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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

448Republica de Venexia:2015/01/25(日) 00:15:13 ID:???
1月25日はハインリヒ4世がカノッサ城に到着した日です

>>294で見たように、神聖ローマ帝国はハインリヒ3世黒王のもと皇帝権が強大化しました
しかしハインリヒの時代に皇帝と教皇が協力して進められていた教会改革は、彼の死後変質していきます
1059年4月のラテラノ公会議でニコラウス2世は教皇選挙教令を発し、教皇選出の過程から皇帝を排除したのです
1071年には教皇アレクサンデル2世がドイツ国王による司教選出にも反対するなど、世俗権力の排除はますます進められました

一方の皇帝はというと、ハインリヒ3世時代の皇帝権強化に危機感を覚えた諸侯がハインリヒ4世に対して反乱を起こしており、ハインリヒは教皇の動きに反撃することができませんでした
そのうちに1073年、ローマ教会ではグレゴリウス7世が教皇となり、グレゴリウス改革を進めていくことになります
ハインリヒはここでもドイツでの戦いに忙殺され、グレゴリウスの即位を認めざるを得ませんでした

1075年3月、グレゴリウスは教皇訓令書を発し教皇権の皇帝権に対する優位を主張します
しかしドイツでの争いを収めたハインリヒはドイツの司教を招集し、教皇の廃位を決定しました
ところがグレゴリウスはこれに真っ向から挑み、1076年2月、教会会議にてハインリヒ4世の破門を宣告するのです
ハインリヒもドイツで教会会議を招集しますが、皇帝権強化に反発する諸侯の多くはこれに応じず、逆に諸侯による会議を開き教皇への服従を要求するという有り様でした
孤立したハインリヒはグレゴリウス廃位を取り消しますが事態は好転せず、直接グレゴリウスに会い破門の解除を要求するためイタリアへ向かいました

そして1077年1月25日、ハインリヒはグレゴリウスが滞在していたカノッサを訪れ、いわゆる「カノッサの屈辱」を行います
これによりハインリヒは破門を解除され、ドイツ帰還後は反対派諸侯を討伐し再びグレゴリウスに挑戦、勝利することになります
一方教会としてはこの一連の事件によりそれまでの皇帝権・教皇権の関係を覆したことになり、最終的にヴォルムス協約でグレゴリウス改革は達成されることとなるのでした


本日はカノッサの屈辱の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年


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