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人 間

1NAME:2013/02/08(金) 23:45:51
人 間

380NAME:2017/08/15(火) 23:19:50
上原多香子の衝撃不倫を亡夫の弟が告発!! 裏切りの熱愛LINE「会いたいよ。絶対に旦那さんに戻れない」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%81%ae%e8%a1%9d%e6%92%83%e4%b8%8d%e5%80%ab%e3%82%92%e4%ba%a1%e5%a4%ab%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%81%8c%e5%91%8a%e7%99%ba-%e8%a3%8f%e5%88%87%e3%82%8a%e3%81%ae%e7%86%b1%e6%84%9bline%e3%80%8c%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%88%e3%80%82%e7%b5%b6%e5%af%be%e3%81%ab%e6%97%a6%e9%82%a3%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ab%e6%88%bb%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AApNxFs

3年前、自死といういかたちで夫を亡くした上原多香子(34)。上原は2012年8月に、「ET-KING」メンバーでラッパーのTENN(森脇隆宏さん、享年35)と結婚して大阪で新婚生活をスタートしたが、それからわずか2年後の2014年9月25日、TENNさんは自宅マンション駐車場に停めた車の後部座席で首をつって自殺を図り、亡くなった。 遺書は3枚あり、妻である上原、「ET-KING」メンバー、自身のファンにそれぞれ宛てられていたという。当時の報道では、どの遺書にも自殺の理由については記されていなかったとされていた。しかし、8月10日発売の「女性セブン」(小学館)で、TENNさんの実弟が衝撃の告発をしている。兄の自死の理由が、妻の不倫を知ったことだったというのだ。

 上原多香子は、14年7〜9月に出演した舞台で共演していた俳優・阿部力(35)と不倫恋愛の関係にあった。証拠とされているのは、上原と阿部がかわしたLINE文面と、上原のスマートフォンに保存されていたツーショット写真やキス写真。すべて、TENNさんが上原のスマホを見て、自らのスマホカメラで撮影・保存したものだったという。それを、葬儀からおよそ一カ月後の月命日に、TENNさんの実母が発見した。

 当初は家族だけで秘し、誰にも明かさないつもりだったようだが、三回忌を終えた今もなお家族の悲しみは癒えず、TENNさんの実弟は「これ以上、家族だけでは抱えきれない」として告発に踏み切った。また、上原が今年5月に新恋人と「フライデー」され「夫の死を乗り越えようやく立ち直った」等と書かれたことに脱力し、「多香子さんのこういうニュースが出るたびに、天国の兄は毎回ひどい言われようをしてしまうんやとしたら、どうにもいたたまれなくなって」と苦しい胸のうちを明かしている。 同誌に掲載された、上原と阿部のLINEのやりとりは、赤面するほどに相思相愛。阿部は上原を「たかちゃん/たー」と呼び、上原は阿部を「トントン(※中国で活躍する阿部の愛称)」と呼ぶ。

 上原は、<止められなくなるくらい想えるって素敵なことだね。トントンに出会えて、本当によかった><トントンに会いたいよ。旦那さん、大事だけどそれ飛び越えてる><(離婚や浮気はありえないと思っていたけれど、でも)私の一方的やけど肌を合わせて感じるフィット間が今までとはまったく違うの>と、とめどなく愛を伝え、<トントンに想いがすべて行ってる中、騙し騙し旦那さんと居ることが、やっぱり出来ないです(中略)こんな気持ちでは絶対に旦那さんに戻れない>と離婚をほのめかす。浮気ではなくて本気、だったようだ。2017年現在すでに上原は別の恋人がおり、阿部との愛は永遠ではなかったわけだが。

 また、TENNさんは不妊症で子供を望めない体だったという。しかし上原と阿部は<子供欲しい><2人の子供作ろうね><早く(子供に)会いたいね>という会話もしており、恋愛絶頂期特有の高揚感が溢れている。TENNさんから妻・上原へ宛てた遺書には、<子供が出来ない体でごめんね/本当に本当にごめんなさい>とある。自分が死んでも<きっと阿部力となら乗りこえられると思います>、そして<がんばって トントンとお幸せに>と綴られた最後の手紙を、上原はどう受け止めていたのだろうか。

 そして、「女性セブン」では触れられていないのだが、阿部力もまた、既婚者のはずである。阿部は中国人の父と中日ハーフの母とのクォーターで中国芸能界でも活動しており、2009年に年上の中国人女優との結婚を発表。遠距離恋愛を経ての入籍だったことや、妻が中国での女優業を休み日本で阿部の両親と同居生活を送ることなどを明かしていた。公表していないだけですでにこちらの夫婦は破局していたのか、はたまたダブル不倫で燃え上がっていたのか。 いずれにしろ、この告発で“悲劇の未亡人”だった上原のタレントイメージは一変しそうだ。

381NAME:2017/08/15(火) 23:20:47
上原多香子、新魔性の女か!? 関係者「あの目で男を落とす」
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%80%81%e6%96%b0%e9%ad%94%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a5%b3%e3%81%8b%ef%bc%81%ef%bc%9f-%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e3%80%8c%e3%81%82%e3%81%ae%e7%9b%ae%e3%81%a7%e7%94%b7%e3%82%92%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%99%e3%80%8d/ar-AAq8sze

女性誌で自身の不倫が夫でET-KINGのTENNさん(享年35)の自殺の一因だったと報じられた女性グループ、SPEEDの上原多香子(34)。現在、名古屋市内で舞台「のど自慢〜上を向いて歩こう〜」(18日まで)に出演中だが、疑惑については口を開いていない。舞台後は無期限の謹慎に入るという。

初日の12日も終演後、報道陣に囲まれたが、神妙な表情で深々と3秒間頭を下げて謝罪の意をみせたが、釈明の発言などはなし。飛び交う質問におじぎを繰り返すだけだった。 不倫相手とされた俳優、阿部力(35)とはTENNさんの死後すぐに関係を解消。現在は演出家のコウカズヤ氏(40)との交際が伝えられている。「もともと彼女自身が奔放なうえ、恋愛体質で、共演者と近い関係になることも少なくなかった。あの目で男を落とすそうです」と芸能関係者。まさに“魔性の女”だ。

382NAME:2017/08/27(日) 19:40:51
アリさん引越社、懲戒解雇は「不当労働行為」 都労働委認定
2017.8.23 17:59更新
http://www.sankei.com/life/news/170823/lif1708230046-n1.html

アリさんマークで知られる「引越社」のグループ会社「引越社関東」で、セールスドライバーだった男性社員(36)が、運転中に事故を起こして弁償のため労働組合に加入したことをきっかけに懲戒解雇やシュレッダー係への配転を命じられたことについて、東京都労働委員会は23日、不当労働行為であると認定した救済命令を交付した。

 命令書などによると、男性は平成27年1月、営業車を運転中に事故を起こし、会社から弁償金を求められたことから、社外の労働組合に加入し、団体交渉を開始。同社は男性を同年8月に懲戒解雇するとともに、顔写真入りで「罪状」と題した解雇文を全店に貼り出した。2カ月後に解雇は撤回されたものの、一日中書類を廃棄するシュレッダー係に配転された。 引越社関東は「担当者が不在」としている。

383NAME:2017/09/04(月) 21:11:17
プロポーズ成功直後に男性転落死 沖縄・伊良部大橋、ふざけて欄干乗り越える
2017.9.4 20:21更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170904/afr1709040019-n1.html

4日午前0時ごろ、沖縄県の宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(宮古島市)から男性が誤って海に転落し、死亡した。男性は橋の上で交際中の女性にプロポーズした直後だった。

 宮古島署によると、死亡したのは、同市平良下里の介護士、石垣有一さん(32)。3日夜、橋の上に車を止め、交際中の同僚女性にプロポーズし、承諾の返事をもらった後、ふざけて橋の欄干を乗り越えて外側の縁に立ち、足を滑らせたという。 海上保安庁のダイバーらが海底に沈んでいた石垣さんを見つけ、引き上げたが死亡が確認された。石垣さんは飲酒した後だったという。

384NAME:2018/01/21(日) 00:07:18
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e4%b8%8a%e6%99%ba%e5%a4%a7%e5%8d%92%e3%80%81%e6%96%b0%e4%ba%ba%e8%b3%9e%e5%8f%97%e8%b3%9e%e4%bd%9c%e5%ae%b6%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%89%e3%82%86%e3%82%8b%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%88%a6%e5%8a%9b%e5%a4%96%e9%80%9a%e5%91%8a%e3%80%8d%e3%80%81%e5%a4%a7%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%99%ba%e9%81%94%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e3%81%ae%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%92%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%8c%e7%b6%b4%e3%82%8b/ar-AAuVq7u?ocid=iehp#page=2

1997年に新潮新人賞を受賞、著作の『ダンボールハウスガール』が米倉涼子主演で映画化もされた小説家・萱野葵氏を襲った危機。生活のために始めたアルバイトは失敗ばかりで、どれも長続きしない。「言語性知能」と「動作性知能」のギャップに、その謎を解く鍵があった。萱野氏が自らの体験を綴った手記を寄稿した。

 小説を書けないという困惑から、すべてのことが始まった。 1997年に小説家としてデビューしたが、2001年にはすでにピークが来ているのを感じていた。正確には、書けないというのではない。書いても「これは行ける!」という感覚がなくなってしまったのだ。完全なスランプだった。 しかし、一生、小説だけで生きていける人間など一握りだ。私は小説を書くのをやめ、世間の人と同じように働くことにした。医療事務、警備員、牛丼屋店員、スーパー、受付、その他いろんなジャンルの仕事をしてみた。 もちろん、働くのはこれが初めてではない。しかし、働こうと決心はしたものの、本当は働くのが恐ろしかった。

 初めて働いたのは成人を迎えた後、大学2年生でアルバイトをした時だ。ビアホールだった。私は仕事ののみ込みが異常に遅く、もっと速く動いてくれと言われた。飲食店ではテーブルにA1、B2のように店員だけがわかる番号をつける。これを卓番といい、夕方になると「ワンビアA2!」「ツービアC3!」などの怒号が激しく飛び交う。私は最後まで、この卓番が覚えられなかった。おどおどとしながら必死で席を探すが分からずパニックになる。大学のサークルには何とか馴染めたのだが、バイト先では常に浮いている自分がいた。私はたった3カ月でビアホールを辞めた。

 その後、居酒屋のバイトに入った。ビアホールではうまくできなくても、環境が変われば仕事のできる人間になれる、そう信じたかった。しかし、ここでも評価は最悪だった。まず揚げ物と焼き物の区別がつかない。焼き鳥を注文されて、調理場の揚げ物担当の人にオーダーを持って行ってしまう。そして「焼き鳥は焼き物だよ! 分かんないの!?」と怒られる。あるいはコロッケを注文されて、焼き物担当に持って行ってしまい、「コロッケは揚げ物でしょ!?」と怒られる。夜の居酒屋はラッシュだったから、私のトロさは際立って見えた。男性店員にいじめられ、1カ月で辞めた。

385NAME:2018/01/21(日) 00:26:18
●「一流大学なのにできない」同僚に陰口を言われた

 それでも懲りずに、小料理屋でバイトしたが、メニューを覚えられず、中国人や韓国人の店員にフォローしてもらう有様だった。パート従業員の中年女性が、「大学は一流でも仕事のできない人っているものなんだね」と聞こえよがしに私のことを他の店員に話すのが耳に入り、いたたまれなくなって辞めた。 コンビニの店員をしても、同じように店長に叱られてばかりで勤まらなかった。

 大学を出てからOLになったが、ここでもひどい評価を受けた。とにかく仕事ができないから、会社に対して申し訳なかった。コンピュータールームでひたすらデータを打ち込む仕事は退屈でならなかった。しかし、誰も私に難しい作業はさせなかった。クビになってもいいと思ったが、不思議とリストラも肩たたきもなかった。

 後で聞くと、この会社は今まで一度もリストラをしたことがないという。温情豊かな会社に就職したものだ、と思ったが、それでも仕事ができないことと、仕事に楽しさを感じられないことは致命的だった。可愛がってくれた女性社員が、「もう辞めたほうがいいよ。向いてないよ。小説に専念しなよ」 と助言してくれたのをきっかけにして、私はOLを辞めた。

その後、安アパートで一人黙々と小説を書いていたが、それだけでは食えず、スーパーでレジのバイトをした。 自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。 ところが、レジ打ち以外の、途中で売上金を数えたり、閉店後にレジを締めたりという仕事が、やはりうまく理解できず、混乱し、いづらくなって、これもふいっと辞めた。

●何度説明を聞いても仕組みを覚えられない

 そのすぐ後に小説の新人賞を獲り、何冊か本も出し、雑誌でこまごまとした記事を書きながら、何とか生きてきた。しかし、小説が書けなくなってしまった。それで冒頭に書いたように、働くしかなかったのだ。 その後もありとあらゆる場面で、「戦力外通告」を受けた。牛丼屋では昼間の注文の激しい時間帯を避け、夜の掃除専門で入った。そこで年上の女性から「掃除がのろい」と怒られた。私は怖くなって、懸命に早く掃除を終えるようにした。すると今度は「掃除した後がひどく汚い」と言われた。彼女は人をいじめるタイプではない。ただ、私のあまりにひどい働きぶりに業を煮やしているのだ。

「どうしてそんなに仕事ができないの? あなた本当に大卒なの? 私は高卒だけど、あなたよりずっと仕事できるわよ」 と言われ、私は俯くしかなかった。 こうした状態を、小説が書けなくなってから10年以上も繰り返した。最後に勤めたのは高級スーパーのレジ打ちだ。品物をバーコードに通し、袋詰めにする。それが「ひどくのろい」と怒られた。スーパーにはコーヒーメーカーがあり、夜勤帯のバイトが掃除を命じられた。しかし、私は、コーヒーメーカーの内部の仕組みが、何度説明を受けても全く理解できなかった。

「あなたにはもう教えない。普通なら2回で覚えるよ」 と先輩女性従業員は声を荒らげた。 私は必死で仕組みを覚え、できるだけ早くコーヒーメーカーを洗浄しようと努力した。すると、家に帰ってから、店長から怒りの電話があった。「コーヒーメーカーの掃除がひどく汚い。別のバイトが一からやり直した」 この一件で、私は「もう無理だ」と悟った。誰にでもできることが自分にはできない。もう何かがおかしいとしか思えなかった。 私はとうとう、病院の門をくぐった。 医師に今までの人生をざっくりと話した。自分には精神疾患がある、と私は疑っていた。ところが、医師は臨床心理士に知能テストをするよう命じた。私は言われるままにテストを受けた。WAIS=III式という日本ではごく一般的なバージョンのテストだ。

 数週間後にテストの結果が出た。驚くべき事実が待っていた。 知能テストは言語性知能テストと動作性知能テストに分類される。言語性知能とは、通常、「偏差値」と関係していて、意識的な学習の成果とされる。これは、いわば思考力の高さを測る物差しである。動作性知能とは、社会で必要とされる様々な「作業」を司る知能である。こちらは、その場その場の環境変化や問題発生に臨機応変に対応できる能力のことである。言語性知能の検査項目は「言語理解」と「作動記憶」であり、動作性知能の検査は「知覚統合」と「処理速度」からなる。言語性知能と動作性知能を合わせた全体的知能の、平均的な知能指数は90〜109の間。70〜89が「境界例」、50〜69が「軽度知的障害」とされる。

386NAME:2018/01/21(日) 21:57:23
●抜きん出た言語性知能 平均下回る動作性知能

 私は言語性知能が114と、平均より高かった。ところが、動作性知能は平均をはるかに下回り、「境界例」である74。動作性知能のうちの「処理速度」に至っては66で、「軽度知的障害」のレベルであった。 両方を合わせた全体的な数値は96と「平均値」に収まっていたが、あまり意味はない。大事なのは、言語性知能と動作性知能の差が40もあるということだ。医師は差が40もあるのは極めて稀としながらも、「あなたは視覚的で単純な素早い作業が苦手だね。言葉の能力が高いんだから、言葉を使う仕事をすればいいよ」 と気安く言った。しかし、言葉を使う仕事ができれば世の中を渡れるわけではない。 私はコーヒーメーカーの掃除であれレジ打ちであれ、仕事ができるようになりたかった。一方で、動作性知能が境界例と診断されたことで、安堵もしていた。自分が仕事のできない理由が分かったからだ。自分はさぼっているのではないか、と思う時ほど罪悪感にさいなまれる瞬間はなかった。でも、それは違った。私の知的水準が低すぎたのだ。

 大学時代から続く「戦力外」体験に私は自信を失い、引きこもりのようになってしまっていた。逆に言えば、全国で54.1万人(内閣府推計)、予備軍は110万人とも推定される引きこもりの中にも、私のような人々がいる可能性がある(ちなみにこの数字は15〜39歳だけを対象にしたものだが、40代以上を含めると、ぐっと増えて、300万〜500万人もの引きこもりがいるのではないかと推定されている)。

 東京都にある発達障害者のための支援センターで自分の状態を話し、相談に乗ってもらった。知能テストだけで診断名がつくことはなく、様々な検査をして総合的な判断をするのが普通とのことだった。ただ、簡単に言えば、言語性知能が動作性知能を上回るケースを、非言語性学習障害という(しかし、この呼び方は現在あまり使われていない)。融通が利かず、環境の変化や対人関係に柔軟に対応できず、刺激に直面するとショック状態になったりし、空間認知能力や運動神経に問題があるという症状である。そして、非言語性学習障害は、アスペルガー症候群と同義ではないが、アスペルガー症候群との共通点が極めて多く見られる。

●「それはしんどかったね」相談員は驚いて言った

 アスペルガーは生まれつきの性質であり、基本的に「治癒」することはない。対症療法としては、パニックが起きないように環境調整をしたり、苦手な状況を回避したりする、人から誤解されたら、自分の話し方のチェックを心がける、など、素人でも分かりそうなことしかない。治療はできないが、パニックなどの症状回避のためには向精神薬の服薬は有効性がある。またアスペルガーはそれによる鬱、神経症、適応障害などの「二次障害」も生むので、服薬はその場合にも必要となる。

「言語性知能と動作性知能の差が40もあったの! それは生きるのがしんどかったね」 私の話を聞いた相談員は、驚いてそう言った。 それでも私は患者の中では、少しは幸福だったと言えるのだろう。少なくとも生まれつき障害があったのを、今まで感じることなく生きてこられたのだから。そして、昔だったら「異端者」と片づけられたかもしれないものが、実は「発達障害」なのだ、と認識される時代を生きることを許されているのだから。 生きづらさを抱え、対人関係に苦慮しながらも、自分は非言語性学習障害やアスペルガーではないかと疑ったことのある人は、それほど多くないだろう。そういう人には、この発見されにくい、そして自覚されにくい障害があるかどうかをチェックするために、専門機関を訪れてみてほしい。私も自分の障害と向き合い、見たことや感じたことを書いて伝えることで、少しでもそうした人の力になれたらと思う。 ※AERA 2018年1月22日号

387NAME:2018/01/23(火) 22:52:27
評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳、正論執筆メンバー
2018.1.21 16:26更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210033-n2.html

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。 警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。 同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。

 西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。 西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説」で吉野作造賞、「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞を受賞した。

東大教授時代の昭和63年、助教授の推薦をめぐって教授会で否決されたことに抗議して辞任。以降、テレビの討論番組などに定期的に出演し、晩年は自ら発刊した雑誌を舞台に言論活動を展開した。 正論執筆メンバーで、平成4年には戦後日本でタブー視された改憲論を正面から取り上げるなどの精力的な評論活動により、第8回正論大賞を受賞した。

【西部邁さん死去】
「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
2018.1.21 20:19更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210036-n1.html

「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。

 言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。 知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。 親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。

388NAME:2018/01/23(火) 23:07:43
【西部邁さん死去】
小林よしのりさん「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」
2018.1.22 11:24更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220031-n1.html

評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載した。文章は「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」などとつづられ、「謹んで哀悼の意を表します」と結ばれている。

【西部邁さん死去】
田原総一朗さん「曖昧なことが大嫌いな人。近く会いたいと思っていた」
2018.1.21 18:38更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210035-n1.html

ジャーナリストの田原総一朗さんの話「大ショックだ。去年会った時、体調が悪いと言っていたので気にしていた。近く会いたいなと思っていた。彼は非常にラジカルで、物事を非常にちゃんと考える人。曖昧なことが大嫌いだ。日本は、安全保障も経済も、大事な部分を隠して曖昧。そういうことが彼には我慢できなかったのではないか」

【西部邁さん死去】
「発言者」編集長・東谷暁さん「自分の言葉に殉じたと思った」
2018.1.22 00:55更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220003-n1.html

西部さんが主宰した雑誌「発言者」編集長だったジャーナリスト、東谷暁さんの話「驚いたが、西部先生は前から『自決する』とおっしゃっていたので、自分の言葉に殉じたと思った。先生の助っ人として雑誌『発言者』創刊に携わったが、『思想は言葉だ。言葉は思想なんだ』と随分聞かされた。一言一言が本気で、自分の思想と行動をつなげることに情熱を持っておられた。これまで何度も自殺すると書いていたし、最近も周囲にそう話していたので、自身の思想を忠実に実行し、完結したという気持ちすらする」

389NAME:2018/01/23(火) 23:08:14
【西部邁さん死去】
能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右問わず言論界に厳しい目
2018.1.21 23:39更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210039-n1.html

21日に死去した評論家の西部邁さん(78)は「保守主義」を掲げ、一貫して国家と個人の自立を問い続けた。 ドイツの実存主義哲学者、カール・ヤスパースが言った「人間は屋根の上に立つ存在」という認識に立ち、人間は綱渡りのように緊張感と平衡感覚を持って生きてゆかなければならないと主張。大切な平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと考えた。

 保守というと、維持するものと考える人は多いが、西部さんの保守思想は、いわば能動的で命がけのもので、「保守するためには改革も必要」と述べた英国の政治思想家、エドマンド・バークの思想の真の継承者であった。 東大在学中は、全日本学生自治会総連合(全学連)の幹部として活動し、逮捕・起訴されたこともある。経済思想史に進み、「ソシオ・エコノミックス」「経済倫理学序説」などを刊行。京大名誉教授の佐伯啓思さんら現在、論壇で活動する多くの論客に影響を与えた。

平成に入ってからは、テレビ出演や「新しい歴史教科書をつくる会」への参加など、保守派の代表的な存在として知られるようになった。 だが、言論界には左右を問わず、厳しい目を向けた。安全保障を米国に依存し、経済大国への道を突き進んだ日本のあり方を痛烈に批判。親米の現実路線を取る保守論壇の中心からは離れた存在だった。 自らの言葉に厳しく、論の人である以前に義と侠(きょう)の人だった。(桑原聡)

【西部邁さん死去】
文芸評論家・富岡幸一郎さん「専門超えた『思想家』だった」
2018.1.21 23:59更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210041-n1.html

西部さんが主宰する雑誌「表現者」の編集長で文芸評論家の富岡幸一郎さんの話 「西部さんは雑誌『発言者』、続いて『表現者』を四半世紀にわたり出版し、保守思想という観点から今、起きていることを歴史的に考えようというスタンスでやってこられたと思う。古代ギリシャから近代まで西欧思想を吸収し、それを日本の思想や状況にぶつけ、全体像をみようとした。経済学から出発したが、“○○学者”というスペシャリストを超え、文化や歴史など、日本の近代の土壌で考察した稀有(けう)な“思想家”だったと思う」

390NAME:2018/01/24(水) 13:44:50
西部邁さん:最後の「保守と死」論 自裁の10日前に言及
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e3%80%8c%e4%bf%9d%e5%ae%88%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%8d%e8%ab%96-%e8%87%aa%e8%a3%81%e3%81%ae%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%97%a5%e5%89%8d%e3%81%ab%e8%a8%80%e5%8f%8a/ar-AAv2JZY?ocid=iehp#page=2

保守派の評論家で社会経済学者、西部邁さん(78)が21日、東京都大田区の多摩川で入水し亡くなった。その10日前、毎日新聞の取材を受けた際に「数週間後には(自分は)生きていない」。神経痛で痛む腕をかばいながら、近年繰り返していた自らの自殺の話をした。しかし語りはあくまでも冷静。取材後は午前4時過ぎまでバーをはしごする元気さをみせていた。【鈴木英生】

 西部さんは、知的、道徳的な人間の不完全さを強調し、歴史的な慣習とそこから導かれる伝統の意義を説いてきた。 今回の取材は新刊「保守の真髄(しんずい)」(講談社現代新書)についてのインタビュー。11日夜、東京都内のホテルのバーで1時間半、同書で展開した保守論と死について持論を語った。

 西部さんにとっての保守は、保守政治や「伝統文化」の擁護を直接は意味しない。「慣習の奥底に示唆されている歴史の知恵を自分の力で発見し、自分が納得できる間はそれを仮に伝統とみなす。そうした論陣を張るのが保守というもの」だという。 そこから、新しいものにばかり飛びつきたがる戦後日本への懐疑、米国的なものの否定などが紡ぎ出されてきた。 伝統を「危機においてバランスを取るための知恵」とも。大学では学生運動で逮捕起訴され、仲間の死にも遭遇している。人生における危機に直面してきたからこそ、保守思想を唱えだしたことをうかがわせた。

 他方、「(自分の)死は、急に考えると怖い。『死生論』を書いた二十数年前から、繰り返し考えるうちに、段々と平気になった」。2000年の「私の死亡記事」(文芸春秋編)にも、精神的な衰えが見通されたら自殺すると予期した文章を寄せている。 新刊では、病院で死に行く際の心身の苦しみを身近な人に見せるよりも、「自裁死」を選ぶことを示唆した。「連れ合いがいる間はなかなか死ねないものだ」とも。8年間看病した妻の満智子さんは14年に死去している。 一般論として「今の病院がイノベーションのおかげで痛みをとれるようになったのは確か」と病院での死を否定せず、「やりたいことをやり尽くしたら死ねばいいと簡単には言えない」と断りを入れたうえで、自らは「自裁死がいい」と話していた。

 憲法改正への動きなど、表面は「保守派」に勢いがある昨今。だが、西部さんの絶望してきた日本の対米追従や大衆社会状況は変わらない。「絶望に立つ希望」を唱え、約200冊の本を出し続けた西部さんは、自らの体調や年齢を考え、長年検討してきた死を選んだのだと思う。 取材中、ポケットからものを取り出すのに苦労し、グラスは両手で持ち上げた。とはいえ、早朝まで弁舌はよどみなく、学生時代やテレビ出演での思い出などを話し続けた。そのさまに、当面は本当に自殺することはないと記者は思った。 自らの主張とかけ離れた現代の言論、社会状況に絶望しながらも、数十年の間、絶えず発言を続けてきた西部さん。バーからバーへと夜道を歩きながら、「俺の絶望の深さが分かったでしょ」とつぶやいていたのが印象的だった。

391NAME:2018/01/25(木) 22:50:52
デューク更家氏、モナコの自宅は30億円!…F1グランプリが真下を通る
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e3%83%87%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%af%e6%9b%b4%e5%ae%b6%e6%b0%8f%e3%80%81%e3%83%a2%e3%83%8a%e3%82%b3%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%af%ef%bc%93%ef%bc%90%e5%84%84%e5%86%86%ef%bc%81%e2%80%a6%ef%bd%86%ef%bc%91%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%aa%e3%81%8c%e7%9c%9f%e4%b8%8b%e3%82%92%e9%80%9a%e3%82%8b/ar-AAv8G4T?ocid=iehp#page=2

ウォーキングトレーナーのデューク更家氏(65)が24日放送の日本テレビ系「ナカイの窓 海外生活は楽しいよSP」(水曜・後11時59分)に出演。モナコ公国に移住し16年目のセレブ生活を紹介した。 更家氏は、2001年頃に独自の健康法「デュークウォーク」で大ブレイク。現在は世界中にスタジオ300か所以上、弟子30人以上、生徒数4万人以上を抱えており、プライベートレッスン料は1時間で20万〜30万円だという。 ブレイク後に、以前からあこがれていたモナコ公国に移住。当時3億円で買ったものが現在は30億円という高級マンションで、F1・モナコGPコース上のトンネル出口の上、F1を真下に望める超一等地に住んでいる。

 そんな更家氏だが、モナコ移住当初は見えない壁に苦労したという。限られた人物しか入れない、ノートブルービーチのレストランに認められるようになるまで約3年。ほかの店でも、入れたのはいいがドアから近くの場所やはじの方に追いやられたこともあった。 そこで更家氏はどうやったら認められるようになるのかと観察したところ、お金の使い方がキレイなこと、スタッフ、そのお店の客に認められること、立ち居振る舞いが大事なことに気づかされた。

 更家氏は「お店に行くときは、それぞれのスタッフへ払うため1回1万円のチップを渡した。20万〜30万円のチップを用意していった」と話し、「旅行者はウェルカムだけど、住民権をとって住まわれるのは嫌がられる。認めてもらうためにチップは払い放題だった」と当時を振り返った。

392NAME:2018/02/01(木) 00:42:34
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

393NAME:2018/02/01(木) 01:26:09
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

394NAME:2018/02/13(火) 14:56:01
妻が女の子に…小室哲哉さんが明かした家族追い詰める「高次脳機能障害」つらさと苦労
2018.2.12 12:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/180212/prm1802120006-n1.html

「大人としての会話ができない」 小室さんがKEIKOさんと結婚したのは2002年。11年にKEIKOさんがくも膜下出血で倒れた後は、小室さんが献身的に介護する様子がたびたび報道された。 引退会見のなかで小室さんは、KEIKOさんの病状について次のように明かした。 「高次脳機能障害とか、脳のちょっとした障害ということで、少し欲がなくなってしまったりとか、女の子みたいな優しげな性格になりました」

原因で最も多いのは、脳卒中だ。なかでも、脳の血管が詰まる「脳梗塞」が多く、「脳出血」や「くも膜下出血」でも起こる。また、交通事故などによる「脳外傷」のほか、「低酸素脳症」「脳腫瘍」も原因となるという。 08年に東京都が発表した実態調査によると、都内の高次脳機能障害者数は推計約5万人にのぼった。60歳以上が67・4%と推計されている。「日本全体では、50万人以上存在するとみられています」(渡辺教授)。

小室さんによるとKEIKOさんは「非常に正常になるときが年に数回あります。そのときに『私、普通じゃないよね』ということを言ってくれることもあります」という。 小室さんは、会見を次のような言葉で結んだ。 「この10年で介護の大変さなどに触れてきました。僕1人の言動で社会が動くとは思っていませんが、こういったことを発信することで、何かが響けばいいなと思っています」

395NAME:2018/02/15(木) 00:26:49
【平昌五輪】
「笑わなかった小さい頃…」 平野歩夢、クールの秘密 恐怖心と重圧乗り越え懸命に
2018.2.14 19:34更新
http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180214/pye1802140066-n1.html

けがによる恐怖心やメダルの重圧を乗り越え、貪欲に競技と向き合い最高の技を追及した平野歩夢。メダル確定後も悔しさをにじませ、涼しげな目つきのまま、わずかに口角を上げただけ。しかし平昌の空を華麗に舞った日本のエースに対し、関係者は「よくやった」とねぎらった。 「あまりうれしそうな顔をしていないけど、歩夢は昔からそんな感じ。初めて抱っこして笑わそうとしてが、笑わなかった小さい頃を思い出した」と感慨深げに語るのは母方の伯父、田中幸一さん(50)。 日大に所属する平野は、新潟県村上市の実家に帰省してもスノーボードが頭を離れない。「『ゆっくりしていけよ』と声をかけても、『練習があるから』と数時間しか滞在しなかった」と田中さんは語る。

 平野の原点は、父の英功(ひでのり)さん(46)が作ったスケートパークで遊んだ経験にある。兄の影響で4歳からスノボを始めると、充実した施設を求め、英功さんが運転するワンボックスカーで福島県や山形県の雪山を回った。 小学4年でメーカーと契約し、プロの道へと歩み出す。積極的に海外へ出ていくことで経験を積んだ。前回ソチ五輪で一躍知名度が上がると、競技と向き合う姿勢は一層、貪欲になっていく。

無理をしてでも高難度の技に取り組まなければ勝てない時流に、葛藤する。成長を見守ってきた後援会の副会長、山田俊治郎さん(73)は「幼いころは純粋に楽しんで滑っている姿が印象的だったが、競技として取り組むようになるにつれて抑制した表情が増えた」と振り返る。 あるとき、後援会の集まりで顔を合わせた平野に、山田さんは大技に挑む心境を尋ねた。「常に恐怖心との戦いです。でも、がんばって勝ちます」。厳しい世界に生きていることをまざまざと見せつけられた。

 「こっちが命を懸けていることを、批判する人は分かっていない」。高校時代の同級生、大山昌斗(まさと)さん(19)は、平野が悔しそうに漏らしたのを聞いたことがある。過去の五輪代表選手が服装や記者会見の態度についてバッシングを受けていたことに話題が及んだときだ。 たゆまぬ努力で限りなく頂点に近づいた平野の姿に、山田さんは思う。「世界に誇れる。ぜひ胸を張ってほしい。夢を見させてくれてありがとう」(石井那納子)

396NAME:2018/02/17(土) 21:32:32
59歳「派遣に堕ちた」困窮男性が見続ける夢 勤続10年、時給は「40円」上がっただけ
http://www.msn.com/ja-jp/money/other/59%E6%AD%B3%EF%BD%A2%E6%B4%BE%E9%81%A3%E3%81%AB%E5%A0%95%E3%81%A1%E3%81%9F%EF%BD%A3%E5%9B%B0%E7%AA%AE%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%8C%E8%A6%8B%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A2-%E5%8B%A4%E7%B6%9A10%E5%B9%B4%EF%BD%A4%E6%99%82%E7%B5%A6%E3%81%AF%EF%BD%A240%E5%86%86%EF%BD%A3%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%91/ar-BBJ964V?ocid=iehp#page=2

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

職場でモノを言うのはやめた

 大みそか、街はどこも浮かれていた。札幌市内のある商業施設の駐車場入り口。家族連れなどを乗せた車両がにぎやかに行き交うそばで、案内板を掲げた誘導員のヨウジさん(59歳、仮名)は黙々と立ち続ける。気温は昼すぎには氷点下に。黒っぽいコートを重ね着し、分厚い手袋と耳あてで防寒しても、顔の筋肉はこわばり、足先の感覚はない。

 「人手が足りないので、年末は31日まで出勤でした。年始の休みも元日と2日だけ。帰省ラッシュがピークだとか、有休を組み合わせれば9連休になるとか――。シフト制の、時給制で働く契約社員にとっては、どれも無縁のニュースです。休日が少ないと収入は増えますが、体がつらい。かといって、休日が取れると体は楽になりますが、収入が減る。これも非正規労働者の“あるある話”です」

 駐車場管理員として勤続10年。この間、時給は840円から880円に、40円上がっただけだ。年収は200万円に届かない。寒冷地手当もボーナスも住宅手当も家族手当もゼロ。あまりの待遇の悪さに、特に若者が定着しないという。1年間で職場の顔ぶれの半数が入れ替わることも珍しくない。

 最近は募集をしても人が集まらないと言い、人員が足りないため、本来1時間の昼休が30分しか取れない。会社は商業施設を中心に複数の駐車場管理を請け負っており、ある現場では、10日連続の勤務を強いられた同僚もいるという。会社の方針が変わり、ここ数年は有給休暇も取れなくなった。

 いずれも法律や就業規則に違反している可能性が高いが、職場で声を上げる人は誰もいない。かつてヨウジさんは職場環境について愚痴をこぼしたとき、そばで聞いていた年下の正社員から「契約社員が何言ってるんだ。二度とそういうことは許さない」と語気荒く、一蹴されたことがある。以来、職場でモノを言うのはやめた。不満のある者は黙って辞めていき、彼のように再就職口を見つけるのが難しい中高年以上の働き手はとどまる代わりに口をつぐむ――。いつのまにか、そんな「ルール」が出来上がってしまったのだという。

397NAME:2018/02/17(土) 21:33:08
 北海道内の産炭地で生まれた。兄弟が多く、経済的な理由から大学進学を断念。高校卒業後、札幌にある資材製造会社に就職した。技術系の正社員として、勤続20年を超える頃には年収は400万円を超えていた。帰宅は毎晩のように深夜近くで、結婚のタイミングは逃しつつあったが、暮らしぶりはおおむね順調だった。

 安定した生活が一転したきっかけは、借金の連帯保証人になっていた友人と連絡が取れなくなったことだった。ヨウジさんは多くを語らないが、金額は自身の年収を軽く超えていたという。会社を辞めた退職金で穴を埋め、自己破産をして片をつけた。 このとき、すでに40代半ばすぎ。正社員の働き口はなかなか見つからなかった。折しも労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁。「やむをえず派遣会社を渡り歩くことになった」。

派遣に対する「差別と偏見」

 「派遣に堕ちた」。正社員時代、短期間ながら役職者として派遣労働者を使う側にいたというヨウジさんは、自らが使われる側に転じたことをそう表現した。たぶん、彼に派遣労働者を見下す意図はない。確かに派遣労働者の中には、専門性の高い技術を武器に労働市場を生き抜くことができる人もいれば、それぞれの事情から短期雇用を望む働き手もいる。一方で規制緩和が進む中、彼のように安く買いたたかれ、理不尽な雇い止めに遭う「不本意派遣」が大量に生み出されたのも事実だ。これにより、多くの職場にいらぬヒエラルキーがもたらされたこともまた否定できない。

 実際に多くの派遣先は差別と偏見にまみれていた。ヨウジさんが派遣されたある職場の仕事は、重さ20キログラム近い荷物をトラックから所定の場所まで移し変えることだった。期限は午前中いっぱい。多い日は1人で500個近くを運ばなければならないこともあった。

 ヨウジさんは、正社員なら、荷物が多ければ人員を増やしたり、作業を午後に延ばしたりするなど臨機応変な対応がなされたはずだと言う。しかし、派遣労働者は代わりが利くとでも思っているのか、そうした配慮はない。昼前になって正社員が手伝いに入ることもあったが、それは同時に「時間内に仕事ができない使えない派遣」とみなされることでもあった。実際に仕事を失う仲間もいた。切られたくなければ、死に物狂いで終わらせるしかない。そんなとき、つくづく自分は「労働者」ではなく、「労働力」なのだと痛感したという。

 ミスをしたときの風当たりも強かったという。工場内でフォークリフトの運転中、通路に放置された製品にぶつかってしまったときなどは、正社員から「これだから派遣は……」と言われた。ヨウジさんに言わせると、運転の不注意もあるが、荷物を放置しておくほうも悪い。派遣労働者を格下とみなすような物言いに、「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」という。

 正社員には正社員の言い分があるだろう。ただ、ヨウジさんがその後、駐車場管理の仕事に就いたのは、「派遣を渡り歩く」ことに心身ともに疲れ果てたからでもあった。 非正規労働者となってから十数年。60歳を前にして、健康格差も顕在化しつつある。

 逆流性食道炎の持病があり、医師からは年1回の胃カメラ検査を指示されているが、実際に検査を受けるのは経済的な事情から2、3年に1度が限界。胸やけがひどくなるなど「本当に調子が悪くなってから」だ。歯科医師からは歯槽膿漏と言われたが、放置。健康診断で要再検査とされた項目についても「病院に行くと、(おカネがなくなり)生きていけなくなっちゃう」と、こちらも捨て置いたままである。

398NAME:2018/03/05(月) 23:32:23
マラソン原裕美子容疑者、執行猶予中に群馬で逮捕 キャンディーなど万引で再び起訴
2018.3.5 12:36更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180305/afr1803050023-n1.html

栃木県足利市のコンビニエンスストアで万引したとしたとして執行猶予判決を受けたマラソンの元世界選手権代表選手で飲食店店員の原裕美子容疑者(36)=栃木県足利市=が判決後に群馬県内で万引した疑いで逮捕されていたことが分かった。前橋地検太田支部は窃盗罪で原容疑者を起訴した。

 起訴は2日付。起訴状によると、原被告は2月9日午後8時45分ごろ、群馬県太田市のスーパーでキャンディー1袋など3点(販売価格計382円)を盗んだとしている。 群馬県警によると、店側が取り押さえ、太田署に現行犯逮捕された。「店を出る前に商品を戻すつもりだった」と容疑を否認している。

 原被告は栃木県足利市のコンビニで化粧品や食料品を万引したとして、昨年11月に宇都宮地裁足利支部で懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決を受けていた。 公判で原被告は「しっかりと治療を続け、今後このようなことがないよう、事件のことを忘れることなく日々を過ごしていきたい」と述べていた。 原被告は平成17年、名古屋国際女子マラソンで初優勝し、同年のヘルシンキ大会では6位に入賞するなど世界陸上に2度出場した。

399NAME:2018/03/15(木) 15:50:09
西部邁さん遺体、両手緊縛 自殺手助けか、警視庁捜査
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e9%81%ba%e4%bd%93%e3%80%81%e4%b8%a1%e6%89%8b%e7%b7%8a%e7%b8%9b-%e8%87%aa%e6%ae%ba%e6%89%8b%e5%8a%a9%e3%81%91%e3%81%8b%e3%80%81%e8%ad%a6%e8%a6%96%e5%ba%81%e6%8d%9c%e6%9f%bb/ar-BBKd8S5?ocid=iehp

1月に自殺したとされる評論家西部邁さん=当時(78)=の遺体の両手が縛られていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課は、何者かが自殺を手助けした自殺ほう助事件などの疑いもあるとみて捜査している。 西部さんは1月21日未明、行方不明になり、長男が捜索願を出した。同日朝、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川の水中で見つかり、病院で死亡した。目立った外傷はなく溺死とみられる。河川敷には遺書があった。 捜査関係者によると、遺体は両手が縛られ、川まで届くロープで近くの木と結び付けられていた。

400NAME:2018/03/29(木) 13:37:23
【17歳女子高生強殺】
女子高生強殺で無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却
2018.3.28 22:35更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180328/afr1803280011-n1.html

東京都江戸川区の自宅アパートで高校3年だった岩瀬加奈さん=当時(17)=を殺害し現金を奪ったなどとして、強盗殺人と強盗強姦(ごうかん)未遂の罪に問われた無職、青木正裕被告(31)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、青木被告の上告を棄却する決定をした。無期懲役とした1、2審判決が確定する。27日付。3裁判官全員一致の結論。

 平成29年5月の1審東京地裁判決は「犯行動機は身勝手極まりなく、有期懲役が相当な事案とはいえない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。2審東京高裁も12月、「犯行に計画性を認めた1審の判断に誤りはなく、無期懲役が重すぎるとはいえない」として被告の控訴を棄却した。

 判決によると、青木被告は27年11月12日、アルバイト先の元同僚の岩瀬さんを自宅に連れ込んで首を絞めて殺害し、乱暴しようとした上、現金約7500円などを奪った。

401NAME:2018/03/30(金) 13:44:11
お金持ちになれる人が誰にでも親切な理由とは
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%8c%e8%aa%b0%e3%81%ab%e3%81%a7%e3%82%82%e8%a6%aa%e5%88%87%e3%81%aa%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBKNr88?ocid=iehp

金持ちになれない人ほど目下の人に傲慢
貧乏になる人は、自分より格下の相手には横柄になります。たとえば、仕事上でかかわる下請けのスタッフには、自分から挨拶をしないとか。自分のほうが上だから「相手から挨拶すべきだ」という傲慢さがあります。

しかし、稼ぐ人はそんな傲慢さはありません。それに相手を大事にすることは、いずれ自分に役に立ってくれる可能性があります。仲良くしておけば、たとえば入退館時間が過ぎていても、「ちょっとだけですよ」とカギを空けてくれるなど、融通をきかせてもらえるかもしれません。

これは小さな話ですが、私の知人で不動産会社を経営する社長は、4年ごとに取引先を招いて、パーティーを開催しています。対象は、物件の仕入先、販売先、提携代理店、金融機関、賃貸仲介会社、リフォーム会社など、関係するすべての業者です。毎年ではなく4年ごとというのが絶妙で、毎年だと飽きられて面倒くさくなりますが、これだけ期間が開けば新鮮さがあり、出席しようと感じます。

毎年だと新しいネタがないが、4年経てばどこも新事業や取扱商品変更などの動きがあるから、お互いに情報交換になります。取引先も入れ替わり、新しい取引先の人に喜んでもらえる。疎遠になっていたスタッフも思い出し、また仕事を発注しようかという気になる。また顧客を紹介しようかという気になる。こうして彼のビジネスはどんどん大きくなり、今は東京でも有数の不動産管理会社へと成長しています。

402NAME:2018/03/30(金) 13:57:22
女子高生に無給で畑作業 口止めも、実習教諭を処分
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a5%b3%e5%ad%90%e9%ab%98%e7%94%9f%e3%81%ab%e7%84%a1%e7%b5%a6%e3%81%a7%e7%95%91%e4%bd%9c%e6%a5%ad-%e5%8f%a3%e6%ad%a2%e3%82%81%e3%82%82%e3%80%81%e5%ae%9f%e7%bf%92%e6%95%99%e8%ab%ad%e3%82%92%e5%87%a6%e5%88%86/ar-AAveI6Q?ocid=iehp

岩手県教育委員会は29日、学校に無断で農業を営み、畑で教え子の女子生徒3人を約3カ月間、無給で働かせたとして、県立高校に勤める40代の男性実習教諭を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分とした。「農業実習に役立つと思った。考えが甘かった」と話しているという。

 県教委によると、教諭は兼職の許可を取らず、販売用にピーマンの苗約1900本を栽培。昨年6〜8月に最大24日間、3年の生徒3人を働かせ、学校に知られないよう口止めした。 他のアルバイトも含む16人と雇用契約を交わさず「収穫に応じてバイト代を払う」と口約束し、賃金を支払わなかった。

403NAME:2018/04/02(月) 21:15:16
初出社して、就職先が「ブラック企業」だと気付いたあなたへ
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e5%88%9d%e5%87%ba%e7%a4%be%e3%81%97%e3%81%a6%e3%80%81%e5%b0%b1%e8%81%b7%e5%85%88%e3%81%8c%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e4%bc%81%e6%a5%ad%e3%80%8d%e3%81%a0%e3%81%a8%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%b8/ar-AAvmoA4?ocid=iehp#page=2

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」

 ブラック企業に入社してしまった人間を苦しめる、呪いの言葉です。この言葉を信じて、劣悪な環境で働き続ける若者が今も少なくありません。しかし、よくよく考えてみると一体どこの誰が「3年は辞めるな」という風習を作り出したのか、誰も知らないのです。

違和感に気が付いた入社式の言葉

 私は5年ほど前に就職活動を経験し、大学を卒業したのちに、とある商社に入社しました。リーマンショック後の「氷河期」だったこともあり、就職活動は非常に厳しく、面接を何十社も受けてようやく手にした内定でした。しかし入社してみると、その会社はいわゆる「ブラック企業」と呼ばれるものだったのです。

労働時間は長時間に及び、休日も関係なく出社することを強要されたにもかかわらず、残業代も手当も出ませんでした。もちろん、「有給」取得も許されません。どうしても有給を消化するのであれば、給与から1日あたり5000円を差し引かれます。「あれ、有給ってなんだろう」って感じじゃないですか。「これは何の5000円ですか」と経理の人間に尋ねても、明確な答えは返ってきませんでした。

「ブラック企業に入社してしまった」。入社して1週間も経つ頃には、先輩社員との会話や社内に漂う空気感から、そう確信しました。今思えば、入社式の日に初めて会長と顔を合わせた時には、すでに違和感に気が付いていたかもしれません。 「今の社長が辞めることが決まって、退職金を払わないといけなくなった。だから、お前らのためにお金を使うわけに行かねえんだよ」 入社初日に会長が発した衝撃的な言葉によって、「ここは普通の会社ではない」と凍りついたのです。

404NAME:2018/04/02(月) 21:16:56
会長の息子が「会社に内緒で、旅行に行こう」

 とはいえ、新入社員の自分には、どうすればいいのか分かりません。右も左も分からないけれど、「3年はこの職場で働き続けないといけない」ことだけは知っていました。「3年は続けないと、どこにも転職できないぞ」と、周りから耳にタコができるほど聞かされてきたからです。 しかし結論から言うと、私はその会社を5ヶ月で辞めました。直接の原因は、役員からの度重なるセクハラ・パワハラに耐えられなくなったためです。

入社して1ヶ月経った頃、役員のAから「会社に内緒で、旅行に行こう」と誘われました。Aは既婚者で、会長の息子。「さすがにそれは……」と断ろうとした私に、Aは「行きたいの? 行きたくないの? どっち?」と大声でまくしたてました。助けが求められない状況だったので、その場しのぎで「行きます」と言い、その日はなんとか逃げることができました。後日改めて「やはり、旅行には一緒に行くことができません」と断りを入れたのですが、これがきっかけでAの怒りを買ってしまいました。

「吉川には徹底して負荷をかけるように」

「Aさんの言いつけだから、ごめんね」 私を呼び出した所属部の部署長から、こう切り出されました。Aからの指示で、今後、私の業務量を他の社員よりも大幅に増やすこと。定時の退社を絶対に許さないこと。とにかく、「吉川には徹底して負荷をかけるように」と言われたことを伝えられたのです。

 この扱いには怒りを覚えましたが、勝気だった私は、同時に「なんとかこなしてやろう」と思いました。ここで弱音を吐くのは、パワハラに屈したようで嫌だったためです。朝、部署の誰よりも早く出社して仕事に取り掛かり、お昼休憩も取らず、夜遅くまで働く毎日が続きました。そこまでやってようやく、なんとか与えられた仕事をこなしていたのです。しかし、それを面白く思わなかったAは、さらに業務量を上乗せすることを部署長に命じました。この瞬間、私の心は折れてしまいました。

 今振り返れば、「もっと早く辞めていればよかった」と思うこともあります。5ヶ月間しかいなかった会社ですが、「なんて変な会社だ」という体験が書ききれないほどにあるのです。勇気ある新入社員が「どうしてこの会社は残業代が出ないのですか」と会長に直接質問をしたことがありました。これすごくないですか。新入社員の勇気ある行動に、その場にいた誰もが息を呑みました。そして恐る恐る様子を見守っていると、会長はおもむろに財布から1万円札を1枚取り出し、「今までの分だよ!!!」と怒鳴りながら、新入社員の頬に叩きつけました。いや、絶対足りねえからな、1万円じゃ。どうして1万円で済むと思ったんだよ。1万円札ビンタを食らった新入社員は当然、間も無く会社を退職しました。彼は賢明な判断をしたと思います。

そんなこんなで私が退職届を出す際、上司からはしつこく「会社に残ってほしい」、「せっかく新卒で入社した会社を退職するなんてもったいない」と言われました。しかし、「この会社に長くいてはいけない」と強く確信していたため、私の決心は揺るぎませんでした。退社することが決まってからは、他の社員から「裏切り者」扱いされましたが、もうすぐ苦痛から解放されることを考えれば、そんなことはどうでも良く思えました。

405NAME:2018/04/02(月) 21:17:29
面接官も「辞めて良かったね」

 さて、新卒で入った会社をすぐに辞めた私はどうなったでしょうか。 働きながら転職活動をするなんて器用なことができなかった私は、ブラック企業を辞めてから新しい会社を探し始めました。「きっと厳しい転職活動になるだろう」と社会の洗礼に身構えていましたし、新卒で入った会社よりも待遇が悪くなる可能性もあると思っていました。

 しかし、そんな覚悟をよそに、私はあっさり転職に成功しました。転職活動を始めてから1ヶ月ほど、2社目に面接を受けた会社でした。面接で「前の会社、どうして辞めたの?」と聞かれましたが、事情を話すと「それは辞めて良かったね」と面接官から言ってくれました。

転職先の職場では、よほどのことがなければ定時で上がることができましたし、残業があれば、その対価もしっかり支払われました。休日出勤を頼まれることはありましたが、きちんと休日出勤手当も出ましたし、代休を取ることも可能でした。さらに、社員に有給を消化させるための「長期休暇制度」が設けられており、全員が好きな時期に有給を取得できたのです。 それだけでも満足だったのですが、月給が転職前より5万円以上も上がりました。セクハラ・パワハラもない。どこからどう見ても「転職大成功」だと言えたのです。

先輩たちは、みんな「あの説」を口にしていた

 では、「あの説」は一体何だったのでしょうか。私以外にも、新卒で入った会社を1年以内に辞めた同世代の友人を多数見てきました。しかし、転職ができなかった友人、前職よりも待遇が悪い会社にしか就職できなかった友人は1人もいませんでした。

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」と言い出したのは誰でしょうか。誰が言い出し、誰が広めた噂なのでしょうか。答えは、「ブラック企業」だと思っています。 若手社員を囲い込んで、3年の間に「責任」を負わせ、会社を辞めづらくする。「違う業界への興味」を奪って、転職されるリスクをできるだけ下げる。「3年間は辞めるな」は、人員不足に陥っているブラック企業が新卒の社員を逃さないようにするための、常套句なのではないでしょうか。

 ブラック企業の先輩たちは、みんな「3年間は……」という言葉を口にしていました。先輩社員に「仕事が辛くてしょうがない」という相談をすると、決まって「新卒ですぐに辞めてしまった奴らは、今の会社よりも悪い待遇の会社にしか転職できなかったから、辞めないほうがいい」という答えが返ってきました。今の会社より悪い待遇の会社なんてそうそうないはずなのに、世間をよく知らない若者はそれを真に受けてしまう。そしてそれを聞かされてきた後輩たちが、今度は自分たちより年下の後輩に、また同じことを伝えていく。「会社をすぐに辞めると、必ず痛い目を見る」と、何の根拠もないアドバイスをすることが常態化する。こうやって、ブラック企業の中で悪循環が完成していたのです。

406NAME:2018/04/02(月) 21:18:43
ブラック企業で過ごす3年間は未来への糧になるか

 そもそも、大学卒業後の、23〜25歳の若くて貴重な時間をブラック企業のために費やすなんて意味がないと思いませんか。今思えば「忍耐力」がどうの、「適応力」がどうのだなんて、思考停止しているとしか思えません。過酷な環境で3年間も搾取されることを「経験」として評価するような会社なら、そこに転職してもきっと幸せにはなれないでしょう。

 しかし、今だからこのように考えるようになったものの、まだ若くて、ブラック企業で疲弊していた自分はこんな風に思えませんでした。誰かが言っていた「絶対に辞めるな」という言葉にとらわれて、「何とか1日でも長く会社にいなければならない」と思っていたのです。

もしブラック企業に入社してしまって苦しんでいる人がいれば、一度考えてみてほしいと思います。その会社は、人生の貴重な3年間を賭けてまで働き続けるべき会社ですか。自分がその会社で働き続ける理由が、しっかり見えていますか。 ブラック企業で過ごす3年間を、未来への糧にできるでしょうか。もちろん個人差はあると思いますが、「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」だなんて悲観しないで、自分にとっての最適解を導き出してほしいです。 ブラック企業が、あなたの幸せを保証してくれることはありません。彼らは、労働力を搾取することしか考えていないのです。あなたの未来のことなんて、どうでもいいと思っているのです。それでも、その会社で働き続ける理由がありますか。

407NAME:2018/04/07(土) 22:16:24
25年太陽見せず「悪いことした」 息子監禁の父親、逮捕前取材で虐待否定
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%ef%bc%92%ef%bc%95%e5%b9%b4%e5%a4%aa%e9%99%bd%e8%a6%8b%e3%81%9b%e3%81%9a%e3%80%8c%e6%82%aa%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%81%af%e5%ad%90%e7%9b%a3%e7%a6%81%e3%81%ae%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%80%81%e9%80%ae%e6%8d%95%e5%89%8d%e5%8f%96%e6%9d%90%e3%81%a7%e8%99%90%e5%be%85%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-AAvzPeP?ocid=iehp#page=2

40代の息子に20年以上、兵庫県三田市の自宅に隣接するプレハブ内の檻での生活を強いていたとして、監禁容疑で逮捕された70代の父親は、県警に任意同行される直前の7日午後、神戸新聞社の取材に応じていた。家の中で暴れる長男に耐えられなかったとする一方、「外に出て誰かを傷つけてはいけないとも思い、檻(おり)の中に入れた。仕方なかった」などと淡々と語った。 主なやり取りは次の通り。

 -長男を監禁したのはいつごろからか。 「1991年6月に大阪から今の家に転居してきた。その1年後ぐらい」 -監禁した理由は。 「当時は家の2階を長男の部屋とし、窓の内側に柵を取り付けて窓ガラスを割ったりしないようにしていた。でも、暴れて、壁や食器棚、窓を壊すなどして耐えられなかった。近所から迷惑だと怒られたこともあったし、もしも長男が外に出て誰かを傷つけてもいけないと考え、プレハブの中に檻を作って入れた。仕方がなかった」

 -福祉施設への入所は考えなかったのか。 「当初は施設に入れたいと思っていたが、今年1月に亡くなった妻が同意しなかった。引っ越してきてから約2年後には市の担当者と電話でやり取りもしたし、自宅にも来た。その時、もしかしたら何か指導を受けるのではないかと思ったが、施設の紹介などの対応は全くなかった。長男は1月に施設に入所した」 -檻の中でどのように生活を。 「2日間のうち半日、時間にすると約12時間は檻から出して食事を与え、風呂も入れていた。それ以外の36時間は檻の中にいた」

 -トイレはどのように。 「簡易トイレを部屋に置いていたが、なかなか使わなかった。部屋の中が汚物で汚れるので、毎回、妻が檻の下から手を伸ばして掃除していた。その光景が大変そうだったので、ふん尿を吸収するペット用のシートを敷いていた」 -部屋の温度管理は。 「当初はエアコンを設置していたが、ふん尿の臭いでエアコンが壊れ、3回も買い換えた。その後、夏場は扇風機のみ使用し、脱水症状を起こさないように冷えたペットボトルの水を渡していた。冬場はストーブで暖めていた」

-監禁や虐待の認識はなかったのか。 「虐待はしていない。食事も与え、風呂にも入れていた。確かに檻に入れたが、監禁しているとは思っていない」 -大阪府寝屋川市で昨年12月、プレハブに監禁されていた女性が死亡し、両親が逮捕された事件を知っているか。 「あの悲惨な事件とは全く違う。食事も与えて、風呂にも入れていたし、監視カメラで行動を確認するようなこともしていない」 -長男に対してどう思っているのか。 「檻に入れ始めたころは家族旅行に連れていくこともあった。檻の中に入れるのは仕方なかった。今となってみれば25年ぐらいの間、太陽の下に出してあげられず、少し悪いことをしたと思っている」

408NAME:2018/04/10(火) 14:26:14
暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体 豊田真由子元議員を例に、精神構造を分析
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%9a%b4%e8%a8%80%ef%bd%a5%e3%83%9e%e3%82%b8%e3%82%ae%e3%83%ac%e4%b8%8a%e7%ad%89%ef%bd%a4%e9%ab%98%e5%ad%a6%e6%ad%b4%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%ad%a3%e4%bd%93-%e8%b1%8a%e7%94%b0%e7%9c%9f%e7%94%b1%e5%ad%90%e5%85%83%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%82%92%e4%be%8b%e3%81%ab%ef%bd%a4%e7%b2%be%e7%a5%9e%e6%a7%8b%e9%80%a0%e3%82%92%e5%88%86%e6%9e%90/ar-AAvHgFq#page=2


昨今、一流大学を卒業しながら、問題を起こす人が後を絶ちません。秘書を罵倒した音声が流出し、選挙で落ちた豊田真由子元代議士。東北の台風被災地に長靴を忘れて現れ、職員におんぶされて視察し批判されるも、「長靴業界が儲かったのではないか」と発言した務台俊介元政務官。

 どうして彼らはこのような行動を起こしてしまうのでしょうか。本稿では『高学歴モンスター: 一流大学卒の迷惑な人たち』を刊行した精神科医の片田珠美氏が、高学歴で迷惑な人たちの精神構造や彼らからの攻撃を防ぐ方法を紹介します。

「この、ハゲーッ!!」という暴言で一躍有名になった豊田真由子前衆院議員。豊田氏は、中高は女子御三家の一角を占める桜蔭(おういん)を卒業し、東大法学部を経て旧・厚生省(現・厚生労働省)の官僚になり、自民党公認で衆院選に出馬して当選と輝かしい経歴だが、政策秘書を務めていた男性への暴言と暴行が報じられ、2017年6月に自民党を離党した。

 豊田氏は、高学歴なのにつまずく典型例のように見えるので、まず彼女の分析から始めたい。

強い特権意識

 豊田氏が激怒したきっかけは、彼女が支持者に送るよう事務所スタッフに指示していたバースデーカードにミスがあった事実が2017年5月18日に発覚したことである。豊田氏は翌19日、政策秘書の男性に「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「お前の娘にも危害が及ぶ」と罵(ののし)り、暴力を振るった。もっとも、バースデーカードの件は、この政策秘書自身のミスではなかったようだ。

 言い知れぬ恐怖を覚えた政策秘書は、その翌日から万が一に備えて豊田氏との車内の様子をICレコーダーで録音することにした。ICレコーダーに残されていた「この、ハゲーッ!」「違うだろーっ!」といった暴言は、インターネット上で公開されたうえ、テレビでも繰り返し流されて、すっかり有名になった。

 政策秘書への暴言と暴行が『週刊新潮』(2017年6月29日号)で報じられると、豊田氏は入院した。スキャンダルが報じられたとたん入院するのは、政治家の常套(じょうとう)手段のように見えなくもない。少なくとも、説明責任を放棄したという印象を私は受けた。

 一方、政策秘書には「顔面打撲(だぼく)傷」「左上腕挫傷(ざしょう)」などの診断書が出されており、豊田氏から暴行を受けたとして埼玉県警に被害届を提出した。それを受理した県警は、豊田氏から事情聴取し、その後傷害と暴行の疑いで書類送検した(結局、豊田氏は不起訴処分となった)。

 この一連の騒動を振り返って感じるのは、「自分は特別な人間だから、少々のことは許される」と思い込んで暴走する面が豊田氏にあることだ。こうした傾向は、秘書への暴言と暴行だけでなく、2014年4月に園遊会に出席した際に起こしたトラブルにも如実に表れている。

 園遊会に招待されるのは現職の国会議員と配偶者で、他の家族の同伴は認められていない。にもかかわらず、豊田氏は本来招待されていた配偶者ではなく、母親を入場させようとしたらしい。そのため、受付の職員が豊田氏に「招待者でない方は入場できない」と説明すると、豊田氏は大声を上げて抗議し、皇宮警察が出動する騒ぎになったという。

 これは、強い特権意識ゆえに「自分は特別有利な取り計らいをしてもらって当然の人間」だから、「普通の人に適用される規則は、自分には適用されない」と思い込んでいたからではないか。

 そう思い込んでも不思議ではないほど豊田氏の経歴は立派で、まさに「ピカピカの履歴書」をひっさげて衆院選に立候補し、当選したわけだが、それがかえってつまずきの石になったように見える。自分自身の経歴や肩書を過大評価し、特権意識の塊のようになって暴走した挙げ句つまずくのは、高学歴エリートにありがちな話である。

409NAME:2018/04/10(火) 14:27:21
想像力と共感の欠如

 豊田氏が政策秘書に暴言を吐いたり、暴力を振るったりしたのは、自分自身の言動が相手にどんな影響を与え、どんな反応を引き起こすのか、想像できないからではないか。また、相手の気持ちを認識しようとせず、痛みに共感できないことが、人を人とも思わない暴言を吐く一因のようにも見える。

 豊田氏は、気性の激しさから、永田町では「第二の田中真紀子」と呼ばれていたらしい。「人間には3種類しかいない。家族、使用人、敵」(「朝日新聞」2001年6月7日付)という名言を吐いた田中氏と同様に、人間を3種類に分類していたのかもしれない。だとすれば、豊田氏にとって、秘書は使用人のカテゴリーに入っていたはずで、使用人には何を言っても、何をやっても許されるという驕(おご)りが暴言や暴行を生み出した可能性もある。

 このように周囲の人間を3種類に分けて対応すると、上にへつらい、下に厳しくなる。言い換えれば、外面(そとづら)が良く、内面(うちづら)が悪いわけだが、それを示す音声データを『週刊新潮』が公開している。
「役立たず、この!」「何時から回ってるのかも知らないんですか!」などとドスのきいたガナリ声で政策秘書に対してわめいた直後、第三者との電話では乙女のような猫撫(ねこな)で声に豹変(ひょうへん)する。そして、「会長おはようございます〜。どうも〜、昨日はありがとうございました〜。うん、留守電聞きました〜。ありがとうございました〜。えっと、14時からスタートですよね? いたほうがよいですかしら?」と丁寧に話す。

 ところが、「猫撫で電話」を終えると再び豹変し、政策秘書に対して「(豊田氏の訊(き)いたことに対して)イエスかノーだよ!」と絶叫する。

 この豹変から浮かび上がるのは、使用人にすぎない秘書の心情など想像するには及ばないし、その痛みに共感する必要もないという傲慢(ごうまん)さである。こうした傲慢さは、豊田氏に限らず、高学歴エリートにしばしば認められる。それが、ちょっとした言動に表れて、反感を買うことも少なくない。

410NAME:2018/04/10(火) 14:27:55
現実否認

 豊田氏は、報じられた暴言や暴行について、否認することで切り抜けようとしたように見える。

 まず、政策秘書に「お前の娘がさ、通り魔に強姦されてさ、死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」と発言したことについて、『週刊新潮』の取材に対し、「『お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする』といったような発言はしておりません」と、文書で明確に否定した(『週刊新潮』2017年6月29日号)。録音データはないと高を括(くく)っていたのかもしれないが、録音された音声がしっかり残っている。

 また、『文藝春秋』(2017年10月号)に掲載された独占告白を読んで、現実否認と自己正当化に終始している印象を私は受けた。

 たとえば、政策秘書への暴言と暴行は、〈私が積み重ねてきた地元の方々との信頼関係が次々と崩されていってしまう〉ことへの〈恐怖〉で、〈パニック状態に陥ってしまった〉せいだという。そして、その様子が収められた〈録音を聞くと、自分でも茫然としてしまいます〉と弁明している。
さらに、〈Aさん(政策秘書を務めていた男性)は幾度となく、『わざとではないか』と思えるほど失敗を繰り返していました〉〈追い討ちをかけるようなAさんの失敗が続いた〉などと述べている。

 したがって、告白記事で豊田氏は、「政策秘書はミスを繰り返していた。そのため、堪(こら)えきれず、〈パニック状態〉になって、つい暴言を吐き、暴力を振るってしまった。だから、私は悪くない」のであり、自分のほうこそ“被害者”だと主張しようとしたように私の目には映った。もっとも、このような主張が果たして受け入れられるのか、はなはだ疑問である。

 というのも、豊田氏の事務所を辞めた元秘書たちが反論しているからだ。以下『週刊新潮』2017年9月21日号から引用する。まず、豊田氏が 〈私は、今回のような形で叱責をすることはこれまで決してありませんでした〉と告白したことに対して、被害に遭った政策秘書とは別の元秘書が、
「私も『なんで、裏道を調べておかないんだっ!』と詰(なじ)られ、『あなたの人生、勘違いばっかりじゃない!』とバカにされたことがある。何人もの元秘書が、豊田による罵倒(ばとう)を経験しています」
と証言している。

 また、豊田氏が告白記事で〈(『週刊新潮』に)「秘書が100人辞めた」と書かれていますが、お辞めになられたのは公設・私設あわせて15名程度です〉と述べたことについても、元秘書の1人が、「私が秘書をしていたのは2カ月ほどですが、その間にいた、私を含めた5人の秘書全員が今はいません」と証言している。別の元秘書も、「私が見た範囲では、半年で20人は事務所を辞めています」と証言している。

 こうした証言が事実とすれば、豊田氏は5年近く衆院議員を務めていたのだから、「秘書が100人辞めた」というのは決して誇張ではないと思われる。それでも、豊田氏は、あくまでも週刊誌報道を否認し続けることによって、難局を乗り切ろうとしたわけである。

 自分の主張に対して元秘書をはじめとする周囲の人々が反論するかもしれないとか、“嘘(うそ)つき”と非難されるかもしれないとは考えなかったのかと、首をかしげざるをえない。もっとも、自分にとって都合の悪い事実を突きつけられると、とりあえず否認するのが人間という生き物である。

 というのも、否認は、アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが見抜いているように、「不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法」にほかならないからだ。否認には、「予期しないショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげる」機能がある。したがって、困難な現実に直面すると、最初は誰でも多かれ少なかれ「否認によって自分を落ち着かせ、時間が経(た)つにつれ、別のもっと穏やかな自己防衛法を使うようになる」(『死ぬ瞬間―死とその過程について』)。

411NAME:2018/04/10(火) 14:29:42
否認は一時的な自己防衛にすぎない

 重要なのは、否認はあくまでも一時的な自己防衛にすぎないということだ。時間稼ぎと言ってもいいかもしれない。ところが、中には、ある程度時間が経っても、否認し続けようとする人がいる。こういうタイプは、豊田氏のような高学歴エリートに比較的多いように見受けられる。

 これは、3つの理由による。まず、高学歴エリートほど失うものが大きく、喪失不安が強い。それゆえ、自己保身のために否認し続けようとする。豊田氏も、暴言や暴行の事実を認めてしまうと、議員辞職に追い込まれ、自分自身のプライドを支えていた衆院議員の肩書を失うのではないかと危惧(きぐ)した可能性が高い。

 また、自己愛の傷つきを恐れるあまり、目の前の現実をどうしても受け入れられず、錯誤に陥りやすい。ときには、「〜だったらいいのに」という願望をあたかも現実のように思い込む「幻想的願望充足」の状態になることもある。そのため、否認し続けると、かえって状況が悪化しかねないのに、それを認識できず、合理的な判断ができなくなる。

 さらに、なまじ頭が良く、弁も立つだけに、否認し続けていれば周囲も信じてくれるはずと思い込みやすいことも重要な要因だろう。つまり、自分自身の能力を過信しているからこそ、否認し続けるのだ。もっとも、それがかえって怒りや反感を買うことは、豊田氏を見れば一目瞭然である。

 豊田氏は、約3カ月の入院を経て、9月18日に謝罪会見を開いた。その後、衆議院が解散され、10月6日に「志を断ち切りがたく、もしチャンスをいただけるなら、地域、国のために働きたい」と衆院選への出馬を正式に表明した。

 地元の支援者から「もう一回頑張れと励ましの声をいただいた」ということだが、自民党を離党していたので、無所属での出馬になった。しかも、自民党が公認候補を擁立したため、厳しい選挙戦になり、落選した。

 これは、予想どおりの結果である。秘書への暴言と暴行だけでなく、園遊会での騒動や数多くの秘書の退職なども報道されて、豊田氏の評判は地に落ちたと言っても過言ではない。たとえ優秀でも、こういう人物が国会議員を続けるのはいかがなものかという声も少なくなかった。したがって、解散総選挙での当選の可能性は限りなくゼロに近いというのが大方の見方だったのではないか。

 それでも豊田氏が立候補したのは、良く言えば、どんなに厳しい状況でも、くじけず、へこたれず、挑戦して戦うという姿勢の表れだろう。だが、悪く言えば、状況判断が甘いということになる。

 このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、2つの理由によると考えられる。

 まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。

 いずれにせよ、自分で自分が見えなくなる。その結果、過酷な現実に直面して、自己愛の深刻な傷つきに見舞われることも少なくない。それでも、現実否認と自己正当化を続け、周囲の失笑を買うことさえある。

412NAME:2018/04/10(火) 14:30:56
自覚の欠如

 『文藝春秋』に掲載された豊田氏の告白を読むと、徹頭徹尾「政策秘書にとんでもないミスを連発されて、こんな結果になってしまった。私は悪くない」と自己正当化している印象を受ける。

 これは、自分自身の言動が相手を激しく傷つけたという自覚がないからではないか。豊田氏は、自分のほうこそ“被害者”だと主張したいのではないかと勘繰らずにはいられない。

 こうした自覚の欠如は、少なくとも2つの面で認められる。「衝動コントロールの未熟さ」と「精神的な幼児性」である。

 まず、衝動コントロールの未熟さは、豊田氏が怒りと攻撃衝動をコントロールできず、暴言を吐いた相手がこの政策秘書だけではないという事実に端的に表れている。2012年12月に初当選した衆院選の期間中から暴言がひどく、何度も「ぶち切れていた」らしい。

 このように衝動のコントロールができず感情的になる一因に、先述の強い特権意識がある。自分は少々感情的になっても許されると思い込んでいると、歯止めがきかず、暴走しやすいからだ。また、先述の想像力と共感の欠如のせいで、自分が感情的になって吐く言葉が相手をどれだけ傷つけるかに思いが及ばないこともあると考えられる。

衝動コントロールができない代議士は少なくない

 こうした傾向は、豊田氏に限らず、特権的な立場にいるエリートにしばしば認められる。豊田氏のふるまいについて、自民党の河村建夫元官房長官は、「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」と発言して、物議を醸したが、さもありなんという感じである。特権意識が強く、想像力と共感が欠如しているせいで、衝動コントロールができない代議士は少なくないと推測される。
ただ、豊田氏の場合、すさまじい暴言で政策秘書を罵倒し、暴力まで振るっているので、精神科医としては「間欠爆発症」の可能性も疑わざるをえない。

 「間欠爆発症」は、攻撃衝動を制御できない衝動制御障害の一種であり、激しい口論や喧嘩、他人への暴力や器物の破壊などを繰り返す。しかも、攻撃性の爆発は、きっかけとなるストレスや心理社会的誘因と釣り合わないほど激しい。おまけに衝動的で計画性がない。

 「これくらいのことであんなに怒るなんて信じられない」と周囲から言われる人はどこにでもいて、「かんしゃく持ち」などと陰口を叩(たた)かれる。おそらく、豊田氏もそう言われてきたのではないか。

 それでも、これまで許容されてきたのは、豊田氏がきわめて優秀で、エリートコースまっしぐらだったので、周囲が大目に見た、もしくは注意するのをためらったからだろう。 あるいは、周囲から注意されても、豊田氏が「優秀なこの私に向かって…」などと反発したとか、聞く耳を持たなかった可能性も考えられる。いずれにせよ、衝動コントロールができないまま年齢を重ねたという印象を受ける。

 その自覚が豊田氏にまったくなさそうに見えることが、何よりも問題だと私は思う。これだけ秘書に暴言を繰り返し、暴力まで振るったのが事実とすれば、「間欠爆発症」の可能性がかなり高いが、その自覚があるとは到底思えない。

 さらに、豊田氏は、自らの精神的な幼児性についても自覚していないように私の目には映る。というのも、政策秘書への暴言と暴行が白日の下にさらされようとしていた2017年6月、豊田氏が脈絡なく突然、幼い頃に戻ったかのような幼児言葉で、嗚咽(おえつ)を交えながらわめき始めたと報じられたからである。

 「怖いよおー」「ママー、ママー」「ママごめんなさい、ごめんなさいママ。ううう、ママーっ!」「まゆ(豊田氏自身)が悪いの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、うううー」

 その場に豊田氏の母親はいなかったにもかかわらず、40歳を過ぎた大人が突然「ママー」などと言い出したわけで、これを精神医学では「退行」と呼ぶ。退行とは、平たく言えば赤ちゃん返りである。自らに降りかかった事態が自分では手に負えず、対処しきれないと、子どもに戻って大目に見てもらおうという心理メカニズムが無意識のうちに働いて、こういう反応を起こす。

413NAME:2018/04/10(火) 14:35:55
退行を起こしやすい人の特徴

 退行を起こしやすい人は、一般に多くの人々が認める現実、すなわち「客観的現実」よりも、本人が心の中でそう思い込んでいる「心的現実」を重視する傾向が強い。つまり、自分にとって都合が悪く、耐え難い客観的現実を認めたくないので、「自分は悪くない」「自分のほうこそ被害者だ」という心的現実に逃げ込もうとする。

 豊田氏も、政策秘書への暴言と暴行が報じられそうになり、政治生命の危機に直面したため、耐え難い客観的現実から心的現実に逃げ込もうとしたのではないか。

 このように豊田氏には衝動コントロールの未熟さと精神的な幼児性が認められるが、いずれについても自覚していないように見える。これは、2つの理由によると考えられる。まず、自己愛が強いため、自分自身に未熟で幼児的な部分があることを受け入れられない。また、輝かしい学歴と経歴の持ち主なので、周囲がなかなか注意できず、結果的に許容してきたことにもよるだろう。

 いずれにせよ、豊田氏の自覚の欠如が、暴言と暴行に歯止めをかけられなかった重要な要因であることは疑いない。

414NAME:2018/04/10(火) 14:52:35
真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e7%9c%9f%e9%9d%a2%e7%9b%ae%e3%81%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e4%ba%ba%e3%81%bb%e3%81%a9%e3%80%8c%e3%81%86%e3%81%9d%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%8c%e4%b8%8d%e6%ad%a3%e3%80%8d%e3%81%ab%e8%b5%b0%e3%82%8a%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%84%e7%90%86%e7%94%b1/ar-AAvH9Pp#page=2

4月8日、『ワイドナショー』(フジテレビ)を見ていたら、ダウンタウンの松本人志さんが、大相撲春巡業中に土俵内で救命措置を行っている女性に対して、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスした行司について、こんなことを言っていた。 「彼もかわいそうやなと思う。日本国中に叩かれちゃってて。ちょっと真面目すぎたんですよ。真面目がゆえに、こうなっちゃってるんですよ」

 ネットではいろいろな意見があるようだが、この言葉は今回の問題だけにとどまらず、相撲協会の一連のゴタゴタにもあてはまる「本質」を突いている。あの組織は真面目がゆえ暴行事件にフタをして、真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにしたのだ。

 ワケわからんことを言うなと思うかもしれないが、実はこの「真面目」というのは今、日本で起きている組織の腐敗、不正行為などのすべてに相通じる「病」である。最近の官僚の不正行為、少し前に続発したデータ改ざん問題などすべて組織にいる人々が「真面目がゆえ」に起きたという側面もあるのだ。

 神戸製鋼でも、日産でも、三菱自動車でも、データ改ざんなどに関わったのはみな真面目な現場の技術者だ。不正会計を行って大きな批判にさらされた経営陣も、部署の数値をかさ上げした中間管理職も、みな会社の未来を真剣に憂いていた真面目な東芝マンたちだった。

 マスコミや野党が「史上最大の犯罪」だと大騒ぎしている森友問題でも、佐川・元財務省理財局長も真面目だからこそエリートコースを進むことができたわけだし、その周りで改ざんや口裏合わせに奔走した職員たちも、みな真面目な公僕だ。

 つまり、周囲からも犯罪者扱いされ、三度のメシより不正が好きみたいな人が組織の不正や不祥事をひき起こすケースというのはかなりまれで、ほとんどはその組織内で与えられた仕事を、愚痴をこぼすことなく黙々と取り組むような「真面目な組織人」たちが、不正に手を染めたり、社会から大ヒンシュクを買うような不祥事を起こしたりというパターンが圧倒的に多いのである。

415NAME:2018/04/10(火) 14:54:01
●「思考停止」のワナに陥りやすい

 筆者もこれまで報道対策アドバイザーとして、さまざまな組織で不正、不祥事、改ざんなどが起こるメカニズムを検証させていただく機会があったが、それらを振り返ってみても、中心的な役割を果たしていたのはほぼ例外なく、真面目な組織人だった。

 なんてことを言うと、「こいつは真面目に働く人間をバカにするのか!」「日本人の美徳をディスるなんてこの反日ヤローめ!」という怒声が360度から聞こえてきそうなので、断っておくと、筆者は「真面目」が悪いと言っているわけではない。

 自分の信念、倫理、哲学、美学に対して忠実な人というのは道を誤ることは少ない。自分の中で常にこれは正しいのか、正しくないのかと自問自答しながら生きているからだ。そういう「真面目に生きている人」ではなく、組織というものに対してのみ真面目になっている人がヤバいと申し上げているのだ。

 真面目な組織人というのは往々にして、「思考停止」のワナに陥りやすい。もっとも分かりやすいケースは、元ナチス親衛隊幹部として、多くのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンである。人間と思えぬ残虐行為を指揮し、「悪魔」「怪物」と恐れられた男は自らの罪を問われた法廷でこのように述べた。

 「命令に従っただけだ」

 世界は姑息な責任逃れだと批判したが、『全体主義の起源』という歴史的名著のなかで、ナチズム台頭のプロセスを細かに研究してきたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントはまったく異なるものの見方をした。アイヒマンの思考停止を象徴する発言だと指摘し、この「悪魔」や「怪物」と評される男を「自分で考えることをせずに命令だけを完遂する小役人」と分析したのだ。

 ユダヤ人社会はアイヒマンを擁護したと思って猛烈なバッシングを行ったが、実は彼女が言いたかったのはそういう上っ面の話ではない。アイヒマンのようなどこにでもいる真面目な組織人は、組織や上司への絶対的な忠誠を誓うあまりに、自分の頭で物事を考えることを放棄してしまう。

 そのような思考停止状態の人間は危ない。組織から命令されれば、どんなモラルの欠けた行為や、身の毛もよだつ残虐行為であっても、機械的に実行してしまうからだ。つまり、「悪魔」や「怪物」は、真面目な人が「歯車」になることで生まれるのだ。この「悪の陳腐さ」という、文明社会の普遍的かつ、構造的な問題を世に投げかけたかったのだ。

416NAME:2018/04/10(火) 15:13:52
●組織内ルールが「思考」に勝ってしまった

 アーレントの問題提起から50年以上が経過したが、この真面目な組織人が、真面目さゆえに引き起こす「陳腐な悪」という問題を、我々日本社会はまだ克服できていない。というより、終身雇用制度の弊害でよりおかしな方向へとこじらせている。 その症状が重くなって、いよいよ覆い隠せなくなってきたのが、日本相撲協会なのだ。

 ご存じのようにこの組織に身を投じた者は、「伝統」や「しきたり」を重んじなくてはいけない。それは言い方を変えると、古くから続いているルールは問答無用で守る、としつけられるということなので、他の組織より思考停止に陥りやすい。つまり、「プチ・アイヒマン」とも言うべき、思考停止に陥った人々があふれているのだ。

 相撲界の発展のために尽力している真面目な人たちをナチスの戦争犯罪人と重ねるなんて侮辱だと相撲ファンからこれまたすさまじい抗議が殺到しそうだが、残念ながら今回の救命処置騒動が、協会の思考停止体質をこれ以上ないほど分かりやすく示している。

 若い行司の方は、頭に刷り込まれている「女人禁制」というルールや、周囲の相撲ファンからの指摘で脊髄反射でアナウンスしてしまった。もし彼がアイヒマンのように社会からつるし上げられるようなことがあれば、きっとこう釈明するはずだ。 「伝統に従っただけだ」 組織人としては真面目だが、「倒れている人をどう救えるのか」ということに関してはまったく思考を巡らせていない。 組織内ルールが「思考」に勝ってしまったのだ。また、このような思考停止は、トイレ発言が叩かれている春日野巡業部長にもあてはまる。

 問題のアナウンスがなされたとき、トイレに行っていて会場にはいなかったとして、「想定外の出来事でビックリした。(アナウンスも)聞こえなかった」(日刊スポーツ 4月5日)とコメントした春日野親方だったが、その後、騒動時に画像から会場内にいたことが明らかになった。

417NAME:2018/04/10(火) 15:18:26
●相撲協会は「考えることを放棄した」

 ネット上では、責任を逃れるためのうそだと厳しく批判されているが、筆者はこれも真面目な組織人がゆえの「陳腐な悪」に過ぎないと思っている。 あれが巡業部長の責任ということになれば、相撲協会は何をしているんだ、ということになりまたしても大騒ぎになる。しかし、「私も驚いたんですけど、若い行司がどうもテンパっちゃって」で済ませておけば、「相撲協会は女性差別などしません。再発防止に務めます」みたいなコメントでどうにかお茶をにごすことができる。

 つまり、トイレ発言は、自身の保身もさることながら、不祥事続きの相撲協会がこれ以上叩かれないように、という「組織防衛」の意図があったことが容易に想像できるのだ。 「意図」と聞くと、ちゃんと考えているじゃないかと思うかもしれないが、頭を働かせているのは「組織を守る」という一点のみで、世の中の人々に対して誠実な説明なのか、スケープゴートにされた行司はどんな思いなのか、など最も大事なところに関してはゴソッと思考が抜けているのだ。

 このように相撲協会を「考えることを放棄した組織」だととらえると、最近の一連の騒動をすべてクリアに読み解くこときる。 3横綱が密室で、メキメキと頭角をあらわしてきた若手をリンチした。殴られる理由も説教される理由もない被害者の声に耳を傾ければ、横綱たちの組織犯罪に対して、徹底的な調査をするのが健全な組織だが、ご存じのように、お手盛りの第三者調査でサクッと幕引きをした。

 そこに対して納得いかないので、身をもって異を唱えたのが、貴乃花親方だったが、「理事なのに協会に協力しないとは組織人失格」「何度も家を訪ねたが返事がない」など本筋ではない部分を袋叩きにして、しまいには弟子の不祥事にかこつけて完全にスポイルした。

 そう聞くと、八角理事長やら相撲協会理事たちを悪人のように断罪しているように聞こえるかもしれないが、これもアイヒマンとまったく同じである。 「相撲ジャーナリスト」を名乗る方たちや、相撲記者クラブ在籍ウン十年みたいな評論家のオジサンたちが擁護するように、彼らは相撲界の発展を心から願い、相撲協会という組織に尽くそうとしている真面目な組織人だ。

 だからこそ、「横綱は品行方正な人格者」という組織内論理に盲従して思考が停止してしまうのである。なにも考えていないので、一般社会からすると耳を疑うような言動も平気で行う。臭いものにフタをしているようにしか見えない、ずさんな対応もしれっとできてしまうのだ。

●「思考停止型組織」の恐ろしいところ

 そして、このような相撲協会の「思考停止体質」を実は最も象徴しているのが、何をかくそう、貴乃花親方だ。親方は、愛弟子が暴行を働いて「一兵卒として出直す」と述べた。 一兵卒というのは、上の命令は絶対で、何も考えずに任務を遂行する。「死ね」と言われれば、死ぬ存在だ。つまり、あれは「もう私はなにも考えません」と言っているのだ。あれほど組織にたてついた人物が、こうも分かりやすく陥落する。これが「思考停止型組織」の恐ろしいところだ。

 こういうカルチャーを変えないことには、どんなに再発防止策をしても、同じような不祥事が繰り返される。 今回の騒動を受けて、相撲協会では土俵内で不測の事態が起きた際のマニュアルを整備するとか言っていたが、こういう教条主義は「思考停止」にさらに拍車をかける。 残念ながら、相撲協会のゴタゴタはさらにひどくなっていきそうだ。(窪田順生)

418NAME:2018/04/16(月) 14:41:59
スタバで友人待っていた黒人客2人逮捕、CEOが謝罪 米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%90%e3%81%a7%e5%8f%8b%e4%ba%ba%e5%be%85%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e9%bb%92%e4%ba%ba%e5%ae%a22%e4%ba%ba%e9%80%ae%e6%8d%95%e3%80%81ceo%e3%81%8c%e8%ac%9d%e7%bd%aa-%e7%b1%b3/ar-AAvV7qQ?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】米東部ペンシルベニア州フィラデルフィア(Philadelphia)にあるコーヒーチェーン大手スターバックス(Starbucks)の店舗で、黒人の男性客2人が友人を待っている間に逮捕される出来事があった。その様子を写した動画が拡散し、ソーシャルメディアでは非難が噴出。同社のケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)最高経営責任者(CEO)が謝罪に追い込まれる事態になった。

問題の動画はツィッター(Twitter)に12日に投稿され、これまでに数百万回再生された。米人気ヒップホップグループ、ザ・ルーツ(The Roots)のドラマー、クエストラブ(QuestLove)さんが「黒人がスターバックスで待っているのは犯罪なのか」と批判するなど広範な反発を招いた。

 ジョンソンCEOは声明で「非難されるべき結末」になったとして男性2人に「心からのおわび」を表明。調査を行い、再発防止に向けて「必要な変更」をすると約束した。「スターバックスは差別や(人種によって対象を絞って捜査する)レイシャル・プロファイリングには断固反対する」とも強調した。

 自身も黒人であるフィラデルフィアのリチャード・ロス(Richard Ross)警察本部長によると、スターバックスの店舗従業員は、2人が店内の席に座ったが注文するのを拒否したため、不法侵入だとして緊急通報した。駆け付けた警官らは2人に退去を「丁寧に」求めたが、最終的に逮捕することになったという。 2人はスターバックスが告訴しないとしたため釈放された。

419NAME:2018/04/18(水) 00:01:07
「仕事ができないヤツ」の部屋、5つの特徴。窓をずーっと拭いてないetc...
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e3%83%a4%e3%83%84%e3%80%8d%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b%e3%80%815%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%89%b9%e5%be%b4%e3%80%82%e7%aa%93%e3%82%92%e3%81%9a%e3%83%bc%e3%81%a3%e3%81%a8%e6%8b%ad%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84etc/ar-AAvXXgx?ocid=iehp#page=2

新年度が始まり、新たに新居を構えた人も多いだろう。人間にとって衣食住は欠かせぬが、食はもちろんのこと、「住」も人の精神や肉体に大きな影響を与える要素だ。今現在、ヤバイ部屋に住んでいる人はその改善を、いまはまだ問題ない部屋に住んでいる人はそうならないように、これから語る事例で学んでもらいたい。

◆無駄な思考をさせる部屋は仕事をダメにする

 空間心理カウンセラーの伊藤勇司氏は、部屋から受ける心理状態がビジネスの成否にかかわると話す。
「まずは玄関。家を出るときに靴が散らかっていると、仕事でも乱雑な判断をしてしまいがちになります」
 そこで仕事で履く以外の靴を靴箱にしまう行動が、内面に変革をもたらすという。
「スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたように、生活をシンプルにすると余計な思考がなくなり適切な判断力が養われます」

 また、仕事のキャパと関係するのが窓の汚れ。
「窓のような、あまり手が届かないところを放置するのと日頃から最低限のことしかやらない姿勢は直結します」
 また、研究者でもないのに溢れるほどの本がある場合は「頭でっかちで行動しない人間になりがち」。
 大ベストセラーとなった『もしドラ』の生みの親で、「ヘヤカツ」を提唱する岩崎夏海氏も、部屋の整理をきっかけに仕事がうまくいき始めたという。

「売れなかった時期の部屋といえば、寝室にまで大量の本が溢れ、死蔵品まみれ。そんな郊外の家から、必需品だけを持って都内に引っ越してからは、“いつか片付けなきゃ”という微細なストレスから解放され、前だけを向くようになりました。『もしドラ』の企画が浮かんだのはその翌年ですね」

 何よりも説得力のある言葉だ。

「特に企画系の仕事は、記憶よりも適切なことを適切なときに思い出すことのほうが重要で、それは部屋の中で探し物を見つけるのに似ている。脳をそういう状態につくるためには、部屋から無駄を省くのが大事。『いつか使うかも』というモノは絶対に使わないので、今すぐ捨てましょう」

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<仕事ができない人にありがちな部屋>

●汚い玄関、汚い窓
玄関と窓はデキる人のバロメーター。玄関が靴だらけだと、迷信抜きで一日のスタートを気持ちよく迎えることができない、窓が汚れているのを放置する姿勢は、仕事への詰めの甘さにも繋がる

●机の上に業務とかけ離れたものがある、使っている机に小物が散乱
机の上の小物や、使っていない文具は判断力を鈍らせる。

●「過去の栄光」関連
賞状やトロフィーなどをすぐに見える位置に飾っている人ほど、人生の岐路に立ったときに下降してしまう傾向が

●死蔵品が多い
いつの間にか増えてしまうクリアファイルや、使っていない文房具などを溜めこむ姿勢が、挑戦心をくじく

●本棚が自己啓発本でぎっしり
本棚には自己評価のパターンが如実に表れる。特に、自己啓発本で埋め尽くされている場合は現在の自分を過小評価し、ないものねだりをしている状態。デキるようになりたいなら、本棚を見直そう

部屋の細部への姿勢は仕事への姿勢を表す。死蔵品は思考を過去に戻し、読まない大量の本は理屈ばかりで行動できない自分を肥大させる。部屋に溢れ返るモノは同じく脳内をも占拠し、アイデアの源泉を阻害する。〈取材・文/週刊SPA!編集部〉

【伊藤勇司】空間心理カウンセラー。部屋と心の相関性に着目し、1000軒以上の現場をもとに空間心理理論を確立。著書に『部屋は自分の心を映す鏡でした。』(日本文芸社) 【岩崎夏海】作家。小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)が280万部を突破 ※『週刊SPA!』4月17日発売号「住んではいけない! 人生がダメになる部屋」より

420NAME:2018/05/14(月) 22:39:37
【科学】
人類交代劇、小脳が引き金か ネアンデルタール人の化石分析
2018.5.14 11:12更新
http://www.sankei.com/life/news/180514/lif1805140010-n1.html

約3万年前に絶滅したネアンデルタール人は、初期の現生人類(ホモ・サピエンス)よりも小脳が小さかったことを、慶応大や名古屋大などの研究チームが化石の分析で解明した。この差がネアンデルタール人と現生人類の交代劇につながったとみられるという。

 研究チームは、7万〜4万年前のネアンデルタール人の頭骨化石4個と13万〜3万年前の現生人類の頭骨化石4個について、コンピューター断層撮影(CT)のデータから大脳や小脳の形を立体的に解析。大脳に対する小脳の容積比は、現生人類の平均13・5%に対し、ネアンデルタール人は同12・7%と小さかった。

 脳の後方の下部に位置する小脳は主に運動能力を担うが、現代人を対象とした近年の研究で、大きいほど記憶や言語の能力に優れ、複雑な思考が可能になることが分かってきている。

 欧州では、ネアンデルタール人は後から出現した現生人類と約4万年前から約5千年にわたって共存していたが、後に絶滅。現生人類が生き残った。慶大の荻原直道教授は「小脳の機能差が環境への適応能力の違いにつながり、現生人類の生存に有利に作用した可能性がある」とみている。(伊藤壽一郎)

421NAME:2018/05/16(水) 21:43:39
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(上)「95歳まで生きるものと…」
2018.5.15 20:50更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150007-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつの全文は以下の通り。

95歳まで生きるものと…

 パクさん(高畑勲監督の愛称)というあだ名のいわれは定かではない部分があるのですが、だいたい朝がすごく苦手な男でした。東映動画に勤め始めたときも、ぎりぎりに会社に駆け込むのが毎日でございまして、買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べて、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたという。それでパクになったという噂です。

 追悼文という形ではありませんが、書いてきたものを読ませていただきます。

 パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた。そのパクさんが亡くなってしまった。自分にも時間がないんだなと思った。9年前、私たちの主治医から電話が入った。「友達なら高畑監督のたばこをやめさせなさい」。真剣な怖い声だった。主治医の迫力に恐れをなして、僕と(プロデューサーの)鈴木(敏夫)さんはパクさんとテーブルを挟んで向かい合った。姿勢を正して話すなんて初めてのことだった。

「パクさん、たばこをやめてください」と僕。「仕事をするためにやめてください」と鈴木さん。弁解やら反論が怒涛(どとう)のようにふき出てくると思っていたのに、「ありがとうございます。やめます」と、パクさんはきっぱりと言って頭を下げた。そしてパクさんは本当にたばこをやめた。 僕はわざとパクさんのそばにたばこを吸いに行った。「いいにおいだと思うよ。でも全然吸いたくなくなった」とパクさん。彼の方が役者が上だった。やっぱり95歳まで生きる(と思い込む)人だなと思った。

55年前の出会い

 1963年、パクさんが27歳、僕が22歳のとき、僕らは初めて出会いました。その初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています。黄昏時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりの残る通りを、1人の青年が近づいてきた。 「瀬川拓男さん(人形劇団太郎座の主宰者)のところへ行くそうですね」 穏やかで賢そうな青年の顔が、目の前にあった。それが、高畑勲ことパクさんに出会った瞬間だった。55年前のことなのに、何とはっきり覚えているのだろう。あのときのパクさんの顔を、今もありありと思い出す。 瀬川拓男氏は人形劇団太郎座の主宰者で、職場での公演を依頼する役目を僕は担わされていたのだった。

得難い人に巡り合えた

 次にパクさんに出会ったのは、東映動画の労働組合に押し出されてしまったときのことだった。パクさんは副委員長、僕は書記長にされてしまっていた。緊張で吐き気に苦しむ日々が始まった。 それで組合事務所のプレハブ小屋に泊まり込んで、僕はパクさんと夢中に語り明かした。ありとあらゆること、作品について…。僕らは、仕事に満足してなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった…。(涙声になる) 何を作ればいいのか…。 すいません。(言葉を継げなくなる) パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り合えたのだ-とうれしかった。

ホルスの大冒険

 その頃、(高畑、宮崎監督を多くの後輩を育てたアニメーター)大塚康生さんの班にいる新人だった。大塚さんと出会えたのは、パクさんと出会えたのと同じくらいの幸運だった。アニメーションの動かす面白さを教えてくれたのは大塚さんだった。

ある日、大塚さんは見慣れない書類を僕に見せてくれた。こっそりです。それは「大塚康生が長編映画の作画監督をするについては『演出』は高畑勲でなければならない」という会社への申し入れ書だった。当時、東映動画では『監督』と呼ばず、『演出』と呼んでいました。 パクさんと大塚さんが組み、色の差し込んできたような高揚感がわき上がってきました。 そしてその日が来た。長編漫画第10作目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」、昭和43年)が大塚、高畑コンビに決定されたのだった。

422NAME:2018/05/16(水) 22:18:54
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(下完)「パクさんのことを忘れない」
2018.5.15 20:55更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150008-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつ全文の続きは以下の通り。

秘密の談合

 ある晩、大塚さんの家に呼ばれた。スタジオ近くの借家の一室にパクさんも来ていた。ちゃぶ台に大塚さんはきちんと座っていた。パクさんは組合事務所と同じように、すぐ畳に寝転んだ。何と僕も寝転んでいた。 奥さんがお茶を運んでくれたとき、僕は慌てて起きたが、パクさんはそのまま「どうも」と会釈した。女性のスタッフにパクさんの人気が今ひとつなのは、この不作法のせいだったが、本人によると、股関節がずれていてだるいんだそうだった。

 大塚さんは語った。「こんな長編映画の機会はなかなか来ないだろう。困難は多いだろうし、制作期間が延びて問題になることが予想されるが、覚悟して思いきってやろう」 それは意思統一というより、反乱の宣言みたいな秘密の談合だった。 もとより、僕に異存はなかった。なんせ僕は(仕事が)映画にもなっていない新米のアニメーターに過ぎなかったのだ。大塚さんとパクさんは、事の重大さがもっとよく分かっていたのだと思う。

僕はたたきのめされた

 勢いよく突入したが、長編10作の制作は難航した。新しい方向に(進むには)不器用だった。仕事は遅れに遅れ、会社全体を巻き込む大事件になっていった。 パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。

 僕は夏のエアコンの止まった休日に一人出て、大きな紙を相手に背景原図を書いたりした。会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。僕はこの作品で仕事を覚えたんだ。

 初号(完成作品の最初の試写)を見終えたとき、僕は動けなかった。感動ではなく、たたきのめされていた。会社の圧力で迷いの森のシーンは削れ削らないの騒ぎになっているのを知っていた。 パクさんは粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数から、カットごとの作画枚数まで約束し、必要製作日数まで約束せざるを得なくなっていた。当然のごとく約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。いったいパクさんは何枚の始末書を書いたんだろう。

何という強い絵

 僕も手いっぱいの仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。大塚さんも会社側の脅しや泣き落としに耐えて、目の前のカットの山を崩すのが精いっぱいだった。 初号で初めて迷いの森の広い…(言葉を詰まらせる)ヒルダ(孤独な少女、声・市原悦子)のシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。何という圧倒的な表現だったろう。何という強い絵…(絶句)。(声を絞り出すように)何という優しさだったろう。(涙声で)これを、パクさんは表現したかったんだと初めて分かった。 パクさんは、仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を成し遂げていた。大塚さんと僕は、それを支えたのだった。

僕らは精いっぱい生きた

 「ホルスの大冒険」公開から30年以上たった西暦2000年にパクさんの発案で、「太陽の王子」関係者の集まりが行われた。 当時の会社の責任者、重役たち、会社と現場の板挟みに苦しんだ中間管理職の人々、製作、進行、作画スタッフ、背景、トレースの女性たち、技術、撮影、録音、編集の各スタッフがたくさん集まってくれた。

偉い人たちが「あの頃は一番面白かったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」は興行は振わなかったが、もう誰もそんなことは気にしていなかった。 パクさん、僕らはあのとき精いっぱい生きたんだ。パクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれた(涙で声が揺れる)パクさんのことを忘れない。どうもすみません。

423NAME:2018/05/16(水) 22:19:35
アニメ監督、高畑勲さんお別れの会 宮崎駿監督「僕らは精いっぱい生きた。ありがとう」
2018.5.15 18:35更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150001-n1.html

「火垂(ほた)るの墓」(昭和63年)などで知られるアニメーション監督で、4月に82歳で死去した高畑勲さんのお別れの会が15日、東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。ともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)がお別れの会の委員長を務め、作曲家の久石譲さん、山田洋次監督ら約1200人が参列した。

 高畑さんが好きだったジブリ美術館内の階段に祭壇を設置。宮崎監督の「野に咲く花たちで囲みたい」という思いから、笑顔の遺影は色とりどりの約2000本の草花で飾られた。

 宮崎監督は、新人アニメーターとして一緒に働いた日々を振り返り「パクさん(高畑さんの愛称)の教養は圧倒的で、得がたい人に巡り合えたのだとうれしかった。パクさん、僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ。ありがとう」と涙ながらに語りかけた。

高畑さんはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(49年)などの名作を多数手がけ、日本アニメの礎を築いた。60年に宮崎監督とスタジオジブリを設立後は、二人三脚でヒット作を生み、国内外で高い評価を得た。ジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫さん(69)は、「高畑さんは『平家物語』を最期まで映画化したがっていた。実現できず残念だ」と無念そうに語った。

 献花には、ファンら約2000人も参列。3歳の娘と訪れた東京都武蔵野市の主婦(40)は「数々の名作への感謝を伝えたかった。この子が物心ついたら一緒に楽しみたい」と話した。

424NAME:2018/05/16(水) 22:23:45
【高畑勲監督のお別れの会】
アニメーター、大塚康生さんのお別れの言葉(全文)「悔しくて悔しくて」
2018.5.15 20:59更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150009-n1.html

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(昭和43年公開)で作画監督を務め、その後も映画「パンダコパンダ」やテレビアニメ「ルパン三世」(第1シリーズ)、「じゃりン子チエ」などで高畑勲さんと組んだアニメーター、大塚康生(やすお)さん(86)のお別れの言葉は以下の通り。 高畑さんと出会い、毎日夜12時まで話をして、社会情勢とか、アニメーションのこと、それ以外にもいっぱい話して、すっかり(次の日は)意気消沈しましたよね。

 東映動画の長編10本目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」)をやるときに、会社は「演出は誰がいいか」と言うんですよ。その頃は、作画監督が演出を決めるようになったんですよね。 僕は「初めてですけれど高畑さんがいい」と言ったら、(会社は)「あれはだめだ」と。「あんな高畑じゃだめだ」と言ったんですけれども…。 (僕は)「じゃあ、やれません」と。そしたら、しようがないからさあ、「じゃあ、やってもらうけど、スケジュールだけは守ってくれよ」と言ってきたんですよね。

(僕は)「守ります」と約束したんですけれど、守らない。高畑さんは絶対に守らない。徹底的に守らないんですよ。 で、会社が(高畑監督を)呼び出してね。「君は『守る』って約束したけれど、どうして守らないんだ」と。(高畑監督は)「いやあ、いい仕事をしようと思って粘ると長くなっちゃうんですよ」と。 まあ、そんなやり取りがありましたね。高畑さんは絶対に粘るんですよ。徹底的に粘る人でね。面白い人でした

 一緒に国内旅行したり、いろいろな所に遊びにいったりして…。まあ、主に日本国内ですけれどね。尾瀬に行ったり、阿波踊りに行ったり…。 阿波踊りなんかも一緒にやってきて。宮崎(駿)さんと高畑さんの踊りが全然違うんですよ。阿波踊りにないポーズで踊るんですよね。宮崎さんなんか、まったく違うんです。(僕は)写真を撮ってきました。あんまり面白いんで。

 そういう面白いことがいっぱい積み重なって…。(涙声で)亡くなったけれども…。昨年にお会いしたばっかりだったのにね…。信じられないよ。そんなはずないって思いで…。悔しくて悔しくてしようがないよ。まあ、そんなことです。ありがとうございました。

425NAME:2018/05/16(水) 22:26:00
【高畑勲監督のお別れの会】
小田部羊一さんのお別れの言葉(全文)「これは完全な間違いです」
2018.5.15 21:33更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150010-n1.html

東映動画では高畑勲監督の同期にあたり、その後、活躍の場を移したズイヨー映像では、高畑監督のテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(昭和49年)で作画監督やキャラクターデザインも務めたアニメーター、小田部(こたべ)羊一さん(81)のお別れの言葉は以下の通り

 パクさん、ひと月以上たった今でもまだ腑に落ちません。死ぬことになっていたのは私なんです。昨年、病床にあった私に(高畑監督は)「大丈夫、治るから」と励ましてくれ、本当にその通りになりました。退院できたときにも、あんなに喜んでくれたではありませんか。そのパクさんがなぜ…。

 納得できません。これはあべこべです。いてくれなければならないパクさんが逝ってしまい、なぜ私が残るのでしょうか。 すべてのことに正しかったパクさんです。でも、今日はあなたを批判させてください。間違っています。すべてに潔かったとはいえ、これは完全な間違いです。 パクさんがいなければ、日本のアニメーションは、世界のアニメーションは、世界の映画は、日本の世の中は、世界は、太い心棒がなくなってしまいます。

パクさんは、どんなことを聞いても答えてくれ、知らないことがないといった人でした。音楽のこと、文学のこと、絵画のことさえも。それを作品に反映し、考え抜いてくれました。 だから安心して任せられる羅針盤であり、パクさんの示してくれる方向は苦しみを伴いましたが、誤りのないものでした。

 ついていくだけで精いっぱいでしたが、東映動画入社以来の私を「アニメーションの表現を深め、新しい表現を生み出したいと願う同志だった」と言ってくれました。他にかけがいのないパクさん。だから戻ってほしいのです。どうか戻ってきてください。心からのお願いです。2018年5月15日、小田部羊一

426NAME:2018/05/20(日) 22:16:51
低所得家庭の赤ちゃん「体重が増えにくい」
読売新聞
2018/05/19 13:18
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bd%8e%e6%89%80%e5%be%97%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e3%81%ae%e8%b5%a4%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%8c%e4%bd%93%e9%87%8d%e3%81%8c%e5%a2%97%e3%81%88%e3%81%ab%e3%81%8f%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AAxuz8V?ocid=iehp#page=2

低所得の家庭では赤ちゃんの体重が増えにくい、との調査結果を北里大学の可知(かち)悠子講師(公衆衛生学)らの研究チームがまとめた。 国内約5万6000人の乳児について調べたもので、チームは、経済的事情による栄養不足や育児放棄などが背景にあるとみている。

 厚生労働省の乳児調査をもとに、体重2500グラム以上で生まれた2001年生まれ約3万5000人と、10年生まれ約2万1000人が対象。世帯の経済状況と生後18か月までの体重増加の関係などを調べた。体重増加が最も遅い5%のグループを「体重増加不良」とし、所得別に分析した。

 その結果、世帯所得が最上位4分の1の群に比べ、最下位4分の1の群は、01年生まれで1・29倍、10年生まれで1・27倍、体重増加不良になるリスクが高かった。

427NAME:2018/05/27(日) 19:37:27
徳光和夫、秀樹さん延命やめたのは「お子さんが『休ませてあげたら』と」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%be%b3%e5%85%89%e5%92%8c%e5%a4%ab%e3%80%81%e7%a7%80%e6%a8%b9%e3%81%95%e3%82%93%e5%bb%b6%e5%91%bd%e3%82%84%e3%82%81%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af%e3%80%8c%e3%81%8a%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%8c%e3%80%8e%e4%bc%91%e3%81%be%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%81%82%e3%81%92%e3%81%9f%e3%82%89%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%80%8d/ar-AAxQvSM?ocid=iehp

16日に急性心不全で死去した歌手、西城秀樹さん(享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・青山葬儀所で営まれ、音楽関係者やファン1万人以上が参列した。葬儀の司会を務めたフリーアナウンサー、徳光和夫(77)は「秀樹さんは(先月)倒れた後、意識はないが心臓は動いている状態で、延命策をどうすべきかという話が家族で出ていた。3人のお子さんが『パパは本当に頑張ってきたから休ませてあげたら』と言い、奥様はその一言で延命をやめたと聞きました。お子さんたちは立派に育った」と故人をしのんだ。

428NAME:2018/06/02(土) 00:35:30
【西城秀樹さん葬儀】野口五郎さんが弔辞(全文) 還暦パーティーで彼を抱擁したとき、僕は全身が震えた
2018.05.26
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1759

■君への弔辞を読むことになるなんて

 秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日がたっただろうか。みなさんに「気持ちの整理がつくまで少し時間をください」。そうお願いしたのだけれど、どうやってこの現実を受けとめていいのか、いまだに君の言葉を、いろいろなことを思い出して泣いてばかりいる。
 秀樹との46年間は簡単に語り切れるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて、考えてもいなかった。僕にとって君は本当に特別な存在だった。あるときは兄のようでもあり、あるときは弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることもなく、全部受けとめてくれて、いま思うと君と僕とは心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、なんでそんなに信用してくれていたの?

 ■「ブーメランストリート」に隠された思い

 訃報を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。「秀樹の歌で『ブーメランストリート』っていう曲があって、ブーメランだから『きっとあなたは戻ってくるだろう』という歌詞だけど、でも、戻って来なかった人をアンサーソングとして『ブーメランストレート』ってどう?って言ったら、それいいねって、秀樹、大笑いして…。そしたら彼、本当に『ブーメランストレート』っていう曲を出してしまったんだよ」。
 君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレイから突然、「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、「五郎、来てくれたね」。君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかな、ってそう思ったよ。

 ■僕の心は見透かされていた

 30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、そのときの曲を作ってほしい」って突然言いだした。「秀樹、僕はひとの曲は作らないって知ってるだろう?」「うん、だから作って」「秀樹、〝だから作って〟は日本語変だから」「うん、最後にみんなで歌う曲、作ってほしいんだよ」「秀樹、悪いけど、無理だから。それ、できないから」「分かってる。一応、締め切りはいついつだから」「秀樹、それできないからね」って別れたのに、締め切り日ぎりぎりにパジャマ着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように玄関先で「ありがとね」って、君は笑顔で一言。完全に見透かされているよね。
 今年になってから、その曲がシングルカットされているのを知って…僕はそれまで知らなかったんだよ、シングルカットされているのは。君のマネージャーにお願いして音源もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサートでデュエットした。なぜ、今年だったんだろう。不思議でならない。

429NAME:2018/06/02(土) 00:36:14
 ■最後に格好良く決めるのは秀樹

 「コンサートを観に来てくださった君のファンの方も喜んでくださった」って奥さんから聞きました。
 デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければ、と考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを僕は知っている。
 1993年、初めて「ふたりのビッグショー」で共演。一緒に歌った「Unchain My Heart」「Unchained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」。ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良くキメるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が大好きだった。本当に格好いいと思っていた。

 ■君がドライバー、僕はおにぎりを用意

 お互い独身時代が長かったから、なんでも話すようになって、ゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりと味噌汁を用意して、「夫婦か」なんて言い合って。
 僕が「秀樹、結婚するから」って言ったときの驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。「あ、こいつ結婚する」って。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
 秋も深まったある日、妻が「もしかして子供ができたかも」と言いだし、驚いた僕は「明日、病院に行って検査してもらおう」と二人で話した。
 そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子供ができた」。
 生まれてみれば同じ女の子で、君んちが6月3日、僕んちが6月5日。マジか、これ。当然、娘たちの初節句、雛祭りも一緒に祝ったよね。

430NAME:2018/06/02(土) 00:36:46
 ■忘れられない、還暦パーティーでの表情

 3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させていただいたときの秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
 遡ること44年前、1974年。この年、僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。でも君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。

 ■抱擁したとき、秀樹は全体重を僕にかけてきた

 それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して、二人で抱き合った。
 そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ〜」って言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。そのとき、君は僕のことを一瞬、抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」。そう思った。

 それと同時に僕の全身が震えた。「こんなぎりぎりで立っていたのか。こんな状態でファンのみなさんの前で立っていたのか。そこまでして立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ」。彼の大きさに驚いて、一瞬、頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って、秀樹のファンのみなさんに彼を紹介してしまった。
 秀樹ほど天真爛漫という言葉がぴったりな人に、僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人すべてを魅了する優しさと、すべてを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどれだけたくさんいたことか。僕はうらやましかったよ。

 ■おまえの分も歌い続けるから

 僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけれど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 もうリハビリしなくていいからね。もう頑張らなくていいから。
 君のかわいい子供たち、家族をいつも見守ってあげてほしい。そしてお前の思うラブソングを天国で極めてくれ。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 平成30年5月26日 野口五郎。

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431NAME:2018/06/02(土) 02:11:13
昨年12月に生前葬の安崎暁氏が死去 元コマツ社長
2018.05.31
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1766

建機大手コマツの元社長で、昨年12月に生前葬を開いて話題となった安崎暁(あんざき・さとる)氏が26日午前4時39分、胆のうがんのため自宅で死去した。81歳、徳島県出身。葬儀・告別式は親族だけで行った。
 1995年から2001年までコマツ社長。会長や相談役を歴任し、国家公安委員会の委員も務めた。昨年11月に新聞広告でがんであることを公表し、延命治療は受けないと明らかにした。12月には東京都内のホテルで生前葬に当たる「感謝の会」を開き、多くの人が集まった。
 大企業の元トップによる生前葬は珍しく、自分らしい人生の最期を探る「終活」のあり方を考える機会として、大きな反響を呼んだ。

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432NAME:2018/06/10(日) 11:58:55
万引の元マラソン女王が涙の告白 厳しい体重制限で選手時代も食料品を…地裁支部で第2回公判
2018/06/08 18:30
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%AE%E5%85%83%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%8C%E6%B6%99%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD-%E5%8E%B3%E3%81%97%E3%81%84%E4%BD%93%E9%87%8D%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%A7%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%82%E9%A3%9F%E6%96%99%E5%93%81%E3%82%92%E2%80%A6%E5%9C%B0%E8%A3%81%E6%94%AF%E9%83%A8%E3%81%A7%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4/ar-AAynvY8#page=2

群馬県太田市内のスーパーで今年2月、菓子を万引したとして、窃盗の罪に問われたマラソンの元世界選手権代表で、飲食店店員の原裕美子被告(36)=栃木県足利市=の第2回公判が8日、前橋地裁太田支部(奥山雅哉裁判官)で開かれ、原被告に対する被告人質問が行われた。

 原被告は時折涙ぐみながら、小学生のころに万引をしていた過去を告白。厳しい体重制限を強いられた選手時代に摂食障害を発症し、食料品を万引していたことを明かした。

 選手時代を「常に空腹、のどの渇きを感じていた」「どの大学、実業団でもやっていない厳しい体重制限を私だけやらされた」と振り返り、実業団に入団後の合宿では買い食いをしないように監督に財布を取り上げられたと説明。誘惑に負け、大人になって初めての万引をしたと語った。

433NAME:2018/06/10(日) 12:00:25
5歳死亡、「寝ていたので暴行」 父親が供述、東京・目黒
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/5%e6%ad%b3%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e3%80%8c%e5%af%9d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a7%e6%9a%b4%e8%a1%8c%e3%80%8d-%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%81%8c%e4%be%9b%e8%bf%b0%e3%80%81%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%bb%e7%9b%ae%e9%bb%92/ar-AAymX43?ocid=iehp

東京都目黒区で、衰弱した船戸結愛ちゃん(5)を放置したとして、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された事件で、3月に結愛ちゃんが死亡して事件が発覚した当時、父親の雄大容疑者(33)が「勉強しろと言ったが、寝ていたので暴行した」と供述していたことが8日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、雄大容疑者は「小学校の入学に向けた勉強を先にやれと言ったら、『はい』と言ったのに、昼ごろに部屋を確認したら寝ていたのでかちんときた」と供述したという。 母親の優里容疑者(25)が「自分は暴行はしていない」と話していたことも判明した。

434NAME:2018/06/10(日) 13:59:23
「男は無表情で殴っていた」新幹線3人死傷、乗客は見た
2018/06/10 05:45
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%8C%E7%94%B7%E3%81%AF%E7%84%A1%E8%A1%A8%E6%83%85%E3%81%A7%E6%AE%B4%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%EF%BC%93%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E5%82%B7%E3%80%81%E4%B9%97%E5%AE%A2%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%81%9F/ar-AAyr3tm

9日夜に、神奈川県内の東海道新幹線の車内で、刃物を持った男に切りつけられ、男性1人が死亡、女性2人が重傷を負った事件。別の新幹線に乗り換え、翌10日午前2時過ぎにJR名古屋駅に到着した乗客らがパニックとなった車内の状況を語った。

 事件があった東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車。めいと2人で乗車していた岐阜県可児市の女性(69)は、後ろから逃げてくる乗客で騒ぎに気付いた。振り返ると、3列ほど後ろの座席で、男がハンマーのような物で男性に殴りかかっていたという。

 直後に「逃げろー」という声を聞き、スマートフォンだけを手にめいと一緒に11号車に走った。11号車との接続部に来たところで、殺到した乗客が将棋倒しになり、「早く、早く」と悲鳴が上がったという。

 同じ12号車の神奈川県三浦市のパート女性(29)は「男が男性に馬乗りになって、無表情で殴っていた」と話した。また、愛知県常滑市の女性会社員(23)も、黒っぽいシャツの男が長い物を振り回しているのを見た。「男は最初、女性を狙ったが、助けようとした男性が狙われて亡くなった」という情報を、また聞きで耳にしたという。

 12号車にいた男性によると、床には弁当やペットボトルが散乱した。いったん降りた小田原駅のホーム上では、乗客らは座っていた席や身元を警察官から聞き取られたという。

 12号車から逃げようとする乗客で、車内はパニック状態になった。「血相を変えた人たちが20〜30人、『ギャー』と声を上げながら14号車の方に逃げていった」。13号車にいた東京都中央区の会社員太田奨悟さん(33)はそう話した。通路には襲われて逃げてきた人の血が点々と滴り落ちていたという。

 名古屋市名東区の会社員男性(57)は乗務員から身を守るように座席のシートを外して渡されたという。やつれた様子で「信じられない」と語った。

 15号車にいた三重県四日市市の会社員藤井友佳子さん(53)は「『助けてください』という声が聞こえ、後ろを振り返ると女性が左の首元を押さえて血を流しながら逃げてきた」と話した。その女性は15号車と16号車の間で倒れ込み、その後、医者を名乗る男性が手当てをしていたという。

435NAME:2018/06/11(月) 23:07:20
まるで犯罪組織…「史上最も腐った警察官」に禁錮25年、米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%81%be%e3%82%8b%e3%81%a7%e7%8a%af%e7%bd%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e2%80%a6%e3%80%8c%e5%8f%b2%e4%b8%8a%e6%9c%80%e3%82%82%e8%85%90%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%ad%a6%e5%af%9f%e5%ae%98%e3%80%8d%e3%81%ab%e7%a6%81%e9%8c%ae25%e5%b9%b4%e3%80%81%e7%b1%b3/ar-AAynBdu?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】殺人事件発生率が全米最悪の都市ボルティモア(Baltimore)の市警史上「最も腐った警察官」に7日、禁錮25年の有罪判決が下った。 ウェイン・ジェンキンス(Wayne Jenkins)被告は、違法銃器の摘発を任務とするエリート部隊「ガン・トレース・タスクフォース(Gun Trace Task Force)」を率いる巡査部長だった。ところが、この部隊は街中から違法銃器を一掃するどころか、銃器を盗んで横流しし、麻薬密売人から金品を巻き上げ、犯罪の証拠をでっち上げるなど、数々の職権乱用を繰り返していた。

 ジェンキンス被告ら6人の警察官の裁判で明らかになった手口の一つは、次のようなものだ。彼らは麻薬密売人の疑いのある人物の自宅で金庫をこじ開け、中にあった20万ドル(約2200万円)のうち10万ドルを奪うと、残りの10万ドルを金庫内に戻し、あたかも今から金庫を開けるかのように動画を撮影していた。

 現地紙ボルティモア・サン(Baltimore Sun)によると、レオ・ワイズ(Leo Wise)連邦検事補は公判でジェンキンス被告について、「犯罪組織のように」指揮下の部隊を運営し「計り知れないほどの」悪事を行ってきたと非難した。 キャサリン・ブレイク(Catherine Blake)連邦地裁判事は7日、ジェンキンス被告に禁錮25年を言い渡した。

ジェンキンス被告はすすり泣きながら「たくさんの過ち」を犯したと法廷で謝罪。「罰を受けるのは当然だし、私は刑務所に入れられるべきだと思う」と述べたとボルティモア・サン紙は伝えている。 ガン・トレース・タスクフォースの職権乱用の被害者は全員が黒人男性で、多くは麻薬密売人だった。警察官らは、自分たちの所業が当局に通報されることはないと分かっていて汚職に手を染めたとみられる。

436NAME:2018/06/11(月) 23:09:54
袴田さん沈黙後「そんなのウソなんだよ」 再審取り消し
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a2%b4%e7%94%b0%e3%81%95%e3%82%93%e6%b2%88%e9%bb%99%e5%be%8c%e3%80%8c%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%82%a6%e3%82%bd%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0%e3%82%88%e3%80%8d-%e5%86%8d%e5%af%a9%e5%8f%96%e3%82%8a%e6%b6%88%e3%81%97/ar-AAyutX2#page=2

袴田巌さん(82)は11日、当初は弁護団とともに東京高裁を訪れる予定だったが、本人の意向で自宅のある浜松市内で過ごした。

 支援者によると、袴田さんは姉秀子さん(85)と暮らすマンションでいつも通り午前6時ごろ起き、朝食には北海道の支援者が送ってくれたアスパラガスのサラダなどを食べたという。午前中は自宅でテレビをみるなどして過ごし、午前9時ごろに一度、支援者らが上京の意思を尋ねた際には「用がないから。行かないよ東京は」と答えた。

 袴田さんは、市内を数時間歩くことを日課にしている。この日も午後は、支援者の車で母校近くの岩水寺(同市浜北区)へ出かけ、いつものやや前傾姿勢で歩いた。

 午後2時前、トイレ前の如来像に手を合わせ、本尊に向かう途中で支援者から「決定が出た」と聞くとひとごとのように「あー、そーおーう」。支援者が「不当決定を許すことはできない」と伝えると「あー、どうもどうも」と言い、少し早足になった。袴田さんは長期の拘禁生活の影響で、精神をむしばまれている。

 代表取材の記者が「再審決定を認めない判断が出ました」と言うと、しばらく沈黙した後、「そんなのウソなんだよ。ウソ言ってるだけだよ」「事件がねえんだから」といい、せき込んだ。表情はいつもと変わらなかったが、声や受け答えの調子には強い反発がにじんでいたという。

 本堂で手を合わせた後、木陰で少し休んだ。その後、近くの県立森林公園や中瀬招魂社を散策し、支援者とともに高台から浜松市内を眺めた。(阿久沢悦子、宮川純一)

437NAME:2018/06/15(金) 11:44:21
検査結果見逃し患者死亡、静岡 県立がんセンター肝障害気付かず
共同通信社
2018/06/14 20:28
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%a4%9c%e6%9f%bb%e7%b5%90%e6%9e%9c%e8%a6%8b%e9%80%83%e3%81%97%e6%82%a3%e8%80%85%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e9%9d%99%e5%b2%a1-%e7%9c%8c%e7%ab%8b%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e8%82%9d%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%8b%e3%81%9a/ar-AAyCTUF?ocid=iehp

静岡県立静岡がんセンターは14日、抗がん剤治療を受けていた60代の男性患者が肝機能障害を起こしたのに気付かず、症状が悪化して昨年9月に死亡したと発表した。血液検査で出ていた肝機能の数値異常を見逃していたという。

 センターによると、男性は直腸がんと肝転移の通院患者で、昨年7月中旬に3週間の抗がん剤服用と1週間の休薬を1サイクルとする1回目の治療を開始。終了時に血液検査で肝機能障害を示す数値が出ていたが、担当医師が確認しないまま2回目の治療を始めた。 男性は2週間後の8月下旬に劇症肝炎のため緊急入院し、9月に死亡した。直接的な死因は薬剤性肝障害だった。

438NAME:2018/06/15(金) 11:55:19
メディアスクラムで壊される犯罪被害者・加害者家族の日常
2018/06/14 09:27
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%81%a7%e5%a3%8a%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e7%8a%af%e7%bd%aa%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%83%bb%e5%8a%a0%e5%ae%b3%e8%80%85%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%81%ae%e6%97%a5%e5%b8%b8/ar-AAyC2at?ocid=iehp#page=2

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

 こんにちは。松本麗華です。 連日、立て続けに衝撃的なニュースが報じられる昨今ですが、先月、新潟市のJR越後線の線路上で女の子の遺体が見つかるという痛ましい事件があったことも、まだ記憶に新しいでしょう。 ご家族や親族・地域の方々の受けた衝撃は計り知れません。悲しいことに、亡くなった少女の周辺では、マスコミの取材による「二次被害」が発生しているといわれました。

 先月末に掲載された産経ニュースの記事によると「午前零時過ぎに、家のチャイムを鳴らして取材を求めたマスコミがいた」「児童を尾行して家に到着したら、インターフォンを鳴らして取材しようとしたマスコミがいた」といった、行き過ぎた取材の実態が書かれています。 住民の中には、報道関係者を逮捕してほしいとSNSに投稿した方もいるようです。

 産経ニュースでは「保護者・児童の感情と、マスコミの『報道の自由』の両方に配慮しなければならない」と書かれていますが、わたしには、こういった取材がそもそも「報道の自由」として配慮されるべきものとは思えません。 犯人逮捕のためという大義名分があるならまだしも、既に容疑者は逮捕されています。また少女のご家族は

「(略)今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです。どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」との声明を発表し、取材の自粛要請をしました。

 しかしなぜか、多くのマスコミは要請の部分をまるごとカットし報じませんでした。 マスコミの方は、わたしに「被害者感情に配慮しなければいけない」「麻原裁判はおかしかったと思うけど、被害者の気持ちを考えると報道できない」といいます。果たして、マスコミは本当に被害者感情を考えているのでしょうか。もし考えているなら、ご家族の言葉をそのまま報じ、取材も節度あるものとなったでしょう。

 ご家族が声明を出し、穏やかな生活を取り戻したいと願っているのに、少女の個人情報を周囲の人に聞き出し、報道するのは、誰の、何のための報道なのでしょうか。 わたし自身も、これまでマスコミの過剰取材・報道に苦しめられてきました。

 少しだけ例を挙げます。 一人でスーパーで買い物をしていたとき、テレビ局のクルーとリポーターに見つかり、追いかけられたことがあります。撮られたくない一心で逃げましたが、結局、路地の行き止まりまで追い詰められ、マイクとカメラを向けられました。

 その時、「悪いことをしたから逃げた」と誤解されるのを恐れ、「取材には応じます。その代わり、わたしの隠し撮りや逃げるシーンは使わないでください」と取材スタッフにお願いしました。 しかし、番組の放送を見ると、わたしが逃げるシーンが使われており、その上、インタビューシーンも放送されていました。当時のわたしは13歳。何の後ろ盾もない両親のいない未成年で、約束を守るに値する人間ではないと判断されたのでしょう。

 ある時は、大きな業務用ビデオカメラを担いだマスコミが、マンションのベランダに入って窓をがらりと開けて部屋に侵入してきたこともあります。夜に見知らぬ男性が踏み込んできたので、怖くてたまりませんでした。 プールに入っていることころを隠し撮りされたこともあります。わたしが誰であるか特定した上で、水着姿を無断で放送されたことに、思春期だったわたしはどうしていいかわからなくなりました。 そのときの恐怖や悲しみは、今でも忘れることができません。

439NAME:2018/06/15(金) 12:16:42
◆いつ、自分自身も加害者家族になるかわからない

 視聴者・読者であるわたしたちも、マスコミの行き過ぎた報道やその情報の受け取りに方ついて、考えていく必要があるように思います。 そもそも過剰な取材をするのは、良いネタを掴んで視聴率や販売部数を上げるためです。仮に、わたしたちが人の不幸に関することを知りたいと望めば、マスコミはこぞって不幸な情報を集めます。

 ゴシップ報道のように、個人のプライバシーを暴露してバッシングする記事をわたしたちが求めれば、プライバシー侵害に苦しむ人が今後も後を絶たなくなります。 マスコミの報道姿勢に疑問をぶつけると、マスコミの方は「いやあ、見る人がいるからね……。視聴率を見て、何を取り上げるか決めているんですよ」と言います。

 視聴者・読者の多くが冷静になり、センセーショナルな報道に見向きもしなくなれば、必然的にマスコミの行きすぎた取材もなくなるのではないでしょうか。 現在のマスコミの報道のあり方を変えていくにはどうしたらいいのか、よく考えます。わたしには何の力もありません。でも、できることがあります。

 報道被害にあったことを黙らないこと、報道のあり方に疑問の声をあげることです。少しでも多くの人が報道に対し、「おかしい」と声を上げれば、状況は少しずつ改善していきます。マスコミの方と話していて思うのは、考えていた以上にネットの声や読者、視聴者からのフィードバックを気にしているということです。

 明日には、自分の親族や知り合いが犯罪の加害者や被害者になるかもしれない。もしかしたら、犯罪に巻き込まれるかもしれません。自宅の近くで事件が起こったとしたら、それだけで日常が奪われてしまいます。 わたしもある日突然、加害者家族とされ、マスコミの過剰報道により、傷ついてきた一人です。12歳までわたしは、マスコミに追われることがあるなど、夢にも思ったことはありませんでした。

 もし、自分が犯罪に巻き込まれ、注目を集めてしまったらと、一度考えてみていただきたいです。 関係ないと思っていらっしゃる皆さんが「自分も報道被害にあうかもしれない」という意識をもって、報道を見るようになったとき、報道のあり方は変わっていくのではないでしょうか。

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

【松本麗華】文教大学臨床心理学科卒業後、産業カウンセラーの資格を取得。心理カウンセラーとして活動する他、執筆や講演、ヨガのインストラクターもしている。日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属。自身の半生を振り返る手記『止まった時計』を上梓。実の父親である麻原彰晃は複数の精神科医から外的な刺激に反応することができない「昏迷」という状態にあるとされ、治療されることなく裁判が終結。10年以上、面会ができていない。現在も、父の治療と面会を求め続けている。健康情報とお得情報、割引クーポンが大好き。

ブログ http://blog.asahara-kousoshin.info/
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Twitter @asaharasanjo

440NAME:2018/06/18(月) 01:08:56
お金がなくても幸せなおひとり様、71歳男性の場合
安田 まゆみ
2018/06/16 18:30
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%a6%e3%82%82%e5%b9%b8%e3%81%9b%e3%81%aa%e3%81%8a%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e6%a7%98%e3%80%8171%e6%ad%b3%e7%94%b7%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a0%b4%e5%90%88/ar-AAyIJqf?ocid=iehp#page=2

数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」

ご夫妻の場合、夫婦仲良くが、(お金があってもなくても)楽しく暮らすコツのような気がします。では、おひとり様が楽しく暮らすには、何が必要だと思いますか? 数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」がいらっしゃいます。和人さん(71)です。彼は、毎回、お会いするたびに「安田さん、僕はね、いま、人生楽しくてしょうがないんだ」とおっしゃるのです。

65歳の時に奥様と死別。お子さんはいません。最愛の奥様を亡くした3年間は、死んだようになっていたといいます。お勤め先は、大企業ではありませんので、お給料は飛びぬけて良かったわけではありませんが、地方の山間に小さなマンションタイプの別荘をお持ちでした。体の弱い奥様のために購入したものです。「子どもにお金がかからない分、私にでも買えたんだよ」と和人さん。

奥様が亡くなられてから数年たって、やっと一人暮らしに慣れたころ、和人さんは自治体主催の教養講座で水彩画や写真の楽しみを覚えたそうです。そのころ私が講師を務めていた講座に参加されたのがきっかけで、和人さんの相談を受けるようになりました。

“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間に

和人さんは今、東京の家を売り払って、別荘住まいです。数年前に決断をする時にはお手伝いをしましたが、別荘暮らしは彼にとって「正解」でした。いま、本当に活き活きと暮らしていらっしゃいます。 畑を借りて野菜を作り、ドライブをしては、スケッチをして楽しむ毎日です。美しい山々を見ながら、ピクニック。お仲間とおしゃべりをしたりするのも楽しいのだとか。 その別荘の周りには、他の地域から移ってきた人も住んでいて、“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間になったりしたそうです。もともと、夏には、毎年1カ月ほど別荘にいるという生活をしていたのですが、引っ越してみると全く感じが変わって見えたといいます。暮らし始めてからは、どんどん友人が増えていったそうです。

441NAME:2018/06/18(月) 01:27:41
「もうね、まわりは70を過ぎている人ばっかり。でも、みんな前向き。明日どうする?どこ行く?っていう話が多いんだよ。“よそ者”だからさ、その周りでも、行きたいところがいっぱいあるんだよね。中には会社のお偉いさんだったと思える人もいるけれど、会社勤めをしていた時のことは一切言わないね。役員やっていたとか、海外赴任だったとかは、聞かないし、話さない。もっぱら、野菜や絵の話が中心でさ、楽しいよ。気持ちのいい人たちに出会えてよかった」と。

体が元気な間、数年間であっても、充実した日々を暮らす

もちろんその中には、「素敵なガールフレンド」(本人談)もいらっしゃいます。結婚するつもりはないそうですが…。「青春だよ。一緒にいて楽しいもん。生きていてよかったよ」ですって。 「朝起きるでしょ。カーテンを開けた時の景色がいいのよ。寒い朝には、樹氷が見えたりするわけさ、朝からもう最高な気分。日中は、お友達と畑仕事したり、おしゃべりしたり、時々出かけたりして、もう退屈なんてしないわけ。夜は、一人で自炊してもさみしくないよ。昼間、さんざん友達とおしゃべりしているから。じっくり本を読んだりワインを飲んだりして。いい時間が流れていくんだ。妻が亡くなって一人になって、東京にも友達はいたけれど、さみしかった。いま、田舎暮らしで、夜になると外は真っ暗だけど、一人でいてもさみしくないね。人生でこんな充実した時が来るとは思わなかったね」と和人さん。何ともうらやましい。

「自炊しているでしょ。物価が安いし、畑で野菜も取れるし、農家の人から、余ったものをもらったりもするから、あんまりお金がかからないんだよ。少ない年金でも十分生活できちゃうんだよね」。年金は17万円で、あまりが出る時も多いとか。 和人さんの住まいは、車がなくては生活できない地域です。具合の悪い時は、タクシーも呼べますが、雪道を運転できなくなったら、里に移るという覚悟はできています。

東京の家を引き払って、こちらに来るべきか悩まれた時に、私に相談に来られました。本当にやりたいことがあるなら、たとえそれが短い時間であっても、心底楽しんだことは、記憶に残るし、人生に彩りを与えてくれるのでないか、という話をしました。

結果、この山間の別荘に移るとしても、終の棲家にはならないかもしれないということを大前提に引っ越しが決まりました。車を運転することができなくなって、病院に通院することが必要になった時は、里に出て、病院通いがしやすいところに引っ越す。体が元気でいる間、たとえそれが数年間であっても、充実した日々を暮らせるのであれば、山間の別荘で、目いっぱい人生を楽しもう、と。

「楽しく暮らす」秘訣は、一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること

「老後を楽しく暮らす」方たちのリアルな生き方と覚悟をご紹介しました。いかがでしたでしょうか?住まう場所や現役時代の肩書や年収、退職金や年金の多寡で、暮らし方が決まるわけではないのです。なが〜い老後を「楽しく暮らす」秘訣は、夫婦関係が良好なこと。これにつきます。おひとり様も、同じ。一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること。そして、良好な関係が築けていることが一番なんです。(お金も大事ですけどね)

442NAME:2018/06/19(火) 23:32:17
【千葉・9歳女児殺害】
「極刑相当」に表情変えず 渋谷恭正被告、おえつの母親
2018.6.18 12:43更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180618/afr1806180031-n1.html

「被告を死刑に処するのが相当」。検察側に極刑を求刑された瞬間、元保護者会長、渋谷恭正被告(47)はほぼ表情を変えなかった。18日、千葉地裁で開かれた小学3年レェ・ティ・ニャット・リンさん=当時(9)=殺害事件の論告求刑公判。法廷にはリンさんの母親のおえつが響いた。

 渋谷被告は黒のジャージー姿で、4日の初公判と同様の服装。全10回の公判を傍聴し続けたリンさんの父親レェ・アイン・ハオさん(35)はスーツを着用して法廷に臨んだ。

 「陵辱の限りを尽くした犯行」「身勝手の極み」と厳しい言葉を続けた検察側。事件の経過を改めて説明すると、廷内に設置されたついたて内からはリンさんの母親グエン・ティ・グエンさん(31)の泣き声が響いた。ハオさんも口を固く閉じ、被告を見つめ続けた。

443NAME:2018/06/20(水) 00:28:54
4歳男児、引き出しに押し込まれ死亡…容疑で父親逮捕 夫婦で子供虐待か
2018.6.18 20:35更新
http://www.sankei.com/west/news/180618/wst1806180104-n1.html

北九州市の自宅で息子(4)をテレビ台の引き出しに押し込み死亡させた疑いで父親の納富(のうとみ)駿太容疑者(27)が逮捕された事件で、引き出しは縦約40センチ、横約60センチ、高さ約15センチと狭い空間で、息子は腰を折り曲げられた状態だったことが18日、捜査関係者への取材で分かった。

 逮捕容疑は5月11日未明、自宅の2階寝室で、保育園児の息子、優斗ちゃんをテレビ台の引き出しに押し込み、同日朝、低酸素脳症で死亡させたとしている。 捜査関係者によると、テレビ台の引き出しは中から開けられない構造だった。抵抗した形跡がなかったことから、福岡県警は優斗ちゃんが就寝中に襲われた可能性も視野に調べる。

 県警によると、事件当時は納富容疑者夫婦や親族ら計8人が生活。優斗ちゃんは数時間引き出しに入れられ、寝室には子供数人が寝ていた。納富容疑者が早朝に「呼吸していない」と119番し、搬送先の病院で死亡が確認された。 納富容疑者は事件発覚当初、自身は別の部屋で寝て、起きたら優斗ちゃんが引き出しの中に入っていたと説明していた。県警は認否を明らかにしていない。

一方、県警は18日、今年2月に娘(3)の尻に高熱の液体をかけやけどを負わせたとして、傷害容疑で納富容疑者の妻、麻衣子容疑者(24)を逮捕した。 北九州市子ども総合センターは、麻衣子容疑者の病気を理由に、優斗ちゃんや娘を保護したことはあったが、虐待は把握していなかったとしている。担当者は当時の対応について「見直すべきところがないか検証したい」と話した。

444NAME:2018/06/21(木) 13:37:53
クロちゃん、安定のゲスっぷりにネット民もあきれる
2018/06/21 09:30
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e3%82%af%e3%83%ad%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%81%e5%ae%89%e5%ae%9a%e3%81%ae%e3%82%b2%e3%82%b9%e3%81%a3%e3%81%b7%e3%82%8a%e3%81%ab%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e6%b0%91%e3%82%82%e3%81%82%e3%81%8d%e3%82%8c%e3%82%8b/ar-AAyWdsQ#page=2

6月20日放送の「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で、クロちゃん(安田大サーカス)がまたもや“ゲス”な一面をのぞかせる場面があった。 クロちゃんは同番組のTwitter企画で“嘘ツイート”を連発するなど、数々の“ゲス”な言動で注目を集めている。 今回の放送では「丑の刻参りの頭にロウソクスタイル 熱すぎて呪いどころじゃない説」の検証のため、ハリウッドザコシショウ、あばれる君、ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)と共に出演した。

裸にふんどしというスタイルで登場した4人は、頭には鉢巻きで大きなロウソクを装着。呪いのわら人形に五寸釘を打ち込む“丑の刻参り”でおなじみの姿で、障害物競走、椅子取りゲーム、相撲に挑戦した。 クロちゃんは競技が始まると、随所でゲスっぷりをいかんなく発揮。障害物競走ではパン食い競争の要領でわら人形を口にくわえるルールだったが、クロちゃんは手を使う反則行為を。

椅子取りゲームでは椅子を取れなかったクロちゃんが、闘牛のウシのように火のついたロウソクをほかの3人に向けた格好で突進。 相撲では押し倒したあばれる君に対して、ロウソクを押し付けようとする悪行を見せる。これらの反則をした揚げ句成績は振るわず、クロちゃんは最下位という結果になった。

放送後のSNS上には視聴者から「クロちゃんのクズっぷりに呆れながらも笑ってしまった」「この番組を見るたびにクロちゃんが嫌いになる(笑)」といったメッセージの他、「スキンヘッドの4人がふんどし姿で転げ回る姿に爆笑!」などのコメントも寄せられていた。次回の「水曜日のダウンタウン」は7月4日(水)放送予定。(ザテレビジョン)

445NAME:2018/06/22(金) 14:03:13
「姉に気を付けろ」と警告=死亡の弟、父異変で疑念-自殺偽装殺人・大阪府警
時事通信社
2018/06/21 19:55
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e5%a7%89%e3%81%ab%e6%b0%97%e3%82%92%e4%bb%98%e3%81%91%e3%82%8d%e3%80%8d%e3%81%a8%e8%ad%a6%e5%91%8a%ef%bc%9d%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%80%81%e7%88%b6%e7%95%b0%e5%a4%89%e3%81%a7%e7%96%91%e5%bf%b5%ef%bc%8d%e8%87%aa%e6%ae%ba%e5%81%bd%e8%a3%85%e6%ae%ba%e4%ba%ba%e3%83%bb%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%ba%9c%e8%ad%a6/ar-AAyX9M7#page=2

堺市で3月、練炭自殺を装って弟(40)を殺害したとして、会社社長の足立朱美容疑者(44)が逮捕された事件で、弟が生前、周囲に「姉に気を付けろ」と話していたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。弟は1月に父親(67)が倒れた際、足立容疑者の関与を疑っていたという。 足立容疑者は父親からの借金があったといい、大阪府警捜査1課は親族間のトラブルの有無を調べている。

 捜査関係者によると、父親は1月に2回自宅で倒れ、現在も意識不明。インスリンの過剰投与による低血糖が原因で、直前に足立容疑者が出した甘酒を飲んでいた。父親が処方されていたインスリンがなくなっており、母親(67)は2回とも同時期に異常な眠気を覚え、記憶がないと話している。 

 亡くなった弟の会社役員聖光さんは、足立容疑者が実家に泊まりに来た際に異変が起き、父親は血糖値の管理に慣れていて誤飲は考えにくいことなどから、同容疑者が父親の殺害を図った可能性を懸念。妻らに「朱美には気を付けろ」などと話していたという。

 聖光さんは練炭自殺を装って殺害され、体内から足立容疑者のものとみられる睡眠薬が検出された。母親はこの際も同容疑者に出された飲み物を飲んで意識を失っており、捜査1課は偽装工作を行いやすくするため、母親にも睡眠薬を飲ませたとみている。(了)

446NAME:2018/08/08(水) 02:12:11
【津川雅彦さん死去】
硬軟自在 男の色気 役柄幅広く 拉致問題解決にも強い関心
2018.8.8 01:27更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180808/ent1808080003-n1.html

4日に心不全のため、78歳で亡くなった俳優の津川雅彦さんは、男の色気と変幻自在の語り口調で二枚目から悪役まで幅広い役柄を演じた名優だった。

 その才能を伊丹十三監督に愛され、「マルサの女」や「あげまん」など多くの作品で味わい深い演技を見せた。晩年も変わらぬ活躍で「後妻業の女」では好色な老人、アニメ作品「バケモノの子」では声優としてバケモノ界の長老を演じるなど名脇役として存在感を放った。また、マキノ雅彦名義で「寝ずの番」「次郎長三国志」などを監督。テレビドラマでもNHK大河「独眼竜政宗」、「サラリーマン金太郎」などに出演し人気を得た。一方、「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組で政治的発言を行うことも多く、注目を集めた。

 私生活では、昭和48年に女優の朝丘雪路さんと結婚。翌年、生後5カ月の長女が誘拐されるが無事保護される事件が起き、苦難に直面した。そのため、北朝鮮による拉致問題の解決に大きな関心を寄せ、政府の啓発ポスターなどに協力。「拉致問題は私たちすべての問題です」とメッセージを寄せていた。 今年5月、朝丘さんの死去を受けて開かれた会見では、肺炎をわずらっているにもかかわらず、酸素吸入の姿で報道陣の前に姿を現し、朝丘さんに感謝の言葉を述べていた。

447NAME:2018/08/19(日) 00:55:44
【横浜患者殺害】
「この病院はおかしい」…不安を口にしていた被害女性
2018.8.18 21:59更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180818/afr1808180022-n1.html

殺害された興津(おきつ)朝江さんは旧大口病院に膝のけがで入院。自分の病室がある4階で多数の入院患者が亡くなることに、「この病院はおかしい」と不安を口にしていた。

 アパートの大家によると、興津さんは1人暮らしで猫を飼育。家賃を納めるために毎月、大家の自宅の長い階段を上れるほど健康だった。

 親族によると、興津さんは膝の擦(す)り傷が化膿(かのう)したため、平成28年9月13日に入院。同14日に見舞いに訪れると、1階まで階段で下りて見送ってくれるほど元気だった。ただ、「人がどんどん死んでいく」と不審がっていたという。興津さんが死亡したのはその2日後だった。

 興津さんの姉は、「足をけがして入院しただけで前日まで元気だったのに、なぜ突然亡くなってしまったのか、はじめからおかしいと思っていました。今後は警察の捜査を待ちたいと思います」とするコメントを発表した。

448NAME:2018/11/13(火) 14:59:32
加藤貴子、がんを患った父へ医師の「酷い対応」激白「もって3か月です」とめんどくさそうに…
スポーツ報知/報知新聞社
2018/11/13 10:41
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%8a%a0%e8%97%a4%e8%b2%b4%e5%ad%90%e3%80%81%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%92%e6%82%a3%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%88%b6%e3%81%b8%e5%8c%bb%e5%b8%ab%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%85%b7%e3%81%84%e5%af%be%e5%bf%9c%e3%80%8d%e6%bf%80%e7%99%bd%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a6%ef%bc%93%e3%81%8b%e6%9c%88%e3%81%a7%e3%81%99%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%82%81%e3%82%93%e3%81%a9%e3%81%8f%e3%81%95%e3%81%9d%e3%81%86%e3%81%ab%e2%80%a6/ar-BBPDOtm

女優の加藤貴子(48)が13日、自身のブログを更新。がんを患って亡くなった父から医師から受けた「酷い対応」について振り返った。

 加藤は「医師とのコミュニケーション」とのタイトルで記事をアップし、雑誌の仕事で医師との対談企画を行ったことを報告。その上で「ドクターと患者ストレスなくコミュニケーションが成立する関係が理想的ですが…これがなかなか、難しいんですよね」とつづり、「医師に質問すると、イライラ空気であからさまにーその説明したところで、君にわかるの?みたいな態度をされたり…」と吐露した。

 そして「亡き父が、癌になったときのこと」と切り出し、「総合病院の外科医に『手の施しようがないステージです。もって3か月です。退院して自宅療養をおすすめします』と、説明もめんどくさそうに言われました」と告白。さらに「ショックで倒れそうでしたが、セカンド・オピニオンを考えて『検査結果をいただけますか?』と訊いたら『検査結果が欲しいなんて初めてです。それは渡せません。どこに行かれても同じですよ』と、半分鼻で笑われてるような言い方であしらわれました」と明かした。

 「今でも、思い出すと吐き気がするくらい酷い対応でしたが、おかげで家族一丸となって父の闘病生活を共にする覚悟が出来ました」と加藤。「そして、退院して、患者側に寄り添った治療をしてくれる病院を見つけて、父は1年半延命することが出来ました」と当初の宣告より長く生きられたことを明かした。

 「それ以来私は、説明をはしょったり、言葉を濁す医師を信頼できない傾向があります」という。「治療で辛い思いをしているうえに、医師とのコミュニケーションで悩まれている方の心が折れないことを祈っています」とつづっていた。

449NAME:2018/12/28(金) 00:46:50
芸人ヒロシがYouTubeに見つけた人生の神髄 「君も好きなことだけして生きていける」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e8%8a%b8%e4%ba%ba%e3%83%92%e3%83%ad%e3%82%b7%e3%81%8cyoutube%e3%81%ab%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%91%e3%81%9f%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%a5%9e%e9%ab%84-%ef%bd%a2%e5%90%9b%e3%82%82%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%a6%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%91%e3%82%8b%ef%bd%a3/ar-BBQMh0b?ocid=iehp#page=2

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第48回。

芸人のヒロシさん(46)と言えば、2004年に大ブレークした、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタを皆さんご存じだろう。 ブレークした年に出版された『ヒロシです。』(扶桑社)は発行部数50万部を超えるヒットになった。

好きなことだけをして生きていくことのススメ

 そんなヒロシさんが現在、芸人としてではなく、ユーチューバー(YouTuber)として注目されている。 2015年に始めた「ヒロシちゃんねる」は、登録者数28万人を超える人気チャンネルになっている(2018年12月現在)。 「ヒロシちゃんねる」では、ヒロシさんが趣味であるキャンプをただただ楽しんでいる動画がアップされている。一人称視点が多く、ヒロシさんが映っていないことも多い。たとえ映っていてもキャンプ用の服を着込んでいて、トレードマークである背広は着ていない。 お笑いのネタも挟まず、BGMやテロップなど凝った編集もしていない、飾り気のない動画が幅広い層にウケているのだ。100万回以上再生されている動画もある。 YouTubeでの広告収入も増えて、収入が80万円を超える月もあるという。 そんなヒロシさんは、自身のユーチューバーとしての経験を踏まえて、『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を12月6日に上梓した。

 タイトルどおり、好きなことだけをして生きていくことのススメが書かれている。 ヒロシさんはどのような人生を経て、現在の場所にたどり着いたのか。講談社の会議室で話を聞いた。 ヒロシさんは、熊本県荒尾市に生まれた。荒尾市は20世紀前半に炭鉱の街として栄えた街だった。ただヒロシさんが生まれた20世紀後半は、炭鉱が閉山になっていく衰退の時代だった。 「父親も炭鉱作業員でガツンガツンとやっていました。とても教育熱心な人でした」 父親には学歴がなく、肉体労働しか選択肢がなかった。息子には大学を卒業して、いい会社に入って安泰な人生を送ってほしいと願っていた。 ヒロシさんも父親の意思には逆らわず、キチンと勉強するまじめな子どもだった。

 「でも小学校の頃から人となじめなかったですね。正月とかに親戚が家に集まると、居間には行きたくなかったです。普段会わない人と何をしゃべっていいかわからないんですよ。 標準語をしゃべる神奈川のいとことかに対して、劣等感を抱いてもいました」 小学校時代に漫才ブームが訪れた。中でもツービートの漫才が大好きだった。その時はじめて「お笑い芸人という仕事があるんだ」と気づき、あこがれを持ちはじめた。

450NAME:2018/12/28(金) 00:47:12
イジメに遭って気づいたこと

 「小学校の時に転校したんですが、転校先でイジメに遭ったんです。月に1回『誕生月の人を祝う会』というのがあったんですが、みんな歌を歌ったり、花輪を作ったりしていました。僕はドリフターズのマネをしたんですね。そうしたらすごくウケて、イジメが少し収まっていったんです。 『そうか、笑わせればいいんだ』って気がつきました。そこが原点ですね」

 ヒロシさん自身は、中学を卒業したら即お笑い芸人になろうと考えていた。「なんにせよ早いほうがいいだろう」と思っていたからだ。 ただ、進学してほしいと願う父親に逆らってまで、お笑いの道に進むことはできなかった。高校の成績もよく、学校推薦で九州産業大学の商学部に進学した。 「僕はやっぱり『普通の人』なんですよね。芸人になりたいとは思っていたけど、それでも普通に就職して、普通に生きていくんだろうな、と感じていました」 そしてそのとおりに、大学卒業後は保険会社に就職した。

 「営業の部署だったんですけど、地獄でした。会社でも誰とも話せないし、どうしていいかもわからない。毎日つらくて、そのうちつらさが身体に出るようになりました」 朝起きると頭痛が出るようになった。会社が休みの日には出ないので、精神的なものなのだろう。1カ月で、会社に行かなくなった。

 「ある日家で起きたら、支店長が枕元に立ってました。そして『もうちょっと続けなさい』って言われました」 「少しは契約を取ってこい」と言われ、親類縁者に入ってもらって契約を取った。結局、半年間我慢して働いて会社を辞めた。「会社でうまく働けなかったことで『僕はまともな道は歩いていけないんだ』って自覚しました」

 保険会社の社員の時代、福岡吉本が主催するお笑いオーディション番組を2回受けに行った。ヒロシさんは1回戦で落ちてしまった。結果発表の後、福岡吉本の社長がホワイトボードに電話番号を書いた後、 「本気でお笑いをやりたいと思ってる人はここに電話をかけたらいい」 と皆に言った。ヒロシさんは後日電話をかけて「お笑いをやりたいです」とはっきり告げた。 それからしばらく福岡吉本でお笑いを続けたが、26歳の時に上京した。

451NAME:2018/12/28(金) 00:47:47
冴えない芸人のウソを信じてホストの世界へ

 そして東京で出会った冴えない芸人が、やたらとブランドもののアクセサリーを身に着けていたのが目についた。恋人もいるという。冴えない男なのになぜ?と思って問い詰めた。「そいつは『誰にも言わないでね。実はホストやってるんだ』って言ったんです。こいつがいけるんだったら僕もいけるんじゃないか?って思いました。芸人やりながらアルバイト感覚で働けるんなら丁度いいなって考えました」ただ実はその男性はウソをついていた。持っていたブランドもののアクセサリーもニセモノだった。

 ヒロシさんが面接に連れていけと言っても、なかなか紹介してくれない。もちろんウソなのだから紹介できるはずもない。 ヒロシさんはしびれを切らして、知り合いのツテをたどって自分でホストクラブに面接に行った。簡単に入店することができた。 「入るのは簡単でしたけど、辞められなくなりました。拘束されて働かされて、月3万円しかもらえませんでした」 飲めない酒をたくさん飲まされ、毎日長時間働かされた。あまりにお金がないので、休日はコンビニでアルバイトをした。週に1度しかコンビニでアルバイトしていないのに、週6日働いているホストクラブより多く給料をもらった。

 逃げたいと思ったが、逃げてしまってはもう二度とお笑いはできなくなると思った。だから歯を食いしばって耐えたが、4年目にどうしても耐えきれず逃げた。そして熊本に帰った。 「その時はお笑いをあきらめました。もう東京に戻れないですから。でも逃げた後すぐにお店が潰れたって聞きました。最初は僕を連れ戻すためのわなかと思って警戒しましたけど、本当に潰れたことが判明しました。慌てて東京に帰りました」

 よく「苦労は買ってでもしろ」という人がいる。彼らはどんな経験でも、人生の肥やしになるという。 だがヒロシさんはそうは思わない。「ホストクラブで働いてた4年間は本当に無駄でした。大学時代も無駄だったと思うけど、それ以上でした。僕は『苦労は金をもらってもするな』と思います。

 僕はもう32歳になっていて、同期はテレビに出ていました。ホスト時代に無駄な時間を過ごしたという実感があったので、その反動でものすごく頑張りました」 ホストクラブに入るまでは「いつか売れるだろう」とのんきに構えていたが、ホストクラブを辞めてからの1年は売れることしか考えなかった。そして実際に思いつくことはすべて行動に移した。

452NAME:2018/12/28(金) 00:48:07
大ブレークと、その後やってきた苦悩

 そして試行錯誤の結果、大ブレークした「ヒロシです……」のネタは生まれた。「売れていく段階はうれしかったですよ。お金が入ってくるのもうれしかったです。最高で月4000万円稼いだこともありました。 ただ売れてしまってから……バラエティー番組に呼ばれるようになってからつらくなりました」 バラエティー番組に呼ばれて、出演しているときは、苦手だった小学校時代の親戚の集まりを思い出した。

 「よく知らないいとこの集まりで面白いこと言えないじゃないですか。それと同じです。当時は人気もあったのでカンペで『ヒロシに振って!!』と司会の方に指示が出るわけです。それで振られても、なんも面白いこと言えないんだけどな……って。考えすぎてつらくなる毎日でした」

 テレビに出ている間はずっとつらかった。 最終的には飛び降り自殺を考えるまで追い込まれた。もう自分がもたないと思い、当時所属していた事務所に、「テレビに出なくていいですか? このままだとおかしくなります」と伝えた。 「それから束の間は極楽でしたね。貯めていたお金はあるし、ヒマはあるという。釣りにハマってました。キャンプもやってました。気分的には早めの老後を迎えたという感じでした」

 田舎暮らしをしたいと思い、千葉に物件を見に行ったこともあった。 「人を避けたいというのがありましたね。シンプルな生活がしたい。自分で畑を耕して、実ったものを食べて生きていきたい。そんな感じでした」 だが、実際に物件を見に行くと、青年団に入らなければいけない、ご近所の飲み会に呼ばれる、など東京以上に面倒くさいのではないかと思った。 「田舎暮らしは危険だ!!ってなりました。世間にはヒロシとして顔が知れ渡っていますから、普通の生活はできないんですよ。 絶対に『ヒロシだ!! 〈ヒロシです〉やれよ』って言われるじゃないですか」

 自由な生活は最初こそ楽しかったが、だんだん不安が募ってきた。 お金はあったが、何をどうしたらいいかはわからない。お笑いをやる気にもならなかった。「どうせ、何をやってもダメなんだろうな」とネガティブに考える時期が続いた。 ヒロシさんがブログを始めたいと思って会社にお願いしたこともあったが、許可が出るのに3年間かかった。 「仕方がないことなんですが、3年もたったらやる気も情熱も失せてますよね……。 でも何年もそうやって悶々とした日々を過ごして、なんでこんなもったいない生き方してるんだろう?と思うようになりました。それでやっと行動を起こすようになりました」

 マネジャーに勧められて、単独ライブを開催した。久しぶりにテレビにも出演してネタをやった。 所属していたプロダクションからは業務提携の形になり、元飲食店だった場所を事務所にした。もともとスナックだったのでカラオケができる「ヒロシのお店」として営業もした。現在はカラオケはやめ、カフェ「FOREST COFFEE」として不定期に店を開けている。 「やっぱり行動するとつらいことが多いです。でも『自分で決めて行動している』から、つらいことにも耐えられるんですよ」

 そして2015年、ついにYouTubeで「ヒロシちゃんねる」を始めた。ただし、始めた時はユーチューバーとして稼ごうなどとはまったく思っていなかったという。 「キャンプしてる様子を記録に残したいと思ったんですよね。キャンプ仲間と後から見返したいなと思って。結婚式で流れる動画みたいな感じですね。そんな動画、他人が見たって全然おもしろくないと思ってました。もちろん意気込みなんかまったくありませんでした」 しかし、動画をアップしていると動画の再生回数は伸び、チャンネル登録者数も徐々に増えていった。

453NAME:2018/12/28(金) 00:48:25
自分で作った動画でもらえた数百円がうれしくて

 「動画に広告入れれば収入になるって聞いて、なら試しにやってみるかと思って入れてみたんですよ。そうしたら何百円か振り込まれたんです。これがうれしくてね。自分で作った動画で、グーグルからお金が振り込まれたぞって。そのうち『YouTube見てます』って言われるようになりました。たとえば仕事で訪れた沖縄のおばちゃんに言われたりして、これもとてもうれしいんですよ」 テレビに出演すればもちろん「見ましたよ」と言われることは多い。ただ当たり前だがテレビ番組はヒロシさん1人で作っているわけではない。 一方、YouTubeの動画はすべてヒロシさんが作っている。褒められれば喜びもひとしおだ。

 ブレーク時代は最高月収4000万円だったヒロシさんだが、自分で作った動画を見てもらうことにより稼いだ数百円がとてもうれしかったのだ。 「演出、撮影、出演者と全部やってますからね。キャンプに行かないと動画は上げられないので、忙しい月と、そうでない月でYouTubeの収入は変わります。ちなみに先月は80万円の広告収入がありました。まさか自分たちだけで楽しもうと思っていたチャンネルがここまで育つとは驚きでした」

 読者の中には、「芸能人がやってるからみんな見るんだろ? 普通の人がやったって見ないだろ」 と思う人もいるかもしれない。ただ、ヒロシさんはそうは思わない。 「誰だってできるんですよ。ただ、やるかやらないかだけなんです。YouTubeでは『こんな動画誰が見るんだろう?』というマニアックなチャンネルもヒットしています。結局誰が出ているかより、何をするかだと思うんですよ。収入にすぐつながるわけではないですけど、元手はかからないですからね。もし1万円でも稼げたらよくないですか? サラリーマンしていて1万円昇給するのって大変ですよね?」

 徐々に人気ユーチューバーになってきているヒロシさんだが、まだどの動画が人気になるかまでは読めないという。 気合いを入れてアメリカのロサンゼルスまでキャンプを張りに行ったことがあったがその動画はあまり再生回数は伸びなかった。逆に多摩川の河川敷でラーメンを作っただけの動画が何十万回も再生された。

何がウケるかわからない

 「何がウケるかわからないんですよね。だからなんでもアップロードしてみればいいんですよ。タダなんだから。 たとえば僕は独身だから夫婦げんかの映像とか見てみたいですね。わーわー言い合っている映像じゃなくても、ただひたすら部屋の中で黙ってる映像とかね。『おかえりなさいも言わない冷戦状態になってる』なんて話、耳にはしますけど見たことはないですから。 居間でまったくしゃべらない2人を見て『ホントこいつらしゃべらねえなあ』って。で、ちょっとでも動くと『おっ!!』と思うわけじゃないですか。犬も食わない夫婦げんかも、立派なエンターテインメントになるんですよ。 僕もやってみようかな?と思った人は、来月からやってみようとか、落ち着いたらやってみよう、とかじゃなくて今日やりましょう!! スマートフォンがあればできるんだから。やってみると意外といけますよ」

 今回上梓した『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を、ヒロシさんは小学校時代からのある同級生に読んでもらいたいという。 「たまに連絡してくる同級生なんですけど、どうやらちょっと鬱になってるみたいなんです。『残業してもおっつかないんだ〜』って言ってて。結局仕事も休んでるみたいなんです。昔から、勉強もできて、スポーツもできて、女にもモテた友達がそんなふうになるとは思ってなかったです」 ヒロシさんにとってサラリーマン生活を続けていくことは、想像しただけで恐ろしくなるほどつらい世界だ。嫌な上司や先輩と延々付き合っていかなければならないし、飲み会にも参加しなければならない。 そんなつらい現場で果敢に戦っている同級生に、世界には楽しいことをして生きていける世界があると知ってほしいと思う。

454NAME:2018/12/28(金) 00:48:42
嫌なことはやらなくていい

 「いきなり会社を辞めてユーチューバー1本で食べていこうとかいう話ではないんです。そもそも会社を辞めるのもすごいストレスですからね。 YouTubeで好きな動画を流せば、みんなに見てもらえてお金になるんだってことを知ってほしいんですよ。嫌なことはやらなくていいんです。好きなことだけをやって、それを流せばいいんです。 それで少しでも稼げるって知ったら、たぶん少し生きるのが楽になるんじゃないかと思うんですよ」 現在、ヒロシさんはキャンプ動画で注目されているため、キャンプのテレビ番組に呼ばれることが多い。そのためプライベートでキャンプに行く機会が減っているのが少しストレスだという。

 「最近はキャンプ動画が当たっているので、オリジナルのブランドを作れないかなと思っています。 最初は有名キャンプブランドとコラボしようかと思ったんですが、結局商品を買い取ることになるようなんですよね。 だったら、一から全部自分で作れないか?と考えてます」 たとえばたき火台だったら、図面を引いて、工場に行って一つひとつ作ってもらう。単価はどうしても高くなるが、まずはそこから始めたいと思う。 「結局、全部自分でやりたいんですよ。間によくわからない人が入ってくるのが嫌なんです」たとえばたき火台を作るにしても、間に人が入ってくると「こうしてよ」「ああしてよ」と意見を言われる。二転三転して結局、全然違うものになる。それでも商品名は「ヒロシのたき火台」として発表しなければならない。 「そういうふうに名前だけ使われるの嫌なんですよ。気持ち悪いなって。自分の思いどおりの物を作ったなら『だせえな』ってけなされても仕方ないんです。

 お笑いのネタでもそうなんですが、『ウケれば自分の手柄』『滑ったら自分の責任』にしたいんです。よくわからない人に口を挟まれるのはもう嫌なんですよね」いくつも種をまけば、いつか花咲く種もある
 昔は到底1人ではできなかったことが、ガジェットやアプリの進化で全部1人でできるようになってきている。 「僕みたいに1人でやりたいって人は世の中にたくさんいると思うんです。自分でも気づいていなかったけど、自分にピッタリな時代が来たんだなって感じます。

 もちろん今、たまたま調子がいいだけで、来年どうなっているかわかりません。でもなんとなく、またその後もいろいろな種をまき続けて再び当てられる自信がありますね。結局、弾数撃てば当たると思います。いくつも種をまけば、いつか花咲く種もあります。

 最近は常々、人生は1回しかないんだって考えますよ。どうあがいたってもうすぐ死にますよ? だったら好きに生きましょうよ!!」 ネガティブなネタを得意とするヒロシさんからあふれる言葉は、とてもポジティブだった。お世辞ではなく、話を聞くうちに「自分でもYouTubeやってみようかな?」と思えてきた。 それはYouTubeが儲かるからではなく、YouTubeをやっているヒロシさんがとても楽しそうだからだ。「とにかくすぐにやってみる」「とりあえず1人でやってみる」というのはこれからの時代のキーポイントになってくるかもしれないな、と感じた。

455NAME:2019/06/30(日) 13:47:56
【カストロ前議長死去】
カリブ海の「赤い植民地」に君臨…反米にのめり込み、あまりに重い負の遺産 
2016.11.26 23:43更新
http://www.sankei.com/world/news/161126/wor1611260061-n1.html

ヒゲ面に軍服姿。「社会主義か死か」というスローガンそのままの姿で、カリブ海の革命政権を率いたキューバの前国家評議会議長フィデル・カストロが死去した。 農園主の家庭に生まれ、弁護士となりながら、親米バティスタ政権の打倒に身を投じて頭角を現した。蜂起の失敗、投獄、メキシコ亡命という苦節を経て、チェ・ゲバラらと祖国へ再上陸し、キューバ革命は成功した。

 カストロを反米の闘士と持ち上げる声は根強い。だが、英国の歴史家リチャード・ゴットは、著書「キューバ-新たな歴史」で、「キューバはスペイン、米国、そしてソ連による植民地支配を経た世界でもまれな国」と言い切る。 20世紀初頭のキューバ独立からバティスタ政権崩壊まで、米国は首都ハバナの政治と精糖業などの主要産業を支配した。革命政権は60年に米国資産を接収。米側は61年の国交断絶やピッグズ湾事件などの政権転覆工作、そして長期にわたる経済封鎖を打ち出し、厳しい対立を続けた。

 反米主義にのめり込むあまり、カストロはモスクワの対米戦略に祖国を差し出した。ソ連の弾道ミサイル配備に端を発したキューバ危機(62年)はその典型であり、東西冷戦下の代理戦争となったアンゴラ内戦への派兵も同様だ。 2001年9月、カストロは演説を「祖国か、さもなくば死か。われわれは勝利する」という情熱的な言葉で締めくくった。だが、その長期独裁政権はソ連への忠誠と引き換えに約束され、冷戦崩壊後は反対勢力を抑えることで走りきったにすぎない。本質はカリブ海の革命家というより「赤い植民地」の総督ではなかったか。

 大量のキューバ難民という「棄民」を生んだ国内運営の行き詰まりにも、カストロは在任中、政治の民主化を拒んだ。実弟の現国家評議会議長、ラウル・カストロへの権力移譲は血縁主義との批判を免れない。カリスマ性なき後継政権は、積み残された政治、経済の改革に取り組まざるを得ない。カストロの負の遺産はあまりにも重い。=敬称略 (元ワシントン支局長 山本秀也)

456NAME:2019/06/30(日) 13:48:11
堀江貴文「自分はデキると信じて動くべき理由」 迷わず「やってみる」人こそがエリートだ
東洋経済オンライン / 2019年6月29日 7時30分
https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20190629_287300/

将来に備えてお金を貯めることばかりにとらわれるのは、いますぐやめたほうがいい。さもなければ、きっと後悔することになる――。堀江貴文氏はそう警鐘を鳴らす。

それは個人の生活レベルの話に限ったことではない。ビジネスパーソンであれば、持てる資金を十分に活用し、時間を買って、人を頼ることで、成功と幸福の循環をつくっていくほうがいい。なぜ同氏はそのように断じるのか。その真意とは。
(本記事は『あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる』の本文の一部を抜粋、改変して再構成したものです)

前回記事:堀江貴文「僕が過去に失って唯一後悔したもの」

■意欲の循環に入ろう
僕は面白いことに囲まれて生きている。やりたいことが尽きない。面白いことを片っ端からやっていくと、やりたいことが倍々に増えていく感覚だ。 「面白い」と「やりたい」の循環に入れば、時間はいくらあっても足りない。だから何よりも時間の抽出と最適化に努めている。お金なんか、どうでもいい。

面白いことを逃したり、チャンスを失うのが、僕には最大の痛手だ。そうならないよう、つねに遠くへ出かけ、新しい情報を浴び、多くの刺激的な仲間たちと会い、感度のバージョンアップに努めている。 面白いことがない、という人は多い。それはシンプルに、感度が低いからだ。

「やる」ことを重ねていない。「挑み」を実践していない。だから、情報のアップデートができないし、会う人は限られ、つまらない現在をわざわざ自分で、固定してしまっている。面白いことに出会えないのは、当たり前だ。 とにかく何でも、やってみることだ。片っ端からやっていれば、必ず何かひとつかふたつは、思いがけない成功体験を引き寄せる。やること自体が、楽しくなってくる。 意欲の循環に入ろう。そうすれば自然に感度は磨かれ、ワクワクできることが、必ず現れる。 僕は学生時代はゴルフなんて全然、興味がなかった。けれど起業して、知人に誘われたのをきっかけに始めたら、すごく楽しくなった。今では海外旅行などの出先でいいコースがあれば、時間を捻出してコースを回る。

『人狼ゲーム』など、人から教えられたのをきっかけにハマり、ビジネスに転換したものも少なくない。 僕が普通の人より、面白いものに囲まれているのは、生来の好奇心も関係していると思うが、人よりたくさん「やってみた」からだ。 やりたいことが現れれば、後回ししない。やれるとき、その瞬間に乗っかって、やってしまうのが大事だ。 できると思った順にチャレンジする。できそうかな……?などと躊躇していたらダメだ。できる!と確信して、やってしまおう。根拠はいらない。

■できる理由だけを考えて、走りだそう
あり金をどんどん使って、「やりたいことをやる」体験を重ねることが重要だ。そして自分の経験値とブランド価値を高めてゆくことでこそ、人生は開けるものなのだ。

僕は今、多くのビジネスを好調に展開している。宇宙事業はJAXAとの協業が進み、WAGYUMAFIAは世界への進出計画が拡大中だ。 ロケットと和牛、どちらのビジネスも始めた頃は、自分にできるかな……とは、少しも不安に思わなかった。やる!という気持ちでしか、動かなかった。

周りからは、ホリエモンにできるわけないと批判されまくった。しかし「え、やれますけど?」という当たり前の気持ちで、突き進み続けた結果、現在のフェーズにまで到達できた。5月4日に観測ロケット「MOMO」の打ち上げに成功したのは、周知のとおりだ。

人の目を気にしたり、可能かどうか迷ったり、将来性を考えたりするのは、時間の無駄だ。 すべての物事を、できるを前提に、できる理由だけを考えて、走りだそう。どうせ無理と思わず、「俺はできる!」と確信して、動こう。うまくいく方法は、動いているうちに見つかる。

これだけ言っても、実際に動きだす人は1%もいない。僕の著書はたくさん売れているが、10万部売れても、書いてあるとおりに何かにチャレンジした人が1000人いるとは聞いていない。「やってみる」人はある意味、東大合格者以上の、狭き門をくぐったエリートだ。 胸を張って、挑戦し続けよう。

457NAME:2019/07/05(金) 21:09:55
「きれいな夜景をありがとう」客の言葉に自殺の兆候を察知 タクシー運転手、命救う
7/5(金) 5:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00441540-okinawat-oki

光タクシー(浦添市)曙営業所の夜勤運転手、元(もと)俊晶さん(48)が6月上旬、浦添市の海岸近くで降ろした乗客の思い詰めた様子に「自殺するかもしれない」と判断し、110番通報した。駆け付けた警察官2人が海に飛び込み、胸までつかっていた30代の女性を間一髪で救助。浦添署から表彰された元さんは「本人に何があったのか分からないが、立ち直って元気になってほしい」と願っている。(社会部・城間陽介)

 女性は午後8時半ごろ、那覇市内で乗車し、行き先をショッピングセンターからドラッグストア、那覇空港と次々と変え、最後に「川か湖が見たい」と頼んだ。臨港道路の高架橋を走行するタクシーの車窓からから北谷町美浜エリアの夜景を眺めていたという。「運転手さん、こんなにきれいな夜景を見せてくれてありがとう」と橋の上で降ろすよう求める言葉に、元さんは「身投げするかもしれない」と、とっさの判断で橋を通り過ぎた。

 元さんは、しばらく走ったところで降ろした女性がはだしで駆けていることをバックミラーで見つけ、「客が身投げをしそうだ」と110番通報した。

 ちょうどパトカーで通りかかった警察官が飛び込み、すでに胸まで海水に浸り、さらに沖合へ向かう女性を1時間近くかけて引き上げた。後日、警察を通じて女性の両親から感謝の電話があったという。 夜勤歴18年目で初めての経験だったという元さん。「命が助かって良かった」と話している。

458NAME:2019/07/07(日) 21:39:37
17年ひきこもりの元当事者が語る
7/5(金) 19:53配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00010006-qab-oki&p=1

こちらの数字をご覧ください。「61万3000人」これは、今年3月に内閣府が発表した、40歳から64歳の、“中高年だけを見たひきこもり“の推計人数です。最近、ひきこもり者が関係する事件が相次いだことから、社会的にもクローズアップされています。

 実は誰にでも起こり得る身近な問題でした。17年間ひきこもりだった男性を取材しました。 宜壽次大樹さん「中にはすごくいい香りがするお花もあっていい匂い嗅ぎながら仕事できるって、「幸せだなあ」と思う。」

 本島中部の園芸農家で働く、宜壽次大樹さん(41) Q基本的には毎日?宜壽次大樹さん「毎日やって、できないときは「お休みします」という条件で働かせてもらってすごく安心して働いている。」 笑顔で手際よく作業をこなす宜壽次さんですが、実は20代前半から17年間、ひきこもりの経験があります。

 宜壽次大樹さん「ある日突然、朝起きたら体が動かなくなって、「体が動かないぞ」って思って、次に生きる気力がなかった。」それまで楽しく仕事もしていたという宜壽次さん。彼を襲ったのは「うつ病」でした。
 宜壽次大樹さん「うつ病」という言葉も認識もなかった時代に、生きる気力もないし、人にも言えない、恥ずかしいという気持ちで、毎日夜は寂しくて泣く日々。ふつうの人は朝を迎えたら気持ちいいとなるが、うつ病で引きこもっている自分にとっては地獄だった。」 次第に、やりきれない気持ちが溜まり、家族に不満をぶつけることもあったといいます。

 宜壽次大樹さん「同じ年ごろの人は結婚して子供出来て幸せな家庭を持っているのに、何で自分だけひきこもってみじめな思いをしないといけないのかという悲しい気持ちでいっぱいだった。」 その後、自分ではどうしようもない、17年間のひきこもりから宜壽次さんは回復します。そこにはある友人夫婦の存在がありました。

 宜壽次大樹さん「もし安里夫婦と出会えなかったら自分はまだうつ病、ひきこもっていたのかなと思う。」宜壽次さんと20代の頃からの友人という、安里慎也さんと愛さん。宜壽次さんが働く農園を経営しています。 安里愛さん「親しみやすいから、みんなとも冗談言ってやってて、急に落ち込んだ。」宜壽次さんの変化に気づいた安里さん夫婦はドライブに誘いだしたり、自宅に招いたりしまして話を聞きました。そして何よりも、宜壽次さんを救ったのが…。

 宜壽次大樹さん「大樹、引きこもってるけど大丈夫だよ。たくさん休んで。治った時にとても忙しくなるから、引きこもっておいて。充電期間だから」と言われたときに「これって引きこもり期間じゃないんだ、休み期間なんだ」とこの言葉が治るきっかけを与えてくれた。」 宜壽次さんは今でも、常に励まし続けてくれた愛さんからのメールを大事にとっています。 宜壽次大樹さん「これが自分の宝物。落ち込んだ時にこれを見て「よし頑張ろう」となる自分の一番の宝物ですね。」

459NAME:2019/07/07(日) 21:39:58
 ひきこもりという長い葛藤や苦しみからようやく開放された宜壽次さん。一方で、最近、世間の目に再び心を痛めました。 宜壽次大樹さん「そういう事件やニュースを見ると本当に心が痛いです。」今年5月、川崎市でスクールバスを待つ児童らが次々と殺傷された事件。容疑者はひきこもり傾向にあったことが報じられました。さらに、その4日後。ひきこもりがちで、家庭内暴力があった長男を父親が殺害した痛ましい事件。 それ以降、県内でひきこもりの家族を支援する団体には多くの相談が寄せられたといいます。

 近藤さん「相談件数は非常に増えていますし。親から心配だ、どうしたらいいんでしょう?という相談がものすごく増えています。」ひきこもりの当事者や家族からの相談を受ける「てぃんさぐぬ花の会」。事件後、相談件数は2倍になりました。 近藤さん「一番言いたいのは、引きこもりが原因でああいう事件になったというのは困る。事件を起こすようになる前までどういう状態だったのか?ということを考えてそれに対する対応が必要だと思う。」

 「てぃんさぐぬ花の会」では、それぞれが抱える悩みや課題を共有し合うことで、解決の糸口を見出すことを目的としています。 近藤さん「ひきこもり」と一言で言ってもいろんな人がいて十人十色。みんな違うんですよ。実はひとり1人違って、たいてい何か(原因を)持っている。それがうつ病であったり、統合失調症、あるいは発達障害(会は)苦しんでいる、苦しんできた家族のかたがたくさんいるので来ていただくだけでも気分的に違ってくる。ぜひこの場を活用してほしい。」

ここからは取材にあたった比嘉記者です。 比嘉記者「はい。内閣府の推計をもとに県が試算したところによると、県内でも40歳から64歳の引きこもりの人は、およそ7000人いるとされています。特に最近では、ひきこもりが長期化・高齢化しています。 子どもを抱える親は80代、当事者は50代といういわゆる「8050問題」ですよね。

 比嘉記者「はい。取材した「てぃんさぐぬ花の会」の近藤さんはこういったことを指摘しています。」「まずは、ひきこもり専門のカウンセラーがなかなかいないこと。ひきこもるきっかけで最近多いのが、転職・退職なんですが、更にその背景には発達障害やうつ病などがあり、家族や当事者も、それに気づかないことも多いそうです。こうした多様な状況に対応できる専門機関やカウンセラーが少ないそうなんです。」

 そして、回復後の居場所、ですね。 比嘉記者「はい。ひきこもりの方が回復しても、安心して行ける場所や、働く場所が少ないと指摘します。」「障害者雇用の枠には該当しなかったり、勤務の日数や時間など徐々に社会復帰していく環境は少ないのが現状です。」

 そして3点目に、悪質業者の問題。これは? 比嘉記者「実は今、多額な費用で親から子どものひきこもり回復を請け負い、無理矢理当事者を家から連れ出すという”引き出し屋”といわれる業者が全国で問題となっています。」「てぃんさぐぬ花の会」によると、県内でもそうした業者がセミナーを開いていたことがあるそうです。」 当事者も、家族も悩みが深刻なだけに、それに漬け込む業者も出てきているんですね。

 比嘉記者「はい。取材した宜壽次さんは実は、「てぃんさぐぬ花の会」で家族会の話を聞いて経験を話す活動をしていますが、『ひきこもりは誰にでも起こりえるもので、もっと当事者や家族がひきこもりや障害、心の病気についてもっとオープンに話せる環境が必要』と話していました。」

460NAME:2019/07/07(日) 21:41:13
担任が中3生へのいじめ記したメモをシュレッダーで廃棄 岐阜市教委会見
7/5(金) 16:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00012494-cbcv-soci

3日、岐阜市内の公立中学に通う3年生の男子生徒が転落死したとみられる問題で、男子生徒の担任は「クラスでのいじめ」が書かれたメモをシュレッダーにかけて廃棄していた可能性が高いことが明らかになりました。 「担任が個人名が書かれた資料ということで、シュレッダーにかけて廃棄したと思われる。担任には隠ぺいの意図はなかったが、訴えの重みを軽くとらえていた。(メモの情報が)共有されていれば、防げた可能性が高いと思っている」(岐阜市教育委員会)

 岐阜市教育委員会は、5日午後3時から会見を開き、死亡した男子生徒の担任が、他の生徒から「クラスでのいじめ」が書かれたメモを他の生徒から受け取りながら、情報を共有せず、シュレッダーにかけて廃棄していた可能性が高いと説明しました。 この問題は3日朝、岐阜市のマンションの駐車場で、市内の公立中学に通う3年生の男子生徒が大腿骨と骨盤を折って倒れているのが見つかり、生徒はその後、出血性ショックで死亡しました。

 岐阜市教育委員会は3日の会見で、死亡した男子生徒がことし5月、給食で同級生から嫌いな食べ物を押し付けられたことがあり、その際、担任の聞き取りに対して男子生徒は、「いじめの認識はない」と回答したと説明しました。 その後の調査で、担任にはことし5月末ごろ、「クラスでのいじめ行為」を書いたメモが生徒の同級生から提出されていたことがわかりました。

 メモはルーズリーフ1枚で、死亡した生徒に対して他の生徒がひどい態度をとったり、苦手な食べ物を入れて、好きな食べ物をとっていくなどの行為が書かれていたということです。 教育委員会は5日の会見の中で、担任がメモをもとに死亡した男子生徒やその他の生徒に指導を行い、その後、担任は指導が終わったと思いメモをシュレュダーにかけた可能性が高いと説明しました。

461NAME:2019/07/26(金) 21:15:46
女性自身TOP > 国内 > 「中2から強制的に性交され続けた」判決文でわかった地獄の5年
「中2から強制的に性交され続けた」判決文でわかった地獄の5年
https://jisin.jp/domestic/1729348/

3月26日、名古屋地方裁判所岡崎支部が下した無罪判決が波紋を呼んでいる。中学校2年生のころから、娘と性交していた父親が「準強制性交等罪」に問われたにも関わらず、無罪となったのだ。判決文からは、彼女の5年間がいかに「地獄」だったかということがうかがえる。

被害女性の美羽さん(仮名)は、実父と実母、弟3人との6人暮らし。実父による性的行為は、中学二年から始まった。美羽さんが寝ていると実父がやってきて、<陰部や胸を触ったり、口腔性交を行ったりするようになり、その年の冬頃から性交を行うようになった>(< >内は判決文の要約)という。

美羽さんが高校を卒業するまで、こうした行為は週に1〜2回程度の頻度で行われ、美羽さんは<体をよじったり、服をぬがされないように押さえたり、「やめて」と声を出したりするなどして抵抗していた>が、実父の行為は制止できなかった。本来ならば、助けを求められるはずの実母とも不仲だった。美羽さんが小学校の頃、実父は美羽さんを、殴ったり蹴ったりすることがあったが、実母は、<ほとんど黙って見ているか、実父に加担していた>という。

美羽さんが高校3年生のとき、自分で4年制大学へ進学することを決め、大学の推薦入試に合格。しかし、期日までに入学金を収められず、進学を断念した。一家は2010年から生活保護を受けていたことから、子ども4人抱えての暮らしは厳しかったことがうかがえる。

それでも美羽さんは諦めなかった。進学に反対する両親に頼み、専門学校に入学。学費はいったん実父が支払い、美羽さんのアルバイト代から月4万円ずつ返済するよう取り決めた。だが、このころから美羽さんの抵抗が弱まり、性行為の頻度が週に3〜4回と増えるようになったという。実父に「専門学校の学費を支払ってやっている」などと言われていたことの負い目が、あったからだとみられている。

それでも、実父からの虐待に耐えかねた美羽さんは、友人や弟らに被害を相談。「警察に行ったほうがいい」と勧められたが、<父親が逮捕されると弟らが犯罪者の息子になってしまい、生活できなくなってしまうことが心配>といって、通報を断念する。

専門学校の2年生になった2017年6月ごろから学校も休みがちになっていった美羽さん。このころ、は実父に激しく抵抗したことがある。就寝中に、服の中に手を入れてくる実父の手を払い、執拗に美羽さんのズボンを下げようとするのを引き上げたりして抵抗した。すると実父から、<こめかみの辺りを数回こぶしで殴られ、太ももやふくらはぎを蹴られた上、背中の中心付近を足の裏で二、三回踏みつけられた>。美羽さんのふくらはぎには、大きなアザができたという。実父はそのあと、「金(授業料)を取るだけとって何もしないじゃないか」と捨てセリフを吐き、美羽さんの部屋を出て行った。

こうした過酷な状況のなか、裁判になった事件が起きた。2017年8月12日に父親が仕事で出入りしていた会社の会議室で、9月11日にはラブホテルで美羽さんは性交される。9月15日、美羽さんが豊田市役所に相談し、事件は公となり、実父は起訴された。こうして、地獄の5年間は終わった。

美羽さんの精神鑑定を行った精神科医は、性的虐待などが積み重なった結果、<抵抗できないのではないか、抵抗してもムリなのではないか>といった抑圧された心理状態になっていたと診断。これに対し、実父側は「性交は同意の上だった」などと主張したが、裁判所はこうした実父の主張をすべて退け、実父は美羽さんを<精神的に支配していた>、<同意はしていなかった>と結論付けた。

にもかかわらず、<性交を拒めないほどの暴力は受けていなかった>、<両親の反対を押し切って専門学校に入学できるほどだった>などという理由で、<抵抗できないほどの精神状態に陥っていたとは判断できない>として、実父に無罪判決が下ったのだ。この判決を不服として4月8日、検察は控訴した。現在の美羽さんの生活が平穏であることを祈ってやまない。

462NAME:2019/07/28(日) 00:53:26
藤井サチ、洗脳男と付き合っていた過去!毎日彼氏の靴磨き
2019/07/27 12:36
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E8%97%A4%E4%BA%95%E3%82%B5%E3%83%81%E3%80%81%E6%B4%97%E8%84%B3%E7%94%B7%E3%81%A8%E4%BB%98%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E9%81%8E%E5%8E%BB%EF%BC%81%E6%AF%8E%E6%97%A5%E5%BD%BC%E6%B0%8F%E3%81%AE%E9%9D%B4%E7%A3%A8%E3%81%8D/ar-AAEV7J1#page=2

モデルの藤井サチが、26日放送の『金曜日のどっち!?』(テレビ朝日系)に出演。学生時代に付き合っていたという元カレとの衝撃エピソードを語った。 藤井はその彼氏に「とにかく洗脳されていた」と回顧。男の口癖は「俺と一緒にいたいんでしょ?だったらこういうことをしてくれるよね?」というものだったそうで、藤井は「(その彼氏から)毎日させられていたのが靴洗い(靴磨き)」と振り返った。

 そこで彼の喜ぶ顔が見たいと靴を磨くも、汚れがついていないか念入りにチェックされては「ここがまだ」とダメ出しされたという。あまりにもそれが続くため一瞬でもイヤな顔を見せると、「じゃあ、もっと優しい女の子にやってもらうからいいよ」と言われ、「私がやる!」と磨き続けていたのだとか。

 さらに元カレは藤井に、「芸能人の友達を紹介してよ」と迫ってきたと述懐。「どんなに可愛い子が来ても、俺がサチのところから離れなければサチの自信にならない?」と言われ、藤井は「確かに」と了承。当時のモデル友達を紹介すると、彼はいつの間にかその子とLINE交換していたという。

 そんな元カレは藤井との外食中、以前別の女性におごってもらったことを自ら語りながら、「これからその子とご飯行こうかな」と思わせぶりに話してきたという。洗脳されていた藤井は「私が払わなくちゃ」と、そのたびに食事代を払ってしまっていたそう。 恐怖の洗脳エピソードはまだまだ続き、藤井が男友達と仲が良さそうに話している姿を見かけた元カレから、ボトル入りのガムを一粒一粒投げられながら3時間説教されたと振り返っていた。

463NAME:2019/10/05(土) 10:32:41
ムーディ勝山の元相方・梶つよし、香川でスター級の活躍ぶり
2019/10/05 07:00
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e3%83%a0%e3%83%bc%e3%83%87%e3%82%a3%e5%8b%9d%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%85%83%e7%9b%b8%e6%96%b9%e3%83%bb%e6%a2%b6%e3%81%a4%e3%82%88%e3%81%97%e3%80%81%e9%a6%99%e5%b7%9d%e3%81%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e7%b4%9a%e3%81%ae%e6%b4%bb%e8%ba%8d%e3%81%b6%e3%82%8a/ar-AAIiMFg#page=2

放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回はお笑い芸人・ムーディ勝山の元相方・梶つよし(38才)の今について。

 * * *

「みんな、梶のことが大好きやから、香川まで梶に会いに行くんです」とはNON STYLE石田明の言葉だ。 「梶」とは、香川県の「住みます芸人」、梶つよし(剛改め)のこと。「誰?」と思う方も多いだろうが、旧コンビ名が「勝山梶」「アイスクリーム」だと聞けば、お笑いズキ、芸人ズキなら思い出すことだろう。 そう、吉本興業のいわゆる「闇営業問題」で謹慎していたムーディ勝山の元相方だ。

 ムーディ勝山は、「右から来たものを左へ受け流すの歌」を引っ提げ、『エンタの神様』(日本テレビ系)などで人気を博し、全国区に。程なくして「実は相方がいるらしい」というウワサが広まり、『エンタ〜』を始め、「ムーディのバーター」として梶は何本かのバラエティー番組に出演した。 だが、「右から〜」の着うたダウンロードで2億円以上の売り上げを誇ったり、大物女優の結婚披露宴中継でも同曲を歌ったムーディの「歌」を聴きたい視聴者にとって、漫才の相方・梶は「お呼びじゃない」存在であり、究極の「じゃない方芸人」だったのである。

◇売れたムーディが浴びせた“ひどい言葉”

 当時、ムーディが梶に対し、上から目線で、日夜ひどい言葉を投げかけていたことは、2016年10月31日にオンエアされた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)3時間SPにて明らかになった。 「俺のおかげでお前も食えてるから、もっと俺に感謝しろ」「俺が出ている番組は全部見ろ」「お前は俺を引き立たせるために地味な衣装にしろ」「俺はウケるけど、お前何すんの?」

464NAME:2019/10/05(土) 10:34:59
 相方をとことん見下し、コンビ名を「勝山梶」から「アイスクリーム」に改名するも、「まるで捨てるかのように」コンビを解散してしまった過去を告白したムーディ。 その『しくじり先生』には、コンビ解散後、故郷・香川県の「住みます芸人」となり、地元密着型の芸人としてレギュラー番組を多数持つ売れっ子になっていた梶つよしの活躍ぶりが紹介された。

 冒頭のNON STYLE石田の言葉でもわかるように、「愛されキャラ」であり、人格者でもある梶は、かつて自分をボロクソにこき下ろした相方を地元(香川)の番組に積極的に招くなどして、その結果、コンビの関係が修復されたことも紹介された。 「そういえば、梶さんが勝山さんのことを悪く言っているのを一度も聞いたことがない」と平成ノブシコブシの吉村崇が振り返った。相方からボロ雑巾のように扱われても、仲間に愚痴の一つも言わなかった梶。『しくじり先生』オンエア直後、勝山は「梶さんが地元の仕事に声をかけてくれたおかげで、今2人で仕事をすることができています。感謝しかありません。梶さんに追いつけるように頑張ります」とツイートしている。

 私は件のNON STYLE石田の紹介で、梶とはプライベートで何度も会っている。2011年4月からスタートしていた「住みます芸人」プロジェクトの最初のメンバーとして吉本の社員から香川へ行くことを勧められた梶だったが、「まだ東京でお笑いをしていたくて」断ったことも知っていた。 だが、翌年の1月、梶は故郷・香川の「住みます芸人」になる。理由は、父親の体調不良。梶の妹さんが泣きながら「もう芸人を辞めて帰ってきてほしい」と電話で訴えてきたことで「一瞬で決めました」とのことだった。 一度は断ったので言いづらかったそうだが、「社員さんに相談したら快く引き受けてくださった」ということで晴れて「住みます芸人」となったのである。

◇多くの芸人たちが梶の元へ

 以来、彼を盛り上げるべく、NON STYLE石田を始め、東京や大阪在住の売れっ子芸人がどれだけ梶の元を訪ねただろうか。 それは梶が「住みます芸人」になって最初に「今まで香川になかったようなお笑いライブをたくさんする」と決意したから。それまでも、芸人がショッピングモールなどにやってきてネタをやって帰るということはあったそうだが、梶は「トークであったり、企画コーナーであったり、お笑いの楽しさをもっと知ってもらいたいという思いで、ライブを定期的にやるようにしました」という。

 次々舞い込む地元のレギュラー番組では、スタッフから「笑いをとるより明るく元気にやってほしい」と言われているとか。それは梶の平和的なルックスと『しくじり先生』で全国に知れ渡った人柄の良さをそのまま出せば成立した。 果たして梶は「住みます芸人」になって明らかにたくましくなった。「防災士」の資格を取得し、子供さんや年配の方に防災の講演をしているのを始め、2017年からは冠のついたお祭りを開催しているのである。『かじ祭り』だ。

 スポンサーを自ら探しに行き、出店者にプレゼンをしたり、警察・消防・保健所などへもすべて自分で申請に行ったという梶。香川在住の若者たちから「香川はすることなくて面白くないから、休日は県外に遊びに行く」と聞いてから、「香川で面白いことをやろう」と決めたそう。 ステージでは東京や大阪からやってきた人気芸人のお笑いライブがずっと行われていて、周囲には香川の飲食や工芸品、ワークショップなどのいわゆる“マルシェ”を行っている。 新たな冠イベントとして、10月6日〜12日、「丸亀港チケット売り場の2階」というローカル色溢れるスペースで『KAJI讃岐芸術祭』も開催される。これは香川で芸術に関わる子供たちの作品を集め、「少しでもたくさんの方の目に触れる機会を作りたいと思い、これも自腹で場所を借りて始めます。香川県のこれからの子供たちの可能性を少しでも広げたいなって思って色々やっていけたらいいなって思っています」(梶)。

465NAME:2019/10/05(土) 10:35:34
 私が知る限り、「住みます芸人」の中で、もっとも実績をあげているうえ、いまや「地元の名士」であり「文化人」「プロデューサー」といったほうがいいような梶なのである。 だが、梶にも悩みはあるのだという。「自分が今までやってきたような、お笑いを前面に押し出すような仕事が激減し、自分が『お笑い芸人』だと自信をもって言えなくなっていました」

 そんな梶の芸人魂を再び燃え上がらせたのもNON STYLE石田だったという。 「石田が自分のライブに『出てくれ』と声をかけてくれたんです。そのライブが本当に楽しくて、やっぱり芸人仲間と、芸人らしいお笑いをやっていきたいっていう気持ちに変わりました」という。 元相方のムーディ勝山を香川に呼ぶようになったのも、そんな理由からだろう。

◇闇営業問題のムーディに「一緒の舞台に立ちたい」

 当然、梶は、相方の「闇営業問題」にも心を痛めていた。 「ムーディは、凄く売れて、その後、凄く仕事がなくなって、それから『一発屋芸人』と言われながら、死ぬほど努力をして、またたくさんの仕事をもらえるようになっていました。今回の騒動でたくさんの信用や仕事を失ってしまったかもしれません。でも彼は今回もまたどん底から這い上がってくると思います。今のぼくが芸人をやれているのはムーディのおかげです。だからまた香川でムーディと一緒の舞台に立ちたいなって思っています」

 どこまでも人格者の梶は、さらに続ける。 「香川でぼくを担当してくれた歴代のマネジャーさんたちには心から感謝しています。社員さんという立場もある中、みんなぼくのやりたいことが成功できるように最優先で考えてくれました。この支えがなければ何も結果に繋がっていないと思います」 香川で、現在、テレビ、ラジオ、WEB動画含め、6本のレギュラーを抱える売れっ子の梶。

「『住みます芸人』のNo.1だと胸を張って言えるように日夜頑張っています。他県で凄いなぁと思うのは、滋賀県の(住みます芸人)ファミリーレストランさんです。ずっと2人で月イチライブをやり続けているんです。僕も、目の前のお客さんをもっともっと笑わしていきたいです」 愛され「住みます芸人」、梶つよしは今、間違いなく、香川の大スターだ。

466NAME:2019/11/28(木) 12:06:00
新幹線殺傷初公判 被告、起訴内容認める「殺すつもりだった」 横浜地裁
毎日新聞 2019/11/28 11:33
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/新幹線殺傷初公判-被告、起訴内容認める「殺すつもりだった」-横浜地裁/ar-BBXrkqG

走行中の東海道新幹線の車内で昨年6月、乗客3人が切りつけられて死傷した事件で、殺人罪などに問われた無職、小島一朗被告(23)は28日、横浜地裁小田原支部(佐脇有紀裁判長)の初公判で「殺すつもりでやりました」と述べて起訴内容を認めた。
 公判は裁判員裁判で行われ、来月9日に論告求刑があり、同18日に判決が言い渡される予定。起訴状などによると、小島被告は昨年6月9日午後9時45分ごろ、新横浜―小田原間を走行中の「のぞみ265号」車内で、隣席の20代女性2人をなたで切りつけて負傷させ、助けに入った兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(当時38歳)の首などを切って殺害したとされる。
 小島被告は上下灰色のスエット姿で、「失礼します」と述べて傍聴席を見渡しながら入廷した。検察官が起訴状を読み上げる際も肘掛けに手をかけ、リラックスしたような様子で耳を傾けていた。起訴内容について「確かに通路に倒れている人を殺しきりました」などと述べた。
 捜査関係者への取材によると、小島被告は愛知県内の祖母の家で暮らしたものの、2017年12月に家出してから居場所を明かさず、自転車で長野県内を転々としながら野宿して過ごしていたとみられる。なたは事件直前に長野で購入したといい、逮捕直後は「むしゃくしゃしていた。誰でもいいから殺そうと思った」「刑務所に入りたかった」などと供述したとされる。
 事件の際は女性らを助けようとした梅田さんに馬乗りになり、周囲の説得を聞き入れることもなく、なたで襲い続けたという。新幹線は小田原駅に緊急停車し、駆けつけた神奈川県警小田原署員が取り押さえた。検察側は精神鑑定の結果を踏まえ、刑事責任に問えると判断して起訴していた。事件を受けて、JR東海は新幹線の防犯対策を強化している。【中村紬葵、国本愛】

467NAME:2019/12/12(木) 21:34:57
【末續慎吾の哲学】勝敗を引き受ける覚悟
2019/11/28 08:56
https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin-2020/【末續慎吾の哲学】勝敗を引き受ける覚悟/ar-BBXrj5a

レース前の選手を見ていると、いろいろと感じ取れるものがある。ぎりぎりの勝負をものにできるか、それとも負けてしまうのか。ある程度、その差を理解できるようになってきた。
 今秋、ドーハ世界陸上競技選手権のテレビ中継にアスリートゲストとして呼んでもらい、現地で男子短距離を中心にコメントした。その中で僕が「まずいな」と思ったのは、競技場に入ってきた100メートルの日本選手たちを見たとき、“怖さ”を感じなかったことだ。
 選手たちから勝ちたい思いは伝わってきた。ただ、勝負はそれだけでは足りない。「アドレナリンがあふれ出て怖い」「自分の走りができるか」「負けてしまわないか」-。最初から自分のことを考えるだけでなく、相手という存在も受け止めた上で、恐怖や緊張、孤独を乗り越え、準備してきた者は顔つきが違う。雰囲気は決して柔らかくない。奥底にある野性がにじみ出て、「目」が座ってくる。その部分で日本の若いスプリンターたちには、まだそこまでの葛藤を経た跡がうかがえなかった。僕から見ると「目」が粋がっていた。
 勝負には「勝つ喜び」と「負ける怖さ」が表裏一体として存在する。その両方を引き受けない限り、まず勝てない。そして、真の勝者にも敗者にもなれない。ラグビーワールドカップの表彰式が一つの例だろう。決勝で敗れたイングランドの選手たちは銀メダルを首に掛けるのを拒んだり、すぐに外したりした。これは「負ける」という覚悟がなかった状態だ。もし負けることの恐怖も覚悟し、乗り越えて臨めていたのなら、相手も同じように乗り越えてきたはずだと想像が及ぶ。そうして勝利をつかんだ相手に対しては自然と敬意が湧いたはずである。
 試合までの準備を100%できていれば、いざ勝負の場に立ったときには淡々としていられるものだ。全てをやり尽くした自信に支えられ、現実的な戦いに冷静に没頭できる。だから、レースの全てが鮮明にドラマチックになる。
 時代に逆行しているかもしれないが、究極的にものを言うのは気合と根性だ。機械は持ち得ない、人間だけが備える力。普段は眠っている力だ。僕が2003年パリ世界陸上200メートルで銅メダルを取れたのは、常に葛藤を内に抱え、悩み、自分で決めた練習を完遂できるタイプだったからだと思う。いかに自分自身と競技と深く向き合い、濃密な毎日を積み重ねられるか。SNSで「いいね」を集めて自分を慰めている暇はトップアスリートにはない。
 決して今の選手に気合や根性が足りないと言っているわけではない。気合と根性は数値で示せるものでないし、一歩間違えばパワーハラスメントになってしまう。故になかなか他人に伝えられない。伝えにくいこと、伝えにくい時代だからこそ、逆に「気合」と「根性」について改めて考え直したらいいのではないかと思っている。
(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

468NAME:2020/03/06(金) 17:18:32
元マネジャーが告発した岡本社長の「吉本芸人は出世の道具」発言が物議!
2019年8月13日 18:00
https://asagei.biz/excerpt/6214

8月10日に放送されたラジオ番組「ヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)にて、MCの明石家さんまが、雨上がり決死隊・宮迫博之について語った。以前から噂されていた、宮迫の個人事務所入りが、ほぼ確実になったという。

「さんまは番組で、吉本の騒動について『世間的には落ち着いてきたみたいやけど、ウチら的にはこれからが大変』とコメントし、宮迫について『本決まりでも何でもないんですけど、宮迫がウチに来てくれるということで』と、自身の個人事務所入りが内定したことを明かしました」(芸能記者)

 また、8月11日放送のバラエティ番組「マルコポロリ!」(関西テレビ)では、東野幸治が宮迫と電話で話したことを明かし、宮迫と吉本上層部の間で話し合いがあったと報告。その際、宮迫は「岡本(昭彦)氏はいなかったです」と話したそうで、東野は「(社長ではなく)岡本“氏”なんや」と、その呼び方に、明らかな距離感がある印象を持ったという。

 そんな中、さらに宮迫や吉本の芸人たちが、社長に対し不信感を抱くであろう内容が、8月9日発売の「フライデー」に掲載された。「『フライデー』は今回、過去に吉本興業で働いていたエリートマネジャーのインタビューを掲載しました。彼によると、岡本社長は、食事の席で『芸人というのはな、商売道具のオモチャやから。お前が出世するための道具として使っていったらええんや。ボロ雑巾みたいに使えばいい』と、幹部らと爆笑しながら話していたそう。また、普段からパワハラが酷かったようで、漫画のような大盛りのご飯や肉の食事を強要され、箸が進まなければ、『なんで食われへんねん』と、岡本社長がビンタしてきたとのこと。そういった行為は日常茶飯事で、彼は精神的に追い込まれていったと告白しています」(前出・芸能記者)

 この記事に対し、ネットでは《やはり高圧的な物言いは日常茶飯事だったのか》《契約形態だけでなく内部のパワハラも追及されるべき》などと批判が殺到、物議を醸している。 8月11日放送のバラエティ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)にて、松本人志は「最悪の状態は脱した」と語っていたが、本当にこのまま内部のパワハラ体質も改善されていくのだろうか。

469NAME:2020/03/19(木) 12:08:42
巨万の富を築いた「兜町の風雲児」の最期 家賃4万8千円、焼けたアパートに置かれた花 中江滋樹
2020.3.1 01:00
https://www.sankei.com/affairs/news/200301/afr2003010001-n1.html

かつて「兜町の風雲児」と呼ばれ、昭和のバブル前夜を駆け抜けた中江滋樹氏(66)が2月20日、東京都葛飾区の自宅アパートの火災で、焼け跡から変わり果てた姿で見つかった。希代の相場師としてマネーゲームで隆盛を誇り、投資家から多額の金銭をだまし取った「投資ジャーナル事件」の首謀者として警視庁に逮捕されたことでも知られるが、近年は経済的に困窮、体調にも不安を抱えていたという。(千葉元)

華々しい人脈

 関係者らによると、中江氏は昭和29年1月、滋賀県で生まれた。高校卒業後に名古屋市内で株式情報のリポート販売のアルバイトに就いたことで、投資の世界に入った。その後、京都市で投資コンサルタント業を開業。会社規模を拡大し53年、東京・兜町に「投資ジャーナル」を立ち上げた。

 2割のもうけを10回続ければ元手が2倍になるという「ツーバイツー理論」を掲げ、会員と巨額のカネを集めた。当時の金満ぶりから「体を揺らせば大金が出る」とまでいわれた。 財力にものをいわせた人脈は財界にとどまらず、都心の高級ホテルなどで開かれる豪華なパーティーでの同席者には、田中角栄氏をはじめとする政界人も名を連ねていたという。

 中江氏と交流があったノンフィクション作家の森功さんは「上京後、知り合ったテレビ局の幹部らと赤坂の料亭に入り浸っていた。そうそうたる顔ぶれの人脈は、このときに培った」と振り返る。 人気アイドルとの親密な様子が報道されたことで世間も騒がせたことも。しかし、森さんは「当時、彼が実力の面で魅力的だったのは確かだが、自分を実態より大きく見せようとする人でもあった」とも語る。
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逮捕、死亡説も

 危うさと隣り合わせの過激な手法は裏目に出た。「株を買う資金を担保の10倍まで融資する」とうたって全国の投資家から約584億円を集めるも、資金を返しきれず、60年に警視庁に詐欺容疑で逮捕される。平成元年に詐欺罪で懲役6年の実刑判決を受け、4年に仮出所した後は麻布十番に事務所を構えて仕手戦に舞い戻ったが、かつての勢いは失われていた。

暴力団から得た数十億円の出資金を返せなくなったのを機に、表舞台から姿を消し、一時は死亡説もささやかれた。平成18年、自宅に火をつけようとした疑いで逮捕され、再び存在が明るみに出たが、関係者によると、このときすでに心身の健康に支障をきたしていたとみられる。 都内近郊を転々とし、たどり着いたのが葛飾区のアパートだった。

体調不良続き

 アパートの関係者によると、中江氏が入居したのは24年。投資ジャーナル時代の同僚が「空き部屋はあるか」と大家に相談し、「絶対に迷惑はかけさせない。家賃も払わせる」と約束したため、入居を了承したという。家賃は月4万8000円だった。

 入居の日、タクシーで到着した中江氏。持ち物は衣服だけ。同僚らがじゅうたんやトースターなど、生活に必要なものを提供すると、中江氏は「ありがとうございます」と頭を下げていたという。

 部屋にはひっきりなしに知人が出入りし、「俺の部下だよ。いっぱいいるんだよ」などと話していた。最近は体調が優れず、おむつも着用していたといい、今年の正月ごろには「血圧が190もある」と周囲に訴えていた。

 警視庁亀有署はアパートの出火原因について、たばこの不始末による失火とみている。知人の1人は「たばこは昔からよく吸っていた」と肩を落とす。 火災から数日後、2階にある中江氏の部屋を訪問すると、玄関近くに、誰かが手向けた花束が、そっと置かれていた。

470NAME:2020/03/19(木) 12:41:46
「二千万円借金とホスト黒水着時代」坂本一生が苦難を激白
騒動から27年… 2020年03月19日
https://friday.kodansha.co.jp/article/102484

「’93年に芸能界デビューしてから、トラック運転手、レストラン店長、ホスト、探偵、便利屋など15回以上職業を変えました。飽きっぽいわけではないんですけど。地元・八千代市(千葉県)でパーソナルジムを経営し、20代〜70代までの会員を指導しています」

こう語るのは、タレントの坂本一生(48)だ。坂本といえば、思い返されるのが’93年に芸能界を震撼させた大騒動だろう。当時、織田裕二や吉田栄作とともに“トレンディ御三家”と呼ばれるほど人気を博したのが俳優の加勢大周だ。

しかし、加勢は所属事務所から円満とはいえない形で独立。対抗処置として、事務所は当時まだ見習い俳優だった坂本を「新加勢大周」の名前でデビューさせた。芸能界に誕生した“2人の加勢”――。坂本が騒動を振り返る。

「当時ボクは高校を卒業したばかりで、語学留学のため2年間オーストラリアにいました。加勢さんの名前すら知りません。帰国した時、たまたま成田空港に事務所のマネージャーがいた。彼はボクの顔を見るなり、名刺を渡し『タレントになりませんか』と声をかけてきたんです。

自宅にまで電話が来たので事務所に行くと、見せられたのが加勢さんのビデオ。コカ・コーラのCMや映画『稲村ジェーン』に出演しているのを知り、初めて加勢さんがスゴイ人なんだと認識しました。しかも社長は、『オマエを新加勢大周という名前でデビューさせる!』と言い始める。『ええっ!?』と違和感しかありませんでしたが、まだ20代前半のボクが拒否できるハズもありません」

華奢な体型で、白いTシャツがトレードマークだった加勢大周。一方の新加勢大周は、常に黒いタンクトップ姿でマッチョな肉体を強調した。

「雪の降る中タンクトップ1枚で、腕相撲大会のイベントに参加したこともあります。開催直前までガウンにくるまりブルブル震えているのに、イベントが始まると何食わぬ顔で登場しないといけない。ツラかったなぁ……。

恐怖を感じたのは、加勢さんを侮辱されたファンの怒りですね。都内でロケをしていた時のことです。若い女性がボクに向かって、数十m離れた場所から中身の入ったコカ・コーラの缶を投げつけてきた。『バーカ!』と大声で叫んでね。缶はボクに当たりませんでしたが、足元で『ブシュッ!』と勢いよく泡が弾けたのを覚えています。

また事務所に、異物が放置されていたのには驚きました。何か臭うなと入り口のドアを見ると、置いてあったのはなんと人間の巨大な糞! ファンの恨みの深さを痛感しました」

夜のNHKの報道番組で、トップニュースとして扱われた加勢騒動。結局、日本俳優連合の森繁久彌や二谷英明らが社長を説得し20日後に収束する。新加勢大周という名前を封印し、坂本一生に改名することになったのだ。

「名前が変わっても芸能活動を続けましたが、弱小事務所の悲哀を感じました。大手事務所のタレントは上下関係がしっかりしているので、バラエティ番組でも後輩のボケを先輩が上手くツッコんでくれる。ボクのコメントには、誰も反応してくれません。『こうしたほうがイイよ』と教えてくれる人もいない。

でも、さすがは大御所。明石家さんまさんは他のタレントと同様にツッコミを入れてくれましたし、ポール牧さんは指を鳴らしながらボクに近づき、握った両手を鼻に当て『こうなったらダメだぞ』とアドバイスしてくれました。天狗になったら終わりだぞ、という意味です」

その後も、坂本は波乱万丈の人生を送る。’99年には「プロレスラーから芸能人になった人はいるが、芸能人からプロレスラーになった人間はいない」という、あるプロデューサーの言葉に乗せられ、佐山聡主宰の格闘技団体「掣圏道」に入門。しかし話を持ち込んだプロデューサーが示した条件に佐山が納得せず、デビューは断念せざるをえなかった。

「佐山さんの道場がある北海道・旭川から自宅のある横浜に戻ったんですが、収入を絶たれカネがありません。マンションにも住めない。しばらく車の中で暮らし、ランドマークタワーのトイレで顔を洗う生活です。中古車販売店でのバイトなどでカネを少しずつ溜め、ようやく小さいアパートの部屋を借りられるようになりました」

471NAME:2020/03/19(木) 12:43:24
足場から落下しアゴを骨折

‘05年に芸能活動を再開するも、’09年に当時所属していた大手芸能事務所を退社。そこで再び災難に襲われる。交流のあった男性から、室内ゴルフ場やマッサージ店を経営する会社を立ち上げるから出資してくれと頼まれたのだ。

「ホラ話に乗ったボクがバカでした。そんな簡単に計画が進むハズがありません。男性はボクが投資したカネを持ってトンズラ。音信不通になってしまいます。借金は最大で2000万円にまで膨らみました。もう誰も信用できない……。ウツ状態になり、(自殺の名所として知られる)富士山の麓の青木ヶ原について、ひたすら調べていたこともあります」

借金返済のために、坂本はバイトを転々とする。命の危険にさらされたこともあった。

「鳶職人だった時のことです。作業主任者の国家資格も取得し、マジメに働いていました。しかし、雨の日に高さ数mの足場から落下しアゴを骨折。1ヵ月間、流動食しか食べられない状態でした。

雪かきから同窓会の幹事、スズメバチの駆除と、どんな仕事でも引き受けるという便利屋のオーナーはヒドかったなぁ。テレビの取材を受けるたびに『ヤラセ』のようなことを行っていたんです。例えばゴミ屋敷を片づけるという企画で使われたのは、社員の自宅。マンションの一室にゴミをブチまけるんですが、床は汚れていないからスグに違和感が出ます。その会社でボクは役員を勤めていましたが、さすがに嫌気がさし辞表を提出しました」

紆余曲折の末、’17年6月に八千代市で開設したのがパーソナルジムだ。新型コロナウイルスの影響で最近は新規客が増えていないそうだが、経営は安定しているという。

「高校時代は水泳部で、肉体派タレントとしてデビューする前から培った筋力トレーニングのノウハウがありますからね。いろいろ経験して、来るべきところに落ち着いた感じです。今年開催される東京五輪や健康志向のブームに乗り、なんとかジムも継続できています。

いろいろと失敗もありましたが、しぶとく生きていますよ。身体を鍛えれば、精神もタフになる。逆境にも耐えられるんです。最近はクスリに手を出す芸能人が多いですが、困ったことがあるならウチのジムに来ればいい。クスリよりも、身体を鍛えるプロテインを飲んだほうがよっぽど健康的だし、気持ちも前向きになれますよ」

“加勢騒動”から27年――。15回以上の転職で、セカンドキャリアどころかフィフティーンキャリアの末、坂本はようやく自分にピッタリの職業を見つけたようだ。

472NAME:2020/04/24(金) 01:14:56
義父にできた44歳年下の恋人。次第に化けの皮がはがれて〈長生きしてほしいけれど〉
島内晴美 2020/04/22 12:00
https://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/life/%e7%be%a9%e7%88%b6%e3%81%ab%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%9f44%e6%ad%b3%e5%b9%b4%e4%b8%8b%e3%81%ae%e6%81%8b%e4%ba%ba%e3%80%82%e6%ac%a1%e7%ac%ac%e3%81%ab%e5%8c%96%e3%81%91%e3%81%ae%e7%9a%ae%e3%81%8c%e3%81%af%e3%81%8c%e3%82%8c%e3%81%a6%e9%95%b7%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%bb%e3%81%97%e3%81%84%e3%81%91%e3%82%8c%e3%81%a9/ar-BB130VcK

いつまでも長生きしてほしい。しかし、親が長生きすればするほど、支える側の子どもも年をとるという現実がある。終わりの見えない長期介護のなかで、思いもよらない事態に見舞われた人たちを取材した。ナツミさんは、妻に先立たれた義父に親子ほど年の離れたガールフレンドができ――(取材・文=島内晴美)

* * * * * * *
「ママ、おじいちゃまのマンションに…」

年老いてから妻に先立たれると男は弱いと言われるが、ナツミさん(50歳)の義父(94歳)は例外だった。昔からおしゃれでダンディだったが、独り身になっても社交的で、経済団体のパーティーやコンサートにも顔を出す人気者だった。

「大学生になった私の子どもたちもおじいちゃまが大好きで、一緒に遊びに出かけたりすることもありました。3年前に義母を亡くして寂しいだろうけど、子どもたちも近くにいるので、家族で集まる機会を増やして支えていこうとしていたところでした」

そんなある日、学校帰りに義父の家に寄ったナツミさんの娘が、家に帰るなり「ママ、おじいちゃまのマンションに知らない女の人がいたわよ」と言った。「そうね、お年の割にもてるからね。ガールフレンドができたのかしらね」とほほえましい気持ちで答えたナツミさんだが、これが怒濤の“バトル”の始まりだった。

「その人は当時、私と同い年の44歳で独身。どこかのギャラリーでたまたま出会って意気投合、付き合うことにしたそうで、ほどなく義父のマンションで同居することになったとか。びっくりですよね」

娘である義姉、息子であるナツミさんの夫よりも年下のガールフレンドの登場に、だれもが思考停止に陥った。

「義父もうれしそうだし、子どもがとやかく言う問題でもない。義父が元気で楽しく暮らしてくれれば……と思っていました」

しかしバトルは、まず義父の「彼女が籍を入れてほしいと言うんだよ。遺族年金がほしいんだって」という言葉から始まった。

「信じられない思いでした。私と同い年で“遺族年金”だなんて! そんな発想すらしたことがなかったので、ちょっと不気味でした。結婚となれば、家族としての付き合いもあるし、一度みんなで会わなきゃということになりました」

一同が集まったレストランに現れた彼女は、どこから見ても普通のおばさん。手練手管で老人を籠絡するプロっぽい女性を想像していたナツミさんは、ますます違和感を抱いたという。
とうとう化けの皮がはがれた

「結婚してからの彼女は本領発揮でした。義父の貯金で高級外車を購入、海外旅行に着物の新調。散財しているのはわかったけど、義父が許しているのなら、口は出せませんでしたね」

ナツミさんが許せなかったのは、義母の遺した着物を着たり、ジュエリーをつけたりすること。それでも、マザコン気味の夫や義姉が我慢しているので、自分の出番ではないと口をつぐんでいた。

「そんな私の怒りがついに爆発したのが、義母が生前にかけていた孫たちのための簡易保険を、断りもなく勝手に解約したことです。満期の通知をもらって郵便局に行ったら、入れ違いに解約されていたことが判明。郵便局の人も『委任状があったので』と、恐縮しきりでした」

勇気を奮って彼女に抗議したところ、「主人の言いつけで財産整理をしているのよ」とどこ吹く風。

「とうとう化けの皮がはがれたな、と思いました。普通の感覚の人じゃないと思い知らされましたね」

473NAME:2020/04/24(金) 01:15:23
90歳を過ぎて義父に認知症の気配が表れ始めると、夫と義姉にひっきりなしにサポートを要請してきた。「お父さまが暴言を吐くのよ」「勝手に出ていっちゃう」などと訴え、すぐ駆けつけるよう要求する。ナツミさんにまで、「嫁ならお舅さんの面倒をみるべきでは」と言ってくる。

「義父の入院費用の請求書は義姉に送り付け、夫の職場に頻繁に電話してくる。私たちは我慢の限界でした」

94歳で大往生した義父の葬儀は、夫と義姉が仕切り、後妻を喪主にしなかったことだけが、せめてもの意地。最晩年に義父がもらした「結婚なんかしなきゃよかった。僕が思っていた人と違ったよ」という言葉がむなしいと言うナツミさんだ。

夫、義姉は一切の相続を放棄する代わりに、以後は姻戚関係を遮断することで合意、彼女と縁を切ったという。

***

誰でも親に長生きしてもらいたいと思う。しかしそれには条件がある。親が経済的にも暮らし方においてもほどほどに自立して、仲良く愛情深い関係が保てるならば、という条件が。なんとも手前勝手なようだが、それが本音ではないだろうか。

とはいえ、そんな親子関係はまれかもしれない。しがらみや軋轢の中で、それでも親子という関係を結んでいくのだろう。 ルポ・親が長生きするほど人生設計に綻びが……

【1】義母が脳幹出血で意識不明に。介護費用で老後資金が消えていく
【2】母の遠距離介護を交代で担ってきた兄弟が次々に倒れ…
【3】義父にできた44歳年下の恋人。次第に化けの皮がはがれて

474NAME:2020/08/26(水) 02:35:59
糖尿病男児にインスリン投与させず 最高裁が殺人と認定
朝日新聞社 2020/08/25 18:16
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%b3%96%e5%b0%bf%e7%97%85%e7%94%b7%e5%85%90%e3%81%ab%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%b3%e6%8a%95%e4%b8%8e%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9a-%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81%e3%81%8c%e6%ae%ba%e4%ba%ba%e3%81%a8%e8%aa%8d%e5%ae%9a/ar-BB18lxMv

栃木県で2015年4月、治療と称して1型糖尿病を患う男児(当時7)にインスリンを投与させず衰弱死させたとして、殺人罪に問われた建設業近藤弘治(ひろじ)被告(65)=同県下野(しもつけ)市=の上告審で、最高裁第二小法廷(草野耕一裁判長)は被告側の上告を退けた。24日付の決定で「死の現実的な危険を認識していた」と述べ、死んでもやむを得ないという「未必の殺意」があったと認定した。一、二審判決の懲役14年6カ月が確定する。

 裁判では、母親から相談を受けた被告が男児にインスリンを投与させないようにした行為を殺害と認定できるかが争点だった。

 第二小法廷は、被告は医学に頼らずに「難病を治せる」と標榜(ひょうぼう)し、母親に「インスリンは毒」「従わなければ助からない」としつこく働きかけて投与をやめさせたと指摘。「命を救うには従うしかない」と思い込んだ母親を「道具として利用」し、治療法に半信半疑だった父親も母親を通じて同調させたと指摘し、殺害行為に当たると判断した。

 弁護側は「インスリンを打たないと決めたのは両親で、治療費を受け取った被告が死をやむを得ないと考えるはずがない」と無罪を主張していた。

 一、二審判決によると、被告は14年末に母親の依頼で「治療契約」を結び、インスリンがなければ死に至ると理解しながら15年4月6日を最後に投与させず、同27日に死亡させた。県警は両親を保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検し、宇都宮地検はいずれも不起訴(起訴猶予)としている。(阿部峻介)

475NAME:2020/08/30(日) 20:05:06
離島へ向かって遊泳中の79歳男性死亡…長野では子供助けようとした30代不明
2020年08月29日 21時30分
https://news.nifty.com/article/domestic/other/12213-776016/

好天に恵まれた29日、各地で水の事故が相次いだ。

 静岡県西伊豆町仁科の海岸では、神奈川県厚木市温水、竹内政長さん(79)が浮いているのが見つかり、搬送先の病院で死亡した。下田署の発表によると、親族らと訪れ、離島に泳いで向かっていたという。

 青森県今別町の海岸では、青森市に住む専門学校生佐藤諄弥(じゅんや)さん(19)が溺れ、搬送先の病院で死亡した。外ヶ浜署の発表によると、友人4人と泳いでいたという。

 長野県南箕輪村の大泉所ダム湖では、子供を救助しようとした県内の30歳代男性の行方が分からなくなった。伊那署の発表によると、男性は養護施設の子供たちと一緒にダム湖を訪れていたという。

476NAME:2020/09/01(火) 02:45:15
「私しかいない」消防職員は男に飛び込んだ 福岡刺殺
朝日新聞社
2020/08/31 21:03
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%a7%81%e3%81%97%e3%81%8b%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%84-%e6%b6%88%e9%98%b2%e8%81%b7%e5%93%a1%e3%81%af%e7%94%b7%e3%81%ab%e9%a3%9b%e3%81%b3%e8%be%bc%e3%82%93%e3%81%a0-%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e5%88%ba%e6%ae%ba/ar-BB18ya8E

福岡市中央区の商業施設で女性が殺害され、自称15歳の少年が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された事件。少年は警備員に取り押さえられる前、客として訪れていた女児(6)に馬乗りになっていた。その少年に体当たりして女児を助けたのは、福岡市消防局職員の30代男性。男性は消防局を通し「この状況で少年を取り押さえられるのは私しかいないという思いでとっさに行動した」と答え、緊迫した状況を明らかにした。

 事件があった8月28日、男性職員は非番で、商業施設「MARK IS(マークイズ) 福岡ももち」を買い物のため訪れていた。午後7時半ごろ、買い物客の叫び声と警備員の「逃げて」という声を聞き、少年に気付いた。血が付いた包丁を持って周囲を見渡しながら歩いていたという。「誰か襲いかかる相手を探している」と思い、少年の後をつけて様子をうかがった。

 その後、少年が急に走り出し、女児に馬乗りになった。県警によると、少年はこの時、助けようとした女児の母親(39)や取り囲む警備員に対し、包丁を振り回して威嚇していた。

 男性は女児が刺されると思い、とっさに少年の背後から包丁を持つ右腕を目指して飛び込んだ。自身の右腕で少年が包丁を持つ手をしっかりと握り、同時に左腕で少年の首に手を回した。飛びかかった勢いで、少年が女児から少しでも離れるように、右前方に体ごと倒れ込んで取り押さえたという。女児と男性にけがはなかった。

477NAME:2020/12/11(金) 21:27:07
織田無道さん死去、余命宣告後に語った「死んだらどうなるかわかってる」
週刊女性PRIME [シュージョプライム]
2020/12/11 12:45
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e7%b9%94%e7%94%b0%e7%84%a1%e9%81%93%e3%81%95%e3%82%93%e6%ad%bb%e5%8e%bb%e3%80%81%e4%bd%99%e5%91%bd%e5%ae%a3%e5%91%8a%e5%be%8c%e3%81%ab%e8%aa%9e%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8c%e6%ad%bb%e3%82%93%e3%81%a0%e3%82%89%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%82%8f%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%82%8b%e3%80%8d/ar-BB1bPMDm

90年代にタレントや霊能力者として活躍した、織田無道さんが9日に亡くなった。68歳だった。週刊女性では6月に織田さんのインタビューをしており、がんと向き合い闘病中であること、余命宣告を受けたこと、さらにはテレビのヤラセや、実は「霊能者ではなかった」など、当時の思い出を豪快に話てくれた。

『週刊女性』2020年6月23日号で掲載し、ニュースサイト『週刊女性PRIME』に転載したインタビュー記事を再掲する。織田無道さんのご冥福をお祈りいたします。

  ◆   ◆   ◆  

「一昨年に“ステージ4”で余命1年を宣告されました。でも、まだ生きていますよ(笑)。最近も“7月までもたない”と言われましたが、別の医師からは“免疫性が上がって、回復しています”と。がんは本当にわからないことが多いので、あわてないことです」 末期がんで闘病中だという織田無道だが、血色はよく意気軒昂。ニコニコしているが、時折、見せる鋭い眼差しは“怪僧”と呼ばれたころと変わらない迫力だ。

「織田さんは1990年代に霊能者としてテレビに引っ張りだこでした。当時は宜保愛子さんもいてオカルトブームだったんです。水晶玉を使って霊視をするんですが、酒は飲むし女が好きという破天荒キャラ。神奈川県の円光寺住職で、信長の子孫を名乗っていましたね。2002年に虚偽登記で逮捕され、その後も給与トラブルがあり、テレビから消えました」(テレビ誌ライター)

「お祓いは気合」で住職稼業が一転

 最初から霊能者だったわけではなかったという。「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。司会の宮尾すすむさんが“悪い霊が来てしまったらどうすればいいの?”と聞いてきたのですが、私の宗派にお祓いはないから、“それは気合です”とアニマル浜口さんみたいなことを口走ってしまった(笑)。その場で霊との闘いが始まって、それが全国に放送され、住職ではなくて“除霊をする人間”になってしまった。それから、“ここを除霊してくれ”という依頼がたくさん来たんですよ。私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」

 多いときで週に10本の番組に出演する売れっ子に。「テレビを何百本もやっているとヤラセが出てくる。ある深夜番組で“あの木の下にこういう霊がいることにしましょう”と言われたことがあります。司会者から“織田さん、すごいですね。霊は本当にいるんですね”なんてふられて困りました。当時のテレビはヤラセだらけ。クイズ番組なんかはひどくて、最初から解答が渡されていたんです」 バラエティー番組だからと割り切って出演していたという。バブルの余韻でテレビ業界はイケイケだった。

「1回の制作費が5000万円なんてザラ。海外ロケにも行って大盤振る舞い。ギャラもすごくて、1回で500万〜600万円なんて普通でしたね。アメリカでシカゴのテレビ番組に出たときは1本で2000万もらいました。当時は1000万円もらって、それをひと晩で飲み切るなんてことが当たり前の時代だったんですよ。視聴率さえ取れれば、何でも可能でした」

478NAME:2020/12/11(金) 21:28:22
 金銭感覚がだんだんおかしくなっていく。「視聴率がよくなれば担当プロデューサーにボーナスが出るし、経費も上がる。だから、“今夜もどっと飲みましょう!”なんて言われる。楽しい時代でしたね。1万円札を見ても今の100円と同じ感覚でした。月に億単位の金を稼いでいましたね」

 テレビの黄金期の中で、もっとも輝いて見えたのが石橋貴明だったという。「すごく面白いし、私ら坊主にとっても参考になることがいっぱいありました。禅には『有溝無溝』という言葉があります。構えはあってないのと同じで、最終的には心の闘いが勝敗を決定するものだという意味ですが、まさに石橋さんはその言葉どおりの人。僧侶でも普通の悟りでは到達できない領域です。“お笑いの達人”というレベルを超越した本当にすごい人です」

石橋貴明の凄みと勝新の力

 日本テレビ系の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に出演していて、石橋のアドリブに驚かされた。「霊がとりついている人を呼んでスタジオ収録をしたんです。若い女性で、ミニスカート姿。そうしたら石橋さんが急に“霊がいる!”と、女性のひざを指さしました。カメラがひざのお皿をアップで映すと、人の顔のようにも見えますよね。彼女が出てきた一瞬で、ひらめきが芽生えたんです。いつも、よくそんな発想が出るなと感心していましたね」

 勝新太郎さんも、織田に強い印象を残した。「彼の死後のことです。心霊番組で、夜中にお墓に行きました。カメラが回った瞬間に照明がパッと消えたんです。かわりに静止画を撮ろうとシャッターを切っても、ストロボがつかない。勝新さんの“力”を感じましたよ。勝新さんが納得するスタッフ、カメラマンでないと映させてもらえない。“お前らなんだ勝手に来やがって、玉緒に金を払ったのか?”ということではないでしょうか」

 2002年に逮捕されて有罪判決を受けたことについては、今も納得していない。「まったくくだらない理由です。会ったこともない人間にテレパシーで虚偽登記などの文書偽造を指示したというバカげた判決。取り調べでは“織田よ、認めれば出られるんだよ。早く書類にサインしちゃえよ”と言われました。もっと重要な犯罪があるのに、私がテレビにバンバン出ていたから狙われたんでしょう」 留置所には3か月ほど入っていたが、さほど苦痛ではなかったらしい。

「うなぎでも天丼でも、好きな出前を頼んで食べていました。不自由さはありませんでしたね。留置所から出た後も普通にしていましたよ。別に大した罪でもあるまいし。沢尻エリカだって、堂々と出てくりゃあいいんだよ」

 沢尻は違法薬物所持という重い罪状だが……。

「テレビはもともとデタラメな世界だから、デタラメなやつが出ていいんですよ。きれいごとなんか言っていられない。視聴率を取れなかったら番組がなくなっちゃうんですから、否応でもヤラセをやる。それで視聴率を取れているんだし、バラエティーだからいいじゃんということです。UFOや幽霊なんかはほとんどが合成写真のインチキ。でも、見ているほうが楽しければいいじゃないと思います」

死んだらどうなるわかっている

 相変わらずの怪気炎だが、体調がすぐれないことも。「長く座ったりしていると、脚が冷えて氷のようになってしまいます。すぐに疲れますが、夜にまったく眠れないんですよ。1日に2時間でも3時間でもいいから寝たい。1〜2月は40度以上の高熱が出て、本当にキツかったんです。めまいがひどくて起きられなくなって、いよいよおしまいかなと思っていましたよ。食べ物も限定されて、体重も100キロあったのが、30キロ落ちて、今では70キロ。これからどうなるのかはわからないですね」

 それでも、死に対する不安はない。「私は仕事で葬式もたくさんやっていますし、死んだらどうなるかわかっていますから。人間はわからないことに対して恐怖心を抱くんです。私は坊主なので、自分の真意、本当の自分悟りを示したうえで人生の幕を閉じたいですね。できれば70歳まで生きたい。 “人類のために”とか大それたことを言える立場でもないですが、自分自身の答えを出したいですね」 “怪僧”にとって死は恐れるに足らないものなのだ。

479NAME:2021/05/04(火) 15:39:32
「新横綱になった瞬間から引退を考えていた」 貴乃花が語る横綱のプレッシャーと「土俵脇で雑魚寝」の入門時代(小林信也)
5/2(日) 10:55配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/909b201a65a65decbdf6bea5ec2369fbc7b4d7f7

花田光司は父・貴ノ花が現役だった日々をはっきり覚えている。小学校1、2年生の頃の記憶だ。「子どもながらに、父親の格好よさを感じていました。東京場所だと毎日、悔しがったり安堵したりして帰って来ます。その強弱を見ながら、仏様に手を合わせる感じで相撲中継を見ていました。おこがましいけれど、父と一緒に戦っていました。だから、気持ちの削られ方が半端じゃありませんでした。勝ち負け以上に、無事に帰って来てほしいと祈るような気持ち……」

 横綱引退の日にインタビューして以来、18年ぶりに会った貴乃花は穏やかな表情で、しかし情熱的に語ってくれた。「父も母も『相撲をやれ』とは言いませんでした。師匠は『メシが食える道に行ってくれ』とそれだけです。師匠が引退する時、NHKで放送された『さよなら大関貴ノ花』という番組を見終わった時、私の中に何かが芽生えた気がします」

 父の引退は1981(昭和56)年1月、光司が8歳の時だ。光司はわんぱく相撲を経験し、中学で相撲部に入った。「中学の恩師(武井美男監督)からずっと『光司は大学まで行ってアマチュアで相撲を取れ』と言われていました。プロには絶対行かせないと。なのに中学を卒業する前、なぜか父の引退番組の興奮が覚醒的に出てきたのです」

 燃える思いに目覚め、光司は父母を説得した。「何でそういう気持ちになったのか、未だにわかりません。育ったのが相撲部屋ですから、厳格な世界だと重々わかっていました」 だが、新弟子として暮らし始めた相撲部屋の住み心地は全然違った。「とにかく恐怖でした」

「入った瞬間に、恩師に大反対された意味がわかりました。師匠の方針で、稽古の質と量が角界でも一、二を争うレベル。厳しさは想像を絶していました」 部屋には40人以上の力士がいた。2階の大部屋に入りきらず、序二段以下の力士は1階の土俵脇(土間)で雑魚寝していた。

「その環境に育てられたと思います。土俵の真横で寝てましたから、土の文化が理屈抜きに落とし込まれた。15歳、頭のやわらかい頃に叩き込まれたのがよかったと思います。これだけ厳しい経験をしないとこういう伝統は受け継げないんだろうと感じました」 最近は学生相撲出身力士が増え、幕内上位を占めている。が、横綱に昇進したのは輪島しかいない。その理由の一端はここにあると感じている。


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