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>>855
――とまあ、こんな経緯で深夜の森を彷徨っていたのだが、成果はいまひとつ。
闇に包まれた山中で、自然と同化しつつある廃墟を探すのは、困難を極めた。
「寒いのか、柿崎?」
隣りで膝を抱え、小刻みに身を震わせている吟遊詩人に、ジュンは話しかけた。
彼女のパジャマみたいな薄生地の服では、大した保温効果など望めないだろう。
ジュンは、股間の天狗が露わになるのも構わずマントを脱いで、めぐの肩に掛けた。
「これ、羽織っておけよ。風邪ひかれたら困るし」
「あ、ありがと。ごめんね」
「いいって。吟遊詩人は喉が命だろ」
めぐはジュンと笑みを交わし合って、徐に視線を下げた。少年の下半身へと。
「それにしても、不思議な縁よね。天使さんを探して、天狗さんに巡り会うなんて」
呟いて、めぐは細く長い指で、天狗の鼻をふにふにと突っついた。
少年の若い性は、つい、ビクビクッ! と反応してしまう。なんとも面映ゆい。
だらしない顔を隠そうと背ければ、今度は、巴とみつのジト眼に曝される羽目となった。
どちらにせよ立場が悪化するのなら、いっそ開き直る道を、ジュンは選んだ。
「そうだ、柿崎。メイメイの特徴と、きみの楽器について教えておいてくれ。
手懸かりは多いほうが、探しやすいからな」
彼の半ばやけっぱちな機転は功を奏した。みつと巴の視線が、めぐに移る。
首尾よくアジトに潜入できても、探索と脱出に手こずればリスクは同じ。
めぐも、彼の言い分をもっともだと思ったらしく、手振りを交えて説明した。
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>>856
「メイメイは綺麗なショートの金髪で、ほっぺが、ふっくらぷにぷにで、澄んだ瞳で……
とにかくっ、ぎゅうってして頬ずりしたくなっちゃうほどカワイイ女の子よ」
そう言われても、漠然としすぎて、なんのコトやら。鮮明なイメージは湧かない。
ジュンは、なおも熱っぽく語る少女を、次なる質問で遮った。
「メイメイのことは、もう解ったよ。あと、きみが奪われた楽器っていうのは?」
「銀のキーボードよ」
「はあ?」
ジュンは頓狂な声をあげたが、あーなるほど。すぐに閃くものがあった。
めぐの言うキーボードとは、小学校の頃に使っていた鍵盤ハーモニカだろう。
メロディオンと商品名で呼んだほうが、通りはいいだろうか。
演奏中に、結露した汁が下からポタポタ垂れて顰蹙かったっけなぁ、アレ……。
そんな苦い記憶に、自嘲を禁じ得ないジュンだった。
「銀の楽器だなんて、値が張りそうね。急いだほうがいいわ、ジュンジュン。
盗賊はすぐに、どこかに運んで売り捌こうとするはずよ」
「……だよな。その前に奪取しなきゃ」
「私なら、いつでも準備オッケーだよ、桜田くん」
「わたしもよ。メイメイと楽器を取り返して、盗賊どもをメギドの火で裁いてやるわ!」
――それから、さらに森を彷徨うこと小一時間。
獣道を藪漕ぎしつつ進んだジュンたちは、遂に目指す廃墟を眼中に捉えていた。
かなり騒がしくしていたのだが、折から強まった夜風に木々が揺すられ、
彼らの立てる物音は、うまいこと掻き消されていた。
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>>857
「桜田くん、あれじゃない? 坑道に続く廃屋って」
「見張りらしいのが一人いるな。十中八九、間違いないだろう」
「たった一人だけど、厄介よね。さーて、どうやって黙らせようか」
藪の隙間から様子を窺いながら、ジュン、みつ、巴の3人は思案に暮れた。
彼らの潜む茂みから廃屋まで、30メートルは離れている。
しかも、身を隠せそうな障害物は、ご丁寧にも意図的に撤去されていた。
ちょっとでも茂みを出れば、たちまち見咎められるだろう。
「ここは、あたしの召喚魔法で――」
「待て待て、みっちゃん。召喚するとき白煙が出るだろ。バレちゃうって」
「じゃあ、ジュンジュンならどうするの」
「うっ……それは、だな…………どうしよう、柏葉」
「即効性の麻酔薬を塗った吹き矢で一撃すれば、まったくもって問題なし」
「マジで?! ひょっとして巴さん、吹き矢なんか隠し持っちゃってたりする?」
「ううん、持ってない。言ってみただけ」
なんかもう、いろいろとダメだ。ジュンは頭を抱え、叫びだしたい衝動に駆られた。
しかし、その時――「わたしに策があるわ。任せてくれない?」
めぐの強い意志を秘めた声が、3人の思惑に割り込んだ。
彼女の真剣な眼差しは、自信に溢れていた。ジュンは即決した。「よし、やってみよう!」
――歴史が動いた瞬間だった。
「僕らは具体的に、なにをすればいい?」
「あいつの注意を惹き付けて。ん……そうね、1分でいいかな」
言って、めぐはジュンに借りた黒いローブで、しっかりと身を包んだ。
暗い森の中では効果抜群の擬態だ。赤白ストライプの服より、断然、目立たない。
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>>858
「1分か――よし、なんとかする」
あとは、ジュンたちが、どれだけ時間を稼げるかにかかっている。
相手が茫然自失してくれたなら上出来だ。仲間を呼ばせなければ、それでいい。
「みっちゃん! 柏葉! あいつにジェットストリームアタックをかけるぞ」
「女は度胸、やってやろうじゃない」
「いつでも私を踏み台にしていいからね、桜田くん。でも、どんな攻撃するの?」
巴の至極当然の疑問に、ジュンは至って真面目な顔で答えた。
「深夜とくれば大人の時間っ! みっちゃんと柏葉の悩殺お色気攻撃だ。
男相手に、これほど効果絶大な戦法があるか? いや、ない!」
思いっきり独りよがりで安直な反語。しかも、発案者には低リスクときている。
そんな話を、乙女たちがホイホイと承伏するはずもなかった。
「や〜、ちょっとジュンジュン。それは虫がよすぎじゃないのー?」
「ですよね。桜田くんにもリスクを背負ってもらわなきゃ、やってられない」
「……おまえらなぁ、僕に何させようって言うんだよ」
「決まってるでしょー。女装よ、女装。色仕掛けなら、三人娘でなきゃあねー」
「みっちゃんに賛成。ここはレイクエンジェルを結成すべきだと思う」
なにがレイクエンジェルだよっ!
場違いな話題で、異様な盛り上がりを見せる乙女組に、ジュンは憮然と言って捨てた。
「やめだ、やめ。よく考えたら、色仕掛けなんて平凡すぎるしな。
こうなりゃ正攻法で行くぞ。僕に付いてこい!」
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>>859
いつまでも、ふざけてなどいられない。めぐは既にスタンバっているのだ。
ジュンは、夜道に迷った旅人を装って近づき、見張りの男に愛想よく笑いかけた。
「どもー。レツゴー三匹、ジュンでーす」
「みつでーす」例によって連鎖反応する赤貧サモナー。そして巴は――
「涼宮ハルヒでございます」
「いや、柏葉……そこは普通に長門有希だろ」
「それだと在り来たりかなー、なんて。思ったり、思わなかったり」
「あー、捻りすぎてネタを捩じ切っちゃったパターンね。あるある〜〜」
――なんて、またぞろ始まった掛け合い漫才に、見張りの男は眉を顰めた。
胡散臭いにも程がある。即座に仲間を呼ぼうとしたが、ふと……ニヤ〜リ。
むさ苦しい髭面に、いやらしい笑みが広がった。
大方、みつと巴を見て、スケベな妄想を膨らませたのだろう。
だが、次の瞬間――めぐしゃっ!
空を裂いて飛来したナニかが、男の側頭部を一撃。男は白目を剥いて昏倒した。
乾いた音を立てて転がったソレは、スペースコロニー……ではなく、白磁の花瓶。
なぜ、こんなコトに。ジュンたちの表情からも、音を立てて血の気が失せた。
そこに、森の中から意気揚々と走り出してくるのは、吟遊詩人の娘。
「やったねっ。どうよ、わたしの必殺技は。名付けて、ディープインパクト!
……あー、つくづく楽器がないのが悔やまれるわね。
いつもなら、ここでエアロスミスの曲を演奏してパーフェクト演出なのにー」
自らの妄想に酔いしれながらも、めぐは口惜しげに親指の爪をガジガジする。
そんな彼女を呆然と見つめながら、ジュン以下の三匹は胸裡で同じことを考えていた。
それって『アルマゲドン』のほうだから。
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てなところで投下終了。
まだまだ当分、終わりそうもありません。
あー、それにしても、お猿も時間規制もなくサクサク落とせるのって気持ちいい。
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書き上げたので投下します。数レス頂きます。
長いです。かなり。
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暗い道を走る影二つ。
足を止めればきっと追いつかれてしまうだろう。
その進みは遅く、ともすれば、止まってしまいそうだ。
その二つの影の進む先には何も見えず、光は前ではなく後ろから溢れていた。
その二つの影は、ただ走った。何かを見つけるため。
少しでも、遠く。見えないその先の道を少しでも。
唯一遠くへ行って、孤独だって知って。
唯一近くへ寄って、その兆しを捨てて。
唯一遠くへ行って、たぐり寄せて切って。
唯一近くで冷えた、その希望よ揺れて。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
夢の中で、僕は何かと戦った。大切な人を守るために。
戦うと言っても、殴り合ったりしたわけじゃない。ただ、走って行っただけだ。
逃げ惑って、その大切な人を少しでも、痛みのない場所へ連れて行きたかった。
よどみ過ぎて解らない、闇の奥で目を凝らした。這いつくばり後ずされば、楽しかったまた幻。
会話する余裕などなく、何故こんな状況になったのか思い出す余裕も消えていた。
思春期が過ぎ、聞かせてくれた。
「犠牲を払うこともない……」
協調性も多少欠けていた僕だから、聞き流していた。
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どんな人もその牙を抜かれ、安穏とした真綿の絞首台に終わりのまどろみを見ている。
僕らはその中で、きっと目覚めてしまったのかもしれない。冷たい風にロープを揺らされたから。
ぎしぎしと鈍い音で、その梁は悲鳴を上げた。たった数本しかない梁に何人もの人の体がつるされていたから。
古い世界を終わらせたいと願った。それが、僕らには正しいことのように思えたから。
僕らは正義のために逃げ出した。彼らは正義のために追ってきた。
僕らの上には飛行船が。輪廻の中で漂った。何千年もの昔の忘却の空に、忘れてきた何か。
天使のように、天使の羽を拡げ、飛べることが出来たのなら、どれほど明るいことだったのだろう。
大切なもののために。僕の命を凍らせた。
優しい悲劇に憧れて、月の光を、鮮やかな光を見失った。
さようならと、ピストルを互いのこめかみに押し当てる。
天使のように飛べたのなら、朝も夜も関係なくなる。
路地裏にスプレーで描かれた落書きの甘い現実に、少年の心を失って、まだ見ぬ聖女に囁いた。
――あぁ。これは僕の夢なんかじゃない。こんなに黒い夢は見ていない――と。
だから、これは僕の脳が作り出した、後付けの現実なんだろう。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
暗い道を走る影が一つ。
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足を止めても、きっと何も変わらない。
その進みは遅く、ともすれば、止まってしまいそうだ。
その一つの影の進む先には何も見えず、光は時折、轟音とともに、その影から黒を奪った。
その一つの影は、ただ走った。何かを変えるため。
少しでも早く。見えないその道を少しでも。
そして、その暗い道に、耳をつんざく轟音は鳴り響いた。
SEAVEN
第五話
「亡骸を」
薄暗い道を走る陰が二つ。
異臭が漂う道。カシャカシャとその足の下のフェンスが鳴る。
さらにその下には水が溜まっている。
しかし、人が飲むには些か汚すぎる。明るいところでなら、その色も確認できただろう。
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「なぁ。こんな所も通らなくちゃいけないのか?」と片方の影――桜田ジュンはもう一人に尋ねた。
「そうだよ。ここぐらいしか、通り抜けられる可能性はないね。まだ、他と比べたら警備は薄いみたいだし」
前を走る蒼星石は後ろを見もせずに言う。
「だけどさ、ここって、あー何だっけ? ライフラインの上層部だったか? そうなら、やっぱり一番厳重なはずだろ?」
視線を左上に向け、言葉を思い出しながら尤もな疑問を口にした。
「大丈夫だよ。じゃあ、ここの役割については知ってるの?」
「あー、下水処理場じゃないのか?」
蒼星石は嬉しそうに否定した。
「違うよ。ここはね、何の役割も果たしていないんだ。だって、十五年前に放棄された施設だよ?」
「は? なんでそんな昔に?」
「知らない。ダクトか何かが壊れて、修理不能だって話だったんじゃないかな? ホントはここ、水なんて無いはずらしいよ」
「そんなのどこで知ったんだ? 少なくとも普通じゃそんなの、聞くことないぞ」
「ふふ。そうだね。まぁ、ぼくだって、空に行くためにいろいろ情報は得てきてるんだ」
なるほど、とジュンは頷く。
そりゃそうか。ルートとかも調べてなきゃ目的は果たせないよな、と彼は思った。
「ならさ、これから先はどんな道なんだ?」
「えっとね、確かここを抜けるとすぐ、貨物用のエレベーターがあるんだ。多分まだそこの電源は生きてるよ。
エレベーターを待つ必要は無いだろうね。そのエレベーターは基本位置がこっち側みたいだし、扉も開いたまんまみたいだからさ。
そのエレベーターで一気に上がって、ライフラインに着くんだ。今度はちゃんと生きてるやつね。
そこはすぐに抜けられるけど次が難しいんだ。電力供給ビルさ」
「何でそんなところに……」
ジュンは蒼星石を見もせずに言った。
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「一旦そこで最後のエレベーターへの電力を供給する必要があるんだ。普段は止められてるからね。
でも、一度流してしまえば一週間ぐらいは止められないらしいよ」
「けどさ、どうやるつもりなんだよ、そんなこと。出来るのか?」
彼は足をつい止めてしまった。
「うん。一応考えは何通りか練ってある。そんな簡単に行くとは思えないんだけどね。
もう少ししてから話そうかと思ったけど、ここで言おうか」
「あー。ビルまであとどれくらいかかりそう?」
「そうだね。えっと、大体三十分くらいかな?」
ジュンは目をくるりと回す。
「やっぱもう少ししてからでいいや。ちょっと気が滅入った」
その言葉に蒼星石はくすくすと笑っていた。
どこか遠くでポチャと、水音がした気がした。
「そろそろだね」
前を歩いている蒼星石が言った。
「そろそろ着くよ。エレベーター」
「そう――」
ジュンは言葉を返そうとしたが、途中で遮る。
光――懐中電灯の明かりが作る人影がその視界に入った。
「蒼星石……」
小さな声で名を呼び、それを指さす。
示された方を見て彼女は、「え?」と小さな声を漏らし、口を開けた。
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その顔はまるで――
「予想外、だったか?」
「うん。ここには警備がないはずなのに……」
「その情報はどこから?」
「信頼できるとこから」
「本当に?」
「本当に」
そう言ったあと、彼女は視線をそらしもう一度言った。
「本当に……」
その弱った声を聞き、ジュンも困ったと言う顔をする。
「どうする?」
「……」
「なにか他に道は?」
俯いていた彼女は顔を上げる。
「あるにはあるけど……」
「けど?」
「この道を引き返す必要がある。その方法だとあと二日は必要なんだ……」
頭を小さく振り、短い髪が揺れた。
「さすがにもう一緒に来る気は無いでしょ? 多分、まだ君は大丈夫だよ。
警察に情報が届いたとしても、まだ間に合うよ。少しぼくのことを聞かれるだけで、無関係だって言えばね。
本当に――」
「ちょっと待てよ!」
遮る。その声に蒼星石は首をすくめた。
-
「何勝手に決めてるんだよ! 僕が諦めるなんていつ言った?
それ以前にここまで引っ張り回して来て、『はい、さよなら』?
ふざけるなよ。それに僕はお前に一応借りがあるんだ!」
「借り?」
上目づかいで聴く。
「あぁ。最初にあの電車でのことだ!」
「それか……」
「まだ返してない」
はは、と口だけで軽く笑う。
「十分返してもらったよ……。僕は」
「でも、まだ気が済まない」
もう一度、先ほどよりは地に足がついたように笑い、ありがとう、と言った。
「それで、ジュン君ならどうする?」
立ち直った彼女が問うた。
「そうだな。見に行ってみないか?」
「……は?」
「だから、少なくともここで何だかんだ言うよりもさ、状況を確認してからじゃ駄目なのか?」
さも、当然のように言った。
蒼星石は驚きを隠せない様子だ。
「でも。……。見つかったら終わりなんだよ? そんなこと……」
「空を開く、って言った人間がそんなことで諦めるのか? 多少のリスクは覚悟しているんだろ?
まだ詰んだわけじゃない。だろ?」
蒼星石は何か言おうと口を開くが、その言葉は生まれなかった。
そして視線を地面に向け、またジュンの方へと戻す。
その瞳には覚悟の色が――少なくともジュンには、宿っているように見えた。
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「分かった。行こう。でも、無理だと思ったらすぐに引き返す。いいよね?」
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
その情報が白崎の耳に届いたのは今朝だった。
「本当ですか?」
そう再び、尋ねた。
「えぇ。目撃情報からも確認が取れました。タレこみと全く矛盾してません」
尋ねられた若い刑事は答える。
「そうですか……。やっと犯人の足取りが掴めましたか……」
「でも、何のために電車何て爆破させようと思ったんでしょうね?」
「テロの目的ですか……。それは犯人に聞いてみないと分からないでしょうね」
「いや、経歴を見てみると、そんなことからは程遠い人間に見えるんですよ」
「それについて、今考えない方がいいです。モチベーションにも関わりますし」
「でも――」
それでも何かを言おうとした刑事に向かい、白崎は、言う。
「いいですか? 当たりならそれでよし、違ってたらごめんなさい。捜査なんてそんなものでしょう?」
その言葉に、何も返せず、俯く。
-
「では、A-2付近の警察官に警戒を。とりあえず、軍とも連携が取れそうなら、それで。
下手をすると、最悪の事態になるかもしれません」
厳しい表情で、白崎は言った。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
背中を壁に軽くつけてその角を覗きこむ。その先には人はいない。
後ろを見ずに手招きをし、合図を出した。
腰を低くし、周りを警戒しながらその背中をジュンは追った。
二人は静かにフェンスに飛びつき、よじ登る。
その影は、今のところ誰にも気づかれていない。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
午後九時二十六分。
「何でこんなに情報が回ってくるのに時間がかかったんだ!」
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中年の刑事から怒りの声が上がる。
そう、犯人が軍に目撃されたのは午後五時十二分。
本来ならもっと早く回ってくるべきだったのだ。
だが、そうはならなかった。何故か? 軍のメンツによってだ。
軍は警察から情報が回ってきた段階で、すぐにピエロの導入を決定した。
そしてそのピエロは、確かに犯人の姿を捉えた。
しかし、確保には至らなかったのだ。それどころか、ピエロは破損してしまった。
偶然ではなく、何者かの手により。おそらく、犯人によるものだろう。
右手薬指、左肩を“骨折“していたのだ。その攻撃の瞬間はカメラに収められていないが。
「まぁ、抑えて……。今は次に行きそうな所を抑えるべきでしょう?」
白崎は宥め、提案をした。
「なら白崎。次にホシが行くとしたらどこだと思う?」
「えぇっと、そうでしょうね……」
顎を上げ、目を閉じ何かを思い出そうとしている。
「私なら、あそこですね。電力供給ビルに続く道。十五年前に封鎖されたあの浸水地域ですね」
「……。おぉ! そこか。確かにあそこなら通りが分かる」
そう言って、大きな机の上に広げられた地図を指でなぞる。
「よし! このエレベーター付近に配備する。ここで、叩くぞ」
置かれていたペンを手に取り、地図に丸をつけた。
貨物用エレベーター。その地図にはそう記されていた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
-
中西章一は自己顕示欲の強い男だった。
小学生のときには目立ちたいがためにクラスの花瓶を割り、中学生のときには同級生を苛め自殺寸前まで追い詰めた。
高校生になり落ち着いたかと思いきや、何かを落としてから救うと言うマッチポンプを覚えた。
そして、世間一般の受けがいいと言うことで、就職先を警察に決めた。
しかし、社会は思った以上に甘くなく、出世――目立つチャンスには恵まれることはなかった。
だから、今回特に必死だったのだ。この警備でホシを捕まえることが出来たなら、株も上がる。
別段何かに追われるような状況ではなかった。しかし、この真綿で首を絞めるような生活に嫌気がさしていたのだろう。
視界の端に何か動くものを捉えた瞬間、彼の鼓動は跳ね上がった。
そして相方の塚本英雄に一旦休憩を伝え、一人、その影を追うことにした。
すぐそばの手柄に過呼吸に近いほど息は上がり、その姿はまるで餓えたハイエナそのものと言えた。
追う影は角を曲がる。見失わまいと、足を速めた。
そして、注意を怠ったまま角を曲がった彼は、頭に大きな衝撃を感じ……、
意識はフェードアウトした。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
「どうしよ? 生きてる? この人」
棒を手に持ったジュンはそう蒼星石に尋ねた。
倒れた男の首筋に手を当て、生きていることを確認する蒼星石。
「大丈夫みたい。でも、すぐに目を覚ますと思うよ」
-
「そっか。よかった。ここは結構危ないね」
ほっと胸をなでおろし、次について思案を巡らす。
「いや、ここまで来れたんだ。行こう。それに、ここの警備、さっきより増えてるみたい」
え、と声を上げ、ジュンは驚いた。
「ごめん。予想外だった。まさか警備が増員している途中だったとは……」
「だから、奥へ奥へ行ってたのか……」
「うん。周り見たら、道が無くなっちゃってて」
「……。そもそも、先へ行こうって言ったのは僕だったしな……」
彼は責任を感じているのだろう、眉を顰める。
「まぁ、こうなっちゃったからには仕方ないさ。行けるところまで行くしかないよ」
蒼星石はわざと明るい声で言う。そう、ここではもう諦めるに諦められないのだ。
残された道を辿るしかない。それしか、ない。
そう、静かに蒼星石は呟いた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
「配置は?」
「完了しました!」
厳しい声が響く。
-
「白崎警部。拳銃の使用許可下りました!」
「了解です」
そして、持っているトランシーバーに向かい、申請が通ったことを伝える。
「全捜査員へ。犯人は武器を所有している可能性があります。
拳銃を使用許可が下りましたが、むやみな発砲は控えてください。
では、十分気をつけて警備に向かいたし」
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
何度も見つかりそうになりながら、ここまで切り抜けてこれたのは奇跡としか言いようがない。
二人とも覚悟していた。これが終わりなのかと。
「もうすぐだね……」
「うん……」
言葉は重い。あたりまえだ。
「ここはさ……」
言い淀む。
「ん?」
「苦しいよね、ここはさ。ジュン君?」
低い天井を見上げた。
「……。かな?」
曖昧な答え。
-
「優しい人もいた」
一言。
「厳しい人もいた」
一言ずつ。
「好きな人もいた」
ゆっくりと。
「嫌いな人もいた」
これまでの人生を思い出しながら。
「けど……」
噛みしめながら。
「ここには、居場所がなかった」
吐きだした。
「どうしようもない壁がそこにあって」
ゆっくり吐き出した。
「逃げ出すこともできなくて」
その眼は固く閉じられ。
「けど、大切な何かがあったりして」
涙がこぼれないようにと。
「だから、この世界を壊すと決めた」
蒼星石は言った。
「大好きだから。大切だから」
そう、言った。
何も、返せなかった。ジュンには、返せる言葉がなかった。
-
二人の視界に貨物用エレベーターが入る。
どちらからでもなく走り出す。
そして……。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
「犯人、来ました」
そうトランシーバーから声がした。
白崎は知らず知らずのうちに、無意識のうちに首に下げているネックレスを握りしめていた。
そのモチーフの花を彼は直接に見たことはない。
だが、この花の思い出は深い。彼にとってあまりに深かった。
瞑っていた目を開き、指示を、一言、出した。
-
「確保」
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
どこからともなく、人が飛び出してきた。
エレベーターは目の前。そして、その扉は……。
どちらが手を先に伸ばしたのかは分からない。
互いに手を取り合い走り出した。
銃口を向けられているのが見なくても分かる。
彼らは、罪人なのだ。
彼らは始まりの人間、アダムとイブ。
知恵の実を食し、楽園を追われたように。
しかし、彼らは“彼ら”とは違う。
これは、自分の意志なのだ、追われたわけではない、と。
どちらかがそんな無関係なことを自分の後ろ姿を背後で眺めながらのんびりと考えていた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
ガス。と乾いた騒音が轟いた。
-
誰の銃によるものなのかは分からない。
だが、確かに力は放たれた。
それが、全員に伝播しなかったのはある意味奇跡なのか、それとも訓練の成果なのか。
だが、放たれた銃弾は一発のみだった。
人が多すぎたのが徒となったのか、彼らを捕えることは出来ず……。
捜査員の前でエレベーターは動きだした。
エレベーターは貨物用のためなのか、シンプルな形状をしていた。
四方には1m程の壁があり、乗せた貨物が挟まれてしまわないように防いでいるだけ。
天井と言う気の利いたものはない。
床は金網であるが、その下には板が――後からなのだろう、張られているだけだった。
そしてその下には、何本ものワイヤーがぶら下がっている。
そのワイヤーに白崎は――
飛びついた。
この上にも警官が配備されていることは重々彼も承知している。
しかし、そうしないといけないと言う衝動に駆られたのだ。
エレベーターが動きだす直前、白崎はエレベーターの中の男――青年と目があった。
その瞳の奥に何かを見たのか、それとも何か因縁めいたものを感じ取ったのか。
自分でこの二人を確保しなくてはならないと言う衝動に彼は駆られた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
-
ぜぇぜぇと息の荒い二人。
ジュンは肺と足が訴える痛みに呻いた。
じわりと穿いているジーンズに赤い血が染まる。
撃たれた。しくじった。そう彼は心の中で呟いた。
不思議なことに、この状況を冷静に見ている自身が彼の中にはあった。
無言でジーンズを捲る。
こう直接見てみると、彼が思うほどの血は出ていなかった。
銃弾は掠っただけのようだ。痛みがあるだけで何の問題もない。
しかし、蒼星石はそうは思わなかったらしい。
「大丈夫!?」
驚く彼女。その声に驚く彼。
「大丈夫さ」
荒い息のまま答える。
「それより、エレベーターが動く前に警察の一人と目があったんだ」
そのことを思い出すために目を閉じる。
「なんでかな? 僕はその人のことを昔から知っている気がするんだ。
絶対にそんなことはあり得ないのに。でもね、向こうもそうだったみたい。
何かがさ。何かが見えた気がするんだ。とは言っても、あまり気持ちのいいものじゃない。
僕と彼は殺し合ってるんだ。互いに憎しみを持ってなのかは分からない。
最初はね、僕が劣勢だったんだけど、落ちてるペン――あ、場所はどこかの部屋なんだ。
それを彼の足の甲に突き刺す。
それで終わりなんだけどね。なんか妙にリアルな感じでね」
一息に吐き出す。
何故か、話しているうちに興奮してきたようだ。
-
「他の映像も頭に浮かんだんだ。
これは互いに殺し合ったりしてないんだけど、僕が彼に何かを興奮して、楽しそうに捲し立てる。
内容は分からないんだけど、多分、評価が人によって別れてしまうようなものだと思う」
蒼星石はぽかんとしている。
「もう一つあるんだけど――」
「もういい!」
蒼星石は叫んだ。
「もういいからさ……。その足の傷を見せてよ……」
「あ? これなら大丈夫。深くはないからさ」
「でも――」
そう会話をしているうちにエレベーターは到着したようだ。
顔を上げる二人。
その前には、銃口。銃口。銃口。
たくさんの銃口が二人に向いていた。
蒼星石は立ち上がり、ジュンが立つのを手伝う。
そして、二人は頭に両手を乗せた。
その背後で、ガンと言う音がした。
先ほどまでは乗っていなかった男が、そこにいた。
彼は、襟を正したあとに、何かを読み上げた。
「殺人、器物損壊、特殊暴力等。電車テロに対する容疑で、蒼星石。貴女を逮捕します」
蒼星石の手に手錠が掛けられた。
-
呆然とするジュン。
彼――白崎は、ジュンに声をかけた。
「彼女についていっただけの少年。これが彼女の罪状です。
知らなかったかな? 君が乗っていた電車を爆破したのは彼女――蒼星石なんだ」
喉の奥から、叫び声が、声にならない声が上がる。
何を信じればいいのか。
「嘘だ!」
そう叫んでみても、彼自身の耳にも空しく聞こえ、この現実は変わらなかった。
蒼星石は、ジュンより先に連れ出された。一度も振り返らず。何も喋らず。
ただ、その小さな背中は、普段よりさらに小さいように、彼は見えた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
-
「これで、よかったんだよな?」
遠ざかる二人を見て、白崎は呟いた。
「これで……」
握ったネックレス――からたちの花をモチーフとしたネックレスに、祈るように彼は呟いた。
SEAVEN 第五話「亡骸を」 了
-
投下完了です。
失礼しました。
作中の“中西章一”、“塚本英雄”は原作コミックに登場はしてます。
……名前だけだと思いますが。ほとんどオリキャラに近いですかね?いまさらながらですが。
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以上>>863->>884までをどなたか、大変ですが転載していただけないでしょうか?
これから、ちょっと投下できない環境になりますので……。
どうか、よろしくおねがいします。
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ファンタスティック翠ドリームって甜菜されてたっけ?
アルマゲドン吹いたwww
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甜菜確認いたしました。
どうもありがとうございました!
後日、wikiに加筆修正を上げるつもりです。
少しアクションシーンが増えます。
次回、見せ場の予定。
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一昨日にアクセス規制解除されたばかりなのに、二日で再発とか、もうね……。
たまにはスレ立てしたいのよね、ホントは。
>>805-808 【愛か】【夢か】
加筆修正版を投下します。一応、NGワード sinineta で。
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「おかえりなさい」
夜更けの非常識な来客を、凪いだ海のように穏やかな声が出迎えてくれた。
僕の前に佇む君に、あどけない少女の面影は、もうない。
けれど、満面に浮かぶのは、あの頃と何ひとつ変わらぬ夏日のように眩しい笑顔で。
「疲れたでしょう? さあ、入って身体を休めるかしら」
そんなにも屈託なく笑えるのは、なぜ?
君が見せる優しさは、少なからず、僕を困惑させた。
――どうして?
僕のわななく唇は、そんな短語さえも、きちんと紡がない。
でも、君は分かってくれた。
そして、躊躇う僕の手を握って、呆気ないほど簡単に答えをくれた。
「あなたを想い続けることが、カナにとっての夢だから」
なんで詰らないんだ? 罵倒してくれないんだ?
僕は君に、それだけのことをした。殴られようが刺されようが、文句も言えない仕打ちを。
ここに生き恥を曝しに戻ったのだって、たった一言、君に謝りたかったからだ。
君の手で、僕を罰して欲しかったからなのに――
「……僕を……恨んでないのか?」
君との愛よりも、身勝手な夢を選び、飛び出していった愚かな男。
その夢も破れ、なにもかも失い――ボロ布みたいになって、おめおめと戻った僕を。
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>>888
「本当に……まだ、想ってくれてたのか?」
君は、笑顔を崩さなかった。無垢な少女のような笑みを。
けれども、君の大きな眼からは、もう大粒の涙が零れだしていた。
「ずっと、待ってた」
「……すまない」
もう、なにも言わせたくなかった。
君の唇から、「嘘よ」という単語が紡がれるのが、今の僕には怖ろしかった。
だから、僕は君を抱きすくめて、強引に唇を重ねた。
「あなただけを――」
ほんの息継ぎの合間に、君が言いかけた想い。
それが、再び触れ合った唇の中に広がってくるのを感じた。
▼ ▲
「お腹、減ってるでしょ?」
玄関で、どれほど長く抱き合っていたのか――
時間を忘れて続けられた抱擁は、恥じらい混じりの問いかけで終わりを迎えた。
僕としても、歩きづめで疲れ切った脚を休めたかったから、いい頃合いだ。
それに、実のところ、彼女の言うとおりでもあった。
「うん……腹ぺこで倒れる寸前なんだ」
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>>889
情けない話だが、今日は朝から、なにも食べていない。
ここ数日は一日一食にありつければマシで、明日の食い扶持にも困る有り様だった。
野草や木の根の味は憶えた。遠からず、昆虫の味すら憶えることにもなっただろう。
都会に出て大金持ちになって、故郷に凱旋する……
そんな野心を抱いて故郷を飛び出したのは、もう何年前になるのか。
あの頃の僕は怖い物知らずな子供で、頑張れば、どんな夢も叶うと思っていた。
いや、違うな。子供なりに現実は知ってた。叶わない夢もあるってことは。
ただ、その現実が自分の身に降りかかるとは思ってなかっただけだ。
「待っててね、ジュン。残り物しかないけど、すぐに温めなおすかしら」
もう一度、やりなおせたら……。
彼女――金糸雀の朗らかな表情を見ていると、虫のいい考えが脳裏に浮かぶ。
そんなこと望めた義理でもないのに、君の好意に甘えてしまいたくなる。
「ん? どうかした?」
むっつりと黙り込んだ僕を見て、金糸雀の顔に不安の色が広がる。
僕は繕い笑って、ゆるゆると頭を振った。
「いや、別に。それより、君の料理は久しぶりだからな。すごく楽しみだよ」
「またまたぁ〜。お世辞がうまいんだから〜」
「本当だって」
僕が真顔で返すと、金糸雀は頬を上気させて、はにかんだ。
目まぐるしく変わる彼女の表情の中でも、特に好きな顔だった。
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>>890
「ホントに……ホント?」
「ん……実はウソ」
「もぅ、からかって! どーせ、そんなコトだろうと思ったかしら」
「――と言うのもウソだよ。本当に、楽しみにしてるって」
「もう怒った。お料理に毒盛ってやるかしら!」
可愛らしくむくれて、金糸雀は厨房に駆け込んだ。
その後ろ姿が可愛らしかったから、抱きすくめたくて追いかけたけれど……
「ジュンは、あっちで待ってるかしらっ!」
うーん。追い返されてしまった……。
▼ ▲
温めなおすと言う割に、金糸雀は二品ほど新たに調理してくれた。
久しぶりに食べる彼女の手料理は、数年前とは比べ物にならないほど美味しかった。
でも、頬が溶け落ちるくらいに甘いタマゴ焼きは、相も変わらず。
懐かしい味に心が震えて、途中から、微妙に塩味が加わった。
「うまいよ、すごく」
「泣くほど嬉しいかしら? ま、当然ね。なんてったって愛情という妙薬入りだもの」
「ドーピング料理でも構わないよ。毒食らわば皿までだ。死んでも悔いはないさ」
「ふふ……たぁ〜んと召し上がれ」
食事をしながらの他愛ない会話も、僕を心地よく癒してくれた。
時間を忘れて語り合ううちに、時計の針は、いつしか午前二時を指していた。
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>>891
「あ……もう、こんな時間かしら」
「うん。もっと話してたいけど……ちょっと眠いかな」
僕は疲れ切っていた。そこに満腹とくれば、辿り着く先は明らかだ。
食卓に頬づえを突いて頭を支えるが、ウトウトと船を漕ぎだすのを堪えきれない。
ここで気を緩めれば、五分と要さず眠れる自信があった。
「待ってて。今、お布団を敷くかしら。一組しかないから、ジュンが使って」
「でも……それじゃ、君が……」
「いいから、いいから」
歌うように応じると、金糸雀は軽い足どりで布団を敷きに行った。
そして、気がつけば僕は彼女の肩に担がれ、寝室に運ばれていた。
「……ねえ」
布団に僕を横たえながら、金糸雀が囁く。「あっちで、恋人はできたかしら?」
寝物語としては、適切じゃないように思えるが、隠し立てすることでもない。
街での生活を思い出すと胸が苦しいけれど、その痛みもまた罪滅ぼしだろう。
苦い想いに溺れかけながら、彼女の質問に、僕は答えた。
「いいや。そんな余裕なかったよ」
「でも、気になるヒトは居たんじゃないかしら?」
「……それは、まあ……片想いくらいならね」
「ホントに片想い?」
「本当だよ。挨拶を交わすことさえなかった。あっちは深窓のご令嬢だったし」
「世が世なら、王侯貴族のお姫様だった……ってトコ?」
「だな。流れるような長い金髪が綺麗でさ、深紅のドレスがとても似合ってて……
絶世の美女って表現がピッタリの乙女だったよ」
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>>892
あまりに僕が絶賛したからだろう。夜の暗がりにもハッキリと、金糸雀の表情の翳りが見て取れた。
つまらなそうに。哀しそうに。そして、口惜しそうに。
「もし――」
「ん?」
「そのヒトと仲良くなれていたら、ジュンは戻ってきてくれなかったかもね」
「可能性は否定しない。でも、所詮は希望的観測だよ。仮定は、どうあっても仮定でしかない」
言って、僕は布団から手を出し、金糸雀の手を握った。
心の底から沸き上がる感情が、僕を衝き動かしていた。
「こんなの柄じゃないって自覚してるけど、これだけは言わせて欲しい。
僕は一日たりとも、君を忘れなかった。他の誰に対しても、強い感情は生まれなかったよ」
本当だろうか? 胸裡で反芻するほどに、白々しさが増幅される。
けれど結局、僕は強い力で、それら白けた気配を残さず押し潰した。
そう。あの美しい令嬢への想いは、突き詰めれば羨望の一形態でしかない。
しかしながら、金糸雀への気持ちは……。
ずっと意識していた。もっと有り体に言えば、好きだった。
気の合う仲間としても、異性としても。
それ故に、夢を選んで金糸雀を置き去りにした僕の胸には、深い傷が残った。
喪失感なんて陳腐な言葉に変えられないほどの、深く大きな傷が。
でも、あの頃とは違う。夢は潰え、二択ではなくなった。
だからって、今更やりなおせるハズもないけれど、それでも……
僕は、伝えようと思っていた。そう。どんなに遅かろうとも、伝えなきゃならない。
ところが――
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>>893
「はぁ〜。今日はもう疲れたから、カナも一緒に寝ちゃうかしら〜」
おいおい、そりゃないだろう。せめて、僕の話を聞いてからにしてくれよ。
そう告げようとしたけれど、僕の唇は金糸雀の指に封をされてしまった。
「ジュンも、もう休んで。あなたは充分に闘ったかしら。だから、もういいの。
大切なお話なら、また明日……ゆっくりと聞かせてちょうだいね」
金糸雀の囁きは、まるで睡魔の歌のようで、僕を朦朧とさせる。
もう限界だ。意識を手放して、意識が閉じかけた一瞬、金糸雀の声を聞いた。
「おやすみなさい、ジュン。ずっと愛してる。ずっとずっと――」
夜闇の中、眠りに落ちる寸前の、低く澱んだ囁き。
それは、なぜか、地の底から響いてくるようだった。
「ずぅっと、ずぅっと」
▼ ▲
眩しい日射しが、僕の顔に照りつけていた。
もう朝か。それとも昼ちかくだろうか。ずいぶん眠った気がする。
その証拠に、身体の疲れは、すっかり抜けていた。
「そうだ……金糸雀は!」
我に返って身を起こした僕は、そこで自分の目を疑った。
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>>894
僕の目の前に、一面の草むらが生い茂っていたからだ。
布団も、部屋も、家そのものが消失していた。
なんだ、これ? 呆然と立ち上がって、また呆然とした。
そこで改めて、自分の居る場所を知った。
僕は、腰ほどまである夏草の藪の、ど真ん中に居た。
「どうなってるんだ? 金糸雀! おい、金糸雀っ! どこに居るんだよ」
叫びながら、辺り構わず藪を掻き分ける。
草の端で指が切れて、血塗れになろうとも、腕は止めない。
そして――僕は、見つけてしまった。すべてを理解してしまった。
草に埋もれた石碑。
金糸雀と刻まれた、小さな小さな墓標。
金糸雀……君は……ずっと、僕を待っててくれたんだな。
姿が変わっても、僕だけを想い続けてくれてたんだ。
「ごめんよ。こんなにも待たせて、ごめん」
僕は、墓標にすがりついて、泣き濡れた頬をすり寄せた。
そして、心の中で誓った。もう、どこへも行かない。
彼女が僕を待ってくれていたように、僕もまた、ここで彼女を待ち続けるのだ。
たとえ運命の気まぐれに過ぎなくても、夢幻で再会を果たせるまで、ずっと――
それが、僕の見つけた『夢』と言う名の新しい希望だから。
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>>895
『そして、蛇足という名のエピソード』
いきなり肩を叩かれて、僕は我に返った。
半ばまで出た欠伸が引っ込むように、意識が身体に飛び込んでくるのを感じた。
僕は今、人も疎らな博物館の館内に立っている。
高校の夏休みも、残すところ僅かとなった日の午後一時。
だらだら先延ばしにしてきた自由研究を、ここらで片づけてやろうと一念発起したのだ。
ちなみに、僕らは郷土史についてのレポートを書く予定だった。
それにしても、誰なんだ。人が妄想に耽っているところを驚かせやがって。
苛立ちも隠さず振り返ると、人好きのする陽気な笑顔にぶつかった。
「……おまえかよ」
彼女――幼なじみにして腐れ縁の金糸雀は、僕に仏頂面を向けられるや、ぷぅっと頬を膨らませた。
「まっ! 曲がりなりにも共同研究者に対して、ヒドイ言い種かしら。
なんか難しい顔してるから、心配してあげたのに」
「はいはい、そりゃどうも」
こいつは下手に突っつくと、口喧しく反撥してくる。根が負けず嫌いなのだろう。
いい加減、こっちも長い付き合いなので、その辺のあしらい方は心得ているつもりだ。
暖簾に腕押し。のらりくらりと躱すに限る。
案の定、金糸雀は吊り上げた眉毛を、すぐに弓張り月へと戻した。
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>>896
この気の変わりようの早さはどうだ。いつもながら感心してしまう。
そのくせ、譲れないことは頑として譲らない、一本気な性格ときている。
敢えて一言で表すなら、『健気』が最適だろうか。
「ところで、ジュンは何を見てたかしら? かなり真剣な表情だったけど」
そんな顔してたかな? 思わず頬に手を遣った直後、「ええ、とっても」
金糸雀に心を読まれていた。いつもながら、察しのいいやつだ。
それとも僕は、自分で思っている以上に、感情が仕種に現れる質なのか。
「今にも頸を吊りそうな雰囲気だったかしら。なんか心配になっちゃって」
「なんか嫌だな、その形容。……まあ、いいけど」
僕は、ショーケースの中にある展示物を指差した。「これなんだけどさ」
江戸時代――元禄の頃の書だというソレは、達筆すぎて簡単には判読できない。
母国語を読めないなんて変な話だけど、良くも悪くも、僕らは活字に慣れすぎているのだ。
たぶん、意外に才女な金糸雀でも、原文は読めないだろう。
僕の見立てはドンピシャで、金糸雀は、くりくりした瞳を注釈へと向けた。
そして、「ああ……夫婦岩のお話ね」と、哀れみを含んだ相槌を打った。
「知ってるんだ?」
「この近所に伝わる民話としては、割と有名な哀話かしら」
「へぇ、そうなのか。恥ずかしながら、僕は、これが初見だよ。
口語訳を読んでたんだけど、なんか感情移入しちゃってさ」
見かけに拠らずロマンチストだねと、冷たい笑みを浴びせられるかと思いきや――
「解るなぁ、それ」
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>>897
金糸雀は愁いを込めた眼差しを、茫乎として彷徨わせた。
「特に、ラストで男の人が岩と変じて、彼女の墓石と寄り添うところが一途よね」
「だな。ある意味、ハッピーエンドなのかも」
僕としては、あまり好きになれないラストシーンだけど。
だって、そうだろう。人間、いつかは死に別れる。避けようのない現実だ。
そこで後追い自殺なんかするのは、後味悪い想いの転嫁に過ぎないじゃないか。
「ちょっと座らないか」
「……そうね」
いい加減、歩き詰めの立ちっぱなしでくたびれた。気分転換もしたかったし。
僕らはロビーに置かれたベンチに陣取って、肩を寄せ合った。
すると、五秒と経たないうちに、金糸雀が話しかけてきた。
「ジュンは……」
「うん?」
「愛と夢と、どっちかしか選べないとしたら、どうするかしら?」
『夫婦岩』の逸話は、彼女の心理に少なからぬ影響を及ぼしているようだ。
僕は腕組みして、一寸、考えてみた。
「正直、分からないな。そういう状況になってみないと」
「想像もできない?」
「と言うより、する気がない」
どちらを優先するかなんて、その時々の状況で変わるだろう。
だから、僕には、どちらとも言えない。言う気もない。
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>>898
今ここで真剣に悩むことに、何ら意義を見出せなかった。
金糸雀は、そんな僕をしげしげと眺めて、「ふぅん」と。
ちょっとばかり興を削がれたような面持ちになった。
けれど、すぐに持ち前の性質を発揮して、表情を輝かせた。
「愛か夢か……カナは、好きな男の子には夢を選んで欲しいかしら」
「どうしてさ。『夫婦岩』の話に感化されたか」
「んー、そんなつもりはないけど。強いて言えば、女の子としての望み、かな」
「女の子だったら、普通は愛を優先してもらいたいんじゃないの?」
「そんな女々しいヒトは、願い下げかしら。闘うべき時に、闘ってくれなければ、
百年の恋も冷めるというものよ。頼りないし、応援のしがいもないかしら」
「……なるほどな。歯がゆい気分にはなるかも」
我が意を得たとばかりに、金糸雀は「でしょ」と破顔一笑する。
不思議なもので、いつの間にやら、僕の口元にも微笑が移っていた。
「女の子ってね、本気で好きになったら、全力で支えてあげたくなっちゃうものなの。
本能的なものかも知れない。考えてみたら、損な役回りかしら」
「かもな。結局、『夫婦岩』の女性だって気苦労が祟って、早世しちゃった訳だし」
「でも、彼女は幸せだったと思うかしら」
「そうであってくれたら、こっちも救われるけどね」
帰らない人を待ち続けるなんて、よほど強い想いがなければ、できやしない。
生前だろうと、死後だろうと、健気な想いが遂げられて欲しいと願うのは人情だ。
おそらくは『夫婦岩』の逸話も、第三者の願望と自己満足が生みだした幻想なのだろう。
「ねえ、ジュン」
「なんだよ」
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>>899
「男の子は、どうなのかしら」
「なにが?」
「だから、愛か夢か。好きな女の子には、どっちを選んで欲しい? 男の子としては」
「ん、そうだな……」
男としては、愛を選んで欲しい……気がする。
無条件で、好きでいてもらいたいと――独占欲が上回ってしまうんじゃないだろうか。
そう答えると、金糸雀は小鳥のように、ちょこんと頸を傾げた。
「そうなのかしら? 女性の夢を応援したいって男性も、大勢いると思うけど」
「上辺の意見じゃないのかな、それって。世間体とか、理解あるフリをしてるとか」
「擦れた見方をするのね、ジュンって」
「ひねくれた性格なんでな。でも、反対のための反対をしてるつもりはないよ」
「……と、言うと?」
「つまりさ、男は根が甘えん坊だから、自分に注がれていた愛を奪われるのが怖いんだよ。
夢だなんて漠然としたモノでさえ、男にとっては恋敵なんだ」
だから、男女の仲は見解の相違から破綻するのだろう。
――なんて、したり顔で言う僕はまだ、そこまで深い恋愛をしたことがないけれど。
もしも恋人ができたとして、そのヒトが僕よりも趣味の世界に傾倒していったならば、
やはり穏やかでは居られないと思う。
ともすれば、顧みて欲しいばかりに、彼女の趣味を憎悪するかも知れない。
「そっか……そういうものなのね」
金糸雀は、思い出したように呟いて、頻りに頷いた。
「とっても面白い意見だったかしら。また、聞かせてね」
「僕の意見なんか、あんまり参考にならないぞ」
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>>900
「い〜のい〜の。お喋りできることに意義があるんだから」
「少しばかり、背伸びしすぎな話題だったけどな」
愛か夢か、だなんて――
僕らはまだ、それほど多くの選択肢を見出せるほど人生経験を積んじゃいない。
今は、その練習期間の真っ最中なのだ。
けれど、僕も金糸雀も、いつかは想い悩む時がくる。
降りることが許されない勝負で、選択を迫られる時が。
僕はその時、不退転の覚悟を示せるだろうか。
『夫婦岩』の男みたいに、夢に挫け、儚い愛に縋ってしまわないだろうか。
――まあ、先々のことを不安がっても詮ないことだ。
それより今は、目と鼻の先に横たわる、もっと深刻な問題を片づけなければ。
「さて、と。すっかり話し込んじゃったな。ぼちぼち再開するか」
勢いつけて立ち上がった僕を追って、金糸雀も腰を浮かせた。
そして、僕の肩に手を乗せ、耳元に囁きかけてきた。
「もし……もしもね、ジュンが愛か夢かで悩んだ時は……
カナよりも、夢を選んでね」
「はあ? なにトチ狂ったこと言ってんだ、おまえ」
いきなりな台詞だったので、僕も意地悪く、ぶっきらぼうに応じた。
「おまえが僕の彼女になるだなんて、想像もできないっての」
「んもう、ジュンったらイケズぅ〜」
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>>901
「それにな、幼なじみは大概、親友どまりなんだよ。はい残念でした!」
「えぇ〜、そんなぁ」
金糸雀は瞳を潤ませて、さも残念そうに肩を落とした。
さすがに、ちょっと冗談が過ぎて虐めになったかも知れない。
僕は、「けどな」と切り出すなり、金糸雀の頭をぽんぽんと叩いた。
「もし……もしもだぞ、僕とおまえが付き合うようになったとして、だ。
そんな選択を迫られた時には、約束するよ。お前の願いどおりにするって」
「ホントかしら?」
「ああ。ただし、僕はこれで意外に欲張りなんでな」
「……だから、なに?」
僕の言わんとすることが本気で理解できないらしく、真顔で訊ねてくる。
普段、必要もない場面では察しがいいくせに、なんでこう肝心なところで鈍いかな、こいつは。
それとも、分かっていながら、トボケているとか。
案外、ありそうなだけに、うまうまと踊らされるのは癪に障るが――
まあ、いい。ここで意地を張り合っても仕方がない。
金糸雀の深く澄んだ瞳を、まっすぐに見つめて、僕は言った。
「僕が夢を追う時には、おまえも連れて行く。引き摺ってでもな」
「カナが、嫌だって言っても?」
「応援してくれるんだろ?」
「それは、まあ……かしら」
「じゃあ問題ないじゃん。ま、もしもの話だよ。あんまりムキになるなって」
「……そうよね。もしもの話だったかしら」
金糸雀はコツンと自分のおでこを叩いて、ちらと舌を出して見せた。
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>>902
こいつの、こんな陽気な仕種が、僕はとても気に入ってたりする。
口に出したことは、一度としてないけれど。
「さっ! そろそろレポート書き始めなきゃね」
「ああ。できれば今日中に終わらせたいな」
「それはちょっと無理っぽいかしら」
「ズバッとテンション下がること言うなよ。気の持ちようが大事だぞ」
「あははっ。ごめ〜ん」
――なんて。
僕らは軽口を叩きながら、また、展示されている民俗学の資料を見て回った。
その途中、金精さまを見た金糸雀が茹でダコみたいに真っ赤になったりもしたけど、
基本的には、普段どおりの一日だった。
帰り道でも、いつもと同じポジション。歩調を合わせ、ふたり、並んで歩く。
世界が焼け色に染まっていく中で、僕は徐に切り出した。
「あ、そう言えばさ」
「なぁに?」
「さっき説明書きを読んで知ったんだけど、『夫婦岩』って割と近所にあるのな」
「そうね。カナたちの町からだと、自転車で三十分くらいの距離かしら」
「明日、どうかな」
「えっ?」
「だから、見に行ってみようかと思ってさ。明日、暇か?」
いきなりの誘いで呆然とするかと思いきや。
金糸雀は、瞬時にして満面の笑みを湛え、僕の腕に抱きついた。「もちろんっ!」
「カナは、いつだって付き合ってあげるかしら」
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>>903
「……微妙に言葉のニュアンスが違ってるような気が、しないでもない」
「気のせい気のせい。うふふ……明日、晴れるといいなぁ」
「ああ、そうだな」
過ぎゆく夏の夕暮れ。街にはまだ、昼間の熱気が居座っている。
そんな時に抱きつかれたら、正直、暑苦しくてかなわない。
実際、触れ合っている箇所は、もう汗ばんでいた。
でも、どうしてだろう。
今日に限って、汗をかいた素肌がぺたぺた吸い付く感触が、不思議と心地よかった。
こういうのも悪くないかな……と、素直に思えた。
▼ ▲
あの頃の僕らは、想像さえしていなかったよな。
数年後に、『もしも』と茶化していた話が、こうして現実となっているだなんて。
ひょっとしたら……そう、これは僕の勝手な思い込みに過ぎないのだけれど。
僕らは、超自然的なナニかで結びつけられた、空前絶後の腐れ縁だったのかも知れない。
抱き合って、ひとつの岩に変じてしまうほどに強力なナニかで――
「ジュン。そろそろ時間かしら」
僕は回想を中断して、傍らに佇む金糸雀へと、顔を向けた。
当時を知る友人たちに言わせると、こいつは見違えて美人になったそうだけど……本当かねぇ?
毎日のように顔を合わせてる僕には、よく分からない。
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>>904
高校を卒業してからも、僕らは自然と近くにいて、いつの間にか交際していた。
愛の告白とかラブレターを書いたとか、そんなのは一切なかった……と思う。
それなのに、なんでだろう? これもまた、今もって分からない。
ただ、あの時、博物館で語ったとおり、金糸雀は僕を支え続けてくれている。
夢を掴むべく邁進するあまり、たまに辛く当たったりもしたのに。
それでも、ここまで付いてきてくれた。
「本当に、ありがとな。マジでさ、感謝してる」
今日、僕らは夢に向かって、さらなる大きな世界へと羽ばたく。
そのスタートラインに立って、僕は素直な気持ちを伝えた。
金糸雀は、意表をつかれたように、ぱちくりと瞬きをした。
「どうしたの、急に。ちょっとセンチメンタルになったかしら?」
「ん、いや……今まで、ちゃんと言ったことなかったから、それで」
「へぇ〜。一応、気にしてくれてたんだ?」
「当然だろ。そこまで人非人じゃないって」
「うん……知ってる。ずっと前から、ね」
こんな風に、僕らは語り合ってきたし、これからも語り合っていくのだろう。
七十億に達しようかという人類の中で巡り会った、奇跡のふたり。
この縁を愛おしく思えないのなら、それは究竟の不幸と言わざるを得ない。
「愛か夢か、じゃないよな」
「愛も夢も、でしょ?」
「ああ! これからも、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いするかしら。ずぅっと、ずぅっと、ね」
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>>905
ずぅっと、ずぅっと――
なぜだろう。遥かな昔にも、誰かに囁かれた憶えがある。
あれは、いつのこと?
まあ、それは機内で思い出せばいいか。先は長いのだから。
僕らは荷物を手にして、国際便の搭乗口へと向かう。
いつものように、ふたり、肩を寄せ合いながら――
〆
これにて終了。
元々は、13日の金曜日にちなんだ即興書きでした。
ウィキに載せる当たって加筆修正したら、とんでもなく長くなったでござる。
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>>906
甜菜しました。
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>>861
いまさらですが甜菜しました。
>>885
ここは一応本スレ扱いらしいので、特に希望がなければ甜菜はしなくてもおkだそうです。
まぁ、需要あるみたいなんで勝手にしちゃいましたが。
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空はまるで怒り狂っているかのように荒れ果て、大地は低く震えている。
稲妻に照らされた丘の上に稲妻が走り……一つの十字架を照らし出した。
「さあ、答えなさい!ジュン!!」
まるで処刑人のように、赤い服の少女…真紅は十字架に掛けられた少年に声をかけた。
真紅の隣には、黒衣の告死天使として水銀燈が……さらには翠星石、蒼星石、雛苺に金糸雀まで立っている。
「一ヶ月……そう、一ヶ月も考える時間は有った訳よねぇ……?」
「もう、いい加減に素直に白状しやがれですぅ」
「僕を選んでくれるなら、少なくとも僕は君を赦してあげなくもないよ?」
「ヒナはジュンの事が大好きなのー!」
「この才女・金糸雀に好意を寄せてたのはバレバレかしらー!」
十字に張付けにされたジュンの前で、乙女達はそれぞれの想いを告げる。
今は、バレンタインデーからちょうど一月。
ホワイトデーという名の断罪の日であった。
「答えなさい!ジュン!!貴方は誰の想いに応えるというの!?」
処刑場のような丘に、真紅の叫びが雷光を伴いながら木霊した。
-
―※―※―※―※―
「桜田君が、さらわれた?」
ジュンの姉・のりの言葉に、巴は耳を疑った。
何故、そんな事になったのか、と。
「そうなのよぅ……ジュン君、バレンタインにいっぱいチョコ貰ってたでしょ?
それで、ホワイトデーには誰にお返しするのか、って真紅ちゃん達が……」
のりは困ったような表情を浮べながら状況を説明する。
つまりは、誰もがジュンは自分に好意を寄せてると勘違いした上での暴走、という事だった。
「早くジュン君を助けてあげないと……」
のりはそう言うと、手に持ったラクロスのラケットをギリ、と握り締めた。
「だって、ジュン君は真性のシスコンで、本当はお姉ちゃんの事が好きで堪らないないのよぅ?」
眼鏡に光を乱反射させギラリと目元を輝かせながら、のりは「ふふふ…」と笑みを浮べる。
巴は、そんなのりの姿を見て……そして、暴走した真紅たちの事を考え……確信した。
全員、真紅たちも、のりも、完全に病んでいる。そんな連中に桜田君を渡すわけにはいかない。
それに……皆勘違いしている。
桜田君は真性の変態で、幼馴染というシチュエーション以外は受け入れられない人物なのだ。
「私も、一緒に行きます」
とりあえず、ブラコンの変態とは(あくまで真紅たちを始末するまでだが)手を結ぶ。
そう決断した巴は、背中から竹刀を抜き放ち……妖しげな、薄暗い笑みをその顔に浮べ始めていた。
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―※―※―※―※―
頸骨を叩き折るラクロスのラケット。そして兵器と言っても過言ではない程の威力を秘めた竹刀。
それらを手に歩き出したのりと巴の背中を見つめる影が、電信柱から姿を現した。
「……きらきーの計画通り……」
「ふふふ……お互いに潰しあって頂いて……そして最後に全てを手に入れるのは……」
病的な美しさの二人…雪華綺晶と薔薇水晶の計画は、実にシンプルだった。
暴走した真紅たちと正面からぶつかり、ジュンを確保するのは至難の業。
だったら巴やのりを呼び、互いに争わせて……漁夫の利を狙えば良い。
全てが計画通りに進む中、雪華綺晶と薔薇水晶は異常な光を宿した瞳を楽しそうに輝かしていた。
「さあ、ばらしーちゃん。好機を見逃さないよう、私達も行きましょうか」
「……うん……」
二人は作戦の成功を確信しながら、奇襲を仕掛ける為に移動を始める。
空からは再び稲妻が解き放たれる。
その光によって伸びた雪華綺晶と薔薇水晶の影は……まるで異形の存在であるかのように、妖しく蠢いていた。
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―※―※―※―※―
「……来たわね」
真紅は小高い丘の上から、こちらに近づくのりと巴……
そして、本人達は隠れているつもりなのだろうが、高い所からでは丸見えな雪華綺晶と薔薇水晶を見下ろしていた。
「待っていて頂戴、ジュン。すぐに蹴散らして、貴方からの告白を聞いてあげるから…」
そう言うと、十字架に括られたジュンの頬にそっと指をなぞらせる。
完全に開ききった真紅の瞳孔には、何の光も見出せない。
「全く、勘違いもここまで来ると滑稽ねぇ?……すぅぐに戻ってくるから、心配ないわぁ……」
水銀燈もジュンにそう声をかけるが、歌うように軽やかな口調がどこか不気味だった。
「人の恋路を邪魔するとは、許せん奴らですぅ!」
「そうだね。せいぜい後悔させてあげようか」
翠星石は鈍器のような鋼鉄製の如雨露を、蒼星石は禍々しい輝きを放つ巨大な鋏を、それぞれ手に取る。
「大丈夫。ジュンはヒナが守ってあげるの」
まるで蟻の足を捥ぐ子供のような純真な笑みを浮べながら、雛苺も十字架の上のジュンに声をかける。
「その程度の戦力でカナのジュンに手を出そうだなんて、ちゃんちゃら可笑しいかしら!」
バイオリンを野球のバットのように振り回しながら、金糸雀が異様に楽しげな声を上げる。
誰もが、狂っていた。
皆が、愛という名の常闇に飲み込まれていた。
そして……程なくして、ホワイトデーという名のアルマゲドンが始まる。
誰が勝っても、人類(ジュン)に未来は無い。
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>>909-912
終了です。
ホワイトデーだから書いたけど、規制されてたよ。
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>>907
おお、甜菜ありが㌧!
お猿などの関係で、甜菜依頼するのは気が引けてしまうのですが……そうですね。
スレを賑わすためにも、次からは素直に甜菜依頼するようにします。
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>>913
ホワイトデーには間に合わなかったけど天才しました。
モテモテいいなぁ。ヤンデレしかいないっぽいのは辛そうだけど
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その青年は突然に、私たちの乙女の園――有栖川荘にやってきた。
上下揃いのタキシードを品よく着こなし、口元に笑みを絶やさない優男だった。
一見すると人畜無害そうで、どっか慇懃無礼な気配。こういうタイプ、私はあまり好きじゃない。
「今いる方たちだけで構いませんから、食堂に呼び集めてはもらえませんか」
柔らかい口調で伺うも、そこには有無を言わせない響きがあった。
アルバイトに行った数名を除く面々が一堂に会すると、青年は恭しく名刺を配りだした。
「白崎と申します。このたび、学園からの連絡事項を、みなさんに伝えに来ました」
彼の語るには、学園理事会が、このほど有栖川荘の風紀について難色を示したのだとか。
つまり、管理人不在のまま、学生の溜まり場にはしておけないという見解だ。
その意見には、私も賛同したい。学生だけでは、なにかと心配だもの。
「学園としては、有栖川荘そのものを一時閉鎖する方向で纏まりつつあります」
「ちょ、ちょーっと待ったです! じゃあ私たちは、どうなるですか!」
「学園側が斡旋する寮、アパートに移ってもらうことになりますねぇ」
冗談じゃない。入居して早々、追い出されるなんて嫌だ。みんなと離ればなれになるのも、だ。
ならば、選ぶ道はひとつ。学生たちが資金を出し合って、新規の管理人を雇うしかない。
「私たちは、ここで暮らし続けたいです。だから絶対に、この有栖川荘を守るですよ!
真紅さんの帰りを待つためにも、入居を希望するだろう未來の乙女たちのためにも」
ただの独りよがりかも知れないけれど、それが今の住人である私たちの使命だと思う。
幸い、みんなも私の意見に賛意を示してくれたので、問題提起のキッカケは掴めたようだ。
「なるほど……解りました。これは一度、理事会と話し合いの席を持つべきですね」
白崎さんは、また後日に来訪すると告げて、今日のところは引き上げて行った。
そして私たちも、当面の管理人代行および運営委員を二名、民主的手段で選出したのだった。
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私は今、春先の柔らかな朝日の下で、有栖川荘のそこそこ広い庭を掃除している。
どうしてかと言えば、他でもない。私が運営委員だからだ。
先輩と新入生から各一名を投票で選んだ結果、私と水銀燈先輩がその任に就いたのである。
「はぁ……あの微生物ジャンキーは、ちゃんと働いてくれるですかねぇ?」
冗談めかし、ボヤいてみる。なにしろ、アンニュイで勝手気ままな彼女のことだ。
「気が乗らないわねぇ」の一言で、一切合切をこちらに丸投げされては堪らない。
まあ、先輩にとっても真剣にならざるを得ない問題だし、大丈夫だとは思うけれど……。
寝ても醒めても、先行きへの不安から、気分が鬱ぎがちだ。溜息の回数も増えた。
そして、通算何度目かの吐息を漏らした私は、不意に話しかけられて背筋を伸ばした。
振り返ると、朝のジョギングから戻った雪華綺晶さんが微笑んでいた。
アディダスの白いジャージが朝日に映えて、ちょっと神秘的だ。
「困ったことになりましたわね。私たちは、どうなってしまうのでしょう」
言いながら、雪華綺晶さんは庭の隅に植えられた灌木に、琥珀色の瞳を向けた。
あの木が、なんだと言うのだろう? 訊ねると、彼女は教えてくれた。
「私が入居するとき、記念で植えたのです。管理人さんの許可をもらって。もう3年になりますわね」
「そうだったですか。でも、どうして桃です?」
「実がなる方が楽しいじゃありませんか。美味しい果物なら、なお良しでしょう」
なるほど、いかにも彼女らしい発想だ。桃栗3年と言うし、これなら在学中に収穫を楽しめる。
その日まで、この有栖川荘に住み続けたいものだ。ううん……是が非でも、そうしなければ。
「楽しみですね」と告げたら、雪華綺晶さんも「そうですわね」と――
そして私たちは顔を合わせ、どちらからともなく笑い合った。
あとで、三周年記念のケーキを焼いてあげようかな……なんて、私は思ったりしていた。
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>>916-917
ひとまず二話だけですが、スレタイ物のつづきを。
本スレへの甜菜をお願いします。
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>>918
転載しました。
こういうスレタイものがあると、スレタイ決めるのも楽しくなるので面白いと思います。
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>>915
ありがとうございます!
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>>919
どうもありがとう!
またお願いするかも知れないけど、その時にはどうぞよろしく。
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「結菱って警察署の設計もしたはずだよな?
署内の見取り図と、手に入るのであれば、警官の制服と手帳」
「確かに設計もしたはずですが、探すのはちと時間食いそうです。
制服は手に入ると思うですが、多分手帳は無理です。他に道具は何か必要じゃないですか?」
「道具は……、スタンガンかな。拳銃は調達出来ると思うし。やっぱり手帳は無理か……。
なら、警察署のパソコンにハッキング出来ないかな? 今から言う交番のシフト表が欲しいんだ」
「スタンガン……。取り寄せられると思うですけど、多分直接買いに行った方が早いですよ。
あと、ハッキングですか……。ジュンは知識あるですか? 一応、機材的にはいいのがあるですけど」
「多少なら出来ると思う。知識もあるし、何度か試したこともある。……暇人だったからね」
翠星石は笑った。
「こりゃあいいです! 元自殺志願者と、元犯罪者の暇人タッグですか!」
ジュンもつられて笑う。確かにそうだ。
ひとしきり笑った後、ジュンはもう一つ尋ねた。
「あと、この緩衝材の性能についても聞きたいんだ。どこまでの衝撃を抑えられるかって……」
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――――――――――――――――――――
頭の中でジュンはもう一度これからの予定を整理した。
交番の奥のトイレに気絶した警官は制服を奪われ、縛られて放置されている。
もう一人が返ってくるまでが勝負だ。戻ってきたら、全ての署に連絡が行きわたり、この手帳は使えなくなってしまう。
制服は一度試着してみたが、ぴったりと合っていた。問題ない。ただ、腰についた拳銃が落ち着かない。
もう遊びではないのだ、と言い聞かせる。
そう。これから彼は大きな罪を犯すのだ、と。
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――――――――――――――――――――
「ジュンは時計持ってるですか?」
「時計? 持ってないな。普段からつけないし」
「そーですか。ちょーど、腕時計が一つあったですから、これ。持ってけです」
「え? いいのか?」
「計画、失敗したらヤですからね。あくまで計画のためです。勘違いしないでです」
段々と早口になっていく翠星石。彼女の視線はジュンを捕えていない。
それにジュンは気付かず、腕時計を見て、感謝を述べた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
プシュウと言う音がして、電車の扉は開いた。
-
電車の中でも何度も見ていたが、再び左腕につけた時計を確認する。背中に負ったカバンが重い。
時刻は十一時三十二分。時間帯のせいであろう、ここで降りる乗客はほとんどいなかった。
ジュンは電車を降り、辺りを見渡す。
警察署前。ホームに人は数人しかいないようだ。
登りと下りのホームは別となっている。そのためなのだろうと、彼は判断した。
そして駅の中にあるトイレを見つけ、向かった。
ベンチ、自動販売機。ここにあるのはそれぐらいのものだ。
WCと書かれたプレート。入るとそこにはすぐ、大きな鏡があった。洗面台のためのものだ。
小便器は全部で七つ。個室は全部で四つあった。入口から三番目の個室トイレのドアを開き、中に入る。
ドアの板は中が立ったままなら見えないほど長い。
背負ったカバンを便器のふたの上に下ろし、中身を取り出す。制服だ。警官の。
手に持って、まじまじと見つめた。眉にしわがよる。
そして、上着を脱ぎ、着替え始めた。
シャツは着替えていない。彼にとって革靴を履く、そして帽子を被るのは久しぶりだった。
上着と、穿いていたジーンズ。そして、シューズを鞄に詰め、その個室トイレの天井――何かしらの工事のためであろう、蓋を押しあけ、その中に隠した。
蓋を戻し、時計を確認した。時刻は午前十一時二十四分。
個室を出る。トイレを出る時、鏡に警官の姿が映り、体が強張ったのだが、それは彼自身の姿だった。
改札を出て、駅を出る。スプリンクラーの雨が降り注ぐ。
濡れないように小走りで行く。目の前の階段を下りて、警察署の前についた。
彼は不安だった。本当にこの服装だけで騙し切れるのかどうか。
ままよと、彼は腹を括った。数人の警官とすれ違った。
制服、スーツ。両方ともいたが、誰一人として彼の行動を怪しむそぶりを見せなかった。
入口の自動ドアを通り抜け、関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板の奥の改札まで行ってから一つやり残していたことを思い出した。
周りを見回しても、目的のものは見つからなかった。軽くため息をつき、玄関へ戻る。
自動ドアの前に立つ。丁度目の前に、入ろうとしている人間がいることに気づき、一歩右にずれた。
ドアは開き、その男と対面する。その時彼は気付いた。
-
――自身を逮捕したあの警官、白崎だ。
予想外のことに緊張が走る。思わず帽子のつばに手をかけ、目深にしてしまった。
そのまま、すれ違う。振り向くなと、言い聞かせた。
きっと振り向けば、全てが水泡に帰すと。
背中に視線が突き刺さるのを感じた。そのまま速度で歩き続ける。
すぐそばの通りの角を曲がり、一息ついた。
心臓の鼓動は全力疾走したかのように激しく脈打つ。
ある程度落ち着いてから、辺りを見回した。
あった。
彼はそれに向かう。
フォンブースの扉を開け、中に入り財布を取り出し、受話器を持ってから小銭を投入する。
そして、番号をプッシュした。プルルルというダイヤル音が数回。
ガチャリという音で相手は応答した。
「はい、結菱です」
「翠星石か?」
「ジュン? 今どこです?」
「警察署の前。制服も着てる」
「了解です。じゃあ、信頼できるやつをそっちに向かわせて、鞄を回収させるですよ」
「ありがとう。場所は駅の男子トイレ。入口から三番目の個室の天井だ。でも、本当に信頼できるんだよな?」
「大丈夫です! 任せるです!」
「分かった、ありがとう。事が上手く運べばまた電話する」
「合点承知の助です。では、健闘を祈るですよ!」
会話は短い。それもそうだろう。予定の時間と言うものがあるのだ。
それを逃してしまったらどうしようも無くなってしまう。
フォンブースを出、再び警察署へと向かった。
今度は、誰ともすれ違うことはなかった。
-
自動ドアを通り、改札へ向かう。
震える手で懐から警察手帳を取り出し、かざした。
ピッという電子音とともに、バーは開いた。彼は足早に通り抜ける。
手帳を懐にしまいながら、エレベーターのスイッチを押した。
エレベーターが到着するのが、彼には長く感じた。
足が震えている。
ポンという音がした後、ドアは開いた。
その中に入り、階数スイッチを押す。
監視カメラはその様子を無機質にとらえ続けていた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
緊急警報が署内に鳴り響く。
白崎は取り調べていた容疑者から目を放し、スピーカーを見つめた。
「刑事さん。言った方がいいんじゃないの? 事件だってさ」
容疑者は笑いながら言った。
「いえ、貴女の取り調べの方が先です。あれは別の方に任せますよ。心配どうもありがとうございますね」
今、取り調べ室には白崎、婦警、容疑者の三人だ。
鳴り終わり、再び書類に目を向けようとした途端、また警報が鳴り響いた。
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今度は別の場所らしい。しかし、先ほどの内容とほぼ同じだ。
それが鳴り終わった後、三度警報が鳴り響く。さらに別の場所で同じ事件が起こったという知らせだ。
しかし、それだけでは終わらなかった。同じことが数回繰り返され、ようやく静かになった。
彼は混乱していた。彼だけでない、署内全体が混乱していた。
思い当たる節があるのだ。五日前の7th組織、一斉摘発。その残党の仕業なのかもしれないと。
もしそうなら、ますます大変なことになる。
完全に組織を潰せていなかったことにより招いた混乱は警察の信頼は失落させ、治安は悪化する。
署内は大急ぎで、人員を裂き、別の課からも人を呼ぶはめになっていた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
目的の階に着いたことを知らせる音が鳴り、ドアは開いた。
署内の地図は頭に叩き込んである。迷いなく、監視・アナウンス室へと向かった。
ドアをノックし、入る。そこには男女の警官、二人がいた。
彼は懐に隠していたスタンガンを左手に持ち男の警官に、背後から押し付けスイッチを押した。
通電し、びくりと体は仰け反る。彼はそのまま倒れた。
その音に驚いた婦警に、右手に持った拳銃を向ける。
彼女はとっさに何かのスイッチを押そうとしたが、それを阻んだ。
そのスイッチは間違えて押さないように、プラスチックのカバーがしてあったために、間一髪で防げたのだ。
ジュンのこめかみを一筋の汗が伝う。
銃口をそらさず、スタンガンをしまい、左ポケットから一枚のメモを彼女に手渡した。
-
「これを、読み上げろ。緊急入電だ」
汗は顎から、滴となって落ちた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
緊急入電に白崎も大急ぎで、廊下に飛び出す。
「状況はどうですか!」
すぐ外にいた警官を捕まえる。
「人員は大丈夫そうです! 白崎刑事はここで指示を、とのことです!」
「了解です! お気をつけて!」そう白崎は返す。
呼び止められた警官は駆け足で去っていった。
取り調べ室に戻り、容疑者と向き合う。
「残念ですが、ここで一旦中断させてもらいますよ。すぐに戻ってきますので」
「残念だったなぁ。そろそろ話そうかと思ったのに」
「……。代わりの者が来ますのでその方にお願いします」
「いやだね。ぼくは、あなたなら話すよ」
白崎は迷った。そして、椅子に再び腰を掛ける。
部屋にいたもう一人に、指示は別の警官に少しの間、出させることを伝えるよう命じた。
部屋に残ったのは、二人だけ。
「では、お願いします。蒼星石さん」
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
-
婦警の持っていた手錠で彼女自身を拘束した。気絶している警官も同様だ。
ジュンは監視カメラで慌ただしい署内を見つめる。
「見つけた!」
彼は思わず叫んでしまった。
「これはどの部屋!?」監視カメラの映像を指差しながら婦警に尋ねる。
「と、取り調べ室です」彼女はすっかり脅え切ってしまっていた。
「何階?」
「一つ上の階です」
彼はそのまま急いで、部屋を飛び出した。
だが、出る直前に立ち止まり、婦警に向かって彼の出来る最大限の笑顔で安心させようとするために感謝を述べた。
「ありがとう。桑田さん!」
彼女の胸のネームプレートに書かれていたその名前を呼んだ。
ひい、と悲鳴は上がり、彼は走って行った。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
「では、お願いします。蒼星石さん」
白崎は彼女に向きなおる。
本来なら、女性に取り調べをするときには、婦警も同伴しなければならないのだが、場合が場合だ。
「じゃあ、何から話そうかな?」
-
蒼星石は言う。
その時、ガチャリとドアは開き、制服警官が入ってきた。
「どうしました!?」
白崎は驚いて尋ねる。
その男は後ろ手でドアを引き、閉めた。カギはない。
そして、
「お久しぶりです。白崎刑事」拳銃を突きつけた。
「ジュン君!?」「桜田!?」
二人同時に驚きの声が上がる。
「どうしてここに!」
蒼星石は怒ったように言った。
「借りを返しに来たんだ。君が逮捕されたのは僕のせいかもしれないしね」
「ふざけないで! なんでそんなことのために来たのさ!」
「落ち着けって。今は急いでここを出るぞ」
銃口は白崎に向けられたままだ。
「白崎刑事。あなたは人質です。ついてきてください」
そう言って彼の首に左腕を回し、右手に持った銃をこめかみに突き付けた。
「行こう」
そう一言、ジュンは告げた。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
エレベーターが三階についたことを示すランプがともった。
-
扉が開く。彼らはデジャビュを感じた。
しかし、今回は銃口が待ち構えてはいなかった。
だが、警官達はいた。移動前だったのだろう。
「どいて下さい」
ジュンは言いながら、拳銃を軽く振った。
人だかりは割れ、道が出来る。その間を三人は素早く通った。
そして、白崎を盾にするように向き直る。
エレベーターの先には何もない。
彼は警戒しながらゆっくり移動し、一つのドアの前に立った。
フロアを仕切る壁は全てガラスでできており、外から見通せるようになっていた。
その彼の選んだ部屋は、最も多くの警官がいた。一目で分かるほどにだ。
自動ドアは開く。左右をよく見ながら、ジュンは蒼星石を背後に移動させ、警戒しながら窓に近づいていった。
「もう、やめにしませんか?」
人質の白崎が口にする。ゆっくりと警官たちは近付いてくる。
「逃げ場はありませんよ」
ジュンも蒼星石も答えない。
「あなたはここまで、よくやりました。いまなら罪は軽いですよ」
ジュンは腕時計で時間を確認し、「そろそろだな」と呟いた。
そして、拳銃を真後ろの窓に向けて撃つ。
ジュン以外、その音に身をすくめた。
ガラスは砕け散り、地面へ落ちてゆく。
綺麗にその枠のガラスは全て、無くなった。
よく外の音が聞こえる。
「諦めましょうよ」白崎の声。
ガタンゴトンと音がする。
「ね、まだ間に合いますから」
その音は近付いてくる。
そして――。
ジュンは蒼星石をそこから突き落とし、自身も白崎を掴んだままそこから落ちていった。
-
落ちてゆく彼らの視界に急いで窓枠に近づく警官たちが映った。
自由落下ではない。この建物の斜面に沿って落ちてゆく。
ガタンゴトンと音は近付いてくる。
雨にぬれて、摩擦係数は減っている。
この警察署の形は五角錘だ。
ガタンゴトンという音の先頭は通り過ぎた。
落ちてゆく彼らの向きは足が下だ。
二人はすぐに待ち受けるであろう未来を想像した。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
「あと、この緩衝材の性能についても聞きたいんだ。どこまでの衝撃を抑えられるかって……」
「分かったですけど、何ですか?これ」
「貨物車のコンテナの下に使われているやつなんだ。人を支え切れるかどうかが心配でさ」
「……?どういうことです?」
「簡単にいえば、ここ目がけて落下するつもりなんだ」
「ほあ!? 何寝ぼけたこと言ってるですか!」
-
「大真面目だ。確か、この素材は最も優れているって聞いたからね」
「ま、まぁ、調べてやらんこともないですが……」
「よろしくお願いな」
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
彼らはコンテナの詰まれていない貨物車の上に落下した。
その緩衝材の性能は確かだったらしく、着地した位置で彼らの体はとどまった。
ただ、白崎は着地の仕方が悪かったらしく、痛みに呻いていた。
しかし、結果として誰ひとり命を落とすことなく、ジュンは目的を達成した。
彼は全て、計算通りだったのだ。
時間が全てだった。タイミングを逃してはならなかったから。
この地域の特色として交通の面では、クモの巣のように張り巡らされた鉄道が完全にダイヤ通りに動いていることが挙げられる。
SEAVEN 第六話「Sick」 了
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投下完了です。
wikiの第五話、間違えて修正前のを載せてしまいました。
また今度、修正版載せます。
次回、最終話。
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>>934
転載しました
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>>935
甜菜どうもありがとうございました!
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馬鹿と思うぐらい正直に好きだということを伝えるべきか、それとも叶わぬ恋だと思って心の奥底に気持ちを秘めておくべきか。
それは想いを寄せる相手の身分や立場、自分と相手の関係なども含めて考えなければいけないことだと、ずっとずっと思っていた。
しかし、いざ片想いをしてみると。
今まで僕が考えていた理屈たちはもろくも崩れさっていき、たった一つ、どうしても彼女に好きだと伝えたい、小さく純粋な気持ちだけが残っていた。
ここまでくるとどうしようもない。
彼女がいれば目で追ってしまうし、ほんの少しでも言葉を交わすと緊張の為か顔の筋肉が引き攣り、心拍数も異常なほどに上がる。片想い、こんなに辛いと知らなかった。
いい加減、その片想い生活にもピリオドを打とうと考えたのは昨日。彼女に告白しよう、そう決心したのもつかの間。すぐに不安と恐怖が僕を襲ってきた。振られたらどうしよう、明日からどう暮らして、彼女に会えばいいんだ。いかにも恋をしたことがない奴が陥る事態に僕もはまってしまったのだ。どんどん心へのしかかってくるプレッシャーから逃げるように布団を被り、まどろみの中で彼女を呼び出す為の口実を考えていた。
お嬢様、雪華綺晶。
僕の片想いは果たして実るのか。それは全て明日にかかっている。
いよいよ、決戦の日。すなわち今日が来てしまった。
僕以外の人間にとってみれば、なんの変哲も無いただの木曜日。
朝から緊張のあまり、がちがちになっている僕にとっては幸せの木曜日になるか暗黒の木曜日となるか、どちらかしかない。
こういうときは頭をかきむしると気が紛れるって誰かが言ってたっけ。
ああ、駄目だ。気を紛らわす前にお嬢様はやってきた。それもとびきり可愛い笑顔を見せて、
「おはようございます、ジュン様」
何事も不意打ちというものは驚くべき威力を持っている。
まさに今のお嬢様は、世界最強。
ひらひらと揺れるチェックのプリーツスカートからのぞく足は僕が見てきた女の人の中で誰よりも綺麗で。
「おはよう。今日も……いい天気だ」
本当は綺麗だね、なんてかっこつけてでも言ってみようかと思ったけれど、さすがにそんな勇気はなかった。
すでにお嬢様の絶対領域のおかげで、勇気なんぞ粉々に砕けちっていたからだ。
僕の裏の深意までは汲み取れなかったものの、不審な言葉の間にお嬢様は眉をひそめながらも輝く笑顔までは曇らせることはなかった。
荷物を置きながら席へつくお嬢様を目で追いながら、一つため息をついた。
ちらっと窓の方を見れば、外は雲ひとつさえ浮かんでおらず、青色の絵の具で塗ったような空色が広がっていた。
青空に比例するように、僕の心もすうっと真っ青になっていった。
「溜息をつくと幸せが逃げますよ?」
「幸せは放し飼いでこそ育つものだ」
ジュン様らしいです、そう言ってくすりと笑いを零すお嬢様。
「なぁ」
「なんです?」
「今日、何か用事あるかな」
自分でもびっくりするほど、すんなりと言葉が出てきた。
無心というものはこういうときにありがたい。
お嬢様は少し首を傾けてスケジュール帳を広げて、
「……ありませんわね。どうかされたのですか」
「話したいことがあってな」
ちょっとした人生相談だよと冗談で言ってみると、お嬢様は何が嬉しいのかわからないけれど、やけに弾んだ声で「まかせてください」と張り切っていた。
君のことで悩んでいるんだよとは言えず、ただただ苦笑いを浮かべている僕だった。
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お嬢様は終業のチャイムが鳴るまでずっとわくわくしていたのだろうか。
終始笑顔を絶やすことなく――それも明日遠足に出かける小学生の様な無邪気なものだった――周りからは怪しいやら、可愛いやら、いろいろな言われようをしていた。
「何か変なものでも拾って食べたんじゃないの?」
挙句の果てにはこんなことを言う輩が居る始末。
もちろん、その不適切な発言をしたのはお嬢様の大親友である水銀燈である。
「あのなぁ、お嬢様が拾い食いなんてしてたら恐ろしいだろうが」
拾い食いなんぞお嬢様の品格に関わる大問題になりかねない。
本人とその親友はさほど気にしていないようだが、こういうのは全く関係ない第三者が焦るだけ。
まさに、僕だ。
「きらきーにお嬢様の品格とかなんとかを求める時点で駄目よぉ。あの子が小学生のときなんて、それはもう……」
「やめてくださいっ、これ以上言っては駄目です!」
水銀燈の減らない口を慌てて塞ぎ、悍ましい過去の汚点を否定するかのように首を振って喚いたお嬢様の顔は茹で蛸までには及ばないものの、十分赤くなっていた。
そして、思いがけない驚きの一言を、水銀燈は発してしまった。
「だぁい好きなジュンには聞かせたくないからってそんなに必死にならなくてもいいじゃない」
帰りのSHR前、ざわついていた空気が一瞬のうちに静まり、今までに感じたことのない雰囲気が僕とお嬢様と水銀燈を包んでいく。
なんてことを言ってくれるんだ、こやつ。
「前言ってたでしょ、ジュンのことが好きって……」
この空気だというのに、水銀燈は相変わらずのいたずらっ子の笑みを浮かべて満足げに身振り手振りで語っている。
僕は奇妙な敗北感が体中を支配していくのをひしひしと感じながら、横に居るお嬢様をちらっと見てみた。
そこには、さっきより比べ物にならないほどに顔を赤くさせて――それも耳の先まできっちりと――ぷるぷると小さく体を震わせる姿があった。
お嬢様はうなだれた頭をゆっくりと上げて、一瞬。時が止まったのではないかと覚えるほどに、耳をつんざく大声で叫んだ。
「銀ちゃん……なんてことをしてくれるんですかぁああああ!!!」
品格もなにもかもを全て吹き飛ばす決死の叫びは僕の敗北感さえも拭い去っていくのだった。
-
教室の開け放たれた窓から、夕日のオレンジ色をのせた少し冷たい春風が吹く。
「さっきは取り乱してごめんなさい」
春風はお嬢様の髪の毛をふわりと舞い上げて、遊んでいる。
「いいよ、煽った水銀燈が悪いんだし。きらきーのせいじゃない」
「私のせいなのぉ?」
当たり前だろ、そう戒める視線を水銀燈に向けると、ぷいと他の方を向かれた。
自分の比を認めないところはさすが薔薇乙女の一員といったところか。
「でも私のおかげできらきーはジュンに好きって言えたじゃない! それは悪くないわよねぇ」
悪いも悪くないも、それ以前の問題としか考えられない。
しかし、お嬢様はぎこちない笑みを浮かべながら頷いている。
「ほぉら」
それを見て、勝ち誇った表情をする水銀燈。
「それでジュンはどうなの。きらきーのことどう思ってる?」
目を潤ませて僕を見るお嬢様と、口の端を上げてにやつく水銀燈を見て、
「僕はずっと……うん、きらきーのこと好きだったから」
変な形ではあるけれど、お嬢様に対する気持ちを告白することが出来た。
そんな僕を見て、さらに水銀燈はにやつく。
「きらきーさえ良ければ、僕と付き合ってくれないかな」
言い終えたと同時。お嬢様は勢い良く立ち上がった。
そのせいで椅子ががたんと音を立てて転がる。
何をされるのかと、心の中で悲鳴を上げてしまった。それほどまでに威圧感が今のお嬢様にはあった。
「ジュン様のことずっとずっと好きでした。私なんかでよければ……お願いします」
白く輝く八重歯をちらりと覗かせながら、お嬢様は見たことも無いとびきりの笑顔で。
たったそれだけで、僕の心は一瞬のうちに捕われる。
もうお嬢様から離れることができないくらい、きつく、そして優しく、心を締め付ける。
「さぁて、邪魔者はお先に退散することにするわぁ。また明日ね」
勝手気ままな水銀燈はひらひらと手を振って、教室のドアを閉めた。
がらんとした教室はいつもより広く見えて、ぽつんと立っているお嬢様が大きく感じる。
「そういえば、用事があるって仰ってませんでしたか?」
ふと思い出したようにお嬢様は口を開いた。
「あー、あれはもういいや。だって、こうなったことだし」
「ジュン様?」
僕も立ち上がり、お嬢様の華奢な肩に手を置いて、
「きらきーのこと、誰よりも大好きだってこと言おうと思ってたから」
目の前で薄いピンク色の髪の毛が舞うのを見る。
どうやら春風は可愛い女の子に目がないらしい。誰でもかれでも悪戯をする癖がある。
だが、お嬢様には、春風にさえも渡す気はさらさらない。
「ジュン様のことは私が絶対に幸せにしてみせます!」
手をぐっと握りしめてそう言い放つお嬢様はかっこよくもあり、可愛く見えた。
僕はちょっとずれたこのお嬢様のことが大好きでたまらない。
だから、こうしてキスの不意打ちなんてやってしまうのは仕方の無いこと。
全部、春風のせいにしてやろう。
-
投下終了です。
春はもうすぐそこですねー
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「……めぐ……お願い……」
手術中を示す赤く光るランプに照らされた廊下。
そこに置かれた長椅子に座りながら、私は小さく祈りの言葉を呟いた。
コチコチと鳴る時計の音は、硬質な廊下に何の余韻も残してはいない。
手術室の扉が開く幻聴に顔を上げる事も何度もあった。
その度に、遠く隔てられた現実を知り、再び祈る。
時間の感覚なんて、とっくに無くなっていた。
祈りに意味など有るのだろうか?
全ては神の御心に委ねるしかないのか?
何度も自問を繰り返す。
答えは見つからないまま、再び祈る。
「……お願い……もう……貴方を失いたくない……」
冷たい地面を見つめながら呟く。
私の声に応える者は無く、ただ時計の音だけが小さく、永遠に続くようにさえ思えた。
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―※―※―※―※―
私は、夢を見た。
その夢の中で、私は全身に包帯を巻いていた。
戦火は広がり、私の生まれ育った場所は米軍の空襲により焼き払われた。
それで、広島に住む祖母の家に疎開に来て……
……確か……警報が聞こえて……防空壕に逃げ込んで………突然、光が広がって………
そこまで思い出し、私の思考は全身に針を刺したような激痛に遮られた。
叫びを上げようにも声も出ない。
体を動かそうにも、指すら動かない。
どうしてこうなったのか。何で私はこんな所に居るのか。ここはどこなのか。
何も分からない。
ただ、地獄のような痛みだけが、私に全てが現実であるという事を告げてくる。
苦しかった。
悲しかった。
叫びたかった。
泣きたかった。
でも私に出来るのは、歯を食いしばりながら痛みに耐えるだけだった。
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このまま私は、訳も分からないまま死ぬのか。
包帯に遮られた、小さく、ぼやけた視界で天井を眺めながら、私は考える。
不思議と、死ぬのが怖くなかった。そうなるのが当然という風にさえ思えた。
痛みは相変わらず絶え間なく続くが、それすらもう、どうでも良い事に思えてきた。
ふと、右手だけ痛みが和らいだ気がした。
首も動かす事が出来ない私は、それでも目だけを動かして原因を探ってみる。
そこには、私の手を握る、黒髪の女医が居た。
「 ――――――」
まるで祈るように私の手を両手で包みながら、女医は歌を歌う。
私はその歌を聞くうち、急に怖くなってきた。
死にたくない。
生きていたい。
助けて…助けて…
まるで動かぬ体のまま、私の瞳からは涙が零れはじめる。
女医は指先で私の目元をすくい……横たわったままの私の体を、そっと、抱きしめてくれた。
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黒髪の女医は献身的に私の為に働いてくれた。
そして数週間が過ぎた頃には、起き上がる事は出来ないにしても、包帯だけは外れるようになった。
背中には抉られたような大きな傷跡が残っているが、それでも私は何とか生き延びた。
女医は回復しつつある私の事を、まるで自分の事のように喜んでくれた。
そして、いつかと同じように、私を優しく抱きしめてくれた。
彼女は涙を流しながら、「ありがとう…本当にありがとう…」と何度も告げてくる。
礼を言うのが逆な気もしたが、私は何だか抱きしめられてるのが恥ずかしくって黙ったままだった。
いたる所の骨が折れていた上、あまりにも長いベッド生活。
お陰で、私は歩く事すら満足に出来ない体になってしまった。
私は、早く元のように歩きたかった。
歩けるようになれば、もっと彼女と一緒に居られると思っていた。
もっと一緒に居れば、彼女の歌をもっと聞けると信じていた。
苦しみも悲しみも溶けるように消してくれる、彼女の歌を。
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だがある日を境に、彼女は私の前に現れなくなった。
これは、後で聞いた話だ。
彼女の体は、私と出合った頃には既に放射能に蝕まれていたらしい。
生まれつき体が弱かった上での、さらなる追い討ち。
長くは生きられないと悟った彼女は、最後に私を救う事を決意し……そして静かに生涯を閉じたという。
私の記憶に暖かな思い出だけを残し、彼女は永遠に手の届かぬ所へと行ってしまった。
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―※―※―※―※―
私は、夢を見た。
その夢の中で、私は聖女だった。
100年という、気が遠くなる程の時間続いた戦争。
私はそれに終止符を打つため、自ら戦場へと赴いていた。
多くの戦果を挙げ、次の戦場へと向かう私。
その傍らには、いつしか彼女の姿があった。
「……大丈夫?」
野営地のテントの中。彼女は私の肩の矢傷に薬を塗りながら、小さく声をかけてくる。
「……ただのカスリ傷……心配する程でもないわぁ……」
私は薬の冷たさに一瞬顔をしかめるが、はっきりとした声でそう返した。
前は、矢も剣も、全てが、まるで見えない何かに遮られているかのように私の身に当たる事は無かった。
しかし最近は小さな油断から、このような『カスリ傷』を受ける事が増えてきた気がする。
それはつまり、どういう意味なのか。
「……もう……私は『聖女』じゃあないのかしらねぇ……」
心に秘めていたはずの不安が、つい小さな呟きとして漏れてしまう。
そして呟いてから、この場には治療の為に彼女が居る事を思い出した。
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私の存在。つまり、聖女の肩書き。
それが軍にとって大きな求心力となっている現在、この呟きは痛手だ。
弱気になっていた自分に小さく舌打ちし、私の肩に包帯を巻き始めた彼女の様子を横目で窺う。
だが、彼女は私の予想に反して、どこか楽しそうな笑みすら浮べていた。
「……綺麗な髪……
そうね。聖女というより、天使ね」
私の髪を撫でながら、彼女は屈託の無い笑顔で告げてくる。
一瞬だけ、自分の鼓動が聞こえた気がした。
私は彼女の手を乱暴に払いのけると「もういいわ」と言い、持ち場に帰るように伝えた。
天蓋を持ち上げ、テントから出ようとする彼女。
だが気が付けば、それこそ無意識のうちに、私はその背中に声をかけていた。
「待ちなさい!」
勢いだけで言ったは良いが、それからが続かない。
首をかしげて私を見ている彼女の視線が、ほんの少し私の体温を上げる。
「そ…その……私に何かあったら大変だから……
貴方はテントの中で、私が寝てる間の護衛をしてなさい!」
そう命令すると、私はベッドに横になった。
目を閉じると彼女の嬉しそうな顔が容易に想像できるから、何だか腹立たしい。
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私はベッドの上で寝返りを打ち、彼女に背中を向けながら再び命令を下した。
「……気が利かないわねぇ……
無愛想に突っ立ってる位なら、暇つぶしに、歌でも歌ってなさいよ……」
最後にそれだけ言うと、私は眠りに付くために全身の力を抜く。
「 ――――――」
瞳を閉じた中で聞こえる歌声は、今まで聞いたどの讃美歌より澄んだものに感じた。
そして翌日。
銀の甲冑を身に付けた私は、ついにパリ奪還の為に軍を動かした。
予想以上の防衛網。
神の使いである天使を畏れぬイングランド兵。
激戦の末……あろうことか、この私が逆に追い込まれていた。
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「チッ…!」
小さく舌打ちをして、考える。
退くべきか、決死の覚悟で進むべきか。
最早、私からは聖女としての力は失われたのか。
考えてる間にも、敵は勢いを増し攻め寄せてくる。
「……癪ねぇ……」
私は爪を噛み……それから、全軍へと指示を出した。
「退くわよ!!」
それを合図に、全軍が馬を後退させる。
降り注ぐ矢を弾きながら、私も撤退を始めた兵達へと視線を向ける。
嫌な予感がする。
彼女は無事なのか。
生き延びているのか。
私は胸に広がる悪寒を振り払うように、戦場へと……全部隊へと視線を巡らせた。
居た。
彼女は部隊が撤退するまで、ギリギリまで敵兵と戦っている。
傷つき、血は流してはいるものの致命傷ではなさそうだ。
私が安堵の息を吐きかけ、彼女が撤退の為に戦場に背中を向けた瞬間。
私の目は、彼女の背中に一本の矢が深く突き刺さる瞬間を見た。
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その場に崩れ落ちる彼女。
自分の呼吸が、鼓動が、やけに大きく、耳障りに聞こえる。
誰かが私の腕を引っ張り、無理やりに戦場から離脱させる。
私は倒れた彼女へと手を伸ばすが……指と指の間から零れ落ちるように、彼女の姿は見えなくなった。
この戦いで多くの兵を失った。
そして私は、彼女を失った。
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―※―※―※―※―
私は、夢を見た。
夢の中で、私は豪族の娘だった。
私は、夢を見た。
夢の中で、私は集落の巫女だった。
私は、夢を見た。
夢の中で、私は洞窟に住んでいた。
夢の中で、私は一匹の猿だった。
夢の中で、私は小さな魚だった。
私が見る全ての夢。
そこでは必ず、彼女が私の隣に居た。
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ある夢では私の盾になり、ある夢では災害により、またある夢では私の腕の中で。
いつの時代も、どの場所でも、最後には必ず、彼女は私の隣から失われてしまった。
私は、夢を見た。
目を覚ませば忘れてしまいそうな…
例え忘れても、決して心からは消えないような…
とても、とても、長い夢を。
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―※―※―※―※―
最初に目に飛び込んできたのは、病院の無機質な天井だった。
霞がかかったように不明瞭な意識を、頭を振って覚醒させる。
めぐの手術を待つ間、不覚にも眠ってしまったのだろう。
ここまで移動した記憶が無いから、きっと看護師が気を利かせて簡易ベッドに……
「めぐは!?めぐはどうなったの!?」
水が地面に染み入るように戻ってきた記憶と共に叫び、ベッドから飛び起きた。
そして目の前の扉を開け、廊下へと飛び出そうとした時 ――――
「水銀燈?……どこか行っちゃうの?」
後ろから、声が聞こえた。
私は振り返る。
ベッドの上で、点滴の管をつけたままの、相変わらず屈託の無い笑みの、彼女がそこに居た。
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やっと会えた。ずっと会いたかった。
心が痛いくらいの幸せを感じる。
頬に熱い何かがとめどなく流れてくる。
「水銀燈?どうかしたの?」
私の様子に、めぐがそう声をかけてくる。
「寝起き…だから……あくび…した……だけよぉ……」
頑張ってそう言おうとするけれど、どうしてだろう、涙が止まらなくて上手く喋れない。
私は腕で涙を隠しながら、めぐへと近づく。
やっと会えた彼女を、二度と離さないよう抱きしめる為に。
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―※―※―※―※―
一万年と二千年前から愛してる
八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった
一億と二千年後も愛してる
君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない
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投下終了です
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