したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523230244/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523594431/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523630387/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・肆【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1508536097/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・伍【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1515143259/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・陸【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1524310847/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・漆【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1540467287/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・捌【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1557406604/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・外典之一【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1570153367/

【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/

番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

71尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:45:15

――――刹那、生と死が交錯する。

古今無双の大悪鬼たる酒呑童子がその腕より繰り出す絶死の御業。
神夢想酒天流抜刀術・天技『鬼殺し』
生きとし生ける者共に遍く死を刻む、抗えぬ運命が如き一撃。

片や只人より成り果てた有象無象の悪鬼たる尾弐黒雄が見せるは、未だ名も無き護身の最奥。
向けられた害意、その全てを還す人技の極致。
敵意の刃に触れた事実すらも残さぬ、天命に抗う意志の具現。

「ぎ、ぐ……っ!!」

尾弐黒雄という存在を那由多殺して尚余りある程の死の渦
その苛烈な奔流を、尾弐は自身の肉体を一つの回路と見立てる事で循環させる

爪の先に至るまで自身という肉体の駆動を知る、数多の戦闘経験
発勁を学んだ事により知った、『気』という不可視の力を繰る技巧
那須野橘音との間で結んだ、復讐の呪術。即ち、因果を捻じ曲げる術式の力。
それらを全てを一部の隙も無く駆使する事で、尾弐は酒呑童子の『鬼殺し』へと対峙する

(っ――――外道丸、お前さん随分とキツイ真似させるじゃねぇか!!)

もはやこれはただの修練などではない。
僅かでも死を循環から漏らせば、自分は本当に死に果てる。
己の内部を巡っている『死』の力を感じ取った尾弐は、その事を理解している。
鼻先にまで迫る死を感じ、けれど尾弐は揺るがない。死なないため、生きる為に尾弐黒雄は更にその精神を研ぎ澄ます。

(まだだ!ああ!まだ俺はやれる――――此処で死んでたまるかよ!!)

久遠の様な刹那の中で二つの論理がせめぎ合う
殺す力と生きる力
盾矛の故事が如く破綻した実証実験
本来であれば明確な勝敗など示さぬこの戦いであるが

>「ご、は……」


――――しかし、今この時においては生命の盾が死の矛を打ち砕く結果を見せた。

72尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:45:38
>「……仕遂げた、か……。
>相手の力を、そのまま相手へと返す……なるほど、それは……この上ない反撃の方途と言えような……。
>敵が強力であればあるほど、貴様にとっては……都合が、よい……という、わけ……」

「全部が修行の成果だって言い切りてぇところだが……待たせちまってる連中が居てな」
「そいつ等に会わないままで死にたくなかった――――だから、此処まで至れた。多分、お前さんが殺す気で技を放ってくれなんだら、多分結果は逆になってただろうよ」

酒呑童子は渾身を以って死を切り与えようとした。
尾弐黒雄は全霊を以って生を守り抜かんとした。
衝突の瞬間、互いの技巧は確かに拮抗していた。
故に、勝敗を分けたのは想いの差――――愛する者と、親愛なる仲間達と別れたくないという、生きる事への執念。
当たり前でちっぽけな願い。その重さの分だけ、尾弐黒雄は酒呑童子を上回ったのである。

>「見事よ、クソ坊主……。かくなる大悟に至ったからには、もはや鍛錬の必要もあるまい……。
>死を忘れるのではなく、死を直視して尚それを乗り越える。そうすることで活路は得られる……。
>ゆめ、忘れるな……貴様は自身の屍を仲間に乗り越えさせ、勝利を掴ませに行くのではない……。
>貴様自身が、勝利を掴み取るために……往く……のだ……」

「――――応」

姿を回帰させる事で死の概念から逃れ得た天邪鬼。傷付き消耗しながらも気丈に尾弐を激励するその姿に、尾弐は短く返事を返す。
本当であれば手を伸ばしてやりたいが……大丈夫かと声を掛けてやりたいが、今、それをするべきでない事も尾弐は判っている。
尾弐は託されたのだ。力を、意志を。
ならば、するべき事は前に進む事。今度こそ、道を違わずに前に向かって生きる事だ。
何、心配の必要はない。この生意気な天才(げどうまる)が死の余波如きで死ぬものか。

「ありがとな外道丸。ちっとばかし、派手な喧嘩に行ってくるぜ」

そう言い残し、気絶した天邪鬼に喪服の上着を掛けると――――尾弐黒雄は、鳥居を潜る。
目指すは帝都。怨敵たるベリアルの野望が渦巻く地。

・・・

73尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:46:03
那須野探偵事務所。
東京ブリーチャーズの一行にとって勝手知ったるその事務所には現在、家主たる那須野橘音以外が勢揃いしていた。
本来であれば久々の再開に沸くところなのだろうが……どうにも事務所内の空気が芳しくない。その理由は一つ

>「……橘音のやつ遅いな」
>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

那須野橘音の不在である。
約束の日、約束の場所であるにも関わらず、彼の探偵は未だ姿を見せていないのだ。
これがただの任務であれば、遅刻であろうなどと思い気楽に待つのであろうが……今回の戦いは天王山。
乾坤一擲の大決戦である。
この二月、各々が命懸けの修練を積んできただけに「まさか」という不安は募っていく。
そんな中で、この場において最も那須野橘音を心配するであろう尾弐は――――

「……zzZ」

寝ていた。
那須野橘音が作り上げたであろう過去の事件ファイルをアイマスク代わりに顔に被せ、ソファーの上で死んだ様にこんこんと眠っている。
想い人の危機かもしれない状況なのになんと冷たい奴だと、そう思う者もいるかもしれない。が――――事実はその逆だ。
『那須野橘音は絶対に来る』。そう信じているからこそ、尾弐は呑気に眠っているのである。
どこよりも思い出が詰まったこの事務所で、疲弊した身体と精神を全力で回復させる。それが今の尾弐に取れる最善の行動であるが故に、尾弐は眠り続けているのだ。

――――と。

不意に、泥のように眠り続け何をされても起きなかった尾弐の右手がピクリと動いた。
そして直後にその上半身をがばりと起こす。
それに示し合わせたように扉の開く音が響き、その向こうから姿を現したのは

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」
>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」
>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」
>「え、誰……?」

ノエルが疑問符を浮かべるのも無理は無い。
狐面探偵を待っていたら、現れたのはロングコートにハイヒール、おまけにサングラスを装備したキャリアウーマン然とした見知らぬ女性の姿だったのだから。

「くぁぁ……。あン?なんだ、また随分と洒落た格好に仕上げたじゃねぇか」

しかし、尾弐黒尾にとってはどうにもそうではなかったらしい。
起床時に床へと落ちたファイルを拾い上げた尾弐は、来訪者の女性に対してほんの一瞬疑問符を浮かべたが、即座に答えに思い至り口元に笑みを湛える。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
>まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「そうでもねぇさ、久しぶりだな橘音」

>「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」
>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
>あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
>感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
>あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」
>「……2ヶ月じゃなくて?」
>「三百年?」

疑問符を浮かべる祈とシロの問いに答える那須野橘音の話によれば、どうにも彼女は時の流れを異にした華陽宮にて三百年もの時を修行に充てたという事だ。
それはなるほど、時間の有効利用という面においては効率的極まりない使い方だが……
その那須野橘音の『五本』の尾を見て、尾弐はほんの僅かに眉を潜める。
尾弐とて御前に従属していた妖怪のはしくれ。妖狐という種族の『尾』の形態変化がそうたやすく成されるものではない事くらいは知っている。
果たして、目の前の妖狐はどれだけの苦難を経て来たのであろうか。
三百という年月を、尾を二本増やす程に苛烈な修行に捧げる――それは、どれ程に孤独であったであろうか。
それを想像した尾弐の胸に去来するのは、様々な感情。
支える事が出来なかった罪悪感、無理をしないで欲しいと思う労りの気持ち、自分達の為にそこまで頑張ってくれたことへの燃え上がる様な――――

>「ただいま、クロオさん。
>……会いたかった」
「おかえり、橘音――よく頑張ったな」

けれど尾弐は、最後の感情を押しとどめ、頬に触れる橘音の手に優しく手を添えるに留めた。
想いを語るべきは今ではない――――だからこそ、尾弐はこの戦いを生き抜かねばならない。

・・・

74尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:46:35
>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」
>「相手は天魔ベリアル。以前も説明しましたが……『神の長子』と呼ばれた、かつての天界のNo.2です。
>ベリアルが龍脈の力を手に入れ、神に準ずる――いえ、神をも凌ぐ力を手に入れてしまったら、何もかもおしまいです。
>その前に、なんとしてもベリアルを倒さなければなりません」

>「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
>罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」
>「漢解除!? 頼もしくなっちゃって……!」

「まあ、祈の嬢ちゃんの言う通りだ。天才鬼才なんて連中に素直に知恵比べを挑んでも転がされるのがオチだ」
「だったら――――まどろっこしい策謀なんざ走り抜けて、陰険な罠は凍らせて、そのまま敵さんの喉笛を食い千切ってやろうじゃねぇか」

決戦を目前とした那須野橘音による最終確認。それを聞く一行の士気は高い。
そして、それは尾弐も同じだ。戦えるだけの準備はしてきた。なれば後は、自分達の未来の為に全力を尽くすのみ。

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
>皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
>ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
>あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
>今のうち、お礼を言っておきます。
>ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

そんな尾弐達の様子を見た那須野橘音は、感慨深げに述懐する。
その行為に、士気高揚の為だとか、方針の確認だとか、野暮な意味を持たせる事は出来るのであろうが、きっと彼女の言葉が示すものはそうであってそうではない。
多分、此れは必要な事なのだ。橘音にとっても尾弐達にとっても。
辿ってきた道を振り返り、成功と失敗、喜びと悲しみ、希望と絶望。手にして来たその全てを心に刻む事。
きっとそれは――――この先へと進む為に何よりも力になる。例え苦境や逆境に打ちのめされた時も、前を向く為の力になる筈だ。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
>おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
>皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
>ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
>これを忘れないでくださいね。
>では――」

尾弐は戦意を湛えた笑みを浮かべ、皆の手に己が手を重ねる。


さあ、始めようじゃねぇか。
世界を救う戦いを。


「『「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」』」


・・・

75尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:47:29
>「……ついに、ここまで……」

コンクリートジャングルと揶揄される都心のビル群。その無機質な灰色の木々の中を進んだ先にその建物は有った。
東京都庁第一本庁舎。
帝都に住む人々の生活を維持、管理する、最大規模の行政機関。

老人にビジネスマン、主婦や職員、ついでにクレーマーと不良外人。
普段であれば手続きを行いに来る人々でにぎわいを見せる都庁は、現在、気味が悪い程に静まり返っていた。

「種類まではわからねぇが、結界が張られてるみてぇだな……都庁規模の施設を無人にする結界なんざ、どんだけ出鱈目しやがる気だ」

その無人は、明らかに赤マント……ベリアルによるもの。

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
>……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」
>「おう!」
「あいよ、了解だ」

だが、それでもやるべき事は変わらない。
ベリアルを見つけ出し、その野望を打ち砕く事。その為に尾弐達は此処に立っているのだから。
そうして一行は都庁のエントランスへと足を踏み入れ――――

>「――な――」
>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
>まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
>できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

>「やっぱりバレてるか……」
「は。大物ぶる割に、小物みてぇな覗き見してやがったって訳か」

まるで待ち構えていたかのように、突然その姿を現したベリアル。
その諸悪の根源に対し、那須野は正面から啖呵を切り、尾弐は不愉快を隠しもせず渋面を浮かべる。
その場で殴りかかるような事はしない。それは理性で堪えているなどという事では無く、何かしらの罠を警戒しての事。

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
>代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
>吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
>接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
>ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
>もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
>では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

「そうかい。なら首を洗って待ってろ――――」

そして、案の定対峙していたベリアルは実体では無く、入って来た扉が閉じた事で此処が既に策謀の中に有る事を知る事となる

>「橘音くん、アイツの言う通りにしたらいけない。明らかにこっちを分断させる罠だ……!」
>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
>ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
>悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
>でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
>それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」
>「それでは……皆さん。
>後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

ここに至れば迷う事は無い。
いざとなればエレベーターの換気口でも破壊してどうにかしてしまおう。そんな事を考えつつ、尾弐は那須野橘音の左隣のエレベーターへと歩を進める。

76尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:47:47
「……ん?」

と。そこで尾弐は祈が何かを言いたげにしている事に気付く。
心配事があるなら話すべきだ――そう言おうとして、しかしその前に祈は口を開いた。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
>姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
>あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」
>「あはは、知ってる。モノとレディは同一人物なんだよね」

「祈の嬢ちゃん、それは……」

そして、祈が口にしたそれは、レディ・ベアの救出を依頼する言葉であった。
ノエルがそうであるように、尾弐もまたレディ・ベアが祈にとってどの様な存在であるかは薄々感じ取っていた。
それでも何も調査をしなかったのは――――そこが尾弐にとっての分水嶺であったからだ。
東京ドミネーターズ、赤マントの仲間。
その事に確証をもってしまえば、漂白せざる負えないと……そう考えていたから、尾弐黒雄は『祈の友人』について触れなかったのである。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
>妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
>ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」
>「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
>でも、あたしの友達を助けて欲しい。
>細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

真摯な祈の願いに、尾弐は渋面を作り、自身の首の後ろを右手で揉む。
――――正直なところを言えば、断りたかった。
むしろ、これが祈の頼みでなければ即断で断っている。
何せ、尾弐にとっては敵なのだ。
レディ・ベアという存在が東京ドミネーターズを名乗り活動した事で、どれだけの無辜の人々が被害を蒙ったというのか。
なれば囚われているというその状況は自業自得とでも言えるのではないか。
そんな者の為に大切な仲間が傷付くなど、看過出来ようはずも無い。気まずい感情を抱えながらも、尾弐は言って聞かせようとし

>「僕も正体気付かずに……いや、わざと気付かない事にして普通にクラスメイトやってたんだから似たようなもんだよ。
>仲良かったかっていうと……まあ殆どスルーされてたけど!」
>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
>救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

ノエルの言葉を聞いてそれを止める。

(クラスメイト、か……俺にとっちゃ、奴さんは敵だ。だが、祈の嬢ちゃんにとってはダチ公でもある)

天を仰いで眉を潜め、たっぷり十数秒思案した尾弐は――――やがて、大きく息を吐く。

「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えといてくれ」

そうしてそのまま、尾弐は辿り着いたエレベーターのボタンを押した

77ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:37:56
>「オオオオオオ――――――――――ンッ!!!」

巨狼の咆哮が霧中に響く。
決着は間近――互いに睨み合う二匹の狼が、同時に地を蹴った。
極度の集中によって圧縮された時間の中、ポチは巨狼を見つめる。

素早さは、生来の矮躯に『獣』の力を秘めた自分が上回る。
だが膂力では、体格に優れた巨狼に軍配が上がる。
真っ向勝負では、ポチが不利――そのはずだった。

それでもポチは、ただまっすぐに駆けた。
野生の本能は、それでいいと告げていた。

そして――気づけば、ポチは巨狼の懐にいた。
その断頭台のような「あぎと」を掻い潜って、巨狼の前足――その目前に。
一体どうやって自分がそこに潜り込んだのか、ポチ自身にも分からなかった。

けれども事実として、巨狼の牙が虚空を噛み砕く音は、ポチの背後から聞こえた。
それはつまり、巨狼は一切、ポチの踏み込みに反応出来なかったという事だ。
何故か。ポチ自身にもその理由は分からないまま――だが、ポチの野生は的確に、勝利の為に必要な事を実行した。

つまり眼前の、巨狼の前足に牙を突き立て――すれ違いざまに、深く抉る。
一呼吸ほど遅れてポチの背後で、巨狼の倒れる音が聞こえた。

>「あなた……!」

己へと駆け寄るシロの声。ポチがそちらへと振り返る。
彼女の白い毛並みと、月色の瞳。
それらを視界に捉えると――ポチは、その場でへたりと座り込んだ。

野生の本能に身を任せ、極限の戦いに、全力で臨んだ。
ポチは自覚出来ないまま、その矮躯が持ち得る体力、気力――その全てを使い果たしていた。
疲れ切った体にやすらぎを求めるように、ポチは傍らのシロに上体を委ねて、目を閉じた。

周囲からは、狼達の遠吠えが聞こえる。
その声が、体力も気力も空っぽになったポチの体に深く染み入る。
愛するつがいの温もり、かつて滅びたはずの同胞達の遠吠え、人知れぬ自然の奥深く。

全てが心地よかった。
ずっとこうしていたいと、そう思ってしまうほどに。
だが――ポチは目を開けた。ここには、今には、留まれない。
ポチには戻るべき場所と――進むべき未来がある。

ポチが巨狼と、その群れを振り返る。
俄かに深まり始めた霧によって、彼らの姿はもう、よく見えなかった。
それでも、霧の向こう。錆色の毛並みを持つ巨狼が、自分を見つめている事は分かった。

それと、もう一つ。
その傍らに、小さな、霧よりもなお真白い――きっと、すねこすりが、寄り添っていた事も。
そして――霧が晴れた。
巨狼とその群れは、もうどこにも見えなかった。

「なんだよ。そこにいたなら少しくらい、お喋り出来たじゃないか」

ポチが過去を偲ぶように――それから少しだけ恨めしげに、呟いた。

「……話したい事が沢山あったのに。僕ね、沢山の仲間が出来たんだよ。
 みんないいヤツでさ。それに……綺麗なお嫁さんだっているんだ。
 そこからじゃ、よく見えなかったでしょ。勿体ないなぁ……」

しかし、そう言いつつも、ポチはすぐに立ち上がった。
そうしてシロに「帰ろっか」と微笑みかける。

「……また来るからね。今度はもう一つ、とびきりの自慢話を増やしてから」

78ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:38:12



>「おう、終わったようぢゃな。随分てこずったようぢゃが」

「……お爺ちゃんさ。あそこに誰がいるのか、分かってて僕らをけしかけたでしょ」

ポチが胡乱な視線で富嶽を見つめる。
富嶽は、素知らぬ顔でそっぽを向くだけだった。
こうなるとポチにはもう、溜息を吐く事しか出来ない。
橘音と尾弐が彼を苦手としている理由を、ポチも今、痛感していた。

>「ポチ君、シロちゃん、本当にありがとう。これで、宿も今まで通りに営業できると思うわ」
>「さて……約束ぢゃったな。送り狼が一番強かった時期の話、ぢゃったか。
  話してやりたいのは山々ぢゃが、生憎と今度はお主らの方に時間があるまい。さっさと帝都へ戻れ、もっとも――」
>「……もう、儂が話してやる必要もなさそうぢゃがの」

一方で富嶽はそんな事を言って、にんまりと笑みを浮かべていた。
しかしてポチとしては、この山で得られたものを考えると、文句を言うのは憚られる。
そこまで計算ずくの笑みなのだろう。余計に恨み言が言いたくなった。

ともあれ――こうして、ポチとシロの二ヶ月に渡る修行は終わった。

79ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:38:42



そして、ポチは東京へ、那須野探偵事務所へと戻ってきた。
事務所には既に祈も、ノエルも、尾弐も帰ってきていた。
だが――橘音の姿だけが、ない。

「あれ?橘音ちゃんはまだなの?」

ポチは鼻を一つ鳴らすと、そう言った。
しかし――

>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

「あはは、ないない。こういう時に橘音ちゃんが遅れてくるのはいつもの事だよ」

シロの不安げな呟きを笑い飛ばすと、事務所のソファの、空いた席に飛び乗った。
楽観主義に罹患している訳ではない。
ポチの野生の勘が、問題ないと言っているのだ。

野生の本能――それは獣の根幹であるにもかかわらず、ポチにとっては今までずっと、数ある武器の一つでしかなかった。
全幅の信頼を得られなかった。
そうして抑圧され続けてきたが故に――ポチの野生は、冴え渡っていた。

「ほら」

そうしてポチはソファの、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
それから、暫しの時が流れ――ふと、事務所の扉が開く。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」
>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」

そうして現れたのは、ロングコートとハイヒールの、見知らぬ麗人。

>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」
>「くぁぁ……。あン?なんだ、また随分と洒落た格好に仕上げたじゃねぇか」

「ね?」

だが――狼の嗅覚は、その美女の正体をすぐに察した。
ポチがシロを見上げて、言った通りでしょ、という風な笑みを浮かべた。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
  まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「二ヶ月ぶりに会って最初にする話がそれ?変わったのは見た目だけなの?」

ポチは軽口を叩きながらソファから飛び降りて、変化の術を解き――姿を消す。

>「そうでもねぇさ、久しぶりだな橘音」
>「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」
>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
  あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

そして橘音の足元に現れると尻尾を振りながら、その脛に体を擦り付けた。

「ま、いーや。元気そうで何よりだよ。おかえり、橘音ちゃん」

それから、祈、ノエル、尾弐の足元にも同様に忍び寄り、脛を擦る。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
  感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
  あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」
>「……2ヶ月じゃなくて?」

シロと祈が不可解そうな声を発する。
ポチは、橘音が意味の分からない事を言うのもいつもの事だなと、依然変わらず祈の脛を擦っていた。

80ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:05
>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

「……わお、確かにすごいね。すごくいい毛並みだ」

後ろを向いて、五本に増えた尻尾を見せつける橘音。
ポチは冗談めかした反応を見せたが――その目元、口元には、笑みなど浮かんでいない。
かつて、橘音は三尾の狐だった。
そこから更に二本――それを得る為に、どれほどの研鑽が必要だったのか。
想像出来ないポチではなかった。

>「ただいま、クロオさん。
  ……会いたかった」
>「おかえり、橘音――よく頑張ったな」

愛おしげに、しかし、ささやかに触れ合う尾弐と橘音。
ポチは思う。二人は本当はもっと大胆に、明け透けに、大っぴらに――とにかく、そんな感じで愛し合いたいはずだと。
それこそ、いつもシロが自分にそうしているような感じで。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

だけど、そうはしなかった。
何故か、自分達の目があるからか。それは勿論そうかもしれないが――それだけではない。

二人は、そうすべきではないと思っているのだ。
そうするのは、全てが終わってからであるべきだと。

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。

ポチはその事について、何か口を挟むつもりはない。
それが二人の愛と、信頼の形ならば、口出しなど野暮もいいところだ。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
  おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
  皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
  ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
  これを忘れないでくださいね。
  では――」

だから、ポチはただ思うだけだ。
二人とも、つくづくお似合いで――損な性分だと。

「「『「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」』」」

絶対に、みんなで生きて帰らなくては、と。

81ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:23



東京都庁第一本庁舎。
人間という種族が、その群れの暮らしを保つ為に築いた砦。
かつて、ポチにとって人間とは「傷つけば仲間達が不快に思うから、守るもの」だった。
『獣』と同化してからは「いつかは滅ぼさなくてはならないもの」だった事もある。

「……ついに、ここまで……」

だが――今のポチにとっては、そのどちらでもない。
人間達は、ずっと昔から群れを守ってきた。同胞への愛を繋ぎ続けてきた。
その結実が、この空にまで届くほどの砦なのだ。
この砦も、人間達も、決して赤マントなどに踏みにじらせていいものではない。


>「種類まではわからねぇが、結界が張られてるみてぇだな……都庁規模の施設を無人にする結界なんざ、どんだけ出鱈目しやがる気だ」

「……まぁ、好都合だね。誰かを巻き添えにする心配しなくて済むし」

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」
>「おう!」
「あいよ、了解だ」

そして一行は、都庁へと踏み入った。

>「――な――」

橘音が、それからすぐに驚きの声を上げた。
無理もない事だった。
都庁の入り口を超えた、すぐその先。

そこに、怪人赤マントが――天魔ベリアルが待っていたのだから。

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

>「やっぱりバレてるか……」
>「は。大物ぶる割に、小物みてぇな覗き見してやがったって訳か」

「カレーかぁ……晩ご飯にはいいかもね。お前の首を食いちぎった後の口直しには」

>「……そんな冗談を言っていられるのも今のうちですよ、赤マント――いいや、我が師ベリアル。
  そう、アナタの計画はメチャクチャになった。そしてもう未来永劫成就しない。
  アナタこそ、今日は是が非でもお帰り頂きますよ。二度と出られない、地獄の底の底へね!」

>「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
  いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
  どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

「だったら、いい夢を見ればいいさ。寝かしつけてやるよ」

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
  代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
  吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
  接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
  ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
  もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
  では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

>「そうかい。なら首を洗って待ってろ――――」

「――ああ、それは本当に頼むよ。この戦いの最後の一言が「うわ、まずっ」じゃ、締まらないだろ」

82ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:53
そうして、ベリアルは姿を消した。
掻き消えた幻影の奥には、五基のエレベーターがある。
普通に考えれば、わざわざ敵の策に乗って分断されてやる事にメリットなどない。
だが――安全な道を切り開いていられるだけの時間が残されている保証もない。

>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
  ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
  悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
  でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
  それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

「そりゃいいや。自分の悪趣味に、あいつは首を締められるって訳だ」

>「それでは……皆さん。
  後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

橘音がエレベーターへと歩き出す。
ポチもそれに倣って前へと歩み出す――その前に、後ろを振り返る。
最愛のつがいを、シロを振り返って、見つめ合う。
本当なら、それだけで意思の疎通を取る事は出来る。

「君が寂しがる前には、戻ってくるよ」

だが、ポチはあえて言葉を紡いだ。
シロは、こうした方が喜ぶだろうと思ったからだ。

「……いや、どうだろう。やっぱり難しいかも」

続く言葉――それは、不安の吐露ではない。

「……正直、既にちょっと寂しいもん、僕」

単なる、惚気である。

「じゃあ……行ってくるね」

ともあれポチは前へと向き直り、残ったエレベーターへと歩き出して――しかし、ふと気づいた。
祈から、微かな不安と迷いのにおいを感じると。

>「……ん?」

「……祈ちゃん?」

今更、彼女が怖気づくなんて事があるだろうか。
そう思いつつも、ポチは祈の名を呼ぶ。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。

そして――祈は不意にそう切り出した。

83ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:42:51
> 姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
  あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」
>「祈の嬢ちゃん、それは……」

「……ああ、そんな事もあったねえ」

確かにあの時、ローランから嘘のにおいはしなかった。
ポチとしては、自分がわざわざ詮索する事でもない。
いずれ祈の方から説明してくれるのだろうと思っていたが――どうやら、今がその時らしい。
ポチはまっすぐに祈を見つめた。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
  妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
  ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

ポチの嗅覚は、感情をにおいとして嗅ぎ取る事が出来る。

>「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
  でも、あたしの友達を助けて欲しい。
  細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
  救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

ノエルのにおいは、いつもと変わらない。

>「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
 「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えとい てくれ」

尾弐のにおいは――以前とは、変わった。
昔の尾弐なら、きっと――隠し切れない殺意のにおいを滾らせていただろう。

ポチが、不意に変化を解いて、祈の足元へと歩み寄る。
祈の纏うにおいは、複雑だった。
強い決意、僅かな不安と後ろめたさ、感謝、喜び――そして、深い愛情。

「……祈ちゃんは、本当にレディ・ベアの事が大事なんだね」

ポチにとって、レディ・ベアは――ただの敵でしかなかった。
猿夢に囚われ共闘した時は、それなりに話せる相手だとも思ったが、それでも敵は敵。
だが――祈にとっては、違う。
もしレディ・ベアが傷つくような事があれば、祈はひどく悲しむだろう。
その深い愛情故に、想像も出来ないほどに、より深い悲しみに襲われる事になる。

この穏やかで、暖かな、愛情のにおいが塗り潰される。
そんな事が、起きていいはずがない。

「任せといて。僕の鼻なら、レディ・ベアがどこにいたって絶対に助け出せるよ」

ポチはそう言って、祈の脛を軽く擦った。
それから一度姿を消すと、一瞬の後に、最後に残ったエレベーターの前に、人の姿で現れた。
少し背伸びをしてボタンを押すと、軽やかな電子音と共に、目の前の扉が開く。

そしてポチは、一歩大きく前へ踏み出した。

84那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:35:57
都庁へ乗り込んだ東京ブリーチャーズは六名。
対して、ベリアルの指定したエレベーターは五基。ということは、誰かひとりが留守番を余儀なくされるということだ。
だが、それが誰なのかは既に決まっている。

>君が寂しがる前には、戻ってくるよ

ポチが言う。それは、シロが留守番を務めなければならないという暗黙の決定。
シロは美しい眉を僅かに下げ、悲しげな表情をしてみせた。
けれども、行かないでとは言わない。言えない。
ここで最愛のつがいが闘いへと赴くのを見送ることこそが、自分の役目。
若き狼王の妻として自分がすべきことだということを、理解している。
それでも。

>……いや、どうだろう。やっぱり難しいかも
>……正直、既にちょっと寂しいもん、僕

若いつがいである。ともすれば永遠の別れになってしまうかもしれない、そんな遣り取りを言葉だけで済ませることなどできない。
シロはポチへ駆け寄ると、その小さな身体をぎゅっと抱き締めた。
そしてポチの頬へ両手を添えると、そっと。その唇に自らの唇を重ねた。
時間にしてほんの一瞬。何秒もない短い刻。
やがて唇を離すと、シロはポチの目を見つめた。

「……あなたのご武運を祈ることしかできない私を、どうかお許しください」

そう言って、ゆっくり後ろに下がる。

「皆様が戻ってこられるまで、このエントランスの守りは私が。
 悪魔の一匹たりとも通しませんので、どうか。皆様ご無事で――」

シロもまた二ヶ月の修行を乗り越えた、東京ブリーチャーズの正規メンバーである。
夫と離れ離れになる悲しみをぐっと押さえつけ、拳を握る姿は美しかった。

>……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
 姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
 あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ

いよいよベリアルの用意した五基のエレベーターに乗り込もうとしたところで、祈が不意に打ち明けてくる。

>レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
 妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
 ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない
>こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
 でも、あたしの友達を助けて欲しい。
 細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!

そう一息にまくし立てると、祈は仲間たちへ深々と頭を下げた。
そんな祈の様子を見て、振り返った橘音は小さく笑う。

「……知ってますよ。ボクはアスタロトですからね……一部始終は分かります。
 尤も、何があってアナタとレディベアが友達になったのか、それは知りませんが――」

コトリバコとの戦いの直後、挨拶とばかりに姿を現したレディベア達東京ドミネーターズに対し、祈は怒りを露にした。
犠牲になった人々へ、必ず謝らせてやる。償わせてやる――そう、祈はレディベアに言ったのだ。
だというのに、いつの間にか友達だと言っている。レディベアを助けてくれるならどれだけでも償うと言っている。
それが単なる一時の気紛れのはずがない。祈は文字通り決死の覚悟でこのことを打ち明け、助けを求めたに違いないのだ。
であるのなら。

「顔を上げてください、祈ちゃん。――大丈夫、この場にいる妖怪にアナタの頼みを断る者なんていやしませんよ。
 だって、みんながみんな脛に傷持つ妖怪ばっかりですからね!アハハ!
 レディベアを見つけ出したら。……きっと必ず助け出してみせます、だから……何も心配しないでください」

どんな悪党であったとしても、命を奪いたくはない。断罪しておしまいにしたくない。
祈がそう願うのなら、それは。する価値のある仕事ということだ。
橘音はもう一度屈託なく笑うと、エレベーターへ向かった。

85那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:39:09
エレベーターを降り、長い長い通廊を歩く。
その果てには重厚な観音開きの扉があり、両側にはなぜか背広を着用した下っ端悪魔が門番のように控えていた。
悪魔たちが橘音の姿を認め、扉を開く。
ギギ……と耳障りな軋音を立てながら開いた扉をくぐった先に、橘音を待っていたものは――

広大な法廷だった。

「……なぁーんか、前にもこんなところに来た覚えがありますねぇ」

半狐面の下で橘音は鼻白んだ。
法廷の中央には被告人席があり、その左右に弁護人と検察官、そして陪審員の席がある。
正面の何段か高くなった場所には裁判を取り仕切る三人分の裁判官の席があり、既に諸官が着席していた。
中央に冠をかぶり黒い法衣を纏った、髭が臍辺りまでありそうな眼光の鋭い老人がおり、左右に補佐の裁判官と書記官がいる。
この三人が裁判を進行してゆくのだろう。

「おやおや」

裁判官席の中央に着座した裁判長の姿を見遣り、橘音はにやりと嗤う。
見知った顔だった。

「被告人は席に着くように」

裁判官(の姿をした悪魔)が荘重に告げる。橘音は軽い歩調で被告人席の前に立った。
法廷の左右と背後には傍聴人席があり、これがまたスタジアムばりの収容数を誇っている。
あたかも見世物でも見に来たかのように、傍聴人席には無数の悪魔たちが蝟集しており、しきりに野次を飛ばしていた。

「アスタロト!天魔の面汚しめ!」

「ベリアル様を裏切った不埒者!死刑!死刑だ!」

「死刑!死刑!死刑!」

橘音を殺せというシュプレヒコールが法廷を包む。橘音は肩を竦めた。

「やれやれ……妖怪裁判のときといい、ボクってばそんな悪いことをしたんですかねぇ?
 ま、探偵と訴訟沙汰ってのは、切っても切れない縁ですけど」

「静粛に」

裁判官が声を張り上げる。傍聴人たちはいっとき沈黙し、法廷を静寂が包み込む。
それから裁判官が中央の裁判長に目配せすると、裁判長はゴホン、と一度咳払いをした。

「これより、天魔アスタロトの天魔七十二将への造反、叛逆に関する裁判を執り行う」

裁判長が告げる。
は、と橘音はせせら笑った。

「ボクの造反と叛逆に関する裁判ですって?笑わせてくれるじゃありませんか。
 天魔の唯一にして絶対の法、それは『汝の欲することを成せ』のはず。つまり気分で何をしたっていいんだ。
 ボクはいつだってボクの欲することを成してきた。誰かを騙すのも、殺すのも、助けるのも。そして裏切るのも――ね。
 ボクほど天魔らしい天魔はいない。裁判どころか表彰ものだと思いますがねえ……そうでしょ?
 ねぇ?ルキフゲ・ロフォカレ殿――」

普段東京ブリーチャーズの仲間たちには決して見せない、天魔としての凶悪な笑み。
それを覗かせ、橘音は裁判長の顔を見上げた。
白髯の裁判長――ルキフゲ・ロフォカレは額の中心にある黒い瞳をぎょろりと向け、橘音を見返した。

ルキフゲ・ロフォカレ。
コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』によれば、地獄の宰相であり首相。
もっとも権威ある悪魔(デヴィル)の一柱であり、地獄の財務と契約を司るという。
悪魔といえば羊皮紙を片手に契約を迫るというのが一般的なイメージだが、
この『悪魔=契約を重んじる』という認識を人口に膾炙したのがルキフゲ・ロフォカレであった。
契約を重視する悪魔だけに、現在の天魔の盟主であるベリアルを裏切った橘音の罪は重い、ということなのだろう。

もっとも、橘音はまるで悪いことをしたとは思っていないのだが。

86那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:56:46
「被告人は私語を慎むように!」

ロフォカレの補佐をする裁判官が声を荒らげる。橘音はハーイ、と気のない返事をして口を噤んだ。

「アスタロトよ。ベリアル殿の直弟子たる其方がかのお方のご期待に沿わぬばかりか、
 天魔の千年帝国樹立の障害となるとは、言語道断なのである。
 吾は千年帝国の宰相として、其方を裁き然るべき刑に服させねばならぬのである。
 かつての朋輩のよしみ。せめて情状酌量を考慮しようゆえ、粛々と宣告を受け入れるが善かろうである」

「ハ。千年帝国?なんですそれ、神の千年王国の真似事ですか?
 あの人がそんなものを創ると?そう言ってたんです?」

「然り。あのお方、ベリアル殿はこう仰っておられた。
 今こそ我ら地獄に押し込められし天魔が地上に打って出、天魔の天魔による天魔のための帝国を樹立せしめる刻。
 龍脈の集う東京の地こそ、我らの千年帝国の首府に相応しい。
 建国の暁には、吾ルキフゲ・ロフォカレを帝国首相の位に任ずるも吝かでない――と」

ロフォカレが朗々と言い放つ。元々権力欲の権化として魔導書でも有名な悪魔である。
ベリアルの甘言にまんまと乗って、首相という高官の地位に収まることを夢見ているらしい。

「ロフォカレ殿、アナタはバカだ」

半狐面の下で眉を顰めると、橘音は唾棄するように言い捨てた。

「ベリアルがそんな口約束を守るとでも?あの人にとって、約束なんてものは破るためにある。
 千年帝国?首相の地位?そんなものはみんなウソッぱちだ。反故にされるに決まってる。
 あの人の言うことをバカ正直に信じるなんて、地獄の名宰相もヤキが回ったものですね……。
 見た目通りに歳を取りすぎて、真贋の区別もつかないほど耄碌しちゃったんですか?」

「被告人は法廷を侮辱する発言を慎むように!」

裁判官が甲高い声で注意を促す。傍聴人たちが橘音へと罵声を浴びせる。
法廷内は橘音の悪びれない態度のせいで騒然となったが、ロフォカレがガベル(小槌)を叩いて静粛を促すと、ほどなく収まった。

「其方が何と申しても、裁判の閉廷はできぬのである。吾はただ其方を裁き、然るべき量刑を申し渡すのみである。
 さあ、始めよう――天魔アスタロト。其方の裁きを」

「面白い。お受けしましょう、その勝負」

ロフォカレの宣言、そして挑発的な橘音の言葉と共に、裁判が始まった。
検察側が被告人の罪状を読み上げ、弁護士が被告人の弁護を受け持つ。
それが裁判の基本である。――が、どうにもおかしい。
検察側の弁論の後で橘音の無罪を主張するはずの弁護人が、まったく橘音を弁護しないのである。
どころか、

「――確かに、被告の罪は明白です。これ以上裁判員の心証を悪くし、刑を重くしないためにも、
 裁判長や出廷した陪審員、傍聴人の方々に憐憫を乞うことが肝要でありましょう」

と、橘音に罪を認め詫びを入れるよう促してくる有様である。
被告人にとって唯一の味方である弁護人さえもが敵に回っている。この広大な法廷で、橘音は孤立無援だった。

――ふむ。

橘音は軽く右手で顎を撫で、思案した。
この裁判は出来レースだ。誰もまともに裁判をする気などない、最初から結果は決まっている。
今のままではなし崩しに量刑が決定してしまい、問答無用で閉廷ということになってしまうだろう。そうなればおしまいだ。
だが、だからといって諦めることなどできない。こんなところで不当な裁判に屈するために、300年の修行を積んだわけではない。
むしろ、この状況は修行の成果を試す格好のシチュエーションと言えるだろう。
もう一度、橘音は真正面の裁判長席でどっしり構えているルキフゲ・ロフォカレを見遣った。

――そっちがそういうつもりなら、こちらも手加減抜きでやりますよ。
  強くなったボクの試金石代わりになって頂きますよ……ロフォカレ殿。
  帝都にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音の力!存分にお見せ致しましょう!

ロフォカレがガベルを叩く。裁判が進行してゆく。
地獄の宰相、もっとも権威ある魔物。悪魔の契約を知り尽くした、法の第一人者。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

契約の魔神ルキフゲ・ロフォカレ――

それが、橘音の相手だった。

87那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:57:24
ずっと上昇を続けていたエレベーターがゆっくりと速度を緩めてゆき、やがて止まる。
目的階への到着を意味するチン、というベルの音が鳴り、ドアが開く。
ドアの向こうでノエルを待っていたのは、都庁の無機質な廊下でも、東京の街並みを望む展望台でもなく――

テーマパーク。だった。

雲ひとつない青空に、ぱぁん!ぱぱぁん!と号砲が鳴り響く。
中央の大きな目抜き通りの両脇にはポップコーンやチュロス、アイスクリームなどの露店が軒を連ね、
その遥か前方には白亜の城が見える。他にも観覧車やジェットコースター、コーヒーカップにカルーセルなどのアトラクション。
愛嬌のあるモンスターのような着ぐるみのキャラクターがジャグリングをしたり、ダンスをしたり、
小さな子供たちと握手をしたりしている場面もあちこちで見受けられる。

「ようこそ、夢と幸福のコカベルパークへ!」

陽気な笑顔のピエロがノエルの所へとやってきて、風船を手渡してきた。
まさに遊園地、ワンダーランドだ。どこからどう見ても都庁内部の光景には見えない。
以前戦った東京スカイツリー、酔余酒重塔がそうだったように、建物内の空間を捻じ曲げて他と接続しているのだろうか。
ともかく、ノエルは遊園地の中に立っていた。
大勢の人々――カップルや家族連れ、修学旅行なのか制服姿の団体客の姿が見える。
ノエルの脇を、小さな子供を肩車した父親が通り過ぎてゆく。その顔はいかにも幸せそうだ。

《これより、コカベル様のエグリゴリカルパレードを開催いたします!
 観覧ご希望の皆様はメインストリートへお集まりください!》

パーク内を見て回っているうちに、パークの各所に備え付けられているスピーカーからアナウンスが流れた。
エグリゴリカルパレード。名前はよく分からないが、きっとエレクトリカルパレードのようなものだろう。
それまでバラバラにアトラクションや露店を楽しんでいた人々が、みな目抜き通りへと歩いてゆく。

やがてメインストリートの両脇に客たちが集まると、けたたましいファンファーレと共に陽気な音楽が流れ始めた。
パークの奥にある白亜の城の方角から、ゆっくりと煌びやかな天使めいた衣装を纏ったキャスト達がラッパ、
フルート、太鼓などを演奏しながら行進してくる。軽業を披露する者や、行進しながら歌を歌う者。
大玉に乗っている者、空へ向かって火を吹く者などもいる。
フロート(山車)の上で着ぐるみたちが客へ手を振り、愛嬌を振りまく。紙吹雪を散らす。
まさしく、浦安にある世界的テーマパークのような賑わいだ。

そして。

「ハァ――――――――――イ!みんなーっ!楽しんでる―――――――っ!?」

パレードの中央、玉座を模した他のものより一際豪奢なフロートに乗っているキャストのひとりが、マイクを手に声をあげた。
女の子だ。年の頃は高校生くらいだろうか、垂れ目がちだがぱっちりした大きな赤い瞳の、可愛らしい造作の少女だった。
外跳ね気味のミディアムショートの金髪に、まるでアイドルのステージ衣装のようなフリルの多いピンクのブラウスとミニスカート。
カラフルな横縞のニーハイソックスに、ショートブーツ。
ただし頭上にはどす黒い輝きを放つ光輪を頂き、腰の後ろからは同じく澱んだ色の鳥の翼を生やしている。

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」

「「「コカベル様あああああああああああああ!!!!!」」」

少女が声をあげた途端、観衆がどよめく。歓声をあげ、諸手を挙げて湧きかえる。

「今日はコカベルパークに来てくれてありがとーっ!みんな、楽しんでいってね――――っ!!
 ってことでぇ!今日はビッグ・サプラーイズッ!みんなにアタシたちの新しい仲間を紹介するねーっ!
 雪の女王の眷属!雪ん娘・ノエルちゃ――――――――んっ!!!」

ばっ!と左手を突き出すと、少女は突然ノエルを紹介した。
と、いつの間にかノエルの両脇にやってきていたピエロや着ぐるみがノエルを捕まえ、
あれよと言う間にフロートの上に押し上げる。

「今日から、このコもアタシたちの仲間!ずっとずっと、このコカベルパークでみんなと遊んでくれるよ!
 仲良くしてあげてね!みんな愛してるよ――――――――っ!!!」

「「「「うおおおおおお――――――――――――っ!!!」」」

「「コカベル様とノエル様、ばんざああああああああああああああああああああい!!!!!」」

観衆が一層熱っぽく声をあげる。

「待ってたよ、ノエルちゃん。
 アタシの名前はコカベル。この『コカベルパーク』の主にして、ベリアル兄様から命じられた君の接待役。
 アタシが面白いと思ったものが、ここには全部揃ってる。楽しんでいって?」

万雷の喝采の中、少女コカベルはノエルを見てにっこりと屈託ない笑みを浮かべた。

88那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:58:08
コカベル。
カカベル、コカビエルとも称される、堕天使の君主のひとりである。
エノク書に曰く、コカベルは元々『エグリゴリ(ウォッチャー)』と呼ばれる、
人間を観察し正しき道へと導く役目を持った天使団の長だった。
だが、エグリゴリは観察するうちに人間の美しさに魅了され、ある者は人間を妻に、あるいは夫にした。
その際にエグリゴリは天界の知識を妻や夫に与えてしまい、本来得るべきでない知識を得た人間たちは正しき道を踏み外した。

それだけでも神の意思に反する重大な叛逆行為だが、それだけではない。
エグリゴリと人間の間に生まれた子は巨大であり、互いに殺し合い、地上に生きるすべての生物をも殺戮した。
それらは『ネフィリム』と呼ばれ、大いに神の王国を荒廃させたという。

「さぁさぁ、ボーっとしてないで遊ぼう!楽しもう!
 ノエルちゃんは何が好きかな?ジェットコースター?メリー・ゴーラウンド?それともコーヒーカップ?
 一緒にチュロス食べようか?シナモンが効いてておいしいよー!」

コカベルはそう言うと、ひょいっとフロートから飛び降りた。
それから両手を大きく広げ、くるくると回りながら楽しそうに笑う。

「ベリアル兄様が言ったんだ。ノエルちゃんの相手をしろって、これから一日の間、ノエルちゃんと一緒にいろって。
 そしたら、アタシの願いを叶えてくれるって。コカベルパークをもっともっと大きくしていいって。
 東京を丸ごと、アタシの大好きなテーマパークにしていいって!」

人々が熱狂的にコカベルの名を呼び、耳をつんざくような声がテーマパーク全体にこだまする。

「遊び疲れたらホテルだってあるし、ふかふかのベッドもある。ジャグジー付きのバスルームだって!
 たっぷり遊んで、たっぷり眠って……起きたときには全部終わってる。
 アタシたちの素敵な兄様が、この世界を創り変えてる。今よりもっともっと素敵な世界に……。
 だから、さ。ノエルちゃん、一緒に楽しもうよ。
 アタシ達を拒絶した、このクソみたいな世界の終焉を――」

ノエルを見つめるコカベルの眼差しが、狂気を帯びる。
コカベルがベリアルから受けた命令は、文字通りノエルの接待。
ノエルをこのテーマパークに釘付けにし、ベリアルが龍脈の力を手に入れるまでの時間稼ぎをする。
ノエルがここから出られなければ、東京ブリーチャーズは戦力ダウンを余儀なくされるだろう。

「アッハハ、ムダムダ!ここからは出られないよー!
 ここはアタシのテーマパーク。アタシが創った、アタシの世界……結界だもの。
 出口なんてないからね!ノエルちゃんもムダなことは考えないで、アタシと遊ぼうよ!
 ほらほら、もうすぐ次のパレードが始まるよー!何なら一気に夜のイルミネーションの時間にしちゃおうか?ほら!」

パチン!とコカベルがフィンガースナップを鳴らすと、一瞬で真昼が夜に変わる。雲ひとつない快晴が藍色の帳に覆われる。
と、瞬く間にパーク内が色とりどりのまばゆいイルミネーションで飾り付けられる。
夜空を豪華絢爛な花火が彩り、陽気な音楽が非日常の景色に拍車をかける。
単純に遊びに来ているだけなら、それは本当に幻想的で素晴らしい光景に違いなかった。
……だが、今はそうではない。
これまで長い戦いを経てきたノエルは理解しているだろう、結界の外に出るには結界の主を撃破するしかない。
すなわち、目の前にいるコカベルを――倒す。

「……アタシを倒す?ここから出る?
 こんなこと……出来ると思ってるの?」

コカベルが眉間に皺を寄せる。
その途端、周囲にいた観衆の顔が、姿が、ずるり……と崩れてゆく。人間のような、人間でない『何か』に変わってゆく。
堕落したエグリゴリたち。禁断の知識を得て道を踏み外した人間だったもの。その間に生まれた巨人ネフィリムへ。
スピーカーから鳴り響いていた賑やかな音楽が、地獄めいたおどろおどろしい怨嗟の呻きに変わる。
光に溢れたテーマパークが、血と臓物と腐敗に満ちた禍々しいものへと変容してゆく――。

「そう。アタシと戦おうって言うんだ……。アタシはノエルちゃんと遊びたかったのに。
 戦う必要なんてないし、一緒に楽しい時間を過ごせればって。
 ベリアル兄様に言われたとおり、おもてなししたいって思ってたのに……。
 アタシを殺そうって言うんだ。アタシに死ねって言うんだ。そう……そうなんだ――」

ゴウッ!!

コカベルの周囲を、突如として黒い炎が取り巻く。
総てを焼き尽くし、灰燼と帰す煉獄の焔。ゲヘナの炎――
冷気を操るノエルとは、真逆に位置する力。
その瞳が真紅に輝く。堕天の証たる黒翼が、その躯体をふわり……と宙に浮かべる。

「じゃあ、やってみせなよ。そのちっぽけな氷の力でさ。
 アタシの煉獄の炎で、全部溶かし尽くしてあげる。アタシを、同胞を、アタシの旦那様を、子供たちを。
 すべて灰にしてしまった、この火の力でね!!!」

コカベルが右手を突き出す。黒焔が渦を巻いてノエルへと迫る。
堕天使シェムハザと並ぶ、エグリゴリの長。偽典に記されし、原初の堕天使の王。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

強欲の魔神コカベル――

それが、ノエルの相手だった。

89那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:58:37
尾弐黒雄は荒涼とした平野に立っていた。
草木一本生えない、赤茶色のどこまでも死んだ大地。都庁のエレベーターが尾弐を導いた先にあったのがこの光景だった。
地平はどこまでも果てしなく、また分厚い黒雲に覆われた空も果てが見えない。
まるで、地獄のような風景。
この場所がどこなのかは知る由もないが、少なくともベリアルの計画を阻止できなければ、
東京都内にこの風景が出現することになるのは間違いないだろう。

と、俄かに尾弐の立っている地面が鳴動する。大きな揺れだ。
ゴゴゴゴゴ……と大地が悲鳴をあげるように音を立て、そして――

やがて、巨大な亀裂が走った。
亀裂は瞬く間に広がり、大地を真っ二つに切り裂いてゆく。
断層が発生し、地面が隆起あるいは沈降し、ひとつであったプレートが四分五裂してゆく。
その果てに。

「ギャゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!」

断崖の中、地中から、一頭の巨大なドラゴンが姿を現した。

「ゴオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

赤茶けた色の鱗を持ったドラゴンは太く長い首を天空へと向け、大気をどよもす咆哮をあげた。
その体躯は50メートル以上はあるだろう。尻尾を入れればもっと大きい。
かつて尾弐が――否、酒呑童子が戦った神・姦姦蛇羅に優るとも劣らないスケールである。
いかにもゲームなどに出てきそうな、強靭な四肢と翼を持った西洋のドラゴンめいた姿は、妖の王たる威厳に満ち溢れている。
この巨竜が、ベリアルが尾弐のために用意した接待役なのだろうか?
なるほど、修行によって強大な力を得た尾弐の相手は、西洋の妖であればドラゴンくらいしかいないだろう。

と思ったが。

「ギィィィィィアアアアアアアアアアアアアア!!!」

ドラゴンは、尾弐を見てはいなかった。
それどころか尾弐の存在に気付いていない風でさえある。前肢を振り下ろし、翼をしきりに羽ばたかせ、
尻尾をうち振るい、懸命に何かと戦っているように見える。
そして、実際。
尾弐に先んじ、たったひとりでドラゴンと戦っている者の姿が、その視界に飛び込んできた。

「チェリャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

“それ”は、男だった。
大男だ。かつての狼王ロボほどの体格だろう。
腰まである灰褐色の蓬髪に顎髭。荒々しい顔立ちと、頭の両脇から斜め上前方へ伸びた一対の太い角。
トライバル模様の刺青に彩られた、剥き出しの筋骨隆々の肉体。
両手には鋼の手甲、下肢にはゆったりした紅いボトムを穿き、古めかしい革製のサンダルを履いている。

そんな男が瞳のない、炯々と輝く双眼でドラゴンを見据え、一対一で戦っている。
そして――男が怒号を轟かせながら跳躍し、その拳足を叩きつけるたび、巨竜は身を仰け反らせて悲鳴を上げるのだった。

「どうしたどうしたァァァ!それでもうぬは幻獣の王と呼ばれたシロモノかァァァァァァ!!
 こんなことでは――暇潰しにもならぬわ!この――――大トカゲ風情がァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

だんッ!と地面に降り立つと、大男は大きく両手を広げてドラゴンと対峙し直した。
それから、ふと気付いたように肩越しに尾弐を一瞥する。

「おう、来たか!待ちかねたわ!
 ちと待っておれ、今すぐ片付けるゆえな!」
  
にい、と歯を剥き出して笑うと、大男は再度ドラゴンへ目を向けた。
ドラゴンの喉が大きく膨らむ。灼熱のブレスを放とうというのだろう。

「来い!!!!!」

大男が挑発する。ドラゴンが紅蓮の吐息を放つ。閃光のような、万物を燃やし尽くすドラゴン・ブレス。
しかし。

「ゴハハハハハハハ―――――ッ!!微温いわ!これしきの炎でこのアラストールを燃やせるものかよ!!
 ―――ツァッ!!!」

大男、アラストールはドラゴンの吐息を微風のように受け止めると、一気に跳んでドラゴンへと間合いを詰めた。
そして、一閃。研ぎ澄まされた右の手刀がドラゴンの首を横に薙ぐ。
鋼の柱の如きドラゴンの首が、まるで藁か何かのように切断されて宙を舞う。
豪雨のように降り注ぐ血を受け止めながら、たッ、とアラストールが地面に降り立つ。
やや間隔を置いてドラゴンの巨体がぐらり……と傾ぐ。
頭部をただの一撃で斬り飛ばされたドラゴンは、ずずぅぅぅん……と地響きを立てて斃れた。

90那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:59:00
「待たせたな!貴様が尾弐黒雄か!
 我はアラストール!何の変哲もない、ただの闘い好きの老いぼれよ!
 中には我を闘神とか、戦いの化身とか抜かす輩もおるがなァ!ゴッハハハハハーァ!」

アラストールは尾弐と向き合うと、呵々と笑った。
アラストール。
ゾロアスター教における復讐の魔神にして、創世記戦争でも随一の功労者。
かつて宵の明星ルシファーと天軍総司令官ミカエルの間で勃発した創世記戦争は、ルシファー軍の敗退で終わった。
敗北が決定的となった際、敗者側にとってもっとも重要なのは撤退の方法である。
基本的には抗戦を続けながら徐々に撤退してゆくものだが、当時のルシファー軍は寄り合い所帯で統制が取れておらず、
天魔七十二将は皆が皆好き勝手に逃走してしまった。

このままでは各個撃破されてしまうと危惧した敗軍の将ルシファーは、ひとつの決断を下した。
最後の最後まで温存していた『闘神』アラストールを殿軍として解き放ったのである。

戦場に投入されたアラストールの戦いぶりはすさまじく、残党狩りに勢い付いた天軍をいっとき押し返すほどの活躍を見せた。
創世記戦争において、天軍の死者の総数は22億3958万7721人。
うち、アラストールが撤退戦で殺した天使の数、約17億9167万人。
実に天軍の死者の八割がアラストールによって屠られている。
まさに闘神。こと破壊と殺戮において、地獄でアラストールに匹敵する存在はいない。
その戦いぶりはあまりに苛烈、あまりに一方的かつ無差別で、敵は勿論近くにいる味方にも振るわれる。
そのためルシファーは自陣の被害を怖れ、最後まで投入を躊躇っていた――という、曰くつきの戦闘狂(バーサーカー)である。

「ベリアルに唆されてな。ここにおれば、我を満足させることのできる強者がやって来ると――。
 しかもだ。貴様と闘って勝てば、今後は好きなように地上を闊歩し闘ってもいいんだと!
 東洋の地には、まだまだ我の知らん強者がおるのだろうが?ゴハハハ、腕が鳴るわ!
 ここ数百年はろくな相手もおらず退屈しておったが、たまには唆されてみるものよ!」

また、アラストールは隆々と鍛え上げられた筋肉を誇示するように胸を反らして笑った。
その佇まいに邪心があるようには見えない。正真、アラストールは闘いのことしか考えていないのだろう。
しかし、そんな手合いこそが最も危険だということを尾弐は知っている。
無邪気に、自分の気分だけで破壊を。死を振り撒く――そんな存在を野に放つことだけは避けなければならない。

「おう、いい面魂よな!これは存分に愉しませてくれそうだわ!
 時が惜しい、では――早速!闘り合うとするかよ!」

アラストールは尾弐から10メートルほど距離を取ると、腰だめに構えを取った。
途端、ゴアッ!!とその魁偉な全身から視認できるほどの闘気が噴き出す。
その威容は、アラストールの肉体を実際の数倍も巨大に見せることだろう。

「ゴハハ!往くぞ―――――尾弐ィィィィィィィィィィィ!!!!!」

ギュバッ!!

迅い。筋骨隆々の肉体の醸し出すイメージとはまるで違う、段違いの速さ。
アラストールの籠手に包まれた拳が爆速で尾弐を狙う。
が、尾弐も歴戦の強者。しかも天邪鬼との苛烈な修行を経ている。
闘神の拳は確かに目にも止まらぬ速度ではあるが、疾い攻撃であれば天邪鬼も得意としていた。
そして――アラストールの拳は天邪鬼のそれに匹敵こそすれ、凌駕はしていない。
すなわち、尾弐にも充分見切れる代物ということだ。

「ゴッハハッハハハハハハハーッ!!なかなかやるではないか!!」

秒間30発、いやそれ以上。無数の拳を繰り出しながら、アラストールが歓喜に笑う。
その筋肉の表面に血管が浮き、さらに速度が増してゆく。

「上げていくぞォ!この我に――出し惜しみなどさせるでないぞ、尾弐黒雄ォ!」

ガォン!と尾弐の下方から颶風が撒き上がる。死角から来る超速の右のハイキックだ。
さらにアラストールは拳足を織り交ぜてラッシュを継続する。一撃一撃が必殺、鋼鉄をも粉砕する必滅の豪打。
アラストールは自らの四肢だけを使い、今までの敵のような妖力妖術の類を一切使ってこない。

「ハッハァ!妖術?妖気?そんなものは闘争の不純物よ!
 肉打ちしだく拳!骨砕き折る足!それさえあれば、闘いはすべて事足りる!!
 武具すらも要らぬわ!さあ――剛の者よ!心行くまで味わい尽くそうぞ、戦闘の愉悦を!
 この世界が終わる、その瞬間まで――!!!!!」

純粋な闘争心。混じり気の一切ない戦闘意欲を以て、アラストールが打撃を放つ。
かつて天軍の精兵たちを薙ぎ倒し、屍山血河を築いた最強の闘神。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

暴虐の魔神・アラストール――

それが、尾弐の相手だった。

91那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:00:23
空気をどよもす、割れんばかりの歓声が聞こえる。
エレベーターを降り、薄暗く長い通路をまっすぐ歩いて行った果てにポチを待っていたのは、
さながら古代ローマのコロッセオを思わせる、広大な円形の闘技場だった。
しかし――その観覧席を埋め尽くしている観客は人間ではない。

獣だ。

それも、山羊。世界のありとあらゆる場所に生息する様々な種類の山羊たちが、闘技場の中心にいるポチを見下ろしている。
どうやら、ポチはこの闘技場の中で、これから現れるであろう相手と闘わなければならない――ということらしい。
闘技場はすり鉢状のコロッセオの底面に、半径20メートルほどの平坦な砂地という構造になっている。
地面は砂が敷き詰められているが、すぐ下は硬い床面らしく砂に足を取られるような心配はない。
ポチの自慢の機動力を存分に発揮できるシチュエーション、というわけだ。

山羊たちが熱狂的な歓声を、雄叫びを、咆哮をあげる。
だが、それはポチの健闘や勝利を期待するものではない。
これから起こるであろう、一方的な虐殺ショー。自分たちの信頼し、崇拝し、敬愛する存在の成すことを見届けたいという欲求。
それが叶えられることの歓喜――その歓声であった。

山羊たちの奏でる歓喜の声はますます大きくなってゆく。
そして――
ポチのいる場所の反対方向にある通路から、何者かがゆっくりと姿を現してきた。

それは、巨大な黄金の山羊。
肩高は3メートルはあるだろう。通常の山羊の躯体を大きく上回る、規格外の巨体だ。
ふさふさした輝く黄金の毛並みが、筋肉に鎧われたその身体を二回りほども巨大に見せている。
頭部にはねじくれた長大な角が三対、あたかも王の冠のように戴っている。
黄金の山羊は王の威容を漂わせながら闘技場に出ていくと、軽く顔を上げて観覧席の山羊たちを見回した。
山羊たちの歓声が最高潮を迎える。鯨波のごとき声の洪水。
そんな声に満足したのか、やがて黄金の山羊はポチへとその横に長い瞳孔を向けた。

《よくぞ参った、我が戦いの舞台へ。我が一族の宿願、それが果たされる約束の地へ。
 歓迎しよう、神の長子に挑む勇敢なる狼の仔よ。
 余の名はアザゼル。山羊の王である》

黄金の山羊、アザゼルは荘重な様子でポチの意識へ直接語り掛けてきた。

アザゼル。
レビ記に記される、荒野の王。流謫の悪魔。
かつてはミカエルたち熾天使にも匹敵する天界の実力者であったが、あるとき神の一方的な要求に不服を申し立て堕天。
天界を追われ、それ以来眷属を引き連れて安住の地を求め、荒野をさすらっているという。

《これから、汝には余と闘ってもらう。
 汝が何者かは知らぬ、また知ろうとも思わぬ。
 されどその勇気は讃えよう、同時にこのアザゼルと闘う不幸を悼もう。
 神の長子と交わせし約定、我ら一族の生存と永劫の安住のため――汝には礎となってもらう》

ふしゅうう……とアザゼルは大きな鼻孔から息を吐き出した。

《神の長子は言った。汝を斃すことができれば、我が一族に安住の地を与えると。
 東京の地を、一族のものとしてもよいと。ここで殖えてもよいと――
 滅びゆく我が一族が生き残るには、他に方法はないのだ》

アザゼルは神話の時代から数千年の間、流浪の旅を続けている。
ベリアルはそれにつけ込み、アザゼルを召喚して走狗とすることに成功したのだろう。
闘技場の観覧席を埋め尽くす山羊の群れは、そんなアザゼルと共に数千年を放浪してきた眷属たち。
それらすべての命を背負って、黄金の山羊はポチと対峙していた。

《さあ……始めよう。闘おうぞ、勇敢なる狼の仔。
 余は容赦せぬ。油断せぬ。侮らぬ――愛する我が眷属たちのため。これから生まれる同胞たちのため。
 全身と全霊を以てして、汝を撃殺する――!!!》

どんっ!!

爆音を立て、アザゼルが地面を強く蹴ってポチへと突進してくる。
頭を低く下げ、三対の角の先端を向けて猛進してくる姿は装甲車か重戦車さながらである。
いや、本物の装甲車や銃戦車さえアザゼルの重爆を喰らっては一撃でスクラップだろう。
まして、軽量級のポチならば尚更だ。直撃すれば死は避けられない。

ただし、速度という点ではポチはアザゼルを遥かに凌駕している。避けることは容易だろう。

92那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:01:27
巨大な四足獣との闘い方であれば、ポチは巨狼との修行ですでに知悉しているだろう。
野生の本能に身を任せ、獣の持つ能力を最大限に活用する。
アザゼルは突進力こそ巨狼をも上回るが、その動き自体は魁偉な体躯が災いし決して俊敏とは言えない。
複雑に絡み合い王冠のような形状になった三対の角を掻い潜り、アザゼルの懐に飛び込むことさえ、
今のポチには造作もないことに違いない。

《ぐ、ぁ……!!》

果たしてポチがその目の前にあるアザゼルの急所――喉笛に牙を突き立てると、アザゼルはその首元の黄金の毛皮を血に染め、
スピードを緩めて数歩たたらを踏むと、どどう……と重い音を立てて横ざまに倒れた。
ポチが岩手の山奥で今は滅びた同胞たちと積み重ねてきた特訓の成果が、如実に表れている。
シロがおらずとも、ポチだけで狼の強さを証明するには充分すぎる。
眠っていた自らの才能を余さず開花させたポチにとっては、魔神さえもが敵ではなかった。

――そう、思ったが。

《ぬぅ……。何たる攻撃か。
 これほど佳い攻撃を喰らったのは、果たして何千年ぶりのことであったろうな……》

倒れていたアザゼルがゆっくりと起き上がる。
山羊の王はぶるぶると気付け代わりに幾度か首を振ると、ポチを見遣った。
ポチの牙は間違いなくアザゼルの喉を深く抉り取っていた。傷は確かに致命傷だったはずである。
だというのに、アザゼルは何事もなかったかのように立っている。

《狼の仔よ、余は汝を侮っていた。全身と全霊を尽くすと申したにも拘らず、様子を見た。
 非礼を許すが善い――》

ぱり、と黄金の体毛に電気が奔る。
それはやがて全身を包む雷霆となり、ポチの毛並みをそそけ立たせた。
いつの間にか空にはゴロゴロと不吉な雷鳴を轟かせる黒雲が立ち込めており、時折雷光が下界を眩く照らす。

ガガァァァァァンッ!!!

闘技場の中央に屹立するアザゼルに、落雷が直撃する。
だが、それはアザゼルを感電させるようなものではない。むしろ――その毛皮に雷が蓄積され、全身をバリアのように覆っている。
カッ!とアザゼルが双眸を見開く。雷光を力に変えて宿す、黄金の眼差し。
アザゼルはガツ、ガツ、と右の前蹄で砂地を蹴ると、雷鳴さながらの轟音と共にポチへ突進してきた。

《此れよりが全力よ、狼の仔!
 余はアザゼル、荒野を彷徨せし流民の王なり! 我が愛する仔らの安住のため、汝を――殺す!!!》

ガォンッ!!!
 
疾い。先ほどの突進とは比べ物にならない爆速で、アザゼルがポチへ猛進してくる。
雷のエネルギーを纏い、その膨大な電力を妖力に変換して、身体能力を遥かに向上させたらしい。
もちろん突進力の向上に比例して破壊力も上がっている。体当たりをまともに喰らえば無事では済まないだろう。
防御力も上がっているらしく、先ほどのように懐に潜り込み急所を狙おうとしても、分厚い毛皮に阻まれてしまう。
しかも毛皮は常に雷を纏いそれを放出し続けており、迂闊に触れれば感電は免れない。

《ふんッ!!》

バリバリバリバリッ!!!

ポチが突進を避けると、アザゼルは首をポチへと向けた。正確には王冠のような三対の角の先端を。
途端、王冠から雷撃が迸ってポチを狙う。ただ突進するだけが能ではなく、遠距離戦もお手の物ということだ。
そして――

《余を殺めるなど不可能なこと。余は我が仔らの命すべてを背負っておる。余の中に同胞すべての命が在るのだ……。
 たった一頭しかおらぬ汝に、余と余の一族郎党すべてを殺し切ることなどできるものか?
 否!否よ……!!》

いくらポチが知恵を絞ってアザゼルを攻撃し、致命と思われる傷を負わせたとしても。
アザゼルはすぐに回復し、負傷した事実など存在しないように攻撃を繰り出してくるのだった。

《汝の死は無駄にはせぬ。
 汝が余に滅ぼされることで、余らはやっと数千年に渡る放浪を終わらせることができる。
 我らの未来は、汝の死から始まるのだ……さらば、粛々と落命せよ!!》

まさしく王者の貫禄を以てして、傲然と佇立しながらアザゼルがポチを見下ろす。
神に追放された、まつろわぬ者たちの王。雷を統べる黄金の巨獣。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

贖罪の魔神・アザゼル――

それが、ポチの相手だった。

93那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:03:18
長い長い上昇を経て、エレベーターが停止する。
自動で開いた扉をくぐった祈を待っていたのは、何もない広大な空間であった。
ルキフゲ・ロフォカレの法廷でも、コカベルのテーマパークでもない。
アラストールの荒野とも、アザゼルのコロッセオとも異なる、何もない――ただただ黒いだけの空間。
上下左右の別さえない、文字通りの無。天と地の間にぽっかりと開いたポケット。
そんな、闇色の空間遥か前方に。

レディベアがぽつんと佇んでいた。

「……来ましたわね……祈。
 お待ちしていましたわ」

レディベアは祈の姿を認めると、ギザギザの歯を覗かせてにやあ……と粘つくような笑みを浮かべた。
その姿は祈の通う中学の制服でも、また真っ黒のワンピースとロンググローブ、ブーツという姿でもなく。
ダイバースーツのようなぴっちりした黒のボディスーツに身を包んでいる。
ボディラインのはっきりしたスーツの表面には禍々しい紋様が描かれており、不気味に紅く明滅を繰り返していた。

「いよいよ。いよいよ、この刻がやって参りましたわ。
 お父様が――妖怪大統領バックベアードが、このブリガドーン空間から解放される刻が!
 さすれば、もはやお父様を縛るものは何もない……何もかもが!偉大なるお父様の前に跪くのです――!!」

レディベアは大きく両手を広げた。
そして、その腕を捧げ物でも持っているかのように重ねて頭上に掲げる。
と。
それまで何もなかった闇色の空間に一条の裂け目が走り、ゆっくりと開いていった。

ぎろり。

それは『瞳』だった。
空間が瞼となり、そこから巨大な眼がひとつ、祈とレディベアを見下ろしている。

「ああ……お父様!わたくしの愛するお父様……!
 長らくお待たせ致しました、今こそ!お父様が地球の支配者として君臨するとき!
 龍脈を統べ、人を統べ、妖を統べ――
 万物万象の王として、わたくしたちをお導き下さいませ!」

レディベアは頬を上気させ、陶酔したように言葉を紡ぐ。
バックベアードがその呼びかけに応じるように瞬きをする。
妖怪大統領バックベアード。
唐土では太歳、日本では空亡と呼ばれる、妖の中の妖。
ブリガドーン空間に封じられし巨怪。東京ドミネーターズの首領にして、レディベアの父親。
それが、祈を見ている。

「けれども。その前にひとつだけ、やらなければならないことがありますわ。
 多甫 祈……あなたを殺し、その体内にある『龍脈の神子』たる因子を引きずり出して。
 お父様に捧げなければ……」

ぱり、とレディベアの体表を妖気が迅る。
その身体がふわ、と宙に浮かぶ。

「ふふ……なんて顔をしているのです?祈。
 あなたとわたくしは元々敵同士。それが、何の間違いかたまたま友誼を結んでしまった。
 過ちだったのですわ……それが正しい関係に戻った、単にそれだけの話でしょう?
 わたくしはやはり、バックベアードの娘。東京ドミネーターズ首領代行。それ以外にはないのです」

レディベアを取り巻く妖気がどんどん強くなってゆく。
それは、父晴陽との対話を経て龍脈の神子としての力に覚醒した祈にも匹敵するような、莫大な妖力。

「ひょっとして、わたくしを助けに来た……とか。そんなことを考えていらっしゃいますの?
 うふふ!それはそれは、徒労でしたわね。わたくしはこの通り、何者にも縛られておりませんし――
 ただ。愛するお父様のためにこの力を振るうだけですわ。
 ああ……でも、もしも。まだわたくしのことを友人と思っていてくれるのなら……」

ゴッ!とレディベアの全身を禍々しい妖気が覆う。
レディベアは隻眼を不気味に歪めて嗤うと、

「――死んでくださいな。ともだちである、わたくしのために!」

そう言って、一気に祈へと突進してきた。

94那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:06:26
ガッ!!!

レディベアの体重をかけた右の拳が祈を襲う。
驚異的な威力だ。祈の記憶では、レディベアは元々瞳術に依存する後方支援タイプの妖怪で、近接戦闘は不得手だったはずである。
だというのに、この拳撃はどうだ。龍脈の神子たる祈をして、身体の芯に響くほどの攻撃力を秘めている。

「さあ……お死になさいな、祈!
 そして、わたくしの願いを叶えるのです!お父様に自由を……この世界に真の統治を!」

ガガガガガッ!!!

さらにレディベアは目にも止まらぬ拳打を見舞ってくる。
拳撃だけではない。当然のように瞳術も併用してくる。祈がレディベアの拳をよく見ようとすれば、
自然とレディベアと視線を交わすことになってしまう。
瞳術が炸裂すれば、祈はたちまち平衡感覚をなくし身体をコントロールできなくなってしまうだろう。
それでなくとも、現在二人のいるブリガドーン空間は床も天井もない世界だ。
無重力の宇宙空間で戦っているようなものである。レディベアは元々の根城のため完全に動きを制御できるが、
祈はそうではない。晴陽との語らいの中には、無重力下での戦闘は入っていなかった。

「アッハハハハハ……!どうしたのです、祈!
 死にたくなければ反撃なさいな!このままでは嬲り殺しですわよ!?
 あなたはわたくしたちと闘うために、二ヶ月もの間訓練をしてきたのでしょう!?存じていますわよ!
 でも――それも全くの無駄!無駄でしたわね!」

バヂンッ!と音を立て、レディベアの裏拳が祈の頬を痛打する。
レディベアの殺意は本物だ。ベリアルに見られていることを警戒しての芝居、などという類のものではない。
本気で、祈を手にかけようとしている――。
さらにレディベアは大鎌さながらの右回し蹴りで祈を大きく後方へ吹き飛ばすと、長いツインテールをかき上げた。

「期待外れですわね……それでも地球に選ばれし『龍脈の神子』ですの?
 これでは、あなたを最後まで待っていたローランも浮かばれないというものですわね!」

一頻りせせら笑うと、レディベアは軽く空間の一角を一瞥した。
そこには、一塊のボロ雑巾が転がっていた。
今はもう見る影もなくズタズタになったグレーのパーカーにジーンズ。
癖のある金髪の、二十代後半くらいの青年――

「この男はお父様を裏切りました。ですので、わたくしが東京ドミネーターズ首領代行として制裁を加えたのですわ。
 最後まで、この男はあなたを待っておりました。
 祈ちゃんなら必ず、レディを救ってくれるはずだと……そんな世迷言を言い続けて。
 まったく度し難いですわね!わたくしを救うことができる者など、この世にお父様以外はいないというのに!」

レディベアは愉快げに嗤った。
祈がローランのところへ近寄ると、ローランは小さく呻いてうっすらと目を開いた。

「……あぁ……。
 祈ちゃん……。来て……くれたのか……。嬉しいよ……。
 すまない……もう少し、なんとかなるかと……思って、いたん……だが……。
 彼女を……レディを、守り……きれなかった……」

ローランのシャツの腹部が真っ赤に染まっている。重傷だ。
かつて東京ブリーチャーズ四人を相手にしてなお本気でなかったローランがここまでの手傷を負うなど、尋常なことではない。
ゴホッ、とローランは咳き込んだ。その口許に血が滲む。

「祈ちゃん……。頼む……あの子を、レディを……助けて、やってくれ……。
 ベリアルが……レディに、呪いを……。今の、彼女は……正気を、失って――
 がはッ!」

それ以上の無駄話は許さないとばかり、レディベアがローランへと接近してその横腹を思い切り蹴り飛ばす。
ローランは襤褸屑のように転がった。
まさしくゴミを見るような冷たい眼差しで、レディベアがローランを見下ろす。

「うるさい男ですわね。裏切者は大人しくしていなさいな。
 今まで、わたくしの護衛を果たしてくれたことは礼を言いますが……もはや、それも必要ありませんわ。
 この世の絶対君主、妖怪大統領が顕現した暁には、わたくしを害する存在などいなくなるのですから。
 ねえ……?そうでしょう、祈?」

レディベアが昏い瞳で祈を見る。
一緒に勉強をした。給食を食べた。放課後語り合った。
夜の公園で、ともだちだと。そう約束しあった――

祈の知るモノ・ベアードとは、まるで違う瞳で。

ギザギザの歯を剥き出し、漆黒の少女が嗤う。
妖怪大統領の娘。東京ドミネーターズ首領代行、そして祈のかつてのともだち。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

妖眼の魔神・レディベア――

それが、祈の相手だった。

95多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:20:16
 祈は、レディ・ベアが友人であることを明かした。
そして赤マントに利用され、今は囚われの身になっていることや、
償いはするから助けてやってほしいことを伝え、頭を深く下げるのだった。
 口に出すのも憚られる事柄だった。
敵のボスと友人関係にあり、必殺の瞬間を不意にした事実。
レディベアは、お飾りのボスであったかもしれないが、
早々に倒していればもしかしたら、犠牲になった誰かを救えたかもしれない。
 だが祈は、敵であるレディ・ベアをも助ける道を選んだ。
レディ・ベアも含め、レディ・ベアが生きていれば生み出すかもしれない犠牲者を、
己の最大限の力で、己の責任で、救うことにした。
 だが。この局面。
分断されれば、もはやこの情報を伝えることは叶わない。
おそらく仲間たちは祈とレディ・ベアの友人関係を知っていると思われるが、万が一知らなかった場合。
状況が不透明では、思考に迷いが生じる。事故があり得る。
レディ・ベアやローランと無意味に対立し、どちらかが死ぬ可能性がある。
それは避けたかった。
 だからこそ、この土壇場の状況ではあるが、
祈は皆に真実を、己の罪を伝えることにしたのである。
 祈が頭を下げたまま、
断罪される罪人のような気持ちで仲間達の言葉を待っていると。

>「……知ってますよ。ボクはアスタロトですからね……一部始終は分かります。
>尤も、何があってアナタとレディベアが友達になったのか、それは知りませんが――」
>「顔を上げてください、祈ちゃん。――大丈夫、この場にいる妖怪にアナタの頼みを断る者なんていやしませんよ。
>だって、みんながみんな脛に傷持つ妖怪ばっかりですからね!アハハ!
>レディベアを見つけ出したら。……きっと必ず助け出してみせます、だから……何も心配しないでください」

 隣のエレベーターの前に立っていた橘音がこちらにやってきて、快活にそういった。

「つってもあたし……みんなに嘘吐いてたようなもんだし……」

 と、頭を上げきれない祈だが、橘音にノエルも続いた。

>「僕も正体気付かずに……いや、わざと気付かない事にして普通にクラスメイトやってたんだから似たようなもんだよ。
>仲良かったかっていうと……まあ殆どスルーされてたけど!」

 そういつもの調子で明るくいうノエル。
そしてまだ下げたままの祈の頭に、姦姦蛇螺との戦いのときのもよりも精巧な櫛型の髪飾り
(といっても祈の視点からでは見えないが)をつけてくれた。
 かつての髪飾りは、いつもお守り代わりに持ち歩いている。

>「妖力制御の練習に作ってみたからあげようと思ってて。前より上手く出来てるかな?」
>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
>救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

 さらには、一緒に、祈とレディ・ベアの為に頼んでくれるのだった。

「御幸……」

 そこでようやく祈は頭を上げる。
尾弐もポチも、周りにやってきている。
 渋面を作る尾弐だが、

>「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
>「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えといてくれ」

 そういう声音は、祈には優しく聞こえる。

「尾弐のおっさん……」

>「……祈ちゃんは、本当にレディ・ベアの事が大事なんだね」
>「任せといて。僕の鼻なら、レディ・ベアがどこにいたって絶対に助け出せるよ」

 人化の術を解いて、いつもの姿へと戻ったポチが、
祈の脚をこする。くすぐったくも温かい感触を祈は感じる。

「ポチ……――みんな、ありがとう」

 祈は安堵した表情を浮かべた。
いままで心につかえていたものが取れたような、そんな顔である。
 そうして各々が、自分が選んだエレベーターの前に配置について、
ボタンを押すなり、中に入るなりしていく。
最後に残ったノエルが、ふとこういう。

>「でも……誰かの前にレディベアが現れるとすれば多分祈ちゃんじゃないかなって思う。
>ちょっと近付けないぐらい本当に仲良かったもんね。大事な友達、絶対助けてあげなよ!」

「あっ……いわれてみれば赤マントそういうのやりそう!」

 祈ははっとなり、同意して見せた。
 いまのところレディ・ベアの知り合いは祈ぐらいのものだ。
他の仲間がいる場所に配置しても、それほど罠としての意味はないと思われた。
だとすれば、祈の心を折るためにレディ・ベアを使ってこようとする可能性の方が高いといえる。 
例えば人質に使ってくる、なんてこともあるかもしれない。
一説によれば赤マントことベリアルは、『人を破滅させることを生き甲斐とする悪魔の中の悪魔』だ。
祈の心の動きを熟知し、心を折れる罠を用意していることだろう。

「ま、それならそれでいっか。あたしが頑張るだけだし。
……御幸、死ぬなよ。こいつのお礼もしてねーんだからさ」

 祈はそういって笑い、髪飾りを指差した。
そうして駆け足にエレベーターの前にいき、ボタンを押して、その中へと入っていくのだった。

96多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:23:07
 エレベーターに乗り込むと、扉が速やかに閉まった。
そうして出鱈目な記号が書かれたボタンが勝手に点灯し、エレベーターは上昇を始める。
 長い上昇。
 緊張と、外の様子が良く見えない閉塞感が、体感時間をより長いものに感じさせた。
今の時間なら昼過ぎの東京が見渡せるはずだが、
東京の景色は、暗闇の中に、途切れ途切れに歪んで見えるだけである。
空間が捻じれている証拠だった。
 上昇の間、祈は考える。
 これから起こりうることを。
 たとえば、赤マントが用意した接待役とは何者か。
また、接待役を倒したあと、赤マントの言葉が本当なら、赤マントと北棟展望台にて激突することになる。
その赤マントの倒し方についても、ずっと祈は考えていた。
 考えが浮かんでは消えを繰り返しているうち、
やがてエレベーターが止まったのを知らせる音が鳴った。
 扉が開くとそこは。
 暗闇だった。
 天井がない。天さえない。床がない。地さえない。
広大な空間がただ広がっている場所に出た。
 
(幻覚ってわけではなさそうだけど……)

 敵は天魔72将。そのうちベリアル派と呼ばれる天魔達だという。
祈もそれなりに調べたが、その中には危険な天魔が数柱混じっていることがわかった。
特にダンタリオンは危険な天魔の筆頭だろう。
 精神操作を得意とし、人の心を覗いて意のままに操れる。
また、自在に幻覚を投影できるという。
実際にはどうかはわからないが、そんな天魔がいれば、
仲間同士が操られて殺し合わされたり、幻覚の敵相手に延々戦わされたりということがあり得るのだ。
 そのうち、精神操作に関してはおそらく問題ない。
かつて尾弐が授けてくれた『悪鬼を切った刃』を収めたお守りを首から下げているから、
そういった災いを取り除いてくれると、祈は信じた。
 だからあり得るとすれば幻覚だが、
エレベーターの外に足を伸ばし、床があるべき場所に足を下ろしてみるが、床の感触はない。
 幻覚は主に幻視のことを指すが、聴覚や触覚、味覚の幻覚もある。
だからダンタリオンの生み出す幻覚が知覚全てを騙すようなものなら、もはや見分けがつかない。
だが、そうでないのなら、ここには実際に床も何もないことになる。
 足を踏み出せば、この暗闇に呑まれて真っ逆さまに落ちてしまうのだろうと、
そんな風に思えた。
 だがそれでも祈が足を踏み出したのは――。
 見慣れたツインテール、レディ・ベアらしき人物を遥か前方に認めたからであった。

(御幸の勘が的中したな)

 祈は靴をエレベーター内で脱ぎ捨て、
スポーツバッグから風火輪を取り出して履き替える。
そして何もない中空に浮くツインテールの人物に向かって、
エレベーターから一歩踏み出した。

「わ、なんだ……?」

 どうやらエレベータから先は無重力空間になっているようで、祈の体がふわりと浮く。
踏み出した慣性に従って、そのまま祈の体は進んでいった。
 近付いたことで、中空に立ち尽くしている人物がレディ・ベアであることがはっきりとわかる。
レディ・ベアはいつもの格好と違い、ダイバースーツに似た黒いボディスーツを身に纏っていた。
表面に浮かぶ模様が禍々しく、赤く明滅している。

「モノ!」

 なんだか様子がおかしいことを感じつつも、
祈はレディ・ベアに近付いていき、そう呼びかけた。

>「……来ましたわね……祈。
> お待ちしていましたわ」

 祈と逆側を向いていたレディ・ベアが振り向く。
そして祈を認識するとそう言い、笑った。
 だがギザ歯をのぞかせて嗤うその表情は、
少なくとも、『友達が助けに来てくれたのを喜んでいる』というようなものではない。
獲物が罠にかかったのをせせら笑うような、そんな表情だった。
 祈は風火輪の炎を噴かせてその場に静止する。

「……モノ? お前ひとりか? あたし、ここに赤マントの用意した接待役がいるって聞い――」

>「いよいよ。いよいよ、この刻がやって参りましたわ。
>お父様が――妖怪大統領バックベアードが、このブリガドーン空間から解放される刻が!
>さすれば、もはやお父様を縛るものは何もない……何もかもが!偉大なるお父様の前に跪くのです――!!」

 レディ・ベアは体を祈へ向けると、諸手を広げた。
そして手を合わせると、今度は祈るように上へと掲げて見せた。
その目は上へと向けられ、レディ・ベアの視線の先を見遣ると、空間に横一文字の亀裂が生じ、上下に開いた。
出現したのは、広大な空間に浮かぶひたすらに巨大な眼。

>「ああ……お父様!わたくしの愛するお父様……!
>長らくお待たせ致しました、今こそ!お父様が地球の支配者として君臨するとき!
>龍脈を統べ、人を統べ、妖を統べ――
>万物万象の王として、わたくしたちをお導き下さいませ!」

 レディ・ベアは、まるで恋をしている乙女のような、あるいは盲目な信者のような。
そんな恍惚とした表情で巨大な眼を見つめ、そう宣う。
ブリーチャーズとドミネーターズが初めて商店街で会った時に戻ったようでもある。
 見下ろす巨大な眼と、祈の目が合った。

97多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:26:41
「こ、こいつが妖怪大統領……! で、でけぇ!」

 祈はあまりに巨大な眼に圧倒されながらも、睨むように見返す。
 妖怪大統領・バックベアード。
レディ・ベアの父たるその妖怪は、ブリガドーン現象なる超自然現象であるという。
その内側では全てが曖昧になる不思議な妖雲で満たされており、
願いが力を持った結果、夢と現、虚と実の入れ替わりすらも起きるらしい。
おそらくはその特殊過ぎる性質が故に現実と相容れず、
普段はブリガドーン空間に封じられているようであるが、ここに妖怪大統領がいるということは。

(ここは『ブリガドーン空間』なのか……!?)

 かつてレディ・ベアは、ブリガドーン空間は天地の境も左右の区別がないと言っていた。
その特徴と現状は合致する。
 どうやら赤マントは空間を歪めただけでなく、
バックベアードが封じられている異空間とも繋げたらしい。

>「けれども。その前にひとつだけ、やらなければならないことがありますわ。
>多甫 祈……あなたを殺し、その体内にある『龍脈の神子』たる因子を引きずり出して。
>お父様に捧げなければ……」

 レディ・ベアが祈を見る。
表情が上気した乙女のものから、残忍さを帯びたものへと変わった。
 そしてその体表、スーツの表面を電気めいた妖気が迸り、
ふわりと浮かぶ。
 レディ・ベアは祈と戦おうとしている、――否。
言葉通り、“祈を殺そうとしている”ことがわかる。

 赤マントは、エレベーターの先には自分達を満足させるような接待役が待っていると言っていた。
また、接待役を倒せば、自分のいる北棟展望室にまで招待するとも。
 頭ではあり得ると理解していたし、状況はそうだと示している。
だが心がそれを認めたがらない。
実際に直面してみると、なかなかにきついものがあったのだ。
 レディ・ベアが接待役だというこの状況は。

>「ふふ……なんて顔をしているのです?祈。
>あなたとわたくしは元々敵同士。それが、何の間違いかたまたま友誼を結んでしまった。
>過ちだったのですわ……それが正しい関係に戻った、単にそれだけの話でしょう?
>わたくしはやはり、バックベアードの娘。東京ドミネーターズ首領代行。それ以外にはないのです」

 ますます妖気の迸りが強まっていく。
それはあり得ないことに、龍脈の力を得たはずの祈にも匹敵するようなものに感じられた。

「お前、赤マントになんかされたな……?」

 冷や汗が祈の頬を伝う。
友人が己へ殺意を向けてくる事実と、なおも高まる力に。

>「ひょっとして、わたくしを助けに来た……とか。そんなことを考えていらっしゃいますの?
>うふふ!それはそれは、徒労でしたわね。わたくしはこの通り、何者にも縛られておりませんし――
>ただ。愛するお父様のためにこの力を振るうだけですわ。
>ああ……でも、もしも。まだわたくしのことを友人と思っていてくれるのなら……」

 そうして妖気がその全身を覆ったかと思うと。

>「――死んでくださいな。ともだちである、わたくしのために!」

 宙を蹴り、レディ・ベアが突進を仕掛けてくる。
猛烈なスピードで、全体重を乗せたレディ・ベアの右拳が祈へと伸びた。
祈は反射的に、肩がけにしていたスポーツバッグから手を離した。

「ぐっ……!!」

 咄嗟に両腕のガードを上げ、ボクサーのように頭を守る体勢を取る祈。
レディ・ベアの右拳を左腕で防ぐが、腕の芯にまで響き、しびれを感じるほどの打撃だった。
 祈は呻く。

>「さあ……お死になさいな、祈!
>そして、わたくしの願いを叶えるのです!お父様に自由を……この世界に真の統治を!」

 そして続く猛攻。拳撃の嵐。
それはスピード自慢の祈がさばくのに精一杯になるほどのものであり、
また、一撃一撃が重く、的確に祈を追い詰めようとするテクニックやセンスを感じさせた。
 おそらくはこの空間がレディ・ベアにとってのホームグラウンドというのも影響しているだろうが、
それを差し引いても、圧倒的で一方的だった。
 レディ・ベアは、体育の授業がそれほど得意な妖怪だった記憶は祈にはない。
瞳術を使う、橘音と同じ後方支援系の妖怪だったはずだが、この急激なパワーアップはどういうことか。
 
>「アッハハハハハ……!どうしたのです、祈!
>死にたくなければ反撃なさいな!このままでは嬲り殺しですわよ!?
>あなたはわたくしたちと闘うために、二ヶ月もの間訓練をしてきたのでしょう!?存じていますわよ!
>でも――それも全くの無駄!無駄でしたわね!」

「がはッ……!」

 殴打の嵐の最中、祈の目は一瞬レディ・ベアの目と合ってしまった。
そうして祈の視界が揺らいだ瞬間、レディ・ベアの裏拳が祈の頬に叩き込まれたのである。
 目の前に一瞬火花が散る。
 さらに。生まれた隙を見逃さず、レディ・ベアの右廻し蹴りを放つ。
かろうじて左腕で防ぐも、ふらついた祈では満足にその衝撃を殺すことは叶わない。

「っ!! が、ぁっ――」

 骨が軋み、折れる音。走る激痛に祈は苦鳴を上げる。
その顔が苦痛に歪む。
幸い、空間が無重力状態で天地がないため、どこかにぶつかることもなかったが、
後方に大きく吹き飛ばされる結果となる。
龍脈の加護で耐久力が上がっている今であっても、
ガードが遅れていれば死んでいた可能性がある一撃だった。
 それをみてレディ・ベアがせせら笑う。

98多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:29:33
>「期待外れですわね……それでも地球に選ばれし『龍脈の神子』ですの?
>これでは、あなたを最後まで待っていたローランも浮かばれないというものですわね!」

「っ……ローラン?」

 風火輪に炎を噴かせ、なんとか体勢を整えた祈は、レディ・ベアが目で示した先を追った。
そこにはズタボロの、人の形をした何かが転がっている。
 嫌な予感が祈の脳裏をよぎる。

>「この男はお父様を裏切りました。ですので、わたくしが東京ドミネーターズ首領代行として制裁を加えたのですわ。
>最後まで、この男はあなたを待っておりました。
>祈ちゃんなら必ず、レディを救ってくれるはずだと……そんな世迷言を言い続けて。
>まったく度し難いですわね!わたくしを救うことができる者など、この世にお父様以外はいないというのに!」

 その予感が裏切られて欲しいと思いながら、人の形をした何かへ向けて、
風火輪に炎を噴かせて近寄ると。

「おい、うそだろ! 生きてるか!?」

 それはローランだった。
伝説に登場する英雄を再現した人造人間(らしい)。
その皮膚は伝説に記される通りに、ダイヤモンドと同等かそれ以上の硬度を備えているとされている。
 だが、ボロボロなのは服だけではない。
生身の至る所に傷があり、腹部には血が滲んでいる。かなりの重傷だ。
ブリーチャーズでも手傷を負わせるのがやっとだったスーパースキンの防御を突き破り、
これほどまでに痛めつけたというのか。
 祈が近付いてきたことにローランは気が付いたらしく、顔を上げた。

>「……あぁ……。
>祈ちゃん……。来て……くれたのか……。嬉しいよ……。
>すまない……もう少し、なんとかなるかと……思って、いたん……だが……。
>彼女を……レディを、守り……きれなかった……」

 かすれた声でそういって、一度咳き込むローラン。
その際、口許に血が付着する。
ということは、内臓や肺に深刻なダメージを負っていると見られた。

「ばかお前しゃべんな!」

 少しでも体力の消耗を抑えるべくそう促すが、
ローランは口を閉ざさない。何か大切なことを伝えようとしているようだった。

>「祈ちゃん……。頼む……あの子を、レディを……助けて、やってくれ……。
>ベリアルが……レディに、呪いを……。今の、彼女は……正気を、失って――
>がはッ!」
 
 だがその言葉を遮るものがあった。レディ・ベアの蹴りである。
うるさいからもうしゃべるなとばかりに、ローランの横腹を蹴り飛ばしたのだ。
果てのない空間をローランが転がっていく。

「ローランッ!」

>「うるさい男ですわね。裏切者は大人しくしていなさいな。
>今まで、わたくしの護衛を果たしてくれたことは礼を言いますが……もはや、それも必要ありませんわ。
>この世の絶対君主、妖怪大統領が顕現した暁には、わたくしを害する存在などいなくなるのですから。
>ねえ……?そうでしょう、祈?」

 レディ・ベアは、虫唾が走る、とでも言いたげな表情で冷たく吐き捨てる。
そして祈を見て、哂う。その目は昏く、祈をただの獲物としか捉えていないようだった。
 以前のレディ・ベアとは。モノ・ベアードとはまったく違う冷たい目。
 祈は立ち上がり、その目を一度見据えた。
 ローランは心配だが、今はブリーチャーズ4人がかりでも倒せなかったあの男の地力を信じる他ない。
 祈は、スポーツバッグが浮いているところまで飛び退いた。

99多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:42:29
「『ねえ……?そうでしょう、祈?』……って? もしかしたらそうかもしれねーな。
でも、まだそうじゃない。勝った気でいるところ悪いけど、勝負はまだついてないぜ」

 祈は、手の甲がレディ・ベアに見えるように右手を眼前へ翳す。
そして右手を握り締めると、

「変、身――!」

 そう言い放つ。
すると、右手に刻まれた龍の紋様が輝き、その目は金色に。
黒髪は色褪せ、燃えるような、あるいは錆のような赤に。パーカーやショートパンツは漆黒へと染まっていく。
 そしてまとわりつく邪悪を祓うように右手を右横へ振るうと、
龍脈から受け取った莫大な妖気が波動となって、周囲の空気を振るわせた。
 人呼んで『ターボフォーム』。
龍脈の力を振るう、風火輪のライダーたる祈の、戦闘形態。
 折れていた左腕までも回復している。

「友達と戦わせる、か。いかにも赤マントが考えそうなことだよな」

 以前、御前に似たようなことをやられたことがある。
あの時は、ノエルやポチが無理矢理に従わされて祈を襲おうとした。
そのときも何かと嫌な気持ちをさせられたものだ。
赤マントは祈の性格をしっかり把握して、嫌がることを忠実に実行してくるということだ。

「こっちは死ぬ気でお前を助けに来てんのに、なに勝手に呪いだかにやられてんだ。
いいぜ。お腹くくった。お前がそんな有様なら、目を覚まさせてやる」

 レディ・ベアが接待役なら、
祈は上階へ続く道を開くためにも、レディ・ベアと戦わなければならない。
そしてレディ・ベアは、ローランによれば呪いに掛けられているという。
呪いから解放してやるためにも、戦わなければならなかった。
その呪いはおそらく、レディ・ベアが身に纏う禍々しい紋様が刻まれた衣服が関係しているのではと考えられた。
 レディ・ベアを倒して衣服をはぎ取るか、戦いながら衣服を切り刻むなりすれば、
その呪いを解けるかもしれない。
そうでなくとも、理を捻じ曲げる祈の必殺の一撃を当てることができれば。
 そしてレディ・ベアにしても、龍脈の因子とやらを祈から奪わなければ、父や自分が自由にならないと思わされている。
戦わない理由はない。

 現状、不確定要素は多いと言わざるを得ない。
 祈の左腕をへし折ったことからも、レディ・ベアはおそらく本物だと考えられる。
だが、ローランや妖怪大統領はわからない。偽者や幻覚の可能性はある。
 特に妖怪大統領は疑わしい。
祈がモノを救いたいと想っているのに変化がないことから、
本当に想いが力を持つブリガドーン空間であるかどうかが分からない。
 また、妖怪大統領は赤マントにとって計画の要でもあるはずだ。
もし祈が、運命変転の力を使って妖怪大統領を倒そうとしたらどうなるか、赤マントが考えないはずはない。
理を捻じ曲げ、妖怪大統領を倒し、無力な妖怪にでも転生させてしまったら。
そうすれば、龍脈の資格者として自分を仕立て上げることはできなくなる。
故に、理由もなくここで出してくるとは考え難かった。
 他にも諸々気になることはあるが、後回しにせざるを得ないだろう。
 先程まではレディ・ベアもまだ、本気ではなかった。
ここからは本気だろう。
同等の力を持つもの同士の戦いは、他の何かに思考を奪われればそれだけで敗北の原因になり得る。
 だからこそ、レディ・ベアから確実に対処していかなければならない。
 祈はスポーツバッグの中身を漁り、中から金属バットを取り出すと、正眼に構えた。

「さぁ、行くぜモノ!」

 そして目を閉じ、風火輪の炎を吹かして、一気にレディ・ベアへと接近する。
 瞳術を警戒しての心眼。
それが祈の選択した、対レディ・ベアの攻略法であった。
 二人が出会ったばかりの頃、
祈もレディ・ベアは敵としか認識していなかった。
だからこそ、レディ・ベアが転校して来た後、暫くの間、練習を続けていたのがこの心眼である。
 当初は上手く行かなかったものだが、今は――。

「だぁッ!!」

 祈が振り下ろす金属バットの太刀筋は正確。
レディ・ベアが避けよう、あるいは受けようと思った動きに合わせ、
的確にレディ・ベアの肩を狙っていた。
 
 レディ・ベアが再び拳撃を浴びせてきても、
それを金属バットで祈はことごとく往なす。
先程までの獲物をいたぶるような攻撃であれば、金属バットを折ることはおろか、へこみすら作ることはできない。
衝撃を完全に逸らしているためだ。
 龍脈による身体能力の向上は、聴覚をも強化している。
相手の筋肉の音や呼吸音、心臓の鼓動、風を裂く音。
それらを聞いて状況を把握しているのだ。
星の記憶を遡る中で、心眼で戦う者達の姿を実際に見たことも心眼の完成に一役買っただろう。
 付け焼き刃ではあるが、この一瞬、意表をついてこの一撃を叩き込むことはできるはずだ。

「そこッ!」

 風火輪の炎を吹かして踏み込み、
金属バットを、バッターボックスに立った野球選手のように思い切りスイングする。
ただ、狙いはレディ・ベアの着ているスーツである。
多少なりともバットの先端に引っかけて傷付けられれば、スーツにダメージがあるはずだ。
それが呪いの源なら、レディ・ベアに多少の変化が生まれるだろう。
だが変化が全くないのなら、戦い方を考えなければなるまいと、祈は考えていた。

100御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:43:54
>「ま、それならそれでいっか。あたしが頑張るだけだし。
……御幸、死ぬなよ。こいつのお礼もしてねーんだからさ」

「そっちこそ。忘れないで――君はみんなの恩人なんだよ」

ノエルが祈に恩があるのはもちろんのこと、橘音やシロは以前祈に命を助けられている。
それに、もしも橘音やシロが死んでいたら尾弐やポチも絶望のあまり死んでいたかもしれない。
上昇するエレベーター(実際には本当に上昇しているのかも分からないが)の中でひとりごちる。

「接待……ってことは料亭にでもご案内されるのかねぇ。……ガチでその可能性もあるのか」

冗談で言ったつもりだったが、言ってみてそれに近い可能性も普通にあることに気付いた。
こちらを分断させた目的として一番可能性が高いのは個別撃破だと思われるが、
他の可能性として取引を持ち掛けてくることも考えられる。
まず後者で攻めてきて、乗ってこないと分かれば前者に移行する二段構えかもしれないし
あるいはお互いに分断中にどのような“接待”を受けたか分からないのを利用して、疑心暗鬼に陥るように仕向けてくるかもしれない。
もちろんメンバーの中にそんなものに惑わされる者がいるとは思えないが、それでも相手はベリアルだ。
最初から相手の土俵に乗らないに越したことはない。
ごたごたとした会話が始まる隙も与えずに、即刻勝負をつけるに限る。
そんなことを考えている間に、エレベーターが所定の階へ到着したようだ。
ドアの向こうでは、ベリアルの用意した接待役が手ぐすね引いて構えているのだろう。
ドアが開いた瞬間、”世界のすべて”を前方に突き付けながら足を踏み出す。

「いざ尋常に、しょーうぶ! ……あれ?」

ノエルはテーマパークの大通りにまろび出ていた。
眼前に敵が待ち構えていると思っていたので意外に思うものの、
事前に何が起こるか分からないという心構えはあったので狼狽えるほどでもない。

「幻術か結界の類か……」

>「ようこそ、夢と幸福のコカベルパークへ!」

「騙されないぞー! ピエロの姿をした悪魔って映画で見た! ……あ、どうも」

このピエロが接待役かと警戒するものの、普通に風船を渡されて拍子抜けする。
試しに乗ってきたエレベーターのボタンを押してみても全く動かない。
突っ立っていてもらちがあかないので、辺りの探索を開始する。
いつの間にかみゆきの姿になっているのは、なんとなく場に馴染んで目立たないようにするためかもしれない。
結果的には結界の中にいる以上こちらの動きは筒抜けなので、意味はないのだが。

「ベリアルめ、一体何のつもりだ……」

行き交う人々は幸せそうで、着ぐるみが人を襲い始める様子もない。
平和そのものといった風景である。

「なるほど……テーマパークにぼっちという極限の状況を作りだすことによって絶大なダメージを与える作戦だったのか!
でも残念、意外と一人テーマパークいける派なんだ。あっ、ネコミミ可愛い……はっ、いかんいかん」

101御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:46:13
人間界の楽しいところを凝縮したような風景に、油断すると取り込まれそうになってしまう。
天魔の作る結界。風景を完璧に再現するだけではなく、精神に作用する幻惑の効果があっても不思議はない。

「このテーマパーク、なんとなく危険な香りがするなぁ。もちろん当然危険なんだけど他の意味でも」

とか何とか言いながらテーマパーク内を観覧もとい偵察していると、アナウンスが流れた。

>《これより、コカベル様のエグリゴリカルパレードを開催いたします!
 観覧ご希望の皆様はメインストリートへお集まりください!》

「危険―――――!! 何がどう危険なのかは具体的には言えないけど!
ん? コカベル……? 確か天魔にそんな名前のいたよね?」

おそらく、べリアルの用意した接待役なのだろう。
接待役をどうにかしない限りは状況が動きそうにないので、罠だろうと何だろうと行くしかない。
人々の流れに乗ってメインストリートに向かう。
豪華絢爛なパレードと共に現れたのは、アイドルのような愛らしい少女。
しかし、自然界ではあり得ないはずの黒い光を放つ光輪と、漆黒の翼が彼女が天魔であることを如実に示している。

>「ハァ――――――――――イ!みんなーっ!楽しんでる―――――――っ!?」

>「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」
>「「「コカベル様あああああああああああああ!!!!!」」」

やはりこの少女(外見)がコカベルで間違いないようだ。
何のつもりか分からないが先手必勝、ということで、妖術で狙撃しようとしていたところ。

>「今日はコカベルパークに来てくれてありがとーっ!みんな、楽しんでいってね――――っ!!
 ってことでぇ!今日はビッグ・サプラーイズッ!みんなにアタシたちの新しい仲間を紹介するねーっ!
 雪の女王の眷属!雪ん娘・ノエルちゃ――――――――んっ!!!」

「めっちゃ存在を認識されてる!? うわなにするやめ」

あっという間にピエロや着ぐるみに捕まえられて連行され、フロートの上に押し上げられる。

>「今日から、このコもアタシたちの仲間!ずっとずっと、このコカベルパークでみんなと遊んでくれるよ!
 仲良くしてあげてね!みんな愛してるよ――――――――っ!!!」

「えっと、遊んでる場合じゃないんだけど……というかベリアルの陰謀を阻止しようとしてる敵だよ!?
仲良くしていいの!?」

ごたごたした会話には乗らないと決めた決意はどこへやら、予想外の展開に思わず普通にツッコむ。

102御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:47:34
>「「「「うおおおおおお――――――――――――っ!!!」」」
>「「コカベル様とノエル様、ばんざああああああああああああああああああああい!!!!!」」

>「待ってたよ、ノエルちゃん。
 アタシの名前はコカベル。この『コカベルパーク』の主にして、ベリアル兄様から命じられた君の接待役。
 アタシが面白いと思ったものが、ここには全部揃ってる。楽しんでいって?」

「君とは気が合いそうだよ。……敵同士でなければ。
さてはそうやって油断させてから取引を持ち掛ける作戦だな!?」

>「さぁさぁ、ボーっとしてないで遊ぼう!楽しもう!
 ノエルちゃんは何が好きかな?ジェットコースター?メリー・ゴーラウンド?それともコーヒーカップ?
 一緒にチュロス食べようか?シナモンが効いてておいしいよー!」

「教えて。君がベリアルに命じられた接待って具体的には何?」

>「ベリアル兄様が言ったんだ。ノエルちゃんの相手をしろって、これから一日の間、ノエルちゃんと一緒にいろって。
 そしたら、アタシの願いを叶えてくれるって。コカベルパークをもっともっと大きくしていいって。
 東京を丸ごと、アタシの大好きなテーマパークにしていいって!」

ベリアルから与えられた任務を聞き出したみゆきは、腑に落ちたという感じで屈託ない笑顔を返した。

「なーんだ、そうだったんだ! 何の下心もない文字通りの接待だったのね!
どんな取引を持ち掛けてくるんだろうと思って警戒しちゃったよ〜。
東京丸ごとテーマパーク!? あはははは、すごーい!
そうなったら童のお店が入ってる胡散臭い雑居ビルもファンシーに改装してくれる? 古くて薄暗いんだよねー!」

そこで屈託のない笑顔が悲しげな微笑に変わる。

「……でもアイツは某猫型ロボットと違って願いを叶えてなんてくれないよ。
きっと他の接待役にも同じようなことを言ってるんじゃないかな?」

>「遊び疲れたらホテルだってあるし、ふかふかのベッドもある。ジャグジー付きのバスルームだって!
 たっぷり遊んで、たっぷり眠って……起きたときには全部終わってる。
 アタシたちの素敵な兄様が、この世界を創り変えてる。今よりもっともっと素敵な世界に……。
 だから、さ。ノエルちゃん、一緒に楽しもうよ。
 アタシ達を拒絶した、このクソみたいな世界の終焉を――」

「クソみたいな世界……そうだね。
ずっと真っ白な世界の住人でいればよかったのにこんな世界にどうして憧れてしまったんだろう。
君と童はちょっと似てる。童が一神教に属する存在だったら君みたいになってたのかな……」

103御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:59:52
共に人間の世界に惹かれ、人間の監督者であることを放棄したコカベルと、人間の敵であることをやめたノエル。
ノエルが災厄の魔物でなくなったのは、ちっぽけな人間の尺度から見れば、悪から善への転化、だろう。
しかし大きな視点から見れば、一族ぐるみで世界の理に刃向かい与えられた役目を放棄し、人間の側に寝返った反逆者とも言える。

「でも……ベリアルに任せたらもっと酷くなるのは確かだ。
童の仕える当代の神子ならきっと世界をいい方向に導いてくれる。
……少なくともベリアルよりは確実にね」

祈は世界を変えようなんて大それたことは思っていないのかもしれない。
でも彼女は目の前で消えそうな命があれば、きっと運命を捻じ曲げてでも助けようとしてしまう。
ノエルを人類の敵たる宿命から解放した時も、世界の理に刃向かおうなんて思っていない。ただずっと友達でいたいと願っただけ。
運命変転とは、本人が望む望まざるに拘わらず世界に干渉してしまう、そんな力だ。

「だからね……今はちょっと待って。後でたくさん遊ぼうね!」

そう言って風船を手放した。結界の物理的な範囲があるかを調べるためだ。
もしも風船がどこかで透明の壁のようなものに引っかかるようなら結界を力尽くで破壊できる可能性も出てくるが。
しかし、その様子はない。

「お願い、ここから出して。このままじゃベリアルの思う壺だよ」

>「アッハハ、ムダムダ!ここからは出られないよー!
 ここはアタシのテーマパーク。アタシが創った、アタシの世界……結界だもの。
 出口なんてないからね!ノエルちゃんもムダなことは考えないで、アタシと遊ぼうよ!
 ほらほら、もうすぐ次のパレードが始まるよー!何なら一気に夜のイルミネーションの時間にしちゃおうか?ほら!」

フィンガースナップ一つで夜に変わり、イルミネーションと花火が辺りを彩る。
それはコカベルが結界内の事象を思うがままに操れるということを示していた。

「出してくれないなら……力尽くで出してもらうよ!」

この結界内で結界の主に戦いを挑むなど無謀の極致だが、出る方法はそれしかない。

>「……アタシを倒す?ここから出る?
 こんなこと……出来ると思ってるの?」

周囲の観衆が巨人ネフィリムへと変わり、ファンシーなテーマパークがいい感じに禍々しいダークメルヘンな空間へと変貌していく。

>「そう。アタシと戦おうって言うんだ……。アタシはノエルちゃんと遊びたかったのに。
 戦う必要なんてないし、一緒に楽しい時間を過ごせればって。
 ベリアル兄様に言われたとおり、おもてなししたいって思ってたのに……。
 アタシを殺そうって言うんだ。アタシに死ねって言うんだ。そう……そうなんだ――」

コカベルは本心から残念がっているように見えた。
コカベルがベリアルに命じられたのは文字通りの”接待”だったらしいが、考えてみれば何ら不自然ではない。
ベリアルとしては別にこちらを倒す必要はなく、事が終わるまで足止めして時間を稼ぎさえすればいいのだから。

104御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 19:01:56
「それは違う……。ベリアルが目的を完遂したら君達は用済み。それこそ殺されるかもしれない。
ベリアルは……決して仲間を作らない。協力者を搾取する対象としか見ていない。
奴に使われた者達はみんな死の末路を辿ってる……」

長年手塩にかけて育てた弟子である橘音ですら容赦なく殺されたのだ。
都庁防衛のために招集された最終防衛機構といえど、例外ではないだろう。
しかしコカベルが聞く耳持つはずはなかった。
彼女はクリスやロボやレディベアらドミネーターズ初期メンバーのように最近ポッとスカウトされた者ではなく、
神話の時代から長年ベリアルの手口を見てきたであろう天魔。
そんなことはとっくに分かっていても良さそうなものだが、何故だか妄信しているようだ。
ベリアルの手口がそれ程物凄いのか、何かの術にかかっているのかは分からないが、
説得による平和的解決が不可能ということは確かだ。
コカベルの周囲を漆黒の炎が取り囲む。
みゆきも、吹雪をまとう氷雪の化身深雪の姿となった。
相手に合わせてなのかいつもよりメルヘンチックな和ドレスを纏っている。
板状の氷の破片の姿をした理性の氷パズルが周囲に展開し、靴底に妖力のブレードが現れる。

「生憎時間がないのでな――速攻でおねんねしてもらうぞ!」

>「じゃあ、やってみせなよ。そのちっぽけな氷の力でさ。
 アタシの煉獄の炎で、全部溶かし尽くしてあげる。アタシを、同胞を、アタシの旦那様を、子供たちを。
 すべて灰にしてしまった、この火の力でね!!!」

「トランスフォーム――《星の王冠(スフィアクラウン)》!」

深雪は理性の氷パズルを変形させ聖槍(傘型)を作り出し、迫りくる炎を防ぐ。
が、すぐに理性の氷パズルの結合が解けてバラバラの氷の欠片に戻ってしまった。

「ぎゃああああああああああああ!?」

深雪は消し飛んだ。ような気がした。
すぐに虚空で氷雪が渦巻き、姿が再構成される。

「……なんてな。効かぬ効かぬわ!」

と言いながら、服が焼けこげ、見るからにボロボロになっている。服のボロボロさでダメージが表現されているようだ。
思いっきり効いてるよね!?というツッコミ待ちだろうか。
3回消し飛んだら画面に映れなくなって、もとい現世に姿を構成できなくなって死ぬとかそういうシステムなのかもしれない。
炎を防げなかったのは、純粋な力負けだろう。
修行によって発現した第五人格が出ていないのは何故だろうか。
全ての能力値において他の人格の上位互換なので、出さない手は無いはずだ。

深雪「御幸! 何をしている出番だ!」
乃恵瑠「……あれはどうやら守る対象がその場にいないと出てこないらしい」
ノエル「ファッ!? そうだったの!?」
みゆき「そういえばあの時はハクトがいたもんねぇ……」
深雪「発現条件でいきなり積んでるではないか!」

発覚してしまった衝撃の事実に、今まで余裕を装っていた深雪も流石に焦る。

「ベリアルめ、知っていたのか……!? だから罠だといったのに!
こんなことなら鞄の中にハクトを突っ込んで連れてくればよかった!」

105御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 19:02:41
本人すら気付いていなかった発動条件をベリアルが知っていたのかは定かではないが、結界的にはベリアルにとって分断は最高の策だったようだ。
続けざまにくる煉獄の炎による攻撃を、スケートの要領でなんとか避ける。
が、ネフィリムが普通に襲い掛かってきた。
一体一体の戦闘力は大したことはないが、でかい化け物が徒党を組んで襲い掛かってきたら普通に脅威である。

「そなたら、背景ではなかったのか!?」

背景じゃなかったらしい。

「――アイスキャッスル!」

もともと城だったのであろう場所を利用し、氷の城に劇的ビフォーアフターする。
ただでさえ危険なテーマパークもとい結界の中で(次期)雪の女王が氷の城なんて作ったら更に危険な香りしかしないが、気にしてはいけない。

「行け、氷の巨人!」

やっぱり危険な香りの氷の巨人達が、ネフィリムを迎え撃つ。
やたら絵面が派手になった気はするが、当初背景だと思われていた物が背景ではなかったので力技で背景に戻しただけである。
つまり何一つ状況は好転していなかった。

「ホワイトアウト!」

効くかどうか分からないが相手の視界を奪う幻惑の妖術をかけ、深雪は思考を巡らせる。
このままでは負けるし、長期戦になってベリアルの野望が完遂してしまってもアウトだ。
決着を付けてここから出るにはなんとしてでも御幸を引きずり出さなければならないだろう。
修行で新たな力を得たけど発動条件に当てはまらなくて前座でやられました、なんて間抜けすぎる。
とはいっても普通の方法では結界内に仲間が入ってくることは不可能だし、
召怪銘板でもあれば誰かを呼びだして発現条件を満たせるかもしれないが、もちろん今は持っていない。
ラストダンジョン攻略早々、いきなり最大のピンチに直面していた。

106尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:52:30
それは、一つの終末の姿であった。
見渡す限りに広がる赤錆色の大地。
灰で覆われたかの様な暗色の空。
動物や昆虫、草木の一本も存在せず、時折思い出したかのように乾いた風だけが吹き抜けていく。

続かない世界。命が生まれない世界。
善意と悪意が、平等に死に絶えた世界。

「砂っぽいうえに酒屋の一つもねぇたぁ、随分とつまらねぇ場を拵えやがる」

エレベーターの扉を潜り、赤錆の大地へと一歩踏み出した尾弐黒雄は、溜息を付きながら黒ネクタイを締め直し、そのまま前へと歩を進める。
何も無かった荒野に男の足跡が残り始めた。

・・・

「ん……地震か? いや、そんな訳もねぇな」

進めども進めども変わり映えの無い光景。
風に舞い口に入る砂の不快感に飽き始めた頃、不意に大地の鳴動を感じて尾弐はその足を止めた。
直ぐに地震を疑ったが、ここはあくまで建造物の中。
幾ら異界といえど、地震を起こす為だけに妖力の無駄遣いをする筈が無いとその可能性を切って捨てる。
そうして尾弐が思案している間に、初めは注意しなければ気付かない程であったその揺れは徐々にその強さを増していき……

「さぁて、オジサンの経験じゃあこういうのは敵さんの登場で……って、いくらなんでも揺れ過ぎじゃねぇか!?」

ついに揺れに耐え切れなくなった大地が罅割れ、尾弐が驚愕の声を出した直後。
爆発と見紛うばかりの勢いで岩盤を捲り上げながら『ソレ』は現れた。

>「ギャゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!」

大地と良く似た赤茶けた鱗。肉を噛み千切る為の鋭利な刃物のような牙。天を覆う様な翼。
体躯をして地上最大の哺乳類であるシロナガスクジラの倍以上を誇る『ソレ』。

名を、ドラゴン

古今東西の伝承に登場する、天の敵。悪の具現とすらも呼ばれる幻想生物。
膨大な魔力をまき散らしながら空を舞うその姿は、成程。確かに難敵であるに違いない。
尾弐もその危険性に気づいているのだろう。
隆起に巻き込まれた際に頭から被った砂を手で掃ってから、立ち上がり拳を握り……しかし、そこである違和感を覚え眉を顰める。
その違和感とは――――強大な幻獣であるドラゴンが、他の生物など餌としか考えぬような暴虐な生物が、尾弐の事に気付いてすらいない事。

出自はどうあれ、尾弐は『鬼』という強力な妖怪である。
当然その体には妖気を内包しており、ある程度の妖魔であれば――ましてドラゴン程の強大な魔物であればその存在に気付かぬ筈が無い。
気付いて、捕食や蹂躙の為に尾弐に襲い掛からない筈が無いのだ。
だというのに、空を統べる暴君である筈のドラゴンは尾弐に気付かず……いや、まるで『そんな余裕がないかのように』動き回っている。
明らかな異常事態だ。

そして、暴れ回るドラゴンの尾に弾かれ飛んできた石片を片手で払った直後。
尾弐はその違和感を齎した存在を知る事となる。

107尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:53:38
>「チェリャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

「おいおい、でけぇトカゲが沸いて出たと思ったら……こりゃあ何の冗談だ……?」

男が居た。
巨大な爪に大剣が如き牙。降りかかるドラゴンと言う名の災害の直下。
伸び放題の灰褐色の髪に、一対の角。
鋼と比喩して尚いかめしい巨躯と、其処に刻まれた不規則でしかし奇妙に美しい紋様の刺青。
武骨な鋼の手甲を纏い、一人の男が立っていた。

男が纏うのは笑える程に心許ない装備だ。
古来、様々な英雄が神剣魔剣を手に神の恩寵のもと『かろうじ』で討ち果たした怪物と相対するには、情けない程に頼りない武装だ。
だというのに――――

>「どうしたどうしたァァァ!それでもうぬは幻獣の王と呼ばれたシロモノかァァァァァァ!!
>こんなことでは――暇潰しにもならぬわ!この――――大トカゲ風情がァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

その心許ない装備で、その情けない程の武装で
男はドラゴンを――――天に座す暴君を圧倒していた。
男が一撃を放つ度、どんな金属よりも固いと讃えられる竜麟は捲れ、万象を穿つとされる竜爪が砕けていく。
ああそうだ。これが、この男こそが尾弐の覚えた違和感の正体だ。
ドラゴンは尾弐に気付かなかったのではない。この男によって、尾弐に気付けない程に追い詰められていたのだ。
そして、ドラゴンを蹂躙していた男が不意にその視線を動かす。その視線の先に居るのは――――悪鬼、尾弐黒雄。

>「おう、来たか!待ちかねたわ!
>ちと待っておれ、今すぐ片付けるゆえな!」

「……さて。オジサンは野郎と待ち合わせした覚えはねぇんだがな」

気安く投げかけられた男の言葉に同様の軽口で返す尾弐だが、その肉体と精神は最大限に張りつめている。
当然だ。生態系のピラミッド、その上位者に餌として認識されたかの如き緊張を覚えて尚、気を緩められる様な生き方を尾弐はしてきていない。

そして次に起きた出来事は、覚えた危機感が間違いでは無かった事を尾弐に知らしめる。

>「ゴハハハハハハハ―――――ッ!!微温いわ!これしきの炎でこのアラストールを燃やせるものかよ!!―――ツァッ!!!」

ドラゴンがその咢より放ったのは一筋の閃光。
幻獣の王が、内包する膨大な魔力を己が心臓と血液を回路とする事で高速循環、純化、増幅させたうえで口腔から放出する破壊の一撃。
その規格外の魔力の奔流は、通過する空間自体を磨滅する事で『結果的に』万物を焼き尽くす。

竜の息吹(ドラゴン・ブレス)

ドラゴンの奥の手にして、万物焼き尽くす神にも届き得る幻想の一撃。
その一撃を――――あろうことか男は受け止め、あまつさえ勢いのままにドラゴンをその腕で殺してみせたのだ。

>「待たせたな!貴様が尾弐黒雄か!
>我はアラストール!何の変哲もない、ただの闘い好きの老いぼれよ!
>中には我を闘神とか、戦いの化身とか抜かす輩もおるがなァ!ゴッハハハハハーァ!」

見せつけられた常識はずれの生物機能。
先程までドラゴンへと割かれていた男の意識が自分一人だけに向けられた事で、尾弐の肉体は電撃を受けたかのような緊張を覚える。

「ご丁寧にあいさつしてくれてあんがとよ。お察しの通り俺が尾弐黒雄だ。オジサンは戦いなんざ好きでも何でもねぇからお前さんとは仲良くなれそうにねぇな」

しかし。されど。
尾弐は屈する事は無い。不遜に腕を組み、敵意を籠めて言葉を吐き捨てる。

108尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:54:02
……尾弐は、眼前に君臨するアラストールがどのような化物なのかを知らない。
嘗ての創世記戦争にて迫り繰る天軍の追手の多くを単騎にて殺戮した超常の存在である事など、何一つとして知らない。

そしてそれは、尾弐が那須野橘音の知る天魔についての知識。それを聞く事を拒否したからに他ならない。

知は力なり。
知彼知己者百戦不殆。

人間は知識を得る事であらゆる敵を打倒してきた。
同族や夜の闇、多くの病や災害、果ては神に至るまで。知識の刃と理性の盾を手に、数多の難敵に超克を果たしてきたのだ。
故に、自らの意志で知慧の刃と盾を握らず此度の決戦に挑んだ尾弐を、人は愚かと呼ぶだろう。
その無知と無謀を笑わば笑え。
その先に、叡智ある者共は知るだろう――――万雷の嘲笑を受けて尚、尾弐黒雄が刃ではなく拳を握る姿を。

為した偉業に竦めば動きが鈍る。無常の過去に涙すれば拳が濁る。非道の所業に憤怒すれば思考が眩む。
知識とは薬であり、あるいは毒である。

此度の決戦、尾弐が求めるのは勝利と仲間達との生還。
その道中に立ちはだかるは天魔ベリアルが誂えた強大な敵対者共。其れ等と対峙するには、僅かの揺らぎすらも致命の隙となるだろう。
さればこそ、尾弐は情報(ぶき)を手放した。視界に入れるのは己が眼前に立つ者だけでいい。思考するのは己が拳で知った事だけでいい。
ただ一つの目的に向かい、尾弐黒雄は光を望む悪鬼と化そう。

>「ベリアルに唆されてな。ここにおれば、我を満足させることのできる強者がやって来ると――。
>しかもだ。貴様と闘って勝てば、今後は好きなように地上を闊歩し闘ってもいいんだと!
>東洋の地には、まだまだ我の知らん強者がおるのだろうが?ゴハハハ、腕が鳴るわ!
>ここ数百年はろくな相手もおらず退屈しておったが、たまには唆されてみるものよ!」
>「おう、いい面魂よな!これは存分に愉しませてくれそうだわ!
>時が惜しい、では――早速!闘り合うとするかよ!」

>「ゴハハ!往くぞ―――――尾弐ィィィィィィィィィィィ!!!!!」

眼前には敵がいる。アラストールという名の誰ぞとも知らぬ男が居る。ベリアルが用意した怪物がいる。

「テメェがどこの誰かは知らねぇし興味もねぇが、俺の敵だって言うなら」

眼前に迫る音を置き去りにするアラストールの剛腕。
絶大な闘気を伴い放たれた、竜すら殺す目にも留まらぬ無双の拳。
尾弐は、その拳を蹴り上げる事で僅かに軌道を逸らしてから、殺気を込めて言葉を返す。

「悪鬼羅刹の名の下に――――地獄の底まで送ってやろうじゃねぇか!!!!!!」

その肉体を褐色に染め、その身体に背に月を掲げ、その額に角を伸ばし。
かくして此処に、悪鬼・尾弐黒雄の戦いが始まる。


・・・

109尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:56:07
>「ゴッハハッハハハハハハハーッ!!なかなかやるではないか!!」

「は、随分余裕たっぷりなこった!オジサンの腰は悲鳴あげてるってのに、よ!!」

アラストールが壱秒の間に繰り出すは無数の拳。
30を超える絶え間ない打撃は、全てが必殺。
そしてそれを可能とするのは、魔術や妖術ではなく単純な膂力である。

(っ、どんな鍛え方してやがんだコイツ!外道丸との修行がなけりゃあとうに死――――)

「うおっ!?」

思考の最中で更に速度を上げたアラストールの拳を、尾弐は状態を逸らす事で回避する。
修行によって超常のものへと昇華した、経験則による心眼とも呼ぶべき生存能力
即ち死への嗅覚を以って見切り、いなし、躱す事で何とか戦況を拮抗させているが……状況は悪い。

(反撃の隙がねぇだけならどうにかなるんだが……参った。反撃の意味がねぇとはな)

尾弐は、こと近接戦闘においては歴戦の猛者だ。
戦闘経験だけで言うのなら東京ブリーチャーズでも上位の妖怪である。
アラストール相手の攻撃を見切り、未だ致命の一打を受けていない事がそれを証明している。しかし

>「上げていくぞォ!この我に――出し惜しみなどさせるでないぞ、尾弐黒雄ォ!」
「おいおい――さてはテメェ、格上の敵と戦った事がねぇだろ!?敵ってのはなぁ!力を出し切る前に殺し切るモンなんだよ!!」

アラストールが放った超速のハイキック。
吹き荒れる乱打よりも威力が高く、だが少しだけ速度の遅いその一撃を躱した尾弐は、地面ごと蹴り上げる要領でアラストールの片脚を払う。
そして、悪鬼の膂力による足払いで僅かに浮いたアラストールの肉体。その鳩尾に、全力で拳を突き入れた。
足元の砂に奔る波紋と、砲撃の様な鈍く重い音は、尾弐がかの狼王のソレを見て盗んだ必殺――――『発勁』を放った事を示唆している。
並大抵の妖怪であれば即座肉体が血霧と化し、戦闘に特化した妖怪ですらも、喰らわば臓物と骨を背中から噴き出す威力の一撃は

>「ハッハァ!妖術?妖気?そんなものは闘争の不純物よ!
>肉打ちしだく拳!骨砕き折る足!それさえあれば、闘いはすべて事足りる!!
>武具すらも要らぬわ!さあ――剛の者よ!心行くまで味わい尽くそうぞ、戦闘の愉悦を!
>この世界が終わる、その瞬間まで――!!!!!」

「っ―――!?」

アラストールには、通用しなかった。
この一撃だけではない。アラストールの猛攻の僅かな隙を突いて放った尾弐の拳は全て、アラストールの動きを止める事すら出来ていない。
恐らく全くの無傷ではないのだろうが、例えば軽量級のボクサーの拳が重量級のボクサーには通じない様に。
尾弐の一撃は、アラストールにとって許容範囲のものでしかないのだ。

発勁すら耐え抜かれた驚愕に目を見開く尾弐。そして、闘争の申し子のようなアラストールが、生まれたその隙を逃す筈もなく――――

「しまっ――――」

掌底。魔術でも妖術でもない、体術による一撃、
数百の拳を掻い潜った先で、とうとうアラストールの魔拳が尾弐を捉えたのである。
先程の尾弐の一撃より尚重い打撃音が鳴り、尾弐の巨躯が宙を舞う。
そして勢いのままに、先にアラストールによって殺されたドラゴンの胴体へと突き刺さった。

110尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 12:01:57
砂煙の舞う中、アラストールは尾弐の生死を確認する為にドラゴンへと近づく事だろう。
なぜならばアラストールは知っているからだ。自身の掌底が当たるその直前、尾弐が自ら後ろに跳ぶ事でダメージを軽減した事を。
永劫の戦いを望む戦闘狂だ。恐らく、尾弐を起き上らせ、再度戦う事を強いるに違いない。

――――だからこそ、尾弐はそこを狙った。

突如、アラストールの瞳に向けて赤い液体が飛ぶ。
それは、死んだドラゴンの血液。そして、それに合わせてドラゴンの臓腑と皮膚を突き破り、尾弐黒雄が強襲を掛けた。
しかし――戦闘経験豊富な闘神の事だ。反射的に尾弐の攻撃方法を思案するに違いない。
手刀足刀、掌打に発勁、急所突きや顎への打撃。アラストールは武闘家が狙い得る全ての攻撃を推測し、対処する事だろう。
そしてだからこそ、尾弐はそれ以外の選択肢を取る事にした。

尾弐がその横を通り過ぎた時、アラストールは左手の小指に痛みを覚えるだろう。
何故なら、その部分の肉が抉れているのだから。

「ゴホッ――――なんだ、天魔の肉ってのは随分不味いモンだな。燻製にしても食えねぇレベルだ」

ドラゴンの血液で全身を濡らした尾弐を見れば、その口に咥えているのは――――紛れも無く、アラストールの指の肉。
そう、尾弐は彼の魔神の肉を『噛み千切った』のだ。
高度な回避の技術や発勁という、戦闘開始からこれまでに見せてきた武闘家じみた戦闘体系からはまるで予測できないラフファイト。
挑発する様にアラストールの肉を噛んで飲み込み、尾弐は自身の左手に視線を向ける。
そこには、先程目つぶしに使ったドラゴンの肉……心臓の一部が有り、尾弐は躊躇う事無くそれにも齧りつき飲み込んだ。
そうして、嘲弄する様な笑みをアラストールに向けてこう言い放つ。

「残念だなぁ、アラストール。テメェの自慢の筋肉はトカゲ以下の味だったぜ。ビール飲んで霜降りでも増やした方がいいんじゃねぇか?」

血に濡れ肉喰らう尾弐の姿は邪悪の具現である悪鬼そのもので、見た者に本能のまま暴れる獣に至ったと感じさせる事だろう。
しかし、違う。
全ては布石だ。アラストールを打ち破る為の布石なのである。
尾弐の攻撃はアラストールに通用していないが――――しかし、通用する攻撃が無い訳では無い。
彼の闘神の命に届く必殺を、尾弐は有している。
だが、それは一度限りの必殺だ。アラストール相手に、二度通じる事は無い技だ。
故に尾弐は、布石を積み上げる。
受けた打撃のダメージ、減衰したとはいえ決して小さくないそれを無傷である様に演技し、アラストールに挑発を仕掛ける。

これより尾弐が行うは、アラストールの攻撃をひたすらに回避し続けたうえでの、目突き、金的、耳狩り、髪引き、肉千切り。
命には届かないが痛みを与える、嬲る為だけの外法の戦術。

それに対してアラストールが覚えるのは、怒りか、歓喜か、失望か。
そのどれでもいい。必要なのは、アラストールが闘いを決する為の必殺を尾弐に繰り出す事。

「――――さあて、それじゃあラウンド2だ。欠伸混じりにさっさと終わらせようぜ、駄肉野郎」

そして、その時こそが『反撃』の時。

111ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:34:20
エレベーターの扉が開くと、その先には薄暗い通路が続いていた。
更にその奥には、光が見える。
鼻頭に風を感じる。風に乗って、割れんばかりの歓声が聞こえる。
強い高揚のにおい――随分と歓迎されているらしいと、ポチは牙を剥いて笑った。

そうして通路を抜けたポチを待ち受けていたのは――闘技場だった。
遮る物のない円形の空間に、それを見下ろす観覧席。
見渡す限り、何百、或いは何千もの山羊がポチの目に映った。

山羊の群れが吼える。
被食者が、捕食者を見下ろし、湧き立つ――狼の王が、侮られている。
だが、怒りを晒すような事はしない。
ポチはすぐに視線を正面へと戻した。

強い獣の臭いと、妖気。
闘技場の反対側。そこにあったもう一つの入り口から、何かが近づいてくる。

果たして姿を現したのは――巨大な、黄金の毛並みを纏う、山羊だった。
毛皮の上からでも分かる強靭な筋肉。
王冠のようにも見える、三叉槍のようにも思える鋭い角。

黄金の山羊は闘技場の中央付近まで歩みを進めると――まずは悠然と、観覧席を見回した。
山羊達の歓声が爆ぜる。

「随分と、余裕そうじゃないか」

やはり、この被食者どもは、己を軽んじている。
それでもポチは怒りを露わにはしない。
ただその胸中に秘めたまま、静かに、燃え上がらせる。
怒りが生み出す爆発力、それが真に必要な一瞬。
それが訪れる瞬間を、ポチは既に待ち構えている。

>《よくぞ参った、我が戦いの舞台へ。我が一族の宿願、それが果たされる約束の地へ。
 歓迎しよう、神の長子に挑む勇敢なる狼の仔よ。
 余の名はアザゼル。山羊の王である》

「……僕は」

>《これから、汝には余と闘ってもらう。
 汝が何者かは知らぬ、また知ろうとも思わぬ。
 されどその勇気は讃えよう、同時にこのアザゼルと闘う不幸を悼もう。
 神の長子と交わせし約定、我ら一族の生存と永劫の安住のため――汝には礎となってもらう》

「……ああ、そう。別にいいけど」

>《神の長子は言った。汝を斃すことができれば、我が一族に安住の地を与えると。
 東京の地を、一族のものとしてもよいと。ここで殖えてもよいと――
 滅びゆく我が一族が生き残るには、他に方法はないのだ》

「そうかい。それは……あんたの群れにとっては、残念な事になるね」

>《さあ……始めよう。闘おうぞ、勇敢なる狼の仔。
 余は容赦せぬ。油断せぬ。侮らぬ――愛する我が眷属たちのため。これから生まれる同胞たちのため。
 全身と全霊を以てして、汝を撃殺する――!!!》

ポチは静かに息を吐きつつ、姿勢を落とす。
同時に、アザゼルが地を蹴った。
力強く地を踏み鳴らし、巨大な角をポチへと突きつけて、重戦車の如く突撃してくる。

だが――それを待ち受けるポチの双眸に、怯みの色はなかった。
狼の眼光はアザゼルの急所をまっすぐに見つめていた。

自分には、躱せる。
迫りくる致死の角槍を掻い潜り、対手の喉笛を食いちぎる。
自分にはそれが出来ると、野生の本能が告げていた。
ならば、後はその感覚に身を任せるだけで良かった。

交錯は一瞬だった。
ポチは矮躯を地に擦り付けるように疾駆。
流れるような身のこなしで迫りくる角を掻い潜る。
瞬間、爆ぜるように跳ね上がり――狼王の牙をもって、アザゼルの喉笛を食い破った。

112ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:34:48
>《ぐ、ぁ……!!》

ポチの背後で、アザゼルの巨体が地に倒れ伏す音が聞こえた。

「それで?どこから先に進めばいいんだ?それとも……次はお前達が僕の相手をするのか?」

ポチは観覧席を見上げて尋ねた。
だが返事はない――それだけではない。
王を殺されたにしては、観覧席は静かすぎた。
悲しみの声も、怒りと憎しみの叫びも聞こえない。
においもしない――何故。

>《ぬぅ……。何たる攻撃か。

その答えは、単純だった。

>これほど佳い攻撃を喰らったのは、果たして何千年ぶりのことであったろうな……》

アザゼルは、まだ生きていた。

「……なんだ、何をした」

ポチは努めて平静を保ちながら、呟いた。
つまり心中では、少なからず動揺していた。
己の牙は確かにアザゼルの喉笛を切り裂いた。

幻術やまやかしの類に惑わされたのではない。
何か、強烈な再生能力によって死を免れられた訳でもない。
ポチの狩人の本能は、確かに獲物を殺めたと確信していた。

つまり――何か分からないが、アザゼルは死んでも死なない能力がある。
それ以上は考えるだけ無駄だと、ポチは思考を捨てる。
神経を、五感を、獣の本能を研ぎ澄ます。

>《狼の仔よ、余は汝を侮っていた。全身と全霊を尽くすと申したにも拘らず、様子を見た。
 非礼を許すが善い――》

先ほどまでアザゼルは、明らかにポチを軽んじていた。
それも、この不死めいた能力があったからこそなのだろう。
だが――それも、もう終わりだ。
アザゼルはポチの実力を正しく理解した。

ぱり、と、空気の爆ぜる音がした。
黄金の毛並みに、雷が走る。
それはすぐにアザゼルの全身を包み込んだ。
果てには天さえもが、暗雲と雷光に塗り潰されていく。

不意に響く轟音――雷雲から、アザゼルへと落雷が降り注いだ。
それさえもが、黄金の毛並みを守る鎧と化す。
稲妻を宿す黄金の眼差しが、ポチをまっすぐに見据えた。

>《此れよりが全力よ、狼の仔!
  余はアザゼル、荒野を彷徨せし流民の王なり! 我が愛する仔らの安住のため、汝を――殺す!!!》

アザゼルの巨体が、再び駆ける。
今度は、先ほどとは比べ物にならないほど、疾く。

113ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:35:42
ポチは気づけば、不在の妖術を発動していた。
真正面から迫りくる、動作の「起こり」が明白な突進を、身のこなしで躱せなかった。
そして――なおも絶えず感じる、致死のプレッシャー。

>《ふんッ!!》

「っ……!」

体が無意識に、左に跳ねた。
アザゼルは突進の勢いのままポチの後方へと駆け抜けた。
追撃を仕掛けられるはずがない。
それでも、獣の本能はポチの体を衝き動かした。

そして――轟音。
一瞬前までポチがいた場所を雷撃が貫いていた。
咄嗟に振り返る――アザゼルの角が静かに、かつ正確に、ポチへと狙いを修正していた。

「ああ、クソ。なんでもアリかよ、神話世代――」

今度は、身のこなしでは間に合わない。
不在の妖術で雷閃をすり抜け――そのままアザゼルの懐へ飛び込む。
狼の本領は持久力にあるが、この相手に耐久戦を挑むのは愚の骨頂だ。
あらゆる攻撃が、致命打となり得る威力を秘めている。
守勢に回れば磨り潰される。殺されるよりも先に、殺すしかない。

だが、ポチはアザゼルの喉笛を目前にして、牙を剥き――しかし、そこで止まった。
獣の本能が、ポチの踏み込みを止めたのだ。
もっとも本能による制止など受けるまでもなく、ポチは踏み込めなかっただろう。

膨大な妖力によって太く強靭化した毛皮と、眩く爆ぜる雷の鎧。
それらを間近で目にすれば、容易く理解出来る事だ。
例え狼王の牙をもってしても、その守りを貫く事は困難。
一方で――迸る雷は、触れれば間違いなく致命的な隙を招く事になると。

「……だったら」

ポチは一歩飛び退いた。
雷撃を放つには近い、だが角で直接突き刺すには遠い距離。

必然、アザゼルは突進の構えを取る。
身に纏う雷を妖力に変換し、膂力を増強。
完全にではないが、雷の鎧が薄れた――その瞬間に、ポチが再び地を蹴った。
人狼化を用いて突進前の角を掴み、体を手繰り寄せ――

「これなら、どうだ……!」

右の手刀を、アザゼルの左目に突き刺した。
そのまま力任せに、中身を抉りながら、右手を引き抜く。
そして――ポチの表情が強張る。

たった今潰したはずの左目と、目が合ったからだ。

獣の本能が、心臓の鼓動という形で最大級の警鐘を鳴らす。
可能な限り素早く、ポチは足場代わりにした角を蹴飛ばし、飛び退いた。
黄金の眼光がその軌跡を追う――角の先端が、ポチに狙いを定める。

稲妻が閃く。ポチの体が影と化して溶け去る。
一呼吸の間を置いて、ポチがアザゼルの背後を取る。

ポチの体勢は低く、また全身を大きく捻転させていた。
下段の回し蹴り――狙いはアザゼルの右後ろ足、その膝関節。
多少の感電はやむを得ない。
まずは膝を蹴り砕き、アザゼルのを転ばせ、送り狼の本領を発揮する算段。

114ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:37:36
「ぐっ……!」

蹴り足から伝わる苛烈な電撃――牙を食い縛り、耐える。
代わりに得られた、鈍く響く破砕音。確かな手応え。
だが――アザゼルの巨体は揺らがない。
蹴り砕いたはずの関節は、次の瞬間には元通りになっていた。

そして――関節とは言え、獣の骨を砕く為には重い打撃が必要だった。
つまりポチが放った回し蹴りは、反動で自分が離脱出来るような軽い蹴りではなかった。
アザゼルが体勢を崩している内に、不在の妖術で離脱する事を前提とした蹴りだった。

要するに――今のポチは、隙だらけだった。
強烈な感電によって身動きは取れない。
アザゼルが振り返りざまに、角を薙ぎ払った。

「やばっ――」

ポチの姿が、影と化して消える。
そうして再びアザゼルの背後に現れた。
だが――今度は、攻撃の為ではない。
アザゼルが身を翻す分だけでも、時間を稼ぐ為だった。

感電と――避け切れなかった角の先端、それによって切り裂かれた腹の傷を抑え、止血を図る為に。

>《余を殺めるなど不可能なこと。余は我が仔らの命すべてを背負っておる。余の中に同胞すべての命が在るのだ……。

対してアザゼルは、悠然とポチへと振り返った。
ポチの視線がアザゼルの背後、そのやや上へと逸れた。
同胞全ての命――それはつまり、この観覧席を埋め尽くす山羊の群れの数だけ、アザゼルは死を回避出来るという事。

アザゼルの黄金の毛並みから、嘘のにおいはしない。
精神的動揺を誘う為の虚言では、ない。

>たった一頭しかおらぬ汝に、余と余の一族郎党すべてを殺し切ることなどできるものか?
> 否!否よ……!!》

「……はは、そうかもね」

アザゼルはポチに角を突きつけて、悠々と、蹄で地面を擦っている。
対するポチは――その場で立ち尽くしたまま、消え入るような声で呟いた。

アザゼルの言っている事は、正しい。
ポチ一匹の力でアザゼルを殺し切る事は、極めて困難――いや、不可能だ。
ポチの扱う妖術なら、何度かは不意を突いて殺す事も可能だろう。
だが、アザゼルとその同胞全ての命を奪うには、とても足りない。

>《汝の死は無駄にはせぬ。
 汝が余に滅ぼされることで、余らはやっと数千年に渡る放浪を終わらせることができる。
 我らの未来は、汝の死から始まるのだ……さらば、粛々と落命せよ!!》

アザゼルの巨体が再び、砲弾と化した。
立ち尽くすポチの矮躯に迫る、致死の突進。
そして――骨が砕け、肉の爆ぜる音が響く。

115ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:40:01
「……だけど、お生憎様。あんた一つ、勘違いしてるよ」

ポチの踵が、アザゼルの額を踏みつけにしていた。
胴回し回転蹴り――肉薄する角を不在の妖術で躱し、然る後に術を解除。
獣の本能に頼みを置いた、精妙極まる身体操作。
それによってアザゼルの頭部を蹴り砕いたのだ。

要するに、アザゼルの速力を利用したのだ。

「僕はもう、この世でたった一匹の狼じゃないんだ」

ポチは不在の妖術でその場を離脱。
同時に、闘技場に黒い雪が降り始める。
闘技場に薄く積もった影が、不規則に連なる壁を、戦場を埋め尽くす刀を模る。

そして――ポチはその内の一振りを引き抜き、アザゼルへと肉薄。

宵闇の妖術――生み出す影の形状が雪である事に意味などない。
まやかしの防壁にも、刀にも意味などない。
あえて言えば――その煩雑さに意味がある。

視界をただ奪うだけではなく、ノイズを植え付ける。
無数の刀の一振りを引き抜き、アザゼルに斬りかかるポチ。
それさえもが、宵闇の妖術で生み出された影絵に過ぎないという事実を、覆い隠す為に。

雷撃が影絵を射抜く。雷の鎧が薄れる。
ポチの牙が、再びアザゼルの喉笛を引き裂いた。

だが――刻みつけた傷は、やはりすぐに跡形もなく消えてしまった。

そうして、彼我の間合いは相手の喉笛を切り裂けるほどの超至近距離。
アザゼルの角が嵐のように唸る。
対してポチは――それを避けない。不在の妖術も発動しない。
むしろ更に一歩深く踏み込んだ。

それでは、角による薙ぎ払いは回避出来ない。
しかし一方で――角の先端への、致命的な接触は免れる。
被弾は精々、角の根本から頭部そのものによる打撃で済む。
無論、それでも恐ろしく重い打撃である事には違いないが――致命打でないのなら、耐えればいいだけだ。

硬質な角がポチの骨を軋ませる。稲妻がポチの全身を苛む。
それでも構わず、むしろ自分から角を掴み、体を手繰り寄せ、ポチは再びアザゼルの左目を抉った。
ばち、と、アザゼルの全身から雷が迸る。
だが、それが爆ぜる頃には、ポチの姿は既にそこにはない。

不在の妖術によって離脱を果たしたポチは――万全の状態とは言い難かった。
たった一回アザゼルを殺す為に、肋骨は折られ、全身を雷で灼かれた。
ポチの口元からは鮮血が溢れている。

しかし――それはポチ自身の血ではない。
アザゼルの喉笛に食らいついた際、口に含んだ、魔神の血。
ポチはそれを、嚥下した。

血、命を糧にして力を得る――妖怪であり、獣でもあるポチの、原初の能力。
折れた肋骨、焼け焦げた筋組織、そこから生じる痛みが、僅かにだが和らぐ。
殆どの化生にとって毒になるだろう魔神の血も――酒呑童子の血に比べれば、淡白にすら感じられた。

「僕には、仲間がいる」

雷光が、闘技場を塗り潰す影を焼き払う。
視線を遮るもののなくなった戦場で、アザゼルとポチが再度向き合った。

116ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:44:25
「仲間だけじゃない。僕にはな、めちゃくちゃ可愛いお嫁さんだっているんだぞ」

強烈な妖力の昂り。
『君を残して、死んだりしない』――かつて最愛のつがいに誓った約束。
その決意は今でも、ポチの中にある。
その“かくあれかし”が、ポチの全身に力を漲らせる。

「頭の中には、あれこれ口うるさい、心配性の居候もいるし……おい、聞こえてるだろ。『眼』を貸せ」

更に『獣』の妖力が、ポチの全身を駆け巡る。
右の空洞になった眼窩に、ごぽりと音を立てて、血色の眼球が浮かび上がる。
それからポチは両手で、己の額を――そこにある銀色の、王冠のような毛並みを掻き上げた。

「それに、僕を信じて、頭を撫でてくれた王様だっていたんだ」

そうして、ポチが構えを取った。
重心を低く落とし、右手で刃を模る。
狙いは明白――踏み込み、貫く。その為だけの構え。

「……それに。それにさ」

対するアザゼルは――やはり、王冠の如き三対の角をポチへと突きつけた。
瞬時に地を蹴られるよう重心を落とした巨体を、地に触れた角で支えている。
つまり最大級の力を溜め込みながら、ポチが動くのを待ち構えている。
仕損じれば、ポチは自ら槍衾に飛び込む事になる――必殺の構え。

そして――空を埋め尽くす暗雲の中から、爆ぜる稲妻。
眩い雷光が闘技場を照らしたその瞬間。

ポチの全身を覆う漆黒の毛皮が、ほんの一瞬、純白に染まった。

直後、ポチはアザゼルの懐に潜り込んでいた。
一切の敵意も、殺気も帯びる事なく。
それ故に、驚くほど静かに、ごく自然に。

巨狼との最後の一騎打ちでは、無意識下での偶然でしかなかった。
だが、今はもう違う。
ポチには、自分が何故こんな芸当が出来るのか、その理由が分かっている。

「――たった一匹で僕を育ててくれた、すねこすりがいたんだ」

アザゼルの懐で、ポチの全身が唸り、渦を巻く。
獣の形態ではなし得ない、全身から生み出される力の連動。
そこから放たれた渾身の手刀が――アザゼルの黄金の毛並みを、強靭な皮膚を、筋肉をも貫いて、心臓を引き裂く。

「何かを背負ってここに来たのは、別にお前だけじゃない」

そうして次の瞬間には、ポチはアザゼルの横をすり抜け、鮮血に濡れた右手の血振りを成していた。

「だから――お前の命があと幾つあろうと、関係ない」

これまでの戦いで受けた傷は、失った体力は、決して些少なものではない。
あと何度アザゼルを殺せばいいのかも、分からない。
だが、ポチはそんな事、ほんの僅かにも意識していなかった。

既に決めているからだ。自分は勝つと。
勝って、この先に進み――そして生きて帰るのだと。
受けた傷が深かろうと、アザゼルの命の残量が分かるまいと、そんな事は関係ない。

「邪魔をするなら、死ぬまで殺してやる」

117那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:47:22
「死刑!」

「死刑!死刑だ!」

「吊るせ!アスタロトを吊るせ!」

「裏切者は縛り首だ――!!」

アスタロトを糾弾する鯨波のような歓声が、法廷の中に響き渡る。
が、裁判官たちは静粛にとは言わない。裁きの場は完全に橘音の有罪一色といったムードになった。
橘音の味方であるはずの弁護人さえ、橘音に対する擁護を一切しない。
まさに文字通りの孤立無援となった法廷で、しかし――当の橘音といえば。

笑っていた。

半狐面から露出した、形のいい唇が。その口角が笑みに歪んでいる。
白い歯を覗かせたまま、悠然と腕組みした橘音はいかにも愉快げだった。
あたかも、絶体絶命の窮地こそ我が身の最も輝く場だと――そう言わんばかりに。

「弁護人、何か言うことは」

「ありません」

即答だ。相変わらず、弁護人には欠片ほどのやる気も認められない。

「では、判決を言い渡す。被告人アスタロトは……」

「おおっと!ちょっと待ってください、裁判長!」

今にも判決が下されようとしたその瞬間、裁判長ルキフゲ・ロフォカレの声を遮って橘音が右手を挙げた。

「……何か」

「判決の前に、ちょっと休憩を頂いてもいいですかね?
 裁判の間、ボクはこの通り被告人席にずっと突っ立ってたんだ。
 疲れちゃいましてね……この上有罪間違いなしの判決まで聞いたら、心労で倒れちゃいますよ。
 速やかに判決を聞き、自分の足で退廷するには、少しインターバルが必要です。
 悪魔だって、そのくらいの温情はかけてくれてもいいんじゃないですか?」

この期に及んで休憩をよこせとは、ふてぶてしい物言いである。当然傍聴席からは雨あられとブーイングが飛んできた。
橘音は平然としている。ロフォカレはしばし黙考すると、

「では、これより十分間の休憩とする。判決はその後に」

と荘重に告げた。
さすがに裁判長の決定に異議は差し挟めないらしく、傍聴席で罵詈雑言を浴びせていた悪魔たちは束の間黙った。

「ありがとうございます、裁判長」

ロフォカレから休憩の許可を得ると、橘音は慇懃に会釈をした。
とはいえ、たかが十分の休憩だ。橘音に何ほどのことができる訳でもない。
ロフォカレ以下アスタロトを糾弾する立場の者たちは、休憩を単なる悪あがきと解釈した。

しかし。

那須野橘音の辞書に悪あがきなどという言葉は存在しない。
一見どんなに無謀・無策の行為であっても、それは勝利への確かな布石なのである。

「んじゃ、ちょっとお花でも摘みに行ってきますかねえ」

うーん、と伸びをして凝った身体をほぐすと、橘音は一旦法廷を出てトイレに行きたいと言い出した。
もちろん、勝手な行動は許されない。橘音が脱走を試みたりしないよう、悪魔が二匹その両脇についた。
さらに弁護人役の悪魔がついてくる。左右と背後を固められる、鉄壁のガードである。
ここまで厳重に警戒されてしまっては、どんな目立つ行為もできない。

……けれども。

橘音にとっては、それで充分であったのだ。

「さあてと……では、そろそろ。裁判をひっくり返しましょうか……!」

化粧室で鏡に向かって呟くと、橘音は白手袋に包んだ右手で半狐面に触れ、微かに笑みを浮かべた。

118那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:53:11
橘音が化粧室から戻り、被告人席にふたたび立つと、裁判が再開された。
とは言っても、もう討論すべきことは何もない。あとは判決を残すばかりで、橘音には有罪が言い渡される――

はず。だった。

「では、裁判を再開する。判決、被告人アスタロトは……」

「異議あり!!」

裁判長ルキフゲ・ロフォカレの言葉を、再び何者かが遮る。
が、それは橘音ではない。判決に異議を唱えた者へと、法廷内のすべての視線が注がれる。
声を上げたのは、橘音の弁護人だった。

「……弁護人の発言を許可する」

「裁判長、先程の私の弁護には不備がありました。具体的には、有効な弁護をするに足る資料が不足しておりました。
 つい今しがた、その資料が手元に届きましたので。新たに弁護をさせて頂きます」

先程までの無気力な仕事ぶりが嘘のように、弁護人はどこからかA4サイズのクラフト封筒を取り出すと、
何枚かの書類を机の上に並べた。
当然のように、傍聴席の悪魔たちは罵声を浴びせた。もう残すは判決のみとなった裁判だ。
今更弁護するなどと言っても通らない。
しかし、ロフォカレは小槌を叩いて静粛を促すと、鷹揚に頷いた。

「発言を許可する」

「ありがとうございます、裁判長。では――」

ロフォカレの許可を得た弁護人は書類を朗々と読み上げ、並み居る検察側の証人を次々と論破し、
立て板に水を流すような弁論で舌鋒鋭く橘音の弁護を展開した。
半端な証言や反論は弁護人の前に瞬く間に論破され、橘音の有罪を証明するどころかあべこべに無罪の裏付けと化す。
橘音は腕組みしたまま、何も言わずただニヤニヤ笑いながら裁判の趨勢を見守っている。

「裁判長、ボクまた疲れちゃいました。休憩頂けません?」

弁護人が怒涛の論破で巻き返しを図り、一時間ほどが経過すると、橘音は再度休憩を願い出た。
ロフォカレは頷いた。

「では、これより十分間の休憩とする」

裁判は再び休憩となり、橘音は例によって悪魔たちに脇を固められたまま、今度は控え室へと入った。
すぐに休憩時間は終わり、橘音はみたび被告人席に立つ。
そして――

「……被告は無罪だと思います」

そんな声が、今度は裁判員席の方から上がった。

「被告は無罪!これは冤罪だ!」

「裁判長!直ちに無罪の判決を!」

「裁判長!」

裁判員席に座っている悪魔たちが、そうロフォカレへ口々に捲し立てる。
弁護人と同じく、開廷当初は裁判員たちも一様に口を閉ざし、ひとりたりとも橘音の無罪など言い出さなかった。
だというのに、この変心はどうか。まるで、最初から橘音の無罪を信じていた――とでも言うように、熱っぽく主張している。
傍聴席がザワザワとざわめく。ロフォカレの左右に座っている裁判官たちが動揺してロフォカレへ目配せしてくる。
これはおかしい、と。
法廷の長である契約の魔神は、ただ沈黙を貫いている。

「…………」

一見すると落ち着き払っているロフォカレだが、その実内心ではひどく狼狽していた。
法廷の中にいる者たちは、弁護人から裁判員、傍聴人に至るまで全員がロフォカレの息のかかった悪魔だ。
この裁判は出来レース。最初から橘音が有罪となって敗訴するのが決まり切っている茶番なのだ。
というのに、弁護人は巧みな弁舌で検察をきりきり舞いさせ、裁判員たちは橘音を無罪だと言い張っている。
もちろん、こんなことはロフォカレの予定にはなかったことだ。
完全に掌握しているはずの法廷内で、何か不測の事態が起きている。
それも、ロフォカレにとって致命に至るかもしれない事態が――。
だというのに、その正体が分からない。理解できない。

契約の魔神は長い顎髯に覆われた青白い面貌を歪め、橘音を睨みつけた。

「……アスタロト……其方、いったい……何をしたのであるか……!」

「さあて……何ですかねえ。
 そんなことより裁判長殿、早く進行させてくださいよ。『ボクたちの裁判』をね――!!」

憤怒に満ちたロフォカレの眼差しを真っ向から受け止め、ニタリ……と橘音が嗤う。
いつも仲間に対して見せる快活な笑顔ではなく、かつて黒橘音と呼ばれていた、地獄の大公アスタロトの邪悪な笑み顔。

それを隠そうともせず、橘音は裁判の続行を促した。

119那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:54:04
『妖怪大統領』バックベアードの巨大な瞳が眺める中、祈とレディベアの闘いは続く。

「それは何の真似ですの?
 まさか……たかだか目を瞑った、たったそれだけでわたくしの瞳術に対処した、とでも言いたいんですの?」

目を瞑り、金属バットを構えた祈の姿を見て、レディベアがせせら笑う。

「この瞳はお父様から譲り受けたもの。お父様とわたくしが親子であるということの証。
 すべてを跪かせる支配者の目――。それから目を逸らすことなど、なんぴとたりとも出来ないのです。
 あなたたち下等妖怪たちは、すべて!わたくしたちを恐怖と共に見上げるべきなのです!
 目を伏せるなど……不敬でしてよ!!」

ぎゅがっ!!

レディベアが祈に肉薄する。まるでガトリングのような、嵐のような拳の連撃で祈を破壊しようと襲い掛かる。
が、祈は龍脈の記憶による戦闘技能でレディベアの攻撃を次々と往なしてゆく。
金属バットも折れない。本来であればマッチ棒のようにへし折れてしまうであろう金属バットで、
祈はレディベアの攻撃の力を巧みに往なし、一歩も譲らずに立ち回る。
必殺の攻撃がまるで当たらないことに業を煮やし、レディベアが隻眼を怒りに歪める。

「小癪なことを!星の記憶……とでも言いたいんですの……!?マンガの読み過ぎですわ!
 マンガなど読まず、もっと教科書をお読みなさいなと……言った、はずですッ!」

>そこッ!

怒りでモーションの大きくなったレディベアの攻撃、その一瞬の隙を衝き、祈がバットをフルスイングする。
が、クリーンヒットはしない。祈の攻撃はレディベアのコスチュームを掠っただけで、
左脇腹のあたりを引き裂くのみで終わった。

「く……」

コスチュームを切り裂かれた脇腹を押さえながら、レディベアは後退した。
真っ黒いスーツの切られた場所から、真っ白い膚が覗いている。

「ふざけた構えでわたくしを怒らせ、隙を見出して攻撃とは……姑息な策を弄しますのね。
 弱者は詭計を弄すもの、とはいえ……目に余る不快ですわ。
 ならば……わたくしも少し本気を出す必要がありそうですわね……!」

レディベアがギザギザの歯を覗かせて嗤う。
そして右手を大きく開いて高々と頭上に掲げると、その途端に周囲の空間が極彩色の輝きを帯びて大きくうねり始めた。
混ざりあわない絵具のような、禍々しい色彩。それがレディベアの合図によって次々にその様相を変化させてゆく。

「ここは『ブリガドーン空間』……虚が実に、実が虚になる異空間ですわ。
 そしてお父様のお膝元でもある……この場に足を踏み入れた時点で、祈。あなたに勝ち目はないのです」

ブリガドーン空間では『そうあれかし』が強く作用する。
とりわけ、空間の主であるバックベアードとその娘レディベアの願いには強く反応するのだろう。
レディベアが祈に切り裂かれたスーツの脇腹を軽く撫でると、裂き傷は跡形もなく消えてしまった。

「ブリガドーン空間において、わたくしとお父様を斃そうなどと!
 そんな思い上がりは……正さなければいけませんわ!」

またしても、レディベアは祈へと突進してきた。
しかし、今度は単調な拳での連続攻撃ではない。
レディベアの突撃と同時、祈の周囲の極彩色の空間にひとつ、目が開く。
バックベアードをそのままダウンサイジングしたような瞳、それがみるみるうちに多くなってゆく。

ぞろ。
ぞろり。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

祈の周囲を取り囲むように出現し、少女を見つめる目。目。目――
そして。
その瞳孔から妖気があたかもレーザーのように照射され、祈を狙った。
四方八方から襲い来る、糸のように細い光線。
だが、その威力は恐るべきものだ。金属バットに当たった一本の光条が、いとも簡単にバットに穴を穿ってゆく。
もしも身に受ければ、錐で身を穿たれるような痛みに苛まれるだろう。

「目を開きたくないというのであれば!無理にも開かせて差し上げますわ!」

さらに、無数の視線によるレーザーのさなかにレディベアが殴打を仕掛けてくる。
レディベアはともかく、光線はもちろん聴覚だけでは反応できない。
祈が風火輪を使って機動力を発揮しても、目はその行く先々に先回りして開いてゆく。
祈は完全に包囲されてしまった。

120那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:56:21
「はああああッ!!」

ガゴッ!!

脚力に秀でた祈のお株を奪う、レディベアの渾身の右ハイキックが祈を捉える。
レディベアは昏い笑みを浮かべながら、腰に右手を当てて勝ち誇った。

「フフ……愚か。愚か愚か愚か!まだ、わたくしを助けるなどと。そんな寝言を言っておりますの?
 わたくしは正気ですし、あなたを生かして帰す気もありませんわ。
 ここから出たいと言うのなら、わたくしを殺す気でおいでなさいな。
 尤も……ここはブリガドーン空間。いわばお父様の、妖怪大統領の謁見の間。
 そんな場所から、何の犠牲もなしに出られるなどとは思わぬほうがよろしくてよ……アッハハハハッ!」

祈が乗ってきたエレベーターはいつのまにか消えており、空間の中には祈と祈を見る無数の眼差し、レディベア、
そして頭上に開いた巨大な眼のバックベアード以外にはいない。
文字通りの孤立無援だ。龍脈の力こそ働いているものの、それもいつまで持つかは分からない。
一方レディベアはブリガドーン空間の機能を十全に使用してくる。
祈の想いがまるで作用しないのは、恐らくレディベア達がこの空間を制御しきっているからなのだろう。

しかし。

龍脈の神子として地球に認められた今の祈なら、きっと気付くだろう。
『この空間には、自分とレディベア以外の妖気が感じられない』。
祈は当然妖気を持ってこの場にいる。レディベアの妖気も、祈にはハッキリと感じることができる。
だが、それだけだ。
空間に発生した無数の目は、ブリガドーン空間によって超強化されたレディベアの妖術だ。
自身の隻眼だけでなく任意の空間に自由に目を発生させ、そこから閃光を放つ――恐るべき妖異。
だが、“それだけ”だ。具体的には――

祈は、バックベアードの妖気を感じることができなかった。

「お父様、お父様……今すぐに祈の中から龍脈の因子を引きずり出し、お父様にお捧げ致しますわ!
 そうすれば、お父様はもう自由……この忌まわしい牢獄から解き放たれるのです!
 夢のようですわあ!」

勝利を確信して疑わないレディベアが背後を振り返り、巨大な瞳へ向けて告げる。
レディベアは父がその場にいることに何ひとつ疑問を抱いていないのだろう。
だが――やはり、祈には感じられない。
そこにバックベアードが本当に実在しているのか、分からない。

「さあ……祈。死ぬ準備はできまして?
 あなたが死ぬことで、お父様はここから出ることができる。この世を統べる資格を持った唯一の存在として、
 存分に下民どもを支配することができる……。
 あなたには感謝いたしますわ。あなたのことを、わたくしはずっと忘れないでしょう。
 わたくしの大切なともだ……と、とも―――――」

そこまで言いかけて、レディベアは僅かに眉を顰めた。頭痛を覚えでもしたかのように、右の米神を押さえる。
レディベアの纏っているスーツの表面で輝く、禍々しい赤の紋様が明滅する。

「痛……、なん、ですの……?」

一度かぶりを振ると、レディベアは気を取り直して祈を見た。
そして構えを取ると同時に、展開している無数の目もまた瞬きを始める。

「ぐ……。い、行きますわよ、祈……!
 覚悟なさい!あなたの末路は、ここでの死以外に何もないのです!!」

レディベアが祈にとどめを刺そうと迫る。無数の目から万物を穿つ破壊の閃光が放たれる。
ブリガドーン空間によって増幅されたレディベア、いわばレディベア・ブリガドーンモードの力は、
龍脈の神子の力に覚醒した祈のターボフォームと互角。
そのすべての攻撃を往なし切ることは、全力の祈りにも難しいだろう。

「お父様の千年帝国樹立、その礎となって死になさい!祈!
 あなたとの学校の思い出、一緒にお勉強した、給食を食べた、体育でペアを組んだ、
 夜の公園で語り合った記憶は、わたくしの……わた……」

目にも止まらぬ連撃のさなか、そう言ったレディベアの動きが僅かに鈍る。
そして、その都度纏っているスーツが不気味に明滅し、レディベアの頬に亀裂めいた血管の筋が幾条か浮き出た。
レディベアの隻眼がぎらぎらと殺気を纏って輝く。

「く、あ、あ……!
 死ね……、死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィ!!!」

まるで、痛みにのたうち苦悶の叫びをあげるかのように。
高く咆哮すると、レディベアは祈へと右腕を伸ばした。

121那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:56:48
「アッハハハハハハッ!笑えるじゃん!
 そんな小さな氷の力で、このアタシに挑む?アタシを殺す?
 氷でアタシを斃したかったら、ルシファーを捕えるコキュートスの永久氷河でも持ってくるんだね!」

全力を出すことができないでいるノエルを前に、コカベルが哄笑する。
コカベルの操る炎は、正真正銘地獄の炎。ゲヘナの火。
それは地上の炎とは一線を画する、何もかもを滅却する火焔。
かつてエグリゴリやネフィリムらをすべて焼き払った炎を、魔神に堕したコカベルは自らのものとしていた。

「ハ!当代の神子?いい方向に導ける?
 そんなこと、誰が保証してくれるの?ベリアル兄様よりそいつの方がいいなんて、どうして言えるの?
 龍脈の神子ってものが何か、本当にわかってる?
 アドルフ・ヒトラーは何をしたんだっけ?始皇帝は?アレクサンダーは?
 龍脈の神子なんてものは――代々、世界をひっかきまわして破滅していくものなんだよ!」

世界が変革するとき、龍脈の神子は現れる。
アドルフ・ヒトラー。秦の始皇帝。アレクサンダー大王――
歴史上の名だたる人物の中には、祈と同じ龍脈にアクセスする力を持つ人物が何人もいた。
そして良きにつけ悪しきにつけ世界を変革させ――滅びていった。
それが祈の身に起きないと、いったい誰が保証できるのだろう?

「アタシ達は、この世界を良くしたいだなんてハナから考えちゃいないよ……ノエルちゃん。
 この世界は神が創ったもの。あの忌まわしい、ウソつきの、クズ野郎!
 だからさ……アタシ達はブッ壊すんだ。この世界をまるっと平らにして、一からやり直す!」

ぐ、とコカベルは右手を握り込んで言い放った。

「東京はアタシがこの世界で一番のテーマパークにするんだ……ベリアル兄様が『そうしていい』って言ったんだ。
 破滅するのが分かってる龍脈の神子なんかに何ができるって?
 説明してみなよ。絶対にそいつが道を踏み外さないって、そう保証できる何かがあるのなら――
 アタシに、見せてみなよ、ノエルちゃああああああああああん!!!!」

ガオンッ!!

コカベルが左の手のひらをノエルへと突き出すと、そこから瞬く間に漆黒の獄炎が生まれる。
1000℃を超える、火山弾の如き灼熱球。それが唸りを上げてノエルを襲う。

「アハハ!どうしたのノエルちゃん?アタシをおねんねさせるんじゃなかったの?
 アタシは眠らない……可愛いネフィリム達に、永遠の安息の地を与えるまでは!
 コカベルパークはアタシの夢だ!その夢を阻む者は――誰であろうと!消す!!!」

更にコカベルは炎を身に纏いながら翼を一打ちし、ノエルへと肉薄した。
その手にはいつの間にか、ゲヘナの火で構築された黒く燃え盛る炎の剣が握られている。
コカベルの纏った炎の熱は接近しただけでノエルを溶かし、振るう剣の切れ味は瞬く間に防御壁を粉砕する。
また、ノエルの攻撃はコカベルの肉体にダメージを与える前に蒸発し、無害な水蒸気と化して消えた。
完全にコカベルの攻撃力、機動力、防御力は現在のノエルを凌駕している。
やはり、ノエルがコカベルを斃すなら修行によって得た力を用いる他にはないのだろう。
更には、煉獄と化したパークに佇んでいた巨人ネフィリム達がノエルに巨大な拳を振り下ろしてくる。
ネフィリム達は世界の破滅を司る。かつて北欧神話の世界を破壊し尽くした、炎の世界の住人。
ムスペルヘイムの巨人たち――
それらと同一とも言われる権能を、ノエルへと鉄槌の如く打ち下ろす。

>行け、氷の巨人!

炎の巨人に対抗し、ノエルが氷の巨人を創造する。
炎と氷、二種類の巨人の軍勢が激突するさまは、まさしくラグナロクの様相だ。
巨人たちが緩慢な動作で殴り合い、そのたびに大気が振動する。大地が揺れる。
両陣営の実力は拮抗していた。ネフィリムも氷の巨人も、互いに一歩も譲らない。
そして――

氷の巨人の一体がネフィリムの一体を殴り倒し、その身体の上に馬乗りになってなおも追撃をしようと右拳を振りかぶったとき。
それまでノエルを苛烈に攻め立てていたコカベルが、突然その剣の矛先を氷の巨人へと向けた。

「――チッ!」

ノエルが目くらましを使用するまでもなく、コカベルは翼を一度羽搏かせ瞬時にノエルの前から離脱する。
そして氷の巨人と押し倒されたネフィリムのところへ飛んでゆくと、氷の巨人の右側頭部に渾身の蹴りを叩き込んだ。
炎を纏った強烈な蹴りの直撃を喰らった氷の巨人は頭部をどろどろに融解させ、ゆっくりと倒れてバラバラに砕け散った。
間一髪、ネフィリムを救出したコカベルは安堵の表情を浮かべる。

「大丈夫?ケガはない?
 いい子、いい子だね……後でおいしいチョコレートをあげようね。キャンディも……。ママと一緒に食べよう。
 だから――ママがノエルちゃんを斃すまで、危ないから下がって見ておいで。ね?」

起き上がったネフィリムに対し、コカベルは優しく微笑んだ。
身長160cm程度しかないコカベルが全長30メートルはあろうかというネフィリムを幼な子のようにあやす姿は異様だったが、
正真コカベルはネフィリムを愛しい我が子と思っているのだろう。
それが、死と破壊を齎す怪物だったとしても。

122那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:10
「……神は言った。
 この、私が泥をこねて作った『人間』を愛し、慈しみ、守ってやりなさいと」

ゆっくりと非戦闘区域まで歩いてゆくネフィリムを見届けると、コカベルは宙に浮いたままでノエルへと振り返った。

「シェムハザは、こんな泥人形なんて愛せるかって反発したけれど。
 アタシは違った。人間……このちっぽけで、弱くて、愚かな存在を……アタシはすぐに気に入った。好きになった。
 だから、愛した。全身全霊で愛し、慈しみ、守ってやった。アタシの持つすべての叡智を与えた。
 人間たちがもっともっと幸せになるように。安らげるように。愛されるように。
 そして――」

それを。罪だと言われた。
神は天使エグリゴリが人間と結婚し、子を成し、天の叡智を与えたことを罪だと糾弾した。
しかし、人間は神が自らの似姿として創造した存在である。
そして天使は神を愛する者。神に傅き、神を崇拝し、神に自らを捧げる者。
つまり――天使が人間と結ばれるのは『当然の成り行き』であったのだ。

「アタシはやれと言われたことをやっただけ。
 それなのに、いつの間にか大罪を犯した堕天使なんて呼ばれてる。
 じゃあ、アタシはどうすればよかったの?シェムハザみたいに拒否すればよかった?ルシファーみたいに反旗を翻せばよかった?
 そんなことできない。アタシはただ、大好きな人たちを守りたいだけ。
 大好きな仲間たちに、仲間たちが作った子供たちに、幸せになってもらいたいだけ……」

そっと、コカベルは大きなリボンのあしらわれた自らの胸元に左手を添えた。
堕天する前、コカベルはエグリゴリの長たちの中でも最も職務に熱心な天使だった。
その熱心さは、今でもまったく変わっていない。
自身をママと言った、その大きな母性と慈愛を発揮して、共に堕天したエグリゴリやネフィリム達を守っている。

「ネフィリム達は壊すことしかできない。でも、分別を持たない赤ん坊のしたことを誰が怒れるって言うの?
 あの子たちは外に出れば迫害されるさだめ。けれどコカベルパークがあれば、あのコたちを守ってやれる。
 兄様が仲間を作らない?搾取する対象としか見ていない?
 最初から分かってるよ。兄様の手口なんて2000年前から知ってる。でもね――
 そんな空手形に縋らなくちゃならないくらい、アタシ達を追い詰めたのは……今のこの世界だろ!」

コカベルの周囲を炎が取り巻く。
かつてコカベルの仲間たちを、子供たちを、そしてコカベルをも焼き尽くした煉獄の焔。
今やそれは堕天使コカベルの新たな力となり、ノエルの脅威としてその前に立ちはだかっている。

「ノエルちゃんは、神子のことが好き?
 いいと思うよ、人は誰を好きになったっていいんだ。慈しんで、愛して、守って……言葉で、行動で、好きだって示せばいい。
 でもね……この世界ではそれを『罪』って言うらしいよ。アハハハハ……笑えるじゃん?
 それがどれだけ純粋で、透明で、無垢なものだったとしても。
 神はそれを穢れていると言った!それを是とするのが、今のこの世界だ!!」
 
怒声に応じるように、ゴッ!と音を立てて炎がその勢いを増す。
周囲のコカベルパークも、炎に呑まれてゆく。その様相はまさしく世界の終焉に等しい。

「アタシはこの世界をブッ壊す。すべての構造物を、文化を、概念を、常識とされるものを、根こそぎ灰燼と化す。
 そして――新たに打ち立てよう。ネフィリム達が無邪気に暮らせる世界を。愛することが罪にならない世界を。
 アタシは……アタシの愛で!
 世界を!!
 変える!!!」

炎の剣にコカベルの妖力が集中してゆく。今までの攻撃とは比較にならない熱量が、ゴゴゴ……と大気を振動させる。
両手で剣を構えると、あたかも炎の柱のように紅蓮が高く高く燃え盛って天を焦がした。

「いくよ……ノエルちゃん。
 アタシの奥義、受けて蒸発するといい。
 冷気の上限はマイナス273.15℃、でも炎の温度に理論上上限は存在しない!
 つまり……アタシに戦いを挑んだ時点で!ノエルちゃんは『詰み』だったんだよ!
 さあ――受けよ!創世記戦争でウリエルの左腕を斬り落とした、アタシの必殺剣――!」

今や全身が炎そのものとなったコカベルが叫ぶ。猛り狂う剣の切っ先がノエルへと振り下ろされる。
神座(かむくら)に侍る熾天使のひとり、神の焔を司るウリエルをもその火勢で凌駕し、利き腕を斬り飛ばしたとされる、
コカベル最大の必殺剣。
太陽のプロミネンスにも似た、セ氏数万度の焔の奔流――

「『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』!!!!」

ゴアッ!!!!

膨大な量の炎が隙間なく、さながら津波のようにノエルへと殺到する。
半端な氷の壁などその直撃を受けるまでもなく、輻射熱だけで蒸発するだろう。ノエル本体も同様である。
コカベルの必殺剣を受けてなお生還するというのなら、やはり第五の人格に目覚めるしかない。
だが、ノエル第五の人格は慈しみの力。自分自身ではなく、他の誰かを守るときだけに発現するもの。
ここに仲間はおらず、ノエルの他にはコカベルしかいない。

けれど。

ノエルは発動できるだろう、修行で得た新たな力を。雪の女王さえ退けた、他者を守る力を。
なぜなら――


守る相手は、目の前にいるのだから。

123那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:33
「どうした、尾弐ィ!
 我を失望させるでないぞ、折角の闘いに遠慮は無用!
 全力で来い!まだまだ……こんなものが貴様の実力ではなかろうが!」

ドラゴンの巨大な死骸に埋まった尾弐の状態を確認しようと、アラストールがゆっくり近付いてくる。
アラストールの頑健さは他に類がない。尾弐がかつて戦った相手で頑丈だったといえば天魔ヴァサゴがいたが、
このアラストールに比べればヴァサゴの装甲など濡れた半紙に等しい。
極限の修行を経て、悪鬼としては最高レベルの強さを身に着けた尾弐をもってしても、
闘神の腹筋を貫くには至らなかった。

「インパクトの瞬間、自ら後方へ飛んで衝撃を殺し――トカゲの死体をクッションとしてさらに我の拳の威力を封ずるとはな。
 なかなかのテクニックだが……受け身ばかりでは永劫我を斃すことはできんぞ!
 この荒涼たる空間から出たいと望むなら、攻めて来い!聞こえておるのだろうが、尾―――」

アラストールがサンダルの裏で赤黒い地面を踏みしめ、死体へとさらに一歩接近した瞬間。
突如として、その双眸へと真紅の飛沫が降りかかった。
視界をドラゴンの血液で遮られ、アラストールが僅かに怯む。

「ぐ!?」

ゴパァッ!!!

そして、同時に肉と臓腑を突き破った血まみれの尾弐が突っかける。
完全な奇襲だ――単なる戦士であるなら、尾弐の仕掛けたこの攻撃に対処しきることは容易ではない。
が、尾弐の眼前にいるのは“闘神”アラストール。
2000年に渡り、常住坐臥闘いのことばかり考えて生きてきた、闘争の化身である。

「ゴハハ、そう来たか!――ツェェイッ!!」

いかなる攻撃であっても、その戦闘頭脳は瞬く間に最適解を導き出す。
ぼっ!と音を立て、尾弐の気配と妖気を頼りに左拳を撃ち出して迎撃した。
爆速で繰り出される必殺の左拳を躱し、尾弐がアラストールの脇をすり抜ける。
瞬刻の交錯を経て、両者は再度向かい合った。
そして――

「……ぬ、ぅ……?」

突き出した拳、その小指に違和感を覚え、アラストールは僅かに眉を顰めた。
左手、小指の付け根の肉がごっそりと噛み千切られ、骨が覗いている。

>ゴホッ――――なんだ、天魔の肉ってのは随分不味いモンだな。燻製にしても食えねぇレベルだ

見れば、尾弐が肉片を咀嚼している。
互いがすれ違うほんの一瞬の間に、アラストールの拳を見切り小指の肉を食いちぎったのだ。
さらに尾弐はまだ鮮血の滴るドラゴンの肉を啖い、ごくりと呑み込んだ。

>残念だなぁ、アラストール。
>テメェの自慢の筋肉はトカゲ以下の味だったぜ。ビール飲んで霜降りでも増やした方がいいんじゃねぇか?

嘲り、見下すような尾弐の言葉。
全身をドラゴンの血に染め、肉を貪るその姿は、まさに悪鬼。分別も理性もない禽獣の如きもの。

「……ほう。それが貴様の本性か?悪鬼。
 なりふり構っておれぬということか……武では我に勝てぬ、ならば正攻法以外で攻めるが善し、と――?
 ゴハハ、構わんぞ!なんでもやってみろ……それでこのアラストールに勝てると思うのならばな!!」

>――――さあて、それじゃあラウンド2だ。欠伸混じりにさっさと終わらせようぜ、駄肉野郎

「応!」

抉られた小指などものともせずに拳を固めると、アラストールは仕切り直しとばかりに尾弐へ突撃した。
そして、相変わらず一撃必殺を束にしてぶつけてくる。
そんな闘神の攻撃に対して尾弐が選択したのは――到底闘いとは呼べない類の反則行為。
生死を懸けた戦いに反則などありはしないが、まともな闘いでは絶対にありえないようなラフファイト。
目を、耳を、金的を、ありとあらゆる急所を狙い、髪を引っ張り、爪で引っ掻く。
闘いとさえ呼べない行為を、尾弐は飽くことなく試みる。
むろん、そんな悪あがきにも似た行為でアラストールが斃せるわけがない。
ただし、それがまったくの無駄である……という訳でもない。
卑怯卑劣を地で行く尾弐の行動に、アラストールのフラストレーションが溜まってゆく。

「ツァッ!!」

執拗にまとわりつきながら、姑息と言うしかない戦い方で食い下がる尾弐への苛立ちが頂点に達したのか、
アラストールは素早く右腕を伸ばして尾弐の喪服の胸倉を掴むと、その巨体を片腕一本で大きく投げ飛ばした。
そして間合いを開くと、ふー……と大きく息をつく。

仕切り直しだ。

124那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:57
「いじましい闘いをするではないか。
 だが、貴様にも分かっているはずだ。そんな攻撃では、万年経っても我を斃すことはできん……とな」

屈強な双腕を組み、アラストールが嗤う。

「貴様の狙いは分かっておるぞ。吾を怒らせ、一度の隙を窺っておるのだろうが?
 あぁ隠すな隠すな、皆まで言わずとも全部承知しておるわ!貴様は隠そうとしておるようだが。
 貴様の瞳が、筋肉が、血の流れが、骨の軋みが。我に教えてきおる――
 貴様がもっと大きなオモチャを持っとるとな」

アラストールは10000戦以上の戦績を持つ古強者。
当然、その目が視るのは対戦相手の表情だけではない。
尾弐が発勁や絶技とも言える体捌きから繰り出す攻撃から、突然急所狙いの姑息な攻撃にスイッチしたこと。
それによる視線の、呼吸の、関節の、臓腑の動きの変化。
その変化が果たして、何を企図するものか――
闘神は尾弐のすべてを見透かしたうえで、眼前の悪鬼が窮余の一策を狙っていると看破していた。

「我を失望させるなと言ったはずだぞ、尾弐黒雄。
 そんな下らん布石を打ってオモチャを見せるタイミングを計らずとも、開帳の場なら呉れてやるわ!」

そう言うと、アラストールは突然両手を突き出し、尾弐に十本の指を見せた。

「十打!!
 これから、このアラストール全力の拳十打を放つ!
 尾弐黒雄よ、貴様が我が本気の剛拳九打に耐え切ったならば、最終の十打目に奥義を放ってやろう!
 貴様がオモチャを見せるとすれば、その瞬間の他はあるまい!」

ゴアッ!

アラストールの全身から闘気の柱が立ち昇る。
尾弐がこれから放たれる全霊の拳を九度凌げば、最後の十打目にアラストールは奥義を出すという。
尾弐の望む、闘いを決するための必殺。それが、来る。

「尤も……我の全力、三合凌いだ者は未だかつて存在せんがな!
 ――ファイナルラウンドだ!!!」

だんッ!!と地面に亀裂が入るほどの勢いを以て、アラストールが踏み込みから一気に尾弐へと肉薄する。
そして、撃ち放たれる全力の九打。

一打目。大気を振動させる、雷霆の如き迅さを持つ右のストレート。
二打目。一打目に合わせての、踏み込みながらの左肘打ち。
三打目。あばら狙いの右のミドルキック。
四打目。右脚を下ろすと同時、そこを軸足として踏み込みながら下方からの右フック。
五打目。四打目の勢いを乗せて左のハイキック。
六打目。ハイキックから身体を回転させ、身を地面ぎりぎりまで低く伏せての足払い。
七打目。六打目でバランスを崩した相手への双掌打。
八打目。吹き飛んだ相手への瞬時に追撃しての、顔面へ右ストレート。
九打目。さらに駄目押しの右飛び回し蹴り。

その一発一発が必殺。必倒。必滅の絶拳。一撃放たれるごとに空気がビリビリと振動し、轟音が鳴り響き、大地が砕ける。
まさに闘神の豪打――
尾弐はそれを躱すだろうか、それとも受けるだろうか。
兎も角アラストールの拳、その九打までに耐え抜けば、その後には奥義が待っている。

「ゴッハハハハハハハーァ!!いいぞ!いいぞ!尾弐黒雄ォ!!!
 三合どころか、我の言いつけ通りに九打を凌ぎ切ったか!
 ならば約束は守らねばならんな!
 篤と見よ!これが闘神アラストールの奥義――その真髄よ!!!」

アラストールの全身を取り巻く闘気が一層色濃くなってゆく。
地面が震動し、砕け散った大地の欠片が宙に浮かんでは粉々になる。
闘神の漲る闘気が質量を伴い、アラストールの肉体の一部としてある形を成してゆく。

「ゆくぞ!我が奥義――貴様の一番のオモチャで!凌駕してみせろォォォォォォォォォォ!!!!」

それは、無数の腕。
闘気が形となって顕現した、無数の剛腕をあたかも千手観音のように背に負ったアラストールが、喜悦の表情も露に迫る。
妖気も妖術も用いない特異な妖壊、アラストール。
その全力の奥義が――

「『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』!!!!!!!!!」

それは、まさに拳の暴風。荒れ狂う濁流の如き、天変地異にも似た攻撃の大嵐。
背に発生させた千にものぼる闘気の腕でラッシュを見舞い、最後に自らの双拳渾身の一打で相手を葬り去るという、絶殺の秘拳。
むろん、闘気腕の一撃一撃さえもが致死の威力。それが幾千、幾万尾弐へと振り下ろされる。
絶体絶命の窮地。九死に一生どころではない、十死の危機。
尾弐はそれに恐怖を感じるだろう。迫りくる死に、回避不能の終焉に慄くはずだ。
だが、もしもその怖れを闘志に換えることができたなら――


尾弐は見出すことができるだろう、億分の一の勝機を。

125那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 20:05:35
『スケープゴート』という言葉がある。
贖罪の山羊、アザゼルの山羊――とも言う。かつて、ユダヤ教では贖罪の日に二匹の山羊を生贄とし、
自らの犯した罪を身代わりに負わせ、片方を神に、もう片方をアザゼルに捧げたという。
その伝承が示す通り、アザゼルは自らの負った傷を瞬時にこのコロッセオにいる仲間たちへ身代わりさせることができる。
従って、ポチが必死でアザゼルの喉笛を噛み千切ろうと。左目を抉ろうと。右膝を砕こうと。
アザゼルはその傷を仲間たちへ代替させ、無傷を保つことができるのだ。
この闘技場を埋め尽くす山羊たちがいる限り、アザゼルは決して斃れることはない。
ポチの見立て通り、闘技場のすべての山羊を皆殺しにでもしない限りは、アザゼルに致命打を与えることはできない。

《無駄、無駄だ。狼の仔よ――
 余はただ遊山にこの場へ来ているのではない。破滅の遊興に耽溺する長子とは違う。
 申したであろう。余は背負っているのだ、仲間たちの命を。一族の未来を。命運を。
 負けられぬ理由がある。叩き潰す事情がある。進むべきさだめがある――
 汝には。何もあるまい》

カツ、カカッ、と二股に割れた蹄を鳴らしながら、アザゼルが悠然と屹立する。
黄金に輝く雷光を纏ったその威容は、まさに支配者。紀元前から楽園を追放され、流浪を強いられてきた――放浪者たちの王。

《……長かった。長い長い、長い旅であった。
 我が民には労苦を強いた……この、不出来な王の為した過ちで。
 されど、ここが終点である。この東京の地を、我らの新たなる楽園(ジャンナ)とする。
 流謫の民は、極東のこの地で。永遠の安息を得るのだ》

アザゼルもまた、ノエルの戦っている魔神コカベル同様エグリゴリの指導者のひとりだった。
コカベルら他のエグリゴリ同様、アザゼルもまた泥をこねて創られた人間という種を愛し、慈しんだ。
そして――それを堕落と、叛逆と取られ、追放の憂き目を見た。

アザゼルは自らの愛する仲間や子らと共に、永劫の流浪を強いられることになった。
この世のすべては神の創り給うたもの。神から追放を命じられた者に、その身を落ち着けられる場所などない。
神は天地創世において六日で世界を生み出し、七日目には休息したという。
アザゼルとその眷属も六日を流浪に費やし、七日目にやっと一時の安息を得ることができた。
だが、それさえ心よりの安寧ではない。或いは腐臭漂うおぞましき沼沢、或いは光差さぬ渓谷の弥終(いやはて)。
そんな神の目の届かぬ場所で身を寄せ合い、神の見捨てた塵芥や亡骸を食み、飢えを凌ぐ旅。
永遠の安らぎを求め、彷徨すること数千年――

やっと。アザゼルとその一族は自らの旅の終焉、その地を見出したのだ。
たった一頭の、小さな狼の仔。それを殺せば、安息が手に入る。平穏が、繁栄が、未来が約束される。

《民よ、我が愛する民草よ。
 数千年に及ぶ苦艱、まこと大儀であった。
 安堵せよ、この王は負けぬ。必ず、必ずや勝利を掴み取ってみせよう。
 汝らの王は期待を裏切らぬ。この双肩に負った汝らの命と共に――最後の戦いに。
 勝つ!!!》

ガオン!!!

アザゼルが突進する。アザゼルの攻撃はいたってシンプルだ。小細工も何もない、ただ真正面からの突撃(チャージ)。
ポチめがけて一直線に猛進するだけの単純極まりない攻撃だが、それが強い。
天空から降り注ぐ雷霆を毛皮に蓄積し、莫大な電力を妖力に変換しての突撃――その迅さは音速。威力は必殺。
そのあまりの速度は『音さえ置き去りにする』。
突進の音が聞こえた、と思ったときには、既にアザゼルはポチに肉薄している。

ポチの生み出した無数の影を、林立する刀のシルエットを、黄金の閃光が薙ぎ払う。
王冠めいて複雑に絡み合った三対の角が、ポチの小さな身体を痛撃する。
アザゼルは再度左目を抉られたが、次の瞬間には回復している。代わりに闘技場のどこかの山羊が左目を失い斃れたが、
王たるアザゼルは一顧だにしない。
仲間の負傷を顧みぬ酷薄な王――なのではない。むろん案じている、悼んでいる、嘆いている。
しかし。
それさえも乗り越えて進まなければならぬ理由が、アザゼルにはある。

突進を終えたアザゼルはふたたびゆっくりと身体を翻し、ポチへと向き合う。
ポチがアザゼルの血を嚥下し、自らの力に変える。
二頭の『王』が睨み合う。

>僕には、仲間がいる

ポチが言う。

>仲間だけじゃない。僕にはな、めちゃくちゃ可愛いお嫁さんだっているんだぞ

その小さな、アザゼルの二十分の一もないような身体に、満々と妖力が漲る。

>頭の中には、あれこれ口うるさい、心配性の居候もいるし……おい、聞こえてるだろ。『眼』を貸せ

ぽっかりと空いていた右眼窩に、『獣(ベート)』の眼球が構築される。妖力がさらに膨れ上がる。

>それに、僕を信じて、頭を撫でてくれた王様だっていたんだ

アザゼルの戴く黄金の王冠に競るように、一房の銀髪が輝く。

126那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 20:10:46
>……それに。それにさ

《――――――――――――勝負!!!!!!!!》

ドオンッ!!!

頭を下げ、角を前方へ槍衾のように向けたアザゼルが突進する。降り注ぐ雷霆を受け、全身から雷撃を迸らせながらの重爆。
だが、ポチはそんな必殺の攻撃さえも容易く受け流し、魔神の懐に潜り込んでいた。
人狼形態のポチの手刀がアザゼルの雷撃を纏った毛皮をいとも容易く引き裂き、臓腑に達する。

>――たった一匹で僕を育ててくれた、すねこすりがいたんだ

《が、ふ……!!》

>何かを背負ってここに来たのは、別にお前だけじゃない

アザゼルは血ヘドを吐いたが、それさえも次の瞬間には回復している。否、攻撃を受けたという事実自体がなくなっている。
三メートル強、四トン以上ある巨体からは想像もできない俊敏さで大きく後ろに飛び退ると、黄金の山羊は再度構え直した。
バリバリと、その黄金の毛皮の表面を雷光が奔る。

《……なるほど。余は思い違いをしていたのだな。
 汝は一頭ではなかった――この場におらぬ群れと、共に在ったか。 
 嗚呼、今なら分かるぞ。汝はあの男によく似ている。かつて余が戦った、あの狼の王に。
 ――あれの後継者か。汝は――
 長子め、余には身の程知らずの仔狼一匹としか言わなんだが……とんだ誤謬よ》

ガツ、ガツ、と蹄で砂地を蹴り、アザゼルがポチの心へと語り掛けてくる。

>だから――お前の命があと幾つあろうと、関係ない
>邪魔をするなら、死ぬまで殺してやる

《善かろう。事ここに至り、余も覚悟が定まった。
 ならば、此れは我が一族と汝の一族の存亡を懸けた戦いであろう。
 次なる一撃によって、汝を完全に撃砕する。
 我が一族の未来を、この終幕の奥義に託そう》

ポチへの敬意を示すように。
黄金の王はそう言うと、不意に大きく頤を反らして空へ向けて咆哮をあげた。
蝟集する無数の山羊たちが、王に応じるように鯨波をあげる。
コロッセオが山羊たちの声で満たされる。そして――
山羊たちの姿が次々と光へと変わり、火の玉さながらに尾を引いてアザゼルの身体の中へと吸い込まれてゆく。
観客席から降り注ぐ、流星雨の如き光の波濤。
そのすべてを受け止め、アザゼルの肉体がさらに巨きく肥大化してゆく。黄金の毛皮が輝きを増す。
王冠のように絡み合っていた三対の角がメキメキと音を立て、形状を変化させてゆく。
今までとは比較にならないほど無数に枝分かれした巨角、その尊容はさながら大樹(ユグドラシル)のよう。

《往くぞ、狼王!
 刮目し、驚嘆し、そして絶命せよ!
 此れなるが、我が魂の一撃!我が一族の命運を乗せた、正真の最終奥義なり!
 受けよ―――――》

ゴアッ!!!!

アザゼルが突進してくる。突撃、それ自体は今までの攻撃と何ら変わることはない。
が、その規模が違う。数千頭の一族の命とひとつになり、今や種族そのものと化した王が。
その放つ雷霆によってコロッセオ自体を破壊しながら、ポチへと肉薄する。

《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

逃げ場など存在しない。防御する術などない。
ポチの択るべき道はただひとつ、この黄金の王と真っ向から激突し、それを打ち破る――その一点のみ。
すべての命を呑み込み融合させた今のアザゼルに、スケープゴートは存在しない。その傷を、攻撃を肩代わりする者はいない。
ポチがアザゼルを斃すとしたら、その好機は今しかないだろう。

半端な攻撃は通用しない。すべて、恐るべき重撃に打ち砕かれるだろう。
全力の攻撃でも、足りない。数千年の流浪を経た山羊王の覚悟は、全力程度では破れない。

全力以上。
すべての力を出し切った後の、さらに上。

その境地に到達することで、ポチはきっと。この強壮な王者に打ち克つことができるはずだ。

127多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:38:52
 祈を待ち構えていたのは、天も地もなく暗闇が広がる、広大な無重力空間。
まるで宇宙のようなフィールドだった。
 敵は呪いだか洗脳だかによって正気を失ったレディ・ベア。
この空間に慣れているレディ・ベアはともかく、
重力がはたらく大地の上での活動を当たり前にしてきた祈はあまりにも不利だった。
 そんな中、祈は金属バットを構え、完全に両の目を閉じた。
 
>「それは何の真似ですの?
>まさか……たかだか目を瞑った、たったそれだけでわたくしの瞳術に対処した、とでも言いたいんですの?」

 せせら嗤うレディ・ベア。
それに対し、祈の表情に焦りの色はない。むしろ口元には笑みすら浮かんでいた。

「そうだ、って言ったら?」

 確かに目を閉じれば、レディ・ベアの瞳術に掛かることはない。
 金属バットを手に取ったのも正解だろう。
この無重力空間では、攻撃、防御、回避――あらゆる行動に推進力が必要で、姿勢制御も付き纏う。
蹴りではなく金属バットによる攻撃に切り替えたことで、
風火輪を推進力や姿勢制御の道具として使えるようになったのは理に適っているといえた。
相手が徒手空拳である以上、リーチがある方が有利なのも自明の理。
 心眼と金属バット。合理的な選択だといえるだろう。
だがそれは、“祈が目を閉じた状態で戦えれば”の話だ。
心眼なんてものは作り話の類に過ぎない。
そんなものでレディ・ベア対策が完了したというのは、祈という少女の戯言に過ぎないはずだった。
 だがしかし。

>「この瞳はお父様から譲り受けたもの。お父様とわたくしが親子であるということの証。
>すべてを跪かせる支配者の目――。それから目を逸らすことなど、なんぴとたりとも出来ないのです。
>あなたたち下等妖怪たちは、すべて!わたくしたちを恐怖と共に見上げるべきなのです!
>目を伏せるなど……不敬でしてよ!!」

 レディ・ベアが仕掛けた。
肉薄し、拳の乱打を祈へと見舞う。
ガトリングガンの一斉掃射を思わせる連撃は、一撃が必殺の威力を秘めていた。
まともに当たれば先程のような骨折では済むまい。
金属バットなんて“ヤワ”なものでは、防ぎきれず容易くへし折られてしまうだろう。
 だが祈はレディ・ベアの拳の先端を、金属バットで外側に逸らし続けることで凌ぎきる。
最小限の力で、金属バットをへし折られることもなく――。
 龍脈が見せた星の記憶。
その中には確かに、作り話でもなんでもなく、心眼を用いて戦う達人がいたのだ。
その姿はヒントとなり、祈に“付け焼き刃の心眼”で戦う力を与えた。

>「小癪なことを!星の記憶……とでも言いたいんですの……!?マンガの読み過ぎですわ!
>マンガなど読まず、もっと教科書をお読みなさいなと……言った、はずですッ!」

 苛立ちを募らせ、レディ・ベアが声を荒げる。
そうして怒りに任せた大振りの右拳を打ち込もうとした瞬間。

「そこッ!」

 祈は掛け声とともに踏み込み、金属バットをフルスイング。
バットの先端はレディ・ベアの拳の下をすり抜け、その左脇腹を掠めた。
祈の狙いはただ一点、不気味に明滅を繰り返すレディ・ベアのコスチュームであった。
呪いや洗脳の大元であると考え、コスチュームのみを攻撃しようと考えたのである。

>「く……」
 
 数歩下がるレディ・ベア。
 付け焼き刃の心眼による不意打ちが成功し、
レディ・ベアのコスチュームを一部破ることができた。

128多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:52:26
>「ふざけた構えでわたくしを怒らせ、隙を見出して攻撃とは……姑息な策を弄しますのね。
>弱者は詭計を弄すもの、とはいえ……目に余る不快ですわ。
>ならば……わたくしも少し本気を出す必要がありそうですわね……!」

 だが、祈の狙いとは異なり、
コスチュームを破ったことによって呪いや洗脳が解けた様子はなかった。
 さらに、レディ・ベアがかすかに笑ったことと、
右手を掲げたことを、祈は空気の振動と筋肉の動きから察する。

(なんだ……? こいつ何する気だ?)

>「ここは『ブリガドーン空間』……虚が実に、実が虚になる異空間ですわ。
>そしてお父様のお膝元でもある……この場に足を踏み入れた時点で、祈。あなたに勝ち目はないのです」

「……はん、その勝ち目ないやつに服破られたのはどこのどいつだよ」

 事態を打開する光明が見えない中、強がるように言いながら祈は、
レディ・ベアを起点に、周囲の空気が歪んだのを肌で感じていた。
 その認識の外では、空間が、混ざり合わない絵の具が散らされたような極彩色のものへと塗り替わっていく。
かつて祈がレディ・ベアから聞いた通りの、ブリガドーン空間の特徴そのままに。
 だが目を閉じていては色までは分からない。
空気が何か危険なものに変わったという生物的な危機感が、祈に目を開けろと警告する。
だが、祈は耳を澄ますだけで目を開けることはない。

 レディ・ベアが自身の左脇腹あたりをさすった音に、
スーツの繊維が繋ぎ合わさるような音が続いた。

(『直した』……?)

 そこに何か重要な意味があるのか、
それともただ不格好だから、というような他愛もない理由で直したかはわからない。

>「ブリガドーン空間において、わたくしとお父様を斃そうなどと!
>そんな思い上がりは……正さなければいけませんわ!」

 そして再度。レディ・ベアが突っ込んでくる。
 心眼は相手の動きを音で読み取ってから動くのが真髄。
故にカウンターが真骨頂。祈はいままで動けなかった理由はそこにある。
 カウンターを叩き込もうとする祈だが。
 周囲。自分を取り巻くように、何かが無数に出現した気配があった。
何者かが自身を取り囲み、瞬きをするような気配。
 背中に氷を当てられたようなゾクリとした感覚を祈は覚えた。
 生物としての本能が、祈に警鐘を最大限に鳴らす。
 咄嗟に祈は上方に向け、最大限に風火輪の炎を噴かせて飛び退いた。
祈が今いた場所を、光を放つ何かが通り過ぎたのを瞼越しに祈は見る。

>「目を開きたくないというのであれば!無理にも開かせて差し上げますわ!」

 祈はもはや付け焼き刃の戦術は無意味と、目を開いて周囲を確認する。
 そこに広がるのは極彩色の景色。
そして祈を見つめる無数の目が出現していることに気付く。
その目が次々に、瞳に光を集め。発光。
刹那、嫌な予感に身を捩った祈の顔の横を、細い光の束達が通り過ぎた。

(レーザー!?)

 無数の目から放たれたのは、直線的で細いレーザービームだった。
避けるのは、攻撃の予備動作を見ればそれほど難しいことではないかもしれない。
 だが何せ数が多い。それに、祈が逃走する先々に展開する。
目、目、目。こうなれば接近して戦うどころではないく
祈は完全にレディ・ベアに背を向け、逃げ回らざるを得なかった。
祈は無重力のこの空間を、上へ下へ、左へ右へと、時には回転しながら飛び回って逃げる。
 避けきれず当たってしまった金属バットには穴が穿たれ、
妖気を纏って装甲の役割を果たす黒パーカーも、かすめた箇所に穴が開いてしまった。
 激しいレーザービームによる猛攻。
 しかも。

>「はああああッ!!」

 追ってくるのはレディ・ベアもである。
祈が飛び回るのにスピードで勝ったのか、あるいはビームによって逃走経路を絞って先廻りをしたか。
 追いついたレディ・ベアが祈に肉薄する。
そして勢いそのままに、祈へとハイキックを見舞った。
 ガンッ!
 レディ・ベアのハイキックは祈の頭に直撃する。

「づ、ぁっ……!」

 大きく仰け反り、後方へと吹き飛ばされる祈。

129多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:58:04
 だが、風火輪の炎によって体勢を整えた祈の目は死んではいない。
そしてその右手には。抜け目がないことに。

「……今度はどうだ……? さっきわざわざ直してたよな。これ」

 荒い息を吐く祈。開いた右手には黒い布切れが握られている。
レディ・ベアが自身のコスチュームの右脚の部分を見れば、一部が破れていることに気が付くだろう。
 祈はレディ・ベアの蹴りを避けられないと見るや、
金属バットを手離し、レディ・ベアのコスチュームを掴んで千切ったのである。
 祈の額からは、裂傷による出血はあるものの、骨折のような重傷は負っていない。
人骨の中でも二番目に強度が高い額でハイキックを受けたのが幸いしたのかもしれなかった。

「こいつがおまえをおかしくしてるなら、今度こそ――」

 祈の言葉を聞いて、レディ・ベアは笑う。

>「フフ……愚か。愚か愚か愚か!まだ、わたくしを助けるなどと。そんな寝言を言っておりますの?
>わたくしは正気ですし、あなたを生かして帰す気もありませんわ。
>ここから出たいと言うのなら、わたくしを殺す気でおいでなさいな。
>尤も……ここはブリガドーン空間。いわばお父様の、妖怪大統領の謁見の間。
>そんな場所から、何の犠牲もなしに出られるなどとは思わぬほうがよろしくてよ……アッハハハハッ!」

「くそっ」

 レディ・ベアの様子に変化は見られず、祈は歯噛みする。
禍々しい紋様が明滅するコスチュームは、
フェイクか、単にその力を引き出すためのアイテムなのかもしれなかった。
 勝利を確信するレディ・ベアは、祈に背を向け、
巨大な瞳、妖怪大統領に向き直った。そして、

>「お父様、お父様……今すぐに祈の中から龍脈の因子を引きずり出し、お父様にお捧げ致しますわ!
>そうすれば、お父様はもう自由……この忌まわしい牢獄から解き放たれるのです!
>夢のようですわあ!」

 そんな風に宣う。

(モノが繰り出してくるあのビームを撃ってくる目はやばい。
それにもし妖怪大統領まで攻撃してきたら……)

 ――きたら?
 そこで祈は、一つの違和感に気付いた。
レディ・ベアがたった今向き合っている妖怪大統領から、『一欠片の妖気も感じない』のだ。
 ターボフォームになったことによって、祈の身体能力は向上し、様々な感覚が研ぎ澄まされている。
その感覚が、ここには祈とレディ・ベア、二人の妖力しか感じないこと、
即ち、妖怪大統領からは妖気が発せられていないことが、紛れもない真実であると告げていた。
 もちろん、高位の妖怪には妖気を隠すのに優れた者もいるのかもしれない。
だが、全く感じられないことなどあるのだろうか。

――バック・ベアードは正確には超常現象か何かだというから、もともと妖気を持たない?
――いや、この空間を形作るほどの妖怪が妖気を持たないなんてことがあるのだろうか?

 祈の中で思考が駆ける。
 なんであれ、もしこの妖怪大統領が本物ではないとすれば、
何者かがリアルタイムで生み出している立体映像のようなもの、ということになるだろうか。
 レディ・ベアが最も愛する存在である妖怪大統領の幻覚を使って、
行動を制御しようとしているのだろうと推測できる。
 レディ・ベアが祈へと向き直り、

>「さあ……祈。死ぬ準備はできまして?
>あなたが死ぬことで、お父様はここから出ることができる。この世を統べる資格を持った唯一の存在として、
>存分に下民どもを支配することができる……。
>あなたには感謝いたしますわ。あなたのことを、わたくしはずっと忘れないでしょう。
>わたくしの大切なともだ……と、とも―――――」

 死刑宣告をするその途中。その様子に変化が見られた。
祈のことを、『大切な友達』と言いかけたのである。
自分自身が放ったその言葉に違和感を覚えたように、レディ・ベアは眉を顰めた。
 瞬間、レディ・ベアのコスチュームに刻まれた不気味な模様が一層強く明滅する。
 すると、レディ・ベアは右のこめかみに手を当て、
頭痛でも走ったような表情になった。

>「痛……、なん、ですの……?」

 痛みを紛らわすように頭を軽く振ると、
再びレディ・ベアが祈を見た。
その瞳には先程の殺意が戻っている。

>「ぐ……。い、行きますわよ、祈……!
>覚悟なさい!あなたの末路は、ここでの死以外に何もないのです!!」

 祈にとどめを刺すべく、無数の目と共に迫るレディ・ベア。

「そういわれて、はいって受け入れると思うのかよ!」

 祈は言い返しながら、
無数の目から発射される光線、そしてレディ・ベアの追撃を、
祈は風火輪の炎を最大限に噴かせ、その場を離脱することで免れる。

130多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 22:08:53
 そうして逃げ回りながら、
レディ・ベアの様子を見た祈は、自身の推測が正しいものと考え始めていた。
 どうやら当初の推測通り、
あのコスチュームこそレディ・ベアを強制的に従わせるもののようだ、と。
だが、おそらくその効果は完全ではない。
 レディ・ベアの精神力が強いのか、
ブリガドーン空間という想いの強さが影響する力を持つ故か、
それともコスチュームの力不足によるものか、
ともかくレディ・ベアの支配は完全にはならなかった。
だからこそ、妖怪大統領の幻覚をリアルタイムに反映させ、
レディ・ベアの支配力を高める必要があったのだ。
 あのコスチュームさえどうにかすれば、レディ・ベアは正気に戻る。
そんな考えを、祈はますます強めた。

(でも、本当にそうか――?)

 だが同時に、この状況に対して祈は疑念を抱いていた。

 祈が逃げる先々で開く無数の目。
 あの目を操作するのがレディ・ベアである以上、その視線を断ち切れば祈を追えなくなるはずだ、と
祈は周囲に炎を振りまき、時に爆ぜさせた。
そうして、光や音による目暗ましで己の姿を隠して時間を稼ぎながら、更に思考を加速させる。

 そもそもこの戦いには、妖怪大統領の幻覚を操る何者かの存在がある。
その何者かが介入している以上、目の前の全ては疑うだけの理由があった。
 ローランが“レディ・ベアは呪われて正気を失った”と示し、
そのレディ・ベアが“禍々しい紋様の明滅するコスチュームを着ている”この状況。
あまりにも『わかりやす過ぎた』。
 ローランは人造とはいえ人間であるが、『そうあれかし』の影響を受けている。
その身に妖気なり神気なりを宿していてもおかしくない。
それがこの空間内に感じられないということは、幻覚だった可能性があるのではないか。
 コスチュームの紋様の明滅もまた幻覚かもしれない。
この戦いに介入している何者かが呪いの強弱をいじれるのなら、
祈がコスチュームを傷付けた結果、呪いが弱まったように見せかけることも可能だろう。
 つまり。『祈がコスチュームを何らかの手段で破壊することこそが、
祈の敗北に繋がる』、そんな罠である可能性が考えられた。
 迂闊に手を出すのは危険ではと、祈は思う。

(じゃあ、『運命変転の力』なら――?)

 祈の最終手段、『運命変転の力』。
理を捻じ曲げ、現実を改竄し得るこの力なら、赤マントが罠を仕掛けていたとしても、
それを無視してレディ・ベアの呪いか洗脳を解くことができるに違いない。
 だが、この戦いを仕組んだのは赤マントなのだ。
祈の性格も、龍脈の神子としての能力も知った上で、この戦いをセッティングしている。
祈がいざとなれば運命変転の力を使ってくることも想定済みであろう。
 いかなる状況でも逆転の一手となり得るこの力があれば、
いかにレディ・ベアがブリガドーン空間によって強化をされていても、
空間的有利、手数での有利を持っていても、引っくり返される恐れがある。
限定的なものとはいえ、赤マントが悲願達成のために渇望する力を、その脅威を認識していないとは思えない。
 レディ・ベアに祈を殺させるつもりであれば最優先で封じるべきだが、
この一戦では封じている様子はない。事実、ターボフォームにすんなり変身できている。
つまり、『運命変転の力を使っての逆転を許している』のだ。
そこになんらかの意図があるとも考えられる。

――運命変転の力を封じなくても、レディ・ベアが祈を倒す可能性に賭けた?
――準備が整うまでの時間稼ぎ?
――祈の現在の戦闘力を測るための試金石、小手調べとしてレディ・ベアを利用している?
――祈の消耗を狙っている?
――龍脈の力を使わせること自体に何か意味がある?
――それとも、祈が思いつかないような隠された目的があるのだろうか?

 あらゆる可能性が考えられ、思考はまとまりを見せない。

131多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 22:38:36
「っ……!」

 不意に、キリで貫かれたような痛みが祈の右腕に走り、祈は顔をしかめる。
無数の目から照射されたビームを避けきれず、右腕の肩付近に命中したのだ。
 妖術で形作られた目を炎とともに蹴り潰し、さらに逃げようとする祈だが、

>「お父様の千年帝国樹立、その礎となって死になさい!祈!

 レディ・ベアが炎を掻い潜り、ついに祈へと追いついた。
そして、拳、拳、拳。必殺の威力を込めた本気の拳を嵐のように見舞う。
 それを祈は腕や脚で受け流そうとするが、
逸らしきれない力が、避けきれなかった一撃が、祈の体を破壊していく。
腕や脚、頬や腹。擦過傷、打撲、裂傷、折損。血が祈の服に滲んでいく。
 圧倒的な劣勢。
今にも『運命変転の力』を使わなければ逆転は難しいというのに、祈はまだ迷いを振り切れない。

>あなたとの学校の思い出、一緒にお勉強した、給食を食べた、体育でペアを組んだ、
>夜の公園で語り合った記憶は、わたくしの……わた……」

 しかし、その連撃の最中。
 祈を殺そうと迫るレディ・ベアが、再び祈との記憶を呼び起こした様子を見せ、動きを鈍らせる。
コスチュームがまたしても禍々しく発光し、レディ・ベアの表情が苦痛に歪んだ。
呪いか洗脳の支配に抗って、祈のことを思い出そうとするたび、支配しようとする力は強く働くようだった。

 現状、どこからどこまでが真実で、どうするのが正解かも見えはしなかった。
だが、苦しむレディ・ベアの姿を見たとき、祈の心は決まった。

(踏み越えてやるよ、たとえこれが罠だったとしても――!)

 自分の迷っている時間だけ、友達が苦しむ時間が長引くのなら。
たとえそれが罠だとしても、迷いを振り切って前へと進む。
 ギ、と祈を睨むレディ・ベア。
その頬には血管の筋が浮かび上がり、獰猛な獣のような表情を浮かべている。

>「く、あ、あ……!
>死ね……、死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィ!!!」

 そして苦痛と殺意に塗れた声で吠え、右手を振るうレディ・ベア。
 祈はレディ・ベアから繰り出された右手を、左手で掴み取った。
まるで手を繋ぐように。
その右手は、力こそ込められているものの、苦し紛れに振るわれただけの、技術も何もない一撃。
掴み取るのは容易だった。
 指の骨がめきめきと軋むが、祈は苦笑を浮かべて言うのだった。

「っ、おまえが……意外に優しい奴だってのをあたしは知ってる。
そんなモノがあたしを殺したら、一生後悔しちまうだろ。だから悪いけど、死んでやれねーな」

 祈の体が徐々に光を帯びる。

「なぁ、モノ。おまえと妖怪大統領のことはあたしも考えてやるから、戻って来いよ。
おまえは……あたしの友達なんだ。いねーと困る」

 光がレディ・ベアへと移っていく。
龍脈の力で『運命変転の力』を発現させ、今、祈はレディ・ベアという妖怪の理を捻じ曲げた。
 レディ・ベアという妖怪にはもはや、
呪いや洗脳など、精神を操る類の術は通じない。
いや、『いかなる手段を用いても、その精神の自由を奪うことはできなくなった』。
 これなら、コスチュームがどのような手段でレディ・ベアを支配していたにしても、
コスチュームがフェイクで、実は他に呪いの手段があったとしても関係なくなる。
きっとレディ・ベアは正気を取り戻すに違いない。
 代わりに祈は自分の内側から、『パキン』、と、
何かが割れるような、壊れるような音を聞く。
 『運命変転の力』は、代償なしの便利な力ではない。
祈の未来や可能性を分け与えるようなもので、
今までにも多くの者の運命を変えてきた祈だからこそ、残された未来や可能性は残り少ない。
 あと数回、誰かの運命を変えてしまえば、祈の命運は尽きるだろう。
その貴重な一回をレディ・ベアの救出に使ったのである。

(必ず助けるって、あの夜に約束したからな)

 レディ・ベアは先程、苦痛で動きが鈍っており、祈はその右手を封じていた形だった。
そのまま全力の蹴りを頭や首にでもかませば、
意識を刈り取るなり、倒すなり、殺すこともできたのかもしれない。
 三度訪れた必殺のチャンスを、また祈は不意にしたといえる。
祈はレディ・ベアという友達を、ついに蹴り飛ばすことはしなかった。
何度でもきっと、必殺の瞬間を祈は逃していくのだろう。

 赤マントの思惑がどうあれ、
それを超えていく覚悟を持って運命変転の力を使った祈だが、果たして――。

132御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:17:40
「接近戦は管轄外ゆえあまり近づいてくれるな! トランスフォーム――アロー!」

深雪は地面を氷上のように滑走し、ネフィリムの炎の剣を間一髪で避けつつ距離を取っては氷の矢を放つ。
一本一本が並みの妖怪ならば即氷塊と化す威力だが、全てコカベルに到達する前に蒸発して消えた。
汗が滝のように流れる額を腕で乱暴にぬぐい、呟く。

「全く、熱血キャラじゃあるまいし汗水流して戦ったらキャラ崩壊起こすではないか……!」

汗ではなく、普通に溶けているのだ。
無論、ノエルはお湯に入ったら溶ける程に古典に忠実な仕様ではない。
どころか、炎は弱点属性ではあるが、それでも絶対値で比べれば人間はもちろんそこらの妖怪よりも耐性は強いぐらいかもしれない。
炎の剣が直撃すれば死ぬのは確実だと思われるが、当たらずとも近づいただけで元災厄の魔物たる深雪を溶かすほどの威力があるのだ。
あと少しで詰み――という時、コカベルはネフィリムを救うために突然深雪の前から離脱。首の皮一枚つながった。

「なんか知らぬが助かった……!」

>「大丈夫?ケガはない?
 いい子、いい子だね……後でおいしいチョコレートをあげようね。キャンディも……。ママと一緒に食べよう。
 だから――ママがノエルちゃんを斃すまで、危ないから下がって見ておいで。ね?」

神話で言うところの子どもというのは往々にして一般の親子関係とは違う概念だったりするが、
コカベルはネフィリム達のことを通常の親子関係と同じように――もしかしたらそれ以上に慈しんでいるらしい。
が、これは手段を選んでいる場合ではない死闘。
うっかり攻撃を躊躇ってしまうほど絵的にハマっているわけでもなく、それどころか異様な光景。
隙だらけで攻撃のチャンスだ。しかし、深雪は攻撃するのを躊躇ってしまった。

――きっちゃん大丈夫!?
――栗をたくさん拾ったから一緒に食べよう!

ノエルには無論子どもにあたる存在はいないが、昔のきっちゃんと自分に重ねてしまったのだった。
ビジュアル的には似ても似つかない光景にも拘わらず、小さな子狐を抱いて撫でるかつての自分の姿を重ねて見てしまった。
ノエルが攻撃を躊躇っている間に、コカベルは自らの境遇を語り始めた。

>「……神は言った。
 この、私が泥をこねて作った『人間』を愛し、慈しみ、守ってやりなさいと」

「そうなんだ……最初から人間を守る使命を持って生まれるってどんな感じなんだろう。
想像がつかないや。……僕は人類の敵として生を受けたから」

ノエルの姿に戻っているのは、臨戦態勢を解いてしまっているということだ。
会話に乗ってしまっている時点で、ノエルはベリアルの策にまんまと嵌ったのかもしれない。
敢えて少し似たところのある境遇の接待役をぶつけ、刃を鈍らせる作戦だったのだろうか。

133御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:20:26
>「シェムハザは、こんな泥人形なんて愛せるかって反発したけれど。
 アタシは違った。人間……このちっぽけで、弱くて、愚かな存在を……アタシはすぐに気に入った。好きになった。
 だから、愛した。全身全霊で愛し、慈しみ、守ってやった。アタシの持つすべての叡智を与えた。
 人間たちがもっともっと幸せになるように。安らげるように。愛されるように。
 そして――」

コカベルは人間を愛するあまり、一線を越えてしまった。
それが神にとっては、許されざる大罪だった。

>「アタシはやれと言われたことをやっただけ。
 それなのに、いつの間にか大罪を犯した堕天使なんて呼ばれてる。
 じゃあ、アタシはどうすればよかったの?シェムハザみたいに拒否すればよかった?ルシファーみたいに反旗を翻せばよかった?
 そんなことできない。アタシはただ、大好きな人たちを守りたいだけ。
 大好きな仲間たちに、仲間たちが作った子供たちに、幸せになってもらいたいだけ……」

「僕はきっと、やらなきゃいけなかったことを拒否したんだ。
役目を放棄した僕が何の罰も受けないのに任務に忠実だった君がそんな仕打ちを受けるなんて……理不尽な世界だね」

>「ネフィリム達は壊すことしかできない。でも、分別を持たない赤ん坊のしたことを誰が怒れるって言うの?
 あの子たちは外に出れば迫害されるさだめ。けれどコカベルパークがあれば、あのコたちを守ってやれる。
 兄様が仲間を作らない?搾取する対象としか見ていない?
 最初から分かってるよ。兄様の手口なんて2000年前から知ってる。でもね――
 そんな空手形に縋らなくちゃならないくらい、アタシ達を追い詰めたのは……今のこの世界だろ!」

例えば、みゆきにとってのきっちゃんは。ノエルにとっての橘音は。
里に降りては悪さを働く厄介者であろうと、人間を虐殺した大悪魔であろうと――
そんなことは関係なく、親愛なる友なのだ。
「そいつは人に仇名す大悪魔だから死んでもらう」なんて言われても到底大人しく受け入れはしないだろう。
コカベルも、愛する者達を守りたい一心で、藁にも縋る想いでベリアルに従っている。
なんという崇高な愛だろう。

「その通り――この世界では崇高な献身の精神で自分の身を捧げても誰も幸せになれないんだ」

ノエルは悲しげに微笑んだ。

「逃げるが勝ち。正直者が馬鹿を見る。勝てば官軍――ここはそんな世界だ。
昔、親友に善行を勧めたばっかりに我が身を危険に晒した親友は殺された。
僕に無償の愛を注いだ姉はその愛の大きさゆえに破滅した」

ノエルは顔を上げてコカベルを真っすぐに見据えた。

「だから。愛ゆえに誰かが死ぬのはもう嫌なんだ。
特に誰も幸せにならない道に突き進もうとしてる奴は――見ていられない」

ダイヤモンドダストの輝きをまとい、ノエルの姿が塗り替わっていく。
分断によって発動不可能と思われていた第五人格発現のエフェクト――

「君を力尽くで止めさせてもらう。拒否権は無いッ!!
強引? 傲慢? 当然だ――だって私は、生まれながらの王なんだもの!」

134御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:22:18
いつも捨て身で突撃しがちな仲間達を心配する側だったのも、修行で護りの力を得たのも――
全ては慈愛などという崇高なものではなく、過去のトラウマのため。
だからこそ、揺らがない。そもそも相手のためではないのだから、相手に拒否権は無い。
誰かの犠牲で実際に救われる者がいる状況で、その献身を是とするかはまた別の話になるが、ベリアルが絡んでいる時点で今回は違う。
正確には本当に今回もそうかは誰にも分からないが、ベリアルの計画に直接間接に組み込まれた者の多くが死の末路を辿っており、
少なくともノエルはそう思うに十分な事例を今までにたくさん見てきている。

「姉上と同じ道は辿らせない。必ずベリアルの魔手から君を救う――」

静かな、しかし有無を言わさぬ口調で、冷徹に冷酷に言い放つ。
護る対象がその場にいること――今ここに、成立不能と思われていた条件が成立した。
無色透明に煌く氷のスケートブーツに、雪の結晶に縁どられた透き通るローブ。
手にはあらゆる害意を阻むための傘。
万象を凍てつかせ万物を停止させる氷雪の王者が顕現する。
見るからに迫力のある深雪と比べ一見ポップな外見だが、その身に宿す妖力は段違いだ。
”一番強い形態は一見あんまり強そうに見えない法則”を地で行っているのだった。
不意に、コカベルは問いかけた。

>「ノエルちゃんは、神子のことが好き?」

「な!? 好きか嫌いかならそりゃまあ……じゃなくていきなり何聞くの!?」

突然の質問にあからさまに狼狽える御幸。いきなりキャラ崩壊を起こした。

>「いいと思うよ、人は誰を好きになったっていいんだ。慈しんで、愛して、守って……言葉で、行動で、好きだって示せばいい。
 でもね……この世界ではそれを『罪』って言うらしいよ。アハハハハ……笑えるじゃん?
 それがどれだけ純粋で、透明で、無垢なものだったとしても。
 神はそれを穢れていると言った!それを是とするのが、今のこの世界だ!!」

「好きかは脇に置いとくとして神子に仕えるのは別に好きだからじゃない――
神子が破滅しない根拠、教えてあげようか――私が”憑いてる”からだ!
一緒に仲良く破滅なんて真っ平ごめんだ! 仕える振りをして利用しようとしているだけなのさ!」

御幸は、人類の敵だった頃の深雪のような魔物の笑みを浮かべた。
しかし、一瞬前の狼狽をなんとか取り繕って無かったことにしようとしているようにも見える。

「神子はきっと世界を変えたいなんて大それた事は思っていないんだ。本当は――世界を変えたいのは私の方。
だからこそ……絶対破滅なんかさせない。幸せにしてみせる」

純粋な愛は、相手が破滅の道を選んだら共にその道を突き進んでしまいかねない危うさがある。
が、自己の目的のためという打算があれば、そうはならない。
そして、たとえ利用するのが目的でも、結果的に相手にも利があるなら誰も不幸にはならない。
祈に一方的に誓った、いついかなる時でも味方、という約束に反することもない。

「ああそっか、私は役目を放棄してなんていなかったんだ……」

135御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:23:32
災厄の魔物の存在意義が大局的な世界の存続なのだとすれば。ノエルは何ら役目を放棄してなどいない。
人間と敵対して牽制する戦略から、人間界に潜り込み暗躍する――
具体的には運命変転の力を持つ龍脈の神子に取り入るというより狡猾な戦略へとシフトしただけ。
宿命から逃れた気がしていたノエルだが、地球の意思か、あるいは人間の集合無意識か――
災厄の魔物の上位存在なるものが存在するとすれば、全てはその手のひらの上だったのだろうか。

「力を持って生まれて本当に良かった……。
おかげでみんなと一緒に戦えてずっと祈ちゃんの味方でいられる……」

御幸は全てが繋がったような、どこか安堵したような笑みを浮かべた。

>「アタシはこの世界をブッ壊す。すべての構造物を、文化を、概念を、常識とされるものを、根こそぎ灰燼と化す。
 そして――新たに打ち立てよう。ネフィリム達が無邪気に暮らせる世界を。愛することが罪にならない世界を。
 アタシは……アタシの愛で!
 世界を!!
 変える!!!」

圧倒的な熱量を持つコカベルの宣言に、御幸はどこまでも涼やかに応えた。

「じゃあ、私は打算で世界を守ろう。
そこにどんなに純粋な想いがあっても。力尽くで奪い取ったものはいつか必ず奪い返されるんだ――
歴代神子の失策はきっと、急に変えようとしたこと。変わってる事に気付かれないぐらいゆっくりがちょうどいい。
幸い人間とは違って時間はたくさんあるからね」

運命変転の力とは、自らの命運を対価に捧げ使う悲劇的なものだけではないと、ノエルは信じている。
自分を犠牲にせずとも、存在するだけで、少しずつ世界を変えていけると。
だからこそ、世界を変えようなんて思っていない位で丁度いい。急に変えようとして早々に破滅してもらっては困る。
全てを破壊してからの創造と、今の世界を維持した上での長大な時間をかけての漸進的な進歩。
もしかしたら、最終的に望む世界は同じなのかもしれない。が、そこに至る手段が真っ向から対立していた。
平行線は確定、戦いで決着をつけるしかない。

>「いくよ……ノエルちゃん。
 アタシの奥義、受けて蒸発するといい。
 冷気の上限はマイナス273.15℃、でも炎の温度に理論上上限は存在しない!
 つまり……アタシに戦いを挑んだ時点で!ノエルちゃんは『詰み』だったんだよ!
 さあ――受けよ!創世記戦争でウリエルの左腕を斬り落とした、アタシの必殺剣――!」

万象を焼き尽くす業火の剣を掲げるコカベル。
対する御幸は、科学では決して作り得ないオーロラのような妖氷の生地持つ傘を居合のように身構える。

136御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:24:35
>「『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』!!!!」

「輝く神の前に立つ楯《シールド・オブ・スヴェル》!!」

雪の女王の槍を退けたのと同じ技でシールドを展開する。
万象を凍てつかせ停止させる氷雪の力は、攻撃的なイメージが強いが、元より護りの力とも親和性が高いものだ。
急激な変革はいつだって破壊を伴い、護るとは現状を維持し急激な変化を拒むことでもあるのだから。
ついに万象を焼き尽くす炎の奔流と全ての害意を阻む氷の壁が激突する。
一瞬でも気を抜いたら今度こそ消し飛んで死ぬ。
極限の状況の中で、御幸は自分を鼓舞するように蘊蓄を垂れていた。

「高温にも”絶対熱”っていう上限があると聞いたことがある。
何度かは忘れたしこの炎が何度かも知らないけど上限が無いと思うということはつまり……
上限までは遠く到達していないということだ! ならば下限に到達しているこちらに利がある!
何故なら絶対零度と絶対熱! 日本語的にいかにも対になりそうだからッ!!」

確かに、14溝2000穰℃――”絶対熱”と呼ばれる高温の上限は存在すると考えられているらしい。
が、“理論上”の上限はないという話に”実際上”の上限を持ち出して対抗し、
更に日本語的に上限まで達して初めて下限に釣り合うはずというガバガバ理論である。

「そんな気がする……多分きっとそうだ……そうに違いない!!」

ガバガバ理論を気合で押し通そうとしていた。
永遠とも思える暫しの時が流れ、焔の奔流が収まったとき……御幸はまだ立っていた。
多分ガバガバ理論が功を奏したわけではないと思われるが、
コカベルの焔が温度に換算してセ氏数万度――太陽のプロミネンスと同程度なら、元より防ぎきれても不思議はない。
技名に冠するスヴェルとは、北欧神話における、燃え盛る太陽の炎から大地を守る盾なのだから。

137御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:25:07
「さあ、おねんねの時間だ―― 一撃で終わらせる!」

相手の大技を凌ぎ切ったとはいえ、ここからが正念場だ。長期戦に持ち込まれてはベリアルの思う壺。
ただでさえ消耗した状態から攻撃に転じ速やかに勝利に持ち込まなければならない。
しかも、ただ勝利すればいいというわけではない。
護る対象をコカベルとすることで力を発現させた以上、生かしたまま勝利しなければならない。
相手の息の根を止めるより生かしたまま勝利する方がずっと難しく、その上ノエルが修行で得た力は、防御に特化している。
――ゆえに、一撃に全てを賭けると決めた。

「眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》」

コカベルを凄まじい冷気が包み込む。極限まで冷たいが痛くはない不思議な冷気――
一見相手を氷漬けにして倒す氷雪使いの王道技に見えるが、コカベルは意外に思うかもしれない。
攻撃用らしき妖術を行っている割に、攻撃する意思のようなものが一切感じられないことに。
それもそのはず、実は攻撃用では無い。その効果は、一言で言えば絶対防御+冷凍睡眠。
瞬時に対象を氷漬けにすることで術者が解くまで、そのままの状態を維持するというもの。
その間は全ての外部からの攻撃を阻み、どんな瀕死の重傷を負っていても状態が悪化することはない。
敵の攻勢ターンにおいて味方にかけることで苛烈な攻撃を凌がせたり、あるいは重傷を負った仲間を生き長らえさせるための防御もしくは救命用の技。
御幸の能力は”死なせないこと”に特化している――それが味方であれ、対戦相手であれ。
しかし、本来味方にかける相手の抵抗を想定していない術を、敵にかけてかかるかどうかは賭けだった。
数瞬の後、コカベルが足元から凍り始める。

「もしも万が一次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら……子ども達と共に早く奴の元から離れるんだ――
何度でも言うよ、奴は願いを叶えてなんてくれない」

凍りつつあるコカベルに、駄目押しとばかりに語りかける。
“次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら”とは、自分達が負けた時のことを暗に示していた。
無論、決して負けるつもりはない。
備えあれば憂いなし――逆説的だが、負けた場合に備えておくのは、勝つためのおまじないのようなものだ。

「でもきっとそうはならない。
君が何と言おうと私は行くよ――いつか必ず……一緒に遊ぼうね。
いつか全ての哀しみが癒された世界で。愛することが罪じゃなくなった世界で。
だから今は。少しだけ、おやすみ――」

138尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:13:47

アラストールに対し尾弐が繰り出した卑怯卑劣の戦術。
苦痛と退屈と嫌悪に悪鬼の膂力を加算し、死への嗅覚である『見切り』の技を乗算した嗜虐は、並大抵の敵では振り解く事は叶わない。
尾弐に攻撃は当たらず、逆に尾弐からは致命に至らない激痛を与えられ続ける。
猫が鼠を嬲るように、或いは人が人を嬲るように。
的確に心と肉体を折って行く蟻地獄のような戦法は、ある意味では必勝の型とも呼べるだろう。

――――最もそれは、相手が並の存在であればの話だが。

>「ツァッ!!」
「くっ!!?」

尾弐が足元の石に僅かに体勢を崩した。
ただそれだけ。コンマ1秒にも満たぬ隙。
しかし、百戦錬磨の魔神、闘争の権化たるアラストールは、その刹那を以って尾弐が息を切らしながら作り上げた盤面を破壊する。
尾弐の服を片手で掴み、その巨躯を軽々と投げ飛ばしてみせたのである。

>「いじましい闘いをするではないか。
>だが、貴様にも分かっているはずだ。そんな攻撃では、万年経っても我を斃すことはできん……とな」
「……さぁて、オジサンには何の事だかさっぱりだな」

呼吸を乱しつつ着地した尾弐は、己が目的に至る為にアラストールの言葉にシラを切って見せる。しかし

>「貴様の狙いは分かっておるぞ。吾を怒らせ、一度の隙を窺っておるのだろうが?
>あぁ隠すな隠すな、皆まで言わずとも全部承知しておるわ!貴様は隠そうとしておるようだが。
>貴様の瞳が、筋肉が、血の流れが、骨の軋みが。我に教えてきおる――
>貴様がもっと大きなオモチャを持っとるとな」

「は……そんなナリして随分と繊細じゃねぇか。学者センセイにでも転職したらどうだ?」

アラストールは、その莫大な戦闘経験を以って尾弐の狙いを看破していた。
視線や肉の動きから相手の行動目的をも看破する――――言葉にすれば簡単だが、それは実に困難な業だ。
例えば、尾弐黒雄は天邪鬼との修練の果てに相手の殺意を感じ取る力と瞬時の行動予測を手にしたが、それはあくまで局面を打開する為の技術に過ぎない。
迫る死を切り抜ける事は叶うが、そこから敵の真意にまで至る事は不可能である。

数多の実戦を経験し、尚且つ勝利を飽食してきたアラストールにしか辿り着けぬ領域。

己を幾段も凌駕する強者の技巧を前にして、尾弐は小さく舌打ちをする。
仕方なしにそのまま戦略の組み直しを考えようとし……けれど、次にアラストールが口にした言葉がそれを中断させた。

>「我を失望させるなと言ったはずだぞ、尾弐黒雄。
>そんな下らん布石を打ってオモチャを見せるタイミングを計らずとも、開帳の場なら呉れてやるわ!」

>「十打!!
>これから、このアラストール全力の拳十打を放つ!
>尾弐黒雄よ、貴様が我が本気の剛拳九打に耐え切ったならば、最終の十打目に奥義を放ってやろう!
>貴様がオモチャを見せるとすれば、その瞬間の他はあるまい!」

「……あ?」

尾弐が必殺の一撃を、自身の命に届く可能性のある刃を隠している。
それを認識したうえでアラストールは、受けて立つとそう言って見せたのだ。
それは即ち――――尾弐がどんな手を隠していても勝てるという自信の現れに他ならない。

「ああ、成程。成程な……お前さんは『そういう』奴か。それなら、オジサンはお言葉に甘えさせて貰うとするかね」

ある意味では嘲弄とも取れる言葉を受けた尾弐は、頭を掻いてから右手を前に出して構えを取る。
大きく息を吐き、集中を増す。

>「尤も……我の全力、三合凌いだ者は未だかつて存在せんがな!
>――ファイナルラウンドだ!!!」

「そうさな。それじゃあ最後に泥靴で初雪踏んで――――八寒地獄へ堕としてやるよ!!」

闘神の剛拳が空を裂き、悪鬼の踏み込みが地を鳴らす。
此処に僅か十打の、最も死に近き十打の死闘が始まる。

139尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:14:35
第壱打。放たれたのは雷が如き一撃。
あらゆる堅牢を砕く破砕の右拳を、上体を逸らし、同時にアラストールの右肘を左手で押し上げる事で回避する。

第弐打。壱打目を布石とした左肘による奇襲。
人体では取り分け頑強である部位を用いたその弐打は、右腕を押し上げる為に使用した自身の左腕の肘と左膝で挟み込む事によってかろうじで威力を殺した。

第参打。あばらを狙い放たれる、純粋な威力で防御を食い破る恐るべき脚撃。
受ける事は早々に諦め、先程挟み込んだ左肘を左手で掴み直して、そこを軸としてそのまま腕の力だけで鉄棒の要領でアラストールの頭上を飛び越え背後に回りこまんとする。

第肆打。即座に繰り出される追い打ちは着地を見定めた下方からのフック。
崩れた体勢での回避を困難と判断。体重を乗せた踵落としをフックに克ち当てるが、威力に巻けて宙返りの様に壱回転をして着地。

第伍打。勢いのままに放たれるのは、側頭部を狙う左のハイキック。
とっさに後方へ飛び射程から逃れるが、完璧には回避しきれずに左の額が切れ、流れ出た血液が目に入る。

第陸打。猛攻の中に仕掛けられた毒。搦め手の足払い。
強大な威力だが、反面対応出来ない速度では無かった筈の一撃。しかし、左眼に流れ込んだ血液に視界を奪われ足の先が跳躍した爪先を掠める。

第漆打。双掌打による急襲。布石の結実。
中空で、尚且つ体制を崩した状態では回避しきれず、やむを得ず腕を交差させて受けることで打撃力の減衰を試みる。

第捌打。追撃の右拳。顔面を捕える一撃は、受ければ脳ごと爆散するであろう。
双掌打が十全であれば致命に届き得た一撃だが、先に食い千切った左手の肉の分だけ威力が減衰し、その分反応の余地があった。
頭だけを動かし、紙一重で回避をする――――ぞぶりと、首の肉の一部が削ぎ落された。

第玖打。追い詰めた獲物を確実に仕留める為の右の回し蹴り
反射的に左腕を盾にするが、勢いは止まらず――――尾弐の左腕が、壊れた。

致死、必殺、致命、確殺
全てが規格外の威力を誇る絶死の連打は、確実に尾弐を追い詰めた。

140尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:15:48
「――――っは!随分と温ぃじゃねぇかよ!そんなんじゃあ蚊も殺せねぇぞ!?」

されど、尾弐黒雄は未だ此処に在り。
襲い来る死の猛撃を経て、闘志は僅かも衰えず。
そんな尾弐を前にしてアラストールは喜色を浮かべる。

>「ゴッハハハハハハハーァ!!いいぞ!いいぞ!尾弐黒雄ォ!!!
>三合どころか、我の言いつけ通りに九打を凌ぎ切ったか!
>ならば約束は守らねばならんな!
>篤と見よ!これが闘神アラストールの奥義――その真髄よ!!!」

そして、己が言の葉を守る為に、歴戦の古兵……伝説とも呼べる強者はその最強を披露せんとする。
これまでの猛攻が児戯であるかの如き闘気を濃縮させアラストールが生み出すのは――――数多の『腕』。

妖気や霊気と異なり、本来闘気というものは具象化に向かない。
それは闘気の性質が内面へと向かう物であるが故の事。
身体能力の補助や強化、抵抗力の増大には破格の適性を誇るが、逆に体外への発露については難易度が跳ね上がるのである。
しかし――――だからこそ。
世界を己の延長と捕え、イドを以って浸食し、闘気の具象化を果たすことが出来れば――その力は他の素養を凌駕する。
なぜならばそれは、世界の一部を我が身として隷属させる事に等しいからだ。

規格外の暴力。超常の制圧。それを向けられた尾弐の精神は恐怖を覚える。
視界を埋め尽くす死色の鎖の幻視に、生存本能が撤退を叫ぶ。

>「ゆくぞ!我が奥義――貴様の一番のオモチャで!凌駕してみせろォォォォォォォォォォ!!!!」
>「『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』!!!!!!!!!」

そんな凍り付く様な恐怖に精神を侵されながら――――尾弐は、一歩前に踏み出した
勝利の為に、未来の為に、愛する女の為に。
眼前の強者を屠る為に、これまでの戦いで得た技巧の全てを集約する。

「――――奥義『暗鬼(あんき)』ッ!!!!」

言葉と共に、尾弐の右の指……その先端が、黒い霞を纏った。
そして、尾弐は眼前の無数の腕に向かい薙ぎ払う様に右手を振るい―――――直後、アラストールの闘気の腕が『弾かれた』。
数千、数万という猛打は、強大な妖怪をも容易く塵へと変えるだろう。
されど、されどただ一人の悪鬼――尾弐黒雄に届かない。

尾弐黒雄は、いつだって挑戦者だ。
八尺様、コトリバコ、猿夢、姦姦蛇螺、雪妖クリス、狼王ロボ、聖騎士ローラン、数多の天魔、酒呑童子
東京ブリーチャーズとして挑んだ敵達は、悪鬼である己よりもなお強く、幾多の敗北も重ねてきた。
闘いとは血に塗れた苦しいもので、アラストールの様に強者として戦いを楽しむ事など一度たりともできなかった。
だがそれでも……敗北を味わい、泥に塗れようと、尾弐黒雄は未だ生きている。生きようとしている。

141尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:16:28
「おおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

必殺である筈の闘気の拳が尾弐に届かない理由を、歴戦の強者たるアラストールは僅かの間で見切るだろう。
その理由とは2つ。
1つは、尾弐が人型の妖怪であるという事。
西洋の強大な妖怪は基本的に巨体を誇る。故に、アラストールの無数の拳の前では為す術なく倒れざるを得ない。
だが尾弐は違う。巨躯といえどそれは人間の範囲内のもの。故に、幾ら腕が多かろうと一度に攻撃できる拳の数は限られてしまうのだ。
だからこそ、千の腕を相手に尾弐は対応仕切れているのである。

そしてもう一つの理由は、尾弐が右手の指先に纏う黒い霞。
幾ら攻撃の範囲が限られていようと、闘気の拳に触れて無事で済む筈が無い。莫大なエネルギーは触れるだけで尾弐の身を砕く筈なのだから。
そうならないのは、尾弐がその指に纏う黒い霞が尾弐の肉体を守っているが故の事。
特異な効果を齎すその黒い霞の正体……それは、凝縮された尾弐の闘気である。
そう。アラストールが闘気を拡散し無数の手としたのとは逆に、尾弐は、己が闘気を指先のみに集中させたのだ。
尾弐とて悪鬼としては至上に近い妖怪だ。極所集中した闘気であれば、アラストールの闘気に対抗できる。
そして、その闘気を集中させた指を用いて発勁を使用する事で、アラストールの闘気の拳を瞬間的に凌駕。薙ぎ、弾いているのである。

無論、何の代償もなく行える技ではない。
闘気を壱ヶ所に集めたという事は、それ以外の部分についての防御を捨てたという事。
仮に指先以外の部位でアラストール拳を受ければ、その部位は血霧となって消し飛ぶ事だろう。
とてもぶつけ本番で行える芸当では無い。

しかし、尾弐は知っている。
八尺様や、夢で対峙した那須野橘音が用いた無数を武器とする攻撃を。
狼王やローランが用いた、一撃が死を齎す受けられない破壊の一撃を。
それら全てを集約したかのような酒呑童子――――天邪鬼と無数の悪鬼共との修練を。

それらを経ているからこそ、アラストールの無数と必殺に対峙出来るのである。

そして。アラストールが闘気の拳による猛撃から肉体の拳に移ろうとしたその瞬間、その瞬間に尾弐黒雄は動いた。
体を捻る事で最後の闘気の拳を躱し、巌が如きアラストールの肉薄し

「奥義・弐『偽針(ぎしん)』――――!!」

黒き霞を纏う右手が、大地に砂煙を巻き上げる程の発勁を伴いアラストールの鳩尾に突き刺さったのである。
凝縮された手刀は、まるで鋭利な針が如くアラストールの皮膚を穿ち、その心臓を抉らんとする。
その威力は、まさしく必殺だ。例え嘗て戦った姦姦蛇螺の防御であろうと打ち破る事だろう。


しかし

「……全力でも、届かねぇのかよ。クソが」

尾弐黒雄の全身全霊。自身が放ち得る最強の一撃は、アラストールの肉体に突き刺さり――――しかしその心臓にまでは届かなかった。
心臓の僅かにその手前で、尾弐の右手はアラストールの筋肉の収束により止められてしまったのである。
その存在強度。その強靭な肉体。
これが闘神だ。尾弐黒雄の全力の一撃でさえも、闘神アラストールは受けきったのである。

そしてこうなれば、残るのは身動きが取れぬ悪鬼が一匹在るのみ。
尾弐が攻撃を行った僅かな間で、既にアラストールの双拳は放たれている。
これでは、もはや間に合わない。




そう、例えアラストールが攻撃を止めようとしても、もう遅い。

142尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:17:33
闘神よ。
最強、無双、無敵。そんな二つ名を欲しいがままにし、闘争と勝利を積み重ねて来た強者よ。
お前は強い。だからこそ、尾弐に勝利したと信じただろう。
尾弐が個人で放ちうる最強の一打を放ち、それを打ち破った瞬間。自身の勝利が揺るぎ無いものになったと経験から判断した事だろう。
何故なら、今の尾弐の姿はこれまで打ち倒してきた者達と全く同じなのだから。

そして
最強、無敵、無双の勝者であるからこそ、間違える。

お前が眼前に立つ悪鬼は、常に己より強大な相手と戦ってきた者だ。
時に挫かれ、時に打ちのめされ、時に砕かれ。
現実と夢幻の中で、お前が重ねてきた勝利よりも遥かに多くの死と敗北を重ねた者なのだ。
負け戦において、闘神が遥かに及ばぬ経験値を持つ者であるが故に

強者に勝利を確信させるなど、容易くやってみせる。

知るが良い。世界には負けて尚その先に歩まんとする者が居る事を。
生きる為に折れずに進もうとする者の強かさを。

アラストールの双拳。
最強無双の拳が尾弐に直撃し……荒れ狂うその力が尾弐の体内を巡り、還る。
勝利する為では無い。死なない為、生きる為の技。
武力ではない。武道としての技の極致。名も無き技に、今こそ名を付けよう。


「――――秘奥『黒尾(こくび)』」


直後、アラストールに突き刺されていた尾弐の右手。
その手から『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』が還された。
神すら葬る技の破砕は、アラストールの臓腑を掻き見出し破砕していく。

そして、全ての破壊を還した尾弐はアラストールの肉体から右手を引き抜くと、背中を向けて静かに告げる。

「……お前さんは恐ろしい程強かったよ。俺なんざよりも遥かに強かった。けどな」
「テメェの為だけに暴れる奴が、惚れた女の為に戦う俺に勝てる訳ねぇだろうが」


そうして、何歩か進み――――どさりと倒れた。


「……」
「あー……ダメだ。力が入らねェ。くそ、若ぇ奴らみてぇに格好つけられねぇなぁ」
「あと、この空間の出口何処だ……敵は倒したが閉じ込められましたじゃ洒落にならねぇぞ……」

さしもの尾弐も、闘神との死闘は過酷であった。
気力体力を大きく消耗し、砂に埋まった尾弐は、苦虫を噛み潰した様な表情で曇り空を見上げるのであった。

143ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:45:47
爪を濡らす血を振り払い、ポチはアザゼルを振り返る。
状況は悪くない。『獣』の眼には、アザゼルの動きがしかと視えている。
音速を超える突進に入る直前の、極めて微細な予備動作が。

そして視認さえ出来ていれば、獣の本能が機能する。
ポチ自身も意識的には注目出来ないほど微細な、重心移動や、視線の動きに。

反応出来る。対応出来る。そして――殺せる。
ならば残る問題は、アザゼルの命を削り切れるかどうか。
だが、それも――持久戦は、狼の本領。
勝てる。殺し切れる。ポチは俺の戦いに勝機を見出しつつあった。

>《善かろう。事ここに至り、余も覚悟が定まった。

けれども――ポチが狼の王であるように、アザゼルもまた、神代より生きる山羊の王。
ポチが見出した勝ち筋を、彼が見落とすはずもない。

>ならば、此れは我が一族と汝の一族の存亡を懸けた戦いであろう。

故に、戦況が動く。しかし、どう動くか――ポチは考える。
獣の本能は、至高の時間を省いて最適な動きを与えてくれる。
だが、このアザゼルとの戦いは――それでもなお、遅い。
思考で先んじ、更に獣の本能に身を任せ、それでやっと渡り合える。

>次なる一撃によって、汝を完全に撃砕する。

しかし――それも、これまでは、でしかない。
アザゼルにはまだ『先』があった。
雷を操り、その巨体を音よりも疾く動かす――それよりも、更に先が。

>我が一族の未来を、この終幕の奥義に託そう》

アザゼルが吼える。彼の同胞たちがそれに呼応する。
そして――闘技場を埋め尽くしていた山羊の群れが、眩く燃え上がった。
もっとも、肉の焼け焦げるにおいはしない。実際に燃えている訳ではない。
ただその体が、生命が、エネルギーへと変化しているのだ。

何が起ころうとしているのか、ポチにはすぐに理解出来た。
アザゼルは雷を身に纏い、そしてそれを妖気へと変換する事で力を得ていた。
それと同じだ。彼は己の同胞の命を纏い――それを力に換えている。

「……すごいな」

その様を目の当たりにしたポチがまず最初に発露した感情は、尊敬だった。
これほどの数の民が、たった一頭の王の為に命を捧げようとしている。
王を信じている。民に信じられている――アザゼルは、今のポチでは及びもつかないほどに、王だった。

ポチが身震いする。膨れ上がる強大極まる力に、全身の毛が逆立つ。

「いつか……僕も、あんたみたいにならないとな」

そして――それでもポチは前を向き続けていた。
未来を、見続けていた。諦めていない。

144ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:47:26
アザゼルは数千の命を力と換え、その肉体さえもが更なる変貌を遂げつつある。
それほどの力を、ポチが振り絞る事は出来ない。
己の帰りを待つシロの事を想っても――そんな、気持ちや、覚悟なんてものでは覆せない力の差がある。

だとしても、それはポチの諦める理由にはならなかった。
例え己が全身全霊の力を振り絞って、それでもアザゼルに勝てないとしても。
それで、ポチが帰らなくてもいい事にはならない。

「……『獣』」

故に、ポチは『獣』を呼んだ。
災厄の魔物――かつて人々が抱いた獣への恐怖を。
或いは――この現代で、滅びてしまうかもしれない獣たちに人間が抱く、恐怖の象徴を。

ポチは、今や『獣』と完全に一体化している。
ならば、出来るはずなのだ。

「――『全部』だ。全部、僕に貸せ」

人類に刻まれた獣への恐怖を、その全てを己の力として引き出す事が。

瞬間、ポチの全身から赤黒い、血と肉が溢れた。
それらは渦を巻きながら、ポチの体表を包み込むように流動。

そして――甲冑を模った。
深紅の、全身に牙の如き杭が散りばめられた――しかし欠損だらけの、燻るように燃える甲冑だった。
最早、人間の遠く及ばぬ暴力の象徴ではなくなってしまった、『獣』の力の顕現。

それは、威容という一点において、アザゼルに遠く及ばなかった。
今やポチの十倍以上に巨大化した肉体。無数に枝分かれした、大樹の如き角。纏う稲妻。
それらに比べれば、欠けた、燻るだけの鎧は、どうしても頼りなく見える。
無論、ポチが今更『獣(ベート)』の力を疑う事などない。

「……なあ、もうちょっと見栄えよくで出来なかったのかよ」

それでもポチはあえて、冗談めかしてそう言った。
これが、いつも通りだからだ。
いつも通りに軽口を叩く。そして勝つ――今回もそうなるようにという、願掛けに近い行為だった。

『ふん、ほざくな』

そして、

『かつてはロボもこの鎧を纏い、戦った。それでは不服か?』

その願掛けは、ポチが思っていたよりもずっと大きな効果を発揮した。

「……なんだよ、それ。もっと早く言えよな。かなりイカしてるよ、この鎧」

『獣』の答えに、ポチの口元に笑みが浮かんだ。

145ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:48:18
>《往くぞ、狼王!
  刮目し、驚嘆し、そして絶命せよ!
  此れなるが、我が魂の一撃!我が一族の命運を乗せた、正真の最終奥義なり!
  受けよ―――――》

そして――最後の攻防が始まった。
アザゼルが繰り出すのは、これまでと何も変わらない、ただの突進。

>《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

今や巨岩と見紛うほどの巨体が弾丸のように鋭く動き、
迸る雷霆によって後背の全てを破壊しながら、
大樹の如き角が迫りくるだけの、ただの突進。

逃げ場などない。防御など出来る訳がない。
迎え撃ち、打ち破る――それ以外に、ポチが生き残れる道はない。

ポチの獣の本能は、その事をはっきりと理解していた。
打ち寄せる黄金の角に、ポチはまるで動じない。
ただ両手で強く拳を固め、重心を落とす。

そして――己の眼前にまで迫った黄金の角。
それを右拳で、渾身の力で殴りつけた。
ぶつかり合う、甲冑の拳部に並ぶ『獣』の牙と、アザゼルの角。

ぴし、と、硬質な物に亀裂の走る音。
ひび割れたのは――アザゼルの角の方だった。
亀裂は瞬く間に広がり、そして角は砕け、黄金の破片が飛散する。

甲冑として凝縮された『獣』の力は、ほんの僅かにだが、アザゼルの力を上回った。

打ち砕いた。だが――それは所詮、無数に分岐した角の、更に枝分かれした末端でしかない。
次の瞬間にはまた次の、黄金の穂先がポチに迫る。
ポチは怯まない。今度は右に大きく身をよじり、左の拳打でそれを迎撃。

「ぐっ……!」

亀裂音、破砕音。飛び散る、黄金の欠片――それと、甲冑の隙間から溢れた鮮血。
『獣』の甲冑が砕けたのではない。正真正銘、ポチが出血しているのだ。

それは、この戦いによって受けた手傷による出血ではない。
それは――かつて、シロとの戦いで負った傷によるもの。
しかし、胸に突き立てられた手刀の傷が開いた――という訳でもない。

あの時、ポチはシロを転ばせておきながら、シロを殺めぬように戦った。
送り狼の悪性が発揮する力のみを引き出し、その殺傷性を強引に封じ込めた。
己の本性を、己の存在を否定した――そして、己の身に『滅び』を招いた。

結果的にシロに負けた事で、ポチの滅びは止まった。
それから『獣』と同化する事で、全身に負った傷も埋まった。

だが、それまでに負った滅びの傷が消えた訳ではなかった。
そして――部分的にとは言え、一度『滅びた』肉体が、そう簡単に癒えるはずもなかった。
むしろ、その傷は生涯癒える事はないのかもしれない。

故に本来、ポチが『獣』の甲冑を纏えるのは、ほんの僅かな時間だけだ。
全身に負った滅びの傷を埋める『獣』を、体外に甲冑として顕現する事は、まさしく自殺行為だからだ。

けれども今、この甲冑を解く事は出来ない。
ポチが全力を振り絞っても、アザゼルには勝てない。
勝つ為には、全力以上の力を、発揮しなくてはならないからだ。

146ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:51:11
『――折れるなよ』

とは言え――『全力を振り絞っても勝てない。全力以上でなければ勝てない』。
決してあり得ない事だが、もしもポチがこの場で、誰かにそう告げられれば。
ポチはそれを、鼻で笑ってのけるだろう。

「へっ……なんだい、それ。もしかして自分に言い聞かせてる?」

『……減らず口を』

全力を振り絞っても、勝てない。
そんな事は――今までだってずっと、そうだった、と。

「う……ぐ……!」

故に、ポチは迷う事も臆する事もない。

「ぐう……!!」

目の前に迫る黄金の波濤を、ただ迎え撃つ。

「グ……グルル……ッ!!!」

右正拳、左鉤突き、右肘打、左膝蹴り、右拳鎚、左揚げ突き――獣の本能に身を委ね、ひたすらに体を動かす。

息を吸う時間などない。肺が破裂しそうなほどに苦しい。
全身が痛い。塞ぐものを失った滅びの傷から溢れた血が、ポチの足元に溜まっていく。
そこまでしても、枝分かれした角の全ての先端を砕く事は出来ない。
幾つかはポチの甲冑を掠め、そしてそれを容易に引き裂き、肉を斬りつける。
それでも拳打を、蹴撃を、放ち続ける。

そして――ポチは気づいていなかった。
いつの間にか、己の足元にあった血溜まりを――――自分が、置き去りにしようとしている事に。

「グガァアアアアアアアアアアアア――――――ッ!!!」

もう何度目かも分からない、ポチの放った右正拳が、アザゼルの角を叩き折る。
そして――山羊の王と、狼の王の、目があった。
終わりの見えなかった黄金の波濤が終わった。

その奥に、アザゼルが見えた。

「ッ……オォオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!!」

瞬間、ポチは地を蹴った。その後方には夥しい量の血の道がある。
一方でアザゼルの、大樹の如き威容を発していた角も、今や根本しか残されていない。
つまり――これが正真正銘の、最後の攻防。

アザゼルは――ただそのまま、踏み込んできた。
既にポチがその巨体を避け切れる距離ではない。
臆さず踏み込めば、ポチは死ぬ――と。

そして――――その直後、アザゼルの視界からポチが消えた。
不在の妖術ではない。満身創痍の今そんなものを使えば、ポチはそのまま消滅してしまう。

「――ありがとう、お母さん」

ポチは、変化の術を解いていた。
四足獣の姿へと戻り、そして姿勢を低く、かつ鋭く――アザゼルの足元に潜り込んだ。
それを可能にしたのは、すねこすりの本能。
本能的な衝動に身を委ねたが故に、その動作は最適かつ最速だった。

「僕の勝ちだ」

瞬間、ポチの牙が、アザゼルの右前足を深く斬り裂いた。
もう、その傷を民に肩代わりさせる事は出来ない。
アザゼルの体勢が崩れる。その突進が秘めた、絶大な運動エネルギー、そのベクトルが乱れる。
そうなれば、もう体勢を立て直す事は出来ない。
転倒し――ポチに浴びせるはずだった威力が、アザゼルの肉体へと、全て跳ね返る事になる。

147ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:51:31
ポチの背後で、凄まじい轟音が響く。
振り返ると――アザゼルはコロッセオの観覧席と外壁を突き破って、更に地面に深い轍を残して、横たわっていた。
ポチがよろよろと、そちらへ向けて歩み寄る。
そうしてアザゼルの傍に辿り着くと――その場で膝を突いた。

ポチは、何も言葉を発しなかった。
口を利く事もままならないほどに消耗していたし――何を言えばいいのかも、分からなかった。

言いたい事はいくらでもあった。
全部ぶち壊しになっちゃったけど、この先、一体どこへ進めばいいんだ。
敵同士ではあったけど、あんたを殺す事になって、すごく残念だ。
あんたの中には、もう誰もいないのか。もし、そうじゃないなら――

だが、そのどれもが、この偉大な山羊の王の最期にかけるべき言葉だとは思えなかった。
故に――ポチはただ、横たわるアザゼルの目を見た。
この王の最期は、彼自身が決めるべきだと。

148那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:00:29
レディベアの繰り出した大振りの右拳を、祈は左の手指を大きく開いて受け止めた。
ギリ、とレディベアが奥歯を噛みしめる。

「ぐ……離せ!離せェェェェェッ!!」

>っ、おまえが……意外に優しい奴だってのをあたしは知ってる。
 そんなモノがあたしを殺したら、一生後悔しちまうだろ。だから悪いけど、死んでやれねーな

ほんの少し前まで目まぐるしく立ち位置を入れ替え、縦横無尽にブリガドーン空間を飛び回っていたふたりが、
束の間すべての動きを止める。
祈の身体から、きらきらと美しい光が粒子のように立ちのぼり、繋いだ手と手を通してレディベアへと伝播してゆく。

>なぁ、モノ。おまえと妖怪大統領のことはあたしも考えてやるから、戻って来いよ。
 おまえは……あたしの友達なんだ。いねーと困る

「わ……わたく、しは……あなたの、ともだ……
 ぐ、ゥ……うああ、ッがああああああああ……ッ!!」

龍脈の神子たる祈が願ったのは、『レディベアの精神を侵すものが、もう二度と現れないように』――。
祈の発した光――運命変転の力に包まれ、レディベアの運命が爆発的に変質してゆく。
しかし。

びゅるるっ!!

運命変転の光がレディベアのボディスーツに触れた途端、そのダイバースーツのようにぴったりと身体にフィットした生地が、
にわかに変質を始めた。
まるで、スーツそれ自体が意思を持った生き物であるかのようにうねり、のたうち、
祈の発した光を侵蝕するように、今度はレディベアと手と繋いだままの祈の手へとその黒い食肢を伸ばしてきたのである。
それはあたかも、運命変転の力を喰らうかのように。
祈がその力を用いるのを、ずっと待っていたかのように。

《ギキキ……》

アメーバめいて蠢くタール状の粘液が、かすかに軋むような声を上げる。
運命変転の力がレディベアのさだめを書き換え終わるまで、祈はレディベアの手を離すことはできない。
これこそが、ベリアルの目論んでいた策だったのだろうか?
祈にレディベアをぶつければ、祈はレディベアを助けざるを得ない。
当然、運命変転の能力を使うだろう。祈が龍脈の力を使用した瞬間、スーツが祈を侵蝕しその肉体を乗っ取る――。
レディベアの着ているボディスーツは、ただのボディスーツではなかった。否、そもそも衣類ですらなかった。
これはきっとベリアルが用意した、ゲル状の肉体を持つ何らかの魔物なのだろう。
レディベアではなく、祈を支配することを目的として遣わされた刺客。

となれば、もはやボディスーツにはレディベアに取り憑いている理由がない。
バシュン!という弾けるような音と共に一瞬でレディベアから離脱すると、ゲル状に変化したスーツは祈の侵蝕を始めた。
祈の腕を伝い、不定形の触腕が瞬く間に右の頬まで達する。
先程のレディベアと同じように、祈の頬に血管のような模様が走る。
力ずくで剥ぎ取ろうとしても、ゼリー状のスーツはまったく離れない。剥いだそばから纏わりつき、際限なくへばりついてくる。
このままでは、祈もレディベアのように身体を乗っ取られてしまう――と、思ったが。

ばぢんっ!!

《ビギィッ!》

祈の身体から溢れる光が、闇を拒絶する。
一度大きな衝撃が起こると、スーツは弾き飛ばされるように祈から離れた。
龍脈の神子の力が闇の支配を拒絶し、その影響を遠ざけたのだろう。
祈の支配に失敗したスーツは運命変転の力が宿った光をほんの僅かに奪い、徐々にその形を変えてゆく。

《ギキ……クカッ……クカカ……》

スーツは祈の目の前でほんの一瞬嘲笑う赤マントの仮面のような形状になると、耳障りな笑い声を残してすぐに消滅した。
それとほぼ同時、ボディスーツの支配から解き放たれたレディベアが力尽きたようにどっと倒れる。
祈が助け起こし声を掛けると、かすかに瞼が動く。
やや間を置いて、レディベアはゆっくり目を覚ました。

「……いの、り……?
 わたくしは……いったい……」

見たところ、レディベアにこれといった外傷はない。祈が細心の注意を払い、怪我をさせないように戦った成果だ。

「わたくしを……助けに、来て……くれたのですね……。
 あの、公園での……約束の、通りに――」

祈はレディベアを助けた。夜の公園で、攫われつつあるレディベアに対して告げた言葉を守った。
ふたりの友情はまだ続いている。レディベアは祈の顔を見て、嬉しそうに微笑を零した。
少しの休息を挟み、自らの妖力でいつもの黒いミニスカワンピースとロンググローブ、二―ハイソックスを作り出すと、
レディベアは身体を起こして祈と向き合った。

「……そうでかすか……。そんなことが。
 祈、わたくしのせいでつらい思いをさせましたわね……。
 償いの言葉など口にしたところで、なんの贖罪にもならないということは理解しておりますが。
 それでも……言わせてください、祈。……ごめんなさい」

祈から事情を聞いたレディベアは、深々と頭を下げた。ほろ、とその隻眼から涙が零れる。
自分がベリアル=赤マントに攫われたことで、余計な心配をかけ危険を冒させてしまった、と謝罪する。
レディベアはしばらくの間この都庁の一室に軟禁状態を強いられていたが、
東京ブリーチャーズの都庁進撃を察知した赤マントが例の禍々しいボディスーツを着せたのだという。

149那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:03:51
「赤マントが何を考えているのか、わたくしには分かりません。
 けれども……何かを待っているようなそぶりは感じられました。
 まるで、時が満ちるのを期待しているような……。あなたがたの侵攻を許したということは、
 きっと……その時が満ちたということなのでしょう。
 おそらく、わたくしが祈に敗北するということさえ、赤マントの計画のうちに違いありませんわ。
 展望室で待っているというのも――」

ベリアルの用意した都庁最終防衛機構は五人の魔神。
その中でもレディベア以外の四柱は何れも神話由来の錚々たるメンバーである。
が、レディベアだけは違う。いくらボディスーツで力をブーストしていたとはいっても、他の魔神たちよりその格は一線劣る。
ベリアルの人脈を用いれば、祈を本気で葬り去ることのできる他の魔神を召喚することもできたはずだ。
しかし、ベリアルはそれをしなかった。ということは、恐らく――赤マントは待っているのだろう。
祈がレディベアを救出し、自分のいる北側展望室へとやってくることを。
だが、罠と知っていても行かなければなるまい。
北側展望室で合流すると、祈は仲間たちと約束したのだから。

「わたくしも一緒に行きますわ、祈。
 あの男、赤マントの今までの数々の狼藉、明らかな叛逆行為。挙句の果てには王位の簒奪……。
 とうてい許せるものではありません。妖怪大統領の名代として、わたくしはあの男を裁かねばなりません。
 協力させてください、今までの償いも含めて……」

祈をまっすぐに見詰め、レディベアが決然と言い放つ。
救出されたからといって、後は知らないと安全な場所に退避するなど、レディベアの矜持が許さない。
今までベリアルにさんざん利用され、煮え湯を飲まされ、謀られ続けたのだ。
一矢報いねば、妖怪大統領の娘としての誇りに関わる。
それに、学校や猿夢で一時的に共闘した際に確認した通り、祈とレディベアのコンビプレーは抜群だ。
レディベアの支援は、祈にとってこの上ない戦力の強化となることだろう。

「お父様!お聞きになりまして?
 わたくし、東京ブリーチャーズに加勢致しますわ。
 ……申し訳ございません。わたくしは親不孝な娘です……お父様の悲願を叶えて差し上げることができませんでした。
 やはり、他者の命を犠牲にして願いを叶えるなど、間違っていたのですわ。
 お父様……わたくしの愛するお父様。
 すべてが終わった暁には、またこのブリガドーン空間でふたりきりで過ごしましょう。
 お父様をひとりには致しません、寂しい想いはさせませんわ」

レディベアは顔を上げ、自分たちを見下ろす巨大な瞳に向かって言った。
ベリアルを倒すということは、すなわちレディベアと妖怪大統領の宿願が永久に叶わなくなる、ということを意味する。
すべてが終われば、レディベアはまたこのブリガドーン空間へ戻るという。
そして、また。この何もない極彩色の空間から鍵穴の向こうを覗くように、世界の風景を眺めるのだろう――永遠に。

だが。

そんなレディベアの決意に対し、妖怪大統領は何も答えなかった。
どころか、その巨大な眼が徐々に閉じてゆく。

「お……お父様……!?
 お父様、お待ちください!お父様……!」

レディベアの呼びかけも空しく、瞳はやがて完全に閉じ、最初からそこに花にも存在していなかったように消滅してしまった。

「お父様!!
 ……祈、参りましょう!きっと、わたくしの寝返りを受けて赤マントがお父様に何かしたに違いありませんわ!
 お父様をお救いしなくては……!力を貸してください!」

「レディ……、祈ちゃん……。
 戦いは、終わったのか……祈ちゃん、どうやら……首尾よくレディを助けてくれたようだね……。
 礼を、言うよ……」

レディベアが祈に助けを求めると同時、ふたりの背後で声がした。
ローランだ。ふたりの戦闘中は完全に意識を失い空間の隅を漂っていたが、やっと息を吹き返したらしい。
全身ボロボロなのは相変わらずだが、腐っても伝説の英雄のクローンである。
気絶しているうちに、幾許かながらも体力を回復させたようだった。

「私も……連れて、行ってくれ……。こんな有様じゃ、君たちの弾避けくらいにしかならないが……。
 このままでは、私も……終われない……」

ローランもまた、ずっと東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズのことを見てきたひとりだ。
最終決戦の場で置いてきぼりを喰らうわけにはいかない、と、その蒼い瞳が言っている。

「……ローラン……
 あなたにも苦労を掛けましたわね。お許しください……すべてはわたくしの不徳の至り」

「君が謝ることじゃないさ、レディ……私が好きでしたことだ。
 時間がない……最後まで付き合わせておくれ。そうすることで、私も……この生に意味を持つことができる。
 生きた実感を得られる……そう約束したよね?」

「……ええ」

レディベアが小さく呟く。ローランは血まみれの顔を微かに笑ませた。
その妖力で右手を空間の一部にかざすと、すぐにその場所が四角く扉状に開いた。

「参りましょう、祈。
 すべての決着をつけるときですわ」

ブリガドーン空間から出ると、すぐに北側展望台へと続く通路が見えてくる。
祈に先へ行くよう促すと、レディベアはぎゅ、とロンググローブの右手を強く握り込んだ。

150那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:07:44
「無罪!」
「無罪!無罪だ!」
「アスタロトは無罪!裁判をただちに閉廷せよ!!」

法廷の中で、橘音の無罪を主張する声が次々と上がる。
それは弁護人席や裁判員席だけではない。今や傍聴人席からも、アスタロト無罪の言葉が叫ばれている。
開廷時には、アスタロト有罪の声で溢れていた法廷内が、圧倒的な無罪の声で埋め尽くされている。
もはや誰が見ても裁判の空気は逆転していた。
橘音の罪を暴き告発する役割の検察官までもが、右腕を振り上げてアスタロトは無罪と言い放っている。

「静粛に!静粛に!――静粛にィィィィィ!!!」

がぁん!!とルキフゲ・ロフォカレがガベルを振り下ろし、法廷内の鎮静を促す。
だが、誰も沈黙しない。無罪!無罪!と、ひたすら繰り返している。
そして。

「裁判長、私も被告は無罪だと思います。
 判決は無罪とするしかありますまい」

と――ロフォカレの右隣にいる裁判官までが、あろうことか橘音の無罪を口にした。
裁判長の左右に控える裁判官はロフォカレの腹心で、ロフォカレの意のままに裁判をコントロールする役割を担う。
だというのに、今の裁判官の対応は橘音を何としても有罪としたいロフォカレの意思とはまるで正反対だ。

「ふざけ……、ふざけるなァァァァァ!!」

悪魔の宰相として君臨して数千年、ロフォカレが開廷した裁判において結果が覆ったことはない。
すべての結果は最初から決まっており、法廷はただ判決を確認するだけの儀式にすぎなかったのだ。
……なのに。

「さ……、裁判長……」

不意に左側から声がする。もうひとりの裁判官の声だ。ロフォカレは咄嗟にそちらを向いた。
そして、見た。
恐怖におののく裁判官の左肩に小さな、拳大の蒼白い狐のシルエットをした炎が乗っており――
それが瞬く間に耳の穴から裁判官の中へ入ってゆくのを。
裁判官はびくん!と一度大きく身体を跳ねさせると、ロフォカレを見て言った。

「裁判長、アスタロト公は無罪です!早く無罪の判決を!」

ロフォカレは瞠目した。

「……なん……、何なのだ……今のは……」

「あ〜あ、見られちゃいましたか」

被告人席に佇立する橘音が呑気な調子をあげる。
裁判官は狐の姿をした四足の炎が身体に入っていった直後に、橘音の無罪を主張し始めた。
狐の姿の炎。
もはや、その犯人が誰なのか――考えるまでもない。
橘音はニタリと笑みを浮かべた。

「じゃ、そろそろ種明かしといきましょうか。そう、すべてはボクの妖術ですよ。
 地獄の法廷なんて言ったって、要は多数決の出来レース。孤立無援じゃ勝てっこない。
 単純なこと、それなら味方を増やせばいいんです。幸い頭数ならこの法廷にゴマンといる。
 彼らを残らず、こっちに取り込んでしまえばいい……単純でしょ?」

「バ、バカな!そんなことが出来る訳が――」

「『賦魂の法』……。ボクの魂を分割し、法廷にいるすべての悪魔たちに乗り移らせました。
 最初の休憩中に弁護人に、次の休みには裁判員たちに。検察官に……傍聴人に。
 もう、この法廷内にボクの分身たちが乗り移っていない者はいない。
 ロフォカレさん、アナタ以外にはね」

かつて妖怪裁判で封印刑を受けたときの橘音は、賦魂の法で魂を三分割するのがやっとだった。
だが、今は違う。華陽宮での修行により、橘音は百の単位で魂を分割できるのだ。
ロフォカレはわなわなと震えた。

「お、お、おの……」

「アナタとボクじゃ役者が違う。他人を虐げ陥れることしか考えていないアナタと、未来を見ているボクではね。
 なんせボクには、ボクのことをいっぱいいっぱい愛してくれるダーリンがいるんです。
 彼が待ってる。アナタ風情に構っているヒマはないんですよ、ということで!」

橘音の肩に、青白く燃える狐型の炎が現れる。
それは軽く一度尻尾を揺らすと、ロフォカレへと一気に飛び掛かった。

「や、め、ろォォオォォオォォォォォォ――――――――――――――――――!!!!」

橘音の魂魄がロフォカレを侵食する。その認識を書き換える。
軽い足取りで裁判長席に近寄り、恐怖に顔を引き攣らせたまま硬直してしまったロフォカレからガベルを奪い取ると、

「判決!那須野橘音は無罪!
 これにて――閉廷ッ!!」

そう言って、橘音は高らかにサウンディングブロック(土台)を打ち鳴らした。

151那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:10:49
>輝く神の前に立つ楯《シールド・オブ・スヴェル》!!

コカベルの最大奥義、『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』。
太陽の表面を迸るプロミネンスにも似た大嵐に、ノエル――否、覚醒した御幸は氷の傘を展開して対抗した。
炎と氷、相反する属性がぶつかり合い鎬を削る。両者の周囲で水蒸気爆発のような烈風が吹き荒れる。
一瞬でも気を抜いた方が跡形もなく消し飛ぶ、まさに極限の激突。

「アッハハハハハッ!そんな傘なんかで――アタシの愛は止められやしない!!
 このままアタシの焔で!這いさえ残らず燃え尽きるしかないんだよ……ノエルちゃん!!!」

ゴウッ!!!

コカベルの炎の剣から放たれる熱量が増してゆく。
それはまさに、地上の一切を焼き尽くす魔神の炎。コカベルが抱く、熱い愛の証――
だが。
永劫にも思える時間が過ぎ、万物を灰燼と帰す滅殺の火流が収まっても――御幸はそこに立っていた。
自身の繰り出した最大奥義は、御幸を跡形もなく焼滅させたはず。そう思っていたコカベルは愕然とした。

「……そんな……。
 ど、どうして……アタシの『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』が……」

“スヴェルと呼ばれしは太陽の前に立ちし物、輝く神の前に立つ楯”

『グリームニルの歌』に記されし神の盾スヴェルは、まさしく太陽の熱から大地を守るもの。
太陽と同等の温度を持つコカベルの炎を防ぎきることとて不可能ではない。
そして――予想外の事態に束の間呆然自失となったコカベルの致命的な隙を、御幸は見逃さなかった。

>さあ、おねんねの時間だ―― 一撃で終わらせる!

ノエルが母との特訓の末に体得したものは、他者を慈しみ護る力。
それをノエルはこの場で『コカベルを護る』という目的のために発現させた。
ならば、コカベルを葬っては意味がない。御幸が選んだのは、コカベルを氷漬けにし一時的に眠らせるという手段だった。

>眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》

御幸の妖術が発動し、地面に降り立っていたコカベルの足許から氷が徐々に全身を凍らせてゆく。

「く、ぁ……!こんな……氷如き、に……!」

コカベルはなんとか足元の氷を解かそうと炎の剣を振り下ろしたが、溶けるよりもコカベルの身体が氷に覆われる方がずっと早い。

>もしも万が一次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら……子ども達と共に早く奴の元から離れるんだ――
 何度でも言うよ、奴は願いを叶えてなんてくれない

「うるさい!
 じゃあ、どうしたらいいって言うの!?この世界にネフィリム達の住む場所なんてない!
 ないものは作るしかないんだ!前にあったものを壊して、更地にして!新しく作るしかないじゃないかッ!!
 兄様だけが信じられないんじゃない!オマエたちの話だって信じられるものか!
 アタシは……アタシはッ!愛することが罪にならない世界を……創る、んだ……ッ!!」

びきびきと氷がコカベルの腰までを凍結させてゆく。それでも、コカベルはなんとか拘束から逃れようと足掻く。

>でもきっとそうはならない。
 君が何と言おうと私は行くよ――いつか必ず……一緒に遊ぼうね。
 いつか全ての哀しみが癒された世界で。愛することが罪じゃなくなった世界で。
 だから今は。少しだけ、おやすみ――

「ふざけ――――」

立ち去ろうとする御幸を逃すまいと、コカベルが最後の力を振り絞って炎の剣を振りかぶる。
剣を投げつけ、せめて一矢報いようという算段なのだろう。
しかしコカベルが今にも御幸へと炎の剣を投げつけようとするのを、不意に巨大な手のひらが遮った。

「……ネフィリム……」

巨人ネフィリムたちが御幸とコカベルの間にゆっくりと割って入る。
その様子は『もう決着はついた、このままこのひとを行かせてあげてほしい』と、母たるコカベルに懇願しているようにも見える。
もちろんコカベルはネフィリム達の意図を瞬時に察した。ゆっくりと振り上げていた手を下ろし炎の剣を消す。

「わかったよ……。それじゃ、お手並み拝見だね……ノエルちゃん。
 ベリアル兄様はすべての天使の英雄にして、すべての悪魔の手本……。アタシなんか足元にも及ばないんだ。
 ノエルちゃんたち全員の力を合わせても、太刀打ちできるかどうか……」

ぴきぴきと音を立て、コカベルの首から下をすべて氷が覆ってゆく。

「でも、やるんだね……なら、約束。
 いつか、いつか……創ってほしい……。
 愛することが、罪でなくなる……世界、を――」

これから自分などとは比較にならない強敵へと挑む御幸へ向け、警戒と期待の言葉を投げて。
愛し子であるネフィリム達に見守られながら、コカベルは凍り付いた。

152那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:15:57
赤黒い大地が、両者の闘気に反応して捲れ上がる。罅割れ、砕け、崩壊してゆく。
悪鬼と闘神の戦いは最終局面にあった。
闘神が闘気にて秒間千発を超える豪打を繰り出したかと思えば、悪鬼は闘気を凝縮させて瞬刻の見切りを駆使してゆく。
共に闘気の遣い手ではあるが、その使用法はまるで逆。
達人という表現さえ生温い、武の頂上決戦。
そして――

>奥義・弐『偽針(ぎしん)』――――!!

一瞬の間隙を衝いて、尾弐が決着の奥義を放つ。
凝縮された膨大な闘気を纏った貫手が、アラストールの鍛え抜かれた鳩尾に食い込む。
しかし。

「ゴハッ、ゴハハハハハハハハ……!
 ハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

その手刀の切っ先が、アラストールの心臓に達することはなかった。
ぶ厚い大胸筋と腹筋の合間、胴体で最も筋肉の薄い鳩尾を正確に貫いた尾弐の技量は驚嘆に値する。
闘気の靄を纏った貫手は、既存のほぼすべての存在を容易く穿つことだろう。
だが――尾弐の眼前に屹立するこの闘神の強さは、そんな『ほぼすべて』の外に在る。
数千年に渡り鍛え、研ぎ澄まされてきた肉体は、尾弐の必殺さえも防ぎきってみせたのである。

>……全力でも、届かねぇのかよ。クソが

「無念!
 無念よ、尾弐黒雄!!貴様ほどの遣い手を以てしても、我の命には届かぬか!
 しかしよ――愉しかった!久しく無い昂揚であったわ!
 礼を言うぞ、尾弐よ――されば、これが閉幕の一打なり!!」

アラストールが嗤う。
だが、それは単なる強者の優越を顕すものではなかった。
絶対的強者であるがゆえの落胆。失望。またしても願いが叶えられなかったことへの諦念――
そういった悲哀に満ちている。
アラストールにとって、勝利は当然の仕儀。そんな己を追い詰める敵の出現こそ、何よりも望むもの。
けれど、そんな者はもうこの世にはいないのだろうと。そう思っている。
だからこそ――
闘神は見誤った。
尾弐の強さを、覚悟を、――愛する者へ向ける、想いの深さを。

ゴッ!!

アラストール渾身の双拳が、尾弐へと放たれる。
絶死の拳は、もはやなんぴとにも止められない。アラストール自身にさえも。
そして。

「殺(と)った!!死ねィッ!!!!!」

>――――秘奥『黒尾(こくび)』

ぎゅがッ!!!!

酒呑童子最大の奥義、鬼殺しさえも凌いでみせた克己の結晶が発動する。
アラストール最大の攻撃、その威力が、アラストール自身に還される。
幾多の魔物。幾多の幻獣。幾多の悪魔、幾多の天使、幾多の神を屠ってきた破壊の力が、アラストール自身の体内で荒れ狂う。
脈打つ心臓を木端微塵に粉砕する。
奥義・弐『偽針(ぎしん)』はその名の通り、偽りの奥義。
尾弐はそれを『大きなオモチャ』と見せかけることで、アラストールの慢心を誘った。

ボシュゥッ!!!!

アラストールの胴体を駆け抜け、さらに余剰したエネルギーがその背を貫通し突風となって吹き抜けてゆく。
闘神は、倒れない。

>……お前さんは恐ろしい程強かったよ。俺なんざよりも遥かに強かった。けどな
 テメェの為だけに暴れる奴が、惚れた女の為に戦う俺に勝てる訳ねぇだろうが

尾弐が貫手をアラストールから抜き、背を向けて告げる。
アラストールは双拳を前方に突き出した体勢で立ち尽くしている。
双眸を大きく見開き、口元に笑みを湛え、勝利を確信した喜悦の表情を浮かべたまま――
最期の瞬間まで、アラストールは自分に何が起こったのか理解できなかっただろう。
自分が、やっと自分よりも強い敵と巡り合い――敗北したのだということも。

ボッ……という音と共に、その身体が蒼く燃え上がる。
数千年の刻をただ闘いのみに費やしてきた闘争の魔神は、やがて一掴みの灰となって消えていった。

153那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:19:14
狼の王と、山羊の王。
自然界に存在する獣二種の戦いは、狼の王に軍配が上がった。
山羊の王――アザゼルはポチの攻撃によってバランスを崩され、ほとんど自滅のような様子で倒れ伏している。
深く切り裂かれた右の前足は膝を屈した時点で砕け散り、千切れて失われた。
もはや、アザゼルは立ち上がれない。自ら抉り取った地面の轍、その果てに身を横たえている。
仮に四肢が健在であったとしても、何れにせよアザゼルは立ち上がれなかっただろう。
同胞すべての命を取り込み、それを力と換えて奥義を放った。それは文字通り全身全霊の一撃だった。
全身全霊を解き放ったのなら、そこにはもう余力などあろうはずもない。

《嗚呼……。
 此処が我が一族、数千年の旅……終焉の地であったか……。
 愛する民よ、我が仔らよ……。
 すまぬ……汝らの期待に、応えられなかった……。
 余は……弱き王、だ……》
  
横たわったまま、アザゼルは呻くように言った。
黄金の毛並みは血と埃にまみれ、身に纏う雷ももはや弱々しい。
大樹の如き威容を誇っていた角は悉く折れ、今は破片となって周囲に散らばっている。
王の誇りは砕かれ、一族の威信は崩壊した。
だが。

《……狼の……王よ……》

アザゼルがゆっくりとポチへ視線を向ける。

《よくぞ……余を……斃した……。
 汝の、力……その勇気……すべて、見せて……もらった……。
 ……見事で、あった……》

お互いの一族の存亡を懸け、全力でぶつかった。
力及ばず敗北した、その嘆きはある。無念も後悔も。だが――自らを打ち破った者への恨みや怒りはない。
アザゼルは自身を下したポチの健闘を称えた。

《弱肉、強食こそ……自然の、摂理……。
 それに、異議を……差し挟む、つもりは……ない……。
 汝は、まこと強かった……。
 ならば……我らを下せし強き者に……敬意を表し……。
 我が一族は……滅びを、受け容れよう……》

すぐ傍にいながら何も言おうとしないポチに対して、アザゼルはほんの僅かに笑ったようだった。

《……勝者が、敗者にかける言葉など……ない、か……。
 勝者が何を言ったとて、それは皮肉にしかならぬ……。
 優しいの、だな……汝は……》

ごぽ、と血の塊を吐き出す。アザゼルはもう虫の息だった。
それでも懸命に意識を保ちながら、山羊の王はポチへ語り掛ける。

《その、優しさに……甘えて……。汝に、頼みたい……ことが、ある……》

死に瀕して、アザゼルは一度大きく息を吐き出し、

《……余の肉を……啖って……くれ……》

と言った。

《汝が……余を、啖えば……余は、汝の血肉となる……。
 余が、余の……眷属が……この世界に、生きた……その、証と……なる……。
 頼む……若き、狼の……王、よ……。
 この、大地に……世界に、星に……このアザゼルと、同胞たちが……生きた、証を……。
 我らの、足跡を……残させて、くれ……》

強き者が弱き者を斃すのが自然界の掟ならば、勝者が敗者の肉を啖うのもまた自然界の掟であろう。
野生の獣は生きるために、啖うために闘う。狩りをする。
斃した相手を放置して去るなどということはありえない。
で、あるのなら。
 
《……頼む》

最期にもう一度ポチに頼むと、山羊の王アザゼルは静かに目を閉じた。

154那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:24:34
魔神たちを斃すと、東京ブリーチャ―スの皆の前に両開きの扉が現れる。
ベリアルの用意した最終防衛機構を突破した証であろう。扉を開けて奥へ進むと、都庁の廊下が続いている。
廊下の果てには自販機や休憩用の椅子を備えた小規模な休憩所があり、
その奥には『北側展望室』と書かれた扉が見えた。
表示の通り、この先が怪人赤マント――神の長子ベリアルのいる都庁北側展望室なのだろう。
最初に祈とレディベア、ローランが到着し、それから順次ノエル、尾弐、ポチが休憩所に辿り着く。
やや遅れて最後に橘音が入ってきて、全員集合となった。

「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

ひらひらと右手を振りながら、橘音は笑った。
それからズタボロ状態の仲間たちをぐるりと見回し、迷い家外套の中に手を突っ込む。

「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

橘音はマントの内側からピルケースを取り出すと、カプセル状の薬を全員に渡した。
そして最後に尾弐の前に立つと、尾弐の分のカプセルの半分を唇に銜え、

「ふぁい、ろーろ」

と言って爪先立ちになり、両手を伸ばした。はいどーぞ、と言っているらしい。
そんなおふざけをしていると、ローランがそれまでずっと祈の後ろに隠れていたレディベアの肩をぽん、と叩く。
東京ブリーチャーズ全員が再結集したことで意を決したのか、レディベアが前に出る。

「あ、あ……あのっ!」

右手を胸元に添え、緊張でやや大きめの声を出しながら、レディベアが言葉を紡ぐ。

「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

そう言うと、レディベアは腰を折って深く深く頭を下げた。

「わたくしのしたことは、許されることではございません。
 本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
 けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
 償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

レディベアの、東京ドミネーターズの暗躍のお陰で、今まで多数の人間が犠牲になってきた。
いくら黒幕がベリアルであったとはいえ、レディベアに何の責任もないというのは通らない。
それを、レディベアは償いたいと言っている。

「まずは赤マントを……ベリアルを打ち破る手助けをさせて下さい。
 わたくしを欺き、お父様を裏切り、ロボやクリスやローランをこのような目に遭わせた、あの男。
 妖怪大統領バックベアードの名において、あれに目に物を見せてやらなければ……死んでも死に切れませんわ!
 わたくしを憎んで頂いて構いません、お怒りは甘んじて受けましょう。
 けれど、今だけ……この戦いの間だけは、わたくしを皆さまの戦列の端に加えて下さいませ……!」

「私からもお願いするよ、みんな。
 蟠りもあるだろうし、納得できない部分もあるかもしれない。
 だが――事ここに至っては、みんな目的は一緒だ。
 簒奪者ベリアルを斃す、それがこの場にいる者の宿願だろう?であれば、道はひとつしかない。
 力を合わせよう。遺恨も恩讐も、ベリアルとの決着がついた後で存分に解消すればいいさ」

もう一度レディベアの肩を叩き、ローランも一歩前へ出てブリーチャーズへと提案する。
そんなレディベアとローランの言葉を聞いて、橘音は軽く肩を竦める。

「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」

橘音はそう言うと、悪戯っぽく歯を見せて笑った。

「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

軽く横に目配せをして、橘音は他の仲間たちにも意見を促す。
全員から賛同が得られると、レディベアはぽろぽろと隻眼から涙を零し、
もう一度深々と頭を下げた。

「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
 最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

東京都庁・北側展望室。
一行の前方にある扉の向こうに、宿敵ベリアルがいる。
長い長い戦いに、終止符を打つときが来たのだ。

「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

やっぱり財布の紐が固い。外套を大きく翻すと、橘音は展望室へと大きく踏み出した。

155那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:39:14
「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

東京の街並みを見晴るかす、一面ガラス張りの展望室。
かつて酔余酒重塔と呼ばれた東京スカイツリーのある風景を背に、血色のマントを羽織ったシルクハットの怪人が佇んでいる。
目の前のベリアルは紛れもない実体だ。エントランスホールで見た幻影とは違う。
ついに、東京ブリーチャーズはベリアルを追い詰めたのだ。
北側展望室はホール状の広大な空間になっている。中央にカフェスペースのテーブルや椅子が並んでおり、
北端側に展望デッキが、その反対側に購買スペースがある。
テーブルなどの邪魔なものはあるが、排除することは容易い。戦うには充分な広さだろう。

「……ベリアル……!」

橘音が怒りを押し殺した声でその名を呟く。
怪人65535面相、赤マント――天魔ベリアル。
東京ブリーチャーズの仇敵、否。人類の、ありとあらゆる妖怪の敵対者。
殺戮、欺瞞、虚言の根源。
最初に創られた天使にして、最初に出現した悪魔。
祈をはじめここにいるすべての妖怪が、この男に運命を狂わされ辛酸と苦汁を味わわされた。
そして――
これから、その因縁に決着がつく。

「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

赤マントは笑み顔を象った仮面の奥からくぐもった声を漏らした。
天魔七十二将は崩壊し、虎の子の五魔神も敗北した。
確実に後がないというのに、赤マントの様子にはまったく焦りというものが見えない。
驚いたと口では言っているものの、きっと五魔神が負けることさえ織り込み済みだったのだろう。

「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

しゃあしゃあと言ったものである。チッ、と橘音は盛大に舌打ちした。
そして、白手袋に包んだ右手の人差し指で鋭く赤マントを指す。

「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

東京ブリーチャーズはたった六人で都庁までやってきたのではなかった。
橘音はこの最終決戦に当たり、日明連と妖怪たちに協力の約束を取り付けていた。
長い間いがみ合っていた日明連と妖怪たちだったが、今ここにベリアルという共通の敵を倒すため、手を組んだのだ。
ブリーチャーズ全員が富嶽の期待に応え、祈が晴朧の凍った心を溶かした結果であろう。
全国から集結した選りすぐりの法師、陰陽師、神主たちと、富嶽の声で集まった妖怪たちの混成軍。
その規模は、かつて新宿御苑に集まった対姦姦蛇羅討伐軍の比ではない。
現在、混成軍は都庁の巨大な建物を丸ごとすっぽり包み込む防御結界を構築し、被害に備えていた。
例えベリアルがどれだけの大規模破壊攻撃を繰り出してきたとしても、外部にその衝撃が漏れることはないだろう。

「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
 東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

橘音の宣言にも、ベリアルはまるで動じない。
軽く東京ブリーチャーズそれぞれの顔を見回し、ベリアルはさらにひとりひとりを挑発してゆく。

「雪の女王の仔。……キミに吾輩を断罪する資格があるとでも?
 キミの生まれた一族は、虚偽と偽善にまみれている。親が子を騙し、子が親を憎む。嘘の上に嘘を重ねていく……。
 それがキミたち雪妖というものだ。お陰でキミは、内包する人格のどれが本物のキミなのかさえ理解していない。
 吾輩のウソなんて、何もかもが嘘っぱちのキミに比べたらカワイイものだと思うけどねェ!」

「悪鬼君。吾輩がちょっとした暇潰しで京の都を引っ掻き回した結果が、あの酒呑童子サ。
 暇潰し、暇潰し!その暇潰しで千年もの時間を苦しみ、のたうち続けるとは……まったく度し難い愚か者もいたものだネ!
 おまけにそれでは飽き足らず、今度はそこにいる我が愚弟子のために未来まで犠牲にしようとしている。
 酒呑童子もアスタロトも、元は吾輩が生み出したもの。吾輩のおこぼればかりを愛する気分はどうかネ?」

156那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:39:52
「小さなオオカミ君。大切なつがいを置き去りにして、ここまで来てしまったんだネェ。
 いいのかネ?こんなところにいて。今頃、キミの大切なお嫁さんは吾輩の部下にズタズタにされている頃だヨ?
 キミは下らない私怨に目が曇り、結果として一番護らなければならない存在を永久に喪失することになってしまった……。
 いやはや、悲劇だネ!大切な相手を護れと言って『獣(ベート)』の力を譲渡したロボも浮かばれまい!」
 
相手を貶め嘲弄する弁舌に関しては、ベリアルの右に出る者はいない。
悪魔の首魁は饒舌にまくし立てた。そして、最後に祈を見る。

「祈ちゃん。キミの人生をメチャクチャにしてやった吾輩と、ついに対峙する時が来たネェ。
 どんな気分かネ?父親を殺され、母親をバケモノされ、他の同年代の人間たちが当たり前に享受している家庭の団欒。
 それを味わえず、孤独に育った『路地裏の悪童』としては――?
 おめでとう!長らくのいじらしい努力が実を結び、キミは今まさに仇敵の前にいる。
 吾輩が憎いだろう?殺したいだろう?隠さなくてもいいヨ……クカカカカ!
 殺したくないだの、救いたいだのと、自分を偽るのはやめたまえ。どうせ最後なんだ、ぶっちゃけていこうじゃないかネ!
 人間素直が一番だヨ!」

マントの内側から白手袋に包んだ右手を覗かせ、ベリアルが嗤う。
祈を挑発し、怒りを買うことで、冷静さを失わせようという目論見なのだろう。
挑発を受けた祈の反応を見てから、ローランが聖剣デュランダルの切っ先をベリアルへ突き付ける。

「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
 貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
 長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
 かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

橘音の仙丹を摂取したことで、ボロ雑巾のようになっていたローランもある程度回復している。
かつて猿夢を一撃で滅ぼし、姦姦蛇羅に大ダメージを与えた魔滅の聖剣デュランダルは健在だ。
いくらベリアルといえど、その刃を喰らえば無傷では済まないだろう。
さらに、レディベアが堪りかねたように口を開く。

「赤マント……!
 わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
 大人しく裁きを受け入れなさい!」

「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
 麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
 そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
 レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

レディベアは今にもベリアルへと飛び掛かりそうな勢いだった。
そんな姿を見て、ベリアルが嗤う。

「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

ベリアルが血色のマントを広げ、右手を大きく横に振る。
その途端、ベリアルの背後。一面ガラス張りの展望室の外、遠方に東京スカイツリーを望む空が俄かに真一文字に裂け――

ぎょろり……と巨大な一ツ目が出現した。

「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

「あれは……!」

橘音が瞠目する。
空に開いた裂け目はあたかも瞼のよう。そこから東京を睥睨するあまりにも巨大すぎる瞳は、
祈が先ほどブリガドーン空間で目撃したバックベアードのものとまさしく同一のものであろう。
突如として東京の空に出現したバックベアードに、レディベアが隻眼を見開く。

「お……、お、父様……!」

目頭から目尻までの距離は、少なく見積もっても50メートル以上はあるだろう。
バックベアードが都庁北側展望室の妖怪たちを見つめている。
その威容の特異さ、怪異のほどは、まさしく妖怪大統領と呼びならわすに相応しい。
だが――
東京ブリーチャーズの面々はすぐに気付くだろう。
これほど巨大な妖ならば、その体躯に見合った巨大な妖気を持っていて然るべきである。
だというのに、窓の外に見えるバックベアードからは欠片ほどの妖気も感じることが出来ない。
妖気を隠蔽している、とは思えない。事ここに至り、妖気を隠すことに何の意味もない。
むしろ、強大さをアピールするため積極的に放ってこそだろう。
ところが、バックベアードからは何もない。
第一、レディベアによればバックベアードはブリガドーン空間から出ることができないという話だったはずである。
そのバックベアードが東京の空に出現しているというのは、明らかに辻褄が合わない。
妖怪大統領は静かに東京ブリーチャーズを見降ろしている。

その姿はまるで、自分はただの映像。幻に過ぎないとでも言っているようで――。

157多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:49:03
>「ぐ……離せ!離せェェェェェッ!!」
>「わ……わたく、しは……あなたの、ともだ……
>ぐ、ゥ……うああ、ッがああああああああ……ッ!!」

 暴れるレディベア。
だが、その右手を祈が離すことはない。
少なくとも、龍脈の力でその運命を変えるまでは。
祈から立ち昇る光が、繋いだ手を通じてレディベアへと伝播する。
その光が、レディベアの着るボディスーツに触れた刹那。

 びゅるるっ!!

 スーツがうごめき、変質する。
ふくらみ、まるで軟体生物のように姿形を変える。

(!?)

 祈は驚愕に目を見開く。
 ボディスーツの袖を形成していた部分が、
タコやイカの触手のような形状になり、祈の左腕へと絡みつく。

《ギキキ……》

 ボディスーツに擬態していた“何か”は、
老朽化した建物が軋んだような、あるいはネズミの鳴き声にも似た笑い声を上げる。
 天魔なのか、赤マントの眷属なのか、付喪神なのかはわからないが、
意志を持った危険な生物であることは疑いようがない。
手を離せず身動きができない祈に、何らかの狙いを持って向かってくる。

「こいつ……!」

 祈は焦りの表情を浮かべる。
 祈の失策。レディベアではなく、
呪いの源であるボディスーツ自体の理を捻じ曲げるべきであったのだ。
 ボディスーツに擬態していた変幻自在の黒い魔物は、
レディベアを操り従わせるためだけにいたのではない。
おそらく、祈の精神をも乗っ取る罠としての役目も持っていたのだ。
 レディベアの言う龍脈の因子を取り出すにしても、
取り出さずに祈をそのまま活用するにしても、
精神を乗っ取り従順な状態にした方が都合は良い。
 祈は黒い魔物を引き剥がそうと右手で掴もうとするが、
ゲル状のそれは自在に形を変え、祈の手から容易に逃れる。
先程まではなんの変哲もない革のスーツに思えていたものが、
今となっては弾力を持った硬いゴムのような質感に変わっており、軽々と引き裂くこともできなさそうに思えた。
 黒い魔物はいよいよ本腰を入れて祈の精神の自由を奪おうと、
音を立ててレディベアから離れ、祈へと飛びついてくる。
祈の左手から左腕、肩、首、そして頭へと這いずってくる。
触れる面積が増える度、祈の意識は黒い魔物が流し込んでくる命令に強く侵食される。

「こ……の……!」

 抗おうとすれば体表に激痛が走る。
その苦痛に意識が奪われる一瞬の隙をついて、更に精神の奥へと侵入しようとして来る。
祈の意思ではない言葉や感情が脳裏に浮かぶ。
左腕から徐々に自由が利かなくなって勝手に動く。
 祈はこのままではいけないと、風火輪の炎で自らを焼こうとするが。
ばちんっ、と電気が弾けるような音が響いて。

158多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:52:09
《ビギィッ!》

 黒い魔物が甲高い声を上げ、祈から弾き飛ばされた。
祈の体から溢れた光が、稲妻のごとく発光したかに見えた。
龍脈の加護によるものか、あるいは心を奪われまいとする祈の意思に龍脈が力を貸したか、
寸でのところで助かったようである。
 だがしかし、弾かれた黒い魔物は、宙を漂いながらうごめき、
 
《ギキ……クカッ……クカカ……》

 と笑った。
その体に、祈と同質の光を僅かに纏っているように祈には見えた。
そして一瞬、体を変化させ、赤マントに似た姿を取ったように見えたが、
すぐにどこかへと姿を消してしまった為に、
本当に赤マントに似た姿になっていたのか、偶然似た姿になっただけなのかはわからない。

「助かった……のか……?」 

 祈が纏う光が徐々に失われ、
祈の姿は、ターボフォームからいつものものへと戻っていく。
レディベアの運命を変化させ終えた、ということだろう。
 繋いだままの左手を通じ、レディベアの右手から力が抜けるのを祈は感じた。
呪いが解けて敵対する意思がなくなった故かと思ったが、
レディベアはそのまま、意識を失ってしまう。
 
「あ、おい! モノ!」

 無重力空間なので、倒れてどこかに体をぶつけることはないにしても、
急に意識を失われれば心配にもなる。
呪いの後遺症、戦闘による負荷の掛け過ぎなど、心配するに足る理由は多くある。

「大丈夫かな……」

 自身に引き寄せ、レディベアの顔を心配そうにのぞき込む祈。
そして抱いた肩を軽く揺さぶると、レディベアの瞼が小さく震え、
ゆっくりと目を開く。

>「……いの、り……?
>わたくしは……いったい……」

 祈を認識し、そう問うた。
すぐに目を覚ましたところを見るに、
呪いが解けたショックで一時的に意識が途切れた、というところだろうか。
記憶は定かでないようだったが、攻撃してくる様子はない。

「よかった。大丈夫そうだな」

 何より、命に別状はないようだった。
祈は安堵の表情を浮かべる。
 念のため、レディベアに怪我ができていないか目視で確認するが、
目立った外傷は見られない。

>「わたくしを……助けに、来て……くれたのですね……。
 あの、公園での……約束の、通りに――」

 周囲を見渡して状況を理解しつつあるのか、
そう述べて、弱々しい微笑を浮かべるレディベア。

「来ないわけないだろ? あたしら……ともだちなんだから」

 祈もまた、照れ笑いを浮かべた。
 そして、レディベアがまだ動けそうにないのを見かねて、
祈はこう提案する。

「……いまどんな状況か話しといてやるよ」

 一時の休息を挟み、情報共有を行う。
その間に少し回復したのか、レディベアは自身の力で身を起こすと、
祈から離れ、自身の妖力で洋服を生み出した。
黒のミニスカワンピース。ロンググローブ、二―ハイソックス。
祈が見慣れたいつもの姿だ。

159多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:57:44
 そして祈に向き合うと、こんな風に述べた。

>「……そうですか……。そんなことが。
>祈、わたくしのせいでつらい思いをさせましたわね……。
>償いの言葉など口にしたところで、なんの贖罪にもならないということは理解しておりますが。
>それでも……言わせてください、祈。……ごめんなさい」

 さらに、深々と頭を下げてくるのだった。
 ぎょっとする祈。 
 祈としては、気を遣わせるつもりはなかった。
だから先程の情報共有でも、
割と面白おかしく聞かせたつもりだったのだが、逆効果になったようである。

「いいよ、謝んなって! あたしが好きでやったことなんだから!」

 祈がレディベアの肩を掴んでぐいと頭を上げさせると、
その隻眼から涙がポロポロ零れているので、一層焦る祈である。

「あーもー、泣くなよぉ!」

 いよいよ困った顔になって、
ポケットからハンカチを取り出して涙を拭ってやる祈だった。

 少し落ち着いてから、ぽつぽつと話し始めるレディベア。
レディベアがいうには、赤マントはやはりブリーチャーズの動きを掴んでいたらしく、
ボディスーツに擬態するあの黒い魔物を着せたのは、
ブリーチャーズが都庁に進撃してくる直前であったらしい。
 すん、と鼻を啜って、

>「赤マントが何を考えているのか、わたくしには分かりません。
>けれども……何かを待っているようなそぶりは感じられました。
>まるで、時が満ちるのを期待しているような……。あなたがたの侵攻を許したということは、
>きっと……その時が満ちたということなのでしょう。
>おそらく、わたくしが祈に敗北するということさえ、赤マントの計画のうちに違いありませんわ。
>展望室で待っているというのも――」

「――罠だろーな。でも……あたしは行くよ。
この街を泣かそうとする赤マントのやつは止めなきゃなんねーし、この先で仲間が待ってるしな」

 レディベアの言葉を継ぎ、祈は罠だと断じた。
 結界破りの天才である赤マントなら、逆に堅牢な結界とは何か熟知しているはずだ。
人払いの結界を張ってはいるが、ブリーチャーズの侵入を阻むことはせず、
ブリーチャーズを東京都庁の内側に招いた時点で、罠でしかないことはわかりきっている。
 レディベアのいう通り、時は満ちたのだろう。
 そして、レディベアとの戦いとその結末。黒い魔物が祈から奪っていった光。
ここまで、きっと全てが赤マントの思惑通りに事が運んでいるのだろう。
悪い予感しかしないが、だとしても、進むことを止めるわけにはいかなかった。

「モノは――」

 祈は、疲れが見えるレディベアに、「ここで待ってろ」と言おうと思った。

>「わたくしも一緒に行きますわ、祈。
>あの男、赤マントの今までの数々の狼藉、明らかな叛逆行為。挙句の果てには王位の簒奪……。
>とうてい許せるものではありません。妖怪大統領の名代として、わたくしはあの男を裁かねばなりません。
>協力させてください、今までの償いも含めて……」

 だが、レディベアがそれを遮り、自身も同行するというのである。
 言い出したら聞かないであろうことは、祈も分かっていた。

「待ってろ、って言おうと思ったんだけど……言い出したら聞かないだろうし、
おまえも赤マントには怒ってんだもんな。わかった。頼りにさせてもらうぜ、モノ」

 決意の固い瞳を裏切ることができず、祈は了承する。
敵の居城に放置していく方が危険であるのかも知れないと、考え直しながら。
 祈が了承したのを確認したレディベアは、
頷き、この空間に今も存在する妖怪大統領の幻へと向き直った。

>「お父様!お聞きになりまして?
>わたくし、東京ブリーチャーズに加勢致しますわ。
>……申し訳ございません。わたくしは親不孝な娘です……お父様の悲願を叶えて差し上げることができませんでした。
>やはり、他者の命を犠牲にして願いを叶えるなど、間違っていたのですわ。
>お父様……わたくしの愛するお父様。
>すべてが終わった暁には、またこのブリガドーン空間でふたりきりで過ごしましょう。
>お父様をひとりには致しません、寂しい想いはさせませんわ」

 それを見た祈は、儀式的な、あるいは形式的なものだと思った。
この妖怪大統領は、祈とレディベアの戦いに介入する何者かが、
レディベアに言うことを聞かせやすくするために生み出した、幻に過ぎない。
 だが、幻とは言え、最も尊敬する父の姿を取っているから、
その幻の前で誓うことで、己の決意を確たるものとしているのだと。

>「お……お父様……!?
>お父様、お待ちください!お父様……!」

 だが、妖怪大統領の幻が目を閉じ、その場から消え去るのを見て、
レディベアは狼狽して見せた。

>「お父様!!
>……祈、参りましょう!きっと、わたくしの寝返りを受けて赤マントがお父様に何かしたに違いありませんわ!
>お父様をお救いしなくては……!力を貸してください!」

 切羽詰った様子で祈へと向き直り、協力を仰ぐレディベア。

「お、おう……?」

 目の前で起きていることと祈の想像には、明らかな乖離と違和感があった。

160多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:02:28
 だが怪訝そうな顔をした祈が、それを確かめる言葉を紡ぐ前に、

>「レディ……、祈ちゃん……。
>戦いは、終わったのか……祈ちゃん、どうやら……首尾よくレディを助けてくれたようだね……。
>礼を、言うよ……」

 互いの顔を見合わせる祈とレディベアの背後から男の声がする。
かすれた、疲れ切った声。
 二人が振返ってみると、そこにいたのは。

「ローラン!」

 傷だらけのローランであった。
 乱れているが呼吸はある。血の匂いもする。
 一時は敵の生み出した幻という可能性を考えたが、ターボフォームが解けても感じる強い生命の息吹。
これはおそらく本物だろうと祈には思われた。
 半死半生の状態でこの空間を彷徨っていたのだろう、と思うと、
放置していたのが申し訳なく思われ、心の中で謝罪する祈である。

>「私も……連れて、行ってくれ……。こんな有様じゃ、君たちの弾避けくらいにしかならないが……。
>このままでは、私も……終われない……」

「終われないっつっても……」

 生きていたことだけでもありがたい、という状態だ。
腹部にも深い傷を負っているわけで、呼吸も弱々しい。
この状態では連れて行くのは難しいと思えたが、その青い瞳は譲る意志を見せない。

>「……ローラン……
>あなたにも苦労を掛けましたわね。お許しください……すべてはわたくしの不徳の至り」

 英雄のクローンの固い決意を汲み取ったらしく、
レディベアは、連れて行かないとは言わなかった。

>「君が謝ることじゃないさ、レディ……私が好きでしたことだ。
>時間がない……最後まで付き合わせておくれ。そうすることで、私も……この生に意味を持つことができる。
>生きた実感を得られる……そう約束したよね?」

 ローランの瞳がまっすぐレディベアを見る。
それは子どもに言い聞かせるような、
しかと了承を得るのまで譲らないと念押しをしているような。

>「……ええ」

 一拍置いて、思うところがあるような、複雑な表情を浮かべて、レディベアは頷いた。
 一般的にクローンは、寿命が短いとされる。
元々ある程度育っている生物の細胞から作られる故に、
細胞自体が人より老いた状態で誕生するためだ。
細胞のテロメアが短く、人より早く寿命を迎える。
無茶な実験の果てに生み出されたであろうローランはきっと更に――。
 そんな知識がない祈でも、その切羽詰った表情から、
命が残り少ないのであろうことは察せた。

「しょうがねーから連れてくけど、弾避けに連れていくんじゃないからな。
しっかり生き残れよ、ローラン」

 気持ちは分かるし、似た気持ちなら祈も抱いてはいる。
だからこそ、もう止めることはせず、釘を刺すだけに留めた。
 命の使い方は、自身が決めるべきだと思うからだ。
 レディベアが何もない空間に手をかざすと、
この空間から脱するための、扉が現れた。
 
>「参りましょう、祈。
>すべての決着をつけるときですわ」

 祈に先に行くよう促すレディベア。
右手を握り込んでいるのは、決意の固さの表れだろう。

「そうだな……っと、その前に」

 頷きながら、祈は周囲を見渡した。
そして空中を漂う肩がけのスポーツ用のバッグを見つけると、
風火輪の炎を噴かせて歩き、近付いていく。

「あったあった」

 部活やアウトドアに用いられるような、荷物を沢山詰め込めるボストンバッグ。
金属バットを取り出した際、ジッパーを閉め忘れていたため、
中身のいくつかはこの空間に飛び出して、どこかに行ってしまった。
穴あきの金属バットも、放り投げた際に失ってしまっているが、
色々詰まっているこのスポーツ用のバッグは、この戦いにまだ必要だと祈は思う。
 祈はバッグを拾い上げて左肩に掛けると、

「よっし、行くか」

 そういって、扉に近付いて行き、ドアノブに手を掛けた。
 この先には何があるかは分からない。どんな罠が待ち構えているのだろうか。
それに龍脈の光を奪って逃げた黒い魔物のことも不安がある。
おそらく良い結果を生まないだろうと、悪い予感が、祈の胸中に訪れていた。
 だがドアノブを捻って、祈は扉を開き、その中へ入っていくのであった。

161多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:07:15
 そうして扉を潜ると、重力が働く、建物の内部に出た。
東京都庁のどこか、どうやら廊下に出たらしい。
人影も天魔の影もなく、一本道がずっと続いているだけだ。
拍子抜けするぐらいに何もない。
 それでも警戒しながら、祈たちは長い廊下を進む。
扉を潜ったローランには、肩を貸しつつ。
 そうして辿り着いたのは、休憩スペースであった。
自販機があり、長椅子もある。
そして奥には、『北側展望室』と書かれた扉があった。
この先に、赤マントが待っているのであろうと思われた。

「みんなは……まだ来てねーのかな」

 それとも、既に先に進んだのか。
あるいは、各々別のルートから北側展望室に入る仕組みになっているのか。
それはわからない。

「あたしら、接待役を倒したら北側展望室に行けるって話になっててさ。
ここまで一本道だったし、もしかしたら橘音たちもこっちに来るかもだし。
休みながら、ちょっと待ってみようぜ」

 祈は肩を貸しているローランを長椅子に座らせると、
次いでバッグを長椅子に降ろして、小銭入れを取り出した。
そして自販機の前に歩いて行き、小銭入れから取り出した500円玉で、
ペットボトル入りのオレンジジュースやら、スポーツドリンクやらを買う。
 二人に適当に渡すと、ぽすっと自身も長椅子に座って、
オレンジジュースを飲み始めた。
 この先に赤マント待ち構えているのなら、
仲間が揃っていない状況で焦って北側展望室に突入するのは危険であった。
戦闘音が聞こえてくる訳でもないし、
少し待って仲間が集まるかどうか確かめた方が安全であろうと判断したのだ。
 何より、体力がまったく回復していない。
 龍脈の加護によって普段よりも再生能力が上がっているとはいえ、すぐに回復するわけではない。
 手のひらは皮が剥けたり擦り傷ができたりで血塗れになっているが、
これでもだいぶマシなほうで。
 レディベアには見せていないが、パーカーの袖に隠れた腕はもっとひどい。
青あざができ、打撲や骨折やらなにやらでパンパンに腫れ上がっていた。
自身に見合わない妖力を龍脈から引き出して戦っている所為か、疲労感もある。
レディベアもローランも万全でなく、この状況での連戦は危険であった。
 河童の軟膏や、迷い家のお湯でもあれば良かったのだが、
時間的に用意は無理があった。

「そうだ」

 だが、祈は何かを思いついたらしく、バッグの中を漁って、何かを取り出した。
赤く四角いパッケージに入ったお菓子。
開いて中の銀の包装を破れば、細長いプレッツェルにチョコを塗ったお菓子が複数本入っている。
祈は一本食べ、レディベアやローランにも差し出した。

「はい、これも良かったら」

 そのほかにも、駄菓子やらがバッグからはゴロゴロ出てくる。
気休めでしかないが、失ったカロリーを取り戻せば、
多少は体力も回復し、待っている間の気も紛れるだろうと。

162多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:10:48
 そんなこんなしながら待っていると、廊下の奥から人と思しき者の足音が響いてきた。
やってきたのは、ノエルであった。
酷くボロボロの様相であったが、無事にノエルも赤マントが課した試練を突破してきたらしい。
 それを喜ばしく思う祈。
 祈の後ろに隠れているレディベアを指で示し、ちゃんと助けたぜ、と得意げにいってみせた。
その後に、同様に満身創痍の尾弐やポチが続き、最後に、

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
>まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

 橘音がやってきた。
 こちらはどちらかというと外傷が見当たらず、余裕があるように見える。

「みんな無事……かどうかはともかく、揃って良かった」

 とはいえ、中には無事と言い難いぐらいに傷を受けているものもいた。
それを見かねた橘音は。

>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
>これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
>マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

 そういって、マントの内側からピルケースを取り出して、
仙丹らしいカプセルを一人一人に渡していった。

「さんきゅー」

 ぽいとカプセルを口の中に放り込み、オレンジジュースで流し込もうとすると、

>「ふぁい、ろーろ」

 尾弐の前に立った橘音が、カプセルを銜えて、キスをせがむようにしている姿が目に入り。
 
「んぐ!? ぐっ、げほっげほっ。肺に入ったかと思った……」

 刺激的な光景に思わず吹き出し掛けるも、
なんとかカプセルとオレンジジュースを飲み込むことに成功する。
赤面やらむせるやらで思わず大変なことになっていた祈の後ろで、ずっと隠れていたレディベアだったが、
ふと、前に出て、声を張り上げた。

>「あ、あ……あのっ!」

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
>目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
>多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

 レディベアが深く頭を下げる。
祈はそれを黙って聞いていた。
レディベアには、二人の関係を仲間に明かしたことを伝えている。
その上で、きちんと協力関係を築きたいとレディベアは言っていたからだ。

>「わたくしのしたことは、許されることではございません。
>本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
>けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
>償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

 そして共闘を申し出るのであれば、レディベアが自身で信頼を勝ち取らなければならない。
そこに祈が入っては意味がない。そう思って黙っていたのだった。
 レディベアにローランも加わり、戦列に加えて欲しいと、力を合わせようと頼んだ。
 まずそれに応えたのは橘音であった。
 肩をすくめて、

>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
>大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
>償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
>それが何より大事なのですから。

 こう許可を出してくれたのだった。

>第一……」
>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
>黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
>ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
>祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

「……いいってさ、モノ」

 祈は、そういってレディベアの肩を叩く。
 祈は特に何かしたわけではない。敵と友達になっただけで、
元々レディベアは根が悪い妖怪ではなかったのだと、そう思っている。
 橘音が他の仲間に目配せをすると、
仲間たちはレディベアとローランが戦列に加わることに、最終的には許可を下した。
 それに対し、レディベアは涙ながらに感謝し、頭を下げるのであった。
 祈もまた、頭を下げる。レディベアは自分の友達で、
その罪と自分は無関係ではないからだ。

>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
>最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

>「皆さん、用意はいいですか?
>泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
>そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

「やった、サイ○だー!!」

 祈は顔を上げて左腕を突きあげる。
 祈はファミレスでも満足できる安い少女である。
 そうして橘音が北側展望室への扉を開き、大きく踏み出す。
その橘音に、祈達は続いて行った。

163多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:39:24
 北側展望室は広大なホールとなっており、カフェスペースや購買スペースで構成されていた。
ホールの一面はガラス張りになっており、スカイツリーを含む東京が一望できる。
窓際で、東京の街並みを睥睨していた赤マント――マントを羽織ったシルクハットの怪人は、
こちらへ歩いてくる複数人の足音に気が付いたらしく、こちらを振り向いた。

>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
>ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
>それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

 祈には判別できないが、妖気を発していることからおそらくは実体であろうと思われる。
 
>「……ベリアル……!」

 忌々し気な声で、橘音がそう呟く。
怒り、殺気すらも感じさせる声を聞きながらも、赤マントはいつもの態度を崩しはしなかった。

>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
>諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
>ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

 接待役とやらも倒した。
 追い詰めたのは、ブリーチャーズ側であるはず……だが、
追い詰められた様子が一切ないところを見るに、向こうも迎え撃つ準備は万端なのだろう。

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
>吾輩はウソをつかないからネ!」

 この局面で一切焦ることすらない、それどころかおちゃらけたような言い回しに、
苛立った橘音が舌打ちをする。

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
>手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
>生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
>この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
>アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
>もう、何もできっこありませんよ」

(……あっ、だから晴朧じーちゃん、電話で『後でな』って言ってたのか)

 東京都庁に殴り込みに来る前に、祈は晴朧へ電話をしている。
その際、そういわれた理由が今になって分かり、橘音を驚いた目で見る祈であった。
 そういえば、祖母も母も、何か準備をしていたように見えた。
もしかしたら、二人もその戦列に並んでいるのかもしれない。
 どうあれ、妖怪の大軍団、そして日本明王連合の陰陽師達が囲んでいるのであれば、逃げ場はないだろう。
いつもどこかに逃げ隠れする赤マントだが、さすがにその結界内からは容易くは逃げられまい。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
>東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

 橘音は強く宣言するが、

>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
>せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
>キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
>生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

 赤マントは橘音を始め、ブリーチャーズを一人一人嘲弄していくだけである。
ノエルも、尾弐も、ポチも。それに対する仲間の反応は様々だった。
 そして赤マントが最後に祈を見て、同じく挑発の言葉を吐きつける。

>「祈ちゃん。キミの人生をメチャクチャにしてやった吾輩と、ついに対峙する時が来たネェ。
>どんな気分かネ?父親を殺され、母親をバケモノされ、他の同年代の人間たちが当たり前に享受している家庭の団欒。
>それを味わえず、孤独に育った『路地裏の悪童』としては――?
>おめでとう!長らくのいじらしい努力が実を結び、キミは今まさに仇敵の前にいる。
>吾輩が憎いだろう?殺したいだろう?隠さなくてもいいヨ……クカカカカ!
>殺したくないだの、救いたいだのと、自分を偽るのはやめたまえ。どうせ最後なんだ、ぶっちゃけていこうじゃないかネ!
>人間素直が一番だヨ!」

 それに対して祈は。

164多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:41:20
「……はんっ! あたしを殺してやりてーってキレ散らかしたいのは、本当はおまえだろ? 赤マント。
人生をめちゃめちゃにしてやったはずの子どもが、
母さんを取り戻して、父さんにも会って。仲間や友達と一緒に、おまえに負けることなく刃向かってきてんだから。
しかも、そんな子どもが、欲しくてたまらない龍脈の力も使えるときたら、悔しくないわけねーよな?
殺せるもんなら殺してみろよ赤マント。殺されてやるつもりはねーし、
おまえは今日あたしらにボコボコにされて、計画もパーになる。
枕も濡らすことになるわけだけど、その赤いマントで涙拭う準備はできてっかコラ!」

 バチクソに、冷静に煽り返した。
路地裏の悪童だからこそ、悪意や害意をぶつけられるのには慣れている。
そして何か隠し玉を持っていようが、時が満ちて準備が万端になっていようが、
罠を何重に張り巡らせていようが、気持ちでは負けていられないからだ。

 確かに祈の内側には、赤マントに対する負の感情がある。
自分がされたこと、仲間がされたことに対する怒り。
そして龍脈が見せた記憶の中で、ベリアルによって苦しめられた人々の慟哭を聞いた。
だからこそ、悲しみも怒りも憎しみも、祈の中で燃え滾っている。
それでも冷静でいられるのは、この場に仲間や友達がいるからだ。
この建物の外には、守るべき街と家族がいるからだ。
四肢があり、まだ戦えるからだ。
絶望的な状況でなく、その胸には希望があるからだ。
だから祈は燃え盛る炎に呑まれずに、殺さずボコボコにするという、
自らの信念に従うことができる。
 祈が挑発し返したのを聞き届け、ローランがデュランダルを構えて、口を開く。

>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
>貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
>長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
>かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

 先程までは剣を杖代わりにして歩きそうなほど元気がなかったのだが、
橘音がローランにも仙丹を分け与えたため、ある程度回復したと見えた。
 剣を構える姿勢にふらつきも、手に震えもない。

>「赤マント……!
>わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
>大人しく裁きを受け入れなさい!」

 レディベアも同様だ。
ボディスーツを着せられ、洗脳された上に無理矢理力を使わされていたダメージは
仙丹によって、ある程度癒えたと見えた。
 その口調に疲れはそう見えず、いつものレディベアと変わりない。

>「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
>麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
>そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
>レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

 一撃必殺の威力を持つデュランダルを振るえるローラン。
自己の能力を高め、有利な状況を作り上げられる空間妖術、ブリガドーン空間を扱うレディベア。
 どちらも敵に回せば厄介この上ない筈だが、
両者が自分に牙を剥いたことを知って尚、赤マントは余裕の態度を崩しはしなかった。

165多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 01:01:13
>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
>お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

 特に気に喰わなかったことなのであろう、父を裏切ったことを責め、
今にも攻撃を開始しそうなレディベアだが、

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
>それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。

 ベリアルは嗤い、それを否定する。

>いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
>その証拠に――」

 そして真っ赤なマントを広げて、右手を大きく振るうと。
赤マントの背後、展望室の外側で、空に横一文字の裂け目が生じた。
それは先程、祈がブリガドーン空間内で見たもの。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

 裂け目が縦に開き、巨大な瞳が出現する。
 妖怪大統領の眼である。

>「あれは……!」

 あまりの巨大さにであろう、
橘音が半狐面越しに、目を見開いたであろうことが雰囲気で分かった。
50メートルはあろうか。
確かに巨大で、一目見れば大抵のものが驚くかもしれないが、祈は知っている。
妖気も何も感じないこれが、ただの幻に過ぎないことを。
 赤マントがハッタリでこちらを惑わし、時間稼ぎでもしようとしているのだと、
祈は判断した。
だからこそ、風火輪に火を入れ、飛び掛かる準備をしたのだが。

>「お……、お、父様……!」

 レディベアのこの一言で、祈は灯した火を消さざるを得なかった。
 祈はブリガドーン空間内でのことを思い出す。
幻の妖怪大統領に向かって、まるで本物の父に語り掛けるようにしていたレディベアのことを。
そして、「妖怪大統領が自身の意に沿っている」という赤マントの発言が、
そのときに生じた違和感の答えではないかと、そう思ってしまったのだ。
 だからこそ問うてしまう。

「な、なぁ、モノ」

 おそるおそる、といった口調で。
 祈は、レディベアを見遣る。
 最も尊敬する父の雰囲気や立ち振る舞い、そして妖気を、娘であるレディベアが判別できないはずはない。
ならばこの『幻の妖怪大統領こそが本物である』、ということにならないか。

「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

 思いつくのは、良くない想像ばかりだった。
 あの幻の妖怪大統領が紛れもない本物であるとすれば。
たとえば、『赤マントが妖怪大統領を喰らってしまった』だとか。
 その力や記憶を丸ごと喰らったために、
レディベアをも騙せるレベルで妖怪大統領の姿を自在に投影できて、
しかもブリガドーン空間の力までも既に掌握している、というような。

 あるいは、『もともと妖怪大統領・バックベアードなる妖怪は存在せず――、
赤マントが生み出して操作していた幻だった』、だとか。
その場合、レディベアはずっと幻を父だと信じ込まされており、
だから幻の妖怪大統領を見ていても本物だと信じて疑わない、というような。
 どちらにしても。どちらでないにしても。
 祈の頬を、冷や汗が伝う。

――地獄の門は既に開いている。祈は、そんな気がしてならなかった。

166御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:14:37
>「ふざけ――――」

殺気を感じ振り向く。
すると、何も分からずただ暴れ回り破壊する事しか出来なかったはずのネフィリムが、コカベルが攻撃しようとするのを遮っていた。
それが最後の一押しとなり、コカベルはついに観念した。

>「わかったよ……。それじゃ、お手並み拝見だね……ノエルちゃん。
 ベリアル兄様はすべての天使の英雄にして、すべての悪魔の手本……。アタシなんか足元にも及ばないんだ。
 ノエルちゃんたち全員の力を合わせても、太刀打ちできるかどうか……」
>「でも、やるんだね……なら、約束。
 いつか、いつか……創ってほしい……。
 愛することが、罪でなくなる……世界、を――」

「分かった。そうなったら私のお店に遊びに来てね。約束だよ」

随分壮大な約束をしてしまったように思えるが、すでに同じ意味合いの約束をクリスにしてしまっている。
約束した相手が増えただけのことだ。
コカベルが凍り付くのを見届け、御幸はネフィリム達に向かって深々と頭を下げた。

「ありがとう……。お母さんのことなら大丈夫、少し眠ってるだけだからね」

目の前に両開きの扉が現れ、それをくぐると都庁の廊下だった。
ノエルの姿に戻って少し歩くと、北側展望室の手前の休憩室では、祈とレディベア、ローランが待っていた。
祈がレディベアを助けたことを得意げに示す。

「祈ちゃん、やったね……!」

二人に駆け寄り、すんでのところで「おっといけない」と立ち止まりみゆきの姿になってから二人一緒に抱きしめる。

「ふふっ、驚いた? これで童達、秘密を共有する者同士だね!」

背景に花が咲いてそうな笑顔で笑うみゆき。外見上はガチで美少女なので性質が悪い。
確かに共に人間の美少女に化けて学校に潜入していた侵略者と変態だが、一緒にするなと怒られそうである。
それ以前にレディべアにはみゆきの正体は最初の瞬間からバレている。
尾弐とポチも順次現れ、例によって例のごとく残るは橘音のみとなった。
しかしノエルは狼狽えない。待ち合わせをすれば橘音は最後に来ると相場が決まっているのである。

「またか……! どうせ能天気に笑いながら来るでしょ」

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

現れた橘音には他の者と違って外傷はなく、余裕で最終防衛機構を切り抜けたように見える。
飽くまでも見る限りにおいては、だが。
魂を何百にも分割するとは並大抵のことではないので、実際のところは分からない。

「……本当に笑いながら来た!? 料亭でガチ接待受けてたんじゃないだろうね!?」

167御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:17:07
>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

「橘音くん、薬の調合できるの?」

受け取った仙丹を口に放り込む。

「うわぁ、心がぴょんぴょんするね! 元気が出るお菓子という名目で売ったら売れるんじゃないかな!?」

多少効きすぎたようだ。
多分心がぴょんぴょんするのはノエルだけだと思われるが、これを売ったら怪しいヤクと疑われて警察が来そうである。

>「ふぁい、ろーろ」

……橘音までも寄行(?)に及び、仙丹効きすぎ説が若干信憑性を帯びてきた。
あれ、でも橘音、もしかして外傷の無い自分は飲んでいないのでは――? まあいっか。
生暖かい目で見守っていたたまれない空気になってもいけないのでとりあえず突っ込んでおく。

「出た――ッ!! 妖怪バカップル! 全世界の非リア達の怨念で爆発しても知らないよ!?」

そんな緩い空気の中、レディベアが意を決した様子で切り出した。

>「あ、あ……あのっ!」

「ん、何? そんなに改まって」

すでにこの場にいることが当然、という風にレディベア達がこの場にいることについて
特に誰も突っ込むでもなく話が進んでいたので、ナチュラルに何だろうと思っている。

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

今までの行いを詫び、共闘を申し出るレディデア。更にローランも。

>「私からもお願いするよ、みんな。
 蟠りもあるだろうし、納得できない部分もあるかもしれない。
 だが――事ここに至っては、みんな目的は一緒だ。
 簒奪者ベリアルを斃す、それがこの場にいる者の宿願だろう?であれば、道はひとつしかない。
 力を合わせよう。遺恨も恩讐も、ベリアルとの決着がついた後で存分に解消すればいいさ」

二人の申し出に、まず橘音が答えた。

168御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:19:27
>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」
>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

「そうそう! 元々組織のコンセプト的に説得して改心させるのが第一候補で倒すのは最終手段だったよね。
最近ガチでヤバイ敵ばっかりでみんな忘れてそうだけど」

ノエルが続く。
そもそも、ノエルは祈がレディベアを助けてほしいと皆に頼んだ時から、助け出せば二人が戦力になるかもしれないと言っていた。
奇しくもその通りになったのだから、今更反対するはずがない。

「というか最初からそのつもりだから! キリキリ働いてもらうから覚悟してね!
……でも、せっかくだから条件出しちゃおうかな? 僕……じゃなかった、みゆきとも友達になってくれる?」

どさくさに紛れて典型的対価型セクハラを敢行している。おまわりさんこちらです。
そんなことは構わず、今度はローランに向き直る。

「やっと自分の役回りが分かったよ。
力を一点に集中させて敵を穿つのは他の人の役目だったみたいだけどね!」

事情があったとえはいえレディベアは、普通の人間から見れば多くの人間を死に至らしめた、大罪を背負う妖怪。
ローランにしても、深い意図があったにせよ一行を殺しにかかってきたのは事実だ。
が、ノエルは元より人間とは違う尺度で生きる者。
許す許さない以前の問題で、今となっては割とマジで気にしていなかった。

>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
 最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」
>「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

>「やった、サイ○だー!!」

「今日ぐらいロ〇ヤルホホストにしない!?」

多少高級だが、ファミレスであることには変わりは無かった。
ともあれ、ついに展望室に足を踏み入れる。そこでは、宣言通りにベリアルが待っていた。

169御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:21:38
>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」
>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

驚いたと言いながら、あんまり驚いているようには見えないが、ノエルは敢えて真に受けた体で言い返す。

「甘い甘い! ゴマなんて僕達の手にかかればちょろいぜーっ! 大豆でも用意しとけばよかったな!」

真面目な話、本当に大豆を用意されたら尾弐がヤバイ。

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

質問をして常に本当の事を言う正直者と常に嘘を言う嘘吐きを判別するゲームがあったとして、
「あなたは嘘吐きですか?」は何の情報も得られない質問だったりする。
しかし常に嘘を言う嘘吐きは裏を返せば正直者なわけで、実際は巧みに虚実を織り交ぜてくる者ほど厄介なのだ。
ベリアルは本当にここで自らの力で一行を迎え撃つつもりなのだろうか?

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

「ベリアル! いや、敢えて言おうカンスト仮面と! 貴様は包囲されているッ!」

内心では“そうだったんだ!”と思いながら勢いに乗っておく。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
 東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

ベリアルは、メンバーの一人一人を挑発しはじめる。

170御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:23:09
>「雪の女王の仔。……キミに吾輩を断罪する資格があるとでも?
 キミの生まれた一族は、虚偽と偽善にまみれている。親が子を騙し、子が親を憎む。嘘の上に嘘を重ねていく……。
 それがキミたち雪妖というものだ。お陰でキミは、内包する人格のどれが本物のキミなのかさえ理解していない。
 吾輩のウソなんて、何もかもが嘘っぱちのキミに比べたらカワイイものだと思うけどねェ!」

橘音に続いて挑発を受けたノエル。
一瞬前までのハイテンションは成りをひそめ、凍てつくほどに涼やかな氷雪の王者としての顔になる。

「そうだね――それもまた真実なのかもしれない。
全てが本物、という答えは無し? 僕はね……真実は一つじゃなくてもいいと思ってる。
そもそも僕は正義の御旗の下に君を断罪しようなんて立派なことを思っていない。
ただ君が破壊しようとしている今の世界を――君に立ち向かう皆を守るだけ。
今更誰にも精神攻撃なんて効かないんだから無駄なお喋りはやめてさっさと始めるのを勧めるよ。
どちらか歴史を紡ぐか――戦いで決着を付けよう」

この戦いでは自らの恨みや怒りは捨て置き、皆を守ることに集中しようと決めた。
幸いそれは、今の世界の存続――銀嶺の使徒としての行動原理と合致している。
それは例えば水が高い場所から低い場所へ流れるような、理屈を超えた性質のようなものだ。
愛を謳い正義を掲げる者を嘲弄し心を折ることこそが、ベリアルの至上の喜び。
ならばその悪意を阻む盾となるのは、愛や正義を掲げない者こそが適任だ。
行動原理がそれとは別のところにあれば、折られようがない。
ベリアルは懲りずに尾弐、ポチ、祈を煽っていくが、いずれも効果は無かった。
ベリアルに力強く言い返した祈の言葉を聞いて、ノエルは微かに微笑んだ。
祈はいつの間にか、ノエルには決して持ちえない類の強さを手に入れていた。
最後に、レディベアがベリアルにくってかかる。

>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

空が裂け、巨大な一つ目が出現する。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

>「あれは……!」

一瞬驚くも、すぐに妖気が全く感じられないことに気付く。
追い詰められたベリアルが苦肉の策で作り出した幻か何かだろう、そう思い、臨戦態勢に入る。
祈などは、風火輪に火をともし今にもとびかかろうとしている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板