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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

522Republica de Venexia:2015/03/07(土) 00:02:39 ID:???
3月7日はマルクス=アウレリウス=アントニヌスが皇帝に即位した日です

ローマ帝国は>>286のネルウァが皇帝となった後、>>281で見たようにトラヤヌスが最大版図を実現、ハドリアヌスによって帝国の安定化が図られました
ハドリアヌスには実子がおらず、ケイオニウス=コンモドゥスを養子としましたが、このケイオニウスが急死し、既に51歳となっていたtティトゥス=アウレリウス=アントニヌスが養子となりました
このアントニヌスにも実子がいなかったため、ハドリアヌスはケイオニウスの遺児ルキウス=ウェルス、そしてアントニヌスの妻の甥であるマルクス=アンニウス=ウェルスを養子とするよう命じました

こうしてハドリアヌスの次代、その次代の帝位継承を定めてハドリアヌスは死去し、アントニヌスが皇帝となります
アントニヌスはハドリアヌスの政策を継承して大幅な改革はせず、反乱や戦争も外交によって解決するなど、帝国は平和な時代を過ごすこととなったのです
アントニヌスはハドリアヌスと対立していた元老院を説き伏せてハドリアヌスをしています神として祭るために誠意を尽くし、「ピウス」の称号を贈られました

アントニヌス=ピウスは23年間の治世を平穏のうちに終え、次代をマルクスに託します
そして161年3月7日、五賢帝最後の皇帝となるマルクス=アウレリウス=アントニヌスが即位しました
マルクスは即位後すぐに同じくアントニヌスの養子となっていたルキウスに自分と同等の権限を与え、共同皇帝となったのです
こうして2人の治世が始まりましたが、この時代になると帝国周辺で不穏な動きが目立つようになります
北方ではゲルマン人が、東方ではパルティアとの戦いが展開され、マルクスが北方を、ルキウスが東方の防衛を担当しました
やがてルキウスが病没した後はマルクスが全ローマ軍を率い、帝国に侵入するゲルマン人との戦いに明け暮れることとなります
この戦いの陣中で書かれた自分自身との対話の記録が『自省録』で、ストア哲学の名著として知られています

マルクスは180年にゲルマン人との戦闘中の陣中で没し、帝国は>>507で見たような混迷の時代へと突入していくこととなるのでした


本日は「哲人皇帝」の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・エドワード・ギボン、中倉玄喜編訳『新訳 ローマ帝国衰亡史』PHP研究所、2008年
・北原敦編『世界各国史15イタリア史』山川出版社、2008年
・桜井万里子、本村凌二『世界の歴史5 ギリシアとローマ』中央公論新社、2010年


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