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名古屋社会情報

1名古屋:2012/03/05(月) 04:53:48
気になる記事やニュースで語り合う

812名古屋:2012/03/29(木) 21:54:13
第3章  「大本神諭」に見る世の終わりのシナリオ



 人々の恐怖心が計画的に増幅されつつある

6.地球の生まれ変わり(次元上昇)に大きな影響を及ぼすのが人類の集合意識である。いま地上で生活している多くの人たちが恐怖心に覆われることによって地球の波長が乱れ、次元上昇のための産みの苦しみがますます激しくなることが予測される。

 「世の終わりのシナリオ」の6番目では、人類の集合意識が地球文明の破局にどう関係しているのかということについて検証してまいります。
 「集合意識」というのは、厳密に言うと「集合的無意識」のことですが、この「無意識」という概念はフロイトやユングによって明らかにされたものです。人には自分では認識できない心の働きがあるということで、「無意識」のことを今日では「潜在意識」と呼んでいます。
 そして、自分の潜在意識をコントロールすれば、その運命まで変えることができるといわれているのです。そのあたりのメカニズムは『2012年の黙示録』(たま出版)の中で詳しく述べています。以下にその一部をご紹介します。

■人の意識は人類の集合的無意識とつながっている

 ‥‥この潜在意識のことを、ユングは「無意識」と命名し、「個人的無意識」と「集合的無意識」に分けて説明しています。個人的無意識は個人ごとに違いがあるということです。肉体の特徴や健康面の違いなどは、個人的無意識の違いを反映しているということでしょう。
 その奥にある集合的無意識は人類全体が共有する意識のことで、これも個人はキャッチ(認識)することはできません。
 ここで、顕在意識と潜在意識の関係を理解していただくために、水に浮いた氷山を思い浮かべてみてください。水面よりも上に出ている氷の部分が顕在意識です。これは私たちが認識する(見る)ことができます。そして、水面の下に隠れて見えない部分が潜在意識にあたります。
 この潜在意識のなかでも、水面に近い部分が個人的無意識、それより深いところにあるのが集合的無意識というわけです。そして、この集合的無意識は深い深いところでは一つの塊となって、地球意識や宇宙意識へと繋がっていると想像してください。
 逆に考えると、水中の深いところに一つの巨大な氷の塊があって、そこから氷が枝のように分かれて無数に突き出しており、それぞれの枝の先端部分が水面の上に現れているというイメージです。その一つ一つの突き出した枝の部分が私たち人間ということです。
 私たちは、普段は水面の上に出ている顕在意識しか認識することができませんから、人間は一人ひとり別々のものであると思っています。まさかその心の奥深いところで、氷山のような一つの大きな意識体に繋がっているとは思えないのです。そのため、私たちが考えたことが他の人たちに伝わることなど、考えてもみませんでした。ただ、「人の悪口を言うと必ずその人に伝わる」といった考え方があったのは確かです。そのメカニズムは、この氷山の例でご理解いただけたと思います。
 私たちは毎日心を動かしていますが、その心の動きは波動として潜在意識に蓄積され、さらには人類の集合的無意識の中にも蓄積されていくのです。逆に、集合的無意識の中に蓄積されているさまざまな波動は、人の潜在意識に影響を与え、時には顕在意識の中にも「ひらめき」や「胸騒ぎ」「予感」といった形で伝わってくることがあります。潜在意識の中は物質の束縛のない波動の世界ですから、すべての波動が瞬時に行き交っているということです。月に行ったアポロ飛行士が、「月面では疑問に思ったことに対する答えが瞬時に返ってきた」と語っていたそうですが、これも肉体の束縛が軽くなった結果だと思われます。

813名古屋:2012/03/29(木) 21:55:33
 この地球に住む私たち一人ひとりの潜在意識の集合体が人類の集合的無意識ということになります。意識も波動ですから、集合的無意識の中では、同種の波動同士が引き寄せ合って一定の領域を形成していると考えることができます。
 「歓び」の領域もあれば、「怒り」の領域もあり、「恐怖心」の領域もあることでしょう。私たちは普段の意識の状態(心の波動の状態)に応じた無意識の波動領域とつながりをもっているのです。いわば、一種のチャネリングをしているということです。その時に働くのは「波動共鳴の法則」です。つまり、「類は友を呼ぶ」という法則によって、怒りの気持ちは人類の集合的無意識の中に存在する「怒り」の領域とのつながりを強め、そのパワーを強化し合うことになります。
 個人として見れば、「怒りのエネルギーを貯金する」ということです。その結果、怒りっぽい人の周りには、ますます怒りたくなるような出来事が起こり、そのエネルギーを強化することになります。さらに、そういう怒りっぽい人の想念が「類は友を呼ぶ」形で引き寄せ合って集積されると、波動の共鳴現象によって「怒り」のエネルギーはさらに増幅していくことになります。「怒り」の貯金にどんどん利息がついていくという感じです。
 終末現象の中で最も強化されると考えられるのが、「悲しみ」「恐怖」「怒り」「後悔」といったマイナスの心の波動です。既にその兆候は世界中で顕在化しつつあります。
 我が国でも、マスコミが首都圏や東海地方における大地震の発生をしきりに取り上げていますが、その地域に住んでいる人たちの潜在意識の中には、少しずつ「地震を恐れる気持ち」が蓄積されていると考えられます。「地震を恐怖する波動領域」にエネルギーがマグマのように蓄えられつつあるのです。
 ひところマスコミが盛んに取り上げたマンションの偽装問題も、地震の発生による悲惨な事態を想起させる効果が絶大です。多くの人々に「地震を恐れる気持ち」を抱かせる報道がなされ、ますますエスカレートしつつあるのを感じます。「地震を起こして日本という国を物理的に破壊し、人心を惑乱する」意図を持った勢力が、マスコミを使って恐怖心の増幅を計画的に進めているものと見られます。

814名古屋:2012/03/29(木) 21:56:36
 ロックフェラーの名で国連に送られた恐怖のシナリオ

 2001年9月11日、今日の物質文明の象徴とも言えるアメリカの世界貿易センタービルに、旅客機を装った2機の無線操縦による航空機を突入させた勢力は、人類の「恐怖心」というエネルギーの大量生産に着手したのです。それは、彼ら自身が「終末」の到来を熟知しており、それに備えて、この世界がスムーズに新しい世界へと次元上昇するのを阻止するために、人々が恐怖するような事件を計画的に起こしているものと見られます。
  陰の超国家権力の一角を占めるロックフェラーが、「9・11」事件に触れて国連に寄せた書簡の内容が明らかになっています。

■闇の権力が描く近未来の世界「終末のはじまり」

 闇の権力は傀儡国家――アメリカを軍事大国化させ、世界各地で戦争を起こさせた後、崩壊させようと考えています。その青写真を記した書簡が、2002年3月22日、ロックフェラー家から国連総会に送られました。「新世界のためのアジェンダ」と名づけられたその青写真とは次のようなものです。

 ◇ 中東和平の完璧な、手の施しようのない瓦解。
 ◇ バチカンとエルサレムは、宗教テロリストたちによって破壊される。
 ◇ すべての宗教は世界的規模で崩壊する。すべての宗教は禁止される。
 ◇ 国連は臨時単一政府を樹立する。
 ◇ 新しい単一世界国家の市民が出現する。アメリカ、イギリス、中国の政府は瓦解し、
   その他の世界も無政府、無秩序状態に陥る。
 ◇ 新しい政府機構は14万4千人のエリート官僚と、600万人プラスアルファの役人が
   支配する。
 ◇ 新世界が創出されるにつれて、大量掃討作戦が開始される。その後、経済システム
   は復活し、インフラストラクチャーは再建される。疾病と病気は消滅し、年をとること自
   体がなくなる。一つの新しい復元された人間の家族が徐々に地球をパラダイスの状
   態にする。

  そして、「終末のはじまり」と題された手紙には次のように書かれています。

 「終末の時が近づいている。好むと好まざるとにかかわらず、それはわれわれすべてが直面せざるを得ない運命である。2001年9月11日、世界は終末の目撃者であった。われわれが見たもの、経験したことは、まもなく明るみに出るはずの大災害には比べるべくもないだろう。これまで非常に多くの生命が失われてきたが、それ以上に多くの生命が失われるだろう。今存在している、あるいは古代からある人間の政府は、ひとつも完全な支配は維持できなかった。いかなる政府も失敗してきたし、失敗するだろう‥‥」

 つまり、彼らの言い分では、9・11テロなどは「終末」のほんのプロローグであり、これからもっと悲劇的なことが起こるのだというのです。「そんな馬鹿な」と思う人もあるかも知れませんが、彼らの掲げた新世界秩序の目標は着実に実現しています。それを思えば、「アジェンダ」がまったく荒唐無稽なものとは言えないでしょう。
 最近、闇の権力のシナリオを描いた絵を目にしました。9コマで描かれたその絵には、高層ビルに突っ込む飛行機、煙を上げる五角形の建物(つまり米国防総省)などが描かれています。注意していただきたいのは、これは何年も前に「将来を予想して」描かれた絵であって、9・11はそのずっと後に起こっていることです。他の絵には、暴力で抑圧される群衆、生物化学兵器や核兵器での殺し合いなどが描かれ、最後のコマには「ムダ飯食い」を排除した後と思われる「静かな」世界が描かれています。
 今や世界は I T 社会で、世の中はどんどん便利になっています。しかし、それは、闇の権力が人々を監視するためのシステムであり、家畜化への準備に他なりません。私たちはどこに住んでいるかはもちろん、財産はどのくらいか、いつ誰に電話したか、どこで何を買ったか、どんな犯罪歴があるか、どんな本を借りたか、どんな疾病があるか、等々のデータをすべて把握されています。街中に出ても防犯カメラや、ETC(自動車のノンストップ料金収受システム)に見張られ、何時頃、どこにいたかを監視されています。闇の権力は近い将来、人体にICチップを埋め込んで「家畜化」を本格化させようとしていますが、すでにペットは迷子防止のためチップが埋め込まれ、人間にも痴呆老人の徘徊防止や、幼児の誘拐・迷子防止などを理由に、希望者への埋め込みが始まっています。

815名古屋:2012/03/29(木) 21:57:48
『世界はなぜ、破滅へ向かうのか。』

 この手紙は何者かがロックフェラーの名を語って国連に送りつけたもので、ロックフェラー本人の手紙ではないという説もあります。国連の実質支配者の1人であるロックフェラーにすれば、このような手の込んだことをする必要はないという理由です。しかしながら、ニセ手紙ということが証明されたわけではありません。ロックフェラー自身はこのことに沈黙を守っているからです。
 私は、この手紙こそ世界中にちりばめた“手先”たちに闇の勢力の中枢から送られた計画表だと見ています。“手先”たち一人ひとりに文書を送りつける危険を冒さずに、堂々とこれからの計画を伝えることができるからです。
 ロックフェラー自身の手紙かどうかという問題は別としましても、この計画は何者かの手によって実行に移されていくのではないかと見ています。世界の情勢がこの「アジェンダ」の通りに進行しつつあるからです。いま世界各国が抱える問題は、とても一国の政府で解決できないほど深刻になっています。食糧問題ひとつとってみても、今後は輸出国と輸入国の厳しいせめぎ合いが行なわれることになると予測されます。
 このように、世界には意図的に人類の恐怖心を増幅させようとしている勢力があるということを知っておくことは大変重要です。その上で、これから起こると思われるまざまな終末現象に心を奪われることなく、冷静に「身魂磨き」をしていかなくてはならないと思います。身の回りに起こる出来事は、すべてこの物質世界を卒業するための試練であり試験であると思って、日々の暮らしを前向きに、力強く生きていくことが求められています。

 ここで、「身魂磨き」という言葉を現代風に説明したわかりやすい一文をご紹介しておきましょう。「磨く」ということはすなわち「楽な道へ逃げる」ということでなく、「苦難に耐える」という意味を含んでいるということです。

■逆境に立ち向かう

  「雨風は樹木を強くする」という格言がある。人間も同様だ。逆境にさらされると、人間は強くなる。逆境は永遠には続かない。だが、逆境に屈してしまうと、逆境はいつまでも続く。
  自己啓発の大家ナポレオン・ヒルは「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種子が含まれている」と言っている。恩恵の種子を見つけるのは難しいかもしれないが、すべての試練には必ず解決策が隠されており、多くの場合、その解決策を実行すれば大きな恩恵を受けることができる。
  逆境は日常的なできごとであり、あなたの実力の試金石である。あなたの心の持ち方しだいで、それは障害物にもなれば跳躍台にもなる。こすらなければ宝石を磨くことができないのと同じように、逆境がなければ人格を磨くことはできない。
  逆境とは、未解決のチャンスのことだ。すべての問題には解決策があり、いったん解決すれば、それはもはや問題ではない。小さな挫折は、あなたが遭遇する次の試練にうまく対処する能力を高めてくれる。

816名古屋:2012/03/29(木) 22:00:34
第4章 既に地球の次元上昇は始まっている



 “悪魔”が人類の進化を妨害している

  「世の終わりのシナリオ」の11番目の項目に進む前に、「これから終末の“大峠”までに起こること」についての考え方を整理しておきます。
  「大本神諭」や「日月神示」の中に繰り返し出てくる「立て替え」の内容を、どのように解釈したらよいのかということです。神示の中で「立て替え」は「この物質世界の破壊」、「立て直し」は「次元上昇した新しい世界の建設」という意味で使われていました。
  悪神に導かれて崩壊寸前になっている人類社会を立て直すためには、どうしても大洗濯と大掃除が必要なのです。それは現象的には大規模な自然災害であったり、人類の手による戦争(第3次世界大戦)であったりすると思われます。いずれも、現在の物質文明に執着する人にとっては大変悲惨で悲しい出来事として受けとめられることでしょう。しかしながら、私たち人類が新しいタイプの人間に生まれ変わるためには、そのようなカタストロフィー(破局)を体験し、克服しなければならないのです。聖書や日本の各神示がそのことを教えてくれています。
  たとえば、「大本神諭」や「日月神示」には「身魂さえ磨けておれば、(「いつ地震があるのか」「助かるにはどうすればよいのか」などと)心配しなくてよい」と明確に述べられています。むしろ、そういう「立て替え」現象を恐れる気持ちが、現在の物質文明に執着していることを表しているのです。
  この三次元の物質世界がすべてだと思っている人は、築き上げてきた現在の生活が破壊され、場合によっては肉体生命さえも失うかもしれないとなれば、不安と恐怖心に襲われることでしょう。そんな私たち人間の心の中を見透かしたうえで、異次元の神的存在から終末に必要な心構えなどを伝えるメッセージが届けられているのです。
 ですから私たちは、世界中で既に始まっている「立て替え」的現象におののく前に、そのような異次元からの正しいメッセージにしっかり耳を傾ける必要があるということです。

  ただし、気をつけないといけないのは、異次元にいるのは神様のような高級神霊だけとは限らず、悪魔的存在や、その手下(眷属)となって働いている低級霊もいますので、届けられるメッセージが必ずしも人類を正しく導くものとは限りません。むしろ、最近普通の人にも届けられるようになってきたさまざまな異次元からのメッセージ(霊界通信、宇宙人からの声など)は、そのほとんどが低級霊からのものと思ってよいほどです。
  食べ物(動物性食品)をはじめ生活全般が西洋化されてしまった今日の日本人は、肉体の波動が大変粗くなっていますので、高級神霊の繊細な波動と共鳴するのは難しく、逆に波動の粗い低級霊に憑依されやすくなっているのです。
  自らを神や進化した宇宙人に見せかけて通信してくる存在のほとんどは、悪魔的存在の手先である場合が多いと思われます。その目的は、いま終末を迎えている人類を眩惑することにあるのです。
  なぜ人類を眩惑する必要があるのでしょうか。一口に言えば、この度の次元上昇によって地球と人類の波長が上昇すると、悪魔的波長をもつ存在は新しく生まれる世界に住めなくなってしまうからです。そのことがわかっているために、あの手この手を使って、人類を幻惑し続けているのがよくわかります。

817名古屋:2012/03/29(木) 22:01:26
  新約聖書の「ヨハネの黙示録」(第12章)に、次のような記述があります。

 ‥‥悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろとも投げ落とされた。その時わたしは、大きな声でこう言うのを聞いた、
 「今や、われらの神の救いと力と国と、
 神のキリストの権威とは、現れた。
 (中略)
 天とその中に住む者たちよ、
 大いに喜べ。
 しかし、地と海よ、
 おまえたちはわざわいである。
 悪魔が、自分の時が短いのを知り、
 激しい怒りをもって、
 おまえたちのところに下ってきたからである」。

  普通の日本人は「悪魔」の存在さえ信じない人が大半だと思われます。しかし、世界最大多数の信者を抱えるキリスト教の教典となっている新約聖書には、このように「悪魔」や「サタン」という言葉が随所に出てくるのです。
  異次元には悪意を持った悪魔的存在がいるということを、多くの日本人は夢にも思わないこともあって、今日ではわが国の圧倒的多数の人はその悪魔的存在たちによる幻惑によってすっかり目隠しをされ、間違った方向に導かれつつある――というのが、『大本神諭』や『日月神示』のなかで繰り返し警告されていることなのです。
  その「目隠し」の代表的なものを挙げますと、①マスコミ(特にテレビ)、②宗教、③プロスポーツ――の3つでしょう。特に、テレビで放送されている番組(ニュースも含めて)には非常に邪悪な意図が隠されているのを感じます。また、③プロスポーツはテレビによってその効果をさらに強めています。
  これら以外にも、大きな影響力を持つ媒体として、④テレビゲーム(ネットも含む)、⑤学校教育、⑥ニューミュージック、⑦医療(薬漬け)、⑧食べ物(グルメ志向、動物性食品中心)などがあります。詳しい説明は省きますが、要するに現代文明がまもなく崩壊しようとしていることに気づかせないように、もし気づいてもそれに対して正しい備えをしないように(土壇場で気づいても手遅れなので)、巧妙に人々の関心をそらす仕掛けをしているのがわかります。悪魔的存在も上の方になると大変賢いのです。

818名古屋:2012/03/29(木) 22:02:15
 人類はいまサナギになりつつある

  ここで、「次元上昇」ということについて、次元を1段階ずつ落として考えてみましょう。
  いま平面(二次元)しか移動できない芋虫(=現人類)が、まもなく蝶(=新人類)となって空間(三次元)を飛び回れるようになる時節が来ているのです。芋虫たちは蝶の姿を見ることも想像することもできないため、自分の体がサナギに変身しつつあるこの終末のプロセスでは、「私は死んでしまうのではないか」と錯覚し、恐怖心を抱いています。
  しかしながら、その芋虫を上空(三次元)から眺めている人間(=芋虫から見れば神)には、それは芋虫が蝶になるための極自然な現象ですから、何も恐れる必要がないことがわかっています。
  それでも多くの芋虫は恐れています。不安になっています。なぜなら、いくら上空から「心配しなくても大丈夫だよ」という人間(=神)の声が聞こえても、人間(=神)の姿が見えないため、その言葉を信じることができないのです。平面しか見えない芋虫には、羽化して上空高く飛んでいる蝶の姿は目に入りません。それどころか、抜け殻となった他の芋虫たちの死骸を見て、恐怖心をつのらせることになります。
  ここで、「芋虫」を「人間」に置き換え、次元を1段階上げて考えてみてください。いま私たち人間が直面しつつある終末とは「芋虫から脱皮して蝶になる前のサナギの状態」すなわち「ホモ・サピエンスからの次元上昇の準備段階」ということなのです。芋虫の事例と同じように、私たちが目に見えない上位次元の存在(艮の金神の復活を告げる高級神霊)からのメッセージに耳を傾け、素直にそれを信じるならば、終末の立て替えを恐れて慌てふためく必要はまったくないのです。
  しかも、身魂の磨けている人間は神さまが「つまみ上げ(て助け)る」とまでおっしゃっているのです。それなのに、いま世界中で起こっている「サナギ化」のプロセスを見て、多くの人が不安な気持ちを募らせているのです。その不安を紛らすために、人々は無意識のうちに刹那的な娯楽やスポーツに関心を向けているというのが実態です。「銃口に首を突っ込んでいるのも知らず、世界が笑っている」姿そのものです。
  いかがでしょうか。私たち人類はいま芋虫からサナギになりつつある状態だということを、実感していただけたでしょうか。芋虫がその体に執着するのが愚かであるように、私たちもこの終末における現文明の崩壊現象(立て替え)を恐れる必要はないのです。

819名古屋:2012/03/31(土) 13:11:34
第5章 「終末試験」に合格するための処方箋



 「善は急げ」が身魂磨きの要諦

11.どのような人間(魂)が次元上昇するのかということについては新約聖書や日月神示
   などに述べられている。言葉と食べ物、想念(心の持ち方)などが重要な要素を占め
   るらしい。

  「世の終わりのシナリオ」の11番目の項目です。いよいよ大詰めとなってまいりました。
  「大本神諭」にも「日月神示」にも、“身魂磨き”という言葉が頻繁に出てきます。そして、これから始まるこの世の立て替えにあたっては、十分な身魂磨きができていない人間は助からない(根の国、底の国に落とされる)ということでした。終末の大峠において“光の子”として選ばれ、地球と一緒に次元上昇するためには、大天変地異などが始まるまでにしっかり身魂磨きを済ませておかなければならないということです。
  では、“身魂磨き”とは具体的にどういうことを言うのでしょうか。既に述べてきましたように、「大本神諭」や「日月神示」によれば「口・心・行」すなわち「心と言葉と行ないを誠にすること」とされています。これは仏教の修行で大切なポイントとされる「身・口・意をコントロールする」ことと対応しています。
 ということは、“身魂磨き”にあたっては「私たちの発する言葉」、「心で思うこと」、「行ない」の3つが重要なポイントになるということです。
  私が特に重視している大切なキーワードは「与える(他者の幸せを願う)」「学ぶ(向上心)」「楽しむ(阿呆になって踊りを楽しむ)」の3つです。そのことは、『2012年の黙示録』の「希望編」の中で「波動の法則」として詳しく説明しています。ここでは次の「日月神示」に述べられている“身魂磨き”の内容について考えてみたいと思います。

820名古屋:2012/03/31(土) 13:12:21
人間それぞれのミタマによって役目違うのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何もかもマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
 ミタマ磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。
             ―― 『ひふみ神示』(岡本天明・筆/コスモテン・パブリケーション)

  「ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ」と述べられています。同じ意味の「善は急げ」という諺もよく知られていますが、多くの人はこれが身魂磨きの大切な要諦だとは思っていないことでしょう。ですから、「善いと感じたこと直ちに行なう」のが大切だとわかっても、ほとんどの人は特別な努力もせずに“その日暮らし”をしてしまう可能性が高いと思われます。それにはいくつかの理由が考えられますが、大きく分類すると次の2つではないでしょうか。

(1) 終末の意味を知らない。あるいは今が終末の時代だということを信じていない。

  聖書の教えを生活の基盤としている西欧社会や、コーランの教えを絶対のものとするイスラム社会では、一般の人でも「終末」についてなんらかの認識がなされていると思われますが、聖書やコーランの影響を受けていない日本では、終末思想はほとんど受け入れられないのが実情でしょう。
  特に戦後世代が人口の過半数を占めるようになって、平和な社会しか経験していない今日の日本人は、文字どおりの“平和ボケ”のなかで、国や社会の行く末について真剣に思いをめぐらす人は少なくなっていると思われます。
  それよりも、「株が上がるかどうか」「どうしたら楽にお金を儲けることができるか」「プロ野球はどこが優勝するか」「サッカーのワールドカップで日本はどこの国と対戦するか」「テレビの女子アナは誰と不倫しているか」「ハリーポッターはこのあとどうなっていくのか」といった些末な話題に対する関心の方が強くなりがちです。これはテレビを中心とするマスコミによって、そのように洗脳され続けているためです。
  テレビは視聴率によって広告収入が左右されますから、どうしても視聴者の好む番組を中心に編成します。結果として、「低俗番組の拡大再生産」ということになり、大衆受けをする低俗番組が増え続けていくのです。最近「スポーツ」や「クイズ」「料理」などをテーマとした他愛もない番組がますます増える傾向にあるのには驚かされます。テレビ番組の制作者も視聴者も、いま世界で起こりつつあることの意味とその影響について考えることもなく、あたかも目隠し状態に陥っているかのようです。
 なお、テレビのスポーツ番組、クイズ番組が増えつづけていることには、人類の家畜化をもくろむ勢力の戦略としてみる必要もあります。この点については、また稿を改めて述べていきたいと思います。

821名古屋:2012/03/31(土) 13:13:27

(2) 周りの人がやり始めてからでも間に合うと考えている。(「みんなで渡ればこわくな
   い」といった考えが漠然とある)

  「善いと思ったこと」でも、新たに始めるとなると一大決心が必要です。たとえば、『2012年の黙示録』の中では「禁煙」を例にとって説明しましたが、タバコが健康に良くないとわかっていても、一度飲み始めるとやめるのは大変です。
  いったん禁煙した人がいつの間にか元に戻って、おいしそうにタバコを吹かしている事例はよくある話です。そういう人は決まって「自分は意志が弱いから」と自嘲的に言いますが、一度身につけた習慣を変えることは、それだけ難しいということです。
  最近ではタバコをやめる人(最初から飲まない人)は珍しくありませんので、ここでは「タバコ」の代わりに「お肉」を例にとって考えてみましょう。
  肉食をやめるには周りの人の協力が必要になりますから、タバコをやめること以上に難しいと思います。単に健康上の理由でなく、身魂磨きの観点からそれを実行に移せる人は、おそらく終末の「卒業試験」に合格できる人と言ってもよいでしょう。一般的には、肉食をやめようとすると、その決断を思いとどまらせようとするさまざまな心のささやきが起こります。例えば次のような気持ちの一つか二つは浮かんでくるはずです。

 ① 食べ物と心の問題は関係ない。(だから、やめる必要はない)
 ② いままで食べてきて何も問題なかった。(だから、やめる必要はない)
 ③ 周りの人もみんな食べてる。(だから、自分だけやめる必要はない)
 ④ 肉が健康に悪いとわかってからやめればよい。(だから、いまはやめない)
 ⑤ こんなに美味しいものを食べられるのは幸せだから、別に早死にしてもかまわない。
    (だから、やめない)
 ⑥ たまに食べるくらいなら問題ないだろう。(だから、やめる必要はない)
 ⑦ 少しぐらいは食べても大丈夫だろう。(だから、やめる必要はない)
 ⑧ 野菜と一緒に食べれば問題ないだろう。(だから、やめる必要はない)
 ⑨ 食べ物は好き嫌いなく食べることが大切だから、肉も食べる方がよい。(だから、や
   める必要はない)
 ⑩ 肉を食べないと元気が出ない(栄養が不足する)ような気がする。(だから、やめな
   い方がいい)
 ⑪ 仕事の関係や人とのつきあいでどうしても食べざるを得ない。(だから、やめられな
   い)
 ⑫ 肉を食べないとわかると、人から変に思われる。(だから、やめたくない)
 ⑬ 家族で自分だけ肉を食べないわけにはいかない。(だから、やめられない)
 ⑭ 育ちざかりの子どもには肉を食べさせるほうが経済的だ。(だから、肉はやめられ
   ない)。
 ⑮ 妻が(親が)つくってくれる肉料理だから食べないわけにはいかない。(だから、やめられない)

822名古屋:2012/03/31(土) 13:14:25
‥‥などなど、まだまだたくさんの「やめられない(やめたくない)理由」が人それぞれに思い浮かぶはずです。しかしながら、もし肉が美味しくない食べ物であれば、わりと簡単にやめられるのではないでしょうか。やめられない本当の理由は、肉がおいしい食べ物だからなのです。また、現代の日本人は子供のころからファーストフードや学校の給食などによって肉料理に親しむように“餌付け”されているため、味覚が習慣化してしまっているということもあります。
  最近では「健康の面からは肉は食べない方がよい」という情報も出回るようになりましたが、「肉を食べたら必ず(すぐに)病気になる」ということではありませんから、現在ではほとんどの日本人が、何も心配することなく肉を使った料理を口にしています。「肉を食べない」という人の方が肩身が狭いような社会風潮さえ生まれていると言えるでしょう。
  そういう状況の中では、「健康のために肉食をやめる」という人はあっても、「身魂磨きのため(肉体と魂の波長を高めるため)に肉食をやめる」という人は、ほとんどいないのではないかと思います。
  もし「肉は食べない」と決心しても、それを実行しようとすると、先に挙げたような考えの一つか二つが心に浮かぶはずです。これこそが、「善いと思ったこと」を実行させないようにする「1本の誘惑」なのです。私たちはいつもそのような小さな誘惑を受けていて、ほとんどの場合、その誘惑に負けています。人はもともと誘惑に弱いのです。
  そして、ひとたびこのような誘惑に負ける実績をつくりますと、そこに「心の癖」ができあがり、次からはいろんな局面でそのような誘惑に負ける自分をつくり出すことになります。つまり、「負け癖」がつくということで、私はこれを仏教書の表現を借りて「岩に書いた文字」と呼んでいます。「水に書いた文字」「砂に書いた文字」は簡単に消すことができますが、岩に刻んでしまうとなかなか消せなくなってしまいます。心の習慣も、いつも同じ誘惑に負けていると直すことができなくなってしまうのです。
  終末においては、このように「心の誘惑に負けるか、あるいは打ち克つか」を試す形での「卒業試験」が次々と出題されます。そして、残念ながら、ついつい「1本の誘惑」に負けてしまう人の方が多いのではないかと思われます。そのことを述べた『2012年の黙示録』の一節をご紹介しますのでお目通しください。

823名古屋:2012/03/31(土) 13:15:35

■善いと思うことをすぐ行なうのがミタマ磨き
  「善いと感じたこと直ちに行なうこと」が大切だということです。前に、タバコをやめる場合の「1本の誘惑」という話をいたしましたが、私たちの心の調律で一番難しいのがこの誘惑を振り払うということです。
  誘惑には2種類あって、「〜をしたい」というものと、「〜をしたくない(怠けたい)」というものがあります。しかしながら、一人ひとりの心にささやきかけてくる誘惑の声は、波動がよく似ているのです。

 ① 誰でもやっていることだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やっては
   いけないことをする)
   誰もやっていないことだから、やらなくてもいいだろう。(と自分を許して、やるべきこ
   とをしない)
 ② 今回だけだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やってはいけないこ
   とをする)
   今回はパスして、次からやろう。(と自分を許して、やるべきことをしない)

  タバコやお酒をやめようとか、日記をつけようとか、間食を減らそうとか、自分の成長・進化にとって良いことをしようと思うと、人の心に必ず「1本の誘惑」がやってくるのです。この誘惑に勝てない人は、ミタマ磨きができないことになります。
  贈収賄の罪に問われるような政治家たちも、最初は「誰でもやっていることだから」という軽い気持ちで自分を許していくのです。あるいは「この程度の(小さな)金額だから」という許し方もあるでしょう。それがホコリとなって潜在意識に蓄積されて行き、やがてメグリとして運命に影響を与えていくことになってしまいます。新しい時代、次元上昇した地球では、そのようなメグリがあると生きていけないと言われています。今から、新しいメグリをつくらず、過去のメグリを解消していくために、「善いと思ったことはすぐに行なう」ことを心がけたいものです。
                               ―― 『2012年の黙示録』(たま出版)

  「1本の誘惑」を「悪魔のささやき」と思うか、それとも「神さまのテスト」と受け止めるかは、人のよって違うと思いますが、いずれにしても私たちの心に浮かんでくる「1本の誘惑」はたいへん巧妙です。直接ささやきかけているのは多分悟りの低い背後霊か、または波長の合ってしまった低級霊(動物霊)だろうと思われますが‥‥。

824名古屋:2012/03/31(土) 13:16:46
さて、次々と心の中に湧き起こってくる「1本の誘惑」を振り切って善いことを始めようとしますと、次には必ず邪魔が入ります。「好事魔多し」ということです。私たちが善いと思ったことを実行させないようにする働きとしか思えないようなことが、次々と身の回りに起こり始めるのです。これも「悪魔の嫌がらせ」または「神さまのテスト」と見ることができます。
  例えば、「肉を食べない」という決心をした人には、次のようなことが起こるでしょう。

 ① 家族(親や子供、配偶者)から猛反対される。(あるいは「肉が食べたい」「お肉を
   食べさせて」とせがまれる)
 ② 恋人から、「美味しい肉料理を食べにつれてって」と頼まれる。
 ③ 上司や大事な取引先から「うまい肉をおごってやる」と誘われる。
 ④ 進物で豪華なハムの詰め合わせが届く。
 ⑤ 家の近くに「焼き肉食べ放題」の店が出店する。

  ‥‥などなどです。その他、肉を食べたくなる(食べざるを得ない)ような状況が身の回りで発生し、誘惑の手が強化されてくいきます。人の決心をぐらつかせるような出来事が次々と起こり、そのうちに「ちょっとだけならいいか」と、心のゆるみが起こるのです。その「誘惑」の手口はたいへん巧妙です。
  ここで、もう一度禁煙の話に戻りますが、禁煙した人が再び吸い始めるのは、この巧妙極まる「1本の誘惑」に心を許した結果なのです。
  禁煙にチャレンジした人たちが、1カ月あるいは1年後に、再びタバコを吸い始めるようになる一種のパターンがあります。禁煙が成功したと思える頃になると、「1本ぐらい吸っても大丈夫だよ」と安心させる「心のささやき」が何度も起こるのです。そして、多くの人はその「心のささやき」に負けてしまうのです。
 確かに、1カ月もタバコをやめた人が、途中で1本ぐらい吸ったとしても、翌日からすぐに喫煙癖が復活するわけではありません。それから1カ月ぐらいは無理なく禁煙が続けられるのです。そうやって安心させておいて、またしばらく経つと今度は「2本目の誘惑」がやってきます。このときは、前回成功した経験もありますので「1本ぐらい吸っても‥‥」という安心感はさらに強くなっています。つまり、誘惑に対するガードが甘くなっているということです。こうやって、2本が3本に、そして1箱にと本数が増え、喫煙間隔が短くなっていって、いつの日か元に戻ってしまうのです。あらゆる「1本の誘惑」に、このようなパターンが巧妙に準備されているのです。
 このような物質次元のさまざまな誘惑にうち克つ心を持てるかどうかが、新しい時代行きの切符を手にできるかどうかを判定する基準になるのです。ここに「身魂磨き」の大切な第一歩があると言えるでしょう。繰り返します。「善は急げ」そして「楽な道への誘惑に負けないこと」です。

 この項の結論を整理しますと次のようになります。

825名古屋:2012/03/31(土) 13:17:32

 (1) 「終末試験」は既に始まっている。合格するためには「善いと思ったことをすぐ実行
    するという心の癖をつけること」が大切である。
 (2) 善いと思ったことを実行しようと思うと、まず心の中にそれをやめさせようとする働
    きかけ(「1本の誘惑」)が生まれる。
 (3) 「1本の誘惑」を振り切って実行しようとすると、今度はさまざまな邪魔が入る。
 (4) そのような二重三重の妨害を乗り切ったとき、そのテーマに関する「終末試験」に
    合格したことになり、次の単元へと進むことができる。

  要するに「身魂磨きのためには、この世で身につけた欲望(物質欲、名誉欲、色欲など)から心を自由にすることが大切だ」ということです。「心を自由にする」ことを別な言葉で言うと「誘惑に負けないように精神を鍛える」ということで、そのためには「人生で大切なことは何か」に気づくことがまず必要になります。それが「向上心」ということです。
  そして、大切なことに気づいたら、それを直ちに実行することです。「そのうちやろう」という心の姿勢を持つと、「そのうち」は永遠に来ることはありません。怠惰なままの日々があっという間に過ぎ去って、いざとなって地団駄を踏むことになるでしょう。
  子どもの頃、夏休みが終わって学校が始まる直前に、宿題を一度に片づけようとして頭を抱えた経験はありませんか(私はそうでした)。
  夏休みの宿題は早めにとりかかるにこしたことはないのです。まして、これまでの生まれ変わりの中で解決させずに来た重要な宿題ですから、1つでも多くやり遂げる姿勢が必要なのです。高をくくっていてはいけません。時間のスピードはますます速くなります。
  毎日を「平和で楽しく暮らせればよい」という考えで生きていては、終末の卒業試験に合格することは難しいということを、各神示は伝えてくれているのです。素直に(母親の愛を疑うことのない幼児のような気持ちで)信じることではないでしょうか。信じて身魂磨きをはじめても、何も失うことはないのですから‥‥。

826名古屋:2012/03/31(土) 13:35:21
第1章 NASAと軍部の関係 


 アメリカの科学技術者ウィリアム・L・ブライアンの著書『ムーンゲート』は月の引力に関して驚くべき事実を暴露し、また月面の驚異的発見事をNASAが隠していることをあばいて、ジョージ・アダムスキーの体験記の内容が真実であったことを立証し、世界のUFO研究界に大きなショックを与えた。本号から原書の最初に返って第1章より逐次掲載する。この素晴らしい記事が読者に裨益(ひえき)すれば幸いである。



本書は公式な政府文書、NASA(米航空宇宙局)の写真類と記録映画、ニュース記事、各分野における権威者の書いた多くの書物などによる隠された情報源から引き出されたノンフィクション記事である。本書を書こうというアイデアは、宇宙開発計画の活動や発見物に矛盾を見つけた数名の人の勧告によって生じた。そして隠蔽が行われたことを確証するために、ある証拠の探索もなされた。その結果、多くの証拠が当初の予想をはるかに超えるほど出てきたし、真実の宇宙開発に関して驚くべき結論に達したのである。


▲アポロ11号の発射風景 NASA

科学的見地から当局の隠蔽を確証するために、宇宙開発の多くの面を数学的、開明的に分析してある。本書は素人と科学者の両方のために書かれたもので、巻末に数式を加えておいた。多くのカラー写真と脚注も付けてある。

隠蔽の詳細については絶対的な確実性は打ち出せないけれども、本書の主張するところが真実を裏書きしている点、すなわちアポロ宇宙船による月着陸の一部分が地上のスタジオで行われたことを証拠が示している。月着陸は実際に行われたと思われるが、アポロ宇宙船を取り巻く真の環境や関連した発見物などは大衆の目から注意深く隠されたのである。

NASAと軍部との関係

月に人間を送り込むというNASAの宇宙開発は文官の極秘の仕事と思われていたが、軍部がほとんど完全にそれをコントロールしていたことや、NASAの諸発見は大衆の目から隠されたという証拠が、本書の到る所に出てくるはずである。

ロケットの開発と初期の人工衛星の打ち上げの歴史を本書で再検討し、宇宙開発に関する軍部の関与と、NASAの創設の原因となった出来事を述べることにしよう。ドイツはV2ロケットを開発し、第2次大戦の終わり頃にそれを用いてイギリスを攻撃したが、あまり成功しなかった。アメリカは戦後ドイツのロケット科学者を多数獲得したが、その中にはヴュルナー・フォン・ブラウンがいる。その他、ドイツのロケット関係ハードウェアーのほとんどを押収した。

ソ連もドイツのロケット技術者をうまく獲得し、大変な熱意をもってロケットの技術的な開発をやり、大成功を収めた。戦後の年月は"冷戦"と超大国による核戦争の先ぶれとなり、ついでロケットは高度に洗練されたものに開発されて、数千マイル彼方の戦略目標に核爆弾を運ぶことが可能になったのである。いったいに絶滅の脅威というものは研究開発に莫大を金を使うための最大の刺激になるらしい。ロケットも例外ではなかった。

押収されたドイツのロケット情報の中には、地球の軌道をまわる人工衛星や、戦争が続けばヨーロッパからアメリカに撃ち込むはずの多段ロケットの開発計画なども含まれていた。このことは未来の戦争についての新たな考え方をひき起こし、進歩したロケット技術の開発に刺激を与えたのである。

アメリカは出遅れた

しかしアメリカがロケット研究に真剣に取り組んだのは、1952年に水爆が開発され、さらに1953年にソ連がロケットミサイルの開発に成功したという情報を人手してからである。どうやらこの情報によってアメリカ政府はICBM(大陸間弾道弾)の重要性に関する見解を変えたらしい。1953年にソ連は自らの手で水爆を実験し、1954年にはアメリカの国家安全保障会議によってICBMの開発を優先する政策が承認された。それまでにソ連は大型の原爆を運ぶ巨大をロケットをすでに設計していたのである。それは軽い水爆用としては余分の容積をもっていたので、ソ連の科学者は人工衛星を軌道に乗せるのに使えるだろうと考えたらしい。

827名古屋:2012/03/31(土) 13:36:12
アメリカは1946年に発足した空軍の人工衛星研究で、ソ連の人工衛星のアイデアを予期していた。この米空軍の研究はプロジェクト・ランドと呼ばれるものである。これはダグラス航空機会社が管理したあるコンサルタントグループが職員になっていた。彼らが発表した報告書は『実験段階における世界を回る宇宙船の予備設計』と題するもので、それには技術的可能性にたいする考察、武器としての政治的心理的効果、監視と通信器としての利用法、アメリカの科学技術の優越性のデモンストレーションなどが含まれていた。だがこんなことはすでにドイツ人が考えていたもので、ランド報告やソ連が最初だとはみなされない。実際にはアメリカもソ連も軍備至上の見地からドイツの計画を拡張したにすぎないのだ。

1946年、米海陸航空隊はそれぞれ独自のミサイル研究を開始した。1947年に公刊された第2次プロジェクト・ランド研究報告には、衛星を軌道に乗せる3段ロケットの詳細を内容が述べられていた。そしてサポート技術に関する分野のいくつかを示していた。誘導と飛行のコントロール、軌道姿勢の制御、地上との通信、補助電源などである。基本的に必要であったのは、当時入手できなかったミニコンピューターと太陽エネルギー利用の電力供給設備であった。

1947年に国防長官が大統領の顧問に加えられ、研究開発委員会が国防省のもとにおかれたが、この委員会は軍関係のどの部門が長距離ミサイルを開発するかについて決定を遅らせたのである。1948年には海軍が独自の衛星開発研究を続けたのに、空軍はそれを中止してしまった。

人工衛星の開発が始まる

人工衛星開発計画の最初の声明は、1948年に出された国防長官報告に収めてある。1964年に書かれた『ロケット技術の歴史』で、カーギル・ホールは次のように述べている。

アメリカの衛星開発計画に関するフォレスタル長官の歯切れのわるい初期の声明は、1949年にアメリカの衛星計画に従事して、その秘密を守ろうとしていた人々をびっくり仰天させた。このことがあってからアメリカの衛星計画について公開文書で公言することは中止されたけれども、1954年11月に国防省がきわめて短いコメントを発表し、人工衛星開発計画は続けられていると報告したのである。国防長官チャールズ・ウィルソンが承認したその声明は、彼がアメリカの人工衛星計画を知らなかったと記者会見で発表した後に出されたのである。

国防省は1952年のミサイル計画に10億ドル以上を予算に組んだが、これはそれ以前の5年間にわたる支出の総額にほぼ等しいものであった。この金は主として近距離の地対地ミサイルと対空ミサイルに使われた。しかし陸軍は、当時、陸軍誘導ミサイル開発グループの技術部長であったヴュルナー・フォン・ブラウン博士の指導のもとに、より大型のミサイル開発に着手していたのである。

828名古屋:2012/03/31(土) 13:37:18
1951年にブラウン博士は7000トンの人工衛星ロケットの建設を提案した。だが陸軍は人工衛星に関心がないようなので、アメリカの科学者は人工衛星開発計画を促進するために民間の機関を引き入れようとしていた。1954年から55年にかけて開かれた一連の科学会議に参加したソ連は、ある強力な宇宙開発計画に没頭しているという印象をアメリカの科学者たちに与えた。1955年には、科学観測用の地球周回衛星開発計画が承認されたとホワイトハウスが声明を発したが、どうやら大衆のほとんどは1948年に国防長官フォレスタルがアメリカの人工衛星開発計画を声明したことに全然気づかなかったらしい。

ソ連の人工衛星スプートニク(人類最初の人工衛星)は1957年10月4日に打ち上げられて、それに続いてアメリカのミサイルと衛星開発計画にたいする議会の調査が行われた。もともとスプートニク1号のビックリ成果は1946年のランド計画で予測されていたのだが、米議会も大衆も1957年まではあまり関心を払わなかったのである。これは軍事行動の隠蔽策の典型的なもので、また情報が大衆の耳に届くのがいかに遅いかの典型的見本でもある。

1957年に最初に打ち上げられることになったバンガード計画は鳴物入りで宜伝された(訳注=バンガード計画は1955年9月9日に正式に発表された3段式ロケット。金メッキをほどこしたマグネシウム・アルミニウム合金の科学衛星を近地点320kmの軌道に打ち上げるもの。回を重ねるにしたがって図体が大きくなった)。

ところが具合の悪いことにバンガード2号は1957年12月6日、ケープカナベラルの台座で爆発したのである。しかし1958年1月31日に、アラバマ州ハンツビルでヴュルナー・フォン・ブラウンとそのロケットチームは、ジュピターCロケットを用いてエクスプローラー1号を首尾よく軌道に乗せたのである。

NASAが設立されたけれども
1958年10月1日には、アイゼンハワー大統領の4月2日における議会へのメッセージの結果として、アメリカの宇宙開発活動を調整するために、NASA(米航空宇宙局)が設立された。この事宙開発を拡張するためのさしせまった理由の1つは、大気圏外における軍事力を最大限に利用することにあった。そこでNASAは"民間の"宇宙科学と探査計画を管理することになったのである。

ミサイル開発の立ち遅れを譲合が長期間調査した結果、ソ連に負けずについてゆくことの重大さをやっと知ったのである。だが、どうやらアメリカの国威発揚という点では大気圏外の軍事力よりもむしろ政治屋たちにアピールしたらしい。加うるに政治屋の体質というものは大体に科学的な研究とか宇宙の探査などの理解には役に立たないのだ。したがって、宇宙開発計画の宇宙競争という面が強調されたのだが、これは政治屋が結びつくのに格好の材料であったからである。しかもこれは金のかかる宇宙開発計画に資金を出すのに必要を"はずみ"をつける手段としても役立った。"民間の"宇宙開発計画は実際にはプロジェクトの軍事面を弱くし、同時に軍事応用の技術を開発するためにできたのである。だからNASAのごとき半官半民の組織を維持することによって国の財政援助を受けることができるし、仕事もより以上に有効に達成できるのだ。

829名古屋:2012/03/31(土) 13:37:55
国防省に関しては1961年に書かれた『人類と宇宙−今後の十年間』と題する文書の中で、ラルフ・ラップが次のように述べている。

「国防省は人工衛星の分野に筋のとおった関心をもった。通信と偵察のための飛行をやると思われる執道周回装置にたいする軍部の要求があったのだ……36万ポンドの推力を持つアトラスICBM(大陸間弾道弾)の開発は、もっと重いペイロ−ド(有用荷重)を有するロケットを大気圏外に打ち上げる可能性を国防省に与えたのである。……当然のことながら偵察または"スパイ"衛星開発計画は高度に機密化された。この事実により、民間にも適用されるかもしれないICBMロケットにまつわる軍事機密とともに、緊急のアメリカ宇宙開発計画にたいして複雑な様相が加わることになったのである。」

秘密政策が横行した

全くの平時の民間宇宙開発計画ならば、その仕事の細目すべてが明るみに出されれば最も効果的かつ能率的に遂行されるだろうが、具合の悪いことに宇宙開発科学ですらも2つの正反対の面をもつことになったらしい。

1つは、その新しい宇宙開発機関(NASA)は軍の束縛なしに自由な分野が保てるだろうという点である。ペンタゴン(アメリカ国防総省)は宇宙船やそれを推進するのに必要な巨大なロケットエンジンなどの必要を認めなかった。このことは民間の宇宙開発に幸運な中断をもたらすことになったのだが、たとえ民間があとでそれを開発したにしても、大推力を持つロケットなら軍部が利用することになったことだろう。

NASAの絶頂期から現在までを通じて、軍がそれ自体の人工衛星とミサイルの開発仕事を続けたことは見のがせない重要事である。NASAは相変わらず小さいけれども軍は依然として強大だ。民間側の研究、開発情報、民間自体の秘密計画用として宇宙開発計画を通じて開発したハードウェアーなどを軍は利用し続けているのである。

トップシークレット(極秘)の軍事プロジェクトの実施は他のガラス張り計画で容易にカムフラージュできる。秘密計画に必要なコンポーネンツやパーツなどは、別々なメーカーに1個ずつ注文できるし、替え玉またはおとりのプロジェクトに命令すればよい。パーツは秘密裡に集められるし、メーカーはその製品の目的が何であるかを全然知らない。金のかかるおとり計画は投資名目に利用できるし、同時に高度に洗練された秘密プロジェクト用の技術を発達させることも可能である。月に人間を着陸させようというNASAの宇宙開発計画は、このようなおとりプロジェクトを軍に始めさせることになったのである。

武器の研究開発に関する軍の秘密は長いあいだ存在していた。この完全秘密政策にたいする軍の理論的根拠により、敵にたいして優越性を維持することができたのである。これによる2次的な効果もある。それは軍が何をやっているかということについて大衆が完全に無知な状態におかれるということである。そのために大衆の妨害を受けることなしに、膨大な量のぞっとするような研究が遂行できるのだ。

秘密というものは生き残るのに必要だと考えられている。それで大衆はいつも最新の研究による諸発見や技術の開発の背後に多年おかれているのである。秘密情報が最終的に明るみに出るとき、政府はいつもあわてて弁解するのだ。緊急の防衛により、わが国を保護するために完全な秘密を必要としたのだと。

830名古屋:2012/03/31(土) 13:38:34

軍部に牛耳られたNASA

トップシークレットの研究関係者を沈黙させるには、秘密防止の法律を利用してもよい。もしその法律がおかされるならば、違反者は気違いとみなされて、精神病者の施設に送られるか、刑務所へ入れられて沈黙させられるか、または他のあらゆる説得が駄目ならば、不幸なアクシデントに見舞われることになる。ただし筆者は誰とも秘密協定を結んではいないので全く発言は自由である。もし筆者が、誰でも入手できる、べつに秘密でもない文書の中にすでに示されている事を指摘しているだけなら、政府は無益を推測をしたというかどで筆者をとがめるか、または沈黙させるだろう。反抗的な運動を続けたとしてもべつだん意外なことではない。政府はこの分野で豊かな経験があり、実際には無限の手段もあるし、それを遂行する政府機関もあるのだ。

本書のあとの部分で、軍部がNASAの宇宙開発全体を絶えずコントロールしているという事実を痛ましくも明らかにする予定である。またNASA関係の情報の多くは厳重に秘密にされているということも明らかにされるはずだ。大衆は月面に人間が着陸したということを納得するだけの情報しか与えられなかった。月飛行に関する詳細や発見事の大部分は極秘にされたのである。

宇宙空間の軍事利用の可能性を開発しようとしている人間を分析するのは面白いことだ。こんな人達の中には確かに"大量死"的な考え方を持つのがいる。彼らは生命を破壊するのにより良き方法を求めているのだ。つまり敵の戦略や武器よりもまさる戦略や武器を常に開発しながら、より以上の有効を方法を求めているのである。彼らは技術が利用できるようになったとたんに月の軍事利用を考えるだろう。最後には他の惑星群が軍の前哨基地になるかもしれない。

そしてついには映画『スター・ウォーズ』で見られるようを人工の戦争用ステーションが建設されるだろう。

しかし宇宙に地球人よりもすぐれた知的生命体が存在すれば、軍国主義者たちは場合によっては大気圏外で敵に出会うことになるだろう。このことはすでに発生しているという証拠をあとで示すことにしよう。

この章を終えるにあたって、NASAと軍部は宇宙開発の新発見事を秘密にしたことが示されてきたと強調したい。もし隠蔽が完全にうまくいったというのなら本書は書けなかったであろう。数千の人が多年、宇宙開発ほどの大規模をプロジェクトに関係しているのであるからには、完全な秘密保持はほとんど不可能だろう。加うるに多くの人は根本的に正直なので、沈黙を守れという圧力があっても真実を話したくなるのだ。

第2章では引力に関して1666年にアイザック・ニュートンが定義した基本的を法則をくわしく調べることにする。この引力の法則を惑星に適用すると聞達っているという事実を示すつもりである(したがって宇宙探査機による月探査の最初の試みは予想外の結果を生み出したのである。

831名古屋:2012/03/31(土) 13:41:09
第2章 月探査以前の月の引力 
 
アメリカの科学技術者ウィリアム・L・ブライアンの著書『ムーンゲート』は月の引力に関して驚くべき事実を暴露し、また月面の驚異的発見事をNASAが隠していることをあばいて、ジョージ・アダムスキーの体験記の内容が真実であったことを立証し、世界のUFO研究界に大きなショックを与えた。本号から原書の最初に返って第1章より逐次掲載する。この素晴らしい記事が読者に裨益(ひえき)すれば幸いである。

ニュートンの万有引力の法則とは

従来の科学によれば、月は地球の表面引力の6分の1しかないといわれていた。1666年にアイザック・ニュートン卿が万有引力の法則を公式化したが、それは上の結論を導き出したのである。この有名な法則によると、物体が他の物体に及ぼす引力は、2つの物体の質量の結果にかかっているという。したがって地球のような惑星はある力をもって他の物体を引っ張るのである。またこの法則は、惑星からの距離が大になるにつれて引力は減少するということになっている(訳注=正確に言えば、引力の大きさは2質点(物体)の質量の積に比例し、相互距離の2乗に反比例するという)。つまり宇宙空間において、地球または月から物体が遠ざかれば遠ざかるほど、それに及ぼす引力は弱まるのである。

ニュートンは、光の強さが光源から遠ざかるにしたがって弱まるのと同じぐあしに、地球の表面から引力も弱まってゆくことを発見した。光源から100フィートの位置にくらべて、200フィートの所にある一定の面にたいしてはわずか4分の1の程しか光があたらない。同様に、100フィートの位置にくらべて300フィート離れると、わずかに9分の1だけの量の光があたるにすぎない。この急速を減少は距離の2乗に反比例するという法則に従うからである。次の説明のために第1図を参照されたい。


地球の表面付近では、物体は毎秒32・2フィートの加速度で落下する。したがって1秒経過するごとに物体は毎秒32・2フィートずつスピードが増加する。そして加速を続けるけれども、いつかは空気の抵抗のために一定の速度に達する。

いま地球の表面から1人の観測者が遠ざかって行くとして、3960マイルの高度すなわち地球の中心から2倍の距離にあるとすると、光の例と同じように、地球の引力は4分の1に減少する。この距離になると体重は地球表面の重量の4分の1になるにすぎない。したがって200ポンドの人間はわずか50ポンドになる。しかもその人は地表のそれの4分の1すなわち秒速8フィートで加速されるから、静止点から出発して一定の距離を落ちるのに2倍の時間を要することになる。

地球の中心から半径3倍の距離すなわち表面から7920マイル(図1では3Radiiの位置)の位置まで遠ざかると、地球の引力は地表のそれの9分の1に減少する。200ポンドの人間ならば、わずか22ボンドになる。1秒落下するごとに秒速3・6フィート速くなるだけだ。

月の距離になると、地球が及ぼす引力は地表のそれの3600分の1にすぎないことになる。したがって月は毎秒秒速3600分の32・2フィート速くなって落下するにすぎない。これがもしも27日かそこらで地球の周囲をゆっくりと回らなければ、まもなく地球に撃突するだろう。この軌道すなわち回転が落下を防いでいるのである(訳注=地球を周回する月や人工衛星は、厳密に言えば落下しているのである)。人工衛星は月と同じように地球をまわる軌道に乗っている。しかし人工衛星は通常月よりも地球にうんと近いために、地球の引力はもっと強く働いており、人工衛星も軌道を周回するのにうんと速く進行する必要があるのだ。月は地球のまわりを時速2300マイルで進行するが、地球上空100マイルの位置にある人工衛星は、時速約17500マイルで飛ばねばならない。

832名古屋:2012/03/31(土) 13:42:07
ニュートンの引力の分析は軌道を回る月や地面に落下する物体などの観察によって考え出されたものだが、月のような天体に関して似たような実験が行われるまでは、表面引力の正しい価は決められない。ニュートンは月が他の天体に及ぼす月の引力を予報するのに、月の質量までも決定することはできなかった。その質量は後になって地球のそれの約82分の1と計算されたが、これは地球が地球と月の回転の共通中心部のまわりなどれだけ進行しているかを観測した結果である。こうして導き出された月の質量と地球の予報された質量が、月の表面引力を計算するのに応用されて、その結果地球のそれの6分の1となったのである。月は地球よりもうんと小さな天体なので、それに応じてより小さを表面引力を持っているはずだということは、科学者にとって不合理だとは思えなかったのだ。

平衡点のナゾ

宇宙船が地球を発進して月の引力の優勢範囲内に入ろうとする地点は、判断点(ニュートラル・ポイント)と呼ばれる。そこは地球の引力が月の引力と等しくなる位置である。月は地球よりも小さく、表面引力も小さいと思われてい薄ので、平衡点はかなり月に近い所になるはずだ。


たしかに月は地球の引力の6分の1だと考えられるとすれば、平衡点は地球と月のあいだの距離の約10分の9の位置になると計算される。月までの平均距離は約239000マイルであるから、そうすると平衡点は月の中心から約23900マイルの位置になる。

第2図は平衡点を示す。この平衡点の距離は長いあいだ宇宙飛行関係科学者や技術者によって何度も予告され計算されてきたということを示すために、一連の参考資料を掲げることにしよう。

1965年に善かれた『宇宙飛行の原理』という本で、イギリス惑星間協会のメンバーであるM・バートレットは、次のようを平衡点の計算結果を出した。

「地球(の表面)から346000km、月(の表面)から38000kmの距離において、いわゆる平衡点Nの位置で、地球の引力と月の引力は等しくなる」 

天文学者フランクリン・M・ブランレーが1966年に書いた『月の探険』の中で、平衡点は月から20000マイル、地球からは352000kmと出ている。

1969年にUSニューズ・アンド・ワールド・レポートによって書かれた、『月面のアメリカ』には、またもニュートラルポイントが月の表面から22000マイルと示されている。

833名古屋:2012/03/31(土) 13:44:01
1965年に書かれた『宇宙探険の数学』には、マール・H・アーレントがニュートンの引力の法則を応用し、月の質量を地球の質量の83分の1とあらわして、平衡点を計算した。月から地球までの距離を239000マイルと推定した彼の結論は次のとおりである。

「平衡点は月から23900マイルで、月までの距離のほぼ正確に10分の9の位置である」

別な23800マイル説が、1967年に『天体力学、ロケット、人工衛星、宇宙飛行』と題する著書でジョン・A・アイシールによって出された。彼は月までの距離を238,857マイルというすさまじい数字で表示して、月の質量と地球の割合を81・56とした。

1961年版のコリアー百科大辞典の『宇宙飛行』の項目には次のように述べてある。

「2つの引力の強さが等しくなり、互いに釣り合う位置があるはずで、この位置は月の表面から約23500マイルの所にある」

1960年版のエンサイクロピーディア・ブリタニカには、『惑星間探険』の項目に次のように述べてある。

「地球と月のあいだのいわゆる"平衡点"について。これは地球と月を結ぶ軸上の仮空のステーションであり(月から約19月レイディアイある)、そのむこう側の月の引力は地球のそれよりも強い」

19月レイディアイは月から20520マイルに等しい。

ここで読者にとって明らかになると思われるのは、こうした数値のあいだにはわずかを差が存在するという事実である。これは地球から月までの距離の推測がわずかに異なるのと、地球対月の質量の割合などのためである。この平衡点までの距離がどんなに異なるかを、地球から月までの距離にしたがって分析すると、次に示すような結果になる。各距離は地球の中心から月の中心までが測定されたものとしてある。

■全距離(マイル) ■地球から平衡点まで ■月から平衡点まで

252,710 227,517 25,193

238,885 215,070 23,815

221,463 199,385 22,078

いずれにせよ、平衡点から月の中心までの距離は、22078マイルから25193マイルのあいだになるが、これは月が地球の表面引力の6分の1の引力を持つと仮定してのことである。

真の平衡点は隠されている

これまでにきわめて多数の人や団体などが、さほどの大きな差なしに平衡点距離を述べてきているので、平衡点の位置に関しては疑問の余地はないように見える。技術的な素養のある読者を満足させるために、上に示した平衡点の距離の完全な値は本書の付録Aに掲げてある。

ここで読者は思い出すだろう。右の平衡点の距離はニュートンの万有引力の法則に基づいているということをー。加うるに上の数値を出した人達のほとんどは、平衡点の本当の位置に関する宇宙開発の発見について、たぶん気づいていなかったのだ。以前にも述べたように、月の近辺で落下しているか軌道を周回している物体を観測することによってのみ、実際の平衡点の距離が出せるし、月の本当の引力もきまるのだ。

この(観測による)情報は、1959年にさかのぼる最初の月探査機によってNASAまたはソ連に入手できたであろう。もし月探査機が1969年に先立ってうまく軌道に乗り、着陸していたとすれば、実際の平衡点距離は大衆にわかっているはずである。それが公開されたなら、月の表面引力を計算する正確な方法があることになる。

前に掲げた20000ないし25000マイルの距離よりも大きな平衡点距離の発見網がいまや考えられるだろう。引力というものは地球から遠ざかるにしたがって弱くなってゆくことをすでに説明した。月は地球と同じ状況を示す。したがって、月の表面から1080マイルの位置の月の引力は(月の中心から2レイディアイの距離)、表面引力の4分の1となる。同様にして、月の表面から2160マイル、すなわち3レイディアイの位置では表面引力の9分の1となる。

834名古屋:2012/03/31(土) 13:44:46
この考え方を心中に保つと、もし月の表面からの本当の平衡点距離が25000マイルよりもかなり大であるとすれば、月の表面引力は地球の表面引力の6分の1だという数値よりもはるかに大にならねばならないことになる。このことはニュートンの万有引力の法則は惑星ほどの大きさの天体までも含まないことを意味する。またこれはNASAと軍部が月の引力の本当の性質に関する情報を隠してしまったことをも意味するのだ。宇宙飛行士が月に安全に着陸しようとすれば、たしかにこの平衡点距離は正確に決定されねばならなかったのだ。これは実験によってこそ決定され得るものである。この発見の経緯については次章で述べることにしよう。

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第3章 平衡点の矛盾 

月の引力は地球の1/6ではない!

地球から打ち上げられる月探査機または宇宙船は、地球の引力のために平衡点に達するまでは次第に速度を失ってゆく。しかしそれが平衡点を通過したあとは、月の引力が強くなるので加速し始めて速度は増してくる。そして月を回る軌道に乗るかまたは月面に撃突するには、正確な軌道を持たねばならない。

月の引力の正確な測定と正確な平衡距離を求める必要は、IGY(国際地球観測年)のアメリカ国内委員会の理事長、ヒュー・オディショーによって指摘された。彼は1958年に『大気圏外の科学研究の継続プログラムの基本的目標』と題するレポートをIGYの参加国全部に送ったが、その中で彼は当時の月の質量の測定は、アステロイド帯の運動と地球の極軸の観測に基づいていたと述べたのである。月の質量のせいだとされた不確定性は、0・3パーセントとされたが、これは月ロケットの軌道に大きな影響を与えるほどであった。したがってオディショーは、月に関する初期の実験においてもっと正確に月の質量を決定することが望ましいと述べた。これは月に接近して行くロケットを追跡し、軌道の各点で月の引力を算出すれば達成できることだ。そうすれば月の表面引力を算出できるのである。


役に立たないニュートンの法則

すでに読者はNASAとソ連がたとえ正確な平衡点の位置を知っていたとしても、月ロケットをうまく打ち上げるのがいかに困難であったかがわかるだろう。もし平衡点がニュートンの万有引力の法則から導き出された数値よりもかなりはずれていたとすれば、月探査機をうまく打ち上げようとする試みには一連の失敗がつきまとうことになる。また、予期された月の引力の重大を誤差が発見されれば、再プログラミング、ロケット設計、月探査機設計などに多年を要するだろう。

人々が自分の考えをあらためるのに要する時間も重要である。特にアイザック・ニュートンの引力に関する概念でもってほぼ300年の教育とトレーニングを受けてきたからには、なおさら重要だ。国防省流にみれば、ここで新発見の隠蔽が起こるかもしれないと考えてよい。こうしたことを心にとどめて、平衡点の位置に関する古い考えにそって月ロケットの歴史をたどることにしよう。

月は宇宙探険の最初の標的として選ばれた。地球に最も近い天体であるからだ。ソ連は1959年1月2日にルナ1号と呼ばれる月ロケットをうまく打ち上げた最初の国である。このロケットは月の表面から4660マイル以内を飛んで宇宙空間へ飛んだあとで地球へ情報を送り返した(訳注=ただし月をはずれて5955km離れた位置を通過したが、ルナ2号は月に命中した)。

836名古屋:2012/03/31(土) 13:47:27

一方、アメリカは1958年にパイオニア1、2、3号を打ち上げて、その後、ルナ1号から数カ月後に月面から37300マイル離れた宇宙飛行に成功した。(訳注=1958年8月17日、バイオニア0号の打ち上げに失敗、10月11日のパイオニア1号もだめ、11月8日に打ち上げた2号は550kmまで到達してへたばり、12月6日に打ち上げた3号は第1段エンジンの早期噴射停止のためまたも失敗したが、102,300kmの距離まで飛んだ)。

ルナ2号は1959年9月12日に打ち上げられ、月に命中した最初の月探査機になって、衝突する前に信号を送り返した。

ルナ3号は1959年10月4日に打ち上げられて月の反対側を回り、4372マイル以内に接近した。そして月のむこう側の写真を送り返したのである。ところがどうしたわけかソ連の月探査計画は、ルナ3号月ロケットを打ち上げたあと4年間中止されたのである! 打ち上げられたルナ各号のすべてはレーダーで追跡され、軌道と引力に関するデータが集められた。

以前にも述べたように、月の近辺を飛ぶ物体の軌道により表面引力の計算が可能になるし、かわってこれにより平衡点も計算できるのである。もし新発見事が予期されたことよりもはずれていたならば、未来の月探査を再評価し再計画するのに数年はかかるだろう。もし月の引力が予想以上に強ければ、月面に軟着陸するにはもっとはるかに大型のロケットと莫大な燃料を要するだろう。

ソ連の宇宙開発に関する機密保持ぶりはよく知られている。したがってアメリカはソ連の月探査機で得た情報から利益を受けてはいないかもしれない。

『人類と宇宙−次の10年間」でラルフ・ラップによれば次のとおりだ。

「……ソ連は自国のロケット類に関して厳重な秘密政策をとった。打ち上げの写真1枚も公開したことはない。しかもソ連はデータを科学界に提供するのが遅かった」 

加うるに月をそれること37300マイルを飛んだアメリカのパイオニア4号は、月の引力の本当の性質をNASAの技術者に理解させるほどには月に接近していなかったのかもしれない。いずれにせよ、それに続くレインジャーロケット類は、アメリカが首尾よく月にロケットを打ち込むには多くの難問をかかえていることを示したのである。

最初のレインジャーロケットは着陸の衝撃に耐えるように設計された球体の容器中に地震計を収容していた。だが具合の悪いことに1962年1月26日に打ち上げられたレインジャー3号は、目標を完全にはずれて太陽を回る軌道に乗ってしまった。レインジャー4号は4月23日に月に命中したが、有益な情報を全然送り返さなかった。レインジャー5号は10月18日に打ち上げられたが、月から450マイル離れて通過し、これは8時間以上も追跡された。その後の打ち上げは1964年まで延期され、プログラム全体が再編成されたのである。

地震計を積み込んで月面に半軟着陸するのは困難だというので、5号以後のレインジャーロケットのすべては写真撮影用だけに設計されたというのは重要なことである。この地震計は径30インチのバルサ材の球の中に収納されており、逆噴射ロケットにより時速150マイルに減速して月面に撃突しても大丈夫なように作られていた。これは時速200マイルで花崗岩に撃突しても作動を続けるように設計されていた。月が地球の表面引力の6分の1しかないのならば、おそらく地震計は助かるだろう。しかし月の引力が予想をはるかに越えるならば、ブレーキの役目を果たす大きな逆噴射ロケットがない限り、着陸の成功はおぼつかない。明らかにレインジャー関係の科学者は6分の1という弱い引力が撃突時の速度を低いレベルに下げてくれるものと期待していた。彼らはその後の月ロケットから地震計を除いて、打ち上げをほぼ1年半ばかり延期したので、おそらく月の引力に関して何か新しい事を知ったのだろう。

837名古屋:2012/03/31(土) 13:48:15

ソ連は4年間の沈黙の後、1963年4月2日にルナ4号を打ち上げた。これは月から5300マイル以内を飛んだ。このロケットの目的は全然洩らされず、ただ次のようを短い声明が出されただけであった。

「……コントロールされた実験類や測定類は完遂されている。このロケットとの電波通信はあと2、3日続くだろう」

月の引力に関する詳細なデータを得ようという目的がその打ち上げの背後にあったことはまちがいない。この情報がなければ軟着陸に成功できないのだ。

失敗だらけの打ち上げ

アメリカは1964年1月30日にレインジャー6号を打ち上げたが、飛行中にカメラに偶然にスイッチが入ったとき電気系統が焼けたという(訳注=打ち上げの段階でカメラに高電圧のアークが飛んで、その過程でテレビ装置が破壊された)。そのために写真は送り返されなかった。この危険を排除するように電気系統を設計し直した後、レインジャー7号が7月28日に打ち上げられたが、これはうまくゆき、数千枚の写真を送り返してきた。レインジャー8号は1965年2月17日に打ち上げられ、続いてレインジャー9号が1965年3月21日に発射された。いずれも成功し、レインジャー9号が撮影した写真のなかにはテレビで放映されたのもあった。

一方、ソ連は1964年5月9日にルナ5号の軟着陸を試みたけれどもフルスピードで撃突してしまった。ルナ6号が6月8日に打ち上げられて月を近傍通過し、ルナ7号は逆推進ロケットがあまりに早く作動したらしくて月面に撃突した。ルナ8号は1966年2月3日に月面にうまく着陸した。

アメリカの軟着陸計画はサーベイヤーと呼ばれて1960年に開始された。1962年にはサーベイヤーの重量を300ポンド以上も減らす決定がくだされ、多くの実験が中止された。この理由は計画された打ち上げロケットのアトラス・セントールの第2段にトラブルが発生したというものだった。

1963年度におけるサーベイヤーの予定された打ち上げ日はむなしく過ぎて、準備完了にはほど遠い状態であった。(訳注=1965年度に月へ飛んだ無人宇宙船はソ連のルナ3個だけで、このいずれも失敗した)。プロジェクトのコストは最初の見積もりの10倍にもはね上がり、多くのトラブルによって次々と打ち上げが遅れていった。

議会の調査が行われ、国会科学宇宙飛行委員会はジェット推進研究所、NASA、主要契約会社であるヒューズ航空機会社などの管理実務を非難した。

『我々は月に到着する』の中でジョン・ノーブル・ウィルフォードは、サーベイヤー計画の困難さについて述べている。どうやらジェット推進研究所の職員がこのプロジェクトの困難さを当初過小評価したことを認めたらしい。このプロジェクトは初期に充分な支援が与えられなかったことや、彼らが物事を行う能力を過信していたことを職員は告白している。

1962年10月18日のレインジャー5号の失敗で、地震計パッケージの投棄と半軟着陸の困難による今後のレインジャー打ち上げが重大な遅延に終わったというのは、たぶん偶然の一致ではあるまい。

サーベイヤー計画は当初の予定から28カ月も遅れてしまい、その1号が月に軟着陸したのは1966年6月2日であった。

月探査機を用いて月周回軌道に乗せるアメリカの計画は、1958年8月17日にアトラス・エイブル1号で始まったが、それはあとの2個と同様に月に到達しなかった。

当時、もっと大きな宇宙船を建造しようという決定がくだされ、ロケットとしてアトラス・アジェナDを使用することになった。衛星にブレーキをかけるときに用いられる燃料から成っていると思われるより大きな有用荷重を運ぶには、より大型のロケットが必要だということらしい。このことは探査機が月軌道周回を達成できるように探査機の速度を落とすのに必要なのだろう。

再度言うと、1958年に始まった月軌道に乗せるプロジェクトは、ボーイング社がアメリカのルナー・オービター・プロジェクトの仕事を始めた1964年まで延期されたのである(訳注=ルナー・オービターはソ連のルナ系列とは別物なので要注意)。

838名古屋:2012/03/31(土) 13:48:52

ソ連が進歩していた

ソ連は1966年2月3日にルナ9号をうまく軟着陸させたあと、1966年4月3日にルナ10号を月軌道に乗せることに成功した。軟着陸のときと同様に、軌道に乗せるにはしっかりした逆推進ロケットによるブレーキが必要だったらしい。いずれにせよ両方ともそれぞれ短期間で達成した。

アメリカのルナー・オービター1号は1966年8月14日にうまく月軌道に乗った。この5号は1968年にうまく飛んだあと、1月31日に月に撃突したが、各オービターとも月の99パーセントを上まわる地域を撮影し、月のマスコン(訳注=月面下に部分的に集積した重い物質。月の重力分布の不均衡によるもの)の発見、または月面のある地域の引力の増大などを発見した。このマスコンについてはあとでもっと詳細に述べることにする。

平衡点距離の矛盾

以上、月探査機を分析してみると、アメリカもソ連もおそらく1959年には早くも月の引力の性質について明確な概念を持っていたらしいことがわかるのだ。しかし両国が月の引力をどのように扱うか、そして1966年まで軟着陸などのようにしてやるかについては知っていたことは確かである。この1966年という年は次に述べる月の引力に関する情報を考えてみれば重要である。

読者は月の引力が地球の引力の6分の1とは違うかもしれないという示唆について気のもめる状態であったことだろう。だがこれには正しい数値を出すのに必要を基礎知識を与えることが必要だったのだ。そこで月探査機に続いてさまざまの文筆家や団体が大衆に伝えた平衡点の位置に分析の焦点をあてることにしよう。

究極的にはこの情報源はおそらくNASAだろう。アポロ12号に関して『タイム』誌1969年7月25日号に、次のような平衡点の情報が掲載されたのである。

「月から43495マイルの地点で、月の引力はそのとき200000マイル離れた地球の引力に等しい力を及ぼした」

読者はこの一文に驚くかもしれない。なぜなら第2章で述べた平衡点距離は、月から20000ないし25000マイルであったからだ。『タイム』誌は過ちをおかしたのだろうか。そこでこの数字を確証するために別な情報源をさぐってみることにしよう。

ヴュルナー・フォン・ブラウンとフレデリック・オードウェイ共著の『ロケット工学と宇宙旅行の歴史』の1969年版には、アポロ11号に関して次のような記事が出ている。

「月への接近は非常に正確だったので、19日の午前8時26分(東部時間)に予定されていた中間コースの修正は中止された。月から43495マイルの距離でアポロ11号はいわゆる平衡点を通過したのである。そのむこう側では月の引力場が地球のそれよりも優勢であったのだ。そのために地球から長い道のりに乗って次第にスピードを失っていた宇宙船は、いまや加速し始めたのである」

ロケットの飛行が大変正確だったので、中間コースの修正は必要なかったという点に注目されたい。加うるに、平衡点の距離は43495マイルとされて、先の『タイム』詰に出ていた数字とびったり合っているのだ。

もう1つの立派を情報源は『エンサイクロピーディア・ブリタニカ』である。この団体はオーソドックスの科学者にうけるような情報を一般に出している。したがって平衡点距離に関するこの団体の主張はヴュルナー・フォン・ブラウンと密接に一致しているのだ。アポロ11号に関しては1973年版の『宇宙探険』という項目で次のように述べている。

839名古屋:2012/03/31(土) 13:49:29

「アポロ宇宙船の軌道の型を考えてみると、先に述べた記事が問題になってくる。アポロ11号は118・5マイルの高度で時速17427マイルで飛行しながら地球軌道に乗っていた。この宇宙船が正しい軌道に正確に乗った瞬間にロケットモーターに点火することによって、その速度は時速24200マイルに加速されたのである。この宇宙船が月に向かって64時間にわたる飛行中、地球の引力が船体に作用し続けたため、その速度は月から39000マイルの距離で、地球に関して時速2040マイルに落ちてしまった。この時点で月の引力が地球のそれよりも大きくなり、月の裏側を回るにつれて加速が始まって、時速5225マイルのスピードに達したのである。ロケット推進装置に点火することによって、速度は時速3680マイルに減速され、月を回る長円の軌道に乗った」

ここでも距離は39000マイルとあるが、これはやはり『タイム』託とフォン・ブラウンが出した数字に近い。

ここで読者は思い出すだろう。第2章でエンサイクロピーディア・ブリタニカの1960年版に、平衡点距離は月から19月レイディアイ、すなわち20520マイルと出ていたことを−。この場合、距離の食い違いは同じ書物の版が違うことに起因している。

『我々は月に到着する』の中でウィルフォードは、アポロ宇宙船は月から約38900マイルの位置で月の引力圏内に入ったと述べている。

APのスタッフによって1969年に書かれた『月面の足跡』では、平衡点は次のように述べてある。

「金曜日、すなわち月飛行の3日目、アポロ11号は地球と月のあいだの長い引力の丘の頂上にあった。東部時間の午後1時12分、月に面と向かい合った宇宙船は、月の引力が一段と強くなる地点の里程標を通過した。宇宙飛行士たちは地球から214000マイル、月とのランデヴー地点からわずか38000マイルしかない位置にいて、ハンターがカモをねらうように目標をねらっていた」

読者はすでに38000マイルと43495マイルのあいだのさまざまの数字の矛盾に気づいているだろう。多くの異なる数字はさまざまの精度で与えられているのだが、それでもアポロ以前の計算とは根本的に異なる範囲内にあるのだ。

20000ないし25000マイルというアポロ以前の古くさい距離と、38000ないし43495マイルというアポロ以後の数字のあいだの矛盾に打ち勝つ方法はない。地球から月までの距離が221463マイルと252710マイル間にわたっていろいろあるとし、宇宙船が地球と月のあいだを直線では飛ばないにしても、このことはやはり平衡点距離の矛盾を解決するものではない。

筋の立った結論は次のとおりだ。最新の平衡点情報は、1969年に最初のアポロ月着陸の時に大衆に伝えられたのである。たとえそれが初期の月探査機から1959年代にもさかのぼって決定されたものであるにしてもだ。明らかにこの矛盾は現在まで大衆に指摘されてはいない。今日まで科学界と政府の現状は月の表面引力が6分の1であることをほのめかしているが、これは月から25193マイル以内に平衡点があることを表すものである。したがって平衡点の矛盾とその含みは調査する必要がある。

840名古屋:2012/03/31(土) 13:50:29
月の引力は地球の64パーセント

月の表面引力は標準的を逆2乗則を用いて右に示された新しい数字でもって計算された。地球と月のレイディアイ、平衡点の距離、地球の表面引力などは知られているので、月の表面引力は容易に決定できる。この技術にはニュートンの万有引力の法則に必要を月の質量または地球の質量に関する知識などは必要としない。現在も有力と思われているニュートンの万有引力の法則の唯一の役立つ部分は、引力の逆2乗則である。ゆえに、地球の引力は平衡点で月の引力と等しいのであるから、その逆2乗の法則のおかげで月面の引力がきまるのである。技術的な計算は本書の付録Bに出ている。

その結果はこういうことだ。つまり月の表面引力は地球の表面引力の64パーセントなのである。ニュートンの万有引力の法則によって出された6分の1「すなわち16.7パーセントではないのだ!

43495マイルという数字が、おおやけの情報源によって我々に与えられた平衡点距離の測定された数値であることを読者がちょっと考えてみるならば、当惑するような食い違いが起こってくる。次のとおりだ。

「なぜ専門家は、25000マイル以下だという平衡点距離に関するアポロ以前の主張をすべて無視しながら、しかもこの情報を流して月の引力の6分の1説をとなえ続けるのか?」

さらにもっと情報をつけ加えると、月の引力は地球のそれの64パーセントよりも大であるかもしれないことを示唆している。隠蔽と思われることや、月の引力におけるわずかな変化にたいしても平衡点の距離が変わることなどを考えてみると、NASAは大衆にたいして少な目の数字を流したのかもしれない。平衡点が月から43495マイルだとすれば、月の表面引力は地球のそれの64パーセントとなる。平衡点を8500マイル外へ移動させて月から約52000マイルの位置にすれば、これは月の表面引力を地球のそれと同じ強さに引き上げることになる。

第4章で述べる種々の矛盾には、月のまわりを回る宇宙船の軌道周期や、平衡点から月へ到着する宇宙船によって得られる速度などが含まれている。一般に公表された周期や速度は、月からの43495マイルの平衡点距離を裏付けしていないのだ。それらは古い平衡点距離と月の弱い6分の1引力を裏付けするだけである。したがっておおやけの情報なるものはちぐはぐで矛盾しており、何かが隠されていることを意味するのである。ここで疑問が起こる。をぜ本当の平衡点距離が洩れたのか? NASAの職員の誰かが隠蔽策を妨害しようとしたのか?

841名古屋:2012/03/31(土) 22:18:14
第6章 カルマの清算はどうすればできるのか



 大峠になってからの改心では間に合わん

  「大本神諭」や「日月神示」あるいは天理教の「おふでさき」などの各神示は、これから迎える終末の大峠(たぶん2012年12月)までの間に、人類はそれぞれのカルマの清算を済ましておかなければならないと教えています。
  カルマの清算は、私たちが新しい世界(=ミロクの世=神の国)へと移行(アセンション)するためにやり遂げなければならない宿題ということができます。
  しかしながら、多くの人はそんなことには全く無関心で、毎日の自分の生活をエンジョイすることに心を奪われ、カルマの清算をするどころかますます新しいカルマを“生産”している有様ではないでしょうか。子供のころ、遊びに夢中になっていたために夏休みが終わりに近づいてからあわてて宿題に取り組むことがありましたが、そういうことでは間に合わないと言われているのです。なぜなら、大峠に差し掛かると、個人のカルマはもちろん人類や地球全体のすべてのカルマが一斉に噴き出して、心静かに身魂磨きに取り組めるような平穏な世の中ではなくなるからです。
  そのことを警告するメッセージが「大本神諭」や「日月神示(ひふみ神示)」には繰り返し出てきます。以下にその一部を抜粋してご紹介しますので、しっかり心に留めていただきたいと思います。

 これだけ気をつけて(=警告して)いるのに、聞かずして、我と我が身が苦しみて、どんじり(最後)で改心をいたしてももう遅いぞよ。厭な苦しい根の国、底の国へ落とされるから、そうなりてから地団駄踏みてジリジリ悶えても、「そんなら許してやる」ということはできんから、十分に落ち度のないように、神がいやになりても(=嫌がられても)人民を助けたい一心であるから、何と言われても今に気をつけるぞよ。(大本神諭・大正5年)

 めぐり(罪科償却)の出てくるのは、世界はこれからであるぞよ。高いところへ上がりて偉そうにいたしておりた人民、これからは気の毒なことに変わるぞよ。そこになりてから神に縋(すが)りたとて、聞き済みはないぞよ。(大本神諭・明治35年)

 天地のびっくり箱が開くと、天地が一度に鳴り出して、耳も、目も、鼻も飛んでしまうような、えらい騒ぎになりて、どんな悪の強い身魂でも、学のある守護神でも、ジリジリ悶えいたして、一度に改心をいたすなれど、そうなりてからの改心はもう遅いぞよ。(大本神諭・大正3年)

 「九分九厘になりたら、手のひらを返すぞよ」と申してあるが、そうならんと守護神も人民も改心をいたさんが、恐さ(ゆえ)の改心は真の改心ではないから、間に合わんぞよ。(大本神諭・大正4年)

 大峠が近寄りたから、もう改心の間がないから、もう一度気をつける(=警告する)ぞよ。(大本神諭・大正6年)

 厭なことを目の前にして見せてやらんと承知がいかん浅ましきものであるから、にわかにジリジリ舞わなならんことが出てくるぞよ。そうなりてから走り込んで来て、「どうぞ助けてくれ」と申しても、そんなことにはかかりておれんように忙しくなりて、それどころでないぞよ。(大本神諭・大正6年)

 智慧でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたら神を頼るよりほかに手はなくなるから、そうなりてから「助けてくれ」と申しても間に合わんぞ。(ひふみ神示・下つ巻第16条)

 またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけて(=警告して)おくぞ。さあという時になりてからでは間に合わんぞ。用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

 大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条)

 大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、「助けてくれ」と押し寄せるなれど、その時では間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。皆おのれの心であるからぞ。今のうちに改心(するのが)結構。(ひふみ神示・碧玉の巻)

 真っ只中になりたら、学でも智でも金でもどうにもならんことになるのぢゃ。今は神を見下げて人民が上になっているが、そうなってから神に「助けてくれ」と申しても、時が過ぎているから時の神様がお許しなさらんぞ。(ひふみ神示・ウミの巻第14条)

842名古屋:2012/03/31(土) 22:18:54
  このように、終末の土壇場ともなれば、大天変地異などに遭遇して誰もが神に縋るしかなくなるのです。その時になって、神様に命乞いをするような心の持ち方では、もはや救済することはできないとの警告です。
  終末の大混乱に遭遇して、まず「神頼み」に走るのは、たぶん私たち一人ひとりについている守護神さまでしょう。霊界において「助けてください!」と神さまに泣きつくことになるものと思われますが、その段階で改心しても間に合わないということが、「大本神諭」にも「日月神示」にも繰り返し述べられていました。
  しかも、今回の魂の格付けは「末代のこと」なのです。つまり、未来永劫その状態が続いてしまうということです。今回の終末試験は卒業試験ですから、落第した人(魂)に再試験のチャンスはなく、その居場所が永遠に定まってしまうということです。場合によっては動物や昆虫のような生物と化し、そのまま固定されることになるのかも知れません。私が「高をくくってはいけない」と警告的に申しあげているのはそのためです。この項の最後に、そのことを伝えている神示をご紹介しておきましょう。

 今度役目きまったら、末代続くのざぞ。神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ。悪も末代ぞ。(ひふみ神示・松の巻第10条)

 今度神の帳面から除かれたら、永遠に世に出る事できんのであるから、近欲に目くらんでせっかくのお恵み外すでないぞ。(ひふみ神示・アメの巻第9条)

843名古屋:2012/03/31(土) 22:21:05
第7章 カルマ清算のための身魂磨き実践編



 人生は身・口・意の癖が形になったもの

  善くないカルマを清算するためには日々の身魂磨きがもっとも大切である、と申し上げてきました。この章では具体的な身魂磨きの実践方法をご紹介していきます。
  まず「身魂」という言葉の意味を確認しておきたいと思います。
  「身魂」という言葉の「身」は「この世において形となって現れ、認識できるもの」を意味しています。私たちの言動や心の状態、つまり「身・口・意」のことです。これに対して「魂」は、「普段は認識できない心の中身」ということで、「潜在意識」と言ってもよいでしょう。
  その潜在意識の中に溜まっている過去の善くない身・口・意を一掃することが「カルマの清算」で、そのことを「大本神諭」や「日月神示」では「大掃除」「大洗濯」と表現していました。そして、「身魂磨き」とは「大掃除が終わったあと、再び潜在意識に善くないカルマを溜めないようにするために心の習慣を改めること」を意味しています。
  そのためには、まず自分の身・口・意の癖を知ることが必要です。自分が日常的にどのような気持ちの持ち方をしているか(心の癖)、どのような言葉をよく使っているか(言葉の癖)、どのような行動パターンを持っているか(行動の癖)を知ること、つまり自分の「身・口・意」のパターンを知る必要があるということです。
  しかしながら、自分の「身・口・意」のパターンはなかなかわかりにくいものです。それを教えてくれるのがカルマの法則(原因と結果の法則)なのですが、そのカルマの結果は個々の原因ごとにはっきりわかる形で返ってくるわけではありません。いろいろなカルマの原因が複合的に絡み合い、しかもかなりの時間が経ってから私たちの運命に影響してくるため、その出来事が過去のどの原因の結果なのかということがわかりにくいのです。
  ここに、そのようなカルマの特徴をわかりやすく説明した一文がありますのでご紹介します。以下は『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ・著/講談社)からの抜粋です。この文章を読みますと、原因に対応する結果が必ずしも一つずつセットとなって現れてくるわけではないことがおわかりいただけると思います。

  カルマは何を意味しているというべきだろう? それは、わたしたちが身体で、言葉で、心で行なうことが、すべてそれに応じた結果をもたらすということを意味している。
  「たとえわずかな毒であっても、死をもたらすことがあり、たとえ小さな種であっても、大樹に育つことがある」とは、師たちのあいだで語り伝えられた言葉である。それをブッダはこう言い表す。
  「悪行を、単にそれが些細なものというだけで見過ごしてはいけない。小さな火花ひとつで、山ほどもある積みわらを焼きつくすことができるのだから。ささやかな善行を、それが恵みをもたらすことはあるまいと、見過ごしてはいけない。小さな一滴の水の雫(しずく)も、やがては大きな器を満たすのだから」。
  わたしたちの行為の結果は今はまだ熟していないかもしれない。だが、いつか必ず、ふさわしい時と場所を得て、それは成熟する。普通わたしたちは自分のしたことを忘れる。そしてはるか後になって、その結果がわたしたちに追いついてくる。その頃にはそれを原因と結びつけることはできなくなっている。(中略)
  わたしたちの行為の結果は遅れてやって来る。来世になることもある。そして、その原因をひとつに特定することはできない。なぜなら、どんな出来事も、ともに熟した多くのカルマのきわめて複雑な複合体であるからだ。そのためわたしたちは、物事は「偶然」起こると考え、すべてがうまくいくと、それをただ「幸運」と呼ぶ。(中略)
  ブッダが言ったように、「今のあなたはかつてのあなたであり、未来のあなたは今のあなた」なのだ。パドマサンバヴァはさらに言う。「過去世の自分を知りたければ、今の自分の状態を見ることだ。来世の自分を知りたければ、今の自分の行ないを見ることだ」。

844名古屋:2012/03/31(土) 22:30:51
第7章 カルマ清算のための身魂磨き実践編



 人生は身・口・意の癖が形になったもの

  善くないカルマを清算するためには日々の身魂磨きがもっとも大切である、と申し上げてきました。この章では具体的な身魂磨きの実践方法をご紹介していきます。
  まず「身魂」という言葉の意味を確認しておきたいと思います。
  「身魂」という言葉の「身」は「この世において形となって現れ、認識できるもの」を意味しています。私たちの言動や心の状態、つまり「身・口・意」のことです。これに対して「魂」は、「普段は認識できない心の中身」ということで、「潜在意識」と言ってもよいでしょう。
  その潜在意識の中に溜まっている過去の善くない身・口・意を一掃することが「カルマの清算」で、そのことを「大本神諭」や「日月神示」では「大掃除」「大洗濯」と表現していました。そして、「身魂磨き」とは「大掃除が終わったあと、再び潜在意識に善くないカルマを溜めないようにするために心の習慣を改めること」を意味しています。
  そのためには、まず自分の身・口・意の癖を知ることが必要です。自分が日常的にどのような気持ちの持ち方をしているか(心の癖)、どのような言葉をよく使っているか(言葉の癖)、どのような行動パターンを持っているか(行動の癖)を知ること、つまり自分の「身・口・意」のパターンを知る必要があるということです。
  しかしながら、自分の「身・口・意」のパターンはなかなかわかりにくいものです。それを教えてくれるのがカルマの法則(原因と結果の法則)なのですが、そのカルマの結果は個々の原因ごとにはっきりわかる形で返ってくるわけではありません。いろいろなカルマの原因が複合的に絡み合い、しかもかなりの時間が経ってから私たちの運命に影響してくるため、その出来事が過去のどの原因の結果なのかということがわかりにくいのです。
  ここに、そのようなカルマの特徴をわかりやすく説明した一文がありますのでご紹介します。以下は『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ・著/講談社)からの抜粋です。この文章を読みますと、原因に対応する結果が必ずしも一つずつセットとなって現れてくるわけではないことがおわかりいただけると思います。

845名古屋:2012/03/31(土) 22:31:40

  カルマは何を意味しているというべきだろう? それは、わたしたちが身体で、言葉で、心で行なうことが、すべてそれに応じた結果をもたらすということを意味している。
  「たとえわずかな毒であっても、死をもたらすことがあり、たとえ小さな種であっても、大樹に育つことがある」とは、師たちのあいだで語り伝えられた言葉である。それをブッダはこう言い表す。
  「悪行を、単にそれが些細なものというだけで見過ごしてはいけない。小さな火花ひとつで、山ほどもある積みわらを焼きつくすことができるのだから。ささやかな善行を、それが恵みをもたらすことはあるまいと、見過ごしてはいけない。小さな一滴の水の雫(しずく)も、やがては大きな器を満たすのだから」。
  わたしたちの行為の結果は今はまだ熟していないかもしれない。だが、いつか必ず、ふさわしい時と場所を得て、それは成熟する。普通わたしたちは自分のしたことを忘れる。そしてはるか後になって、その結果がわたしたちに追いついてくる。その頃にはそれを原因と結びつけることはできなくなっている。(中略)
  わたしたちの行為の結果は遅れてやって来る。来世になることもある。そして、その原因をひとつに特定することはできない。なぜなら、どんな出来事も、ともに熟した多くのカルマのきわめて複雑な複合体であるからだ。そのためわたしたちは、物事は「偶然」起こると考え、すべてがうまくいくと、それをただ「幸運」と呼ぶ。(中略)
  ブッダが言ったように、「今のあなたはかつてのあなたであり、未来のあなたは今のあなた」なのだ。パドマサンバヴァはさらに言う。「過去世の自分を知りたければ、今の自分の状態を見ることだ。来世の自分を知りたければ、今の自分の行ないを見ることだ」。
  つまり、来世でどのような誕生を迎えるかは、現世における自分の行為の質によって決まるということである。ただし、行為がどのような結果をもたらすかは、ひとえにその行為の裏にある意志や動機によるのであって、行為の大小によるのではない。

846名古屋:2012/03/31(土) 22:32:27
  ここで、この文章の内容に沿って「カルマの法則」のポイントを次の6項目に整理してみました。

(1) カルマは私たちの行為、言葉、思念の結果として現れる。
(2) カルマの原因が小さなものであっても、やがて大きく育っていく。
(3) 育ったカルマは相応しいタイミングで、人生に結果をもたらす。(その結果は、生まれ
   変わった次の人生の中に現れることもある)
(4) 結果が現れるまでに一定の時間が経過するため、人はその結果がどの原因による
   ものかがわからなくなっている。
(5) 人生で遭遇する出来事は過去のカルマの複雑な複合体なので、原因をひとつに特
   定することは難しい。
(6) カルマの大きさを左右するのは行為の大小ではなく、行為の裏にある意志や動機で
   ある。

 まず、(1)の「カルマは私たちの行為、言葉、思念の結果として現れる」ということですが、カルマは善いカルマも善くないカルマもすべて私たちの「身・口・意」の結果として現れるということです。仏教で教える「因果応報の理」がまさにそのことを述べています。「善因善果」「悪因悪果」ということで、「身・口・意」によって作られた「因(原因)」は、必ず「果(結果)」となって人の運命に影響を及ぼし、その人生を形作っていくことになるということです。
 ですから、人の輪廻転生が終わると言われているこの終末の時代においては、過去(または過去生)の善くないカルマを一掃し、またそのあとで新たに善くないカルマを作らないために、行為、言葉、思念を正しくコントロールする習慣を身につける必要があるということです。これが「身魂磨き」の目的と言えます。
 つまり「過去の善くないカルマを清算すること」「再び善くないカルマを作らないように身・口・意をコントロールすること」の2つが大切だということです。

 (2)の「カルマの原因が小さなものであっても、やがて大きく育っていく」と同じ意味のことが新約聖書にもイエスの言葉として次のように表現されています。

 「天の国(The Kingdom of heaven) は、一粒のからし種のようなものです。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいのに、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に巣を作るほどの木になります」。またほかの譬を彼らに語られた。「天の国は、パン種のようなものです。女の人がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんできます」。(マタイによる福音書)

847名古屋:2012/03/31(土) 22:33:11
  この世で作った心の癖は、この世とは次元の異なる神の国や霊界においては、その何十倍、何百倍にも膨らんでしまうということです。そのことを、先ほどの文章の中で仏陀も、「悪行を、単にそれが些細なものというだけで見過ごしてはいけない。小さな火花ひとつで、山ほどもある積みわらを焼きつくすことができるのだから。ささやかな善行を、それが恵みをもたらすことはあるまいと、見過ごしてはいけない。小さな一滴の水の雫(しずく)も、やがては大きな器を満たすのだから」と述べていました。これと同じことは、霊界行脚をしてきた超能力者として知られるスウェーデンボルグも語っています。
  結論としまして、神の国や霊界などの異次元においては、私たちが「身・口・意」によって作った「原因」に対して、「結果」が大きく拡大され、しかも瞬時に返ってくるということです。つまり、あの世では善くない原因の見返りは大変激烈なものになると覚悟しておく必要があります。この世で言う「人を呪わば穴ふたつ」とよく似た現象が瞬時に起こるということですから、そういう意味では、この世で身・口・意のコントロールができない人が神の国に行けないのは、むしろ神の慈悲心の表れと言えるかも知れません。

  (3)の「育ったカルマは相応しいタイミングで、人生に結果をもたらす」という場合の「タイミング」のことを、仏教では「縁」と表現しています。「因縁」という言葉もありますが、カルマ(因)はタイミング(縁)を得て結果(果)をもたらすのです。多くの場合、私たちが人生で出会う人がそのタイミングを作ってくれます。

  (4)と(5)は既に述べてきた通りです。この世では、カルマの結果が現れるまでに時間がかかるため、それが現れたときには原因となる自分の身・口・意について忘れてしまっているということです。しかも、カルマはさまざまな原因の複合体として結果を生み出していますので、一つの原因が一つの結果とストレートにつながっているようには見えないのです。
  つまり、人を殴ったら必ず自分が逆の立場で殴り返されることを体験するわけではないということです。「殴る」という心の働きがカルマとなって潜在意識に記録され、それが大きく育つことによって、あるとき地震で家具が倒れてきて頭を直撃する、といった形でカルマが完結するということもあるでしょう。また、職場の上司に不満を持っていていつも心の中で反発している人が、ある日、車を運転して交差点で停車しているところに、後方から他の車に追突される、といった形で「衝突」という心の働きが現象化するケースも考えられます。
  この人の場合、自分が車に衝突されたのは単なる偶然で、単に運が悪かったためだと考えるのが普通でしょう。まさか自分が普段から職場の上司に対して抱いている「衝突する気持ち」が、潜在意識の中で大きく育ち、それが車の衝突という形で実を結んだとは理解できないはずです。

848名古屋:2012/03/31(土) 22:34:17

  さて、カルマの法則でもっとも留意しないといけないのは、(6)の「カルマの大きさを左右するのは行為の大小ではなく、行為の裏にある意志や動機である」という内容です。私たちがどういう意図をもってその行為をなしたか、ということが結果を生み出すということです。もちろん、善くない意図を持たずに、知らずに行なったことに対しても、結果はかならず現れますが、それほど大きな見返りとはならないということです。逆に、小さな行為であっても、その裏に邪悪な意図が隠れていれば、結果は甚大な形で返ってくることになります。
  たとえば、他人にイタズラで石を投げたのが頭に当たって怪我をさせた場合、傷つける意図はなかったとしても結果として他人にキズを負わせたという行為のカルマは必ず返ってきます。それは、まず「大変なことをしてしまった。ごめんなさい」という反省させられる形で結果が現れます。あるいは、怪我をした本人から面罵されたり、周りの人たちから冷たい非難の目で見られるという形でカルマの結果を受け取ることになるでしょう。そこで、その人は「イタズラでも人に石を投げたりしてはいけない」という気づきを得ることになり、以後はそのような軽率な行動を慎むことになります。そのことによってカルマは完結することになるのです。
  しかしながら、もしその人を大けがさせたいという悪意を持って石を投げたのであれば、結果としてその石が相手の人に当たらなかったとしても、「人を傷つけたい」という悪意は潜在意識に植え込まれて、さらに大きく育っていくことになります。やがてさらに大きな事件の当事者として、犯罪を犯し、法律の裁きを受けて社会的に厳しい立場に置かれるという結果をまねくことにもなるのです。カルマの法則は「人に気づきを与える」という目的で働くようになっているからです。自分の身・口・意の結果を知ることによって、その身・口・意の内容を改めることになれば、善くないカルマは解消され、その結果として、運命が好転していくことにもなるということです。

  最後に、そのあたりのカルマのメカニズムをうまく表現した 『魂との対話』(ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版)の中の一文をご紹介して、この項を終わりたいと思います。ズーカフはこの文章の中で「意志と動機」のことを「意図」と表現していますが、同じ意味にとらえてよいでしょう。

■あなたは永遠に責任から逃れられない
  あらゆる行動、思考、フィーリングが、意図によって動機づけられている。意図は、何らかの結果と一体となって存在する原因である。もし私たちが何らかの原因にかかわったとしたら、私たちがその結果とかかわらないことは不可能である。このようにきわめて深いレベルで、私たちは、自分のすべての行動、思考、フィーリングに関する責任を負わせられている。
  私たちは、自分の意図の果実のすべてを、みずから食べなくてはならないのである。よって、自分のさまざまな意図を認識するとともに、どの意図がどんな結果をつくり出すかを整理し、自分がつくり出したい結果につながる意図を選択することは賢いことである。(中略)
  他人を嫌悪する人間は、他人からの嫌悪を体験することになる。他人を愛する人間は、他人からの愛を体験することになる。キリストが「山上の説教」のなかで行なった、「自分がしてもらいたいと思うことを、人にしてあげなさい」という教えは、カルマの力学にもとづいた行動指針である。個別化されたカルマの法則は、「あなたは自分が世界に与えたものを、世界から受け取ることになる」といったところだろう。
  カルマは道徳的な力学ではない。道徳は人間が創造したものである。宇宙はけっして裁かない。カルマの法則は、私たちの道徳システムの内のエネルギーバランスをふくむ、あらゆるエネルギー・バランスを支配している。(中略)
  結果をまだ生み出していない原因のすべてが、まだ完結していない出来事である。それはアンバランスなエネルギー状態にあり、バランスがとれる状態に向かう過程にある。そしてそのバランスは、必ずしもひとつの生涯のなかでとられるとはかぎらない。

849名古屋:2012/04/01(日) 13:46:17
自分と家族さえ良ければそれでいい。哀しい事実、現実やね。

汚染が着実に拡大している事実を無視する政府・マスコミ・御用学者


ガレキの広域処理や除染といった政府事業は、何度も報道されているが、汚染の進行度に
ついては、全く報道されないし、政府も御用学者も無視し続けている。
例えば、一般のゴミは低温焼却するとダイオキシンが発生し、ダイオキシンが出ると大騒ぎする
マスコミなのだが・・・
このダイオキシンを発生させない為に800度以上で高温焼却するように義務付けされている。
しかし、この800度を問題視することは全く無く、報道せずに隠し続けている。
ガレキに含まれるとされるセシウムの沸点は678度なので、気化してガスとなって大気に拡散する事実をだ!
細野君が知らないわけが無いし、マスコミもそして専門家である御用学者!
これに留まらずに、東日本の海や川に深刻な汚染が進んでいることも隠し続けている。
飯館村を流れる新田川で採れたヤマメから1キロ当たり18,700ベクレルの放射性セシウムが検出されているし
いわき市沖で採れたコウナゴも同様の値が検出されている。

川の汚染は、上流側で確認されているが、時間をかけて下流へと拡大していく
ガレキの広域処理は、原発事故による影響が少ない西日本へも汚染を拡大させていく

放射能汚染については、色々な意見があると思う。
「私は、気にしない」という方は、それはそれでいいと思う。
ただ、真実を知った上で的確な判断をしなければいけないのではないだろうか?
その真実が限られた人間だけが知り、自分の身内だけを避難させるような事を許してはいけない。

850名古屋:2012/04/01(日) 14:03:22
侵略の世界史
この500年、白人は世界で何をしてきたか

●アヘン戦争における中国の大敗と日本の震撼
  日本が「鎖国」を墨守している間に、世界情勢は大きく転換し、ヨーロッパは封建社会から資本主義社会へとめざましく進展した。18世紀末にはイギリス産業革命、続いてアメリカの独立とフランス革命が起こり、やがて米仏両国でも産業革命が開始された。これに並行して、欧米列強は植民地や市場を求めて、争ってアジア進出を始めた。
  近代化のおくれたロシアも、帝政下シベリア進出を続けて、早くも19世紀の初めに日本の北辺蝦夷地に出没するようになった。幕府は松前奉行をおき、北辺の探検や警備によってこれに対処した。ロシアの使節ラクスマンが根室に来航したのは1792年であった。続いてレザノフが長崎にきて幕府に通商を求めたが、日本はこれを無視した。
  イギリスは関ケ原合戦の1600年に、早くも東インド会社を設立、アジア進出を開始している。イギリスはナポレオン戦争を機にフランスに支配されたオランダの海外植民地を攻撃し、バタビアを占領、さらに世界中でただ一国、日本で国旗をはためかすオランダの長崎出島の占領を図った。1808年イギリス軍艦フェートン号はオランダ国旗を掲げて長崎に入港、オランダ商館員をおどし、これを人質にして乱暴を働いた。このため時の長崎奉行は引責自殺した。
  このフェートン号事件は、日本人にイギリスの強暴さを認識させ、さらに広く海外情勢に注意を向けさせることになった。以後日本では、フランス革命やナポレオンに関する研究が盛んになった。
  イギリスは、インド産の麻薬のアヘンを中国に売り込んで巨利を貪っていたが、中国に拒否されアヘン戦争を仕掛け、香港を奪取した(1840〜42年)。アヘンはマリファナ、ヘロイン、コカインなどと同じ麻薬で、常用すれば心身を崩壊させる恐ろしい毒薬である。現在世界中がこの輸入を禁止している。
  イギリスは国家が公然と麻薬貿易を許し、力ずくで売り込んで中国人を堕落させようとした。これほど不正な恥さらしな戦争は、かつて歴史上になかった。これが仮面を脱いだ大英帝国の正体である

851名古屋:2012/04/01(日) 14:04:23
天保11年に起こったアヘン戦争で、アジアの強国を任じていた清が、イギリスに簡単に大敗したことは、幕府をいたく驚かせた。次は日本がやられると、幕末の志士たちは一斉に日本の危機を痛感した。特に長州の藩士・高杉晋作は上海に渡り、アヘン戦争の惨状を視察し、国防の必要性を強調した。

●未曾有の国難にあたり、国論を統一させたものとは
  アヘン戦争から10年後、今度はアメリカのペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に姿を現し、砲艦外交で開港を強く迫った。それは嘉永6年(1853年)6月3日のことであった。ペリーの来航は、幕府はもちろん、江戸市中を大混乱に陥れた。市民は初めてみる蒸気船を「黒船」と称して恐れ、避難のため右往左往し、太平に慣れた武士も、にわかに武具を備える有様であった。
  ペリーは、いったんは帰国したが、約束通り翌嘉永7年、軍艦7隻を率いて浦賀に入港、江戸湾を測量して武威を示した。幕府はその威嚇に屈伏し、同年3月3日、日米和親条約を、安政5年(1858年)には日米修好通商条約を締結させられた。
  これを見て、列強のオランダ、イギリス、フランス、ロシアからも、同様の条約を締結させられた。これらの条約はいずれも相手国の治外法権を認め、日本の関税自主権を認められぬという不平等条約であった。
  列強が一斉に日本になぐりこみをかけてきたのである。このままでは日本は欧米勢力に呑み込まれてしまう。この国難的危機をどう乗り超えるか。ペリー来航から明治維新を迎えるまでの15年間、国内は開港か攘夷か、佐幕か勤王か、いわゆる幕末の大動乱が続くのである。
  民族の内部が各派に分かれて闘争し、騒然たる無秩序の時こそ、西欧列強の侵略のチャンスである。フランスは幕府を支持し、イギリスは反幕派を応援したりして動乱を煽動することにつとめた。
  1858年、井伊直弼が大老に就任するや、尊皇攘夷論者への弾圧が始まり、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ら多数の志士が、「安政の大獄」で処刑された(1859年)。
  文久2年(1862年)8月、薩摩藩主の父・島津久光一行が江戸よりの帰途、相模の生麦で、行列を横切った英国人数人を藩士が斬りつけ負傷させるという生麦事件が起こった。翌年英艦は報復のため、鹿児島を砲撃した。薩英戦争である。
  その翌年英米仏蘭の4カ国16隻の連合艦隊が長州の下関を砲撃し、3日間で全砲台が破壊、占領された。薩摩と長州は、この戦いで列強の近代兵器の威力を存分に思い知らされた。
  幕末の薩英戦争と下関戦争は、日本の初めての西欧に対する防衛戦で、しかも敗北し、身をもって列強の力に脅威を感じた。国内で日本人同士が争っている場合ではない。早く国論を統一して外患に当たらねば、日本は滅亡するという危機感に襲われた。

852名古屋:2012/04/01(日) 14:05:23
  このため坂本龍馬の斡旋で薩長同盟がなり、幕府の大政奉還、王政復古を早め、江戸城無血開城となった。そして天皇中心の「錦の御旗」の下、新政府で国論を統一し、明治維新を迎えることができた。
  幕末は、日本があわや西洋勢力に呑み込まれようとする累卵の危うきにあった。これを救ったのは、各藩の下級武土たちが幕府や藩の利益を超えて、日本という国のために一致団結する必要を痛感したからである。江戸時代に培った武士道や大和魂の賜物であった。
  幕府の最後の将軍・徳川慶喜が尊王論の水戸学発祥の地、水戸藩から出たことが幸いしたのだ。慶喜は天朝にもっぱら恭順を示し、大政奉還をスムーズに移行させることができたからである。フランス革命なら、慶喜はギロチンで果てるはずであった。それが、幕府側にも、天朝側にも犠牲者がなく、無血革命ができた。慶喜は、その名の通り両勢力に喜びを与えることになった。最近NHKの人気の大河ドラマで幕末の最後の将軍・慶喜を扱って、その立場と正しい身の処し方に現代人が感動したのもこのためであった

ひとくちコメント

幕末に関する歴史のおさらいの意味でピックアップしました。この本の他の部分では、白人が世界中で行なってきた大虐殺の歴史が克明に紹介されています。今日の世界支配層の正体を垣間見ることができる好著です。

853名古屋:2012/04/01(日) 14:07:09
マインドコントロール2

今そこにある情報汚染

●コマンドによる攻撃が想定されていなかった
  1994年、渥美半島や玄海原発の現地研究に先立ち、私は韓国や米国の原発における「外敵への安全対策」を調査した。
  韓国や米国の原発には、コマンド等のテロ・武装勢力に対して「増援が駆けつけるまで、何日間は外柵で持ちこたえる」との保安基準があった。つまりしっかりと武装して守られている。万一の場合、地域や国を越えて地球人類へ与える取り返しのつかないダメージや悲惨な状況を考えると、ある意味、それは当然の対策・準備だ。
  ところが日本の保安基準は、せいぜい正門での通常デモ対処が関の山だった。
  武装コマンドに襲撃されるという思考が一切欠落しているのだ。まるで「そんなものが来るはずがない」というような意思表示に、私は慄然した。
  原発は各地の岬等に孤立している。地形的に見ても、海陸どちらの経路からも隠密侵攻するのに適しているのだ。
  少なくとも非常時には専用回線で、近傍の自衛隊等に緊急救援を要請するシステムくらいは国として処置すべきだろう。十分に訓練されたコマンドには、日本の警察官が所持する22口径ではとても対処できない。
  はっきり言おう。
  各種のコマンドに攻撃されれば、理由は違えどもチェルノブイリ原発と同じように、日本の原子炉は簡単に暴走してしまう。
  チェルノブイリ原発の周辺30キロメートルは、現在も、というよりも放射性物質の放射線量が半分になる半減期が一万年以上、中にはヨウ素のように1500万年以上というものがある点から推察すると、我々の文明が続くうちに人類が住めるようにはならないだろう。
  日本の原発の位置関係と偏西風からそのフォールアウト(原子灰)を考えれば、どこにある原発が暴走しても、日本は国家として壊滅する。
  そこまでの事態にならなくとも、通常発電で排出し続け、増え続ける一方の放射能汚染物質を無毒化することは、現代科学では不可能であり、単に容器をコンクリート詰めにして地下に保管しているに過ぎない。
  どう考えても、その保管容器が1万年以上持つとは思えない。
  コンクリートも鉄も、強い放射線に晒されると50年持たないだろう。このままでは地震ひとつで、人間の住めない大汚染地帯が、時間とともに拡大していく。青森県上北郡六ヶ所村の再処理施設周辺の放射能汚染が刻一刻と増加している事実も、都合が悪いという理由からマスメディアで報道されないだけの話だ。
  そうした廃棄物の「有効利用」の先にある劣化ウラン弾等による放射線汚染で、現在、イラクの多くの子供たちが被爆・死亡している。
  地球上の人間を10億人にまで減らしたい「彼ら」にとって、生産地と消費地の両方において、その目的を確実に、さらに継続的に達成し得る最高の手段として映っているのかもしれない。
  どちらにせよ彼らの住んでいるところには影響しない。
  もっとも彼らは、万一を考えて長期間生存可能な大規模地下シェルターを準備している。先進諸国でその準備がないのは日本くらいのものだ。

854名古屋:2012/04/01(日) 14:08:01

★ひとくちコメント

私は、今回東日本を襲った地震は陰の超国家権力が計画的に仕掛けた人工地震だという確信を深めています。その根拠のひとつが、津波が原因とされる福島第一原発が絵に描いたように異常な状態に陥ったことです。各国のマスコミはそれを早くから確信していたようで、地震直後から原発問題を大々的に報じてきました。私の知人の子供がカナダ人と結婚してカナダに住んでいるのですが、震災後周りの人たちから聞かれるのは「原発は大丈夫か?」ということばかりだったということです。陰の超国家権力の支配下にあるとみられるアメリカやフランス、中国、カナダといった国々では、あたかも原発問題が深刻化することを確信しているかのように、津波の被害よりも原発問題を中心的に報道していたためでしょう。
  「地震が来たら壊れても仕方がない」と誰もが思う福島第一原発を狙って、地震直後の停電状態の中で爆発物を仕掛けた人間たちがいたはず、というのが私の分析です。もちろん、それが事実だったとしてもどうにもできませんが、政府中枢や東電の首脳レベルはその可能性を感じているに違いありません。その後の菅直人首相のふてくされたような対応ぶりを見ますと、その疑いを濃くします。私は、本書で池田氏の指摘していることが「日本つぶし」の計画の一環として実施された可能性が高いと見ています。
  とすれば、もはや福島第一原発の暴走は止められないということです。最終的に、少なくとも首都圏までもが「死の灰の降る町」と化すわけです。これから間違いなく関東圏脱出の動きが加速すると思われます。既に海外へ逃げていく人も増えているようです。「首都壊滅→日本崩壊」という「サタンのシナリオ」の道筋が見えてきました。

855名古屋:2012/04/01(日) 14:12:35
温暖化はウソっぱちだ!
某ブログでコメしたらフルボッコにされた苦い記憶があるw


この今そこに迫る「地球寒冷化」人類の危機


●温暖化一辺倒の報道は太平洋戦争開戦前夜と同じ状態
  マスコミによる国民の洗脳が最も顕著なのが、日本なのではないだろうか。諸外国では有能な研究者が次々とIPCCの報告に異議を唱え始めた。京都議定書で自分たちのメリットを守ろうという意図を見せているヨーロッパでも然り、アメリカでも然りだ。そのような中、日本においては行政、民間、マスコミに至るまで、それこそ官民挙げて「温暖化防止」の大合唱だ。京都議定書の決議が日本にとっては産業的にも経済的にも、政治的にさえ大きなハンデになることがわかりきっているのに、である。
  一部にIPCC温暖化論に対して異議を唱える発言をする研究者はいるが、まるで曲がい者扱いで、面白おかしい科学理論程度にしか扱われない。アメリカのダイソンやフランスのアレグレのように、研究者の中には本気でIPCCの分析、政府の方針、マスコミの報道等に対して、発言を繰り返す人たちがたくさん存在する。日本の一部の研究者にも本当に傾聴に値する学術的な研究結果を発表している学者はいる。しかし、残念ながらそんな論調は無視されてしまうのだ。取り上げるにしても異端者扱いにし、面白半分にしか報道しないのはどうしたわけだろうか。
  現在のマスコミの状況を分析してみると、民主的な言論市場の形成には程遠い状況なのではないかと感じる。

●2010年、世界に最初の危機が訪れる
  ここまで、IPCCが展開する温暖化予測には根本的な間違いがあることを指摘してきた。地球ではすでに寒冷化か始まっていて、問題は寒冷化の進行がどこまでのものなのかという予想である。
  日本は雪の多い国だ。寒冷化が進めば冬場の雪害対策は必須だ。道路の除雪や雪害による家屋の倒壊予防、空港の除雪など、大量の降雪に対しては今まで以上の除雪費用が検討される。毎年、東北や北海道で費やされる雪害対策費は莫大な額だ。
  2005年から2006年にかけて、東北地方を襲った大雪の折、国の補正予算(平成17年度補正予算)はそのまま全部、雪害対策に使わなくてはいけなくなったことがある。これにはマスコミの論調も穏やかであった。京都議定書以降、二酸化炭素排出規制は言われていたが、このようなドカ雪が度々降れば、石油や石炭の消費を抑えるわけにはいかないだろう。
  寒冷化に伴う冬場の光熱費の増加は経済的負担を増加させるが、もっと深刻なのが夏場の気温低下だ。夏場の気温低下は成長期の農作物を直撃する。凶作に伴う飢饉の到来だ。
  世界人口は毎年約8000万人ずつ増加してきた。それに対して世界の食糧生産は頭打ち状態で、今後、増加の見込みはない。つまり、毎年8000万人分の食糧が不足していくということになる。メドウスの『成長の限界』によれば、2010年にその最初の危機が訪れることを予測している。
  農業に適した気候地域と灌漑設備の問題、塩害などの耕地の疲弊を検討しても人類は2005年〜2009年レペル以上の耕地を確保することは難しいといわれている。世界の耕地面積はこの10年間ほとんど増えていないのだ。

856名古屋:2012/04/01(日) 14:13:43
  このような状態の中でも1970年代には「緑の革命」と言われた品種改良で、農業生産の増加を図り、食糧不足を乗り越えてきた。しかし、現在これも頭打ちだ。化学肥料によって生産性を向上させようとしても、リンの鉱床が底をつき始めている。残る可能性はせいぜい害虫駆除である。しかし、農薬の使用は化学汚染を進行させるため、今日では逆に使用を制限する方向に行かざるを得なくなっている。そんなぎりぎりの状態に寒冷化が直撃することになるのだ。
  飢餓が世界の政情不安を生むのではないかという予測は決して夢物語ではない。現に、2008年、サブプライムローンの問題に端を発する金融不安から食糧の価格が高騰し、世界に一時的な食糧不安が訪れ世界各地で政情不安が起きた。
  金融不安が穀物価格の高騰を呼び、世界で食糧の買い占めが始まり、市場に穀物が出回らなくなったのだ。穀物の価格高騰はバイオエタノール生産の原料となるトウモロコシや小麦の需要上昇の原因になった。金融危機に対して食糧の買い占めと各国が自分の国を守るための穀物の抱え込みが行なわれたのだ。穀物の流通が滞ることで、価格が異常に値上がりした、ほんのわずかな食糧に多くの人々が群がるという事態が起きたのだ。
  これまでの食糧危機は天候不順などによる農作物の不作が原因だった。しかし、前回の食糧危機は穀物が食糧だけでなくエネルギー用に転売されたため、金融危機と連動することになったのだ。明らかに従来の食糧危機と色合いが変わってきている。
  また資源の枯渇が原因になって食糧不足になるということも十分に考えられる。アメリカの大規模農場で稼働する大型耕作機械は燃料がないと動かないのだ。
  寒冷化による食糧不足に見舞われる地域では、土地を捨てて難民になったり、移住を考える人々も出てくるだろう。都市や農村の生活環境は悪化し、感染症が流行することも考えられる。なにより政情が不安定になり、市民が暴徒化したり、戦争の発端になったりするような事件が多発する可能性は高いのだ。

●温暖化ビジネスに世界のマネーが流れ込む
  地球温暖化予測に伴い、世界各国では様々な事業が展開されている。バイオエタノールの研究や、オバマ政権のグリーンニューディールなども石油代替燃料を模索する意味では有効なのかもしれない。バイオマスの活用、太陽光や風力による発電などは21世紀の成長産業として注目されている。
  最近では、温室効果ガス削減のもと、排出権取引や二酸化炭素の地中への埋め込みなどの事業に世界のマネーが集まっている。いわゆる国際的な温暖化ビジネスである。
  排出権取引にいたっては、金融取引と同じレペルの経済活動になってしまっている。これは新たな金融商品に化けるだろう。はたして、こういう政策や経済活動が、実質的な省エネルギーや化石燃料の消費削減につながるのだろうか。
  グローバリゼーションとはいうが、なぜここまで世界が一斉に先を競って、温暖化対策に躍起になっているのか理解に苦しむ。いかにビジネスとはいえ、もはや洗脳されているとしか言いようがないのだ。
  今後寒冷化が進行すれば、温暖化ビジネスは明らかに破綻するだろう。私は本書で21世紀にやって来る寒冷化の根拠を展開してきた。もしそうなったとき、世界はどうするだろうか。今度は一転して、「二酸化炭素を増やせ」という論調が起こるのではないかと思う。それだけ世界に流布している温暖化狂想曲は滑稽に感じるのだ。

857名古屋:2012/04/01(日) 14:14:25
★ひとくちコメント

地球温暖化問題に関しても、意図的にマスコミを操作する勢力があり、不勉強なマスコミは操られるままに問題の本質をゆがめ、大衆は間違った情報を真実として疑うこともなく、巷では「エコ、エコ」の大合唱になってしまっているのが現状です。テレビや新聞によって国民が簡単に操作されてしまう日本の構図が顕著に表れています。
  いま、「地球は温暖化しつつある」と信じている人、あるいは「温暖化の原因は二酸化炭素である」と信じている人は、“洗脳されやすい人”と思って間違いないでしょう。また、「二酸化炭素の排出を減らせば地球温暖化は止まる」とか、「地球温暖化問題が地球の抱える最大の問題だ」と考えている人などはもはや重症と言うべきかも知れません。「温暖化なんか関係ねえ」と、単に世界的なテーマに無関心なだけの人は論外としまして……。
  私の周辺を見渡す限りでも、いま例に挙げた考えのどれかに該当する人が90%以上はいるのではないかと思われます。残念ながら、そのような人たちに限って、この種の本に関心を示すことはありません。洗脳されている人は、自分が洗脳されていることに気づくことができないからです。

858名古屋:2012/04/01(日) 14:17:04
古代マヤ文明が日本を進化させた!


●人類に地球規模のテレパシー感覚が芽生えるとき
  遠い過去に対して、近未来はどのように描写されるのだろうか。これは、人類が、これまで描写してきたような大きな周期の波にうまく乗れた場合に限っての、想像上の話として進めてみよう。
  2000年前後もしくはそれ以降に、大きな地殻変動や、地球規模の異変を体験しながら、人類の身体自体が、(私たちがふだん知覚している)純粋な物質体というよりも、半エネルギー体として、知覚されるようになるだろう。
  単純に言えば、おそらくは気功師が感じている気の状態を、物理的な自分の肉体や他の事物に関しても感じとるであろうということだ。
  そして、もうひとつは、五感が非常に鋭敏になって、どんなことでも楽しみながら取り組めるような、「感覚の新鮮さ」を手に入れるようになることだ。いわば、あらゆるものに感動やエクスタシーを感じる、赤ん坊のような感受性が芽生える。
  また、原始的なテレパシー感覚も芽生えるだろう。原始的といったが、よく科学の分野でも知られているように、動物たちの多くはテレパシーを持っている。テレパシーは、人類が潜在的に持つ本能的な機能のひとつ。つまり、テレパシー機能も、人類が遠い過去の地球の記憶とシンクロすることによって、再び得られる人類の過去の能力なのである。
  こう聞くと、楽しい未来が待ち受けているように聞こえるかもしれないが、事実、そうなのである。ただし、ここでの話の前提は、「大きな時間の波にうまく乗れたら」、言い換えれば、マヤの時間周期に人類の意識も身体も丸ごと同調することができれば――という仮定での話である。
  そして、もう一方では、明るい話題ばかりではない。問題は、私たち人類が2000年までに自然環境を調和のとれた状態に復帰させ、「地球が本当にそうありたいと望んでいる」健康的な状態に戻すことができるかどうかが、大きな課題となる。

859名古屋:2012/04/01(日) 14:17:56
  つまり、人類の感覚的/官能的な楽しみや、そのための活動全般は、舞台となる地球が汚染されていては望めないのである。
  その意味では、マヤ的な視点を持って、環境問題に関して率先して解決していく姿勢をより強化する必要があるかもしれない。それが、人類にとって最優先課題であることほまちがいない。
  そのためには、現在の文明形態そのものが変わらなければならない。また、人類のいない文明は無意味である。私たちは、人の住めない地球にする作業を、一刻も早く回避して、地球上の自らのサバイバルのために、現在の文明形態そのものを変えるにはどうしたらよいか――その手法の開発と実践に早急に取り組む必要がある。

●マヤの時間の波動が日本を、世界を救う
  外宇宙を目指すスペース・シャトルやスペース・ラボなどの宇宙計画。地球を捨てて地球と環境が似ているとされる火星の基地建設とそこへの移住計画。また、もうすでにできているとされる月の基地。一時、話題を呼んだ第三の選択……。
  これらの計画や選択の無意味さに、そろそろ気づくときがきたようだ。
  火星が人類の郷愁を誘うものであることはわかる。しかし、地球をゴミの山にして、地球外に飛び出すことが唯一の救いだと勘違いしている人もいる。そう思うことは、地球に生まれ育ち、地球の恩恵を被ってきた私たちの存在そのものを否定することにつながるのではないだろうか。私たちは地球の一部であり、いまだ地球と切り離されてはいないのだ。
  これらはアメリカ式の開拓精神の勘違いかもしれない。それは、〈男性的な太陽〉=父権主義という、ごく一部の歴史と神話の誤解から生じたものだ。
  「子は親となってはじめて、自分の親のありがたみを知る」とは、よく言われることだ。人は時間的な未来へと成長の一歩を歩むことで、はじめて過去に意識を振り向け、自分の起源(親)に対する自然な感謝の気持ちも芽生える。
  人類(子)と地球(親)の関係もこれに似ているのかもしれない。人類はいまだ未熟な段階にいるのだ。人は、地球という生命体の意識(惑星意識)を獲得してはじめて、地球が私たちにこれまで何をしてきてくれたのかを実感として知るに違いない。
  いまの瞬間を充実して過ごし、未来に希望を抱いている人も、みずからの心身が両親から引き継がれたものであることをやがて知るに至る。
  より遠い過去、あるいは民族や人類全体に対しても同様だろう。私たちが今生きていることを過去に遡って考えてみると、両親、そして両親の両親という具合に、どんどん先祖、祖先へと戻っていき、やがて人類の創世記へと至る。そのプロセスにおいて、過去の人々がその時々に何を思い、何に夢を託し、どんな生き方をしてきたかということが、結果的にであれ、遺伝的にであれ、現在の自分につながり、集約されている。またそうでなければ、人間は真の意味で現在を生きることができない。
  人間のようにある程度進化した生命は、その都度、個体の死というプロセスを通り抜けてきた一種の生命――時間の連続体である。
  たとえば、地球という巨大な生命連続体の、ひとつの出先機関、感覚器官として私たち人間が生きているとしたら、人間は自らの起源としての地球を受け入れることで、過去に回帰する。その時点ではじめて未来にも大きな一歩を踏み出すことができるのではないだろうか。
  マヤ人はおそらく、この地球で、時間を修復し、時間を流通させ、人類の未来と過去をより適切な形で位置づけたのかもしれない。マヤの時間の波に乗ることで、私たちはより遠い過去を思い出し、それに応じた未来を思い描くことができる。
  マヤの時間を取り込むことで、日本人の血が甦り、未来に息づくことを願っている。

860名古屋:2012/04/01(日) 14:19:40
騙されやすい日本人


●漂流する日本人
  死生観を厳しく見詰めることを余儀なくさせられる共通の環境に人びとが一緒に置かれることも、同時にその集合体の危機意識を敏感にさせることになるであろう。近隣の国からの侵攻の危機に瀕している国の国民がそうであろうし、現実の危機として戦争が急迫していなくても徴兵制度のある国の若者は、多かれ少なかれ緊張感を持って生と死の問題、生きる価値を死すべき価値との対比で見詰める機会を持つことができる。
  それらの国ぐにの多くの国民は、「国家の生存」を意識する。世界は本来「無秩序」であり、そこに国際間の「ルール」が構築されるが、それでも「無防備」では国家の存立が危ないことに気付く。と同様に、人間は本来「まるはだか」であり、危険に対して無防備な存在なのだ、という当然の事実に気付く。そしてこの「まるはだか」の人間を、家族・近隣・民族の情愛と、国家を頂点とする諸々のシステムが育て守ってくれてきているのだ、ということに思いが至る。自らの生命・身体・財産を守ってくれる国家というシステムの存在を是認し、国家の恩恵を理解することになる。国家の威信を高めることが、自分自身の国際的な地位を高め、経済的な繁栄を享受することになるわけが理解できるようになる。
  そして、そのようにするために、自分自身が国家に帰属しつつ力を尽くすことに「誇り」を持つことにもなる。歴史教育や国際関係に関する教育を受けるまでもなく、国家という民族の運命共同体や社会公共の利益のために、自らの利益を部分的にせよ犠牲にすることの価値の大切さが理解できるであろう。「世のため人のため」に尽くす、「公」のために私利を第二義にする心に価値を見出すことにもなるのである。
  「自己犠牲」そのものを尊い価値として尊重することは、情緒的に過ぎ、あるいは宗教の領域に属することかもしれない。しかしながら、個人の利益に優先する価値、さらには、時として生命に優先する価値を見出す態度は、人間が人間である故にこそできる精神活動の所産に他ならない。この選択肢をタブー視することは、議論はあるにしても、個人の尊厳の否定、基本的人権の否定に関わることを意味するものであろう。
  企業界にあっても、創業精神をしっかり受け継いでいる企業、起業家精神に富んでいる経営者の企業ほど、「企業の死生観」とも言うべき危機管理意識を明確に持っていると同時に、社会的責任を利益追求より優先するところに価値を主張する傾向が見られることは、このことを裏付けるものとして面白い。

861名古屋:2012/04/01(日) 14:20:47
  日本の人びとは、歴史的に見れば、ついこの間まで「生と死」の問題に否が応でも直面させられていた。戦前の日本は、貧乏だった。家族揃って三度の食事がどうにか食べられることは有り難い、と感謝しながら、人びとは生活を営んでいた。戦中は、米軍の空襲による無差別爆撃に日夜脅かされ、多くの家族、知人が帰らぬ人となった。敗戦直後から数年間は、全国主要都市の駅周辺には、「浮浪者」が溢れていた。東京の上野駅の地下通路は、食うに食えない浮浪者で足の踏み場もない状態であった。子を抱くボロボロのモンペ姿の母親もろとも占領軍は、シラミ退治のため、DDTの粉末を真っ白にかけていた。
  一方、パンーつで春をひさいでいるところから「パンパン」と称されるようになった、と当時言われていた「売笑婦」が、口紅を赤く塗り占領軍の米兵と腕を組んでいる姿も多かった。山手線の南西側にある各駅のプラットフォームの上に立つと、見渡す限り焼け野原で、その向こうに富士山がいつも美しく見えたものだ。この頃まで、日本国民は、常に「生」と「死」の間に置かれていた。日本国民は、そこから立ち上がり、世界が目を瞠(みは)る奇跡の経済復興を死に物狂いで成し遂げた。
  今はどうか。戦後50年経って日本は、経済構造の面では成熟社会になった反面、精神構造においては未成熟社会どころか欠落社会となった。東京の新宿駅で背広を着て「愛」と書いたダンボールに住み、昼間から酒盛りをしているような「ホームレス」は、カネにまみれて精神的に類廃した「腐敗社会」において、「人権」に擁護されることによって存在し得る奇妙な「特権階級」である。日本の子供たちの中には、それが凶悪事件であるという社会的な意味が理解できぬまま死を弄ぶ事件を起こしたり、少女たちの中には、それが倫理の荒廃であるとして世界の侮蔑を招いている「援助交際」に耽っている者もいる。それを見る大人たちは、社会も、教育現場も、家庭も子供たちに対する指導能力を失って手をこまねいている。日本ないしは日本人とそのアイデンティティを失った精神構造の空白域の中で、子供も大人も「新しい価値観」を見出す努力をしないまま、漂流しているように見える。

862名古屋:2012/04/01(日) 14:38:37
お前なんか知らないし、会ったこともない!
12/03/31 23:41|Weblog
└0件/0件/
余録:中国は唐代の奇談である。ある青年が倩という娘と 
 
中国は唐代の奇談である。
ある青年が倩(せん)という娘と相愛の仲になり駆け落ちした。
5年後に倩の親にわびようと青年が帰郷すると、何と倩は5年前から病気で家にいるという。
それぞれの倩を会わせると、2人は合体して1人に戻った
▲「さて魂と肉体が離れた2人の倩、どちらが本物か」。
宋代の禅僧が編んだ「無門関」にある禅問答だ。
真実の自分を悟れば、体から体へと移ることなど旅館に泊まるようなものだ。
問いには、こんな答えが返されている
▲「めでたしめでたし、それは一なのかそれとも二なのか」。
これも先の問答に付された詩だ(秋月龍※=りょうみん=著「無門関を読む」講談社学術文庫)。
分かったような分からぬようなのが禅問答である。
だが俗界の思惑や利害がせめぎ合うわが政界も不可思議では負けない
▲では連立を離脱した国民新党と離脱しなかった国民新党、どっちが本物か。
消費増税法案の閣議決定をめぐり亀井静香代表らと下地幹郎幹事長らとの間で分裂状態になった同党だ。
ともに本物を名乗るからには、今や与党にして野党という禅問答のような党の出現だ
▲野田政権にとってのさらなる難問は、閣議決定を受けて政務三役たちの集団辞任に踏み切った民主党内の小沢一郎元代表のグループの動きだろう。
長時間をかけた事前審査もむしろ党内の対立を深めるかたちとなり、はてさて民主党は「一なのかそれとも二なのか」
▲今までの政治の枠組みに新たな亀裂をもたらし、時に政治家の魂と肉体の分離も巻き起こす消費増税法案である。
いよいよ国会での与野党による審議に入るが、くれぐれも問答は分かりやすく願いたい。
(※は王へんに民)


面倒だから、どっちの倩(せん)も共に殺してしまえ!
そうすればどちらが本物か偽物かで、自己の心を惑わす必要すらなくなるであろう。
逆にそこで、どちらかが本物ならもう一方は偽物だという際限ない、決着を付けえない分別に惑えば、すなわち自己が心が無限の無明に沈む。
しかし本来、自分とは別に存在する他人である倩が本物であろうが偽物であろうが、どころかこの世界に存在していようがいまいが、何も知らなければ自己の心の障りになることさえない。
どれほど愛しき女も、それと出会う前には、自己の心には微塵も影を映さず、だからその存在の有無真贋に惑うことさえ起こりえない。
しかし一旦、その存在の影を心に写し取れば、その存在の真贋に我心は延々と惑い沈む。
知らなければ迷わない。知ればその真贋に迷う。
しかして本来我が心に迷う心、迷わない心の2つがあるわけではない。
外部の対象である倩の存在を無視すれば、我心は常に分別なきこの心ただひとつである。
そのように己が心が本来唯一不二であると、その唯一不二の心はたかが外部の対象ごときによって二つになり得るものではないのだと、確かに納得する処に、虚妄分別の迷いを脱し万象斉一の境地を達観した悟りというものがある。
しかし人間は愛憎によって、心を無限に惑わせる。

863名古屋:2012/04/01(日) 14:42:04
外部の対象が真正ならば愛し、虚偽ならば憎むこれを好み取り、あれを憎み捨てるという、終わりなき作為を延々繰り返す。
つまり外にある存在に応じて、我が心を真正と虚偽とに無限に分断し続けるという、終わりなき虚妄に陥る。
ひとえに、己の心をそのまま、如実に在るものとして識らぬがゆえである。
逆に言えば、己の心そのものを如実に識る者は、倩の真偽にも、そもそもがその存在にさえ心を執着しない。
倩など知らぬ。そう言い切ってその瞬間直ちに終わるだけの話である。

とはいえ、そこまで超然と割り切ることは、実際の人情においては難しい。
だから人の世に生きる衆生は例外なく、善悪真偽愛憎の分別に無限に苦悩し続ける運命にある。
たぶんこいつらに、そこを脱する道筋を教え諭しても、理解できるのはほとんどいない。
仕方ないので、こっちも知恵を曇らせわざと知恵遅れの群れと同じ場所に降りて、一緒に惑うことにしてみる。そうしなければ寄り添えない。
つまり和光同塵、俗にこれを菩薩行とも称する。
しかしてこれは透徹した知恵と奇特な性根を合わせ持った人間の進むベき道。本当にご苦労なこったである。

まあ何にせよ、たしかにわかったようなわからないような話ではある。
だからわからないならそこまでの法縁であるから、お前らはそのままでよい。それが生まれ持った分際なのである。
そもそも僕の知ったことか!お前らなんぞの存在そのものを僕は知らない。
だからお前らの存在ごときに僕は自分の心を微塵も苦しませない。
不見不聞、三猿、見ざる言わざる聞かざる。

外の対象のことなど何も知らない。ただじっとその状態に徹頭徹尾あるのが、真正にして唯一無二の我が心そのもののありかたである。
これもまた、一つの徹底した生き方といえる。少なくとも正しいのは正しすぎるほどに正しい、もっとも正解な生き方である。
でもそういうことになると、この世界のお話そのものが展開できず、ただそこで終わってしまうので、「なら一人で沈黙して引きこもってろ、ばーか!」というだけのことになる。
つまりここでわざわざこういう主題に言及する事自体、この上なく無益なことであろう。
そんな無益なことを何故わざわざしている、自分よ?
こうして、問題は無限ループする。

だから、本来同一の存在で、だから二人いてはいけないはずなのに、にもかかわらず二人いるのだから、ならば問答無用に何も考えることなく二人とも抹消してしまえばいいのである。
実にシンプルなことではないか?
そのまま、存在ごとなかったことにして、昨晩観た夢のように忘れ去れば何の問題もない。
まあでも、それができりゃそもそも誰も悩まない。
つまり人間の生まれ持った情、愛、そういうものはそのまま迷いと同義でもある。
そこで神が絶対の愛だというなら、その神とはそのまま絶対の迷いということに他ならない。
ならば何も考えず、その神ごと切り殺してしまえ!どうせそいつは迷いに過ぎない。
超俗に生きる覚悟があるなら、たぶんそうすることに何の問題もない。
でも覚悟がないなら、そのまま誰かを愛し誰かを憎み、その愛憎を抱えたまま神とともに永遠の無明を歩むが良い。
それはそれで退屈知らず気苦労絶えずで、それなりに面白いかもしれない。

864名古屋:2012/04/01(日) 14:56:16
第4章 宇宙船の速度などの矛盾点 

月面の驚異的事実を暴露したブライアンの『ムーンゲート』は佳境にはいる。

フォン・ブラウンの矛盾

アポロ宇宙船が月に到着したとき、時速9600キロメートル以下で飛行していたと、アポロ計画を取り上げた評論家たちは首尾一貫して報告した。これは宇宙船が時速3200キロメートルをわずかに超えるスピードで平衡点を通過した後である。だが筆者は宇宙船が月に到着したときに出していた速度を導き出したはずの評論家たちによる計算結果をまだ見たことはない。したがってこの情報はNASA (米航空宇宙局)が直接または間接的に流したと推測することは筋が通っている。そこで事実と数字とを調べてみると、ひどい矛盾が起こってくるのだ。

まずあげると、69592キロというう平衡点距離と、月の引力が地球の6分の1という説は、本書第2章と3章で説明したように矛盾しているのである。

1971年に書かれた『宇宙最前線』でヴュルナー・フォン・ブラウンは、アポロ8号が平衡点を通過するときと月に達したときの各速度を、それぞれ時速3520キロ、9120キロと述べている。同じ箇所で、月の引力は月から62240キロの地点で作用をし始めて、そこから宇宙船は再度スピードをあげ始めたとも言っている。平衡点から月へ行くときの速度の数学的計算をやってみると、時速9600キロ以下で進行する宇宙船が月へ到着できる唯一の可能性は、6分の1引力説が正しければの話になる。

もし6分の1説が正しいとすれば、平衡点は月から約54400キロとなり、62240キロとはならない。したがって宇宙船は地球を出発して月から約38400キロの位置に到達するまでは、ずっとスピードを減らし続けることななる。しかしこれは先にフォン・ブラウンが述べたことと一致しない。月の強い引力の影響があるからこそ、より大きな平衡点距離が存在するというのが正しいのか、それとも、より大きな平衡点距離があるというのは間違っていて、月にはやはり6分の1の引力しか存在しないというのか、このいずれかとなる。なぜヴュルナー・フォン・ブラウンはこんを矛盾する情報を出したのだろう。

飛行時間と平衡点との関係

月に到達するときの速度に関して、強い月の引力の影響を示す次のような情報がある。6分の1という月の引力は時速9600キロをやや下まわるスピードに宇宙船を加速するけれども、一方、64パーセントという月の引力ならば、最終速度をかなり高く引き上げるということなのだ。付録Cでは、最終速度は69592キロの平衡点距離でもって必要となる64パーセントの月の引力を応用して出してある。またこのことは平衡点における初速が時速3520キロであるのが正しいことを示している。こうなると最終速度は時速1600キロ以上となるのだ! 69592キロ平衡点で要求される速度とーそのゆえに月の引力は強いものとなるー時速9120キロの公称値との食い違いは時速6400キロ以上となる。

865名古屋:2012/04/01(日) 14:57:25
軌道周回速度を論じる前に、平衡点距離が6400キロマークの付近にあることを明確に示す論拠を提示しておこう。

アポロ8号の月飛行のとき、この宇宙船はいわゆる平衡点として月から62240キロの位置に達した。時速3420キロで55時間39分を要したのである。68時間57分目にそれは時速9600キロ以下で飛んで月に到着したのである。したがってその距離は13時間18分でカバーできた。

ところが、もし平衡点が実際に月から38400キロであるとすれば、ぞの宇宙船の平均速度は時速約3905キロとなるはずで、月飛行は約9時間50分を要したにすぎないことななる。したがってNASAが出した時間は、より大きな平衡点距離を裏付けすることになり、これによって月の引力は強いことななるのである。

月の引力は地球の引力の64パーセント!

飛行時間を詳紳に分析してみると、さらに月の強い引力にたいする確証が出てくる。もし月が地球の表面引力の6分の1の引力をもつとすれば、アポロ8号宇宙船は38400キロの位置に到達するまでにスピードを落とし続けたことになる。そして平衡点で加速し始めて、月では時速約8864キロの最終速度に達したはずである。かりに月から62240キロの位置で時速3520キロで進行したとすれば、その飛行時間は16時間44分となるはずだ。ただしこれは6分の1引力と仮定してのことである。

これはNASA発表の13時間18分という時間と3時間以上の食い違いを示す。NASA発表の短い飛行時間にたいする唯一の説明は、宇宙船にもっと高い平均速度と最終速度を与えれば可能となる。

ここで月の引力は地球のそれの(6分の1ではなく)64パーセントであると仮定すれば、飛行時間は13時間47分と計算されることになり、NASA発表の13時間18分にきわめて近くなる。この分析によって確実にわかるのは、NASA発表の情報はそれ自体が矛盾しているということだ。その飛行時間と平衡点距離は月の強い引力を暗示しているのだが、しかるにNASAは月の弱い6分の1引力説を公表し続けているのだ。

もし月が地球の引力の6分の1しか持たないものならば、月の軌道を回る人工衛星または宇宙船は非常に低い軌道周回速度を持つことになるだろう。これは軌道周回速度が引力と相殺するからである。

もし引力が弱ければ軌道を回るのに必要を速度は低くなる。つまり落下する傾向が弱まるので、人工衛星は低速で軌道周回を続けることができるのである。これが6分の1の引力ならば、高度121キロで月の軌道を回る人工衛星は時速5848キロで飛ぶにすぎないことななる。

しかし月の引力が地球のそれの64パーセントならば、同じ高度の軌道周回速度は時速11460キロになるだろう。つまり公称値のほとんど2倍ななるのである。エンサイクロピーディア・ブリタニカの『宇宙探険』の項に、アポロ11号は時速8360キロで飛んで月に到着し、楕円軌道に入るのに時速5888キロに速度を落とす必要があったと述べてある。月の引力を6分の1とすれば、宇宙船はこんな低速ならば岩石のように落下してすぐに月面に撃突するだろう。

明白なのは、引力が強ければアポロ宇宙船にブレーキをかけて速度を落とし、周回軌道に乗るには、時速16000キロ以上から11460キロに減速するだけでよい。この軌道周回速度は宇宙船が2時間ごとに月を1周するかわりに1時間ごとに1周することを示している。

こうした軌道周回周期の知識は管制センターの職員に知られていたにちがいない。というのは、各軌道のある部分で、司令船が月の裏側を通過するときに、その司令船との通信がとだえるからである。この通信の途絶は各120分の軌道のうち50分間続いたという。付録Dには、速度と通信途絶時間が112キロの高度の軌道にもとづいて導き出されている。これが64パーセントの引力ならば通信途絶の時間は24分間にすぎない。

もし右の状況が発生したとすれば、大衆に情報を隠すためにかなり厳重を防御策が講じられたにちがいない。宇宙飛行士の活動をモニターする唯一の手段が管制センターを通すことにある限り、比較的少数の人々だけが実際にその状況に気づくだろう。NASAの多数の人々は依然としてツンボ桟敷におかれるだろう。そうだとすれば最も厳重な防御地域は管制センターということになり、しかも以下に示す情報がこのことを示しているのである。

866名古屋:2012/04/01(日) 14:58:33
のらりくらりのNASA

ジョン・ノーブル・ウィルフォードはニューヨーク・タイムズ紙にアポロ飛行について書いている。その著書『我々は月に到着する』の中で、彼はアポロ計画をかなり詳細に論じているが、これはNASAで働いた彼の体験にもとづいたものである。以下の情報は彼の著書から引用した。

グリソム、チャフィー、ホワイトの命を奪った火災について、彼はヒューストン有人宇宙航行センターがNASAへの電話でテープ録音について話すために身の毛のよだつような言葉を用いたと書いている (訳注=1967年1月27日、最初のアポロ有人宇宙船がケネディー字宙センターで火災を起こし、サターンIB打ち上げロケットの先端にあったアポロ船内にいた前記3名の飛行士が死亡した。火災原因は不明とされている)。

しかしNASA側はそのテープによる証拠については知らないと主張したが、1月31日にウィルフォードがニューヨーク・タイムズ紙に記事を書いたのである。この事件は誠実さの欠けたことを示すものであり、後に大衆と議会はその責任がNASAにあることを知ったのだ。

火災のあった週末中、記者連は自分たちの質問にたいしてあいまいな言い逃れの回答を絶えず受けたが、このことはジェミニ8号を思い出させた。ジェミニ8号のカプセルがコントロールを失って、危機が発生中に録音された通信テープが隠されたのだが、これは宇宙飛行士の音声レベルが彼らの行動について誤った印象を与えるかもしれないとNASAが信じたからである。

そのテープは後に公開された。これが完全をものだったとすれば、宇宙飛行士たちはすごいコントロールによってうまく処理していたことななるのだ。後に記者団はNASAの各頭文字をNever A Straight Answer(絶対に率直な回答を与えない)を意味するものだと言い始めた(訳注=1966年3月16日に打ち上げられたジェミニ8号は、先に打ち上げられたアトラスDロケットのアジエナ段とランデブー・ドッキングしたが、激しい横揺れが起こったために切り離して手動操縦装置により事をきを得た)。

大衆は盲目にされている

『アポロの航行・月の探険 の中で、リチャード・ルイスは、アポロ12号の飛行中に管制センターがどのような状況であったかを説明している。以下は彼の記事の要約である。

真夜中のこと、管制センターの制御盤の背後にあるガラス張りの展望室は重要人物で1杯だった。ペイン所長、ジョージ・M・ロウ副所長、宇宙飛行士のアームストロング、オルドリン、ボーマン、アポロの慣性誘導システムを開発したマサチューセッツ工科大学の装置研究所々長C・スターク・ドレーバー、それにヴュルナー・フォン・ブラウンなどである。

ニュースメディアのだれ1人として居合わせなかった。管制センターに新聞記者が入ることは許されをかったのだ。これはそのような規制がマーキュリー計画で確立されたからである。災害が発生したときに無秩序な報道が流れるのを防ぐためらしい。これはアポロ計画のずっと後の部分まで続いたが、ついにある共同ニュースサービスの代表者がジョンソン宇宙センターの展望室へ入るのを許されてくずれた。

以上までに提供した情報に照らしてみると、このようなきびしい防御手段がとられたのは単なる偶然ではないようだ。明らかに大衆はNASAによって慎重に選ばれた情報しか知らされていないのだ。そのなかには真実なのもあるが、大部分は目の6分の1引力の古い概念にもとづいた完全をでっちあげであったにちがいない。

ペイロードとは何か

月への道で出くわす種々の矛盾を概説するにつれて、宇宙船が月周回軌道に乗る話になってきた。次の段階は、月着陸船の燃料の必要条件に与える強い月の引力の影響を考えることにある。これは新たに恐怖の部屋を開くのだ。

惑星の表面から脱出するか、またはそれを回る軌道に乗るには、宇宙船を軌道の高さまで持ち上げて一定の最少限速度で飛行させねばならない。これには絶えず引っ張ろうとする引力に打ち勝つためと、宇宙船の運動エネルギーを増大させるためのエネルギーを必要とする。読者は、月へ人間を送り込んだアポロ打ち上げロケットが高さ109メートルもあり、2900トンの重量があったことを思い出されるだろう。打ち上げ時のアポロ11号ロケットの写真は本書(原書)の表紙写真の1つに示されている。これは時速34000キロの速度で月に向かって約45.3トンのペイロードを送るために設計された(訳注=ペイロードは有用荷重といい、旅客機ならば乗客と貨物、宇宙船の場合は塔乗員と観測機器を意味する)。

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アポロ4号ロケットは地球を回る116キロの高度の円形軌道に125.4トンの物体を乗せた。地球から脱出するのに必要な燃料と速度を増大させれば、月に送るよりもはるかに大きをペイロードを軌道に乗せることができる。ロケットの総重量をペイロードの重量で割れば、ペイロードの比率が出る。アポロ4号の場合は、2900トンを125.4トンで割るのだから23対1の割合となる。このことは地球周回軌道に物体を乗せるにはペイロードの23倍の打ち上げ重量が必要であり、ロケットの重量の約90パーセントは燃料であることを意味するのである。

もし月が地球の6分の1の引力しか持たないとすれば、月着陸船が軟着陸したり月から脱出したりするには、うんと低いペイロード比が必要になるだろう。NASAの主張によれば、月着陸船は燃料満載時に15トンの重量があったという。これは上昇と降下の各段を含んでいる。

月面に着陸しているアポロ16号の着陸船は上昇と降下の両段から成っているが、この写真は本書の(原書の)写真に出ている。塔載された上昇段は4.8トンの重量があり、空の降下段は2トンの重量があるから、軟着陸の総ペイロードは6.8トンである。したがって軟着陸のペイロード比は15トン割る6.8トンとなり、2.2対1となる。

塔載された上昇段は燃料満載時に4.8トン、空で2.17トンの重量があったと思われるから、上昇ペイロード比はやはり2.2対1となる。もし月の引力が6分の1しかないとすれば、満タン時と空の着陸船の各重量は必要な燃料の量と一致する。燃料を入れておくタンクの大きさすらも妥当なものであるから、宇宙船の総重量は月の弱い引力の必要条件に一応ぴったりと合うのである。

もし平衡点距離が月から38400キロであるとすれば、6分の1の引力は考えられることであり、燃料の必要条件も満たされたと思われる。宇宙飛行士たちは着陸船で月面に着陸してから離陸し、計画どおりの月面探険を遂行できたであろう。

アメリカの月着陸の成功の話

しかしここには69592キロという別を平衡点距離と、それが意味する月の強い引力の問題が残っているのだ。月の引力は少なくとも地球の引力の64パーセントはあるはずだという情報によって、着陸船の燃料の必要条件が付録Eで計算されている。それによる月の引力の数字は、着陸と離陸に必要をペイロード比は少なくとも7.2対1になるはずであることを意味している。必要な軌道周回速度は、6分の1引力のもとで必要なそれの約2倍である。こうなると減速または上昇時の燃料は約4倍も多くなるのだ。

月の強い引力のもとでは燃料増加はすごいものとなる。まず上昇段は空の重量の7.2倍、すなわち15トンになる。次に燃料を満載した上昇段を軟着陸させるのに必要な燃料は、着陸船の総量直を約113トンにまで増大させるだろう。

したがって着陸船は149トンの重量と31メートルの高さをもつタイタン2号ロケットとほぼ同じほどの大きさになるだろう!

月着陸船は15トンの重量があると思われていた。したがってその重量と体積を7倍以上もふやす必要がある。驚くべき結論は次のとおりだ。もし人間が実際に強い月の引力条件下で月面に着陸したとすれば、それはロケットで着陸したのではないということだ! 再度言うと、69592キロの平衡点距離は、地球の引力の64パーセントに等しい引力が月にあることを意味するのである。かわって、64パーセントもの引力が月にあれば、月から脱出するだけでも大きをロケットが必要となる。まして離陸用ロケットを初めに軟着陸させることなどできるわけはないということになる。

かりに月が地球と同じ強さの引力を持つとしたら問題は大変なことになる。そうかもしれないということを示唆する証拠をあとで出すことにしよう。付録Eでは、月の引力が地球のそれと等しいとして、ペイロード比が18.2になるはずであることを示している!そうなると39.6トンの上昇段が必要となる。降下ロケットななると719.8トンという驚くべき重量となるが、これはサターン打ち上げロケットの大きさの4分の1である!そうなるとサターン打ち上げ船はこの64倍の重量を必要とするので、46000トンとなる。これは実際よりも約16倍大きい。

868名古屋:2012/04/01(日) 14:59:53
以上の謎によって興味深い疑問が少々起こってくる。なぜソ連は月面に人間を送り込む1歩手前まで来ながら宇宙開発競争から手を引いたのか? 月の強い引力条件下なら明らかにロケット類は作動しないのに、アメリカはどのようにして成功したのか? 月着陸を成功に至らしめた極秘研究における軍部の関与はどのようなものだったのか? 右の疑問にはあとの章で答えることにしよう。

証拠のすべてが出てくるまでは大がかりな隠蔽の実情は不完全であり、多くの疑問が未解決のまま残っている。アポロ計画のあらゆる面が慎重に調査されるまでは、読者はオープン・マインド(寛容の心)を保たれたい。

結局、大衆は取り込み詐欺師、政治屋、軍事専門家、科学者、会社などによって長いあいだ犠牲にされてきたのだ。納得させられるような話を聞くけれども、主張を実証するしっかりした証拠はほとんど出てこないのである。

月が強い引力を持つとすれば、宇宙飛行士たちは6分の1引力のもとで期待どおりの行動はできないはずである。月面上の彼らの跳躍能力の誇示は予想された結果とはほど遠いものななるだろう。次の第5章では6分の1引力の条件下で予想される宇宙飛行士の運動の離れ業を分析し、月面で実際に行動した様子と比較することにしよう。

869名古屋:2012/04/01(日) 15:02:15
第5章(1) 月面における宇宙飛行士の体験 

彼らは月面で何をしたのか?

彼らは月面では何もしなかった!

月の引力は地球の引力の6分の1であるということになっている。この引力ならあらゆる物体は地球上の重量の6分の1、すなわち16.7パーセントになるはずだ。体重82キロの人はわずか13キロに減るだろう。アメリカの宇宙開発計画やアポロ計画が始まる前から、評論家たちは月面上の人間の運動能力についてあれこれと考えており、その計算は6分の1の引力を基にしていた。大衆も宇宙飛行士が月を探険するときのすごい運動能力による離れ業を期待していたが、しかし何も演じられなかった。読者は月面を動きまわる宇宙飛行士がテレビの画面に映ったのを覚えておられるだろう。覚えておられるならば、筆者は読者が何か異常を離れ業を見たのを思い出して頂きたいと言おう。実際には何もなかったのだ。

サイエンス.ダイジェスト詰の1967年11月号には、『月面での歩き方』と題するジェームズ.R.ペリーの記事が出ている。その中でペリーは、人間は月面で4.2メートルにも及ぶスローモーション跳躍や後ろ飛びができるだろうし、プロのような運動もできるだろう。また両腕でハシゴやポールなどを容易に持ち上げることができるだろうと予測している。

別な予測が『月に関するアメリカのニューズ.アンド.ワールド.レポート』の執筆者たちによってなされた。

「地球の6分の1の強さしかない月の引力なら、月で野球をやればホームラン打者は800メートル以上もボールを飛ばせるだろう。ティーから打ち出すゴルファーのタマは地平線上を超えて飛ぶかもしれない」

引力の場の中で1つの物体が飛び上がる高さは初速にかかっている。もし物体が6分の1の引力の場で地球と同じ初速をもっていたとすれば、6倍の高さにまで上昇するはずである。その物体の初速が地球の速度の2倍になれば、24倍の高さに達するし、3倍になれば地球での高さの54倍になる。

人は自分の膝を曲げてから腿の筋肉をいっぱいに伸ばして垂直にジャンプする。そうすると一定の初速で地上から飛び上がれる。もし宇宙飛行士が地球で行うのと同じ勢いで6分の1の引力を受けながら垂直に飛び上がるとすれば、初速は地球上よりもはるかに大となるだろう。したがって宇宙飛行士は6倍以上も高く飛べるはずである。

ヤングの演技?

このような例を持ち出そうとして、今ここに6分の1の引力と地球の引力でジャンプカを比較するために控えめな手がかりを引き出した。面倒な要素は飛行士が身につけている宇宙服と背のうの重量である。NASAの発表によれば服装一式は84キログラムの重さがあるという。

これを地球上で着て歩くのは身震いするほどの重量だが、6分の1の引力なら問題はない。いま宇宙飛行士の体重が84キロあり、服装一式が同じ重量としても、6分の1の引力ならば28キロにすぎない。これは地球における宇宙飛行士の体重のわずか3分の1である。したがって飛行士は重い物を身につけないで地球上で飛ぶよりも、はるかに高く垂直に飛び上がることができたはずだ。

多くのプロスポーツマンは、バスケットボールのレイアップみたいに体ないっぱいに伸ばすと地上1メートルを超えてジャンプできる。こうしたスポーツマンは例外だが、コンディションのよいときの一般人でも垂直飛びで45センチは容易に飛べる。宇宙飛行士も地球上で普通に飛んでこの程度は可能だろう。アポロ16号が月に着陸したとき、ジョン.ヤングの垂直飛びを筆者は何度もフィルムで見たが、宇宙服の機動性と飛んだ高さについては問題がある。

870名古屋:2012/04/01(日) 15:03:20
地球上で少なくとも45センチの垂直飛びをするには、84キロの体重の人による約227キロの上向きの力を出すことによって可能になる。巻末の付録Fに方程式が載っているが、それには6分の1の引力で宇宙飛行士が飛んだ高さと、(背中に体重と同じ重量の荷物を背負っている)、地球で荷物なしに同じ飛行士が飛んだ高さの比較が出してある。いずれの場合でも上向きの力は同じだと考えられる。直立したままの垂直飛びでは両膝をわずかに曲げるだけだから、宇宙服は飛行士にたいしてほとんど妨げにはなるまい。月面のジョン.ヤングのテレビに映った姿は、正常な飛び方で飛ぶのに両腕と両足を用いることができたことを示している。

付録Fで計算された比較ジャンプカの比は結局四以上であることがわかった。これが意味するところは、宇宙服を着ていても、もし月の引力が地球の引力の6分の1だとすれば、ヤングは月面で1.8メートル以上をジャンプできたはずだということだ。だが実際には彼のジャンプは地面からせいぜい45センチ離れたにすぎない。筆者が観察したところによると、ヤングは数度、できるだけ高く飛ぼうとしたけれども、45センチ以上の高さに達することはできなかった。ヤングは本書(原書)の写真2にジャンプの1つでピークに達した光景を見せている。旗竿に比較して彼のヘルメットの上部の位置に注目されたい。批判する人は、彼が本当に飛んでいるのではなく、わざと最小限度の高さを保っているのだと言うかもしれない。しかし、もしそうだとすれば、背中の荷物や宇宙服なしに地球で同じようなジャンプをやれば、わずか12センチそこらしか浮き上がれないだろ。したがって、これはおそらく月には弱い表面引力しかないことを見せかけようとするヤングの最後のチャンスだったのだろう。なぜ彼は1.2メートルも飛んで世界に印象づけようと納得のゆく動作をしなかったのか? だが筋の通ったジャンプをやれば、月には弱い引力しかないという決定的を証拠となるだろう。しかも弱い引力ならば、荷物を背負い、宇宙服を着ていてもケガをする危険はほとんどないということになるのだ。

宇宙服は障害にならぬ

宇宙飛行士が月面で約45センチしか飛び上がることができなかったという知識をもって、さらに宇宙服の重量がNASAの言うとおりだとすれば、月の引力はひかえめにみても地球の引力の50パーセントはあると付録Gで計算されている。もしNASAが宇宙飛行士の服の重量を大げさに言ったとすれば、月の引力は少し強くなるはずだ。続く証拠は宇宙服の重量が34キロほどであったことを暗示している。付録Hでは月の引力は地球の引力の71パーセントあると計算されているが、これは次の仮定にもとづいている。

「ジョン.ヤングは月面で45センチ飛び上がった。彼の宇宙服と背中の荷物は地球でなら各34キロの重量がある。そして彼は地球でなら身に何も着けないで45センチ飛び上がれるだろう」

多くの評論家は、アポロ11号の宇宙飛行士が着用した宇宙服は極端に窮屈であるという印象を与えているようであった。

だがウィルフォード著の 『われわれは月に到着する』から引用する次の情報は、これは必ずしも当を得ていないことを示している。ウィルフォードの述べるところによると、ニール・アームストロングは地球の6分の1の引力のもとで、かさばった宇宙服と重い荷物を身につけながら容易に動きまわれることがわかったという。その服は地球でなら84キロもあるものだが、中にいる人間は歩いたり土を堀ったり登ったり月面に装置をおいたりできるほどに柔軟であった。またウィルフォードは、宇宙飛行士たちは月面で予想したほどに歩行や仕事に難儀を感じなかったし、カンガルーが飛ぶように容易に飛び上がったと述べている。

871名古屋:2012/04/01(日) 15:04:02
6分の1引力説は、「宇宙飛行士たちはどのように行動すべきであったか」 にくらべて「彼らが実際にはどのように行動したか」を説明するほうに問題をひき起こすのである。ジャンプするときの困難さは宇宙服のかさばりのせいではない。しかし実質上の月の引力は各種の問題を生じるだろう。

厳重な秘密保持

これまで出された情報に照らしてみると、秘密漏洩防止策が管制センターばかりでなく月面の宇宙飛行士の会話にまで及んでいたということは読者にとって驚くにあたらないだろう。宇宙飛行士がしゃべった望ましくないコメントを削除して編集し直す能力を当局は大衆へ伝達する前にいつも身につけていた。地上の管制センターが月から情報を受けて、それが一般のテレビに流されるまでには遅れがあったのだ。

以下はルイス著の『アポロの航行』からとった情報の要約である。これはアポロの使命活動に行使されたコントロールの度合を指摘している。それによると、宇宙飛行士の仕事はすべて前もって慎重に筋書きが書かれていた。宇宙飛行士たちは予定どおりに滞在するために、芝居の俳優のように忠実に筋書きに従うようにきめられていた。あらゆる行動が計画され、時機が定められ、記録されていたし、計画からどのように脱線しても、うまく説明し、正当化されたのだ。事実上、あらゆる出来事や行動は飛行計画によって左右されていた。この計画書なるものは電話番号帳ほどもある大きな台本である。

飛行士たちの会話でさえも慎重にコントロールされたらしい。特に飛行士たちが映画に振られているか、またはテレビ用に録画されていることを知ったときは、なおさらであった。飛行士たちの1人が緊急連絡をすると、これは当局によってあとから説明されるのである。

アポロ12号は11号による最初の月着陸よりももっと広範囲を使命を帯びていた。アームストロングとオルドリンは月面に2時間半しかいなかったのに、コンラッドとビーンは宇宙船から8000メートルも離れて、合計7時間以上もついやしている。この月飛行は多くの科学実験を含んでいたが、そのなかにはアルミニウム箔シートによる太陽風粒子収集の実験もある。これは後述の大気に関する章で述べることにしよう。

月の引力は6分の1ではない!はるかに強いのだ!

872名古屋:2012/04/01(日) 15:04:46
月の引力が強いことを暴露したアポロ12号の最初の重大な矛盾は、コンラッドが月面に向かってハシゴの最下段から最後の90センチを飛び降りた直後に起こった。以下の情報はルイスによるその事件の記事を要約である。 

「コンラッドが月着陸船の着陸パッドの上に立ったとき、彼は、その最後の1歩はニ−ルには小さな1歩であったかもしれないが自分には長い1歩だったと述べた。続いて彼はパッドを離れて、かなりうまく歩けると言ったが、落ち着いて自分のやっていることを見つめる必要があるとも言った。コンラッドが石のサンプルを拾い上げようとしたとき、ビーンが『倒れるな』と注意した。コンラッドが前方へかがみすぎているように見えたからだ。もし倒れたら宇宙服を着ているために起き上がるのが困難なのだろう。そこでコンラッドは、ビーンが自分で思うほどに早く敏速に動けるとは思わなかったと言った」

右の出来事ではどうやらコンラッドは最後の90センチのジャンプのことを言っていたらしい。というのは彼はニール・アームストロングの地面への飛び降りに言及したのであって、ハシゴの最下段への1歩のことを言ったのではないからだ。6分の1の引力で90センチの高さから飛び降りるのは、地球で15センチの高さから飛び降りるのと同じだろう。重い生命維持装置を背中につけていてさえも、90センチの飛び降りは宇宙飛行士にとってほとんど何ということはないだろう。彼らは自分の腕の力だけで体を降ろすことができたはずだ。いかなる困難をも感じる余地はないことななる。

コンラッドが地面を動き始めたとき、彼は重量のトラブルを体験したにちがいない。しかし重い宇宙服を着ていてさえ、宇宙飛行士たちは6分の1の引力で倒れたにしても立ち上がるのに問題はなかったはずである。彼らは自分の腕の力だけで地面を押して立ち上がれるだろう。彼らの月面での体重はわずか27キロしかないからだ。しかし出てきた証拠は6分の1引力説を裏付けていない。月の引力は地球の表面でみられる引力に近いことを示しているのである。

ライフ誌1969年12月12日号に掲載された写真には、アポロ12号の宇宙飛行士アラン・ビーンが重量86キロもあるというバーベル型の荷物を運ぶ姿を示している。この荷物は月の引力下で13キロしかないという写真説明は、その写真と矛盾している。なぜをらその写真では径約2.5センチの横棒が曲がって見えているからだ。この写真は本書(原書)では写真3として掲載されている。

この光景を撮影した映画ならばもっとはっきりする。ビーンが月面上をこの荷物をかかえて動くにつれて、両端の重い荷物により横棒が上下にたわむのだ。またその荷物はビーンの動きからみると相当に重いことは明らかだった。

残りのアポロ飛行について述べる前に、月旅行のために宇宙飛行士がどのような訓練を受けたのかを調べるのは価値のあることだ。84キロの体重の飛行士が、84キロもある生命維持装置や宇宙服を身に着けたとすれば、その合計は地球では168キロにもなるが、もし6分の1の引力なら28キロにすぎない。したがって、6分の1引力の条件を作り出した地球のシミュレーション(模擬実験)では宇宙飛行士とその荷物を地球での正常を重量の3分の1にまで減らす必要があろう。地球上で6分の1の引力を作り出そうとすれば、水中か、または人間が上下のいずれに動こうとも実際に人間と荷物を軽くするのに役立つような特殊を装置を用いる必要があるだろう。この方法のいずれもNASAが採用した。しかし1964年の初めに宇宙開発科学者は、水または特殊な装置を用いなくても月の仕事場の代用ななる場所としてオレゴン州を発見したのである。

873名古屋:2012/04/01(日) 15:06:17
オレゴン州でのバカらしい演習

宇宙飛行士たちは"月面上の脚〝をつくるためにオレゴン州ベンドヘ派遣された。まずウォルター・カニンガムが、月面でアームストロングとオルドリンによって使用されることになっていたある道具と、宇宙服、背にかつぐ生命維持装置などを徹底的に試してみた。ところが最初のテストのとき溶岩の上でカニンガムは体のバランスを失って親指をくじいて、服の手袋に小さを穴をあけたので、そのために服の内部の気圧が減ってしまった。

ここでは明らかに完全シミュレーションが試されたのだ。そうだとすればNASAの人々は重量の問題をどのようにして合理化できるだろう。こんなやり方で6分の1の引力の条件が作り出せるわけがない。たとえ背中の荷物がかなり軽くされたとしても、84キロの宇宙飛行士と宇宙服の合計重量は、要求される月面での重量の3倍をはるかに超えるだろう。

どちらかといえば、そのテストの本当の目的は月の引力が地球の引力とほとんど同じであると想定して実験を行うことにあったにちがいない。

オレゴン州ベンド地域で宇宙飛行士たちが宇宙服を着て全く自由に動きまわれたということは、宇宙服が84キロよりもはるかに軽かったということを暗示している。この演習のバカらしさはNASAの隠蔽策をきわめてはっきりさせている。1963年の初めにそのテストが始まっているので、月の強い引力が少なくとも1962年の初め頃に発見されていたことは明らかである。このことは本書の第3章で出された結論、すなわちレインジャー月ロケットが1962年までかそれとももっと早く月の引力を決定する情報をNASAに与えたということを裏付けている。

874名古屋:2012/04/01(日) 15:08:19
第5章(2) 月面における宇宙飛行士の体験 

NASAは何を隠そうとしているのか?

宇宙服は軽かった?

初期のアポロ飛行を通じて、アポロの宇宙服はおそろしくかさばって不便だという印象を大衆に与えようとされた。このことは月面における宇宙飛行士の動作を妨げることになる。そうなると飛行士は実際にはハンディキャップをつけられることになり、スポーツ選手のような離れ業を印象づけるのは不可能となるだろう。カニンガムが1964年に最上の字宙服を徹底的にテストしたときから1969年に最初のアポロ宇宙船の月着陸までのあいだに、この宇宙服の改良はほとんどなされなかったということは少々信じがたいことである。大衆はいつも、最上の装備が宇宙飛行士に与えられたと聞かされてきた。たしかにできる限りの最高の装備を開発するために充分を資金が出されたのだ。

ちょっとした詮索によって興味深い発見が明るみに出た。1971年に書かれた『宇宙への適合』の中で著者のロイド・マランは次のように述べている。

「実際問題として、ハミルトン・スタンダード社は1968年10月以前に、93パーセントの実効範囲でもってすでに宇宙服を完成させていた。その月にペンシルバニア州フィラデルフィアで開催されたアメリカ航空宇宙飛行協会の第5回年次大会に出序した宇宙開発科学技術者の前でそれを公開した。1週間にわたるその総会のあいだ、その宇宙服のなまの展示は広く関心と注目を引いたのだが、多少の不信をもひき起こした。見物人に、ふくらんだ宇宙服に大きな機動性をもたせ得ると信じさせることはむつかしいことだった。だがそのように作れたのだ。というのはアポロの月着陸計画に続く有人事宙飛行のより大きな機動性の要求を満たすための進歩した宇宙服が開発されたからである。」


筆者は主張したい。もし1968年の初めにこの服が当時使用できる最上の装備であったとすれば、NASAはあらゆるアポロ飛行で確実にそれが使用されるほどの時間的余裕と資金を持っていたはずであると。だが結局数10億ドルが月に人間を送るのに使われた。ひとたび人間が月に行けば、宇宙飛行士たちが最上の方法で自分の仕事を遂行できるかどうかを確かめるのは全く筋のとおったことである。もしその服が用いられなかったとしても、たぶんNASAは月には弱い引力しかないことを大衆に信じさせ続けようとしたことだろう。もし宇宙飛行士たちが口止めされていたとすれば、隠蔽策の中で息をするチャンスは少なくなるだろう。宇宙服のかさばりと重量は貧血を起こすようなジャンプと動きまわろうという試みのよい言い訳になるだろう。しかしアポロ16号の宇宙飛行士たちは改良された宇宙服がかなりの柔軟性を帯びていたと指摘されたのだが、それでも彼らは価値のあるジャンプの離れ業は不可能だった。

その後のアポロ飛行までには宇宙服に改善がほどこされたと大衆は聞いている。ナショナル・ジュオグラフィック詰の1971年7月号の『円錐型クレーターを登る』と題する記事の中で、筆者のアリス・J・ホールは次のように述べている。

「アポロ15号の着陸船は67時間も月に滞在できるだろう。これはアンタレスの滞在の2倍も長い時間である。宇宙飛行士が雑用で動きまわるときは、より大きな機動性が与えられるだろう」

読者はアポロ11号の宇宙服と16号の宇宙服の各サイズを比較すると、16号の服が見かけ上、かさばりが小さいことに気づくだろう。したがってアポロ16号の飛行士たちは、かりに6分の1の引力が存在していたとしても、月面で何らのトラブルも起こさなかったはずである。各種の丘は飛ぶような調子で登れたはずだし、遠距離も飛行士によって短時間で行けたはずである。

全然月着陸がやれなかった不運をアポロ13号の飛行前に、宇宙飛行士のラベルとヘイズはアリゾナ州プレスコット国立森林公園の中のバード谷でトラバースを練習した。これは計画された着陸地点の高度よりも約120メートル高い尾根にある円錐型のクレーターに到達する必要があるという体験を2人に与えるためであった。ここで筆者が再度読者に言いたいのは、月の引力が6分の1であるとすれば、アリゾナ州での練習は全く無意味だということである。月面上の彼らの重心は地球のシミュレーションとは違うだろうし、地球での重量は3倍も4倍も強いので、月の条件をつくり出すことはできないだろう。しかしその練習は地球に似た引力の条件をシミュレートするのにはたしかに有効だったろう。

875名古屋:2012/04/01(日) 15:09:16
もしカニンガムの荷物と宇宙服が84キロあったとすれば、彼は数分間で完全にへたばったことだろうが、そうではなかった。信じがたいことだが、彼の1964年のシミュレーションは宇宙服の気圧の問題を含んでいた。これが意味するところは、彼は酸素とある種の冷房装置を身につけているということである。さもなければ彼は熱の消耗で急速に死んでいたことだろう。こうした証拠のすべては、生命維持装置と宇宙服は、宇宙飛行士が長時間、月の強い引力のなかで行動できるほどに軽かったという結論を示唆するものだ。加うるにこれは1964年に早くも達成されており、1969年までには開発努力によって宇宙服をかなり軽くしていたと思われるのである。宇宙服と生命維持装置の合計重量は、おそらく34キロ以下であったろう。NASAが入手した外国産の軽い金属と最もよく知られた材料がこれを確実にしたことだろう。

難儀な月面の徒歩旅行

月に向かう途中で発生したアポロ13号の不運に続いて、アポロ14号の打ち上げまでに調整などで10ヶ月の遅れが出た。この飛行はフラマウロ高地帯へ着陸するという新たを試みとなるもので、この飛行のハイライトは円錐型クレーターに向かって2.9キロの"遠足〝をすることにあった。

ところが問題が起こった。というのはこの徒歩旅行はほとんど登り坂のため、宇宙飛行士たちはMET(基準寸法装置運搬車)を交替で引っ張る心要にせまられたからだ。最初の月面徒歩旅行でルイスは、シェパードとミッチェルが踊るような足どりとカンガルー飛びで動きまわったと言っている。具合のわるいことに最初の徒歩旅行は彼らをへたばらせたにちがいない。円錐型クレーターへの旅行で彼らは息を切らせてあえいでいたし、心臓の鼓動も早くなっていたからだ。この難儀な状態は84キロあると思われる彼らの半硬式でわずらわしい宇宙服と背中の生命維持装置のせいであった。

飛行士の体重、宇宙服、生命維持装置の合計重量が6分の1の引力では28キロを超えるはずがないということを理解するのは読者にとって重要である。これが彼らの地球の重量の大部分とはほとんど考えられない。前日、踊るような足どりとカンガルー飛びで動いていた男たちにとって、小さを丘は恐るべき存在になったように思われた。もし月の弱い引力が登り坂を歩く宇宙飛行士たちにこのような恐るべき存在になったとすれば、最上の状態にあると思われた飛行士たちの健康状態はたぶん過大評価されていたのだろう。ほとんど努力しないで急スピードで丘を登る容易さと長距離をトラバースすることについて、宇宙飛行士によるコメントが聞けるものと思われていた。

幸いにもアポロ15、16、17号は、月の敵対的を環境や途方もない"6分の1"の引力にたいして、宇宙飛行士たちを屈服させなかった。月面車は目的地への道のほとんどにわたって彼らを運ぶはずであった。

アポロ14号の飛行士たちが円錐型クレーターの南側面が見える位置まで来たとき、シェパードが片膝をついて石を拾い、立ち上がろうとしてミッチェルの助けを求めた。目的地までの道のりの3分の2の所で、登り坂を歩くにつれて彼らの脈拍は1分間210まで上がった。以下の情報はこの徒歩旅行に関するルイスの記事を要約したものである。

「彼らのひどい呼吸はヒューストン、ニューヨーク、ワシントン、フロリダで聞かれた。それが続くにつれて徒歩はますます困難になってきた。クレーターの縁は近いように思われたが、一同はその方向に意義のある前進をすることができないのだ。登るにつれてシェパードの脈は150に達し、ミッチェルは128になった。2人はしばしば休息した。4時間の徒歩旅行の半分以上をついやした後、シェパードは円錐型クレーターの縁までまだ30分はかかると見積もった。そこでシェパードは、あと30分かけても緑まで行くのに充分な時間はないと判断したのである。結局飛行士たちは円錐型クレーターには全然到達できなかった。一同は坂を下って"気味悪いクレーター"の方へ引き返して岩石の採集をし、それからトレンチを堀るためにトリプレットの方へ行った。

876名古屋:2012/04/01(日) 15:09:54
どうやら2.9キロメートルの遠足はうまくゆかなかったらしい。宇宙飛行士たちがそこへ到達しようとしてさほど一生懸命に努力しなかったとすれば、これはそれほど驚くべきことではない。結局彼らは道すがら記録による裏付けとサンプル採集の仕事があった。地球でならあらゆることを考慮すれば、これは納得のゆく時間量であるはずだ。しかし月面の6分の1の引力なら宇宙飛行士たちは少なくとも時速8キロの歩行速度を保つことができたはずである。もし彼らが目的地へ行く道の3分の2の位置にいたとすれば、時速8キロの割合で6分間でもって残りの800メートルを歩行できたであろう。しかし彼らは30分間でもそれをなし得ないと判断した。地球でなら、彼らは残りの距離をのろのろ歩いて時間切れに間に合ったかもしれないが、しかしこれは月面でのことで、いわゆる6分の1の引力下とされているのだ。

わざとスローモーション映画にしたのか

ついに彼らは着陸地点へ引き返して、ALSEP(月面科学実験装置)の装置類をチェックし、それからシェパードはよく知られている6アイアンのゴルフのテストをやった。このテストの目的は、月の弱い引力でボールがどれだけ飛ぶかを見せることにあった。1個のボールは90メートル、他のボールは360メートル飛んだと思われている。これに関連した種々の不確実を要素のために、この距離に関して結論を出すのを不可能にしている。しかしこれまでに打ち出した月に"強い"引力があるという証拠は、その打球テストでそれほどの意義のある距離が出るはずはないことを示している。

著者は映画でアポロ14号の宇宙飛行士の1人を観察した。その飛行士はまともに映写されれば完全に正常な状態で歩けたかもしれないと思われるセミスローモーションで走っていた。その飛行士が地面から高く飛ばなかったことと、歩行間隔は地球の歩行以上に大きくなかったことを考えると矛盾が起こってくる。そのスローモーション効果はこの事実を覆い隠すことはできなかったのだ。これは宇宙飛行士の体重が実際よりも軽くなったという印象を与えようとして、動作がのろくなるようにわざと映画のフィルムの映写スピードを落としたことを暗示している。スローモーション効果を出せば、被写体は緩慢に着地するように見えるので、大衆は月には弱い引力があるということに納得するだろう。

1979年に放送されたアポロ11号の10周年記念のテレビ特別番組で、月面の宇宙飛行士の短い録画を再放送した。筆者は月面のテレビ画面をうんと見たかったのだが、1時間にわたる特別番組の中でそのフィルム映写の時間は2分足らずだった。もっと悪いことに、その映画は各場面のあいだが多くカットされているようだった。そのため映画は変化が激しくて、宇宙飛行士たちは昔の映画みたいに超スピードで動きまわるように見えた。たぶん他の視聴者も自問したことだろう。

「この歴史的な出来事を撮ったオリジナルフィルムをなぜこんをつまらない映し方をするのか、なぜもっと注意を払わなかったのか」と。かわってこの番組は月旅行の準備と宇宙飛行士たちの生活面に焦点をあてていた。アラン・シェパードがコメントして、月面の6分の1の引力について力説していた。

877名古屋:2012/04/01(日) 15:10:46
不可解な月面車

アポロ15号は宇宙飛行士に月面で遠距離を行かせるために、初めて月面車を採用することにをった。ミッチェルとシェパードが月面でトラブルを起こしてからは、この月面車はほぼ必需品とをった。アポロ15号はハドレー・アベニン山地域へ行くことになっており、ここで月面車が飛行士たちをかなりけわしい傾面へ運び上げるはずだった。だが月面車があってさえも、スコットとアーウインは着陸船から9.6キロの半径内にとどまらねばならなかった。これは故障の場合に着陸船へ歩いて帰れる最大限の距離である。


この月面車なるものは月の6分の1の引力に合わせて作られたと思われていたが、よく調べてみると、これは地球の引力に近い引力に合うような乗物に似ていることを示しているのだ。それは長さ約3メートル、高さ1.2メートル、ホイールベース(自動車の前後輪の車軸間の距離)が2.25メートル、輪距が1.8メートルである。車輪は径80センチで、接地面にはチタンの山形の刻みがある。見たところ地球のタイヤとほとんど変わらない。各車輪は個別に短距離用の電気モーターをそなえており、アポロ16号の場合、最高スピードは時速17キロメートルと公表された。本書(原書)の写真4はアーウインと月面車の写真で、バックにはハドレー山が見える。

月の引力を6分の1とすると、月面では科学通信機器を積んだ人間の乗らない月面車は54キロ以下になる。宇宙飛行士は着陸船の横腹から月面車を降ろし、それを組み立ててから使用することができた。ルイスによると、地球での訓練期間中よりも月で月面車を降ろすほうが困難だったという。

降ろす作業中に次のようなこ言葉が月から地球への無電で聞こえた。

「落ち着けよ」「うまいぞ」「もう楽だ」どうやら6分の1引力下でわずか54キロかそれ以下の重量しかないはずの物体で2人の宇宙飛行士が悪戦苦闘していたらしい。月面車の積み降ろしや組み立ては地球で訓練されていたので、月面のほうがむつかしいということはなかったはずだ。むしろ月でのほうが容易だったはずだが、そうではなかったのだ。

スコットとアーウインが複雑なネックとウェストのついた最新式の月面服を着たことは意味深長である。この服のおかげでターンしたり首をうをずかせたり、ぐるっと回したりできるし、それ以前の宇宙飛行士よりももっと容易に前にかがむことができた。したがって月面服のかさばりは、月面車を降ろすときの飛行士の動作にたいするへたな言い訳にすぎないように思われる。残る唯一の可能性は月の強い引力である。なぜなら地球での訓練は機械上の問題や作業の困難さを排除するために行われたからだ。

月面車を扱う際に月で起こると予想された諸問題は、1966年に出たローレンス・メイサク著の『月面での生き残り』と題する書物で論じてある。著者によると、弱い引力のために安定性が最もうるさい問題の1つだという。そして重心を低くしなければならぬので、トレッド(輪距)も広くしてひっくり返るのを防がねばならぬと述べている。したがって、ミニサイズの乗物でも荒地上でスピードを出すには約7メートルのホイールベース(前後の車軸間の距離)を必要とするだろう。しかしホイールベースがあまりに長いと、進行方向の障害物をよけるのがむつかしくなってくる。

878名古屋:2012/04/01(日) 15:11:35
メイサクが考えた乗物の車体は、平らな地面上にある場合、90センチのクリアランス(車体底面と地面とのすき間)をもつ径約2メートルの円筒型である。

地面から1.8メートル以内に重心を保とうとすれば、6メートルのトレッドを必要とする。メイサクは6分の1引力下での荒地専用の乗物を設計しようとしていた。彼の案になる設計は、この乗物ならば岩石にひっかかることもなく、地球式の乗物ならたやすくひっくり返るような引力条件下でも安定を保つことを証していた。

月の引力が6分の1ならば月面車がどのように作動するかを調べるための分析結果が付録Ⅰに出ている。

月面車は月面上で固まっていない砂ボコリや岩石に遭遇した。このタイプの地面ならば普通の舗装道路よりも牽引力は落ちるだろも月面車は約700キロの地球重量があった。6分の1引力下ならわずか58キロの力で月面車を横滑りさせるだろう。したがって時速16キロメートルの最高速度で進行する場合、半径25メートル以下のカーブを描くように車輪が回転すれば、その乗物は横滑りし始めるだろう。時速8キロメートルでさえも、最小カーブは6メートルとなる。オペレーターは急速な方向転換をしないように極力注意しなければならない。急激にターンするとひっくり返るからだ。月面車は特に危険である。宇宙飛行士たちは月の地面から上方約1.5メートルの位置に重い背のうの生命維持装置を背負っていると思われていた。月面車の座席は地面から約90センチにすぎない。したがって地球重量で382キロという宇宙飛行士たちの合計重量の大部分はこの上にうまく乗っかっていたのだ。こうして、月面車は、右に引用したローレンス・メイサクの提案による月面車設計基準には従っていないのである。

作動し得る最大の制動力も月面車の月面重量にかかっている。6分の1の引力下では、わずか58キロの制動力で車輪を動けなくするだろう。この割合ならば時速16キロメートルで進行する月面車を停止させるのに、ほとんど6秒と12メートルを要するだろう。これは障害物のない平らを地面なら受け入れられるが、月面には岩石やかなりの大きさのミゾなどがあるので、月面車を傷つけたりひっくり返ったりするのを防ごうとしてそれらをよけるひまはないだろう。結局、6分の1引力下で月面車が月面上を走るのは危険だということは容易にわかるのである。6分の1の引力が存在するとすれば、月面車でけわしい丘を登り降りするのは自殺行為に等しいことになるだろう。

このことは月が地球の引力にほぼ等しい強い表面引力を持つという決定的な証拠を提供するものである。

アポロ16号では月面服にもっと多くの修正がほどこされた。そしてNASAは打ち上げを1972年3月17日まで延期したが、これはもっと柔軟性のある服を強化し、ロケットの垂直上昇中の見事を分離を確実にするために、ドッキング投下装置を作り直すためである。

アポロ16号は宇宙開発計画の実際の発見事に関して貴重な情報を提供した。読者はこの章の初めに述べられたジョン・ヤングのジャンプの離れ業を思い出されるだろう。彼はアポロ15号の改良型の服よりももっと良いと思われた改良月面服を着て行動していた。また読者はこの最新式の服が1968年に初めて発表されたハミルトン・スタンダード社のデザインに沿って作られたのではないかとさえ思うだろう。

879名古屋:2012/04/01(日) 15:12:20
最初のEVA(宇宙船外活動 でヤングとデュークは月面車を実地で試みた。着陸地点に接近するにつれて時速17キロメートルに達する最高加速度でヤングが月面車を運転した。ルイスによると、地面はでこぼこで、スピードを出して急角度のターンをやる"グランプリ"レースで、月面車がどのように作動するかを2人は知りたがっていた。6分の1引力条件ならこのショーは間違いなく大惨事に遭遇したことだろう。

厳重に監視されていた宇宙飛行士

月面におけるアポロ16号の初日の終わりに"ホットマイク"事件が起こった。

宇宙飛行士たちは自分たちの会話が一般に放送されるシステムで聞かれるかもしれないとわかっている場合、自分のしゃべることについては慎重になれと前もって言われていた。ルイスの記事から引用したこの事件の要約は次のとおりである。

「ヤングとデュークは明らかにマイクロフォンがオフになっていると思っていたので、管制センターの一般放送システムによって聞かれていると思った場合は警戒してまともに話し合ったことだろうが、このときはもっとざっくばらんな言葉で会話をし始めた。そこでヒューストンのセンターはヤングに呼びかけて、君はホットマイク(緊急連絡用のマイク)を持っているのだぞと告げた。ヤングは詫びて、こんな場所でホットマイクを持つのはときとして恐ろしいことだと述べたのである。そこでセンターは、ホットマイクがオンになっていたのを知らなかったところをみると、君たちはずいぶん立派な仕事をやったのだなと伝えた」

上の情報からみて、宇宙飛行士たちはヒューストンのセンターによって注意深く監視されていたことが読者にわかるだろう。加うるに彼らは自分たちのマイクロフォンがオンになっているときは大体に自分をコントロールし続けているのである。上の例ではどうやら何かの装置のトラブルでマイクは切れていると思ったらしい。こうした性質の暴露情報は、単なる1つの出来事とみれば無意味だが、本書に提示された大いなる暴露を示す資料の背景には、このような小さな証拠が大きな比重をもつのである。

チャールズ・デュークは月面で明らかに難儀な目にあっていた。彼は何度も倒れ、つまづいたり倒れたりする彼の姿を写した一連の写真が多くの新聞に現れた。

この転倒は月に弱い引力がある証拠として、ニューズ媒体によって実際に現れた。だが6分の1引力ならば物体が倒れるのに約2.5倍の長さの時間がかかるので、デュークは立ち直る余裕は充分にあったはずだ。しかも彼が最も進歩した最新式の月面服を着ていたことを考えれば、こうまでたびたび倒れたというのは驚いた話である。この服は彼以前の宇宙飛行士以上に多くの柔軟性を与えたと思われていたのだ。

アポロ17号の目的地は晴れの海のくぼ地の南東にある山系で囲まれたある谷だった。サーナンとシュミットは月面車を組み立てて乗り込んでから最初の船外活動を始めた。サーナンに関する次の興味深い記事は『アポロの航行』から要約したものである。

880名古屋:2012/04/01(日) 15:13:05

「サーナンはひどく興奮したらしいので、カプセル通信者のパーカーが、君の代謝作用率は上がっているぞと警告した。これはサーナンが多くの酸素を使用していたことを意味する。サーナンは今生でこれほど興奮したことはないと答えて、みんなは落ち着くだろうとパーカーに伝えた。そして無重量状態で自分を処理することに慣れているせいだと思うと言った。そこで天文学者のパーカーは、サーナンが6分の1の引力で行動していると思うと述べた。サーナンの答は次のとおりだ。『そうです。われわれがいる所は……全然』月の引力に答えたサーナンの最後の発言は、彼がその議論を避けたがっていたことを暗示するらしい。たぶんパーカーは強い引力に気づいていなかったので、戸惑わせるような質問を発したのだろう。

なぜ大気の測定をたびたびやったのか

アポロ17号の目的の残りは科学実験にあてられた。シュミットは地質学者なので、非常に広範囲の地質研究が多くの月の岩石によって行われた。加うるに、重力計、大気成分検知器、それに地表下に水か氷が存在するかどうかを調べる装置などによる実験も行われた。大気に関する実験はアポロ15号と16号の目的の1部でもあったので、大気の密度は調査する価値があるし、先行したアポロ各号の発見事が異なる位置でそれをもっと測定する必要があることを示したと結論づけるのは筋が通っている。もし月が科学者の主張してきたのと同じほどに真空であるとすれば、何度もくり返して大気の測定をやる必要はなかったはずだ。月は真空状態だという仮説が、月の弱い引力にもとづいているのは興味深い。大気を保つためには、かなりの引力が必要なのだ。

こうした概念を心にとどめながら、6分の1引力概念にもとづいた月の大気説を第6章で説明しよう。月には強い引力が存在することも述べるつもりである。

881名古屋:2012/04/01(日) 20:44:47
原発興国論

渡部昇一先生の力作論文「原発興国論」です。

この論文がでるや、「これって日本人?」と疑問に思えるような、きわめて感情的な批判サイトが続々とネット上にあがっています。
ということは、それだけ核心をついた論文であるということであろうと思います。
(最近は、批判を受けているサイトの方がまともなことを書いているというケースの方が多いので)。


渡部昇一先生の論文の「原発興国論」は、
1 放射線は人間にとって不可欠な存在であること
2 カリウム40によって普通の人でも大体6000ベクレルの放射線を持っており、これを取り除くと
人間は死亡するという事実
3 低放射線は人体に害があるどころではなく、免疫力を高めガンになりにくくするなどの効果のあることも解明されていること
4 にもかかわらず、依然として放射線害悪論、放射能ヒステリーが横行しているのか、そして学会においてもLNT仮説という迷信がまかり通っているのはなぜなのか。

といった疑問に対して、たいへんわかりやすい事例を交えながら、極めて論理的に回答を与えてくれています。
この説明を読んでなおかつ放射線恐怖症が全くおかしいということが理解できない人がいるとしたら、その方の常識と論理的な判断力を疑いたくなる。

原発についても、「脱原発論の正体」が余すところなく明らかにされています。
要するに日本の不利益になることは、即、中国・韓国に利益に直結するのだという事がよくわかります。

そもそも原発で死者など1人も出ていないのに、これを過剰に危険視するところから反原発・脱原発論は出発しています。
スタート地点がすでに誤っているのです。
にもかかわらず、誤ったスタートを何か絶対的な正義でもあるかのようして、きわめてヒステリックは危険論を宣伝する。
「事実」よりも「宣伝」を重要視するのは、中共外交や韓国外交、そして日本の左翼や在日朝鮮人らの特徴です。

そして彼らの主張の行き着く先は、日本の産業空洞化、科学技術力の劣化、産業競争力の低下だけにとどまらず、中共や韓国の圧倒的な経済的、政治的、軍事的優位をもたらすというのが、「脱原発論」の正体です。

世界的なエネルギー資源問題という視点からしても、原子力発電の果たしている役割が極めて重大であることを見逃しているのが脱原発論なのです。

現実問題として、原子力発電が使えないということになれば、石油や天然ガスなどのエネルギーコストは急騰します。
現在石油が1バーレル100ドルを超えて上昇していますが、150ドル、200ドルとなってしまう。
ガソリン代は、いま140円前後ですが、既に近々170円台になるであろうと予測されていますし、放置すれば、リッター300円台になってしまう危険さえあるのです。

いまの時点では、太陽光や風力発電では、とてもではありませんが、世界的なエネルギー供給を賄うことなどできません。
供給が需要に満たなければ、必然的に石油価格が高騰してしまうのです。

脱原発論者の主張は、全くこうしたグロ―バルな視点を欠いているということです。
ひらたくいえば、「幼稚な論」です。

読んでいない方には是非渡部論文をお読みすることをお薦めします。
ご参考までに以下見出しを写しておきます。

なお追加情報ですが、『脱原発のウソと犯罪』(中川八洋)(日新報道)が出ました。
エセ科学者として小出裕章・武田邦彦・小佐古敏荘・児玉龍彦の言っていること全くウソ・矛盾に満ちたものであることを完膚なきまでに暴かれています。
個人的な中傷、行き過ぎなど賛成できないところもありますが、これもお薦め本です。

882名古屋:2012/04/01(日) 20:45:23
一、「はてな」のはじまり
二、福島原発事故のあと―日本財団で聞いた話
三、福島原発事故のあと―ラッキー・茂木情報 宇宙空間での影響
四、どうしてこんな誤解が―量の問題
五、どうしてこんな誤解が―ノーベル賞の罪「いけない点」とは
六、マラーの実験の致命的欠陥 放射能ヒステリー
七、風評被害の原因 LNTという“ドグマ”
八、「汚染」は利用できる
九、菅首相の意義 韓国を利することに 売国奴のデマゴーグ
十、代替エネルギー論の怪しさ 忍び寄る産業空洞化
十一、どっかの手先の人達 「むつ」の最期 「成熟」ではない
十二、日本近代史とエネルギー エネルギー転換に衝撃 原発関係者に感謝
一三、明るい未来への道筋 日本の救世主

※以上の文は、2月28日に史実を世界に発信する会の茂木さんからいただいたメールをもとに作成しました。

ボクは放射能については、ズブの素人です。
見えないものだし、正直よくわからない。

けれど普通に考えて、ラドン温泉なんて、あれは放射線温泉でまことに健康によいものだし、レントゲンやCTスキャンなんてのも、放射線を活用したものであることは間違いないし、宇宙空間では地上よりはるかに高い放射線がとびかっていることも、学校の物理の授業で普通に教えられることです。

なんでもそうなのだけれど、自然にあるものというのは、なくては困るし、ありすぎたらよくない。

原爆被害にあった広島、長崎では、ピカドンで多くの人が亡くなったけれど、これは一時に多量の放射線を浴びたことと、爆発の熱風による被災によるものです。
けれど被爆して生き残った方々は、どうしたわけか健康でご長寿で、いまや広島、長崎とも日本を代表するご長寿都市になっているという事実があります。

一方、福島原発の事故については、津波被害が起こったとき、米国はいちはやく最悪の事態である核爆発を想定して、米政府は日本に駐屯する米軍に対して即時、非常警戒態勢をとる命令を出していたことが、先般、米国からの発表で明らかとなりました。

これに対し当時の民主党菅内閣は、最悪の事態の想定どころか、ただ騒ぎ立てるだけで当初は具体的対策はまるでとらず、かえって現場の混乱に拍車をかけただけ、という情況でした。
もし本当に、政府が危険と認識していたならば、当時の対応はもっと素早く、またもっと徹底したものであったのではなかろうかと思うのです。

要するに、一年前の情況を思い起こしてみれば、日本の民主党政府が行ったことは、ただ単に民間の「不安」を煽るだけで、具体策はほとんど何も講じていない。
ということは、裏返しにいえば、政府自体が「何の問題もないことを知っていた」といえるのではないかとさえ思うのです。

要するに、いまだに放射線防御服を着せ、被災地への立ち入りを禁止しているのは、単に不安を煽ることが目的で、現実には「問題はない」と知っていた。
もしそうであるとするなら、これほど庶民を愚弄した話はありません。

そもそも当時政府が決めた放射線許容量なるもの自体が、原発の有無と何の関係もなく自然放射されている放射線量を下回る基準値です。
こんなバカな話はない。これこそ、笑えない話です。

保守というのは、リアリストである、と以前書きました。
資源エネルギーの問題は、日本の産業振興に欠かせない極めて重要度の高い問題です。
原子力の活用は、日本経済の死活問題ですらある。
けれど一方では、原子力は多大な危険を伴うものでもある。

ならば、その危険を回避するために、最大限の努力を払いながら、上手にこれと付き合って行くことこそが大事なのではないかと思うのです。
すくなくとも原子力をめぐる資源エネルギーの問題は、教条主義的のドグマで語ったり、レッテルや宣伝工作で語るべきものではないと、思うからです。

883名古屋:2012/04/01(日) 20:48:02
天皇陛下万歳!

世界最強の天皇陛下

日本のご皇室は、世界最古の皇室です。
今日はそのことを書いてみようと思います。

ご皇室は今上陛下で第125代になります。
初代神武天皇が即位したのが紀元前660年年2月18日で、いまから2672年前のことです。
そして世界の諸王朝と異なり、日本のご皇室は125代が断絶することなく続いています。
これを万世一系といいます。

これについて、育鵬社の田中英道さんが、素晴らしい文を書いておられますので、まずこれをご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【世界最古の君主国日本】田中英道

日本は世界史上最長の歴史を誇る王朝であり、皇室は今もなお凛と輝きを放っている。

初代の神武天皇が即位されたのが紀元前六六〇年。
以来二千六百年以上の間、神武天皇の男系の子孫が脈々と皇位を継承してきた。
これを「万世一系」という。
そして現在の天皇陛下は第百二十五代であらせられる。

神武天皇の即位によってヤマト王権が誕生し、それが後に大和王朝となり、現在の皇室に繋がる。
大和朝廷から現在の皇室までの間には、王朝交替を示す、考古学的事実、文化の断絶、文献資料などは認められず、一つの王朝が継続していることは疑う余地がない。

しかも、王朝だけでなく国家にも断絶は認められない。
確かに政治の仕組みは時代と共に変化してきた。

大和朝廷が成立してから間もなく、政治的実権は天皇の手を離れ、豪族が政権を担った。
平安時代後期には初の武家政権が誕生したことで朝廷から政治的実権が切り離され、それは幕末の大政奉還まで続き、明治維新に至る。
そして大日本帝国憲法発布によって我が国は立憲君主国となり、現在は日本国憲法の体制下にある。

しかし、それら統治機構の変更は「政体」の変更であって、天皇が君臨する状態、もしくは天皇と国民が目に目いない絆で結ばれた状態を示す「国体」は建国から一貫して変更はない。
よって、我が国は朝廷の歴史に断絶がないだけでなく、国家の歴史にも断絶はない。

大和朝廷と現在の日本国は同一なのである。
日本の皇室が世界史上最長の歴史を誇るだけでなく、我が国は現存する国家の中で、最古の国家ということになる。

現在でも正史である『日本書紀』を根拠に、神武天皇即位にちなんだ毎年二月十一日が「建国記念の日」とされている。
国家にとって建国の記念日は最も重要な日だが、日本は「建国記念の日」を『日本書紀』を根拠に設定している。

884名古屋:2012/04/01(日) 20:49:22
このことを重く受け止めるべきだろう。
日本人であれば、好むと好まざるとにかかわらず、正史『日本書紀』が建国の歴史をどのように書き記しているか、知っておくべきではないか。

初代天皇の即位によって我が国の歴史が始まった。
日本の歴史は天皇の歴史であり、また天皇の歴史は日本の歴史なのである。

ところが、「万世一系」、脈々と王朝が継承されることは容易ではなく、世界広しといえども、百代以上継承された王朝は日本をおいて他にない。
ヤマト王権が成立した年代については諸説あるが、『日本書紀』を根拠にすると二千六百年以上前、また最も短い説を採用してもおよそ千八百年前となる。

皇室の歴史は約二千年ととらえてよい。
次いで二番目に長い歴史を持つデンマーク王朝は千年余り、また三番目の英国王室は九百数十年の歴史であるから、比較すると日本の二千年がいかに長いかがわかるだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

古い王室といえば、戦後左翼がよく主張することに、エチオピア王室は日本の天皇より古い歴史を持つ、というものがあります。

なるほどエチオピアは、古代ソロモン王とシバの女王の子メネリク1世を始祖として、約3000年の歴史を持つ国家ですが、王統は途中何度も別な王統にとって代わられています。
つまりエチオピアでは、支那と同様に、様々な王室が立っています。ですからたとえば愛新覚羅家の大清帝国と今の中国共産党体制が何の血統もないのと同様、エチオピアにおいても、そこに三千年前からエチオピアという国があったのは事実だけれど、国王に血統の同一性はありません。

そもそもソロモン王とシバの女王の間に子がいたという説そのものに無理があるとさえいわれている。
さらにいえば、昭和50年に廃位したエチオピア王家の系図自体、近代になってから書かれたものであり、その信憑性はかなり疑わしとされています。

日本に次いで古いデンマーク王室は、西暦936年頃にいまの王朝が成立していますが、この王朝を開いたのがゴーム老王で、13世紀にはバルデマー二世が北欧のスエーデン、ノルウェーまでをも含む広大なエリアを平定しています。

ところが王室内部の紛争によって、広大なエリアを領土としたデンマーク王国は分裂し、スエーデン等の国々に別れます。
このためいまも続くノルウェー王室は、デンマーク王と同じ家系ですが、家系はデンマーク人であり、ノルウェー人とは民族が異なります。

またスエーデン王室は、デンマーク王の家系をフランス人が打ち破って開いた王朝で、こちらは西暦1523年から続く王朝となっていますが、それでもまだわずか23代を数える王朝です。

また多くの日本人におなじみの英国王室は、日本、デンマークに次いで世界で三番目に古い王室で、1066年に成立していますが、初代王のウイリアム一世はフランス人であって英国人ではありませせん。

要するに2672年の長きにわたり、血統を継続して来たのは日本の天皇だけであり、天皇は世界最古のご皇室である、ということです。

ローマ法王といえば、2000年の歴史を持つ、世界でもっとも権威ある存在のひとりです。
英国国王でさえ、ローマ法王には上座を譲ります。

ところが、そのローマ法王が唯一、自ら上座を譲るのが、日本の天皇です。
わたしたち日本人は、それだけすごい皇室のもとに生まれている。

ちなみに左翼系の教師や評論家は、陛下をまるで税金で養われている暇人のように宣伝するけれど、これも大きな間違いです。

885名古屋:2012/04/01(日) 20:49:40
陛下のご公務は、年間2000件にもおよび、その中には閣議決定書類への押捺、国会開会式へのご出席、認証官任命式、外国特命全権大使の信任状捧呈式、勲章親授式などの政治、行政関連のご公務に加え、年間400件を超える海外からの賓客との会見、2700年の伝統に育まれた各種宮中行事、さらには全国戦没者追悼式、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式、日本国際賞授賞式、国際生物学賞授賞式などといった式典へのご出席、国内各地への行幸、海外へのご訪問など、まさに超人的なハードスケジュールを、日々おこなしになられています。

そしてさらにもっと大切なことがあります。
それは、天皇は憲法によって規定された存在ではない、ということです。
ですから「天皇制」という言葉は、それ自体が誤りです。

なるほど天皇の行う国事行為は、法の定めるところによっています。
けれど天皇の存在は、その国法よりさらに高いところにある。
それが我が国の「国体」です。

古くは、鎌倉幕府も、室町幕府も、江戸幕府も、征夷大将軍職は天皇の認可によってはじめて国政を委ねられた存在となっています。
天皇が征夷大将軍に任命するまでは、源家も、足利家も、徳川家も、単なる軍閥にすぎません。

そして大日本帝国憲法が制定された明治国家においても、GHQ以降にはじめられた日本国憲法下の日本においても、政体は天皇の任命と認可によってはじめて機能するように出来ています。

日本という国は、開闢以来一貫して、ご皇室を国家の柱としてきた国なのです。

886名古屋:2012/04/02(月) 00:33:57
霊的人類史は夜明けを迎える

●四つの思想上の特徴
  シルバーバーチによると、人間界の問題はあくまでも人間どうしで知恵を出し合って解決すべきであって、そこに霊界からの強制があってはならないというのである。シルバーバーチはよく、「あなたの理性が承服しないものは、どうぞ遠慮なく拒否なさってください」と述べている。それも同じ考えからで、それはたとえば守護霊と人間との関係についても言える。
  守護霊(英語ではガーディアン)という用語には、日本語でも「守る」という意味があるところから、この文字だけを見た人は「何でもかでも守ってくれる霊」と受けとめて、その考えで現実を振り返って、「おかしいではないか。少しも守ってくれてないではないか」と言う。が、守るといっても、母親がヨチヨチ歩きの子供を「ケガをしないように」とついてまわるのとは次元が違う。母子の関係は同じ平面上のことであるが、守護霊と人間とは“波動の原理”で結ばれており、波長が合い、守護霊の監視下にあるかぎりは心配ないが、つい邪(よこしま)な考えを抱いたり、憎しみや自己顕示欲が強くなってくると、それを機に、邪霊・悪霊といった低級霊に操られることになる。
  次に挙げられるシルバーバーチの教えの特徴は「苦労に感謝しなさい」ということである。苦労こそ魂の肥やしであるという考えのもとに、人間生活ならではのさまざまな悩みごとや難問と正面から取り組み、自分の力で解決していきなさい、と言うのである。そこには“ご利益”的な要素はみじんもない。「わたしの説く真理を信じても、それで人生の苦労がなくなるわけではありません」とまで言っている。
  たいていの宗教が「ウチの神さまを信じたら病気も悩みも苦労もすべてなくなります」と宣伝する中で、シルバーバーチはその逆を言うのである。なぜか。それは、地上という世界が魂のトレーニングセンターのようなところだからである。せっかく鍛えに来たのに、何の苦労もなく、のんびりと過ごしたのでは意味がない。シルバーバーチの霊訓が“大人の教え”と言われるゆえんはそこにある。甘ったれは許されないということである。
  次に挙げられるのは「サービスこそ宗教」という教えである。日本語でサービスというと、オマケとか待遇の良さといった安っぽい意味が感じられるが、英語のservice の本来の意味は「人のために自分を役立てること」ということである。どんなに小さい行為でもよい。人を喜ばせる行為、人のためになる行為こそ、一宗一派の教義を信じて宗教的行事に参加することより、はるかに霊的な宗教的行為であるというのである。

887名古屋:2012/04/02(月) 00:34:50
  最後に挙げる特徴は、“因果律”を宇宙・人生の根本原理としていることである。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」というのはずいぶん言い古された諺であるが、「やはり真実です」とシルバーバーチは言う。善因善果、悪因悪果、因果応報などともいうが、これに関して注目すべきことは、シルバーバーチはその因果律をただ歯車のように巡るのではなくて、“魂の向上進化”を目的としている点である。
  これはスピリチュアリズムの特徴といってよい、きわめて大切な原理である。上にあげた3つの特徴も実はみな、この“向上進化”という目的があればこそ生きてくるのであり、人生問題のすべてがそこに帰着する。たとえば善悪の問題でも、伝統的宗教の教えや古くからの生活慣習を基準にして判断するのではなく、当人の魂の向上にとってそれがプラスになるかマイナスになるかで判断すべきであるというのである。
  われわれ地上の人間は、どう長生きしたところで7、80年か、せいぜい百年程度であるが、シルバーバーチは死後3千年にわたる生活の末に、今この地球という故郷に戻ってきて、その間に学んだ宇宙の摂理と、地上生活を有意義に送るための英知をわれわれ後輩に語ってくれた。それが、こうした何でもないようで実は深い英知に裏打ちされた教えばかりなのである。それを事実上60年間も繰り返し説いてきた。しかもその間に矛盾撞着も見られなかったという事実は、まさに人類史上空前絶後というべきであろう。

888名古屋:2012/04/02(月) 00:37:54
7つのチャクラ


●まえがき――直観医療のの芽生え
  ‥‥そうはいっても、私はこの新たに発見した知覚能力に魅了されてもいて、人びとの健康状態の診断を続けていかなくてはいけないという気持ちでいた。この初期のころ、私が受ける「印象」は、おもに人の身体上の健康と、それに関連した感情的、心理的ストレスに関するものだった。しかし同時に、その人の身体のまわりを包み込んでいる気を見ることもできた。それは、その人のこれまでの人生に関する情報であふれていたのだ。「気」は、その人の霊体の延長として私の目に映った。そして、学校では教えてくれなかったことに私は気づきはじめたのである。
  つまり、私たちの霊、魂は、間違いなく私たちの日常生活の一角を成しているということだ。それは私たちの思考や感情を体現し、ありふれたものから高いヴィジョンまで、そのひとつひとつを記録しているのである。大ざっぱにいってしまえば、霊は死後、天国に行くか、地獄に落ちるかのどちらかだと教えられてきたが、それだけではないことが私には見てとれた。霊は、私たちの人生の一瞬一瞬に参加しているのだ。それは意識のある力であり、生命そのものなのである。
  私は、人の健康状態を読みとるというこの仕事を、一種の「自動操縦」状態で続けていたが、あるきっかけでこの半信半疑な気持ちは吹っ飛んだ。ガンを患ったある女性とのセクションを行なっていたときのことだ。
  暑い日で、私も疲れていた。彼女と私は、スティルポイント社の小さなオフィスで向かいあって座っていた。診断を終え、それを彼女に話すべきかどうか、私は一瞬ためらっていた。ガンが全身に広がっていると告げるのが、どうしようもなくいやに思えたのだ。彼女が、自分がなぜこんな惨劇に見舞われるのかをたずねるのはわかっていたが、それに答えなくてはいけない自分の責任にもいらだちをおぼえた。果たせるかな、私が口を開こうとすると、彼女は手を私のひざの上に置き、こうたずねたのだった。
  「キャロライン、深刻なガンがあるのはわかっているの。でも、なぜこうなったのか教えてくれないかしら」
  こんな不吉な質問をされて、私の憤りも頂点に達した。そして、「そんなこと私にわかるもんですか!」と言いかけたその瞬間だった。私は、それまで体験したことのないエネルギーで自分が満たされるのを感じたのだ。
  そのエネルギーは全身をまわり、まるで私の声帯を使うために、私をどかそうとしているようだった。目の前にいる女性の姿はもはや見えなくなっていた。自分が小さな10セント硬貨ぐらいまで収縮し、頭のなかにいて、この状況を「ただ見守る」ように命じられているような気持ちがした。
  そして、ある声が私を通してこの女性に語りかけた。
  「それほど知りたいのなら、まずあなたの人生を振り返ってみましょう。人生の人間関係ひとつひとつをたどってみるのです」とその声は言った。「あなたが抱えていた恐れのすべてを、これから一緒に見つめていきます。そして、長い長いあいだ、恐れが支配していたために、エネルギーがあなたに栄養を与えられなくなってしまったのだということをお見せしましょう」
  「存在」は、この女性の手をとり、彼女の人生の詳細を振り返っていった。それも文字どおりあらゆる詳細を、である。取るに足らないような会話も再現した。さびしさに彼女が人知れず泣いたときのこと、そして彼女にとって多少でも意味のあった人間関係すべてについて語るのだった。この「存在」はひとつの強烈な印象を残した。それは、私たちの人生のあらゆる瞬間、その瞬間を満たしているあらゆる知的、感情的、創造的、肉体的な活動、あるいは休息さえも、そのすべてが知られ、記録されているということだ。私たちが思うこと、感じることはすべて、プラスかマイナスか、どちらかの力の源となり、そのすべてについて私たちはきちんと釈明する責任をもつということなのである。

889名古屋:2012/04/02(月) 00:38:47
私はこの荘厳な体験に圧倒されていた。意識のかたわらで見つめながら、祈りはじめた。半分は恐れから、そして半分は、宇宙がもつ究極の意昧での「計画」を目の当たりにしたための謙虚な気持ちからだった。それまでも、祈りは当然「聞かれている」と考えてはいたが、実際それがどういうかたちでなのかはわからなかった。それに、いくら神なるものとはいえ、いかなるシステムをもっていたにせよ、ひとりひとりの人間のニーズ――たとえば金銭的な願いより、病気を癒すという願いが優先だといった細かいことをすべて記録し、きちんと整理しておくことなど、いったいどうしてできるのだろうか? そんなことが私の単純な人間レベルの論理では理解できるはずもなかった。人生のあらゆる瞬間が大きな価値をもち、愛情やさしく記録されていると示してくれた、この「聖なる壮観」に出会う準備など、できているはずもなかったのだ。
  まだ観察者の状態のままで祈りながら、いま語りかけているのが自分でないことをこの女性が気づかぬままでいてくれるよう私は願った。「なぜ私はガンになったのか」という質問に答えられなかったのだから、彼女の過去をなぜ知っていたかを説明することも当然できなかった。祈りを終え、意識をそこから離すと、ふたたび彼女の顔を直視している自分がいた。助けを求めて手を伸ばしてきた彼女と同じように、自分の手が彼女のひざの上にあるのに気づいたが、いつそうしたかは、まったくおぼえていなかった。
  全身がふるえていた。そして私は手をどけた。彼女が口にしたのは、「どうもありがとう。これで私は何でも受けいれることができます」というひと言だけだった。ひと息ついたあと、彼女は続けた。「死ぬのだってもうこわくありません。もう大丈夫です」
  彼女のすぐあとにオフィスを出たが、私はとても動揺していた。スティルポイント社のある建物を囲む美しい野原に歩き出し、私は、たとえそれがどんな結果をもたらそうとも、自分のこの直観能力に協力していくという使命を受けいれようと決心したのだった。

890名古屋:2012/04/02(月) 00:42:42
死後の世界と魂の成長

霊の存在について霊媒の人たちが話すことは、十分信用してよいのでしょうか。
《答》 「はい」とも「いいえ」ともいえます。それから「たぶん……」、そして「おそらく……」と言っておきましょう。
  現在では、非常にすぐれた能力をもつ霊媒の人たちは、ごく内輪の友人や、誠実な研究者しか相手にしないようになっています。私は10年間、世界各地を廻って霊媒を探してまわりましたが、すぐれた霊媒はほんのわずかしか見出せませんでした。
  地上の世界につよく執着している霊からの通信――つまり、最も簡単に手に入る報告――は、大部分、何の役にも立たず、また不正確なものにすぎません。
  霊媒を通して行なう通信にともなった厄介な問題は、私たちが簡単に接することのできる霊は、地上の世界に最も近い、アストラル界の最も低い次元にいるということです。こういう霊は、ごく最近死んだばかりの霊界の新参者が多く、彼らの知っていることといっても、せいぜい彼らが肉体を離れる以前に知っていたことぐらいで、それ以上のことは何もわかっていないのです。これが「雑音」つまり通信の難しさと結びつくために、霊界についての誤った考え方を生み出すのです。
  もっと高い次元にいる霊から通信が送られてくる場合でも、その伝達に当たっては、なかなかむずかしい問題があります。その困難は、わかりやすいたとえを使えば、何人かの人びとが、一列に、または円形に椅子を並べて坐り、くっつき合ってやるゲームにたとえることができます。一つの文章を隣りの人の耳もとにささやくと、その人はすぐそれを次の人の耳もとでささやき、次々に最後の人までつづけてゆきます。そうすると、情報が伝わってゆく間に、ひどいまちがいが起こったことがわかって、みんな大笑いすることになります。

891名古屋:2012/04/02(月) 00:43:22
  こういう問題を取り扱う場合、一定の決まった法則をあげて説明することはできません。しかし、一般的にいうと、霊と話をすることを金もうけのための職業にし、時間をきめて次から次へと依頼者をさばいてゆくような霊媒の場合は、彼らを通して与えられる通信は、あまり真剣に受けとるべきではありません。
  ですから、死者の遺族が霊媒を通して故人と交流しようとすることは、ふつうはきびしくさけるべきです。霊媒は故人の様子をしてみせて、その場にいる遺族の心を打つでしょうが、彼らにできるのは、せいぜいその程度のことです。霊媒はよく、「私には、故人があなたのそばに立っていらっしゃるのが見えます…」と語り、死者の様子をかなり正確に説明したりしますが、その時、霊媒は本当の故人と接触しているわけではありません。これは多くの場合、地縛霊たちのしわざなのです。霊媒の大部分は、そういう地縛霊と接するレベルに、やっと到達できる程度の能力しかもっていません。地縛霊の中のいたずら好きの連中は、故人のまねをして面白がったり、その場にいる依頼者に、愛する故人と接しているにちがいないと思いこませるような様子を、実に巧みに演じてみせたりすることができるのです。
  そんなことをするよりも、遺族の人たちは、数日間、静かに坐って祈りをこめ、愛情豊かな思念を愛する故人に送る方が、ずっと有益です。
  愛する故人がどこにいるかを、ありありと心に思い浮べ、そして、愛する人がその場にいるかのように、声を出して話しかけて下さい。そして、彼が新しい環境に適応できるように祈って下さい。「あなたがいないのはさびしいけれど、しかしもうあなたが故郷(霊界)に帰り、必要なものはすべて世話をしてくれる、愛する人たちの間で暮らしていることを知っているので、私たちはもう悲しんではいない」と語ってあげるのです。また彼の愛情と、彼とかつてもった親しい交わりに対して大へん感謝していること、いずれ再会してお互いの関係がまた続けられることを嬉しく思っていること、などを話してあげて下さい。
  もっとも、再会するのは、それがあなた方のお互いの目的にかなう場合のことです。こういう行為はいずれも、霊媒から霊媒へとわたり歩くよりも、ずっと有効な方法です。

892名古屋:2012/04/02(月) 18:24:05
私を劇的に変えた日本の美風


●世界一安全な社会が危機にさらされている
  日本に来て1年ほどだというイギリス人女性との雑談中、彼女は、「この前の夜、コンビニで買い物をして外に出ると、車のエンジンをかけたままで降りて店に入って行く人がいるのでびっくりしました」という。どうなるかと自分の車の中から見ていると、その人は数分で車に戻って走り去ったが、イギリスではとうていあり得ない光景だと感心していた。
  韓国人からも同じような話をよく聞く。
  「電話ボックスの中に財布を忘れて、数時間後に行ってみたらそのままあった」
  「韓国ではスーパーに入るときにはバッグや紙袋を持って入ってはいけないのに、日本では大きなカバンでも持って入れるから信じられない」
  私もロサンゼルスの書店ではカウンターに荷物を預けさせられたし、サンタモニカのホテルでは、夜は歩いて外に出るなといわれた。
  日本で最も治安がよくないといわれる東京・新宿歌舞伎町にも、バッグを肩にかけて後ろにぶら下げ平気で歩いている女性たちがいる。また背中のリュックのチャックを開け放しにしている若者たちがけっこう多い。のぞいてみれば財布まで見えている。アメリカでもヨーロッパでも東南アジアでも韓国でも、繁華街を歩くときにはバッグを胸に抱えるようにして歩くのが普通である。
  韓国の都会の民家では、屋根の高さと同じ高さの塀で家を囲い、塀の上に尖った鉄針を並べ立てておくのが普通である。入口の門は二重にするところが多い。香港でも同じような状態である。アメリカの都市部では、高級住宅街を丸ごと高い塀で囲い、電流を流した有刺鉄線を張りめぐらせている地域があちこちにある。フィリピンなどではお金持ちの家は数メートルの塀で囲われ、頑丈な鉄の門の前に銃をもったガードマンが立つ。
  日本では塀のない家が珍しくなく、東京のような大都会でも腰の高さほどしかない塀の家が多い。門などは格好だけで防備の役にはたたなく、玄関扉のカギをかけない家すら少なくない。泥棒はいつでも簡単に入れるようになっているのだが、私の身近なところで泥棒に入られたという話は、18年間東京で暮らしいるがほとんど聞いたことがない。
  こんなふうにいっていると、「日本の治安もずいぶん悪くなっている、そんないい話ばかりではない」といわれるかもしれない。たしかにそうだけれども、日本の比較優位はゆるがない。日本社会が世界でダントツの治安優等生社会であることに変わりはない。
  現在の日本社会が安全なのは、なんといっても、世界で最も貧富の差の少ない、しかも世界で最も巨大な中間層の拡大した社会づくりに成功したことが大きい。だからこそ、これを崩してはいけないのだ。物乞いをしないホームレスも日本にしかいない。
 百万人の人口を抱えた近世の大都市江戸の犯罪発生率は、同時代のヨーロッパ諸都市とは比較にならないほど低かったそうだから、安全社会日本の伝統にはかなりの歴史があるはずである。
  なぜ日本の社会は安全なのか。日本人の精神性はさておくとして、外的な条件としていえることは、長い間外部からの人々の流入がほとんどない島国としてあったからだと思う。私の故郷の済州島も、私の若いころまでは韓国で最も安全な地域だった。どこの家でも戸はいつも開け放したままで、世間では「泥棒のいない土地」といわれていた。それが崩れたのは、半島からたくさんの人たちが移住するようになってからのことである。もちろん島の外の人たちに泥棒が多いというわけではない。何世代にもわたって、共通の習俗・習慣のなかでみんなが仲良く暮らしてきたということ、それが社会に安全をもたらしていた第一の条件だったのである。実際、済州島でも外部流入者の犯罪の多発から「安全神話」が崩れていったのである。
  社会の安全が危機を迎えるのは、生活世界の共在感覚、生活的な仲間意識が社会的に解体したときである。急速な都市化と流入外国人の増加は、ほうっておけば社会をそうした方向へ推し進める。都市化が悪いのでも外国人が悪いのでもない。どうしたらみんなが生活世界の共在感覚をもって生きられるのか、どうしたらみんなが生活的な仲間意識を得られるのか――現代社会にはそれが切実に問われなくてはならない。人々の間に仲間はずれの意識が広まるのは、社会にそうしたテーマがないと感じられるから。そして仲間はずれの意識の拡大こそ、犯罪の温床ではないのだろうか。

893名古屋:2012/04/02(月) 18:25:47
日本をもう一度江戸時代に戻そう!


●明治維新は日本人の心の崩壊の序曲だった
  明治維新後、新政府は近代化を早急に押し進め、日本の最重要課題として軍事力と経済力の高揚を掲げた。明治4年には、岩倉具視を団長とする欧州視察団が日本を旅立ち、欧米の文化や制度を六百数十日かけて視察している。大久保利通、伊藤博文、木戸孝允ら、政府の最高首脳らが揃って海外に出かけ、欧米の方式を目の当たりにした。このままだと、小さな島国の日本は西洋のエネルギーに呑み込まれてしまうのではないか。視察に出かけた首脳らは、行く先々で危機感を覚えた。結果的に、政府は富国強兵の導入を決断する。欧米列強に敗れない国家を作るには、西洋科学文明を早急に取り入れるべき、と判断したわけだ。
  西洋の文明を取り入れるとなれば、まず洋学=実学を学ぶ必要がある。そこで、これまで親しんできた蘭学の代わりに、イギリス、ドイツ、フランスの洋学を取り入れることにした。江戸時代の日本人の精神形成に深く関わっていた儒学(朱子学)も捨て去った。また、江戸中期から盛んになっていた日本独自の国学も遠ざけてしまった。
  ただし、いちばん大きな壁は、西洋文明の背後にあるキリスト教の存在だった。蘭学、儒学、国学を捨てることはできても、キリスト教文化をそのまま導入するのは容易ではない。そこで、明治政府が行なったのは、キリスト教文化の代わりに「万継一世の天皇制」を思想文化に充てることだった。具体的には、神仏習合の結びつきをといて「神」と「仏」をバラバラに分離し、“神社の統廃合”を行なった。聖徳太子の手による神と仏の習合は、ここでついにエンドとなる。
  これに伴い、各地にあった多くの神社が壊され、大きな神社などに統合されていった。しかし、生活のごく身近にあった神社が姿を消すとなると、住人にとっては一大事である。それまで神社は地域のコミュニティーとして機能しており、村の文化の拠点となっていた。村人たちは何かというとそこで寄り合い、子供が生まれれば神主さんに頼んで子供の命名もしてもらえた。つまり、近くにあるだけで安心を得られる「心のより所」が地域の神社だったのだ。その場所が突然なくなってしまえばどうなるか? 精神的支柱がいきなりそがれてしまうわけで、その喪失感は計り知れない。
  喪失したのはそれだけではない。神社は村の水田にとって“鎮守の森”としての役割を果たし、災害から守ってくれる神様として存在していた。その森が壊されれば、“生態系破壊”という悪循環が起こってしまう。森の木々を伐採することで自然のリズムが乱されてしまったわけだ。
  神社の統廃合は、単に神社という形がなくなるだけではなく、「人心破壊」と「生態系破壊」という、多大な損害をもたらした。心と環境の破壊が同時に行なわれたのだ。博物学、生物学者として知られる南方熊楠は、いち早く鎮守の森を破壊することの危険性を指摘したが、当時の官僚にはエコロジーなどという概念はなく、聞き入れられなかったという。

894名古屋:2012/04/02(月) 18:26:39
  小さなコミュニティーの崩壊、さらには「廃藩置県」による藩という最大のコミュニティーの破壊は、人々の心に大打撃を与えたはずである。しかも……。神仏分離の結果、神道はその後“政治的祭祀”として用いられるようになり、仏教は“葬式仏教”となり、徐々に形骸化していく。神仏がバラバラになり、日本人の心から離れていった。
 さらに、家庭の弱体化が追い討ちをかける。神仏が心から離れ、儒教という世俗的道徳が消え、神社や藩というコミュニティーが消え、頼みの綱の家庭という居場所まで壊れていけばどうなるか。
 明治維新の功罪を考えたとき、決して肯定も否定もできないが、精神性の堕落の根本的な原因はやはりここにある。富国強兵策が精神性の退化のスピードを早めてしまったことは確かなのである。

●極めつけとなった太平洋戦争の敗北
  日本人の心の変遷をたどっていくと、ここに至るまでには「明治維新」に加えてもう一つ重大な転期があったことがわかる。それこそが、「太平洋戦争の敗北」である。この戦争は日本の都市、人、財産を破壊し尽くし、精神性の荒廃のスピードを早める決定打となってしまった。
  敗戦直後の日本は、物資を使い果たして世界の最貧国に近いほど経済的に落ち込んでいた。とにかく食べ物がないし、着るものさえままならない。そこに戦地から生還した兵士が次々戻ってきて、食糧不足、モノ不足に拍車がかかった。これまでに体験したことのない赤貧状態の中、それでも日本人は希望を捨てず、経済復興を目指して驚異的ながんばりをみせた。生き残った人々を路頭に迷わせてはならないと歯を食いしばり、世界的にみても奇跡的な復興を成し遂げた。
  本来、勤勉、真面目、学習熱心というのが日本人の資質である。その優れた資質が存分に発揮されて今日のような経済大国になり得たのだが、心の成長はままならなかった。モノを豊かにすることに目を奪われているうち、精神も“物質化”が進み、日本人の中味ががらっと変わってしまったのだ。
  明治維新が精神性の荒廃の序曲であったことは確かだが、募末・維新の名残があった頃はまだ良かった。日本全体が貧しかった頃は、心の中に豊かさの貯金が残っていたのだろう。しかし、戦後の復興の中で、その貯金は一気に吹き飛んだ。
  さらなる大打撃は、戦勝国によって強制的に与えられた「民主主義」が精神を混乱させたことだろう。物質的な混乱と精神の混乱。ついに、貯金は底を突いた。
  心の豊かさの貯金も、なければ次世代に引き継ぐことはできない。だからといって、大人たちはモノを享受することに精一杯で「精神面の教育をどうするか?」を考えるほどの余裕はなかった。そのため、戦後生まれの子供たちは、物質至上主義を当たり前に見て育ち、当たり前のように経済活動の中に組み込まれることになったわけだ。

895名古屋:2012/04/02(月) 18:32:30
第6章 宇宙開発以前の月の大気に関する説 

月には濃密な大気と引力がある。

オーソドックスな科学は、月は全く大気のない世界だと主張してやまなかった。そのおもな理由は、月の6分の1という弱い引力では多量の大気を保つことは不可能だということにあった。実質的な大気の存在を示す徴候が現れても、ほとんどのオーソドックスな科学者に無視された。彼らはかねてから弱い引力しかないことを確信していたからである。

しかし月には強い引力があるという証拠は常に出てきたのだ。この章の目的は大気がないという月に存在する諸条件の明確な概念を読者に与えることにある。あとで重要な大気存在の証拠が出てくるときに隠蔽の範囲を明らかにするつもりである。

真空ならばホコリはたたない

月面に存在すると考えられる諸条件に関する分析は、1969年にUSニューズ・アンド・ワールド・レポートの記者たちが書いた『月面のアメリカ』の中で次のように述べてある。

「かりに月が過去において大気の成分をつくり出したとしても、月の引力が弱すぎるので、地上に生命をもたらす酸素、窒素その他のガス類は宇宙空間に逃げてしまうだろう。大気がなければ月の表面には水もないだろう。

人間が月の表面から空をながめれば、全宇宙を全くの不毛の空間と決め込んでしまうかもしれない。星々は夜も昼も見えるけれども、それをまたたくように見せかける空気が存在しないために、全然またたかないのである。星々のあいだの広大な宇宙空間は、まっ暗闇なのだ。月から見れば太陽は耐えられないほど強烈に輝く球体のように見えるが、そのまわりの空は真夜中のようにまっ暗である」

月面の真空状態も、地球上よりもはるかに異なった具合で月面にホコリを舞い上がらせるだろう。こうした実験の要約として、フランクリン・M・ブランレー著『月の探険』で述べられた情報から引用してみよう。

米マサチューセッツ州ケンブリッジのスミソニアン天文台のフレッド・ホィップルは、ホコリを濾過して分離させるガス類がなければ、ホコリの微粒子は互いにくっつき合ってしまうはずだと主張している。その結果、ホイップルとその支持者たちは、月面のホコリは非常に強く固まってしまうので、人間とその乗物を支えることの可能な地殻が存在するだろうと主張している。

このことを確証するための実験が、ノースアメリカン航空会社のドゥエイン・ボウエンによって行われた。鋼製の球がこまかいホコリ状の微粒子を入れた容器の中に放たれて、すぐに沈んだ。この球を擬似真空内の同じ条件下で落としてみると、球は表面で止まった。ホコリ微粒子から成る表皮がひどく固まっていたために、球を支えるに足る半固形状態ができたのである。

1971年に出された著書『宇宙の未開拓地』の中で、ヴュルナー・フォン・ブラウンでさえも右の理論に同調していたらしい。彼や多くの人々は、月面でホコリがひどく散乱することはあり得ないと考え続けていたと述べている。

フォン・ブラウンによると、簡単な実験の結果、月面のような真空内でのホコリは固まってしまい、隣接したホコリの粒子は互いに溶けて軽石のような物質になってしまうという。この情報からみても、擬似真空中にホコリは存在し得ないことは明らかである。月が地球の表面引力の6分の1の引力しかもたないとすれば、大気を保ち得ないだろうし、表面はまず固まったドロのように固くなるだろう。

896名古屋:2012/04/02(月) 18:33:27
大気がなければどうなるか

もう1つ、月に関する古い考え方に、風化や浸食作用のシルシはないというのがある。その理由として、風化や浸食は基本的には雨や風のような大気現象の結果であるからだというわけだ。真空中では雲、雨、風などは存在し得ない。その結果、大方の意見としては、月には丸味を帯びた山はほとんどなく、ギザギザのとがった土地があるだけだということになっていた。もし浸食や風化現象が見られたとすれば、それは火山活動、隕石の落下、温度の変化、太陽風などのせいだということになる。太陽風は太陽からの水素とヘリウムガスの超音速流動であり、これは太陽系内を絶えず吹きまくっている。

月面に水は存在しないだろうともいう。水があるとしても昼間の暑気でそれを蒸発させるし、引力が弱いので水蒸気が空中へ逃げるのを防ぐことができないからだ。


空気と水がなければ、地表の色の変化は火山活動や隕石落下で起こるだけだろう。また天候や植物がなければ季節ごとの色の変化も起こりようはない。

月の1日は地球の1日よりも28倍長い。したがって太陽が月の日の出から日没まで月の上空をまわるには、地球の(1日を24時間として)14日間を要する。月の夜も地球の夜よりも28倍長く、これは地球の14日間に相当する。大気がなくて、しかも地球よりも28倍も長い昼夜のサイクルをもつのであれば、月の毎日の温度はカ氏500度以上のさまざまな温度になるだろう。長い月の1日は地表を高温にし、大気がないのだから熱が急速に逃げることもない。地表から熱を運び去る空気がないからだ。

夜間はこれと逆の状態になる。地熱は大気がある場合よりももっと急速に空中へ放散してしまい、長い夜のために温度は極端に低下してしまう。

一方、地球の大気は夜間に地熱が逃げるのを防ぎ、昼間に急上昇するのを防いでいるのである。

月面では昼間でさえも影の部分と日光に照らされた部分とのあいだに温度の大差がある。これは影の部分の地熱は急速に逃げるけれども、日照部分の熱はそうでないからだ。この現象は地球でも高地の空気の薄い所で認められる。

光の拡散も起こらないはず

影と日照部分との温度差は他の問題をもひき起こす。日光にさらされない物質は、低い温度のためにほとんど抵抗なしにもろくなって崩れる。

一方、高温下の日光にさらされた物体をすぐに手にとることはできない。日光に部分的にさらされた物体のみが、日照部分と日陰の部分との温度差により、極端に破壊的を熱の圧力を受けるのである。だから月面に着陸した宇宙船や科学測定装置などは、適当に保護してないとこうした問題をひき起こすだろう。もし宇宙飛行士が1カ所にあまりに長くいると、体の片側は煮られてしまい、他の側は凍りついてしまうことになる。宇宙服を着ないで日光にさらされながら岩の上か月面車の座席に座っていたら、フライにされるだろう。

大気がなければ光の拡散は起こらない。影の部分は他の場所から来る反射された光によって照らされるにすぎない。こうした他の光源がなければ、影の部分にある物体は、完全ではないにしてもほとんど見えなくなる。

897名古屋:2012/04/02(月) 18:34:01
太陽を写真に撮れば円形が鮮明に浮き出て、暗黒は太陽のコロナにまで及ぶだろう。また太陽のまわりのハロ(後光)も見られない。大気による拡散(光を散らすこと)も屈折(光を曲げること)も起こらないからだ。月面の日没や日の出現象も、大気中の拡散や屈折が存在しないので、起こらない。空気中のホコリや、ホコリを支える大気がなければ、光の拡散は発生しないのである。

光の屈折

大気がなければ月の上空で隕石が燃えるのも見られない。加うるに星々も月によって掩蔽(えんぺい)されるようには見えない。星々は月または他の惑星によって食になるときに掩蔽される。もし惑星が大気をもつならば、その惑星の表面に近い星々は光の屈折作用により、かすんで赤味を帯びるようになる。そして他の星々と置き替えられるように見えるが、その惑星の円形の緑によって実際に覆われたあともちょっとのあいだは目に見えている。この屈折すなわち光の曲がりによって大気がない場合よりもやや早目に惑星の反対側に星が現れるように見えるのである。

日食のあいだに太陽は月の大気を透して輝く(月に大気があるとすれば)。このために月のまわりに光の屈折によるハロが生ずるのである。

ホコリで悩むはずはない

月へ行った宇宙飛行士たちはホコリで悩むことはなかったはずである。ホコリは真空中には存在しないからだ。彼らが何とかしてホコリを作り出して、真空中でそれを服に塗りつけたとすれば、ほとんど取れなくなるだろう。ホコリはニカワのようにくっつくからだ。

大気がなければ、油のさしてない可動部分をもつ通常の機械類は、機能がとまるだろう。通常、機械の表面に接している空気の分子の層は、その表面が互いに接触するときにくっつき合うのを防ぐ傾向がある。したがって大気がなければあらゆる表面はひどく粘着するだろう。

月には大気が存在する

月に強い引力が存在すると示唆すれば、これは古くからある月の真空説にとってとんでもないことだろう。月の強力な引力が大気の存在を意味するのは、月から絶えず放たれる蒸発性物質やガス類が引力から逃がれ得ないからである。月は、地表の空気の密度が基本的に不変の状態にあるような平衡状態にまもなく達するだろう。大気の圧力も地球と同様に高さできまるだろう。読者は実質的な大気が存在する証拠は強い引力が存在する証拠でもあることを考えるべきである。1つの主張にたいする証明は他の主張をも証明するのだ。

月の実質的な大気は、雲、天候、浸食、水、植物、動物などが存在するかもしれないことを意味している。しかし月の長い昼夜や他の事実により、月面の諸条件は地球と同じではあり得ない。

次章では月の真空説を批判し、これが古くさい6分の1引力説と同じほどに価値のないことを示すつもりである。NASA(米航空宇宙局)の隠蔽事の驚くほど多くの秘密漏洩によって、月が地球に似た大気を持つという莫大な証拠を提供している。しかしNASAから出た証拠に加えて他にも多くの情報源がある。これをかなり詳細に調べることにしよう。

898名古屋:2012/04/04(水) 21:24:52
削除方法がわからんなw
俺は俺だから、それで良いみたいだしね。
後始末な〜
ゆっくり考えるとするか…

899名古屋:2012/04/04(水) 21:32:13
それはそれ、これはこれであるw
礼には礼で返す、そうではないものには、それ相応の礼を返してあげる。

900名古屋:2012/04/04(水) 21:40:46
もっとも簡単であるのはイベントw
これは神からの贈り物かw
俺にバレないようにやりたまへよw
嘘隠し事ばっかり、うんざりした。
中立じゃなく保身に走るとかw
嫌になっちゃうなw

901名古屋:2012/04/05(木) 19:34:02
ここは残して起きます。
なぜなら知って欲しい、伝えたい情報だからです。

拙稿:欧米から見た日本 その1でアーネスト・サトウはこう言っている。『、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤博文には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。』と。見透かされていたのである。

伊藤博文から始まった歴代総理大臣の出身地は殆どが山口県や鹿児島県の田布施町の朝鮮人部落出身であるのは偶然の一致ではあるまい。明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族は一本の糸でまるでつながっているようだ。

サトウの言う「両刀階級」を追い払うまでもなくメーソンごっこをさせるのが一番手っ取り早かったのであろう。

管理人注:清和会はCIAの米国利益誘導政治で隠れ統一協会でもある。

歴代内閣総理大臣(次数).....就任時年齢・在職期間・出生県

第一次・伊藤博文 44歳 861日 山口県田布施町(朝鮮人部落)

ーーー・黒田清隆 47歳 544日 鹿児島県田布施町(朝鮮人部落)

第一次・山縣有朋 51歳 499日 山口県田布施町(朝鮮人部落)

ーーー・松方正義 56歳 461日 鹿児島県田布施町(朝鮮人部落)

第二次・伊藤博文 50歳 1485日 山口県

第二次・松方正義 61歳 482日 鹿児島県

第三次・伊藤博文 56歳 170日 山口県

第一次・大隈重信 60歳 132日 佐賀県多布施町(田布施でなく多布施)

とまあ,こんな具合で入れ替わり立ち代り交替する。その後山口県田布施の桂太郎,鹿児島県田布施の山本権兵衛,山口県田布施の寺内正毅......と続いてゆきそうでない場合でも例外を除いて部落の末裔である。

『秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、彼らを御してわれわれが仕組んだことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではない』と。(15議定書)

902名古屋:2012/04/05(木) 19:36:16
悪魔(ユダヤ)からの最後通告
混迷日本にとどめを刺せ

ヤコブ・モルガン・著   第一企画出版   1995年刊

  この本は今は絶版となっています。第一企画出版という出版社の消息もわかりません。(管理人注:この出版社は一人でやっていてK牧師の出版も6冊手がけましたが倒産)しかし、この本に書かれている内容は、日本人としてぜひとも知っておく必要があることばかりです。なぜなら、間もなく日本という国はこの地球上から抹殺される運命にあるからです。そのとき日本人の身の上に何が起こるのでしょうか。それは本文を読み終えた後で、じっくりと想いをめぐらしてみてください。背筋が寒くなるにちがいありません。
  しかしながら、この“現実”から目を背けない心の姿勢が大切なのです。(憂惑生)

 戦争はすべて金儲けの事業である

  20世紀は人類にとって悲しくも無惨なる100年間であった。この世紀に戦争で失われた人命は8700万人、政治的抑圧の被害者を合わせると1億7000万人の多きに達する。この数字は20世紀初頭の世界人口15億人の12%、すなわち10人に1人以上が命を失ったことになる。
  人間は愛情に満ちあふれた生物であるが、同時に欲望と憎悪のかたまりでもある。異民族どうしが互いに覇権を争い、利己的利益の追求をすることにより世界は絶えることのない戦火と流血が繰り返される。戦争を計画するものは国家であり、それを司る王や政治家、そして軍部である。
  戦争製造者たちは、戦争をひとつの事業と考える。勝利した時に得られる国際上の利権について胸算用をする。このとき彼らの脳裏には、戦争で流されるおびただしい血の量や生命の貴重さについての感傷はない。戦争遂行者は常に安全なところにいて、栄養満点の食事をとり、美酒に酔い、兵士10万人の死も単なる数字でしかない。前途有為なる青年の死や、その死をいたむ家族や恋人の姿を思い浮かべることはないのである。
  国家はまるで肉食獣のごとく、いつも死闘を続け、栄枯盛衰を繰り返す。20世紀はドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコ、清、ロシアの五大帝国が滅亡し、ドイツ第三帝国、大日本帝国が崩壊した。そして、第二次世界大戦後の世界はユダヤのもとアメリカ帝国、ソ連帝国、老大国イギリス、政治巧者フランスによって支配されている。アジアやアフリカ、中南米、中近東に市民権はないのである。
  日本は政治・文化・軍事的に封じ込められ、戦後唯一許された経済発展も、バブル崩壊後は挫折の憂き目にあっている。国民を支配するのは国家であるが、国家を支配するものは必ずしも国民ではない。国家、とりわけ戦後世界をリードしてきた戦勝国の背後には、まぎれもなく「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンがいる。

903名古屋:2012/04/05(木) 19:37:10
 政府の要人(トップ)は全員「世界支配層」の使用人

  この超国家組織は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアなど有力な国家を操り、世界を意のままに動かし続けてきた。民主主義とは美名であるが、これは同時に「多数決による暴力装置」である。国民を愚民化し、比較多数の票で選ばれた悪質な政治家は国家・国民のためではなく、「世界支配層」の利益のために政治を行なう。
  国民には良い政治家と悪い政治家の区別はつかない。愚民化され、愛国心を失った国民の選ぶ政治家は、それがたとえ民主主義的制度で選ばれた者であっても、民族・国家の利益のためには決して動かない。ばかりか、国家の中枢に入り、国益を損なうことばかり画策するのである。
  アメリカ、イギリス、フランス、ロシアなどの政府要人はすべて「世界支配層」の忠実なる下僕である。大統領や首相、大蔵大臣、外務大臣、中央銀行総裁など国家の主要な権力ポストはすべて売国奴たちによって占拠されている。
  アメリカ政府とアメリカ国民は似て非なるものだ。アメリカ政府はたとえそれが共和党であれ民主党であれ、アメリカ国民のための政治を行なうことはない。「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンは、アメリカという世界最強の軍事力と経済力を「世界の警察」として利用しているだけである。
  それが証拠に、アメリカは年々衰退し、犯罪は増加、中産階級は激減して、今やひとにぎりの富裕層と大多数の下層階級に分化している。アメリカの富はすべて「世界支配層」によって吸収され尽くしたのである。アメリカ政府の行なう政治は一部の大企業の保護であったり、「世界支配層」にとって都合の悪い政策に口をはさんだりすることばかりである。アメリカ大統領と議会は常に「世界支配層」の意のままに動いているのだ。
  第二次世界大戦の敗北によって政治的に無力化した日本でも、同じようなことが起こっている。日本の政治家の質は極めて悪い。多くの政治家は無能か、さもなくば確信犯かのどちらかである。「確信犯」とは、言うまでもなく「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンの忠実なる手下である。

 日本ではこの重要6ポストがフリーメーソン

  日本では戦後連綿として首相、外務大臣、大蔵大臣(財務大臣)、文部大臣(文部科学大臣)、防衛庁長官、日銀総裁の6ポストはフリーメーソンまたは無能で都合のよい人材によって占められてきたが、田中角栄だけは例外だった。田中首相は「世界支配層」が予期しない日本の総理大臣だった。
  田中角栄は民族主義者であった。日中国交回復をなしとげ、独自のエネルギー政策をとろうとした田中首相は「世界支配層」にとって大変危険な政治家と映ったのである。
  「世界支配層」の狙いは、日本と中国を永遠に分離、敵対させることだった。そうすればアジアの二大国が結束して強大なアジア圏ができることを未然に防げる。また石油のない日本を米英系の石油メジャーの傘下に組み込んでエネルギーという強力な武器で日本を恒久的従属下に置くことができる。この両方に挑戦したのが田中角栄である。
  この精力的かつ国民的人気を持った首相をこのまま存続させては、日本に民族主義が芽生え、日本という国を服従させることが困難になる。このため田中角栄を倒すためにさまざまな手が使われた。
  ジャーナリストを使っての金脈問題暴露記事や、アメリカ発のロッキード事件発覚である。ロッキード事件は田中角栄を倒すために仕組まれた陰湿なる謀略である。5億円のワイロはあらかじめ計画されたシナリオに沿って田中首相筋に渡された。そのために多くの人や商社が介在し、大がかりな贈収賄工作が行なわれたのである。
  ロッキード事件では日本側に多くの逮捕者・犠牲者が出たのに比べ、アメリカ側で刑事罰に処された者は誰もいない。このことはロッキード事件なるものが、日本の政治を混乱させ、「世界支配層」にとって望ましい方向に軌道修正するための謀略であったことを示している。
  田中角栄を失った日本は政治的無能状態になり、その後は「世界支配層」とアメリカに忠実な政治家によって政権交代が行なわれた。日本政府中枢にはフリーメーソンが多く巣くったのである。

904名古屋:2012/04/05(木) 19:38:39

  一国の政治力は政治家の力量や見識によっても大きく影響されるが、その国の保有する軍事力や経済力によっても左右されるのは当然である。日本の軍事力は見るも無残な状況である。アメリカの進駐軍によって押しつけられた憲法は、その一見高邁な理念はともかく、日本という国家を永遠に無力化し、幽閉するための牢獄となっている。日本にとって過去の日中戦争や太平洋戦争は悪夢であり、軍部によって悲惨な戦争に巻き込まれた国民は、二度とあのような戦争を起こしたくないと、永遠の平和を願うことは当然である。
  けれども、日本が罠にはめられて戦争を始めざるを得ず、しかもその戦争を指導した軍部や政府の中枢がユダヤ・フリーメーソンであり、最初から日本が負けることを想定し、負けるために多くの作戦行動を行ない、意図的に途方もない犠牲者を出し、敗北したあと、戦争を忌み嫌う国民に「平和憲法」を押しつけ、戦後の日本を軍事的に無力化することが目的であったとしたら、日本の平和主義者は見事に騙されていることになる。
  「世界支配層」の狙いは日本に大量殺戮兵器である原爆を落とし、日本人を地獄に突き落として、戦争の過酷さを克明に記憶させ、未来永劫にわたって戦争アレルギーを植えつけ、二度と軍事大国にならないよう国民の脳髄に「平和憲法」を刻印することであった。狙い通り、戦後の日本人は一様に「平和主義者」となり、ひたすら復興だけを考えてきた。
  「日本が太平洋戦争に敗北することがあらかじめ予定されていた」という事実を証明する出来事がある。上野の東京国立博物館理事長の奥村英雄氏は、日本がアメリカと戦争を始める前に、つまり、真珠湾攻撃をするはるか前に、日本政府のある筋から、東京はやがて空襲されるので、あらかじめ博物館内の貴重な展示品を全国各地に疎開させておくよう指示され、奈良や東北地方に移動させたことを証言している。

 駐留米軍の役目は非常時日本を占領すること

  日本が戦争に敗北することが予定されていたとするならば、戦闘や、空襲、原爆などで死んでいった多くの英霊は浮かばれまい。戦後の平和憲法も、日本人の核アレルギーもすべて誰かがそのことをあらかじめ計算した上で、日本人と日本国を封じ込めるために仕掛けた罠だとすれば、日本は二重に不幸ではないか。
  日本の自衛隊は憲法でも認められない日陰者として扱われ、日本国民の生命と財産を守る軍ではなく、アメリカ軍の指揮下で補完戦力としてのみ働くことを許されている。日本が仮にも独立国であるならば、外国の軍隊によって占領され、首都を初めとして全国に多くの基地を提供していることを恥と思わなければならないだろう。
  日本にいる米軍は何のためにいるかというと、日本で不穏な動き、例えば民族主義に基づくクーデターなどが起こったとき、それを制圧するためであり、日本に反米的政権が誕生したとき、首相官邸と国会議事堂を占領するためである。
  日本を戦後サンフランシスコ体制に組み込み、米軍の駐留を許し、半独立国としての卑しい地位におとしめたのはフリーメーソン首相・吉田茂であった。そして、米ソの冷戦という虚構のもとに日米安全保障条約を締結、日本に米軍が駐留する大義名分を与えたのは、売国政治家・岸信介である。
  国家としてまともな軍事力を持たない日本は戦後の国際政治において常に二等国扱いをされてきた。政治力は適切な軍事力によって裏打ちされる。日本が国としてまともな大局観や戦略、そして危機管理を持たないのは、国防という大事な能力と機能が欠落し、独自の情報空間を持たないからである。
  軍事力と情報力は表裏一体である。日本はアメリカ軍によって列島を占領されながら、アメリカからは大事な情報は何ひとつとしてもらっていない。アメリカは無数の軍事衛星を打ち上げ、宇宙空間を制している。今や月や火星にまで軍事基地を作ろうとしているのだ。アメリカ本土の主要都市には、地下シェルターが張りめぐらされ、地上からの核攻撃にも耐えられる体制をしいている。アメリカは恐るべき軍事国家である。日本はそのアメリカによって、いつもこめかみに銃口を当てられているのだ。

905名古屋:2012/04/05(木) 19:57:58
この話が真実としたならば、世の中狂っているとしか言いようがない!
お国のためと戦死した何百万人の方々の命をだな!
いかん、涙止まんね!
紗和曰く、なに泣いてんだおまえはwww

でもね、最後にひとこと、そんなおまえに、私はひかれた、大好きなんだよ。
だってさ…
嬉しいね、感謝だね。

906名古屋:2012/04/06(金) 09:43:33
韓国系私立大学で銃乱射事件が発生

教室で銃乱射、7人死亡 米の韓国系私立大学、容疑者の男拘束 2012年4月3日 MSN産経ニュース


米カリフォルニア州オークランドにあるキリスト教系のオイコス大学の教室で2日、男が銃を乱射、サンフランシスコ・クロニクル紙(電子版)などによると、少なくとも7人が死亡、2人が負傷した。

警察当局は乱射から約1時間後、同大近くのショッピングセンターの駐車場で、撃ったとみられる男の身柄を拘束した。

目撃者の話によると、男は看護学の授業に使われる教室内で、至近距離から1人を撃った後、銃を乱射した。男は韓国系とみられ、同大で最近まで学んでいたとの報道もある。

サンフランシスコの日本総領事館によると、日本人が巻き込まれたとの情報はない。同大は韓国系の私立大学。神学や音楽、東洋医学などを教えている。

大学で銃乱射、7人死亡…韓国籍の男を逮捕 2012年4月3日 読売新聞

【ロサンゼルス=西島太郎】米カリフォルニア州北部オークランドの私立オイコス大学で2日、男が銃を乱射する事件があり、少なくとも7人が死亡、3人が負傷した。

警察は、韓国籍の男(43)を逮捕した。

事件が起きたのは2日午前(日本時間3日未明)。地元メディアが伝えた目撃者の話によると、男は教室内で、学生に対して壁に向かって並ぶよう命じ、その後乱射を始めたという。男はかつてこの大学に通学していた。

男は事件後、大学周辺のショッピングセンターで拘束された。

オイコス大は、約10年前に設立された小規模の韓国系大学。キリスト教に基づく教育を実施し、神学や東洋医学、看護学などの専攻がある。

907名古屋:2012/04/06(金) 09:54:28
ネットの声(2chより)

2 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:29:38.50 ID:4r51Cjrl
またかよ

3 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 しまじろう ◆J1duyyyKD6 :2012/04/03(火) 09:29:46.53 ID:8xnaamd6
だって、韓国人だもの。

5 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:30:04.12 ID:Y5zeh2Yz
韓国系の私立大学w

6 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:30:29.04 ID:dW8vjicw
「単位をくれなかったニダ!」とかかな?

7 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:30:41.06 ID:FOGW21q8
もう国連で朝鮮人の駆除について議論したほうがいいだろ

16 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:33:17.83 ID:BptIL69q
またかよ
銃乱射だからすぐにと思ったよ

17 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:33:21.21 ID:dW8vjicw
まるで朝鮮進駐軍みたいだな。

25 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:34:34.66 ID:vGdkVtpd
よかったな!韓国人!
また世界に韓国人の優秀性が広まったぞ!!

64 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:41:07.49 ID:yBZ9WRx9
日中韓でダントツに少ない韓国人が
凶悪犯罪がダントツで多いってのはどういう事だ?

71 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:42:04.72 ID:bCLd32CO
特技銃乱射ありがとうございます

84 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:43:47.69 ID:p7X7blvE
アジア系って見た時に、すぐにチョンだとわかったよw
米国で銃を乱射するアジア人ってチョンしかいないもんなあww

90 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:45:01.09 ID:JTM0UiFD
日本も銃社会になったら各地の学校で同じことが起こるってことだ
特に大阪

97 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:46:26.79 ID:sGhWplQz
朝鮮ヒトモドキの同士討ちで、人間様に迷惑をかけてないなら無罪

106 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:48:07.66 ID:IjDlffqx
TVのニュースで具体的な民族名が挙がってなかった時点で「もしや」と思ったけど、案の定だったな。

115 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:49:46.45 ID:+B4uUm1M
まーたやりやがったな・・・

127 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:51:33.59 ID:70goUfDD
韓国人って、学校内で孤立してるとか女に振られたとかで銃乱射するからな
危険すぎるよね

139 :大徳寺 哲(仮名):2012/04/03(火) 09:53:26.20 ID:iuB1A6Xi
報道もいい加減「アジア系の男」とかはぐらかすの止めろよ。
もう何処の人種か判っちゃってるんだからさ〜。

146 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:54:04.09 ID:L2m+b7E6
朝鮮が銃社会だったら10年後には何故か人口が0になってそうだな

160 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:56:08.44 ID:oEuMoDDA
自分の国では放火しまくり

アメリカでは銃を乱射しまくる

どんな民族だよw

188 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 09:59:21.21 ID:vGdkVtpd
映画化したらどうだ?w

韓国人がアメリカに留学、そこで自国の歴史を語るが誰も相手にしてくれず 毒島も東海も否定され笑われる、などの酷い差別を受ける
怒りを覚えた彼はついに銃を手に取る!

全米激怒!黒人も激怒!
世界中のトップニュースを独占し、世界中の注目を浴びた超大作!!

       「 新・韓流戦士 」   

                 大絶賛放映中!

アメリカにキムチの雨が降る!

210 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 10:03:28.07 ID:cZZsFslv
韓流から犯流に改名しろ

223 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 10:06:27.45 ID:58NP3LGW
あれだなあ、伊藤博文を暗殺した安重根とか、テロリストばかりを賛美する教育してるから、テロへの抵抗がなくなりやすいんじゃないかw

247 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 10:11:14.56 ID:BlLeiKoH
韓国系の大学か
まぁ犯人も被害者も韓国系だからどうでもいいな
というか迷惑だから人様の国に行ってやらんで自分の国でやれ

379 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 10:40:44.20 ID:bCLd32CO
純粋に「なぜ韓国国籍であることを隠すんですか」とNHKに聞いてみたいね。

908名古屋:2012/04/06(金) 09:56:52
436 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 10:53:42.45 ID:sp8Nc26l
さすがチョンは遺伝子欠陥民族だなw

499 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:04:56.82 ID:IgcpYj1p
学生の大部分がチョン。設立もウリスト教系カルトの連中。もろチョンの経歴詐称用の学校さ。此処を卒業したと称する「牧師」が、日本中の教会にも山のように居ることだろう。

540 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:11:16.60 ID:Cf8qR1Al
俺、日本人だけど、韓国人は本当は優しい民族だって分かってる。
おそらく、この事件は韓国人に嫉妬した日本人の仕業に違いないニダ。

548 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:12:38.57 ID:E4wtbC7t
とくダネ!のニュース後の解説

「アメリカでは銃社会がなかなか是正されませんよね」
「銃社会ではこういうことが起きてしまう
ものなんですがね」

・・・・

733 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:39:14.31 ID:N6MtcI5h
ロス暴動の原因も韓国人だしなぁ

765 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:42:31.85 ID:VTgl5KUP
日本で起きるレイプ事件もそうだけどさ
韓国人の犯罪者一人に対して被害者の数が毎回べらぼうなんだよ。いくら差別だなんだと言われても、警戒するのはあたりまえと思うわ。

779 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:43:58.00 ID:6Bc+LQ73
新しい英雄誕生と聞いて

796 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:45:09.86 ID:ySwAr5pq
アメリカの皆さん、そろそろ気づいてもいいと思うんですけど・・・あいつらはアジア系の人種じゃなくて、アジアに生息する人っぽい形の何かだってことに。

798 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:45:16.58 ID:hzsw24JA
もう韓国人は人間としてはリコールもんだろ。
韓国は回収しろよw

828 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:47:33.92 ID:A7BAinFq
海外で祖国の真の姿を知って精神崩壊。

858 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:49:22.08 ID:20AaUH87
ちょんまたやったかwアメリカで乱射殺人累計50人くらいだろ、メキシコマフィア並みだな

930 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/04/03(火) 11:54:54.80 ID:D7uRllWm
チョスンヒ義士にはまだまだだな

数も残酷さも足りないよ

909名古屋:2012/04/06(金) 09:57:55
アメリカの韓国キリスト系の大学で無差別銃乱射事件が起こったが、どうやら統一教会系の無認可の私立大学である可能性が高いようだ。日本のNHKなどは犯人の国籍を曖昧にしてアジア系という報道を続けているが、日本人の受信料で運営されていながら、有害な韓国賛美放送を繰り返すくせに、韓国に都合の悪いことは堂々と誤魔化すのだから始末に悪い。完全にNHKが朝鮮人の乗っ取られている証拠だろう。

韓国人による銃乱射事件というと、米犯罪史上最悪のバージニア工科大学での無差別乱射事件を思い浮かべるが、あの事件以降、1年〜2年に一回のペースで韓国人による銃乱射事件が起こっている。もともと韓国人による銃乱射殺人事件がギネスに登録されていたこともあり、無差別殺人者の素養は十分だったようだが、多くの朝鮮人を国内に抱える日本が銃社会じゃなくて本当に良かったと言わざるを得ない。

今回の事件は被害者も韓国人が多く、いわば韓国人同士の身内の事件と言えそうだが、これまでの発生ペースから考えて、韓国人を犯人とした無差別銃乱射事件は、そう遠くない未来に再び起こることは、まず間違いない。個人的に特に親米というわけではないが、この件に関しては、将来、韓国人の狂気の銃口の前に晒されるであろうアメリカ人に、幾ばくかの同情の念を抱かざるを得ない。

910名古屋:2012/04/06(金) 10:46:34
これは!?
なるほどね〜

遠隔透視

エド・デイムス少佐

かなり前のブログ記事にエド・デイムス少佐の経歴と遠隔透視の方法について解説した。かなり以前のことなので、最新の予言の前にこの部分を再度掲載する。

エド・デイムス少佐は日本でも紹介され、テレビにも出演したことがあるので比較的に広く知られている。このブログの読者でも知っている人は大いに違いない。今回、「Coast to Coast AM」に出演し、その最新予言を公表した。

経歴

エド・デイムス少佐は、国防省諜報庁の遠隔透視部隊に所属する情報作戦将校であった。1970年代初頭、スタンフォード大学に付属する研究機関(Stanford Research Institute 通称SRI)は超能力研究の一環として、リモートビューウイングといわれる遠隔透視の研究を行っていたが、この研究の協力者であり、また後に研究の一部を指揮するようになったのはインゴ・スワンという人物で、SRIで大変な成果を残した。

この成果に注目したのは国防省諜報庁であった。ここは、諜報活動を専門に担当する部局である。当時は米ソの冷戦下であったため、ソビエトを標的にした情報戦が活発に行われていた。諜報庁は対ソ情報戦で優位に立つためのテクノロジーを求めており、おりしもスタンフォード大学で大きな研究成果をあげていたスワンのチームが注目された。70年代後半からスワンの指揮のもと、陸軍などから派遣された将校や科学者が加わり、国防省諜報庁遠隔透視部隊が結成された。この部隊には、日本でも有名になったジョー・マクモニーグルも在籍していた。

デイムスは、カリフォルニア大学バークレー校を卒業後、米国陸軍に志願し情報将校となった。80年代前半に陸軍から派遣され、遠隔透視部隊の一員になったといわれる。

遠隔透視部隊

この部隊は、対ソ情報戦において目覚ましい成果を残したといわれている。ソビエト国内の核ミサイル基地の配備状況を透視したり、地下秘密基地の存在を発見などを行った。

だが、ソビエトの崩壊から3年たった1995年、冷戦は完全に終了し、もはやロシアや他の共和国を敵視する必要がなくなったとの判断から、国防省は予算を打ち切り遠隔透視部隊の解散を決定した。その後、部隊は再結成されることなく現在にいたっている。

部隊の残した成果

この部隊は70年代後半から1995年の20年を越える期間、諜報活動において数々の成果を残したが、現在まで引き継がれているその最大の成果は、この部隊が遠隔透視(遠隔透視)の技術をマニュアル化し、個人のもつサイキックな能力にはいっさい依存しないスキルとして標準化したことだ。デイムスも、「当然ある程度の個人差はあるが、遠隔透視の能力はだれでももっており、適切なトレーニングさえ行えばだれでもスキルとして身につけることができる」といっている。

911名古屋:2012/04/06(金) 10:48:27
遠隔透視とはなにか

では、そもそもここでいう遠隔透視とは何なのか?それは、一言で言えば遠隔透視のことである。遠隔透視とは読んで字のごとく、遠くにあるものを透視することだが、遠隔透視部隊が開発した遠隔透視の概念はなにも距離的に遠くにあるものを透視することだけに限定されているわけではない。空間的な距離感でいえば太陽系を越える外宇宙までを含み、さらに時間的な距離感でいえば、過去や未来に発生したか、または発生するあらゆる事件や出来事を含む。当然、このスキルは、紛失した車の鍵を見つけたり、宝くじの当たり番号を予想したりという身近な用途にも使うことができる。

このようなことが可能になるのも、われわれ人間がもっている無意識はもともと驚くべき能力をもっており、その能力の一つが遠隔透視だということなのだ。なので、遠隔透視とは、1)無意識のもつ透視能力を引き出し、2)無意識が意識に向かって返して来る返答を正しく解釈することだという。特に、意識と異なり、無意識はイメージなどの象徴を言語として使いコミュニケートしてくるため、その意味を正しく把握するためには、その解釈の方法を知らなければならないという。

解散後のメンバー

1995年に遠隔透視部隊は解散したが、インゴ・スワン、エド・デイムス、ジョー・マクモニーグル、ラッセル・ターグなどのメンバーはそれそれ独自の道を進み、そのうちの多くが遠隔透視のサービスを提供するコンサルティング会社や、一般向けの遠隔透視のセミナーを提供する研修会社を設立した。

やはりデイムスも、サイテックというコンサルティング・研修会社を設立した。サイテックは、一般向けに遠隔透視の研修を行とともに、企業や政府組織に遠隔透視の透視結果を提供するサービスを行っている。




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