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( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ
141
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:29:01 ID:fFFHkLRU0
ミセ; ー )リ「絵描き……絵描き!ねぇ、聞こえてる!?ねぇ!!」
ギシギシと激しい金属音を立てながら揺れる正門を開き、その傍らに立っていた絵描きにようやく手が届く。
彼は背中に何か大きな四角い荷物を持ったまま、石像のように動かず固まっていた。
肩に手を置き、全力で声をかける。
この嵐のせいで、こんなに近くに居るのに声が届かないのか。
いくら何でもおかしい。そんな刹那の違和感を覚えた次の瞬間、絵描きはゆっくりと私に凭れるように倒れ込んだ。
ミセ; ー )リ「ちょっ…!?ちょっと、絵描き!?ねぇ、嘘でしょ…!?」
( д )「……………」
ミセ; ー )リ「起きて…!!ねぇ、起きてよ!!笑えないわよそんな冗談…!!ねぇってば!!」
肩を揺らし声をかけるも、彼は指一本動く気配が感じられない。
後ろからヘリカルを始めとした使用人たちが駆けてくる。
彼らはぐったりとした絵描きを見てほんの一瞬固まったが、すぐさま私の代わりに彼を担いだ。
142
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:29:43 ID:fFFHkLRU0
*(;‘‘)*「ミ、ミルナ君…!?お、お嬢様も大丈夫ですか!?早く屋敷に…!」
ミセ; ー )リ「私はいい!!それより…それより、絵描きを!!早く!!急いで!!」
ミセ; Д )リ「タオルとか、お湯とか…何でもいいから、体を温めるもの用意して!!早く!!」
ヘリカルから差し出された手を拒み、とにかく彼を何とかすることだけを考える。
屋敷に戻りながら、使用人たちに担がれた絵描きの横顔が見える。
彼はとても生者とは思えないくらいに、青く冷たい顔色をしていた。
143
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:30:30 ID:fFFHkLRU0
*
( -д゚ )「ん……?」
目が覚めると、暖かく、絢爛な部屋の中にいた。
雲の上にいるのかと思うくらいに柔らかくてふわふわとしたベッドの上。
上体を起こし、深呼吸を一つ。
頭にかかっていた霧が、ゆっくりと新しい風に吹かれて消えていく。
( -д゚ )(……さっきまで、確か、待ってて…)
落ち着いて、思い出せるだけの記憶を復元していく。
そうだ。僕は確か、堂島家の正門前でいつものように立っていた。
144
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:30:58 ID:fFFHkLRU0
朝起きると、ニュースで予期されていた以上の大嵐が来ていた。
いつも使う電車は当然のように運休。バスの方も検索してみたが、もちろん動いていなかった。
それでも、行かなければいけないと思った。
持ち出した傘は外出後数秒で手を離れ、それでも土地勘だけを頼りにここまで進んだ。
嵐に揺れる正門の前で、いつものようにお嬢様を待った。
自分なりの謝罪をするために。
意識どころか体そのものが吹き飛ばされそうになる中、僕は朦朧とする中で、ひどく安心するような声が聞こえたような気がした。
すると、ずっと張っていた気が緩んで、一気に体から力が抜けて――。
記憶のゆっくりと辿っていると、遠慮がちなノックが扉から響き、ドアが開いた。
そこから現れたのは、この一ヶ月、ずっと会いたいと思っていた少女だった。
145
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:33:59 ID:fFFHkLRU0
ミセ* ー )リ「………」
( ゚д゚ ;)「…お、お嬢様……」
目は合わない。
あの冬の夜と同じ暗さが彼女の表情に残ったまま。
それでも、こうしてまた会えたことに、僕はどこか嬉しさを感じていた。
( ゚д゚ ;)「え、えっと…その、お久しぶりで…」
ミセ* ー )リ「何しに来たの」
さっきまで自分の身体を襲っていた豪雨の同じくらいに冷え切った声。
その声に、僕は自分が如何に浮かれていたかということを自覚する。
甘えてはならない。緩んではならない。
僕は紛れもなく、彼女を傷つけた加害者なのだから。
146
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:34:44 ID:fFFHkLRU0
( -д- ;)「……謝りに、来ました」
お嬢様の顔を正面から見つめながら、続けてはっきりと「申し訳ありませんでした」と口にする。
彼女は僕の言葉を聞いても、一切こちらを見ようとはしないどころか、ドアに凭れかかったまま腕を組んで動かない。
沈黙が流れる。その間ずっと、僕はただ黙ってお嬢様を見つめていた。
ミセ* ー )リ「……動けるようになったら、荷物をまとめて帰りなさい」
先に沈黙を破ったのは、お嬢様の方だった。
彼女はそう言った後、振り返ってドアに手をかける。
まずい。咄嗟にそう思った。
せっかく、久しぶりに会えたのに。ようやく、またこうして屋敷に入って、彼女の顔が見れたのに。
こんなチャンスはもう二度と、一生来ない。
この機を逃せばもう、お嬢様と話せる日はない。
足りない知恵を寄せ集め、お世辞にも良いと言えない頭を捻る。
すると、お嬢様の言葉に出た”荷物”という言葉に光明が見えた。
( ゚д゚ ;)「に、荷物!」
ミセ* ー )リ「……?」
( ゚д゚ ;)「あ、あの…僕が持ってたあの、四角くて大きな荷物、ありませんでしたか」
僕の言葉にお嬢様はピタリと止まり、ドアから手を離す。
そしてゆっくりと部屋の隅を指差した。
彼女が指し示した先には、何重にも防水仕様の白い布で覆われた、僕の荷物が壁に立てかけられていた。
147
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:35:32 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ ;)「あ……!!」
慌ててベッドから飛び起き、荷物へと駆け寄る。
布に触れる。これ自体はひどく湿気っているが、おそらく中身の損傷はさほどない筈だ。
ミセ;゚―゚)リ「ちょ、ちょっと…!急に動いちゃ…!」
お嬢様の声がそこで止まる。
振り向くと、彼女はまるで何かしてはいけない失言をしたかのように、口元を抑えて気まずそうに立っていた。
ミセ; ー )リ「……なんでもない。こっち見ないで」
ミセ* ー )リ「元気そうならいいわ。じゃあ、さっさとこっから出ていって――」
( ゚д゚ )「お嬢様」
布に手をかけ、彼女を呼ぶ。
染みついた嵐の水分が手に滲み、ひどく不快な冷たさが指に纏わりついた。
148
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:36:31 ID:fFFHkLRU0
( д )「……本当に、申し訳ありませんでした」
( д )「僕は…僕は貴女に、本当に酷いことをした」
ミセ* ー )リ「……」
彼女からの返答はない。当然だ。
本当なら、僕の声も姿も、存在さえ認識したくない筈だ。
もしも僕が被害者の立場だったらもう、何があっても関わりたくないと思う。
それだけ僕は彼女の酷いことをした。償っても償いきれないほどに。
ミセ* ー )リ「……そういうの、いいから」
ミセ* ー )リ「もう、さっさと出て行ってよ」
震える声が鼓膜を揺らす。
言葉の端々にまで宿った”拒絶”の意思。
それを聞いてなお、僕は構わず話を続けようと口を開く。
149
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:37:49 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ ;)「謝ろうと思ったんです」
( ゚д゚ ;)「凄く…本当に自分勝手だけど、とにかく、貴女に謝りたかった」
口にした内容のひどさに改めて自分で驚く。
勝手な都合で、人を傷つけて、挙句の果てには相手の迷惑になると分かっていながら毎日のように押しかけて。
最終的に嵐で倒れて、介抱までしてもらって、それ以上まだ迷惑をかけるのか。
( д ;)「でも…どう謝ればいいのか分からなかった。僕は、何にもない人間だから」
( д ;)「言葉なんかじゃ絶対足りない。けれど、僕が貴女にあげられるものなんて、何一つない。あったとしてもそれは、貴女からすれば何の価値もないものばかりだ」
冷静な自分が心臓に杭を指すような感覚がある。
それでも、どうしても、僕は見せたいものがあった。
どうしても、伝えたいことがあるのだ。
150
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:38:33 ID:fFFHkLRU0
( д )「ずっと、ずっと考えてたんです。あの冬の日から、年が明けて、春になっても、ずっと」
( д )「貴女に何をあげられるかって考えてた。何をどうしたら謝れるかって、ただそれだけを考えてた」
( ゚д゚ )「……その答えが、”これ”でした」
布を持つ手に力を込める。
雪が解け、花が咲いて、桜が咲き始めた今の今まで、只管に手を動かして用意していた僕の”答え”。
出来上がった時に思った。結局、これは只の自己満足なんじゃないかと。
けれど、僕が辿り着いた答えを唯一形にする方法は、僕にとってこれしかなかった。
幾重にも重なる布を丁寧に解く。
少しずつ、その厚みはなくなっていき、中のものの影が濃くなっていく。
( ゚д゚ )「…我儘だって分かってるけど、でも、本当に、謝りたかった」
( ゚д゚ )「言葉じゃ、足りない。僕の何をあげたって、許してもらえないかもしれない。そもそも、何て言って謝ればいいのかすらも、これだけ経って分からなかった」
「だから」と小さく呟いて、最後の布を勢いよく捲る。
天井の瀟洒な明かりが、中から現れた”それ”を眩く照らした。
151
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:39:22 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ )「………だから」
( ゚д゚ )「…だから、描きました。僕が一番、描きたいと思ったものを」
( ゚д゚ )「僕が、心から願っているものを」
それは、一枚の絵だった。
お嬢様や僕はおろか、この部屋にあるどんな家具よりも大きなキャンバス。
その中心、カラフルな花々を背景に、一人の少女の後ろ姿が描かれている。
そして、その手には茶色の光沢を放つ、高級感のある弦楽器が握られていた。
上の部分からは薄桃色の花びらが。地面の部分には、青や赤、黄色といった四季折々の花が咲いている。
その真ん中、こちらに背を向けて、ゆったりとヴィオラを弾いている少女。
灯りとして描かれているのは、右上にある満月のみ。
深い夜の海を描いたようなバックに、たった一つの月だけが、少女とヴィオラ、そして季節外れの花を照らしている。
それは、あの春の夜を描いた絵であった。
152
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:40:49 ID:fFFHkLRU0
ミセ*゚ー゚)リ「………!」
お嬢様は何も言わず、ただ目を見開いて僕の描いた絵を見つめていた。
強がるような手の力みは消え、震えていた肩を心無しか収まったように見える。
彼女はただじっと、信じられないものを見るみたいに固まったまま動かない。
( ゚д゚ )「――最初は、お金目的でした。僕は自分に言い訳をしながら、貴女のプライベートを人に漏らした」
絵を見つめたままのお嬢様に話しかける。
あの冬の日までかけていた言葉とは違う。正真正銘の本音。
ずっと隠していた、ずっと僕が彼女にしていた、酷いこと。
153
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:42:15 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ )「…でも、貴女の音楽を聴いて、仕事なんて関係なく、貴女のことを知りたいと思うようになった」
( ゚д゚ )「貴女のヴィオラが、今まで出会った何よりも綺麗に思えた。僕は…何を犠牲にしても、どうなっても、貴女のヴィオラを描きたくなった」
( ゚д゚ )「信じて貰えないだろうけど、ヴィオラを聴きたいって言葉は、本当に、少しも嘘じゃない」
震える声を隠すように、深く頭を下げた。
( д )「…二度と話しかけるなというなら、絶対に、貴女の前では口を開きません」
( д )「でも、せめて、貴女のヴィオラを聴けるくらいの距離に、僕を居させてくれませんか」
( д )「僕は、ぼくは――」
お嬢様のために何が出来るか、ただそれだけを考えていた。
貴女以外はどうでもよかった。本当に、彼女のことだけを想っていた。
言葉では足りない。けれど、僕が彼女に渡せるものなんて何もない。
そんな僕が必死に考えて、考えて、考え抜いた末に出した結論。
154
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:43:55 ID:fFFHkLRU0
( д )「――僕は」
( ゚д゚ )「僕は、僕の人生全部で、貴女を描きたい」
それが、これだった。
幼いころ、僕はずっと自分の好きなものだけを描いていた。
それがいつの間にか、描きたくないものばかりを描くようになった。
花を描いた。町を描いた。どうでもいい人を描いた。興味のない果物を描いた。知らない建物を描いた。
その全部を、僕の人生の軌跡を全て燃やしたっていいくらいに。
それほどに僕は、ヴィオラを弾くお嬢様の姿に憧れた。
あの夜の少女に、僕は何より美しい月明かりを見たのだ。
自分の人生そのものをインクにして、たった一人の少女だけを描く。
それが、僕の出した結論だった。
155
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 00:46:47 ID:fFFHkLRU0
ふと、春花のような香りが鼻腔を擽った。
顔を上げる。すぐ目の前に、お嬢様の顔があった。
彼女の手がこちらに伸びる。細くてしなやかで、なのにどこか力強さを感じる、アザレアを思わせる程に美しい指。
それが、僕の額を強く弾いた。
鋭い、けれど何だか懐かしい痛み。
僕は額を抑えようともせず、じっとお嬢様を見つめる。
彼女はじっと下を向いたまま、どこか遠慮がちに、僕の服の袖をちょんと摘まんだ。
ミセ* ー )リ「………凄く、傷付いた」
手の震えが服を伝っている。
一度も聞いたことのない弱々しい声。
そうだ。この子だ。僕が酷いことをしてしまったのは、この子に対してだ。
僕は、こんな普通の女の子を傷つけたのだ。
156
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:49:49 ID:fFFHkLRU0
ミセ* ー )リ「でも、嘘吐いてたのは、私もだった」
全く意図していなかった言葉に驚き、下を向く。
身長差で、お嬢様の顔は見れない。
ミセ* ー )リ「私も……私も、アンタにいっぱい嘘吐いた。言ったことを言ってないとか、他にも、たくさん酷いことも、言った」
ミセ* ー )リ「………ごめん、なさい」
彼女の顔が、ぽすんと僕の胸に埋まる。
サラリとした髪の感触が少しくすぐったく感じた。
ミセ* ー )リ「私のこと、描いてもいい。これからも傍に居ていいから、許すから。ヴィオラ、聴かせてあげるから」
ミセ* ー )リ「もう、裏切らないで。私も」
ミセ* ー )リ「――私も、もう嘘、つかない」
続けられた「ごめんね」という言葉と共に、お嬢様の顔がゆっくりと僕に向く。
涙で濡れた瞳と長い睫毛。二度目の、彼女の泣いた顔。
随分と久しぶりな、ずっと焦がれていた表情が、そこにあった。
157
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:50:42 ID:fFFHkLRU0
( д )「……ごめんなさい。誓います、お嬢様」
( ゚д゚ )「絶対に、もう、裏切りません」
ゆっくりと、怖がらせないようにそっとお嬢様の小さな体を抱きしめる。
自分より二回り以上も小さい、少し力を入れれば容易く折れてしまいそうな、華奢な体。
ヴィオラは、ヴァイオリンよりも少し大きい楽器だ。
ただ支えるだけでも相当な力が必要で、更に美しい音色を奏でるには、それ以上の体幹と絶妙な筋肉が必要になる。
そんなヴィオラをこんな花のような体で、あれだけ自由に弾いていたのか。
漫然とした動きで腕をほどき、顔を見合わせる。
瞳はまだ濡れたままだが、そこから新たに雫が流れる様子はない。
ふと、静かになったと思って、窓の方を見る。
いつの間にか、あれだけ五月蠅かった嵐は収まっていたようだった。
158
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:52:48 ID:fFFHkLRU0
ミセ* ー )リ「……そういえば、さ」
急に顔を赤らめて、お嬢様が僕の腕から離れる。
何かを誤魔化すみたいに口を開いた彼女は、しばらく目を泳がせた後、テーブルの上に置いてあった本を手に取る。
そこから取り出されたのは、以前自分が彼女に渡した蒼花の栞だった。
ミセ* ー )リ「これのお礼、してなかった」
ミセ*゚ー゚)リ「本当はね、ずっと何かしたかったんだ」
栞を丁寧に両手で持った彼女が、「何かないか」と目で訴えかけてくる。
一度は無礼にも断った、お嬢様からの返礼。
あの時とは違う。許されて早々、僕は図々しくも一つの願望を口にすることにした。
( ゚д゚ )「……出会った日の夜、覚えてますか」
ミセ*゚ー゚)リ「…微塵も忘れたことないよ」
お嬢様は笑って壁にかけられたままの僕の絵をちらりと見る。
春の満月の夜。桜の花びらが舞う中で、ヴィオラを奏でていた少女と、迷い込んだ絵描きの話。
( ゚д゚ )「…今年はもう、ちょっと、無理そうだけど」
窓から見える庭の景色。
その奥。僕らが初めて出会った桜の木。
先ほどまで轟々に吹いていた風のせいで、きっと昨日まで咲き乱れていた筈の桜は見事に散ってしまっていた。
だから。
159
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:53:46 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ )「また来年に桜が咲いたら…あそこで、ヴィオラを聴かせてくれませんか」
( ゚д゚ )「――今度は、堂々と、最前席で」
お願いというには烏滸がましい、図々しいにも程がある”わがまま”。
僕のような只の美大生が、一介の使用人が、加害者が、本来なら億の金を積んだとしても得られないようなコンサートのプラチナチケット。
僕の要望を聞いたお嬢様はほんの少しだけ驚いたように目を開き、その後すぐ、にっこりと微笑んで頷いた。
――あぁ、そんな綺麗な顔をするのか。
僕はもう、世界で一番綺麗なものを見たと思っていた。
あの春の夜に見た景色より、綺麗なものは他にないと。
けれど、違った。やっぱり僕は浅慮な人間だった。
どちらともなく笑い合う。今までの空白を埋めるみたいに、どうでもいい話が始まって、談笑が部屋を満たしていく。
楽し気な話し声が、僕の鼓動を上手く隠している。
160
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:54:42 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ *)
ミセ*^ワ^)リ
ヴァイオリンも、ピアノも、ヴィオラすらも鳴っていない。
天才と謳われた少女の手には、楽器ではなく、一枚の青い栞が握られているばかり。
きっと、彼女のファンが見たらがっかりするかもしれない。
ここに音楽畑の人間がいたら、普通の少女のように笑う彼女に、落胆するかもしれない。
それでも、僕にとっては、ヴィオラを奏でている彼女よりも。ヴァイオリンを持っている彼女よりも。
ただ普通に笑っているだけのお嬢様が、どんな花より可愛く見えた。
161
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:57:10 ID:fFFHkLRU0
*
京都の北側に、「糺の森」と呼ばれる緑豊かな原生林がある。
森と言っても、決して人里離れた山の奥なんて場所ではない。そこは、極めて一般的な民家が立ち並ぶ住宅街の中だ。
そんな所にこれほどの自然林が存在しているエリアなど、おそらく日本全国を巡ってもここぐらいのものだろう。
午前特有の澄んだ日光を感じながら、僕はゆっくりと車椅子を押している。
白いワンピースを大きな帽子を被って座っているのは勿論、正真正銘の令嬢だ。
( ゚д゚ )「良い天気で良かったですね。お嬢様」
ミセ*゚ー゚)リ「そうね……ねぇミルナ、このちょっとガタガタするのなんとかならない?」
( ゚д゚ ;)「ご容赦ください。あともう少しですから」
可愛らしく頬を膨らませるお嬢様をなだめながら、僕らはゆっくりと木々の下を歩く。
緑々しい葉の隙間から零れた陽光が白砂を照らすその様は、まさに自然が生み出したイルミネーションのように眩い。
少し息を吸い込めば、夏と秋が入り混じったような、豊かかつ爽やかな空気が肺を満たしていった。
162
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 00:58:22 ID:fFFHkLRU0
周りを見れば確かに人こそ多いが、その広大な道に人込みのような窮屈感はない。
カメラを持った男性や、仲睦まじげに歩く老夫婦。ジョギング中の男性。犬と散歩中の婦人。
賑やかでありながらどこかゆったりとした静寂感が、その互いの雰囲気を壊すことなく両立していた。
季節は九月の終わり頃。今日は、下鴨神社へ参拝に来ていた。
ちょうど日曜日で大学もない。それでいて、屋敷の人でもこの半年ほどで増えたから、取り急ぎ必要な業務もない。
暇を持て余していたところ、お嬢様から「暇なら何処か連れて行ってくれないか」と頼まれ、僕が選んだ行先がここであった。
特に目的もないから、道の途中にあった小さな屋台でベビーカステラを買ったり、写真を撮ったりしてゆっくりと進む。
神社の本殿でのお参りを済ませ、少し休もうと僕は近くにあったちょうどいい石の台座に腰掛ける。
隣を見ると、お嬢様はどこか遠くを見るような目で、鬱蒼とした社叢林を見つめていた。
昨日の雨の日とは違い、暖かな気温にほっと胸を撫で下ろす。
所々に小さな水溜まりが見えるものの、車椅子を押しながら歩くのには支障がない程度なのは本当に幸運だった。
163
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:00:05 ID:fFFHkLRU0
二ヶ月ほど前の夏頃。
とうとう、お嬢様は歩けなくなった。
完全に歩けなくなった訳ではない
だが、少なくとも外出をするには車椅子が必須となった。
彼女はよく笑うようになった。
使用人に当たることもなくなり、旦那様やヘリカルさんは「昔に戻った」と涙ながらに喜んでいた。
けれども、彼女の体を蝕む病は確実に、ゆっくりと進行していた。
ミセ*゚ー゚)リ「あ!ねぇねぇミルナ、あれって何の花かしら?」
お嬢様の無邪気な声にはっと意識を戻す。
彼女が指を差した方向には、気品あふれる紫を纏った萩の花が咲いていた。
すっかり暑さを失った涼風を浴びつつ、座ったままなんでもないことを話す。
先日描いた絵のこと。夏休み終わりの授業がしんどいこと。
僕のなんでもない話に、お嬢様はきちんと耳を傾けて、時折花が咲いたような笑みを見せる。
その様子は、とても病に冒された少女とは思えないほどに華やかだ。
164
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:01:12 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ )「――手術を、受けられると聞きました」
談笑していた空気が一瞬張り詰める。
さっきまで笑っていたお嬢様の顔から表情がさっと消えた。
自分でも、あまり触れたくない話題だ。
だが向き合わなくてはいけない。
いくら気丈に見えても、どれだけ天才と謳われていたとしても。
僕はもう、彼女が普通の女の子であることを知っているから。
病に侵され死を待つ日々の怖さは、誰よりも理解できるつもりだから。
ミセ* ー )リ「……お父様ったら、ホントお喋りね」
呆れたようなため息が秋風に乗って飛んでいく。
上空から降り注ぐ明澄な木漏れ日が白い服に反射して、どこか神々しさすら感じられる。
こうして見ると、とても病人とは思えない美しさがあった。
165
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:02:25 ID:fFFHkLRU0
ミセ*゚ー゚)リ「年明けくらいかな。手術、決まった」
彼女は眼前で揺れる花を見つめながら、ぽつぽつと語り始めた。
東京で、最新鋭の手術を受けられることになったこと。
けれど、確実に成功する保障はないこと。
仮に無事に終わったとしても長いリハビリが必要で、絶対にまた音楽が出来るようになるとは限らないこと。
僕は何も口を挟まず、ただ黙って彼女の話を聞いていた。
理解できなかった訳じゃない。彼女の手術に賛成していた訳でもない。
ただ、彼女の手がほんの僅かだが震えていることに、気が付いたからだった。
( ゚д゚ )「――怖い、ですか?」
説明が終わり、僕の口から出た疑問は単純な疑問だった。
僕と彼女の間に交わした、一つの約束。
“嘘を吐かない”。あの春嵐の日に誓った密約。
お嬢様は僕の言葉に少し怯んだ様子を見せた後、黙ったままコクリと頷いた。
166
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:03:30 ID:fFFHkLRU0
座って話をする僕らの前を、まばらな人影たちが駆けていく。
なんでもないことのように足を動かし、自然に歩いていく人たち。
彼らや僕が何の気なしにしていることは、今や、お嬢様にとってはヴィオラの演奏よりも難しいことだ。
僕はじっと視界の奥の欅を見つめながら、ただ、お嬢様の手術のことについて考えていた。
受ける他はない。そんなことは分かっている。
このままいけば手足どころか、彼女は呼吸すらままならなくなる。
手術を受けないということは、それは確実に死を迎えてしまうということ。
お嬢様の選択なら何でも尊重する僕だったが、どうしてもそれだけは受け入れられない。
だが、気軽に手術を受けてくれなどとは口を裂けても言えなかった。
もう二度と彼女を傷つけるようなことはしたくない。かと言って、気安い慰めの言葉など何の薬にもならない。
熟考の果て、僕が口にした結論は、ひどく陳腐なものであった。
167
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:04:11 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ )「…”なんでもお願いを聞く”というのは、どうでしょうか」
一体何を言っているのだろうか、自分は。
後悔してももう遅い。既にお嬢様は、目を丸くしたままこちらの方を向いている。
どうにか林道を駆ける風に紛れて聞こえてないかとも期待したが、しっかりと彼女の耳に届いてしまったようだった。
少し前から考えていたことであった。
お嬢様は来年の春にヴィオラを聴かせてくれることを約束してくれたが、自分が彼女にあげたものと言えば、ほんの数枚の絵くらいのもの。
今年の夏は色々と描いたが、所詮は一介の美大生の絵だ。しかも、そのどれもが大して変わり映えのない、一人の少女をモチーフにした絵。
とてもつり合いが取れているとは言えないことに、僕はずっと負い目を感じていた。
168
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:06:22 ID:fFFHkLRU0
お嬢様の目が少し泳ぐ。
「何か、自分に頼みたいことがあるのだろうか」と思うと、彼女は少し遠慮がちに上目遣いでこちらを見た。
ミセ*゚ー゚)リ「………1個だけ?」
シャボン玉みたいに、今にも消えそうな弱々しい確認の言葉。
それが普段のお嬢様からあまりにかけ離れた声色だったから、僕は慌てて首を横に振った。
( ゚д゚ ;)「い、いや…じゃ、じゃあ2個でも大丈夫ですよ!」
ミセ* ー )リ「………そっか。それだけか…やっぱり、まだ、怖いなぁ…」
( ゚д゚ ;)「〜〜っ、さ、3個!なら、3個までなら何でもやりますから!」
ミセ* ∀ )リ「言質取った」
は、と思うと同時に、彼女はいたずらっ子のようにべーと舌を出す。
こちらからはずっと死角だった、彼女の右手。
その手には、一体いつ用意したのか、お嬢様のスマホが握られている。
そして、こちらに見せられたその液晶には、明らかに何かしらの音声を録音中の画面が映し出されていた。
169
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:08:27 ID:fFFHkLRU0
ミセ*^ワ^)リ「3つかぁ〜!そっかぁ、じゃあ、何してもらおっかな〜!」
さっきまでのか弱い様子が、まるで陽炎みたいにはらりと消える。
お嬢様は屋台で綿菓子を買ってもらった子どものようにウキウキとした様子で、満面の笑みを浮かべていた。
やられた。そう思っても後の祭り。
お嬢様は少しだけ何かを考える素振りをした後、勢いよくこちらに指を一本立ててみせた。
ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、一つ目。アンタ、今年で卒業よね?」
( ゚д゚ ;)「は、はい…順調にいけば……」
ミセ*゚ー゚)リ「なら決まり」
今年の春、あっという間に僕は四年生へと進級していた。
今のところ何とか卒業に必要な単位は取れている。
まだ分からないが、このまま何事もなく授業を受け、最後の卒業制作さえ終わらせれば僕も晴れて卒業だ。
170
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:13:56 ID:fFFHkLRU0
ミセ*゚ー゚)リ「卒業制作、あるでしょう?」
( ゚д゚ )「は、はい…」
ミセ*゚ー゚)リ「それで、最優秀賞取りなさい。一番上のヤツ」
( ゚д゚ ;)「………へ!?」
ミセ*゚ー゚)リ「何よ。だって、どうせアンタが描くのって私でしょ?」
ミセ*^ー^)リ「私を描くなら、それくらい取って当然よね」
“いくら何でもそれは”と言いかけて、僕は寸での所で自分の口を抑えた。
『嘘をつかない』。僕がお嬢様に誓った、法律よりも憲法よりも、何よりも遵守すると決めたルール。
僕はもう、「何でもお願いをきく」とハッキリ口にしてしまったのだ。
171
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:15:17 ID:fFFHkLRU0
( ゚д゚ ;)「……が、頑張ります…」
ミセ# ー )リ「”頑張る”だぁ?」
( ゚д゚ ;)「と、取ります!絶対!」
ミセ*゚ー゚)リ「よろしい。じゃ、2個目はね…」
後悔に苛まれながら、二つ目の願いを待つ。
次はどんな無理難題が来るのだろう。いや、迂闊なことを言った自分が悪いのだが。
ミセ*゚ー゚)リ「私が手術で東京に行くまでの間、極力うちに来なさい」
ミセ* ー )リ「……ほら、最近、人増えたでしょ。教育係、ヘリカルだけじゃ足りないのよ」
身構えた全身から力がスッと抜けていく。
二つ目の願いは、特にどうということもない内容に聞こえた。
( ゚д゚ ;)「は、はい…それは全然…」
元より、出来るだけ屋敷に向かうつもりではあった。
今年の春から他のバイトは綺麗さっぱり辞めたし、旦那様から支払われる給金のお陰で金銭面の問題はある程度解消。何なら少しの余裕まである。
僕の了承の言葉を聞いたお嬢様は、満足気に「よろしい」と呟いた。
172
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:17:12 ID:fFFHkLRU0
ミセ; ― )リ「三つ目は……そう、ね…」
途端にお嬢様の端切れが悪くなる。
どうしたのだろう。まさか、一つ目のお願い以上のトンデモ内容を言うつもりだろうか。
最後の願いが何なのか。僕は少しの恐怖を感じながら彼女の二の句を待つ。
しばらくソワソワとしていた彼女は、少し僕から視線を外しつつこう言った。
ミセ* ー )リ「………私」
ミセ* ー )リ「”お嬢様”って名前じゃ、ないん、だけど」
いまいち、要領を得ない発言に首を傾げた。
( ゚д゚ )「えっはい、存じてますけど」
僕の返事に、お嬢様は少し不機嫌になったような気がした。心なしか、舌打ちをしたような気さえする。
とはいえ、どう返すのが正解だったのかも分からない。
お嬢様という呼び名は、もうかれこれ一年以上続けているが、別にお嬢様の名前を忘れた訳ではない。
まさか、そこまで耄碌したと思われているのか。一応、お嬢様よりも二つほど年下ではあるのだが。
発言の意図を汲み取ろうと頭を回す。
だが結論が出る前に、お嬢様は傍らの萩の花を見ながら呟いた。
173
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:18:31 ID:fFFHkLRU0
ミセ; ー )リ「………その、手術が終わって、帰って、きたら」
ミセ; ー )リ「”ミセリ”って……私のこと、名前で、呼びなさい」
( ゚д゚ )「………はぁ」
思わず気の抜けた相槌が口から漏れる。
その瞬間、お嬢様はまだ少し季節外れの紅葉みたいに頬を赤らめ、慌てた様子でこちらを向いた。
ミセ;゚―゚)リ「ア、アレよ!?アンタ、他の使用人とかのことは名前で呼ぶ癖に、私のことは、呼ばないじゃない!?」
ミセ;゚―゚)リ「そーゆうのが、その、不公平というか、ちょっと今時じゃないというか……」
ミセ;゚―゚)リ「そ、そそ、そーいうアレよ!別に、何かその、他意とかないから!!変な勘繰りしやんといてよ!!」
お召しになっている白いワンピースのせいで、より一層、赤くなったお嬢様の頬を映える。
その慌てた様子と、きっと無意識に出たのであろう関西弁が可愛くて、僕は何だか笑ってしまった。
174
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:19:14 ID:fFFHkLRU0
ミセ#゚ー゚)リ「な、なに笑ってんの!?」
( ゚д゚ ;)「…あ、い、いえ。何でも――」
三( -д- ;)「………うわっ!?」ビチャ
お嬢様を笑った僕に罰を与えるかのように、何か冷たいものが顔にかかる。
頬を拭うと、手には少し泥が混じった水が付着していた。
目の前の足元を見て、僕は遅れて理解する。
さっき通った自転車が、勢いよくあの水溜まりの上を走り、そのせいで飛沫が僕にまで飛んできたのだろう。
ミセ* ー )リ「……ふ、ふふっ…!」
何かを押し殺すような声が聞こえて隣を見る。
ほんの一瞬で形勢逆転。今度は僕がお嬢様に笑われる番だった。
175
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:21:06 ID:fFFHkLRU0
ミセ*^ー^)リ「あーおっかしい…天罰よ、バーカ」
( -д- ;)「…すいませんでした……」
ミセ*゚ー゚)リ「素直でよろしい。……はい、コレ、使って」
一頻り笑った後、お嬢様は僕に何かを差し出してくる。
彼女の手に握られていたのは、以前、自分がお嬢様に渡した青色のハンカチだった。
( ゚д゚ ;)「えっ…!い、いや、コレは…!」
ミセ*゚ー゚)リ「いーの、さっさと使いなさい。それとも汚れたまま私の車椅子押す気?」
取り下げられる様子のないハンカチをおずおずと受け取り、ささっと顔についた泥を拭く。
「洗って返します」と伝えるとお嬢様は首を横に振ったが、流石に汚れたものをそのまま彼女に渡す訳にはいかない。
176
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:21:58 ID:fFFHkLRU0
( -д- )「……約束します」
ハンカチを丁寧に鞄にしまい、改めてお嬢様の方に向き直った。
( ゚д゚ )「卒業制作、凄いものを描きます。誰よりも、どんな人のものより凄い絵を」
( ゚д゚ )「約束通り、僕の人生全部で、貴女を描きます」
須臾にも満たないほんの刹那、お嬢様は吃驚したような顔を見せる。
そして、数回の瞬きの後、向日葵が咲いたような笑顔を見せた。
二人並んで肩を寄せ合ったまま、秋風に撫でられて軽く目を閉じる。
「楽しみにしてる」というお嬢様の柔らかな声が、岩に染み入る雨のようにじわりと胸に広がった。
177
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:22:53 ID:fFFHkLRU0
*
一ヶ月ぶりの京都の空気は、やけに澄んでいるような気がした。
冬になり、気温が低いからだろうか。それとも、数日前までいた東京よりも近くに自然が多いからだろうか。
休日ということもあって、昼過ぎの京都駅は地元の人や観光で来た外国人たちでごった返していた。
だが、いつもならストレスと苛つきを感じていたが、不思議と今日は何も思わない。寧ろ、清々した清涼感さえ覚えるほどだ。
それは、久方ぶりの地元だからか、それとも、久々に誰の力も借りず、外を自分の足で歩いているからだろうか。
若しくは、ずっと会いたかった人に、今日やっと会えるからだろうか。
178
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:23:21 ID:fFFHkLRU0
駅を出て、少し歩いたところにあったカフェに入る。
中は外と違って、ポカポカとした暖かさで満たされていた。
注文後、すぐに来たカプチーノをゆっくりと飲みつつ、人を待つ。
以前、京都駅近くの芸大に遊びに行った帰り道、偶然入ったのもここだった。
スマホを開く。
なんてことのない会話の応酬が繰り広げられているトーク画面。
その相手方から来た、一番最新のメッセージ。
「午後3時前頃には着きます」
カフェの壁にかけられた時計も、スマホも、どちらもまだ午後2時にすらなっていない。
少し早く来すぎたかもしれない。
どこか浮かれている自分に少し恥ずかしくなりながら、私はじっと窓から見える往来に目をやった。
179
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:25:50 ID:fFFHkLRU0
彼が来たら、まず何の話をしようか。どんな顔をして、何て言おうか。
そんなことを考えながら私はちびちびとカプチーノを口に含む。
そういえば、彼の実家は花屋だったと言っていたが、それは何処にあるのだろう。
そこでふと私は、ミルナは一体どこの出身なのか知らないことに気が付いた。
彼が標準語以外を話しているところを聞いたことがないから、もしかしたら、関東の出身なのだろうか。
それならばいっそ道案内だのなんだのと理由をつけて、彼も東京に連れていけば良かったかもしれない。
なんて考えがほんの一瞬、頭の中をちらっと過った。
180
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:27:49 ID:fFFHkLRU0
年が明けてすぐ、私は京都を離れて東京へと向かった。
およそ二年ぶりの日本の首都は、正直、さほど魅力的でも何でもなかった。
昔からコンクールなどで東京に行くことは多かったが、あの街が好きだと思ったことは一度もない。
結論から言うと、手術は無事に終わった。
お父様が見つけてくれた、凄腕の医者。
私ですら気遅れするほどに無愛想でどこか機械的な男性だった。
しかし、腕は確かだった。いや、そんな表現では足りないほどに優秀だった。
入院の説明と手術の腕、何よりその後のリハビリを含めた諸々のケア。
そのどれもが、私の音楽家としての今後のキャリアを踏まえた上で、完璧に調整されていた。
今まで私が不安に思っていたことや、苦しんでいた闘病の日々は夢かなにかだったのだろうか。
そう錯覚しかけるほどの腕だった。全く、世の中にはとんでもない人間がいるものだ。
ミセ*゚ー゚)リ(普通に歩いている私見たら、ビックリするかな、アイツ)
あと一時間ほどで来るであろうミルナは、一体どんな顔をしてくれるだろう。
ふと、カップの中のカプチーノを見つめる。
揺れる淡い水面には、口角が上がっている私の表情がじんわりと映っていた。
181
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:29:10 ID:fFFHkLRU0
カップを置き、窓ガラスに映った自分を見ながら思考に耽る。
結局、私はアイツのことを、どう思っているのだろう。
最初は嫌いだった。というか、あの頃はどいつもこいつもが嫌いだった。
無暗に話しかけてくる姿がうざったかった。
歯の浮くような誉め言葉が耳に障った。
姉から貰った大事なハンカチを見つけて貰って、少しはマシなヤツだと思った。
ヴィオラを褒めてくれたことだって、悔しいけど、ちょっと嬉しかった。
一度は、裏切られた。
病を告げられた時より、ヴィオラを落としてしまった時より、ずっとずっと辛かった。
許したくなくて、栞だって何度も捨てようとした。
けれど、しつこく正門前に立つ彼の横顔を見る度に、本当の本当は安心していた。
182
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:30:15 ID:fFFHkLRU0
ミセ*゚ー゚)リ(……もうちょっとで、春だなぁ)
去年の春、仲直りの時にミルナと交わした約束のことを思い出す。
屋敷の庭にある、大きな桜の木。
そこの前で、ヴィオラのソロコンサートを行う。それも、彼一人のために。
その後はどうしよう。彼は再来月の三年で卒業だ。
話を聞く限り、彼は京都の出身じゃない。それに、彼から就職先の話をあまり詳しく聞かされたこともない。
いくつか色んな企業に内定が出たことは知っているが、具体的な進路は私の手術の準備もあって聞いていないのだ。
まだ、彼は私の近くに居てくれるのだろうか。
私を、ヴィオラを、まだ描きたいと思ってくれているのだろうか。
結局、私はこの気持ちに、何と名前をつければいいのだろうか。
ふと、カップの中が空になったことに気付いた。
考え事をしているうちに、どうやら全部呑みきってしまっていたらしい。
183
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:30:53 ID:fFFHkLRU0
ミセ*゚ぺ)リ(……あれ?)
スマホの時計を見る。時刻は既に3時どころか、4時に差し掛かろうとしている。
待ち人とのトーク画面を見ても、何もメッセージは来ていない。
遅刻だろうか。だとしても、彼のことだから何かしら連絡を寄越す筈なのだが。
珍しいこともあるものだ。そう思いながら、もう少し待とうと店員を呼んでカプチーノのお代わりを頼む。
普段、あれだけ振り回しているのだし、それに今日は久しぶりの再会だ。
一年以上もひたむきに働いてくれている使用人の遅刻など、一度くらいは目を瞑ってやろうか。
そう思いながら、新しく来た甘い液体で喉を潤す。
184
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:31:40 ID:fFFHkLRU0
4時になった。まだ来ない。
5時になった。まだ来ない。
…6時になった。メッセージを飛ばした。
……7時になった。返信どころか、既読もつかない。
8時になった。「ラストオーダーです」と言われ、流石に店を出た。
9時になった。
電話が鳴った。
185
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:33:39 ID:fFFHkLRU0
ミセ#゚―゚)リ「もしもしミルナ!?まったくもう…今どこにいんのよアンタ!!」
外はすっかり暗く、所々は昨日の雨のせいで凍っている。
かれこれ六時間以上も私を待たせたのだ。怒号の一つや二つでは足りない。
直接会ったらまたデコピンでも食らわせてやろう。
そう思いながら、電話越しに彼の声を待つ。
だが、スマホの奥から聞こえたのは、待ち焦がれた彼の声ではなかった。
(; ∋ )『……ミセリ、か』
ミセ;゚―゚)リ「…え、お父様?」
何故か聞こえてきた父の声に、改めてスマホの画面を見直す。
だが、通話中という文字の上に表示されているのは紛れもなく”河内ミルナ”という名前だった。
(; ゚∋゚)『……落ち着いて、今から言う病院に来てくれ。すぐにだ』
電話越しでも分かる震えた声。
緊張感を伴う父の声が告げたのは、私がずっと通っていた、馴染みのある病院の名前だった。
186
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:36:22 ID:fFFHkLRU0
*
休日の夜だというのに、鬱陶しいくらいに光る蛍光灯の下を走る。
慌てて捕まえたタクシーから下り、去年の冬までずっと定期的に通っていた病院の廊下。
看護師の注意も、入院中らしき患者の視線も。
その全てを無視して、私は父に告げられた場所へと走っていた。
「手術中」というランプが赤く光っている部屋の前。
待合用に設置されている簡易的な緑の椅子に、父が深刻そうな表情で座っている。
そしてその横には、数年ぶりに会う見知った顔もあった。
(; ゚∋゚)「……来たか、ミセリ」
( ´W`)「やぁ、久しぶり、ミセリさん」
ミセ;゚―゚)リ「…白髭先生…ど、どうも…」
父の知り合いであり、芸術の世界に身を置く者の間では知らない人はいない、芸術界の重鎮だ。
私が参加したコンクールの来賓客としても、何度か会ったことがある。
そんな彼がどうしてこんな所にいるのか。そもそも、一体何の用なのか。
187
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:39:43 ID:fFFHkLRU0
なにか、強烈に嫌な予感がした。
ミルナの携帯から、父が私に電話をかけてきたこと。
あの生真面目なミルナが、私との待ち合わせの約束を放り出したこと。
そして今、私の前で光っている「手術中」のランプ。
(; ∋ )「…落ち着いて聞いて欲しい、ミセリ。その…」
ミセ; ー )リ「――どこ」
季節外れの冷や汗が、ゆっくりと背中を伝った。
ミセ; Д )リ「ミルナは、どこに…!!」
尋ねようとした私の質問を遮るように、手術室の扉がゆっくりと開いた。
いつの間にか赤いランプは消えている。
中から現れたのは、仰々しい施術の服に身を包んだ数人の医者らしき人達。
父と白髭さんが立ち上がる。
「どうなりましたか」という質問に、眼鏡をかけた医者は少し押し黙った後、ゆっくりと首を横に振った。
188
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:41:52 ID:fFFHkLRU0
(-@∀@)「――手は尽くしたのですが」
(-@∀@)「元々、かなり弱っていたようなんです。まるでずっと何か、体に負担がかかる無茶をし続けていたような」
(-@∀@)「おそらくそれで――発見された時にはもう――」
(-@∀@)「――大きな絵の前で――倒れていて――」
誰の話をしているんだろう。何の話をしているんだろう。
頭が真っ白になる前に、私は一歩踏み出し、眼鏡の医者に問いかける。
きっと違う。
昔から私の勘は外れるのだ。そうやって、何度も何度も予想を外してがっかりする人生だった。
今回もそうに違いない。きっとそうだ。私のこの嫌な予感は、0点の大間違いなのだ。
だから、違う。そんなわけない。
あの部屋にいたのは。今、この医者たちが話をしているのは。
違う。だって、アイツとは約束してて。
年明けの時も、いつも通りの笑顔で。「待ってます」って言ってて。
ヴィオラ、聴かせてあげなきゃいけなくて。
189
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:43:12 ID:fFFHkLRU0
(-@∀@)「――2月7日。午後10時48分」
(-@∀@)「河内ミルナさん。ご臨終です」
ミセ* ー )リ
何を言われたのか、頭が理解を拒もうとする。
足元がふらつく。もう手術は終わって、歩けるようになった筈なのに。
力が抜けて、その場にへたり込む。
耳元で、父が何か言っているような気がする。
( д )
誰かさんの面影が、花火みたいにふわりと消えた。
190
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:45:17 ID:fFFHkLRU0
*
ミルナの葬式が行われたのは、彼が死んですぐの翌日だった。
京都駅から少し歩いたところのメモリアルホール。
喪主を務めたのは彼の両親ではなく、白髭先生。
私は今更になってようやく、彼の両親は既に亡くなっていたことを知った。
一介の学生が亡くなっただけにしては、多くの弔問客が訪れた。
从 ;Д从
赤毛の少女は、人目も憚らず泣いていた。
(` ω ´)
短髪の利発そうな青年は、ただじっとその黒い喪服を握りながら、何も言わず、棺の前で動こうとしなかった。
その他にも、私と年の近い学生らしき人から、老若男女問わず、色んな人が涙を流していた。
彼を慕う人がこんなにもいることすら、私は今まで知らなかった。
191
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:46:08 ID:fFFHkLRU0
何処からも涙が零れる音がして、どこか場違いな気がした私はそっとその場を離れた。
ふわふわとした足取りの中、とにかく、人がいない所を探しながら亡霊のようにふらつく。
何も考えていない訳じゃなかった。何も考えられなかったのだ。
『……まさか、ミルナ君がな』
『俺、バイト同じだったんだ。何度も助けてもらって』
『私、二年の時、文化祭の準備手伝ってもらったんだ。サークルも違ったし、全然面識なかったのに』
通路を曲がろうとした矢先、角の向こうから聞こえてきた声に私はピタリと足を止めた。
若い男女数人の声がした。それも、ミルナのことを話している。
引き返さなければ。
そう思い、体を反転しようとしたその瞬間だった。
192
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:47:08 ID:fFFHkLRU0
『――アイツの病気、そんなに悪くなってたなんてな』
ミセ* ー )リ「………?」
突如聞こえた声に、足がピタリと止まった。
『えっ…?何、どういうこと?』
私同様、困惑したような女性の声が聞こえた。
やはり私の聞き間違いなどではなかった。
「病気」という少し前まで身近だった単語に全神経が集まる。
有り得ない。だって、そんな。
あいつ、初めて会った時からずっと元気で。
というか、そんなこと、私に一度だって、話して――。
193
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:48:07 ID:fFFHkLRU0
『俺、一回たまたま病院で会ったことあってさ、”黙っててくれ”って言われたんだけど…もう、この際か』
『…あいつ、心臓弱いんだよ。飯の時もよく薬とか飲んでて』
『高校の時に発症したって言ってたかな…だから、無理な運動とか、体に変な負担がかかることはやっちゃダメって言われてたんだよ』
『……けどあいつ、そんなこと気にせず動いてたんだけどな。なにせ、人が良いからさ――』
194
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:49:14 ID:fFFHkLRU0
ミセ* ー )リ
大きなハンマーで、頭をぶん殴られたような気持ちだった。
角の向こうから、憔悴するような、悲しむような声が続いている。
だがもう、私には何を言っているのか分からない。
記憶を巡る。
ミルナと会ってから、最後に顔を合わせた日までの、ギリギリ二年にも満たない日々。
そして、私は気付いてしまった。
195
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:51:49 ID:fFFHkLRU0
ミセ; ー )リ「………ぁ」
偶にしんどそうに見えたのは、仕事とか、大学で疲れてたんじゃなくて。
病気で、体力が落ちていたのだとしたら。
それなのに、アイツに、毎日屋敷に来いなんて言ったのは。
それなのに、一番良い賞を取れなんて言って無理をさせるほどに追い込んだのは。
それなのに、つまらない意地を張って、彼を何日も待ちぼうけさせた挙句、遂には嵐の中待たせたのは。
ミセ; Д )リ「あ あぁ あぁあ あ―――」
彼に無理をさせたのは。
彼の寿命を削ったのは。
ミセ; Д )リ「――――あ」
彼を、ミルナを、殺した のは。
196
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:52:22 ID:fFFHkLRU0
「え…?ちょ、ちょっと!?大丈夫ですか!?」
「えっと…きゅ、救急車!!すぐに!!」
「お姉さん、大丈夫ですか!?お姉さん!?」
息が出来ない。酸素が吸えない。空気が吐けない。
視界が涙で滲み、聴覚すら上手く働かない。
死にかけの虫みたいに、過呼吸のまま地面に倒れ込む。
197
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:53:06 ID:fFFHkLRU0
意識が朦朧として消えかける。
視界がどんどん白く染まり、心臓を直接握られたような痛みが走る。
音すらもなくなっていく世界の中、聞き飽きた声が耳の奥で木霊する。
紛れもない、私自身の声。
「私が殺した」
薄れゆく意識の中。
私はやっと、ミルナはもういないということを理解した。
198
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/04/30(火) 01:53:54 ID:fFFHkLRU0
続きは後日投下します。
期限内に投下したかった…チクショウ……。
199
:
名無しさん
:2024/04/30(火) 14:59:28 ID:JZHN7y..0
乙
200
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:50:24 ID:yBkR092c0
*
ポトリと、目の前で本が落ちた。
それを拾おうともしないまま、私はただ一人、部屋の中で項垂れていた。
髪はボサボサに伸び切り、指先の爪はお世辞にも綺麗といえる状態じゃない。
部屋の中は荒れたまま、もう何十日も掃除をしていない。
閉め聞いたカーテンから漏れた光が、嫌でも今の季節を恩着せがましく教えてくる。
気が付けば春になっていた。呼んでもいない春が来た。
窓から僅かに差し込む春の陽光の暖かさが肌を焼き、それがひどく不快に思える。
あれだけ待ち望んでいた筈の春が、鬱陶しくて仕方がなかった。
私がミルナを殺したと発覚した日から、もう何日経ったのだろう。
冬はいつの間にか終わっていたから、一ヶ月くらいは経ったのだろうか。
日数を数えようとしてすぐ、「どうでもいい」という自分の声が脳内に響いて、やめた。
201
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:51:05 ID:yBkR092c0
窓から漏れた日の光が、テーブルの上の何かに反射した。
それは、出しっぱなしのヴィオラだった。
もう、演奏はおろか、クリーニングすら久しくしていない。
カーボンケースに入れて保管しなければいけない筈の楽器は、いつの間にか部屋の隅のガラクタと化している。
あれだけ大事にしていた楽器がそんな状態になってなお、私は全く動く気になれなかった。
ミルナは、大学の作業部屋で倒れていた。
彼が頻繁に出入りしていたらしい棟の隅にある、ほとんど誰も使わない、古びた作業部屋の一室。
ミルナはそこに、去年の秋頃からずっと籠っていた。まるで何かに憑りつかれたみたいに、一枚の絵を描くことに没頭していたようだった。
春休みに入り、学生はおろか教員すら大学を訪れなくなっても、彼はずっと部屋に籠って絵を描き続けていた。
食事も、睡眠も、まるで自分の人生そのものを焚火にくべるように。
私が軽はずみで彼に課した、詰まらない”お願い”のために。
倒れているミルナを発見したのは、偶然大学にいた、白髭先生とお父様。
お父様はすぐに救急車を呼び、ミルナがずっと手に持っていたスマホから、私に連絡したとのこと。
けれど、そんな過去の状況整理に意味はない。
病院に運び込まれる前に、私が呑気にカフェにいたあの時間にはもう、ミルナの息はなかったのだから。
202
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:53:02 ID:yBkR092c0
ミセ* ー )リ「………」
もう、ヘリカルすら声をかけてこない。
そもそも、この部屋のドアを開けることすらなくなった。
壁に並んだ、ミルナが遺してくれた数枚の絵と、肌身離さず持っている青いビオラの栞。
ただそれだけを見つめながら、呼吸をするだけの日々。
ミセ* ー )リ(私は)
ミセ* ー )リ(いつ、死ぬんだろう)
ずっとずっと同じことを考えている。
あの日、手術を受けにいかなかったら、私は今頃彼と同じ場所にいたのだろうか。
あんな詰まらないお願いをしなければ、彼はもう少し長生きできたのだろうか。
そもそも、私なんかと会わなければ、彼は真っ当に生きられたのではないのか。
203
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:53:31 ID:yBkR092c0
もしもを夢想し、目を瞑る。
夢の中でなら逢えるだろうかと、明日の朝、私の心臓も止まってはいないだろうかと、それだけを願いながら眠る毎日。
あぁ、何て自分勝手なんだろう。
私のせいで、彼はいなくなったのに。きっとまだ沢山やりたいことがあった筈なのに。
まだ、ヴィオラ聴いてもらってないのに。
ふと、ドアの向こうから声がした。
( ∋ )「――ミセリ、起きてるか?」
久方ぶりの父の声。もはや、人の声を聞くことすらも懐かしい気させする。
だが、私は返事をすることもなく、ただ黙って目を瞑り続けた。
父がなんと言おうとも、その会話に意味はない。
誰がなんと言ったところで、私がどれだけ謝ったところで、彼は帰ってこないんだから。
204
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:54:40 ID:yBkR092c0
( ∋ )「ドアは開けなくていいから、そのままでいいから、聞いてくれ」
( ∋ )「……ミルナ君の通ってた大学、知ってるか?」
ミセ* ー )リ「………」
頭の中に、一度だけ彼に見せられた写真が思い浮かぶ。
山の上にあるという、ここからバスと電車を乗り継いで一時間ほど移動した場所にあるという、私立の芸大。
実際に行ったことはないが知っている。ミルナは何度か、楽しそうに大学の話をしてくれた。
スクールバスの乗り心地があまり良くないこと。
大学なのにクラス式で、面白くて気の良い友人たちがたくさんいること。
彼があまりに楽しそうに話すものだから、いつか、彼に連れて行ってもらおうと思っていた。
あぁ、そういえば、そんなこともただ思っていただけで、言葉にしてなかったな。
また一つ増えた後悔の埃に胸が潰れそうになる。
蹲ったままの私に、父は落ち着いた声色で言葉を続けた。
205
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:56:02 ID:yBkR092c0
( ゚∋゚)「…あそこの卒業制作の展示が、今日の午後五時までらしいんだ」
ミセ* ー )リ「…………!」
その言葉に、私はゆっくりと目を開けた。
“約束”という言葉を聞いたその瞬間、電流が脊髄を走るような感覚があった。
私がミルナにした、三つのお願い。ひどく幼稚で、思いやりなんて欠片もなかった願い事。
その一つ目。それは何だったか。
思い出す。覚えている。
それは、私が彼にした、とんでもない無茶ぶり。
( ゚∋゚)「…屋敷の前に、車を用意してある」
「考えておいてくれ」という言葉を最後に、ドアの向こうから父が遠ざかっていく足音が聞こえた。
206
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:58:28 ID:yBkR092c0
“卒業制作”。ミルナが最後に力を入れていた、大学四年間の集大成。
去年の冬、彼とした話を思い出す。
彼が微笑みながら私に語った、いや、何度も私に言ってくれた言葉。
( д )『僕は、僕の人生全部で、貴女を――』
ミセ* ー )リ「―――」
数十分の時間が流れた後、私はゆっくりと、音もたてずに立ち上がる。
一体いつぶりなのかも分からないほどに、埃が溜まったクローゼットを開ける。
ずっと充電しっぱなしだったスマホに触れ、今の時刻を確認した。
午後三時。移動の時間を含めれば、ギリギリまだ、間に合うかもしれない。
ミセ* ー )リ「………」
ミセ* ー )リ「………ミルナ」
もういない名前が無意識にポツリと口から零れる。
同時に、また一つ後悔が沸いた。
あぁ、もっと名前を呼べばよかった、と。
207
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 00:59:01 ID:yBkR092c0
カーテンを開き、明るくなった部屋で素早く身支度を整える。
ミルナが最後に遺した絵。彼がきっと、私のために描いた、最後の絵。
見なきゃいけない。何があっても、私はそれをこの目に焼き付けないといけない。
ビオラの栞を丁寧に鞄に入れて、私は、ずっと閉じたままだった部屋のドアを開けた。
208
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:00:33 ID:yBkR092c0
*
到着した学内は、何故だか沢山の人で溢れていた。
今はおそらく春休み中のはず。
なのに、まるで文化祭か何かのように、山の下にある大学の入り口近くまで車が並んでいた。
運転手に礼を言い、ゆっくりと山を登る。
去年までの私では、どうあがいても登れなかったであろう下り坂。
本来ならおそらくスクールバスを使って移動する道を、私以外にも、たくさんの人たちがひしめいて動いていた。
大学名が記された石碑の前を通過し、必死の思いで足を動かし続ける。
息を切らせながら進むこと約十分。
ようやく辿り着いた大学の敷地内が、どこぞの遊園地を彷彿とさせるような人の列で満たされていた。
209
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:01:32 ID:yBkR092c0
させるような人の列で満たされていた
ミセ;゚―゚)リ「………すご…」
自分がいた大学の文化祭を思わせるような人の数に、思わず感嘆の息が漏れ出た。
「すいません」と言いながら列を通り、目当ての棟をキョロキョロと探す。
スマホで調べた大学の公式サイトが示した、卒業制作の作品の展示場所。
画像だと、どうやら随分と小綺麗な建物のようだった。それらしき建物を探しながら、慣れない大学内を歩く。
そうしていると。
从; ゚Д从「あーーーーーーーーー!!!!!」
突然、爆撃機のような大声が鼓膜を穿った。
210
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:03:06 ID:yBkR092c0
一体何なのかと横を見ると、どこか見覚えのある赤毛の女性が、こちらに指を立てていた。
人間違いでもされたのだろうか。
だが、ちょうどいい、彼女に場所を聞こう。もしかしたらここの学生かもしれない。
そう思って口を開きかけた瞬間、彼女はもの凄いスピードでこちらに近付き、ガッと私の両肩を掴んだ。
ミセ;゚―゚)リ「きゃっ!い、いきなり何を――」
从; ゚Д从「ア、アンタ!!"ミセリさん"だろ!?そうだよな!?」
私の肩を乱暴に揺らしながら、彼女は何故か私の名前を大声で呼んだ。
もしかして、どこかで会ったことがあるのだろうか。それとも、ヴァイオリニスト時代の私のファンか何かだろうか。
確かにどこかで見たような気もするが、記憶のどこを引っ張りだしても答えを出そうになかった。
211
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:05:07 ID:yBkR092c0
ミセ;゚―゚)リ「そ、そうですけど、あの、アナタは…?」
从; ゚∀从「や、やっぱりそうか!!そうだよな、もう、”そのまんま”だもん!!」
一体何の話をしているのか、私にはさっぱり分からなかった。
どうしてか非常に興奮している彼女に恐怖を覚えた私は、肩から手を離してもらおうと身動ぎをする。
だが、彼女は急に肩を放してくれたと思うと、私の手を掴んだまま突然走り出した。
ミセ;゚Д゚)リ「あ、あの!あのあのあの!?な、何ですか!私、用事が――!!」
从; ゚∀从「分かってる!!アンタも”アレ”を見に来たんだろ!?こっちこっち…ちょっと!退いてくれー!!」
ミセ;゚―゚)リ「え!?あの、列は!?これいいの!?」
彼女は私の手を握ったまま、さっきまで私を悩ませていた謎の長蛇の列を堂々と抜かしていく。
その勢いを保ちつつ、私達は綺麗な白い壁の建物に入った。
212
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:06:04 ID:yBkR092c0
棟の中には広く、木の温もりを感じられるお洒落な空間が広がっていた。
だが、そんな内装をゆったりと楽しむ暇もなく、赤毛の少女は私の手を痛いくらいに握りながら全力疾走をやめようとはしてくれない。
勢いよく階段を上がっていく彼女に振り落とされないよう、必死についていく。
病み上がりの上、ここ一ヶ月まともに部屋から出なかった私には相当にきつい。
階段を上がりきってぜぇぜぇと肩で息をしていると、いつの間にか赤毛の女性はいなくなっていた。
どこに行ったのかと視線を彷徨わせると、彼女はとある男性と話をしていた。
短い黒髪が特徴的な、落ち着いた雰囲気の青年。
何故だろう。赤毛の女性もそうだが、私は彼にもどことなく見覚えがあった。
(;`・ω・´)「―――!」
青年は私と目が合うと、幽霊でも見たかのような顔をする。
その次の瞬間、彼は受付らしきスペースを飛び出したかと思えば、ずんずんとこちらに近付いて来た。
213
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:06:48 ID:yBkR092c0
ミセ;゚―゚)リ「あ、あの…?」
(;`・ω・´)「……ミセリさん、ですか?」
赤い女性と同様、彼もまた、初対面である筈の私の名前を口にした。
別に、知らない人から声をかけられること自体には耐性がある。
だがそれは、地元を歩いている時に父の知り合いに「堂島家の一人娘」として呼ばれたり、音楽の仕事やコンクールの場で「ヴァイオリニストの堂島ミセリ」としてだ。
父も家も音楽も関係がない人たちから、エスパーみたいに名前を当てられたことなど皆無。
鬼気迫る彼の表情に、私は無言のままコクコクと頷く。
しばらく品定めでもするかのように彼は私の顔をじっと見ると、「着いて来て」と小さく呟いた。
ミセ;゚―゚)リ「え?あ、あの…列、並ばなきゃ…」
(`・ω・´)「大丈夫です、貴女だけは。このまま自分について来て下さい」
青年の有無を言わさぬ迫力に黙ったまま、私たちは列の横を堂々と通り、奥の部屋に続くドアをくぐる。
すると、入ると同時に、真っ白な壁に立てかけられてある無数の絵が目に飛び込んできた。
214
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:07:52 ID:yBkR092c0
(`・ω・´)「……多分、ここに来たかったのですよね?」
(`・ω・´)「ここが、卒業制作のブースです」
ちらりと壁にあるいくつかの絵に素早く目を通す。。
絵の右下にあるプレートは、絵の著者の名前と所属学科。絵のタイトル。そして作者コメントらしき文章が書かれている。
そのどれもが、作者コメントが大部分を占めていた。
自分の手で生み出した作品の解説をしたい気持ちは、絵と音楽という違いはあれど、同じ表現者として私にも多少理解出来る。
絵を見ながら歩いていた途中、とある作品に目が留まる。
それは絵ではなく、木で出来たオブジェだった。
どうやら、ここには絵以外の芸術作品もまとめて展示されているらしい。
215
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:08:26 ID:yBkR092c0
だが、私がそのオブジェに目を止めたのは、その作品が気に入ったからとかそういった理由ではなかった。
作品のオブジェを支えている台座。その側面に貼られたプレートには、他の作品と同じように著者の名前は作品タイトルといった情報が羅列されている。
他の作品と違ったのは、その下。
プレートの下に、「奨励賞」と書かれた文字と、綺麗な花を模したオーナメントがつけられている。
(`・ω・´)「…あぁ。そんな感じで、大学が選んだ良い作品には何かしらの賞がつくんです」
私の静止に気付いた青年が親切な説明を加えてくれる。
「他にもほら」と彼が示した指の先には、確かに他の作品より目を引く絵やオブジェ、写真などがある。
その作品たちの前には、特に多くの人がたむろしていた。
216
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:08:53 ID:yBkR092c0
ふと、私の足がほんの一瞬だけ立ち竦んだ。
ここが卒業制作の作品が展示されている場所。
ミルナが最後に遺した絵が、ここのどこかにある。
それは分かっている。私の足が止まった理由はそんなんじゃない。
ミルナは、私との”最優秀賞を取る”という約束を守るために、文字通り身を削って作品を描いた。
彼の絵の魅力は私が一番よく知っている。
絵について何の知識もない素人の私が見ても、思わず息を忘れてしまうような魅力が彼の絵にはある。
けれど、もし、万が一、何の賞も取れていなかったら。
大学の人たちに見る目がなかったら。
彼が最後に遺した絵に、「価値がない」と判断されてしまっていたら。
そう思うと、途端に怖くなったのだ。
217
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:09:20 ID:yBkR092c0
(;`・ω・´)「ミセリさん…?」
青年が不思議そうにこちらを見る。
すると、彼の背後にある通路から、また見たことのある人物がこちらに歩いてくるのが見えた。
( ´W`)「…お。よかったよかった。やっと来たね、ミセリさん」
ミセ;゚―゚)リ「……白髭、先生」
ミルナの葬式以来の顔に、私は少し気遅れしてしまって頭を下げるのがワンテンポ遅れる。
あの日から家族とすら真面に話していなかったこともあって、どう挨拶したものか一瞬判断に迷ってしまった。
218
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:10:05 ID:yBkR092c0
(`・ω・´)「あとはお願いしてもいいですか、先生」
( ´W`)「あぁ、もう大丈夫。…よし、じゃあ行こうか、ミセリさん」
青年は私と白髭先生に深々と一礼をした後、入り口へと戻っていった。
その礼儀正しさに少しポカンとした後、先生は私に「こっちだよ」と声を掛けて歩き出す。
真直ぐに伸びた背筋を早足で追いかける。
ミセ;゚―゚)リ「あ、あの、私、見たいのがあって……」
( ´W`)「うん。だから、それはこっち」
( ´W`)「ちょっとイレギュラーがあってね。一番奥にあるんだ」
私の話を聞いてくれているのかいまいち判然としないまま、彼はピカピカに磨かれたローファーと共にどんどん奥へと進んでいく。
219
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:10:34 ID:yBkR092c0
こんなことをしている暇はない。この展示は確か午後五時まで。
私がこの大学に着いた時、既に午後四時を過ぎていた。
つまり、どう計算してもあと一時間もない。
他の絵や作品に僅かでも興味を示したのがよくなかった。
私はまた、優先順位を間違えた。
早く、早くしないと見れなくなる。今日を逃せばもうきっと、見ることは出来なくなってしまうのに。
ミルナが、最後に遺した絵が。
220
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:12:38 ID:yBkR092c0
( ´W`)「まぁ、どこの美大も基本的にそうだけど、うちの卒業制作の作品って、一般公開されるんだけどね」
どう話を切り出そうかと私が悩んでいるその最中。
目の前を歩いていた白髭先生は、講義でも始めるかのような落ち着いた声を発した。
( ´W`)「その中でも良い作品は大学が宣伝したり、学生の子たちが他の学校の子に教えたりして色んな所に広まるんだ」
( ´W`)「だから、話を聞きつけた近所の人が物見遊山に来ることもそんなに珍しくない」
( ´W`)「けれどねぇ…まさか、流石にこんなことになるとは思わなかったな」
先生の足がピタリと止まる。
彼の視線の先には、数多もの人たちが何かの作品に集まっていた。
221
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:13:00 ID:yBkR092c0
( ´W`)「アレだよ」
よく見れば、学生らしき人がずっと続いていた列の人を順番に呼んでいる。
どうやら棟の外まで出来ていた列は、あそこにあるらしい作品を見たい人たち用の列だったらしい。
だから何だ、という冷たい感情が浮かんだ。
申し訳ないが、私は人気な絵なんてものに興味はない。
私が見たいのは上手い絵でも、高い価値がついた絵でもない。
今の私にとっては、”モナリザ”ですら紙屑同然だ。
222
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:14:17 ID:yBkR092c0
ミセ; ー )リ「あの、だから私の見たい絵は、ミルナの……」
( ´W`)「すいません。少し退いていただけませんか」
細い体から、低く、それでいて広がる声が響いた。
絵の前に沢山いた人たちが一斉にこちらを振り返る。
その数秒後、その殆どの人たちが何かに気付いたような顔をした途端、蜘蛛の子を散らすようにサッとはけていった。
またこれだ。
この大学に来てからどいつもこいつも、私の顔を見た途端、急に驚いた顔をする。
なんとなく、昔のことを思い出す。
大学に通っていた時、自分がただ教室に入っただけで、知りもしない同級生たちが一斉に私の方を見る時の不快な感覚。
なんだか懐かしささえ覚える。
実家に戻って、ミルナと出会ってからは久しく忘れていた感覚だった。
223
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:15:05 ID:yBkR092c0
( ´W`)「……さ、存分に見てきなさい」
先生に軽く背中を押され、私はゆっくりと前に出る。
さっきまで人の背中や頭で全く見えなかった、どうやら相当に人気らしい絵。
どうしてこんな作品を見なければいけないのか。
私が見たい作品はもう決まっているのに。
それ以外、全くもってどうでもいいのに。
怒りすら混じった感情を抱えながら、私は奥へと進んでいく。
私の歩が進むたびに人が左右に避け、彼らの姿で全く見えなかった奥の作品の、その全貌が明らかになる。
その途端、私の内で蠢いていた全ての感情が消し飛んだ。
224
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:17:31 ID:yBkR092c0
目に飛び込んできたのは、一枚の”鏡”だった。
225
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:19:16 ID:yBkR092c0
ミセ;゚―゚)リ「……え…?」
瞬きで視界がリセットされ、私はすぐにその間違いに気が付く。
違う。鏡じゃない。あれは絵だ。
とても大きなキャンバスで描かれた、一枚の絵。
ここに至るまでの道中にあったどの絵よりも、作品よりも、大きな絵だ。
そこには”私”がいた。
絵の中心に描かれているのは、紛れもなく私だった。
226
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:20:05 ID:yBkR092c0
薄桃色の暖かな背景。
その全体、散らされるように描かれた、数えきれないほどの桜の花弁。
絵の手前には、観客の比喩のようにも受け取れるように描かれた、青いビオラ。
そして何より、強い既視感のある大きな桜の木を背景にして、楽器を持った私が立っている。
桜が舞う春の空の下、泣きたくなるくらいに綺麗な笑みを浮かべた私が、ヴィオラを弾いている。
そんな絵だった。
227
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:22:26 ID:yBkR092c0
一瞬なのか、百年なのか、どれくらいの時間が経過したのか。
絵に意識をもっていかれた私は、酸素不足一歩手前にまで陥るギリギリ、なんとか呼吸を思い出してはっとする。
まるで、深海に引きずり込まれたような、重力すら異なる全くの別世界に入り込んだような。
そんな、今まで経験したことのない感覚だった。
鏡と見紛うほどに、それでいて、私本人よりもずっと美しく、楽しそうに描かれた”私”。
こんな状況は知らない。全く身に覚えがない。
だって、私があの桜の木の下で、アイツの前でヴィオラを弾いたのは、満月が明るい夜だった。
今、目の前にある絵は違う。
あの絵に描かれている私は、月が輝く夜ではなく、日が煌めく昼に描かれている。
この約束は、未来は、状況は、なかったものだ。なくなってしまったものだ。
私が、私のせいで消えてしまった筈の未来。
それが、どうして今ここにあるのか。
228
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:22:55 ID:yBkR092c0
はっと、絵の右下に目をやった。
展示された絵の詳細についての情報が載っている、白のプレート。
その下に、『最優秀賞』と書かれた文字と共に、金色の華々しいオーナメントが飾られている。
だが、私にとってそんな飾りや文字はどうでもよかった。
足を震わせたままなんとか絵に近付き、プレートに書かれた文字を見る。
229
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:23:32 ID:yBkR092c0
『芸術学部 造形学科 洋画専攻 四年』。
作者名の欄に書かれている名前は、『河内ミルナ』。
タイトルは、 『ヴィオラ』。
230
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:24:42 ID:yBkR092c0
認識した情報に、息が詰まりそうになる。
ゆっくりと、視界がぼやけているように感じる。
震える手で、プレートに書かれた文字をゆっくりとなぞりながら、更にその横に目を移す。
作品の説明などが並ぶ筈の、作者自身のメッセージが書かれる筈の箇所。
そのスペースには。
他の絵のプレートとは違う。
一瞬、何も書かれていないと錯覚してしまうほどに、白い余白の目立つ箇所。
その、スペース、には。
231
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:27:07 ID:yBkR092c0
『 ミセリさんへ 大好きです 』
232
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:28:32 ID:yBkR092c0
ミセ* ー )リ「…………馬鹿、じゃない の」
急に、目に何か、違和感のようなものを感じた。
汚れかなにかが入ったのだろうか。すぐに取らなければ。
そう思い、鞄の中に手を入れる。
だが、いくら中を探っても、目当ての物は出てこない。
233
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:29:48 ID:yBkR092c0
ミセ* ー )リ「……………呼ぶ なら、直接 」
ミセ* ー )リ「ちょくせつ ちゃんと 呼び なさい、よ」
いつも肌身離さず身に着けている物なのに。大切にしている物なのに。
一体、どこにやってしまっただろう。
記憶を辿る。どこかに落としたのだろうか。どこかに置いてきたままなのだろうか。
そういえば、最後に使ったのは、一体いつだっただろうか。
ミセ* ー )リ「こ んな……こん な、形、で 」
234
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:30:25 ID:yBkR092c0
手の甲に、何か薄いものが感触が走った。
目当てのものかと思い、鞄から取り出し、視線を下げる。
だが、それは探していたものではなかった。
青いビオラが挟まった、綺麗な一枚の栞。
それを見て、私はやっと全てを理解した。
235
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:31:48 ID:yBkR092c0
ミセ* )リ「 なま え 、ねぇ、ミルナ ちょく、せつ―――」
どうして忘れていたんだろう。
そうだった。思い出した。
私が、子どもの頃に姉から貰って、ずっと大切にしていたハンカチは。
彼と二人で出かけた、あの涼やかな秋の日から。
ずっと。
236
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:32:20 ID:yBkR092c0
ミセ* Д )リ「 ねぇ………!!!」
ミルナに、貸したままだったんだ。
237
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:32:47 ID:yBkR092c0
――――もう、限界だった。
238
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:34:15 ID:yBkR092c0
ミセ*;Д;)リ「ああぁあああああっ!!!ひっ、あ、ああぁ ああ ぁ あああ…!!!」
ボロボロと、あの日の嵐のような涙が溢れた。
ミセ* Д )リ「ああぁあぁ…うあぁ、ひっ あぁ あぁぁ」
私は泣いた。
人前で、公衆の面前で、恥ずかし気もなく、子どもみたいに泣き喚いた。
天井を仰いで泣いた。
床に額をこすりつけて泣いた。
喉が文字通り引き裂かれるほどに、大声で、泣き続けた。
239
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:35:40 ID:yBkR092c0
あぁ、今更になって、やっと分かった。
ミセ*∩Д;)リ「ミル ナぁ…あぁ、あぁあ……ああぁぁ……!!」
私が、彼をどう思っていたのか。
どうして彼の姿を見ると、心がざわつくのか。
どうして彼の二言三言に、やけにイラついたり、嬉しくなったりしたのか。
本当に今更だ。
もう、なんの意味も、価値もない、あまりにも遅すぎる答え。
でも、やっと分かったんだ。もう遅いけど、みっともないけど。
これだけ時間がかかって、何もかも手遅れになって、年甲斐もなく大声で泣いて。
やっと、今更、分かったんだ。
240
:
◆gMoTB8ciTo
:2024/05/01(水) 01:36:07 ID:yBkR092c0
答えは、呆れるくらいに単純だった。
いや、本当はとっくに、心のどこかで分かっていた。
なのに私はずっと、気付かない振りをしていた。
私は。ずっと、ずっと前から。
彼のことが。絵描きが。河内ミルナのことが。
家族よりも、自分よりも、音楽よりも、ヴィオラよりも、何よりも。
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