したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

617Republica de Venexia:2015/05/25(月) 00:05:56 ID:???
5月25日はグレゴリウス7世が死去した日です

>>448で見たカノッサの屈辱で、ローマ教皇グレゴリウス7世はいったんは神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を屈服させたかに見えました
しかしその後もハインリヒおよび帝国に対して強権を発動しようとし、その際にはドイツ諸侯の反対に遭いハインリヒに反撃されたのは>>562で見た通りです
ハインリヒは1084年、ローマを開城させてラヴェンナ大司教ヴィーベルトを教皇に据えました
グレゴリウスはサンタンジェロ城に閉じ込められますが、これを救出したのがロベール=ギスカールでした

ギスカールは>>566で見たようにビザンツ領南イタリアを征服したノルマン人で、旧ビザンツ領を平定した後は教皇領にも攻撃をかけ、一時は教皇によって破門を宣告されていました
これにより教皇側にたったノルマン人諸侯はギスカールを攻撃しましたが、ギスカールはこれらを撃退し1080年には全ての反乱を鎮圧しました
ギスカールが教皇と和解したのもこの頃でした

ちょうどこの時期はグレゴリウスとハインリヒとの叙任権闘争の真っ最中であり、グレゴリウスとしては強大な軍事力を持つギスカールの支援が必要だったのです
グレゴリウスはチェプラーノにて平和条約を締結し、ギスカールが征服した土地の保有を認める代わりに、ギスカールが教皇権を尊重し教皇庁の防衛を約束させ、教皇の封臣であることを誓わせました
これは>>466で見たコンスタンティヌスの寄進状を根拠に行われたことでもあります

さて、このギスカールがサンタンジェロ城に閉じ込められたグレゴリウスを救うため、大軍を率いてローマに駆けつけ救出します
グレゴリウスはサレルノで保護されますが、翌1085年5月25日、同地で没しました
死に際してこう語ったといいます
「私は正義を愛し、不正を憎んだ。それ故私は流浪のうちに死ぬ」


本日は「聖なる悪魔」の命日です、お悔やみ申し上げます
ハインリヒ4世はおめでとうございます


参考文献
・高山博『中世シチリア王国』講談社、1999年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年
・北原敦編『世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板