、目の前の人が幸せになって
欲しい、というスタンスで伝道をしております。生長の家は真理ですが、それを
信じている私が生長の家を正しく理解しているとは言えませんから。

 そういう観点から考えると、私は生長の家の事を何も分かっていないし、何も
実践できていない、という事は痛感します。まあ、だから、勉強をしているので
しょう。>>


正しく、トキ様の云わんとしてる処が、宗教者の本質と私も思います。

良く、私は、禅の師から、『何事も成りきり、好きだ、嫌いだ、損だ、徳だと、言わないで、捨て切ることがかんじだよ』と言われました。

トキ様の言葉の中にも、成りきろ、己を捨て様とする、大慈悲心が、感じられました。


大慈悲心=観世音菩薩の心=聖母の心

なんじゃないかと、私は思います。

これ、大変重要な事だと、私は、個人的に、思ってます。

それでは、トキ様、寒いですから、暖かくして、おやすみください、いつも、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1180トキ:2012/02/18(土) 21:01:39 ID:IcchsNRU
>>1176

SAKURA 様

 素晴らしい御文章、ありがとうございました。
少し話題が違いますが、感じた事があります。

 悪い遊びの件ですが、長い人生を考えると、いろいろな体験をした
ほうが良い場合もあります。
 遠山の金さんで有名な北町奉行の遠山影元は若い頃は不良で
遊び歩いていたのですが、そのおかげで庶民の事情に通じるに至り、
よい奉行になったと言われています。
 私の友人で、東京大学の大学院を出た友人が述懐しておりましたが、
若い頃、勉強ばかりしていたので、世間の事がわからず後年苦労をした
と言います。

 そう考えると、生長の家が今、苦労をしているのも、ある意味では
悪い事ではないと思います。

 老婦人と同じく、それを心配し過ぎて、病気になったりするのも
つまらない話だと感じます。

 どうも、少し論点がずれて、ごめんなさい。

1181トキ:2012/02/18(土) 21:05:13 ID:IcchsNRU
>>1179

ももんが様

 わざわざ調べて下さったのですね。恐縮いたします。言った本人が忘れていたのに、
どうもすみませんです。こういう部分は本当に無責任だと自分でも痛感します。

 まあ、私の場合、本当に生長の家の事が全然分かっていないのですから、とても
威張れた話ではありません。単なる居直りです。(笑) 我慢してやって下さい。

 では、寒い日が続きますが、ご自愛下さい。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1182ももんが:2012/02/18(土) 21:24:38 ID:XXCuaQns
役行者様
ハマナス様
皆様


今日も、風が、冷たかったですね。皆様、役行者様、ハマナス様、暖かくされて、いますか?いつも、素晴らしく、お話、ありがとうございます。感謝合掌、拝。



役行者様のお話

<< 世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに良くなっていきます。>>

誠に、その様に感じらる、今日ですね。

こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和解することから始めたら、良くなる様に思います。
結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね。
無意識層を支配するは、難しですね。


それと、ハマナス様の今朝の御文章、とても、素晴らしいですね。感動しました。

<<     先ず自分自身に和解する  (『生活の智慧365章』P.112より)

 どんな不調和な状態が現在その団体にあろうとも、又その家庭にあろうとも、
又人と人との関係にあろうとも、その団体を祝福し、その幹部及びメンバーに
感謝し、その家庭を祝福し、その家族ひとりひとりに完全に感謝し、紛争の
起こっている相手があるならば、その相手の人を神想観の時に祝福し、その相手に
和解と善意と感謝の愛念を送ることにするならば、相互の間は不思議に調和を
取り戻すことができるのである。
 
 原因は環境にあり、又相手側にあると見える時にも実は自分の心の内にあるのである。
紛争や不調和が起こる原因の一番根底には「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。自分自身を嫌悪しているために、それが他の人に移入されて文句を
言いたくなるのである。吾々はもっと度々神想観をして、自分自身を祝福し自分自身に
感謝し、自分自身に和解しなければならない。>>


正しく、そのとうりと、私も思います。何時も、適切な御指導有難うございます。これからも、よろしく、おねがいします。


皆様、天皇陛下、早くご快復される良いですね。
其では、まだ、風は冷たいですから、暖かくして、おやすみください、ありがとうございます!感謝敬白、合掌、拝。

1183ももんが:2012/02/19(日) 06:48:00 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今日も、素晴らしい朝が、やって参りました。今朝も、寒いですが、元気に、明るく、楽しく、生活して参りましょう。ありがとうございます。合掌、拝。

〜『ありがとう』はすばらしい より。抜粋〜

☆この世の中は、コトバで言うことが実現するのであって、それ以外の何ものでもない。だから毎日『ありがとう』『ごくろうさん』『サンキュー』『メルシー』と言っている人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。もちろん一日中『ありがとう』ばかり叫んでいるわけでないから、色々と出て来るが、ムッツリとして黙りこくって、文句ばかり言っている人には、それなりのいやな“注文品”が出てくるの出ある。
さっきコトバと言ったが、それには広い意味だから、表情もコトバだ。笑顔も、会釈も、握手も、キスも、すべてコトバの(行)ななである。犬が尻尾を振るのも、彼らなりの『ありがとう』である。〜谷口清超先生著〜



昨日も、たくさんの人に、挨拶をしました。今日も、清超先生の教えの要に、たくさん、明るいコトバを、振り撒いて行きたいと思う、私です。

それでは、今日も、明るく、楽しく、明るいコトバで、神の子の生活を楽しんで行きましょ!ありがとうございます。合掌、拝。

1184復興G:2012/02/19(日) 06:50:07 ID:ojEbkDH2

皆々様。
ありがとうございます。

 天皇陛下に限りない感謝を捧げ、御平癒を祈念申し上げます。

 さて、現象界はいま、日本の大変な国難の時であり、人類全体の大変動の時でもあり、そして万教帰一の生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動が、ガタガタになってしまいそうな危機の時でもあると思われます。全信徒が本当に初心に還って、新生再出発しなければならないときです。

 前に、1月12日の日経夕刊に和田昭允氏が「明日への話題」欄に「孫子の兵法」について書かれていたのをご紹介しましたが、私は今、
『孫子の至言』(田口佳史著、光文社刊)という本を読んでいます。

 「孫子」と言えば「兵法」──戦争の技術など、争いを良しとしない生長の家とは縁が遠いものかと、以前は勝手に思い込んでいましたが、そうではありませんでした。実に面白い本でした。
 今直面している生長の家の重大課題解決への道を探るのに、とても参考になると思われることが、いっぱいありました。
 孫子の時代というのは中国で紀元前770年から同221年まで550年も続いた春秋・戦国時代。この乱世の時代に、諸子百家と呼ばれるさまざまな思想が生まれました。なぜかと言えば、古い秩序が崩壊し、武力が幅をきかせる乱れた世の中にあって、誰もが平和な未来を希求していたからです。それをいかに創り出していくかが、時代の最重要課題であったのです。そのなかで孫子は、「平和を取り戻すために勝つ」ことを目した兵法書を編纂したのでした。孫子は決して暴力的・好戦的なのではなく、社会がそれほどに厳しい状況にあったということです。
 『孫子』は、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあって、どう戦って勝つか、ということを前提とした戦略を伝える書です。まさに、命がけの戦い。負けは死を意味します。だからこそ、絶対に勝たなければいけないんですね。

 生長の家も、ある意味で今、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあるとも言えるでしょう。だから、『孫子』がとても参考になると思うのです。
 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」
という一文があります。これについて、『孫子の至言』の著者田口佳史氏は、
<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」と言っています。この「察」の字は、下に「示」とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」ということです。
 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。
 どうしても争わなければならないにしても、絶対に勝てるのか、勝つことの意味は何なのか、といったことを熟慮する必要があるでしょう。
 争い事を前にしたら、むやみやたらと戦いに打って出るのは一番の愚策。命を損なう危険も視野に入れて、慎重に考えなければいけないのです。

 ── 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋
<つづく>

1185復興G:2012/02/19(日) 06:50:55 ID:ojEbkDH2

<つづき>
 ── 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋

○百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。(謀攻篇)

 凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ。

「国を全うする」というのは、自国はもちろんのこと、敵国をも無傷のままに勝敗を決することを意味します。
 それが一番上等な戦いで、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃあないというんです。
 どういうことかと言うと、戦争に勝つことは敵国を占領することが前提ですから、被害が大きければ大きいほど復興が大変です。その任を負うのは戦勝国のほうで、「本当に勝ったんだろうか」と思えるくらい、戦後の復興に莫大な費用とエネルギーを要するのです。
 そればかりか、これでもかというくらいの攻撃をすれば、多くの人を殺すことになります。当然、負けた国の人々からものすごい恨みを受けるでしょう。
 だから、敵をこてんぱんにやっつけるのは、上等な勝ち方とは言えないのてす。

○勝ってから戦うのが順序
「勝ってから戦うのが順序ですよ」と言うと、たいていの人はポカンとした顔をします。
 そりゃあそうです、私たちはふつう「勝つために戦う」というふうに、勝ちと戦いをいっしょくたに考えますから。
 けれども、孫子は実際に戦うかどうかは脇に置いて、何よりもまず勝つことを追求することが大事だとしています。
 つまり、戦う以前の問題として、頭脳の限りを尽くして謀攻の策を練り、「よし、絶対に勝てる」というところまで自分を追い込む、ということです。

 勝兵は先づ勝ちて、而る後に戦を求め、
 敗兵は先づ戦ひて、而る後に勝を求む。(形篇)

「戦わずとも、すでに勝ったのも同然」
 という状況をつくり出してから戦う。
 それが、「勝ってから戦う」ことの本意です。
 逆に言えば、「戦ってみなければ、勝てるかどうかわからないよ」という状況では、戦ってはいけないんです。
 この考え方は、人生に降りかかるさまざまな困難を乗り切るための戦術にもつながるでしょう。
 無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから、まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるかをとことん考えて、作戦を練ること。それで「よし、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況をつくってから、行動することが肝要なのです。
 この方法でいけば、多くの場合、実際に戦う前に、問題が解決するはずです。

かつて、松下幸之助さんに「経営者に必要な条件は何ですか?」と質問したら、松下さんは間髪入れずに、
「それは、運が強いことでしょう」
「運を強くするには、どうすればよいのですか?」
「それは、徳を積むことや」
と、明快に答えてくれました。
それが、「戦わずして勝つ」完璧な備えになるのです。>

 ── 以上は、『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋でした。私たちにとっても、すばらしいヒントがあるのではないでしょうか。

1186役行者:2012/02/19(日) 17:28:30 ID:zj01Dmac

 >>1182

 ももんが様


 >こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和 解することから始めたら、良くなる様に思います 結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね 。無意識層を支配するは、難しですね 。<


 道徳の基本であり、宗教の基本であり、また、禅の基本ですね。
 脚下照顧!
 禅の世界においても、一番基本であり、また一番難しい公案ですね。
 すべての諸問題はここに還ると思います。
 深層意識までの和解!
 すばらしい公案をいただきました。
 祈りを深めてまいりとうございます。
 ありがとうございました。

           合掌

1187ももんが:2012/02/20(月) 06:09:04 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、太陽の様に笑いながら、神の子の生活を楽しんで行きましょ!ありがとうございます。合掌、拝。それから、昨晩、役行者様、御言葉ありがとうございます。昨晩は御返事できず申し訳ありませんでした。また、改めて、御言葉の御返事させてもらいます。いつも、心尽くしの言葉ありがとうございます。合掌、拝。


〜日時計主義の生き方より〜


諸君は『日時計』と云うものを見たことがあるか、それは一本の直立せる針と、時間をしるした一枚の盤とでその主要部分が成り立つている。太陽の光線がその直立せる針に落ちると、針は盤面の目盛りの上に影を落とし何時だと判るのである。太陽のない日は時間が判らない。そして自分が見た日時計の盤面きには、こんな標語が、あつた。

“I record none but of sunshine”(吾れ太陽の輝く時刻のみ記録す)


自分はこの標語を『日時計主義』だと云つている。そして『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思いだす。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。〜以下抜粋

月刊生長の家第一号、20㌻より。(谷口雅春先生著)

上の、文章は、最初の生長の家誌に、出ていた文章です。生命の実相以上に、雅春先生の初心を感じながら、いつも、拝読させてもらてます。
日時計日記とまでは、行きませんが、日時計メモをして、『明るいコトバ』書く練習してます。『ありがとう』より、チョト難しです。
昨日は、天皇陛下の御快癒を祈念しながら、心で『ありがとうございます』を唱えながら仕事してました。
皆様、本日も、まだ、まだ、寒いですから、暖かくして、おでかけください、ありがとうございます。合掌、拝。

1188役行者:2012/02/20(月) 08:19:22 ID:/noWjbQE

 復興Gさま
 

 >勝兵は先づ勝ちて、
 而る後に戦を求め。
  敗兵は先づ戦ひて、而る後に勝を求む。(形篇)

  戦わずとも、すでに勝ったのも同然 という状況をつくり出してから戦う。
  それが、「勝ってから戦う」ことの本意です。
  逆に言えば、「戦ってみなければ、勝てるかどう かわからないよ」という状況では、戦ってはいけな いんです 。この考え方は、人生に降りかかるさまざまな困難 を乗り切るための戦術にもつながるでしょう。 無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通 り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるか! をとことん考えて、作戦を練ること。それで「よ し、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況 をつくってから、行動することが肝要なのです。
  この方法でいけば、多くの場合、実際に戦う前 に、問題が解決するはずです 。
 かつて、松下幸之助さんに「経営者に必要なことは 何ですか?」と質問したら、松下さんは間髪入れず に、
  それは、運が強いことでしょう 。
 運を強くするには、どうすればよいのですか?
 それは、徳を積むことや! と、明快に答えてくれました。  それが、「戦わずして勝つ」完璧な備えになるので す。<


 深い公案をいただきまた。

 今回、教団は最高裁にまたもや、上告しました。
 果たして勝てる見込みがあるのでしょうか?勝算があって、挑んでいるのでしょうか?
 

 徳を積むとは、地球を、人類を、隣人を救済してゆくことでしょう。人を陥れることばかり考えていたら、得は積んでも、徳は削られてゆくでしょう。
 果たして今の教団幹部にどれだけ徳を積んでいる方かいるのでしょう。どれだけ多くの人をシアワセにしている方がいるのでしょう。果たして、裁判をする事が徳を積むことなのでしょうか?
 松下幸之助翁が仰るよう、徳を積んではじめて、真に勝つ見込みが出てくるものと思われます。すなわち、戦わずにして勝てるようになれると思うのです。
 これぞまさしく、正真正銘の生命の実相の生き方を行じることでしょう。
 運を開くにはこれしかないと思われます。

 
 一方、本流側の方々なのですが、総裁を追放する!とのスローガンのもと、万が一追放が成功しても、その後、どうするのでしょうか?
 生長の家の今後のグランドデザインをたてているのでしょうか?
 未来永劫に世界の為に貢献していける生長の家の姿を
強く信念までに具象化されているのでしょうか?
 
 
 追放の念は必ず報復を招くでしょう。心の法則です。世界の歴史、日本の歴史を少しでもかじっていれば理解できることなのですが・・・ 
 ですから、私には、たとえ追放されたとしても、報復が報復を呼び、崩壊を招き、多団体に内部から外部からねらい打ちされている姿しか浮かびません。


 やはり、真に勝つとは、ともに生かし合い、助け合う、相互扶助の精神で和解することしかないと思っております。
 そこには生かし生かされる、あらゆる徳が満ちあふれているからです。
 
 いまこそ、双方、無条件降伏の昭和大帝の徳の爪の垢でも煎じて飲むときと存じます。

 いくら格好良く体裁をつくっても、生長の家世論からすればみっともないことバレバレなんです。

 果たして孫子の兵法に照らし合わせて、

>無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通 り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるか! をとことん考えて、作戦を練ること。それで「よ し、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況 をつくってから、行動することが肝要なのです。 <


 どうでしょうか・・・生長の家世論の見方はたぶん、相打ち後、ばらばらと見ているでしょう。 
 そのとき、もうこの掲示板発祥の当時から述べてますが、二手に分かれたエージェントによる最終攻撃が待っているでしょう。彼らには遠大な計画があります。トコトン練られた作戦のもと、赤子の手を捻るよう、ノックダウンされるでしょう。



 生長の家存亡の危機に双方トップの英断だけがあと頼りとなりました。
 双方が生かし生かされている世界を、神々をはじめとして、すべての方々、諸団体が望まれていることと存じます。
 策略に長けている諸団体が見つめるなか、双方、遺された道は徳積みしかなきように思われます。歩み寄るには我を取るしかないと思われます。そして生長の家の運は拓かれ、世界に、人類に貢献出来るようになると思うのです。

          合 掌

1189a hope:2012/02/20(月) 11:42:31 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著

第五章 能力の生かし方

なんでも上手になるには


「あなたは近頃、絵が下手になりましたね。絵が死んでしまっている、生き生きとしたところがない。
幼稚園のときの絵は実に伸び伸びした絵を描いていたのに、それから五年間も学校へいって、
その頃の絵におとるとはどうしたのでしょうね。」

これは或る日おとうさんが、その子供の絵を見て言われた言葉でした。

私はなぜ、この子供の絵が、五カ年間も学校で勉強しながら下手になったかを本(もと)にして、
人間の生き方をいろいろに考えてみたいのです。

この子供の描いた絵が生き生きとしなくなったのは、上手に描こうと思って、
お友だちの描いたものを真似はじめたからなのです。
自分自身が、既に上手であることを忘れてしまったからなのです。
そして他の人は自分よりも上手であると思って、自分の生命を出そうとしないで、
負けてはならない、負けてはならないと心が固く凝りはじめたからです。
心が固くなってしまっては、一本の線を引いても、伸び伸びしたところが出ません。
生き生きとしたところができません。
自分自身の中に持っている佳(よろ)しさが出ないで、他の人の上手を真似たのですから、
真似されたものは、真似されたものよりも下手になるのはきまっているのです。

人真似ばかりするものは、決して人より上手になりません。
自分は「神の子」だと信じて、自分の中に必ず善いものがあるのですから、
それを幼稚園の子供のように、無邪気に素直に出すようにすれば、絵は必ず佳いものとなるのです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


みなさま こんにちは

小さい子どもって、みんな純真だから、「あなたは神の子ですよ」なんて大人が言ってあげなくても、
自分は「神の子」だってちゃんとわかっているんですよね。
だから、生き生きとしたいい絵も描けるし、無我夢中で自然と一体化して遊べたりする。
それが、成長するに従って、周りから評価されたり、理不尽に怒られたりして、
だんだん「神の子」の自覚をなくしていってしまうのですよね。

でも、わたした大人だって、やっぱり「神の子」ですよね!
今朝の神想観では、神さまとぴったりひとつになれた気がします。
「そうだ!わたしにはいつも神さまがついていて下さる。怖いものなんて何にもないじゃん!」
ありがたくて、ありがたくて、またまた、感動の涙を流してしまった、アホの a hope です(笑)。

1190SAKURA:2012/02/20(月) 19:07:00 ID:yTatjic2
トキ様 へ
皆様 へ

【幸福を招く生活365章…】
■「神よ、私はあなたに対して今日約束します」

皆さん、こう云って神様に約束の祈りをして下さい。
「今日より私は、あなたのお力を得て、私の心よりすべての暗黒なるものを、
憎しみや、悲しみや、嫉妬や、人の不幸を喜ぶ心などを綺麗に洗い流して、
再びそのような感情を私の心の中に起こすことなきように誓います。
この誓いが実行出来るようなお力をお添(そ)え下さい。
私はあなたの許しを得て、
私の意志と感情と想念とあなたの中に投げ込みます。
あなたの尊き高き清らかなる意志と想念と感情と我れに流れ入らしめ給え。
わたしの心は既に私のものではありません。
あなた様から与えられ、あなた様に献げられたるものであります。
私は力を尽くしてこの私の心があなた様に捧げられたる目的に
かないますよう聖らかになるよう努力致します。」
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「今日の言葉」当に、“ピッタリ”です…。
きっと「神との融合」が出来ます様に、神にゆだねる“心”
そのものが大事でしょうか…?

今日「T練成道場の方?」からの報告を拝読させていただきまして、
ある面では「マインドコントロ−ル」されていらっしゃいます部分が?
御有りなのでしょうか…? 文面からの“インパクト…”その様にも?
解釈できないことはないのかしら〜〜〜〜ン??と私一個人の感想です。

「研修生…」でいらっしゃいましたのかしら〜〜〜ン??
「文章表現…」本当に難しいです〜〜〜〜〜ネ!
ブレイクしますが…私一個人としては?懐かしい〜〜♫【T道場…】です…

今日「志恩様…」からの投稿文…拝読させていただきながら…
更に皆様方の“投稿文”拝読しながら…感じました事が…??ありまして
文章をしたためましたが〜〜〜〜〜><
随分…悩んだ末にて“投稿”を、ストップ……!!

これは「トキ様宛…」が懸命かしら〜〜ンと?判断致しましたので…【保存ファイル】
後程、私の感じました事を“投稿”させていただこうかしら〜〜ンと思った所存です。


■「今日の言葉…」通りに流れを〜〜〜〜〜〜〜♫見ながら?つくづく〜〜〜
【如何なることも“神様=心”ですから“神様】”にまかせています…。】
必ず!!!いい方向に行くでしょう……!信じます。
【信力…】
                       再合掌


PS:「T道場…」はよく“奉仕活動”させていただきました…。
第三者的に感じました事は…当に“職員中心・研修生中心”の方が…
濃厚に感じ取りました感想です…。(徳久先生・吉田先生…6〜7年前の奉仕活動…etc)
後程…裏側から???の感想をと、思っておりますが……??

>トキ様…本日の言葉?どの様に解釈されましたでしょうか…??

1191復興G:2012/02/20(月) 21:27:48 ID:ojEbkDH2

役行者様。

ありがとうございます。『孫子の至言』に同意してくださって、うれしいです。

>今回、教団は最高裁にまたもや、上告しました。
 果たして勝てる見込みがあるのでしょうか? 勝算があって、挑んでいるのでしょうか?<

 この「勝算」という言葉は、やはり『孫子』から来た言葉ですね。『孫子』には
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<勝ってから戦うためには、現状を把握して勝つ態勢を整えることが重要です。そのためのポイントを、孫子は五つあげています。これらは「五事」と呼ばれるもので、敵と比較するときのポイントである「七計」と合わせて、「五事七計」と言います。>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とあり、「五事」とは「道・天・地・將・法」の五つ。
 一つ目の「道」とは、トップ以下みんなの心が一つになっているかどうか。
 二つ目の「天」とは、天の時、タイミングはどうか。
 三つ目の「地」とは、地の利はどうか。
 四つ目の「將」とは将軍のことで、軍を操る器量があるかどうか。
 五つ目の「法」とは、組織を統制する能力があるかどうか。軍の運営をきちんと制度化し、兵士たちの地位や職務を明確にし、みんながルール通りに動くよう管理する能力が、将軍には求められるということです。
 これら「五事」は組織を強くするために重要なポイントとされています。「五事」に照らし合わせて、自らを正しく評価して強み・弱みを知り、弱いところは強化していく。それができる人は勝ち、できない人は勝てないわけです。
 そして「七計」、七つの視点から考察することを、孫子は勧めています。
 (1)君主は人心を得ているか。
 (2)将軍は有能か。
 (3)天の時・地の利は有利か。
 (4)法令は遵守されているか。
 (5)軍隊は強いか。
 (6)士卒はよく訓練されているか。
 (7)賞罰は公正に行われているか。
 これら七つの視点から、敵と比べて自分たちが勝っているかどうかを分析する。こうして「五事七計」により戦いのシミュレーションをきっちり行えば、戦わなくても勝負はわかるとしています。
 結論として、孫子はこう言う。
 「戦わないうちから廟算(びょうさん)して勝つ者は、五事七計をもとに比較計量して得られた勝算が相手よりも多いからだ」と。
 「廟」とは、日本で言うなら、ご先祖様を祀るお墓でしょう。「廟算」というのはつまり、「ご先祖様に誓って、嘘偽りなく、自分に都合よくなど見ないで公正な目で勝算を測ります」というような意味になる。その「廟算」を厳しく、公平に、かつ入念に行えば、必ずや勝つ。
 逆に、これをいい加減にすると、負ける。
 それが当たり前の法則なんだ、と言うんですね。
 人間には自分に甘いところがあるので、何の根拠もなく、すべてが自分に有利に運ぶと信じて、「大丈夫、勝てる」などと思い込む傾向があります。「廟算」をおろそかにするどころか、まったく勝算ありなしを考えずに戦ってしまうことすらあるでしょう。そんなふうでは、「戦わずして負けた」も同然です。「五事七計」をもって、厳しく公正な目で勝利のシミュレーションをすることこそが、「戦わずして勝つ」ことの基本なのだ、というのです。
 これが「勝算」の語源なのですね。
 勝算がないのに戦うのは無謀というべきなのでしょう。

1192トキ:2012/02/20(月) 21:51:39 ID:kAYDAC5Y
ももんが様

 すばらしい御文章、ありがとうございました。天皇陛下のご快癒の記帳に
参上しました。たくさんの人がお越しになっておられ、感激しました。
 では、これからも宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1193トキ:2012/02/20(月) 21:57:37 ID:kAYDAC5Y
>>1190

 毎朝、起きて神想観をするのですが、その時に祈った事が
日々の生活の中で、ついつい忘れます。その時に忘れない勇気
を智慧を持つのは、自分がなすべきことです。
 自分も反省し、精進を重ねたいと思います。

合掌 ありがとうございます

1194ももんが:2012/02/20(月) 23:12:51 ID:XXCuaQns
>>1186

役行者様

役行者様、いつも、細かいお心遣いの御言葉くださり、ありがとうございます。合掌、拝。

一昨日、素晴らしい御言葉を下されたのに、御返事遅くなりて、恐れいります。

<< >こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和 解することから始めたら、良くなる様に思います 結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね 。無意識層を支配するは、難しですね 。<


 道徳の基本であり、宗教の基本であり、また、禅の基本ですね。
 脚下照顧!
 禅の世界においても、一番基本であり、また一番難しい公案ですね。
 すべての諸問題はここに還ると思います。
 深層意識までの和解!
 すばらしい公案をいただきました。
 祈りを深めてまいりとうございます。
 ありがとうございました。>>

          
上記の様な、御言葉、もったいなです。

何も、“公案”などと、大した文章では、ありませんから、役行者様、皆様の心の片隅に、でも、止め置かれた、幸いと存じます。私も、自分自身、常に実行してみてる事なので、書いてみたのです。

役行者様は、本当に、素晴らしい方ですね。争いを無くそうと、色々と工夫されおらる。きっと、普段も、お心、御平らな方なんでしょね。本当に、色々と、勉強させもらってます。
それでは、春も近いですが、まだ、風が冷たいですから、気おつけてください。感謝敬白、合掌、拝。

1195ももんが:2012/02/20(月) 23:52:46 ID:XXCuaQns
>>1192

トキ管理人様


トキさま、いつも、暖かい御言葉くださり、誠に、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。


<< すばらしい御文章、ありがとうございました。天皇陛下のご快癒の記帳に
参上しました。たくさんの人がお越しになっておられ、感激しました。
 では、これからも宜しくお願いします。>>


誠に、上記の様な、御文章、大変嬉しく思います。


トキ様?掲示板を作ると云う事は、それだけで、大変な“修行”ですね。

毎日、たくさんの人の“愚痴、悪語”を、自分の心で受け止めないといけない。


私には、とても出来ませんよ。


今日も、掲示板をザット見ましたが、皆様、言いたい事を良く、吐き出すなと、思いました。


『生命の実相・第1巻』には、悪いコトバを吐く事を、“人類暗黒化運動”とか、云ってたと記憶してましたが、暗黒化運動に知らず、知らず、協力してしまう事に、ビックリマークです。

私も、気おつけておりますが、難しですね。コトバの使い方て。


トキ様、梅の花も、大分膨らんできました。私は、春を身近に、感じなが、毎日を“ありがとう”を唱えなが、活きる事に、喜びを見いだしてます。
小説、宮本武蔵の最後のコトバに“百尺下の水の深さ”と云うコトバがあり、私は、世間で強く活きる為、人の話にたぶらかされない為の、教訓として、何時も、心に止めてるコトバです。
人の噂より、自分自身と神様を信じる心を、私は、大切にして、毎日を活きてます。

トキ様も、信念を持って、辛い事もあるでしょが、がんばってください。何時も、暖かい御言葉ありがとうございます。おやすみなさい。感謝敬白、合掌、拝。

1196SAKURA:2012/02/21(火) 01:34:59 ID:CiRRllnU
トキ様 へ
>>1193
本日の投稿に関しまして“お返事”ありがとうございます…。

私も…【一日…】神様にお任せして〜〜〜〜
もう!何も考えないようになれますと……?素晴らしい〜〜〜ですネ?
“日々の祈り…”致しますが……
何か??願いをかなえた〜〜いと思っても……
きっと〜きっと〜☆「自然に物事の行動」が現れるのでしょうか……?
私も「神様にお任せ」しまして…
その後!!忘れるぐらい“大海原〜〜♫”どっぷり〜どっぷり〜揺られ“大安心”…
日々…昇進します。

但し…悩みは??「神の叡智」いかにして頂けますでしょうか???                 
再合掌

1197役行者:2012/02/21(火) 03:57:37 ID:rZ75Wp0Q

 合掌

 復興Gさま

 孫子の兵法がこんなにも有意義な内容を示されているとは思ってもみませんでした。
 私だけでなくみなさん、参考になられたことと思います。ありがとうございます。



 >結論として、孫子はこう言う 「戦わないうちから廟算(びょうさん)して勝つ 者は、五事七計をもとに比較計量して得られた勝算 が相手よりも多いからだ」と 。
 廟とは、日本で言うなら、ご先祖様を祀るお 墓でしょう。「廟算」というのはつまり、「ご先祖 様に誓って、嘘偽りなく、自分に都合よくなど見な いで公正な目で勝算を測ります」というような意味 になる。
 その「廟算」を厳しく、公平に、かつ入念 に行えば、必ずや勝つ。
  逆に、これをいい加減にすると、負ける。 
  それが当たり前の法則なんだ、と言うんですね 。人間には自分に甘いところがあるので、何の根拠 もなく、すべてが自分に有利に運ぶと信じて、「大 丈夫、勝てる」などと思い込む傾向があります 。
 「廟算」をおろそかにするどころか、まったく勝算 ありなしを考えずに戦ってしまうことすらあるで しょう。そんなふうでは、「戦わずして負けた」も 同然です。「五事七計」をもって、厳しく公正な目 で勝利のシミュレーションをすることこそが、「戦 わずして勝つ」ことの基本なのだ、というのです。
  これが「勝算」の語源なのですね 勝算がないのに戦うのは無謀というべきなので しょう <


 またまた、戦国武将になった気持ちです。勉強になります。
 孫子の兵法はいまでも十分に通用するのですね。
 廟算ですか・・・はじめて耳にした言葉です。
 三国志を読んでもそうですね。常に沈着冷静で、ご先祖様との対話を欠かさない方々が勝利を得てますね。
 いま現在、まわりの状況を、ご先祖様の霊前にて冷静に見つめるものに勝算あり!ですね。
 五事七計、心に深く留めておきます。

          敬 具

1198ももんが:2012/02/21(火) 05:46:37 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も素晴らしい朝が、やって参りました。さあ、今日も嬉しく、楽しく、明るく、素晴らしいコトバで世の中を光の世界にして行きましょ!ありがとうございます。合掌、拝。


〜明るい未来を思え〜

物事の光明面を見て、明るく伸々と、たのしく生活し、さらに伝道などして『よいこと』をしていると、必ず『よいこと』が起こり、思いが叶い、どこからともなくポッカリと幸運が舞い込んで来るのである。それ故、多くの人々がこのように『神の子・人間』を信じ、ありがとう“日時計主義の生活”をやるようになることが、日本の運命をよくし、豊かにし、平和にする唯一最高の道であると言うことが出来る。

〜谷口清超先生著・『ありがとう』はすばらしい・より 〜


昨日も、たくさんの方に『おはよう』『ありがとう』とコトバを交わしました。“掲示板の世界”では、まだ、まだ、ですが、外の世界では、皆様、挨拶するだけで、嬉しくなるのが、伝わるようです。花の蕾も大分膨らんで、春は、すぐそばに、来てます。

それでは、皆様、春を楽しみに待ちながら、今日も、嬉しく、楽しく、明るく、お過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝

1199復興G:2012/02/21(火) 06:46:35 ID:ojEbkDH2

役行者様。

>>1197 は、午前03:57:37の書き込みですね。
日本の行方・生長の家教団の行方が気にかかり目がさえて眠れない「耿耿(こうこう)の言」でしょうか。

 『孫子』について、もう少し。

 武田信玄の有名な「風林火山」という言葉の原典も、『孫子』の「軍爭篇」に出てくるんですね。
 「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。」
 ──これは、神想観から出てくる自由自在の境地のように思えます。また、

 「自ら反して(かえりみて)縮(なお)ければ千萬人と雖も吾往かん」(自分にやましいところがなければ、たとえ千万人が束になってかかってきても、恐れずに立ち向かう)という言葉も、『孫子』(公孫丑上)に出てくる言葉だと知りました。そして

 「始めは処女の如く、終りは脱兎の如し」などといわれる慣用句も、『孫子』(九地篇)に
 「始めは處女の如し、敵人戸を開く。後(のち)は脱兎の如し、敵拒(ふせ)ぐに及ばず」とあるのが出所なのでした。初めのうちは弱々しく見せて戸を開かせ、いざ攻める段になったら、逃げる兎のような速さでダーッと攻め込む。敵はもはや防ぐ術もない、というのですね。

<最初からぐいぐい攻めていくと、敵は防ぎようもありますが、弱々しく見せかけておけば敵も慢心する。そこにつけこむのが、緒戦をモノにする鉄則でもある。ビジネスや人生でもそう。「能ある鷹は爪を隠す」「弱い犬ほど吠える」。本当に強い人・強い組織というのは、周囲にやたらと力を見せつけるようなことはしない。むしろ弱そうに見せておいて、ここぞのときに力を発揮するものです>

 と、『孫子の至言』の著者は解説しています。

 ところで、何よりも基本は
 “戦いは、「生きるか死ぬか」の瀬戸際なのだから、軽々しく戦うな”
 ということであるのを、肝に銘じたい。

 「百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり」。
 ──百回戦って百回勝つなんてことは、「善の善」じゃない。むしろ、非常に危ういんだ。
 「凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ」。──一番上等な戦いは、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃない、ということです。

 私たちは今まで、孫子の兵法に照らしても、まったく下手な無謀な争いをしてきたのではなかったか。今までのようなことをこれからも続けたら、世人から

 御教えの、(ヨッ)継承を、
 前面に出して運動し、(ヨッ)
 斬って斬って斬りまくり(ハッ)
 生命に(ヨッ)弔辞おば(ヨッ)
 宣べてるばかりの、運動よ(ヨッ)
 なんてーの?その団体?
 「生弔の家と申します」
 ヨー、オッペケペオッペケペオッペケペポーペッポッポー♪

と、あざ笑われることになりかねません。
そんな悲しいことにならないようにしなければなりません。

 孫子の兵法には、人生の指針として今も活用できるものがあるようです。

1200役行者:2012/02/21(火) 07:46:33 ID:rZ75Wp0Q
 合掌

 復興Gさま

>
 >>1197 は、午前03:57:37の書き込みですね 日本の行方・生長の家教団の行方が気にかかり目が さえて眠れない「耿耿(こうこう)の言」でしょう か<


 これねぇ、そんな格好いいものでなく、早く寝過ぎました(^^;)

 孫子の兵法、是非、人生の指針とさせていただきます。

1201役行者:2012/02/21(火) 08:00:54 ID:rZ75Wp0Q
 合掌

 ももんが様

 お褒めいただき、恐縮です。

 善し悪しは別にして、人は前世から引き続き請け負った業、ご先祖様の業、そして、今生で培ってきた自分の生き様が今の環境となってあらわれていると存じます。
 ひとそれぞれの宿命があり、その環境で切磋琢磨するなか、やがて水中を遊泳するが如く使命を邁進できる日がやってくるのでしょう。
 孫子の兵法の五事七計ではないですが、天の時、地の利、人の和の満ちたときが、その使命を成就する時と信じております。

 いまは内に大いなる夢を秘め、諸学を学びなから、サラリーをもらって生業している方々の心の機微やはからいも日々精進の糧として、自己研鑽中でございます。
 なぜかそれが結構、楽しいのです。

1202a hope:2012/02/21(火) 09:47:33 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

素直に無邪気に


同じことをお父さんに言っても、叱られる場合と、叱られぬ場合とがあります。
なぜそうなるかを考えてみたことがありますか。

それはお父さんの御機嫌の好い時は叱られないで、お父さんの御機嫌の悪い時は叱られるのだとお考えになりますか。
必ずしもそうばかりではありませんよ。素直に無邪気に物が言えた時には、
その人の眼の色にも、顔つきにも、言葉つきにも、明るい、生き生きとした、
伸び伸びといたところがでているから、その眼の色を見、顔を見、言葉を聞くと快い気持ちになって叱れなくなるのです。

同じ人でも、無邪気で素直であるときと、無邪気で素直でない時とは、こうも形にあらわれ方が異うのですよ。
言葉、形、さては一本の線を引くのだって、無邪気に素直に自分の本物を出すようにすれば、
皆から喜ばれるのです。入学試験を受けるコツもこれですよ。
無邪気にやれば覚えただけでは皆出てくるが、無邪気な素直な心を出せないで、
恐れていると、憶えているのまで忘れてしまって、出て来ないことがあります。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま おはようがざいます。

わたしの住むところでは、梅の花がだいぶ咲いてきましたよ。
わたしのウォーキングコースに、とても立派な緋寒桜の樹があって、
その桜のつぼみも、日に日に大きくなっています。
みなさま、春はもうすぐですね!

他の板に、「春らんまん」さまという名前のお方が書き込みして下さっていますね。
名前を見ただけで、心が明るくなりました。
春らんまんさま、たくさんの貴重な情報をありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、わたしはこれからお出かけです。
わたしの大切な「生長の家」みなさま、今日も素敵な一日をお過ごしください!

1203復興G:2012/02/21(火) 11:45:41 ID:ojEbkDH2

役行者さま。

 私は今、
 「中心帰一」
 「中心者にハイ」
 ということについて、真剣に考えています。

 役行者様が、
 <中心帰一とは、身の安全を守るため、媚びへつらい、右向け右!のことをいうのでしょうか。>
 と書かれたことをめぐり、「本流対策室」板<1619>で
<生長の家を支えるものは「中心帰一」であり、そして生長の家をおかしくするのもまた「中心帰一」であると、ずっと思ってきました。>という「靖国見真会」参加者さまのコメントを紹介され、
 「中心帰一とは何か! 諸共集い、話し合う時期が到来してきているようです。」
 と書かれていました。

 その「中心帰一とは何か」です!

 『實相研鑽』という本があります。
 かつて、谷口雅春先生の元で「實相研鑽会」というのが毎月1回行われ、東京都の地方講師たちが集まって真理実践の体験発表や質疑応答をし、谷口雅春先生の御結語を頂いていました。その記録が『生長の家』誌に掲載され、まとめて3冊の単行本として日本教文社から発行されたものです。その第一集の最初に、

 「妻が夫にハイと言う限界について」というタイトルで昭和35年4月24日の研鑽会記録が収録されています。
 その内容をかいつまんでご紹介します。

 U講師が、白鳩誌友会で質問を受けた。質問者は家が商売していて、夫は消極的で商売が下手である。妻がするとうまくいく。ところが生長の家では「夫にハイ」と従うべきだと教えられた。それで自分は間違っていたと責めていたら病気になってしまった。
 「これからは何でも夫の言うとおりにしなければならないと思ってやっていると、夫から商売のことを相談される。“私はあなたの言うとおりハイと従いますから”と言って、何も言わないでいると、夫はそれじゃ心細い、困るなあと言われる。」それでまた迷って、「夫にハイというのは、どこまでがハイで、どこからハイと言わなくてもよいのでしょうか」と聞かれた。──そういう問題提起から始まり、いろいろな講師が意見を述べます。

 H講師は、同年3月白鳩大会での谷口輝子先生のお話として、K夫人が夫に胎児を堕ろせと言われた。それにハイと従ったら、夫に殺人の罪を犯させることになるから、従うわけにはまいりません、離縁していただきますと言った。それはわがままではなく神を愛し夫を愛する真心から出た言葉であったので、夫は妻のまごころがわかって、「生むことにしようよ」と言われた──というお話です。それで輝子先生に「もう一度お言葉を」とお願いされ、輝子先生もお答えになっています。

 さて谷口雅春先生の御結語は──
 これは、原文のまま謹写させて頂きます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   実相の夫に従う

 谷ロ雅春 梅津さんの言われた、商売の不得手な夫が奥さんに「この商売どうしたらいいのか、お前ひとつ教えてくれ」といわれるのに「私はもうハイの精神で、夫の言うことにばかり従うんだからもう私の意見は言いません」というのは、ハイじゃないと思いますね。夫は「教えてくれ」と言ってるんだから「ハイ」と言って教えたらいいんだろうと思いますがね。これはむしろ夫に対して反抗的に「もう何だって私の意見を言うものか」というような気持になっているのであって、素直に教えないのは本当じゃないと思います。
 夫に素直に従うということは、夫を神としてですね、実相の本当の夫に従うということでなければならないわけで、夫をいかに神として信頼しているか否か、という根本が定まらなければいかんと思うんですよ。その根本が定まらないところに、「夫はときどき間違うものである、夫は時には“泥坊せよ”とも言うものである。言うかもしれんのであるが、それに従ってもいいのであるか」という考えが起る。それは、すでに妻が夫の完全な実相を見ていないことである。だから妻の観る通りに夫が現れるということになって、やはり夫に“迷い”が現れる。そこでその“迷い”(の夫)の言う通りに従ったら、(正しい)夫の言う通りに従っているのでなくて、自分の迷いが夫に映ったその迷いを聴いて従っているのであって、自分で“自分の迷い”に従っているということになるわけです。
 だから先ず根本的に、夫を神の子として尊敬して、夫の実相を喚び出さなければいかんわけです。そしたら夫は悪いことは言わんわけですよ。「おまえ間男せい。わしはお前嫌いになったから、間男せい」なんていったって、ハイと素直に従うて「間男して来ようか」と、そんな馬鹿なことはないのですね。本当の夫はそんなこと言うもんじゃないということを、根本的に実相を拝んで実相の完全さを引出した上で、夫の要求を聴いて素直に従う、というのであれば間違いないと思うわけですよ。
<つづく>

1204復興G:2012/02/21(火) 11:46:25 ID:ojEbkDH2

實相研鑽会「妻が夫にハイと言う限界について」
谷口雅春先生御結語の<つづき>

   夫の実相を喚び出す

 それから“夫が堕胎せよという、いやなら離婚する”というK婦人の話の場合、夫は必ずしも堕胎せよと言ってやしないんです。「堕胎するか離婚するか、どちらか二つのうち一つを選べ」と言っている。そうでしょう。だから、どっちが本当に夫の実相が呼びかけているのか、ということを聴かなくちゃいかんと思うのですよ。
 そうすると、夫の実相は神なんですから、神ならどう言うか。神なら“おろせ”とは言わん。そしたら、神のみに従うということが夫の実相に従うことになるわけだから、「それでは離婚さしていただきます」と素直に言って夫の実相の声に従う。「堕胎いたしません」と言うのも、夫の本当の声に従ったのですよ。その本当の夫の声に従ったから、夫は“もうこの妻を離婚する必要はない”と自然に実相が発露したというわけで、妻が夫の実相を喚び出さなくちゃいかんですよ。実相を喚び出さないで迷いを喚び出して迷いに従っていながら、「夫に素直に従っているんだ」と言うのは、根本的に間違っていると思います。だから、“神に従うことが即ち夫に従うことである”と完全に一致することになるわけであります。(拍手)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 上記は、私たち信徒が生長の家総裁に「ハイ」と従う場合にも、ヒントになることであると私は思っています。

 生長の家は、原理主義ではない。真理の中心部分は変わらないけれども、周縁部分は時代環境に応じて変わらなければならない、と総裁がおっしゃるのはその通りだと思います。しかし、総裁は神であるならば、真理の中心部分までも変えてしまうような説き方を、神がされるはずはない。生長の家の教えの中心は、現象はあるように見えても、本来無い。影に過ぎない。実相、完全円満な神のみが実在する、ということでしょう。「真理への道はただ一つ、人間は神の子であるということである」。神の子であるとは、イエス・キリストと同じ尊い存在であり、神であるということなんですね。その神以外に何も無い、ということが教えの中心なのですね。完全円満なる神なる総裁が「実相なんか有るか無いかわからない、そんなことはどうでもよい」などとおっしゃるはずはない。もしそんなことをおっしゃったら、私は「離縁していただきます」と申し上げるでしょう。
 雅宣総裁は、「私は神ではない。私の言葉は私の言葉であって、神の言葉ではないから、私の書いたものは聖典と呼ぶな」とおっしゃいました。それでも、やはりすべては神なのだから、総裁のお言葉は神のお言葉であると考えなければならないと、私は思ってきました。しかし、上記『實相研鑽』の谷口雅春先生のお言葉を読むと、これは大変むずかしい公案を与えられていると思わざるを得ない現在です。

 生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。現象界に出てきた本には誤植もありえますし、科学的知見などは時代的に合わなくなっていることもありましょう。それでも、根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。

1205「訊け」管理人:2012/02/21(火) 12:00:50 ID:???

>復興Gさま

『實相研鑽』・・・・・すばらしい御本でありますね。
 感動しております。ブログで使用させては頂けないでしょうか。

 いつも的を射たご投稿をありがとうございます。

1206ハマナス:2012/02/21(火) 12:31:06 ID:u5mC.eb2

皆さま、ありがとうございます。
今日は暖かく、太陽が光り輝いています。
春の気配を感じます。

ももんが様
いつも素晴らしい御文章をありがとうございます。
>何時も、適切な御指導有難うございます。

とんでもございません。こちらこそ、いつも素晴らしいご指導をありがとうございます。
感謝しております。

役行者様
勇気のあるご発言、そして素晴らしいご投稿をありがとうございます。

復興G様
『實相研鑽』からの広範囲に渡る素晴らしいご文章をありがとうございました。
3冊あると思いますが、何冊目でしょうか。

雅春先生のご文章をじっくりと読み、なるほど思させて頂きました。

感謝いたします。

1207ハマナス:2012/02/21(火) 13:10:35 ID:u5mC.eb2

皆さま、ありがとうございます。

       自 分 を 祝 福 す る  (『生活の智慧365章』P.113より)

 自他を祝福するとは、自他の内にやどる「神なるもの」を認めて礼拝することである。
自分も彼もみな「神の素晴らしい自己顕現」であることをみとめ、心で讃(ほ)め、
喚(よ)び出し、その真理を引出すことである。先ず自分自身を祝福することなしに、
他の人々本当に祝福することはできない。吾々は先ず自分自身を祝福し、讃歎し自分
自身の神性を引き出さなければならないのである。その行事が神想観である。

 神想観によって自分の実相が”神の子”であり、完全円満であることを観じて、実相の
完全さを祝福し、讃歎した後に、現象的にも自分の生活に一寸(ちょっと)でも善いこと
をしたことがあれば、それを一々想い出して自分自身を「お前はこんな善いことをした
善い人間である」と讃めてやるのがよいのである。それは恰も(あたかも)学童の
成績を挙げるために、その答案の中に一寸でもある「正しい回答」に◎(にじゅうまる)
をつけて讃めて、その内部の能力を引き出してやるが如くにである。
「お前はあの人の罪を赦した。お前は神の子で愛ふかく寛大である」という風に
讃めるのである。


復興G様
『實相研鑽』第一集の最初でしたね。
失礼致しました。

1208復興G:2012/02/21(火) 18:26:08 ID:ojEbkDH2

 谷口雅春先生著『光明法語』7月3日の法語に、『「ハイ」の無限力』というお言葉があります。「ハイ」は、使命感に対する決意である、と書かれていて、人の言葉に「ハイ」と奴隷のように従えとは書かれていません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  七月三日の法語 「ハイ」の無限力

 最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。それは「ハイ」の一語である。一切の行為は「ハイ」にて動き、一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。然してこれを実行せよ。然らば必ず成就せん。「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、「ハイ」の決意にてその困難は斫り拓かれ、坦々たる大道となる。「ハイ」は汝を自由ならしめる。「ハイ」は実相その儘である。

  七月四日の法語 「否定」の威力

 「ハイ」に対立する最も簡単にして最も偉大なる力は、「否!」である。汝病気ならんか、「否!」と断じて言うべし。病いすなわち必ず癒えん。汝に不幸来らんか。「否!」と言うべし。如何なる不幸も汝を傷つける事は出来ない。最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。かかる人には如何なる不幸も近づく事が出来ない。世界は如何なる「幸福」でも「不幸」でも自由に販売しているところの百貨店だと言える。それを求める貨幣は「決意」である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 谷口雅春先生は、「皆さんが谷口雅春である」と、くり返しおっしゃいました。信徒一人一人が、今こそこのお言葉をしっかりと戴き、「内なる法燈継承」をして、使命感に「ハイ」と決意して起ち上がりましょう。

1209SAKURA:2012/02/21(火) 20:37:31 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
こんばんは……

【幸福を招く365章…】
■天地一切のものを祝福せよ

朝めざめたならば、神想観を行い、
「神の生命われに流れ入りて、わが生命を健かならしめ給う」と
念じつつ呼吸を整え、更に「神の愛われに流れ入りて、光明燦然と輝き給い、
われを通して天地一切のものを祝福したまう」
と云う思念を繰返すことは、天地一切のものと和解することを
如実に実践する上にきわめて善き方法である。
一切の不幸と病いは、自己が天地一切のものと和解していないで、
ある程度又は或る意味に於て敵対状態にあるから生ずるのである。
然るに上記のような思念を行うときには心の中に、
こちらから積極的に天地一切のものと和解する以上に、
天地一切のものを祝福することになるのである。
                          (谷口雅春著)


毎朝起きますと「神想観…」します時、必ず「世界平和の祈り」を何度も思念します。
ペットに食事させる時も、きちんとおすわりさせて「世界平和の祈り」をします。
おとなしいぐらい“ジ〜〜〜〜〜〜ッ”としておりますが…
かわいいものです〜〜〜ョ???(飼い主の自己満足?ウフフ)

現在!起きています全ての事は?
【天地一切に感謝が足りない!!】と…解釈すべきかもしれませんが…?
現状!私自身の問題を、受け止めて「神想観=瞑想=イメ−ジ」を何度も〜〜♫
繰り返すことによって…今の現状から【脱皮作戦??】出来ると“確信”…!!

■その前に【感謝する事…】なのでしょうか……???

ついつい??「イヤ〜〜ナ人に感謝?」〜〜〜難しいです…ネ!
【言葉の力】で、“思念集中”すればいいのでしょうかしら〜〜〜ン?
何も考えずに、取り越苦労をなくせば……
もしかして?もしかして?…【天地一切のものに感謝】が…倍増!!出来るかも?

今の私は……【吸血鬼・ゾンビ達…】に関わりたくな〜〜〜〜イ!のに…
今日も又!!「いや〜〜なアクシデント」に会い…
このような人達との“考え方”に、どうしても“調和?”が…><
余り〜〜〜募りますと、此方の方が、精神的に参ってしまいますしが…?

なるべく考えない!潜在意識に入れ込まない!これを自己訓練しまして、
【前向きにイメ−ジ】しまして、「いや〜〜な人」を…
心の映画館…“スクリ−ン”上…奥〜〜〜奥〜〜〜遥か彼方??
“追いやる事を、イメ−ジ化”してみますと…意外と「効果…」が?? ウフフ

「今日の言葉」……
私に取りまして「心の浄化」が、難しい〜〜〜課題かしら〜〜ン?
これを乗り越えませんと…次なる“課題”への挑戦が…出来ないのかもしれませんネ
【次のステップ・…】その前の…

                                 再合掌
PS:
>トキ様へ
今日の“言葉…”どの様に“解釈”されますでしょうか…?
そして。。。なかなか“感謝”する事が難しい対象の時は…どのように“クリア”?
すべきでしょうか……“アドバイス”頂けますと幸いです…。

1210トキ:2012/02/21(火) 21:47:26 ID:gmzgHWjw
 毎朝起きて、すぐに神想観をするのが日課になっているので、
かえって返答が難しいです。でも、好きでやるのが一番いいと思っています。
続けている中で、見つかるものがあります。これは、自分で見つけるしか
ないかもしれません。

 感謝できない、と考えるよりも、先に進んだ方がいいと思っています。
そのうちに、生長すると、感謝できる自分がいるのに気がつきます。

・・・・と思っていますが、先達のみなさまのご返答をお待ちしております。

1211ももんが:2012/02/22(水) 00:10:05 ID:XXCuaQns
トキ様
役行者様
ハマナス様
復興G様
『訊け』様
SAKURA様


トキ様、役行者様、ハマナス様、復興G様、『訊け』様、SAKURA様の、皆様、こんばわ。そして、素晴らしい、御投稿文、ありがとうございます。合掌、拝。


今日特に、心に止まりましたのは、復興G様の、役行者様へ御投稿文で『実相研鑽』の御文章です。

特に、ここの文章は素晴らしいですね。
<< 夫に素直に従うということは、夫を神としてですね、実相の本当の夫に従うということでなければならないわけで、夫をいかに神として信頼しているか否か、という根本が定まらなければいかんと思うんですよ。その根本が定まらないところに、「夫はときどき間違うものである、夫は時には“泥坊せよ”とも言うものである。言うかもしれんのであるが、それに従ってもいいのであるか」という考えが起る。それは、すでに妻が夫の完全な実相を見ていないことである。だから妻の観る通りに夫が現れるということになって、やはり夫に“迷い”が現れる。そこでその“迷い”(の夫)の言う通りに従ったら、(正しい)夫の言う通りに従っているのでなくて、自分の迷いが夫に映ったその迷いを聴いて従っているのであって、自分で“自分の迷い”に従っているということになるわけです。
 だから先ず根本的に、夫を神の子として尊敬して、夫の実相を喚び出さなければいかんわけです。そしたら夫は悪いことは言わんわけですよ。「おまえ間男せい。わしはお前嫌いになったから、間男せい」なんていったって、ハイと素直に従うて「間男して来ようか」と、そんな馬鹿なことはないのですね。本当の夫はそんなこと言うもんじゃないということを、根本的に実相を拝んで実相の完全さを引出した上で、夫の要求を聴いて素直に従う、というのであれば間違いないと思うわけですよ。>>


『夫の間違いは、妻の心の影だから、実相を信じんて祈りて、夫の実相をよびだす』ことが、大切と、言うことは、我々は、『悪』を念ずる事をしては、いけないないという、雅春先生の、基本的な教えが、ここでも、説かれていますね。

イエスの説く

“汝の滴を愛せよ”の根本的な神の教えであると、いえますね。
誠に、素晴らしい、教えありがとうございます。復興G様。


それと、次のコメントは、良かったです。

<< 生長の家は、原理主義ではない。真理の中心部分は変わらないけれども、周縁部分は時代環境に応じて変わらなければならない、と総裁がおっしゃるのはその通りだと思います。しかし、総裁は神であるならば、真理の中心部分までも変えてしまうような説き方を、神がされるはずはない。生長の家の教えの中心は、現象はあるように見えても、本来無い。影に過ぎない。実相、完全円満な神のみが実在する、ということでしょう。「真理への道はただ一つ、人間は神の子であるということである」。神の子であるとは、イエス・キリストと同じ尊い存在であり、神であるということなんですね。その神以外に何も無い、ということが教えの中心なのですね。完全円満なる神なる総裁が「実相なんか有るか無いかわからない、そんなことはどうでもよい」などとおっしゃるはずはない。もしそんなことをおっしゃったら、私は「離縁していただきます」と申し上げるでしょう。
 雅宣総裁は、「私は神ではない。私の言葉は私の言葉であって、神の言葉ではないから、私の書いたものは聖典と呼ぶな」とおっしゃいました。それでも、やはりすべては神なのだから、総裁のお言葉は神のお言葉であると考えなければならないと、私は思ってきました。しかし、上記『實相研鑽』の谷口雅春先生のお言葉を読むと、これは大変むずかしい公案を与えられていると思わざるを得ない現在です。

 生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。現象界に出てきた本には誤植もありえますし、科学的知見などは時代的に合わなくなっていることもありましょう。それでも、根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。>>


私も、復興G様と同じく確かに『生命の実相』の実例が時代に合わない(私の場合は遅れて来てる感じる箇所がある)全く同感です。
だからと、云って、『生命の実相』捨てる様な真似は私もしてほしくありません。復興G様は、離縁と言われ辺りは、本流派の様な、執着心の塊が無いのが、素晴らしいですね。私も見習いたいです。


〜つづく

1212ももんが:2012/02/22(水) 00:15:23 ID:XXCuaQns
それから、役行者様のこの御文章が、素晴らしかったです。

<< 善し悪しは別にして、人は前世から引き続き請け負った業、ご先祖様の業、そして、今生で培ってきた自分の生き様が今の環境となってあらわれていると存じます。
 ひとそれぞれの宿命があり、その環境で切磋琢磨するなか、やがて水中を遊泳するが如く使命を邁進できる日がやってくるのでしょう。>>

まさしく、そのとうりですね。無意識ですが、前世の業は、引きずつてますね。神様の宿題なんですよね。

それから、ハマナス様も、素晴らしいコトバを教えてくださり、いつもありがとうございます。感謝です。
<<       自 分 を 祝 福 す る  (『生活の智慧365章』P.113より)

 自他を祝福するとは、自他の内にやどる「神なるもの」を認めて礼拝することである。
自分も彼もみな「神の素晴らしい自己顕現」であることをみとめ、心で讃(ほ)め、
喚(よ)び出し、その真理を引出すことである。先ず自分自身を祝福することなしに、
他の人々本当に祝福することはできない。吾々は先ず自分自身を祝福し、讃歎し自分
自身の神性を引き出さなければならないのである。その行事が神想観である。

 神想観によって自分の実相が”神の子”であり、完全円満であることを観じて、実相の
完全さを祝福し、讃歎した後に、現象的にも自分の生活に一寸(ちょっと)でも善いこと
をしたことがあれば、それを一々想い出して自分自身を「お前はこんな善いことをした
善い人間である」と讃めてやるのがよいのである。それは恰も(あたかも)学童の
成績を挙げるために、その答案の中に一寸でもある「正しい回答」に◎(にじゅうまる)
をつけて讃めて、その内部の能力を引き出してやるが如くにである。
「お前はあの人の罪を赦した。お前は神の子で愛ふかく寛大である」という風に
讃めるのである。>>


自分の実相を拝む事を、するのが、一番大切なことですね。許すて、たくさん、賛嘆や、明るいコトバを使い続けると、出来るように、成ってきますね。これも、ハマナス様が教えてくだされた、お陰です。ありがとうございます。ハマナス様。


トキ様、『訊け』様、SAKURA様の御文章も読ませてもらいました。大変勉強になりました。

トキ様、本流派の人々特異のパフォーマンスな言動に、耐えて、心強く、がんばってください。いつも、細かい、心使いに感謝して、おります。それでは、皆様、おやすみなさい。感謝敬白、合掌、拝。

1213役行者:2012/02/22(水) 08:35:29 ID:EKrK1Cn.

 ももんが様

 復興Gさまのコメント内容を分かりやすいようにコンパクトに纏めてくださいまして、ありがとうございます。
 中心帰一の教えをより深く理解できました。
また、


 >>生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記され ています。現象界に出てきた本には誤植もありえま すし、科学的知見などは時代的に合わなくなってい ることもありましょう。
 それでも、根本真理の神の 波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の 實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生 命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いませ ん。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から 神さまが無くなることになるので、私は離縁してい ただきます。>>


 との復興Gさまのコメントに対して、ももんが様は、


 >私も、復興G様と同じく確かに『生命の実相』の実 例が時代に合わない(私の場合は遅れて来てる感じ る箇所がある)全く同感です。
  だからと、云って、『生命の実相』を捨てる様な真似 は私もしてほしくありません。<

 と感想を述べられております。
 まったくもって、異議はございません。

        合掌

1214ももんが:2012/02/22(水) 09:08:23 ID:XXCuaQns
皆様、お早うございます。今日も、素晴らしい朝ですね。お日様が、ニコニコ照り輝います。さあ、今日も、嬉しく、楽しく、明るく、素晴らしい日にしていきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。(^_^)
今月号の『いのちの環』の記事から、抜粋しました。
〜『良人(おっと)やこどもの実相をみましょう。より〜


ただ善なる子供のみ実在であり、乱暴なる子供や、不良の子供や、精神薄弱の子供や、病弱な子供は無いのである。もし自分の子供がそのような不完全な子供にみえるならば、それは両親が実相の完全さを見る力が足りないか、力があっても、その力を子供の『実相』の完全さ』を見る方に集中しないからである。毎夜子供が眠りについた直後、両親または少なくも一方の親は、子供の枕頭に端坐、神想観して、『自分の子供は神の子であってあらゆる点において完全であり、健全である』と念じ、自分の子供が『神の生命』そのものであって光明燦然と光を放っている実相を瞑目せる眼底にハッキリ描いて一回二十分宛心の眼で見詰めるようにするようにするがよい。やがて念ずる通りあなたの子供は凡ゆる点に完全に、健全に成長して行くに相違ない。
(谷口雅春・『新版 女性の幸福365章』369㌻)



昨日の、復興G様、ハマナス様の言われて、いた事と同じような事が、書いてありました。

それは、

どんな、憎い人、悪人と思える人であっても『完全円満な、人間の実相を拝む、祈る』

そして、現象として悪言葉や行いを、成るべく、しないように、して行く事こそが、『神の子の道』であり『神の子の生活』であると、このこの、雅春先生の御文章からも、勉強させてもらっうことが、できました。少し前、生意気に書きました。道元禅師の『正法眼蔵・仏性』とも、通じる、世界観が、そこにはあると、私は、思い、本日は、『四無量心を行ずる神想観』と和解の祈りと、世界平和の祈りと、天皇様御快癒祈願もしまた。


皆様、大分暖かくなりました。外へ出ると、梅の花も膨らんで春は笑顔で、皆様の笑顔を待っています。今日も明るく、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

1215ももんが:2012/02/22(水) 09:49:15 ID:XXCuaQns
>>1213

役行者様


お早うございます。役行者様。朝から、御文章を賛嘆して、頂き、大変嬉しく感じております。感謝敬白、合掌、拝(^_^)


役行者様の、賛嘆するコトバの力で、私の心も、明るく成っていますよ。役行者様は、神の子道を実践されて大変に素晴らしいです。本当に勉強になります。ありがとうございます。合掌。


話は、変わりますが、『生命の実相』で、私が、読んでいて、時代に合わない実例もあると言ったは、けして、悪い意味じゃありません。いまの、医学にしても、身近な、生活の常識にしても、既に『生命の実相』の中身が、普通に、或いは、それ以上に、常識的に浸透していたり、高度に成ってるな?私的には、感じる事が、実生活においてあるからです。


だからて、『生命の実相』を読まないわけでは、ないのです。生命の実相は、読む事で、心が洗われる、現れるように感じますから、やはり、良い本です。

では、役行者様、此からも、素晴らしい、教えで、御導きください。宜しくお願いします。いつも、感謝です、感謝敬白、合掌、拝。

1216a hope:2012/02/22(水) 10:52:32 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

気取るな、そのままが一等よい


無邪気といったら、どんなことだといいますと、気どらぬことです。
自分のそのままを出すことです。写真によく映りたいと思って固くなると変な顔に映るでしょう。
知らぬ間にパッと写されると、かえって柔らかい優しい顔に映っているでしょう。
あの固くなるのが無邪気でないのです。あの固くなるのが素直でないのです。
固くならないそのままが、無邪気で素直なのです。

人間は「神の子」ですから、そのままが一等好いのです。

無邪気で素直であれば、目の色から顔貌、動作、技芸、もの憶えまでよくなるのです。
そのままをなんのこだわりもなく出すとき、吾々の「内にある最も佳いもの」がスラスラ出るのです。
皆さん、そのままになりましょうね、素直になりましょうね、こだわりの無い心になりましょうね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


みなさま おはようございます。



わたしは、復興Gさまのコメント、

>>生長の家は、原理主義ではない。真理の中心部分は変わらないけれども、周縁部分は時代環境に応じて変わらなければならない、と総裁がおっしゃるのはその通りだと思います。しかし、総裁は神であるならば、真理の中心部分までも変えてしまうような説き方を、神がされるはずはない。生長の家の教えの中心は、現象はあるように見えても、本来無い。影に過ぎない。実相、完全円満な神のみが実在する、ということでしょう。「真理への道はただ一つ、人間は神の子であるということである」。神の子であるとは、イエス・キリストと同じ尊い存在であり、神であるということなんですね。その神以外に何も無い、ということが教えの中心なのですね。完全円満なる神なる総裁が「実相なんか有るか無いかわからない、そんなことはどうでもよい」などとおっしゃるはずはない。もしそんなことをおっしゃったら、私は「離縁していただきます」と申し上げるでしょう。
 雅宣総裁は、「私は神ではない。私の言葉は私の言葉であって、神の言葉ではないから、私の書いたものは聖典と呼ぶな」とおっしゃいました。それでも、やはりすべては神なのだから、総裁のお言葉は神のお言葉であると考えなければならないと、私は思ってきました。しかし、上記『實相研鑽』の谷口雅春先生のお言葉を読むと、これは大変むずかしい公案を与えられていると思わざるを得ない現在です。

 生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。現象界に出てきた本には誤植もありえますし、科学的知見などは時代的に合わなくなっていることもありましょう。それでも、根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。<<

を、読んでとても驚きました。
復興Gさまのような、大先輩であっても、今の教団は、
>>これは大変むずかしい公案を与えられていると思わざるを得ない現在です。<<
とおっしゃられている。
さらに、『生命の實相』が現教団からなくなり、雅宣先生が『新・生命の實相』を書かれるようなことになったら、
生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。<<
とはっきり、おっしゃっているのですからね。

わたしは、復興Gさまやおそらくももんがさまより、ずっと年下です。
でも、『生命の實相』の実例が「時代に合わない」、とか「遅れてきている」とは全く感じませんでした。
むしろ、とても新鮮な感じがしました。
聖典というのは、どんなに古いものでも、心から真理を求めている者の魂には必ず深く響くもの、
そういうものなのではないかと思いました。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も一日元気にお過ごしくださいね!

1217役行者:2012/02/22(水) 12:47:43 ID:EKrK1Cn.

 ももんが様

 ただ、ひたすら神の道まっしぐらに進んでゆきとおございます。

 乗せられたらそのまま上がる代物なので、ご了承のほどσ(^_^;


 さて、生命の実相のことなのですが、発刊された当時は、どちらかというと反体制派で、世論から叩かれることもしばしあったと聞いております。
 それが現在では笑いの効果にしてもほとんど科学的に実証されてきました。
 病はこころの影という心の法則が科学的に認められてもきました。歓ぶべきことと存じます。
 医学にしても、その心と身体の関係の臨床がより深く広く告示されるようになってきております。
 ということから考えても、真理の神髄は神髄として、表現方法は常に変化するのだと思うのです。
 そのことを鑑みると、聖書、仏典、生命の実相は根本として、表現方法は自在に変化しても良いのではないかと思う次第です。
          合掌

1218SAKURA:2012/02/22(水) 20:34:36 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

【幸福を招く365章…】
■独創のある価値を生み出すには

すべての善きものは内側から生まれます。
内部から生まれないものはすべて形骸(けいがい)であり、
模倣であり、ニセモノであり価値なきものです。
内部とは自分の生命です。
“自分の生命” とは “神の生命” です。
神の生命は無限内容をもっているのですから、重複を厭(いと)うのです。
模倣には同じものが幾つも出てきますが、
内部生命から出るものには同じものは二度とありません。
すべての行動を内部生命から出すとき独創的なものとなり、
内部生命は普遍生命とつながっていますから、
独創的であると同時に普遍的なものがあり、
人類全体の理解と共感とを得るのです。
では内部生命から、独創的なものを生み出そうと思ったならば、
内部生命に深く沈潜して、その無限の中から自己の個性に適する
独創のものを引き出して来なければならないんです。
その沈潜の最良の方法が神想観であります。
                          (谷口雅春著)


“全ての善きもの”は…“内部”…“心”から始まるのです〜〜ョネ!!
でもその…“心”が歪んでいますと…“心”は停滞状態ですから?
「無」から何も生み出すものも…“ゼロ”…と云う事でしょう。

「悪に走る人」は、その人の物差しからの形骸でしょうか…???
そのような人は、どんな角度でも話しても通じる事がなく、
ただ!!!頭の中は【我欲…】で充満しているだけの中身でしょうか〜しらん?

昔から【我欲…】の強い人は…頭が“空っぽ”なのでしょうか??
【我を無くす事】は、そこから始まる“知恵”なのでしょうかと思いますが…?

昨日「トキ様」に質問しました時、まだ私自身にも
「吸血鬼・ゾンビ・黒幕…に、いやなことをされている…><」との
【執着?】があり…その“心”を解放すことで……
初めて、私の“心の深層”が、白紙になり次なるステップへ前進!!出来る…
此処から我“自己個性の創造性”が、芽生えるのでしょうか…?

それに「気付き」を頂きましてから……
「今日の言葉」…が、出てきまして……
やはり!【神想観…】には【内部生命をフゥ〜〜〜深〜〜〜く!礼拝して行きます】?
必ず!いい「アイデア」が浮かぶようです…。

■ ■ 「神の叡智」を〜〜〜導きたまえ〜〜〜です〜〜〜ネ!

                              再合掌

PS:トキ様へ
昨日の“アドバイス”ありがとうございました…。
そして、皆様への“意見討論”…呼びかけて頂きましてありがとうございます…。
「モモンガ様・如月様…」投稿文章…etc ありがとうございます…。
参考に…益々このすばらしい「生長の家」の教えが…“人々の幸せ捜し〜♫〜”
「人類光明化運動…」の指針になります事を…【神に祈り】…
そして、「大調和へと…此の現状が必ず!」…信じております…。

トキ様> 今日の「言葉…」どのように解釈されますでしょうか??

1219トキ:2012/02/22(水) 22:31:53 ID:uwDAtDDc
 いつも素晴らしいご公案をありがとうございます。

 関係のない話を一つ。先日、テレビを見ていたら、歌手の沢田知可子さんの
「会いたい」という歌の話を放送していました。
  女性が恋人の死を悼む内容の歌で、“少しの英語とバスケット、そして、私
はあなたと恋を覚えた”という下りがあります。それまで何回も歌を発売しても
売れなかったのが、この曲のヒットで彼女はメジャーに上り詰めます。少し年配
に人だと知っている人が多いと思います。

 ところが、彼女自身が、この曲と同じ体験をしていたそうです。その話を誰
にもしていないのに、不思議に思い、女性の作詞家に尋ねると、いきなり内容
が作詞家の頭に天下った、という返事をしていました。

 ちなみに、沢田知可子さんの恋人だった人は年上のバスケット部の先輩で、
交通事故で亡くなるまで彼女の歌手活動を応援していたそうです。

 今回は関係のない話でごめんなさい。

1220復興G:2012/02/22(水) 23:26:40 ID:ojEbkDH2

>>1211
ももんが様。

たいへんなお褒めをいただき、ありがとうございます。
私の投稿
<<生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。現象界に出てきた本には誤植もありえますし、科学的知見などは時代的に合わなくなっていることもありましょう。それでも、根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。>>
に対して

>私も、復興G様と同じく確かに『生命の実相』の実例が時代に合わない(私の場合は遅れて来てる感じる箇所がある)全く同感です。だからと、云って、『生命の実相』捨てる様な真似は私もしてほしくありません。復興G様は、離縁と言われ辺りは、本流派の様な、執着心の塊が無いのが、素晴らしいですね。私も見習いたいです。<

という最後のお褒めの言葉には、穴があったら入りたい気持ちです。

しかし、申し上げるべきことはハッキリと申し上げなくてはなりません。ももんが様から役行者様へのコメントで、

>『生命の実相』で、私が、読んでいて、時代に合わない実例もあると言ったは、けして、悪い意味じゃありません。いまの、医学にしても、身近な、生活の常識にしても、既に『生命の実相』の中身が、普通に、或いは、それ以上に、常識的に浸透していたり、高度に成ってるな? 私的には、感じる事が、実生活においてあるからです。
だからて、『生命の実相』を読まないわけでは、ないのです。生命の実相は、読む事で、心が洗われる、現れるように感じますから、やはり、良い本です。<

 とおっしゃっていますが、私にとっては、『生命の實相』は「やはり、よい本です」などという程度のものではありません。『生命の實相』を読むと、「なんで谷口雅春先生は私のことをこんなによくご存じなのだろうか。これは、私一人のために書かれたもののようだ」とびっくりし、深い反省ができたり、ものすごい勇気をもらったりして、魂が共鳴し、飛躍するような感じを与えられることが多い、不思議な本です。これは、谷口雅春先生が、完全に自我を捨てきり、空っぽになって、神様のラッパになって、神の御言葉を伝えられたものだと思わざるを得ません。
 残念ながら、谷口雅宣総裁のご文章で、そのように魂が共感して打ちふるえるような喜びを感じたことは、ございません。
 やはり、『生命の實相』にこそ生長の家大神が鳴りひびいていらっしゃるのだと感じます。

 a hope 様も、>>1216
「『生命の實相』の実例が「時代に合わない」、とか「遅れてきている」とは全く感じませんでした。むしろ、とても新鮮な感じがしました。聖典というのは、どんなに古いものでも、心から真理を求めている者の魂には必ず深く響くもの、そういうものなのではないかと思いました。」
 とおっしゃっていますが、その通りだと思います。

<その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神さまが無くなることになるので、私は離縁していただきます。>

という思いに、変わりはありません。

 2月17日付けで、「生長の家社会事業団の知財高裁判決に対する声明について」という、宗教法人「生長の家」・株式会社日本教文社の釈明文
http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20120217.html
が発表されたことを知りました。

 ある教区では、教化部長から五者にそれが伝達されたが、五者は誰もそれで納得はしなかった。「大調和を説く生長の家が、なぜいつまでも相手を責めるだけの争いを続けるのか」と怒りをあらわにするものもあり、予定されていた講習会推進方策の打合せに入ることもできなかったそうです。

 谷口雅春先生は「妻が夫にハイと言う限界について」という實相研鑽会の御結語で「先ず根本的に、夫を神の子として尊敬して、夫の実相を喚び出さなければいかんわけです。・・・夫に素直に従うということは、夫を神として、実相の本当の夫に従うということでなければならない」とご指導くださっています。実相の生長の家総裁は、谷口雅春先生が「耿耿の言」でお説きくださいましたように、「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」とお詠みになった歴代の天皇の大御心のごとき慈愛をもって、すべての人々、特に、かりそめにも生長の家の縁に結ばれた、今は反旗を翻している人々のことも包容し生かし導いて下さっていることを信じ、礼拝感謝申し上げてまいりたいと存じます。

1221ハマナス:2012/02/22(水) 23:36:24 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま
こんばんは。早いもので、あと一週間で、3月です。

       生 命 の 進 化 (『新版生活の智慧365章』P.115より)

吾々の生命は常に一層高き進歩に向かって更新しつつあるのである。
併(しか)し、「低いもの」が如何にして「一層高きもの」を思い浮かべ得るであろうか。
「一層高きもの」はそれよりも「低いもの」を考えるのはいと易きことであろう。
しかし「低いもの」には「一層高きもの」を理解することは出来ない筈である。
現在「低いもの」でありながら「一層高きもの」を理解し得るのは、その「一層
高きもの」に触れることによって、自己の内にあるところの「一層高きもの」が
喚び出されて来る結果だというほかはないのである。

「一層高きもの」に生命が進化し行くのは、既に「一層高きもの」が生命の内部に
宿っており、それが色々の環境や条件や境遇や経験によって触発されて輝き発して
来るにほかならないのである。吾々は今与えられている環境・条件・境遇・経験から
逃げ出そうと考えてはならないのである。それを喜んで受け、それから得られる
ところの凡てを経験を通して吸収しなければならない。それによって吾々は内在する
無限の神性を、一層多く開顕することができるのである。

皆さまにとって、明日も素晴らしい日でありますように。
感謝合掌

1222ももんが:2012/02/22(水) 23:49:18 ID:XXCuaQns
役行者様

役行者様、御返事、遅くなりました。ありがとうございます。合掌、拝。

御投稿文の内容正しく、そのとうりです。今や、常識的に、企業や、健康管理法としてや、お医者さんに、行きましても、メンタフィジカル的なことを取り入れていますね。

私が、少し、『生命の実相』の実例で、今の時代の方が、進んでるかな?感じる部分は、『食事に関する事』です。第1巻に、確か?水を余り飲まない方法が出てました。私の場合は胃腸は大変強い為、医者から、糞尿や水分取らなくて強いタイプだから、結石になりやすいし、血液が濃くなりやすいから水をなるべくとりなさいと言われました。
しかし、考えてみると?最近のスポーツ選手は、水を取りながら、バランス良く、身体の調整をして、活動していますよね?

昔は、マラソンなんかでも、水を呑むなと言われていました。

生命の実相にも書いてありましたが、体は物質だが、その、体の物質の奥に、生命が宿ってると言うことでした。

つまり、物質である体をより、丁寧に労りながら、使うように、最近の健康管理法の中には、あるように、思うのです。

これは、『生命の実相』で雅春先生が、メンタフィジカルを日本に紹介した、時代から、充分に色んな形で、社会に浸透し、発展した証拠だと、私は、思うのです。

私は、こうした面、社会の誰もが、宗教、政治に関係無く、使えるように成ることこそ、素晴らしいことだと思います。


役行者様の御指摘は、大変素晴らしいですね、また、今後とも、御指導よろしくお願いいたします。おやすみなさい。合掌、拝。

1223ももんが:2012/02/23(木) 09:59:21 ID:XXCuaQns
皆様、お早うございます。今日も、お日様は、ニコニコしております。さあ、嬉しく、楽しく、感謝行を楽しみ楽しみましょう。ありがとうございます。合掌、拝。


今日は、私の大好きな、道元禅師の御歌を紹介します。

〜”にごりなき、心のみづにすむ月は、なみもくだけて、ひかりぞとなる“〜

この一句はを聴くと、私の心と、ピッタリ一致して、心を洗いだしてくれるようなそんな様に、私は、感じ捉える事がでて、大好きな御歌です。


あと、

〜うらをみせ、おもてをみせて、散る、もみじ。〜

これは、良寛様の御歌ですが、これも、“心”を見事に表現しているので、大好きな歌です。

一件秋の風情の儚い気持ちを歌われてる様に観て、しまいますが、それも一つの見方でしょが、私は、良寛様が、もみじの散る、姿を、“自分の心”と重ね合わせてる、もみじ=良寛様、に成りきってる境地に、私は、感動を持って、この一句をいつも、心で読んでおります。

良寛様の、この一句は、周囲の人には、ルンペンの様に見えても、御一人で坐禅修行しておられる証明なのだと、私は、見たのです。
すいません、今日は、私の私的コトバを言いまして、

それでは、皆様、明るく、楽しく、神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。

1224a hope:2012/02/23(木) 11:52:56 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

白百合と牡丹の花

或る時、白百合の花が、牡丹の花に、「あなたは美しい花をつけていますねえ。
私もあなたのように色のついた花になりたい」と申しました。
白百合の花はだんだん赤くなって、ちょっと見ると美しい鬼百合のような色にかわって来ましたが、
それは前のような尚(けだか)さを失ってしまいました。
そして前よりも人に可愛がられなくなりました。

白百合は白百合で好い所があるのです。
自分自身が持っている「そのまま」を素直に出すのが一等よいのです。
そのまま、吾々は「神の子」だからです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま こんにちは

今日は、雨降りですね。今朝の神想観は、雨音を聞きながら行いました。
なんか、また違う趣があってよかったです。

以前、お寺に坐禅に行っていたとき、本堂の工事が行われていた期間がありました。
その工事の音や振動が、真隣にある坐禅堂に直に響いて来て、さらに真夏の蒸し暑さで、
こんな環境では坐禅をするのは無理ではないかとわたしは思ったのですが、
90歳を超えた住職さまが、「どんな環境であろうとも、只管打座(しかんたざ)できるのが、
本物である」みたいなことを、坐禅中に一言おっしゃって、その言葉を聞いた瞬間、
わたしも集中できたのを思い出しました。

その坐禅なのですが、不思議なことに、運よく住職さまの近くで坐禅することができたときは、
雑念が全く浮かばず、ピーン張りつめた無の境地になれるのでした。
住職さまの「気高い境地」にわたしも、引き込まれたような気がしました。
わたしは「生長の家」の教祖である、雅春先生も、そのようなお力を持っていたのではないかと思っています。

ところで、つい最近、わたしは「生命の實相」第20巻をやっと読み終わりました。
他の巻でこんなに読み終わるのに時間のかかったものはありませんでした。
雅春先生の自傅篇の後半なんですが、雅春先生が悟られる前のお考えが書かれているのですがなかなか、
難しくてわたしには理解できませんでした。
ですが、なんとか読み進めていくうちに、雅春先生が「物質はない!」という神の声を聞かれ、
さらに「今起て」という声をお聞きになるところまで来ると、やっとわたしもすっきりしました(笑)。
雅春先生は、真理をもとめ、大変苦悩されていたのですね!

わたしたちは、その雅春先生のそのような苦悩を味わうことなく、
ただ「生命の實相」を読むだけで、その素晴らしい世界一の真理に触れることができるのですから、
本当にありがたいですよね!

「生命の實相」は絶対にこの世から無くしてはいけない偉大な聖典なのだとわたしは思います。

雅春先生の悟りに至る途中に書かれた詩で、「野の百合の生きる道」も紹介されていました。
以前、「谷口雅春に訊け」ブログでも紹介されていますよ。

http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65604625.html

それでは、わたしの愛する「生長の家」の先輩方、今日も和解に向けての有意義なお話合いを、どうぞよろしくお願いいたしますね!

1225ももんが:2012/02/23(木) 13:04:20 ID:XXCuaQns
復興G様

復興G様、御返事くださりまして、ありがとうございます。感謝合掌、拝。

復興G様の御返事文を読みまして、復興G様の『生命の実相』を読んだ時に、受ける、復興G様の心の有り様が、良く伝わりました。誠に、勉強になります。改めて、お礼申し上げます。ありがとうございます。

<<、私にとっては、『生命の實相』は「やはり、よい本です」などという程度のものではありません。『生命の實相』を読むと、「なんで谷口雅春先生は私のことをこんなによくご存じなのだろうか。これは、私一人のために書かれたもののようだ」とびっくりし、深い反省ができたり、ものすごい勇気をもらったりして、魂が共鳴し、飛躍するような感じを与えられることが多い、不思議な本です。これは、谷口雅春先生が、完全に自我を捨てきり、空っぽになって、神様のラッパになって、神の御言葉を伝えられたものだと思わざるを得ません。>>


しかし、復興G様も、私の心の心底を誤解されて、読み捉えてると思われます。何分、私は表現べたて、皆様に迷惑と誤解の積み重ねですから、どうか、ご容赦ください。


<<生命の実相は、読む事で、心が洗われる、現れるように感じますから、やはり、良い本です。>>

私が、上記の表現の中で、“良い本です”と言った前の、語句に、“心が洗われる”と“現れるように感じる”との語句を読んで観て貰うなら、私が、“良い本です”の意味の心底を御理解していただけたハズです。
私は、“深層意識で生命の実相を読んでおります。”
“現れ”と“洗う”は、『生命の実相』の中にもありましたが、『心を浄める』又は、『心を浄めた状態』だと書いてあったなと、記憶してますが、間違えていたら、すいません。
仏教でも、心を満月に例えたりますよね。
私が、“良い本”と言ったのは、”心を澄みきった状態“に常にしてくれるコトバの有る本と言う事です。私の表現が、足りなかった事を、深く御詫びします。
読み方、受け取り方は、人其々だと、常に思いますから、それで良いと、私は思いつも思います。

個性が有るから、生命なんですよね。

色々、復興G様の御文章読んで、勉強させてもらってます。色々また、教えてください。宜しく、お願いします。感謝敬白、合掌、拝。

1226ももんが:2012/02/23(木) 14:41:28 ID:XXCuaQns
>>1224

a hope様

a hope様、こんにちは。合掌、拝。

a hope様の坐禅していた時のお話面白く読ませて、もらいました。ありがとうございます。感謝合掌、拝


<<以前、お寺に坐禅に行っていたとき、本堂の工事が行われていた期間がありました。
その工事の音や振動が、真隣にある坐禅堂に直に響いて来て、さらに真夏の蒸し暑さで、
こんな環境では坐禅をするのは無理ではないかとわたしは思ったのですが、
90歳を超えた住職さまが、「どんな環境であろうとも、只管打座(しかんたざ)できるのが、
本物である」みたいなことを、坐禅中に一言おっしゃって、その言葉を聞いた瞬間、
わたしも集中できたのを思い出しました。

その坐禅なのですが、不思議なことに、運よく住職さまの近くで坐禅することができたときは、
雑念全く浮かばず、ピーン張りつめた無の境地になれるのでした。
住職さまの「気高い境地」にわたしも、引き込まれたような気がしました。
>>


特に、和尚様の御言葉。

「どんな環境であろうとも、只管打座(しかんたざ)できるのが、
本物である」

と言われたコトバは、少し、坐禅を知らない方には、難しい表現を使われてると思われました。
私たちの坐禅会では、これをカミ砕くようなコトバで、この様に良く、老師も、他の師も言われます。

『雑念が起こっても、邪魔にせず、相手にせず、只、ひたすらに、数息観なり、公案なり、成りきり、成りきりしていきたさい、そうすれば、自然に只菅打坐に成って行く』

無念無想とは、けして、煩悩や雑念を消してしまう事では無く、その流れを良く観て行く事で自然とその状態に成って行くものと私は捉えいます。

和尚様は、たぶん、工事の音に成りきれば、只菅打坐できるということではなかったかなと思われます。

私の師は、78歳で痴呆の症状がありましたが、最後まで、坐禅を捨てない人でした。
最後は、坐禅して死を向かえました。

宗教とは、かくあるべきと、何時も、思います。


少し、余計な、お話をしてしまい、申しわけありませんでた。
また、素晴らしい、お話、宜しく、お願いします。感謝敬白、合掌、拝。

1227a hope:2012/02/23(木) 17:16:40 ID:kcv2QXTk

ももんがさま

コメントありがとうございます。
住職さまは、健在ですが、今は御隠居されました。

坐禅の後にされていた法話のノートの中に、住職さまがどのように、
「只管打座(しかんたざ)」を説明されたか、わたしが書き写してありましたので、
紹介しますね。

>>只管打座(しかんたざ)― 自分が今、坐禅をしているなどと思えば、もう坐禅の外にいる。
無になり木のように自分をなくす。外の音も耳で止めて、脳まで行かせない。
目で見ても脳までいかせない。<<


わたしは、非常に変わった主婦なので、この住職さまのお話と坐禅を、毎回楽しみにしながら、
お寺にに通っていました(笑)。


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