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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
429
:
Republica de Venexia
:2015/01/14(水) 00:45:54 ID:???
1月14日はマドリード条約が結ばれた日です
この条約の当事者、神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世の対立は、
>>40
のシチリアの晩鐘に遡ります
ホーエンシュタウフェン朝が断絶したシチリアを一旦はシャルル=ダンジューが支配するものの、アラゴン王国によって奪われたこの事件以降、フランスとスペインとの対立関係が形成され、これ
>>346
で見たフランス王シャルル8世のナポリ侵攻によりさらに激化することとなりました
一方スペインはというと、アラゴン王フェルナンドが娘フアナを神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子ブルゴーニュ公フィリップと結婚させて同盟関係となり、南北からフランスを包囲することに成功します
そしてこのフェルナンド、マクシミリアン双方の孫となり、その政策を継承することとなったのが、後の神聖ローマ皇帝カール5世だったのです
1519年、マクシミリアン1世が亡くなりカールが皇帝候補となると、フランス王フランソワ1世は危機感を覚えます
というのも、カールはすでにスペイン王カルロス1世となっており、さらに皇帝に即位するとなればスペイン・ドイツ・イタリアの連合国家が成立し、フランスは完全に包囲される形となるからでした
これを阻止するためフランソワはなんと皇帝選挙に出馬しますが、票を得られずあえなく惨敗、カールが皇帝へと即位します
フランソワは次の手として、休戦状態であったイタリア戦争を再開させます
1521年に始まったこの戦争は、カールがスペイン・イタリア・ブルゴーニュの各方面から攻勢をかけたことでフランスは劣勢に陥り、フランソワは一旦はミラノを攻略したものの1525年12月にパヴィアの戦いで大敗し捕虜となってしまいます
ここで休戦条約として結ばれたのが、1526年1月14日のマドリード条約でした
フランソワは捕虜からの解放と引き換えにイタリアやブルゴーニュなどの宗主権を放棄することを余儀なくされたのです
こうしてカールとの争いに敗れたフランソワですが、
>>298
で見たようにオスマン帝国のスレイマン1世と結び、再びカールに対抗するのでした
本日はイタリア戦争の一時的休戦の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・新井政美『オスマンvsヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか』講談社、2002年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・佐藤賢一『フランス王朝史2 ヴァロワ朝』講談社、2014年
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