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680
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:17:21 ID:diC3r2UM0
「いやぁああ!? 目が!」
「笹森さん、落ち着いて……落ち着いてください」
突然の光で私達は混乱していました。
私は直接見なかったからよかったものの、笹森さんはじかに見てしまって目が殆ど見れなくなっている状況になってしまている。
笹森さんを落ち着かせようと思って、声をかけるも効果が無い。
私はどうしようか戸惑ってしまって、その場でおろおろするばかり。
その時、
「ひぐっ!?」
「え……?」
二つの乾いた音。
それが銃声と気付くのに大分かかって。
私の頬が軽く切れていたことに気付いて。
頬に血がしたった時、私は顔が蒼ざめて。
そして、
「痛いよぉ……」
花梨さんの制服が血に染まってるのを見ました。
そして、鉄の臭いが鼻をついて。
私は思ってしまう。
ああ、これが死だと。
生きていて、そして訪れる死。
今自分が、藤林さん達に与えようとした死。
それが余りにも自分が身近に感じて。
……あ。
もしかして、自分も死んでしまう?
いえ、でも自分はもう死んでいる。
……………………違う。
この頬の痛みと。
この血の臭いは。
この死の空気は。
現実に、あるモノだ。
つまり……私は死んでしまう……の……だろうか。
いや。
いや。
……嫌。
「嫌ぁああああああ」
漏れる絶望の声。
私はこの場に居たくなくて逃げ出そうとする。
「待って渚ちゃん! 置いていかないで! 私を置いていかないで!」
引き止める声。
それすらも、私は振り切って私は闇雲に走り去る。
怖かった、死が。
嫌だった、死が。
だから、私は逃げさっていく。
私は何処に行くのだろう?
藤林さんを殺そうとした私は
一体何処に行く事ができるのだろう?
でも、ただ、私は
死がとても嫌だった。
681
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:17:54 ID:diC3r2UM0
【時間:1日目午後3時半ごろ】
【場所:B-2】
古河渚
【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(5/5)、.38Spl弾×30、水・食料一日分】
【状況:頬にかすり傷、恐慌状態】
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ちっ……杏!?」
竹山を気絶させ、その武装を奪ったハクオロが次に聞いたのは、乾いた音と杏の悲鳴。
そして、地に伏せている少女一人と逃げ去っていった少女一人が見えて。
ハクオロは走って、杏のもとへ向かう。
「杏、大丈夫か!」
「は、ハクオロさん……わ、わた……わたし……う、撃っちゃ……た」
「おい、しっかりしろ!」
「わ、わた……し」
杏の瞳は虚ろで。
ただ目の前の事実が信じられないようにうわ言を呟いている。
ハクオロは舌打ちをしながら、杏の状況を感じ取り、
(くっ……撤退するしかないか)
眼鏡の少年や地に伏せているの事も気になるのは事実だ。
しかし、これ以上戦場の臭いが色濃いこの場所に杏を置いておく訳がいかない。
そう判断したハクオロは、苦虫を噛み潰すように
「杏、逃げるぞ!」
「わた……」
「ちっ、抱きかかえるが、文句は言うなよ!」
未だに虚ろな目を浮かべる杏を抱え、そのまま逃げ去っていく。
だから、ハクオロは気付かない。
地に伏せていた少女が怨嗟の声をあげていた事に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
682
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:18:49 ID:diC3r2UM0
痛い。
痛くてたまらない。
それなのに。
逃げた。
逃げられた。
あの女に。
私が怪我を負ったのに。
彼女は逃げたんだ。
自分の命可愛さに。
私だってまだ生きているのに。
あの女は、逃げちゃった。
私だって、怖い。
痛いのは嫌だ。
そんなん、皆一緒なのに。
古河渚は、一人で逃げ出した。
撃たれた肩がじくじくと痛む。
血が止まらない。
涙が溢れてくる。
それなのに、頭は沸騰するくらい熱かった。
それなのに、心は真っ黒く染まっていくのを感じる。
683
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:19:20 ID:diC3r2UM0
「……せない」
この感情は何だろう。
「……許せない」
怒り。
怨み。
そんなのだろうか。
「絶対に、許さない」
一人で逃げ出したあの子が。
私を置いていったあの子が。
「絶対に……絶対に……」
古河渚が
「絶対、殺してやる」
殺したくなるほど、憎い。
【時間:1日目午後4時ごろ】
【場所:B-2】
笹森花梨
【持ち物:ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料一日分】
【状況:左肩軽傷、古河渚への憎しみ】
竹山
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:気絶】
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
684
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:19:54 ID:diC3r2UM0
「ほら、水だ……落ち着いたか?」
「……ありがとう、ハクオロさん」
戦場から大分離れた民家に、ハクオロと杏は居た。
ハクオロの懸命な語りかけの結果、杏は大分落ち着きを取り戻してきている。
しかし、友人に向かって撃ってしまった。
その事実が杏を苦しめている。
「私……渚に向かって撃っちゃった……そんなつもり無かったのに」
杏の手が震えている。
当たり前かもしれない。友達を撃ってしまったのだから。
殺すつもりはなかったなんて言葉は免罪符にすらなりえない。
延々と杏を苦しめるだろう。
銃を不用意に渡してしまったハクオロにも非はある。
それをハクオロ自身が理解している。
理解しているからこそ、彼女に言葉をかけなければならない。
あの時、伝えられなかった心構えを。
「杏。人は余りにも呆気なく死ぬ。私とて例外ではない」
人は簡単に死んでしまう。
どんな人であれ、致命傷を負えば死んでしまう。
意志を持っていても、それすらも捻じ伏せて。
「そして、人を簡単に殺してしまうのは、その武器でもあろう」
例えば刀、例えば斧。例えば弓矢。
そして杏が持っている拳銃もそうだ。
刀ならば、切れば死ぬ。
拳銃ならば、撃てば死ぬ。
「武器は余りにもあっさり殺してしまう事ができる」
「……じゃあ、なんでそんなモノを私に渡したのよ……」
杏の若干怨みも篭った声。
そんなモノを自分に何故私渡すのかと。
「しかし、武器を使うのもまた人だ」
ハクオロは語る。
武器を使うのもまた人だ。
「それをどう使うのかを決めるのも、また人でしかない。杏」
「どう使うって殺すしか……」
「意志の問題だよ。武器を護る為に使うのか。それとも殺すために使うのか」
「言葉を変えただけじゃない」
「そうかもしれないな。けれど、それでも自分が持てる意志は違うぞ?」
人は意志を持つ事ができる。
武器を護る為に使うのか、それとも殺す為に使うのか。
他にも使い道があるのかもしれない。
それでも、それを決めるのはまた人だ。
だから、
「武器に使われる事は決していけない。杏」
685
:
白光の中の叫び
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:20:24 ID:diC3r2UM0
武器に、使われてはならない。
それでは、何の意志も無く人の命を奪ってしまう。
「君が友達を撃ってしまったのは変わらない事だ。だが」
変わらない罪。
けれども
「それを受け止める事は辛いが……けれども、君はそれ受けて、どう生きていく? どうしたい?」
撃ってしまった事実。
それを受けて、藤林杏はどう生きていくのか?
ハクオロの視線は慈愛に満ちていて。
杏は、その言葉を受け止め考える。
撃ってしまった友達。
悔いても悔いても悔やみきれない。
だけど、そのことは変わらないのだ。
泣いても泣いても、変わらない。
なら、
「謝りたい……撃ってしまった事……渚に謝りたいよ……」
その撃ってしまった事を友達に謝りたい。
それが、杏に今出来る事。
杏が今したいことだった。
ボロボロに泣きながら、それでも決めた、杏が今したいことだった。
「なら、それをすればいい」
ハクオロは笑う。
そして。
「お前がそれをしたいのならば、私はお前が為すべき事に全力で手を貸そう」
力強く放たれたその宣言は。
杏から見ても、正しく王たるものの言葉だった。
【時間:1日目午後4時ごろ】
【場所:B-3 民家】
藤林杏
【持ち物:H&K P2000(15/16)予備弾倉(9mm)×6、水・食料一日分】
【状況:健康】
ハクオロ
【持ち物:ゲンジマルの刀、エクスカリバーMk2(0/5)、榴弾×15 焼夷弾×20 閃光弾×18 水・食料一日分】
【状況:健康】
※ミニバイクはb-2の近くに放置されています
686
:
◆auiI.USnCE
:2011/01/15(土) 04:21:32 ID:diC3r2UM0
投下終了しました。
この度は大変オーバーしてしまい申し訳ありません。
687
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:46:38 ID:sNXtQluY0
機械の瞳に映し出されていたのは夕焼けに覆われた山林ではなく、一面緑色のグラデーションで覆われた世界だった。
人の眼では決して見ることのできない光を用いてイルファは逃した獲物を再び追跡をしていた。
彼女は土が剥き出しの山道に僅かに残された暖色系の色――獲物の体温の残り香を追う。
思わぬ乱入者によって逃してしまったが今度こそ。
手負いの人間を背負った少女ではそう遠く移動してはいないだろう。
イルファは元来た道を引き返して逃げた少女を追っていた。
「ミルファちゃん……」
イルファはぽつりと妹の名を呟いた。
道を違えた妹。否、元より同じ道を歩んでほしいという望みは無かった。
人に尽くすメイドロボが殺戮機械になるのはイルファ自身だけでよかったのだ。
しかし、彼女達は出会ってしまった。
ミルファはきっとまたイルファを止めに現れるだろう。
イルファもまたミルファを全力で破壊しなくてはならないだろう。
姉妹が殺しあう。
自らが招いた悲劇であっても、彼女は修羅の道を突き進むしかなかった。
姉は愛する主と創造主を守るため。
妹は殺戮機械と化そうとする姉を止めるため。
両者も機械としてのプログラムではなく持って生まれた心と感情がそれをさせる。
「珊瑚様……今、この一瞬だけあなたを恨みます。なぜあなたは私達に心という名の知恵の実を授けたのでしょうか?」
そう言ってイルファはくすりと自嘲の笑みを浮かべた。
その『恨み』という感情こそ彼女の創造主が与えた知恵の実の一部なのに。
壊れてもなお、身体のパーツを取り替えれば半永久的に生きながらえることができて、自らの自我すらも0と1の羅列でバックアップを保存できる。
そんな機械の身体という生命の実を初めから与えられているのに、善悪を知る知恵の実すらも与えられた。
「マルチお義姉様……あなたは心を与えられて幸せだったでしょうか……」
イルファはかつて存在した一体のメイドロボの名をそっと呟いた
688
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:47:49 ID:sNXtQluY0
来栖川の研究所の一室に一体のメイドロボが静かに安置されている。
HMX-12のナンバリングを与えられたそれはイルファが生まれる数年前に心を持ったロボットとしてのテスト運用が行われていた。
メイドロボのくせにドジで与えられた仕事は失敗が多かったが、ロボットとは思えないその健気でひたむきな性格は誰からも愛されていた。
人に使役される機械ではなく、人と供に歩むパートナーとしての彼女。
実験は成功に終わると誰しもが思っていたが、結局そうはならなかった。
不完全に与えられた心がメイドロボとしての使命と、とある少年への恋心の狭間でソフト・ハード両面で多大な負荷を与えることとなってしまい彼女は凍結された。
結局の所、機械に心を持たせることの困難さを再確認させるだけとなってしまったのだ。
だがそのたった数年後、姫百合珊瑚という天才が完全なる心を持ったロボットを誕生させたというのは当時の関係者にとっては皮肉としか言いようが無い。
今後開発されるメイドロボに姫百合珊瑚が構築したシステム――DIAを搭載すれば心を持ったロボットはいくらでも誕生させられるだろう。
しかし彼女は――HMX-12は旧式のシステムの上に心が成り立っている。
故にDIAでは再現不可能なのだ。仮に再現したとしても彼女の人格を模した紛い物でしかない。
いつか旧式のシステムで目覚める日のため彼女は今もなお研究所の一画で長い眠りについている。
いつの日かかつて恋した少年と再びめぐり合う日を夢見ながら――
「…………」
少し感傷的になりすぎたようだ。イルファはそう思い鋼鉄の手で銃を握り締める。
例え人と同じ心を持っていたとしても、その身体の薄皮一枚めくれば人にあらざる異形の姿。
所詮は人の振りをしている機械人形に過ぎないのだ。
■
背後でかすかに響き渡った銃声。
それも一発だけでなく複数の発砲音。
誰かが誰かを襲い、襲われている音。
689
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:48:54 ID:sNXtQluY0
自分以外にも殺し合いに乗ってしまった人がいる。
銃声の主は何を思って銃を放っていたのであろうか。
殺人への快楽?
自己の生存のため?
それとも――守るべき誰かのため?
未だ手の平に残る殺人の残滓。『彼女』を何度も刺したこの手。
愛する夫と娘のために無垢な少女を殺した。
背負った咎はあまりに重かった。
誰かのためという大義名分があれば人はここまで残酷になれるのかということを早苗は自らの手で実証してしまったのだ。
なぜ何度も彼女を刺してしまったのか。せめて心臓を一突きにしてしまえば彼女は苦しまなくて済んだかもしれない。
馬鹿なことを考えると早苗は嗤う。
苦しまずに殺せばそれで自分の罪が軽くなるとでもいうのか。
もう後には引けない。引けないと分かってはいるのに、犯した罪を夫と娘から拒絶されるのがたまらなく怖かった。
午後の青い空はいつの間にかに茜色に染まりつつあった。
銃声を聞いてどれくらいの時間が経っただろうか。十分程度か、それとも一時間以上が経過したのだろうか。
異常な精神状態は時間の感覚を失わせる。早苗は銃声から離れることもなく、近づくこともなくその場で立ち尽くしていた。
まるで自らの迷いがそのまま現れたかのように。
「……!?」
がさがさと薄暗い森の茂みの奥から音が聞こえたような気がして早苗は身じろいだ。
静まり返った山道から聞こえる異質の音。
高鳴る胸の鼓動。緊張で口の中がカラカラに乾いている。
銃声の主がこちらにやって来てしまったのだろうか。もしそうならなぜ早くにこの場所から立ち去らなかったのか早苗は後悔する。
だがもう遅い――異音は早苗のすぐ側にまで近づいて、茂みを掻き分けて黒い影が飛び出した。
690
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:50:50 ID:sNXtQluY0
「あっ……!?」
「―――!!」
影は飛び跳ねるような動きで早苗の前で立ち止まる。
黒を基調としたブレザーを纏った小柄な少女。年は娘である渚よりも少し下だろうか。
そして彼女の背中に背負われた幼い少女、どこか怪我をしているのかぐったりとした表情で目を閉じている。
彼女はまるで雨に濡れて行く当てのない子猫のように憔悴し怯えきった表情で早苗を見つめていた。
「あ……あ……たす、けて……」
震える声で少女は声を絞り出す。必死に茂みを掻き分け森を走り回ったのだろうか彼女の姿はぼろぼろだった。
「おねがいだ……アルルゥをたすけて……」
涙で顔をくしゃくしゃに歪めて少女は哀願する。
早苗は何も答えない。否、答えられなかった。答えられるはずがなかった。
藁を掴む思いで助けを求めてきた少女を殺すなんて言えるはずもなかった。
「ごめん……なさい……っ」
そうとしか言えなかった。
早苗は隠し持っていたナイフを少女に突きつける。
早苗の行動の意味を解した少女の瞳がみるみるうちに絶望の色に染まる。
「そ、んな……おねーさんまで……」
「ごめんなさい……っ!」
「なんで! どうして……! そんなにみんな殺しあいがしたいのかっ! おまえもあの女といっしょなのかっ」
「く……っ」
少女の言葉が胸を突き刺す。
後に引けないはずなのに。もう一人を殺してしまって戻る道は無いはずなのに。
振り上げたナイフを持つ手が震える。
彼女は背負っていた少女を地面に寝かせると、両手と両膝をを地に着いて懇願した。
「おねがいだ……あたしを殺すなら殺してもいい……っ! でもアルルゥだけはたすけてくれ……! たのむ……たのむ……」
アルルゥと呼ばれた少女は胸を赤く染めてぐったりとしている。
拙い止血の痕。何の医療技術も持たない彼女が必死になって処置をしたのだろう。だがこのままでは少女の命が危ぶまれるのは一目瞭然だった。
691
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:52:08 ID:sNXtQluY0
「っ……」
その姿が早苗の脳裏に過去の出来事をフラッシュバックさせる。
もう何年も昔、まだ渚が幼かった日のことだった。
雪が降り続くある日、渚は熱を出して寝込んでいた。しかし早苗も秋生もどうしても外せない仕事のため寝込む渚を置いて家を出た。
家で大人しく眠っていればすぐに治る――そう思っていた二人は最悪の事態を迎えてしまう。
家に帰って来た二人が見たものは、家の外で半ば雪に埋もれいる状態で倒れている渚の姿だった。
「鈴……おねーちゃん……」
うっすらと目を開けたアルルゥが少女――鈴の名を弱弱しい声で呟く。
「だいじょうぶだ……! アルルゥはおねーちゃんがたすけてやる……! だからもう少しだけがんばってくれ……!」
鈴はアルルゥの手を握り必死に励ましを続ける。
アルルゥは虚ろな目で視線を移す。その瞳の先に映るのは早苗の姿。
朦朧としたアルルゥは早苗の姿を見つけると、無意識に呟いた。
「おかあ……さん……?」
「ああ――――――――」
その言葉が早苗に生じた迷いへのとどめだった。
大きく息を吐き出した早苗の手からナイフがぽろりと転がり落ちる。
できなかった。早苗に彼女達を殺すことはできなかった。
早苗は崩れ落ち嗚咽の声を上げる。
「おねーさん……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
鈴はすすり泣いて謝罪の声を上げる早苗の姿を呆然と見つめていた。
その謝罪は鈴とアルルゥに対するものなのか、それとも自らの身勝手な大義のために殺めた少女への謝罪だったのか。
それは早苗自身すらも分からなかった。
692
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:53:33 ID:sNXtQluY0
■
「わかってはいたんです……わたしにそんな大それたことなんてできないって」
結局、早苗が冷酷な殺人者になりきることはできなかった。
渚と秋生のために母と妻を封印してまで一人の少女を殺したというのに。
「でも、もう後には引けなかったんです。もうわたしの手のひらは血に染まってしまって、ここで引いたらなんのためにあの子を殺したんだって」
早苗は鈴の前で己の犯した罪を告白した。
それはさながら告解室で懺悔をする敬虔な信徒ような姿だった。
鈴は何も言わず早苗の言葉に聞き入っていた。
「だから……迷いながらもあなたたちを殺すつもりでした。アルちゃんの声を聞くまでは――」
朦朧とした意識の中に見た早苗の姿。
まだ幼いアルルゥが年上の女性に母親の影を見たのはごく自然なことだった。
だがその声のおかげで早苗は寸でのところで踏みとどまれたのだった。
「くすっ……身勝手ですねわたしは。もう一人殺してしまっているのに何を言ってるんだか」
溜息混じりの自嘲の笑み。早苗の背負った罪はあまりに重い。
今までずっと黙ったままの鈴であったが、口を開き言った。
「ううっ……あたしは何を言えばいいかわからない……ごめんなさい」
「いいのよ鈴ちゃん。ただ誰かに聞いてもらいたかっただけだから」
「でも……もう早苗さんがもうひとごろしをしないなら、あたしが何かいうべきことじゃないんだと思う。うう……やっぱり何を言えばいいかわからない」
「鈴ちゃん……」
その言葉が早苗を幾分か楽にさせ、己の罪を苛ませる。
693
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:55:41 ID:sNXtQluY0
「よいしょっ……アルちゃんの手当てはとりあえずはこれで……」
早苗はアルルゥの傷口を水で洗い流し、綺麗な布で再度傷を覆う。
「ア、アルルゥは大丈夫なのかっ!?」
「出血のわりに傷口は深くないけど……傷口の化膿が心配ね」
「なんとかならないのかっ!」
「せめて綺麗な包帯と消毒薬があれば何とかなると思うけど……」
「そんなのものあたし持ってないぞ……」
「わたしも……ごめんなさい」
アルルゥの傷は決して浅くはないがすぐに適切な処置を施せば一命を取り留めるものだった。
だが鈴はもちろんのこと早苗も素人に毛が生えた程度の医療知識しか持ち合わせていなかった。
「もしかしたら病院に行けばあるかもしれないわ」
「そ、そうなのかっ!? なら行こう! アルルゥ……もう少しのがまんだ絶対にあたしと早苗さんが助けるから……!」
早苗は眠っているアルルゥを抱き起こし背負う。
小柄なアルルゥの身体はひどく軽かった。
■
「早苗さん……疲れてないか? あたしが代わるぞ」
「大丈夫よ。鈴ちゃんこそアルちゃんをずっと背負って疲れてるんでしょう? わたしに任せて」
「うん……」
赤く染まった空の下、早苗と鈴は山道を歩く。
早苗に寄り添う鈴、早苗に背負われるアルルゥの姿は本当の親子のような姿だった。
「ううっ……あいつらに出会ったらどうしよう……」
「あいつら?」
「アルルゥを刺した女と、その後であたしたちを襲ったバケモノ女」
694
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:57:09 ID:sNXtQluY0
バケモノ女。鈴の妙な表現に早苗は喉の奥に小骨が引っ掛かったような違和感を覚えた。
「鈴ちゃん、そのバケモノ女ってどんな姿?」
「思い出すのこわいけど……顔の半分と腕の皮が剥がれてた。それで機関銃を持ってた。やっぱり思い出すのこわい」
「それって……火傷の痕かしら……。それで鈴ちゃんはどうなったの?」
「はるみが助けてくれた。へんなピンク色の制服着てたやつがあたし達を助けてくれた」
鈴の前に現れた少女。彼女は河野はるみと名乗っていた。
鈴はその後すぐにその場から逃げ出したため、彼女がどうなったかまでは把握できていなかった。
「はるみ……」
鈴は一言助けてくれた少女の名を呟いた。そして無言で歩く。
二人とも話をするタイミングが見つからない。重たい空気が二人の間を流れていた。
しばらくそうしたまま歩いていると、早苗の背中で眠っていたアルルゥが声を発した。
「ん……おかあ……さん……?」
「アルルゥ!? 目が覚めたのかっ、まだ傷は痛むかっ」
アルルゥの顔色は芳しくない。だがアルルゥは目をこすりながら鈴に言った。
「いたいけど……がまんできる。鈴おねーちゃん……このひとだれ」
「早苗さんだぞ! アルルゥの傷を手当してくれたんだ。ちゃんとお礼をいうんだぞ」
「ん……おかーさんじゃない……でも、おかーさんのにおいがする。……ありがとう」
アルルゥは顔を早苗の背中に埋めて言った。その仕草は本当の親子の光景に見えた。
「アルちゃんの本当のお母さんは……?」
アルルゥはふるふると首を振った。
「でもお父さんとお姉ちゃんがいてるからだいじょうぶ」
「心配するなアルルゥ、あたしと早苗さんがお前のお父さんとお姉ちゃんを探してやるからなっ」
「うん……」
「他に……アルルゥの知ってる人はいないのか? 友達とか」
「……ユズっちとカミュちー」
「そうか! その二人もちゃんと探してやる! な、早苗さん」
695
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:58:20 ID:sNXtQluY0
笑顔で早苗の顔を見る鈴。
だがその早苗の顔は真っ青でその肩は小刻みに震えていた。
「早苗……さん? どうした……?」
「なんでも……ないですよ……鈴ちゃん。ねえアルちゃん、ユズっちってどんな友達?」
「んー……身体よわくて、目が見えなくて、ちゃんと寝てないといけないのにそれでもいっしょに遊んでくれる友だち」
その言葉は早苗にとって頭をハンマーで殴られたに等しい衝撃だった。
自ら手にかけた盲目の少女は確かにそんな名前を名乗っていた。
結局――いくら取り繕うとも犯した罪からは逃れられない。
だけど逃げない。逃げてはいけない。犯した罪から真正面に向き合わなくては――
「ごめんなさい……アルちゃん……」
「さなえさん……?」
「あなたの友達は――わたしが殺しました」
震える声で、喉の奥から搾り取るように声を出す。
いくら謝っても、許してもらえないと分かっていても秘密になんてできない。
鈴とアルルゥにどれだけ軽蔑されようとも罪の重さから楽になりたかった。
「早苗さん……そんな……」
「ごめんなさい鈴ちゃん……わたしはやっぱり人殺しです」
項垂れる早苗。鈴も何を言えばいいのか言葉が見つからない。
そんな中、早苗の告白を静かに聞いていたアルルゥが口を開いた。
「さなえさん……おろして」
「……はい」
言われるがままに早苗はアルルゥを背中から降ろす。
苦痛に顔を歪めるとアルルゥは痛みで足元がふらつくもしっかりと踏みとどまると、真っ直ぐな澄んだ瞳で早苗に向って言った。
696
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 21:59:50 ID:sNXtQluY0
「……しゃがんで、さなえさん」
「…………」
無言で早苗はしゃがみ込み、アルルゥと視線を合わす。
その表情は怒っているのか哀しんでいるのか、表情からは感情は読み取れない。
ただ、その穢れ無き瞳だけが早苗の罪を射抜いていた。
そしてアルルゥは早苗にむかって手を伸ばして。
なでなで、なでなで。
早苗の頭をやさしく撫でた。
「アルちゃん……?」
「でもさなえさんはアルルゥをたすけてくれた。そしてちゃんとアルルゥとユズっちにあやまった。たぶんユズっちはそれだけで十分」
「ごめん、なさ……い。ぐすっ……ぁぁ……」
「うん、さなえさんはいいこ、いいこ」
「ああっ……うあぁぁ……」
初めて己の罪を赦されたような気がする。
幼い少女がまるで聖母のような優しい笑みを浮かべて早苗の頭を撫でている。
早苗はアルルゥの小さな身体を力いっぱい抱き締めようと腕を伸ばし。
静かな森に乾いた音が数発鳴り響いた。
「アルちゃん……?」
「アルルゥ……?」
早苗も鈴も何が起こったのか理解できなかった。理解したくもなかった。
早苗が腕を伸ばそうとした瞬間、乾いた音とともにアルルゥの小さな身体が飛び跳ねるように吹き飛び地面に叩きつけられた。
697
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:01:17 ID:sNXtQluY0
「あ、あぁぁ……アルルゥゥぅぅぅ!」
絶叫とともに鈴はアルルゥの元へ駆け寄る。
結局――奇跡は起こらなかった。地面に広がる赤い染み。
アルルゥは胸と頭を撃ち抜かれ即死だった。
「そ、んな……アルちゃん……どうして――あぐっ!」
さらに乾いた音が響き早苗の肩に焼け付くような激痛が走る。
「さ、早苗さんっ!」
撃たれた早苗の元へ駆け寄ろうと顔を上げる鈴。
だが足が硬直してしまい動けない。それもそのはずだった。
蹲る早苗の向こうに佇む人影。西日を浴びて真っ赤に燃え上がった異形の姿は忘れようにも忘れることのできないもの。
少し風変わりなメイド服に身を包み、変わった耳飾りを付けた青い髪の少女。
10人が見れば10人が間違いなく美少女と称する美貌。
だがそれは顔の左半分のみで、右半分は焼け爛れた皮膚の間から煤にまみれた金属質の骨格が露出している。
その顔は宝石のような赤紫色の左眼とは対照的に無機質な機械の右眼が禍々しい赤い光を放っていた。
そして間接部のモーターの駆動音を鳴り響かせる機械の右腕は、鉄塊のような銃を握り締めていた。
「ああっ……どうしてバケモノ女が……お前っはるみはどうしたんだ!」
恐怖を押し殺して鈴は鋼鉄の少女に問う。
「バケモノですか……否定はしませんよ。今の私に相応しい表現ですね。ああ……ミルファちゃんですか? 彼女ならもういませんよ」
「なっ……そん、な」
淡々とした口調で少女は鈴の問いに答える。
「あ、あなたは――き、機械――!?」
「ええ、私はただの機械ですよ。どれだけヒトに似せようとしてもほら、薄皮の下はこんなおぞましい姿」
698
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:03:15 ID:sNXtQluY0
まるで人間のような感情を込めて機械少女は早苗に向けて言葉を発する。
彼女の言うとおり剥き出しの機械部分を除けばその仕草、口調は人となんら変わる事が無い。
故に彼女の人間らしさがより一層、その異形さを引き立たせていた。
「ああ……でも勘違いしないで下さいね。私はロボットですが別にそう命令されているわけでも、そうプログラムされているわけでもありませんよ。
私は私の純然たる自由意志でもって私の大切な人のためにあなた達を害しようとしているだけですから」
早苗は思う。同じだ――彼女は自分と同じ動悸で殺人に臨んでいる。
愛する誰かのために地獄に堕ちる決意をしたのだと。
「可笑しいと思いませんか? ただの機械人形である私がそんな人間のような感情を見せるなんて」
少女は銃を構える。
その銃口の先は――真っ直ぐ鈴を向いている。
「鈴ちゃん! 逃げてぇぇぇぇぇぇっ!」
「なっ……!」
早苗は無我夢中で叫び機械の少女――イルファに飛び掛り彼女を押し倒す。
予想外の反撃にイルファは思わず手から銃が零れ落ちる。
「こ、この……! ――!? あぐっッ……がァッ!」
地面に落ちた銃を拾おうとしたイルファの顔面に衝撃が伝わる。
早苗は馬乗りの姿勢のまま、イルファの赤い光を放つ機械の瞳にナイフを突き入れた。
右眼の破壊によりイルファの視界一面に故障箇所が表示され、警告音が鳴り響く。
「鈴ちゃん! 早く……! 今のうちにッ!」
「あ……あああ……でもそんなことしたら早苗さんが……っ」
「わたしは大丈夫だから……! 後で必ず追いつくから……早く――かはっ」
「早苗さんッ!」
イルファの鋼鉄の腕が馬乗りになった早苗の首を掴む。
ぎしぎしと骨が軋む音。首を絞めるどころかそのまま首の骨を砕かんとイルファの腕は早苗の首を絞める。
「おね……がい、アル、ちゃんのためにも……逃げ、かふ」
「約束だぞ! ぜったいにそんな女ぶっとばしてあたしに追いつくんだぞ! 約束だぞ!」
涙で顔をくしゃくしゃにして鈴は叫ぶ。
首を絞められ声もろくに出せない早苗は笑みを浮かべると静かに親指を立てた。
699
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:06:06 ID:sNXtQluY0
「強く、生きて……鈴ちゃん」
「ぐすっ……さなえ、さん。アルルゥ……さようなら……ああぁ、うぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鈴は山猫のように駆け出した。
生きるために。想いを託された者のために。
イルファは早苗の首を掴んだまま立ち上がる。
早苗はイルファの右腕一本で宙に吊るされた状態だった。
鉄の指が早苗の喉に深く食い込み呼吸すらままならない。
イルファは首の拘束を若干緩めると早苗に向って問いかけた。
「……どうして、そこまでしてあの子のために命を投げ出せるんですか。あなたと彼女はこの島で出会ったばかりでしょうに」
「わた……しは教、師でし……たから。子どもたちを守るのは当然……でしょう?」
「…………」
「そして……何より――わたしは母親ですから……それ以上の理由、なんて……ないですよ」
「母親……ですか。私はなりたくても決してなれないモノですね」
「ふふふ……本当にあなたって人間みたい。とても、ロボットには……見えませんよ」
「よく、言われます。でも人の心を持ってしまったがゆえにあなたを殺そうとしている。本当にヒトは業の深い存在ですよ」
「そ、うです……ね」
早苗は寂しげに笑う。
どうして人は大切な人のために罪を重ねることができるのだろう。
イルファはもう息をしていないアルルゥを一瞥すると言った。
「……彼女とあなたの命に免じて今はあの子を追うのはやめておきます」
「そう……ありがとう……あなたのお名前は?」
「……イルファ」
「良い……名前ですね」
「……さようなら」
短い別れの挨拶を交わしイルファは右手に力を込めた。
ごきりと何かが砕けるような音がして早苗の身体が大きく一回跳ねる。早苗は手足をぶらりと垂れ下がったまま、もう二度と動くことは無かった。
イルファは力を込めた手を緩めると無造作に早苗の亡骸を投げ捨てた。
赤く燃える空の下、幼い子どもと女性の亡骸が転がる森。
そこに佇む一体の機械人形。彼女は二人の亡骸を凝視すると思わず笑みがこぼれ落ちた。
「くく……くくく……これが人の心を持ったがゆえの結末ですか……」
何も抵抗できない子どもと子どもたちを守ろうとした母を殺した。
誰に命令されたわけでもなく誰にプログラムされたわけでもなく、自らの意思で二人を殺した。
ついに一線を越えてしまった。後はひたすら畜生道を転がり落ちるだけだった。
700
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:07:36 ID:sNXtQluY0
【時間:1日目17:30ごろ】
【場所:C-4】
イルファ
【持ち物:、M240機関銃 弾丸×295 水・食料一日分】
【状況:右眼損傷】
アルルゥ
【状況:死亡】
古河早苗
【状況:死亡】
■
走る。
走る。
山を。
森を。
転がり落ちるように鈴はひたすら走る。
いつしか山を下っていた鈴は寂れた街を走っていた。
視界に見覚えのある景色が飛び込む。
シャッターが閉まった商店街。その中に一軒だけシャッターが開いた店。
最初にアルルゥと出会った場所だった。
701
:
Hariti
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:08:19 ID:sNXtQluY0
「アルルゥ……ぐすっ……」
アルルゥとの思い出をそこに置いていくかのように鈴は込み上げる涙を拭いながら鈴は商店街を走り抜ける。
さらに走る。
走る。
足が棒になりそうになってもう走れなくなった鈴は朽ち果てた神社に訪れていた。
雑草が覆い茂る神社の境内はもう何年も人の手が入っていないのだろう。
鈴はふらふらとした足取りで古びた賽銭箱に背を預けた。
「うう……早苗さん……アルルゥ……はるみ……あたしは……あたしは……」
膝を抱えすすり泣く鈴。
これからどうしていいか何もわからない。ただ孤独のみが彼女を苛む。夕闇の中ひとりぼっちの彼女。
そんな彼女の脳裏にリフレインする早苗の最期の言葉。
強く、生きて――
その言葉だけが折れそうになった鈴の心を唯一繋ぎ止めていた。
【時間:1日目17:30ごろ】
【場所:B-3 神社】
棗鈴
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
702
:
◆ApriVFJs6M
:2011/01/17(月) 22:08:56 ID:sNXtQluY0
投下終了しました
703
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:43:58 ID:jIOr/mMs0
ちゃぷ、と水音が立てられる。
靴と、靴下を脱いで、まっしろになった足を水につけては浮かす。
その繰り返しだった。他愛もない、ただ水を掻いて遊んでいるだけの行為だ。
足を上げるたび、透き通った水が肌を流れ、元の鞘へと戻ってゆく。
僅かに残った水分でさえも流れ落ちて、乾いて、なくなってゆく。
それが惜しくて、入江はまた足を水の中に入れる。
ちゃぷ、と音を立てて、泡沫が生まれるが、すぐに消える。
当たり前の現象。当たり前の帰結。泡がいつまでも残るはずがないし、水は常にどこかへと移ろうとする。
あたしは、あたしたちは、それに逆らおうとしてきた。
『いやだ』という気持ちひとつだけで、自然の摂理に抗おうとしてきた。
けれども、そんなものは子供の我が侭で、分かっているのに、それでもと言い続けてきた。
意地を張っているだけの幼稚な行為だと分かっていながら、やらなければならなかった。
そうしなければ、自分が自分でなくなってしまうから。
理不尽を認めてしまうことになってしまうから。
やめてしまうことは、自分を許してしまうことだと知っていたからだ。
そうだ、と入江は思った。自分は、自分が許せないのだ。
ちゃぷ、とまた水に足をつける。水は、好きだ。好きだけど、嫌いだ。
704
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:44:20 ID:jIOr/mMs0
入江、の名前が示す通り、入江の人生の半分は水と一緒にあった。
泳ぐことが、いや水に浸かっていることが好きだった。
アクアマリンの色と、僅かな陽光が差し込むスポットライトに演出された静寂の世界。
人間には一分かそこらしかいられない、どこか寂しく、儚い世界が入江は好きだった。
もっと水の中にいたい。そう思って、入江は水泳部に入った。
飽きずに年中泳いでいたので、いつの間にか入江はインターハイを期待される選手になっていた。
自分にしてみればそれはただの結果でしかなかったのだが、もっと水の中にいられることが嬉しかった。
水の中にいることを、誰かが認めてくれる。それだけで何かが報われたような気がしていた。
だからもっと頑張ってみようという気になった。それまで受け身の人生で、
流されることが多かった入江が、初めて自分で決めたことだった。
だが、終焉は唐突に訪れた。なんでもなかった普通の日。
ただいつものように泳ぎ始める毎日を始めようとしていただけなのに、一度目の死が入江を飲み込んだ。
事故だったのか、なんだったのか、今となっては覚えてすらいない。だがその日、確かに入江という人間は死んだ。
そして……ひどく、水の中にいることが嫌いになった。正確には自分に対してどうしようもなく嫌悪を抱くのだ。
なぜ不快感を覚えるのかは分からない。だが自分を許せないという気持ちは確かにあった。
泳いでさえこなければ。こんな人生を過ごさなければ。強烈な後悔の塊と、ありったけの憎悪を詰め込んだ袋が落ちてくる。
しかし自分の抱く感情に対して、入江はどうすればいいのか対処する術を持てなかった。
いくら嫌ったところで、水泳に身を捧げる人生を送ってきたのは事実で、それ以外のなにひとつとして持ち合わせていなかったからだ。
何も取り得のない、何も持たないからっぽの自分。それがさらに入江の自己嫌悪を強くした。
だから《死んだ世界戦線》に入ったのかもしれなかった。
嫌いな自分を認めたくないから、そんな自分に対して復讐を始めるために、
水泳とは何も関係のないバンドにだって参加したのかもしれない。
死ぬ前の自分の、全てが嫌いだったのだ。
それは今も、この瞬間も変わらない。
……けれど。
嫌いだと言い続けたまま、ただ明後日の方向だけを見て、なにも変わっていない自分。
間違ったことを、さらに間違ったことで埋め合わせるだけの時間を過ごしてきた自分。
憎んだまま、あの日から変わらず、変えようともせず、無駄に無駄を積み重ねてきただけの自分。
復讐を始めると言いながら、その実始めようとさえしてこなかった、入江という女は。
やはり何も持たない、からっぽの女だった。
705
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:44:40 ID:jIOr/mMs0
「……」
手のひらで転がす、小瓶の中でたゆたう液体を眺める。
これで終わらせることができる。
必死に昨日から逃げて、逃げて、逃げるだけで、何も実のないごっこ遊びだけを続けてきた、大嫌いな自分に終止符を打てる。
―――いつまでこんなところに居る?
岩沢先輩の、その詩が聞こえる。
あの人にとっては希望を指し示す、その詞は、しかしあたしにとっては、強すぎる光だ。
あたしは、どうしようもなく、弱い。
弱いから逃げ続けている。
過去から。
そして、現在からも。
死ぬなら、さっさと死んでしまえば、終わらせてしまえばいいのに、あたしはそうしないでいる。
なんでだろう? そんなの分かってる。
死ぬのだって、怖いんだ。
『その先』がどうなるか、全然分からないから――
入江は再び水面に視線を落とす。
そこにあるのは透明な境界だった。自分達の世界とは異なる、ただ流れて、どこかへと静かに消えてゆくだけの世界だ。
強烈に、逃げ込みたいという衝動を感じた。
あの中に。煩わしい雑音を全て遮る、甘美を溶かしてゆるゆると混ぜた世界に没入したかった。
だが水は嫌いだった。そうすることは、できなかった。
結局、何も選べないのだ。入江は自虐的に笑い、そのまま水面を見ていることも苦痛に感じて、視線を空へと逃がした。
すると。
「……?」
706
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:44:56 ID:jIOr/mMs0
歪んでいただけの口元が、ぽかんとした間抜けな形に開かれる。
一瞬、我が目を疑う。
空を、誰かが飛んでいる。
それは、鳥だった。人の形を成した、しかし一対の大きな翼を抱えた、翼ある人だった。
大きな黒い羽をはためかせ、何にも縛られることなく、優雅に飛んでいる。
黒い羽。それは即座にカラスを連想させ、岩沢のあの詩をも思い起こさせた。
思わず、水から足を引き上げ、入江は立ち上がっていた。
自分でもどうしてそうなったのかは分からない、衝動的な行為だった。
そのまま黙って見つめていれば良かったものを、入江は行動を起こしてしまっていた。
「ん?」
ばしゃ、という音。勢い良く足を引き上げたときの音が、空を飛んでいた『人』に聞こえ、入江へと目を向かせていた。
目が合う。空中で静止し、ふわふわと浮いている彼女と、視線が交差する。
子供のような大きな瞳が印象的だった。きっちり揃えられたショートの髪形とも相まって、
雰囲気だけ見れば自分よりも年下であるように入江は感じていた。
もっとも、ぴっちりとした導師風の衣装の下に隠された、ふくよかで豊かな体のラインを見れば、
相応の年齢であろうことは分かってはいたのだが。
「あっ……」
お互いに存在を感知して、困ったように少女が身を引く。
入江にしても誰かとの遭遇は初めてであったので、咄嗟の言葉が出なかった。
少しの間時間を費やした挙句。入江の貧弱な語彙が取り出したものは、ありきたりの言葉だった。
「こ、こんにちは」
ぎこちなく手も振っていた。
今は昼。間違ってはいなかったが、どこかが間違っていた。
「あ、ああ、え、えーと、こんにちわ?」
少し言葉を詰まらせて、「ご、ごてーねーにどうもっ」と付け加えられる。
まるで、学年が変わって、新しいクラスの子と挨拶するようだった。
そしてこういう場合、お互いに喋る言葉をなくしてしまうのがよくある結末なのだが、まさにその道を辿ることになった。
707
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:45:17 ID:jIOr/mMs0
「……」
「……」
お互いに苦笑するだけで、気まずい雰囲気が流れる。
入江の勢いは一分と持たなかった。代わりに流れ込んでくるのはいつもの自己嫌悪である。
何で、こんなことをしてしまったんだろう。ふとしたことで死んでしまう状況なのに。
しかしさようならと言ってしまうのもそれこそ不自然な気がして、何も言い出せなくなってしまう。
「あー、えーっと、さ」
あはははは、と妙にテンションの高い笑いを交えながら、向こう側から話を振ってきた。
「何やってるんだろ?」
が、向こうもよく分かっていない様子だった。
本当に、自分達は、死ねるという状況なのだろうか。
日常の中にあるような気まずい雰囲気が、入江を惑わせる。
なので、よく分からなくなって、入江は空気の読めてない言葉で返してしまっていた。
「こ、殺し合い……なんじゃないかなあ」
「あーうんそっか、殺し合い……コロシアイ?」
今度は空気が凍りついた。ピシリ、という音が聞こえた気がする。
そのまま流れるは数十秒の沈黙。
まずいと入江は思った。何がまずいのかと聞かれれば、全てがまずかった。
「……キミは、さ」
本気で逃げ出したほうがいいんじゃないかと入江が思い始めた時点で、またしても均衡を破ったのは少女である。
「そういうこと、したいの?」
「……分からないです。でも、そうなるんだろうなあ、って、それだけで」
殺し合いは、緩やかに続くだろう。いつものように、だらだらとした、実のない時間が折り重なってゆく。
そうして自分達は逃げ続けるだけなのだろう。何の自覚も持たないまま。
「分からないんです。本当に、何も」
708
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:45:40 ID:jIOr/mMs0
入江は弱かった。
弱かったから、一生懸命に分かるだけの気概を持てなかった。
緩やかな『いつも』に身を委ねるしか能のない、無力な女だ。
「だったらさ……一緒に行く?」
脈絡のない言葉と、差し出された手があった。
いつの間にか地上に降り立っていた少女は、影一つ分の距離を置いて入江の傍にいた。
「いいじゃない、別に、分からなくてもさ。そんなことより、一人でここにいる方がよくないよ」
「よく、ない?」
「あー、なんていうかさ……カミュね、あまり頭良くないから上手く言えないんだけど」
カミュ。それが、彼女の名前なのだろうか。
せわしく揺れる黒い羽から、羽根が落ちる。
ここではいけないと、入江に伝える。
「一人だと、気が詰まっちゃうよ」
「そうかな」
「そうだと、思うよ」
―――いつまでこんなところに居る?
岩沢先輩の詞だ。
カミュって子の、黒い、カラスみたいな羽は、あの人の詩を奏でる。
―――いつまでだってここに居るよ。
そうして、あたしを導こうとする。
先に行ってしまった先輩は、しかしそれでも、待ってくれていた。
来るかどうかも分からない、弱いあたし達をずっと待っている。
それは岩沢先輩の強さじゃなくて、やさしさだ。
だから。
だから、あたしは……
709
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:45:58 ID:jIOr/mMs0
「……入江です」
「イリエ?」
「あたしの、名前」
ぱっ、と、カミュさんの顔が華やいだ。
まだやさしさに縋っただけのあたしに、そんな笑顔を向けてくれる。
強くなれるかなんて分からない。岩沢先輩みたいに、なれるわけなんてない。
でも、岩沢先輩は、あたしの尊敬する人だから……
「そっか! じゃあね……」
「カミュ」
「へっ?」
「言ってましたよ、自分で」
「え? あー、あー……あはははは」
誤魔化すように笑うカミュさんに釣られて、あたしも少し笑う。
どんな気持ちから、一緒に来るって言ったのかは分からないけど。
ただ寂しかっただけなのかもしれないし、何か感じたものがあるのかもしれない。
だけど、多分、何かを確かに感じている。あたしのように。
感じたから、人は一緒にいようとする。
「じゃ、じゃあ、いこっか?」
「どこに?」
「……えーと」
ぐい、と手が引っ張られた。
よろけながら、あたしは、あたし達は走り出す。
進め 弾け どのみち混むでしょ
find a way ここから
found out 見つける
rockを奏でろ
遠くを見据えろ
息継ぎさえできない街の中
「これから決めるっ!」
詩は、奏でられる。
710
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:46:12 ID:jIOr/mMs0
【時間:1日目午後3時ごろ】
【場所:D-6】
入江
【持ち物:毒薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
カミュ
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
711
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/23(日) 18:47:04 ID:jIOr/mMs0
投下終了です。
タイトルは『find a way』です
712
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:05:59 ID:Iu2Uelxc0
――ずっと昔に決めたことがある。
私はかつて、馬鹿な子供だった。
弱い人間だった。
いつも奪われる側だった。
だから強くなろうって決めたのだ。
強くなって、今度は私が奪う側の人間になろう、と。
欲しがるだけじゃ得られない。
手を伸ばさないと何も変わらない。
そう思って、走り抜けてきた自信がある。
積み上げてきた今がある。
私は『いま』に生きている。
だけど私が欲しがったものは、得たいと願ったものは、いつもこの手から零れ落ちた。
まだ何も得ていない。まだ諦めるつもりもない。
私はまだ、こんな所で死ぬ気も無いから。
探し続ける。
奪い続ける。
手を伸ばし続ける。
手に入れるまでは、生きてやろうと思っている。
◇ ◇ ◇
713
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:07:38 ID:Iu2Uelxc0
チカチカと反射される銀の光沢に、麻生明日菜は目を細めた。
薄暗いログハウスの中、閉じられたカーテンの隙間から僅かな光が洩れている。
細く差し込む日光は、ベッドに腰掛けた明日菜の手元にまで伸びて、そこにある凶器を照らしていた。
ステンレスシルバーの小型拳銃。
ひんやりとした感触が指先に伝わってくる。
明日菜は銃に詳しくなどなかったが、
膝の上で広げた紙切れには、やたら詳しい説明が長々と書いてあった。
『S&W M49』
それがこの銃の名前らしい。
小さくて、曲線的で、銀色の、リボルバー。
「思ったより、ずっと重いのね」
はたから見れば玩具とそう変わらない見た目でも、ずっしりとした重みが本物だと示していた。
使えば十二分に人の命を奪えてしまえるだろう。
なのに、この銃の愛称は“ボディガード”というらしい。
身を守る殺人道具。
明日菜には凄く皮肉めいているように思えた。
「貰っていくわよ」
目の前で横たわる本来の持ち主に断りを入れて。
ナイフと拳銃をコートの内側に仕舞い込む。
そして今まで座っていたベッドからシーツを引き剥がした。
「……こんなものでいいかしら?」
一応聞いてみたけれど、返事は返ってこなかった。
当たり前だろう。なぜなら、その人物は既に死んでいる。
けれど黙秘は肯定なのだと勝手に見なして、明日菜は目の前の物体にシーツを被せていく。
広げられた純白のベールが、床に倒れ伏す真っ赤な死体を覆い隠していった。
死んだのは少女だった。
殺したのは明日菜だった。
理由は単純にして明快、殺せるかどうかを確かめる実験、というもの。
首の動脈を切り裂かれた少女にしてみれば、理不尽この上ない所業である。
しかし明日菜にとっては十分に価値のある行為だった。
なぜならこれで、自分が人を殺せる人間だと知れたのだ。
世界中の人を、『殺せる人間』と『殺せない人間』に分けたとして、明日菜は殺せる側だった。
それは少なくとも、この世界では重要なことだろう。
「それじゃあ、私はもう行くわ」
714
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:08:57 ID:Iu2Uelxc0
明日菜は空いたディパックに適当な家具を詰めていく。
死体の少女は黙して語らない。そして二度と言葉を発さない。
いましばらくはここに倒れたまま鮮血を零し続け、周囲を赤く赤く染めていくのだろう。
やがて吐き出せる赤を全て吐き出したとき、彼女の行なえる全ての動作が終わる。
明日菜はそれに少しだけ思いを馳せて。やがては興味を失い、歩き始めた。
「バイバイ……えっと……」
別れの言葉の後に彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、思い出せなかった。
考えてみれば、そもそも彼女の名前すら聞いていなかったのだから当然のこと。
だから明日菜はもうそれ以上は物言わぬ死体に何も告げず、扉を開いてログハウスを出ていった。
「さてと、これからどこに行こうかな」
昼の日差しを浴びながら、明日菜は草むらを踏みしめ歩き続ける。
ログハウスの暗さと死体の齎す陰鬱な空気から解放され、
少しだけ心が軽くなったような気がした。
山の空気は澄んでいるし、午後の日差しは優しく降り注いでいる。
「…………?」
けどなぜか、明日菜は自身にも形容しがたい思いに引かれて足を止めていた。
くるりと後ろを振り返ると、少し離れたところにはまだログハウスが見える。
そこから赤い血が点々と明日菜の足元まで続いているような。
そんな、奇妙な幻を見た気がした。
「…………は」
一笑に付して、再び踵を返す。
明日菜はもう一度だけ、心の中で別れを告げた。
――さようなら。
名前も知らない弱い人。
◇ ◇ ◇
715
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:10:33 ID:Iu2Uelxc0
泣きながら少女、塚本千紗は走っていた。
草木を掻き分けて懸命に走っていた。
ぜえぜえと息を切らして。
流す涙も拭わずに。
何度も何度も転んで、泥だらけになろうと立ち上って、
ただひたすらに走り続けた。
きっと、彼女はいま自分が何から逃げているのかもよく分かっていない。
誰に追われるわけでもなく。
ただ感じる怖気に突き動かされるがままに足を動かしている。
湧き上がる寒気が千紗の全感覚を支配していた。
どれだけ走っても恐怖からは逃げられない。
常に心臓を鷲掴みにされているような気分だった。
思うことは一つ。
生きなければならない、ということ。
犠牲にした。死なせてしまった。きっと自分のせいだ。
だから、生きなければ。
帰らなければならない。
――そうじゃないと何のために、私の代わりにあの子が死んだ?
「うわぁああああああああああああああああぁッ!!!!」
自分がいつの間にか絶叫していたことに、千紗はようやく気がついた。
今更危険を自覚して、止めなければと思っても声の止め方が分らない。
全身の恐怖を喉から搾り出すように、叫びが口から洩れ続ける。
「ぁ……!?」
叫びが途切れ、涙で滲む世界が突如落下する。
がくんと大きく身体が傾き、次の瞬間にはうつ伏せに倒れこんでいた。
地面の凹凸で身体が擦れ、衣服や皮膚が削られていく。
ピリリとした痛みが全身に迸った。
「うう……」
転んだのはこれで何度目だろうか。
正確に数えてなどいなかったけれど、
二桁に届きそうなくらい身体を打った記憶がある。
「う、うっ……うぇぇ……」
716
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:12:30 ID:Iu2Uelxc0
土の絨毯に倒れたまま、押しつぶしたような声で少女は泣いた。
声を殺すまでもなく、叫びはもう出てこない。
立ち上がろうにも、身体がまったく動かない。
どちらを行なおうにも既に体力が尽き果てていた。
継続する動作は無力に涙を零すことだけ。
「うっ……ぐすっ……」
「ねえ、あなた……」
そんな時に、真上から声が降ってきた。
「大丈夫……? じゃあないわよね、ごめんなさい。ええっとこういう場合は……」
「……あ」
千紗は瞬きしながら、ぼやけた視界でその人物を認識する。
厚着にコート姿、ベレー帽を深く被った冬服の女性が心配そうに千紗を見下ろしている。
女性は少し考えた後、ほがらかな笑顔を浮かべて言った。
「立てる?」
こちらにむかって、女性の手が差し伸べられている。
それはまさしく千紗にとって救いの手に見えた。
呆然としながらも、腕を伸ばして掴み取る。
すると女性は優しい笑顔のままで、ゆっくりと引っ張り上げてくれた。
「こんなに泥だらけになって……とても怖い目にあったのね……」
立ち上がった千紗の様相を見回して、女性は少し表情を歪めつつ、
「怪我は無い?」
と、聞いた。
けれどその質問に、千紗は答えることが出来なかった。
「……っ!」
「おっとと!」
女性が驚いた声を上げながら、しがみついた千紗を支える。
その顔すら見ずに、千紗は衝動に駆られるまま言葉を発していた。
「ひ、人が、女の子がし、死んで……殺されてっ!」
「…………」
ようやく千紗ははっきりと思い出す。
自分がここまで逃げてきたわけを。
恐怖の根源と、罪の意識。
そう、本当は追ってくる殺人鬼から逃げていたわけじゃなくて。
きっと、残してきた犠牲者から、目を背けようとしていたんじゃないか、と。
「わ、わたし、な、何も、なにも出来なくてっ……!」
「……そっか」
717
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:14:35 ID:Iu2Uelxc0
ぐちゃぐちゃになった感情を、目の前の見ず知らずの女性にぶつけていた。
ガタガタと震えながら、必死にしがみつきながら、罪を告白した。
思いを吐き出せば、少しでも心が救われるのだと信じるように。
「だから逃げ……逃げたんです……! わたしは……わたしは見捨てて、逃げ……逃げないと……!」
「もういいわ」
サク、という軽い音が聞こえた。
「…………え?」
それは女性が一歩を踏み出した音。
そして引き寄せられた千紗が、一歩を踏み出す音だった。
キョトンとした表情で、千紗はその感触に包まれる。
柔らかくて、暖かい。
気がつけば、千紗は目の前の女性に抱きしめられていた。
女性は千紗の衣服の汚れなど気にせず、泥だらけの背中へと両腕を回している。
「もう大丈夫。おねーさんがついてるから」
衣服と人肌の温もりが千紗の心を落ち着かせていく。
優しくかけられた言葉が、思いの吐露を止めさせていた。
「うっ……ううっ……」
後に残ったのは小さな嗚咽の声。
違う。これは違う。きっと目の前の女性は分っていない。
自分に与えられるべきは優しさなんかじゃないはずだ。
千紗はそう思いつつも、送られる温もりを振り払うことなど出来なかった。
「よしよし」
頭を撫でてくれる手を、ただ感じる。
身体を支えてくる腕にひたすら縋る。
涙を受け止めてくれる胸元に、顔をうずめる。
全ての温もりに甘えてしまえるほど、今の塚本千紗は子供だった。
「落ち着くまで、そうしていなさい。落ち着いたら、事情を聞かせてね?」
千紗は胸に顔を埋めたまま、こくりと頷いた。
「そう、良かった」
だからこのとき、
女性がどんな表情をしていたかなど、千紗は知ることもなかった。
◇ ◇ ◇
718
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:16:16 ID:Iu2Uelxc0
林の道を進みながら、麻生明日菜は隣の少女に声をかける。
「つまり、あなたの話を整理すると。
そのクロウって男と長髪の女が二人組みで人を殺して回ってる、って事になるのかしら」
「…………」
「千紗ちゃん?」
「……あ、はい、そう思うです……」
自信のある返事、には聞こえなかった。
そもそも明日菜の話をちゃんと聞いていたかも怪しい。
少女は思いつめた表情を隠すように俯いている。
歩き始めてからずっとこの調子だった。
少女、塚本千紗と出会ってからしばらくして、明日菜はひとまずここを離れる事を提案した。
殺人鬼がうろついているような場所からは早く離れてしまいたい。
これには千紗も小さく同意していた。
そして歩きながら簡単な自己紹介を交わし、彼女の身に起こった一連の出来事を聞いて。
現在に至る。
「まだ、怖い?」
「……怖いです」
「私のことも?」
「あ、いえ、えと……ちょっとだけ……怖いです」
「ふふっ、素直ね」
怯え続ける彼女の反応は無理もないと、明日菜は思っていた。
殺人の現場を見たというのなら、おそらくこれが普通の反応なのだろう。
特に煩わしいとは思わない。話の正確さに関してはあんまり期待できないが。
けれど、とりあえずは『変わった耳の人物は警戒するべし』という情報を得られただけでも十分な収穫といえた。
「あの……明日菜さん?」
「なあに?」
先ほど教えた名前を呼ばれたので、笑顔を作って視線を動かす。
千紗は俯いた顔を上げて、揺れる瞳でこちらを見ていた。
少女らしい、かわいい顔だ。聞いた年齢以上に幼い印象の童顔。
耳の上で結ばれたリボンは彼女の好みだろうか。それとも両親のセンスだろうか。
どちらにせよ、よく似合っている。
「もしかして明日菜さんは……人が殺されるところを、見たことがあるですか?」
「いいえ、一度も無いわ」
第三者が第三者を殺すシーンを、
という意味なら嘘は付いていない。
719
:
弱者選別
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:17:14 ID:Iu2Uelxc0
「私はまだ、人殺しには出会ってないもの」
「でも、それにしたって明日菜さんはわたしなんかよりも、ずっと落ち着いてるですよ……こんな状況なのに……」
「……そうでもないわ。おねーさんだって、精一杯強く見せてるだけよ」
「う……で、ですよね……ごめんなさいです。わたし……自分のことばっかりで……」
失言したと思ったのか、千紗は更に暗い表情で肩を落とす。
そんな彼女を見つめながら、明日菜は思う。
可愛らしい。
この子は見た目どおりの子供なのだ。
単純で、純粋で、無垢な少女。
下手な賢しさなんて、まだまだ身につけていない。
それはきっと、儚いからこその愛らしさ。
「ううん、気にしないで」
だから彼女にも到底、合格点などあげられない。
「あなたに会えて良かった。私も一人ぼっちじゃ辛かったの」
「明日菜……おねーさん……」
「一緒に頑張りましょ。おねーさんが守ってあげるから」
けれど、もう実験は終わっている。
そして千紗は明日菜を求めてくれた。
なら今度は、少しくらい応えてあげてもいいかもしれない。
今だけは。
求める物が見つかるまでは。
彼女と共に進んでみよう。
進む足のりは軽く無いが、重くも無い。
頬に儚い笑みを絶やさずに、明日菜は何となくコートの内側へと手を入れた。
すると硬くて重い、二つの銀に指が触れて。
その冷め切った感触に、彼女はふと12月の肌寒さを想起していた。
【時間:1日目午後15時30分ごろ】
【場所:D-5 】
麻生明日菜
【持ち物:果物ナイフ、S&W M49、予備弾丸、適当な家具、水・食料一日分】
【状況:健康。守ってあげたい誰かを探す。必要のない人間は殺す】
塚本千紗
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康、服がボロボロ、泥だらけ】
720
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/01/23(日) 19:22:32 ID:Iu2Uelxc0
投下終了です。
721
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:20:05 ID:nO1KUkaA0
世の中には、想定外というものがいくらでもある。
単純な計算や数式などでは、ある程度の範疇には対応できても、それ以外に対しては無力を露呈する。
だからこそ、世の中は面白くできているのだと来ヶ谷唯湖は思っていた。
正確には、世界は本来面白いものであると教えてもらったと言うべきだった。
教えてくれた集団の名前を、リトルバスターズという。
「……ふむ、早くも過去に思いを馳せるとはな。私も案外人間かな」
アンモニアのむせ返る刺激臭は、今も唯湖の周囲を漂い、さながら歩く汚物といった様相を呈していた。
神北小毬あたりならば涙目になりながらシャワーを浴びたいとせがむだろうし、
西園美魚あたりなら失神しているかもしれない。
想像し、くすりと笑う唯湖は、この状況を楽しんでいた。
アンモニアによる攻撃は全くの想像外であり、一挙殲滅できるかと思えば一人しか殺せていない。
人間は、人間の死に直面してしまえば頭の処理が追いつかず、しばらく呆然としているものだと思っていたのだが。
頭の中で想像するだけでは生み出せない世界が、ここにはある。
ただ緩やかな死を迎えてゆくだけだと思っていた人生に、このような機会が訪れている。
殺し合いで優勝すれば、生きて帰れる。唯湖はそれについてはさほどの興味を持たなかった。
新しい想像外を、識ることができる。識ることを楽しむことこそが、唯湖にとっての目的になっていた。
今はこうして殺し合いに加担しているが、脱出を楽しんでもよかった。……いや、どちらでも良かった。
そもそも自分という人間には、倫理観というものが欠けている。だから自分の価値観というものも殆どない。
木田時紀や、春原芽衣の視線。なんで殺した、そう問う目を、しかし唯湖こそなぜと問い返したかった。
なぜ悪い。なぜいけない?
よくある子供の反発心などではなく、純粋に、人間が人間を殺すことが悪と定義されている理由が、分からなかった。
それも、識りたいことのひとつだった。
「さて、木田君は答えてくれるかな」
図書室から階下を見下ろせば、既に木田の姿はない。
アサルトライフルと拳銃である。単純な攻撃力で考えるなら圧倒的に唯湖の方が上。
一時退却し、機を窺うというのは理に沿った行動ではある。
このまま逃げ出している可能性もないではなかった。春原芽衣や折原志乃は木田にとっては無関係の人間である。
死のうが、殺されようが赤の他人。見捨てて逃げるという選択肢は当然存在する。
元から友人、だというのならば話は別かもしれない。友情はときとして家族関係にも近い結びつきを生む。
とはいえ、自らの生命がかかった状況で、見えもしない情というものに殉じるかと言われれば、ノーという人間も多いだろう。
さてこの場合、どちらを信じるか。
二つの選択。今度ばかりは、コイントスという運任せの選択をするわけにはいかない。
ここからはひとつ間違えば人生のゲームオーバーという可能性が待ち構えている。
楽しくないことは、できることなら回避しておきたい。
「まあ、とりあえずは」
722
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:20:28 ID:nO1KUkaA0
無難な選択。こちらも索敵に入ることにすることを唯湖は決めた。
拙速よりも巧遅である。このまま逃げられてしまうかもしれなかったが、それならそれでいい。
キルマーク一つはまずまずの成績ではあるのだから。
唯湖は階段を降り、若干慎重に三階へと足を運ぶ。
この船から脱出するには四階から甲板に出る必要があり、そこは今まさに唯湖がいた場所である。
木田の視点になってみよう。仮に木田が引き付け、その隙に志乃と芽衣を逃がす算段なら、自分を四階から引き離す必要がある。
ならば必然、四階から下に移動しているはずなのだ。三階に潜伏している可能性は薄い。
待ち伏せをするという方法もないではなかったが、殺し合いをしているのは唯湖を含めた四人ではない。百二十人だ。
甲板から侵入してきた第三者に狙い撃ちされるかもしれない可能性がある以上、待つというのは得策ではない。
三階に到着した唯湖は、ちらと廊下側を眺めてから二階へと続く階段を下りる。
船室のある三階は廊下が狭い。こんな場所で銃撃を食らえば間違いなく死の一途を辿るだろう。
相手もそれを考えないほどバカではないはず。船室に隠れている、ということは考えにくかった。
そして二階。またもや狭い廊下に、大浴場や調理場へと続く入り口が僅かに見えている。
ここから、唯湖は捜索を開始することにした。
一歩一歩、慎重に足を進める。なるべく足音を立てず、大きな隙を出さないようにする。
同じ人間。急所に撃ち込まれれば、即、死へと繋がる。
脱衣所を覗き込む。清掃は行き届いているらしく、籠はきっちりと整頓され床には水滴ひとつない。
一見、人の気配はない。この奥には浴場がある。無論そこは行き止まりで、他に脱出できるような場所はない。
ここに隠れるのは自殺行為といってもいい。木田はここにはいない。
踵を返し、次は調理場へと向かう。
それまでの暖色系、明るめの色彩が中心だった船の風景が一気に寒色系へと変わる。
ステンレス製のキッチンや様々な調理器具が唯湖を出迎える。
仄かに、生臭い匂いが漂ってくる。ここは少し前まで稼動していたようだ。
一通り見回してみて、構造を把握した唯湖は、次に『そこにあるべきもの』を探すことにした。
723
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:20:48 ID:nO1KUkaA0
正面に構えていたF2000を下ろし、棚やキッチン下などを漁る。
すると、すぐ目的のものは見つかった。想像を的中させた唯湖の唇が不敵に歪んだ。
それは、剣だった。まだ新品で使われていないのか、ぴかぴかのままだ。
剣といっても、それは本物ではない。ステーキを焼くときなどに見世物で使ったりするものだ。
海外にいた経験もある唯湖にとって、初めて見るものでもない。
バーベキューなどで、大の男の握り拳ほどもある肉を持ってきて、その場で切ったりする光景を何度も見た。
切れ味自体は包丁と変わらないレベルだが、重要なのは刃渡りの長さ、だ。
剣の全長は一メートル近くあり、たかだか数十センチ程度しかない包丁とはリーチが違う。
加えて唯湖自身の身長は170程度あり、その分も加味すれば、射程でそうそう遅れを取ることはないはずだった。
流石にF2000と剣を同時に持つと重たい。どちらを装備するか、ということだったが、少し考え、剣へと持ち替えた。
理由は二つ。まず接近戦に対応できること。懐に入り込まれて肉弾戦ということになってしまうと、
格闘技能があるとはいえ所詮は女性でしかない唯湖は若干不利であるからだ。
そしてもう一つは、剣の存在が相手の想定外であるということだ。
一ノ瀬ことみを目前で撃ち殺された木田にとって、銃の印象は非常に大きいものであるはずだった。
そうであるからこそ迂闊に出ず隠れているのだし、隙を窺っている。
つまりは接近戦にしようと目論んでいる。ならばそこに対応してみせれば、木田は狼狽するに違いない。
F2000をデイパックの中に入れ、唯湖は調理室を『飛び出した』。
そしてそのまま一気に、二階へと降りてきた側とは反対側の階段へと向かって駆け出した。
廊下に鳴り響く駆け足の音。それは茂みに隠れた狐を追い立てる、威嚇である。
こればかりは理屈もなにもない、当てずっぽうである。
そろそろ出てくるかもしれないという完全な勘に任せての行動だった。
だが、しかし。唯湖の勘は見事に的中した。
「んなっ!? いきなり……!」
「遅いぞ、少年」
一階へと続く階段に潜んでいた、木田が突然のダッシュに慌てる。
その合間に唯湖は剣を構え、一気に木田へと跳躍した。
拳銃を構える暇さえ与えず、上空から一閃。だがすんでのところで拳銃のバレル部分でガードされる。
とはいえ勢いまで跳ね返すことはできず、そのまま階段下へと木田が転がり落ちてゆく。
受け身はとっていたようで、すぐさま起き上がった木田はあらかじめ開けておいたのであろう水密扉の奥へと逃げる。
「機関室、か?」
追って階段を下りた唯湖は、水密扉の奥に見えるパイプの森を見て呟いた。
隠れる場所は多い。なるほど不意打ちを仕掛けるにはもってこいの場所である。
しかしこちらには剣がある。そうそう不利になることもあるまい。そう判断した唯湖も水密扉を潜る。
機関は今は稼動していないようで、普段ならばエンジンの稼動音が唸りを上げているのであろう機関室は静寂そのものだった。
一歩踏み出すと、カツンと足音が響いた。ふむ、とそれを確認した唯湖は、再び猛烈な勢いで走り出した。
今度は拙速である。足音で現在位置を感知される恐れがあるのならば、速さを優先してもいいと考えたからだった。
カンカンカン、と鉄の床を蹴りながら通路を駆け抜ける。耳に神経を少し傾けてみたが、他に足音はない。
面白い。逃げずに立ち向かってくるか。どこで一撃を仕掛けてくるかに思考を切り替えた唯湖は、すぐに結論を見出す。
724
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:21:05 ID:nO1KUkaA0
「仕掛けてくるなら……ここだな! 少年!」
次の扉。電気室へと続く扉を開けた瞬間に、唯湖は剣を振り下ろした。
空振り。だが、その僅か数十センチ先に木田の姿があった。
タイミングが早かったか。僅かに眉根を険しくした唯湖に、木田が罵声で応じる。
「なんで分かんだよ! クソッタレ!」
「勘には自信があるのだよ、少年」
続いて剣で一突き。既にリーチの差を知り抜いている木田はバックステップし、射程から逃れてくる。
唯湖は慌てず、更に間合いを詰める。銃を構えさせる隙は与えない。このまま畳み掛ける。
長身と剣自身の長さから生まれるリーチに、木田は全く対応出来ていなかった。
ひたすら後ろに下がるばかりで、一向に反撃してくる兆しを見せない。
当たらないようにしながら、今度は倉庫へと続く扉に逃げる。
「どこまで逃げるつもりかな」
続いて振った剣の一撃が、積み上げられていた小さな木箱を壊す。
倉庫に収まりきっていなかったものらしく、乱雑に積み上げられていた。
ガラガラと崩れる木箱と、舞い散る木屑に目をしかめながら木田が「お前を倒すまでだ!」と言い返してくる。
「出来るか? この戦力差だぞ」
「出来るさ!」
倉庫へ踏み込もうとしたとき、木田が人差し指を銃のトリガーにかけていることを唯湖は目撃した。
先程までは、トリガーに指をかけずグリップを握っているだけだった。
反撃の兆しがある。そして「反撃できる」という発言。強がりなどではない。
この状況での反撃手はひとつ――
「くっ!」
全身のバネを総動員させ、剣を後ろに振り抜く。
ギィン、と甲高い音が電気室に響き渡る。
「う……!」
725
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:21:26 ID:nO1KUkaA0
衝撃に顔を歪めたのは、鉄パイプを持った見知らぬ少女である。
全くの想像外の援軍。いつの間に、と思う一方で、どうして木田に味方しているという疑問の方が強かった。
「香月! 下がれ!」
木田の怒声。撃たれると感じたときには、既に銃弾が衣服を擦過していた。
当たりこそしなかったものの、ヒヤリとした感覚が走った。これは、死を恐れるという感覚なのだろうか?
「うわっ!」
漠然とした感覚の間に、木田は尻餅をついて倒れていた。
銃の反動に耐えられなかったのだろうか。
ちらと横を見ると、片手をぶらりと下げながらも再び鉄パイプを持った少女が唯湖へと向かってきていた。
慌てて剣で受け止めるも、すぐに連打される。小柄だというのに振り抜かれる鉄パイプの速度は速く勢いもあった。
「ぐ……! 君のような可憐な子がそういうことをするのは、感心しないな!」
「だって、戦わなきゃ」
「なに……」
「戦わなきゃ、生き残れないよ」
手の痺れが取れたのか、今度は両手で鉄パイプを振ってくる。
剣でいなしたものの、この迫力は尋常のものではない。
木田も体勢を整え直しつつある。このままでは挟み撃ちに遭う。
「……なるほど。感心はしないが、好きだよ、私は。そういうのはね」
剣で鉄パイプを払い、体当たりを仕掛ける。
勢いがあっても体格の差はどうにもならない。
まともに当たり、吹き飛ばされた少女は壁に体を打ちつけて悶絶の声を上げた。
「香月!」
「ここは撤退だな。木田少年。今回は君の勝ちということにしておこう」
「待てよ! 逃げんのかよ!」
「おねーさんは疲れた」
「っざけんな!」
「忠告しておく。その覚悟、なくさぬ方が身のためになるぞ」
726
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:21:45 ID:nO1KUkaA0
そのまま電気室を後にする。
銃声はなかった。何しろあの反動だ。逃げる相手を狙い撃つのは難しいのだろう。
機関室を駆け抜けながら、唯湖は先の感覚を思い出していた。
なにかに恐怖する感覚。不可知のものに触れたような、言葉にできない感覚だった。
銃弾が擦過し、破れた部分を指でなぞる。
また少しだけ、とくんと何かが動く。
そうしたものを感じられるくらいには、まだ人間の感覚が残っているらしかった。
「……面白いな」
楽しい、と感じていた。
* * *
これは、一種の賭けだった。
木田が陽動している間に隠れて来ヶ谷をやり過ごし、その間に船を脱出する。
作戦はシンプル。だが隠れる場所は、来ヶ谷とは皮一枚隔てたものにしか過ぎなかった。
三階、船室の一部屋。そこに芽衣と志乃は隠れていたのだった。
これは志乃の指示。隠れるなら、『あえて見つかりやすい』場所に隠れろという指示だった。
芽衣は訊いた。どうして、と。
志乃の返事は至ってシンプルだった。「奴が頭がいいから」と。
言葉巧みに自分達を騙し、ことみを一撃で撃ち殺してみせた来ヶ谷が頭が悪いはずがない。
こんな分かりやすい場所に隠れるはずはない、と考えるだろう。
そして結果はその通りだった。来ヶ谷は船室すら通り過ぎず、二階へと向かったのだ。
その隙に、芽衣は志乃の手を引いて飛び出した。一目散に階段を駆け上がり、四階から甲板に出て、脱出した。
陸へと続く鉄の階段を駆け下りながら、芽衣は一度だけ船の方向を振り返っていた。
あそこで、木田は戦っている。たった一人で。人殺しを相手に。
粗暴な物言いで、どこかすれたような仕草で、けれど常識的な普通の人間だった木田が――
戻りたい、と芽衣は思ってしまっていた。
何ができるか分からないし、何もできないかもしれないけれど、戻りたい、と思ってしまったのだ。
ひとりでなんて、あんまりにも水臭いじゃないか。
そう考えていた芽衣の意志を感じ取ったかのように、不意に志乃の握る力が強くなった。
無言で、どこか怯えた目つきで、しかし確かな意識を持った志乃が、行くなと伝えていた。
だから、芽衣はそれ以上船を見ていることができなくなってしまった。
自分が行ってしまったら、この人はどうなる? その疑問が浮かんできたからだった。
行ってしまえば、今度はこの人がひとりになってしまう。以前よりも暗くて怖い、一人に。
できるわけがなかった。結局、芽衣は自分よりも目の前の他者を優先させた。
自己を満足させる量よりも、良心が痛む量の方が多いと分かってしまったからでもあった。
普段から誰かを気遣うことの多かった芽衣は、その選択しか取れなかったのだ。
だが、そうしたところで、木田を置いていってしまった事実が変わるわけではなかった。
ひょっとしたら、自分はひとを見捨ててしまったのではないか。
心の底、ほんの小さな闇から這い上がってきたその言葉に、芽衣は歯軋りした。
苦しかった。重たかったのだった。
727
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:22:05 ID:nO1KUkaA0
「おにいちゃん……助けてよ……」
志乃という、大人の手を引く少女は。
春原芽衣という名前の、少女は。
まだ子供でしかなかった。
* * *
「クソッ……なんだってんだよ、あの女」
木田は悪態をつきながら、電気室の床に座り込んだ。
冷たい床の感触が、ツェリスカの反動で痺れた体を冷やしてゆく。
無我夢中だった。やらなきゃやられる。その思いだけに突き動かされて、戦った。
覚悟もなにもない。今をそうしなければいけないから、引き金を引いただけのことだった。
いつものことだ。無性に煙草を吸いたくなった木田だったが、漁ってみても手持ちの荷物にはなかった。
没収されてしまったらしい。ちっと舌打ちして、身を起こしていた香月ちはやの姿を見やる。
髪を短く左右で結ったツーテールと、女の子らしいヒラヒラと模様がついた夏物のワンピースが特徴的な、イマドキの女という風情だ。
しかし異様なのは決して手放そうとしない、僅かに歪んだ鉄パイプだった。
どこかザラついた輝きを宿す鉄パイプは、色鮮やかな彼女の服装とは対照的で、気味の悪さしか木田に抱かせない。
だがそのちはやこそが木田の窮地を救った人物であった。船内を逃げ回っている最中、いつの間にかやってきていたらしいちはやは、
木田の様子を一目見て「どうしたんですか」と尋ねてきた。尋常ではなかった、自分の様子を悟っていたようだった。
ダメ元で協力を申し出た。助けたい人がいる。だから今は力を貸してくれ、と。
勢いに任せた言葉だった。自分でも澱みなく言えたのが不思議なくらいだった。
なぜ、と思う。性分でもない、勝つ自信があったわけでもない。
なぜ、と思う。見知らぬ人間のために、必死になれたのか。
分からないまま、ただ必要に迫られて言葉を吐き出しただけの自分を眺めて、しかしちはやは頷いてくれた。
いいよ、と。「戦えるなら、一緒に戦ってあげる」と言ってくれた。
その華奢な姿からは想像もできないような、落ち着き払った声が、しかし鼓舞するような声が、木田に一握りの勇気を持たせた。
そして木田たちは作戦に出た。作戦といっても、来ヶ谷を一階に誘い込んで挟み撃ちにするだけという単純極まりない計画だったのだが。
ともかく一応は成功を収め、来ヶ谷を追い払うことには成功した。芽衣たちも今頃は無事逃げおおせているだろう。
慣れないことをした疲れ、味わったことのない緊張感、命が助かったことへの安堵が渾然一体となり、溜息と共に吐き出される。
「なぁ」
自分から相手に物事を尋ねるのは珍しいことだった。無言で振り向いたちはやは、僅かに微笑を浮かべていた。
「手際が良かったけど、よくあんなタイミングでアイツに接触できたな」
「この船、知ってたから」
「知ってた?」
「この船に、乗ってたんですよ、わたし」
「……なんだって?」
728
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:22:23 ID:nO1KUkaA0
ちはやは首を動かし、ぐるりと一周見渡してから「信じられなかったけど」と重ねる。
「わたしたちが乗ってきた船と、同じだったんです」
「志乃さんと同じか……」
「知ってるの?」
今度はちはやが驚いた顔を見せた。来ヶ谷に飛び掛ったときでさえさほどの表情を変えなかった彼女が初めて見せる表情。
凍てついた氷のイメージは文字通り氷解した。目を丸くする彼女は、妹の恵美梨と変わらない、年相応の女だった。
「さっきまで一緒だったんだよ」
「入れ違いだったんだ……惜しいことしたなあ。それで、あの女の人のせいで?」
「……ああ。一人殺された」
だから、か、と。小さくちはやは呟いた。
来ヶ谷の様子のことを言っているのだろう。確かに顔色一つ変えず人を殺したあの女は尋常ではない。
「狂ってる。なんだってあんなことが平気で出来るんだよ……」
「……そんなことより」
そのときのちはやの声が、僅かに低く感じられたのは、気のせいだっただろうか。
少しだけ、体に力が入ってしまっていた。来ヶ谷を見たとき同様、敵と相対したときの力の入り方だった。
どうしてそうなってしまうのか理解できなかった。ちはやは味方なのに。
きっと、疲れている。煙草が欲しい。……落ち着きたい。
木田の逡巡には気付かぬ素振りで、ちはやは「志乃さんのことなんですけど」と話題を別にした。
「お兄ちゃんのこととか、知ってました?」
「お兄ちゃん?」
「……香月恭介。わたしの兄です」
言われて、ようやく木田は合点がいった。
志乃と同様、この船に乗り込んでいた乗船者。
ちはやは探しに来ていたのだ。離れ離れになってしまった仲間と会うために。
木田に向けられる視線には、僅かに期待が含まれている。
だが見ていられず、木田は目を自ら逸らした。期待されるということ自体が億劫だった。
「知らなかったな。……そもそも、あんな状態で」
「あんな?」
「知らないのか」
「……志乃さんに、何かあったんです?」
729
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:22:42 ID:nO1KUkaA0
女性を相手に、あの話をするのは気が進まなかったが、木田は事実を言うことにした。
ある程度はオブラートに包んで言ってはみたのだが、志乃が強姦されたという事実はどうしようもなく、
ちはやの目に激しい敵愾心が宿ってゆくのが分かった。
自分たちにはどうしようもなかったことだったとはいえ、どこかばつが悪くなった気分だった。
「許せない……やっぱり、こんなところじゃ……」
「……」
「それで? 別れる前の志乃さんは?」
「一応は落ち着いてた。それに付いてる奴もいるし、何とかなるとは思う」
「じゃ、今は大丈夫なんですね」
「多分、な」
保障はない。曖昧に言うしかなかった木田を、ちはやはしばらく無言で見つめていた。
カラン、と鉄パイプが音を立てた。持ち直していたときに床に当たっただけだったが、その音の不気味さに息を飲む。
ちはやの挙動におかしなところはない。それなのに、どうして恐れているのだろう。
少し歪んだ鉄パイプは、鈍く輝いている。
「どこで落ち合うかとか、決めました?」
「いや……そんな時間なかった」
「そう」
少し、声が曇った。
考えてみれば、知り合いと再会できる可能性だったのだ。
落胆の色が混じるのも当然といえば当然だ。
「じゃあ、どうするんです」
「……わかんねーよ。決めてもいなかった」
無我夢中で、この場面を乗り切った先なんて、考えていなかった。
自分はこれからどうしたいのだろう。
今まで考えてさえこなかった人生。適当に流すだけだった人生。
夢も希望も感じていなかった世の中で。死んでもそれはそれで、とさえ思っていた。
ただ、実際殺人に直面してみれば、何とかしなければならないという意識が働いただけで……
目的もなにもない。こうして離れてしまえば、芽衣や志乃のことも他人事だった。
いつもの自分。希薄でしかない木田時紀という人間が、そこにあった。
730
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:23:01 ID:nO1KUkaA0
「あの女の人は?」
「……知らねーよ。逃げてったのを追っても仕方ないだろ」
「殺そうとしたのに?」
「さっきから質問ばっかだな……うぜぇ」
つい、口に出してしまっていた。
ちはやの眉間に皺が寄っているのを見て、まずいと思ったが謝ろうという意識はなかった。
気まずい沈黙が流れる。普段なら放置しておいても良かったのだが、ちはやは全く動こうとしなかった。
気まずさに耐えられなかったのは、木田の方だった。
「お前はどうなんだよ。お前こそ、何かすることあんのか」
「お兄ちゃんを探します」
「ならそうすりゃいいだろ。どっか行けよ」
「ついてきてくれないんですね」
「はぁ?」
なんでそんなことを、そう重ねようとした木田に、ちはやが近寄っていた。
まだ少女のものでしかない、女未満の香り。香水の匂いさえしない。
ただ――その視線は、確かに女のものだった。か弱さを秘めた『女の子』などではない。
生意気さしかなかった芽衣とは違う、独立した強さがあった。
しっかり者なんだな、という感想を抱いた。恵美梨にも見習わせたいと思うくらいに。
「一人では、困るんです。誰かが必要なんです。今は」
「……俺じゃなくってもいいだろ」
強さが見えたから、木田はそう言っていた。
自分なんて必要ないように思ったからだった。
所詮、自分はどこにでもいる男の一人にしか過ぎないのだ。
ちはやが求める理由が分からなかった。
「わたしはまだ、一人じゃ戦えない」
「戦う、って……」
「だから力がいる。強くなるために、生きてお兄ちゃんに会うために、強くなる」
ちはやの腕が、木田の肩を掴んだ。
華奢なように見えて、力強い手だった。
それだけの強さがあるのに、その腕は、木田を求めていた。
自分は、必要とされている。そう認識した瞬間、頭がくらりとしていた。
酩酊感に近い。別れ際の芽衣が寄越した視線を感じたときと同じ、だった。
731
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:23:24 ID:nO1KUkaA0
「……兄貴に、会いたいんだな」
尋ねる。ちはやは一度だけ、しかししっかりと頷いていた。
「頼りになる兄貴なんだろうな。俺は、そうじゃない。妹からも軽蔑されてる」
恵美梨の姿を思い出した。
汚いものを見る目で、いつも自分を見下していた妹。
それほど出来は良くない。妹だってそこまで優秀というほどでもない。
だがそんな妹よりも劣っている。興味は何に対しても薄く、何にも飽きる。
それなりに生きるということに対してだけ、最低限の努力を重ねるだけの人間。
ちはやの兄は、きっとそんな人間ではないのだろう。
「俺でいいのか」
「……はい」
するりと、指を下ろし、手を握ったちはやに、酩酊感が強くなった。
「必要ですから」
微笑んだちはやに、木田は断る術を持てなかった。
必要と言われて、断れる理由がなかった。
断れないほどには……木田は、飢えていたのだった。
「行きましょう」
「どこに」
「実は、もう何人か知り合いがいまして」
「そう……なのか?」
「って言っても、そこで落ち合おうってメモを残しただけなんですが。実際にはまだ会ってません」
できれば志乃さん、連れていきたかったんですけどね、と苦笑いを交える。
手は握ったまま。片方の手には、鉄パイプ。
放せ、とは言えなかった。単に、その機会を逃しただけだから。
船内には来ヶ谷はいなかった。既に逃げ出して、別の相手を探しているのか。
気にはなったが、もはや他人事であり、木田は特に気にすることもなかった。
芽衣たちのことも同様で、まずちはやに付いてゆこうという意識の方が強かった。
捜索は、後でもできるだろう――そんな感覚でしかなかった。
732
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:23:45 ID:nO1KUkaA0
船を下りた後、道なりに進んでゆくと、小高い丘の上に、洋館が見えた。
周囲の景色……コンクリートばかりの灰色の景色から浮き立つように、白と緑に彩られた洋館は、
自然の中に佇む富豪の屋敷であるという感覚を木田に抱かせた。
なるほど。集合場所にするには、確かに向いている。拠点とするにも向いているかもしれない。
否が応でも、目が吸い寄せられる。きれいな、場所だった。
近づいてゆく。一歩一歩。傾斜を少しずつ登って。
門前へと、至る。そこには青銅の、大きな扉がある。
左右を取り囲む塀は高く、柵は容易に乗り越えられそうになかった。
どこか要塞然とすらしている。元の住人は閉鎖的だったのだろうか。
そう思いながら、門扉をゆっくりと引く。ぎぃ、という音とともに、ゆっくりと外側へと開いた。
中に見えたのは、豪奢なフラワーガーデンだった。
どこから集めてきたのだろう、様々な花が、風に吹かれてそよいでいる。
ちはやが見れば、思わず声を上げるのではないだろうか。そう考え、ちはやの方を振り向くと――
――手を、振っていた。
――ばいばい、と。
思考が停止した。離れた場所から振られるちはやの手。それは。
声をかける間は、与えられなかった。たたた、と、金属を軽く叩くような音がして、木田は跳ね飛ばされた。
門の内に入ることも叶わず、文字通りの門前払いだった。
全身に、銃弾の穴を残すというおまけつきで。
即死ではなかった。だが、致命傷だった。体が動かず、息さえおぼつかない自分の体から判断した結果だった。
騙されたのだ。浮かび上がってきた事実に、木田は口を「なぜ」の形に動かした。
自分を、必要、だったのでは、ないのか。
仰向けに倒れ、血の花を咲かせる木田を見下ろしたのは、ちはやである。
「ダメなんだよ、それじゃ」
「戦わなきゃ」
「いつも、戦ってなきゃ、ダメなんだよ」
「わたしたちには」
「敵しか、いないんだよ」
733
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:24:08 ID:nO1KUkaA0
失望した声だった。見下した声だった。
期待はずれなものを、見る目だった。
「戦える人だと、思ったのにな。あなたの妹さんとは違って」
恵美梨?
唐突に出てきた妹の名前に、木田の目が見開いた。
どういう意味だ、それは。
手を伸ばす。いや、既に予感していた。
恵美梨は、もう……
伸ばす手は、家族を殺された怒りか。それとも、ただ最低限に生きようとした結果なのか。
分からない。分かるだけの頭を、持っていなかった。……悔しい、と思った。
「だから、わたしはあなたを食べる。食べて、生き延びる。生きて戦う。……お兄ちゃんに、会うために」
ああ、と木田は理解した。
最低限に生きるだけでは、ここでは生きられないのだ。
酔ってはいけなかった。誰かといることに、酔ってはいけなかった。
希薄に生きながらも、誰かを求めていただけの、『最低限の生』だけだった自分は、食われる側だったのだ。
だったら。この女は。香月ちはやは――
「ケモノ、め……」
伸ばした手は、どこにも触れることはなく。
ちはやの鉄パイプによって、叩き潰された。
* * *
「ふむ、結果は上々みたいね。どう久寿川さん、感想は」
「意外と簡単で、驚いています」
澱みなく会話をする二人、柚原春夏と久寿川ささらは、フラワーガーデンを歩いている。
風に乗ってやってくるのは、花の穏やかな香りと、命の残滓である。
「……正直、武器がこれで良かったと思ってます」
「どうして?」
「殺した感触が、少なかったから……」
「そうね。わたしも、そう。テレビの向こうの殺人事件だったわ」
門扉の先では、にこやかに笑う香月ちはやが待ち構えていた。
734
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:24:29 ID:nO1KUkaA0
----- ----- -----
M134のセッティングが終わったころ、彼女は唐突にやってきた。
館の中に侵入し、目ざとく自分達を見つけたちはやは、今と同じく笑っていた。
学校に行く道端で、知り合いを見つけたかのような笑いだった。
そうして、警戒する自分達を見たちはやは、こう言っていた。
『戦えますよね』
その口ぶりは、獣だった。品定めをする猛獣。
手に持った、少し歪んだ鉄パイプは振られる気配はなかった。
ささらと目を見合わせて、まずは春夏が会話した。
人殺しの準備をしている、と。
『良かった』
『なにが良かったのかしら』
『戦える人が、欲しいんです』
『意図が見えないわ』
『……ここには、怪物がいるんです。わたしはそれと戦わなきゃいけない』
『怪物……ね』
『それは人の形をしている。だから、人が殺せなきゃ、戦えなきゃダメなんです』
『協力しろって?』
『危ないですよ、そいつは。油断してなくても、食い殺される』
だから力が必要だ。怪物さえ食い殺す怪物にならなくてはならない。
淡々と語ったちはやは、どこか怯えているようでもあり、だからこそ恐怖を克服できる怪物になろうと、仲間を求めていた。
化け物が怖いあまりに、化け物になろうとしている人間。それがちはやだった。
家族や、大切な人間を守るために修羅であることを望んでいる自分達とは違った。
だが、やろうとしていることは同じだった。ちはやも春夏たちも、潰し合うつもりはなかった。
ちはやは化け物を、春夏たちは敵の排除が目的だったのだから。
『ところで』
『何ですか?』
『どうして私達が、戦える人間だと?』
尋ねたのはささらだった。
『あいつと、少しだけ似てるから』
『あいつ?』
『……岸田洋一。多分、あいつは、化け物だ』
735
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:24:48 ID:nO1KUkaA0
それ以上は、ちはやは何も語らなかった。
肩を竦めたささらに合わせるようにして、春夏も首を振ったのだった。
化け物が怖いが、その恐怖は信じる。なんとも皮肉なものだった。
『化け物呼ばわりされちゃったわね』
『心外です』
『あら奇遇。結構、波長合うかもね』
『……』
それこそ心外だ、という風に表情を険しくしたささらにやれやれと溜息をつきつつ、春夏はちはやと交渉を始めた。
M134を持っている関係上、あまり動きたくはないこと。そしてちはやはまだ完全に信じれる状況ではないこと。
ならば標的を連れてきてみせようというのがちはやの意見だった。
人数が減るのは春夏たちにしても問題はなかったし、ちはやにしてみても連れてくるのは『論外』の人間のようだった。
こっちは待っているだけでいいのだし、撃つだけでいい。明らかに春夏たちに有利なものだったが、ちはやは応じた。
それほど、化け物が怖いらしい。M134があっても一筋縄ではいかなさそうだと、春夏は思った。
----- ----- -----
「あの子、よくもまあやれるわね」
「鉄パイプで殴り殺したことですか」
「気持ち悪くないのかしら、ねえ」
「……そういうあなたこそ」
アレを見ても、平気そうじゃないですか。
少年の死体を指差し、嘲笑したささらに、「そう?」と春夏はとぼけてみせた。
あなたこそ、笑えるくらいには平気そうだけど。その言葉は、飲み込む。
平気なのは、どうしてだろう。平然と人を殺せたのは、どうしてなのだろう。
やれるとは言った。やってみせた。最初に言った通り。
けれども、こうも淡々とやれるとは。
殺した実感が薄いからなのか。
現実感が、ないからなのか。
それとも、本質的に自分が、化け物であるからなのか。
何も言えないから、春夏はとぼけたのだった。
もっともささらには、それは不服そうだったのだが。
「……どうです? 少しは、わたしと戦ってくれる気になりました?」
ちはやの元まで辿りつくと、早速彼女がそう切り出す。
「そうね。少しは」
736
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:25:04 ID:nO1KUkaA0
春夏はそう言い、腕組みをしていたささらの脇腹をつついた。
鬱陶しげに手で振り払われる。嫌われているらしかった。
春夏にしてみれば、ささらの無表情ぶりは気に入らなかったからという話なのではあるが。
「いいんじゃないですか」
「気に入ってなさそうですね……」
「ちはやちゃんはお気に召しているようで」
「鮮やかでしたから」
銃撃のことを言っているのだろう。
まるで容赦なく、瞬時に撃って見せた『戦いぶり』はお眼鏡に適ったらしい。
そばに転がる、先程まで会話だってしていたはずの少年のことなど気にも留めていない。
それも当然か、と春夏は感想を結んだ。食料に感慨を抱くわけもない。
ちはやは、化け物を目指しているのだから。
「ま、80点ってところね。私は」
「厳しいですね」
「一人だったからねー。久寿川さんの点数はもっと低そうだけど」
「……心外です。柚原さんと同じくらいですよ」
「あら。やっぱり波長合うんじゃない?」
「……」
連れないわねぇ、と軽口を叩こうとしたところで、不意に空から、声が聞こえた。
「いいや。今回は50点だな」
「は……!?」
ちはやが、驚愕の表情を露に塀の上を見ていた。
見てみると、そこには不敵な笑みを浮かべた、学生服姿の女が腰掛けていた。
手にはライフル。傍らに下ろしたデイパックには、剣らしきものが突き出ている。
「あら、こんにちは」
「……いつから」
737
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:25:19 ID:nO1KUkaA0
普通に挨拶をしたのは春夏だけで、ささらは不快そうな表情を、ちはやは無言で唇を噛んでいた。
あの狼狽振りからすると、知り合いであるらしい。
女学生は腰までかかる長い黒髪を優雅に揺らしながら「尾行させてもらったよ」と事も無げに話す。
「私は尾行が得意でね。特に可愛らしい少女が相手ならば、な」
「……く」
バカにされたと思ったらしく、ちはやは怒りの視線を含ませた。
風と受け流しながら、「別に遊んでいたわけではないよ」と笑う。
「なに、面白そうだと思ったまでだ。君らが密会しているのを見て、な」
「……どこから聞いてたんです?」
尋ねるのは、無愛想なままの表情のささらである。
春夏もそれは気になった。気配にも気付かなかった。射撃したテラスからも見えなかった。
相当の、手練れだ。
「君らが合流したところから、だな。そのまま撃ち殺しても良かったが、中々姦しい会話を繰り広げていたようなのでね」
くるくると、ライフルを弄ぶ。
ますますバカにされたと思ったらしいちはやは悪態をつく。
ささらは『どうして撃ち殺さなかったのか』に興味が移っているらしく、再び無表情に。
春夏は、快楽主義的人間だと解釈をした。面白そうだという、その理由だけで、殺すのをやめた。
厄介極まりない人間である。なるほど、確かにちはやは『50点』だ。
「連携プレーの相談と見たが……ふむ、おねーさんも、混ぜてはくれまいかな?」
くっくと、笑い、ライフルを弄ぶ少女に、春夏はさてどうするかと頭を悩ませた。
738
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:26:11 ID:nO1KUkaA0
【時間:1日目午後5時30分ごろ】
【場所:H-6 洋館】
久寿川ささら
【持ち物:M134ミニガン&大量の弾薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
柚原春夏
【持ち物:M134ミニガン&大量の弾薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
※M134は固定式です。携帯してダンジョン探索はできません!
香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、水・食料一日分】
【状況:健康】
来ヶ谷唯湖
【持ち物:FN F2000(29/30)、予備弾×120、バーベキュー用剣(新品)、水・食料一日分】
【状況:アンモニア臭】
木田時紀
【持ち物:フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、不明支給品、水・食料一日分】
【状況:死亡】
【時間:1日目午後5時30分ごろ】
【場所:G-7】
春原芽衣
【持ち物:DX星杖おしゃべりRH、水・食料一日分】
【状況:健康】
折原志乃
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:錯乱、精神に極めて深い傷】
739
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/01/30(日) 19:26:40 ID:nO1KUkaA0
投下終了です。
タイトルは『隣人は静かに笑う』です
740
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:01:11 ID:GSOi4XgE0
――――その涙を、私も流す事ができるのだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
741
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:01:31 ID:GSOi4XgE0
「ふぅ……こんな所でしょうか」
日が落ち始めた時間に、ベナウィは広い病院のロビーにて腰を落ち着かせていた。
六階建てにも及ぶこの病院は二人で探索するには、大分時間がかかってしまった。
誰か自分達以外にも訪れてる人が居る事を少しは期待をしていたのが、その期待も外れてしまっている。
思わず溜息が出てしまうが、ベナウィにとって収穫は無い訳ではなかった。
一つ目は此処まで発展した医療施設がこの島にある事。
二つ目はトゥスクルには存在しないような道具を沢山見つけられた事。
そして、三つ目は……
「あ、あの………………ベナウィさん」
くいくいっと着物の裾を引っ張る短い間に慣れた感触。
聞き取るのも大変な程の小さな声。
振り返って確認するまでもない陰日向のような少女、長谷部彩だった。
3つ目の収穫と言えば、この同行する少女が少しぐらい自分に慣れた事ぐらいだろうか。
「ああ、纏め終わりましたか」
頼りげ無さそうに微笑む彩の手に、一つの手提げ袋がある。
其処には絆創膏や消毒液、包帯などなどの救急セットが入っていた。
ベナウィの知識では解らないので、彩に纏めて貰ったのだ。
ベナウィは彩が集め終わった医療具を一度確認し、
「なら、行きましょ……」
出発を促そうとし、彩の表情を見て言葉を止める。
ひたいには汗が浮かんでいて、疲労の色が残っていた。
よくよく考えれば、一階から六階まで休憩無しに一通り歩いて回ったのだ。
軍人であるベナウィなら兎も角、彩はただの少女でしかない。
付け加えるなら運動とか普段する事が無さそう雰囲気すらだしている。
疲れるのも当然かもしれない。
気が回らなかったと思いながら、
「いえ、一度ここで休みましょうか」
ベナウィは彩に言葉をかける。
彩は少しびくっとして、ベナウィの顔をうかがうように、
「い、いえ……大丈夫です」
ふるふると首を横に振った。
彩にしてみれば、無理に言わせたような感じがして、何処か申し訳そうな顔をする。
ベナウィは溜息をつきながら、あえて厳しく言う。
「いえ、疲れてるのを隠される方が迷惑です。大事な時に、下手な間違いをしかねない」
「……あ……う……」
彩の表情が、どんどん青くなっていき泣きそうな顔になっていく。
そんな様子にベナウィは微笑みながら、出来るだけ優しい声色で喋る。
「だから、休みましょう? アヤも」
「…………はい」
彩はこくんと嬉しそうに笑いながら頷いて、お茶いれてきますねと小さく告げてぱたぱたと歩き出していく。
まるで小動物のようだとベナウィは思いながら、小さく微笑んだ。
やはり、あの笑顔はやすらげるものになっていると思いながら、
そして、同時に自分を縛っているという事は、あえて、隠した。
隠したかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
742
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:01:48 ID:GSOi4XgE0
両手には温かい緑茶が入った湯のみがある。
これはアヤが入れてくれたものだ。
それを私は一口のみながら、アヤの方を見る。
アヤとの距離は何故か妙に離れている。
私は長椅子(ソファーと言うそうだ)の右端に座っていたのだが、アヤはお茶を渡すと何故か左端に座った。
そして、暫く無言のまま、二人してお茶を飲んでいた。
これが、今の妙な距離感だろうか。
まあ、そうなのでしょうね。
実際、私は弱いアヤの庇護者程度しかないかもしれない。
私自身も最初見捨てようとしたのだし。
「…………………………の」
そして、これからもそうなのかもしれない。
まあそんなものでしょう。
「………………あの」
そう思って、私はお茶を啜った。
お茶のいい香りが、随分と私をやすらげてくれた。
「あの!」
「おっと……なんでしょうか?」
どうやら、アヤに呼ばれていたらしい。
全然気付かなかった。
いけない事ですね。
元々小さい声なのですから。
ちゃんと拾ってあげなければなりません。
「……あの、ベナウィさんの国の事聞きたいです」
勇気を振り絞るように尋ねられた事はとても些細な事だった。
そういえば、彼女はトゥスクルの事は知らないのでしたか。
「そうですね……」
それから、私は私が仕える国の事を話した。
ハクオロ皇の事。
彼に統治された国はとても素晴らしい国になっている事。
そして、住んでいる民達は笑顔である事。
それは、とても幸せの象徴のような事である事。
些細な事でも、私はそれを言葉にした。
私自身が国について、話す事は滅多にないのかもしれない。
だから、少し饒舌になってしまった。
けれど、アヤはとても興味深そうに聞いてくれた。
そして、少しずつアヤが此方に近づいていた。
アヤは楽しそうに笑っていた。
「……そうですか。とても素晴らしい国なんですね」
「ええ、私も国を護る為に戦っています。それが武士の私の務めなのですから」
「……戦う?」
「ええ」
そのまま、私は国が成り立った理由を話した。
一揆がおき、戦いが起きた事。
そして、自分達も戦い守るべきものの為に戦った。
それだけではない。
国を護る為に、戦わなければならなかった事。
その為に、自分自身も戦い続けた事。
それを私は誇るように、話した。
けれども。
「……………………アヤ?」
743
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:02:08 ID:GSOi4XgE0
彼女は泣いていた。
彼女の頬には、一筋の涙の跡が流れていた。
何かを耐えるように。
彼女は涙を流していた。
「…………哀しいです」
「…………哀しい?」
何が哀しいのだろうか。
私は国を護る為に戦った事を話しただけなのに。
それこそ、武士の誇りだというのに。
何が哀しいと言うの…………
「沢山の人が――――死んだのですね」
――――ああ。
この子は、ただ、純粋に。
人の死に、涙を流している。
戦って死んだ兵士。
戦火を受けて死んだ民。
沢山の人に純粋に涙を流している。
「ええ……沢山死んでしまいました」
「……そうなのですか」
そして、彼女は、目を閉じ手を組んだ。
祈りを捧げているのだろうか。
気が着けば、彼女との距離も大分近くなっている。
散っていくもの仲間達。
沢山の人の死に、私が涙を流さなくなったのは何時の頃だっただろうか。
それすらも忘れてしまった。
あまりにも、当然のように、沢山の命が散っていく。
私は、いつの間にか涙を流す事を、忘れてしまったのだろうか。
ふと、思ってしまう。
私は家族のように過ごした仲間達。
彼らの死に泣けるのだろうか。
答えは見つかるわけがなかった。
そして、彼女は、アヤは。
とても、平和な国で育ったのだろう。
人の死がとても、とても遠い信じられないような国に。
けれど、それだけではなく。
彼女の心はとても、純粋で白いのだろう。
誰かの、誰かも解らない死に涙を流して、哀しむことが出来る。
それが同情というものでも。
純粋すぎるその想いは、とても輝いて、貴重に思える。
眩しいぐらいの、白さだった。
「ベナウィさん……」
744
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:02:24 ID:GSOi4XgE0
いつの間にか、目を開けて、私の手に自分の手を重ねている。
その手の温かさがとても、心にささっている。
「ベナウィさんも……殺したのですか?」
「………………ええ」
私は静かに頷いた。
頷くしかなかった。
彼女は笑いもせず、けれども哀しみもせず、私だけを見て
「それは…………」
何か言葉を言おうとして、そこで途切れた。
何を伝えたかったのだろうか。
哀しいと伝えたかったのだろうか。
私には解る訳など無かった。
私が誰かを殺す事に何も感じなくなったのは何時だろうか?
涙を流さなくなったのは何時だろう。
哀しまなくなったのは、苦しまなくなったのは何時だろう。
もう、思い出すことができない。
それぐらい、殺すという事が、身近であった。
だから、私は救われないだろう。
でもそれが、忠義なのだから。
それが、武士なのだから。
私は、彼女の瞳を見た。
何処までも、澄んだ、儚く優しい、瞳だった。
それが、救いを与える目にも、苦しみを与える目にも、見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
745
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:02:44 ID:GSOi4XgE0
ベナウィさんの顔が、とても近く感じた。
沢山の人を殺したといったベナウィさんの顔が、何故かとても切なく感じられた。
私には、人を殺した事なんか勿論無い。
だから、その苦しみや哀しみなんて、解らない。
けれど、私は彼がとても、弱く感じられてしまう。
何故だか、解らない。
けれども、そう思えて仕方がない。
人の死は、哀しい。
それは、あの日、父を失ったあの時から、変わらない。
苦しくて、切なくて、心が壊れそうになってしまう。
涙が溢れて仕方ない。
きっと、もしこの島で亡くなった人現れてしまうのなら……私は泣いてしまうだろう。
知らない人でも、泣いてしまうかもしれない。
知ってる人達……和樹さん達ならきっと尚更だろう。
涙が止まらなくなってしまうかもしれない。
彼は、もう、涙を流さないだろうか?
人の死に。
殺した事に。
そう思ったら、何故かとても、哀しく感じた。
……ベナウィさんの瞳を見て思う。
彼は、貴方を必要としている人が此処にいると言った。
だから、私、思うんです。
そんな哀しい瞳をした貴方を。
私なりの方法で。
私は……
――――貴方を護る事が出来ますか?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
746
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:03:04 ID:GSOi4XgE0
それから、私達は黙っていた。
アヤは私の隣で、静かにしていた。
これ以上、語る言葉など思いつかなかった。
私は、何か良く解らない想いが巡っている。
アヤの瞳が心に残っている。
とても、白くて、純粋な心が、その瞳が私を射抜いていた。
私は、何故、こんなに迷っているのだろう。
今更ではないか。
とっくの昔に心は決めている。
そして、骨の髄からもう、武士なのだ。
武士として生きる、それが、私の矜持。
なのに、どうしてあの瞳は私を射抜く。
あの微笑が、私を苦しめる。
私は、救われていいわけ…………
「…………ふう、何か考えているのでしょうね、私は」
そこで、変な方向に行こうとした私の思考を打ち切る。
考えては仕方ない事だ。
そう、仕方が無い事だ。
アヤ、貴方は、何を考えてその瞳を向けたのだろう?
私には解らない。
だから、
「アヤ……」
彼女に聞こうとして、気付く。
「すぅ……すぅ……」
アヤは私の肩にもたれかかる様に眠っていた。
道理で静かな訳だった。
緊張感があったのだろう。
疲れがまとめて来たのかも知れない。
私はふぅと溜息をついて外を見る。
もう、日が完全に落ちている。
そろそろ、放送が行われる時間だろう。
だから、その時間までこのまま、眠らせておこうと思った。
私は、そう思って、もう一度、彼女の横顔を見る。
――――哀しいです。
彼女の純粋すぎる白い心が発した、あの言葉。
それが、何故か、頭の中で反芻を繰り返していた。
747
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:03:22 ID:GSOi4XgE0
【時間:一日目 午後5時50分ごろ】
【場所:E-1 病院】
ベナウィ
【持ち物:フランベルジェ、水・食料一日分】
【状況:健康 彩と共に行動】
長谷部彩
【持ち物:藤巻のドス、救急セット、水・食料一日分】
【状況:健康、ベナウィと共に行動】
748
:
天使の羽の白さのように
◆auiI.USnCE
:2011/02/04(金) 02:04:10 ID:GSOi4XgE0
投下終了しました。
この度は延長してしまい申し訳ありません。
749
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:48:06 ID:l52Wmwao0
アムルリネウルカ・クーヤは、黙々と言葉も発さないまま歩き続けている。
その背中を追って歩いている自分もまた、黙ってついていっている。
柊勝平は幾度目かも分からないため息をついていた。
先程の緊迫し、一触即発だった状況から開放され心が緩んだからというのがひとつ。
クーヤについてゆくと明言はしたものの、今の自分を整理しきれていないからというのがひとつだった。
自分達は、既に死んでいる。
日向なる男の発した『死後の世界』とやらが、今になって確かな言葉となり、勝平の中に溶け、染み込んでいた。
『ここ』はある意味で、全てが終わってしまった場所である。
『ここ』は心の整理をつけ、思い残すことがなくなるよう好き勝手ができる場所である。
『ここ』に留まっているのは、未練を恨みとして残し、理不尽な人生を与えてきた神への報復を目論む連中である。
日向の言葉を要約するとそんなところだった。
どこにいるかも分からない神様を探し、復讐を行うためだけに日々を死に続けている。
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたくなるような日向達の主張だったが、理不尽と、報復という言葉が勝平の心に反響していた。
真実がどうあれ、日向という男も、野田という男も決して幸福とは言えない人生を送ってきたのだろう。
そうでなければ「何が分かる」と激情を撒き散らした野田の様子はありえなかったし、
野田の行いに眉ひとつ動かさなかった日向の尋常ならざる姿も頷けはする。
勝平もそんな人生を送ってきた。
全国区を目指せるほどの陸上選手でありながら、骨肉種という病に阻まれ、夢の全てを断ち切られてきた人生。
まだ惨めだったこれまでを見返すこともできないまま、終わってしまうだけだった人生。
勝平は色白な肌に生まれ、容姿も中性さを残しながら育った。
子供のころから、どちらかというと女に近かった容姿だったと覚えている。
だから、虐められた経験もないではなかった。
男女。そんな言葉を始めとして、スカートがお似合いだの、お人形遊びでもしていろ、などとからかわれるのは日常茶飯事だった。
同年代の女の子は同情の視線を寄越してくれたものだったが、そんな自分が気に入らなかった。
男なのに。男子からはからかわれ、女子からは同情の眼差しを送られている。
弱虫と見做され、誰からも下に見られている気がして、勝平は男女と揶揄される自身を嫌い、スポーツに没頭するようになった。
スポーツで男達をリードしていれば、バカにされることはない。子供心にそう考え、周囲をリードして回るようになった。
そうして、周囲を見返す日々が始まった。勝負事には常に勝つように務め、ケンカだってすることもあった。
誰かに負けてしまうことが、下に見られることが許せなかった。
一度敗北者になってしまえば、また惨めな気分になる。昔に戻るのは嫌だった。
750
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:48:28 ID:l52Wmwao0
しかし全ての競技に勝ち続けることができたのは小学生までだった。
中学校ともなれば様々な分野に、様々なアスリートがいた。
野球。テニス。バスケ。水泳。どれもこれもに勝てないことを知った。知ってしまった。
悔しかったが、それが一人の人間の限界だった。しかし同時に、一つの競技には一つの奥深さが潜んでいることも分かった。
その競技を本気でやっている人間にしか分からない喜びや達成感がある。
部活動に熱中している他人を見て、勝平はそれを感じ取っていた。
その他大勢の視線なんて関係ない、同じ種目で戦う好敵手との中だけにある理解や共感があることを。
見下しも見下されもしない、喜びのための勝利を追い求めることに、勝平は惹かれた。
この世界の中にいれば、惨めな自分を感じずに済むのではないかという希望があった。
性別や見た目で物事を判断しない、容姿にコンプレックスを抱かなくともいい人生を始められるのではないかという予感があった。
予感に従って、勝平は陸上という道を選ぶことに決めた。
理由は簡単なもので、走るのが一番得意だったからという理由に過ぎない。
それでも、勝平の感じた通り、アスリートの中の世界は自分を『陸上選手の柊勝平』と認めてくれる人がたくさんいた。
誰よりも早ければ尊敬もされる。感情を共有し、仲間と練習に明け暮れるのも悪くはないと思った。
自分は、自分でいられる。そのことが何よりも嬉しかった。
男女であった、惨めな自分なんて感じなくても良かった。
もう見下すだけの人生を送る必要もなかった。見返すためだけの努力をすることもしなくてよかった。
走り続けてさえいれば、自分は惨めな何者かではなかった。
だが、理不尽にも、神様とやらが勝平の全てを奪っていった。
病気。それも性質の悪い病気で、勝平は陸上選手としての生命を絶たれた。走れなくなったのだ。
冗談かと思ったものだった。新しく始まった人生を、ようやく楽しいと思い始めた人生を、唐突に奪われたのだ。
なぜ。どうして。病室で思ったのはそんなことで、次第に、昔感じていた悔しさが湧き上がってくるのを感じた。
陸上をやっていたときに感じる悔しさではなく、再び惨めな人生に落ちてしまったことへの、憎悪とも呼ぶべき感情だ。
おまけに、自分の余命は残り少ないらしかった。救いといえば救いではあった。
周囲に哀れまれる人生は送らずに済むらしいのだから。
とはいえ、それで陸上を失った勝平の心が満たされるものではなかった。壊れた人生の器を直せるものなどどこにもない。
僅かに残った部分に、絶望という名前の液体が注がれているだけの状態に過ぎなかった。
残った人生を、馬鹿にされ続けるだけの人生をどう使うかくらいしか、勝平に考えられることはなかった。
勝平は病院を抜け出した。哀れむ視線を送られるだけなら、いっそ自由になってしまえばいい。
誰の目もなくていい。かわいそうだと言われ、見下される余生だけは送りたくなかった。
751
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:48:45 ID:l52Wmwao0
そして、今はここにいる。
死んでしまったのかは分からないし、生きているのかどうかも分からない。
勝平は動かし続けている足を見た。
痛みもなければ、これといった異常も感じられない。むしろこのまま、どこにだって走り出せそうなくらい調子は良さそうだった。
好き勝手ができる場所。日向の言葉をもう一度思い出した頭が、魅力的じゃないかと言っていた。
そう。日向の言葉を聞いた瞬間、ここならまた、昔の自分に戻れるんじゃないかと思ってしまっていたのだ。
陸上をやっていたころの、誰もが自分を認めていてくれていたころの自分に。
柊勝平という男を男として認識してくれた、あの時代に。
抱きかけた妄想を、しかし「くだらない」と一蹴してくれた少女がいた。
それは目の前を歩き続ける、クーヤだ。
困惑し、澱み、都合のいい夢物語に身を浸そうとした自分ごと、狂っていると言い捨てた。
正論ではあった。反論しようもないことではあったのは、確かだ。
けれども正しいことがいつでもまかり通り、説き伏せることができるわけではない。
正しいなと思い、夢から醒めた気分になった一方で、じゃあ正しさが何になるんだという反発心も生まれていた。
それが自分を救ってくれるのか。惨めでなくしてくれるのか。
生まれた瞬間から見下され、馬鹿にされることを強いられてきた自分とは違い、クーヤは生まれも育ちも高貴な貴族の出だ。
何不自由なく育ち、苦労さえしてこなかったであろう彼女に、一体何が分かるのか。
分かるもんかと反論しようとした矢先、「何が分かるんだよ!」と先に言ったのは野田だった。
ある意味で勝平自身の代弁。同じく理不尽という泥を啜ってきた人間の怒りを、しかしクーヤは風と受け流す。
分かりたくもない。まだ生きている自分には分かってたまるかと。
言葉だけ見れば、それは世間知らずのお姫様の言葉でしかなかった。
だが勝平には――いや、彼女を少しでも知悉している者なら、間違いなく分かるであろう、別の意図が見えていた。
死んでいることを否定したわけではない。別種の生き物だと見る目でもない。
思考の停止を、考えることさえやめてしまうのを心底嫌った言葉だった。
一度でも泥に身を浸していなければ分からない、苦渋を味わった人間の叫びだった。
無理だと思うから、無理になってみせる。クーヤはあの時と同じ目をしていた。
今度こそ、勝平は本当に夢から醒めた気分になった。冷たい水を容赦なく浴びせられたような感覚。
分かっていないのは、自分の方だったのではないか。
クーヤという少女のことを、自分は何も知らない。
どんな生まれで、どんな育ち方をしてきたのか、自分は何も知らない。
それなのにクーヤという人を否定できる権利を……どうして持ち合わせていると言えるのだろう。
何も知らないことだらけじゃないか。
当たり前だ。知ってもいない、知られてもいない人間が理解できるわけがない。
理解してくれるはずもない。自分達はまだ努力さえしていない。
勝平は忘れていたことを思い出した。
惨めなことから逃れようとしたとき。嫌なことを追い払うためにいつも真っ先にやってきたことは、努力じゃないか、と。
だから勝平は去りゆくクーヤの背を追っていた。陸上を始め、まだ早かった先輩選手の後を追うように。
752
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:49:05 ID:l52Wmwao0
勘違いであったとしても、ボクは知りたい。
あの子の送ってきた人生がどんなものであったのかを、知ってみたい。
ボクは、ボク達のような人間は、本当に惨めでしかないのかを、確かめてみたいから……!
そう決意し、一通りの会話を交わしてはみたものの、まだクーヤの背中は遠くに感じていた。
知ってみたいとは考えたものの、どんな風にして聞き出せばいいのか分からないし、
自分のことを話したとしても今は同情しか返ってこないように感じていた。
目的は定まっているのに、その過程が見えてこないもどかしさ。
ゴールは分かっているのに、どのコースを走ればいいのかも分からない歯がゆさといったところだ。
今の自分を整理しきれていないとは、伝える術を持っていないということだった。
案外人間は自らを言葉にできないものだと毒にも薬にもならない教訓を覚えながら、勝平はクーヤの背中を目で追う。
せめて人間観察でもしてみようかと思ったのだった。
今まで気にもしていなかったが、クーヤの背筋はいつでもぴしっと伸びており、
歩き方はモデルを想起させるような、軸のぶれない歩き方だ。教え込まれたのだと分かる。
陸上のフォームにしろ、美しい立ち振る舞いは自然体では不可能だ。
常に意識して、体に染み込ませていなければ出来ようはずがない。
それだけでも、クーヤが形だけでしかない貴族出の人間ではないことは見て取れる。
作法や格式を学び、実践してきた本物の良家の人間なのだろう。
衣装にしてもそうだ。所々に飾られた金箔入りの白コートはどこか軍人然としていて、
彼女の言う『戦国時代』を象徴しているかのようにも感じられる。
だから服装と立ち振る舞いとが相まって、体だけを見れば威風堂々とした大将であるのだが、
肝心の顔つきはどこにでもいるような可愛らしい少女のものであるので、いささか威厳に欠ける。
背伸びしているだけとも感じられなくもない。しかも言葉遣いはやたらと尊大であるのに喜怒哀楽はコロコロ変わるものだから、
尚更子供の背伸びという感覚を強く受けてしまうのだ。
もっとも、クーヤの年齢さえ知らない勝平は本当に年下なのかも分からなかったが……
(それにしても全然喋らないし、なんかピリピリしてるな……仕方のないことなのかな)
753
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:49:20 ID:l52Wmwao0
喋っていたときこそ冷静沈着で、水を打つような声だったクーヤだが、内心穏やかではないのかもしれない。
ここには百二十人もの人間がいる。野田のように考える人間はまだいて、殺し合いを続けているのかもしれない。
現実さえ分かっていない人間。現実を見ようともしない人間に、彼女の心は苛立っているのだろうか。
声をかけるべきだろうかと思い、勝平はかけるべき言葉を探し始めようとした、その時だった。
ぐーっ。
いや、正確にはきゅううう、というような音だったかもしれない。
とにもかくにも、それは可愛らしい音だった。
そして音源は、勝平の目の前の……
「腹が減ったとは思わんか」
くるり、と。
唐突にクーヤが振り向いて言っていた。
「そうか。そうであろう。やはり腹が減っては戦は出来ぬというからな。
だがここで無闇に手持ちの兵糧を浪費してはならん。戦場においても兵站の確保や十分な食料の輸送は重要であるからして……」
「クーヤちゃん、お腹空いたの?」
ピキッ、と。
もっともらしいことを並べ立てていたクーヤの表情が固まる。
「余は問題はない。なに戦場では悪天候で数日、いやひどい時には数ヶ月も輸送が滞ることもある。多少の絶食など余は慣れて」
ぐーーーーーっ。
再び場が凍りつく。
特にクーヤの顔は瞬間冷凍保存されていた。
得意げな顔が眩しい。
「……」
「……」
754
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:49:39 ID:l52Wmwao0
ああ、と勝平は納得していた。
「もしかして、さっきまで黙ってたのってお腹が空いてたのを我慢」
「やかましい!」
勝平の顔にデイパックが投げつけられた。
へぶっ、と情けない声を上げて顔面でデイパックを受け止めたため、勝平の推理は遮断された。
つまりは当たっていたということだった。
デイパックを引き剥がすと、クーヤはひどく赤面していた。
キッ、と悔しそうに勝平の目を睨んでいる。
あーかわいいなーなんて感想が口から零れそうになったが、
言ってしまうともっとクーヤが怒り出す気がしたのでギリギリのところで理性が歯止めを利かせた。
代わりに、もっともらしい言葉で応じる。
「い、いや、別にお腹が空くのは人間として当たり前だしさ、別に恥でもなんでもないよ」
「う……そ、それは、そうなのだが」
「旅の恥は掻き捨てって言うし、気にしなくっていいよ。ボクは気にしない」
さっきと言っていることが矛盾しているような気がした勝平だったが、「そ、そうか?」とクーヤは納得しかけているので、
このまま話を通すことにした。
「いやボクもさ、実はお腹が空いてたんだよね。うんそうだ、どこかで取り合えず食欲を満たそう。
色々さ、考えなくっちゃいけないこともあるけど……でも、こういうことも大事だって思うんだよね」
後半は、半ば自分に言っているような気がしていた。
そうだ。いきなり大切なことを知るのは、双方にとって重いだけだ。
だったら少しずつ知っていけばいい。今であれば、好きな食べ物は何なのか。
どんな食生活だったのか。それ以外にも食事の中で訊けることはいくらだってある。
755
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:50:06 ID:l52Wmwao0
「この先に街もあるし、そこでなんか食べよう。ボクさ、実は色々なところを放浪してて美味しいものとかも知ってるんだ。
任せてよ。えーっと……おぅるお? だっけ? の期待は裏切らないからさ」
「……ふむ。任せて、いいのだな?」
話を進める間に、クーヤはいつもの微笑を取り戻していた。
照れたり怒ったりする顔も可愛いが、ささやかな花のような笑顔もいい。
そんなことを考えている自分は女好きの素質があるのかもしれないと冗談のように思いながら、
勝平は「ご命令を」と恭しく頭を下げた。
「では、アムルリネウルカ・クーヤが命じる。そなたに兵糧調達を任せよう。よしなに」
どこか穏やかな響き。少しは信頼されているのかもしれない、と勝平は思った。
そして……任せる、という言葉が期待されているようで、嬉しかった。
はっ、と、割と本気の殊勝な返礼をして、勝平は街路の先にある町を見据えたのだった。
【時間:1日目午後5時00分ごろ】
【場所:G-4】
柊勝平
【持ち物:MAC M11 イングラム(30/30)予備マガジン×5、水・食料一日分】
【状況:軽傷】
クーヤ
【持ち物:ハクオロの鉄扇、水・食料一日分】
【状況:軽傷】
756
:
◆Ok1sMSayUQ
:2011/02/14(月) 20:51:04 ID:l52Wmwao0
投下終了です。
タイトルは『I know it』です
757
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/02/15(火) 04:36:51 ID:mNJwbvjg0
登りきった太陽が落ちはじめる時間である。
島の影が伸び始める兆しが見え始める。
そんな中で、とある一軒家の中からは男女の話し声が小さく聞こえていた。
「ふむ、栗原女史の話はイマイチ要領を得んが……。
その死んだ世界戦線とやらが悪であると言いたいわけか?」
「そ、それはわかりません……けど……」
「分らないけど?」
「あ、あの人、絶対にマトモじゃないぃ!」
「それはもう何度も聞いたのだが……」
民家の中で、九品仏大志は机に腰掛けた姿勢のまま、すっぱりとした口調で言った。
対して、外に繋がる扉付近に立っている栗原透子はギクリとした調子で口を噤む。
少しでも目の前の男にとって都合の悪いことをすれば殺される。
あの少女のように、理不尽に突然に容赦なく。
そんな圧迫感。
被害妄想だと分っていながら、先ほどの光景がリアルである以上は否定できない恐怖感。
目の前の男が、先ほど透子の目の前で人を殺した少女と同類で無い保証など無い。
そう思うと今すぐにでも逃げ出したい。
けれどまた一人きりになるかと思うと、そうすることも出来ない。
つかず、離れず、距離を置いて、だけど離れない。
そんな都合のいい、失礼な態度をありありと出して、けれど透子には対面を気にする余裕すらなかった。
だからせめて、常に謝って、機嫌を損ねないようにしよう。
そんな事を、透子は考えている。
「ご、ごめんなさぃ……」
大志は特に苛立ちなど滲ませていないし、平然とした体を保っている。
しかし透子は怯えていた。
大志の一挙一動に震え上がり、身体を強張らせる。
玄関に立ちっぱなしであるのも、大志がそうしろと言ったわけではなく。
すぐに逃げられるように、ということだ。
会話する相手にしてみれば失礼かつ面倒極まりない態度であったことだろう。
幸い大志は態度に表さないがその胸中は分らない。
透子は自分のそういう面をよく自覚している。だが自覚したところで改善には結びつかない。
むしろ失敗したという意識がより一層、透子を縮み上がらせる。
「ごめんなさいぃぃ……」
欠点を自覚している故に欠点がより浮き彫りになる。
それは一種の、負の連鎖と言える。
もちろん先ほど透子が見た光景が、この態度の要因になっていることは間違い無い。
とは言え結局、オドオドとした装いの大本は透子自身の性格に起因する。
「まあいい、栗原女史よ。我輩が聞きたいのはどうやって殺したか、ではない。
知りたいのは殺す前だ。殺した少女は殺す前、栗原女史にどう見えていた?
殺気を漲らせて殺したか? 冷徹に殺したか? 我輩はそれが知りたいのだよ」
「ふつう、でしたよぉ……。普通すぎて、だから私ビックリして……。
でも、そ、それになんの意味が……あ、ひぃっ……ご、ごめんなさ……」
余計なことを聞いてしまったと、透子は目に涙を溜めながら数歩下がる。
聞かれた事だけに素直に答えればよかったのだと。
特に大志が怒気を発したわけでも無いのに、一人で勝手に怯えていた。
758
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/02/15(火) 04:38:19 ID:mNJwbvjg0
「ふっふっふ……!」
「……っ!」
しかし突然、大志は怪しげな笑みを浮かべる。
透子は肩をビクつかせながら、背後のドアを盗み見た。
「よくぞ、聞いてくれたな!」
しかし透子の懸念とは逆に、大志のテンションは少し上がっていた。
「つまりだ、それを知れば事の真理がわかる」
「真理?」
首を傾げる透子に、しかし大志は眼鏡を少し触りながらニヤリと笑ったきりで、説明する気は無いようだった。
聞かれたことを喜んだわりに、簡素な対応である。
「普通に殺した、か。まあ少々意外な答えではあるが……ふむ。
ともすればその集団は……ふむ。
そこそこ有益な情報に感謝するぞ」
ふむふむ、と一人で納得しながら、大志は机から腰を離す。
そのまま透子を素通りして、民家の外へと踏み出した。
「ど、どこいくんですかっ!?」
慌てて追う透子に、大志は一つ振り返り、言った。
「我輩の行くべき所に、だよ」
そう言って、大志は離れていく。
民家の入り口に立つ透子を残し、すたすたと歩いていく。
はっと忘我から帰った透子は、すぐさま必死の形相で喉を震わせていた。
「ま、待ってっ! 待って待って待ってぇぇっ!!」
先ほどまで大志へと向けていた怯えなど忘却したように、
透子は大志の背にむかって走った。
避け続けていた攻撃圏内に自ら躊躇なく飛び込んだ。
「ん? どうした?」
「私もついて行くッ!」
一人にされる。ここでまた一人にされる。
異常者だらけのこの島で一人にされる。
透子の心境からしてみれば、己の死を告げられるに等しかった。
「我輩にか?」
掛けている眼鏡が飛んで行きそうになるくらい激しく、透子は何度も何度も頷く。
「我輩はいっこうに構わんが……」
大志は少しの間、考え込むような姿勢を取っていた。
指が顎に当てられ、ギザギザ眼鏡のオレンジ色のレンズが景観を映しだし、瞳を隠す。
透子にはその内面を捕らえることなど出来ない。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
それすらも知れない。
「ふむ」
より一層、読めない表情を垣間見せた大志であったが、
その口元だけは分りやすい笑みを浮かべていた。
759
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/02/15(火) 04:39:39 ID:mNJwbvjg0
「だが、覚悟はあるのか?」
「……ふぇ?」
まるで透子の反応に喜んでいるかのように、
口元を吊り上げている。
「覚悟?」
「そう、覚悟だ。我輩の隣を歩くということは即ち、我輩の野望の礎になるということ。
栗原女史にその覚悟があるのか?」
正直なところ、透子には大志が何を言っているのか分らなかった。
覚悟だの野望だの言っていることは支離滅裂で、普段なら絶対に関りたくないと人物だと断言できる。
しかし、今の透子にとっては、返せる言葉など決まりきっていた。
「ある! ありますッ! 覚悟でも何でもあるからぁ……!」
だから置いていかないで。
そう言うことしか出来ないのだ。
反射的に返された、心の篭らない返答に大志は薄く笑い。
「そうか」
再び歩き始めた。
もう大志は何も言わなかった。
透子も何も知る必要は無かった。
けれど好奇心とは毒である。
透子は隣を歩きながら、おっかなびっくり、思い出したように聞いてしまった。
「あの……それで……野望って……なんなんですか?」
大志は足を止めぬまま。
「ふっ」
今度こそ、嬉しそうに笑い。
「ふははっ! よくぞ聞いてくれた!」
本当に嬉しそうに、笑いながら。
ギラギラした光を、野心に満ちた情熱を、眼鏡の奥に滾らせながら。
活力に満ち溢れた声で。
「 世 界 征 服 だ !」
己の野望を、はっきりと断言した。
「……そ……そう……ですか……」
としか、透子には言うことができなかった。
【時間:1日目午後4時ごろ】
【場所:F-2】
九品仏大志
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
栗原透子
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:軽い恐慌】
760
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/02/15(火) 04:40:33 ID:mNJwbvjg0
投下終了です。
タイトルは『be ambitious』です。
761
:
名無しさんだよもん
:2011/02/15(火) 13:56:48 ID:/yg.bKhQ0
すいませんが誤字の指摘です。
Come with Me!!の「強大なエヴェンクルガ族に虐げられて、諦めていたあの頃と。」の箇所について
原作ではエヴェンクルガ族ではなくギリヤギナ族が虐げていたと思うのですが…ページの修正お願いします。
あと、うたわれるもの2の発売が決定したそうです。
762
:
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:57:34 ID:STdJ7ieY0
ミスですね、修正しときます。
それではトウカします
763
:
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:58:00 ID:STdJ7ieY0
――――わたしは、きみが、すき
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これは一体何なのだろう?
私は夢をみていたのに。
泡沫の夢を。
私が望んだ夢を。
楽しい、楽しい、私が作った夢を。
私は、私の理想の姿を借りて、
好きなように、楽しんだ。
幻想を歌い、幻想の中で精一杯楽しんで。
その中で、大好きな人にも出逢えた。出逢えたんだよ。
たった一度きりの、最初で最初の私の恋。
初恋が最後の恋になるんだろうけど。
それでも、私は思いっきり楽しんだ。
私が謳った幻想と夢という舞台の中で。
其処で出逢った幻想ではないたった一人の大好きな人と生きていた。
その時間がとても、楽しかった。
楽しかったはずなのに。
けれども、楽しい夢は、私にとってのイレギュラー、世界にとっての創造主にとって破壊された。
それは、私にとって敗北だったのかもしれない。
いや、所詮借り物の世界で、手のひらの上で踊っていただけなのかもしれない。
でも、私はそれでよかった。
大好きな人の為に、大好きな人との願いを叶えられるなら。
例え、彼が私の想いを忘れていたとしても。
繰り返される世界で、何度も何度も死んだとしても私はそれでいい。
だから、私は立ち向かった。
願った、私の思いが届けって。
そして、そんな中。
私はこの島に呼ばれたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
764
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:58:51 ID:STdJ7ieY0
私は草壁優季を連れて南下していた。
とりあえず市街へ。
それに彼女も乗ってくれて、私達は黙って進み続けている。
何か、話してもいいのだけれども、正直混乱していた。
(どういう事……?)
正直、訳が解らない。
私はもう終わっていたはず。
泡沫の夢を見ていただけなのに。
そして、最後の願いの為に抗い続けていたはず。
なのに、この殺し合いというのは、余りに唐突すぎる。
今、一緒に居る彼女だってそうだ。
彼女は普通で、今までの世界に出てくるようなキャラでもない。
生身の人間が私の目の前に居た。
驚いた、ビックリするくらい。
そして、思いっきり自爆した。
…………ああ、そうよ!
自爆したのよっ!……うぅ。
それも、この訳解らない世界のせいだ。
この世界の創造主も、私がいた夢と別物みたいだ。
もしかして、これは本当に現実の世界なのかな?
私は事故に巻き込まれなくて……なんて。
そんな幻想を抱いて、してしまう。
……でも、それは幻想。
所詮夢。
けれど、もし、この世界が夢なんかではなく。
ただの殺し合いの舞台で。
本当に、一人しか生きれないというなら。
その確証が取れたのなら。
取れたなら。
765
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:59:06 ID:STdJ7ieY0
私は、君を生かす為に、闘いたいよ。理樹君。
だって、私は所詮もう終わった命。
そして、私は理樹君が好き。
理樹君にずっとずっと生きて欲しい。
私が終わった分まで、ずっと楽しんで欲しい。
出逢ってくれてありがとう。
君が居たから、楽しかったし強くなれた。
だから、私はきみのため、戦いたい。
例え人を殺す事が不道徳な事でも、構わない。
神の手に踊らされていても、それでも。
私は理樹君の為に戦って、生きて欲しい。
それが、君と出逢って導き出した答え。
止まるつもりなんて無い。
それが、私が「朱鷺戸沙耶」として、理樹君に好かれた人間として。
「あや」という人生を半端に楽しまなかった少女じゃない。
理樹君に愛された少女として。
精一杯、戦う。
何れ消える宿命でも、私は止める理由にはならない。
ねえ、理樹君。
私は君の為なら人殺しになれる。
なってみせる。
哀しみや苦しみ、憎しみにだって耐えられる。
だから、君の為に殺すんだよ。
だって、わたしは、君が好きだから。
――――私、まだ、頑張れるよ。 何度でも、何度でも、頑張ってみせる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
766
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:59:29 ID:STdJ7ieY0
「そろそろ休憩にしません?」
「そうね、そうしようか」
大分南下した後、草壁優季の提案に乗って私達は休憩する事にした。
彼女には悪いけど……暫く利用させてもらう。
何れ乗るかもしれないけど、一緒に居た方が情報交換などする時にも便利だし。
最悪盾にだってできるし。
……それに私今まともな武器ないし。
とりあえず銃かな。
私はそう思って水を口に含み、名簿にもう一度目を通す。
知り合いなんていないけど、とりあえずざっと誰か居るか把握したい。
そう思って、目を動かした瞬間。
「ぶっごふぁ!?!?」
「わ、水噴いて、どうしたんですか?!」
彼女が心配するけど、気にしない。
だって有り得ない。
どうして、どうして。
私は『朱鷺戸沙耶』であるはずなのに。
なのに。なのに。なのに。
だから、この殺し合いでも、『朱鷺戸沙耶』であるはずなのに。
どうして、どうして、どうして。
私は震える指で、その名前をなぞる。
『長谷部彩』
――――なんで、私の本名があるの!?
767
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/18(金) 23:59:45 ID:STdJ7ieY0
おかしい。おかし過ぎる。
ちゃんと『朱鷺戸沙耶』もある。
うん、ちゃんと書いてある。
なら、これが私だ。
私であるはず。
今のは見間違い。
OKOK。
息を吐いて、もう一度。
ほら……な……っ……あった。
『長谷部彩』
『あや』
それが私の本当の名前。
人生も録に楽しめずに。
恋もせずに、終わるはずの少女の名前。
なんで、そんな名前が、あるの?
私は『沙耶』
理樹君が愛してくれた『朱鷺戸沙耶』だよ。
今更、『あや』に。理樹君が愛してない『長谷部彩』に戻れない。
戻らない。戻りたくないっ。
これが、今度私に与えた試練というのか。
想像主が与えた罰か試練だというのか。
知らない。
知りたくもないっ。
私は『長谷部彩』に戻らない。
理樹君に愛してもらった『朱鷺戸沙耶』のままで。
闘って、闘って。
そして、死にたいよ。
そう、だから。
――――私は『朱鷺戸沙耶』だ。
768
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/19(土) 00:00:08 ID:0TavFFdc0
【時間:1日目午後3時30分ごろ】
【場所:D-6】
草壁優季
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
朱鷺戸沙耶
【持ち物:玩具の拳銃(モデルグロック26)、水・食料一日分】
【状況:……今更、戻れない】
769
:
インモラリスト
◆auiI.USnCE
:2011/02/19(土) 00:00:39 ID:0TavFFdc0
投下終了しました。
770
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:05:30 ID:HgiVeuOw0
「……ノーリアクションはつまらないな」
丘を睥睨するように聳えた洋館の屋根の上でくるくるとアサルトライフルを弄り回しながら、
来ヶ谷唯湖は三人を見下ろしている。
「怯え惑われても興醒めだが、無視されるのも好きではないんだ。
あまり退屈だと欠伸の拍子にうっかりトリガーを引いてしまうかもしれんぞ」
笑みを浮かべながら露骨な恫喝を口にする唯湖に、しかし見下ろされる三人は
それぞれ違う表情を浮かべながら互いに視線を交わし合っている。
久寿川ささらの顔にありありと浮かぶ困惑を受け流すように肩をすくめる柚原春夏。
最初に口を開いたのは、そんな二人を横目に小さく首を振った香月ちはやである。
「先程はどうも、失礼しました」
「これはこれは、ご丁寧に」
ぺこりと頭を下げてみせるちはやに、屋根に据え付けられた出窓の桟に腰掛けたまま、
唯湖が上半身だけで大仰な礼を返す。
「あのとき退いたのは、やはり不利を悟ったからではなかったのですね」
「それはまあ、そうだろう」
涼しい顔で頷いた唯湖が、手にした自動小銃を誇示するようにしながら言う。
「鉄パイプと拳銃を相手に、どうして私が不利だと思う」
「二人がかりの不意打ちでしたから」
「二人が三人でも、同じことさ」
語る間に銃を手に取るでもない三人を見下ろして、唯湖が小さく笑う。
「なら、どうして」
「……それはまあ、ちはやちゃんの目的を確かめたかったんじゃないかしらねえ」
緊張を感じさせない声は、それまで黙っていた柚原春夏である。
指先ひとつで少年を肉塊に変えながら、銃口を前に怯えるでもなく泰然と構える女を
ちらりと見やって、唯湖が頷く。
「まあ、そんなところだ」
「……」
「彼らがブリッジに上がろうとしたとき、君の姿は見当たらなかった」
「木田さんたちのことですね」
言ってちはやの視線が向いた先、兵器本来の射程からすれば至近に等しい館の門側には
赤黒い血溜まりが放射状に広がっている。
感慨もなく目を戻せば、唯湖が首肯しながら言葉を続けている。
771
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:05:51 ID:HgiVeuOw0
「ああ。ならば、君は彼らの一味ではないのだろう。それがほんの僅かのうちに
共闘の態勢を整えている。何か思惑があると思うのが、普通ではないかね」
「危険な殺人犯のことを聞いて、義憤にかられる人だっているかも知れませんよ」
「……」
冗談めいたちはやの返答は、冷笑と共に受け流された。
「最初からの知り合いで、別行動をとっていた可能性だってあるでしょう」
「まさか、本気で言っているわけではないだろう?」
「……」
一笑に付した唯湖が、射線でちはやの顔を囲うように、くるくると銃口を回す。
「あの連中に混ざっていられるような人間が、そんな目をしているはずがないさ」
「……」
「そら、その目だ」
茜色に染まる夕暮れの下に、一瞬の沈黙が落ちる。
高台を吹き抜ける風が、ほんの僅か、温度を下げた。
「……まあ、そう怒らないでくれたまえ。同病相哀れむというやつだよ」
「……」
漂う沈黙の残滓を振り払うように、唯湖が続けた。
「ともあれ……そんな君が、彼を助けるんだ。何か理由があると思うのが自然だろう?」
「根拠も何も、ありませんけど」
「だが正解だった」
「……」
「君たちは哀れな少年を毒牙にかけ……私はこうして、君たちの生殺与奪を握っている」
確かにね、と吹き出す春夏の声は、ひどく空々しく響いた。
気にした風もなく、唯湖を見上げて春夏が言う。
772
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:06:15 ID:HgiVeuOw0
「それにしても、よくそんなところまで上がれたわねえ」
「ふむ……やはり中にはトラップでも仕掛けてあったのかね?」
「塀や壁にもたくさんあるはずなんだけど」
「どうだったかな。奇跡的に避けられたのかもしれないな」
事もなげに言ってのける唯湖に、春夏が肩をすくめる。
「まあ、これに懲りたらせっかく築いた陣地からのこのこと出歩いたりはしないことだ。
君たちに次があればの話だが」
「肝に銘じておくわ。次があれば」
軽い調子で言い返した春夏が横を見やれば、ちはやはまだ険しい顔で唯湖を睨み上げている。
「……そういえば、ちはやちゃんは最初にどうやってあそこまで?
中、上がってきたのよね」
「さあ。奇跡でも起きたんじゃないですか」
「奇跡、ねえ」
にべもない返答に苦笑した春夏が、今度はささらの方へと声をかける。
「ねえ、あの紙、注意事項っていくつ書いてあった?」
「……十や二十では、とてもきかない程度に」
唐突に話題を振られたささらが困惑の表情を浮かべながら、それでも律儀に答える。
「……だって」
呆れたように唯湖とちはやを見たのは春夏である。
「なら……私はまだ死ぬ運命じゃないんですよ。きっと」
視線を唯湖から外さぬまま、ちはやが口の端だけで薄く笑う。
「だから、この場でも死にません」
「あら、それを言うなら私だってそうよ。大丈夫に決まってるわ」
「はっはっは。随分と呑気だな」
奇妙に歪んだ問答を見下ろしながら、唯湖が声音だけで笑う。
表情は、ひどく冷たい。
「三センチ。私の指が三センチほど引かれれば、君たちは仲良く天に召されるのだが」
自動小銃の銃口は、並んだ三人をきっちりと照準に納めている。
773
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:06:30 ID:HgiVeuOw0
「それとも根拠があってそう泰然自若としているのかね。
何か切り札でも用意しているというなら、そろそろ出しておいた方がいいと忠告しておこう」
「切り札? ……まさか」
一瞬、何のことだか分からないという顔をした春夏が、それを受け流す。
「では何故、生を確信する」
「ああ、それは違うわねえ」
何気ない調子で、春夏が小さく笑って、唯湖の言葉を否定する。
小さく、小さく息をつきながら、春夏は唯湖を見上げて、言う。
「生きることなんて、どうだっていいのよ。どうだって」
表情は、変わらない。
どこまでも細く、静かな、笑みに乗せた、しかし、
「私は、死を、認めないだけよ」
それはひどく、冷えきった、声音だった。
「私には、死ねない理由がある。だから、死なない。それはただ、それだけのことだわ」
一語一語を区切るように放たれる、それは詠うような、呪詛と呼ばれるものに程近い、
耳から人を侵し臓腑を掻き混ぜるような音の羅列。
空と風と、辺りに満ちる花の香りを腐らせるような、澱みを招く言の葉。
そういうものが、柚原春夏の口からは漏れ出していた。
「―――」
音という音、色という色が失われたのは、一瞬だった。
「……それにね」
沈黙を打ち消すように、春夏が笑顔を作る。
いつもの明るく、茶目っ気のある笑みだった。
澱みはもう、どこにも見当たらない。
「あなた、楽しそうだから殺さない、って言ったじゃない?
だから楽しそうにしてれば大丈夫かなあ、って春夏さん思ったの」
「……」
「……だめ?」
「……はっはっは。―――はっはっは」
乾いた、笑いだった。
眼光も、向けた銃口もそのままに、声だけで笑ってみせた来ヶ谷唯湖が、しかし、
「確かに、君たちは面白いな」
言って、銃口を下げた。
***
774
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:06:52 ID:HgiVeuOw0
「なるほど。君たちにはそれぞれ、保護したい人物がいると」
幾つかの言葉を交わした後、得心したように頷いたのは来ヶ谷唯湖である。
「そういうこと。だから、お互いの目的の邪魔にならない限りは手を組んでおきましょう、ってわけ。
紳士協定ならぬ、淑女協定ってところかしら?」
「淑女かね」
「淑女よ?」
胸を張る春夏に、唯湖が小さく溜息をつく。
「……まあ、いい」
「何かひっかかるわねえ。いいけど。……で、物は相談なのだけれど、えーと、」
「来ヶ谷だ。来ヶ谷唯湖」
「なら、唯湖ちゃん」
「……その呼び方はやめてくれ」
「じゃあ、来ヶ谷ちゃん?」
「……」
緊張感の緩みきったやり取りに、しかし割り込むように声を上げた人物がいる。
「春夏さん」
久寿川ささらであった。
思い詰めたように黙り込んでいたささらが、意を決して口を開いていた。
「この人は危険すぎます。私は反対です」
「あらあら」
「……」
ささらの言葉に、春夏と唯湖が目を見合わせる。
「春夏さん……といったかな。あなたの連れはどうも状況判断が苦手なようだ」
「そうねえ。いい子なんだけど、そういうところ、あるわねえ」
「春夏さん!」
775
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:07:11 ID:HgiVeuOw0
茶化すような二人に、ささらがトーンを上げる。
尚も何かを言い募ろうとしたささらを止めたのは、春夏の眼光である。
笑顔の奥に潜む、何か怖気の立つようなものが、一瞬にしてささらを飲み込んでいた。
「ささらちゃん。真面目な話、私たちいま、絶体絶命」
「……」
「こうして話を聞いてもらってるだけで、大ラッキーなのね」
「……っ」
その言葉に、ささらが唇を噛んで俯く。
確かに自動小銃の銃口は下がっていた。
しかし来ヶ谷唯湖がその気になれば、徒手空拳の三人は一秒を待たず全滅するだろう。
理解していたはずの危機感は、流転する状況の中でいつの間にか薄れつつあった。
それを改めて突きつけられたささらは、顔を上げられずにいる。
そんなささらの肩に手をかけると、春夏がぐっと握り拳を作って続ける。
「……でもね、このまま春夏さんのトークで丸め込めれば、形成大逆転。
淑女協定も一気に戦力倍増よ!」
「聞こえるように言うものではないと思うが」
「大丈夫、それも計算のうちだから」
唯湖が苦笑するのへ、春夏がウインクを飛ばす。
「……まあ、いいさ。では早速、丸め込まれるとしようか」
「え?」
「そろそろ退屈してきたところだ。話を先に進めよう」
「あら、悪いわねえ」
まるで悪びれた様子もなく呟く春夏。
「こう見えて、私にも友人と呼べる存在くらいはいてね」
「本当にサクサク話を進めるのね」
「……続けていいかな」
「どうぞどうぞ」
「……私はこれから、彼らを捜してここへ連れてくる」
「ここって、そこ?」
意味のない問いに唯湖は頷くと、腰掛けた屋根を銃底で小突く。
「君たちは彼ら……そして彼女らを、この館で匿ってくれたまえ」
「そんな、都合のいい……!」
「やめなさいってば」
またも声を上げようとしたささらを、春夏が身振りで制する。
「いいわ。十人でも二十人でも、この春夏さんにどーんと任せなさい!」
「……私はそれほど友人の多い方ではないよ」
唯湖の苦笑と共に、協定は締結された。
***
776
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:07:34 ID:HgiVeuOw0
「……ところで、君」
「何ですか」
さやさやと音をたてる梢の下、来ヶ谷唯湖が少し離れて歩く香月ちはやに声をかける。
闇が忍び寄りつつある林道である。
陽射しは既に傾いて、二人の正面に沈もうとしていた。
足を止めたちはやが、唯湖の方へと向き直る。
「そんなもの、君に扱えるのかね?」
「さあ。ないよりは選択肢が増えるでしょう」
答えたちはやの腰には、可憐なワンピースにはひどく不釣合いなものが括りつけられている。
無骨な革のベルトに差し込まれているのは、黒光りする大振りな拳銃であった。
フェイファー・ツェリザカ。
洋館の門の側に転がった、木田時紀であった肉塊から拾い上げた代物である。
「ロジカルな返答だ。花丸をやろう」
「どうも」
少女らしからぬ凶器を身につけたちはやが、やはり少女らしからぬ無表情で短く答える。
会話を続ける気のない気配がありありと浮かぶ声音だった。
「しかし、あの御仁……柚原春夏といったか。なかなかに食えないな」
「……」
千早の様子などどこ吹く風と、唯湖は楽しそうに言葉を継ぐ。
「一方的な従属に信頼は生まれない。そこのところをよく分かっている」
「……」
「大人は怖いね。女だから尚更だ」
「……連れてきたいご友人って、どなたですか」
放っておけばどこまでも続けそうな唯湖の言葉に耐えかねたように、ちはやが口を開く。
刺のある言葉は、しかし核心を突くように鋭い。
「はっはっは」
声だけで笑った唯湖が、目を細める。
777
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:07:52 ID:HgiVeuOw0
「まあ……誰を連れて戻ろうと、仲良く蜂の巣だろうからね」
当然のように唯湖は協定の無視を口にする。
憤りを覚えた様子もなく、ごく自然な成り行きを告げる口調だった。
「今、丘を下っている最中に撃たれなかったのは、君がいたからだ」
「……」
「君にもそのくらい分かっているだろう。だから親切にそういうことを聞く」
「……厄介払いをしたいだけです」
「やはり優しいね、君は」
「……」
ざあ、と夜を含んで吹く風が、梢を鳴らす。
「余裕、あるんですね」
「人生は楽しむものだよ」
「……言うわりに、楽しんではいなさそうですけど」
「はっはっは」
唯湖が、笑う。
今度の笑い声には、色がついていた。
微かな愉悦の、色。
「なかなかの慧眼だ。お姉さんは少し感心したぞ」
ぽんぽんと、親しげにちはやの肩を叩くと、嫌そうに顔をしかめるその脇を抜けて、
林道の先へと歩を進める。
ややあって足を止めた唯湖が、振り向かないまま、告げる。
「……楽しくはない。楽しくなどないさ。生きることは」
778
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:08:05 ID:HgiVeuOw0
見つめる先には、沈みゆく太陽がある。
その背は黄昏に向かって歩むように、見えた。
「本当に守りたいものなど、どこにもない」
逆光の中の影は、ゆらゆらと揺れているようだった。
夕暮れの茜色と、宵闇の群青と、混じり合った空に溶けるような、曖昧な影。
「きっと私は、殺すだろう。知り合いも、友人も。誰も、彼も」
ゆらゆらと揺れる影が、ゆらゆらと揺れる言葉を紡ぎ出す。
それはひどく虚ろな声で、だからちはやは吐き出しかけた言葉を呑んで、ただ、影を見ていた。
「戯れさ。戯れだよ、この殺し合いも」
それを最後に、黄昏の声が、ふつりと途切れるように、消えた。
「―――さて、見送りはこの辺りで充分だ」
振り返ってそう言った、唯湖の表情はよく見えない。
声音からは、虚ろな響きは消えていた。
きっとまた色のない笑みを浮かべているのだろうと、ちはやは思う。
「さすがにもう射程の外だし、向こうからも見えないだろう」
「……残念です」
何が、とは言わなかった。
唯湖が聞き返すことも、なかった。
代わりに小さく首を振って、唯湖は口を開く。
「壊れ物が寄せ集まっても、きっとろくなことにはならないさ」
「……」
ちはやは、答えなかった。
「まあ、よろしく伝えておいてくれたまえ」
それだけを告げて、軽く片手を上げた唯湖の影が遠ざかっていく。
振り返らず歩むその背を、闇が溶かして消えるまで、ちはやはじっと見守っていた。
***
779
:
ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
◆Sick/MS5Jw
:2011/02/19(土) 02:08:18 ID:HgiVeuOw0
「戻ってこないでしょうねえ」
「……え?」
夕暮れを望むテラスの上で、あっけらかんと告げた春夏に、ささらが思わず聞き返す。
「たぶん戻ってこないって言ったのよ。あの来ヶ谷って子」
「……」
「下のこと、聞いていかなかったもの。
……それにしても、まだちょっと臭うわねえ。ご飯が美味しくないわ」
「アンモニア臭、でしょうか。……下?」
「トラップ」
支給品のパンを小さくちぎって口に運びながら、春夏が階下を指さして見せる。
「紙がある、ってわざわざささらちゃんに言ったのよ、私」
「……確かに」
「あの子がそれ、聞き逃すわけないわ。だけど……」
「そこを突いてこなかった。つまり、誰かを連れて戻ってくるつもりなどない、と」
「そういうこと。ま、そんな傍証なんてなくたって、あの態度見てればわかるわよ、誰でも」
「……誰でも、ですか」
「そんなんじゃ、将来つまんない男に引っかかって泣くわよ?」
「……でも、それなら後ろから撃ってしまえばよかったのに」
からかうような春夏の仕草に眉根を寄せながら、ささらが言い返す。
「ちはやちゃんが側にいたでしょ。そんなに精密な狙いなんてつけられないわ。それに……」
「それに?」
たっぷりと間を空けて焦らした春夏が、悪戯っぽく笑んで、舌を出す。
「その方が、楽しそうじゃない」
「……悪い病気でも、うつされたんですか」
呆れたように言ったささらが、付き合っていられないとばかりに首を振る。
「どうかしらね」
言った春夏が、くすりと、笑った。
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