したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人と法華経 】

1美髯公 ◆zkpDymnu/M:2015/12/28(月) 15:25:45

 【仏教大学講座】は
  昭和四十八年は「教学の年」と銘打たれ、学会教学の本格的な振興を図っていく重要な時と言う命題の基に開設された講座です。

 設立趣旨は
  ①日蓮大聖人の教学の学問体系化を図る。
  ②仏法哲理を時代精神まで高めていくための人材育成をする。
  ③現代の人文・自然・生命科学などの広い視野から仏法哲学への正しい認識を深める
  等

 期間は一年、毎週土曜(18:00〜21:15)開座、人員は五十名、会場は創価学会東京文化会館(実際は信濃町の学会別館って同じ所?)

 昭和五十二年度の五期生からは、従来方式から集中研修講義方式に変わり期間は八日間で終了と言う事になる。

  そして、それらの講義を纏めたものがとして「仏教大学講座講義集」として昭和50年から54年に渡って全十冊になって販売されました。
 その中から、御書講義部分を中心に掲載していきたいと思っております。
 個人的には、この昭和48年から昭和52年の間が、一番学会教学の花開いた時機だと思っております。

 なお、よくよく考えた結果、講義担当者名は非転載といたします。
 各講義に於いては、概論・概要でしか講義されておりませんので、あくまでも個々人の勉学の為の一助的な役割しか果たしておりませんので
 その辺りの事を銘記して、各人それぞれ各講義録で精細に学んでいって下さればと思います。
 今回の【 日蓮大聖人と法華経 】は、講義集の第五集に掲載されております。

2美髯公 ◆zkpDymnu/M:2015/12/28(月) 15:28:28
                                  【悟りについての一考察】

  一般的に宗教上の悟りと言うものは、最初の光源から発して、次第に太く厚くなっていく光線に似ている。一時点の瞬間的な悟りだけがあって、その前後が
 百八十度質を異にすると言ったものではない。この事は釈尊にしても、末法の御本仏たる日蓮大聖人にしても、全く同じである。例えば、釈尊は三十五歳
 (三十歳説もある)の時に、坐った菩提樹の下での悟達を以て覚者(ブッダ)になったと一般的に言われているが、この説明には何かと不自然なしこりが残る。
 菩提樹下の悟達は、既に以前に直感的に釈尊の胸中に掴まれていた宇宙、人間の根源についての漠然たる発見を、更に明確に確固たる実在にする行為では
 なかったか。最初の光源は釈尊の青年期に、生命の奥底から放たれていたに違いない。それが次第に太く厚い光源となって、菩提樹下の悟達になったと
 考える事が出来る。悟達以後の釈尊の民衆への説法教化は、悟達を更に深め、確かめる行為であった。

 この様に述べれば、忽ち文献学者は次の様に反発するかも知れない。
 「釈尊の悟達の光源が青年期に既に掴まれていたという文献は、何処を探してもないから、そんな事はない」と。
 しかし、我々の日常生活を振り返ってみても、人間の精神の運動は決して、文献学者達が考えている様な動き方をしていない。これは我々の常識が、教えている
 事だ。特に、世に天才と称せられる人々の精神の運動はそうだ。まず、必ず精神を震撼させる様な驚くべき発見があって、懐疑、煩悶、理詰めの思索がその後に
 続き、そして最初の発見を間違いないものとして確定する悟りが開けるのである。この精神の働きは、日常的にも我々の経験する所である。

  将棋指しの上手な人が、何時間も生き生きと考える事が出来るのは、最初に一手か何手かの着手を発見しているからである。発見しているが故に、これを
 実際に確かめる読みが可能になるのだ。普通、我々はこの流れを逆に考えがちである。読みという分析から始まって、考え抜いてその後に、着手という発見に
 至ると考えるけれども、そういう様に思うだけである。それは、実際に将棋を指さずに、横から眺めている傍観者の、怠惰な精神に宿る思いに過ぎない。
 これと同断の事が宗教上の悟りを【客観的】に分析的に横から眺める学者にも言えそうだ。生き生きとした精神は、釈尊の悟達について釈尊自身の内側に
 入って、そこから捉える。文献の分析は、あくまでそれを外側から眺めたに過ぎない。  (【】は、傍点の代わり。)

3美髯公 ◆zkpDymnu/M:2015/12/29(火) 20:01:50

  ところで、本来の人間精神の運動を踏まえて、日蓮大聖人の悟りの時点を何時に設定するかを考察してみよう。
 建治二年正月に書かれた「清澄寺大衆中」に、次の様な大聖人の述懐が見られる。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へ
 と申せし事を不便と思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」
 (P.893 ⑪)また、これより遙か以前の御書である文永七年の「善無畏三蔵抄」には「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、
 虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗伺ひ侍りぬ」
 (P.888 ⑨)と語られている。

 何れにしろ、大聖人が幼少の時、虚空蔵菩薩に“日本第一の智者となし給へ”と、祈願された事は確かである。そして、その願が叶って、“明星の如くなる
 大宝珠”を右の袖に受け取ったと「清澄寺大衆中」にあり、「善無畏三蔵抄」では、眼前に高僧が現れ、同じく明星の如き智慧の宝珠を賜ったとある。
 しかし、その直ぐ後に、その大宝珠を賜って結果、一切経を見て八宗及び一切経の勝劣が、ほぼ明確に解ったと述解されている。これは、日蓮大聖人の悟りの
 時点を決める上での重要な文証である。一体これは、何時の事を言わんとされているのであろうか。そのヒントは虚空蔵菩薩に、祈願されたという点であろう。
 虚空蔵菩薩は言うまでもなく、天台宗、清澄寺の本尊であった。大聖人は十二歳の時、この寺に預けられ、十六歳の時、師の道善房について出家されている。

 従って、“幼少の時”と言うのは、少なくとも清澄寺に登られ修行された、十二歳から十七歳までの足かけ六年間に絞る事が出来る。十八歳にはもう鎌倉等に
 遊学され、以後三十二歳までの間「・・・・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候」(P.1407 ⑯)とある通り、勉学修行の旅に
 出ておられるからである。ところで、十二歳から十七歳までの六年間の内の何時かという時点は、この際決めても意味がないであろう。少なくとも、この期間で
 ある事が分かれば十分である。我々の考える所、大聖人は十二歳から十七歳までの間に於いて、仏教の根本にかんする最初の重要な発見をされたのである。
 つまり、最初の光源を、探り当てられたのである。敢えて言えば、後はこの発見を明らかにし、より一層深め、紛う事なき確たる実在にするための道が残された
 と言えよう。事実その通りに発見・確認の道を、確実に進まれている。十八歳から三十二歳までの遊学は、その為の道程に過ぎない。

4美髯公 ◆zkpDymnu/M:2015/12/31(木) 00:08:31

  では、大聖人はどの様に、仏教の根本を発見、洞察されたのであろうか。言い換えれば、虚空蔵菩薩から賜った智慧の大宝珠とは、如何なる内容のものであった
 かと言う事である。それを解く鍵は、やはり虚空蔵菩薩の象徴する意味を、明らかにする点にある。「虚空」とは、広大な宇宙生命の事である。「蔵」とは、文字
 通り“くら”である。広大にして深遠な宇宙生命に包まれた、一切の人間・事物・自然を一言で表現したのが、「虚空蔵」の表す意味である。従って大聖人が、
 虚空蔵に祈願されたと言う事は、結局宇宙・自然・人間を貫く根源的な真理は何かと言う事を、真剣に思索された事を表している。真剣な思索というものが、
 何処か祈りに似てくると言う事も、この際重要な人間存在の真相であろう。既にそこには、頭蓋骨に囲まれた狭い空閑に座を占める頭脳では、宇宙・人間の心理は
 発見出来ぬと言う謙虚な姿勢が、見られると言っても過言ではない。

 宇宙・人間を貫く真理というものは、既に人間の頭脳を超えている。だから、頭脳に真理が宿るのを待つ以外には、人間存在に許された道はないのだ。大聖人の
 虚空蔵菩薩への祈願というものは、従って、現代人の浅薄な合理主義では捉え得ない深遠な問題を提示されていると言ってよい。真理は、人間が此方から出向いて
 捉えるもの(一般には、そう考えられているが)ではなく、逆に宇宙の真理が人間の全存在を衝撃的に把握するのだ。大聖人は二十歳になる以前に、既に真理に
 ついての秘義に触れておられたのであろう。真剣な思索とは真理を思索する事ではなく、真理が自らの全存在、生命全体を貫く瞬間を積極的に待つと言う事だ。
 “積極的に待つ”とは矛盾に聞こえ様が、真理が全面的に我が身体に訪れる様に、積極的に己が迷妄の思索を否定し、無私なる状態に己が生命を保持すると言う
 事である。後に、末法の御本仏として開顕される、日蓮大聖人にして始めて可能になった、難解な道に違いない。

6美髯公 ◆zkpDymnu/M:2015/12/31(木) 23:52:13

 虚空蔵菩薩への祈りとは、この大聖人の真理探究の姿勢を象徴的に表している。そして、“明星の如くなる大宝珠”“明星の如くなる智慧の宝珠”を右袖に受け
 取ったと言われているのは、遂に宇宙生命の真理が大聖人の生命を貫き、大聖人の全存在が精神的な大地震で揺さぶられたと言う事を意味する。この時、大聖人は
 人間及び万物を、貫く宇宙生命の躍動や歓喜の様態を、我が生命に感得されたに違いない。この瞬間こそ、大聖人の悟りの最初の衝撃波であり、光源であり、
 宇宙と人間についての以後変わる事なき発見であった。以後の大聖人の生涯を通じて、この時期の発見並びに光源は、大聖人の生命の奥底で常に輝く真理の
 原点となったと言ってよい。同時に、仏教の根本は大聖人の発見した、宇宙と人間を貫く光輝ある仏の生命の実在を、説く事にあったに違いないとの着地点が
 定まったのである。以上の論述から、我々が大聖人の悟りの出発点を何時に設定するかは、これで明らかになった。

  若干、二十歳以前に於いて大聖人は、仏教は人間と自然を貫く宇宙生命を説き示そうとしたもの、であるとの確信を持たれたのである。この様に設定する時、
 大聖人と法華経との関係も、天台との関連も、演繹的に把握する事が出来よう。大聖人はまず、自らの実感した宇宙生命と仏教の根本に対する洞察をもとに、
 一切経の中から或いは人師・論師の中から、自らの発見に叶う経典や所説を採り出すという形で、仏道修行をされて行くのである。されはまさに、大聖人御自身が
 発見された所を一層明瞭化し、確信された所を益々はっきりと、確信するという目的のもとに進み行かれる。地に着いた御本仏への足取りとしか言い様がない。
 その結果、採り出されてきたのが、一切経の中では法華経であり、人師・論師の中では天台・伝教であった。

7美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/02(土) 10:51:13

                                   【日蓮大聖人の経典観】

  日蓮大聖人が弱冠二十歳以前の段階で、人間を含めた森羅万象を貫く宇宙生命の妙なる律動を発見され、この発見を胸中に秘めつつ、一切経並びに人師・
 論師の所説を検討された結果、一切経中では法華経が大聖人の胸中の発見を、最も良く表現された経典である事を確認された。同時に、大聖人と同じ観点で
 一切経を整理し、法華経・涅槃経を至上とする五時四教説、更には法華経を根拠に創造された一念三千法門を立てた天台の所説も採用された。しかし、法華
 経も五時四教説も一念三千法門も、あくまでもこの時点に於ける大聖人の、胸中にある実在に最も近接する経典、所説に過ぎないのであって、何れは大聖人
 自らの独創的な仏法の確立によって、踏み越えられるべき足場の意味を有していた事に留意せねばならない。

 従って、大聖人にとって法華経、そして天台の五時四教説、一念三千法門は、常に自らの創唱する新たな仏法の為への布石であり、方便であり、手段に過ぎ
 なかったのである。尤も布石・方便・手段と言っても、大聖人の胸中の発見と不即不離の関係にあるのであって、全くかけ離れたものではない。だからこそ、
 大聖人は三十二歳で立宗宣言された後も、まず法華経の持者として法華経を第一義とする信念から、他の爾前経を依拠とする既成宗教を折伏されていったので
 ある。大聖人における法華経の身読は、大聖人の胸中に発見されていた宇宙生命の真理を、法華経の文々句々を如説修行する実践の中で、更に一層深く体現され
 ると言う事であった。

  ではなぜ、法華経が大聖人の胸中の発見に最も近接し、これを表現し得た経典であったかを、次に検討してみよう。それはとりも直さず、法華経を一切経の
 中から採り出してこられた、大聖人の法華経観を知る事であると同時に、ひいては一切経そもの、つまり仏教の経典を大聖人がどう捉えられたかを理解する
 事である。右の事を知る上でのこよなき資料は、大聖人が建治元年に書かれた「蒙古使御書」に出てくる次の一文である。「所詮・万法は己心に収まりて一塵も
 かけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり、然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず・嬰児の水火を怖れざるが如し、外典の
 外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ、
 法門多多なれば止め候い畢ぬ」(P.1473 ⑥)

8美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/04(月) 23:07:33

 ここに述べられた「己心の法」とは、人間の生命システム、秩序といった程の意味であろう。なお、“法”の意味についてであるが、仏教並びにインド思想に
 於いて“ダルマ”と言われてきた言葉を中国人が漢訳して“法”の字をあてたわけであるが、その意味内容になると、まことに多義に渡っていて一定の定義が
 ないのである。最近、玉城康四郎博士が書かれた論文 ──『仏教における法の根源態』── の一節は、見事にその根本を指摘されている。すなわち、次の様に
 論じられている。
 「法は、主体者に顕わになることにおいて、はじめて自己を顕現する。かくのごとき法は、それ自体、無限定的である。それが人格的存在に滲透するという
 ことは、限定的な自己が無限定的な世界に開放されていくことである。閉じられた自己が開かれていくことである。

  法は純粋そのものである。しかも、存在の源底を貫きとおすことによって、生命的であり、純粋生命であるということができる。法が生命的であるという
  ことは、それが顕わになることによって自己の生命が翻転し、はじめて無限定的な生命によみがえっていくことである。法はつねに活動的である。法は顕わに
  なり、存在の源底に滲透してやまない。かくして、法は永遠である。過去・現在・未来の覚者が、法に目覚め、法に安住することにおいて、永遠であるばかり
  ではない。顕わになっている法そのものが、主体者において永遠である。同時に法は、遍在的であり、世界包括的である。三界のありとあらゆるものは、こと
  ごとく法に包まれていく・・・・。その原点は、主体者に顕わになることであり、それは大乗の世界において、法身が顕わになることと同質的である。
  このような法は、無限定的であり、純粋生命であり、つねに活動してやまず、永遠であり、世界包括的である。顕わになることにおいて、はじめて自己を
  発現する。かかる法の原型こそ、仏教発展の根底を支えてきたものと考えられる。」

 少し引用が長すぎた感があるが、“法”を根源生命的であり、活動してやまぬものと捉えられた玉城氏の所説に賛同して惜しまないものである。この氏の
 定義を導入して、“己心の法”を考察する時、当に一個の人間の内なる純粋生命及び根源生命を、指し示した言葉と言う事が出来る。この様に押さえる時、
 「外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり」との御文は、
 大聖人の経典観、従って法華経観を如実に示して余す所がない。

9美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/09(土) 20:20:00

 つまり、大前提として仏教の経典というのは、一個の人間の内なる純粋生命を説き明かそうと、したものであるという事である。この大前提の明確なる表出は、
 かの「三世諸仏総勘文教相廃立」の「一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば
 八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(P.563 ⑯)という御文であろう。一代聖教の、八万四千に及ぶ一切経が説き示そうとした当のものは、他ならぬ
 「我身一人の日記文書」である。換言すれば、一個の人間の内なる根源生命が奏でる音律を、日記風に記述したものであるとの意味がここに込められている。

 そして「蒙古使御書」では、この大前提に立って爾前経と法華経とを、截然と分かつ教相判釈が明快に示されている。端的にこの判釈を言えば、爾前の諸経が
 一個の人間の内なる根源生命における、部分部分の働きを記述したのに対し、法華経は全体として統一的に捉えたというものである。つまり、部分観と全体観の
 違いである。しかし、注意しなければならないのは、部分の集合即全体とはならないという点である。部分を集合しても、それだけでは意味がないのであって、
 これを有機的全体として統一、総合する根源的な力が根底に働いて、初めて全体を維持する事が出来るのである。いわば根源生命を支え、全体的に統一する力を
 説き明かしたのが法華経なのである。従って、爾前の諸経は法華経を根底として、初めてその所を得て自在の役割を担う事が出来る。それ故、爾前の各経典は
 それだけでは独立しても所を得ず、ちょうど大地からもぎ取られた木々の様に、生命力が枯渇して枯れて行くのみである。

 日蓮大聖人が立宗宣言の後、生命をかけて念仏、禅、律、真言の順で破折されていった根本の理由は、正にここにあると言ってよい。これらの各宗が依拠と
 する経典は、正に爾前の諸経であり、法華経に支えられて初めてその働きを十二分にする経典ばかりである。にもかかわらず、法華経から独立し部分を以て
 全体足らんとする倒錯が、これら諸宗派にあった。それどころか逆に、念仏、真言の如く法華経そのものを否定する形で、己が経典を立てんとする増上慢も
 見られ、権実雑乱の極限まで大聖人当時の日本仏教は至っていたのである。仏教の根本的な問題も知らずに幸福を求めて、これらの諸宗派を信じる衆生も
 同じく生命力が涸渇し、枯れるのを待つ様な状態に陥って行くのが、大聖人の眼には、はっきりと見えていたのである。

10美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/10(日) 22:44:31

  さて、以上述べてきた事柄を前置きにして、日蓮大聖人と法華経の関係を、主に法華経の思想面に光を当てつつ時代順に眺めていきたい。日蓮大聖人の胸中に
 把握されていた、宇宙と生命の根源力並びに妙なる律動が、法華経との関わりの中でどう具体化され、深化され、末法独一本門として確立されるに至ったか ──
 その経過を、立宗宣言されてから後の、書簡の中に尋ねる事としたい。それは、先の光源の喩えを以て言い換えれば、二十歳以前の大聖人の胸中に訪れた悟りの
 最初の光源が、法華経を媒介にしつつ、次第に厚く太い光線になっていく過程を辿ってみるという事である。大聖人の悟りの光源から捉え直せば、最初の光源から
 発した光が、まず一切経の中からは法華経を・人師・論師の中からは天台大師・伝教大師を、それぞれ撰び出した。

 そして、光そのものが太く厚い光源となって行く為に、むしろ法華経、天台・伝教を必要不可欠な媒介にし、ついには末法独一本門の太陽の輝きとなって、万象を
 照らすのである。予め末法独一本門の光が十全に見え出す時期を押さえておくと、佐渡期の文永八年十一月に書かれた「富木入道殿御返事」に始まる様である。
 すなわち「已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に天親・竜樹内鑑冷燃外適時宜云云、天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる
 【一大事の秘法此の国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや】」(P.955 ⑧ 【】は傍点の代わり。傍点は筆者)とある。
 文永八年十一月といえば、あの竜の口法難の二ヶ月後である。ここには、竜の口法難を契機に発迹顕本されるという一大事により、末法の御本仏としての悟達の
 究極点に達せられた様子が、はっきりと説かれている。

 文中、天台・伝教が粗釈していたけれども弘め残した“一大事の秘法”とは、言うまでもなく南無妙法蓮華経・御本尊の事である。この書簡の書かれた翌文永九年
 二月には「開目抄」を著され、まず人本尊を開顕される。更に翌文永十年四月には「観心本尊抄」を著され、法本尊を開顕されている。この二大重書によって、
 末法独一本門の根幹とも言うべき人法一箇の御本尊の姿が明々了々として、末法の衆生の前に現れるのである。ここに、二十歳以前の日蓮大聖人が発見された、
 宇宙と生命の根源についての悟りは、その究極の結論に達するのである。本稿においては、その間における書簡を時代順に辿りながら、日蓮大聖人の青年期に把握
 された生命の真理が、法華経並びに天台大師の緒論、中でも一念三千法門、五時四教説との関わりを通して、どの様に展開し、深化され、究極の道を経過したかを
 追跡して見る事にしたい。

12美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/11(月) 20:11:02

                                 【末法独一本門への序章】

  まず、立宗宣言二年後の建長七年の作である「諸宗問答抄」においては、法華経並びにその法華経を一切経の最高峰と位置づける天台の、五時四教説に依られ
 ながら諸宗の破折をされている。ここでは、天台の相待妙・絶待妙と、相待妙における約教・約部の法門とを駆使されながら、法華経が他の一切経に比し勝れて
 いる事を論証されている。まず相待妙の約教とは、一代聖教を蔵・通・別・円の四教に約して、その勝劣を判ずるのである。その結果、前三為麁・後一為妙となる。
 蔵・通・別の三教は麁法として嫌い、最後の円の一教のみ妙法として撰び取るというものである。しかし、円教には爾前の円と法華経の円がある為、爾前権教の
 当分の得道を許し、法華経のみ勝れているという根拠が弱くなる。しかし、これはあくまで与えていった場合である。次に約部でもって奪って言えば、華厳部・
 阿含部・方等部・般若部の四味は麁法となり、最後の法華経の一部のみが妙法となる。こうして、相待妙に於いて法華経独り妙法となる、根拠が確立されるのである。

 本抄で重要なのは、むしろ絶待妙を説かれる所であろう。絶待妙というのは開会の法門の事であり、相待妙で爾前権教と嫌い捨てられた教を、全て法華の大海に収め
 入れて蘇生させるという事である。では、絶待妙の立場では、爾前権教を用いて良いのか、という問題が起こる。日蓮大聖人は、当時の人々が絶待妙を誤解している
 と、厳しく破折されるのである。 「世間の人・天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも
  皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌い用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流
  も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、然れば何の水と呼びたりとてもただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ、各別
  各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ只大海の一水と思うて何れをも心に任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に
  任せて持ち唱うるなり」(P.377 ⑤)

 これは当時の世間の人々の、間違った絶待妙の捉え方である。つまり法華経の妙用たる絶待妙によって、爾前権教が蘇生された後は念仏を唱えるも真言を
唱えるも、全て法華経であると思って唱えればよい、と言うものである。大聖人はこの誤解を破折されて、「今云う此の義は与えて云う時はさも有る可きかと
覚れども奪って云う時は随分堕地獄の義にて有るなり・・・・・設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味となる事無し、法華の
 体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり」(P.377 ⑪)といわれている。後に、文永八年五月の「十章抄」で「法華経は能開・
 念仏は所開なり・・・・・設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(P.1275 ⑩)と述べられたのと同じ結論を出しておられる。

14美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/17(日) 20:43:07

 相待妙で捨てられた爾前権教は、たとえ絶待妙で開会されても、法華体内の権となっても、体内の実にはならないと破折され、当時の既成仏教の依って立つ基盤を
 掘り崩されている。先程譬えた部分と全体の関連で言えば、部分が直に全体にとって、必要不可欠な要素であると開会されても、その事が直ちに部分即全体を
 意味しないのと同断である。ともかく日蓮大聖人は、この時点では天台の五時四教説に乗っ取りつつ、法華経が最高の経典である事を論証され、部分に過ぎない
 爾前権教を依経とする禅・念仏・真言などを折伏して行かれる。

  正嘉二年二月に書かれた「一代聖教大意」でも、天台の五時四教説を用いられながら、法華経の超勝性を論じられていく。ここで注目すべきは、先の「諸宗問答
 抄」とは異なって、仏性の問題、十界論更には十界互具論の問題が打ち出されてくる事である。今、その文を挙げてみれば「此の経は相伝に有らざれば知り難し
 所詮悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣・八部総じて十界の衆生の為なり」(P.398 ③)と、まず法華経が十界全ての衆生の為に説かれている
 点から、法華経の超勝性を述べられる。

 更に「蔵通の二経には仏性の沙汰なし但菩薩の発心を仏性と云う、別円二経には衆生に仏性を論ず但し別教の意は二乗に仏性を論ぜず、爾前の円教は別教に
 附して二乗の仏性の沙汰無し此等は皆麁法なり、今の妙法とはこれらの十界を互いに具すと説く時・妙法と申す、十界互具と申す事は十界の内に一界に余の
 九界を具し十界互に具すれば百法界なり・・・・法華経とは別の事無し十界の因果は爾前の経に明かす今は十界の因果互具をおきてたる計りなり」
 (P.400 ⑮)と、仏性の問題を法華経の十界互具論と結合されながら、法華経の妙法たる所以を明らかにされている。法華経の妙法たる根拠は、正に此の
 十界互具論であろう。天台の法華玄義にも「言う所の妙とは妙は不可思議に名づくるなり」、あるいは「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」又
 「妙とは最勝・修多羅・甘露の門なり故に妙と言うなり」等々(P.400 ②)とある。この不可思議な「妙」を天台は迹門十妙・本門十妙、あるいは相待妙・
 絶待妙など、様々な観点から解釈している。

15美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/24(日) 20:58:55

  しかし、日蓮大聖人が天台の諸々の釈の中から、十界互具論を妙法として採り出してこられた点に、大聖人の明確な視座を見る思いがするのである。それ故、
 本稿では日蓮大聖人と法華経の関わりを、特に十界互具論を中心の視座に据えつつ、追う事としたい。従って、又これからの展開が本稿の中心テ-マとなって
 ゆく。再び「一代聖教大意」に戻るならば、法華経の妙法たる所以を十界互具論に求められた大聖人は、十界互具論の卓越性を爾前の諸経との比較上から論じ
 られている。後の展開にとり、重要な二文が述べられている。

 一つは、「今の法華経は自力も定めて自力にあらず十界の一切衆生を具する自なる故に我が身に本より自の仏界・一切衆生の他の仏界・我が身に具せり、されば今
 仏に成るに新仏にあらず又他力も定めて他力に非ず他仏も我等凡夫の自具なるが故に又他仏が我等が如く自に現同するなり」(P.403 ⑥)とある文である。
 これは、法華経が十界互具を説く故に、自力と他力とも一義的には決定出来ないとの、後の大聖人の仏法にとり注目すべき思想を語られている。仏道修行には
 大きく、自力と他力の二つがあるとされてきた。自力は主として禅宗、他力は主として浄土念仏宗の修行の形態である。それに対して、日蓮大聖人は自力と他力の
 中道を、説かれたのである。

 自力は禅宗の如く、自らの前に仏や経典を置かず、只ひたすら禅定の修行を自らに課する事により、仏性を徹見するのである。しかしながら、悟達の基準を計る
 手段を信じない為に、ともすれば暗証禅や野孤禅に堕す危険が生じた。“未だ得たりと謂い、我慢の心充満”して、増上慢に陥る傾向性を常にはらんでいる。
 建長七年作の「蓮盛抄」で、大聖人は「愚癡無懺の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや」(P.152 ⑤)とも、また「禅宗は理性の仏を尊んで
 己れ仏に均しと思ひ増上慢に堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり」(P.152 ⑦)と打ち破られている。また他力は、絶対者たる仏(念仏宗の阿弥陀)や神を絶対憑依の
 対象として立てる為、衆生の主体性や人間性を結果的には軽視、蔑視する事になる。ちょうど自力と反対の立場になるのである。禅宗の場合は、衆生の主体性、
 人間性を重視し直に清浄の仏性を、開顕しようとするのであるが、煩悩多き現実の人間性を無視する為に、結果的には独善と思い上がりを露呈する。
 共に、民衆にとっては、危険な修行法である事を、大聖人は見抜かれている。

16美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/01/30(土) 22:55:23

  言うまでもなく、大聖人の視点は一切衆生皆成道の仏法は何かと言う事にある。自力も他力も、その能力と資質に恵まれた僅かな人々にのみ可能な修行法に
 過ぎないことを、大聖人は本質を洞察する鋭い目で見透かされている。今日、自力は即他力に、他力は即自力になって結局、自力即他力、他力即自力に宗教の
 本質があると説く宗教理論家があるけれども、その様な細い道を通れるモノは、一握りの人間でしかない。多くの人間は自力を行えば増上慢に、他力を行ずれば
 生命力と主体性を喪失し、徒に自己を卑屈な存在に落としかねないのである。自力も他力も共にインテリ階層に好まれる理由も、自力が即他力に、他力が即自力に
 転ずるという概念の遊技を楽しめる点にあるらしい。同時に、その概念を楽しめる自らの能力と資質に酔うナルシシズムにも原因している様だ。

 大聖人は、先に挙げた「諸宗問答抄」に於いて、この様なインテリ好みの宗教の在り方に対して、痛烈な批判を加えておられるので引用しておこう。
 「縦ひ一人此くの如く意得何れをも持ち唱るとても万人此の心根を得ざる時は只例の偏見・偏情にて持ち唱えれば一人成仏するとも万人は皆地獄に堕す可き邪見の
 悪義なり」(P.377 ⑫)と。
 大聖人の視点が万人成仏の道にある事は、この一文からも明らかであろう。自力、他力について少々論じたが、十界互具論からすれば、自力も他力も共に
 一義的には、決定出来ないとの文は、御本尊の仏力・法力と衆生の信力・行力との境智冥合による即身成仏を説かれる、後の「観心本尊抄」のテ-マを彷彿と
 させるものがある。

17美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/02(火) 22:44:28

  今一つの重要な文は「法華経已前の諸経は十界互具を明かさざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し
 煩悩を断じて仏には成ると談ず凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名く
 されば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば只仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず、されば実を以てさぐり給うに法華経
 已前には但権者の仏のみ有って実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり、煩悩を断じ九界を厭うて仏に成らんと願うは実には九界を離れたる仏無き故に往生したる
 実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に但法華経の仏の爾前にして十界の形を現して所化とも能化とも悪人とも善人とも外道とも言われしなり、実の
 悪人・善人・外道・凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思いなして・すぎし程に法華経に来って方便にてありけり、実に見思無明も断ぜざりけり往生も
 せざりけりなんと覚知するなり」(P.403 ⑨)というものである。

 引用が長くなったが、法華経の十界互具論を以て、見事に爾前権教における成仏の不可能性を、指摘しておられる。つまり仏界に九界を具し、九界に仏界を備えて、
 初めて成仏の問題が、現実の場で論ずる事が出来るのであって、そこから「法華経已前には但権者の仏のみ有って実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり」との
 文も、出てくるのである。なお、この文で注意すべきは、十界が十界を具すという十界互具論を、九界の衆生が仏界を具す側面と、仏界が九界を備えると言う
 側面とに焦点を絞って、論じられている所であろう。万人成仏という仏法本来の立場にあられる大聖人にとって、十界互具論は九界の衆生が仏界を具すという
 側面こそが、何よりも重要なテ-マとして映じた事は言うまでもない。しかし、仏界に九界を備えるという側面も、後になって驚くべき展開を遂げて行くので
 注視しておきたい。

19美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/08(月) 23:40:15

  この「一代聖教大意」を書かれた正嘉二年には、「一念三千理事」、「十如是事」、「一念三千法門」と立て続けに、天台大師の立てた一念三千に関する論を
 述べられている。
 正元元年、大聖人三十八歳に編まれた大作「守護国家論」になると、次の様な一文が書かれている。
 「法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず故に四十余年の
  権行の者は仏を見ず設い仏を見ると雖も他仏をみるなり、二乗は自仏を見ざるが故に成仏無し爾前の菩薩も亦自身の十界互具を見ざれば二乗界の成仏を
  見ず故に衆生無辺誓願度の願も満足せず故に菩薩も仏を見ず凡夫も亦十界互具を知らざる故に自身の仏界も顕われず、故に阿弥陀如来の来迎もなく諸仏
 如来の加護も無し譬えば盲人の自身の影を見ざるが如し」  (P.67 ⑬)
 ここでは、先の「一代聖教大意」と同じ十界互具論が展開されている事は一目瞭然であろう。

  さて、同じ正元元年に書かれた「十法界事」になると、大聖人がそれまでの十界互具論を、より深い立場を打ち出される事によって、全く新しい地平に誘導して
 行こうとされているのが分かる。それは次の一文である。
 「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ
  免るることを得んや、当に知るべし四教の四仏則ち円仏と成るは且く迹門の所談なり是の故に無始の本仏を知らず、故に無始無終の義欠けて具足せず
  又無始・色心常住の義無し但し是の法は法位に住すと説くことは未来常住にして是れ過去常に非ざるなり、本有の十界互具を顕さざれば本有の大乗菩薩界
  無きなり、故に知んぬ迹門の二乗は未だ見思を断ぜず迹門の菩薩は未だ無明を断ぜず六道の凡夫は本有の六界に住せざれば有名無実なり」(P.421 ⑬)
 十界互具論を、本門の立場から据え直されて行く、日蓮大聖人の独創的な展開が為されて行く、端緒とも言うべき文である。
 十界互具論、そして一念三千法門が、日蓮大聖人の竜の口に於ける発迹顕本と相まって、佐渡期に於いて御本仏の立場から、めくるめく展開が為されて行くのである。

20美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/11(木) 21:26:23

                                  【「十法界事」の位置】

  日蓮大聖人の十界互具論の展開にとって、刮目すべき位置にある御書は、正元元年に著された「十法界事」であろう。大聖人三十八歳、立宗宣言から六年後の
 著作である。それまでに大聖人は、「諸宗問答抄」「一代聖教大意」「一念三千理事」「十如是事」「一念三千法門」「守護国家論」と立て続けに、執筆されている
 ことは前稿で見た通りである。これらの著作の多くは、法華経並びに天台大師の五時四教説、一念三千論に依られながら、諸宗の破折や法華と爾前の勝劣を
 明らかにされる点に、重心がかかっている。更に、天台の一念三千説そのものの説明、十如是についての論述など、総じて天台教学を基軸にした仏教概論の
 感が深い。ただその中にあっても、諸経典に対する法華経の卓越性を、十界互具を可能とする妙法に求められていく所に、日蓮大聖人独自の視点を伺うことが出来る。

 中でも正嘉二年、三十七歳の作である「一代聖教大意」では、法華以前の諸経が心生の六界(小乗教)、心生の十界(権大乗経)を説くのに相対して、法華経が
 心具十界すなわち十界互具を説くことを明かす下りで、次の様に書かれている。
 「今の妙法とは此等の十界を互に具すと説く時・妙法と申す、十界互具と申す事は十界の内に一界に余の九界を具し十界互に具すれば百法界なり、玄の二に云く
  『又一法界に九法界を具すれば即ち百法界有り』文、法華経とは別の事無し十界の因果は爾前の経に明かす今は十界の因果互具をおきてたる計りなり」(P.400 ⑰)
 つまり、十界を互具せしめる不可思議な法を妙法と言われているのである。

 爾前経では心生十界説で、差別的に個々別々の世界や存在として説かれていた十界を、法華経では十界の各界が互いに相関連し合い、一界が互いに他の九界を
 具足すると説くが故に、妙法というのである。また爾前諸経では、十界の果報とその因縁の業との関係を説くが、法華経では十界の因果が互いに具して融通
 するのである。さらに同抄では「問うて曰く妙法を一念三千と言う事如何」(P.402 ②)との表現が出てくるが、これと併せ考えると、結局、妙法=十界互具=
 一念三千という等式が成り立ってくる。日蓮大聖人の胸中に於いては、この等式のもとに一切経を捉え直し、衆生の救済・成仏の問題を考察されていくのである。

21美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/13(土) 20:01:57

  前稿に述べた様に、大聖人の青年期に把握された宇宙と生命の根源についての原初的な悟りは、こうして法華経並びに天台の所説を媒介にしつつ、妙法=
 十界互具=一念三千を仏教の究極的な、原理として決定されるに至り、以後の著述は正に、この基本線を軸に展開されて行く。尤も、この基本線は言葉そのもの
 に関する限り、妙法にしても、十界互具にしても、一念三千にしても既に法華経並びに天台大師の著述に表われていたものである。しかし、言葉や概念そのもの
 は、法華経や天台大師のそれを継承されつつも、日蓮大聖人は独創的な視点から論を展開されて行くのである。その模様は、本稿を書き進めていく中で次第に
 明らかになろう。少なくとも、次の事は確実に言える。

 すなわち、妙法=十界互具=一念三千と言う等式は、大聖人の宇宙と生命根源に関する悟りによって、一切の経典及び人師・論師の所説を検討された結果、
 大聖人の悟りに最も叶う真理として、仏教全体より採り出されてきた、究極の思想であると言う事である。つまり、この等式の抽出によって、仏教全般に関する
 検討を、終えられた事を意味する。その証拠に、以後の著述に於いて一念三千論や十如是論など、仏教用語や思想そのものの論述は後を絶ち、先の基本線を軸と
 した展開が、その激烈な実践行と相伴って為されて行くのである。ところで、妙法=十界互具=一念三千の等式の中でも、特に重視されたのが十界互具論である
 事は、これまで述べてきた通りである。

 けだし、日蓮大聖人の仏教観が万人成仏を、可能にする原理の追究にあった事から、むしろ必然の結果であろう。後に「開目抄」で、「一念三千は十界互具より
 ことはじまれり」(P.189 ④)と明確に表明される様に、一念三千もこの十界互具論に収めて捉えられて行くのである。さて、正元元年作の「十法界事」で
 あるが、本抄が重要な位置を占めると先に述べた理由は、大聖人が一通り仏教全般の検討を終えられて、妙法=十界互具=一念三千の等式を抽出された後に、
 この等式を軸に独創的な展開をされていく、その端緒に当たる思想内容が、説かれているからである。つまり立宗宣言以後、大聖人が為された全仏教の検討の
 結果の総括と、後に展開される独創的な法門への序章に当たる思想とが、本抄には畳み込まれているのである。そこで、本稿ではまずこの「十法界事」
 (P.417〜423)の内容につき、少し詳しく検討を加える事としたい。

22美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/21(日) 19:35:27

                                   【本迹相対の展開】

  本抄の主題は、二乗作仏を軸とした十界互具論を以て爾前経の無得道を証明する点である。しかも十界互具論と本迹勝劣(ひいては種脱勝劣)の立場から、
 法華本門と迹門との立て分けを明確に為されていくのである。前稿にも引用した「一代聖教大意」や「守護国家論」等の文に明らかな如く、二乗作仏により
 結果される十界互具論は既に論じられたテ-マであり、本抄が始めてではない。しかし、本抄以前に論じられた十界互具論は、法華経が他の諸経典に比し
 卓越している根拠として、換言すれば妙法の妙法たる所以として掲げられていた。すなわち、権実相対の範囲に於けるものであった。それに対して、本抄では
 十界互具そのものを、真正面から取り上げられて、本迹相対の上から、展開されて行くのである。これを日蓮大聖人の悟りの側から言えば、まず権実相対により
 法華経の卓越性を示された後に、いよいよ実況たる法華経内に於ける本迹相対を、打ち出されていくのである。その端緒に当たるのが本抄である。

 まず冒頭で、「二乗三界を出でざれば即ち十法界の数量を失う云云」と述べられ、声聞・縁覚が三界六道を解脱しなければ、十界が成立しなくなるとの大前提を
 説かれる。つまり、二乗が三界六道を出離しないならば、二乗界そのものが存在しない事になり、十界の数量が満足しないからである。その後に、この大前提を
 テ-マに、問答形式で展開されて行く。本抄の場合、問う側が日蓮大聖人の立場にあたり、答える側が天台宗を始めとする他宗にあたる。その相違は、答える
 側が爾前教でも二乗を始め衆生の、得道・成仏が可能であるとするのに対し、問う側たる大聖人は十界互具論を説かない爾前教では、絶対に得道出来ないとの
 爾前無得道説に立っている。

  第一の問答は、まず大聖人が「十界互具を知らざらん者六道流転の分段の生死を出離して変易の土に生ず可きや」と問うたのに対し、答は、二乗は既に
 見思惑を断じ、三界六道に生まれてくる原因を消滅させているが故に、三界六道を出離して変易の土に生ずると説き、その文証として「法華玄義」をひく。
 これに対して、大聖人は「難じて云く小乗の教は但是れ心生の六道を談じて心具の六界を談ずるに非ず、是の故に二乗は六界を顕さず心具を談ぜず云何ぞ
 但六界の見思を断じて六道を出べきや」と反論されている。つまり、爾前小乗教の教えで、二乗が見思惑を断じたと言っても、それは成立しない事を難じ
 られているのである。なぜなら、小乗の教えは心生の六道を説きはしても、心具の六界を説いていないからである。

23美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/23(火) 23:10:59

 心生の六道とは、凡夫の一心に抱く善悪の働きによって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界の六道の果を招くと説くものである。要するに、心から六道を
 生ずると説くのが小乗教なのである。それ故、六界の見思を断ずると言っても、心に六界を具して始めて可能なのである。心具の六界を説かれていない小乗教で、
 どうして見思を断ずる事が出来ようかと、大聖人は反論されている。ところで注目すべきは、同じ反論の中で述べられた次の文である。
 「故に寿量品に云える一切世間・天人・阿修羅とは爾前迹門・両教の二乗・三教の菩薩・並びに五時の円人を皆天人・修羅と云う豈未断見思の人と云うに非ずや」
 と。

 すなわち、一挙に法華本門寿量品の立場から、爾前・迹門の二乗・蔵通別の三教の菩薩、五時中の法華迹門の円人は未だ見思を断じない、天人・阿修羅と
 同じ類であると断定された文である。つまり小乗教で、二乗が見思惑を断じていない証拠の文証として、一挙に本門寿量品の文を持ってこられたのである。
 寿量品は言うまでもなく、久遠実成を明かした法華経の眼目である。それ故に、寿量品に於ける「未断見思」の衆生とは、久遠実成を知らずに、近成に執着する
 類の事を言うのである。すなわち、日蓮大聖人にとって、見思惑とは取りも直さず、始成正覚の近成に囚われる事なのである。ここに、十界互具が久遠実成に
 裏付けられねばならぬとの、本抄後半のテ-マが暗示されている。

  この大聖人の反論に対する答は「十界互具とは法華の淵底・此の宗の冲微なり四十余年の諸経の中には之を秘して伝えず」と言いつつも、相も変わらず爾前
 得道の証文を挙げて、十界互具が無くても爾前経による成仏が、可能である事を論証しようとしている。十界互具は、法華経の淵底であるが故に、容易く
 爾前経には説かないが、爾前では心生の六界がある以上、必ず心生を滅する証文・縁覚・菩薩・仏の四聖の高下がある。それ故に、爾前に六界を説く時は、
 そこに十界が含まれる事になる。従って、もし六界が互具するならば十界も互具する事になり、爾前にも十界互具が説かれている事になる、と言う様に論じて
 いく。かなり無理なこじつけが為されている感がある。ともかく、寿量品の未断見思の意味するものは、久遠実成を知らずに近成始覚に、執着する衆生を
 指しているのであって、爾前無得道を表す文証ではないと反駁しているのである。

24美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/28(日) 22:21:57

 答者の方は、日蓮大聖人が暗示した十界互具と久遠実成、乃至は久遠との密接な連関を全く理解出来ずに、両者を切り離して論じようとしているのが分かる。
 日蓮大聖人は、この答者の立場を天台宗の教義になぞらえて、自らの立場が天台を超える独創的な地平を開いたものである事を、問答を通して明らかにしようと
 されているのである。以後に展開される問答に於いて、答者の立場に大きな変化が無く、問者たる日蓮大聖人の次第に深化し、めくるめく展開を遂げていく
 説法に対して、ただ爾前得道説を繰り返すばかりであるので、本稿に於いても今後は、問者の側の説に焦点を定めて追跡する事としたい。

  まず、第三番目の問いである。“第三重の難”においては、「法華本門並に観心の智慧を起こさざれば円仏と成らず」と、法華本門及び観心の智慧の立場に
 立たなければ、十界互具・一念三千の実の円仏は、成立しない事を明確に明かされている。この立場から小乗の二乗、権大乗の菩薩、法華迹門に説かれた三乗
 得道説の全てが、成仏不可能なる事を論証されていく。この下りは正に圧巻である。先に挙げた第一の問答では、十界互具論を以て二乗の三界解脱が、不可能
 なる事を論証されたのであるが、その十界互具論が法華本門と密接な関係に、ある事を暗示されてからは、新たな観点からその不可能性を論じられていく。

 まず、二乗に対して説いた小乗教の苦・空・無常・無我の教えは、如来が外道の常・楽・我・浄の四顚倒を破らんが為に方便として説いたものである。ところが
 二乗は、無我を絶対の真理として執着し、それによって見思惑を断じたと錯覚してしまった。それが迷いの根本であると断定されている。その結果、色心倶滅、
 灰身滅智の断見に囚われた事になる。つまり、外道の常見を超えようとして、今度は断見に陥ったその姿を「火を捨てて以て水に随うが如し」と表現されている。
 火も水も、何れも「苦」の象徴としてあげられている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板