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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人と法華経 】
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:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2016/02/02(火) 22:44:28
今一つの重要な文は「法華経已前の諸経は十界互具を明かさざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し
煩悩を断じて仏には成ると談ず凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名く
されば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば只仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず、されば実を以てさぐり給うに法華経
已前には但権者の仏のみ有って実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり、煩悩を断じ九界を厭うて仏に成らんと願うは実には九界を離れたる仏無き故に往生したる
実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に但法華経の仏の爾前にして十界の形を現して所化とも能化とも悪人とも善人とも外道とも言われしなり、実の
悪人・善人・外道・凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思いなして・すぎし程に法華経に来って方便にてありけり、実に見思無明も断ぜざりけり往生も
せざりけりなんと覚知するなり」(P.403 ⑨)というものである。
引用が長くなったが、法華経の十界互具論を以て、見事に爾前権教における成仏の不可能性を、指摘しておられる。つまり仏界に九界を具し、九界に仏界を備えて、
初めて成仏の問題が、現実の場で論ずる事が出来るのであって、そこから「法華経已前には但権者の仏のみ有って実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり」との
文も、出てくるのである。なお、この文で注意すべきは、十界が十界を具すという十界互具論を、九界の衆生が仏界を具す側面と、仏界が九界を備えると言う
側面とに焦点を絞って、論じられている所であろう。万人成仏という仏法本来の立場にあられる大聖人にとって、十界互具論は九界の衆生が仏界を具すという
側面こそが、何よりも重要なテ-マとして映じた事は言うまでもない。しかし、仏界に九界を備えるという側面も、後になって驚くべき展開を遂げて行くので
注視しておきたい。
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