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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

712名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/08/19(水) 01:42:35 ID:kvaKH/XU
8月19日はフリードリヒ3世が死去した日です

神聖ローマ帝国では>>296などで見たジギスムントが1437年に死去したことでルクセンブルク朝が断絶し、ハプスブルク家のアルブレヒト2世がドイツ王となりました
しかしアルブレヒトは正式に皇帝となることのないまま急死し、息子のラディスラウスが若年であったために、はとこのフリードリヒがラディスラウスの後見としてドイツ王となります

ハプスブルク家の宗家であったアルブレヒトに対し、フリードリヒは傍系の出にすぎませんでしたが、1457年にラディスラウスが夭折するとその遺領はフリードリヒのものとなり、オーストリアを手に入れることとなりました
やがてフリードリヒの弟アルブレヒトが元服すると、所領の分割を巡って2人は争い、フリードリヒは弟によって幽閉されます
フリードリヒは辛うじてウィーンから逃亡し、そのうちにアルブレヒトが急死したためにウィーン帰還に成功するという風に、悪運の強さを発揮するのです

フリードリヒの悪運は対外政策においても発揮されます
1452年、彼は正式に皇帝として戴冠しフリードリヒ3世となりますが、その翌1453年に>>146で見たようにビザンツ帝国が滅亡し、長年問題となっていた二帝問題が解消され、フリードリヒが単独の皇帝となったのです
またオスマン帝国の脅威に対しハンガリー王マーチャーシュ1世はオーストリアを併合して対抗することとし、実際にオーストリアに侵攻しオーストリア大公の地位を獲得、ウィーンを占領するという勢いでした
しかしこのマーチャーシュもまた急死し、フリードリヒはウィーンに帰還するのです

ブルゴーニュ公国のシャルル突進公に対しても悪運が働きました
>>414で見たように、シャルルはフリードリヒに対し「ローマ人の王」の称号を要求し帝国諸侯のなかにもこれを支持する者がいた状況で、フリードリヒはのらりくらりと名言を避け、そのうちにシャルルはナンシーの戦いで戦死したのです
そしてこのシャルルの娘マリーと、フリードリヒの息子マクシミリアンが結婚することでネーデルラントを獲得します
このマクシミリアンが>>540で見た神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世でした
フリードリヒの治世は50年以上に渡るものとなり、1493年8月19日、77歳で死去します
その間にフリードリヒの敵対勢力はことごとく力を失い、ハプスブルク家の世襲が確立することとなります
そして>>502で見たように帝位はマクシミリアン1世からカール5世へと相続され、広大なハプスブルク帝国が実現するのでした


本日は単独王マクシミリアンの誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年


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