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日本で現代美術がマイナーな理由

1hiroto:2004/05/15(土) 14:55
なぜ日本では、現代美術が、かくもマイナーな
存在なのかを考えるスレッド。

2hiroto:2004/05/15(土) 15:10
そもそも、僕が現代美術掲示板を作るにいたった理由は、2chの
美術掲示板における、現代美術の話題に対しての低レベルな誹謗投稿が、
いかに多いかに驚いたことです。特に村上隆、森万里子、森村泰昌らの
成功に対するやっかみから生じる反感が非常に多い。そういうわけで、
現代美術の独立した掲示板が必要(僕にとって)だと思いました。

そういう幼稚な見解を表明している連中は、美大の学生、美大出身者が、
かなりの部分を占めているように見受けられます。僕はヨーロッパの
某国の美術アカデミーの学生をしてますが、日本の美大(芸大も含め)
を出て、同じ学校に通ってる人たちの大半は、現代美術音痴です。
要するに、日本の美術教育の中では、現代美術の歴史と展望を
教えることができる人材が、きわめて少ないように思われます。

3hiroto:2004/05/15(土) 15:24
近代美術も現代美術も西洋文化に起源を持ちます。
近代美術が現在の日本で、それなりの市民権を得て、
毎年のように「印象派展」のたぐいが日本各地で
開催されますが、現代美術の展示は、採算が合わない
せいか、比較的まれです。市場もゼロに近い。

近代美術は、近代的市民社会の欲望、快楽の充足装置で
した。現在の私たちは、ポストモダン社会に生きていて、
自ずから近代とは異なる、自己意識を持ち、様々な
メディアへの好奇心に動かされる存在です。普通に考えれば、
現代美術が今の我々の感性に最もマッチする、唯一のアート
であってしかるべきなのに。

4Hiroto:2004/05/15(土) 15:59
ちなみに、ポスト・モダンという言葉について、1980年代の
バブル経済と結びついた流行語で、今は口にするのをはばかる
という態度は、日本でだけ流布している誤った認識だと思います。
イリヤ・カバコフのオープニング・レクチャー(1999年8月7日
水戸芸術館現代美術ギャラリー・ワークショップ)が、
ポスト・モダンと現代美術を理解する上で参考になると思います。
http://www.arttowermito.or.jp/art/kabakovlecj.html

「現代美術用語集」(artscape)のポスト・モダニズムの項
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/k_t/post_modernism.html

5匿名:2004/07/26(月) 20:31
さあ、何について語ろうか?
まず、君、人を集めてこいよ!誰もいないじゃん。

6匿名さん:2004/08/18(水) 04:27
村上も言ってたけど、所詮、現代美術は日本人には関係のないことなんですかね。
日本には、ブルジョワが存在しないから。

7匿名さん:2004/08/18(水) 04:57
(´−`).。oO (ここでボケて!!)

8匿名さん:2004/08/18(水) 05:56
>>5
税制も関係してるのかも。
日本ではアーティストが美術館に作品を寄贈しても、
贈与税をとられちゃうらしい。アメリカでは、寄贈によって税金が
控除される制度があるらしい。

98:2004/08/18(水) 06:04
上の投稿は、5でなく6に対して。
それから、日本では○山○夫みたいに、保守政治家や中国要人に
取り入って、アート以外の手段でステイタスを吊り上げてる人がいて、
そういう奴の作品は、暴落しないだろうとの予測の元に、日本の
ブルジョアたちやら保険金融機関が、海外では相手にされないような
絵を買ってる。でも竹下元首相も死んじゃったし、暴落しない保証が
どこにあるのか不思議だけど。

10匿名さん:2004/08/19(木) 06:41
いや、日本国民が、現代アートを求めていないんじゃないかって思ったの。

11匿名さん:2004/08/19(木) 07:47
そりゃどこの国の国民だって、その大多数は現代美術も、現代音楽も、
純文学も求めてないでしょ。
もともとこれらのアートは、ごく一部の鑑賞者によって支えられて
きたわけで、それが文化を形成してたわけだが、そういうわかりにくいものは
大衆蔑視でイカンというのが、昨今の日本の風潮なんじゃないかな?

12匿名さん:2004/08/21(土) 10:08
(`・J・´)ヾ
(ミライ)-○≪ パトロールチュウ!
 ‖ ‖
朝のパトロールにやって参りました

13匿名さん:2004/08/22(日) 22:42
日本のお宝って、茶道の茶碗とか、掛け軸とか、
箱にしまって、他人にはめったに見せないっていう考え方が、
あったでしょ。そんなことも現代アートの流行らないのと関係あるのかもね。
美術館で大勢の目にさらされた絵に、所有欲が湧かないとか。

一方で、グッチやプラダのバックには、日本人は所有欲ありまくり。W
使い心地がよい、長持ちする、見た目が美しいということで
ブランドバックは買われるのだろうけど。
利用価値のあるものは、やっぱり売れるのですよ。

14匿名さん:2004/08/23(月) 10:08
もともとアートってグッチやプラダのバッグみたいな安っぽい代物じゃ
ないわけですよね?商品価値を云々するのはアートマーケットの
仕事で、アーティストはマーケットとは切り離されて、美術史の中で
革新的な制作をしようと努力してる存在だと思うんです。そうじゃない
人も多いには違いないけど。
村上隆がバッグのデザインをしたり食玩を出したりしてるけど、
それもメタ・アート的な視点からの戦略性を考慮してると思うんです。
良い悪いは別として。
最大の問題は、日本の美術教育が未熟で不毛だということだろうと思います。
文学も音楽も同様に教育に問題があるのだと思います。

15匿名さん:2004/08/26(木) 18:03
>>14
>もともとアートってグッチやプラダのバッグみたいな安っぽい代物じゃ
ないわけですよね?

ほんとうにそう断言できる?
プラダやグッチのバッグを他の有象無象のバッグと区別する価値観は、
「芸術作品」だけを人間が作った諸々の生産物から区別する価値観と
まったく無関係だと思う?

現代美術は、そうした価値観を疑うところから出発してるんじゃなかったの?

1614:2004/08/27(金) 08:56
>>15
>ほんとうにそう断言できる?
僕には自明なことです。
>プラダやグッチのバッグを他の有象無象のバッグと区別する価値観は、
>「芸術作品」だけを人間が作った諸々の生産物から区別する価値観と
>まったく無関係だと思う?
僕にはプラダやグッチのバッグは、他の有象無象のバッグと区別される
べき特性があるとは思いません。単なるブランド的価値が付加されて
いるに過ぎない。日本の米が世界一美味いみたいな、捏造された神話を
まとっているから、一部の消費者から過大評価されているだけのこと。
他方で芸術は消費の対象ではありません。
アートのマーケットは2次的存在です。

>現代美術は、そうした価値観を疑うところから出発してるんじゃなかったの?
もしそう思われるなら、その主張を説得力のある形で投稿してみてください。

1715:2004/08/27(金) 15:10
モノの価格は、その値段を出して買う人がいれば、
どんなに高くても、それが正当な価格となる。
これは市場主義経済の原則。
プラダのバッグも高級米も「不当に」高価なわけではない。

プラダのバッグと有象無象のバッグの価格差を形成しているのは
品質の差ではなく、ブランドという差異性の記号そのもの。
従ってそのブランドに価値を見いださない人間には、その値段だけの価値はない。
つまりブランドはそれ自体が人為的に作られた価値観のシステム(体系)といえる。

いっぽうで「芸術」というものを考えてみると、
これもまた人為的に作られた「ひとつの文化的な価値観のシステム(体系)」ではないのか。
そのシステムの起源は西欧近代であり、そこで形成された価値の体系は
その外部の人(つまりバッグで言えばブランドを認めない人)には意味を持たない。
なお西欧近代で「芸術という価値の体系」がどのように成立したかについては、
王侯貴族のコレクション(例えばクンストカンマーと呼ばれるもの)から
近代的なミュージアム(美術館/博物館)への移行に関する分析からも
多くのことを知ることができる。

>>アーティストはマーケットとは切り離されて、美術史の中で
革新的な制作をしようと努力してる存在

アーティストだけがマーケット(市場原理)から切り離されるべき特別な「存在」、
という脳天気な思い込みの根拠はいったい何なの?

美術史はマーケットと隔絶した価値観なの? 過去のパトロンやコレクター、画商は
アーティストに比べればどうでもいい人間なのか?

とりあえず、こんなとこかな(W)

18利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 06:50
14改め、利毛Tと改名します。
>>17
>プラダのバッグと有象無象のバッグの価格差を形成しているのは
>品質の差ではなく、ブランドという差異性の記号そのもの。
>従ってそのブランドに価値を見いださない人間には、その値段だけの価値はない。
>つまりブランドはそれ自体が人為的に作られた価値観のシステム(体系)と
>いえる。いっぽうで「芸術」というものを考えてみると、これもまた人為的に
>作られた「ひとつの文化的な価値観のシステム(体系)」ではないのか。
その通りだと思います。多くのブランド商品は100年ほどの歴史しか持たず、
そのため誰がどういう戦略でブランド価値を作ったか、だいたい分かってしまう
のに対し、芸術という文化的な価値観のシステムは、人類の歴史と共に
発展してきた、複雑なシステムであり、文化そのものの根幹ゆえに、今日でも
人文諸科学の研究対象となっています。
15氏がいみじくも認められているように、芸術=「文化的な価値観のシステム」は、
その他の嗜好品=「人為的に作られた価値観のシステム」とは、似てはいるけど、
同列に扱うのはナンセンスなのです。

19利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 06:51
>>17
>そのシステムの起源は西欧近代であり、そこで形成された価値の体系は
>その外部の人(つまりバッグで言えばブランドを認めない人)には意味を
>持たない。
西洋近代の価値体系を受容したがゆえに、日本をはじめ、非欧米文化圏に
おいても、芸術や美術という概念が普及し、自分たちの非西洋的歴史においても、
芸術的活動が行われていたという認識が、近代において一般化しているわけです。
西洋の芸術と、それを支える理論の影響力は、単なるブランド商品などとは、比較に
ならない、強力な外部への浸透力を持っていました。その浸透力の理由は、
当時の西洋の科学技術や産業が優れていたから、芸術までもが優れているかの
ように思われたのだ、等の短絡的な理屈では説明できません。やはり、東洋とは
異なる西洋の文化、その真髄である芸術作品にふれて、圧倒される経験を、
当時の日本人は体験したのでしょう。
例えば、国粋主義的な日本美術擁護者であった岡倉天心でさえ、あるコンサートで、
ベートーヴェンの交響曲を聞いたのち、
「ああ、この音楽だけだよ、西洋が東洋より優れているのは。」
と友人のビゲローに語ったそうです。

20利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 06:52
>>17
>アーティストだけがマーケット(市場原理)から切り離されるべき特別な「存在」、
>という脳天気な思い込みの根拠はいったい何なの?
文化を尊重する態度が、脳天気だとは思いません。文学にせよ、現代音楽にせよ、
真のアーティストは、市場原理など一顧だにしないものなのです。クセナキスや
リゲティが小室哲哉より偉大なアーティストであることは、僕にとっては自明な
ことですが、その根拠は何か?と問われれば、自明性の根拠について、
長々と説明を要します。少なくとも、アーティストは、作品がいかに多く、高額で
売れたかによって、その偉大さが測られるわけでは決してなく、その作品がいかに
革新的であるかによって、評価が決定すると僕は思ってます。

>美術史はマーケットと隔絶した価値観なの? 過去のパトロンやコレクター、画商は
>アーティストに比べればどうでもいい人間なのか?
どうでもいい。グッゲンハイムにせよ、レオ・キャステリにせよ、アーティストに比べれば
どうでもいい人間だったと思います。

21利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 08:35
このスレッドのテーマ、「なぜ日本では、現代美術が、かくもマイナーな
存在なのか」という疑問への1つの答えが、15氏の発言を契機に、明らかに
なったように思われます。つまり今日の日本では、かつて文化を構成して
いた、視覚美術や芸術的音楽や文学といった諸芸術は、ブランド商品と何ら
区別されるべきではない、消費されるべき商品、嗜好品なんだという、
資本主義経済一元主義。それから、西洋で生まれ発展してきた概念、思想、
文化といったものは、東洋の島国の日本人には、関係ないものだという
新保守主義。相互に関係する、これら2つの傾向は、従来の文化や教養
といった大人の価値を否定しつつ、自分たちが偏愛するオタク的な狭い
価値体系を擁護するのに利用されています。
(15氏がそういうオタクだと言っているわけではありません。一般論です。)
こうしたオタク人口の増大が、まともな文化を経済原理によって
隅へ押しやり(書店でエロ写真集が美術書を圧倒しているごとく)、
批判精神を欠いた、幼児的な「萌え」や「癒し」が恥ずかしげも無く
自己主張しているというのが、今日の日本の嘆かわしい現状というわけです。

2215:2004/08/28(土) 17:06
利毛Т氏に聞きたいことはいろいろあるけど、とりあえず、この質問に答えてね。

>芸術という文化的な価値観のシステムは、人類の歴史と共に
>発展してきた、複雑なシステムであり、文化そのものの根幹ゆえに、今日でも
>人文諸科学の研究対象となっています。

おいらは、「芸術という文化的な価値観のシステム」が、
「人類の歴史と共に発展してきた」とは思わないんだけどな。

前にも言ったようにこの「価値観のシステム」が作られたのはヨーロッパ近代(だいたい18世紀ぐい)。

そこで近代のヨーロッパが何をしたかというと、この「価値観のシステム」という
モノサシを過去の文化遺産全般に適応し、芸術と非芸術に分類した(美術史とミュージアムの誕生)。
これで始めて、パルテノンはただの遺跡から「芸術品」に昇格した。
そのいっぽうで西欧近代は同じモノサシを同時代の非西欧世界の文化にも適応し、芸術と非芸術に分類した。

というわけでこのモノサシは過去から現在、世界のあらゆる文化に適応可能なものとなったが、
その歴史はたかだか数百年にすぎないのでは?
ま、高級ブランドよりはちょっとは長いけどね(w。

利毛Т氏は芸術が「文化的な価値観のシステム」であることには同意しているみたいだけど、
その起源は何時で何処だと考えてるの?(もしおいらと違う考えなら、具体例を挙げてちょーだいね)

2315(つづき):2004/08/28(土) 17:54
>>19
利毛Т氏はこのモノサシが非西欧社会に受容された理由をどう考えているの?

西欧の芸術は非西欧の文化よりも素晴らしく、それに圧倒された非西欧の人は喜んでそれを受け入れた、という認識でいいのかな?

おいらはそんなきれい事の話じゃないと思う。
受容には西欧における資本主義の発達と植民地主義(帝国主義)が密接に関わっているのでは?

あんたの理屈はブッシュJr.には通じると思うが、ビン・ラディンには通じないと思うよ(w

24利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 18:46
>そこで近代のヨーロッパが何をしたかというと、この「価値観のシステム」という
>モノサシを過去の文化遺産全般に適応し、芸術と非芸術に分類した(美術史とミュージアムの誕生)。
>これで始めて、パルテノンはただの遺跡から「芸術品」に昇格した。
パルテノン神殿の造営の総監督を務めたフィディアスは、当時(紀元前5世紀)のアテネにおいても
傑出した彫刻家として認められており、近代的芸術家概念が無かったからといって、彼の作品が
芸術では無かったとする主張は、単なる空論にすぎないでしょう。紀元前4世紀のアレクサンダー
大王の宮廷画家であったアペレスにしても、その作品は現存しないものの、多くの逸話と後世の
画家たちに大きな影響をあたえています。ポンペイの秘儀荘にほぼ完全な形で残る、逸名画家に
よるフレスコ画を観ても、その技術はジョットの時代と、さして変わらない高いレベルのものである
ことがわかりますし、ナポリの考古学博物館にあるファルネーゼのヘラクレス像を観れば、
紀元前5世紀のブロンズ像からのローマ時代の摸刻からでも、ミケランジェロに匹敵する造形性が
達成されていたことが理解できるでしょう。

>利毛Т氏は芸術が「文化的な価値観のシステム」であることには同意しているみたいだけど、
>その起源は何時で何処だと考えてるの?(もしおいらと違う考えなら、具体例を挙げてちょーだいね)
広い意味でのアートの起源は、人類の起源にまでさかのぼるように思います。人類が文化を獲得した
ときに、呪術的行為としてボディペインティングをしたり、狩の光景を洞窟に描いたり、死者を花と
一緒に葬ったりといった、生活の実用には直接には結びつかない習慣が生まれるとともに、
アートを求めるメンタリティが産声をあげたんだと思います。
芸術が鑑賞者であるわれわれの心に現象するものである以上、近代的芸術概念が成立することを
もって芸術の誕生と見做す考え方は、言葉のレトリック以上の真実性を持ってはいないと考えます。

25利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/28(土) 18:51
>>23
>受容には西欧における資本主義の発達と植民地主義(帝国主義)が密接に関わっているのでは?
>あんたの理屈はブッシュJr.には通じると思うが、ビン・ラディンには通じないと思うよ(w
あなたの理屈は、原理主義的という点でビン・ラディンや仏教遺跡を
爆破したタリバンたちと、とても親和性がありそうですな(笑)

26利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/29(日) 07:32
>>23
>西欧の芸術は非西欧の文化よりも素晴らしく、それに圧倒された非西欧の人は喜んでそれを受け入れた、
>という認識でいいのかな
まさか!中国の宋の時代の水墨画には、当時の西洋に欠落していた、
のびやかな空間感や自然感があり、とても知的かつ自由な世界が描かれて
いたと思います。そういう情景が漢詩に歌われた精神とともに、室町時代に
日本へ到来し、雪舟に受け継がれ、はては等伯の松林図へと昇華していった
と思うわけで、そういった経緯は岡倉天心も『東洋の理想』などの
著作でも把握されているところだと思います。それらの絵画の継承・発展の
歴史を、西洋美術史を鏡として、固有の東洋美術史として捉える契機となった
点で、西洋の美術概念の受容は、肯定的な側面も多々あったと考えます。
もちろん、従来差別が無かった芸術的表現形態に、絵画と彫刻を装飾的な
仕事の上位に置くという、西洋的な美術のヒエラルキーを無理やり
当てはめたことや、文人画や浮世絵を不当に貶めたことなど、日本の美術の
再編成作業に、多くの問題点があったことも確かでしょう。そうした
文化的コンフリクトは、文化を再生させる契機にもなり得ると思う。
水墨画や茶道など中国や朝鮮の文化とのコンフリクトを通して、
日本文化の発展が見られた例であると思う。それらの文化的価値体系
を芸術であると見做す事は、別に不自然なことではないと思うのです。

2715:2004/08/29(日) 10:36
>>24
あれ〜、かなり誤解されてるなあ。シクシク。
>芸術が鑑賞者であるわれわれの心に現象するものである以上、近代的芸術概念が成立することを
>もって芸術の誕生と見做す考え方は、言葉のレトリック以上の真実性を持ってはいないと考えます。

おいらは西洋近代以前に芸術(正確には芸術と見なしうるもの)が存在しなかったとは言ってないのよ。
おいらが言っているのは、人間の文化活動全般を芸術と芸術でないものに分ける価値の体系が西洋近代に誕生した、ということ。

>芸術が鑑賞者であるわれわれの心に現象するものである
その「われわれ」を規定してるのが実は近代(的価値観)じゃないの? ということをおいらは問題に
してるのよ。

たぶんあんたは、芸術が歴史的にも固有の価値観に貫かれた自律的なものと捉えているだな。
おいらは、芸術もその時代の社会や文化全般との関係のなかで形成される
他律的なものだと思うんだけどね。

>>26
おおむね同意。
おいらが23で皮肉ったのは、19の言説に西欧中心主義的な匂いを感じたからだよ。

西洋起源の近代性を普遍的なモデルにすることには、常にイデオロギー的な圧力がかかっている。
日本の場合はコンフリクトはあの程度のものですんだけれど、
世界中のすべてが日本みたいにラッキーだったわけじゃない。
ほかの地域ではもっと厄介な問題をいろいろ引き起こした(てる)ことは
認識する必要があるんじゃないの?

28利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/30(月) 01:03
>>27
>おいらは西洋近代以前に芸術(正確には芸術と見なしうるもの)が存在しなかった
>とは言ってないのよ。
>おいらが言っているのは、人間の文化活動全般を芸術と芸術でないものに
>分ける価値の体系が西洋近代に誕生した、ということ。
なるほど。誤解してましたね。ただ、人間の文化活動全般を芸術と芸術で
ないものに分ける考え方は、必ずしも西洋近代固有ではなかったように
感じる。東洋の美術においても、それなりのヒエラルキーの意識が
はたらいていて、江戸時代でも狩野派のお抱え絵師の作品はハイアートで、
浮世絵は1段下に見られていた。岡倉天心の意識も、こうした江戸時代の
考えを脱していなかった。彼のブレーンであった狩野芳崖や橋本雅邦も
狩野派だったから、明治時代でも民間では錦絵が人気を保っていたにも
かかわらず、東京美術学校でも日本美術院でも浮世絵版画技術は、全く
無視されていた。そういうわけでハイアートとしての芸術と工芸や
大衆的な戯画的作品とを差別化すること自体は、明治の日本では、
違和感なく受け入れられてしまったんじゃないかという気がします。

29利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/08/30(月) 01:31
>>27
>>芸術が鑑賞者であるわれわれの心に現象するものである
>その「われわれ」を規定してるのが実は近代(的価値観)じゃないの?
> ということをおいらは問題にしてるのよ。
芸術作品を、たとえ宗教的主題を扱うものにせよ、その宗教的要素を
括弧に入れて、鑑賞、批評するという態度が確立したのは、西洋近代に
おいてたという意味での発言だとすれば、おおむね同意できる。
ヴァザーリの画人列伝などは、かなり先駆的な例ではあるけれど。
優れたアーティストは、つねに彼に先行する時代の優れたアート作品に
対して、それらを批判的の乗り越えることをアートの実践を通して、
目指してきた。その傾向は近代において、さらに加速し、現在に至って
いる。
>たぶんあんたは、芸術が歴史的にも固有の価値観に貫かれた自律的なもの
>と捉えているだな。
芸術は、芸術固有の歴史を持っており、芸術家が常に参照し乗り越えよう
とするのは、その歴史であったと思う。もちろん、20世紀の芸術家の
多くが、マルクス主義的歴史観に影響されていたことも事実である。

>おいらは、芸術もその時代の社会や文化全般との関係のなかで形成される
>他律的なものだと思うんだけどね。
もちろん時代の推移と共に、芸術家をとりまくリアリティのありかは、
変化していく。産業社会の高度化、マスカルチャーの隆盛から、無意識に
せよ意識的にせよ、芸術家は一般大衆と何ら異なることなく影響を受ける。
当然、そうした影響は、その作品の表現に影を落とすものだ。
ただ、アーティストは、その自己責任において、自律的に自己の表現を、
固有のコンセプトのもとに展開すべき存在であって、一般大衆の嗜好に
あわせて表現を選択したりはしないものだと思う。商業映画や漫画とは、
全く違う制作原理なのである。

3015:2004/08/31(火) 09:05
>>28
>人東洋の美術においても、それなりのヒエラルキーの意識が
>はたらいていて、江戸時代でも狩野派のお抱え絵師の作品はハイアートで、
>浮世絵は1段下に見られていた。

うんうん、そりゃそうだわな。
西洋、非西洋を問わず、多くの社会ではそのなかで生産される文化のジャンルの内部に
序列がある。ひょっとしたら序列の無い社会もあるかもしれないけど、
おいらは文化人類学者じゃないんで、知らねえけど。
で、その序列は受容層の違いや用途の違い(宗教用か世俗用か)などで決まってくるわけね。

でもねえ、おいらが問題にしている、西洋近代に成立した
「芸術と芸術以外のものを分ける価値の体系」はそうしたものとは質的にまったく違う。

簡単に言えば、この価値の体系は、それによって選別された「芸術」をそれまでの宗教的な神に代わって、神の位置に据えた。「芸術」は近代が創造した新しい「神」(正確には「神々」のなかのひとつ)なのよ。
「神」というのはもちろん比喩的な意味だよ(念のため)。
もう少し詳しく言えば、タブーによって守られた聖域を形成したということ。

3115:2004/08/31(火) 09:14
ついでにもうちょっと。
>>29
>芸術作品を、たとえ宗教的主題を扱うものにせよ、その宗教的要素を
>括弧に入れて、鑑賞、批評するという態度が確立したのは、西洋近代

芸術が政治や宗教といった外的なものに左右されず、芸術家の内面のみに
従う自律的なものだという思想はそこで初めて成立したんじゃないのかい?
おいらの浅〜い知識では、確か18cドイツのヴィンケルマンあたりが
言い出しっぺのはず。
その結果として近代以降の西洋では、「芸術作品でしかない芸術作品」
(芸術作品であるという以外に価値を持たないもの)が芸術の中心になった。

>>ただ、アーティストは、その自己責任において、自律的に自己の表現を、
>>固有のコンセプトのもとに展開すべき存在であって、一般大衆の嗜好に
>>あわせて表現を選択したりはしないものだと思う。

この「一般大衆」を「王侯貴族」や「教会」に置き換えれば、あんたの意見は
ヴィンケルマンとほぼ同じじゃないの?
ちなみにヴィンケルマンは芸術の自立性が実現していたのは古代ギリシアのみで、
それ以後のヨーロッパの芸術はすべて、少数の例外を除いて堕落したものと考えていた。
特に彼が厳しく批判したのは、バロックとロココの芸術。
おいらはヴィンケルマンのような反動的な復古思想の持ち主ではないけど、
ロココの芸術が「リッチでゴージャスで快楽的なものが大好き!」という当時の
宮廷社会の嗜好を満たすために作られたものであることは確かだと思うね。

32利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/09/01(水) 05:30
>>30
>簡単に言えば、この価値の体系は、それによって選別された「芸術」を
>それまでの宗教的な神に代わって、神の位置に据えた。
フランス革命の混乱期に、キリスト教の神にかわって、理性という神を
人格化して、それを崇拝する儀式を行ったらしいけど、芸術にもそういう
位置が与えられたってことかね?
まあ、美術館と教会の社会的機能には、何がしか類似性があるとは思うけど。
それにバロックの意義は、対抗宗教改革の運動として、カトリック教会を
美術館にしてしまおうというものだったとも思われるし。
でもねえ、西洋ではキリスト教信仰は根強く存続してるよ。
東欧の旧共産圏の連中なんか、無心論者だったのに、不幸にもまた
キリスト教に入信しはじめてる。比喩としても、神というほど大げさな、
芸術の賛美が、近代において始まったとは思えないけどね。
キリスト教との関係よりは、近代国民国家の成立との関係で、西洋近代の
芸術概念が形成されてきたと言うべきだろうね。

>「芸術」は近代が創造した新しい「神」(正確には「神々」のなかの
>ひとつ)なのよ。
まあ、芸術家=天才=神に愛でられた人という、さして根拠もない考え方が
19世紀のロマン主義の流行の頃ぐらいから広まって、今でもそういう観念に
捉われてる人も多いね。それでも西洋近代以前にも、傑出した芸術家には、
洋の東西を問わず、特別な敬意が払われていたと思うけどね。
芸術以外の近代に創出された神々には、例えば何があるの?
科学?

>もう少し詳しく言えば、タブーによって守られた聖域を形成したということ。
具体的には、何がタブー?芸術の自律性を疑う事とかかな?

33利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/09/01(水) 06:07
>>31
>芸術が政治や宗教といった外的なものに左右されず、芸術家の内面のみに
>従う自律的なものだという思想はそこで初めて成立したんじゃないのかい?
>おいらの浅〜い知識では、確か18cドイツのヴィンケルマンあたりが
>言い出しっぺのはず。
それはつまり、芸術は自己表現だっていう図式のことなのかな?
しかし美学や芸術学の研究者による芸術観と、芸術家の芸術観とは、
ほとんど関係無いと思う。芸術家は学者より、芸術の何たるかが、
よく分かっているが、それを理論化はしない。ヴィンケルマンが
何を言ったかは知らないけど、たぶん芸術家以外の、世間一般の人々の
芸術観に影響を与えただけのことだろう。
宗達でもレオナルドでも、優れた芸術家は、たとえ宗教的主題を扱おうが、
誰も実現し得なかったもの、想像され得なかったものを作り出そうとして
いた。芸術活動の自律性、創造のプロセスにおいて、芸術家の精神が自由で
あるということは、芸術性の根幹に関わる自明性だと思う。そういうことは、
鑑賞を繰り返すうちに、自然に理解できるものなのだが。

34利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/09/01(水) 06:11
>>31
>ロココの芸術が「リッチでゴージャスで快楽的なものが大好き!」という当時の
>宮廷社会の嗜好を満たすために作られたものであることは確かだと思うね。
ヴァトー、ゴヤもまたロココの芸術家である。宮廷社会の嗜好を満たし得たから、
彼らの作品が今日まで鑑賞され続けていると言いたいのかね?
そんなわけ無いだろ。

3515:2004/09/01(水) 22:14
>>32
>でもねえ、西洋ではキリスト教信仰は根強く存続してるよ。
>東欧の旧共産圏の連中なんか、無心論者だったのに、不幸にもまた
>キリスト教に入信しはじめてる。
そいつはあくまで、政教分離という近代的な枠組みのなかでの話でしょ。

>神というほど大げさな、芸術の賛美
「神は賛美するもの」という認識では
おいらの言ってることは理解できんと思う。
「神を信じる」というのは「神の僕になる」ということだよ。

>キリスト教との関係よりは、近代国民国家の成立との関係で、西洋近代の
>芸術概念が形成されてきたと言うべきだろうね。
西洋史における近代化というのは近視眼的には
絶対王政から市民社会を基にした国民国家への移行だけれど、
もっと巨視的に見れば、政治と宗教の分離(宗教の脱権力化・無力化)へ
向けての長〜いプロセスの最終段階なわけね。
で、その果てにニーチェの言う「神は死んだ」という
歴史認識が出現するわけでしょ。

>芸術以外の近代に創出された神々には、例えば何があるの?
>科学?
「科学」のほかにもいろいろあるよーん。「技術」「文化」「歴史」。
ものすごく大雑把に言えば、こんなところじゃない。

>具体的には、何がタブー?芸術の自律性を疑う事とかかな?
それもタブーのひとつだけど、最大最強のタブーは「神」の存在を認めないこと。
例えばタリバンはそれを石仏の破壊として実行したわけでしょ。

さらに言うと、
日本の近代化のなかでも「芸術」の受容が試みられたが、
そこでは「芸術」は「神」になれなかった。
なぜならそこにはすでに天皇という強力な「神」がいたから。

で、ようやく「日本で現代美術がマイナーな理由」に戻るわけだけど、
その理由の一端(というか遠因)は、
こうした「芸術」の中途半端な受容にあったんじゃないかな、
とおいらは思うわけよ。


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