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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

529Republica de Venexia:2015/03/11(水) 01:24:30 ID:???
3月11日はジョヴァンニ=デ=メディチが教皇に即位した日です

ジョヴァンニ=デ=メディチは、メディチ家によるフィレンツェ支配の絶頂期を現出したロレンツォ=デ=メディチの次男として産まれました
メディチ家は>>288で見た大シスマの際に対立教皇ヨハネス23世を擁立、続くマルティヌス5世を支援したこともあってローマ教皇庁との関係が深く、ジョヴァンニも枢機卿に就任することとなりました

やがてフィレンツェでは>>346で見たようにメディチ家が追放されますが、ジョヴァンニは教皇ユリウス2世とスペインの支援を得、フィレンツェに復帰することに成功します
そしてユリウス2世が死去した後の1513年3月11日、ジョヴァンニはレオ10世として教皇に即位したのです
当時の教皇庁はフランス・ヴァロワ家と神聖ローマ帝国・ハプスブルク家が抗争するイタリア戦争の最中にあり、フランス王フランソワ1世が侵攻してくるとレオはフランス王に聖職叙任権の一部を与えることで休戦に持ち込みます

なおレオ10世はルネサンスを保護したことでも知られ、ミケランジェロやラファエロを支援し、ローマにおけるルネサンス文化繁栄をもたらしました
この時期にはレオナルド=ダ=ヴィンチも活躍しており、先のレオ10世とフランソワ1世との会談にも招かれていました
ダ=ヴィンチはその後フランソワに招かれ、フランスにルネサンス文化をもたらすこととなります
またレオとフランソワは協力して神聖ローマ帝国に対抗し、>>429で見た神聖ローマ皇帝選挙の際にもフランソワの皇帝選出を支援しますが、皇帝にはカール5世が即位し失敗に終わりました

しかしレオはやがてカールとも協力関係を結びます
>>334で見たように、ドイツで贖宥状販売への反発をきっかけとする宗教改革が起こったからでした
ルネサンス文化を保護したレオでしたが、サン=ピエトロ大聖堂再建のためには莫大な費用がかかり、レオはこれを贖宥状販売によって賄っていたのです
このようにローマ教皇レオ10世はルネサンス文化の隆盛と宗教改革の発端、この時代のヨーロッパを大きく動かす出来事の真っ只中に位置する存在となったのでした


本日はメディチ家出身教皇の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・森田義之『メディチ家』講談社、1999年
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・北原敦編『世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年


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