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仏教大学講座講義集に学ぶ       【 日蓮大聖人と法華経 】

22美髯公 ◆zkpDymnu/M:2016/02/21(日) 19:35:27

                                   【本迹相対の展開】

  本抄の主題は、二乗作仏を軸とした十界互具論を以て爾前経の無得道を証明する点である。しかも十界互具論と本迹勝劣(ひいては種脱勝劣)の立場から、
 法華本門と迹門との立て分けを明確に為されていくのである。前稿にも引用した「一代聖教大意」や「守護国家論」等の文に明らかな如く、二乗作仏により
 結果される十界互具論は既に論じられたテ-マであり、本抄が始めてではない。しかし、本抄以前に論じられた十界互具論は、法華経が他の諸経典に比し
 卓越している根拠として、換言すれば妙法の妙法たる所以として掲げられていた。すなわち、権実相対の範囲に於けるものであった。それに対して、本抄では
 十界互具そのものを、真正面から取り上げられて、本迹相対の上から、展開されて行くのである。これを日蓮大聖人の悟りの側から言えば、まず権実相対により
 法華経の卓越性を示された後に、いよいよ実況たる法華経内に於ける本迹相対を、打ち出されていくのである。その端緒に当たるのが本抄である。

 まず冒頭で、「二乗三界を出でざれば即ち十法界の数量を失う云云」と述べられ、声聞・縁覚が三界六道を解脱しなければ、十界が成立しなくなるとの大前提を
 説かれる。つまり、二乗が三界六道を出離しないならば、二乗界そのものが存在しない事になり、十界の数量が満足しないからである。その後に、この大前提を
 テ-マに、問答形式で展開されて行く。本抄の場合、問う側が日蓮大聖人の立場にあたり、答える側が天台宗を始めとする他宗にあたる。その相違は、答える
 側が爾前教でも二乗を始め衆生の、得道・成仏が可能であるとするのに対し、問う側たる大聖人は十界互具論を説かない爾前教では、絶対に得道出来ないとの
 爾前無得道説に立っている。

  第一の問答は、まず大聖人が「十界互具を知らざらん者六道流転の分段の生死を出離して変易の土に生ず可きや」と問うたのに対し、答は、二乗は既に
 見思惑を断じ、三界六道に生まれてくる原因を消滅させているが故に、三界六道を出離して変易の土に生ずると説き、その文証として「法華玄義」をひく。
 これに対して、大聖人は「難じて云く小乗の教は但是れ心生の六道を談じて心具の六界を談ずるに非ず、是の故に二乗は六界を顕さず心具を談ぜず云何ぞ
 但六界の見思を断じて六道を出べきや」と反論されている。つまり、爾前小乗教の教えで、二乗が見思惑を断じたと言っても、それは成立しない事を難じ
 られているのである。なぜなら、小乗の教えは心生の六道を説きはしても、心具の六界を説いていないからである。


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