レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
提督たちの憂鬱 支援SS その2
950超えたので、創っておきます。
1000に達したら、こちらに移動してください。
「提督たちの憂鬱について」で様々な支援SSが投稿されたので独立させました。
投稿とそれに関する感想を書き込んでください。
なお、このスレは議論をする場ではありません。
議論をする場合は本スレでお願いします。
ジョー達は仮眠した後で、メルヴィンのトラックに乗ってボートの荷物の回収に出かけた。その場所が近づくと運転するメル
ヴィンの顔が次第に緊張してきた。
「えらいとこにボートを係留したな。」メルヴィンはトラックを川岸の林の中に停めた。
「作業は様子を見てからだ。ついてきな。しゃべるなよ。身はかがめて歩け。」メルヴィンは手招きで三人に合図する。
数十ヤードほど行くと古い煉瓦の壁があった。メルヴィンはそこから少し顔を出すと、河原の方を指さした。そこには何台か
のトラックが停まっており、防毒マスクに厳重なゴム引きの防護服を着た武装兵が三十人ばかり、その指示で囚人服の男達
がトラックから何かの袋を運び出している。
「死体だ。大方はメキシコ風邪の患者だ。」メルヴィンが小声で言う。
浅く掘られた穴に並べられた穀物袋とも見える粗末な数十の袋に、囚人達がジェリ缶で何か液体をかけている。ほのかに
灯油の匂いが漂ってくる。武装兵が袋に火をつけた。たちまち炎が上がり、黒煙が立ちこめる。そのうち燃え尽きた袋から
黒こげになった手足が熱で変形して何かを掴みたいように伸びてくる。人の焼ける匂いでむせる。地獄である。
突然、地獄の底から響いてくるような女の悲鳴が上がった。燃えている死体が突然立ち上がったのだ。その死体、否、
仮死状態であったろう女性は真っ黒になって燻りながら炎の中から出てきた。あっけに取られている武装兵と囚人。暫くし
て指揮官らしき人物が拳銃を数発発砲した。倒れた女は数人の囚人により足で蹴飛ばされ再び炎の中に戻された。
ステイシー先生は黙ってその光景にカメラを向けていた。大方死体の焼却が終わると、囚人が多分精肉処理用の大きな
フックがついた鉄の棒で黒こげの死体を引っかけてミシシッピ川に運んでいき流した。
二日目の夕方にメルヴィンは自動車を仕上げた。
「三菱製水冷直列6気筒エンジン搭載の四輪駆動だ。山間部の配送用に試験的に導入したようだが、戦争が始まったら組合
の連中がモンキーの車なんぞ使えないって叩きのめしたんだ。それが回り回ってオレのとこにきたんだな。だが、丈夫な
もんだろう。ちょっと凹んで塗装が剥げいるだけだ。それは細工で古びた感じにして誤魔化した。本当は隠しておいてここ
に戻った時に使おうかと思っていたんだが、それは別の車にする。」メルヴィンが自慢したのは、後部の荷物室の側面に
US-MAILと白で塗装された文字が書き入れられた郵便配送用の小型トラックだった。
「で、こいつもつけてやる。アルマが作ったんだ。」メルヴィンが差し出したのはこれも背中に刺繍でUS-MAILと書かれた
三着のジャンパーだった。
「今でも郵便屋は比較的フリーパスで動けるからな。出血大サービスで点火プラグ三本と予備タイヤもおまけだ。」金貨を
得損ねたことも知らずメルヴィンは大きな取引を成功させた大立て者のように葉巻を取り出すとそれに火をつけた。
「M&M商会ってメルヴィンとモイラの略かい。」ロジャーが聞く。ステイシー先生と話をしていたアルマが顔を向ける。
「こいつは、まだ子供なんだ許してくれ。」ジョーの言葉にロジャーは子供のようにふくれ顔をした。
その夜遅く、ロジャー達はノックスビルに向かい出発した。目的地まであと400マイルである。>>632
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大変多くのレスを使い失礼しました。これもアメリカの広さが悪いんやー。おまけに竜頭蛇尾なEND。辺境人さんのご指摘のように中長編板だったかも。
行程図
カリフォルニア→(北へ)→オレゴン→(東へ)→ロッキー山脈→(ここからカナダ国境沿いの州を東へ)→アイダホ→モンタナ
→ノースダコダ→ミネソタ(ミネソタ州東部ミネアポリス)→(南へ 船でミシシッピ川を下る)→テネシー州メンフィス・・・・目的地:東海岸、アパラチア山脈西山麓の結構山深いテネシー州東端ノックスビル近郊
この行程を43日(うち船旅14日間、滞在5日)で走破しています。平和な状態なら余裕をみて早めに宿で休んでも10日?
−おまけ−
1943年4月12日、旧カリフォルニア州オークランド、精神分析医ハスケルの診療室
「ミスター・ハッシュ、タンポポがテネシーに到着しました。座標BC-578です。回収物があるようです。重要度A。よろ
しく手配をお願いします。」診察時間の最後の30秒でハスケス医師はソファーベッドに寝ているハッシュに用件を告げた。
「届け先は?」ハッシュが尋ねる。
「ビッキーちゃんまで。」ハスケスが答えると、ハッシュは来週の予約時間を確認して帰っていった。
ハスケスが時間を確かめると次の患者がくるまでまだ30分ほどあった。そこでハスケスは受付の女性にコーヒーを頼んだ。
コーヒーがくると壁に掛かったアメリカの地図の一点を見る。ハスケスは対米諜報機関「ビーグル」の指揮系統で上位に
位置している。といっても下部組織のことも上部のことも具体的なことは知らない。上部からの指令を具体的に実現させる
方策を考えて下部組織の連絡員に伝えるだけである。
テンシー河谷地域は重要地域である。20近い(史実では30カ所)ダムが建設されるか建設途中であり、閑散としたテネシ
ー川流域にできるはずの大工業地域のエネルギー供給源に、そしてアメリカ南部の電化推進の中心になるはずだった。
しかし、TVA(テネシー河谷開発)を推進したルーズヴェルトの退場と、津波、戦争、連邦崩壊で全ての工事はストップして
いる。水系全体のコントロール機関は存在せず、管理が極めて不十分かなされていない幾つのも巨大ダム、建設途中で放り出
されて川の流れを妨害する危険きわまりないダムのような物が、これからの降水量が増大する時期にこれらがどのように作用
するのかまったく予測不能である。
一つの巨大ダムの決壊が連鎖反応を起こし水系全体を大洪水が襲うかもしれない。またそれが本流のミシシッピに流れ込め
ばどうなるのか。出来ることは何が起こるのか、または起こらないのかを監視するだけである。政府機関も報道機関も皆無な
地域だけに、どうしても「ビーグル」の定点監視員が欲しかったのである。
タンポポの到着でハスケスが要求された二カ所の監視が完成した。他の指揮者による監視員も複層的に配置されているはず
であるがこれはハスケスの預かり知らないことである。何はともあれ水域の最深部に位置するタンポポはアパラチア中央部地域
で遊撃的に活動する諜報員にも支援を与えてくれるはずである。
ハスケスは溜息をついた。現在、アメリカの防諜機関は完全に麻痺しているが、南部に侵攻した欧州勢力はそれなりの諜報機関
を展開させている。これらとの暗闘、否この組織自体を油断することなく隠匿しなければならない。アメリカ合衆国を対象に組織
された対米諜報機関「ビーグル」のアメリカ合衆国なきあとの存在意義はなにか。根源的なところで「ビーグル」はコンパスなき
航海に乗り出したのである。
提督たちの憂鬱支援SS――「北大西洋の奇跡」
――西暦1912年4月15日午前1時2分 北大西洋
悲鳴が続いていた。
衝突からすでに1時間あまり。
船体横を大きく引き裂いていった氷山のおかげで、船体前部の亀裂は手の施しようのないほどに拡大している。
「これは・・・まずいな。」
大日本帝国鉄道員副参事 細野正文は状況を確認し、血の気が引いていくのを感じていた。
彼が乗っている豪華客船は、氷山に衝突。
今や事態は手の施しようのないほどに悲劇的になりつつあったのだ。
救命ボートが下ろされる。
4月の北大西洋の海は冷たく、投げ出されれば数十分もしないうちに低体温症にかかって死んでしまうだろう。
しかも悪いことに、この船の救命ボートは数がとても足りているとは言い難かった。
「無電を受けた救助船が来てくれればいいのだが――」
細野は夜の闇をにらんだ。
背後では、乗客たちを落ち着かせようと乗船していた楽団が演奏をはじめている。
なんとも奇妙で、それでいて恐ろしい風景だった。
「ホソノさん!?」
「ローズ嬢・・・それにジャックじゃないか!?どうしたんだその格好は?」
デッキで右往左往する乗客の中からかかってきた声に細野は驚いた。
この豪華客船に乗っていた日本人は彼ただ一人。
そのため、いくらか眉をひそめる白人たちの中にあってこのローズ嬢は淑女の礼をもって彼を扱ってくれ、ジャックとは話に花を咲かせた。
欧州では孤独になりがちな日本人にとって、彼女らの厚意はありがたく、そのために細野は何かもめていた若い紳士とこの二人の間に入って仲裁の真似事までしていたほどだった。
「いえ、何でも。それより――」
「見ての通りの状況だ・・・女性を優先して乗せているという話だから、君らは先にいった方がいい。」
ウィスコンシン生まれだというジャックが戸惑った顔になった。
ローズ嬢をどうやって「彼女だけ」ボートに乗せようか考えているのだろう。
「ローズ・・・君は・・・」
「お客様!お客様の中に日本人の方はいらっしゃいませんか!?」
ジャックが何か言いかけたその時、またも細野の思考は遮られた。
振り向くと、ウィリアム・マードック一等航海士が何かメモのようなものを持って叫んでいる。
「私です!」
細野が叫ぶと、驚いたようにマードックが駆け寄ってきた。
「髭を伸ばされているからアルメニアの方かと・・・お客様、日本語のモールスは分かりますか?」
「はい。それが?」
「よかった!カリフォルニアン号の応答はなかったのですが、一番感度のいい信号がこれを。識別符号で和文とわかりましたが、あいにく解読できる人間がいないので。」
渡された紙を、細野は読んだ。
「これは――」
「マードック航海士!右舷から発光信号です!距離600!」
細野は反射的にその方向を見た。
「軍艦『八島』に『初瀬』・・・!練習艦隊が来てくれた!!」
――同 大日本帝国海軍 第1遠洋練習艦隊旗艦 戦艦「八島」
「救命ボート、下ろし方はじめ!」
「サーチライト点灯!ひよっこども、もたもたするんじゃないぞ!」
甲板上では教官である士官の怒号が響いている。
戦闘航行時とは違い、可能な限り煌煌と明かりをきらめかせよとの命令を受けて艦隊は全速で海上を航行、そして今、するりと当該船舶の横につけようとしている。
日露戦争の戦訓を受けて夜間見張りを重視している日本海軍の面目躍如といったところで、すでに艦隊はあの豪華客船に大ダメージを与えた氷山を余裕を持って回避することに成功していた。
「僥倖でしたな。我々が近くにいて!」
練習艦隊副司令をつとめる広瀬武夫少将に、今回特に命じられてこの大西洋にきていた東郷平八郎元帥はゆっくり頷いた。
「じゃっどん、これからが問題でごわす。あの船の乗客、一人も残さず収容せねばなりもさん。」
「大丈夫です。本艦と『初瀬』それに装甲巡洋艦『春日』と『日進』。初の欧州への艦隊での遠洋航海がこのようになってしまいましたが、余裕をもって乗客の収容ができます。」
「うむ。」
東郷は、静かに緊張が高まる欧州まで日英同盟の威力を見せ付けるためとして行われたこの遠洋航海の裏の目的を思って少しだけ顔をしかめた。
そうならぬよう――史上最悪の海難事故を避けられるように船乗りとしての東郷は願っていたが、現実は彼ら・・・夢幻会の面々が言った通りになってしまった。
じゃっどん・・・旅順口で沈んだはずのこのいくさぶねが沈みゆくあの船をば助ける・・・皮肉というべきか何というか・・・。
「閣下!『タイタニック』より信号あり!『救助に感謝す。英日同盟万歳!』」
「『われら対馬沖のごとく期待に応えん。』と返信せよ。」
――東郷のこの言葉は、歴史に残った。
結局、わずか3時間あまりで巨大な豪華客船「タイタニック」号は北大西洋に沈没した。
だが、犠牲者は片手で数える程度にとどまり、ほぼ全ての乗客たちはニューヨーク港の歓呼の声に迎えられた。
この一件をもって英国政府は日本帝国海軍が欧州においても作戦できることを認識。
のちのジェットランド沖海戦に繋がってゆく。
それ以上に、これまで差別の対象であった東洋人・・・ことに日本人に対する欧州の感情を大きく好転させる作用として、これ以上ものはなかったといえるだろう。
なお、現在も日本本土の横浜市に在住するジャック・ドーソン ローズ夫妻の手による記録が近年映画化されたことは記憶に新しいだろう・・・。
【あとがき】――エルトゥールル号の話が以前ありましたが、事故を未然に阻止されそうなので今回はこのネタにしました。
知識チートここに極まれりという感じで(汗) でも、たまにはこんな感じもいいのではと思う次第です。
北米には『ドゥーチェのパスタ』という言葉がある。
欧州連合軍がアメリカ風邪の拡大阻止を名目に北米へ侵攻を始めると、
連合軍は度々、町の自警団や旧米連邦軍崩れ、果ては盗賊などとのいざこざに巻き込まれた。
これらのトラブルへの対応、そして占領政策は各国ごとに、そして場合によって様々だったが、
最も多く現地住民の支持を集めたのはイタリア軍によるそれだった。
『北アフリカで、ドイツ軍はイギリスの敗残兵狩りをしていたが、イギリス兵は
原住民の集落に隠れてなかなか発見できない。ドイツ軍は集落の中を探し回ったが、
さっぱり見つからない。
イタリア軍は、現地の顔役のところに行ってこう言った。
「イギリス兵の居場所を教えてくれたら砂糖5袋と小麦粉5袋を進呈するよ」
翌日、イギリス兵は全員捕まったそうである
―――――ttp://2chart.fc2web.com/itaria.html『知謀が立つイタリア兵』より』
提督たちの憂鬱 支援SS 〜ドゥーチェのパスタ〜
イタリア軍といえば、エチオピア侵攻での苦戦やWWⅡ緒戦のフランス侵攻における敗退など、
とかく『間抜け・腰抜け・腑抜け』といったイメージが強い。しかしながら彼らはいつもそうなのではなく、
個人の勇気や才覚で、個人の名誉や"愛"のために闘う時、その戦闘力はセ○ールにも匹敵すると言われる。
そして、1943年の北米は、そのような要素も活きてくる世界だったのである。
イタリア軍が欧州連合軍の一員として北米大陸へと出発する前に、
ベニート・ムッソリーニは『北米の同胞を救え』という題の演説を行っていた。
この演説は、同時期にドイツでヒトラー始めナチス党によってされていたものと同じように、
自国を正義の味方として、欧州連合軍に抵抗しようとするものを激しく非難するものだったが、
悪戯好きな運命か何かが干渉したのか、その演説の中に
『諸君らには大西洋の彼方から響いてくる、娘らの泣声が、婦人たちの嗚咽が聞こえるだろうか。
北米大陸にはこの世に存在しうる全ての弱者と、暴虐なる無法者で溢れかえっている』
という文があったのだ。この中の『娘らの泣声が、婦人たちの嗚咽が聞こえるだろうか』
という言葉が、北米におけるイタリア軍の活躍の、全ての元凶であるというのが定説となっている。
この演説はイタリアの北米派遣軍全員の耳にまで届き、
「娘らの泣声?俺達に聞こえない訳がないだろう」とばかりの反響を巻き起こした。
多くの兵が現地住民(特に女性)にあげようと"自力調達"したワインや食料品などを、
自分達が乗る輸送船に持ち込み始め、これを規制すべき者でさえこの動きに協力、
結果として『書類上は存在しない積荷(主に生活用品)』が大量発生したのだ。
そのためか、北米派遣軍の艦隊の中で、イタリア船籍の輸送船だけ心なしかスピードが遅かったという。
そして冒頭の『ドゥーチェのパスタ』の由来だが、
これは偵察飛行をしていたあるイタリア空軍の戦闘機パイロットの行動に端を発する。
当時、欧州連合軍が偵察飛行を始めると、それを見た多くの現地住民が、
『HELP ME』『GIVE ME FOOD』などと地面に書いて援助を求めていたが、
パイロットはたまたま英語を齧った事があってその意味を理解できたので、
基地に戻ると機体への給油中に兵糧のパスタをちょろまかして来て、
適当な袋に詰めるとそれを抱えてコクピットに入り颯爽と再出撃。
そしてたまたま通りかかった適当な村を低空飛行し、それを投下したのだ。
この美談(?)がドゥーチェの耳に入ると彼はその行為にいたく感銘を受け、
何を思ったのか空軍に『ムッソリーニの顔写真が印刷されたパスタ入り袋』を村々に投下するよう、
空軍上層部へ相談する事なく、直接命じてしまったのである。
こうして、搭載スペースに優れる爆撃機を中心にしたパスタ入り袋の投下が始まったのだが、
これは食糧難に苦しんでいた北米の現地住民にとっては、正に神の降臨にも等しい出来事であった。
北米住民の対イタリア感情は大幅に好転し、特に旧イタリア系移民の地位が向上。
「Give me Pasta」はちょっとした流行語にまでなり、
パスタ袋にドゥーチェの顔写真が入っていた事から、
「ドゥーチェのパスタ」という言葉ができて彼も一躍有名人となった。
最初これを見ていたその他欧州軍は「またイタリアがトチ狂った」と思っていたのだが、
最初に食料を投下しておいた村や町でその後の占領がスムーズに行くようになった事から、
まずドイツ軍が、次いでフランス軍、最後にイギリス軍も同じような行動を開始した。
最初はムッソリーニの越権的な行為に苦い顔をしていたイタリア空軍上層部も、
この効果から命令を事後承認(ただし次は無い、と釘を刺しはしたが)。
中にはこの功績を自分のものにしようとする者さえいた。
ちなみにイタリア空軍の行動に一番憤慨していたのは、
ドイツ北米軍団に多数のラジオや本格的映写機まで持ち込ませていたヨーゼフ・ゲッベルスで、
『イタリア軍は飯で現地人を釣っており、しかも成功している』という報告を受けた際には、
「奴ら(現地住民)は野蛮人以下の獣か、奴らにとっては餌をくれる者が飼い主なのか」
と激しい口調で怒鳴りつけ、北米における宣伝政策の修正を命じたとされている。
遣米軍編成当時、ゲッベルスらは「北米に文明を取り戻させる」事がドイツの使命であるとし、
少ない中から最大限の予算を投じて北米住民向けのプロパガンダ映画まで作らせており、
さらには建築家のアルベルト・シュペーアや芸術家志望だったアドルフ・ヒトラーその人と共同で、
『北米大陸新都心計画』なる、とても壮大な名前の付いた都市圏再建計画まで立てていたので、
イタリアがこのような、あまりに簡単な方法で支持を得ていた事が我慢ならなかったのだろう。
ヒトラー自身も、この状況に「文明の再建」がいかに困難なものかを思い知り、
東洋の古い諺である「衣食足りて礼節を知る」を参考にして、ドイツ北米軍団に対して、
「餓えと寒さを凌げない集団の上に文明は成り立たない」という旨の訓示を出した。
もっとも、ドイツ兵の間にあった、自分達>>>(超えられない壁)>>>現地人
という意識は(特に武装親衛隊の間では)なかなか払拭されず、
陸上戦闘では最強を自負していたドイツ軍は、
これまで軍事的後進国と見なしていたイタリア軍に対して、
占領政策においてその後も何度か出し抜かれる事になった………
〜fin〜
age忘れたのでage……るついでに、SS内に織り込めなかった要素を羅列。
◆難民の扱いを巡ってイタリア兵と武装親衛隊が銃撃戦、イタリア兵圧勝
◆アメリカでドゥーチェがバルボよりも有名に
◆総統閣下と愉快な仲間達による『北米大陸新都心計画』の中身
これだけ書いておけば、誰かが1つくらい書いてくれるに違いない(マテ
提督たちの憂鬱支援SS――「輜重」
――1943年4月 日本帝国
「砲工歩機が体ならば 我らは血なり輜重兵
忘るな乃木大将の訓 全軍我らが支えけり」
歌詞は、まず日本語で、続いて英語に訳されて繰り返される。
ふむふむ。と、ダグラス・マッカーサーはペンを走らせた。
「その、ジェネラル・ノギの訓示というのは何なのかね?」
「はい。昔は輜重兵は『荷駄どもが兵ならば チョウチョやトンボも鳥のうち』と言われ、日露戦争の頃まではそういう風潮が強かったのですが、鴨緑江渡河の際に輜重兵たちを嘲っていた歩兵を見とがめた乃木大将がこう言ったのです。
『貴様らはこれまでたどってきた道を覚えているか?』と。
『土地は荒れ果てていましたし、道はぬかるみ野盗まで出る容易ならざる道でした』と兵たちが答えると乃木大将は『そうか、それに加えて精強なロシア兵と戦いながらの進軍を果たした諸君らはまさに精兵というに相応しいだろう』と言われました。
兵たちが胸を張ると、乃木大将は『だが』と言葉をつづけ、『諸君らには砲兵や歩兵、騎兵らの支援を受け斥候兵の情報をもって大勢でそれを乗り越えた。
だが、この輜重兵たちはあのぬかるんだ荒れ地を一人1トン近い荷物を持ってわずかの人数でこれから何往復も歩くのだ。我々が戦えなくならぬように命がけで食糧武器弾薬を守って。聞くところによれば輜重兵たちは野盗や飢えた敵兵の弾丸から己の身体をもって輸送品を傷つけぬように守っているということだ。
だのに荷駄が遅れれば罵詈雑言を浴び、挙句の果てには同じわが軍の兵とも認められない。
兵の中でこれほど健気なものを私は知らぬ』と静かに言われたということです。
兵たちは恥じ入り、輜重兵たちは奮い立った――これが『乃木大将の輜重訓示』です。」
なるほど。とマッカーサーは通訳を兼ねる彼の従卒 金田少佐に何度も頷いた。
先ほどまで彼は、日本陸軍の軍歌について原稿を書いていたのだった。
その中で気になった一節や日本軍の気質について、この金田少佐は快く説明してくれていた。
彼が捕虜収容所に入ってもう数カ月あまり。
移動に関して若干の制限はあるが、彼は比較的自由に過ごしていた。
悪化していく戦況に心を痛めてはいたが、マッカーサーは日本で長期にわたる余暇時間ができたことを利用して回顧録や軍の運用方法、そして日本人についてと様々な書き物をしていたのだった。
「確かに補給は大事だからな。それを周知させるために皆が歌う軍歌の最初の方に輜重兵を歌い上げて意識を喚起しているわけか――」
「実のところ、改訂に際しては上の方でお偉方が相当もめたらしいです。精神力さえあればと言うような人たちと、欧州大戦の参戦組との間ですったもんだがあったとか。」
「はは。前線に出なかった連中はたいていがそうなるものだ。あのフランスのフォシュ元帥のようにな。」
マッカーサーは、新調したコーンパイプに火をつけた。
なるほど日本軍は面白い。
軍歌といえば我々の中では勇猛果敢な兵たちが好まれるが、この国のものはまるで反戦歌のようなものが好んで歌われている。
メロディーは・・・そう、スコットランド民謡から曲をとった「ジョニーが凱旋するとき」のようなものが多い。
そんな中で景気のいいこの歌については考察から外していたが、そんなこの曲の中にも興味深いことは多いようだ。
あの「海ゆかば」だけで日本人の精神性を推し量るのは早計ということか。
「そうだ。閣下、頼まれていたものをもってきましたよ。」
金田少佐が思いだしたように書類カバンから英語の本を持ってきた。
「おお!待っていた。」
「閣下が小泉八雲を読まれると聞いた時は驚きましたよ。それに『葉隠』や『五輪書』まで。」
「いやなに。祖国に帰るときに、日本人の話ができないでは笑われるからな。」
マッカーサーは笑った。
彼は、ふとしたきっかけで柳田邦夫という民俗学者の著書「遠野物語」の英訳版を読み、すっかり興味をそそられていたのだった。
外出が自由ではないマッカーサーにかわり、金田少佐は出勤途中の丸善でいろいろと本を買い込んで来てくれる。
祖国に帰れる日が来たら、ぜひとも彼を招待したいとマッカーサーは思っていた。
「さて。早く読んでみよう。おお、そうだ。昼食を食べていくかね?話の続きも聞きたい。」
「喜んで。」
なんだかんだでマッカーサーは結構日本滞在を満喫していたのだった。
【あとがき】――補給の話が話題になっていたので以前投稿したネタを敷衍して一本書きました。
マックに関しては、史実で海ゆかばを味気ない訳にされた意趣返し――なんてことはこれっぽっちも考えてませんからね!(汗)
あいかわらず下手な文です。
なんとなく「あの人は今」的かパロディな物語しかかけない予感が(w
まあこういうSSも読んでいただいて息抜きの一助となれば幸いです。
ということである二人のアメリカ人の物語です
提督たちの憂鬱支援SS――「アメリカンドリーム」
「くそ、ジャップだけじゃなくて、メキシコ野郎どもまでもが付け上がりやがって!」
「しょうがねえよ、アメリカは今や腐肉で、ハイエナどもがたかってる状態なんだから」
東部なまりの男達が銃を抱えながらトラックで揺られている
彼らは旧連邦軍、旧アメリカ海兵隊のライフル小隊だ。
今やアメリカ海兵隊は滅び、身内の「敵」でもあった陸軍のアイゼンハワーの指揮の下で活動している
旧海兵隊と言うことでロサンゼルスの海軍基地の警備に当たっていたが
メキシコ軍アリゾナ侵攻を受けて、教育中ではあったが海兵隊の任務(敵地侵攻及び日本軍への反抗)に備えて
装備弾薬が充実していた旧海兵隊の部隊に出動命令が下ったのだ。
彼らの新たな任務は「フーバーダム防衛」、サンディエゴからフーバーダムへの補給路を確保することである。
本隊はサンディエゴ防衛線に投入されつつあった。いざとなればフーバーダムからネヴァダの砂漠を
超えるラインまでも防衛しなければならない
「だからと言って俺たち海兵隊が砂漠のど真ん中のダムを防衛しなきゃならないんだ!」
「しょうがねえだろう、俺たちはもうアメリカ海兵隊じゃない、「カリフォルニア共和国」に居候している
<<旧連邦軍>>の海兵隊なんだから」
「くそ、故郷さえ津波に襲われなかったら…」
男達がその言葉を聞いて無念の表情を浮かべる
小隊の多くの者達は東部出身者だ。故郷の家族がどうなったかわからないのはみな同じだ
さらに故郷へ救出にも戻れない自分たちの立場も無念だった。
その様子を見た軍曹が脇の少尉に何かを合図する。
うなづいた少尉の同意を見て軍曹は立ち上がった
「ジャップの手先のおフェラ豚め!ぶっ殺されたいか!?!!
おまえらはまだウジ虫か?! 地球上で最下等の生命体なのか!?」
はじかれたように男達が身を起こし大声を出して返事をする。
「 Sir,No Sir!」
「いいか!海兵隊より早く神はこの世にあった
心はジーザスに捧げてもよい 、故郷に帰りたいのは判る。
だが貴様らのケツは海兵隊のものだ
だから海兵隊が砂漠中のそびえ立つクソを守れと言ったら守るんだ!
分かったか豚娘ども! 分かったら返事をしろ! 」
「Sir, Yes Sir!」
「豚娘は海兵隊を愛しているか?」
「生涯忠誠! 命懸けて! 闘魂!闘魂!闘魂!」
「草を育てるものは?」
「熱き血だ! 血だ! 血だ!」
「おれたちの商売は何だ、お嬢様?」
「殺しだ! 殺しだ! 殺しだ!」
「ふざけるな!聞こえんぞ!」
トラックの中で男達の怒号が続いた
‐「スマンな、軍曹」
「なに、これぐらいのことは…しかし兵隊たちの心の中を思うと…」
「軍曹はどこの出身だったかな?」
「カンサスです」
「カンサスか、それなら国に戻れただろう、どうして残った?」
「国はカンサスですが、あっしにとっちゃあ海兵隊が故郷です。
それに国が津波に飲まれたのに隊に残った奴らを放り出してはいけやせんぜ」
「そうか…すまんな」
「少尉も確か東部でしたな」
「ああ、ニューヨークだ」
「ニューヨークですか…」
「たぶん津波に飲まれた、お袋も親父も兄貴たちも妹も…」
少尉の目はここを見ていなかった。
軍曹は少尉が言わなかったことを知っていた、家族に加え
大学時代に知合った彼の婚約者もまた津波に飲まれているであろうことも
彼もまた多くの兵隊たちと同様に家族と恋人と故郷を失っているのだ。
なのに彼は多くの兵隊や将校とは違い、あくまでも海兵隊に忠実だった
少尉は日本が宣戦布告をしたときに、大学を中退して海兵隊に志願した。
「アメリカ市民として当然の勤め」彼はそう言った。
アメリカはもうなくなったというのに、
仕事に没頭し、兵を気遣い、士気を一定に保ち続けていた。
そのために少尉は伝を使って兵隊たちのためにハリウッドから歌手まで呼んでくれた。
「これから海兵隊はどうなってしまうんですかね?」
「わからん…だがこれだけは言える、メキシコとの戦いで一定の役割を果たせれば
海兵隊は残るだろう。ジャップの風下に置かれるが、彼らは有用と認めてくれる」
「ジャップの風下ですか…」
「軍曹、君には不満だろうが風下でもアメリカ合衆国海兵隊の伝統はその下で生き延びることが出来る。
そうすれば再びアメリカが立つとき海兵隊は真の姿を表すことが出来る」
「今は耐えるときですか」
「ああ…、だが本当の敵はこのメキシコとの戦いが終わった後だ」
「終わった後?」
「カリフォルニア共和国はジャップが認めても海兵隊独自の健軍はなかなか認めないだろう」
「なぜです?ジャップが認めれば共和国も…」
「経済力が許さないんだよ」
「経済力ですか…」
「今や海兵隊は僕にとっては最後のファミリーだ、何とか守る為には既存の産業だけでなく
カリフォルニアにとっても新しい商売を始めなきゃならないんだが…」
「新しい商売ですか…わたしゃにはようわかりませんな」
「軍曹は海兵隊の伝統を守っていてくれよ、僕が新しい商売を考えるから」
「頭のいい人にはかないませんなぁ…」
二人が笑うとトラックが急停止した
「休憩です」
運転席から運転手が言った
「起きろ! 起きろ! 起きろ! マスかきやめ! パンツ上げ!休憩だ」
兵隊たちがトラックを降りるとそこは砂漠のど真ん中だった。
「くそ、こんなところで何しろって言うんだよ」
兵隊たちはぶつぶつ言いながらもやけくそ気味に小便をしたり横になっている。
「軍曹、あそこに町があるがどうしてあそこで休憩しないんだ?」
「ああ、ラスヴェガスですか…前はあそこで休憩したんですがね。ドル暴落で今はすっかり寂れて…
しけてましたが博打も出来て、そこそこいい女もいて、いい休憩場所だったんですが…」
「博打?ここでは博打が許されていたのか?」
「ネヴァダは賭博が合法なんですよ」
「賭博が合法?…」
少尉は弾かれたように砂漠を見つめた。そして時折これからの任務であるフーバーダムの方を見る。
「どうしたんです?少尉?」
軍曹はまるで稲妻にしびれたようになっている少尉に問いかける。
「わからないか?軍曹?」
「何が?」
「新しい商売だよ!」
「新しい商売?」
「フーバーダムはロサンゼルス、いやカリフォルニアの生命線になる。
アリゾナがどうなるかわからんが、
いずれにしてもここにジャップは、カリフォルニア共和国は軍をおかなくちゃならなくなる」
「それがどうして新しい商売になるんです?」
「ラスヴェガスは軍の交代の中継点になる。ここに賭博場を開けばいい金になる!
いやそれだけじゃない!高級ホテルに豪華なショウ、いい女も置けばジャップや
アメリカを分割しようとする旧大陸の人間たちもやってくることになる、
保養とスパイを兼ねてな!」
「そんなもんですかねぇ…」
「決めた!僕はここで新しい商売をやるぞ!」
「少尉、志は結構ですが金はどうするんです?こんなところにホテルを建てるとなると…」
「大丈夫、伝はある」
少尉はまるで猛獣が獲物を見つけたときのような獰猛な笑みを浮かべて見せた。
軍曹は時々この少尉がわからなくなるときがある。インテリらしく物静かなときもあるが
時としてヤクザのような激しさを見せるときがある。
運転手が頃合よく休憩を終える声をあげた。
「ま、わたしゃ海兵隊が生き残るならなんでも商売始めてくださいってところですが。
とにかくまずは生き残りましょうや、マイケル・コルレオーネ海兵隊少尉殿」
「そうだな、僕の唯一残された海兵隊(ファミリー)の為にもな。
第一<<海兵隊員は許可なく死ぬことを許されない!>>だろ?ハートマン砲兵軍曹?」
「Sir, Yes Sir!」
わざとらしくマイケル・コルレオーネ海兵隊少尉はハートマン軍曹に答礼し
トラックへ向かった。
後の大ラスヴェガスの誕生の為にも彼らは生き残らねばならなかったのだ。
新たな「アメリカンドリーム」の始まり
そしてマイケルにとっては新しいファミリーを築く始まりなのだ。
一つ言い訳を
文中のハートマン軍曹が上官に対するしゃべり方ですが
「カンサス弁丸出し」を演出する為に使いました
(リー・アーメイ氏がカンサス出身なので)
「愛と青春の旅立ち」ではROTCの軍曹が卒業のときに学生たちに敬語を使ってましたが…
「ドラグナー」でもありましたね
新兵というか現地徴用兵な主人公達を罵り罵倒し鍛えていた軍曹が
主人公達が少尉に昇進したら突然敬語を使い始めた
あの言葉の使い方をがらっと変えるのも軍事教育の一環らしい
階級が上に立つ事で、これまで罵り鍛えてくれてた教官から敬語を使われる
それで、軍隊における階級の意味を教えるんだとか
>>664-665
支援SS 感想掲示板の方でお願いします。
今回はとある半島のSSです。半島は半島でも、フロリダやスカンジナビアではありません。
たぶん、本編において一番悲惨な国の1つかと。旧米も英も墨もまともに書いてもらえるだけ……
憂鬱世界において、日本は数多くの謎を歴史研究家達に残している。
何故産業革命に乗り遅れながらものの数十年で列強の水準へ追いつけたのか。
何故他の国々を質で圧倒する軍隊を用意する事ができたのか。
何故あれほどまでに時代の先を読んだ行動ができたのか。
歴史研究家の多くは当時の人間達と会話ができない事を悔やんだが、
当時の多くの人間達(特に欧米)にしてみれば「そんなのこっちが知りたい位だ」といった所だろう。
勿論これらの謎の真相は皆様ご存知の通り。
それではここで、数多くあった「日本の謎」の1つと、
それにまつわるエトセトラをご覧頂こう。
提督たちの憂鬱 短編支援SS 〜列島と半島〜
「何故、日本は韓国を併合しないのだ?」
当時、多くの列強指導部が抱いた疑問である。
何しろ韓国は極東まで迫ってきた近代化の波に事実上乗り遅れた状態となっており、
一方の日本は明治維新などの産みの苦しみを経てアジア第一の新興国として名乗りを上げようとしていた。
日清・日露の両戦争を勝利するとその地位はますます磐石なものとなっていったのだ。
しかし日本は、そのすぐそばにある戦略的要衝、
アメリカにとってのキューバとも言える朝鮮半島と、
そこを支配する大韓帝国にはなかなか手を出そうとしなかったのである。
日本は韓国に対しては"助言"を与えるなどして内政、外交面で一定の干渉をしていたが、
かの国を併呑するような事は無かった。軍事力、経済力、技術力で圧倒しているにも関わらずである。
列強の間では、力に劣る国は力に勝る国に飲み込まれる、というのが一般常識であった。
だから戦略的にも重要な位置にある韓国を、日本が併合しようとしないのは実に不可思議な事だった。
黄禍論で知られる時のドイツ皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム2世もこれを不思議に思った人物の1人で、
「極東の猿(日本)は連中の戸口(朝鮮半島)を盲目の猿(大韓帝国)に守らせているらしい」
という、現代にも伝わる有名なジョークを飛ばした事がある。
勿論日本……夢幻会からすれば韓国併合など死亡フラグでしかない、という事だったろう。
それでも地図のみを見る人間は「朝鮮半島も領土として東亜勢力圏を作るべきだ」などと言っていたが、
彼らはアジア地域に与える悪印象や韓国は併合しても大したリターンが無い事などを理由に"説得"され、
また史実とは違いカムチャッカ半島などの開発という別な目的もあったためこういった声は抑えられていった。
さらに日米戦争において韓国政府内で利敵行為があった事が判明し、
それを題材にしたスパイ物ドラマ『半島に沈む陽』のテレビ放映が開始されると、
日本人の韓国に対する評価は文字通り地に落ちた。
「技術供与?あんな所に?馬鹿馬鹿しい!」
「あの国は今内情が不安定だそうじゃないか。
対岸の火事が永遠に続いてくれればこちらはこの上なく平和なんだが」
こういった声が夢幻会のみならず、
日本全体から人目を憚らず聞こえてくるようになったのである。
おかげで世論の中心も「韓国併合をすべきだ」というものから、
「韓国併合をしても面倒ごとが増えるだけだ」というものへと移り変わっていった。
これには日米戦争で大勝利が続き、アメリカ西海岸をも日本勢力圏へ収めようかという勢いである事も影響していた。
日本の多くの投資家の評価は《朝鮮<<<(超えられない壁)<<<西海岸》とごく自然であったし、
他の人々も「え、朝鮮?太平洋が日本の海になろうって時に構う暇は無いよ」と半島に対しては概して冷淡だった。
そのため大韓帝国には日本の資本も日本の技術も全くといって良いほど入ってこず、
また韓国人には海外への進出も極めて困難だったため、日韓格差は加速度的に開いていった。
アジア有数の資産家にして労使間仲介の第一人者、類希なる慈善家としても知られ、
かの汪兆銘の直接依頼を受け入れて華南連邦民への半公的農業育成事業を始めた徳田球一さえも、
朝鮮半島に関しては「国民に一番に奉仕すべき政府が不健全な状態では、一体他の誰が国民に奉仕しようとするだろうか」
と強烈な皮肉を放ち、韓国政権が安定し、実効的な貧困対策を始めるまで韓国への支援はしない、と公式に宣言している。
また、『世界一日本に厳しい(反日、でない所が重要)』との称号をほしいままにする日ノ出新報社も、
「今の韓国は狂犬のようなもの、傍に置くのは自殺行為、檻に入れておかないのも自殺行為」という主旨の社説を発表した。
狂犬扱いをされては流石に大韓帝国も黙っていられなかったのか、例の"謝罪と賠償"を求めはしないまでも、
「主権国家を狂犬扱いするとは何事か」と抗議した。しかし文字通りの弱小国の抗議が聞き入れられる筈も無く、
日ノ出社は中立の皮を被った利敵行為や韓国政府内の政争、それに国民の貧困を挙げて理路整然と反論。
「韓国国民が全員自動車を持つくらい豊かな国に成長したら狂犬扱いを止める事も視野に入れていく」と、
皮肉たっぷりの挑発で返された上、日頃は日ノ出と対立していた日本の愛国系(と自称している)新聞各社
(大日本帝國とにかく最強!マンセー!世界一!な新聞社)まで、「主権国家(笑)」「m9(^Д^)」
などと日ノ出の論調に乗っかって韓国を叩くに至っては、火病する気力も失せ憮然とするしかなかった。
そんなこんなで、大韓帝国は徹底無視を続けられていったのだが、その上さらなる災難まで背負い込む事になる。
『朝鮮新型農薬事故』と名づけられている、知る人ぞ知るこの事件は、朝鮮半島と日本の間に繋がりが出来るかもしれないと、
韓国政府に大きく期待され、そして見事に裏切られた事件である。
事の始まりは徳田球一が、汪兆銘との協議の上で、コメ、トウモロコシなどの主食系作物だけでなく、
より商品価値の高い果物系の栽培指導も華南連邦の農家に行っていく事で合意した時である。
この合意は、指導の成果である収穫物の40%を徳田傘下の商社が独占的に買い付けるという、
「何処かの眼鏡男と比べれば非常に良心的な(本人談)」取引の上で成り立っているものだったが、
これをつぶさに見ていた韓国政府は「自分達も…」徳田へのアプローチを開始、速攻で拒絶された。
そこへ新興農薬製造会社であった『新東亜化学』が、
「新型の農薬を開発したので、日本で売る前に韓国で買ってもらえないか」という提案をしたのだ。
その理由は日本で売る前に環境や人畜への影響の実測値を得たい事、という何やら怪しい雰囲気のする物であったが、
それがニカメイガの幼虫やシンクイムシに劇的な効果がある、と説明を受けた事、
そして新東亜化学の提示した新型農薬の販売額が極めて良心的(ぶっちゃけ赤字直前)だった事から、
大韓帝国は「政府の方でこの農薬を使ってみたい農家を公募して頂戴、そしたら必要分だけ搬入するから」
という新東亜化学の頼みを即時承諾し、農家へその農薬を紹介、購入希望者を募った。
当時ニカメイガやシンクイムシは朝鮮半島でも猛威を振るっており、
この天佑ともいうべき新型農薬は飛ぶように売れていった。「人畜に"多少の毒性"が"あるかもしれない"」
「使用時は"適宜"注意を払うこと」という2つの注意書きがあったにも関わらず、である。
そして、問題が出て来るのに、新型農薬の"罠"が発動するのには、あまり時間はかからなかった。
農薬の輸入開始直後から、それを使った農家からの「頭痛、痙攣がする」「視覚が異常になる」
「呼吸困難になった」などの報告が相次ぎ、韓国政府は津浪のように押し寄せる被害への対応に悲鳴を上げた。
政府は新東亜化学に説明を求めたものの、「当該農家は当社の農薬を適正に使用しておらず」云々、
「自己責任による事故への補償は」云々と、実に歯切れの悪い対応に終始した。
史実では『パラチオン』と呼ばれる事になるはずだったこの新型農薬が起こした薬害は、
被害の規模が大きくなると流石に日本国内でも取り上げられるようになり、"行政指導"も入ったのだが、
新東亜化学は「ラットへの実験で毒性は確認されていたが、それで人体にも影響があるかは簡単に断言できない」
「弊社の注意喚起は十分であり、責任は全て韓国の農家側にある」と、周囲を唖然とさせる開き直りっぷりを発揮。
「安全性の確認には、それを実際に使ってみるのが一番確実じゃないか!」
「これからの農業に農薬は必須だ!結局は誰かが人柱にならなきゃいけないんだよ!」
という記者会見での社長のブチギレと絶叫は巷で語り草になった。
これには日本国内からも非難の声が上がったものの、日本政府で『農薬安全化制度』という、
化学企業には安全な農薬を作るようにさせる指導を、農家には農薬を安全に使えるための各種支援を、
消費者には農薬を使った食品を安全に食べるための教育を、それぞれ行う制度が整備され、
風評被害を危惧する他の企業から依頼を受けた新聞社、テレビ局など各種メディアが
「農薬は確かにリスクを伴うが、農家と周辺住民で注意を払えば大丈夫」と宣伝し、
海を挟んだ福建共和国の大学から無農薬農法や低農薬農法とそのメリットが紹介され、
さらに政府が農家に対してこれらの農法から好きなものを選択する自由を与えたこと、
そして何より被害が出たのが朝鮮半島という「対岸」であった事から、
日本国内での農薬危険視の動きは急速に冷めていく事になった。
『稲穂を害虫から守る傘』を社章にした新東亜化学は一連の開き直りで酷い悪評が立ち、
韓国での事業も中止に追い込まれた事から倒産、重役は揃って行方不明となるが、
大衆の間ではこの『朝鮮新型農薬事故』自体が『オワコン』になっていたので特に注目される事も無かった。
この事件は日本の農薬製造界に大きな衝撃を与え、政府による指導もあって、
より毒性の低い代替農薬の開発が猛烈なスピードで進んでいく事になった。
そして日本の農家も、自分達の商売のスタイルに合わせて農法を自由に選べたので、
日本の店には農薬、低農薬、無農薬など様々な食品が並ぶようになった。
そして、農家の間では他の農家との違いを出すための「我流農法」を開発する動きも広まり、
日本国内の作物市場は「農法の展覧会」と呼ばれるまでバラエティ豊かなものとなる。
一方の大韓帝国では……
勿論危険な農薬を販売していた新東亜化学も被害を受けた農家達による激しい非難の対象となったが、
その燃え上がる怒りが、何時の間にか「韓国政府は農薬の危険性を理解していながら輸入していた」
という謎の方向へも発展し、政府までが叩かれる事になったのだ。
さらには韓国農家の間に一種の「日本製不信」「農薬不信」が根付く事になり、
韓国が新しいより安全な農薬を輸入しようとしても、「"新東亜鬼子"の非道を忘れたか」「安全性はあるのか」
などと矢のような批判を浴び、結果として引き続き虫害に悩まされてしまう。
一方日本の農薬製造会社は「別に韓国は有望な市場じゃないし、輸出は福建・華南中心だし」というスタンスで、
蚊に刺された程度の損失も無い。そもそもビジネスが無い所には損失も発生し得ないのだが……
そんな訳で、この事件で一番損失を被ったのは大韓帝国であった。
余談ではあるが、この事件の頃から例の"撫子たん"には、『韓国に対してはドS』という誰得な属性が加わったという……
〜 f i n 〜
というわけで、憂鬱世界だとどこまでも不遇な某半島でした。
薬害への警鐘のための『新型農薬事故』は、酢酸フェニル水銀とどっちか迷いましたが、
開発年代が近いという事でパラチオンにしました。
『新東亜化学』による騒動はご想像されているだろう通り、一部転生者の計画です。
韓国を人柱にして農薬の危険性を実証⇒安全な農薬を作る事を啓発⇒日本で同様の事件が起こる事を阻止
というストーリーだったが、非転生者の社長ら(対韓強硬派)が予想外にエキサイトしてしまったりして脱線の危機……
嶋田・辻も最初は頭を抱えたが、できるだけプラスの方向へ持っていこうとしてこうなった……という裏設定があります。
またまた駄文をお送りします。
「おや?」と思われる方が多いと思いますが、このSSの憂鬱世界「南海鉄道」は阪神・阪急・京阪と同じ標準軌と推定しました。
本編中で国鉄は「広軌」で建設と書いてありましたので、たぶん日本で言う「広軌」、すなわち標準軌で建設されたと思われます
そうなると、国鉄が乗っ取ろう(w)と考えていた南海鉄道が標準軌で建設されたであろうと思われますので、
結果的に関西五大私鉄はゲージが統一されることになります。
ただし、阪神などは国鉄と違うゲージで鉄道敷設を進めたかもしれませんし、
憂鬱国鉄が本編中の文字通り「広軌」で建設されたのなら
南海=国鉄=広軌、阪神=阪急=京阪=標準軌となりゲージが違うことになります。
ただエコノミック・ビーストと呼ばれる夢幻会出身の鉄道省官僚がゲージの混乱を許すとは思えないのです。
森林・鉱山鉄道やインクラインなど特殊事例を除いてほぼ標準軌、あるいは広軌で国鉄も私鉄も建設されていったと思います。
もちろん「ナロー萌え」の人とかも多勢いたと思いますので断言できませんが…
ゲージについては(SS内容によっては全部納得いかん!という方も多いような…)
議論の余地がありますが、ご容赦いただき、お読みください。
提督たちの憂鬱 支援SS 〜ある明治男子の憂鬱〜
(なぜだ…なぜ、こんなことになっているのか…)
日米戦争という戦火の中であるにもかかわらず、舞台では華麗な調べが流れ、美しい女優たちが演じている。
しかし、ここ宝塚大劇場のボックス席に身を沈め、阪神急行電鉄と東宝グループを率いる小林一三は
目の前の舞台を見ていなかった。
彼の内心は憂鬱だった。また目の前の音楽と舞台がそれをさらに助長していた。
彼は様々な事業を成功させていた。鉄道はもちろん、彼の肝いりで作られた宝塚歌劇団も映画の東宝も、阪急百貨店も順調である。
「みみず電車」と笑われた箕面有馬電気鉄道を、彼の経営手腕で「阪急」という阪神間の鉄道会社に育て上げた鉄道事業は、
関西五大私鉄の一角を占めている。
文学・演劇青年でもあった自分が作り出した、「阪急文化」あるいは「宝塚文化」と呼ばれる気風を関西に吹き込んだ自負もあった。
事実、世間では彼の阪急東宝グループは一流企業と見られていた。
しかし彼は今、憂鬱である。
まず、鉄道事業では阪急包囲網というべきものが出来つつあった。
無理な投資がたたるだろうと思っていた京阪電気鉄道は、京阪間の新京阪電鉄だけでなく名古屋急行電鉄も開業し、
中部地区に進出を果たして名阪間の一大私鉄となり、関西だけの私鉄から脱却しつつあった。
無理な投資がたたって傾いた京阪を、戦争前ささやかれていた戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)で、
あわよくば合併しようと思っていたあてを外された。
その上、「大阪市モンロー主義」のおかげで絶対にないと思っていた大阪市営地下鉄御堂筋線が、こともあろうか彼が「田舎ものの電車」
あるいは「野蛮な気風」と思っていた「阪神電鉄」と手を組み、京阪と阪神共同の地下鉄建設費全額負担という、
一三が嫌う「民間の官への媚」ともいえる唾棄すべき手法で相互乗り入れを行った。
それだけでなく、これまた「阪和電気鉄道」のからみから手を組むことがないだろうと思っていた南海鉄道が、
京阪と組んだのだ。阪和電気鉄道を国に売った代金をそのまま南海の改良に当てるという暴挙ともいえるものであった。
そして各社の思惑を調整し、新聞に「スルっと関西!」と大々的に広告を打って、区間制ではなく距離制で統一料金制を打ち出していたのだ。
これにより、京阪神だけでなく南は和歌山、東は名古屋、西は神戸まで一大連合私鉄路線が、一三の思惑と別のところで完成してしまったのである。
一大連合私鉄路線網が完成してしまったことにより、大阪電気軌道(大軌)も連合に膝を屈する事態となっている。
一三がここ宝塚で観劇している今このとき、上本町の大軌の本社で調印式が行われているはずである。
これにより奈良・伊勢にまで路線が拡大する。これにより阪急は、関西五大私鉄ではあるが、一人弾かれた形になってしまうのが決定的になった。
一三は唇をかんだ。
御堂筋線建設決定時に慌てて京阪に乗り入れを打診したが、
「阪神さんとの絡みもありますし、それにイザという時、阪急さんに新京阪本線を取られるのはかないませんからなあ」
と、まるでこちらの腹の中を見透かすように断られたのだ。
京阪が駄目なら阪神と、プライドを捨てて見下していた阪神にも頭を下げた。
「一三さんに頭を下げられては…しかし、御堂筋線は京阪さんとのからみがありますので、神戸の地下鉄でどないでしょうか?」
とこれまた山陽電鉄との相互乗り入れに利用されるという、足元を見透かされる始末である。
いきり立った一三は株式買収で阪神電鉄を我が物にしようかとも考えたが、相談した証券会社より
「阪神さんの株のガードは固いですよ、何でも<<村上にやられてたまるか!>>とよくわからないこと言いながら株式や社債の発行に
うるさい会社ですから」
と言われ断念した。
一三の思いは二つ目の憂鬱に移る。
(阪神にはやられた…中等野球を譲って以来、いいことがない…)
鉄道事業における集客の手段として一三は野球に注目し、初期の中等野球を支援した。
阪急の豊中グラウンドで第一回全国中等野球選手権大会が開かれたほどである。
あまりの人気にグラウンドが狭くなり、阪神の鳴尾球場に会場を移すことになっても
一三とは快く譲った。中等野球を見て宝塚にスポーツ公園を設置し大会を招聘することにしたからである
それに職業野球を立ち上げれば客が入ると、ちょうど関東にあった日本運動協会が震災の影響で立ち行かなくなったので引き継いだ。
しかし客が入らず、時期尚早であった。
それに反して中等野球は盛況で、阪神はいち早く甲子園球場建設し、集客が順調なのを見て一三は苦虫をつぶした。
やがて時代は下り、大リーグの来日を機にリーグ設立がなされ、阪神が球団設立を発表すると、一三は機が到来したとして
阪急に職業野球チームと西宮に新球場建設を指示した。
しかし、「今度こそ阪神に目に物見せてやる」という思いで立ち上げた新規事業の職業野球も、
阪神の後塵を拝していた。
(というか、何かが違っていた…)
リーグ戦が始まると、甲子園の大阪タイガースは初日から大入り満員が続いた。
あまりの客の入りに各球団が甲子園で興行を行いたいというほどだった。
それに対し、阪急軍はそこそこの入りしかなかった。
一三は戦力的に見て、タイガースも阪急軍もそれほど代わりがなく、むしろ人気であった六大学のスターを集めたのに
なぜ阪急に客が入らないのか不思議だった。
西宮に新球場が出来たときも、初日は大入りだったが後は少し観客が増えた程度と報告を受けていた。
一三は「なぜ大阪タイガースにはそんなに客が入るのか?」と疑問に思い、一度自分の目で確かめようと密かに甲子園に行ったことがある。
その日、一三は国道を走っていた阪神電鉄国道線で甲子園に行った。
今日の試合のチケットを社の者に手配させたが、直前まで手に入らなかったので、さぞかし人気があるのかと思っていたが
電車の中の客はまばらであったので
(なんだ、人気があるといってもこんなものか…)
と拍子抜けするほどだった。
しかしその認識は路面電車が甲子園についたとき吹き飛んだ。
「なんなんだ、これは?」
一三は電車から降りたとき、自分の目が信じられなかった。
甲子園は人で溢れていたのである。
どこから人が沸いたんだと思って列を見ると、阪神電鉄本線の駅から人の列が続いていた。
しかも、タイガースの野球帽はもちろんのこと、何人かは白と黒の縦縞に「大阪タイガース」と球団名を染め抜いた法被を着ている。
その法被は駅前広場の露天で売られているようであった。
よく見ると法被だけではない黄色いメガホンと、なにやら長い風船まで売っている。
球場内に入ると一三にとっては信じられない光景が広がっていた。
球場内には飲食店が開かれており、カレーやイカ天が売られている。
一三にとっては不潔極まりない光景だが、客はうまそうに食っている
なかには「これや、この味や!なつかしい…」と涙ぐんでいるものまでいる。
(なにが懐かしいんだろうか)
と思いつつ一塁側のアルプススタンドに出るとさらに信じられない光景が広がっていた。
球場のそこかしこでドンドンドンと太鼓が鳴り、観客が野次を飛ばしていた。
これから何が始まるんだという思いで待っていると、ベンチから両軍の選手が飛び出してくる。いよいよプレーボールである。
試合が始まると一三は耳をふさぎたくなった。
鳴り響く太鼓とトランペットと周りの観客から絶叫のごときの応援歌の合唱
タイガースの選手が活躍するたびに絶叫と歓喜の声と紙吹雪…
東京ジャイアンツの選手が討ち取られたり降板するときの聞くに堪えない野次…
それが鉄傘に反射してものすごい騒音となるのだ。
中には「あれが沢村や…」「おお、景浦がバット振っとる…ありがたや、ありがたや…」「藤本のおやっさんには野次りにくいなぁ」と
まるで神や仏に出会ったような感涙にむせび泣くものもいる。
そして魔の七回裏、
「ラッキーセブンや!!」という声が上がると同時に、球場にファンファレーが鳴り響き、終わると同時に放たれる風船…
一三が完全に打ちのめされたのは試合終了後だった。
試合は3-2でタイガースが勝った。
そして球場全体にある歌が鳴り響き、
それにあわせて観客全体が歌い始めたのである
〜六甲颪に 颯爽と 蒼天ける日輪の〜
それは大阪タイガースの歌だった。
(制定されて間もないはずなのに…なんで諳んじて歌えるんだ!?)
一三は驚くと共に、ある意味新興宗教的なタイガースのファンを恐れた
、
帰りの電車の中で一三は
「暗黒の90年代は避けような」
「神様、アメリカで無事かいな?」
「アホゥ、今心配せなあかんのは神様の親御さんや!」
というよくわからない話をしているファンの一人に聞いた
「なぜ、タイガースは人気があって阪急は人気がないんだろう?」
「タイガースは俺の全てやから、んでも阪急にも熱狂的なファンはおるよ」
それを聞いて一三は狂喜した。タイガースファンがこれだけ熱狂しているなら
(いつかは阪急も…)という希望がわいてきたのである。
はやる心を抑えて一三はさらに聞く。
「その阪急ファンの彼は、タイガースファンの君と同じように球場に通っているのかね?」
「いや、通わへんよ」
一三は憤った。
そんな理不尽なことがあるか!と。
一三はその理由を聞かずにはいられない!
「熱狂的な阪急ファンなのに、なぜその人は球場に行かないのかね?」
その答えは非情だった。
「<<阪急ファンは昔から西宮球場に行かないことがツウの証明>>って言ってたな」
一三は思いっきり脱力した。
一三は思いっきり脱力した。
(くそったれ!意地でも阪急軍を強くして客を西宮に呼んでやる!)
珍しく汚い言葉を使いながら、一三は目の前の舞台に目を戻す。
ここでも歯噛みをする思いを味わう
(くそ…俺の宝塚が…)
彼の最後の頭痛の種である目の前の舞台は、まもなく終わろうとしている。
彼が理想とする「健全で清楚」であるべき、かつ、育て上げた女優たちが陳腐な悲劇を演じている。
一三は断固としてこの劇を舞台にかけることを拒んだ
最近はやりだした低俗な漫画の、しかも全く無名の女の漫画家原作の舞台化というのが気に食わなかった
しかし、舞台監督と音楽監督、そして女優たちもがこの漫画を読んでやりたいと言い出した
しかも女の漫画家からは俳優の長谷川一夫に演出をという強い希望を出してきたのが気に食わなかった。
何よりも一三の演劇哲学から言えば全くお笑い種の舞台だった。
革命を背景とした安っぽい男女のメロドラマと英雄願望…
(どうせ客に受けやしまい…)
と閑古鳥が鳴く客席を見に、今日ここに座ったのだ。
そして彼の牙城である宝塚を汚したとして
関係者を処断するつもりだったのだ。
それが…
いかにもという音楽が流れる中、
男役トップスターが娘役トップスターの腕の中で息を引き取ると同時に
観客の悲鳴がいくつも聞こえ、そして幕が下りる。
幕が下りた瞬間、観客は拍手喝采だった。
まるで甲子園で聞いたような、怒号のような拍手だった。
女優たちが舞台に出てきて観客の声に応じると
客席から「健全」であるべきの観客の婦女子から黄色い声が飛び、
いくつも花束が投げ入れられ、
そして「清潔」であるはずの女優たちが満面の笑みで応じている。。
それを見て小林一三は呆然とした…
夕暮れが迫る大劇場の前に、小林一三は立っていた。
出口から婦女子が興奮した面持ちで出てくる。
よほどあの劇がお気に入りのようだった。
劇場前の切符売り場の前には別の婦女子たちが列を成していた
明日の前売り券を買うのだろう。
「私はもう時代にあっていないのかもしれぬ」
鉄道も、野球も、舞台も…
「しかし、私は負けぬ!」
一大財閥を築いた男の、いや、明治男の意地がそれを言わせたのかもしれない。
彼の目線の先には、彼がもっとも大切に思っている大劇場に、
彼に挑むような、いやまさに彼に挑んでいる今にふさわしい、
革命を題材にした劇の看板がかかっていた。
「ベルサイユのばら」
と
お詫び
小林一三のファンの方、ごめんなさい。
貶めるつもりは全くありません。
でも世界が夢幻会に振り回されているように日本国内でも振り回されてる人が書きたくて
史実で先駆的「阪急経営」を行った小林一三さんに犠牲になってもらいました。
ちなみに裏設定では小林一三氏を手本とした堤康次郎氏は婦女暴行で捕まってます。
タイガースファンの方、ごめんなさい。
でもあなた方は憂鬱世界に転生しても、甲子園に駆けつけるであろうことは
予想されましたので書いてしまいました。
今は亡き阪急ブレーブスファンの方ごめんなさい
<<京都の阪急ファンは西宮球場に行かないことがツウの証明>>ということを
聞いていましたので、小林一三氏と共に殉じて頂きました。
宝塚ファンの方ごめんなさい
憂鬱世界では男どもが好き勝手に「萌え」に走っていますので
婦女子の方にも出番をということで、ベルばらを先走らせてしまいました。
最後に
皆様、駄文につき合わせて申し訳ありませんでした。
地味目の話の方が性にあっている気がします。
戦時下の日本点描 −1943年2月25日木曜日−
この日、久しぶりに知里幸恵(ちり ゆきえ)は勤め先の東京女子大学を昼前に出ると中央線、山手線で銀座に出掛けた。
純粋なアイヌ人である知里幸恵は、女学校3年までを北海道で過ごした後、アイヌ研究家金田一京助教授と運命的な出会い
をして彼の要請で16歳の時に東京の女学校へ単身で転校してきた。北海道では差別がなかたっと言えば嘘になるが、東京で
は奇異の目で見られることが多く差別的な言動を言われ北海道へ帰りたいと涙したこともある。しかし、第1次世界大戦後に
は白系ロシア人などが東京では普通に見られるようになり特別視されることも少なくなっていった。
ただそのような社会の変化がなくともに知里幸恵は自分の使命を果たしただろう。金田一教授の指導で若干18歳で出版さ
れた「アイヌ神謡集」は史実通りに今に続くアイヌ口伝文学研究の先駆けとなった。
ただ、史実と異なっていたのは心臓疾患で19歳という若さでなくなった彼女が夢幻会が手を回したおかげで、当時最先端
の外科手術であった心臓弁膜症の手術を受けることができたことである。この手術はまだ症例が極めて少なく手術が成功し
た時は、新聞に「天才アイヌ人少女言語学者、奇跡の生還」などと掲載された。知里幸恵は病気から回復した後に、東京外
国語大学の無給かつ授業料免除の助手兼聴講生となり市井の学者として研究を続けた。この功績で1935年にはアイヌ学会に
発表した幾多の論文が認められて文学博士号を東京外国語大学から贈られた。これをきっかけに、恩師である金田一京助教
授の口利きもあって東京女子大学の講師として有給の職を得た。十年という歳月が過ぎて後に助教授に任命されて名実とも
にアイヌ語とアイヌ文学研究の第一人者となる。
研究と調査一筋の知里幸恵もふと気がつくと四十路にかかり、アイヌ社会も世の中全体も大きく動いていた。史実では河川
の漁業権や狩猟権を奪われて貧窮したアイヌ人も、憂鬱世界ではいくつかの河川の漁業権や狩猟権、入会地として土地の占有
権が認められて、内地人が炭鉱開発などのためにその土地に進出した場合には補償金が支給された。その過程で漁業権などを
売り払い札幌や旭川などの都市に移り住む者、炭鉱などに優先枠で採用されて働く者が幾何級数的に増加した。
昔ながらのコタン(集落)に残るものも採集や狩猟ではなく観光業に就く者が多い。知里幸恵はそのようなコタンでアイヌ
丼なるものを見たときは思わず大きな溜息が出た。観光業に就いていない者も法律で保障された十町ばかりの農地で放牧や馬
鈴薯栽培をしている。教育の普及と日本人社会との関わりで若い世代の母語はどんどん日本語となり孫と祖父母の会話が困難
な場合もある。
アイヌ口伝も文字にしてしまえば何か別のものような感じを受ける。口伝は伝えてきた話者の感情がそのまま伝わり、アイ
ヌ社会を取り巻く環境により話者の表現は変化する生きた文学なのである。今の世代は自分がアイヌ人と思う世代が多い、や
がて「アイヌ系日本人」と思う世代が増えて、三世代もたてば「自分は日本人で、祖先はアイヌ人」と考える者が大半になる
だろう。その時はアイヌ口伝は研究対象でしかない過去の遺物になってしまうのではないかと知里幸恵は思う。
現在のアイヌ人の人口や社会基盤を考えれば、日本社会の中である程度の庇護政策を甘受し、目に見えぬ疎外感をやり過ご
すことがベターな選択だと頭ではわかっていても、時々知里幸恵はやりきれない悲しみで満たされることがある。
そんな時は、繁華街に出て気を紛らわすのが知里幸恵のこの頃である。この日は、あてもなく銀座に出たが映画館の「愛染
かつら 総集編 主演−田中絹代・上原謙」の看板が目に入った。幸恵は上原謙のファンである。「研究にかまけて危うく見
逃す所だった。でもなんで田中絹代の方が先なの?」とぶつぶついいながら切符売り場に並ぶ。
映画館は平日の昼にもかかわらず、八分ばかりの入りだった。水兵の姿が多い。やがて映画が始まる。最初はニュース映画
である。速報性はテレビジョンに負けてはいるがカラーでの大きな映像はやはり迫力がある。
−週間時事ニュース ハワイ沖海戦詳報−
「さる1月23日日本時間マルマル、小沢提督指揮下の我が帝國海軍部隊は・・」でナレーションのもと、総天然色のニュース映画が始まる。
最初に「海軍省提供」のテロップが出る。スクリーンが暗くなる。「アメリカ攻撃編隊接近」「電波探知機はアメリカ攻撃部隊を捉えた」
薄暗い部屋で顔だけが青白く浮かび上がった電探手が何事かを大声で言う。上手く機材を写さず緊張感を持たしたシーンである。「ワルキ
ューレの騎行」を背景に「空母赤城」のテロップにかわると次々発艦する戦闘機が映し出される。
やがて「アメリカ攻撃部隊来襲」のテロップにかわり、照準機に捕られられたアメリカ軍機が次々火だるまになる画面がこれでもかとば
かりに続く。「アメリカ攻撃部隊撃破」「空の要塞B−17、我が戦闘機隊の猛攻でエンジンが脱落」のテロップ。「我が戦闘機の迎撃をか
いくぐり敵攻撃部隊接近」「勇敢だがその機数は少ない」「可燃物は緊急に海に投下される」のテロップが出ると台車に乗せられた小型
のガソリンタンクらしきものが惜しげもなく海に捨てられる。緊張した機銃手の顔がクローズアップされる。砲身だけが写り射撃が開始
される。火を噴いて墜落するアメリカ軍機が写る。
音楽は「国軍マーチ(史実の通称『自衛隊マーチ』)」にかわる。「アメリカ機動部隊発見」のテロップが出る。総員帽振れのもと
赤城から発進する攻撃部隊。編隊を解いて降下していく攻撃機に場面にかわる。激しく画面が揺れるが魚雷が命中したのか横腹に水柱を
上げる空母が写る。「航空母艦レキシントン被雷、撃沈」、「航空母艦エンタープライズ爆弾命中、戦闘力喪失」「戦艦ワシントン爆弾
命中」画面は荒いが赤く爆発光をあげる爆弾の命中は色鮮やかだ。
母艦に帰還する日本軍機、中には損傷した機が機体を傾けながら着艦するシーンもある。あわてて駆け寄る整備員らに笑顔で拳を突き
上げる搭乗員の顔が大写しになる。幸恵の前の方に座っていた水兵の一団が「よう、山崎曹長。」と声をかけて拍手する。赤城の乗組員
かもしれないと幸恵が思っていると、画面は美しい夕日を背景にした連山の豪快な離陸シーンにかわる。凄まじい爆音が映画館に響く。
「天佑!天候回復」「ミッドウェイ基地航空隊、夜間攻撃に発進」「目標アメリカ戦艦部隊」なぜか音楽は皮肉なことに音楽は「雷神」
にかわる。「損傷してハワイに退却するアメリカ機動部隊を追撃」「アメリカ戦艦部隊補足」、双眼鏡を見ていた見張り員が伝声管に叫
ぶシーンが映し出される。暗いスクリーンが戦艦の主砲発砲で明るくなると見慣れた長門型戦艦が浮かび上がる。「命中」「また命中」
「業火に包まれる戦艦マサチューセッツ」、目まぐるしくテロップがかわる。時々暗いスクリーンに閃光が光る。先ほどの水兵の一団が
また歓声をあげる。
曲は「ダニー・ボーイ」の哀調のある調べにかわる。「夜が明けた。昨夜の仇敵は今は救うべき命である。」救命具や漂流物につかま
ったアメリカ兵が次々と日本艦艇の横を流れていくシーンである。次のシーンは、甲板で不安そうな顔のアメリカ兵の一団が日本海軍の
作業服に着替えてタバコを吸っている。日本軍の士官が近づくと、アメリカ軍士官の号令で一斉に不敵な面構えになり敬礼をする。「彼
らも祖国の為に戦った勇者である。」
最後は軍機の関係か一部だけだが損傷した戦艦の甲板が写る。その横でいくつかの棺が日の丸にくるまれている。「海ゆかば」のメロ
ディーが流れる。「アメリカ太平洋艦隊はここに壊滅、しかし幾多の若い命が失われた。」「アメリカは不屈の闘志をもって再び挑んで
くるだろう。明日からまた烈火の訓練が始まる。」そのテロップでニュース映画というか戦意高揚短編ドキュメンタリーは終わった。
本編の「愛染かつら 総集編」と同時上映は、二年ほど前に大ヒットになった「サヨンの鐘」>>5 ->>6 であった。テレビジョンの登場
以来、映画業界も客足を確保するのにあの手この手を使っている。「サヨンの鐘」は実話がもとになっている。高砂族の少女サヨンが
東京の女学校に招かれる。様々な疎外感や悪気のない侮蔑的な発言に傷つきながらもやがて高砂族の文化を誇りとして級友たちに伝える
という物語である。
サヨンより二十年以上の前に東京の女子校で過ごした幸恵は、その頃の思い出がよみがえり目頭が熱くなった。圧巻は(この
映画のオリジナルだが)主演の李香蘭 が文化祭で高砂族の正装で登場して民族舞踊を踊る場面である。お決まりの悪役教頭
(モデルの元教頭の抗議で映画会社が陳謝する騒動もあった)が「我が伝統ある女子校を見せ物で愚弄するのか」といって舞踊
を止めさせよとする。サヨンは決然として「わたしは見せ物ではありません。そして高砂族の踊りも見せ物ではなく誇りある
文化活動です。」と言い放つ場面である。サヨンは舞踊を級友たちの伴奏で見事に踊った。その後で高砂族としてのサヨン自身
を紹介した自作の「サヨンの歌」を歌う場面がある。所々に高砂族の音曲を取り入れた陽気な歌に目の前に水兵の一団などは
手拍子をしながら見ている。
やがてサヨンが多摩川で溺れていた小学生を救助しながらも自分は増水した川に流されて若い命を散らせる大団円になった。
客席のあちらこちらから嗚咽が聞こえる。
映画が終わり明るくなる。大半の客はすでに捌けている。幸恵も涙を拭いていたハンケチをしまって外に出ようとすると、
まだ前の水兵の一団が残っているのに気がついた。一人の水兵が両手で顔を覆って座ったままになり、その周囲を他の水兵が
心配げに立って取り巻いている。
「どうしました。ご気分がお悪いのですか。」幸恵は思わず声をかけた。
「ああ、どうも。ご心配には及びません。こいつは涙もろい奴で、映画に感激してしまって。」上等水兵の記章をつけた水兵が
釈明する。
「わたしもですわ。」
「こいつは高砂族の出で余計にじーんと来ちまいましてね。」泣いている水兵をなだめている水兵が言った。
「わたしもアイヌの出です。お気持ちはよくわかりますわ。」一息ついて幸恵が言う。
「そうですか。わたしらにはわからんこともあるんでしょうな。」さっきの上等水兵がちょっと困惑したように言う。
知里幸恵はふと思いついて、財布から十円札を取り出すと持っていた茶封筒に入れると上等水兵に差し出した。
「不躾ですが、わたくしニュース映画にも感激しました。ささやかですが此で皆さん何か召し上ってくださいな。」
「いや、困ります。民間の方にそのような。」上等水兵はますます困惑する。
「わたしは、アイヌです。一度出したものは受け取って貰わなければアイヌとしてのわたしの沽券に関わります。」幸恵は
封筒を両手で持ったまま上等水兵を睨む。
「それでは、ありがたくいただきます。わたしら田舎者が大半で映画の後で、東京の奴が話しておった竹葉亭の鰻とやらを
食べてみようということになっておりました。ありがたくその足しにさせて頂きます。」知里幸恵の勢いに圧倒された上等
水兵は最敬礼で封筒を受け取った。
「あのー、ひょっとして知里幸恵先生ではありませんか。」一人の水兵が聞いた。
「はい、知里幸恵ですが。」幸恵は気取らず答える。
「いや、やはり先生でしたか。自分は中学校の修身の時間に先生のことを習い感激しました。ここでご本人に会えるとはやは
り東京は、凄いところです。」聞いた水兵は目を輝かせて言った。上等水兵も含めて水兵達が顔を見合わせる。泣いていた高
砂族の水兵も知里幸恵の名を知っているのか顔を上げる。
「知里幸恵って誰ですか。」一番後ろで隠れるようにしていた水兵が聞く。
「知らぬこととはいえ知里先生に失礼なもの言い申し訳ありません。こいつは家の都合で高等小学校にもろくに通っていません
ので許してやってください。後で先生の業績についてはじっくり説明しておきます。」上等水兵はちょっと苛立ったように言う。
「横川上等水兵よろしくお願いします。」そう言われた水兵は、少し笑いながら答える。幸恵は彼の目が笑っていないことに気
がついた。彼はこの集団では高砂族の水兵(志願が原則の海軍に入隊したからには日本語教育が完璧な難関高等小学校以上の学
歴だろう)からも一線を引かれる存在だと幸恵は感じた。
中等学校、女学校、数はまだ少ないが共学制中等学校などへの進学者は60%近くになっている。その卒業生の中には経済的な
理由で技術を身につけられる海軍に志願する者が結構いる。海軍自体は公表していないが中等学校出身者と高等小学校出身では
昇進に明らかな差があるというのは公然の秘密である。戦争がなければ、中等教育の機会均等、修学援助などの準義務化の論議
が進んでいただろう。社会が進めば進むほどなにがしらの問題は出てくるのだ。
泣いていた高砂族出身の水兵も元気を取り戻すと、知里幸恵は映画館の前で丁寧に水兵達と別れの挨拶をした。幸恵はさて
これから遅い昼食でもと考えながら歩いていた。
「知里教授、知里さん。」突然、道路の向こう側から大きな声をかけてきた男がいた。通行人も思わずその男を見る。何人か
の者はその男を見知っているらしく、同行者にその男の名前を耳打ちする。同行者は「あの人が」というように男を半ば尊敬
の眼差しで見た。かなりの老年と思えるその男はステッキこそついたいるがかくしゃくという言葉がぴったりである。やがて
男はステッキで行き交う車を制止すると、幸恵のいる歩道へ渡ってきた。
「牧野先生、おしさぶりです。」幸恵は丁寧に挨拶をした。
牧野富太郎博士、史実でも有名な植物学者である。憂鬱世界では拡大した日本領土に会わせるかのよういにその活動はさ
らに広がっていた。北はカムチャッカから南は海南まで数十万の植物を採取して分類を行っていた。特に史実に先立って中国
での生きた化石であるメタセコイヤの発見は世界にも「マキノ」の名を轟かせた。ただ史実と同じように尋常小学校も出てい
ないことから、ついに講師の身分のまま博士号を取り日本植物学会に君臨することになる。
知里幸恵は牧野富太郎の講演を聴きに行ったときに同行者から牧野博士を紹介された。牧野博士は自分と同じく大学を出ず
にその道の第一人者になった知里幸恵に同じ匂いを感じたのかいたく彼女を気に入って今では、幸恵を娘のように扱いながら
交際が続いている。
「立ち話も寒くてかなわん。おごるから着いてきなさい。そうだ不二家へ行こう。」
(また不二家ですか?)幸恵は苦笑する。
不二家は昼も遅いというのに、まだ大勢の客で賑わっていた。さすがに、メニューには「戦時中のため原料不足で停止中」
と添え書きのあるものがいくつかある。
「みつ豆とホットケーキを二人分。それにコカコーラ。」牧野博士は幸恵に聞くことなく自分の好みを注文する。
「牧野博士、申し訳ございません。コカコーラは戦時中のため輸入が途絶しております。」初老のウエーターが丁寧に釈明
する。
「天下の不二家ならなんとかしろ。このさいだ、アメリカからコカコーラを買収してしまえ。」牧野博士は憮然として言う。
「ご無理なことを。かわりにいつもの紅茶でよろしいでしょうか。」ウエーターは笑って下がる。ただ、後で思えば牧野博士
の言はまったくの無理ではなかった。
「いや、よいところで会った。実は見合い写真を頼まれてな。男がちょっと年なもんで、知り合いの未亡人の所へと思ってお
ったのだがどうもしっくりこん。どうしたものかと思っておったら、道路の向こうに幸恵さんがおるではないか。これじゃと
感じた。幸恵さん、これはあんたの運命じゃ。まあ、この写真と釣書を受け取りなさい。」牧野博士は持っていた風呂敷包み
をテーブルの上に置いた。
「いきなりですか。わたくしもう四十になります。いまさら結婚と言われましても。」
「只の男ではない。幸恵さんも在野の学者ならフィールドワークの方が好きじゃろう。この写真の男はフィールドの鬼のよう
な男じゃ。それも、一緒になった女なら必ず連れて行く、そんな性分の男じゃ。」
「そこまでおっしゃるなら」牧野博士が言い出したことに逆らっても無駄なことを知っている幸恵は、一応風呂敷包みを受け
取ることにした。
「家に帰ってゆっくり見なさい。それから、電話をくれたらええ。幸恵さんの質問にはその時に答えよう。」牧野博士は確信
めいた口調で言う。
知里幸恵は、断りの文句を考えながら牧野博士から風呂敷包みを受け取った。知里幸恵が思いもしていなかった冒険への始
まりである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑
はっきり、きっぱり、正直に言わせてもらうよ。
改行と空行きちんと分けろ。 貴方のSS読み難いんで読む気がしない。
別コッチに書かんでも…
全角だと60文字の辺りで強制的に改行する環境での執筆かな
確かに読み辛くて敵わないが、我慢すれば読めますよ
帝国戦記と同じでエディタに落としても良いが、その気力までは湧かんので我慢しました
>>684 >>686
ここはそういった事を書く場所では有りません>>1 を読んでください。
せめて感想でやろう
>投稿とそれに関する感想を書き込んでください
読みたくなくなる、ってのも立派な意見だ
議論する場ではないので、ココまで
感想スレがあるのでそちらへ
※ 以前、アナスタシアがどうなっているのかという話が出ましたので一本。
作品の性質上、一部グロ描写がありますのでご注意ください。
提督たちの憂鬱支援SS――「彼女はそこに」
――今でも思い出す。あの日の光景を。
シベリアの夏。あの黄金の秋といわれるロシアの秋を控えた季節の光景を。
雪の降りしきる中に起きた革命で今はレーニンの都と名を変えた帝都を追われ、しばらくは郊外の館での生活を許された。
しかし、ボルシェビキが政権を握り激しい内戦が巻き起こると、私たち一家はエカテリンブルグに送られた。
父は意外なことに農作業が気にいったようで、母上と一緒に作ったビート(砂糖大根)を使ってジャムを作り、一緒についてきてくれた使用人たちや、比較的私たちに同情的だった元ロシア社会民主党員であったエカテリンブルグ市の面々に振舞っていた。
「このまま農夫として骨をうずめるのもいいかもしれないな。知っているかな?アナ。私が若いころに行った日本では、どんな山奥の農夫たちも村のテンプル(寺)に集まって詩の作りあいを行ったりしていたそうだよ。200年も前から!
中国の古い言葉で晴耕雨読というのだが、働きながらも文化的な趣味は忘れないというのはなかなか私たちに合っているとは思わないか?」
そう言うのが父の口癖だった。
ペテログラードから持ち出した日本製だという磁器(日本訪問の際に特別に贈られたもので、ひとつは元朝のもの、もうひとつは現代の青花文の茶碗で、再現に成功したばかりだという北宋時代の「天の青」のポットも付属していた)を使って私たちにお茶を入れる母は少し悲しそうに笑い、父もどこか痛々しい笑みだったのを覚えている。
今思えば、そうした暮らしを農民たちに保障できなかった自分を責めていたのだろう、と思う。
しかし、そんな日々は、だんだんと終わりが近づいてきた。
1918年5月・・・いや、7月の17日。運命の日。
――西暦1918(大正8)年7月17日 エカテリンブルグ イパチェフ館
まず、弟のアレクセイとマリア姉さまが連れて行かれた。
母さまとオリガ姉さま、タチアナ姉さまは、別室に移されている。
私と父さまはそのまま室内に留め置かれた。
「アナ。大丈夫だよ。」
父さまがゴツゴツした手で私をなでてくれた。
髭が当たるのを嫌がった私に遠慮して顔は近づけていない。
部屋の中には、農民上がりらしい朴訥な兵士が立っており、使用人たちは不安そうに彼を見つめている。
「なぁ。君。いつこの警備体制は解けるのかな?」
「は・・・はあ。おらも・・・いえ自分も知らされておりませんだ。ソヴィエト(会議)へのヤポンスキー(日本人)の特使が来られているためと聞いていますが。」
「それに乗じて白軍がやって来ると警戒しているのか。」
父さまは苦笑した。
なんとも心配性なことだ、と言いたいのか、それともそれを理由にしているというのか、と思っているらしい。
「旦那さま。」
使用人のメアリーが父さまに言った。ヴィクトリ大叔母様のところから父さまのところに来て以来40年以上も勤めてくれている私たちの祖母代わりの女性だ。
「今からでも逃げませんか?どうも、いやな予感がします。」
「あ・・・それはちょっと困るだぁ。」
「――周りを囲まれているからな。無理だろう。アレクセイとマリアを人質に取られてはな・・・」
マリア姉様とアレクセイは体が弱い。
特にアレクセイは血友病なのだ。それを知ってあのチェーカーたちは連れて行ったに違いない。
自分も一緒にという母さまや姉さま達は乱暴に引き離されてしまった。これでは動くに動けない。
と。
コンコン、ではなくバンバン!という乱暴な合図の後で扉が開いた。
あの男、ヤコフ・ユロフスキーと名乗るいやな目をした男だった。
後ろには、下卑た笑い声を上げる兵士たちが続く。
番をさせられていたこのエカテリンブルグで徴用されたらしい朴訥な兵士とはまるで違う。
「おい、皇帝。」
ヤコフは言った。
「ソヴィエトの名において喜んで言い渡しておこう。俺たちは忌まわしい血族の次代を断絶させた!!」
父さまが目を見開く。
よく見ると、奴の軍服には赤黒いナニカの飛沫が見えた。
「アレクセイを・・・殺したのか!?あの子はまだ――」
「知るか。貴様らの所業の報いだ。」
後方の兵士たちがにやにや笑いながら罵声をあびせる。
「何てことを・・・これはモスクワの、レーニンの決定なのか?」
ヤコフはつかつかと歩み寄り、いきなり銃床で父さまを殴った。
そして、うずくまる父さまの腹を蹴り上げ、目で兵士たちに合図をする。
「閣下を、付けない、か!この、薄汚い、ブルジョワの、首領め、搾取者、め!」
「や・・・やめなさい!」
メアリーが奴をつかもうとする。すると奴はくりると振り返り、
「婆は死ね。」
バシュ。という音と共に白いプディングのようなものと赤い血が後方へ飛んだ。
「メアリー!!」
私は悲鳴を上げた。
「ゆるゆるの婆じゃ使い物にならんからな。その点こいつは頃合いだ。『あれ』はすぐに死んだから楽しめなかったじゃないか。まったく虚弱児をはらませやがって!!」
奴はぺろりと唇を舐めて父さまをサッカーのシュートをするように思い切り蹴った。
「まさか・・・。ぐっ・・・マリアを!?」
「ああ?閣下をつけろよ皇帝。」
パシュ。パシュ。という音と一緒に父さまの太ももから鮮血が飛び散る。
奴は、父さまに、と贈られた葉巻がテーブルにあるのを見て取ると、それを噛みちぎり火をつけた。
そして。
「!!!!!」
父さまは声にならない悲鳴とともに血を吐いた。
奴は、銃創に火のついた葉巻をつっこみ、ぐりぐりとえぐっていたのだ。
「はっ。人民から搾取したものを少しでも取り返すのは俺たちの権利だろう?ええ?」
暖炉の火かき棒を見て取った奴はニヤリと笑い、兵士に持ってこさせる。そして。
「おら。言え!人民から搾取して、すみません、でした、と! お詫び、に、娘の、けがれた、身体を、差し上げ、ます、と!!」
兵士たちはニヤニヤ笑いながら父さまを見ている。
そうだ、父さまは言っていた。
チェーカーは革命の主力になった農民などの平民ではない。彼らこそがブルジョワ。
彼らこそ、知識階級。
ただ理想にかぶれたふりをして甘い汁を吸おうとする連中だと。
こいつはその中でもたちが悪い。
奴は興奮している。
変態だ。
父さまを火かき棒で甚振りながら、股間の部分のズボンが盛り上がっているのが見える。
ああ、なんてこと。愛するロシアの混乱は変態に変態としての性を思う存分振るう機会を与えたの?
それとも革命派のごろつきが面白がって奴のような人間に権力と棍棒を渡したの?
父さまは、ピクリピクリと動く以外、何も言わない。
「強情な男だ。まぁもう用はないがな。」
くるり。
奴は震えている私の方を見た。
「おやおや。御漏らしか。情けない――だが。」
口が思い切り三日月形にゆがむ。
「そそる。」
私は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を振る。
それを見た奴らはゲラゲラ笑い、私ににじり寄ってくる。
こんなときでもしっかり働いている私の耳は、別室の母さまの悲鳴をとらえていた。
・・・ああ、もう駄目だ。
瞬間。光が視界を覆った。
「な・・・何だ!?」
バン!バンバン!と、先ほどまでのサイレンサー付きピストルとは違う連続した音が響く。視界をなくした私には何が起こっているのか分からない。
「遅いですよ!アツヒトさん!」
「すまない。チェーカーが正式に出した命令ではないから気づくのが遅かった。ひとまず私だけが先行し実働部隊は――ああ、上を急襲したか。陛下は?」
「駄目です。もうこの出血では――」
「何てことを・・・陛下。陛下!?」
視界が片目だけ回復する。
私が見たのは、東洋人の男性が沈鬱な表情で父さまを抱き起こしている様子だった。
なぜか、番をしていたあの朴訥な兵士も一緒だ。
「父さま!?父さま!?」
「う・・・アナ・・・無事、か?」
「はい!はい!無事です!父さましっかり!」
父さまは小さく笑った。
そして青年の方を見、少しだけ目を見開く。
「君は・・・コトヒト?いや、息子か?そっくりだな・・・」
「はい。陛下。閑院宮篤仁中尉です。どうかしっかり。」
私は思考の片隅で疑問に思った。
なぜ、この人は黒一色で統一された装束と奇妙な形の兜(ヘルメット)をかぶっているのだろう?
「妻は――無事か?」
と、アツヒトと名乗った青年の横に、目出し帽で顔を隠したほかは彼と同じ装束を着た人物が耳打ちする。
「残念ながら・・・自決、されました。隠していた銃で。娘さんたちは無事です。」
「そう、か。――アナ。」
「はい!はい父さま!」
父さまは私の頭に手を伸ばす。
「逃げろ――お前は、お前たちは生き残ってくれ。」
「父さま!」
父さまは、血まみれの手で私の頭に手を乗せた。
「アナ。」
私の横に、いつの間にやってきたのかタチアナ姉さまとオリガ姉さまが立っている。
タチアナ姉さまは東洋人の兵士らしき男に肩を貸されている。
「お父さま。アナは・・・私たちが守ります。」
「タチ・・・アナ・・・オ・・・リガ・・・すま・・・ない・・・私は・・・もう、無理・・・だ・・・。」
「父上!」
オリガ姉さまが膝から崩れ落ち、父さまを抱き抱えようとする。
「私も・・・御供します。」
タチアナ姉さまが崩れ落ちる。 え?ええ?
「殿下!?」
「大丈夫。止血はしています。貧血で気絶されただけです。」
兵士がわざわざロシア語で言ってくれる。
そうか。と、アツヒトは頷く。
「お父さま。私はロシアにおります。」
「姉さま!?」
「アナ。私とはここでお別れよ。」
何かが燃えるような眼でオリガ姉さまが私を見る。それだけで、私は何も言えなくなってしまった。
「馬鹿ものめ・・・いや・・・お前が決めたことか・・・やりたいように・・・ただ、アナとタチ・・・アナは・・・」
「分かっています。必ず。」
アツヒトと名乗った青年が頷く。
「ああ・・・。ありがとう・・・。ああ、見たかったな。お前と・・・一緒に・・・知っているか?・・・あれが有名な・・・フジの・・・」
どこかに視線をさまよわせていた父さまが、止まった。そして、私の頭に乗せられていた手が、落ちた。
――西暦1942(昭和17)年7月 大日本帝国 帝都東京 赤坂御殿
私は、目を開けた。
「おっ。起こしてしまったか?」
夫、閑院宮篤仁が首を傾げた。場所は、赤坂見附の私たちの家。
日本政府からもらった洋館だ。
庭先では、子供たちが愛犬のプーチン(シベリアンハスキー)とじゃれあっている。
どうやら庭先で寝てしまったらしい。
「帰ってこられるなら言ってくださればいいのに。」
ごめんごめん。と夫は頭を搔く。
どうやら、大蔵省との折衝が意外にはやく終わったらしい。
甲子園は平常通り開けるし、徴兵されるプロスポーツ選手はなるべく後方の輸送や兵站部隊に回されるようにしてもらえたらしい。
その代償として夫が伝手を持つ近衛公が音頭をとって陸海軍の日常を描いた映画などで協力することになるということだが。
「よく寝ていたようだからね。起こしたらまずいと思って。」
「いえ。その――」
夢の続きを見られずに残念がるべきか、それともあの夢を終わらせてくれた礼を言うべきか私は悩んだ。
とりあえず、話をしなければ。ここ半年ほどきな臭さを増す日米情勢からすれ違い気味だったのだから。
「夢を、見ていました。あの時の。」
「あの時の?――ああ。あの時の。」
ええ。と私は頷く。
あの後、私と彼はウラル山脈の東側を犬ぞりで北上し、オビ川を北上した。
そして、オビ湾奥にまでやってきていた日本海軍の軍艦「対馬」に拾われた。
自分を助けに来たのが、代表団の一員としてやってきた日本の軍人で、しかも皇族だということには驚いた。
代表団の団長役は華頂宮博忠王が「当初の予定通り」つとめるという。
彼は、影武者がシベリア鉄道を利用して帰還するのを囮にしたらしい。
そして、姉さまたちとはあそこで別れた。
オリガ姉さまは、もともとワイルドな人だったのでロシアにそのまま潜入し、今では自分の名前をつけた諜報組織を仕切るまでになっているらしい。
タチアナ姉さまは、何というか――駆け落ちした。『アナも好きな人と早く一緒になるのよ』なんて助言まで残して。
もっとも、だからこそ――
「あなた?」
「ん?何だい?」
私は、サンルームに置かれた椅子から立ち上がり、彼に腕をからめた。
「ずっと、一緒にいましょうね?」
あの犬ぞりの旅路で、父母恋しさに泣きじゃくる私に、彼はこう言ってくれた。
だからこそ、私はここにいる。それが、あの夢幻会とやらの企てでも、それに乗ったのは私と彼の意思だ。
「ああ。」
彼は照れ臭そうに笑った。
私は、たぶん今、頬を紅に染めながら微笑んでいることだろう。
【おわり】
【あとがき】――というわけで苦手なグロ描写を挟みつつ、書いてみました。不快感を感じられた方にはまずお詫びを。この憂鬱世界では彼女には幸福になってほしいと思います。本当に。また、以前支援SSに投下されました閑院宮篤仁王殿下のネタを使わせていただきました。謹んで御礼申し上げます。
支援SS――「1943年宇宙の・・・」
――西暦1943(昭和18)年3月 北海道
「それは、砲弾を引き延ばしたような形をしていた。塔のようにそびえ立つ物体の高さはおよそ90フィートで――」
「あ、やってますね。」
「朝も早くから御苦労だなぁ。おいブラウン、お茶のひとつも淹れたらどうだ?」
「コロリョフさん、私が淹れておきますから。」
「ああ、どうもみなさん。」
大英帝国空軍技術少佐 アーサー・チャールズ・クラークは、カフェテラスで写真を手に推敲を進めているところを声をかけられた。
この北の果ての研究施設はずいぶんと設備が整っている。
かつて北鉄(北海道鉄道)が作った醸造所跡地の赤レンガ施設を改装した広々とした施設内には、ガラス張りの温室のような場所があり、カフェテラスになっている。
クラークは、ここで茶を楽しむのが日課になっている。
そしてアッサムの茶葉からゴールデン・ドロップを堪能していた彼のもとに、いつもの面々が集まってきたというわけだった。
ヴェルナー・フォン・ブラウン博士、セルゲイ・コロリョフ博士、そして糸川英夫博士。
いずれも若く優秀な科学者たちである。
まだ英独戦がはじまる前の「まやかし戦争(ファニー・ウォー)」の期間に乞われて日本に赴任したクラークを、当初は彼らは首を傾げて見ていた。
だが、彼が「人工衛星」といわれる概念を生み出した人物であることを知ると態度は一変。その日の晩から食堂に引っ張り込まれ、議論に容赦なく巻き込み始めたのだった。
日本政府から技術アドバイザーとして雇用を受け、今は彼の価値を認識し始めた英国が大使館付きの武官として招集してもそれは変わっていない。
(彼は知らなかったが、夢幻会はクラークを英国への「技術の窓」として利用するつもりだった。辻いわく「どんなに険悪な仲でも裏口は開けておく」とのことである。)
若い所長である太田正一統括所長や、奇妙なほどコネが豊富な糸川博士のおかげなのか、彼らはアンタッチャブルな存在となっていたのだ。本人はうすうす自覚しているだけだが。
「こんど、ナショナルジオグラフィック社が本社をこちらに移すことになりましたので、記事を依頼されているんです。」
「へえ? あ、機密は守ってくれよ?」
「勿論です。」
クラークは笑った。
「まぁ、俺たちのロケットを写真だけで真似できるとは思えないがな。なぁブラウン?」
「セルゲイ・・・お前、そんなこと言っているから嫌われるんじゃないのか?」
「性分でな。頑固なのは職人だった親父譲りなのかもしれん。ところで今日は何です?糸川さん。」
「軌道実験室(宇宙ステーション)建設時における諸問題です。大重量打ち上げ機を作れるならそのまま月基地を維持したらいいのではという考えと、地球と月の重力均衡点に基地を設営すべきだという考え、それに地球軌道だけで十分だという意見が出ていたと。」
さりげなく全員から一目置かれている糸川博士がそう言った。
ともすれば尊大と思われかねない言動をとるコロリョフも彼には敬意を払っている。
「まずは地球軌道上に建造してそこから順に足を伸ばしていくべきでは?」
とクラークは言う。
手慰みに小説を書いている彼に取り、ここでの会話は新たなネタを仕入れる意味もある。
検閲されてはいるが休戦交渉中のカリフォルニアにいるハインラインとの文通もこれに一役買っていた。
「いや。まず月を目指すべきだろう。月面からなら重力が少なく楽に打ち上げができる。月の鉱物資源を撃ちあげれば逆コースをたどって重力均衡点と地球軌道も――」
「まさか核パルス推進で巨大打ち上げ船を月に降下させるのか?」
クラークは頭を回転させながら思った。
自分はたぶん今、人生で一番充実している時期を生きているのだろう。
あの宇宙へ行けるロケット開発の現場に居て、この天才たちと会話ができる。
それは何物にも代え難い経験なのだから。
今日も楽しい議論と想像の飛躍は続きそうである――
【あとがき】――御三家のお一人にお出まし願いました。SF御三家無事かなと思っていたら書いてしまっていましたw
久々に投下いたします。名無し三流さまと辺境人さまの支援SSに触発されて書き上げました
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/9191/1299215754/357-364
史実の日本に「川西航空機」という会社があった。97式飛行艇、2式飛行艇などの名水上機を生み出し
、局地戦闘機紫電改の会社として有名であった。
それがのちに新明和工業となり、YS-11やPS-1などの機体を開発するのだが、この憂鬱世界ではそうは
ならなかった。
提督たちの憂鬱 支援SS 〜 レスキューソルジャー 〜
1943年2月、戦後の日本でいうところの「菓子メーカーの販売戦略に踊らせられている日」「日本中が
チョコの臭いに咽返る日」「進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコを配った日」。
大日本国帝国内及びその勢力圏では、戦時中とは思えないほど穏やかな空気だった。アメリカ合衆国の
太平洋艦隊が壊滅し、日本の負けがほぼありえなくなった。そして中華を自称する国が実質的に日本に
降伏、大陸に展開していた日本兵の動員解除もそう遠いことではない、と人々が思い始めていたからだ
。
だがそうではない者もいる。陸海軍人、官僚などの国家に奉仕する者、そして倉崎などの軍需メーカー
の者たちであった。
シコルスキージャパンはロシア人飛行機技術者イーゴリ・イヴァーノヴィチ・シコールスキイを大恐慌
のドサクサに紛れてアメリカから日本にスカウトし設立させた航空機会社である。
そしてその際、日本の一企業の飛行機製造部門と合併し、その企業との共同出資という形でシコルスキ
ージャパン社を設立させたのだが、その会社こそ川西財閥の川西機械製作所であった。
本来、川西飛行機は川西財閥の川西清兵衛が中島飛行機との確執によって生まれた会社である。しかし
憂鬱世界には中島飛行機が存在していないため川西航空機は川西機械製作所の一部門でしかなかった。
それを夢幻会の指導(夢幻会の名前は表に出てはいないが)のもと、シコルスキーと川西の共同出資と
いう形をとらせて独立させたのだ。
菊原静男はそんなシコルスキー社の航空技術者である。史実では2式飛行艇や紫電改、YS-11などの設計
に携わっていたが、憂鬱世界ではやや別な道を歩んでいた。日本海軍に採用された95式飛行艇の設計に
携わったように、飛行艇の設計をしていたのはあまり変わらないのだが、史実であった戦闘機の設計で
はなくヘリコプターの設計に携わることになったのだ。ヘリコプターという、今までに無かった面白い
「機械」に魅せられたのだろう。
「キクハラ、まだ残っていたのか」
社長であり技術者でもあるシコールスキイは、製図室で作業を続けていた菊原に気づいて声をかけた。
「我々のS-55が軍への納入契約が正式に済んで、皆祝い酒だと飲みに行ったと言うのに」
日本に移り住んで10年以上たつシコールスキイの日本語は大分上達していた。ロシア語、ウクライナ語
、英語、日本語の4ヶ国語を話せる多言語話者。
(本当に社長はすごいお人だ)
「ええ。しかし、軍はS-55の更なる改良も指示してきたと聞きましてね。それで自分なりのアイデアを
ちょっと図面に引いてみたくなって」
2年前にS-51が陸海軍に正式採用されたが、それ以前からシコールスキーはもっと多人数を輸送できる
ペイロードを持った輸送ヘリの構想も練っていた。そしてつい先日、社内名称S-55が日本軍での審査を
終え、3式汎用回転翼機として正式に発注契約がなったのだ。
「なるほど。君のアイディアは期待出来るからな。S-55の改良でもそれは証明されている」
社内でのS-55のテスト中に、メインローターブレードでテールブームを切断するという、あわや大事故
に繋がりそうになったことがあった。その時に菊原が出した改善案が「テールブームを5度斜め下に曲
げ、安定翼を逆V型から水平にする」と言うものだった。それによって以後にテールブーム切断という
事故は一度も起こってはいない。
「それで、今度はどんなアイディアなんだ?」
「はい、先日内務省に勤めてる知り合いにあったのですが・・・」
1943年9月11日、鳥取平野付近を震源とするM7.2の直下型地震が発生して一日たった。家屋の被害は全半壊、火災による焼失を含め14000戸近くに上っていた。それでも戦時中ということもあり、大陸からの爆撃に備えて警防団を組織していたため、火災による被害は最小限で済んでいた。
それによって犠牲者の数は、関東大震災、昭和三陸地震等の大震災の教訓を生かしたのと、近年の防災ブームの影響からか史実よりも犠牲者の数は抑えられそうだった。
だがそれでも大地震の破壊は凄まじかった。
「そうか、山陰本線も因美線も不通か」
鳥取県知事の島田叡(あきら)は部下の県職員の持ってきた情報に落胆した。すでに道路は至る所で陥没したり橋梁が落ちたり液状化現象がおきたりの情報が出張所から入っており、電話もすべて不通だった。出張所からの報告も無線電信か、職員が余震が続く中危険を顧みず鳥取県庁まで報告しに来たものだった。
そして今も、交通の要であった国鉄の路線もレールの脱落や破損によって運行が不可能との知らせが入った。
幸い、鉄筋コンクリート製の建物であった鳥取県庁は建物にヒビは入ったものの、地震に耐えきった。そして県庁内に災害対策本部を設置し、陣頭指揮にあたっていたのが1943年の7月1日付けで大阪府内務部長から鳥取県知事として赴任してきた島田叡であった。
すでに陸軍歩兵第40連隊(鳥取)と歩兵第63連隊(松江)による災害派遣活動が行われており、歩兵第25師団から連絡将校も県庁に派遣されてきている。
大会議室には多数の無線機、無線電信機が用意され軍、警察、警防団への指示が行われている。そして鳥取県の大地図に部隊配置がピンセットでなされていた。
「閣下、鳥取の赤十字病院からです。これ以上の重症患者の受け入れは難しいと」
この当時、鳥取にあった一番大きな病院は日本赤十字社鳥取支部病院(現在の鳥取赤十字病院)で鳥取県立病院はまだ規模の小さい市民病院でしかなかった。
そして交通が遮断されているため補充がきかないため、医薬品の数にも限りがある。すでに病院は満床どころか、廊下や待合室にも患者があふれかえっていた。
「中佐、軍の輸送機やトラックで患者を県外に移送させられないかね?」
「は、県外移送そのものは、米子飛行場と海軍の美保飛行場に支援物資を持ってきた輸送機を使えますが、しかし鳥取病院から米子や美保に行くまでの手段が確保出来ません。道路状況も考えると島根へのトラックでの移動も同様です」
そして鉄道は今さっき報告を受けたばかりである。
「軍の回転翼機は? あれなら飛行場でなくても病院近くの空いた土地に降りれるはずだが」
「海軍の空母から来た回転翼機ですが、想定外の連続使用のため半分以上が現在整備中とのことです。方面軍に回転翼機の追加派遣を申請したのですが・・・」
連絡将校も悔しそうな顔を隠せなかった。
現在の日本軍でもヘリの総配備数はあまり多くはない。ほとんどが対潜哨戒機や軽連絡機として使われていたため、どうしても戦闘機や攻撃機ほどの生産はされていない。そして生産された機体のほとんどは前線に送られている。
その時、県庁の通信技官が内務部長(県の警察消防などを統括担当)へ、軍から派遣された通信兵が連絡将校へ通信文を持って足早にやってきた。
内務部長と連絡将校が驚いて通信担当者の顔を思わず見る。
「何か重要な通信があったのかね」
「は、報告します」
連絡将校のほうがまず先に述べた。
「海軍の舞鶴鎮守府から戦車揚陸艦が間もなく到着するとの連絡がありました。救援物資と医薬品、それに海軍舞鶴病院の軍医と看護婦も同乗しているとのことです」
周囲から「おおっ」と声が上がる。
「しかし、鳥取港の岸壁は建物が崩れて使い物にならないぞ」
鳥取港は地震で建物が崩れ、クレーンの安全確認もまだできないので荷揚げできないと出席者から声が上がった。
「揚陸艦では、鳥取砂丘へ直接乗り上げて物資を下ろすといってます。それが無理なら、千代川(鳥取市内を流れる河川)を上陸艇で遡上すると」
鳥取砂丘の広い海岸線は、戦車揚陸艦がビーチングするには都合がよかった。
「なるほど・・・。内務部長、君のほうも何かあったのか?」
「はっ。本省(内務省)から連絡がありました。東京消防庁と大阪消防局から、救助部隊の応援が既に出発したとのことです」
「東京と大阪・・・。つまり特救隊が派遣されたということか」
特救隊、正式には「内務省特殊救助隊」。関東大震災を契機に内務省隷下で編成された、あらゆる災害救助を想定した人命救助のエキスパート集団である。専用の人命救助器具や救助犬も扱っており、日本各地で起きたあらゆる災害救助に従事している。
現在は東京と大阪にしかない、災害救助の切り札である。
海軍の揚陸艦が鳥取砂丘の千代川沿いにある、江津寺と江津神社付近(現在の鳥取県立病院付近)に接岸上陸し物資の揚陸と臨時の野戦病院を開設。鳥取市内の病院で飽和状態であった被災傷病者の収容を行った。
「収容状況は順調らしいな」
幾分緊張が和らいだ島田。海軍が揚陸艦で物資と医者を連れてきたことで、状況が僅かながらも良くなりつつあったからだ。
そして患者の緊急搬送には特救隊の新型ヘリによる大量輸送が大いに効果を上げていた。なんでも、シコルスキージャパン社の兵庫鳴尾村にある工場と隣接する飛行場での慣熟訓練中だったらしく、物資と人員を積んで文字通り飛んできたそうだ。
新型のS-55消防救急用に改造したタイプで、最大で担架6床、機体右側のドアの上に吊り下げ様のホイストロープ、航続距離延長用に増加燃料タンクを装備したタイプだ。軍用機ではないので装甲や機関銃を添え付けるマウントはオミットされている。
東京・大阪両部隊合わせて10機の機体でピストン輸送したせいで、傷病者の搬送に大きな力を発揮していた。
「はっ、午後には他の県からも応援や支援が届くとのことです。陸海軍でも予備役を召集してさらなる増援を行うと」
「ああ、有難い事だ。今が戦時中だと思えば余計に・・・」
その時だった、地震後最大級の余震が鳥取を襲ったのは。
特救隊は、臨時に鳥取高等農業学校の敷地内にヘリの離発着場と拠点を開設していた。広い敷地をもった畜産用の牧場はヘリの運用にも都合がよかったからだ。
「隊長、機体と機材の確認終わりました。目立った被害はないとのことです」
「よし。それで、今すぐ飛ばせる機体は何機ある?」
「は、2機飛ばせます。残りの2機は給油と整備にもう少し時間がかかると。・・・出場ですか」
若い隊員は、イケメンとは言い難い顔を引き締めて尋ねる。
「福部村で余震によって重傷者が多数出たと通報が入った。主要道路は地震で寸断されて現在孤立状態にあるらしい。しかもさっきの余震で山崩れが起きて巻き込まれて重体に陥った者もいる。出せるヘリに機材を積み込んで今いる隊員を集めろ」
「はっ」
若い隊員が駆け出すのを見て、特急隊の隊長はほんの一瞬だけ物思いにふけった。
隊長は転生者だった。前の世界では東京消防庁で消防士を、そして日本最強のレスキューチーム「ハイパーレスキュー」に所属していた。だがこの憂鬱世界でも彼のやることは何も変わらない。
「隊長、いつでも出場できます」
駐機場ではすでに隊員たちがヘリに乗り込んでいた。
「よし、出してくれ!」
すばやく乗り込んだ隊長がヘリの操縦士に声をかける。たちまちエンジンが唸りをあげてヘリが上昇しだした。
機内連絡用のヘッドセットをつけて隊長が隊員たちに語りかける。
「要救助者は村の摩尼寺でこちらのピックアップを待っている状況だ。倒壊家屋の下敷きになった者も新たに確認された。我々はまず倒壊家屋の中に取り残された要救助者の救出を行う。ヘリはまず寺にいる重傷者を収容して病院に搬送せよ」
『よし!』
僚機のヘリにいる隊員も答える。
「全隊員、今一度、特救隊心得を唱和する!」
気合い入れを兼ねて隊長、栗原安秀が吠える。
「はじめ!」
『苦しい、疲れた、もうやめたでは、人は救えない!』
『熱い、きつい、苦しい。そのすべては要救助者の叫びと思え!』
『訓練は人を救う為にある、訓練は自分を守る為にある、訓練は愛するものを守る為にある!』
待ってろよ、生きてろよ、絶対そこにたどり着く!
終わり
投下終了
書いている最中に救急戦隊ゴーゴーファイブのOP聞く機会があったため、なぜか後半こうなってしまいました(汗
ネタばっかり書いているのもアレなので、此方にも真面目なのを書いてみる。
少し前に農薬の話があったので、緑の革命について書いてみるよ。
軍事じゃなくてごめんね。
・緑の革命
史実において、緑の革命と言われるものがある。
1940〜1960年代において各国で起こった、一連の穀物の大量増産を指す。
ちなみに日本でも半矮性小麦品種農林10号などが貢献している。
(もっともこれはGHQによる強制的な遺伝資源収集という側面もあったが)
要は肥料の多量投入や機械化、農薬投入などを前提とした集約的農業化で、
史実の第二次大戦後に予想された人口爆発による食料危機で求められた。
しかし、緑の革命はロックフェラー財団などが主導して行ったものであり、
本部のあるニューヨークが大津波で洗い流され、アメリカという国が崩壊した今、
いかに巨大なロックフェラー財団といえども、
即時に富を生まない農業研究分野に投資する余力は無いだろう。
さて、憂鬱日本では稲については既に品種改良がかなり進められていた。
戦時体制を睨んだ、作りやすく多収性である農林1号のような品種や、
逆にコシヒカリの様に食味を目指した品種を作り出していた。
農薬の史実より早い普及や、さらには農村構造の改革によって、
第二次大戦時までに収量性は格段に増加していた。
農業分野は史実の歴史に基づいて修正を加えながら計画を立ててきたのだが、
大戦末期に来て思いも寄らぬこと(農業計画策定者には)が起こった。
大津波による塩害や、火山の噴火による世界的な寒冷化であった。
これにより、緑の革命を行うフラグが一部流されてしまい、
史実には無い世界的な凶作フラグが立ってしまったのだ。
津波当年は備蓄などもあり、何とか乗り切れた国が多かったが、
その後数年間世界的な不作が予想され、世界規模で大量の餓死者が出かねない状態であった。
大日本帝国は早急に農業収量を向上させる必要があった。
(ちなみに農業でいう早急は5〜10年くらい)
列強筆頭としてその傘下に入った国だけでも、
保護するポーズを見せる必要があったのだ。
こうして、戦後の混乱も冷め遣らぬうちから、憂鬱版緑の改革に乗り出した。
肝心の革命の中身であるが、基本的には米だった。
日本米は一応自給率100%超で、改良も日本の試験場で事足りている。
日本米を好む国は他に無いため、日本の主食は日本だけで生産・消費することとなる。
当面の目標は東南アジアの主食インディカ米の改良だ。
その裏には世界情勢があった。
会合出席者以外の人員には知らされていないが、
中国大陸での偶発的食料難が原因の餓死や内部紛争による人口減は是とされていた。
そのため、中国大陸は邦人の安全が確保できないと理由をつけて、
基本的に騒ぎが収まるまでノータッチだった。
韓国は政治など諸問題が大きすぎて品種改良なんてしていられないので、スルー。
欧州については、小麦は其方で勝手に改良してよね。といった方針であった。
ナチスの支配が続くドイツや、ファシズムが幅を利かすパスタの国、
未だ友好とはいえない英国にわざわざ力をつけさせる必要は無い。
小麦の改良は日本の利する所が小さく、欧州の利が大きいのだ。
西欧の穀倉地帯であるフランスが枢軸側であるので、良い試験地も用意し辛い。
ただし、憂鬱日本最大の友好国であるフィンランドを中心とする北欧諸国については、
日本支配圏からの食料輸入について口利きをすることで何とか収めることとした。
北米の穀倉地帯の多くは欧州の支配下に入っているため、考慮する必要は無かった。
東海岸では塩害による被害を受けて使えない農地も多かったし、
しばらく、欧州には北米吸収にかまけていてもらわなければならない。
日本の支配下であるカリフォルニア共和国も軍事を日本で一部負担しているのだから、
食料問題くらい貿易で確保させることになった。
ソ連の畑では小麦ではなく兵士が取れる……というのは冗談だとしても、
もし、戦争に費やされている人資源が農地に戻って有効な農業ができれば、
急速に国力を取り戻しかねない。史実21世紀のロシアは小麦輸出国だった。
かの国の気質として、国内の不安が抑制されればまた拡大主義に転じ、
東端の隣国である日本と西端の隣国であるフィンランドを更に圧迫しかねなかった。
夢幻会としては農業改革支援などもっての他で、
飢えて暴走しない程度に、高レートで食料を売りつけておくこととした。
そんな情勢なので、日本主導で農業革命を起こす地域は自ずと限られてくる。
目をつけたのは日本に(一方的に)好意を抱いている東南アジアの国々であった。
もっとも、ベトナムなど腹に火薬を抱えている国もあるが、そこはスルー。
そのなかで欧州支配の影響が薄い地域が選ばれた。タイだ。
史実ほどではないにせよ日本とそれなりの友好関係を保っている。
タイは今回の大戦でも直接の被害は被っていないし、津波の被害も無かった。
最大の米輸出国としてなり得るポテンシャルもある。
試験場の導入を図るのにちょうど良かったのだった。
こうして、日本主導で農業改革を行う地としてタイが選定された。
タイに日本主導で国際稲研究所(IRRI)が設立された。
史実ではロックフェラー、フォード財団が中心となってフィリピンに設立するのだが、
正直、米国の影響が強く残り、荒廃しきったフィリピンに設立する必要性は薄かった。
東南アジアを引き付けておくパフォーマンスとしてもちょうど良いというのもある。
目指すは奇跡の稲といわれた、倒伏耐性をもつIR8の開発だ。
帝国大学の農学部などから有望な人員が駆けつけ研究を行った。
日本の試験場とは違ってインディカ米の研究が主であったが、
人員や研究者を育てる的な意味でも貢献したのだ。
農業分野の研究者は試験場という狭い世界に閉じこもりがちだが、
外国との交流が出来る人材を育てなければならない。
帝国大学農学部などから人員が集められていった。
その中には後に教授として稲研究に貢献する人物なども含まれていた。
IRRIではこのあと台湾の稲である低脚烏尖を親に交配を繰り返し、
史実のIR8に相当する稲を育種し、東南アジア地域の食料安定に貢献する。
もっとも、この稲は適切な管理下において多収を約束する品種であるので、
農法の改革もセットで普及する必要があった。
さすがに紛争中の国に人材を派遣できないので、政情の安定した国から
10年の歳月を掛けて広めていった。
このような活躍からIRRIは国際的農業研究機関としての地位を高め、
後々には遺伝子組換え作物を含む、遺伝子研究も取り入れていくことになる。
ちなみに遺伝子工学が次世代産業となることが分かっていたため、
夢幻会がアニメなどを利用して偏見を取り払っていたので、
史実よりは組換え作物への反応は好意的となった。
稲から遅れること数年、小麦・トウモロコシは、結局北米で研究されることとなった。
国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)が、
一部治安の回復したカルフォルニア郊外に、その研究所を構えることとなった。
大日本帝国の安全保障が欲しいカルフォルニア財界が、
日本人や日本主導の国際機関を取り入れるために必死に誘致した結果だった。
史実ではメキシコ・メヒコ州に設立されるのだが、IRRIと同じく立地が変更されていた。
情勢不安定かつ敵意を持つ国に、日本の財力を投じ無ければならない理由は無かった。
農林10号を使用した背の低い小麦品種を生み出してゆくこととなる。
憂鬱世界は花卉業界には厳しい世界であり、当初史実ほどには発展しなかった。
花は贅沢品で、花を贈れる、飾れるというのは、それだけ余裕がある証拠なのだ。
欧州では文化的にも根付いていたが、
日本ではあまり花を贈るという習慣が薄いこともあった。
しかし、「花を愛でる女性を愛でる会」という夢幻会の一グループがゴリ押しして、
60年代からN○Kで「趣○の園芸」という番組が放送され始めた事で、
日本でガーデニングブームが巻き起こり、欧州諸国を巻き込んで世界に波及していった。
野菜については国際的研究こそ行われなかったが、
アグリビジネスが金になると分かっていた逆行者達が世界に繰り出していった。
タキイ種苗や坂田農園などの種苗会社も国外進出を強めた。
農家が自家採取・増殖できないかわりに雑種強制で高品質を約束する
F1品種を作り出し、その利益を享受していった。
そして、野菜と同じくF1品種が強い競争力を持つトウモロコシ市場でも、
高品質・多収種子の販売を行っていた。在来品種とは生産量が格段に違うF1品種は、
高い種代を払ってもペイするほどの生産性を見せ、南米にも広まって行った。
ただし、在米法人として名称を変えて種子販売を行うことを推奨した。
主食のトウモロコシの利権や、種子を他国に握られていれば不満が起こる。
メキシコなど、南米諸国の反感を買うことになりかねないので、
在米法人してなるべく南米からの恨みを分散させたかったのだ。
20世紀後半から多く国で遺伝資源の持ち出しを禁止するのを知っていたため、
開国後から多くの遺伝資源を持ち出し日本に蓄えてきた。
その遺伝資源を活用することが出来たので、
野菜種苗の分野ではかなりのアドバンテージを持っていたのだった。
こうして、40年代の食料危機から、
歪ながらも50〜60年代にかけて食料事情は好転していった。
緑の革命の成果も着実に出始め、特に東南アジア地域では自給率が高まっていった。
しかしながら、飢餓から世界各国を救ったのは緑の革命ではなかった。
憂鬱世界では大津波による世界的な被害、
膨大な人口を抱える中国での飢饉や、それによる内部紛争、
第三世界でのもろもろの紛争
(大日本帝国は、日本が関与しないなら基本当事国同士に任せるといった方針であった)
などによって、世界人口が押さえられていたため、
皮肉ではあるが食料事情はかなり良くなった。
196×年 とある日の夢幻会。
かつての日本政府の重鎮達がいるのは表向きは定食屋であるが、
夢幻会メンバーが立てた、メンバーご用達の定職屋だった。
食卓には重鎮達が食べるには質素な食事がならんでいる。
コシヒカリをふっくら炊いた白米に、塩シャケの切り身、
ほうれん草のお浸しとカボチャの煮付け、蜆の味噌汁、
カブとキュウリのお漬物
「コシヒカリはやっぱり美味しいですね。
最近ようやっと仕事から解放されて、米を味わって食べられるようになりましたよ。」
「お疲れ様です。戦前はまだコシヒカリ食べられませんでしたからね。
まあ、どうせ海の上じゃあどんな米でも直ぐに悪くなるのですが。」
「南雲さん、そうはいっても海保は沿岸警備だからまだマシだったのでは?」
そう言うのは嶋田と南雲の海軍コンビだった。
「野菜類もやっと種類と量が揃ってきましたね。冷蔵技術の発達もありますが。」
「いままでは、旬の時期に旬のもの『しか』食べられませんでしたしね。」
「それにビートが異様に研究されているくせに、ほうれん草が改良されていないとか。
野戦食のボルシチ缶は勘弁願いたいです。」
「あれはロシア人向けの試作品です。スピナッチ缶ならいいんですか、ポパイですか?」
辻や杉山、東条らも口々に言う。
この食卓にならんでいるのは、現在日本の一般家庭での通常の食事を模したものだった。
食事は生活水準のバロメーターということで、皆で今の日本の状態を確認する意味で、
久しぶりに集まって昼食会を開いたのだった。
嶋田もやっと現役を引退し、睡眠時間6時間の夢のような生活を満喫していた。
もちろん、夢幻会業務は完全に無くならず、なにかあると問題解決に奔走するという、
非常勤閣僚、兼海軍ご意見番のような役割を担っていたが。
史実米国の様な規格外の一強がいないために、世界情勢が日々動きを見せるこの世界で、
何か事件が起こるたび嶋田は表舞台に引っ張り出されていた。
しかし、少なくとも昼も夜もなく戦局や政治に引っ張りまわされる生活や、
毎日、胃薬や栄養ドリンクのお世話になるような生活より良いことは確かだった。
(了)
あとがき
この剣呑な世界情勢になった憂鬱世界ではまともに緑の革命は起こるのだろうか。
おこったらどの様な動きを見せるのかといった話です。
……というのが趣旨だったのですが、シミュというか妄想になってしまいました。
もっと、内容を絞って書いた方が良かったかもしれません。
緑の革命の中で食料増産に貢献した米国の農学者はノーベル‘平和’賞を取っていますし、
世界情勢にかなりの影響を及ぼす分野ですよね。
ある意味、食料事情の改善が開発途上国での人口爆発の引き金の一端にもなっていますし、
本当に制御が難しい分野です。
諸所気になる所があるとは思いますが、妄想の一環だと思ってご容赦を。
ラストは、あまりにネタ界隈での嶋田さんの扱いが哀れなので、
嶋田さんののんびりした光景を挟んでみました。
今朝、ある方の訃報を聞き、この短編を書きました。
と、同時に、あの事故で亡くなられた方たちの無念を思うと
あんな事故は二度と起きて欲しくないという思いと共に
鎮魂もこめて、駄文で申し訳ないですが。
提督たちの憂鬱 支援SS 〜「翼をください」〜
1.社長室にて
「しかし、夢幻会、いや、嶋田さんがよく<<富嶽>>の機体の一部流用を認めましたね」
「カリフォルニア進駐があるからな。軍部としても400人の完全武装兵士がつめる輸送機は使い勝手があるだろう。
それにもともと嶋田さんは航空屋だ。日米戦後の世界も見ている。民間航空の発展が明らかなのはわかっている。
アメリカが分裂した今、民間航空機の供給先は日・英・独・ソだ。このうち日英が熾烈な商戦を繰り広げることはわかりきっている。
今のうちに大型機製造の経験は積んでおくことに越したことはないからな。辻さんもそこはわかっていて予算も出してくれた」
ここは倉崎重工のビル
社長であり設計者の倉崎重蔵と息子の潤一郎が茶を飲んでいた。
二人の前には模型がおかれている。
試製「富嶽」輸送機
XY99とボーイング747をモデルとした巨大輸送機は試作機が完成し、試験飛行を順調に重ねていた。
「これが本当に飛ぶとは思いませんでしたよ」
潤一郎は模型を手に取りながら、浮かない顔で続ける。
「しかし、出来たばかりなのに、トラブルを想定した飛行というのはk成り危険じゃないかと…」
「流石にこんな巨大飛行機を位置から製造したからな、どんなトラブルが起きるかもしれん
これから製造する旅客機の設計の為にも試すに越したことはない」
重蔵は紅茶を飲み干し、カップを机に置いた。
「本当に、大丈夫ですかねぇ」
息子の潤一郎は心配だ、以下に技術が進んでいるとはいえ扱うのは人間。しかも飛行試験である程度慣れているとはいえ
今まで見たこともない巨人機にわざとトラブルを発生させてテストするというのはいささか性急過ぎると感じていたのだ。
しかし父親の重蔵は一向に心配する気配もなく、
「大丈夫さ」
と言って、パイプに火をつける
「彼らは私がもっとも信頼するテストパイロットチームだ、大型機の操縦経験も豊富だ。それに…」
ふうっとパイプの煙を一息はく。パイプの香りが社長室に広がる
「…彼ら自身が望んだのだ、借りを返す為に」
そう言って重蔵は窓に近づいた。
「借りを返す?借りってなんですか?」
潤一郎が背後から質問をする。しかし重蔵は空を見ながら独り言のように呟いた
「そうだ…彼らはあの山に二度と飛行機が行かないためにな…」
窓の外には夏の太陽がさんさんと輝いていた。
2.相模湾上空
羽田飛行場を離陸した試製「富嶽」輸送機は順調に高度を上げていた。
「キャプテン、まもなく予定高度に達します」
「そやね、ほんなら水平飛行に移るとするか、コーパイたのむ」
「はい」
副操縦士は操縦桿を水平に戻していく。
「エンジン・油圧共に正常…しかし6発のターボプロップエンジンというのは面倒ですね」
後ろの航空機関士が計器を読みながらぼやいて報告する
「しょうがないよ、俺は前の時代で操ったことはあるがそれでも双発だからなぁ。まだこの時代でジェットはまだ早すぎるからね」
「まあでも、また747並の大きさの飛行機を操れるとは思いませんでしたよ」
副操縦士が笑いながら言う。
「操縦性もYS11並に安定してるから良い飛行機だわ、これは」
「ま、僕もいろいろやることがあって楽しいですけどね」
クルーは笑いながら試製富嶽をテスト開始地点へと操縦する
「まもなく開始地点です」
航法担当の航空機関士がチャートを見ながら報告する
「よし、はじめるか。tokyo control…あー、東京管制、こちらJ10001、これより非常対応飛行試験を行う」
「了解、周辺に航空機なし、気をつけて」
「了解」
機長はマイクを置いた
「どうも昔の癖がぬけんな、管制と話すときはつい英語が出ちまう」
機長は苦笑いをする
「みんな気合入れろよ、エンジニア、始めてくれ」
「了解」
航空機関士がパチパチとスイッチを入れた
「ハイドロプレッシャオールロス!」
とたんに操縦桿は重くなり、機体はフゴイド運動を始めた。
「重い…」
「ストールに気をつけろ!」
「はい」
副操縦士が重い操縦桿を操作しながら返事をする
「あの時と同じか…いや、垂直尾翼があるだけまだマシだな…さぁて、どーんといこうや!」
試製富嶽とパイロットクルーの格闘が始まった。
3.故郷の山にて
群馬の山中で1機の零式練戦が戦闘訓練を終えて飛んでいた。
「いいか、今日教えたとおり空中戦は単機でやろうと思うな、電話無線があるから遼機と連携を取りながら敵を追い込むんだぞ」
「はい!」
練習生が力強く返事をする。
眼下には険しい山が折り重なり、谷間の川沿いに少し家が見える。
「教官殿、ここら辺は教官殿の生まれ故郷ではありませんか?」
「ああ、そうだ。いーとこだぞ」
彼が見間違えるはずもない。
「山んなかにある村だが、情は厚いしうまい酒もある」
そう言うと練習生が笑う。しかし彼はすぐに緊張した声で
「教官殿、左に大型機!」
「ん?」
見ると見たこともない大型機がヨタヨタと険しい山の上を飛んでいた
「何かトラブルが発生したようだな…近づくぞ、操縦を代わる」
零式練戦は大型機に近づいていく。
やがてヨタヨタしている大型機に並ぶ
無線機の周波数を民間周波数に変えて呼びかけた
「そこの民間機!こちらは筑波海軍航空隊黒沢大尉!何か故障か?操縦可能か?」
「…こちら倉崎重工J1001、黒沢大尉、こちらは機体障害テスト飛行中。心配ない、テストは終了した。まもなく正常飛行に戻る…」
そう言っている間に大型機はヨタヨタした飛行をやめて上昇し始めた。
「…よかった、問題はないんだな、しかしでかい飛行機だなJ1001」
黒沢大尉は富嶽よりも太い胴体を見て問いかける
「…日本の明日の翼ですよ、ところで黒沢大尉…」
「ん?」
「…下のお名前は?」
妙なことを聞いてくるもんだなと思いつつ黒沢大尉は答えた
「小官の姓名は黒沢丈夫だが…」
答えた途端、しばらくJ1001の沈黙が流れた
「どうした?J1001」
「…いやなんでもない。本機は羽田に戻ります」
「そうか、我々も厚木に戻る、無事な飛行をJ1001」
「…黒沢村長も、またお世話になりました…」
(村長?「またお世話」?どういうことだ?)
黒沢大尉はそう思ったが、大型機は南東の空に向かって旋回し始めた。
(まあ、いいか…)
「練習生、我々も筑波に帰るぞ、操縦を任せる」
「了解!」
零式練戦は東に向かって旋回する
二機の飛行機が離れていくのを、「御巣鷹の尾根」だけが静かに見守っていた
提督たちの憂鬱支援SS(短編)――「我ら蛮人に非ず」
――西暦1890年、大英博物館の司書が発表した書籍は、世界を驚かせた。
題を「日本の算法とその解説」としたその書籍は、1000ページ近い大著であるにも関わらず大英博物館の出版部に問い合わせが殺到。
隣国フランスやドイツ、イタリアなどの各国語訳が出るなどの大ベストセラーとなった。
この本は、極東の小国である日本が伝えてきた独自の数学について概説しており、それ自体は目新しさがありこそすれ、まったく注目に値するものではない。
しかし、その後半部分に記されていたものこそが問題だった。
「算額」。
写真と図入りで掲載されたこの奇妙な風習は、神にささげる目的で一般庶民から商人、サムライまでもが数学をまるでクロスワードのようにたしなんでいた極東の伝統だった。
恐るべきことに、それに付録していた資料には事もなげに日本列島の識字率は70パーセントを超えていたとも記されている。
著者である南方熊楠の語り口と相まってこの本は社交界の話題となり、欧州ではにわかに極東の島国への関心が高まって行った。
そして翌年に出版された南方が編集した匿名の著者による「算法少女」という小説は折からの小説ブーム(シャーロックホームズシリーズなどと同じ推理小説ととられた)その動きに大いに寄与したのだった。
そんな中の一人にフランスの数学者ポワンカレがいた。
彼は、南方の著書の末尾に掲載された一つの問題を見て愕然となった。
1822年に相模国(神奈川県)の寒川神社に奉納された算額には、「六球連鎖の定理」と後に呼ばれる未発表の幾何学的法則が記されていたのである。
――外殻の球体に内接する2つの球体の周囲を取り巻く、互いに接する(連鎖)球の数は常に6となる。
これを、19世紀初頭に入澤新太郎博篤という名の数学のプロフェッサーの助手が証明し、数学書に掲載していた・・・
この事実は、ポワンカレの手によって確認という形で発表され、数学界に衝撃を与えたのだった。
当然、著者である南方熊楠のもとには数学者が殺到。
争うように彼の手で西洋数学に直された例題群を読み漁り、再び驚愕する。
例題を書いた者の数は様々であり、百姓の娘から殿様まで幅広い階級にまたがっていた。
このことを訊かれた南方が語る日本列島の人々の姿に再び西洋諸国は衝撃を受けることになる。
初等学校生徒程度の町人の子弟がピタゴラスの定理を使いこなし、農民は余暇を使って数学を楽しみ、求婚の際にはどんな僻地の村でも自ら詩(俳句や短歌、甚句など)を吟じなければ無教養とそしられる。
こうした庶民の暮らしは、19世紀以前に夢想された古典的ユートピアそのものだったのだ。
もちろんこうした「庶民への過剰な教育」に力が注がれ過ぎたがために徳川幕府は近代化された工業力の整備に失敗したとする論調もあった。
だが、そういった議論は、1894年の日清戦争と続く日露戦争で一掃された。
ことに、日露戦争の転換点となった日本海大海戦において「兵が全て自分の名前を書け、兵器の取扱説明書を読めた」ということを知り、また海戦に参加した兵士が英国の雑誌に論文を投稿するにあたって、疑念は驚愕に変わったのだった。
その頃には、近代的測量法をほとんど自力で構築して精密極まりない地図を作り上げた伊能忠敬の業績や、官吏としては恐るべきほど清廉さを重視し薄給で国家に奉仕した武士階級への再評価が進んでおり、かつて南方熊楠が代弁した事実を欧米列強に認知させていた。
「我々は蛮人に非ず」。
彼の出版した本を嘲った大衆紙の記者に南方熊楠が放った一語は、英国や欧州の上流階級の共通認識となったのであった。
【あとがき】――短いですが投稿しました。
やっと自前のPCが使えるようになりましたのでこちらから投稿です。
実はチートな江戸時代の日本を欧州が認識するとしたら何かなと考えましたらこういうものに行き着きました。
今回のSSは、頑張るルフトバッフェです。
とりあえずなにがしたいのかと言うと……
・ドイツ空軍にまともな大型爆撃機を持ってほしい
・いつまでも急降下爆撃厨じゃないルフトバッフェが見たい
He−177は、素質が良いだけにもっと活躍してほしい機体でしたね。
工業力は史実程じゃないっぽいけど、ドイツなら出来るはず……
1940年代も半ばに差し掛かろうかという頃、ドイツ第三帝国の空軍であるルフトヴァッフェは、
遅まきながら自分達が変革しなくてはならないという事を知ろうとしていた。
バトルオブブリテンでは大きな損害を出し、ソ連にはなかなか止めを刺せず、
その一方ではるか彼方の極東にいる仮想敵軍は彼らを鼻で笑うような戦果を挙げている。
この現実から、ドイツ空軍再建の立役者の1人であったエアハルト・ミルヒは1つの結論を出した。
「ルフトバッフェの戦略空軍化が急務である」
と。
提督たちの憂鬱 支援SS 〜ドイツ空軍の改革・その始まり〜
元々、ルフトヴァッフェは戦術空軍である。
コンドル軍団の時代から、彼らの任務は地上部隊の支援が中心だった。
この種の任務に求められるのは広域を破壊するような絨毯爆撃ではなく、
航空機にとっては非常に小さな目標である戦車などを確実に破壊できる精密爆撃(=急降下爆撃)で、
またこれに要求されるのはペイロードの大きい大型機ではなく小回りの利く小型機だ。
当然、小型機は航続距離が短くなるので遠隔地にある敵工場を破壊するような事はできず、
これがバトルオブブリテンでの苦戦や独ソ戦の長期化に繋がっている。さらに、
航続距離が短いと戦線が前進するにつれ新たな飛行場が必要になるという問題も出て来る。
これは独ソ戦や北米侵攻の際に特に顕著になったものだ。
そして問題は"戦術空軍すぎる"事だけではない。"陸軍寄りすぎる"事もである。
新たな仮想敵国として日本が加わると、万が一の場合に大規模な海戦の発生は避けられない。
その時、空母を持たないドイツ海軍が沿岸から離れすぎる事は日本の機動部隊に一方的に叩かれる事を意味し、
沿岸に近くてもドイツ空軍が海軍へ効果的援護を行えるかどうかは怪しかった。
最終的に、エアハルト・ミルヒはルフトヴァッフェの問題点を次のようにまとめた。
① 長距離を飛行し、敵工場地帯を効率よく破壊できる高性能大型爆撃機の不在。
② ①に関連して、航続力が長く、かつそこそこの戦闘能力を持つ戦闘機の不在。
③ 大洋上における対艦攻撃の経験不足と、そこから来る関連技術の遅れ。
これらの問題は共に空軍の再建に取り組んだ盟友であるアルベルト・シュペーア、
そして日本軍の脅威を最も痛切に感じていた1人であるエーリヒ・レーダーとの協議の上、
3人の苗字の頭を取った『MSR提言』として第三帝国の指導部内で提示された。
この提言はこれまでのドイツ空軍の急降下爆撃偏重を痛烈に批判するものであり、
具体的にではないがこの流れを作った1人であるヘルマン・ゲーリングをも暗に非難するものだった。
勿論ゲーリングは慌ててこの提言を潰しにかかったが、海軍・軍需省との共同戦線を張られていたため、
彼の影響力の及ぶ範囲ではこれを揉み消す事はできなかった。
そうこうしている内にMSR提言は総統であるヒトラーの目にも留まる事になる。
説明を求められたゲーリングは「急降下爆撃は対艦攻撃にも有効であり、日本人は実際にそれで戦果を挙げている」
などと苦しい言い訳を余儀なくされた。後にこの釈明を聞いたレーダーは苦笑しながら、
「急降下爆撃で破壊できるのは艦上構造物だけであり、そもそもこの戦法は対空砲火に晒され易い。どう考えてもペイしない」
と部下に語ったという(ゲーリングはこれに対し、「工業力が旧来の米国以下である日本には、それでも十分打撃だ」と再反論している)。
こうしてゲーリングの反対もむなしくルフトヴァッフェ内では改革の機運が高まっていくのだが、
機運だけでは改革は動かない。ミルヒはこの機運を機運だけで終わらせないために、空軍外の人間とも協力し、
数少ない戦略爆撃機の卵だったHe−177の設計をより洗練されたものにすべく、同機の強化計画を実行に移した。
計画の内容は史実におけるHe−177Bと似たようなもので、
エンジンをDB606からより信頼性の高いものへと換装すること、
急降下爆撃能力の撤廃、防御機銃の強化、この3つが最優先目標とされた。
果たしてHe−177強化計画は某国家元帥が抵抗を諦めたからか十分な成功を収め、
ドイツ空軍内では最もペイロードに優れ、そして機械的信頼性も高い爆撃機となった。
その性能たるや北米侵攻のドサクサで確保した元米空軍の重爆撃機パイロットに、
「もしこれが(日本との)開戦時にあったなら」と言わしめる程だった。
さて、この改良型爆撃機は、計画の成功を内心疑っていたヒトラーを、
そして急降下爆撃に拘っていたゲーリングをも唸らせた。
ヒトラーは「これがあればソ連を屈服させられる」と大いに喜ぶと、
この爆撃機に『フリューゲンドラッヘ(Fluegen Drache)=飛竜』という愛称をつけた。
ドイツ週刊ニュースでも彼の機の存在は格別に大きく取り沙汰され、
そこで放映された試験飛行の現場にはエアハルト・ミルヒらと共に、
何故かヘルマン・ゲーリングまでいた事は国内でちょっとした語り草になったという。
このように、ドイツ空軍史上に残る傑作機として扱われたHe−177F(FはFluegen Dracheより)だが、
その裏でエアハルト・ミルヒとアルベルト・シュペーアは予測可能・回避不可能な問題に直面していた。
予算である。
急降下爆撃をしなくてもよいので機体強度を適切にする事ができ、
これでHe−177Fの生産コストは旧来のHe−177に比べむしろカットできたのだが、
開発コストを下げる事はできなかった。そして、大型機のパイロット育成もタダではできない。
戦略爆撃機隊を編成するだけでも大変なコストがかる。
そして、そのコストを費やした上でそれを護衛する部隊まで育てるのは、非常に難しかった。
ドイツ空軍パイロットはこれまでの任務上、目と鼻の先でドツき合うような戦いが多かったので、
これを長距離作戦に適応させるだけでどれぐらいの労力がかかるかは想像もしたくないくらいだ。
また、極東ではBf109やFw190をあらゆる面で上回る超性能戦闘機(しかも艦載可)の開発が進んでいるという、
ミルヒやシュペーア、レーダーでなくても通常の3倍の頭痛がしてきそうな恐ろしい噂が立っているのだ。
旧来の体質、予算不足、不気味な程に技術力のある仮想敵国……
ドイツ空軍の改革への道は、かくも苦難の多い中で始まったのだった……
〜To be continued……?〜
連投すまない、パットン将軍には生きていて欲しかったんだ。
なお、このお話に名前の出て来る野口中尉とマクミラン大尉はモブキャラみたいなものです。
史実に該当人物はおりませんのでご了承下さい。
※本ネタは、中長編投稿スレその2の991からその3の27まで連載された名無しモドキ氏の「アステカの星―奇跡の谷―」にインスパイアされた結果誕生してしまったものです。
ネタのきっかけを作ってくださった氏と、earth閣下に感謝をささげます。
提督たちの憂鬱ネタSS―「博士の異常な・・・」―
――戦後しばらく、大英帝国某所
「由々しき問題だ・・・諸君。」
男が言った。
「円卓」の面々は頷く。
その通り、彼らは窮地に立たされていた。
戦争は終わった。
借金は踏み倒したし、北米の植民地化も軌道に乗った。だが・・・
彼らの持つ新聞にはこうでかでかと記されていた。
「英領インド帝国、インド連邦へ!19XX年めどに」と。
そう。東南アジアで爆発した独立への希求は、大英帝国の心臓たるインドにも迫っていたのだ。
北アフリカ戦線に参戦し活躍した「インド義勇軍」のチャンドラ・ボース将軍とマハトマ(偉大なる)・ガンジーの両輪をもってインド人は独立への希求に王手をかけていたのだ。
とはいえ、この大地を手放すわけにはいかない。
北米の再植民地化が軌道に乗ったとはいえ、英国にはまだ旧来の心臓が必要なのだ。
幸い、彼らの立場を理解している大国が近隣にはいた。
太平洋を世界最大最強の機動艦隊の演習場に変えた日本帝国だ。
彼らは、「英連邦下での独立」と英国利権の独立後政府への段階的委譲という軟着陸に全面的に協力するかわりに、インドでの自由貿易を欲していたのだ。
むろん、インド洋を「天皇のバスタブ」の脱衣所程度にすることも。
これに英国は乗っかった。
だが、ここで彼らは気付いたのだ。政府上層部は英国に比較的友好的な者たちで占められている。だが、国民は英国を裏切り者と断じている。
ただでさえ、強力極まりない核戦力(英独両国は核兵器に適した物質がウランか超ウラン元素239と名付けられたものであるとようやく分かった段階だった。トリウムなどの候補元素を原子炉用にダミーで購入していた日本諜報陣はいい仕事をしていたらしい)を保有し、他国を一段も二段も引き離す強力な機動部隊と水上戦闘艦部隊、さらには数こそ少ないが高性能な核兵器投射手段を有する日本人は、あの植民地人たちほど傲慢ではないものの、その真面目さからか事あるごとに口出しをしはじめていた。
「問題は・・・やはり、核ですな。」
「左様。あの兵器を開発するのは、かのドイツ人ですら難題です。」
ドイツ人たちは、北米に加えソ連の残骸から湧き出る無数の紛争に関わっている上、新世代の軍備をそろえることに既に青息吐息だった。
核兵器開発こそやっているが、(ツーゼなどの優秀な電子計算機のパイオニアを片っ端から日本人にとられるか東部戦線ですりつぶしていたため)爆縮レンズの設計で躓いており、ガンバレル式の起爆実験を数年で行えれば御の字というお粗末さである。
日本人たちは、核軍縮を自発的に行えるほどに進んでいるというのに――
「ならば、やるしかないでしょう。」
ゆえに、円卓は知恵を絞った。
伊達に腹黒紳士稼業はやっていない。正面から戦って勝てないなら、せめて将来的にあの切り札を切りづらくする。
外套の下に短剣を握っていてこそ、英国紳士なのだ。
――数ヵ月後 日本帝国 某所
「キューブリックだと!?」
「あの呪われた道具ですと!?」
「私はどちらかといえば薄幸メガネっ子の幼馴染妖刀の方が・・・」
「てめぇいいんちょさんをdisってんのか?『バカげている』こそ至高ではないか!」
「そっちじゃないです。というか本物の映画監督の方です。」
近衛公がそう報告すると、夢幻会の面々は落ち着きを取り戻したようだった。
彼らの手には、巷で大ヒット上映中の映画「博士の異常な愛情(以下略)」のチラシが握られている。
このたび公開された映画は、かの巨匠の手にかかった上にドクターストレンジラブを演じるテキサス出身の俳優――というか怪優の一人三役演技も相まって見る者にブラックジョークの真髄を教えてくれていた。
だが、問題は、
「薬がききすぎましたか・・・。」
辻が言った。
そう。薬がききすぎた。
彼らは、戦後核軍拡の悪夢を繰り返さないために、映画を使って放射線被ばくや核兵器の恐ろしさについて広報するという方針をとっていた。
かの大怪獣映画に代表されるような、近衛公ら特撮界が全力を挙げた映画群は、予想通りの成果を上げていた。
そこへ、ブラックジョークでは世界最高水準に位置する英国が総力を挙げて作った「反核映画」(キューブリック自身は政府の方針に思うところがあったらしく完成品では好き放題やっている)が殴りこんできたのだ。
大西洋大津波に加え、あの東南海・南海地震という自然の猛威を味わっていた日本人にとり、「核による死」は災害としてこれ以上ないほどのインパクトをもって人々の不安要素として定着してしまった。
巷では大規模な反核運動こそ起こっていないものの、すでに議論が巻き起こっている。
「さすがは英国紳士。なかなかやりますね。わが国がユダヤ系科学者を大量に抱えているのを知ってあのキャラを出してくるとは思いませんでしたが。いやはや歴史の修正力か内容は似たようなものでしたし。」
「どうする?史実のようなキ○ガイプロ市民団体を育てる気はないぞ?」
戦後になっても休みがとれずにイライラしている嶋田が言った。
「まぁ、教育しかないでしょうね。」
そうなるか・・・と全員が脱力した。即効性がない分地味であるが、重要極まりないものだった。
「あのストレンジラブ博士をみてマッドサイエンティストへのドン引きと反ユダヤ感情がくっつかないように気をつける必要があるな。」
「しかしどうする?実物を見せるわけにも・・・」
ああ・・・。と全員がそろってある方向を見る。
そこには・・・
「蝶☆サイコー!!」
なぜか全身タイツのようなものを身にまとい、変な仮面を被った男がバレエダンサーもうなるような見事な回転を披露していた。
「中毒が抜けないうえにあの『ストレンジラブ博士』キャラが厭だからって、あいつらに任せるんじゃなかったよな・・・」
嶋田が溜息をつく。
「まぁ・・・平成の世でも無敵な8○1板にいた皆さんですからね・・・。」
そう。
水爆の設計図を落書きして世界中にまき散らされるのを阻止するために夢幻会はエドワード・テラー博士の「招待」に踏み切っていた。
だが、北米の過酷な状況は彼を、「総統!立てます!!」と絶叫するようなキャラに変貌させていた。
人前に出すわけにもいかず、仁科博士たちが匙を投げたのを知った夢幻会は、博士が移送前にあるトラウマを抱えていたことを知り、その手のことに詳しい夢幻会構成員に彼を託していたのだった。
意外に思うかもしれないが、夢幻会の面々は男だけではない。
なぜか濃ゆい趣味を持つ者がよくやってくるという法則じみたものがある以上、平成世界で一大勢力を張る彼女らがやってこない筈もなかった。
その名を、「秘密の花園を守る会」略して「花園会」。ラグビー愛好者の皆さまが激怒するであろう名前を持つおねぇさま方の集団である。
ちなみにMMJとは、「女子高が増えたらその分男子校も増えるんじゃ?」という打算や「旧制高校の男の世界を保存する」という目的で共闘している。
そして、「会合」そっちのけで「活動」に興じる彼女たちと、それに混じっている「おねえさま」(自称)たちに恰好の玩具を与えてしまったことに嶋田たちが気付いたときは、遅かった・・・。
なぜか「僕はここにいていいんだ!」と過去を肯定してしまったテラー博士はごらんのありさまになっていたのである。
「巷ではめったに姿を見せないから『暗い研究室で高笑いをするマッドサイエンティスト』と思われているらしいですよ。」
「・・・・永久封印だな。幸い、あのおねぇさま達は彼を気にいっているし、原子力研究者としては天才的だ。――始末に困るが。」
後世、孤高の天才科学者と呼ばれ、映画の大ヒットから有名になったテラー博士がこんな人物になっていたということは、幸いなことに正史には記されていない・・・。
〜おわり〜
【あとがき】――大掃除や年末仕事に加えて実家で母親のマッサージをさせられて疲れきっているため、疲れているのに眠れない状況のためにナニカがおりてきてしまって書いてしまいました。
うん。反省はしています。
でもストレンジラブ博士ときいて書かざるをえなかったんです・・・。
初投稿になります。なるべく当たり障りの内容に書いたつもりですがもしもさわりがあれば今ここで謝罪いたします
それでは投稿します
「とある劇場にて」
大正のとある年、帝都のとある劇場に商談で来日した欧州のとある国の商人が気まぐれで足を運んでいた。
男の名前はこの話にはさして関係なく、ただの観客としておこう。
欧州大戦の傷もまだいえぬ中ではあるが、幸いなことにこの商人の母国はドイツと比べればたいした被害を受けていなかった。
戦争はあまりにも無残な結果となりドイツはあっけなく崩壊した。そして、最後の戦争は最後とはならず遠からず再び戦となるだろう。
だが、それでも今だけは、永遠ならざる平和を男は楽しみたかった。
「さて、この国ではたいした評判らしいが…ずいぶんと熱気がすごいな」
男は自分の席の周りを見回してみると、老若男女が満遍なく開演のときを今か今かと待ち望んでいるようだ。
確か題名は「女神」といったか。パンフレットを買わなかったのを少々悔いたが、それでは演劇の楽しみが減ると思い直し開演を待つ。
「やはり女神は恋人を失うくだりがいいですな」
「いやいや、私は主人公が兵を率いて…始まるようですな」
周りの声で男は演台に目を向けた。
そして、そこから始まる圧倒的な歌い手たちと役者が織り成すミュージカルを超えた演劇に彼はあっという間に取り込まれた。
静かに始まる語り部の声。そして美しい少女たちのきれいな合唱。馴染み深い神話をモチーフにした含蓄深いストーリー。
それらを十二分に生かすべく作られた舞台装置。評判になるはずだと彼は納得仕切りであった。
主人公が兵を挙げて故国に攻め込むくだりでは彼もまた観客に釣られて立ち上がり雄たけびを上げてしまった。
最後に全員が歌い幕が下りるころ、彼はいすに座り余韻を味わっていた。
「何とすばらしい…オペラもなかなかであったが、これもまた…」
そう彼が思っていると、最前列からこちらに歩いてくる一人の男性を見つけた。
「あれは、近衛公爵!」
思わず声に出かけたが、プライベートのようで挨拶ははばかられた。彼もまたこちらを一瞥して出口へ向かっていった。
そして、彼もまた余韻覚めやらぬ中ではあるがロビーへと出て行った。すると、観客の大部分は長い列を作りチケットを買っていた
「おや、チケットは買われないのですか?」
隣の席に座っていた老人が彼に問いかけた。
「申し訳ないがここは初めてなのですよ」
「ああ、それはそれは。実はですなこの列は二時間後に始まる「ロスト」を買い求めるための列でしてね」
彼がその列に並び「ロスト」を見たのはいうまでもなかった。
それにしても、観客の入りは上々ですね」
近衛はそうつぶやき、劇場のロビーでコーヒーを口にしていた。
「まあ、あの楽団の劇を用いればこうなりますよ」
辻はそういってパンフレットを手に取りもてあそんだ。
「ですが、よくあなたがこれを許してくれるとはさすがの私でも思いませんでしたよ」
「成功するとわかっていましたからね」
「ほう」
「それに、開国以来の研鑽の結果、産業面では誰もヨーロッパに優れているわけではないが劣っているとは思わなくなりました。
ならば、次は文化面でしょう。それが追いつけば帝国は必ずや一等国になる。勿論MMJに利があったからこそですが」
「うちに引きこもってばかりでは先が見えていると」
「どちらか一方ではだめなのです。両方あってこそですね」
「そうですね。ところでものは相談なのですが、劇に関してはだいぶ差は詰まったと思うのですよ」
「次は映画ですか」
「そうですね。誰しもが金儲けしか頭にない国だと口を開かなくなるようなね」
「なるほど。考えておきます」
そうして二人はコーヒーを飲み干し席を立ち上がり劇場の扉を開けた。
「そういえば、ジョヴァンニさんを見かけましたよ」
「近衛さんそれは本当ですか?」
「ええ、確かに彼でしたね」
その言葉に辻は目を光らせ開演までじっと考え込んでいた。
「これもなかなかよかったな…」
ジョヴァンニは閉演後、劇団の年間スケジュールを手に取り日本を後にした。
そして戦争が始まるまでの間時間が許せばしきりに通いつめる程のファンになる。
その中で、とある眼鏡の財務官僚やちょび髭の公家と頻繁に顔を合わせ、やがてはイタリアと日本をつなぐルートとなった。
そしてその中で彼の持つ会社の技術と日本の企業の技術が交換され、彼はイタリア製海の重要人物となってゆくのは別の話。
あとがき
ふと、とあるグループを思い出しそのファンもいるかなと思い書いてみただけです。
それ以外に理由はなかったりします。
「海軍技術者の飯の種」
原爆公開実験の少し前のお話。
「無人護衛艦、ですか」
今日も今日とて執務室で栄養剤を飲みながら嶋田は書類を見る。
そんな嶋田を気の毒そうに見ながら南雲は話しかける。
「ええ、海軍技研の若いのが持ってきたモノなんですが。海保にも賛同して欲しいと」
南雲が持ってきた書類は艦艇研究部門の逆行者が持ち込んだ計画書であった、
日米戦争がほぼ日本の勝利で終わる事が衆目の一致する所となり、
提灯行列を見ながら悲惨な敗北を避けられた事に安堵しつつも戦後の事を考えてこの人物はむ?と気付いた。
「平和・・軍事費・・縮小・・研究費が削られる!?」と。
慌てたこの人物は仕事場に戻り大まかな基本案をメモにまとめ、仕事仲間に戦後の予想を話し、
不安を煽ってあーでもない、こーでもないとこの計画を皆で練り上げた。
このまま上に提出しても採用されるかわからないと自信がなかったのか海軍内の各派閥に賛同を求め、
海保にまで共同開発の話を持ち込んだのである。
(2)
「ふむ、この書類を見る限り、大蔵省としては賛成してもいいと思いますが」
書類をのぞきこみながら辻は頭の中のそろばんをフル稼働させる。
飲みすぎたのか痛い頭を振りながら空瓶で一杯になったゴミ箱に飲み終えた栄養剤の瓶を捨てつつ、
嶋田はいくつかの条件付で了承の返事をする。
「・・・条件は以上です。
最後に一つ、基準達成後に性能を維持したまま出来るだけ安くしてくれと念を押してください」
イージスシステムの基礎研究も兼ねたこの計画の承認で、
海軍技研の技術者たちは戦後の飯の種ゲットの功績でこの人物を胴上げしたと言う。
実験型無人護衛艦
基準排水量=1500t
全長=105m 全幅=10,1m
主機出力=30000馬力
最大速力=36kn
武装
兵装ブロック換装システム
<本級の特徴>
海軍の人件費の削減と艦艇の省力化の研究、
数的戦力の補完を目指して開発された、有人艦とのペアで運用されるのが前提の無人艦。
3式艦載固定型電探(憂鬱版フェイズドアレイレーダー)を搭載し、
自動展開できる曳航ソナーやアクティブソナーを使って有人艦の対空対潜索敵範囲と迎撃範囲の向上に使われる。
艦体が各機能ごとにブロック化され、
生産性を最優先にされているために戦時になれば週刊護衛艦といえるレベルで生産できると期待されている。
有人巡洋艦の情報端末兼いざとなれば使い捨てのような運用も出来る艦艇随伴型兵器庫艦のようになれば、
と電波障害下や有人艦が撃破された際の対応システムなどの更なる開発、研究が行われている。
(武装)
兵装ブロック換装システムが大きな特徴である。
127mm自動速射砲、76.2mm自動速射砲、初期型CIWS、対潜ロケット発射機、対潜魚雷発射機など、
状況に応じて換装し、対空特化型や対潜特化型など柔軟な運用が出来るシステムとして開発されており、
将来的にはVLSなどを搭載する事も夢幻会は視野に入れている。
憂鬱戦後日本でブロック化なら年間百隻単位ねらえるんじゃね?
とある農水省課長の憂鬱
195×年 農水省
「技術を篤農家の聞取りをまとめて、来週試験場に提示しろ!」
「はい……課長、日曜日って何でしたっけ?」
「お前は、月曜までに素案もってこい。」
「今週中にセンサスをまとめるとか死ぬ。」
「あと外務省とも調整をつけて置け。」
「睡眠時間を……」
濁った目をしたスーツ姿の男達がデスクにかじりついてワープロを打ち、
決済を受けるためにスタンプラリー(決済印を各上司に貰い歩く)を実施し、
書類を持って部屋を行き来する。
農水省の庁舎では、戦時の軍部かと思うほど活気付いていた。
日本の農業の舵取りを行う彼らにとっては今が戦時なのだ。
加速度的に増えてきている農薬の、適正な使用方法の指導
米やジャガイモの基幹品種が開発されれば作型の策定
過度に都会に流れる人手を農家に繋ぎとめるための政策
それでも人手が足りないため、機械導入に向けた区画整理と農道整備
外務省と連携した国外農業改良への梃入れ
和食離れを防ぐために教育庁と連携して食育の推進
農業機械購入補助の資金の手配などなど……
どれもが今やらなければならない案件だった。
逆行者である課長としては、
自給率がカロリーベースで40%という史実日本は悪夢だった。
数値が低く出やすい統計法であるカロリーベース値で危機感を煽ってなお、
平成の日本政府はまったくアクションを起こさないどころか、
日本農業にとって致命的ともいえるTPPを認証する始末だった。
国家として、ある意味農業を諦めていた史実日本のようにはできない。
何故なら大日本帝国は今や列強筆頭。
致命的な弱みを国外に見せるわけにはいかない。
食糧を自給できない国(植民地を含めて)になれば、外交は不利になる。
異常気象のたびに飢饉が起こり、餓死者がでる国では、国としての信用を失う。
農水省ではこの見えない戦争を、「緑の戦争」とひそかに呼んでいた。
もちろん、すべての食料を国内で賄うことは物理的に不可能である。
日本列島は農業気候的にはそれなりに恵まれていたが、
増え続ける人口を養うには農業可能地が小さすぎた。
日本ではこれ以上農地を増やす事は難しいので、とりあえずは農地保護政策を推進した。
農地税率の保障と農業放棄地への課税。農家への保障制度の充実。
それでも伸び続ける食料需要の所為で、農水省は安心できないでいた。
「最近カリフォルニア共和国で稲の供給が増えています。外務省からの情報です。」
「日系法人が増えている所為か?」
「ええ、それもありますが、カリフォルニアでは邦人が増えた影響で、
旧米国人の間でも日本食が広がり、米の消費が伸びている模様です。
まあもともと米作地帯で農家もノウハウを持っているので増産も楽なのでしょう。」
「あの地域は晴天率が良いから炭酸同化率も高い。生産効率は日本より良いだろう。
良食味米は難しいかも知れんが、アジアが不作であったときの予備として使える。」
「水不足が無きゃ、本当にいい土地なのですけどね。」
ほぼ属国化している半島、中国沿岸地域は混乱が続き既に食料を持ち出せる状態ではない。
その点カリフォルニアは有望であった。
ある程度の生活水準を持っているので政情が安定すれば工業製品が売れる。
(ただし今は武器の需要が高かった)
その対価として、日本は農産物を買い取れる。
ただカリフォルニア共和国には現在、難民が押し寄せていた。
特にナチスドイツ支配下での苛烈な統治から逃れるために、
最低限の人権は保障されるカリフォルニア地域に詰め寄せていた。
食料が消費され、カリフォルニア政府が輸出にまわす分の食料が目減りしていた。
こればかりは、軍や外交の力に頼るしかない。
アジア以外での大事な米の産地ではあるので、稲作については梃入れもしているし、
緑の革命(まだそんな名前は付いていないが)のためにカリフォルニアに設置した、
国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)で、
周辺の友好州では小麦、トウモロコシの農業生産を強化していた。
ある程度政情が安定すれば農業生産地としても良い付き合いが出来そうだった。
「予算があれば、複数同時進行で調査や事業ができるのに。軍部の金食い虫め……」
「そういうな。軍が国を守って、農業者や農業技術者を無傷で返してくれたから、
我々も真っ当に仕事が出来るのだ。軍に農業者を取られっぱなしの国は悲惨だぞ。」
「ソ連とかソ連とかソ連ですね。」
「ドイツもだな。しかし、ソ連を思うと、わが国の指導者層がまともなのは救いだ。」
ちなみに夢幻会上層部の中で、農水省の一番の理解者はなんと辻だった。
予算の鬼、大蔵省の魔王などと揶揄されることの多い辻だが、
ことに各省庁の中堅からは信頼されていた。
(辻と直接交渉する上層部にとっては、やはり胃痛の種だった)
必要な所にはどんなことをしても予算をひねり出して付けるし、
予算の足りない分は精神力で(ry などと言わないため、
予算が本当に執行されるのか……といった余計な心配が無く職務に邁進できたのだ。
もちろん、予算はギリギリに絞られるので、常に過労状態ではあったが。
「東北地方も農地の整備がだいぶ進みましたし、総研様さまですね。」
「国内農業でも大変なのに、今度は国外も手を出すのか。睡眠時間が減るな。」
「うちは不夜城と化していますからね。もっとも何処の省庁も大体同じですが。」
「来月には国会で事務次官が答弁に立つからな。資料も用意しないと。」
「面倒ですね。目先しか見えない近視眼議員どもが。」
そんな背景をそれぞれが脳裏に描きながら、農水省の会議が進められた。
すでに農業政策は農水省だけでなく国家事業になりつつあったのだ。
それは国会議員らが口出ししてくるということであり、
一部の職員は苦い顔をしたが、課長らはそれについてよい兆候であると考えていた。
三大欲の一つに直結する食料事情について無関心であるより、よっぽどいい。
「それはいいとして、次は北米で農業指導ですか。仕事量ガガガ……。」
「まだ、旧米国人は字が読めるだけいいだろ。資料作って配布という手段が使える。」
「ああ、東南アジアでは上層部が漫画資料(もやし○ん風)を作って配布して、
やっと何とかなりましたからね。学がないと農業も出来ない時代になるなんて。」
「……。(夢幻会のやつらあれだけは嫌だって言ったのに農水省の黒歴史を作りやがって)」
「しかし、米国の穀倉地帯があれば、もうちょっと楽できたかもしれませんね。」
「北米の穀倉地帯は中東部だぞ。ロッキー山脈の向こう側だ。
あんな広大な地域を確保するなんて言ったら、陸軍が反乱起こすんじゃないか?」
課長は課内では自分にしか通じない皮肉を言って頬を歪める。
史実では大陸確保にハッスルしていた陸軍が、
主に上層部にいる逆行者の所為で大陸嫌いになっていたのだから。
それはともかく、旧米国は適地適作で大規模農業を営める国だった。
適した地で適した産業だけを行っていれば、ほとんど自給できてしまうのだ。
それは農業に限らないから性質が悪い。
まったく米帝様はこれだから……などと呟きながら、
課長は部下達の報告をまとめて、次々と指示を出してゆく。
手早く終えないと今日も徹夜になってしまう。
もっとも、すでに午前様は確定していたが。
米国の傘下というぬるま湯に浸っていた史実日本と違って、
列強筆頭として一つ一つに重責が伴う世界だ。
その中を泳ぎきるためには軍事だけでない力がいる。
ここで自分達が戦後世界の基礎を作り違える訳には行かないのだ。
今しばらくは、軍人達が主役の時代であるが、
それが終われば、彼ら閣僚や民間が主役の時代が来るのだから。
(了)
あとがき
また農業ですよ。ほんと軍事が書けなくてすみません。
ss書ける程度には物を知っているのが農業しかないという切実な理由です。
もし水田が出来るなら(水不足で多くは出来無そう)米どころになって、
憂鬱世界では、カリフォルニアワインと並んでカリフォルニア日本酒(?)が
販売される世界になるのでしょうか。
ところで、今までカリフォルニアをカルフォルニアと書いていました。
グーグル先生に指摘されるまで気が付かないって……
嶋田さん? もちろん今後も軍人でなくて政治家としてこき使われていますよ。
提督たちの憂鬱支援SS――「桜雪」
――西暦1943年4月 日本帝国 帝都東京
一人の男が床に伏していた。
その傍らには、いい老い方をした老人が膝を立てて座している。
場所は和室である。
外で季節外れの雪が降っているらしく、「桜雪」という言葉を男は聞いていた。
「ああ、のぼさん。無理して来(こ)んでもよかったけん・・・」
「なにいっとるがな淳サン。あしらはたいがいいっしょぞな。そういうものぞな。」
「ふしぎなもんじゃな。のぼさん。んしが大病を患った後で全快するんもそうじゃが、あしが先にいくことになるとおは。」
男、海軍予備役大将 秋山真之は微笑した。
毒のある言葉に棘がない。それを訊いた正岡子規は、労咳からの快復以来している片膝立ての座り方を正座に改めた。
老いた体はそれだけでも悲鳴を上げる。彼も真之と同様にだいぶ「がた」がきているのだ。
「まぁ淳サンは無理のし通しじゃったからな。何ヶ月分か寿命も縮むさぁ。」
「数ヶ月か。そんなもんか。」
「そんなもんさ。」
畳の上にゆったりした空気が流れていた。
ばっさりと頭を悩ませた日々や死線をさまよった日々を切り捨てたあたり、さすがは子規というべきだろうか。
連歌を短歌の世界から切り捨てるという恐るべき所行をやってのけてまでその精神性を世界的なそれにまで高めた男は、やはり傑物だった。
その壮絶さは、真之の戦歴にもひけはとらない。
日本海大海戦の演出家となった元連合艦隊首席参謀、第1次大戦時の遣欧艦隊司令長官、そして最終的に海軍軍令部総長をつとめた上で八八艦隊計画を加藤友三郎提督とともに作り上げ葬った上で潜水艦と空母による立体作戦の原案を作り上げて自ら艦隊決戦型の漸減作戦を葬るというウルトラCを成し遂げた秋山真之の一番の親友というのは、そういう男だった。
盟友の山路一善大将や、秋山の思想的系譜を受け継いだ小沢時三郎、南雲忠一、そして嶋田繁太郎らに比しても、それはやはり巨人というべきだろう。
後世からみれば。
「兄さぁ。」
正岡の妹、律が言った。
「嶋田閣下が来られましたぁ。」
「あなた。」
枕元の妻が短く言うことに、布団の真之はわずかに頷いた。
彼は、軍服を着ていた。
昭和に入ってから相次いで死去した乃木希典大将と東郷平八郎元帥と同様に。
今は廃止されている詰め襟型の第2種軍装である。
胸には、何もつけていなかった。
「閣下。」
障子を開けて入ってきた男に、秋山は目を細める。
「おお、来られましたか。総理。」
現職の内閣総理大臣をつとめる男、嶋田繁太郎は、息の乱れたところを見せないいつもの通りの少し緩んだ、ぼう、とした表情で秋山を見ていた。
「お呼びと伺いましたので。」
「おお。すみませんがな。」
真之は、英国式のブレザー型の軍服を来た嶋田にほほえみかけた。
「これでも総理を推戴させていただいた一人です、死に目に遺言を伝えたいと思いまして。」
放たれた爆弾に、嶋田は嘆息する。
「やっぱり、秋山閣下の仕業でしたか。上に立てるなら山本か米内さんあたりがいいでしょうに。」
「はっは。山本はもう少し辛酸を楽しめるようになったらな。米内は・・・あれはいかん。毒の海で溺死せんかったのはいいが、自らも毒になっては世話はないわ・・・。」
秋山は、天井を見ながらこれまでたどってきた道のりを思い出す。
「嶋田。」
真之は目を細めた。
「おまえたちは、ようやったよ。ようやってくれた。」
――日清・日露の両戦争、それをもって皇国は、坂の上に至った。しかし・・・
「ようやってくれた。あしは、あしらは、感謝しとる。」
嶋田の顔がゆがんだ。
「たとえ誰がなんと言おうと、あしらは、おまえたちに感謝する。たとえ何がどうあっても。少なくとも第三の火を先んじて手にし、『地球上のみで戦う最後の戦争』の筆頭に踊り出られたこと、それに皇国を『いつ滅ぼされるか分からん国』でなくしてくれたこと、それはおまえたちの尽力あってのことだということを、「あし」は、「あしら」は知っとる。」
周囲の親族や友人たちが色めき立つ。
その中には、新聞記者であり、小説家でもある男たちもいた。だが、秋山は、最後の力を振り絞り、自らの視線だけでそれを制した。
「じゃから、こんなことを頼むんは酷じゃろう。本来なら、おんし(お主)らの見た悪夢は、悪夢のままにして皆が背負うべきものなんじゃろう。じゃが・・・この国は、まだあんまりにも幼い――」
――崩壊する帝国主義の世界、そして欧州列強に属しながらも、それを否定する新興勢力たちは結局は激突せざるを得なかった。
そして、かのチャーチルが述べたように、「人類」は自らを完全に滅ぼす手段を手にした。
「江戸の世を経て、明治を乗り切ったこの日本は、皇国という豪壮で美しい神輿(みこし)をどこにもっていけばいいか、まだ担ぎ手たち全員が知ってはおらん。それがどれだけ危険なことかはうすうす分かっていても、まだ自分で何をすればいいか分かっておらんのじゃ。」
真之は咳き込んだ。
彼は知っていた。
東郷元帥の片腕としてその生涯の半分を生きてきた男は、武士らしく死んでいった元帥に代わり、明治を生きた男としてその生涯そのものであったあの時代から今に至るまでの「この国」の酸いも甘いも。
「もう、あしら『武士』の生き残りは逝く。じゃから、頼む。あしらを『きちんと語り継いで』、その上で神輿をもう少しだけ支えてくれんか・・・むごいようじゃが、あと半世紀か、1世紀か・・・いずれは皆、自分で立って、考えることの喜びを知るじゃろう。」
「随分な大仕事ですね・・・。」
嶋田は肩をすくめた。
しかし、その体は小刻みに震えている。
「あしらは、ただがむしゃらに走らんにゃならんかったけんの・・・何をしたいかなんて、考えることもせんかった。」
「贅沢な悩みですからね。」
「そうじゃな。贅沢じゃ。」
二人の男は、布団を挟んで笑いあった。
「ああ・・・あしらは海をいき、おんし(お主)らは空をゆき、か。」
「なら、私たちの子らは、「宇宙(そら)」をゆくのでしょうね。」
嶋田が何気なく応じた返しに、秋山はきょとんとした。
数秒おいて、咳き込みながら笑う。
「そう、かぁ。そう。そうじゃな。簡単なことじゃったな。」
ああ・・・安心した。
そう、真之は言った。
そして、目を閉じる。
「のぼさん・・・みな・・・」
「なんじゃな?淳サン?」
子規が口元へ顔を寄せる。
「いく・・・ぞな。宇宙(そら)へ・・・」
それが、秋山真之の最期の言葉だった。
【あとがき】――いまさらながら、坂の上の雲を一気見したので投稿しました。
なんだかユトランド沖で広瀬閣下が亡くなるネタが多いので生き残っているIFを書こうとしたらこんなのになった。
・・・どうしてこうなったのか(汗
テーマは「継承」あるいは「明治と昭和」。勝手ながら秋山閣下の口を借りて昭和の嶋田さんたちに「何か」がバトンタッチされる様子を書きたかったのですが・・・
乱文すみません。あと松山弁はあまり正確じゃありません。いえ、地元でもほとんど使わんのです(汗
○国の名 ―幻の元素―
1945年のとある日、国内の新聞記事の一面に同じ記事が並んだ。
「新元素発見」
「帝国物理学会の大手柄」
「新元素・ジャパニウム」
それは新元素の発見を祝う記事だった。
年月は少し遡り1943年、
大日本帝国がアメリカ合衆国に打ち勝ち(傍から見れば自滅)、
メキシコに小さな太陽が沈んだころ。
夢幻会会合や総理官邸では戦後世界の統治に頭を抱えていたが、
日本国民は戦勝ムードに湧いていた。
実はこのとき、一部の物理学者たちもひそかに湧いていたのだった。
4月に行われた世界‘初’の実験の際にはもちろん物理学者たちが参加していた。
大々的に表に出るのは憚られる研究ではあったが、
彼ら(逆行者も含む)は日本物理学の粋を集め、
また、大蔵省からは物理学界としては大規模な開発資金を与えられながら、
核という新しい力を研究し、研究し尽くさんとしていた。
研究成果である核爆弾については国防上の問題から研究成果として、
学会に発表されなかったが、1945年にとある論文が発表された。
原子炉内で新たな元素が合成されたという内容であった。
これを持ってこの研究チームは原子番号95「Japanium」(元素記号Jp)と名づけた。
国の名を冠した元素の命名は日本物理学界たっての悲願だった。
もちろん、史実にはジャパニウムなる元素は存在しない。
元素番号95は「Americium」(原子記号Am)だった。
もちろん史実ではアメリカの水爆実験時に発見された元素で、
アメリカの名を冠している。
核実験時に発見されたため、ほとぼりが冷めてから原子炉内で発見として、
学会に報告されたものだ。
今回の発見は国こそ違えど史実をなぞっているとも言える。
ちなみに元素に国名をつける事は別に特別なことでもなく、
ドイツのラテン名を冠するゲルマニウムや、
ポーランド科学者が発見したポロニウム、
わかり難い所だとガリウム(ガリアはフランスのラテン語名)の他、多数存在する。
この報告を聞いて多くの日本人が快挙であると喜んだが、畳の上で涙を流した者がいた。病床でテレビを見ていた小川 正孝だ。
彼は幻の元素ニッポニウムの発見者であった。
小川は松山藩士の家に生まれながらも、父を早くに亡くし、
松山藩の奨学金を得ながら苦学を重ねて帝国大学に学んだ。
そして1908年、元素番号43ニッポニウムを発見したと学会に報告した。
しかし、研究体制の不備から正しく測定できず、とうとう取り消されてしまった。
彼はその元素を原子番号43としたが、実際にその物質は元素周期表上では一段下
(元素周期表上では同じ族のため性質が似ている)の75番の元素であったのだ。
その元素は後年、レニウムとして再発見される事になる。
明治当時は夢幻会もそこまで磐石な組織足りえず、手の伸ばせる範囲は狭かった。
鉄道整備に教育制度の改正、農地改革とやることは星の数ほどあった。
もちろん、技術力を重要視する夢幻会は各分野に予算を割り振ったが、
悲しいかな当時の日本の国力では満遍なく手を伸ばす事はできなかったのだ。
史実と同じくニッポニウムは否定され、日本の名を冠した元素は幻と消えた。
その後も小川は東北大学の総長を勤めるなど、日本科学界のために尽くしたが、
こればかりは何時までたっても心に沈み込んだまま苦い思いをしていたのだ。
やがて、昭和になり科学の世界にも戦争の足音が近づいてきた。
物理学者、特に放射性元素の研究をしていた学者が国から声を掛けられていた。
もちろん、これらは極秘に行われ偽装もされていたのだが、学会とは狭い世界。
同じようなテーマで研究していた学者らが、
方々の大学から引き抜かれれば、なんとなく気が付く。
そして彼らは、逆行者らの指導・誘導の結果、メキシコに夕日を生み出した。
科学者でありながら教育者でもあった小川は、物理学の戦争利用を苦々しく思っていた。
だが、彼がなし得なかったこと。
原素という普遍の物に対して国の名をつけるという成果を打ち立てた後輩達。
史実より長く生きた小川は、畳の上で彼らのインタビューを見ながら涙した。
それが自らの失敗から元素発見者の栄誉を逃したことへの悔し涙だったのか、
物理学の戦争への利用を想った悲しみの涙だったのか、
国の名を負った元素が新たに発見されたことへの喜びの涙だったのか……
それは遂に当人しか分からぬままだった。
あとがき
ネタが盛り上がると、此方が過疎るのはしょうがないことですが、ちょっと寂しい。
てなわけで、短編ですが支援の方に上げてみる。
初期プロットでは「これでジャパニウム合金ができるぜー」と息巻いた
逆行者らが騒いでいる話だったのに、なんか重くなった。
そういえばカリフォルニウムはどうなるのですかね。
ちなみに作中のJp(Am)は放射性元素なので、
装甲なんかにすると被爆すると思います。
支援SS 〜復活の翼〜
その日、ベルリン近郊の飛行場でとある機体が飛行しようとしていた。
名前はJu290C−1重爆撃機。海軍が長距離哨戒任務用に開発していたJu290に似ているが、爆撃機として設計を根本的に改めた機体である。
居並ぶ将兵の中に1人車椅子に乗っている男が居た。彼の名はヴァルター・ヴェーファー。ルフトヴァッフェの初期から戦略爆撃思想を唱えていた人物である。
ルフトヴァッフェは戦術空軍のイメージが強いが、初期には彼の主導で「ウラル爆撃機計画」としてJu89やDo19など4発の戦略爆撃機を開発していた。
しかし、機体数を揃える事を優先した事、ヒトラー政権が近々戦争を計画している事を知ると研究は中止されることになった。
そしてヴァルターがHe70の事故に遭うことで戦略爆撃思想を受け継ぐ人材はなくなりゲーリングやミルヒの急降下偏重の思想に陥る。
幸い史実と違い滑走路上の事故で命を取り留めた彼であったが半身は麻痺し、とても軍務につく事は出来なかった。
BOBや独ソ戦の戦況を見守るしかなかった彼だが在る転機が訪れる。
BOBや独ソ戦で戦略爆撃機の重要性が高まったのに日本海軍の急降下爆撃機の情報を基にゲーリングが更に偏重し始めたので
ルフトヴァッフェ内部でも問題になり、総統もその問題を聞いたためゲーリングを実権の皆無な名誉職に移すことを決断。
ゲーリングは最期まで渋り抵抗したが空軍の総意の前に無意味な抵抗に終わった。
そして総統から直々にヴァルターは指名され「ウラル爆撃機計画」の責任者として復帰、戦略爆撃機製造計画は始まり今日完成を見た。
ゆっくりと滑走路を走り始めた機体は4発の爆音を轟かせながらふわりと離陸し蒼穹の空へと躍り出て行った。
この日を境にルフトヴァッフェは戦略空軍へと方針転換、長距離護衛機や長距離爆撃機の研究開発に乗り出すことになる。
提督たちの憂鬱支援SS――銀輪は北米に吠ゆ
――西暦1943(昭和18)年4月 北米ルイジアナ州南部
「3・・・2・・・1・・・爆破!」
くたびれた軍服を着た男が血走った眼で命じると、電気信管へ繋がったスイッチがひねられ、数百メートル先に土煙が上がった。
それから数秒後、走ってきた列車が土煙の中に突進し、見事に横転する。
機関車が大量の蒸気を吹き出しながら破裂し、先頭につけていた鍵十字の旗がちぎれとんだ。
「やったぞ!」
「ざまあみろナチ野郎!」
「思い知ったか!」
合衆国南部自由民兵団という腕章を身に着けた男たちは快哉を叫んだ。
彼らは、久方ぶりの勝利に酔っていた。
合衆国が実質的に崩壊してから数か月。治安維持にあたっていた連邦軍の将兵は大半が離散するか軍閥化して中部の農業地帯や臨時首都シカゴに雪崩込んでいたが、野盗化するのをよしとせずに義賊的な「民兵団」を組織するものも多かった。
憲法によって革命の自由や武装の自由を有する合衆国国民は、飢えと寒さから自分の故郷を守るために武装化する道を選んだのだ。
それによりアメリカ風邪と疑われたものの「処分」が行われたり、難民の大虐殺が起きたり、ことによると共同体同士が食料燃料を巡って殺しあうという悲惨な事態が発生していたのだが、この南部では比較的ではあるが秩序が保たれていた。
もともと、合衆国南部軍による西海岸への機動反撃が計画されており駐留していた兵力が多かったこと、そしていち早く復旧したカリブ海の交通網によってある程度は食料を得ることができ、運よく大西洋大津波の被害を免れたルイジアナ北部の油田地帯からの燃料供給があったがゆえの幸運だった。
だがそれは、この人工国家を解体しようともくろむ連中の目をつけるところになる。
欧州遣米治安軍機構という長ったらしい名前の組織のもと、治安回復とアメリカ風邪の感染拡大阻止を名目にして北米へ足を踏み入れた枢軸国の軍勢と英国軍は、旧合衆国南部軍管区(南部軍の領域ではないことに注意)の治安地域へ進駐。
実質的な占領状態に置いたのである。
この時、抵抗すべき合衆国南部軍はテキサス共和国の指揮下で食料調達のために北上しており、そこで難民の海の中に消えようとしていた。
簡単な話、衛生状態が悪かったのだ。
だが、心ある者たちは銃をとり、占領軍に対する抵抗を決めたのである。
――たとえそれが、南部幹線と呼ばれる鉄道網を使った南部各所への緊急支援であったとしても、鍵十字を掲げる鉄道は彼らの敵だったのである。
「さて、ずらかるぞ。これで1週間は復旧できないはずだ。その間にルイジアナ軍団(実態はせいぜいが大隊規模である)が後方に回り込み、われらが領土を軍靴で踏みにじったイタリア軍を殲滅する。」
指揮官は上機嫌だった。
彼らは、自転車を使って逃走している。
この自転車こそが彼らの武器だった。自転車化された「機動部隊」をもって、のろのろ進みながらパスタとトマトソースを配って歩くイタリア兵どもを包囲、殲滅する。
物資をいただくのは言うまでもない。
そうして彼ら自由な民兵たちは聖なる戦いを継続していたのだ。
「おい。何か聞こえないか?」
「ん?」
それは、擬音語でいうなら「バタバタバタ・・・」という耕運機に似た音だった。
「おい!列車の中から兵士が!」
「ついてねえ。兵員輸送中かよ!ずらかるぞ――」
たーん!!
平原に銃声が響き渡った。
とたんに、民兵の一人が大地に崩れ落ちる。
4月にもなるのにまだ霜が降りている固い地面に崩れ落ちた兵士は、何が起こったのかわかっていないようだった。
指揮官は列車のほうを見た。
そこには、自転車のようなものに乗りながら、猛スピードでこちらへと近づいてくる特徴的なヘルメットをかぶったドイツ兵たちの姿があった。
「なんで自転車であんなスピードが出るんだよ!!」
バタバタバタ・・・という音とともに近づいてくる自転車。
自転車の後方に伸びていたのが土煙でなく、排気ガスであるらしいことに気が付いた指揮官は絶叫した。
「イエロー・バイクか!!」
叫んだところで、もう遅かった。
指揮官たちは兵士に追い詰められ、次々に撃ち取られていく。
手を挙げた人間も容赦しないのは、民兵たちがいかに進駐軍(と地元市民)から忌み嫌われているかがわかる光景だった。
――この日、北米の戦場に姿を見せた異形の自転車。
その名を、本田技研工業製 原動機付き自転車「モデル1942」という。
日本国内では「バタバタ」と呼ばれるこの機械は、戦闘機用に作られた2気筒の小型ガソリンエンジンを自転車に組み込んだ代物だ。
価格はオートバイよりも圧倒的に安く、そして余剰となった(電話式無線やレーダーなどを使うために必要電力が不足し発動機本体に組み込まれた発電機のため)小型エンジンを使用しているために自転車では運べない重い荷物も運べるというこの製品は、のちに「ホンダカブ」が誕生する下地になっている。
1930年代半ばに登場したこの商品の成功を受け、本田技研工業はアメリカにも工場を建設し生産に乗り出そうとしていた。
しかし、急速な日米関係悪化にともない、在米日本資産凍結という暴挙に出たアメリカ政府の手で工場は接収され、無線機用エンジンのみの生産が継続されていた。
しかし、あれよあれよといううちに情勢は変化。南部に進駐した枢軸軍の手により工場は日本人の手に戻ったのだった。
このころ、ドイツ軍は北米での兵員の移動手段の確保に苦慮していた。
トラックなど、米国内にあるものを接収しては住民の反感を買うし、自動車生産の拠点ははるかデトロイトである。
自前で移動するには、昔ながらの馬匹が必要という情けない有様に、将帥は頭を抱えていた。
そんなとき、司令官をつとめるロンメル将軍は町を走る「バタバタ」に気が付く。
米国工業界の妨害によって工場を南部にしか置けなかったため、皮肉にも「バタバタ」は生産が可能となっていたのだ。
これに目をつけた将軍は、銀輪部隊ならぬ、「バタバタ部隊」の編成に着手したのである。
この日民兵たちが出会ったのは、その第一陣だった。
そもそも北米は平たんな地形が多い。そのため、オートバイのような登坂能力はあまり必要ではない。それに、枢軸軍は南部の油田地帯を制圧しており石油だけなら腐るほどあった。
少々効率が悪くても問題はない。
こうして投入された「高速機動部隊(ドイツ軍名称)」は、移動手段として自動車に鉄板を溶接した「戦車」や自転車化された兵士を有する民兵たちと、死闘を繰り広げることになる――
【あとがき】――earth閣下のファンとして本編も支援しなければと考えていたら思いつきました。
カブはまだ早いので、「バタバタ」の登場です。銀輪部隊の天敵となる手ごわい相手ですw
輸送用に大八車改造のリアカーを曳けるのでロンメル閣下の進撃癖をフォローしてくれることでしょう。
>>742
ベトコンでしたっけ? ホーチミン回廊に「弾薬を満載した自転車」
なんつーものを走らせて兵站を維持したなんてとんでもない連中は。
ましてやバタバタ(言ってみりゃエンジン式パワーアシスト自転車)
を使ったと来た日には……そうとう面白いことになりそうですね(w。
支援SS 〜欧州小火器 北米事情〜
1943年から北米大陸に上陸した遣欧派遣軍は最初から戦闘被害の大きさに悩まされていた。
始めは都市などの制圧やコスト・量産性から独英などはMP40やステンなどのサブマシンガンを主に使っていたが平坦な地形では射程が届かず
M1903小銃や猟銃などでアウトレンジされる形になった例が多く出た。
ドイツは独ソ戦でのロシア平原などを経験してたため即座にライフル銃を使えたが小銃の配備自体が行きとどいてなかった
英国はその後も損害を増やし、ドイツが鹵獲した小銃などの兵器群を高値で買い戻す事態になった。
また、北米では今まで厄介払いされていた対戦車ライフルも意外な活躍を見せている。
旧合衆国将兵等を中心に盗賊化し、テロ行為が多発し、中にはトラックに鉄板を張り装甲車として使用する例も多々見受けられ
遠距離から撃破出来るとして独ソ戦では威力不足から用済み扱いとなったパンツァービュクセなどが優先的に北米に
送られた。英国もボーイズ対戦車ライフルを使用するなどしたが独ソ戦で鹵獲したシモノフやデグチャレフなども送られ
積極的に使用されることになる。
そして派遣軍でもっとも使用されたのは鹵獲された工廠で製造されたアメリカ製兵器であった。これは補給や本国からの武器供給の
不安定さなどを考慮してのことだがトンプソンマシンガンのストッピングパワーやブローニングBARの頑丈さ、ガーランドの速射性など前線の将兵
から好評でロンメル将軍もトンプソンを携行し始めたことで更に強まった。
結局武装SSを除き現地調達であるはずのアメリカ製兵器が派遣軍でかなりの割合を占め、英独などの本国に持ち帰られ
一部はコピー生産され配備されたことで旧アメリカ人からは「欧州はアメリカ製兵器に占領された」と揶揄されることになる。
○『故郷に帰りたい』
大西洋大津波、日本との戦争、欧州各国の移り気などによって、
分割統治されることになった旧アメリカ合衆国。
特に日本の支配するカリフォルニア共和国を中心とする西側と、
欧州各国が分割支配する中東部では、そのありようが全く違った。
後に「ロッキーの分水嶺」と呼ばれるといわれる文化の断崖だった。
東側は日本に対して敵対行為を取らなければ、比較的自由があり、表向きは人種差別も無かった。
ただし、火事場泥棒的侵略行為を行ったメキシコ人については、
日本人、旧アメリカ人ともに嫌われており、特にアメリカ人の鬱憤の捌け口として、
虐待されるという悲惨な事件が後を絶たなかった。
中西部は欧州各国の勢力範囲が入り乱れ、その版図はモザイク状になっていた。
もっとも勢力が強いのがドイツ帝国であり、イタリアが政策上は追従していた。
ユダヤ系は言うに及ばず、有色人種やそれらの混血人種も表立って迫害されていた。
大英帝国などは直接的な迫害は野蛮だとしていたが、
(もちろん、イギリスでも有色人種を下等とする風潮はあった)
欧州で最も強い勢力を誇るドイツには強く出られないため、
自国の植民地で害にならない有色人種ならば無視をする(保護ではない)といった程度だった。
この様な事情から「ロッキーの分水嶺は運命の分かれ目」といわれる事となった。
さて、戦争で外地に動員されていた兵士達が帰還するに従って少なからず混乱が起こった。
日本では元兵士による治安の悪化を懸念し、彼らを生まれ故郷の各州に送り戻すこととなったが、
政府中枢が失われ各州も戦闘が頻発している状態では、もちろん完全に行われることはなかった。
技術者として買われて、カリフォルニア共和国に戸籍を手に入れるもの。
アメリカ風邪への恐怖から、危険を承知で西部へ侵入するもの。
合衆国陸海軍のうちカリフォルニア共和国軍として吸収された将兵。
ドイツ支配地域から命からがら逃げのびて、西部までたどり着いた幸運なユダヤ人。
もちろん、逆のケースもある。
大声で話せば強制送還ではあるが、戦争が終わったばかりのアメリカ大陸では、
そんな話は酒場へいけばどこにでも転がっていた。
そんな中、故郷を失った彼ら間でいつからか流行った歌があった。
『Take Me Home, Country Roads』。
旧合衆国東部の州、ウエストヴァージニア州の事を歌った歌で、
かの州の風景、思い出を歌い、故郷に帰ろうと誘う。
ウエストヴァージニア出身の人間でなくとも、故郷を永久に失った者にとって、
故郷への思慕を語る歌詞と、旅愁を呼び起こす曲調は涙を誘った。
この歌はカリフォルニア共和国のパブが発祥とされ、瞬く間に彼らの間に広がった。
残念ながら誰の作曲かも作詞かもわからないが、
後に肉付けされた話では、ウエストヴァージニア州のハーパーズ・フェリーという町の
(歌詞にある風景描写からこの町の出身者であるということになった)
ジョン・デンバーという男が流行らせたという事になっていた。
その曲調がアメリカ人だけでなく日本人などの心をとらえたことから、
戦後直ぐにカリフォルニア共和国に広まり、
流しのミュージシャンら(多くは難民で酒場廻りをしている)が決まって歌う曲となった。
50年代に入ると徐々に東側にも浸透し始め、
我が物顔している支配者たちの目を避けて歌われて、
やがては旧アメリカ人共通の民族歌の様になり、
後にはアメリカ合衆国民謡というジャンルに分類されるまでになる。
これが『故郷に帰りたい』(邦訳)という名で呼ばれる曲の、巷で言われている来歴だった。
逆行者であるなら『カントリーロード』という名前の方が通りがよいかもしれない。
つまり、逆行者の一人がアメリカといったらこの曲だろうという事で、
カリフォルニア共和国のどこかの酒場で歌った事が原因だったのだ。
それを聞いた人間がそれを他の酒場で演奏し、適当にしゃべった事で、
尾ひれが付き、勝手に来歴が改変され、それらしい話になっていった。
ジョン・デンバーは史実でこの曲を歌った歌手であるが、
これはもちろん、曲が広まる過程でジョン・デンバーの曲であるという
史実での事実を逆行者の一人が語った結果であった。
ちなみに、この歌に影響されたのか、
デンバーという姓の家ではジョンという名前を付ける事がまま起こったため、
本物のジョン・デンバー(1943年生まれ)が誰なのか全く分からなくなってしまった。
しかし、彼の歌はアメリカを代表する最後の歌として、
その悲劇とともに語り継がれる事となった。
(了)
あとがき
何故かカントリーロード(Olivia Newton-John 氏版)がマイブームだったので。
某アニメ映画の所為で、微妙なイメージになっていますが、原曲は旅愁を感じさせるいい曲です。
(でもジョン・デンバーはウエストヴァージニアには行ったことなかった)
日本人もなんか旅愁を感じるメロディーですよね。
ちなみに、一部逆行者はこの曲を聴くと灰色の青春(主に軍隊生活)を思い出して悶絶します。
ぐえっ!致命的すぎる誤植を発見。
>>745
誤:東側は日本に対して敵対行為を取らなければ……
正:西側は日本に対して敵対行為を取らなければ……
誤:中西部は欧州各国の勢力範囲が入り乱れ……
正:中東部は欧州各国の勢力範囲が入り乱れ……
私の頭の中では太陽が西から上っていたようです。
お恥ずかしいものをさらしました。
憂鬱日本対馬要塞。
ここは日本のある意味最前線である。
大型の艦船は少ない。
この海域で求められるのは長時間活動可能な航空機であり、機動性と高速性を持つ小型艦艇なのである。
その理由は……。
「海鳥八号より入電!北東海域にて数三!高速艇です!」
「了解した。先回り可能な艦艇はいるか?」
急ぎ確認が行われるが、どの艦艇も該当海域に回りこむには時間が足りない。
担当は舌打ちし掛けて、急ぎ命令を下す。
「ただちに航空機を発進!艦艇が回り込む時間を稼げ!それと本土にも連絡を」
最悪、本土側で抑えてもらうしかない。
そう判断しての事であったが、結果から言えば日本軍の大型機が旋回を始めた事から失敗を悟ったのだろう。
漁船改造の高速艇は警告を受けて素直に引き返していった。
「毎回こう上手く行けばいいんだがな」
それでも引き下がらずに撃沈の手段を選ばざるをえない時もある。
そもそも漂流状態でやむをえず曳航せねばならない時もある。
今回の場合は……。
「犯罪組織の連中でしょうね。ああもあっさり引いた所を見ると密輸ですか」
「だろうな」
荷物が何かは余り考えたくない。
大方、麻薬とか銃器とかその辺だろう。
これが人を運んでいる場合はそう簡単にはいかない。
何しろ、組織の人員自体が最小限な上(乗っていない事も多い)、帰国してもろくな事にならないのは分かっているから密入国を図る連中が戻る事に反対するのだ。
結果、強硬突破を図り、最後は強制拿捕か撃沈になる。
拿捕にした所で衰弱して抵抗の余地がない時は楽だが、場合によっては角材などで抵抗する為に最悪武器の使用で射殺という事態に発展する事もある。
魚も資源の一つとして、保護や育成、養殖も進めてきた日本と違い、あちらは貧しい故だろう、根こそぎ獲り続けた結果、昨今では不漁も相次ぎ、豊漁の日本側へと密漁を図る連中も多い。
最も日本はまだ海に隔てられているからまだマシだ。
これが福建共和国などだと、国境線に未だ地雷原が設けられているという。
まあ、あちらの場合は個人レベル犯罪組織レベルどころか分裂し、内戦状態にある中国国内の軍閥という名の地方国家からその富を狙われての侵攻すらあるというから仕方のない事なのだろうが……。
「……密入国しても、仕事なんてないのにな」
そう、朝鮮半島を日本帝国は併合しなかった。
結果、密入国しても日本語が喋れる訳でもない朝鮮人はすぐばれ、強制送還だ。
「仕方ないですよ。すぐ近くに豊かな所があるって聞けば、行きたいのが人ってもんです」
苦笑しながら部下の一人が言う。
彼は東北の出身で、かつては貧しかった地方の悲哀をよく知っている。
「そうだな、だがだからといってそれを許す訳にはいかん。全員交代まで頑張ってくれ」
部下達に声をかけつつ、今日も対馬要塞は日本を守る要塞として君臨し続けている……。
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板