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108式実践・成功体験談スレ【1】
173
:
もぎりの名無しさん
:2011/03/26(土) 01:41:54 ID:psg5Ebes0
>>162
こんばんは。
いろいろ書きすぎてわかりにくいですよね。
ただ実践についてはシンプルなので、そんな説明するようなこともないのです。
でもいい機会なので書いてみますね。
①自己観察をするのはなぜか(自己観察をする意図)
私も人間としての部分があるのでw普通に感情があります。
ただ不安とか不満の思考が始まっても、自分の本来の立ち位置にいると、それが自分のものではないとわかっているので、
すぐにその思考がどうでもいいものになるので、そこに入り込まなくなります。
本来の立ち位置というのは、愛であり完璧であり安心であり・・・他にもいろんな側面がありますが、
要は、私は幸せそのものなので、不安とか不満は自分のものじゃないのです。
で、「幸せそのもの」の自分に意識を置いているので、不安や不満があったとしても全然恐れる必要がないのです。
だから私は、日常で「自己観察をしよう」という立ち位置にはいません。
ただ自然と、起きてくるエゴの感情や思考に対しては気づいていられる場所に意識があるというだけです。
(「そうしよう」とすることなく、自然にそういられるということです。)
自己観察を提案しているのは、「何かをしないではいられない」エゴに対して有効かと思うからです。
本当は「何もしなくていい」んですが、そこで手放しに「何もしない」ことが出来ない人も多いと思います。
そういう人は、まず自分が普段どれくらい「自分のものではない」エゴの思考にふり回されてるか
気づければそれを却下すればいいし、そうやって慣れてくればいつのまにか本来の立ち位置
(「何もしないでいい」立ち位置)に立っていることに気づくと思います。
つまり「自己観察」というと、どうしてもメソッドとして手段のように思われがちかもしれませんが、
「自分に気づいている立場に立つ」ことは手段ではなく、本来の自分の在り方なのです。
②自己観察のやり方(プロセスのようなもの)
四六時中はなかなか難しいと思うので、願望や不足を感じてるときの自分の思考や感情に淡々と気づいてること。
気づいた視点のほうに意識を置いていればそれ以上することはないです。
強い感情に取り込まれて難しいときは、自愛なりリリースなり自分に合った心地よく感じる方法で感情に向き合うといいと思います。
それと並行して、「別の領域」に浸って、別の領域を十分に信頼すること。
目の前の現象に対して「どうしたらいいんだろう」「いつになったら、どうやったら手に入るんだ!」とか
いろんな思考や感情が起きてくると思いますが、それらは全部、目の前の現象に対しての反応や感想であって、
自分の内側から湧き出てきたものではありません。自分の内側にはそんなものないからです。
なので、「ああ、これは外側に反応してるだけなんだな。充足である私にはこんな不安は必要ないや。」と気づくだけです。
決定権は現実(幻想)のほうではなく、自分のほうにあるということです。
リアルは内側です。つまり気づいてる視点のほうが真実。
なので、「別の領域に浸る」ことは気休めとか、ただ安心できるだけの場所ではなくて、
「別の領域」に浸ってることそれ自体が本当の「今」であり、これからの現実を作るすべての源です。だから実現の領域なのです。
私たちは本当は一瞬たりとも「別の領域」を離れていません。
ただ外側に反応して起きてくる思考に邪魔されてそれに気づいていないだけです。
だったら今この瞬間、別の領域にいることを思い出せばいいだけなのだから、
とりあえず浸ってみることからはじめたらいいんじゃないかな、ということです。
③自己観察の効果について
①の通り。
④実践においての注意事項
「観察しよう」と力を入れないで、淡々と客観的に眺めてるほうがいい。
外側の出来事は幻想でしかないので、幻想に反応してる思考や感情に気づいてるというスタンス。
⑤自己観察さんが日頃心がけていること
心がけてるとかは別にないです。適当です。
全然簡潔じゃなくて申し訳ない。こんな感じです。
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