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仙道,密教,ヨガその他修行法で離脱を目指すスレ
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離脱のために古来の修行法を取り入れるスレです。
まとめの方法だけではうまくいかなかった人,すでに出来るけどより極めたい人などどなたも歓迎!
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明かりのある部屋でしか見えないけど、手で作った輪の中に無色透明の湯気みたいなのや小さい渦巻きが見えるのに気付いたけどコレが気でいいのか?
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手のひら少し離すより、五本指同士をくっつけて輪を作った方が感じやすいのだけどデメリットとかあったりしますか?
あとこれ、オーラの説明のようだけど気じゃないのか?
https://youtu.be/R1pRYJsbRO4?si=RPga6dU67VRlhLr3
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やっぱり手を少し離してやった方が感じやすかった
手より別のことに意識向いてる時の方が感じる
無意識に手を動かさないようにしてるのかもだけどボールの輪郭で微妙に圧迫感感じる、微妙にだけど
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とりあえず2ヶ月、8月末までは続ける
ゴムボール感触獲得できなかったらモチベが死にそう
日記代わりに適当に書きなぐっとく
手をこすり合わせて10cmくらいのボールの形作ってを暇あればしてる
片方の手をゆっくり少しだけ握ると、もう片方の手が少し押されるようになった、ピリピリもたまにするけどずっとじゃないからただの痙攣か?
白い粒が乱雑に動き回ってるのが見える。今まで意識してなかった極小のほこりな気もするけど。一応ほこりが少ないはずの浴室でも同じように見えた
それとは別に目の錯覚かもだけど流れみたいなのも見える、小さな渦もあるけど手のひら関係なくどこでも視界の中心に見える、目の瞳孔と同じ大きさだし関係無さそう
手をかざして色々調べたら仏壇の祖父母の遺影で一番手の平が熱く感じた、バイアスかかってそうだし信じるにはまだ早計、相変わらず熱気や微細な圧迫感までしかまだ感じられない
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気を強めるのも並行してやらないとな
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基本は肛門締めながら腹式呼吸して瞑想するというやつで良いんだよね
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瞑想じゃなく呼吸法
まあスレ全部読んだ方がいいと思う
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手の平のピリピリが少し多くなった
何かムスコがずっと元気
性を出してはいけないらしくて絶望
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名倉で発散したらどうだろう
何となく夢精しそうだけど
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なれないうちは途中で起きてしまう
ある程度なれると夢精する
だいぶ慣れるとようやく名倉で発散し放題になる
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微ダンツァーだから名倉で発散するには滞在時間が足りない
長期リダンツァーになって名倉で発散できるようになるために気を学び始めました
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自分なりにしやすい呼吸法にしたけど良いのだろうか
①リラックスして腹式呼吸でお腹いっぱい息を吸う
②息を止めて限界がくるまでキュッキュッとリズムよく肛門締める
③肛門を締め続けてゆっっくりと息を吐く
数セットやるだけでもずいぶんお腹が熱くなる、息を吐く時に熱が広がってく感じ、全部鼻呼吸
瞑想も久々に再開した。1時間くらい続けること自体はできるけど、10分程度で船を漕いでしまう
蓮華座の座り方は数分が限界だったから半蓮華座、それでも終わった後にしばらく立てんくらい痺れた
手の平を擦り合わせなくても何となく感じる程度にはなったけど、ゴム感触までまだ遠い
寝入りと寝起きがスッキリするようになったが、そのせいで離脱チャンスが減ってしまってる印象
最近暑い、ジメジメしてる、寝る時かゆい、とかの不快感は肉体がそう感じてるだけって視点で考えてスルーする
無意識の利用は多分引き寄せの法則のこと言ってるのだろうと仮定し、ノート1ページに完了形で色々書いて朗読して寝る
先人に習って紙とペンで書いてるが、タイピングではダメなのか疑問
瞑想の後にやってるけど、瞑想の前が良いのか悩み中
今まで読んできた本だけでなく、このスレにも超常的なことができるみたいに書かれてあって半信半疑
この不便な時代より遥かに先の文明の世界で、けしからん身体した2次元容姿のメイド美少女アンドロイド達と暮らす夢も叶うのか?
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瞑想で普段の思考が減った分、今まで気にしてなかった身体の感覚に意識が向くようになってきた
スワイショウ40分やったけど筋肉痛になったかもしれん
20分過ぎてからは無心でやれたけどそれまでが凄く退屈、動画や音楽も流さずに無心でやったからだろうけど
30分過ぎたあたりで肩の高さで後ろに手を伸ばして拍手できるようになった
肛門の引き締めは普段からやってたかも、陰茎を鍛えるためにやってただけなのだけど、力いれる場所同じだし多分同じ
これやり始める前のエッチなことも知らない子供の頃からおしっこを途中で止めれたりしてたからここの筋肉はあるのかも
プランク1分のつもりだったけど3分くらいやっておいた。最初ブランクと読み間違えて休憩時間かと思った
気の感覚は強くなってるのかイマイチ分からない。手を近づけて離した時に何かを引き伸ばした感覚があるかも程度
この手の平の感覚強めて、後は催眠術や心理的抵抗で身体動かなくなるやつ組み合わせると、感触が生まれる感じなのかな
気には冷気とか色々あるらしいけど初心者は熱感で良いよね、立禅や完全呼吸した後だと結構感じられる
小周天とやら、体温の移動いいならやれそうな気もするけど気のボール作れてかららしいのでまだ保留
引き寄せの法則で書くのは妄想しながら続けてはいる、印刷用紙に書いて枕下に入れて起きたら捨ててるけどノートの方がいいのか?
無心でやれた方がいいだろうと瞑想後、もっと無心でやるなら手が勝手に動くタイピングの方がいいのだけども
気とか高次元とか、名倉やガイドのように現代で見つかってない法則があるような気もする
あるとして、根本の法則とその次元の存在や決まりは関係ないのではと思う、現実の自然法則にとって権力者や法律はどうでもいいように
このスレの人の一部の人もそうだけど、自分と同格ではない上位存在だと思えた根拠はなんだろう?
幽体離脱で同じ体験をしている人達でも、脳内派とオカルト派で分かれてるのと同じでそう思いたい以上の理由はない?
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世の中に絶対なんてものはなく、全て相対的なものと認識しなさい。
心を水面として考える。どこにも波がなければその水面の全体をぼけっと眺めるだけだろう。でもそこに一つの波が出現したら意識はそちらに向かう。
でも全体的に均一に波が発生していたら変わらずその水面を眺めるだけだろう。無論その中にまた強い波が出現したらそちらに意識が向く。
気も同じで強い気は自然とそちらに意識が向くが、普通の人はそんなふうにはならない。それは普通の人は気を認識していないからだ。
つまり、強い波があるとそれに意識が向く=囚われるが、強い波であっても認識していなければ影響を与えない。
怒り等も心に強い波が発生してそれに囚われて制御出来なくなっている。
逆に言えば強い波を発生させないようにするか、認識しないことで平穏は保たれる。
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瞑想中に瞼の裏に青紫の光が見えるようになったけど、経験者達が言う光と同じものか分からない
カメラのフラッシュみたいな強い光とはぜんぜん違う、黒色の紙に付いた青紫色の絵の具のシミみたいなその程度の光
>>991
苦しみに囚われるのは絶対にNOだけど、幸福に囚われるのはウェルカムです
平穏よりも幸福の波の嵐の中に居たいと思うけど、それを目指す話を宗教系から聞かないあたり、何かデメリットがあるのかな
魂の修行系の話を聞く度にいつも思うのですが、下記の例えで前者が好きな人に有利すぎて、後者が好きな人にとって不利過ぎない?
死に覚えゲーが好きな人と、無双ゲーが好きな人
提供されたゲームの範疇で遊ぶのが好きな人と、MODとかで自分好みに改造して遊ぶのが好きな人
RPGみたいにレベルやステータスの概念があるゲームが好きな人と、パズルゲーみたいにレベルやステータスの概念がないゲームが好きな人
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名倉のNPCはNPCらしく同じセリフをリピートしてくれてたら良いのに
NPC姦は時間停止ものや催眠洗脳ものクラスで好物だけど、名倉NPCはなんか違う
同じ動作とセリフを自動リピートさせとくのって相当難しそうな名倉スキルだと思う
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気の感覚化、沸騰させたお湯の湯気の中に指を突っ込んだ時に感じる感触、程度にしか感じない
右手から左手、左腕を通して胴体から右腕へと、といった感じで気を回すやつをやってみた
熱の移動は徐々にスムーズにできるようになっていくけど出来てるのか? 表面の皮膚だけ少しピリピリはする
正座して痺れた脚に血流が戻っていってジワーッと温かくなる感覚と同じなら良いのか?
YouTubeとかで「波動を送ります」とかいって手をかざしてるだけの動画
画面に大きく表示された手に圧迫感を感じているだけなのかもしれないけど、何となくは顔に熱を感じる?ような気がする
瞑想は蓮華座やめた、キツくて1時間もまず続かないのと、リラックスして"3点で重心を支える"とかいうのを優先する
あと背骨真っ直ぐなら疲れないとか読んだが、腹筋とか体幹も鍛えてないと無理ではと感じてる、まだまだ真っ直ぐじゃないのか?
とりあえず疲れるまでは座禅(脚を重ねずに組んでベターっと地面につけるやつがやりやすかった)で、疲れたら椅子に座ってすることにする
超極小版の陽炎や光の粒らしきものが見える気もするけど、目を瞑っても見えるし、そもそも気と関係あるやつなのかも分からない
ゴムボール感触というの、本当におっぱい揉んだときのような感触が発生するのかな
最低でも高速道路で車の窓から手を出した時に受ける風圧くらいの感触までは進化するのか?
ゴムボールの感触というとそれよりさらに鮮明でムニュムニュした感触よね、遠い
空気の温かい薄い層を手に纏うくらいの感覚でいいならもう出来てるのだけど
腹式呼吸で肛門締めのやつは食後にやってる、消化早めたり少しの腹痛くらいなら治せてる気がする
捏球とか揉球とかは効果がよく分からんので、両手と上半身で熱(気?)をより速くスムーズに回せるようにしてみる
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冷房の効いた部屋から外に出た時のようなムワッと感を手の中にいつでも感じれる程度
ゴムボール感触とか、ヌルっとしたローションに手を突っ込んだようなとか、まだ遠い
音や匂いから昔の記憶を思い出したり、寝起きで忘れた夢を後から思い出す頻度が上がった
記憶はオーラに記憶されてるとかいう説をちょっとだけ信じかけてる
揉球捏球がまだまだだから小周天やってなかったけどやってみた
皮膚の表面の感覚くらいならできるけど、表面から数センチ下を通る感覚は無理
丹田を熱くするの、呼吸じゃなくて腹筋とか食後とかならいけるけど別の熱さだしダメかな
暇つぶしにちょいちょい気功関連の記事読んでたけど
クンダリニー覚醒と離脱の前兆体験が同じみたいに説明されとる
https://ameblo.jp/psychic-programming/entry-11677685940.html?frm=theme
小周天は前兆でやっても良いのか?
それなら簡単だぞと離脱チャンスを1回犠牲にしてやってみた
いつもはイメージに没頭するけど、今回は体感覚に集中した
すぐに振動と熱感が仙骨あたりから上まで突き抜けたので、今度は顔から会陰まで落としてグルグルさせる
ついでに強い光も見える、前兆でいいなら楽勝よ、起きてる時にはまず感じられない強い感覚を回した
何周かさせてる内に普通に起きた、今ならと捏球やったが案の定ゴムボール感触は生まれなかった
捏球でゴムボール感触とか、多少はトランス状態になっていることが前提の話か?
だとしたら日常で起きてる時に何回やろうがずっとできないのに納得できるのだが
瞑想して手足の感覚朧げになってきて意識も沈んできたなってタイミングでやっていいなら少しはできるのだが
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少し手汗かいてたせいかもだけど、多少はヌルっと感触感じられた。
毎日はモチベ維持できなかったけど止めてもいない、夢日記書き始めた頃と同じで習慣にするまで半年以上かかりそう。
同人誌とかで手マンとか指舐めさせたりのシーン飛ばしてたけど、ちょっと感触感じるから飛ばさず読むようになった。
離脱で遊び始めてからキス系の感触を感じるようになったのに似てる。共感覚?が強くなりはしたかも。
視覚の強化を続けると微妙に見えてた気の粒みたいなのがよく見えるようになる感じかな?
目を瞑るとそれと同じくらいの小ささのグリッド?ドット?が見える。4Kモニターのドットを更に小さくしたような、現実も同じか?
これを星空から星座を見つける感じで利用すると、オーラだとか霊視だとかができる感じなのかな? 分からん
座って揉球で両手を封印されると本当にやることがない。
イメトレしてたけど2回くらいそのまま名倉に行けそうになった。
残りレスは有識者や初期にレスしてた人達に残すことにして、後は本スレや5chの方で続けることにする。
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https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10119/1723862543/
立てといた
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合気道の開祖、植芝盛平のエピソードだけどこれって気と関係あるのかな
それともアガペーと呼ばれるものと関係あるのだろうか
たしか大正14年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。
その瞬間、私は『武道の根源は、神の愛――万有愛護の精神――である』と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝はもち ろんのこと、強くなろうという執着も一切なくなった。
『武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである』と私は悟った。すなわち『武道の 鍛練とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛練することである。
https://ishiinbr.amebaownd.com/posts/7026678/
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この植芝盛平て人戦争に徴兵されて敵の銃弾を避けたとかも言ってる笑
光が見えるからそれを避けるだけだとか
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植芝盛平おもしろい
これも気になる
・内弟子の湯川勉氏は大力で、仰向けに寝て片手で石臼を楽に持ちあげられるほど、その腕力は抜群でした。
ある日、その湯川氏が合宿先の庭にあった直径十センチくらいの木を一生懸命抜こうと顔を真っ赤にして頑張っていましたが、根が深いと見えて中々抜けませんでした。
これを見ておられた植芝先生は、「湯川、なにをしておるんや、ちょっとかしてみい」とつかつかと木の傍に寄られ、ぐっと抱えると木はヒョイと抜けてしまいました。
これにはさすがの湯川氏も兜をぬぎ、「先生にはかなわぬ」といいました。
あまりに簡単に抜かれたので、私も同じような木に試してみましたが、どうしてどうしてビクともしませんでした。
地に根が生えたという形容通りでした。
引用:塩田剛三著 「合気道人生」
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