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大東亜戦争

271NAME:2018/02/17(土) 01:27:40
チャーチル元英首相、見誤った日本観 マレー作戦を予測→日本軍を過小評価しシンガポール陥落
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%ab%e5%85%83%e8%8b%b1%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%80%81%e8%a6%8b%e8%aa%a4%e3%81%a3%e3%81%9f%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%a6%b3-%e3%83%9e%e3%83%ac%e3%83%bc%e4%bd%9c%e6%88%a6%e3%82%92%e4%ba%88%e6%b8%ac%e2%86%92%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%bb%8d%e3%82%92%e9%81%8e%e5%b0%8f%e8%a9%95%e4%be%a1%e3%81%97%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%ac%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%ab%e9%99%a5%e8%90%bd/ar-BBJbR1e?ocid=iehp#page=2

【ロンドン=岡部伸】日米開戦の発端となった1941年12月8日の真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に日本軍が上陸し、わずか55日間で南下した後、シンガポールを陥落させてから15日で76年を迎えた。当時のチャーチル英首相が、マレー作戦をはじめ日本の軍事作戦を予測する情報がありながら日本軍の実力を過小評価し、「大英帝国史上最大の悲劇であり、大惨事」(チャーチル『第二次大戦回顧録』)を招いたことが、英国立公文書館所蔵の英内閣合同情報小委員会報告書などで示されていた。チャーチルの誤った日本観が英国による植民地支配の終焉の始まりとなったといえそうだ。

 同報告書によると、米ワシントンで日米交渉が佳境に入った1941年11月18日に同小委員会が開催され、「日本の意図」として、「日本政府は英米と戦火を交えるリスクを冒す決断に至っていないが、交渉が決裂すれば、英、米、オランダと戦端を開く進攻作戦を行う判断を迫られる」と日本の軍事作戦を予測した。

 進攻先として、「aタイbマレーc蘭印(オランダ領東インド=現在のインドネシア)dロシア(ソ連)沿海州」を挙げた上で、「日本は対英、おそらく対米開戦の予備的作戦として最初にタイに進駐する。タイ占領後、マレーさらに日本が最も不足している石油を求めて蘭印に進攻するだろう。日本の石油備蓄量は9カ月から12カ月分だからだ」と石油資源獲得目的で英領ボルネオから蘭印に進むと予測。一方、伝統的な敵であるロシア(ソ連)への進攻(北進)に対しては、「圧倒的な優位性がないため、極東ロシア軍が弱体化するまで据え置かれる」と否定した。

 さらに米国側が事実上の最後通告となるハル・ノートを出した2日後の同11月28日に開催した同小委員会では「日本軍が取る可能性のある軍事行動」と題して、「マレーと蘭印作戦を進めるため、タイへの進駐はほぼ確実。ワシントンでの交渉決裂直後に実行されるかもしれない」とタイ進駐が差し迫っていることを予測した。


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