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本迹関連の部屋

1美髯公:2009/07/18(土) 14:25:22
 「本迹」と一応銘を打ちましたが、「本迹」に限らず「教義一般」も

こちらで、お願いいたします。

話が入り組んでくれば、その時は分割も考えますのでm(__)m

160沖浦克治:2017/01/11(水) 06:18:04
 おはようございます。
 
 御書には一切衆生が南無妙法蓮華経如来だと書いてあります。

 後は門下としてそれを信受するかしないか?
 個々人の信心の厚薄の問題です。

 別しては大聖人、総じては一切衆生が本仏。

 これも間違いです。
 等しく大聖人と寸分たがわない本仏です。

 ここがわからないと不軽菩薩の行は出来ません。
 ご本尊手を合わせて唱題していても、

 このご本尊は一切衆生の命を形どったものだ。
 このご本尊を拝むことが一切衆生を拝むことにな。
 法華経の修行の肝心である不軽菩薩の行が、このご本尊に向かう唱題なんだ。

 ここを理解するべきですね。
 世界中の宗教が人間の上に神を据えてダメになっています。
 私共はその轍を踏む愚かを犯してはなりません。
 そのための創価学会なんですよ。

 今創価学会は未来の経典に私どもが創価学会仏と記されると高らかに宣言いたしました。
 新しい時代、新しい宗教、新しい思想の幕開けなんです。

 私共はSGIの一員です。
 そこでは大聖人を宗教かではなく、革命家思想家として捉えています。

 価値観の逆転があるのです。
 遅れないように致しましょうね。

 宗門の念仏題目なんか捨てましょう。

161沖浦克治:2017/01/12(木) 05:31:27
 人と仏の本迹について。

 創価学会は世界広布新時代にあたり、

 人のための宗教!!

 を高々と宣言いたしました。
 人間革命に明確です。

 AのためのBならば、Aが目的Bが手段。
 これは大原則。

 人間(の幸福)が目的、宗教はそのためにある手段。

 仏法は衆生のためある教えですが、日蓮正宗時代反対になっておりました。
 破門からもう直ぐ30年。

 宗門の蔭も消え去り創価学会は教義を一新。
 更にまだまだ変更するでしょう。
 良い時代となりました。

 大聖人仏法は衆生のためにあります。
 これは大原則で国の憲法見たいなもの。

 大聖人仏法では人間の事を凡夫と云います。
 凡夫に二種類あって、仏と衆生。
 同じものですが異なりがあります。
 御書には、

 『衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、』
 (一生成仏抄)

 わかりやすく云うなら 冰と水の関係に似ています。
 双方同じ、H2 O。

 仏法は人のためにある法ですので、衆生を済度するために仏が出る。
 当然主体は衆生で、仏は従になります。

 これが人類全体からの主と従ですし、本迹とも云えます。

 人が本仏は迹。

 そしていま一つの観点からです。
 では私共個々人の中ではどう云う関係になるのか?

 私共は本来は久遠の南無妙法蓮華経如来です。
 御書にありますね。
 ですが、今はそれを忘れて(迷って)います。

 貴方は100%の仏様ですか?

 こう問われて素直に、ハイと答える人は少ないです。
 迷いがそう云う答えをさせています。

 所がSGIのメンバーは同じ問いに、

 ハイ!!

 と答えます。
 迷いがないのですね。
 以下於保さんの講演から抜粋引用いたします。
 (2009年12月06日『海の文化と村の文化』)

 そこで、「この中で,自分のことを南無妙法蓮華経如来だと信じられる人?」と手をあげてもらったんです。フランスのメンバーは6人全員、「はい」と元気いっぱい手をあげたんですよ。日本のメンバーは40数人中3人でした。
 〜引用終わり〜

 御書にば私どもが人の形をしているのは迹で、本地は仏だとあります。

 『下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。』
 (百六箇抄)

 久遠からの南無妙法蓮華経如来が、たまたま地球と云う星に人類の恰好で生きている。

 端的に云うならこう云うことです。

 ご本尊と拝む私どもの本迹などは簡単です。
 創価学会が見解を出したでしょう。

 仏道修行のためのご本尊。

 当然拝む側の私共は本、手段としてのご本尊は迹。

 迷う必要すらございません。

162沖浦克治:2017/01/12(木) 07:03:35

 私や貴方方個々人の立派から更に考察致します。

 自分の事を仏法では正報と云います。
 その正報である自分を取り巻く一切の環境を、依報、と名付けます。

 『夫十方は依報なり衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし正報なくば依報なし又正報をば依報をもつて此れをつくる』
 (瑞相御書)

 最後の正報を依報がつくるとの思想は、現代の物理学や天文学をリードするものですが、又の機会に譲ります。

 依報は影であって正報が本体、正報がないなら依報は存在しない。

 ですので、正報である衆生(私共)が本、囲む環境である依報が迹。
 個々人に訳すなら、個人と云う存在がその方にとって本、囲むすべての環境は依報で迹。

 人間関係に限定して述べるなら、例えばAさんと云う方がおられるなら、Aさんだけが本、他の私共は迹。

 自明の理です。
 当然Aさんを囲む人間関係には、師匠である池田先生や同士である私どもも一切含まれます。

 若し大聖人と同じ時代で四条金吾から見ると、大聖人も迹になります。
 これは大聖人を軽んじるとかと云うレベルの事ではなく、依正から見るとそうなると云う事。

 四条金吾を私や他の方々に変えても同じですね。
 所が、ダメな方々もおられて、

 沖浦は自分が本仏で大聖人が迹仏だと云った!!

 愚かなものですね。
 頭破七分です。

 私はそう云う事は一言も云いません。
 当時御本仏は大聖人お一人と常に書いております。

 現在は機根が整い始めたので、少々発言に変化がございます。
 ですが大聖人を尊敬し奉り事には変化はございません。

 結論です。

 自分にとって自分が世界の中心にいる!!
 自分がどこまで云っても本!!
 自分の人生に主役は自分一人!!

 ここがわからないと虚しいですね。
 折角の創価人となった意味が薄れます。

 本迹って、人生の勝利に大事な大事な概念ですよ。
 迷ってる場合ではございません。

163JJJ:2017/01/22(日) 06:54:54
おじゃまします。

凡夫は、本来、本仏(南無妙法蓮華経如来)とすると、………。

御本尊は、本来、本門の本尊。

と、見るのが、整合性があると思われますが、
そう捉えるのは、私だけでしょうか??

164沖浦克治:2017/01/30(月) 05:47:05
 本尊に迷う人が多いですね。

 寛師の邪義、戒壇本尊本懐と三大秘法当体論の蔭を引きずる人たちです。

 曼荼羅本尊は迹であって、本は私共衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経。
 御書に明快です。

 観心本尊抄には曼荼羅本尊が仏像だと明記されていますし、この御書の少し後で書かれた顕仏三来記に以下の御文がございます。

 『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』
 (顕仏未来記)

 本尊抄は文永10年4月、顕仏未来記は同年5月。
 本尊抄の後で明確に本尊の本体をご指南です。

 『本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』

 誰でも理解出来ますが、頭破七分の人は読めません。

 怨嫉謗法ってね、御書まで読めなく致します。
 損ですね〜〜!

165沖浦克治:2017/01/30(月) 20:36:27
 三大秘法ってね、物じゃないのですよ。
 
 命そのものです。
 衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経が本門の題目でそのまま本門の本尊。

 本門の戒壇はその本尊と題目の活動の場です。
 固定された大伽藍ではありません。

 『されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、』
 (最蓮房御返事)

 私共が信心をしながら生きて行く場所すなわち常に寂光土だとあります。
 寂光土とは仏の住所、それが本門の戒壇です。
 御書に書いてあるのですよ。

 所が寛師の邪義の戒壇本尊本懐と三大秘法の当体に惑わされた人はこの御文が読めません。

 少しだけ冷静に御書を読めば誰でもわかるんですがね〜〜。

166JJJ:2017/01/31(火) 05:56:37
失礼します。

私は、
御本尊は、開門.起後のところの、本門の本尊と捉えております。

もちろん、仏像、舎利の拝むのであれば、この御本尊を前に置きなさいと、言われていると、捉えております。

167沖浦克治:2017/02/05(日) 14:57:18
 JJJさん、今日は。
 
 御本尊は仏そのものではありません。
 仏を象ったものです。

 西郷さんの銅像は西郷さんを象ったもので、西郷さんそのものではありません。
 御本尊と仏の関係も同じです。

 御図顕なされるご本人が、

 仏像。

 と云っておられます。
 ですので疑う必要すらありません。

168沖浦克治:2017/02/05(日) 14:59:35
 何故御本尊を拝むのか?
 
 大聖人の御本尊は一切衆生の命を写しとったものです。
 この点は御書に明確です。

 更に大聖人は法華経の修行の肝心は不軽菩薩の合掌礼拝の行だと仰せです。
 これも御書にございます。

 御本尊を拝むことは一切衆生を拝むことなんです。

169沖浦克治:2017/02/06(月) 06:44:08
 あらゆるスポーツがフォームから入ると大成しないことを書きました。

 何故なのか?

 スクワットを例にとると、フォームから教えるコーチは生徒を外から規制して強くする人です。
 この場合、軽い重量を理想とされるフォームで高回数反復練習させます。
 補助も良い道具もあまり必要ありません。

 私の様にフォームから教えず、先ず重たい重量を挙げさすことから教える人は、生徒を中から強くするコーチ。
 これは高重量を2〜3回やらせます。
 当然適切な補助や優れて安全なラックなどが必要です。

 フォームから教えると生徒たちは平均的に強くなります。
 高重量からやらせると、生徒たちはそれぞれの個性でずば抜けて強くなります。

 フォーム重視のコーチングから、一流のスクワッターは出て来ません。
 突然変異で強くなれないからです。

 コーチが強くするのではなく、生徒が自分で強くなるトレーニング。
 最も重要なんです。

 アルペンレースを例にとると、板を走らせることから教えるべきです。
 所が日本は、フォームを重視します。

 ですので、突然変異で素晴らしい選手は出て来ません。
 残念ですが、我が国のコーチングの実態はほとんどがダメですね。

 仏法を内道と云いますね。
 人を内なる革命で変えるからです。
 外からの規制で律するものを、外道と呼びます。
 人は内道で成長致します。
 外道ではダメなんです。

170JJJ:2017/02/12(日) 07:29:12
失礼します。

たとえ、仏像に釈迦の霊が憑依(適切な言葉が見つからず、申し訳ありません。)したとしても、そこに実相.諸法.十如がなければ、仏界も三身.寂光土も現れず、一念三千は成り立ちません。
憑依?寄生?合致?合体?装着?着座?……着座かな。
ひと度、妙法蓮華経と唱えれば、仏から凡夫まで、すべての仏性が、顕れ集まり、自名指定の席に着座……。

御本尊は、開門(証中の[ あかしのさなかに ]不思議一.本化本尊).起後のところの本門の本尊と捉えております。九界即仏界.従因向果から、仏界即九界.従果向因へ、俗諦世間に挑めば、仏壇閉扉にて、御本尊は迹門不変真如の理に帰すると、捉えております。(参考御書→阿仏房御書P1304「ゆゆしき大事……」また「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔その前に涌現す」。法華初心成仏抄P557「一度(たび)妙法蓮華経と唱うれば……」
・また本尊の姿は、(起後のところの)本門の本尊.(証前の)[南無]妙法蓮華経の五字[七字]と捉えております。よくご存知であられます、顕仏未来記の「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」の意です。
謎は解けましたでしょうか?
そう捉えるのは、私だけでしょうか?

171JJJ:2017/02/13(月) 11:37:57
失礼します。

訂正です。すみません。
(誤) 九界即仏界.従因向果(従因至果)から、仏界即九界.従果向因へ

○ 従果向因の仏法。九界即仏界.仏界即九界。

172JJJ:2017/02/13(月) 17:45:23
失礼します。

さらに、訂正します。すみません。
(誤) 開門(証中の[あかしのさなかに]不思議一.本化本尊)

○ 開門(本化.本門の本尊の起点、不思議一。)

173沖浦克治:2017/02/15(水) 06:32:47
 JJJさん、おはようございます。

 御本尊は方便なんです。
 実像である南無妙法蓮華経を紙に写し取ったもの。

 仏そのものではございません。
 仏は私共。
 お化粧する時鏡見ますね。
 あの鏡が御本尊、見ている私どもが本体ですね。

 同じなんです。

174JJJ:2017/03/01(水) 04:14:44
失礼します。
御本尊は、虚空会の儀式を象ったと言われておりますが、私は、そうは捉えておりません。
霊山一会儼然未散ですから、実体は見えませんが、仏性と言う心性の形でその儀式が題目と共に行われていると捉えております。不思議一ですから、書写本尊と題目に顕れ、一体となっていると、捉えております。つまり世間の物の外用を写す鏡ではなく、不思議一体の御本尊と言う仏界の明鏡を、境智冥合するところに顕れる自身の仏性、心の鏡で自身に内在する生命が、同じ南無妙法蓮華経と正観する南無妙法蓮華経如来であるとすることを、御本尊を鏡としてそこに自身が南無妙法蓮華経如来であると見ていると、捉えております。

ですので、
御本尊は、(開門 [開塔] .起後のところの、本化本尊 →起後のところとは、久遠を明かす寿量品所顕の本化本尊 .)本門の本尊と捉えております。

分かりにくいかと思いますので、
次回に、長文になりますが、全容を書きます。
また御本尊、中央.実相.南無妙法蓮華経について語らせて頂きますと、久遠や法界、宇宙という概念が加わります。

本日は、これで失礼いたします。

175沖浦克治:2017/03/28(火) 05:57:11
 昨日は今年2回目のオフ日に致しました。
 連日の闘いで疲れた身体と心を癒しました。

 唱題もお昼の1時から30分。
 朝夕の勤行を一回にまとめてやりました。

 それまでの時間ひたすら食べて寝ていました。
 そして思いました。

 近い将来勤行も朝夕ではなく、日に一回自由な時間帯でやるようになるだろうな・・・

 その方が合理的ですね。

176沖浦克治:2017/04/02(日) 06:29:32
 上行菩薩は一人だけではないと書いたら、色々あちらこちらで反論がございます。

 真面目なご意見もございましたので少々ご説明致します。

 御書には

 『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし、』
 (妙密上人御消息)

 とございます。
 人ごと国ごとに弘めるのですから、一人では不可能です。
 地涌の菩薩の代表としてのシンボルの上行菩薩。
 この菩薩の本地は何か?

 久遠の南無妙法蓮華経如来です。

 そして私共一切衆生も同じく寸分違わぬ久遠の南無妙法蓮華経如来。
 御書に如来の説明がございます。

 『されば文句の五に云く其車高広の下は如来の知見深遠なるに譬う、横に法界の辺際に周く堅に三諦の源底に徹す故に高広と言うなりと、所詮此の如来とは一切衆生の事なり既に諸法実相の仏なるが故なり、知見とは色心の二法なり知は心法見は色法なり、色心二法を高広と云えり、高広即本迹二門なり此れ即ち南無妙法蓮華経なり云云。』
 (御講聞書)

 『然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。』
 (御義口伝巻下)

 『此の妙法蓮華経とは我等が心性総じては一切衆生の心性八葉の白蓮華の名なり是を教え給ふ仏の御詞なり、』
 (一念三千法門)

 ここまで書くと必ず無知な方が云いますね。

 仏に総別があって、別しては大聖人お一人だ!!

 これって大間違いなんですね。

 『御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、』
 (御義口伝巻下)

 寛師の害毒は凄まじいものがございます。
 捨てて良かった日蓮正宗。
 辞めずに良かった創価仏法!!

 追記致します。

 御書は大聖人お一人との表記が多くある。
 だから大聖人だけが特別の仏様なんだ。

 これも大きな勘違いです。
 大聖人を特別な存在に祭り上げ、聖人化してしまうと、それに使える僧侶たちも簡単に特別な人種に出来ます。

 後世の習い損ないが犯した自己保身の大嘘。
 代表は寛師ですね。
 御書には、

 『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 最初のお一人が大聖人です。
 後は一切衆生が全て同じ。
 そして、大聖人も一切衆生の中です。
 当然ですよ、人間ですからね。
 

177沖浦克治:2017/04/08(土) 05:51:03
 他板でも、上行菩薩で浮かれ騒ぐ方もおられます。

 少し整理しておきます。
 多くの方の位置付けは、

 久遠元初の仏>上行菩薩。
 
 こう云うものですね。 
 久遠元初の自受用身如来が宇宙の最初の仏で、それが大聖人。
 釈迦はその法門である南無妙法蓮華経を修行久遠実成で仏に成った。
 上行菩薩はその釈迦の法華経を末法で弘める人。

 ですので、大聖人が上行菩薩の再誕だと云う思想はありません。 
 大聖人は御書の中で、ご自身が上行菩薩である事を明確に否定されておられます。

 『而るに日蓮上行菩薩にはあらねどもほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す、』
 (新尼御前御返事)

 明快に否定されておられる。
 誰がどう読んでも大聖人は上行菩薩ではあり得ません。

 釈迦仏法の限定された思想の中の上行菩薩の位置付けは、私共大聖人門下とは無関係なのです。

 大聖人は久遠の南無妙法蓮華経。

 これは変わりません。
 そして、

 私共一切衆生も寸分違わず久遠の南無妙法蓮華経如来。

 ここが日蓮思想の極意。
 これが分からないと御書はわかりません。
 ですので、何処かの誰かさんの様に、

 沖浦は自分を久遠の南無妙法蓮華経如来から上行菩薩への格上げをしている。

 などと云う方は、御書に暗い見本ですね。

 まあ寛師教学ではそんなものです。

178沖浦克治:2017/04/17(月) 06:34:48
 クジラさん所にsewさんが書き込まれておられますね。

 私はこの件でどちらの味方もいたしませんが、一つだけ書いておきます。

 sewさんとは現実に何度か対面しております。
 クジラさんとは対面をしておりません。
 ですので、現状では

 sewさんのご指摘の内容が実際にあった。

 と、大きな確率で考えております。
 但し双方のお話をお聞きしないと結論は出せません。
 将来クジラさんと対面することがあるなら、その時お聞きいたしますでしょう。
 クジラさんに対面をしてその説明を要求する、と云う事ではございません。

 対面の機会があって(私は強く望んでおりますが)、クジラさんがその話題に触れる事をお許しになられるなら、その時はお聞きしたいと存じます。

 対面による対話こそが、創価学会の基本であり、大聖人仏法の根幹をなす行い。
 これは昨日も書かせて頂きました。

 『人生の大事は対面による対話しかどうしようもない。』(主意)

 牧口先生以来、創価の伝統でございます。

 『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、』
 (太田入道殿御返事)

 創価三代の聖人方、日蓮大聖人、これ等の末法広布の偉人方が、押しなべて対面による対話をせよと云われる。

 私は、大聖人門下の創価人として、ネットを助縁とした対面対話を目指すことが仏法者のネットの王道だと定めて来ましたし、今後も変えるつもりがございません。

 当然、対面には危険が付きまといます。
 先ずアポをとる時から、自身の連絡先や実名などの個人情報が相手に知られます。
 それを悪用されることが十分に考えられます。

 事実、私も凄まじいまでのバッシングに晒され、結果として家業に大きな影響をもたらしました。
 2008年ごろからその傾向が強くなり、一昨年まで継続致しました。

 白馬村での体育協会加盟にも横槍があり、私共の仕事も紆余曲折を強いられました。
 何よりも恋女房が精神的に落ち込み、家庭が暗くなることもございました。
 ですが、御書には、

 『日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず不軽品に云く「其罪畢已」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし何に況や日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二・とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし、心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり心も又身に対すればこそ月金にもたとふれ、又過去の謗法を案ずるに誰かしる勝意比丘が魂にもや大天が神にもや不軽軽毀の流類なるか失心の余残なるか五千上慢の眷属なるか大通第三の余流にもやあるらん宿業はかりがたし鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』
 (佐渡御書)

 私自身の過去世現世の謗法故に悪口罵詈される。
 それはそのまま現世での宿命転換の原動力だ。

 この御文をそう定めて身で少々読みました。
 その結果現在の大成功がございます。

 ネットの掲示板で創価を語るなら、魔が競うのが当然。
 それを恐れていて、ネットを舞台にした人間革命境涯革命は不可能。
 御書にございます。

 『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし、国主の責めなををそろしいわうや閻魔のせめをや、日本国のせめは水のごとしぬるるををそるる事なかれ、閻魔のせめは火のごとし裸にして入るとをもへ、』
 (閻浮提中御書)

 当時門下への大弾圧の真っ最中。

 その国家による命に及ぶ弾圧でさえ、水に濡れるようなものだ、閻魔の責めは火の中に裸で入るほどの物、国主の責めなど恐れてはならない。

 この様に門下を激励なさっておられる。
 ネットで実名晒して責めらる程度、そよ風に頬を吹かれるようなもの。
 しかも、そのそよ風で自身の境涯革命が成し遂げられる。

 これほど素晴らしい話は滅多ございません。
 更には、ハンネのままであってもお互いに対面し合うなら、その部分から宿命転換は開始できます。
 但し私は皆様方にお勧め致しません。

 志のあらんお方はそう云うネットをなさいませ。
 志のないお方はご遠慮なさいませ。

 これだけの事でございます。

 『其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり。』
  (法華初心成仏抄)

 広くは広宣流布。
 狭くは、自身の人間革命虚がい革命。

 これらへの志のないお方は、どうぞハンネでのネットでおやり下さいませ。
 それはそれで楽しいでしょうから。

179沖浦克治:2017/06/11(日) 06:35:42
縦線時代の戦友たちが4人で昨夜やって来られました。

 ご夫婦お二組。
 70歳超えてます・・・・・

 4人ともに池田先生から名前で呼ばれる人です。
 昭和33年〜37年の入会の方々。
 私は組織では全く出世(書き方良くないですが)せず、戦友たちは幹部になって大活躍。

 人生の総仕上げにかかって全く平等に戻りました。
 忌憚のない話が弾んで楽しかったです。
 
 4人ともに関西創価学会の草分けの方々です。
 それで質問いたしました。
 掲示板で常に争っていたことです。

 一大秘法って何ですか?

 4人一斉に即答。

 本門の題目です!!

 やはりな〜〜・・・・・
 
 私は兵庫県神戸市で入会して、4か月後の任用試験。
 三大秘法の勉強でそう教わりました。

 所が、長野県に来てからは全てと言っていいほどの方々が、

 一大秘法は本門の本尊。

 と信じておられます。
 この落差はなんだろう?

 池田先生が昭和31年関西の戦いをされた時、常に御書講義をなさったと聞きました。

 その時、将来の将来を思われ、寛師共学否定の真実の法を教えられたとわかりました。
 私が、

 関西以外は一大秘法は本門の本尊なんですよ。

 と言うと、

 エ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 と驚かれました。
 私は関西の教学で育った人間です。
 池田思想の洗礼を強く受けていたのですね。

 だから御書をスムースに理解できたのでしょう。

 ネットで教宣とか広宣の方々とやりあいましたし、現在も少しあります。

 大聖人仏法の肝心要である、

 一大秘法が本門の題目(私共の命)。

 これがわからないなら、御書は絶対理解出来ません。

 昨夜はこの話題に花が咲きました。
 久々の研鑽とオアシス。

 創価の戦友はありがたいです。

180沖浦克治:2017/08/29(火) 15:28:00
 テレビも北朝鮮のミサイルで塗りつぶされています。

 ミサイルは怖いですが、桁違いに恐ろしいものがあります。

 隣国が何時責めてくるかわからない。
 だからわが国も核兵器を所有して対抗すべきだ!!

 それには先ず憲法九条を何とかせねばならない。
 憲法改正に向けて国民の危機感を煽り、それによって再軍備を正当化すべく憲法改正の世論を作ってしまおう。

 軍備は凄くお金がかかります。
 当然膨大な利権が生まれます。

 原発の利権の見通しが立たない現在、軍備で儲けたい一握りの政治家と企業がある。

 今こそ私共は、トルストイ、ガンジーに代表される武力によらない抵抗を思うべきです。

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