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提督たちの憂鬱 支援SS その2

1ham ◆sneo5SWWRw:2011/03/04(金) 14:15:54
950超えたので、創っておきます。
1000に達したら、こちらに移動してください。

「提督たちの憂鬱について」で様々な支援SSが投稿されたので独立させました。
投稿とそれに関する感想を書き込んでください。

なお、このスレは議論をする場ではありません。
議論をする場合は本スレでお願いします。

2名無しさん:2011/03/05(土) 22:37:10
こちらの方削除依頼だしておきます

3名無しさん:2011/03/05(土) 22:37:40
こちらとは私が立てた方ですのであしからず(;´∀`)

4>>2-3:2011/03/05(土) 22:42:54
スンマセン>>2を誤爆ってしまいまして
お詫びに前スレカキコ

前スレ
提督たちの憂鬱 支援SS
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/9191/1237622486/

5名無しモドキ:2011/03/06(日) 21:27:52
「サヨンの鐘」  −憂鬱世界版− 史実での、サヨン・ハヨンさんのご冥福をお祈りします。

 「無情というか、人間の運命というものは、如何にしても代え難いとしか思えませんな。女の子が丸木橋で、滑って
流されるなんてことのないように、一車線とはいえ自動車も通過出来る橋を造ったんでしょう。」台湾の高原地帯とは
いえ、礼装を着た陸軍中佐は、額に吹き出る汗を拭きながら隣に座った、内務省の官僚にささやいた。
 「それは、どうですか。親切な日本人駐在の出征を送るときに増水した川に、一人の少女が流されたという史実を我々
が知っているからそう思うだけかもしれません。さあ、式典が始まります。今日は、純粋に、勇敢な彼女の冥福を祈り
ましょう。」

 山深い、リヘヨン村には周辺の村々からも大勢のタイヤル族が正装して集まっていた。県知事の、少女を讃える辞、
タイヤル族頭目による哀悼の辞、そして、はるばる東京から、訪れた四人の女学校の生徒により、真新しい四阿屋風の
記念碑に備えられた鐘がつかれた。群集のあちこちから嗚咽の声が聞こえた。

 サヨン・ハヨンは、台湾タイヤル(日本統治で高砂族の一派とされる)族リヘヨン村(社)で生を受けて、小さい頃
から利発であった。小学校では、日本人の女性教師が、彼女の才能を惜しみ両親を説得して奨学金試験を受けさせた。
日本統治により、女子を含めて初等教育は普及していたが、高砂族が中学校に進学することは、かなり大きな村でも一年
に一人という時代である。リヘヨン村(社)からは、初めての女学校への進級者であった。
 サヨンは、両親以下大勢の村人に、送られて恩師の女性教師に付き添われ、彼女の旅立ちに合わせるかのように新しく
できた橋を渡って台北の女学校に出発した。日本人、漢族などが学ぶ女学校では、高砂族は珍しかった。 この女学校の、
日本人校長が民族融和に熱心で、先住民族である高砂族の歴史文化を学ぶ科目などを設けていた。サヨンは高砂族の中で
は、最優秀の生徒であったことから、この校長は2年生の時に、提携している東京の女学校の編入試験と、その女学校が
外地からの生徒のために設けている奨学金をサヨンに薦めた。
 高砂族にとって、台北という都会だけでも遠隔の地である。しかし、サヨンは恩師の恩に報いるためにも、小学校の教
員資格を取ろうと思っていた。その女学校が卒業後の課程として小学校教員のための専科を設けていると知ると、高砂族
の女子教育のためにと東京へ行くことを決心した。

最難関ではないにしろ。東京でも名の知れた女学校に始めて台湾先住民の編入生がくるとといことは校内でもちょっと
した話題になっていた。ここで、始めてサヨンは疎外感を味わうことになる。
「まあ、お顔に刺青なさっているのかと思ったら素顔ですのね。」「ヘビとかもお食べになるの?東京ではあまりいませ
んのよ。」「イノシシ狩りとなさってましたの。」「蛮族なのに日本語がお上手ですのね。」
 これらは、お嬢様方の、悪気のない、少なくとも本人らにとって悪気のない天然に近い偏見であるが、サヨンの心を傷
つけた。

6名無しモドキ:2011/03/06(日) 21:31:46
 この女学校でも、サヨンは忘れ得ぬ恩師に出会った。ロシア系と中国系のハーフである、美術の若い男性教師で
あった。自分の外見から、からかわれたり、仲間外れにされたこと、それが悔しかったこと、勉強をすることで次第
に一目置かれるようになったこと。そして、自分のことを知ってもらうために努力したことを彼女に伝えた。
 やがて、サヨンは、学校を説得して、許可を貰い母親からもらったタイヤル族伝統の髪飾りをするようになった。
そして、サヨンはタイヤル族のことを知ってもらいたいと思い、文化祭でタイヤル族の文化について展示をすること
にした。サヨンが一人で、展示のための作業をしていると、クラスでも目立たない無口な生徒が、手伝いたいと言っ
てきた。彼女は、東北地方の学校から途中で編入してきた生徒で、時々なまりが出るため、からかわれている生徒だ
った。
「サヨンさんのような標準語がうらやましいです。でも、あなただけは、わたしのことを笑ったりしません。どうか、
友達になってくれませんか。」彼女はそういうと熱心に、サヨンにタイヤル族のことを聞いては展示品の説明文など
を書いてくれた。

 これが、切っ掛けになり、サヨンには何人かの友達ができた。1938年のある夏の日、放課後、サヨンたちは帰り道に
遠回りをして多摩川の土手を歩いていた。前日の大雨で川は増水していた。その川岸で、大勢の小学生が騒いでいた。
彼らの指さす方には、小学校低学年の男の子が川に流される姿が見えた。
 サヨンは、それを見るなり、制服のまま川に飛び込んだ。サヨンは浮かんだり、沈んだりしながら男の子に近づいて
抱きかかえたが、一緒に流されて行く。やがて、近所で作業していた大工たちが、急を聞いて駆けつけてロープを投げ
てくれた。サヨンは、男の子をロープに結わえたが、そこで力尽きて流されていった。官民あげての捜索の結果、サヨン
の死体は翌日収容された。

 このニュースは、ラジオ新聞などが大々的に取り上げた。これは、日本中の感動を呼び、サヨンの両親のもとには多額
の義援金が寄せられた。サヨンの両親は、サヨンの兄弟のための教育資金だけを受け取ると、残りの義援金は、高砂族の
教育資金のために寄付した。この資金は、サヨン奨学金として、毎年、更に寄付を集めて内地留学を志す、高砂族子弟の
ために使われている。
 サヨンの通っていた女学校では、生徒父兄が募金を集めてサヨンのために慰霊の碑と、サヨンを記念した一対の鐘を、
女学校と彼女の生まれ故郷であるリヘヨン村に贈った。この鐘が「サヨンの鐘」と後に呼ばれるようになる。

 日米開戦直前、アメリカのハースト系新聞が、「日本人とは」という特集記事の中で「日本では、女子学生が水兵服
のおさがりを着ている。しかし、泳ぎは、日本の水兵と同じく上手ではない。」とキャプションをつけた戯画を掲載した。
猿顔のほほに、サヨンと刺青をした女学生が流されていくその戯画が伝えられると、人種偏見的な記事と相まって日本で
は大きな怒りの声があがり、アメリカでも心ある人々の顰蹙をかった。
 開戦後、「アメリカの水兵さんは、泳ぎが上手いから撃沈されても泳いで帰れるよな。」と思いを込めた幾多の必撃の
砲弾爆弾がアメリカの軍艦の襲った。
 
 あまりにも扇情的な戯画は、日本の特務機関が、アメリカ人画家に手を回して描かしたことは、別な所でも、絶対に出
ない話である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−おわり−−−−−−−

7名無しさん:2011/03/06(日) 21:39:17

…………さー、何万発もぶち込もうか

8New ◆QTlJyklQpI:2011/03/06(日) 21:39:25
運命とは無情なものよ・・・。当分は台湾にアメリカ人が渡ると危険。

9名無し三流:2011/03/06(日) 21:51:01
乙乙であります。今回も良い話を読ませてもらいました。

名無しモドキ様、前スレでの「太平洋の壁」の、
「アメリカが西海岸に構築した防御線」について、
SSを書きたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?

10名無しモドキ:2011/03/06(日) 21:52:33
その話は私も読みたいです。

11辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/03/06(日) 22:07:57
投稿乙でした。

悪意なく人を傷つける言動をすることを未熟さの表れと片付けて欲しくは
ないのですが、これを機会に異民族の受け入れを日本人の生徒たちには
少しでも考えて欲しいですね。そしてこうした美談を利用するのはまさに
外道の所業ではあるのですがそうした汚れ仕事が必要なこともこの世の
救いがたい一面なわけで。まぁこれで世間が少しでもマシな方向になる
というのなら少女の死も無駄ではなかったと思うしかないのか……

12名無しさん:2011/03/13(日) 09:47:38
>>6

13名無し三流:2011/03/13(日) 17:39:56
太平洋の壁・米編が上手に纏められず四苦八苦しているので、
代わりにドイツ第三帝国のSSを。あの勲章が史実より早く生まれました(汗


*******


    提督たちの憂鬱 支援SS 〜金柏葉・剣・ダイヤモンド・・・〜


「一体どういう事なのだ、これは!!??」


 独ソ戦において、物資の不足に悩むドイツ軍が画策したバグーの攻略が失敗した時、
ドイツ第三帝国の指導者アドルフ・ヒトラーはこう叫んだという。


 しかし、彼も画家志望からドイツの頂点まで上り詰めた男である。
(彼視点で)無能な人物を解任し、(彼視点で)有能な人物を新たに前線へ廻すと、
すぐにバグー再攻撃作戦の検討を始めさせ、戦線の整理などにも口を出していた。
国防軍の被ったストレスは尋常ではなかったと後に言われている。


 東部戦線が束の間の静けさを取り戻していたある時、
バイエルンにある別荘、通称"ベルクホーフ"の書斎で件のヒトラーはある本を読んでいた。

「ふむ・・・なるほど、面白い本だな」

 重厚な装飾の施された本の背表紙には、ドイツ語で『組織と経営』と書かれていた。

「『新人の育成』、『やる気の無い部下は』・・・どれもこれも今の我が国には重要な課題ばかりだ。
 それにしてもドイツの教会に、こんなに参考になる古文書が残っていたとは・・・
 『歩兵の突撃(エルヴィン・ロンメル著)』並みの充実ぶりだ。ヴォルフスシャンツェにも何冊か置くか」

 余談ではあるがこの本、『祖国ドイツの某教会から発見された古文書を復刻した、
現代にも通じる優れた組織管理術の教本』と謳われてドイツ国内で大ベストセラーになっている。

 実はこれが、日本でとある逆行者のグループが出版していた本(英訳済。仏/独/伊語版はまだ)
に目をつけたゲッベルスが、シュペーアと信頼できる部下を誘って貫徹でドイツ語訳、ナチスの性質上極めて重要な、
人種に関する問題(ドイツに限らず欧米には「黄色い猿の書いた物なんか読めるか!」等と言う者が未だに存在する)
への対策として、まるでドイツ発の本であるかのように様々な捏造を重ね出版させたという事実は、
現世に暮らす人々は永遠に知る事は無かった。


「来るべきバグー再攻撃に備え、兵に活を入れなくては。
 費用対効果の良い方策は無いものか・・・・・・そうだ!」


 ヒトラーは書斎の電話を手に取り、電話をかけた。

14名無し三流:2011/03/13(日) 17:41:04
 その一ヶ月後、ドイツ中の映画館のスクリーンにブランデンブルグ門が映し出された。
そしてそのドまん前には、12の像の台座が門を守るように半円状に配され、
その半円の中心には、巨大な大理石の正十二角柱が鎮座していた。

『ドイツは英雄の出現を待ち望んでいます!』

 呆気に取られる観衆に向け、大音量のナレーションが流れる。
そして門を映す映像が終わると、勲章を片手に掲げにこやかに笑う兵士がスクリーンに現れ、
だんだんと画面がホワイトアウトし、元に戻ると兵士は大理石の像になって件の台座に立ち、
そして何の装飾もされていなかった大理石の柱には『全身全霊で祖国に尽くした英雄の名は、
歴史、そしてこの柱に未来永劫刻まれるだろう』と彫り込まれていた(勿論どちらも合成である)。


 ドイツ勢力下の都市にこのフィルムが広がると同時に、
ドイツ軍の将兵の間には新たな勲章の制定の報が広がっていた。

【金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章】

 勲章のデザインと、12名にのみ与えられるという点は史実のそれと同様のものだった。
しかし、史実と違ったのは対象者がドイツ第三帝国『とその同盟国』の全軍人の中から選ばれ、
『その他の勲章の有無は問わない』という2点。また、『階級の上下は問わない』ともされていた。
つまりこれは、それに相応しい戦果を挙げてさえいれば、
イタリア兵だろうが二等兵だろうが受章できる可能性がある、という事であった。

 さらには、ドイツ政府によって受章者の名前がブランデンブルグ門の前にある大理石の柱に刻まれ、
その者の大理石の像が、本人の12倍のスケール(身長170cmの人なら高さ20.4mの像になる)
で作られて柱の周りにある12の台座の1つに置かれるとされた。


 この報せに枢軸軍の兵の多くは色めき立ち、

「あの門の前に俺の像を作ってもらえるのか!?」
「グゥレイト!俺はあと10年は戦える!」
「よーしパパ勲章取って来ちゃうぞー」
「イタリア人でもこの勲章はもらえるって?
 こりゃモテモテになれるチャンスだぜぇっ!」

 ・・・等、等、現場では多種多様な反応があった。
枢軸軍全体の士気は少なからず上向きになったが、ヒトラーが演説の席で

「この金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章を受章するのに相応しい者、
 それは例えば単身で戦車部隊1個軍団を撃滅するような者、撃墜数が350を上回るような者、
 そして何より、戦力、戦術、戦略的に不利な状況の中で何度もそれを覆す事のできる者である。
 諸君らがそのような存在になってくれる事を私は切に願う!!」

 と叫ぶと、新勲章に色めき立っていた将兵の半分は('A`)という顔になり、
残りの四分の一が(゚Д゚)という顔になり、もう四分の一は( `・ω・´;)
という顔になったと、当時この演説を聴いたという多くの人が語っている・・・

        〜 f i n 〜

15名無しさん:2011/03/13(日) 17:51:29
ドイツ軍人しかクリア出来ない基準に笑った
問題はソ連が十分な『的』を用意できないくらい弱ってる可能性が否定できない事だけだ

16名無しさん:2011/03/13(日) 18:01:17
ルーデルさんがアップを始めたようです。

17New ◆QTlJyklQpI:2011/03/13(日) 18:05:08
>単身で戦車部隊1個軍団を撃滅するような者、撃墜数が350を上回るような者、
 そして何より、戦力、戦術、戦略的に不利な状況の中で何度もそれを覆す事のできる者である
レイヴン雇えw。

18辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/03/13(日) 18:29:10
具体例あげて無茶言うなw 現実に起きる前にあんなアンサイクロペディア
みたいな活躍をする人間がいるなんて誰が信じるというのだw

19earth:2011/03/13(日) 18:45:56
投稿ありがとうございます。
……凄い無茶振りだ(笑)。
演説を聴いた兵士の士気が下がりそうです(爆)。
でもルーデルさんなら……しかし本当にルーデルさんの像ができたら
夢幻会のファンが記念撮影しに行きそうだ。

憂鬱本編42話も何とか進めています。3月中には掲載できると思います。
それまでもう暫くお待ちください。

20名無し三流:2011/03/13(日) 19:31:44
感想ありがとうございます。
今『太平洋の壁・米編』も頑張って執筆している所です。

SSの神が降りてこない><

21名無しモドキ:2011/03/13(日) 21:12:24
>>20「太平洋の壁」も待ってます。わたしは構想以前で諦めてしましました。

22名無し三流:2011/03/13(日) 22:01:07
>>名無しモドキ様
【太平洋の壁】の拙作SSの題材への使用の許可といい、
ありがとうございます。

以下本題ですが、現在書いているSSで、

・アラスカ州における米側の戦力、補給状況等の程度
・米側中心人物(1部)のアラスカ州に関する扱い

の2点において本編のご執筆に干渉してしまいそうなのですが、
earth様宜しいでしょうか?
重要なファクターだと思うので一応、お伺いします。

23earth:2011/03/13(日) 23:30:40
>・アラスカ州における米側の戦力、補給状況等の程度
>・米側中心人物(1部)のアラスカ州に関する扱い

む、難しいですね。
あまり乖離されたのを出されるのも困りますし。
……ネタバレ(?)ですが現状、アラスカは米政府にそこまで重要視されて
いません。というかその余力がないとも言えます。
彼らにとって残る工業地帯である西海岸の防衛こそ重要課題なので。
でも重要視する人間もいてもおかしくないかも知れません。
さすがにそれが主流になっているというのは困りますが。

そのあたりで乖離していないなら、問題ないかと。

24名無しさん:2011/03/19(土) 06:02:13
>>13-14
黒騎士さんならもらえると思う ><

25名無しモドキ:2011/03/19(土) 19:55:08
「ハワイ沖海戦外伝」−その2−
−在ハワイ陸軍航空隊 第79爆撃集団 第255爆撃中隊 第二小隊1番機− 1943年1月19日〜20日

「また、右の回転数が落ちてきました。」副操縦士のドイズが、機長のパッカーに声をかける。
「エンジンを見ていた整備士の不安そうな顔を思い出すよ。止まりそうか。」
「スロットルの調整だけでなんとかなりそうです。燃料供給を増やします。」
「そうなると、また、燃料の計算をやり直しですね。ただでさえ、巡航の15%以上の燃料を消費してますから、多分、
目標地点からの帰還は燃料ギリギリですよ。」機関士のスペンサーがぼやいた。

 パッカー中尉の、「プリンセス・オブ・マーズ(火星の王女)」と名付けられたB-25は、出撃前からトラブルを抱
えていた。始動したかと思うと、左エンジンが突然、止まったのだ。漸く、エンジンが始動して出撃可能になった時は、
すでに、30分も前に、彼の編隊は飛び立っていた。
 本来であれば、このような時は出撃を控えて整備を行うのだが、海軍が全力出撃したとあって、基地司令は、
パッカーにも、再度の出撃命令を出しため、パッカー機は後続の、編隊についていくことになった。
 ところが、後30分ほどで目標に到達と言うときに、今度は左右両方の不調で、超低空まで下降してしまい編隊に取り
残された。そのまま、超低空で、地面効果を利用して引き返そうとした時に、再びエンジンの調子がもどったのだ。
すると、なんの気まぐれか今度は、無線の電源が落ちてしまった。

「独りぼっちになったな。オーエン、敵艦隊の位置は?」パッカーは航空士に尋ねた。
「やる気ですか。多分、11時の方向へ。」航空士のオーエンは言外に引き返そうと言っている。
「今更、帰れるか。一旦、上昇する。よく見張ってろ。」パッカーは、気乗りしない航空士を無視した。

超低空から、散在する雲の上にB-25は上昇した。
「無線は?」パッカーは無線機を修理している、通信士のハワードに尋ねた。
「ダメですね。真空管がいかれたみたいです。この間、入れ直した最後の予備だったんですがね。機長、近くの電気
屋によってくださいな。」ハワードは、いつもの調子で言い返す。
「そんなもん、ここにあるか。さてさて、耳も聞こえず、口もきけないか。ハワード、無線機はほっておいてお前も
見張りに加われ。」パッカーも少し不安な物言いである。

「機長、あれを。」ドイズが10時の方向を示す。
かなり広い空域に、細長い黒煙と、飛行機雲が無数に漂っている。時々、太陽の光を何かが反射する。
「空戦だ。それも、もの凄い規模だ。」
「どっちが勝ってるんでしょう。」
「敵機の迎撃にあって大規模な空戦になっている時点で拙いことになってる考えるべきだな。あの様子じゃ、かなり
手ひどいことになってるぞ。トムソンとファックスが無事だといいが。」パッカーは心ならずも、一緒に出撃出来な
かった、彼の指揮下にある小隊機たちを気遣った。
「どうします。」ドイズが尋ねる。
「巻き込まれないように迂回しよう。上手くいけば搦め手から、敵艦隊に接近できるかもしれない。全員銃座の機銃
を試射しておけ。」パッカーは帽子を被り直して、周囲の様子に神経を集中させた。

 実はこの時、赤城のCICでは、戦術情報士達が、少々あわてていた。単機が、超低空で迎撃をかいくぐり、艦隊の
背後に回り込みつつあったからだ。この高度な機動をする機は、他機を囮にした新兵器搭載機ではないのか?担当
空域の戦術情報士は、何とか迎撃可能な戦闘機を見つけ出して必死に誘導していた。
 パッカーは、今度は高度を下げて、出来るだけ雲の中を飛ぶように機動した。数分飛んだところで、当然、雲から
出たと思うと、背後上空から、射撃を受けた。ガンガンと機体に弾が当たる音がしたかと思うと、目玉焼きのような、
国籍マークをつけた、戦闘機が2機、凄い速度で前方を急降下していった。

26名無しモドキ:2011/03/19(土) 20:01:14
「被害報告。くそ、奴ら、どこから来たんだ。こっちは雲の中にいたんだぞ。」急に、振動を感じるようになった操
縦桿を押さえながらパッカーは叫んだ。
「後部銃座被弾。」銃座の持ち場がないオーエンが、機内を駆け回り、後部から大声で報告する。
「バナーは、どうした。」
「どこにもいません。銃座が丸ごと吹っ飛んでんます。バナーは、多分機外に・・・。」
「くそったれ。アイツには、カードの負け分の20ドル返し損ねた。他は異常ないか。」
「銃塔が旋回しません。何かの破片が詰まってます。」スペンサーが、下部銃塔から顔を覗かせて怒鳴る。
「左右の垂直尾翼に被弾してます。舵は、半分くらいもっていかれましたが、まだ動いてます。それから、もう、
無線機の心配はいりません。破片が貫通してます。」オーエンが機首に戻ってきて早口で報告する。
「機長、下方でパラシュートが開きました。」下部銃塔のスペンサーが素っ頓狂な声を上げた。
「バナーか。俺が金を返すまで生きててくれ。」パッカーがうめくように返す。
「さっきのやつらが上昇してきます。もの凄い上昇力です。」下部銃座のスペンサーが報告してきた。
「近づけるな。あいつらの相手をしてやれるほどヒマじゃないんだ。」操縦桿を必死で落ち着かせながらパッカー
は指示した。
「後方へ回ろうとしてます。シックス・オクロック・ロウ、後方下面から接近中。こっちの銃座が動かないことを
知ってやがるのか。機長、急速に接近中。」スペンサーが悲痛な声で報告する。
「後部銃座がないので、後方から来たんだ。下部が動かないことは知らない、ブラフでいい。撃て。」
機体の下部から、太い銃撃音が響く。
 パッカーは、本能的に機体を急旋回させた。その機動の最中に後方で、大きな音がして、機体が振動を始めた。
「右の垂直翼が無くなってます。左は上部がありません。水平舵も左側が外れかけてます。」後方へ様子を見に
行ったオーエンが大声で知らせたきた。

「敵機、二機とも離れていきます。どうしたんでしょう。それに、何故、撃ってこなかったんでしょう。」
ドイズが横を見ながら報告する。
「大空戦をしてきたので弾切れなんだ。くそ、あいつらこそブラフをかけてきたんだ。それに、うかうか乗って、自分
でぶっ壊して世話なしだな。奴らは、この機体が、もう脅威じゃないと判断したんだろう。恐ろしく冷静で、頭の切れ
る奴らだ。」パッカーは自身もまだ、冷静なことに気付いた。
「まだ、飛べるぞ。なんとか旋回させてハワイに帰ってやる。一番最初にすることは、オーエン曹長、お前の仕事だ。」
「何ですか。」爆撃手も兼ねるオーエンは、不安気に聞いた。
「爆弾を落として機体を軽くしろ。」

 二時間以上、パッカーは機体を旋回させようと悪戦苦闘して、ハワイの方向にB-25を向けた。しかし、尾翼関係の舵が
ほぼ効かないため、エンジン出力調整だけでは、せいぜい水平を保つのが精一杯で、コースを維持するのは至難の業であ
ったため機体は迷走した。
「パッカー中尉、あなたが機長でよかった。中隊のヒヨコ連中じゃ、最初の一撃でパニックになっていたでしょうから。」
ドイズ少尉が、操縦桿を押さえ汗だくになったパッカーに声をかけた。
 パッカー中尉は、ハワイの航空隊では珍しく、中国大陸で、蒋介石軍相手に実戦を経験していたベテランである。今にし
て思えば運よく、日米開戦の直前に、本土での教官任務を命じられてハワイまで後退したところで、足止めをくってそのまま
現地部隊に編入されていた。開戦直前に本土勤務を命じられた、パッカーは身の不運を嘆いていたが、中国に残った同僚の多
くは日本機のエジキになった。
「おだててもダメだ。燃料切れ間近だ。多少でもコントロールの効くうちに着水するぞ。」

 B-25は、盛大に水しぶきを上げながら海上を滑って静止した。後部に破孔があるため、海水が瞬く間に侵入した。機体は
ほんの3分ばかりで海中に没し、5人の男達は小さなゴムボートに乗り移って漂流を始めた。

「もうすぐ、日没ですか。」ゴムボートの真ん中で、寝ていたオーエンが力なく言った。
「気がついたか?」パッカーが、起きようとするオーエンを押しとどめた。
「俺、どうしたんですか?」
「脳震盪で気絶してたんだ。一人でボートの半分、占領しやがって。」ハワードが、ボートの外へ足を放り出して船尾
らしき場所から答えた。
「ドジな野郎だ。飛行機から飛び出し時に、勢い余って頭を出口の上部に打ち付けたんだよ。」スペンサーは、タバコ
に火をつけながら教えてくれた。
「一服しな。」スペンサーは、タバコをオーエンに渡した。

27名無しモドキ:2011/03/19(土) 20:07:30
「持ち出せた水は、2ガロン(7.6L)少々とコーラが4本。食い物は、ハーシーのチョコレート2枚、ナビスコのリッツ
クラッカー1袋、Cレーションが12食分。」パッカーはできるだけ事務的に言った。
「もって、四五日ですか。」ドイズが呟く。
「バナーは、ライフジャケットだけで水も食い物もなく、独りぼっちで、この海のどこかにいるんだ。それに引き替え、
俺たちは、クラッカーで晩餐ができるんだ。」パッカーは乗員を諭して指示を出した。
「取りあえず、交代で見張りだ。飛行機でも、船でも、何か見えたら信号弾をあげる。」
「日本軍だったら。」ハワードが心配げに聞く。
「考えずに合図だ。今更、我々が日本軍から隠れても、戦略的にも戦術的にも何の意味もない。ドイズから1時間交代
で階級順に見張りを頼む。最後は俺だ。さあ、夕飯を配るぞ。水はコップ一杯だ。」

「みんな起きてくれ。」見張りが一回りして、再び見張り役になったドイズが大声で言った。 
 ただならぬ気配に全員が、西の方を見た。満点の星に、海上で揺らめく夜光虫の明かり。救命ボートからで無ければ
幻想的な光景だった。そして、西の水平線が幾十、幾百の雷が燦めくように光っている。
「雷じゃないよな。」オーエンが尋ねる。
「海戦だ。それも、ジュットランド並の大海戦だ。」パッカーが双眼鏡を眺めながら言う。
「俺らは、またも戦場の間近に来ながら、何が起こってるのかさえわかわずに除け者か。」スペンサーが呟いた。やがて、
かすかだが、腹に響くような低音が聞こえて来た。
「戦艦では、ジャップを圧倒してるって海軍のやつら、酒場で吹聴してた。艦隊決戦に持ち込めばジャップを叩きのめすっ
てな。きっと、バイ提督が砲撃戦に持ち込んだんだ。」ドイズが元気を取り戻して言った。

「ファイトだ!」オーエンが大声を上げる。つられて、他の男達も声の限りを尽くして海軍の奮戦を応援し出した。
「叩きのめせ。」「やった、今の閃光は、きっと日本戦艦の爆沈だ。」「がんばれよ。」・・・。

 光が見えなくなっても、明け方近くまで彼らは見えぬ味方に声援を送り続けた。疲れ切った五人の男達が目覚めと
時には、既に太陽が東の空に上がっていた。
「機長、艦隊がこちらに向かってきます。」いち早く目を覚ました、ハワードが大声で叫んだ。
水平線の彼方から、何十隻もの艦船が、朝日を受けて向かってくるのが徐々に明瞭に見えてくる。
「堂々とした大艦隊だ。昨晩の勝者だ。」パッカーは、双眼鏡を向けながら言った。
「今夜の夕飯は無理でも、きっと明日の夕食はホノルルだ。」
「機長、信号弾を上げてください。」乗員は、大はしゃぎになった。
パッカーは、見ていた双眼鏡を、ドイズに渡した、次々と回された双眼鏡を見た男達は無言になった。

 やがて、ゴムボートの周辺を、駆逐艦や巡洋艦、そして、遠くには戦艦らしい大型艦が通過していく。その度に、
大きな波が押し寄せて、ゴムボートは翻弄された。演習にでも行くように整備の整った軍艦の艦上には、こちらを
見ている乗員らの姿も見えた。手を振ってなにやら叫んでいる者もいる。
「何を言ってるんです。よく分かりませんね。」不安げにオーエンが言う。
「多分、ボートにしっかりつかまっていろと言っているようだ。」パッカーは観念した。
「機長、あの駆逐艦がこちらに。」スペンサーが指さしていう方向から、太陽を模したデザインの戦闘旗を掲げた、
精悍な構えの駆逐艦が徐々に速度を落としながら近づいてきた。

28名無しモドキ:2011/03/19(土) 20:10:14
 パッカー中尉以下、5名の乗員はこうして日本軍の捕虜になった。彼らは日本への帰路で、容積に余裕があり、捕虜収容
に適した空母に移乗させられた。姓名階級だけを伝えたはずだが、誰かが尋問官の引っかけに乗ったのか、単独飛行をして
いたB-25の乗員であることがばれていた。
 尋問官に付き添われた二人の戦闘機パイロットが訪ねてきた。二人の子供っぽい顔から戦闘機パイロットとは信じられな
かったが、彼らを撃墜したパイロットだと言う。ドイズが、弾なしで、ブラフにかけたことをなじった。すると、はにかん
だ笑い顔で、あのハッタリ(HATTARI)には、こちらも、恐くて心臓が口から飛び出しそうだったと返してきた。これで、
ちょっとうち解けて、握手したところを写真に撮られた。この写真は日本の新聞や雑誌に掲載された。パッカー達には
少し忌々しいが、現在でも、よく引用される写真である。
 横須賀に着いたときに、驚くべきサプライズがあると尋問官が言った。バナーと再開したのだ。彼は、二日間漂流して、
偶然に浮上してきた日本の潜水艦に救助されていた。

 こうして、パッカー達の戦争は終わった。二人の戦闘機パロットに、1/2機のスコアを献上し(当初は撃破認定だった)
機銃弾を使用しないでトドメをさされ、ハワイ沖で撃墜されながらも全ての乗員が生還した唯一のクルーという軍事マニア
好みの珍記録を残して。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−− 
追加:パッカーはバナーからのカードの借金を取り返すつもりで、捕虜生活の中で何度もバナーに挑んだが、借金は1290ドル
にまで膨らんだ。パッカーはカード好きだが、ブラフに弱いチキンとして有名だった。なお、HATTARIは今では、ブラフ以上に
英語圏で普及した単語である。

29New ◆QTlJyklQpI:2011/03/19(土) 20:49:43
GJ!久々に面白い内容を見せてもらいました。

30ham ◆sneo5SWWRw:2011/03/19(土) 20:52:17
おお、これはこれはお仕事が速い。
楽しませてもらいました。

31辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/03/19(土) 22:08:57
投稿乙でした。

捕虜になってしまったものの悪運だけは強いチームのようですし宣伝写真のせいで
戦後の肩身は狭いかもしれませんがきっとその悪運の強さでしぶとく生き抜いて
欲しいですね。米国が東西分裂で内戦勃発となれば史実の日本みたいにパイロットは
失業なんて自体は起きないだろうし……それが幸せかというと疑問でしょうけど

32yukikaze:2011/03/19(土) 22:39:53
更新乙です。面白かったですよ。

33earth:2011/03/20(日) 17:57:13
投稿ありがとうございました。
面白かったです。彼らがどんな戦後を歩むことになるやら……。

34攻龍 ◆N7DVv.HogQ:2011/03/20(日) 18:29:11
投稿お疲れさまでした。
なかなか軍事オタ好みな記録を残し、新聞などで引用されることになった彼らに幸あれ…

きっと彼らのうちの一人は戦争終結後、小説家としてデビューするのでしょうね(笑)

35yukikaze:2011/03/23(水) 22:49:28
誰か書いてくれねぇかなぁ。

一向に戦果を挙げられず「いらん子艦隊」と公言されるまでになったドイツ艦隊。
同盟国との関係を維持する為に、遂に艦隊譲渡すら議題に上げられてしまう。
焦った上層部は、政治的なアピールを重視した、レニングラード砲撃作戦「ローレライ」を命令する。
旗艦プリンツ・オイゲン艦長、リンデマン大佐は、言い知れぬ怒りと悲しみを胸に抱きつつ、
それでもドイツ海軍の名誉をかけて出撃をする。

ドイツ海軍支援SS 「我等勇者の如く・・・」

36名無し三流:2011/03/25(金) 20:46:40
《太平洋の壁・米編》のSSが全然まとまらない・・・ごめんなさいやっぱ無理っスorz
とりあえず構想段階で幾つか出てきた米本土防衛用のアイディアを設定スレに投下します。

37名無しモドキ:2011/03/27(日) 22:25:00
忘れられた戦場  −アメリカ本土決戦計画(ダールキスト案)−

 現在、複数確認されているアメリカ本土決戦計画の、最も初期の具体的計画は、寒波の厳しい、1943年1月26日の
シカゴ市内アメリカ陸軍アメリカ本土兵站局の一室から始まる。

 ミシガン湖南端、中西部最大の都市、仮政府の所在地であるシカゴでも、12月に最低気温がマイナス13度を記録して
1mを超える雪に埋まった。1月にはマイナス20度の記録的低温に加えて、もともと、風が強いことで有名なこの都市
での外出は命がけなる日々が続き学校も臨時休校になった。厳しい寒気の中で、凍え死なない程度の暖房が入った本
土兵站局の一室にロス中佐を呼び出したのは、一人の少将であった。

「楽にしてくれ、ロス中佐。ダールキストだ。」横柄な言い方で少将は言った。
「本土南方軍のダールキスト閣下でありますか。」(テキサス州兵の将軍閣下だっけ?確か、中将に昇進して本土南
方軍の長になるとか。)
「見知ってくれていたか。」
「で、わたくしに何か御用でしょうか。」(また、物資を回せ言う直談判かと思っていたら、別の頼み事だというの
だけれども。)

 ロス中佐は、一刻も早く、この場から立ち去りたかった。彼の仕事は、多忙を極めていた。開戦直後の津波で東部
の産業地域は完全に崩壊した。戦時輸送計画を練ろうにも、何が失われて、何が残存して、何が代用になるか。そこ
から、調べなければ物資を調達することも輸送することもできなかった。
 あちらこちらに、急遽立ち上がった、輸送関係部署のいい加減な輸送計画書により、漸く整った避難民用の防寒
コート20万着がフロリダに届いたり、ロッキーの低品質炭が、輸送に数万㌧の良質炭を消費して、ウェストバー
ジニア州「世界有数の上質炭であるポカホンタス炭産出」に、3週間にわたり到着し続けたこともあった。
 兵站部の上級者は多くが、津波のために失われ、ロスのような残された佐官は、三面六臂の活躍を強いられてい
た。そして、苦労が最近ようやく形になりかけていた。ロスは数分の時刻さえ惜しかった。

「単刀直入に言う。西海岸で調査任務を行ってもらう。」(うん、西海岸の生産状況、鉄道などの調査か?だが、
なんで、こいつが、司令官の頭ごなしに俺に命令するんだ。)

 ロスもそうだが、戦争以来多くの将校が昇進していた。津波の結果、国防省に詰めていた多くの将官、高級佐官が
失われたが、戦争のため、軍の組織自体は急激に膨張していた。 
 そのため、各種の司令官級のポストに、下級者を押し込むため玉突き昇進が行われた。平時なら、昇進どころか、
体のよい天下りで、予備役に編入する(無能な)人材も、軍の上層部に上がってきている。
 更に、ガーナー政権の登場で、声高に戦意高揚を言い立てる好戦派は、現実的なことを、主張する良識派より優遇さ
れる傾向があった。
 平時は、平時で硬直した人事を嘆いていたロスだが、今となっては、その合理性が理解出来る。また、急激に昇進し
た者の中には、その地位に相応しい功績を画策する者も多い。まさに、群雄割拠である。
 上官であることだけで、部署を無視した依頼や、脅かしのようなことが蔓延している。中世の個人の武勇に頼る封建
制軍隊なら兎も角、官僚的と批判されても部門別に上意下達を旨とする近代軍組織として忌むべき現象である。

「西海岸の調査でありますか。ただ、小官はここでも任務に忙殺されておりますし。第一、ウォーカー司令の許可が必要
です。」
「大丈夫だ。すでに、ウォーカー少将の許可は取ってある。」
(司令が話を聞いてやって欲しい人間がいるからというのは、そういう意味だったのか。)
「しかし、閣下が上官とはいえ、所属が異なる部門から独自の命令を受けて実施してよい調査でしょうか。」
「陸軍参謀総長にも調査実施の内諾を貰っている。極秘だが怪しげな任務ではないから心配するな。」
(ははん、ダールキスト少将は政治的手腕に長けた将軍閣下ということか。)
「わたしは、11時の飛行機でダラスに戻らなければいけないし、ウォーカーは総司令部で会議だ。悪いが、ウォー
カー抜きで話をさせてもらう。」
(まてよ、ウォーカー司令もテキサス出身だ。そういう繋がりか?)

38名無しモドキ:2011/03/27(日) 22:29:15
「で、どのような調査でありますか。」
「海軍はハワイで、実は甚大な損害を被った。姑息な連邦政府は情報を小出しにして国民の動揺を防ぎたいらしい。
これを、読みたまえ。いずれ知れようが口外は厳禁だ。読んだら返してくれ。」
ダールキストは一枚の、紙をロスに渡した。それを、読むロスの目は一行読む度に、前の行に戻ったりする。
「これは、全滅といっても過言ではありません。海軍は、太平洋における戦力を喪失したということですか。ハワイ
の基地航空隊も戦力喪失とは・・。」
(これが本当なら、もう講和だな。日本は日本海海戦に続いて海戦で勝利して、戦争にケリをつけたな。ミッドウェイ
とアリューシャンまで割譲するくらいで講和ができれば。ハワイも、カードとして要求してくるだろうな。)

「政府はハワイ防衛戦の成功を言い立ててるが、ハワイに洋上戦力がない以上、日本軍はハワイを無視して西海岸に
上陸してくることは必至だ。」
「お言葉ですが、日本軍は西海岸に上陸してくる能力はないかと。」
「何故、言い切れる。僅か一月で中国駐留軍が全滅。アジア艦隊が航空機の攻撃のみで全滅、ハワイで太平洋艦隊が
大敗。誰が予想出来た。」
(いや、それはそうだが、ハワイに攻撃をかけること自体、輸送力の面から連中もかなり背伸びしている筈。西海岸
なんて天国に行くより難しい。万が一、日本軍が来たら、アラスカや西海岸の一部までも割譲して講和するしかない
だろう。)
「それはそうですが。」
「講和で自分の命と財産だけを守ろうという売国奴がうろうろしておる。」
(危ない。危ない。講和なんて口に出さずによかった。)
「講和は、ジャップに一撃を与え、我々の実力を見せつけてからだ。残念ながら、海軍が半壊した以上、その戦いは
西海岸で行われる。そして、その主役は我が陸軍だ。」
(最新の戦車を揃えた機甲師団を全滅させた相手にどう戦う?)
「中国では、我が陸軍も苦戦したということですが。」
「中国では、敗北など喫していない。あったのは、チンク(中国人)の裏切りだ。足手まといで、裏切り者の中国軍
さえ抱え込んでいなければ、ジャップなど一撃で片づけた。オカマ揃いのセーラーは、敗北したかもしれんが、我が
陸軍は、まっとうな戦いを一度も行っていない。」
(うひょー出たよ。最近、この手の論法が多いんだよな。しかし、将軍ともあろうお方が、蔑称垂れ流しか。)
「西海岸に日本軍が来なければ?」
「その時は、我が国の復興を急ぎ、海軍を再建する。そして、我が陸軍は日本本土へ侵攻し、奴らを叩きのめす。そ
の後で、我々の同胞を手にかけた中国を粉砕する。それが、神の恩寵に守られたアメリカの意志であり、義務だ。し
かも、・・」

−この後、同種の話が20分続く−

(やっと、終わった。あーあー、昼飯の時間は無くなったな。・・誤解して、悪かった、きっと、ウォーカー司令も
これで押し切られたんだ。俺以上に過労気味だからな。
 窮すると、精神論か。確かに、戦争にタフな精神力は否定はしないが、最近は、そればかりを強調する手合いや、
正反対の悲観論ばかりだ。)

 この時期、津波の被災地や、被災の影響を受けた地域の中で、保守的で、キリスト教信仰の厚い地域では、この
災厄は、信仰を疎かにして、唯物主義に陥り、近代文明のみに、目を向けたアメリカへの神の警告である、懲罰で
あるという悲観的な説教を行う伝道師に人々は耳を傾けていた。
 反対に、中西部から西では、これは、神が与えた試練であり、我々、アメリカ人は、その優れた文明社会を守る
ことが神の意志であるという考えが、(ハースト系の)ジャーナリズムを中心に声高に唱えられていた。

39名無しモドキ:2011/03/27(日) 22:33:23
「最後の勝利が、アメリカに輝くことは疑っておりませんが、日本軍には、種々の新兵器が登場しているようですから
余程、心して掛からねばと思います。」
「猿まねだ。およそ、文明の利器、火薬や、印刷術、羅針盤も、我々白人が、その優れた創造力で世界に提供してきた
のだ。あの薄汚いサルが、我々の技術を、かすめ取り、まがい物を作ったに過ぎない。あっという間に、アメリカは
ジャップが手の届かない強力な兵器を、奴らが足元にも届かない、工業力で量産する。」
(火薬、印刷、羅針盤って中国起源じゃなかたっけ。それに、日本の技術が、我々の物真似とタカを括っていたから、今
のような状態になったじゃないか。
 日本人は、ウェールズのタイムマシンや黒魔術を使ってズルをしているんじゃないんだ。日本の技術を正当に評価し
ないと、痛い目にあい続けるぞ。)
 この仕事をしていて、ようやく気づかされたが、すでに我々の基礎工業には多くの日本企業が、部品納入という形で入
ってきていた。パッキン、高圧ホース、絶縁コード、真空管用のガラスやフィラメントにグリット、電気機材にしてもコン
デンサーとか、すぐにでも作れそうな部品で気づいていなかったのだ。
 それらの、輸入が途絶したため、肝心のエンジンやモーター、電子機器の性能や耐久性はガタガタになってる。確かに、
それらの部品、素材の生産はアメリカの技術からすれば、児戯に等しい技術であり生産は容易なものばかりだ。ただ、急
に、一定水準の製品を大量生産出来る企業がない。
(技術的な問題はない、時間があれば生産はできる。ただ、日本が待ってくれるのか。)

「何を考えている。」
「ああ、すみません。で、どのような調査を。」
「うん、断っておくが、これは最悪の事態でのシナリオだ。日本軍は西海岸、我が軍を南北に分断するため、サンフ
ランシスコとロサンジェルスの間を狙ってくる。無論、この日本軍を太平洋にたたき落とすことは、それほど難しい
ことではない。」
(まあ、その上陸地点は考えられんでもないが・・、しかし、西海岸には絶対に来ない。)
「はあ。」
「だが、第一波のみ撃滅したところで、戦争が一気に優勢になるわけではない。大方の日本軍を上陸させ、内陸にお
びき寄せて補給に窮したところを叩く。」
(日本軍が沿岸から内陸に進撃しなかったら?大方の予想に反して、中国では内陸へ進撃してないぞ。)

「それでだ。上陸した日本軍が補給に利用出る港湾施設、艦船の補修のためのドック、発電所、それに、主要道の架橋
鉄道の操車場などの交通の要所を破壊しておく必要がある。」
(ぶっとんだぜ。こいつ正気か?焦土戦術ができるのは、専制国家や全体主義国家だ。曲がりなりにも民主主義の
リーダーを自負する我が国では不可能だ。)
「軍の施設はともかく、一般企業が、それを容認しますか。」
「反対するような、非愛国的資本家はアメリカにいらない。むしろ、そんな連中をあぶり出すいい機会だ。」
(確かに、この戦争は、大資本家の戦争需用期待が一因だが、その責任を自覚して自分達の財産を捧げるとは言い
そうもないな。)
「何回も言うが、これは、最悪の場合のシナリオだ。だが、実施する時は、日本軍が軍事的に利用しそうな公共施
設、商業施設、ガソリンスタンド、工場、それに一般家屋も対象だ。」
(こいつ、俺が、サリナス「サンフランシスコ南方の都市」出身って知ってるのか。この計画が太平洋岸の州に漏
れたら、連邦から離脱して日本と同盟しかねないぞ。)
「加えて住民の避難計画ですか。」
「いいや、住民は避難させない。むしろ敵手に委ねて、敵の負担を重くする。さらに、民兵を組織してゲリラ戦を
行う。全てのアメリカ人が、自由の為に戦った独立戦争を同じだよ。」
(違う。こいつ歴史を勉強したのか。全ての住民が英国相手に戦ったわけじゃない。英国軍に協力する王党派も多
くいた。大半の連中はフランスなどの援助で大勢が決まるまで日和見してたんだ。
 自分たちの家と町を焼くアメリカ軍に、それを追い払う日本軍という光景が展開するぞ。ただでさえ、移民1世
やメキシコ系の住民の多い、西海岸だ。自分の生活と家族を守るために日本軍に通じる人間も出てきて、アメリカ
人同士の内戦になる。)
「住民には一時の困窮を強いるが、戦勝後に被害補償を日本にさせればいい。」
(万一、日本軍が上陸したとして、橋頭堡から戦線を拡大しなければどうする。津波で壊滅した東海岸
に、自ら破壊した西海岸。アメリカって国は百年は後退して列強の草刈場になるぞ。)

40名無しモドキ:2011/03/27(日) 22:37:52
「必ず勝てますか。」
「必勝の信念と、我々、アメリカ人が持っている、特にテキサス人が持っている自己犠牲の精神がある限り勝つ。勝つまで
戦う。何より、私の指揮下にあるテキサス州兵の部隊は、アラモ精神が流れている。」
(このテキサス野郎。それが本心か。テキサス部隊を率いて日本軍を撃破する情景に酔ってやがる。このお花畑野郎、西海
岸全体をアラモに見なして、自分の戦勝のための生け贄にするつもりだ。)
「閣下、日本軍が西海岸に橋頭堡を築いた場合、それは制空権の喪失を招いております。敵制空権内では、テキサス方面か
らの援軍は、移動が困難では?」
「輸送屋かと思ったら、多少は戦争を知っているな。大丈夫だ、テキサスの牧場から、既に、8万頭の馬と、7万頭の牛を
徴発する計画が出来ている。」
「牛ですか?」
「日本軍が道路もなく、移動出来ないと思って油断している山岳部を、幅100マイルに分散して行軍、決戦地域で合流、
日本軍を奇襲撃破する。牛は120ポンドの食糧などの荷物を背負わす。行軍で食糧を消費すれば、牛を屠殺して喰う。歩く
缶詰だ。」

(−−暫く頭脳凍結−− この戦争を南北戦争だと思っている。いや。ジンギスカンの遠征か?)

「閣下、自動車などの使用が制限される山岳地帯では、馬匹を利用しても武器弾薬の輸送が困難かと?食糧などを考慮
すればいくらも運べない恐れがあるかと存じます。」
「食糧は最小限の範囲で運ぶ。山岳地帯でも無人地帯ではない。計算では、人口1000人規模の町は、2万の兵を
1週間養える食糧を備蓄している。それを徴発する。男性住民は輸送業務に協力させて極力、兵員の消耗を防ぐ。」
(こいつは、アリゾナやニューメキシコの田舎町は飢餓に襲われてもいいというのか?)
「住民には家族がありますので、全ての住民の協力は難しいかと。」
「今は、考える時ではない。まして反論する時でもない。行動する時だ。これは、総力戦だ。アメリカ人ならアメリカ
人としての義務を果たす。非アメリカ人的な住民は軍の威力を示して従わさせる。」
(ゲッベルスの演説か?)
「また、既婚、未婚を問わず適齢期のアメリカ女性には、崇高なる使命を果たす、テキサス兵の戦意向上のための献身
的な任務を課す。」
(まさかと思うが・・・いや、恐くて、とても具体的な戦意向上のための任務は何かは聞けない。そう、多分、ジョーク
なんだ。・・・しかし、なんとか焦土戦術を思い直させないと)

「閣下、テキサスからでは日本軍に接触するまで時間が掛かりすぎて戦機を失う恐れは?」
「日本艦隊の西海岸接近時に作戦発令だ。予想時期を上回る反撃に日本軍は右往左往だ。」
(なんてこった。日本軍が上陸しなくても、西海岸全体と、南西部に幅100マイルの焦土帯をつくる気だ。南北
戦争で南部を焦土にしたシャーマン将軍への意趣返しか?シャーマンが英雄になったのは北軍が勝ったからだぞ。
なんとか考え直させないと取り返しのつかないことになるぞ。)
「明後日から、西海岸の調査団に加わってくれ。今、リストを渡すから、モデル的な施設を回って破壊するには、
どの程度の人員、爆薬、期間がいるか、どのような組織を組めばよいか報告書を出してくれ。」
「調査団?」
「工兵隊の将校、それに、海軍からも、この計画に賛同した将校が参加する。ただ、目的を知らせる訳には、いか
ないので兵站組織の実地調査を名目とする。
 そのために、兵站局の君に、団長として参加して貰うのだ。また、君と部下は、独自に交通網についての破壊計画
を策定して欲しい。」

「部下もですか?」

41名無しモドキ:2011/03/27(日) 22:40:22
 ウォルトン・ハリス・ウォーカー少将が必死にダールキスト少将を説得してくれたためロス中佐は、二週間後に
シカゴに戻ることが出来たが、輸送計画立案にようやく熟練しかけていた将校達は兵站局から引き抜かれて、
六週間にわたり、西海岸一帯を調査した。このために、アメリカの鉄道網は大規模爆撃を数回、主要操車場や駅に
受けたほどの、輸送上のロスを生じることになる。
 結局、ロス中佐は随時送られてくる資料から、西海岸調査報告書をまとめることになった。このロス中佐の
報告書は義憤と、過労からくる興奮で、多くの破壊計画は、意図的に的外れな報告になっていたが、一部の財閥
(財団)系の施設、あるいは、それらの買収予定施設の破壊計画だけは正確であった。

 実はロス中佐は、セールスマンの家庭から苦学して、財界との繋がりが薄い(財閥の御用達ではない)ブラウン
大学に入り、経済学を学んでいたが、家庭の事情で陸軍士官学校へ入り直したという経歴の持ち主だった。
このため、アメリカ経済の裏事情にも多少通じていたからである。

 戦後、この計画を知った牟田口廉也は、史実の牟田口廉也将軍が、無茶な命令で日系人部隊に多大な損害を負わ
したダールキスト将軍に憑依したのではと呟いた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− お わ り −−−−−−−−−−−−−−−−−

42New ◆QTlJyklQpI:2011/03/27(日) 23:27:09
絶対そうだw。やがて辻や富永みたいな奴らも出てくることは間違いない。

43名無しさん:2011/03/27(日) 23:58:38
もしかしなくても、このダールキストはウォーカー少将に
防衛のための西海岸の調査としか言ってないんじゃね?
破壊工作は絶対に教えてないぞ

44New ◆QTlJyklQpI:2011/03/28(月) 00:06:20
西海岸に逃げた富豪らがまっさらになった自分の財産を見て砂とかすでしょう。

45名無しさん:2011/03/28(月) 00:34:48
ムッティ戦術…

46辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/03/28(月) 09:18:48
投下乙でした。

漠然とアメリカ軍は組織がしっかりしてるから無能な人間は出世
できないようになっているのだと大した根拠もなく信じてましたが
そら無能な人間だっているだろうし非常時に国を売ったり逃げ出したり
する軍人だって居てもおかしくはないんですよね。特にこんな政府
自体がまともな統制を失いつつあるような状況だと誘惑も多いだろうし

47ごーごーごー:2011/03/28(月) 11:10:09
投稿乙です。
もしもこれ実施しようとしたら西部諸州政府は怒り狂うし
当然西部諸州の州軍も市民の財産を守ろうと実施しようとする連邦軍相手に徹底抗戦をするから
財閥の想定とは反する形で大規模な内戦が始まりますね。

48名無しさん:2011/03/29(火) 19:02:25
なんか史実の日本がアメリカに乗り移った感じが!?
しかも既に寒波が到来しているという恐ろしい事態が、フロリダに防寒具送ってどうするww

史実ではアメリカ、ソ連、イギリス、中国による分割統治案がこっちのアメリカで実施されそうな!

イギリス、ドイツ、日本はアラスカ貰うのかな?
レッドサンクロスみたいな世界観に、職人の皆様頑張ってください応援してます〜

49名無し三流:2011/03/29(火) 19:26:27
おお乙であります。

ところで、ソ連はアラスカに食指を伸ばしますかねぇ・・・
元はと言えばソ連の前身であるロシア帝国がアメリカに売却した土地ですし。
あのスターリンならいくらでも言いがかりを付けられそうです。
独ソで一時的に休戦→ソ連はアラスカ、ドイツは東海岸
的な秘密協定が結ばれる、という図が頭に浮かんだw

・・・あれ?日本もアラスカ狙ってたような?・・・<(^o^)>

50名無し三流:2011/03/29(火) 19:29:32
ちょっと本スレ行って>>49の話を振ってきます。
>>49のソ連とアラスカの話についてはそちらへレスをお願いします。

51<削除>:<削除>
<削除>

52名無しモドキ:2011/04/09(土) 19:41:23
日米謀略戦1 「セクション21-B」

 セクション21-Bとは、統合参謀本部内の21-B室に設けられたアメリカ統合参謀本部対日情報課に直属する対日宣伝
機関であり、1942年6月に対日戦勃発を見越して急遽、組織された。当初の仕事は、中国の青島などから、日本本土へ
のプロパガンダ放送と、日本本土へ投下する伝単の下準備などであった。人員は、予備役の陸軍中佐を長にして、経
理営繕関係の下士官を含めても二十人足らずであり、組織としての重要度は低くく見られていた。
 これは、対日情報部が望んだ組織ではなく、ロング大統領の要望から戦時体裁を整えるために作られたお荷物的な
組織であった。また、ロング大統領自身も、産軍からの軍事顧問達による答申から、開戦後プラス60日程度で、中国
大陸に展開する日本航空部隊が戦闘能力を喪失して、日本西部への大規模航空攻撃が可能になると予想していた。
 その時期には、戦艦戦力で圧倒するアメリカ海軍が日本海軍を無力化するとも考えていた。さらに、ロング大統領は
日本海軍が健在であっても、日本近海を遊弋するアメリカ戦艦部隊のために、本土近海へ釘付けとなり遊兵と化すと
判断していた。そして、開戦後プラス150日から200日で、日本の主要工業地帯と港湾は壊滅的な打撃を受けて、日本は講和
を求めざる得ないと考えていた。すなわち、プロパガンダを行う間もことなくアメリカは勝利すると思われていた。それでも
この宣伝組織が、設置されたのは、日本が本土の苦境にも拘わらず継戦した場合や、戦後、日本の本土にアメリカ軍による
軍政を敷いた場合に活用できればよいとされていたためである。

 この予想は、開戦数時間で脆くも崩れ去さり、セクション21-Bの重要度も当然、低いままだった。津波で、長を含む、スタッフ
のほぼ全てと、漸く、集め出した資料、資材の一切を失い、開店休業の状態になり、最も低い優先順位でシカゴに移転した来た。
本来ならば、この組織は、解体されてしかるべきだった。ただ、上部組織も壊滅していたため、その判断が出来ず、取りあえず
既存の組織ということでシカゴ大学の一隅に、再び開設された。
 肋膜炎のため、二年間休職していた主計少佐を長にして、第一次大戦時、フランスで義勇軍に参加したという隻眼隻手の予備役
中尉が副官であり、内蔵疾患のため前線勤務が無理な二人の下士官が高校卒業という理由で配属され、痩身銀眼鏡という絵に描い
たような大学の司書補だったという五十過ぎの、未亡人が資料係として雇用されていた。取りあえず、彼らは大学の図書館を利用
して、第一次世界大戦で使用された伝単資料を集めては、見よう見まねで、伝単を製作して対日課に持ち込んでいた。 

 彼らの作製する伝単は素人同然の作品であり、伝単の存在意義もよく理解出来ていないため「KILL JAPS, KILL JAPS, KILL
MORE JAPS. WE KILL MANY JAPS.」などといった誰に対しての宣伝文か、もしくは脅迫文なのかもよくわかわないものを、
英語で製作していた。
 伝単のできは兎も角、これをどこで日本の軍民に配布するんだ?という現実的な問題から、印刷されることもなく対日課の
ロッカーに、セクション21-Bの伝単原稿は溜まるだけであった。 やがて、制作者の彼らは周囲からはworthless five(役立た
ず五人組)と呼ばれるようになった。

 そのセクション21-Bのオフィスに、1942年の12月頃から、複数の陸軍や海軍の中堅将校が度々訪れるようになった。彼らは、
対日ラジオ放送の開局を模索する軍の情報部関係者であった。日本政府の「ボイスオブジャパン(VOJ)」や、もともとは、
日本海軍が将兵慰安用に運営していた「ラジオパシフィック(RP)」の英語放送といった米国向け短波放送に対抗する手段を
模索していた。包囲下のフィリピンはもちろんのこと、アメリカ領サモアなどでも、まともに、聞けるのはこれらの放送と
BBCのみであった。また、ハワイや西海岸、高利得なラジオならアメリカ中西部まで一般市民が受信できた。日本による
ミッドウェイ占領後は、中波放送までハワイに発信していた。また、フィリピンは、それ以前に中波で、アメリカ軍向け
の英語放送とフィリピン人向けのタガログ語放送が、現地のラジオ局周波数に隣接して発信されていた。
 英語放送には、二十代と思われる女性アナウンサーがよく登場して、「パーソナリティー」と名乗っていた。これらの
女性が単身で、または複数で行う、おしゃべりを楽しむようなスタイルの放送は目新しく、対米謀略放送と理解していて
も聞き込ませる魅力を持っていた。「横浜チェリー」や「東京リリー」といった女性人気アナウンサーや「ストリーム・
ジョー」という女性に人気のある美声男性アナウンサーには、中国のアメリカ兵捕虜やアメリカ民間人からファンレタ
ーやリクエストが殺到していた。

53名無しモドキ:2011/04/09(土) 19:44:54
 また、イギリス経由で発送された思われる、アメリカ兵士や一般人のリクエストも紹介されていた。ニューヨークで
トラップ一家のコンサートがあった三日後には、「Climb Ev'ry Mountain」や「Do-Re-Mi」が放送されるなど日本の情
報収拾能力の一端を見せつけるような事例も多々あった。 
 もちろん、娯楽的な内容ばかりではなく、ニュースや戦局解説の放送も流されており、Amazing Grace のメロディーが
流れるなか、淡々と船名、ないし船級が、撃沈位置とともに読み上げられる「撃沈された船舶」という放送でアメリカ側
が連絡のつかなくなった船の安否を始めて知ることもあった。
 沿岸航路の独航船や、単独行動が基本ながら対潜能力の低い沿岸警備隊船の場合は、この放送で救助された船員名が伝
えれることもあり、帰還しない船員の家族は毎日祈るような気持ちでその放送を聞いていた。また、「救助しようとした
が、アメリカ機が接近して救助が実施できず・・。」などという内容には、撃沈したはずの日本潜水艦よりも、知らず知
らずに、船舶を保護出来ず、最後の救命の機会を奪った、アメリカ軍という存在へのいい知れない虚脱感とも、怒りとも
言えない感情を育んでいた。

 これらの放送の有効性に、アメリカ軍が自分たちも対日放送と考えるのは当然であった。新たに謀略放送局の立ち上げを
準備を始めていると、すでにセクションB-21という謀略放送機関があり、予算逼迫のおりからこれを利用してほしいと財務省
からの要望があった。このため、セクション21-Bに、1943年、早々には陸海軍から共同で、人員と機材が提供された。
 そして、ハワイよりも距離的に日本に近いアラスカのダッチハーバーに、セクション21-Bの下部組織として「ラジオ・
アジアパシフィック(RAP)」を立ち上げた。日本本土には、短波ラジオは比較的少なかったが、日本は南は海南島、南洋諸
島から、北のカムチャッカ半島沖のコマンドル諸島まで面積の割には広大な地域に国土が点在してた。このため、東京から
遠い地域では短波放送が利用されていたことから、短波放送は有効な情報発信手段と思われた。

 日本の外務省対外放送分析局銚子受信所では、1942年1月14日にアラスカからの対日放送を受信した。当初の1週間は出力
が低く、市販の短波ラジオでは受信できないと思われた。メインアナウンサーは二人いて、一人はデイヴィッド・ナカマと
名乗って、沖縄方言らしき日本語を話した。これは、本土の日本人リスナーには聞き取ることが困難だった。外務省本庁の
沖縄出身者でも聞き取ることが困難で、戦前、沖縄で生活していたアメリカ人ではないかと推測された。もう一人は、
ジュリーと名乗っており、三十代くらいの欧米系女性と思われたが、ジュリーの放送は、樺太系アイヌ語で行われていた。
そのキリスト教的な言動から、キリスト教各宗派と東京外国語大学に紹介すると、以前、樺太でキリスト教の宣教を行って
いたアメリカ人女性ではないかと報告してきた。
 アメリカでは、アイヌ民族以外にも沖縄の日本人を、本土の日本人とは別の民族と考えているとの知見から、当初は、
少数民族の離反を狙った放送ではないかと考えていた。しかし、「アメリカの使命」とか「文明の光」などを抽象的に
説く退屈きわまりないもので、外務省の受信員が仕事で聞いていなければ、視聴者などいるとも思えないものだった。
 当初の放送は、試験的なものだったらしく、一週間ほどで、なまりはあるが、聞き取れる日本語を話すアナウンサー
に交代した。そして、重要な人物名が放送に登場した。前駐日大使の、ジョセフ・C・グルーである。彼は史実では、
「滞日十年」という本を出版している知日家である。そして、憂鬱世界では、その優れた洞察力から、抑制的な外交
態度や、理想的な発展をたどっている日本社会を理解した親日家であった。
 しかし、ロング大統領は、戦争決意後にグルーを解任して腹心を駐日大使に任命したため、グルーは夢幻会のメンバ
ーからも惜しまれながら帰国していた。グルーの解任は日本の開戦決意要因の一つであったと言われるほどの人物であ
る。グルーは帰国後も日本との友好を説く公演などを行ったため、列強の前大使としては、異例の外務委託顧問という
閑職に追いやられ、さらに津波で行方不明になっていた。

「親愛なる日本国天皇、国民、そして、友人でありました政府機関の皆様」で始まる30分の日本語による書簡の読み上
げという形式であり、グルーが帰国後に、いつか日本とアメリカ政府に対して発表する目的で書いたものという説明が
あった。

54名無しモドキ:2011/04/09(土) 19:51:10
 外務省、軍情報部などは、グルーの書簡かどうかということから、その内容の意図するところを早速に分析を始めた。
概略として、総合戦略研究所を始め関連政府機関に以下の報告を行った。
①−現在の戦況を反映した内容から、グルーの書簡ではなくグルーの名を騙ったものである。
例:「・・しかしながら、日本軍がアメリカ本土へ侵攻した場合はアメリカ人の一人として戦う」
②−戦争の非について、謀略放送ではありえない程、アメリカの責任を認めている。
例:「正統性に疑問のある奉天政府の冒険主義的な行為を容認して、日本を苦況に陥れ、ついには戦争という手
    段に追い込んだことは、アメリカ政府の大いなる政策上の誤り・・。」
③−講和の可能性とアメリカ側の条件を挙げている。政府機関の放送であるから、アメリカの発したシグナルと判断
  される。
例:「正当なるアメリカ領土ならびにその権益が保障される限り、福建共和国などの承認を含めて、この戦争を
     終結させる努力をアメリカ政府が放棄しないことを要望する。」
特に②と③から、降伏に近い条件でもアメリカは講和を行いたいという意図をほのめかしたと判断された。

 ところが、ハワイ沖海戦が終了すると、「ハワイ防衛戦」の成果を強調する内容に一変する。「ハワイから、空母から
攻撃隊が日本艦隊に襲いかかる。恐るべき波状攻撃!日本空母に痛打に次ぐ痛打。一度喧嘩を売ってきた相手は手を上げ
ても容赦はしない。それが、アメリカのやり方だ。」「損傷して退却する日本空母部隊を追撃する、アメリカ戦艦部隊は、
怯懦で無能な小沢が、自身が逃げるために、死地に置き去りにした劣勢な日本戦艦部隊を蹴散らした。日本の誇っていた
長門とやらは大破、アメリカ軍が捕獲したが、糞みたいな泥船だったので処分した。」「敗残日本海軍は夜の闇を利用
して逃亡しようとしても無駄だった。悪魔のごとき黒い瞳を持つ日本人は、神が与えた明るい光彩の白人兵に夜間視力で
大きく劣るため、ネコがネズミを狩るように夜戦では日本艦艇はアメリカ艦艇から一方的に狙い撃ちだ。」
「バイ提督は損傷して降伏した日本艦艇の救助を命じた。卑怯にもその艦艇は、バイ提督のいる艦橋に発砲しバイ提督は
戦死された。だまし討ちしかできない日本人は皆殺しにする。お前達は捕虜になる資格もない。」
「日本軍部は損害を隠微して、国民を欺いている。日本海軍にいる夫、息子、父親、兄弟に手紙を書け。多くは返事が
戻ってこないであろう。」

 検知困難な遅効性の毒を含んだ英国の海外向けBBC放送などは言わずもがな、ドイツやソ連の謀略放送の足元にも及
ばないあまりにも稚拙な内容に外務省や軍の担当者は驚いた。百歩譲っても国内向けだろうと・・。
 日本では、アメリカの放送を傍受すること自体は、禁止されておらず、その内容を検閲を経ずして、報道したり出版
することが禁止されていた。さらに、個人が口頭でも他人にその内容を広めた場合は、処罰の対象という規定があった
ため、警察がしばしば「別件逮捕」の理由に使用して戦後批判された。この例外以外では、赤信号の横断で逮捕されな
いようなものであり、警官がいないかどうかちょっと注意して(それもおもしろ半分に)ごく普通に話題にされていた。
政府は、国民には「謀略放送を聞く場合の注意」といった小冊子などを、しばしば配布しており、報道機関でも謀略放
送や伝単についての解説が度々行われていた。第一、多くの親類、知人の将兵が自分の周辺に、凱旋帰郷しているため、
これらの放送は、嘲笑を持って聞ける面白い内容ということで「仰天放送」と渾名され多くの国民が聞いていた。

 この放送の変化から、アメリカ国内では、継戦派と講和派が対立していると判断された。夢幻会の下部では、講和派
への接触によって早期の戦争終結を図れると考える人間が多くいた。しかし、夢幻会上部の人間は、継戦派が、死に体
のアメリカに対して「カンフル剤」のような役割を果たさせるためにどのような方策が取れるか思いを巡らせるので
あった。
 「仰天放送」は、英語版が開始されたとたんに影を潜めた。グルーの書簡放送が軍の権限を越えていると問題になった
ため、当初、専門家と見られていたシカゴのworthless five(役立たず五人組)が急遽、放送に穴を開けないため原稿を
依頼されたものが例の「仰天放送」であった。なお英語放送により、その内容を知った軍関係者をさらに仰天させたと、
日本側が知るのは戦後のことである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

55ごーごーごー:2011/04/09(土) 20:19:28
乙です。
何という仰天放送。
これは英語版で聞いた軍人たちはひっくり返るでしょう。
ちゃんと確認してからやらせればここまで恥をかかずに済んだのが、大本営発表よりひどい事に。

56辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/04/09(土) 20:49:41
投稿乙でした。

日系人が史実より少ないとはいえ、もうちょい日本語のできる人間を選べよと
言いたくなりますが情報関係者も外交関係者も軒並み死んでるんじゃ宣伝放送
なんていうデリケートな作業は難しいんでしょうねぇ。グルー大使も講和の
段階になったらきっと再登場するかもしれませんね

57New ◆QTlJyklQpI:2011/04/09(土) 22:02:08
グルーさんは日本を刺激する内容に激怒してるでしょうね。

58名無し三流:2011/04/09(土) 23:15:17
おおお乙であります。>>名無しモドキ様
私も1つSSを書いていたのですが、こちらはあっさりしすぎていて何とも・・・
とりあえず投下します。


***


 イギリスは、紳士の国である。
さらに言えば、権謀術数の国でもある。
権謀術数とは、平たく言えば腹黒という事だ。

 ドイツ第三帝国の外相リッベントロップも、
「イギリス人こそドイツ外交政策の最大の障害」
と主張して憚らず、英独停戦交渉の際には側近に
「連中(英国人)ほど執拗で面倒な者と言ったら、宣伝省のヨーゼフぐらいなものだろう」
とこぼしたと言われている(リッベントロップとゲッベルスは当時、敵対的な関係にあった)。

 そして彼の国は第二次大戦、大西洋大津波、日米戦争という歴史的な動乱が続く中で、
その権謀術数の能力を最大限に発揮していた。



        提督たちの憂鬱 支援SS 〜腹黒紳士と赤い巨熊〜



「イギリスと極秘の外交ルートを構築しろ」

 全てはクレムリンの主のこの一言から始まった。

 以前よりスターリンは日本に対し強い警戒心を持っており、
その日本と物資の裏取引の交渉が成功しない―――つまりソ連有利な取引にならない事を恐れていた。
そこで保険として、イギリスとも同様の取引を持ちかけるつもりでいたのである。

 さて、こうしてソ連が接近しようとしている事を察知したイギリスでは、
カニンガム卿を中心にしてこれに一旦応じると共に、先方の狙いを見極め、
今後の方針を決めるためにハリファックスらが関係閣僚を招集した。

「苦しいのだな、ソ連も」

「ドイツ人は『とあるスツーカ乗りが単身、敵戦車隊を撃滅した』とか、
 『とあるスツーカ乗りが単身、赤軍三個師団を潰走させた』などと随分威勢の良い事を言っていますが・・・
 戦況が泥沼化しているから、我が国を仲介に講和でも考えているのでしょうか?」

 ハリファックスの呟きに、カニンガム卿が答える。

「その"とあるスツーカ乗り"とやらにはアポイントメントが取れれば会ってみたいものだが、
 今の問題はソ連だ。カニンガム卿。それからあの国の内情で、何か分かった事はあるか?」

「食料の配給が遅れがちになっているようです。
 場所にもよりますが、最大で予定よりも3日程の遅れが出ているとか。
 後はオックスフォードの気象学者が例年よりも寒い冬が来ると予測しており、
 そこからソ連領の多くが寒波に襲われるのではないかと見られます」

「・・・連中は我々に飯をたかるつもりか?
 ・・・いや、有り得ん事ではないか、市民用の食料も戦場に送ってしまったとは笑えんジョークだが、
 どうもあの厚かましい髭面なら平然とやってのけてしまいそうな気がする・・・」

「ジョークとしてはかなり、場所を選ぶ方だと思いますが・・・私も同感ですな。
 食料は国家の基盤。それに困窮するという事は、屋台骨が腐っている事を意味します。
 加えて戦争のために民間用の燃料も十分でないと仮定したならば・・・」

「やれやれ、ちょび髭の方の国もかなり厳しいようだが、もう1人の髭の国もか」

「全くです。・・・それで、もしソ連の狙いが我々に物をたかる事・・・
 あまり上品な言い方ではありませんが・・・だったとしたら、どうしますか?
 今の所は向こうは何も言ってきていませんが」

59名無し三流:2011/04/09(土) 23:16:04
 駄目だあの国、早くなんとか(ryとその時ハリファックスが思ったかどうかは定かではない。
が、彼の口にした言葉は質問の主であるカニンガム卿の予想とは少し異なっていた。


「私は、前向きに考えても良いと思っている」

「"前向きに"ですか。はぁ、"前向きに"・・・では先方へはそのような返答をするようにします、が・・・
 例の対米戦略に向けて外交方針を修正しつつあるドイツ始め枢軸国との関係に危険があると存じますが」

「その心配は無い。枢軸国は経済的に困窮しており、起死回生の策とも言えるアメリカへの侵入も、
 あの海軍の弱小ぶりでは何もできんだろう。そこで彼らには必ず我が海軍の協力が必要となる。それに・・・」

「・・・それに?」

「我々には"脅威を持った敵"が必要だ。死に体のアメリカにも、宥和路線を見出そうとしているドイツにも、
 関係修復を図りたい日本にも"演じてもらう"事のできない敵が。それがいれば、
 植民地が反抗の機運を高めようともその敵の"脅威"を盾に我々は植民地の上に居座る事ができる」

「成る程、世界最大の版図を持つソ連が生きていれば、彼の国の圧力から保護するという名目で、
 インドなど重要な植民地の手綱を握り続けられるという訳ですか。確かにソ連は"敵"には適任だ・・・
 我々とはイデオロギーからして違うし、指導者の気質も中々好戦的。ふむ、考えてみる価値はありそうですな」

「それに、万が一ソ連が崩壊でもしたらあそこは枢軸国と日本の草刈場になる。
 あの二国があれ以上強大化するシナリオは大英帝国にとって好ましくない」

「アメリカと違って向こうには介入もし辛そうですからな。
 まあ、シベリアでドイツと日本が潰しあうのもそれはそれで有りですが」

「枢軸国とはこれまでの通りで、ソ連は・・・内情が本格的に不安定にならない限りは、
 ある程度の期待を持たせるぐらいにさせるのだ。リッベンドロップ辺りに知られると五月蝿いから、
 くれぐれも情報の管理には細心の注意を払うようにな」

「勿論です」


 かくして、イギリスはソ連と秘密の外交ルートを構築する事に成功、
日本同様の裏取引交渉に出たが・・・大英帝国が世界に誇る外交巧者ぶりに悩まされる事になるのであった。
あるソ連外交官によれば、イギリス外交官との交渉の際「相手の思考を読めたらいいのに」と本気で思ったと言う。


 ちなみに、当時のドイツ週間ニュースの独ソ戦に関する話題は、
その多くが『スツーカ乗りの中のスツーカ乗り』ハンス・ルーデルと、
『ドイツの狼』エルヴィン・ロンメルの挙げる戦果の話だった。その理由は彼らがヒトラーのお気に入りで、
また宣伝に都合良く良好な戦果を挙げていたからに他ならない。そして、極東は日本、夢幻会の一部人間は、
毎回のように『研究』と称し、嬉々としてドイツ週間ニュースのフィルムを入手していたのだった・・・


                    〜fin〜


最後は蛇足だったかもしれない(汗
あと、何故カニンガム卿らが日ソの裏取引について触れていないかについては、
①そもそも、日ソの裏取引を察知していない
②日ソの裏取引自体は察知しているが、"それ"と"ソ連のイギリスへの接近"とが結びつかない
のどちらかという事で・・・

今度は"徳球"こと徳田球一に企業家が転生して、
史実の戦前や戦後における労働運動の過熱・先鋭化を防ぐために奔走する・・・
ってSSを書いてみたいなぁ

60名無しさん:2011/04/10(日) 03:14:43
乙乙
次回も楽しみにしてますよ〜

61名無しさん:2011/04/10(日) 10:51:42
>とあるスツーカ乗り

ネタでもハッタリでもなく、『赤軍三個師団を潰走させた』ことを知ったイギリス閣僚の顔を見てみたいw

62名無しさん:2011/04/10(日) 14:33:25
アポイントメントが取れれば会ってみたいものだが、
「そんなの俺の知った事か!」と、一言で返事して出撃だろうね〜
今の彼の状態は2代目か3代目が後ろなのかな?

63名無しさん:2011/04/13(水) 09:27:20
1000行ったスレが二つになったので整理目的でage

64名無しモドキ:2011/04/13(水) 21:14:00
 先日は、間違って支援SSを別スレに投稿してしまいました。それは、パンドラというウィルスの話ですが、これが
アメリカ風邪になったかは不明です。これは、少し退屈な話になっているかもしれませんが、1950年代のアメリカ映
画の傑作を行方が気になりましたので・・。

「慕情〜マニラの黄昏〜」 Love Is a Many Splendored Thing
1954年公開 ブリティシュ・フォックス社、東映(特殊撮影)共作

監督 デヴィッド・リーン  特撮監督 円谷英二
配役 マーク・エリオット−ローレンス・オリヴィエ
ハン・スーイン・バーガー−李香蘭(山口淑子)
ジョナサン・バーガー−アレックス・ギネス
関口 護−上原 謙
音楽 Love Is a Many Splendored Thing(作曲者不詳)

詳しいあらすじ
 1942年春、フィリピン駐留米国海軍航空部隊のマーク・エリオット大尉は、アメリカから赴任そうそうに、町で
交通事故に出会う。エリオット大尉は、事故にあった子供を病院に運ぶために走ってきた自動車を停止させた。そ
の自動車を運転していたのは、日本の公使館員の関口護だった。彼は、事情を聞きくと快くエリオットと子供を病院
へ運んでくれた。エリオット大尉は、そこで、ヨーロッパ系アメリカ人と中国系フィリピン人のハーフである、女医
ハン・スーイン・バーガーに出会う。
 ハン・スーインの夫であるジョナサン・バーガー少佐は、米国海軍軍人であるが、顧問として中国巡洋艦に赴任
するため間もなく中国に向かうことになっていた。ハン・スーイン・バーガーは、エリオットが夫と同じ海軍将校
だとわかると、その送別パーティーにエリオットを招待した。パーティーの最中に、エリオット大尉はバーガー少佐
から「私がいない間や、私が死んだ時に妻を守って欲しい。その為なら自分の心も殺す。」と頼まれる。ハン・スー
インは、アメリカ人、フィリピン人双方からの距離を持って接しられていため彼女の知人が尋ねてきたことがなかった。
 そのために、バーガーはエリオットがスーインと親しい間柄であると勘違いしたのである。エリオットもスーインも
あらぬ噂が立たないように会うことを避けていた。
 その間に、エリオット大尉は、テニス場で関口と再開して、共通の趣味であるテニスを通じて親交を深めていた。あ
る日、エリオット大尉と関口がマニラの街角を歩いていた時、偶然に、ハン・スーインに出会った。何気ない挨拶をし
て彼女が去った後、関口はエリオット大尉に「君の目は、恋するものの目だ。そして、彼女は君に救いを求めている。」
と言った。
 そのころ、中国に赴任したジョナサン・バーガー少佐は、慣れない風習、情実が幅を利かす中国海軍の内情に悩まされ
ながらも出来る限りの努力をしていた。ある日、ハン・スーインから、今の家は広すぎるので引っ越しをしたが、元気だ
という手紙を受け取る。その手紙に、不安を感じたジョナサン・バーガー少佐は、休暇を願い出るが、彼のお香を無視し
て戦争準備に忙しい中国人司令官は、ジョナサン・バーガー少佐に巡洋艦の長期練習航海へ出るように命令する。
 数日後、マニラではエリオット大尉が、健康診断にかこつけて病院を訪ねる。ところがハン・スーインは病院を解雇さ
れていた。エリオット大尉が、看護婦を問い詰めて聞くと、ハン・スーインがしばしば、治療費を取らずにスラム街の子
供達を診療していたことが発覚したのだという。そのため、ハン・スーインを毛嫌いしていた中国系の病院理事が彼女を
病院から追い出したと言う。エリオット大尉が、あわててハン・スーインの家に駆けつけると、海軍将校の一家が引っ越
し荷物を運び入れている最中であった。聞くと空き家を紹介されたと言う。
 マニラの海軍基地に、ハン・スーインの転居理由と転居先を、担当の将校に聞きに行くと、「最近、海軍軍人の本国から
転属になる軍人が増えたために、一人で住んでいるハン・スーインが借りている家を譲って貰った。ハン・スーインは海軍
将校の家族会に入っていないので転居先は知らない。」と言う。エリオット大尉は「家族会に入っていなかったのではなく、
入れなかったのだろう。」とその将校を怒鳴るが力ずくで追い出されてしまう。

65名無しモドキ:2011/04/13(水) 21:17:33
 エリオット大尉は、其の夜に、関口とバーで飲んでいるときに、その話をすると、関口は「力になろう。」と申し出る。
数日後、関口から電話があり、直ぐに玄関に出てこいという。エリオット大尉が出て行くと、自動車に乗った関口が待っ
たいた。関口は、自動車をマニラのスラム街に乗り入れた。そこには、小さな診療所があり、大勢の貧しい人々が集まっ
ていた。果たして、診察をしている医師は、ハン・スーインであった。
 見つめ合うだけの二人、耐えきれなくなって「薬もほとんどなくて」とハン・スーインがこぼすと、関口が自動車から
段ボール箱一杯にはいった薬品を運んでくる。「日本人は、他人を訪ねる時は手みやげを持って行くんだ。」と関口は笑
いながら言う。

 やがて、日本との戦争が、避けられなくなったころ、帰国するという関口がエリオット大尉を訪ねてくる。関口は日本
海軍将校の軍服を着ていた。驚くエリオット大尉に、関口は「自分は見てのように日本海軍の大尉である。今まで騙して
いて悪かった。もちろん、わたしはフィリピンのアメリカ航空基地などの情報を収集していたが、君を利用したことはな
い。君との間は真の友情であった。そのため、もう二度と会うことはないのに、君を騙したままいくことはできなかった。
もし、君とどこかであえばこの借りは返そう。」エリオット大尉が、関口に所属を聞くと海軍航空隊だという。関口は別
れ際に「わたしは双発爆撃機で宙返りができる。」というので、エリオット大尉は「やっぱり、お前は嘘つきだ。」と関口
を罵るように言った。関口は、何も言わずに壁に掛かった乗機の前に立つエリオット大尉の写真を暫く見ていたが一礼を
して出て行った。

 日本との、戦争が始まった。ジョナサン・バーガー少佐は中国海軍巡洋艦に乗り組んでいたが、瞬く間に日本機の攻撃で
乗艦は沈没の寸前になる。中国人将校が逃げ出したため、残された中国人水兵を救おうと最後まで、揮指揮官として、でき
るだけ多くの救命ボートを下ろそうとするジョナサン・バーガー少佐だが、艦は大爆発を起こして彼は戦死してしまう。
 フィリピンでは、激しい日本機の攻撃で、乗機であるカタリナ飛行艇を破壊されたエリオット大尉が基地で無為なな日々
を過ごしていた。ある日、海軍基地で言い合いになった将校が訪ねてきた。「ジョナサン・バーガー少佐が戦死した。居場
所を知っているなら奥さんに知らせて欲しい」とエリオット大尉に戦死公報を委ねた。ハン・スーインの悲しみを思いやる
気持ちと、心のどこかでハン・スーインへの想いに対する障害が無くなったことに安堵している自分に嫌悪感を持つエリオ
ット大尉であった。エリオット大尉が戦死公報を差し出した黙って読むハン・スーインは、礼を言うと、「今日は、あの人
のために、一人で悲しみたいと思います。」と言ってエリオット大尉を帰した。
 数日後、悲しみも癒えぬままに、スラム街で医療活動を続ける、ハン・スーインのもとに、以前勤めていた病院の中国人
医師が訪ねてきた。彼は、自分は共産党のシンパであるが、それ以上に、ハン・スーインも中国人として中国の苦境に陥っ
ている人民のために中国本土へいっしょに密航してくれと脅迫するように迫った。ハン・スーインが、断ると二人の男が現
れて無理矢理に彼女を表に連れ出した。すると、手に角材などを持ったスラム街の住民達が集まってきて、ハン・スーイン
を捕らえている男達を取り囲んだ。「さあ、離して下さい。わたしの故国はフィリピンです。わたしはこの人達を同じフィ
リピン人です。」そう叫ぶとハン・スーインは男達の手を振りほどいた。男達は、ほうほうの体で逃げ出した。
 
 一方、エリオット大尉は、出動の命令を受ける。南部のミンナダオ島で医薬品が欠乏して、マラリアで倒れるアメリカ兵
が続出しているため、特効薬のキニーネの輸送を行うことになった。そして、夜間航法のできるエリオット大尉がその任に
選ばれたのだ。しかし、制空権は完全に日本軍に握られており、生還の見通しのたたない任務であった。このため、まだハ
ン・スーインに自分の想いを伝えていないエリオット大尉はハン・スーインに会わないまま出動するつもりだった。しかし、
出動の前日にハン・スーインがエリオット大尉を訪ねてきた。待合室で、従卒がエリオット大尉が明日、決死の飛行を行う
と聞いたハン・スーインは、エリオット大尉に、「どうかご無事に帰ってください。」と言って抱きついた。「きっと帰っ
てくる。」エリオット大尉はハン・スーインに接吻した。
 二人は、残された時間を惜しむように、街で食事をし、夕日を眺めるためにマニラ湾に出かけた。マニラ湾に沈む夕日を
背景に、抱き合う二人のシルエット。

66名無しモドキ:2011/04/13(水) 21:20:20
 翌日、エリオット大尉が操縦するはずのDC−3輸送機の調子が悪く出発は真夜中近くになってしまった。それ
でも、基地司令の命令でエリオット大尉は、DC−3をマニラから一路、ミンナダオの友軍基地に向けて出発させた。
幸いに日本軍機にも出会うことなかったが、ミンダナオが近づいた時には既に夜明けにあっていた。後部の銃座
から急速に接近する正体不明機を知らせてくる。たちまち横なぐりの銃弾がDC−3を襲ったおもうと、日本の双発
爆撃機がDC−3の直前を通り過ぎた。エリオット大尉は、被弾したDC−3を海面寸前の超低空に機動させて下面を
守ろうとする
 一方、日本軍機の機長は、あの関口大尉であった。関口大尉は「あのパーソナルマークは心当たりがある。」と
呟いた。エリオット大尉は、乗機には出身地のカンザスにちなんで、虹を背景に、ドロシーを模した女の子が立て
いる姿を描かせていた。関口大尉は、マニラの最後の夜にそれを見たことを思い出したのだ。再度、攻撃をしよう
と言う副操縦士に「あの機体には、白い十字が描かれていた。救急用の機体だ。」と言う。欺瞞の疑いがあると食
い下がる副操縦士に「アメリカってところは、結構、フェアーなんだ。第一、こちらも、波状攻撃をするには燃料
が心配だ。」と関口は言い返した。関口は、乗員に体を固定するように命令した。そして、爆撃機を宙返りさせる。
 その様子をDC−3の乗員らは、口を開けて眺めていた。「あんなことが出来る操縦士が日本軍にいるんですね。
どんな奴でしょう。」と言う乗員に、エリオット大尉は「一人知っている。そして、わたしは、そいつに謝らなけ
ればいけないんだ。」と答えた。やがて、日本軍機は離脱していった。

 マニラの朝、ハン・スーインが、診察の準備を始めている。鏡を拭いていると、鏡にヒビが入った。その、鏡に
うつる不安げなハン・スーインの顔。

 ミンナダオの飛行場に降り立つエリオット大尉のDC−3。無事に着地したかと思うと、左の主脚が折れて傾きな
がら滑走路を高速で滑るDC−3。「くそ、さっきの被弾で脚がやられてたんだ。」操縦桿を握りながらエリオット
大尉は必死に機体をコントロールしようとする。しかし、その努力も虚しく燃料用のトレーラーに激突する。大爆
発を起こして炎上するDC−3。

 マニラのスラム街にアメリカ軍のジープが止まった。そこから降りてきたのは、海軍基地の将校と、エリオット
の従卒である。彼らは沈痛な顔で、ハン・スーインの診療所に向かう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−       

 現実が厳しいだけに、オリジナルより苛酷な物語です。音楽ではオリジナルの作曲家であるサミー・フェインが
ニューヨークで活躍した人ですから津波で死亡した公算が高いです。ただ、映画史上に残る名曲ですから、作曲者
不詳という形で世に出ています。また、特撮では、本物の95式攻撃機をスタジオで、俳優を乗せたまま一回転さ
せて、宙返りの場面を撮影するな大がかり仕掛けが採用されたました。

67名無しさん:2011/04/13(水) 23:32:03
むう……南無
おつでした

68New ◆QTlJyklQpI:2011/04/14(木) 00:08:08
コノミンとかが腕によりをかけて特撮技術を提供しそうですね。

69第4の男:2011/04/14(木) 00:55:07
史実ハリウッドの名作メロドラマが反中風味の効いた英日合作になっている
あたりが面白ですねぇ。巨匠D.リーンの監督ですか。次は「第3の男」を
占領地北米を舞台にリメイクしたら!?いじらないでもまんまいけちゃいそう
ですけどね。

70ごーごーごー:2011/04/14(木) 15:22:02
乙です!!
カサブランカは無理でしょうね……
なにせ、カサブランカからリスボン経由で亡命する先の北米がこの様ですから。
それに、リスボンも消滅してしまっていますしね。

71名無しさん:2011/04/14(木) 18:22:37
史実ではアメリカが勝ったから戦死しても悲劇ですむけどアメリカが滅亡した
この世界では悲劇どころじゃすまなそうだからあえて戦死しなかったという
救いのあるエンディングの方が売れるかも。

中国人が悪者の映画はそれなりに制作されるかもしれないけど福建という
同盟国もいるわけだしあまり露骨にやるのもまずいかも。福建をカンフー
映画の総本山にしてしまうというのも一つの手ではないでしょうか

72辺境人 ◆WvgPQuc/WQ:2011/04/14(木) 20:25:45
投稿乙でした。

ハリウッドも果たして生き残れるかどうか……戦後は映画どころじゃないと
映画を作る資金も乏しくなりそうですもんねぇ。もう史実のアメリカ映画は
ほとんど観れないのでしょうね……賛否はあれどアクション映画やホラー映画
といった不朽の名作とは言わないまでもそれなりに人気のあった作品も発表
されないのかもしれないと思うと悲しくなります。日本人が日本人俳優を使って
撮影しても同じものはきっと作れないでしょうしね……

73名無しさん:2011/04/14(木) 21:35:03
名俳優達でも亡くなった人もいるでしょうからねえ
この時期、東海岸に住んでた人ってどんな人がいたのかな……

確かに色んな映画が撮影される事なく終わりそうです

74名無しさん:2011/04/14(木) 21:56:10
米財界も西海岸に移動するでしょうし、ハリウッド映画ファンの逆行者もいるでしょうし、大丈夫じゃないでしょうか。
映画はアメリカの文化という精神がありますし、アメリカ人への情報操作という意味では日本映画より、日本資本でもハリウッド映画の方が受け入れやすいですしね

75名無しさん:2011/04/15(金) 20:27:19
支援ssのまとめwikiとかってまずいんでしょーか

76名無しさん:2011/04/15(金) 21:18:42
いんじゃね

77 テツ:2011/04/15(金) 21:59:00
クリント・イーストウッドなどが出演して、日本でも人気だったマカロニウエスタンも多分日の目を見なくなりそうだ・・・

78名無しさん:2011/04/15(金) 23:17:36
>>77
倉崎三十一式戦闘機 "火狐"
マッハ5以上の飛行速度とレーダーに一切映らないステルス性能、
そして何より火器管制の全てを思考するだけで操作できる。

世界の軍事バランスが崩れることを恐れた某国は、元空軍少佐
ミッチェル・ガント(C・イーストウッド)にこの機体の奪取を命じた・・・

「日本語(2○h語)で考えるんだ!」

近日ロードショー

79名無しさん:2011/04/16(土) 01:57:49
ステルスって辺りでエディを思い出した
あの映画だと聖書か何かを読ませてたけど、エロ同人とかを詰め込んだらろくな結果になりそうに無い

80ham ◆sneo5SWWRw:2011/04/16(土) 15:09:47
>>73-79
>>1をちゃんと読みましょう。

81名無し三流:2011/04/17(日) 13:25:42
 SSって書けない時は全然書けないん物なんですね。
とりあえず、前回予告したSSまでの繋ぎとしてソビエトロシアが誇る"例のアレ"のSSを。



***



 人と犬との主従関係は古くから育まれてきた。
人は犬に狩猟の補助、事件の捜査、家族の一員などの様々な役割を与え自らの社会に組み込み、
また並行して軍隊とも深い繋がりを持つようになっていた。そして20世紀のソビエト連邦。
かの国で、犬にまたひとつ新たな役割が与えられた。


 "対戦車犬"。"スイサイド・ドッグ""自爆犬"という俗称でも知られるそれは、
爆薬を背負った犬を敵戦車の下に潜りこませ、そこで爆薬を起爆させる事で敵戦車を破壊する、
というもので、これが当時の赤軍内部では有力な攻撃手段として実際に使われたのである。



        提督たちの憂鬱 支援SS 〜対戦車犬にまつわるある逸話〜



 最初に対戦車犬による攻撃が始まったのは1942年。独ソ開戦の後になる。
実戦への投入に遅れが出たのは、当時の赤軍にいわゆる"冬戦争ショック"の影響で開発された
新型兵器があったこと、そしてソ連上層部がドイツ軍の能力を軽視していたことが原因として挙げられている。
何にせよドイツ軍をなかなか撃退できず所持戦力を磨り減らしていた赤軍は、
企画止まりとなっていた"対戦車犬"計画を"安上がりだから"という理由で採用した。


 そして、記録されている中で初めて対戦車犬の攻撃を受けた部隊は、
すぐにその意図を見抜いて車載機銃などで銃撃したが、不慣れな攻撃への戸惑いから、
うまく迎撃する事ができず3台のトラックを破壊されてしまったという。

 以後対戦車犬に遭遇した部隊はエンジン音で嚇かして追い払おうとしたり、
中には近隣を飛行していたスツーカに急降下と超低空飛行を要請したり、
果ては戦車へ火炎放射器を搭載する事が真剣に検討されたが、
1943年に入ると「食べ物(肉など)を放り投げる」という単純極まりない対処法が確立された事で
(この対処法はロンメルの考案によるものだとされているが、一切証言は無く単なる噂とされている)、
その戦果は急速に減少。赤軍側でも対戦車犬の扱いが難しいという苦情が上がり始めた事によって、
とうとう廃止が決定された。ソ連の対戦車犬はたったの一年ほどでその役目を終えたのである。

82名無し三流:2011/04/17(日) 13:26:18



 そんな対戦車犬であるが、このような逸話が残っている。



 ある日の深夜、あるドイツ軍部隊の陣地で数十匹という犬の吠える声が近づいてくるのが聞こえ、
見張り番は対戦車犬の夜襲ではないかと慌てて警報を発し、寝ていた兵を叩き起こすと
サーチライトを鳴き声のする方角へ向けたが、そこにいた犬の大群は一般的な対戦車犬のように
背中に爆薬を背負ってはおらず、また総じて痩せていたが特に変わった所は無かったので皆不思議がった。

 だが、誰かが犬のうちの1匹に封筒が結わえ付けられているのを見つけ、
それを恐る恐る開けて除いてみると、中には何枚かの便箋が入っていた。
便箋にはロシア語で文章が書かれていたので、ロシア語の分かる士官に翻訳してもらった所、
それを書いたのが赤軍の対戦車犬の飼育係であると告白する所から始まり、
今までごく普通の伍長だった自分が突然、上から沢山の犬の世話を頼まれた事への戸惑い、
犬用の餌が僅かしか渡されない事と教えられた餌の渡し方が『燃料の臭いを染み込ませ、
装甲車両の下に隠し犬に自力で探させる』という物だった事への疑問、
世話をしていた犬達が爆薬を背負い敵戦車へ突撃する"対戦車犬"だった事を知った時の衝撃、
それでも祖国のためと思い命令通り犬達を世話していたのだが、己の運命も知らず懸命に、
愚直に戦車の下へと潜り込む犬にだんだんと情が移ってきてしまい、
ついに彼らを自殺と同様の攻撃へ向かわせる事への罪悪感に耐えられなくなって、
犬達を基地から脱走させようと決意した事、そして最後に、
『私にはドイツ語がさっぱり分からないので仕方なくロシア語で書いたが、
 もしこの手紙の中身をあなた達ドイツ人が理解してくれたのであれば、
 どうかこの可哀想な犬達の面倒を私の代わりに見てやってほしい。そして、
 彼らが二度とこんな残酷な運命を与えられないようにしてほしい』
と締めくくられていたと言う。



 この手紙の内容を真に受けた件のドイツ軍部隊が周囲を捜索した所、
陣地付近の森で赤軍兵士の死体が発見され、またその側でも犬が何匹か盛んに吠えていた。
この後も捜索は続けられ、最終的に部隊は合計101匹の犬を保護する事に成功し、
その犬達と対戦車犬飼育係の手紙が後方へ送られた。
そしてこの話はドイツ国内に一大センセーションを巻き起こしたのである。

 このセンセーションは、宣伝省が手紙をドイツ語に翻訳した本を出版したのが全ての発端である。
この本『伍長の手紙』は発売から一ヶ月でミリオンセラーとなり、人々は口々にこの"美談"を賞賛。
その週のドイツ週間ニュースは『小さな命か!!冷酷な命令か!!無名のソビエト兵士、魂の決断!!!!』
という何処かのワイドショーか週刊誌のようなタイトルでこの話の一部始終が脚色たっぷりに語られ、
ドイツ軍陣地の側で死体で見つかった身元不明の赤軍兵が何時の間にか『飼育係の伍長』という事になったり、
赤軍の"対戦車犬戦術"なるものが如何に残忍・非道であるかという解説が長々とされたりして、
最後にエルヴィン・ロンメルがドイツの軍用犬について解説を挟むという、色々と盛りだくさんの内容となった。

 このニュースが放映された後、にわかに起こったこの『犬ブーム』はさらに勢いを増した。
国防軍には「保護された犬達を是非我が家で引き取りたい」という手紙が殺到し、
「こんな残酷な事をするコミュニストを早く打倒してほしい」と嘆願する署名まで送られてきた。
時間が経つと美談に尾ひれが付き出して、最初は名前すら分からなかった飼育係が何時の間にやら勝手に
『ベルコフ伍長』と命名され、件の赤軍兵の遺体も回収されてすぐにベルリンの墓地に手厚く埋葬された。

 そして、一連の騒動はヒトラー及びナチスの重要人物がこの話を取り上げた演説をした際にピークを迎え、
それ以後はある程度沈静化する事になる。だが、この逸話は『ベルコフ伍長と101匹の犬』として、
静かに、しかし着実にヨーロッパ圏内では割とポピュラーな話へと成長していき、
一部の国では政治的な要素だけ排して教科書に載せる所もあったと言う・・・

83名無し三流:2011/04/17(日) 13:27:07


★おまけ 『ベルコフ伍長と101匹の犬』の後日談


 さて、国民感情へのカンフル剤としては大成功とも言える物語『ベルコフ伍長と101匹の犬』だが、
この逸話に関しては様々な議論が起こってきた。その主な主題としては、以下のようなものが挙げられる。


①そもそも、これは本当にあった話なのか?
『犬ブーム』の初期にイギリス、日本などでよく議論された。
だが、これは犬の回収や赤軍兵の遺体を実証するもの(記録及びドイツ側当事者の証言)
に捏造が無い事が分かると一気に下火となった。今この話題を議論しようとすると、
多くの場合は疑り深い人間と見なされる(相手がこの逸話を知っている事が前提だが)。

②『伍長の手紙』『赤軍兵の遺体』は捏造ではないのか?
上記の話題とやや矛盾するかもしれないが、この話が美談と呼ばれる由縁である『伍長の手紙』
についての捏造疑惑はまだ晴れていない。ソ連側に関連する資料が残されていなかった事
(ただし、対戦車犬が配備された部隊に最低1人の飼育係がいたことは認めている)、
当時のドイツの性格からして捏造の可能性は十分にあるという事が大きい。しかし、
それにしてはドイツ軍部隊の反応が自然すぎるとする者もおり、決着は付いていない。

赤軍兵の遺体については、これと『飼育係の伍長』の両者を結びつけるような決定的証拠が全く無く、
こちらについては懐疑派が伍長の手紙よりも多くなっている。
当時の赤軍は『脱走兵は即射殺』の姿勢を取っており、遺体の側頭部に拳銃の弾痕があった事から、
「あの死体は犬の話とは別件、単に脱走した所を追いかけられ射殺されただけ」とする者達と、
「彼は犬のためとはいえ祖国を裏切った自分を責め、側頭部に拳銃を当てて自殺したのである」
とする者達が対立している。こちらも決着は付いていない。

③実は赤軍側が組織的に行ったのではないか?
当時、ドイツ軍は対戦車犬の攻撃に少なからず悩まされていた。
赤軍側がこれを利用し、ハラスメント攻撃として大量の犬をドイツ軍陣地に乱入させたのではないか、
とする説もある。赤軍の物資の困窮もまたよく語られるので、それと結びついて
「ソ連は対戦車犬用の爆薬も十分に用意できなかったから、犬だけ突入させたのだ」と言う者もいる。
また、②の話題と結びつけて「赤軍は何らかの理由で丸腰の(?)犬をドイツ陣地に放ったが、
ドイツ側がこれを手紙や遺体で上手く脚色して美談に昇華させてしまった」説を取る者は少なくない。
だが、当のソ連は対戦車犬を"失敗"と見なして関連資料を全て処分してしまっているので実証はできない。


 と、三つのうち実に二つの主題に決着が付いていない事になるが、
ある批評家はこれを取り上げて「いや、私は思うんだけどね、これ決着なんてもの付けたって全然つまらないよ。
こういうのはみんなでワイワイと大雑把でも良いから中身を話して、『ああ、いい話だなあ』で終わるのが一番良いの。
家の設計をするのでもあるまいし、正確を求めるのは野暮ってもんじゃないですかねぇ?」と新聞に寄稿したのであった・・・



                    〜fin〜

84yukikaze:2011/04/17(日) 14:29:33
投稿お疲れ様です。

最後の批評家の台詞がツボにはまりました。
確かに真相を追究するのってこの手の話ではヤボですから。

そういやNHKでも軍用犬のドラマがあったけど、ツイッター上では

ミリオタ→「時代考証滅茶苦茶じゃねーか。しかも最後は愛犬家にケンカ売るようなコメントだぞ」
それ以外→「イイハナシダナー」

だったですねぇ。

85New ◆QTlJyklQpI:2011/04/17(日) 15:05:25
対戦車犬として教育するより前にソ連兵の食料になりそう。

86名無しさん:2011/04/17(日) 16:26:24
対戦車犬は、訓練はロシアの戦車でやったからいざ実戦になったら訓練通りロシア戦車に
潜り込んで自爆したり、昨日まで可愛がってくれた飼育係にじゃれついて爆発したりと
さんざんだったからな。

ところでこのベルコフ伍長と101匹の犬はいつゲッペルスは映画化するんですか?

87yukikaze:2011/04/17(日) 17:29:37
設定でやるべきかで悩んだんだが、痛い子中隊のSS考えながら思ったことがあって

彼らが使う97式双戦は、史実のキ−102準拠な訳だけど、同一の機体で
高高度用戦闘機と襲撃機って両立できるもんなのかいな?
まあモスキトーという例はあるわけ何だけど、低高度運動性能と、高高度での高速性というのは
両立するのが難しい訳で、低高度用に翼面積の大きな翼にした場合、高高度戦闘機として何か
利点がありましたっけ?

88名無しさん:2011/04/17(日) 18:40:45
目標とする高度で、十分な出力を出せるエンジンがなければ、高アスペクト比の細長い大きな面積の翼で揚力を稼ぐしかない
だからレシプロ時代の高高度戦闘機って翼大きいよ。
低速低高度でも、高アスペクト比の低翼面荷重の大きな翼が有利だから高高度と低高度での最適な翼は
実は似ている。

89New ◆QTlJyklQpI:2011/04/17(日) 20:15:22
装甲板があっても外せばいいし高高度戦闘機でも少し態勢を崩せば高度がかなり落ちるからね。
結局のところは安定性なのかも。

90ham ◆sneo5SWWRw:2011/04/17(日) 21:23:33
>>87-89
なんで、>>1を守ってくれないのかな?

91New ◆QTlJyklQpI:2011/04/17(日) 21:29:32
やっぱりこの話は設定スレでやるべきだったか(汗)。

92yukikaze:2011/04/17(日) 21:52:34
提督たちの憂鬱支援SS 死天使達の競演

第7飛行集団第3飛行戦隊第2中隊。
構成員は『ドイツ医学ですら敗北を喫した』と称されるほどの重度のオタ集団。
まあ当然の事ながら、嫁の来てなど誰もいない。もっとも、彼らは「俺の嫁は二次元にいる」と公言し、
周囲をどん引きさせ、親兄弟を号泣させていたのだが。
そうしたことから、彼らは何時しか『痛い子中隊』と(侮蔑を込めて)呼ばれるようになったのだが、
当人たちにとってはどこ吹く風の毎日を過ごしていた。

「須川耕太中尉、入ります」

そう言って須川が部屋に入ると、そこには第3飛行戦隊戦隊長である高木順一朗大佐が
何時もどおりの飄々とした表情を浮かべて出迎えていた。

「おう、ご苦労さん。コミケで忙しいだろうに自由時間を潰してすまんな」

(相変わらずだよなぁ。このおっさん。本当に陸士や陸大をトップクラスで卒業したエリートなのかよ。
夢幻会の逆行者を除けば杓子定規で洒落のわからん連中ばかりなんだがなぁ)

そう思いながらも、須川達、第2中隊の面々にとっては、この『社長』(第2中隊の高木に対する渾名)の
性格は決して不快ではなかった。
何しろ、大抵の上官は、彼らの言動や趣味に対して眉を顰めるものが多く、そういった趣味を止めさせるよう
命じた者は両手では数え切れないほどである。
無論、彼らはそういった『助言』など聞くはずもなく、半ば厄介者払いの形で転属されたものたちが集まったのが
『痛い子』中隊であった。

しかしながら、高木は『職務に支障がない限りは』という注文はつけたが、それさえ守れば、彼らの趣味や言動に
制約らしい制約はつけようとはしなかった。
何しろ、中隊の一人が、愛機にアイマスのキャラのノーズアートを描いた所、怒るどころか『これは面白い』と、
全機に自分の好きなキャラの絵を描いてよいという許可まで出したのである。
これには陸軍省などからクレームが来たのだが『自分の好きなキャラを描いてある以上、彼らは不用意に機体を被弾させない
だろうし、実際そのための研究に余念がない』と、第2中隊が纏め上げた戦術機動についての詳細なレポートを送ることで
黙認されることになる。(これにはMMJの暗躍もあったとされる)

「で・・・機体の調子はどうだい?」
「ばっちりですね。Sランクにプロデュースされていますよ」

自信たっぷりにそういう須川であるが、彼の自身も過信ではない。
彼らが操る九七式双戦は、彼らの任務である地上襲撃に最も適した能力を与えられるよう
(彼ら自身の手で)徹底的に問題点を洗い出し、そしてそれをフィードバックさせた
改型と評してよいものであった。
具体的には、機体下面に防御装甲を追加させ、更に翼の強度を上げさせる事で、両翼にロケットや
クラスターを複数装備させることを可能にさせている。
また、後方からの襲撃対策として、史実モスキトーにあった後方警戒レーダーや、後方機銃の配備
加速用のRATOなど襲撃中の奇襲攻撃にも対処できるように、様々な工夫を凝らしている。
(他にも40ミリ機関砲を胴体ではなく、ガンポット方式にしたり、20ミリ機関砲を半減し、その分装弾数を増やしている)

もっとも・・・こうした改修を執り行ったことで、機体の重量が増加してしまい、最大速度が50キロ近くも
低下(低高度での運動性を維持する為翼面積を増やしたのも大きかった)したのはマイナス点であったが
そもそも襲撃機の場合、航空優勢が確保できていない戦場ではもろいと『痛い子中隊』の面々は認識していた為、
許容範囲とされていた。

「成る程。それを聞いて安心した。では君達に2つのニュースを伝えよう。グッドニュースとバッドニュースだがどっちがいい?」
「勿論グッドニュースで。それ以外は聞きたくはありません」

93yukikaze:2011/04/17(日) 22:25:08
並みの人間ならその発言だけで『ふざけるな』と怒鳴りつけるだろうが、
高木は苦笑を浮かべるのみであった。
正直、この程度のことで怒っていたら、始終怒鳴りっぱなしだろうし、
それに何より、彼らは戦力として非常に有用なのだ。

「ふむ。グッドニュースだが、君達第2中隊全員に5日間の休暇が与えられる。
確か君たちが行きたがっていたコミケの日じゃなかったかね?」
「マジで・・・」

須川は掛け値なしに驚いた。普通、中隊のパイロット全員が休暇をもらえるなんてありえない。
さしもの彼らも、その事だけは理解していたので、ローテーションを組んで「遠征組」と「居残組」
に分けており、今回のコミケでは彼は居残り組だったのだ。

(よっしゃぁぁぁっ!! これで今回ふしみんの新作が即getできる。千早(俺の嫁)が俺を待っている!!)

そう歓喜に震える須川であったが、高木の次の一言で一気に我に返る。

「喜んでもらってありがたい。大いに楽しみたまえ。休暇後は直に舞台は大陸移動だからな」

それを聞いた須川の顔は「お前は何を言っているんだ?」といっても良い顔であった。

「戦隊長殿。今、何と仰いました?」
「大陸への移動だよ。戦争だ」

再度そう告げると、高木の顔はさっきまでのひょうひょうとした態度は消え、厳しい顔つきになる。
その変化に、須川も慌てて態度を切り替える。重度のオタではあるが、彼もまた職業軍人であった。
流石に話が戦争になると、本能的に軍人としての態度を見せる。

「最早、日米での避戦の可能性は絶たれたと言っていい。5月末の一件以降、連中は聞く耳持たずだ。
太平洋は海軍さんがなんとかするだろうが、大陸はこちらが何とかするしかない。
だが、陸上兵力では向こうさんが上だ。その為に、襲撃機部隊である我等にお声がかかったわけだ。名目上はな」

そう言って、高木は思わせぶりに笑みを浮かべる。

(名目上は? つまり裏の意味があると言うのか? 確かに中国の兵力は膨大だが、あんなもんは陸相自慢の機甲部隊
による包囲殲滅で片付けられるし、アメちゃんの軍隊は機械化はされて手ごわいが、それでもうちの機甲科なら対処可能だし
おまけに大軍の殲滅なら、俺らよりも爆撃隊の連中の領分だろう。俺たちの主敵は強大な機甲部隊。まさか・・・)

ある事実に思い当たり、慌てて高木の顔を見ると、高木は凄みのある笑みを浮かべて回答した。

「そうだ。我等は大陸で米中軍に派手に暴れることで、この戦場を注視しているソ連軍に対する抑止力となる。
下手に火遊びをすると、大火傷どころか焼死することになると思わせるくらいにね」

(ヒデェ話だ。米中軍はソ連をびびらせる為の当て馬かよ)

そう思いながらも、須川は彼らに同情するつもりは一切なかった。
何故なら須川にとって見れば、オタ三昧が許されるのは平和であるが故であり、平和を乱す連中は
誰であろうと許しがたい存在であったからだ。

「了解したかね、須川中尉。では任務に取り掛かりたまえ」

高木の命令に、須川は惚れ惚れするような動作で敬礼をすると、一目散に部屋から退出した。
まずは部隊のみんなに福音を告げ、そして来るべき戦場への準備を始めなければならないからだ。

後に、第7飛行集団第3飛行戦隊第2中隊は、その圧倒的なほどの破壊力を、大陸のあちこちに
これでもかと見せつけ、終盤には、彼らの姿を見るだけで、士気が崩壊し、降伏した部隊もあったとされる。
彼らの愛機には、例外なく美少女たちの絵が描かれていたことから、何時しか彼らの部隊は『冥界の使者』『死天使』
と畏怖されることになるのだが、それは又未来の話である。

94ham ◆sneo5SWWRw:2011/04/17(日) 23:02:23
>>92-93
yukikazeさん、乙です。
「ドイツ医学ですら敗北を喫した」とは・・・、夢幻会オタ軍団恐るべし。
アメリカが陥落するのが先か、それとも嶋田さんの胃が陥落するのが先か・・・。

「冥界の使者」「死天使」か・・・。
まぁ、既に閣下がいるし、他も72とか、ババァとか、スコップ少女とk・・・・・・。



ここで文章は途切れている。

95New ◆QTlJyklQpI:2011/04/17(日) 23:02:29
親に勘当されてる奴らもいるだろうな・・・・アメリカも明細の要領で双発機に絵を描いてそう。
フシミンどんだけ人気なんだw。

96 テツ:2011/04/17(日) 23:38:14
投下乙です

パエッタ社長の声が脳内で自動再生されるw
須川P、重度のオタでも技量甲なんですね。やはりオタ、自分の興味のあることには命の一滴までのめりこむw

97名無しモドキ:2011/04/18(月) 21:27:02
またまた、地味話です。

「ハワイ沖海戦外伝」−その3−

地方紙共同企画 日米戦争秘話   その21  闇の見張兵 1966年5日14月京都新聞朝刊

 岩田義晴(52)さんは、大分県関漁港でも名の知られた腕のよい漁師である。漁師の次男に生まれ、小学校を卒業する
頃には、自分の船を持って漁師になりたいと思っていたという。

 うちは、そんなに裕福ではなかったからね、漁師になっても、船長が兄貴で、その下で漁師やるしかなかったですな。
でも、小さい頃から負けん気だけは、強かったから、兄貴が嫌いなわけじゃないけど、ずっと兄貴の下でいうのが嫌で
ね。せめて、勉強だけは負けんとと頑張ったんですわ。
 おかげで、小学校高等科を卒業する時に、中学校への編入試験を受けて見ないかと担任の先生が言ってくらたんです
よ。けど学費の心配もあったから海軍の少年志願兵を受けたんですな。三食付きの寮に入れてくれて授業料は無料でし
たからね。午前中は、教練でしごかれますが、希望者は午後から定時制中学校へ通わせてくれて、中学の卒業資格も取
れるというので、あの頃は五六倍の難関でしたな。親父や兄貴は、漁師になるのに中学校へ行く必要があるのかと笑っ
てましたが、後で機関士や無線通信資格を取るのには役立ちましたよ。

 19歳になると4年間はお礼奉公で、軍務に就かなくてはなりません。わたしは、中学校へ通わせてもらったので、
5年のお礼奉公でした。でも、給与が出るようになって嬉しかったです。まあ、色々誘惑もありますが、給与を天引き
で定期預金する制度もありましたから、上官の薦めで大概はそれを利用して除隊する頃には、ちょっとした小金を貯め
ることができるんですな。最後の1年になると、何割かが兵長に任命されます。まあ、餌みたいなもんです。このまま
海軍に残らないかというわけですな。ええ、わたしも任命されましたよ。

 わたしは、自分の船が欲しかったから、まだまだ、資金を貯めるために、その、まま海軍に残りました。ただ、今度
は残るために、下士官になる必要があるんです。下士官になるのは、海軍の各種学校へ入学せねばなりません。航海学校
と機関学校は、花形で倍率も高かったです。将来、一人で漁師するのなら、発動機のことも知っておくほうがいいかと機
関学校を志望しました。まあ、座学では自信がありましたから行ける思っていました。
 ところが、分隊長に呼び出されましてね。「岩田は機関学校へ行く点は満たしているが、資質を磨くために、通信学校
の索敵観測技術科へ志願変更しないか。」と言われたんです。索敵技術なんて考えたこともありません。でも、海軍も欲
しい人材を、適所にってことで、志願変更を進められるのは見込まれてたってことだ。志願変更を進められたものは比較
的昇進が早いって噂もありました。それで、見込みがあるとされたなら昇進して、船の頭金と漁具を買う金を貯めれるか
なくらいの考えで志願変更を申し出てました。

 一応、通信学校ですから基礎で一通りの通信技術をたたき込まれます。で、半年すると専攻へ進むんです。索敵観測技
術には、そのころ、導入が始まった電探なんかを教える課程がありましたが、わたしは、見張り員の養成課程に入れられ
ました。見張り員といっても、下士官として兵に、その指導ができるまでの技量が要求されました。でも、技量といって
も、昨日まで、同じ講座仲間が、なんか凄そうな機械をいじっているのに、こちらは、双眼鏡を持たされて、おまけに昼寝
さされては夜に何時間も、特務哨戒艇に乗せられ、体をぐるぐる回して水平線を眺めさせられる。特別食だといって、レバ
ーやらブルベリーのジャムをやたら食べさせられる。目の体操だといって、1時間は自分で目のまわりのマッサージをささ
れます。
 半年くらいしそんなことをして、終了前の2泊3日で、演習航海に出たときです。電気通信の課程にいった奴とたまたま、
夜のデッキで一緒になりましてね。「さっきの流木はぶつかりいそうになって危なかったね。」と言ったら、「どこだ。」
というんで指さしても「わからん。見えん。」と言うんですな。はっきり見えてるのにおかしいな。そうか、これが訓練の
成果かと納得しました。

98名無しモドキ:2011/04/18(月) 21:31:22
 其の後、二等兵曹に任官しました。まあ、二三年海軍で過ごしてと思っていたら、フィンランドで戦争をはじめるは、
ドイツとの戦争が始まるで、辞めるに辞めれなくなりまして、アメリカとの戦争が始まった時は、新任の少尉なんかは
遠慮するっていう、古手の一等兵曹にまでなってました。長い間、巡洋艦の妙高に勤務してましたが、その頃に、戦艦
鞍馬に転属になりました。当時の新鋭艦ですからね、嬉しかったですね。今じゃ珍しくありませんが、冷暖房完備で、
シャワー完備なうえに下士官以上は毎日風呂に入れました。
 しかし、そんな新鋭艦でも、見張り員の居場所は外です。専門の見張り員というのは、戦艦みたいな大きな艦艇でも、
五六名ですかね。航海分隊などの甲板勤務の下士官や水兵は、交代で通常航海時に見張り当番が回ってきます。わたし
は、次席下士官でしたから、それらの兵員の教育らや、見張りシフトを作るのが通常の仕事です。

 それで、見張り員は、案外、戦闘海域に近づかない様なときは雨風に打たれることは少ないんです。そうは言っても、
技量を維持するためにもまったく見張りを他人に任せることはできません。艦橋の左右に出張るような見張り所で凍え
ることも多かったです。凍える経験が、多いのは戦闘海域以外に、見張り員がカバーするのは実は本土沿岸なんです。
ここは、船舶の航行も多いし、漁船が操業しています。
 電探で、目標を見張っていても、実際に目視をして、相手がどのような船で、どのような行動を取ろうとしているか
判断しなければなりません。これは、今でも、電探にはできないことですからね。それを、艦橋へ的確に報告する。見
張り員は、多分、艦長を含めて、一番、将校を話す兵種でしょうな。その時に、気後れしていては、見張り員は務まり
ません。

−オフレコ部分−三年ほど前に巡洋艦が、漁船に衝突した事件がありましたでしょう。艦長が、漁船が法規とは異なる
なる動きをしたからという記事を見て、わたしは、そんことを言うべきでないと海軍へ意見書を出しましたよ。
 漁船ならどのような行動する可能性があるか見張り員が見極める。そして、艦長以下の幹部との意思伝達が出来てい
れば防げた事故です。大型船をできるだけ避けたいのが漁船です。それに、衝突するなんて恥ですよ。もし、敵対する
意志をもった小型船が突っ込んできてもかわすのが海軍だと思ってますよ。まあ、艦長が、責任を取って辞任したとい
うので根は大丈夫なのでしょうかな。ちょっと脱線しましたね。

 さて、初陣は、ウェーク島の夜間砲撃でした。砲撃中は、艦内に退避するんですが、見張り員だけは防護壁に隠れな
がら周囲を見張ってるんです。花火大会にいったのに、後ろばかり見ているみたいなもんですかな。
 むしろ、砲撃の閃光で目をやられないように発砲時は、後ろを見ていても目を閉じろと命令されていました。もちろ
ん、電探でも見張ってますが、波浪に隠れるような小型の魚雷艇や、潜水艦の潜望鏡なんかは、見逃してしまうことも
ありますから、見張りが不用になることはありません。

 帰港したら、長門への転属命令を受けました。嬉しかったですよ。何しろ「日本の誇り」に乗れるんですからね。旗
艦とうこともあって、専属の見張り員も10名ほど乗ってました。そして、あの有名なハワイ沖開海戦です。アメリカ
艦載機と基地航空隊の攻撃を電探の指揮で壊滅させたっていうのは有名ですよね。確かに、あの戦いは、電探がないと
結果は違っていたでしょうな。でも、我々、見張り員もいないと、また、別の結果になったと思いますよ。
 接近してくる敵機は、目視など問題外の距離から電探が追っているわけですが、それが、どんな機種のなのか、また、
どんな状態なのかを見極めるのは、見張りの仕事です。近いがあれは戦闘機だ。その後ろの攻撃機は損傷している。一
番遠い奴は無傷だ。なんて判断は電探では難しいでしょう。

99名無しモドキ:2011/04/18(月) 21:34:25
 それで、いよいよ夜戦ですな。海軍の見張り員は「ネコの目」なんて書いてある本もありますが、しょせんは人間
ですからね。(記者は使い込んだ双眼鏡を渡された)どうです。覗いてごらんなさい。全然、ちがうでしょう。そう、
世の中が明るくなった感じがしますよね。
 戦前にドイツのツァイス社の技術者を招いて日本光学が作った夜戦用双眼鏡ですよ。今でも、ドイツにツァイスは
ありますがあれは過去の名声だけで商売している抜け殻ですな。第一、レンズは日本から輸入品ですよ。本当の
ツァイスは日本にあるんです。この双眼鏡は、三年前に海軍の放出品で手に入れたんですが、家内が卒倒するくらい
の値段でしたよ。わたしが海軍で使っていたのもと同じですが今でも世界一、これが双眼鏡の完成形でしょうな。
去年、大神の海軍観艦式に行きましたが、今でも見張り員や、将校なんかはこれを使ってましたね。

−オフレコ部分−赤外線装置や暗視装置をって・・。確かに上海で陸軍が赤外線装置を使っていたことは知られてます
ね。当然、海軍ならですか。いやー、記者さんなら分かると思いますが、言っていいこととと、言ってはいけないこと
もありますからね。誰かがいい楯を持っていると知れば、それを貫く鉾を持ちたくなりますね。すると、もっといい楯
を持たなくてはならなくなる。キリがありませんし、金の無駄遣いだ。まあ、もうすぐ機密解除になる情報も多いです
から、その時には、お話をしましょう。
 
 さて、誤魔化しなしに、こいつ(双眼鏡を撫でながら)で、覗けばどんな闇夜でも何とかなるんですな。電探には先手
を取られますが、より有用な情報は、目で見たことに勝るものはありません。「殿はサウスダコダ型戦艦、その前方に
5隻の戦艦。うちコロラド型3隻。先頭艦はサススダコダ型、損傷している模様」電探では、戦艦らしき大型艦という情報
がこうかわるワケです。「サウスダコダ型中央部に命中。破片が散乱、煙突下部より火災発生。右に傾斜を認める。速力低
下。」より詳細な情報で目標を選択するなんてことも、見張り員のできによって左右されるでしょう。

 見張り所の周囲は、10センチばかりの厚さの鉄板で覆われてましてますが、いざ砲戦になればそれでも気休めですね。
でも、鉄板があるとないとでは、気持ちに大きな差がでます。それで、身を屈めながらも、必死で報告を送ってました。
でも、長門が集中砲火を浴びたんで、至近弾の爆風に吹っ飛ばされました。気がついたときは医務室のベットでしたね。
脳震盪で気絶して、肩を骨折です。

−オフレコ部分−寝ていたら、上官から変な命令を受けるんですよ。「電探があるんじゃ、もう仕事場が無くなる。」
ってぼやきまくれと言うんですよ。わたし自身がそう感じてないのにですよ。そして、今でも海軍から見張り員は無く
なってないでしょう。いや、より強化されたかもしれませんな。電探を導入した外国の海軍では、専門の見張り員を廃止
した国もあるそうですがね。
 
 それで、内地に帰ったら一線部隊から、通信学校の教官に転属です。まあ、それなりのやり甲斐もありましたし、海軍
に残れという上官もいましたが、初志貫徹でとうとう漁師になりました。
 さてさて、やっぱり、夜や霧の中では、これは重宝します。電探にしかできないことがありますからね。(船に備えら
れた民生用小型レーダーを指さして)でもね、漁師として、喰わしてくれているのは、やっぱりこいつですよ。(双眼鏡
を掲げて)
 どこに海鳥が群れているか、僅かな海面の色の違いから潮流や、魚の有無を教えてくれるのはこいつです。そして、
この目です。人間は、見て判断する動物でしょう。最後は、肉眼で確認する。これを忘れちゃいけません。

 岩田義晴さんは、記者の前でもう一度、双眼鏡を撫でた。四半世紀以上前に作られた双眼鏡は、手で持つ部分が
すっかり剥げてはいるが、職人の使い込まれた道具のような鈍い光を放っていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−−−−−

100New ◆QTlJyklQpI:2011/04/18(月) 21:41:11
ツァイスが抜け殻呼ばわりとは無常だねえ。双眼鏡の価格が気になりますね。




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