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習志野原の掲示板2022-2
ウェストはバス通楽とプラチナを従来と同額で出しますね。松戸と大仏が元の鞘に収まり、トランジットも使えるようになりますが、まあだからといって使い倒せるかというと極めて限定的です。意外とありそうなベイシティ(千鳥)が除外ですし。
来年京成バスが合流したら拡大&値上げか、同額の狭いエリア、やや高いウェスト全部、とても高い京成グループ全部というラインナップとか。通学や通塾、生活圏を踏まえて、エリア(営業所)を2つないし3つまで選べるというような商品設計でも面白そうですが。
富山地方鉄道は現状を考えますと地域輸送は軌道事業を核にして鉄道事業は上市までと不二越上滝線にリソースを
集中させるのが正しい選択といえるでしょう。昨春の北陸新幹線リポートで少し触れましたが
あいの風と競合する対滑川、魚津、黒部では地域輸送のために2つの鉄道が必要なのかということになり
今回の値上げで運賃は全く話にならず、運行頻度も上市以東は1~2時間に1回になるのではという状況で
場合によっては上市〜黒部の廃止の上で宇奈月方面は黒部で接続の上あいの風に直通というのが妥当な選択ではないでしょうか。
宇奈月〜立山の行楽客による回遊需要は相応にある筈ですがかつては平日2往復、繁忙期の休日には6往復まで増強されることがあった
あるアルペン特急は片道1本で利用も低調と回遊型の利用者は自家用車に完全にシフトしてしまったのかという感があります。
なおアルペンルートの自家用車回送サービスはありますが、多くはどちら側から入るにしても最大多数は室堂までのピストン
もしくはどこまで行きたいかを選んでいる感があり、乗り物好きでなければ通り抜けにはこだわっていないように思えます。
もちろんアルペンきっぷのような企画商品の存在は公共交通利用を促す意味で重要ですし内容や価格も
今どきの商品には珍しい大らかさで、アルペンルートだけでなく道中の金沢や松本、木曽路観光もできるというには
時間に余裕があれば魅力ではありますが、一方でこのエリアが目的地でそんなに長期の旅行をするのか8日という有効期限は凄いですが
1週間程度を旅行に充てられるとなったら確実に海外か北海道、沖縄といういった選択になりそうで
せっかくそれだけの日程が取れるのに長野県や富山県なのと言われそうに思えます。
実は京都に住んでいた学生時代夏のサークル旅行でこの商品を提案したことがありますが2万数千という当時の価格は
学生にとってはなかなかの高値で、家に8人乗りのミニバンがある学生が車を出した方が6人ならば余程安く
道中の寄り道も格段に選択肢が多い(帰途に夜の水晶浜で眺めた星空は印象的でした)というオチになってしまいます。
>>584 で触れられておられる薬園台絡みの名称違いですが、結局レインボー側の薬園台になるようで、本来の地名とは乖離した方で固定されると写真つきのつぶやきがありました。
こういうのは結局元が分社子会社だが京成だったレインボーと結局傍系でしかなかった新京成の差だった、ってことなんでしょうね。絶対的な本数でも旧新京成側のが多かったはずですが。
アルペンルートは通り抜けにしても室堂往復にしても立山-扇沢のエリアだけで1万円コースですからそもそも学生の手に負えるものではないでしょう。私自身学生時代には海外並みに遠い存在でしたから。しかも途中で宿泊となるとさらに大変ですが、単純な片道あるいは往復だと見るべきところをかなり絞らないと無理で、コスパもイマイチです。
それを考えるとアルペンきっぷは比較的宿泊事情が良い富山をベースに複数日使えるというメリットがあり、富山往復バージョンも実は大町に抜けたあと糸魚川に出て新幹線で敦賀に出られるという通り抜け対応もできるのでここもポイントでしょう。この場合大町から大糸線に乗ったら「復路」になりますが、往復とも金沢での途中下車が可能なので、金沢-富山間の往復運賃を別払いすれば再度アルペンルート区間に舞い戻る、あるいは往路として信濃大町に向かうことは可能です。
富山からの往復利用という意味では、公共交通オンリーだと富山7時過ぎの立山行きに乗車して、立山ケーブルの指定を30分後で受けるという幸運でようやく黒部ダム往復と帰りに室堂で少し散策、というレベルでしたね。昨シーズン限りで廃業した黒部湖遊覧船に乗ったらダムを丁寧に見る時間はない感じで、室堂もみくりが池を眺めるところまで歩くのがやっとでした。立山に駐車しての行程ならもう少し楽ですが、多客期になればなるほど立山ケーブルの時間指定争奪戦が激しくなるわけで、閑散期(閉鎖間際)でも30分程度の待ちでしたから。高原バスは団体と混乗するなど時刻表記載便以外の便も多いのであまり気にしなくていいですし、関電トンネルの電気バスも最大4台運行なので輸送力は大きいですが、ケーブルカーの輸送力に律則される格好です。
余裕ある観光という意味でも、この切符の訴求力は大きいんですけどね。首都圏発着バージョンを売らなくなって久しいですが、関西発着バージョンの「神」ぶりを話すと無茶苦茶羨ましがられました。片道中央線バージョンを使った1泊2日で初日は通り抜けで富山泊、2日目は黒部ダム往復と使い倒しましたから。
富山地鉄の鉄道線は結局富山県と富山市というパトロンに「見捨てられた」格好になるんでしょうね。電車ごっこマンセー勢は見て見ぬふりなんでしょうが、鉄道としての輸送規模があった路線を見捨ててまでチンチン電車に資源を集中したわけです。現状では富山-寺田-上市と寺田-岩峅寺(五百石までかも)と魚津-宇奈月くらいでしょう。石川県内の北陸鉄道のようなスタイルになって、そして維持できるかどうかという話です。アルペンルートの一翼となる立山までの維持も、結局入り込みと帰りのピーク時に本数が多いということもなくしかもそこまで乗っていないわけで、立山ケーブルの混雑との格差が激しいです。大町口が信濃大町駅、長野駅からのバスで捌いているのを考えると、富山駅から直通バス、というスタイルでも十分対応できるでしょう。宇奈月も同様です。なお「アルペン特急」はアルペンルートと宇奈月、トロッコのはしごをかんがえた列車ですが、そこまでいなかったんでしょうね。宇奈月泊を前提にしたらアルペンルートを楽しむ時間がかなり減りますし、であれば富山をベースにした方が効果的です。
京成グループの再編に小湊が入っていない件についてネットニュースに出ていましたが、そもそも小湊の「支配関係」がややこしいというか怪しいわけです。小湊の大株主は九十九里ですが、九十九里の大株主は小湊の社長です。
これが小湊の所有であれば会社法で規定される相互保有に関する規制の対象となり、そうなると議決権ベースでの「筆頭株主」は京成になります。
小湊の社長と小湊は違う、となるのかどうか。法人としての小湊の意思決定に関して小湊の社長がどれだけ自由にふるまえるか。支配力をよく見極める必要がありますし、一般常識的に見て相互保有(持合)の典型例とみるでしょう。
おそらくグループ外への売却とか京成グループに重大な影響を与えない限り、小湊の自主的な判断として尊重されるんでしょうね。そうなれば議決権の制約を主張してくるでしょう。
エリア外の話題ばかりで恐縮ですが、まだ使ったことがないICOCAでポイント還元型のトクトクきっぷのなかには魅力的というか破格のものがありますね。
3月いっぱいで発売終了かと思ったら半年伸びたので使ってみようかと思うのが「鉄道版ビワイチパス」、サイクリングではお馴染みの「ビワイチ」の鉄道版というか、琵琶湖線、湖西線の一周区間(京都と敦賀にも行ける)と近江鉄道全線、近江鉄道バスの近江八幡界隈の指定区間が2日間有効で2880円と何かの間違いじゃないかという価格です。あと1往復だけですが近江八幡のロープウェイにも乗れます。京都までの往復がそれなりにかかりますが、2日間通うことが可能ですね。家に帰っても十分時間はありますから。
あとは和歌山満喫わくわくパス。3日間有効で8800円とお値段は張りますが、大阪近郊区間に加え和歌山市ー新宮の紀勢線が自由周遊区間で、さらに交通機関だけで橋本以南の高野線と山上のバス2日間、和歌山電鉄1日券、和歌山バス1日券、紀州鉄道3日券、龍神バス本宮線3日券、明光バス白浜地区3日券、熊野御坊南海バス那智新宮本宮地区2日券、南紀勝浦遊覧船1回券がつき、いくつかの施設入場券と割引サービスがついており、泊ってもいいし、大阪近郊区間も自由周遊区間なので3日間連続で遠征という使い方も追加無しで可能です。(特急料金は別払い)ICOCA紐付けにトラブルというリスクはありますが、バスなどを使い倒せばそれだけでもお得です。
間違えてました。和歌山のパスは8500円でした。
さて京成松戸線スタートのイベントが告知されました。
記念乗車券の発売とヘッドマークの掲出、そしてイオン津田沼でのトークショーです。会場がイオン津田沼2階「京成側」アトリウムとあり、新京成でないのは当然とはいえ、見慣れないというか寂しいです。
記念乗車券はジェントルピンクの電車がギャラリーを飾っていますが、京成がこの色を押し出すのは最初で最後でしょうか。ただ駅の写真は青い看板になった新鎌ヶ谷と北習志野とか、「新京成電鉄」が剝がされた新津田沼や八柱とか、京成なんだぞ、といわんばかりのデザインですね。桜を背景に走る3700系は真間川でしょうか。
ヘッドマークは「Hello」デザインのシンプルなものですが、N800系と3000系という「色違い」の「兄弟」への掲出になっています。だからといって3000系が松戸線に入ることはないんでしょうが、もしイベントとして入線したらサプライズです。
京成カラーの乗り入れは、新京成転属車が塗装変更前に青電カラーで走っていたことを除けば、1950年代から60年代にかけての一時期にあった京成車による片乗り入れ以来の出来事になりますから。
和歌山のパス、昨年の発売時から700円値上げしていますね。和歌山バスのチケットが付いた影響でしょうが、それだけでは割が合いません。まあそれなりに人気だったんでしょうね。再発売ですから。大阪近郊区間も含めての自由周遊区間というのは地元の観光業界にとっては困りものですが、毎日家に帰って出撃できますよね。宿泊費よりも「くろしお」の特急券のほうが安いですからタイパ、コスパもいいです。
さて船橋新京成(習志野)あらためセントラルがいろいろ特殊定期を発売しますが、ウェストがベイシティあらため千鳥営業所以外に拡大して松戸船橋共通に戻ってお値段据え置きなのに、セントラルは習志野西とレインボー神崎線のミヤコシ・八幡神社までしか乗れずにお値段据え置きと大きな差がつきました。また大仏と泣き別れになることで同じ船橋新京成だった区間でウェストとセントラルが並行することから並行区間+αで共通定期を出しますが、紙式とはこれいかに。
バスの場合は停留所単位の把握ができないのならやむを得ませんが、区間制だから把握できるはずです。であれば当該区間のみ共通のIC定期が可能なはずですが、ややこしく面倒にしてそれで安くなってないとか実質高くなるとか、習志野車庫(習志野西営)は今回の再編でも貧乏くじに感じます。
飯田線本長篠が災害対策で棒線化されるという記事が出ていました。
飯田線豊橋口では段落ちとなる駅で、折り返し列車も多く、確か夜間滞泊もあったはずです。工事期間のダイヤ変更があることをJR東海はアナウンスしていますが、けっこう抜本的に変えないと対応できないのでは。本長篠での交換も少なくないですし、片方が本長篠駅折り返しの場合、交換のために次の交換駅である三河大野まで延伸するとも思えません。三河大野は交換可能駅ですが、上下列車が使う線路が決まっており、折り返し列車に対応した信号になっていないでしょうし。
災害対策は仕方がないですし必須ですが、段落ちが発生する折り返し駅の棒線化というのは乱暴ですね。駅の位置を少しずらしてでも折り返し機能を維持できなかったのか。棒線での折り返しもできなくはないですが、夜間滞泊はさすがに無理でしょう。となると滞泊駅を変えるのか。最悪は滞泊廃止で最終繰り上げと始発繰り下げになることでしょう。
豪雨災害からの復旧を決めた肥薩線(川線)ですが、途中駅の一部廃止を行うようです。
まるで北海道ですが、地形的にも八代-人吉間で乗降が見込まれる駅は限定的ですからしかたがないのでしょう。
肥薩線は人吉への都市間輸送でなんとか、と思うでしょうが、都市間輸送が大半だけに現状は壊滅的です。というのも人吉ICをターミナルとした高速バスが充実しており、福岡、熊本、八代(新八代)、宮崎、鹿児島と結ばれています。本数も言うまでもなく、たとえ無停車であっても鉄道の出番はない感じです。極めて少ない途中駅利用か、八代駅近辺への流動くらいしか鉄道の出る幕はありません。人吉からの都市間輸送と言っても、福岡や熊本と比べると八代は相当少ないでしょう。
厄介なのは高速バスが先手を打って人吉起終点の高速バスを廃止し、県レベルの都市間輸送の系統を停車させて対応していること。太い流動に支えられて、かつ別ルートが出来て通らなくなるリスクもないこと。一般道経由の路線バスが壊滅的であること。つまり、「逃げ遅れた」鉄道がミニマムアクセスを担っているのです。都市間流動の奪還も望めない中での絶望的な戦いです。
人吉から八代駅や八代市街地へのアクセスを確保できれば、国道経由のコミバスレベルの整備も必要かどうか。デマンド交通レベルでせいぜい、という感じもしますね。もちろん肥薩線が存在する前提で設定していない面もあるでしょうから、当面はコミバスとして確保は必要になるでしょうが、持続的に必要となるかは疑問です。
モリシアの閉鎖で地下のダイエーと角上が消えます。まあダイエーは実質イオンですからイオンモールに行けばいいんですが、角上は痛いですね。船橋店はありますが、アクセスが面倒です。パルコが消え、ヨーカドーが消え、「津田沼戦争」の立役者がGMSですから食品スーパー部分が充実していたはずなのに、イオンモールだけになりました。旧パルコ(旧西友)地下のベイシアと、奏の杜フォルテのベルクはありますが、規模やロケーションを考えるとまさかの「消滅」です。
書店もくまざわの閉店で丸善と未来堂だけ。首都圏でも有数の商業エリアだったはずの津田沼がこうなるとは思いもしませんでした。
いよいよ新京成も残り3日余りとなりました。
同時に京成グループバス事業の再編もありますが、残りわずかというのに「まだ決まっていない」ことがあります。
そう、各社サイトはどうなるのか。新京成は公式サイトを閉鎖して鉄道に関しては京成に引き継ぐとアナウンスしていますが、バスに関しては追って告知すると言いながらまだできていません。再編されるバス各社に至っては会社名変更などの案内こそありますが、公式サイトの行く末については何も発表がありません。まあまさか閉鎖はないでしょうが、3社それぞれで統合もないんでしょうね。新京成だと「習志野西営業所公式」という感じになるのか。
各種情報ソースとなるのにこれはひどいですね。もちろん旧会社のサイトにアクセスしたら新サイトに飛ぶと信じたいですが、その新サイトができるのかも不明です。
ただ先例としては、2024年7月に関鉄パープル、関鉄グリーンが関鉄本体に吸収されましたが、未だに当時のサイトがあり、時刻表は吸収後もメンテされています。このやり方で2026年の京成バス合流までしのぐのかもしれませんが、新京成が厳しいですね。公式は閉鎖と告知しており、バスのところだけ抽出するにしてもウェストとセントラルに分かれますから。
今回の再編で「股裂き」は船橋新京成だけですが、それが悪さをしてるかもしれませんね。というか、船橋新京成を分割するのであれば、習志野営業所をいったん「習志野新京成」の復活のような感じで分割すればよかったのに。もちろん法人格までとなると手間もコストもかかりますから、案内上だけですが。そうすれば旧社のサイトなど案内をすべて引き継ぎます、と出来たんですけどね。
京成公式の路線図はリンク上ではphpファイルを指定していて、開かれると自動でpdfファイルに転送されます。
ttps://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/railmap/railmap_231125.pdf
このファイル名で推測できると思いますが、これを「例の日付」にするとすでに新しい路線図が用意されていました。
ttps://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/railmap/railmap_250401.pdf
といっても、木曜までこれでは開けず、開けたのは金曜になってからでしたので、アップロードしたのがそれくらいなんでしょう。
バス(とコンビニ)についての新サイトはどうなんでしょうね。
今月頭のタクシー再編では各社のサイトがHDと同ドメイン下にてできつつも、イーストはエリア別のサイトが旧社のドメインのままというオチでしたが、こちらは先月末の夕方にはフライングしてました。
股裂といえば、PASMO等の履歴表示がウエストがトランジット、イーストがグリーンのものを継承すると発表がありますが、セントラルは地味に船橋新京成のを継承するようです。
現習志野領の成田街道界隈はともかく、現鎌ヶ谷領だと木下街道界隈はまさかの逆転現象が起きるというのは皮肉というかなんというか。
いよいよ残り3日となった週末にあれこれ見ています。駅は既にシールやダミーをはがせば京成になるという状態で、逆に駅舎など透けないようにしているから夜は闇に沈んでいます。バス停は「京成バス千葉セントラル」とか新しいマークと色味で記載が入っており、電車や駅にもバス再編のポスターが出ています。この色合い、デザインになるんでしょうが、バスのコラは全部同じデザインを色違いにしただけのようで、。4社ともナンバーが一緒です。そう、全部千葉ナンバーなんですよね。東京は足立、ウェストは松戸、船橋、市川、習志野で、セントラルも船橋、習志野、イーストは千葉が入りますが成田もあります。
電車や駅の広告は新京成関連を外しているようで、空き枠が目立ちます。ただドッグランは残っていますね。4月からは「京成ドッグラン」になりますが、サイトのアドレスが変わるのは手間ですね。新京成フロンティアの一ページの扱いだからこうなってしまっています。
電車も松戸はJR側は「京成」表示になっていますね。新京成だけ消して所属不明の部分もありますが。
ちょうどフリークスとのコラボである「ありがとう新京成」トレインに乗りましたが、外見はただのN800系ながら、中吊り、窓上、ドア横の広告が全て特別企画になっています。公式よりもよほど「最後」を演出していますね。
新京成など「京成松戸線」表記を丁寧に隠していますが、東葉は30日の段階で「京成松戸線」がお目見えしていました。
車内の系統案内の北習志野の乗り換え案内が「京成松戸線」でしたし、北習志野駅の連絡改札に至っては全面的に「京成松戸線」です。
新京成がもうすぐ78年の歴史に幕を下ろし消滅します。
年度末の日、敢えてスケジュールが窮屈になるのを承知で早朝の新京成を使い神戸に戻ったんですが、京成津田沼はなんかホームの案内を撮影したモニターのような表示ができてましたね。この手の表示、新潟地区や神戸のJR元町駅にありますが、なるほどと思う反面、いかにもコストを削減しました、という感じです。だいたいホームの表示と同じ内容を出力できればいい話なのですが、単純に映すだけとどれだけのコスト差があるのか。新京成各駅のホーム先端には「普通80」というような種別ごとの制限速度票が取り付けられていますが、運転面では「京成流」になるんですね。なお「普通」だけなので千葉線のような臨時対応の「特急」がないことから、臨時列車の乗り入れとかは無さそうです。
ところで今日も午前1時頃まで電車が走りますが、0時を回った段階の扱いってどうなるんでしょうね。
国鉄がJRになったときは0時からJRだけど電車特定区間(国電区間)は最終まで普段通り走り、券売機も国鉄モードで昭和62年4月1日付けのきっぷを発行していました。(始発前に切り替えて「東」マーク入りのJRモードになりました)
この時でも例えば1時頃に山手線がトラブったときの責任主体は誰なのか。という論点がありましたが、まあ第二会社への移行なのでもめないでしょう。
しかし今回は0時で移行、という仕立てでは少なくとも対顧客面ではありません。一方で法的関係としては4月1日から変更されるわけで、0時ちょうどの時点で「新京成電鉄」が存在しない状態になります。京成電鉄が1時間ほど「新京成線」を運行する格好になります。細かい話ですが、この移り変わりの「契約」はどうなっているんでしょうね。吸収契約の中に必ず入っているはずですが。
東葉の「フライング」を指摘しましたが、新京成の「排除」が予想以上に徹底しています。
「五香たかね」も高根木戸に続き五香もホームからは一切消えましたよね。そして北習志野の電車タイプの自販機も「側」が剥がされたり、白一色になったりと、別にそのままでもいいのに、というくらいの抹消です。バスは船橋新京成が「股裂き」ですし。
ちなみに京成らいんの特別号が出ているはずですが、設置駅に見当たらずさっそく品切れのようですが、時を同じくしてCiaoが最終号を出しています。こちらは奇数月20日発行という定期便としての最終号であり、各駅に置かれています。
まあ合併記念でCiaoと京成らいんのコラボ発行とでもすればいいのに、京成らいんで発行し、Ciaoは別と、何とも隙間風を感じますね。
あとはリアル現業社員の制服ですね。ピンク系のワイシャツとかどうなるのか。さすがにこれは面と向かって撮影できないので記録に残せませんでしたが・・・(某私鉄では快諾を得たのでバッジ類を撮影させて頂いたことがありますが)
バスは小湊系を除くグループ全部の再編で新塗装になりますが、電車は京成カラーになるわけで、沿線民からはそこまでする?という声も出ています。そのくせ運賃体系は別とかってねぇ、という批判もあるようですが、これについては京成の運賃体系になると値上げだよ、区間によっては通し運賃にした方が高くなる、と言っていますが。
昨日佐倉のマラソンを走ったのですが、京成佐倉駅からスタート会場までシャトルバス対応に
深夜急行の仕分け人いらっしゃいました。去年も京成佐倉駅の乗客対応してました。
内陸、フラワー、レインボーの各バスも応援に来ており、テリトリーであるグリーンが仕切ってました。
彼が夜の新橋で活躍する日は、もう来ないのかもしれませんね。
日本橋ほぼ24時乗れば佐倉まで帰れましたがなくなりましたし、佐倉から都内通勤は選ばれなくなりつつありますね。
新京成のサイトが閉鎖となりましたが、旧新京成バスについては新京成のサブドメインとして当面存続しそうです。
やはりと言うべきか統合の規模故に各社のシステムの差が大きく、第二次再編でも統一まで漕ぎ着けるかどうかというところかもしれません。
コンビニも一社でのダブルフランチャイズがマズいという判断なのかとりあえず社名のみ変更の上で存続する様ですが、こちらは新規ドメインを取得したようです。
こちらも元の京成側との兼ね合いやイオン提携の絡みがあるので先々のことは不透明ですが。
アプリの方は日付が変わった時点で新京成のは機能停止しましたが、京成側が松戸線対応したのは先ほどのことで、これも現時点では各駅情報とかは間に合っていないようです。
新橋の深夜急行バス乗り場ですが、新浦安・海浜幕張・稲毛海岸行きしかない状態でバス停が寂しげに立っています。
京急は全面撤退で京成も1路線と(東京からの旧千葉中央バスはある)極小化しており、好敵手だったビィートラ系も大網、五井を除き廃止、残る系統も運休中と実質全滅ですから、あれほどの隆盛から10年も経たないうちに泡沫のように消えてしまっています。
新橋も新幹線高架下のスペースが広くて道路に対して直角に行列が作れていましたが、そこに飲食店が出来て満足な待機列はもう作れません。その意味ではその時点で深夜急行はもう復活しないという判定をJREがしたんでしょうね。
さすがに4月1日になったら「404 Not Found」ではなく新しい(引き継ぎ先の)サイトへの誘導画面としましたが、バスは「京成バス千葉○○ ▲▲営業所」と改名した旧サイトをそのまま使うとは。逆に「京成バス千葉○○」のサイトはないわけで、旧社へのリンク集の立ち位置でいいから作ればいいのに、やっつけ仕事というか「間に合いませんでした」感が強いです。
京成電鉄のサイトは確かに新しい路線図が予想通りのURLで登場しましたが、上場企業であればこういう簡単に類推できるURLを使ったり、そこに先日付の情報を掲載することは取引所からしないように言われているはずです。10年くらい前に、とある企業で適時開示対象の企業情報を類推が利く形のURLでアップロードしてたのを探り当てられてインサイダー騒ぎになりましたから。
あとは京成のサイトにCiao最終号が掲載されています。新京成公式がなくなってウェブ版での閲覧ができなくなったことへの対応でしょう。
松戸線出発式が新津田沼でありましたが、起用された車両がN800系の当初塗装バージョンというのが憶測を呼びそうです。
最新の80000系でもなくN800系が起用され、しかもジェントルピンクではなく当初塗装と、ここでも「新京成色」を消す方向が見て取れます。
ちなみに先週末のくぬぎ山では、側面がステンレスむき出しのN818Fが分割されて停車していましたが、これってひょっとして京成カラー一番乗りとなるのか。前面はジェントルピンクでしたが。
あと、制服系は京成バージョンに刷新されたそうです。
来月札幌出張があるのですが、試しに成田から新千歳行こうと思い
初便ピーチを予約しようとしたところ、本線下り津田沼始発だと間に合わないですね(苦笑)
さすがに空港駅6時05分着で6時40分ピーチは、厳しいなと思いやめました。
本線だと宗吾参道以東じゃないと乗るの無理ですね。下り始発を5分繰り上げて、空港行きにしてくれれば間に合いそうですが
昼までに札幌着けばいいのでLCCもありかなと、早朝便乗れるようにしてほしいです。
なかなかたどり着けないから安いという話でもあるんですが、成田の利便性は維持しないといけないわけで、早朝のアクセス充実は必須でしょう。本線にしてもまさにその時間帯の津田沼リムジンの盛況を見れば、十分なアクセスがあれば客がつくわけです。松戸線よりも千葉線連絡を重んじているのでしょうが、津田沼発をちょっとでも繰り上げ、宗吾乗り換えも廃さないといけません。あるいは需要がそこまで多くは無いというのであれば、早朝のみバスを出すとか。
「陸上自衛隊×新京成電鉄」と謳った松戸駐屯地の桜並木ライトアップは、満開とはいきませんでしたがかなり咲いた状態での開放となり、「新京成」としての最後を飾れました。ライトアップは当然夜間ですが、開放は日中もしているかと思いきや夜間だけなんですね。ライトアップする時間帯の内一部というところでした。
くぬぎ山の改札前から角々に隊員が案内に立っていましたが、門のところで手荷物検査を受けるとあとは踏切の警備要員と、非開放エリアに入らないように立っているだけ。暗くて足元も不安定なんですが、入門したらけっこうハードでした。
迷彩色のユニフォームを着た隊員を見て、不謹慎にも元自衛隊員の某芸人を思い出しましたが、これは本物です。
土曜日は雨上がりで寒く、手荷物検査のところにはストーブも置かれていましたね、そして門の手前の線路際、また踏切は撮り鉄がすずなり状態でした。平成に入るころまでは新京成唯一の警報機あり、遮断機無しの第三種踏切でしたが、今は遮断機があります。(線路側からの侵入防止でゲートがあり、休日は閉まっています)
ライトアップ区間のさらに2/3程度とささやかなスペースですが、飲食可となっており、何組か暗いなかお弁当を開いている人を見ましたが、コンロなどの使用は不可と、この気候だと宴会気分にはならないな、という感じでした。以前は電車から「酒保」が見えましたが、今もあるとしても桜とは反対側だし営業させても仕方がないんでしょうね。グッズ発売とかもすれば面白いんですが。
都内へ出る用事があり前後の関係で新鎌ヶ谷からアク特に乗りましたが、到着時点で立客多数、都交5500系だったので荷物置き場もない車内はカオスでした。しかも乗った車両は9割がたインバウンドという状態です。しかし皆さん手慣れた感じで乗っており、旅慣れた人、乗り換えアプリなどを使いこなせる人なんでしょうね。
インバウンド勢の降車で驚いたのは東松戸。新鎌ヶ谷よりも多く、埼玉方面やTDRといった目的地でしょうか。アク特の停車駅発表時には少なからぬ疑問を持ちましたが、大きく育っています。
青砥、押上、浅草で大方降りてしまうのはいつも通りです。そして遅れ気味だったのかもしれませんが青砥で5分停車してスカイライナー、本線快特と接続(あるいは通過)するのですが、発車時刻に来たのは通過のライナーで、本線快特からの接続は取りませんでした。都交や京急に遅れを持ち込みたくないのでしょうが、片接続でいいのなら青砥5分停車というような無駄なダイヤはすべきではないですし、それが必要というのであれば接続を取って欲しいですね。
飯田線自体が巨大な赤字ローカル線でありJR-Cが新幹線で莫大な利益を出せる会社ゆえ存廃等の問題が生じていないというのが真実であり
天竜峡-本長篠間は人跡稀なところを通る状況で、東栄町や浜松天竜区の人口密度(その天竜区で二俣地区を除いたら)からすれば鉄道が
あるだけでも奇跡という状況です。肥薩線の矢岳越え区間が代替交通の措置無しで長期不通で問題になっておらず、函館山線も黒松内⁻長万部間は
もはやこの地域に公共交通は必要ないとして代替バス設定なしでの廃線になる可能性大という中、会社自体に余裕がなければ同様の措置が採られかねないでしょう。
そもそも新城市の人口さえ今世紀に入り加速度的に減少しており5万2~4千で安定しているイメージだったのが4万割れが見えているところまで
減っており、本長篠駅のある旧鳳来町に限れば2000年に1万5千だったものが7千人台へ半減ですから、毎時1~2回程度の便数が今まで維持されていた
こと自体が凄いことだったといえます。厳しい見立てをすれば飯田線で鉄道としての存在意義があるのは新城以南と、松本や諏訪への都市圏輸送が
機能できる駒ヶ根以北(それより南はきめ細かく設定された駅が仇になった時間がかかりすぎ)飯田付近の区間はリニアの二次交通としての
活用される可能性はありますし、南信の中心都市である飯田(の人口が10万を割ったのも衝撃ですが)までの鉄道網は長野県としても維持したいでしょうが
あまり先行きは明るくなさそうです。リニアとの連携にしても山梨県駅では身延線との接続を一蹴していますし、接続駅ができるのか
できたとしても新花巻や佐久平のような二次交通としての価値があまりない形態が関の山と思われます。
ただ中間部廃止となるとJR-Cのネットワークとしては長野県側が孤立してしまいJR-Eが引き受けるとも思えないので
結果として現状維持なのでしょうが、そうなると何かと批判されがちな国鉄分割の思わぬプラス面ともいえそうですが。
飯田線は極端に乗客がいないわけでもなく、地味に乗っているんですよね。空いているように見えても何気に2〜3両編成ですから、バスに直すとかなり混みあう計算ですし。広域輸送は既に高速バスへシフトし終わっていますし、南部では道路事情もまだまだよくなく飯田線が最速と、亜幹線クラスのニーズがあります。BRT化も考えられますが、連接バスで高頻度運行とか、大船渡線BRTより一段多い輸送量を捌く必要があります。
そのなかで「段落ち」が発生している区間の根元側はさらに乗っているわけで、本長篠駅それ自体が乗降者数が多く、新城以遠としてみたら本長篠まで、というのは合理的です。まがいなりにも特急停車駅でもあり、運転の都合で乗降者数が少ない駅まで走っているというありがちなケースではないだけに。仕方がないけど中部天竜まで走らせて、という結果になればまだ利用者にとっては悪くはないんですけどね、延伸される距離が長すぎます。
バスが再編と言いながら新社のサイトがなく旧社のサイトを案内されるのに対し、ドッグランは京成側のサイトに移行しています。まあ旧URLをクリックすると新URLに飛ぶからまだマシとはいえ、アドレス登録を変更してくださいという案内は困りものですね。予約や予防接種済み確認とかでNot Foundになったら目も当てられません。新京成の交通事業以外で唯一のB to Cだっただけに、イマイチな対応です。
まあ京成側としてはなんで犬なんだよ、と思っているのでしょうが、結構人気の施設ですから、会社側都合での経営者変更は会社側がフォローすべき事象であり、そこがストレスなく移行できているかが気になりますね。知人に犬を飼っていてここの会員という人がいますが、どうなったかが気になります。
ドッグランは2023年に新京成の広告代理店子会社が京成の同業に合併されて以来京成のものですが、ドッグランの名前から新が取れたのは今年のことですね。
新京成のその会社はかの模型館もやってたはずですが、もしこれが合併まで生き残っていても合併を乗り越えられたかどうかはわかりませんね。
そういえば旧船橋新京成習志野と旧レインボー船尾の名前の違いは同一事業者になるからとどちらか片方に寄せ、ついでに自衛隊(前)が習志野駐屯地に改称されていますが、違うままの鎌ヶ谷と白井は配給所前がウエストにしかないとか、鎌ヶ谷大仏に駅がつくつかないの差が放置されていますね。
またまたエリア外ですが私が折に触れて訪問している地域なので・・・
三陸鉄道の2024年度決算は過去最悪の経常赤字になる見通しです。
震災以降の利用が戻らないことに加え、燃料費などコスト増が重くのしかかる状況ですが、現地の交通体系が大きく変わったことで構造的な「三鉄離れ」になっています。
復興道路としての三陸道(三陸北道路)の全通は自動車交通の夜明けとなりましたが、電車ごっこ派には評判が悪いとはいえ、じゃあ三陸道がない状態が良かったですかと言えば、地元は100%否と答えるでしょう。
悩ましいのは道路交通で流動が対応しているとも言えないわけで、流動自体が回復していないのです。三陸道の整備で高速バスも設定されましたが、最小限の本数を維持するのがやっとです。
三陸鉄道にとっての問題は、津波被害を受けて沿線が高台移転に踏み切ったこと。リアス式海岸の付け根を縫うようにトンネルで結んでいた路線はR45に対する競争力は高かったですが、同様のコンセプトで整備された三陸道には勝てません。
そしてリアス式海岸の奥に存在する集落が需要地だったので三鉄も使われていましたが、高台移転で駅は集落から離れました。問題は高台移転した集落にアクセスするバスも維持できないくらい利用者が減っていることですが、ミニマムを守るということになれば三陸鉄道ではなくバスになるでしょう。それくらい中途半端になりました。
ドッグランは京成になってたんですね。であれば早い段階でURLを変えるとかできなかったのかな。
さすがに毎日行くような施設ではないですから、そろそろ行くか、とスマホでアクセスしてあれっ、となりかねません。
まあ新アドレスに飛ぶからいいようなものの、前にも書いた通り会員登録と予防接種記録とその確認済記録がサイトにありますから、これが表示できないと入場できません。
代理店会社も合併当初は合併新会社としてのURLから元来からの京成の会社のサイトと旧新京成子会社のサイトを事業所のサイトとして再利用していました。
ドッグランはご存知の通り新京成側でしたから旧新京成の方に内包されていましたが、これも新京成合併を控えた頃には現行アドレスを入れると「test」しか表示されないページが開けました。
バスが事業体としては大合併しても旧新京成組を除いて概ね営業所単位のサイトとして残っているのを含めある意味「お家芸」なのかもしれません。
ちなみにこの再編の中で旧新京成のコンビニ部門は京成化で初めて自前のサイトができていたりしますが、京成化で駅構内の催事出店的なものへの窓口機能は失なわれたようで、コンビニ業態の記述のみになっています。
たまにラッシュピーク後のアクセス特急、品川10時頃着に乗りますが
インバウンドに北総通勤客に青砥で本線快速から接続待ちをするため、青砥発車時にドア閉め再開閉するくらいの
混雑で日本橋までラッシュ時と変わらない混雑です。
アクセス特急の前に出る本線特急もスーツケースが目立ちます。
あと22時以降船橋から乗ると成田のホテルに泊まると思われるインバウンド客もいますね。
本線もインバウンド客のおかげで今の本数がキープされるといいのかもしれません。
管理人様がブログに書かれていた通勤定期廃止論の批判はもっともですが、
現実問題として事実上の通勤定期廃止というシナリオは現実味を帯びています。
JRの通勤定期は国鉄時代からの伝統で割引率が高く特に多くの利用者が選択する6か月は割安でしたが
今春のJR北海道、九州両社、来春のJR東日本の改定案はいずれも通勤6か月が平均3割、区間によっては4割近い大幅値上げです。
値上げ後でもまだ50%強の割引率ですが今後さらに割引率を引き下げる動きが出れば、休暇や出張により定期券を使用しない日を考慮すれば
定価を都度払った方が安いということになります。
もちろん経路上での途中下車自由や休日に私用で乗る場合も通用というのは定期券の大きな利点ですが、
それらの利用が考えられないような区間であれば関係なく、地方都市や大都市圏でも郊外の方ほどその傾向は強まります。
現状でも定期券の割引率が低いバスについては通勤日数×往復普通運賃により実費支給とする企業は多くあり
通勤定期そのものの廃止はあまりに乱暴で世論の反発も強いでしょうが割引率を見直していくことで事実上廃止というシナリオは考えられます。
企業が支給する通勤手当はおいそれと廃止できないと思いますが、外資系企業の特に管理職になると通勤手当、家族手当といった属人的な手当を排し
このポストの報酬はいくらという賃金制度を採るケースはあり、仮にそれが広がれば事業者は最近傾向を強めている
選ばれる沿線のために通学定期運賃を低く抑えるという手法を通勤定期にも適用する、あるいは定期ではなく
ハウスカード連携のIC乗車券利用を優遇することでの囲い込みという傾向を強める戦略を採るでしょう。
Covid19で在宅勤務(という名の自宅待機)が続いた時期には企業も「実費精算」にしていましたね。
東葉高速は回数券があるので回数券との逆転現象が月20日までの往復で発生してしまうため、出張や有休を考えると6ヶ月定期でも「割高」になるわけで、現時点では差額が僅差なので定期券代の支給ですが、格差がつくと実費精算もありえるでしょう。営業職なんかは通勤と外回りの区分がつきにくいので全部合わせての実費精算もあり得ます。
海外だと福利厚生メニューとして定額支給というケースが目立つわけですが、それが成立するのはクルマ通勤であったり、通勤鉄道の運賃が非常に安かったりするからです。区間制(距離制)で高額になる近郊鉄道で通勤する人は限定的で、それが可能なくらいの高給取りがその太宗です。(実費支給となる日本人駐在員もお得意様)
だから職住接近で、しかし家賃がバカ高いからシェアハウス(ルーム)というのが一般的です。
日本でこういう変更を行えば、確保できる人材は能力なのか資金力なのか、という本末転倒状態になります。あるいは近郊部、さらには地方部への移転を促進する効果があるかもしれません。どうころんでも今の通勤鉄道にとっては減収の予感でしかないですが。
成田空港も斯くやというくらいに都心部から遠くて嫌われる広島空港ですが、大きな変革が起きていました。
これまでターミナルのリムジン到着側から送迎バスだったレンタカー営業所(八天堂カフェのそば)が第二駐車場に移動し、そこにカープールと6社共同のカウンター施設(のりんちゃい)を設けています。実は旧営業所との半分くらいの距離感ですが、ターミナルビルからまっすぐ連絡通路を整備したことでターミナルの一角、という印象を出しました。駐車場のほうは第一駐車場を一部立体化してキャパを維持したようですが、あとは無人状態で貸渡や返却が可能なカーシェア対応になっているかですね。Covid19以降、リムジンが満足にあるのは広島市内向けのみで、航空便とリムジンが対応しているケースが少なくなり、レンタカーの営業時間外の夜便は需要が高いのですが足がなく、泣く泣くタクシーを使っているという悲鳴も聞こえており、少なからず新幹線にシフトしているようですから、最終便で到着して借りられる、返却して朝一に乗れる、というメリットが打ち出せれば空港の利便性も大きく改善されます。
余談ですが、広島空港近辺にGSは1軒しかなく、「この場所で驚きの価格」と謳うGSはレギュラーがリッター200円超えの「驚きの価格」だっただけに、レンタカー会社も広島空港返しなら計算で支払ったほうが安いですよと勧める始末でした。
この阿漕なGSが廃業してGSは無くなりましたが、レンタカー各社もふもとの旧本郷町内などでの給油で満タン返し扱いとしてくるようになったので、丸く収まっている格好です。旧本郷町内のGSは三原旧市街や福山市内に比べると安いですから。
それこそ空港近辺の件のGSとの価格差はリッター20円を下りませんでしたから。
万博にあれこれケチをつけていますが(爆)、ブルーインパルスだけはと見に行ったら手痛いしっぺ返しを食いました。
まあ大阪城公園界隈は混みあっていましたが法円坂の難波宮跡の公園は空いていました。谷四から歩いてすぐと決して不便ではないのに。このあたりは関西圏の大阪には不案内な人がメインだったんでしょうね。大阪城近辺なら法円坂はすぐ思いつくはずですから。南西方面に位置しますから絶対に進路直下ですし。
帰りは梅田(東梅田)まで大トロを使いましたが、相変わらずインバウンドが多いですね。大きなスーツケースにベビーカーという定番?スタイルも多く、若い家族が思い切って海外旅行という感じが初々しいです。なんだかんだと言って関西圏の観光客は欧米系が結構多く、ネットにありがちな中国ガー、というのは言うほど多くないですね。まあよく見ればけっこういますが、同じアジア系で溶け込んでいるのと、慣れた観光客という感じで行動がスマートな人が多いです。身軽ですし。
そうそう、桜のシーズンに神戸市内の桜の名所に行きましたが、こちらはさすがに国際都市だけあって観光客というより住民(駐在員)といった感じの外国人が目立ちましたね。インドやマレーの民族衣装を持ち出して撮影会をしているグループとか、日本人よろしくレジャーシートを敷いて宴会とか。こちらは欧米系のほか東南アジア、南アジアが目立ちましたね。
その万博で、中学校の修学旅行に組み込んでいた船橋市内の中学校5校がメタンガスのリスクを問題視してUSJに切り替えたというニュースが出ていました。大阪府市の公立学校が強制的に?万博見学に駆り出されるのが問題視されていますが、船橋から万博とは。下見もできない中で、メタンガスはともかく会場内の移動、休憩、アクセスと未知数が多すぎてよくいったんは決めたもんです。なお学校行事とした場合キャッシュレスが懸念されますが、交通系や流通系も使えるので、逆に「お小遣い上限」がはっきりわかります。(その意味では高齢者も流通系が使えるから案外と親和性は高い)
そして船橋というと、公団の徳洲会で毎度の高齢者踏み間違い事故により多数の負傷者を出す事故が全国に報じられました。
この手の事故ではなぜか突っ込んだクルマが結構奥深くまで走りこむんですよね。ガラス張りが災いして壁面で止めきれないのですが、ここで食い止める仕掛けがあってもよさそうです。あと踏み間違いも怖いですが、病院って結構構造的に玄関先に車寄せがあり、スペースの問題で直前まで右カーブを切りますよね。切り方が甘いと建屋に接近して最悪は突っ込みかねませんし、踏み間違い以外の要因で事故りそうなシチュエーションです。
御存知かと思われるかつ習志野原から大幅に外れる話題で恐縮ですが
ttps://blog.goo.ne.jp/info/close.html
管理人様が3年前にteacupから移行したgooブログが今年の11月でサービス終了が決まってしまったようです
このままデジタルデータが消え続ければ、今後1990年代後半以降の文化や風俗の研究に多大な支障が残るであろうことが予想され、何より今後容易に偽史の流布や歴史修正が可能になりかねないという危惧もありますね
たった3年でとは、いよいよ「オールドネット」の退場時期ですかね。
発信者がはっきりしている発信のツールがどんどん追いやられているのをみると、デマ発生源として社会を蝕むSNSのような信用のないツールでしか情報発信ができない、という流れは、陰謀論ではないですが「不都合な真実」を排除する緩慢な検閲が完成しつつあるんでしょう。都合のいい範囲だけで遊ばせてもらえる。それはメディアにおいても同様で、一定の意向に従った方向性を持つ記事が溢れるという姿が一般的になるのでしょう。「オールドメディア」とかいいながら、その実は受け身のまさにオールドメディアになり果てつつあるわけで、なんという茶番か。
AIとか発信者もコンテンツも、画像や動画ですら信じられなくなる時代において、検証とその拡散を防ぐということもあるんでしょうね。当局公認のSNSで楽しむ分にはなんの不便もないデジタル化された隣国を笑えません。皮肉なことに今年の大河ドラマはある意味「言論、表現の自由」がテーマになっているというのに。
さて交通の話題です(笑)
久々に大トロに乗りましたが、万博対応の企画乗車券でさすが大阪、と唸る商品が出てきましたね。
磁気券の1日乗車券がバスも使える代わりに夢洲に行けないとセコく出ているのに対し、デジタル乗車券では1日券、2日券が磁気券の1日券より高くて地下鉄だけだけど夢洲に行けるという微妙な価格設定です。
さすが大阪と唸ったのは、1日券、2日券とも東京メトロ同様の時間縛りになっていますが、1日券が24時間ではなく26時間になっていること。大阪に到着して購入したというシチュエーションでみると、当日とあと半日、夜からの利用でも当日と翌日、という感じで「おまけ」の部分が地味に効いてくる感じです。
>>656 にありますgooブログの件でニュースサイトを覗くとFC2もwebの方は終了と出ていましたが、機能面で重複するFC2ホームページに一本化の名目とあり、安泰かまでは不明ですが一応こちらは全廃ではないようです。
また今のところFC2はサービスの整理をしつつもブログは廃止の話は今のところないようですし、後継に使うのもありかもしれません。
そういえば、京成のアプリが併合当日の深夜の間に松戸線に対応しましたが、位置情報を見ると京成の他線とはソース(指令)が異なるのか京成津田沼で他線が「映り込む」現象がありませんでした。
くぬぎ山の本社ビルから社名が消えても指令の機能が残留している、と思われます。
FC2は生き残りますが、とかくエロ方面での問題プラットフォームという印象が強く、契約関係に入っていいのかな、という思いはあります。まあこのしたらばもたいがいですが、書き込み型コンテンツのラストリゾートはグレーな面がある空間だけになってしまうのでしょうね。そうなると「その筋」の一撃で全滅もあり得ますが。
有料でも残す気がない、というあたりにコストガー、ではない事情も見えているような気がしますが、少なくとも誰かが「望ましい」と思う環境下でのみ許されるという事態と手遅れが来たようです。
統合間近な段階までの様子を見るに、看板だけ架け替えという方針がありありとしていましたね。
バスの様子を見ても、2026年度から、という方針なんでしょう。じゃあそこまで待てば、という話ですが、法務や税務で何か待てない事情があったのでしょう。あるいは2025年度にもう一段のサプライズか。
NHKのニュースでごみ処理におけるリチウムイオン電池の発火問題をやっていましたが、これ、機内では充電だけでなく電源としての利用も含めて禁止とする航空会社が続出しています。要は使用しないで静穏にすべし、ということですが、スマホやPCの電源はそれなりにメジャーな製造者の手を経ているからOKなんでしょうが、場合によってはそれも不可になるかもしれませんね。まあその昔はドアクローズから降機まで携帯は電源を切るルールでしたから、十分あり得ます。
で、今回の万博はスマホに頼り切ったことで、電池切れリスクの問題が高まり、充電スポットにも限りがありますから、バッテリー持参を推奨しているんですよね。それこそ使用状態を前提としますから。協会が主張するような入場者数となったときに発火や発煙事故でも起きた日には、とんでもないパニックになりかねません。Wifiの問題もそうですが、トラブルシューティングというか、リスクの洗い出しとその対策というイロハのイすらやっていないようです。
だから編隊飛行でいいから飛んでおけばよかったのです。それこそ千里や枚方まで行かずとも夢洲の前を何回か往復するだけでもよかったのです。
大阪府知事がブルーインパルスのリベンジを要請したそうですが、どこまで国にたかる気か。そりゃ「善男善女」は見たいでしょうが、350億円の巨費を投じた大屋根リングが素晴らしいのと一緒で、金さえあれば何でもできるのです。そして我が国にそういう余裕はあるのか。能登半島地震と水害の避難所がようやくすべて閉鎖されたというニュースがありましたが、生活再建どころかこれからという人がいるわけで、ただでさえ資機材と人出を吸い上げて、なお資金もですか。
防衛省も「前向き」とか露骨な回答は論外です。少数与党を支える第二自民党に媚を売りたいんでしょうが、税金を垂れ流して歓心を買う姿勢では参院選で悲惨な目に遭うでしょう。
逆に万博の赤字は大阪府市で負担する、という条件を課したら一気に支持が上がるでしょうし、それくらいの「ディール」をすべきです。明確でルール通りの意思決定も怪しいままに維新が言い出した万博の赤字を負担することになっているわけで、政権与党とはいえ国に対する背任です。
長期運休が続くいすみ鉄道ですが、運転できなくても時計の針は進むわけで、キハ52が目前に迫った全検を通さずに引退することが発表されました。結局10年持たずに引退したキハ28に続き、14年での引退と、取得費用は確かに安かったでしょうが、新車を入れていればまだまだ使えていたわけで、前社長の道楽はどれだけの流出を招いたのか。そしてようやく道楽の後始末が終わりますが、運転再開のめどが立っていない最悪の状態を脱出できないほどの苦境です。
たすきがけプロジェクトが事実上始動できない状態ですが、気になるのは小湊もまた体質改善に背を向けていること。
ハイブリッド化など今後の方向性が大きく変わるなかで正解が見通せないとして、ショートリリーフとしてキハ40を導入しましたが、これも場当たりというか、気動車の方向性であればJR東日本を見るしかないわけで、ハイブリッドが手に余るのであれば、久留里線にも導入されたE130系をベースにした新車でしょうに。あるいはキハ100系の置き換え近し、というのは誰の目にも明らかでしたから、キハ40の譲渡よりもキハ100の譲渡を狙うべきでした。
新車がなかなか入らない、という意味では近鉄がひどいですね。21世紀の通勤車両として「シリーズ21」を導入しながら置き換えどころか少数派で、21世紀も四半世紀が経とうとするところでようやく新車8A系です。赤は古い、という印象を一新したいのか、敢えてシリーズ21塗装ではなく赤系にしましたね。大トロの二番煎じのようなデザインですが、待ったなしの通勤車置き換えを早期に完了させるのであれば、デザインよりも生産性、コストダウンが最優先です。大手私鉄や地方中小でも、デザインには目を瞑った格好の新車が目立つ中、一番余裕がなさそうなのにカネの掛けどころが問われます。
同様に古参が跋扈する南海は8300系(泉北9300系)の増備が継続しているだけ近鉄よりマシですが、車齢60年超えという驚異の存在があるわけで・・・
南海は「サザン」の10000系がひと世代前の車両をベースにしていたことで、いまなお車齢55年程度の通勤車を自由席車両として併結するしかない状態ですが、今から20年くらい前の段階でその自由席車は京成赤電よりも古臭く、スルKAN3daysでの家族のお出かけでしたが、家人の感想は「特急なのにナニコレ」でした。
そう考えると京成は3500系こそ車齢50年超で、それに次ぐ3600系もいますが、大半が3700系以降で(3400系も足回りは古いがアコモは3700系準拠)、いつの間にか大手私鉄のなかでも若い車両を揃えている会社になっています。グループ標準車という概念とか、かなり先端を行く感じになっているのは意外です。
有楽町線延伸(豊洲-住吉)が半蔵門線経由で東武線に直通することになりました。
有楽町線の線形としてはいったん豊洲まで南下したあと北上と大回りですが、半蔵門線と合わせて城東(墨東)の南北方向の交通軸となります。東西線とも東陽町で交差するため、門前仲町での大江戸線にくわえ、有楽町線支線経由で豊洲に出て、ゆりかもめや新木場方面と湾岸エリアへのアクセスが改善されます。このあたりは京葉線利用とのトレードオフになる面もあるので、流動が大きく変わる可能性もあります。
豊洲での有楽町線本線への乗り入れがあるかですが、よしんばなくても豊洲駅構内で東武本線と東上線が並ぶことになり、大正期の東上鉄道併合後、西板線計画で接続を図ったものの大師線しか完成せず昭和初期に失効して以来、約100年の時を経て「接続」が実現します。
なお現在本線と東上線のやりとりは秩父鉄道経由になりますが、豊洲で接続となると、車両の方向が逆になります。
おそらく検査等のやりとりは地下鉄経由になるのでしょうが、そうなると数からして東上線の編成を全部ひっくり返す必要が出てきますね。とはいえ大量の車両を寄居、羽生経由で方向転換というのも厳しく、検査入場時は編成が逆になるのを甘受して豊洲を通す直通はしないようにするでしょうか。
東武乗り入れで有楽町線視線の亀有、野田方面への延伸はかなり可能性が低くなった感じです。東武乗り入れを前提にした10連の運行が前提ですから、輸送力過剰でしょう。一つあるとすれば、有楽町線ではなく「メトロセブン」を前提にするやり方でしょうか。TXまでの放射路線を縫う格好で環七東側をフォローする。既存路線は環七との交点に駅がないため、交差ポイント付近は環七から離れないといけないのが建設コスト増にもなるので実現可能性を下げていますが。
しかし大阪が明らかに需給バランスとしては過剰な今里筋線を整備したことで、おおさか東線と合わせた南北軸を成立させていますから、都市計画として整備したい区間です。(大阪市の東側は環状線の外側に今里筋線(いまざとライナー)、千日前線、おおさか東線、大阪モノレール延伸部と放射路線を結ぶ方向(環状方向)の鉄道整備が活発です)
万博関連で関西ではいろいろ波及効果を狙った企画や商品が出ています。
地味に目玉なのが京都国立博物館の「日本、美のるつぼ」で、教科書的な美術品を揃えており、何気にこういう機会はなかなか無いだけに興味をひきます。
一方姫路城もデジタルチケット限定で時間指定の予約ができるようになっており、これは助かります。
鉄道関係もデジタルチケット限定ですが色々出ています。ただ玉石混交というしかないようで、阪急が2wayチケットと称して阪急京都本線系の全線と、JR西日本がJR京都線全線、奈良線京都-稲荷間、嵯峨野線京都-嵯峨嵐山間が1日フリーで1300円とかなり使い出がある設定なのに対し、阪神がおでかけ1dayと称して阪神全線(神戸高速線は除外)、JR西日本は環状線とゆめ咲線、大和路線の今宮-JR難波、JR京都線大阪-新大阪が1日フリーで1400円と、少なくとも金額が逆じゃね、といいたくなるような値付けです。
兵庫方面は総じて渋く、JR神戸線の姫路までと和田岬線、環状線などは上記と同じでJR東西線尼崎-京橋もフリー、神戸市交と神鉄で三宮から有馬温泉、ポートライナー全線が乗り放題で2日間4600円と、沿線施設入場券込みとはいえ微妙な価格です。姫路城が入っているのはいいですが。北近畿の3day4800円は相野以北の現地フリーのみと、相野までの交通費を考えるとこれもどうかという値付けです。
鉄道版ビワイチの2日で2800円は京都から乗れて敦賀まで行けるのでこれは有効ですし(北陸三セク3社フリーとの組み合わせが最強?)、堺フリーも上記環状線エリアに阪和線鳳まで(東羽衣線は除く)、阪堺全線、南海が堺と中百舌鳥まで(汐見橋線は除く)と堺市内バスに現地特典付きで1000円は破格でしょう。各社や自治体が知恵を絞った感が出てますが、値付けは商才の有無が出た格好です。
姫路最終の「のぞみ」での停車駅案内が駅側では「・・・名古屋、京都からの各駅です」と西明石などを案内していないのですが、総武快速線も佐倉以遠行きだと「都賀からの各駅です」となるわけで、律儀に見えますが、一方で新日本橋と馬喰町は列挙されますね。上りだと「東京からの各駅です」であり「錦糸町からの各駅です」ではありません。
関西ではT電がかつては「明石-高槻間快速」だったのが「西明石-高槻間快速」となっており、停車駅の連続ではなく系統としての区切りを優先するようになっています。まあ巖根や永田などの通過駅があるからと千葉から袖ケ浦、大網までの停車駅を列挙するのもどうかという話で、阪神、山陽の直特(黄)のように、「・・・御影、神戸三宮から板宿までの各駅、月見山・・・」という柔軟な対応がいいでしょう。(おかげで元町から高速長田までの4駅を列挙する直特(赤)よりすっきりしています)新幹線だと「さくら」が結構複雑で、新下関から久留米まで連続停車でも列挙するのに、その先は熊本からの各駅です、と端折ります。
場所が場所だけに見に行けないのですが、新下関始発岡山行きの「ひかり590号」はどう案内してるんでしょうね。厚狭以外の各駅に停車しますが。新下関では「新山口からの各駅」、新山口から先は「各駅」でしょうかね。
あとは下りの「ひかり591号」で、新大阪始発の博多行きですが、新尾道と厚狭以外の各駅に停車します。
いすみのキハ52が実働10年程度で引退したわけですが、当時の公募社長が手柄顔で話してますね。
国鉄時代のこだわり、とか言ってますが、じゃあ車内も国鉄時代かというとそうではないわけで、大糸線時代、要はJR西日本時代の雰囲気なわけで、1銭にもならない撮り鉄向けの企画で、大枚叩いて乗りに来る乗り鉄から見たら「見掛け倒し」という顧客満足度を基準にしたら最悪の商品だったわけです。それで実働10年。税金の使い道としてそれは妥当かは明白です。いわんやキハ52のあとに導入して先に引退したキハ28なんかは申し開きもできない存在です。片運転台で必ずキハ52と併結しないといけないような車両ですし。
いみじくも語っている通り、ムーミン列車というヲタ相手ではない普遍的なコンテンツがあって、多くの乗客が満足していたわけです。ところがヲタもヲタ、撮り鉄に舵を切り、ムーミンも銭になる飯能のほうになびいてしまったという最悪の結果です。ムーミンをつなぎとめて、テーマパークは飯能だけど、列車はいすみ、というような棲み分けを図れなかったのか。それこそ全編成をムーミンにしてもよかったのです。車体自体は無味乾燥の規格品でコストを下げ、ラッピング勝負です。それなら費用対効果も高いですし、普遍的な利用者への訴求になります。
当時の公募社長が流れ着いた大井川がいい例です。撮り鉄が喜ぶような往年のSLを忠実に再現、というような企画ではなく、冷静に考えたら際物もいいところなトーマスが大当たりしているわけです。姥桜のコスプレというヲタから見たら顔をしかめる企画が普遍的な利用者には大ウケだったのです。「会社」が声掛けしたからキハ52を譲ってもらえた、と裏話を書いていますが、「会社」としてどうコンテンツを整備するのか、と考えたときに、これまでの施策は「会社」の立ち位置で考えていないと言えるわけで、「会社」が何をすべきかを理解してないという結果でしょう。理解していたとしたら社長自らが「税金で電車ごっこ」であり、一種の背任にもなりますから。
>>670
金沢での「はくたか570号」の停車駅放送は驚きました。
「停車駅は 上越妙高までの各駅と 長野から軽井沢までの各駅と 高崎・大宮・上野・東京です」と、
「各駅」が二回も出てくる放送は初めて聞きました。
自分が降りたい駅がどの主要駅の間にあるのか把握していないと分からないので不親切だと思います。
ここまで停車駅が多いなら、いっそのこと、通過駅を列挙したほうが早い気もするのですが。
「飯山、安中榛名、本庄早稲田。熊谷を除く各駅に止まります」(笑)
ひかり590号は新下関では「新山口からの各駅」、新山口からは「各駅」ですかね。
ひかり591号だと新倉敷までは「福山までの各駅、三原から新山口までの各駅、新下関、小倉」でしょうか。福山は「三原から新山口までの各駅・・・」、三原から徳山は「新山口までの各駅・・・」という感じ。
山陽は通過駅を書いた方がよさそう。590Aは岡山行き、591Aは博多行きだから、列挙されてなくても岡山、広島、小倉といった主要駅の停車はわかるでしょうし。
北陸新幹線も列挙されていない主要駅は富山くらいですからね。富山通過の新幹線は無いですから大丈夫でしょう。
ANAが国内各空港の3レターコードを記したマグカップとシールを空港のANAフェスタで発売するそうですが、なぜか関西の3空港だけがありません。かつてはあったのですが今は総て閉店となっているからでしょうが、他空港で3空港分を発売してほしいですね。Covid19を理由にしての撤退ですが、関空が2022年、伊丹と神戸が2023年の撤退と集中しており、大家の「関西エアポート」との間に何かあったんでしょうね。
いろいろ揃う中で、「ITM」「KIX」「UKB」がないのは寂しいです。主要目的地の羽田や成田で売って欲しいですね。
あるいはカウンターで発売とか。神戸ではガチャを売ってますし。
そうそう、神戸空港の国際チャーター便がスタートしましたが、使い勝手が悪い2タミはいまのところ国際線専用です。
国内線は1タミを死守してほしいですね。
エリア外ばかりで恐縮ですが、関空のラウンジが国内線に続き国際線も共有化した件で、JALは総ての上級会員が上位のラウンジを使えるようになったのに対し、ANAはダイヤモンドだけ上位で、あとは下位のラウンジだけという塩対応です。
SFCで上級会員を量産したツケが回ってきたとも言えますが、マイルをためても国際線の特典航空券の値上げが続き、C席以上はY席との差額が倍増という信じられない改悪ですから、修行どころか既存会員も年間1万円の会費の価値がないとして退会の可能性もありますね。それでも手間とカネがかかる会員の整理を優先というのでしょうが、利用自体が減少するリスクがありますからね。企業の海外出張もウェブ会議で事足りることが多く、厳しく厳選するようになってますし、そもそも法人契約でもJALの攻勢がすごいですからね。法人会員のポータル経由の予約だと国内線国際線ともラウンジ利用可とか、国内線ではクラスJの料金無料とか、魅力的ですし、企業側にもメリットを出して囲い込まれるケースが多いと聞いています。
ジャーナル最終号が、各書店で売り切れのようで・・・。
近くの書店で店長に尋ねましたが、追加入荷時期未定とのこと。
店長も「他誌に比べると読ませる記事多かったのに、残念ですねぇ」と。
万人受けする雑誌でもないのに、商品の特性をよく把握してるもんだと感心しました。
>>673
エリア外の停車駅の話題続きですみません。
東北新幹線にも「白石蔵王のみ通過する仙台行きやまびこ」というのがありますね。それでも「白石蔵王以外の各駅」はおろか「福島までの各駅」とすらせず、頑なに「上野・大宮・小山‥」と列挙するのは、近郊電車と違い万一にも誤乗があればダメージが大きいので解りやすさ重視かもしれません。
東北道栃木県下で、逆走車が起因する正面衝突事故と、それに起因する事故渋滞後方の玉突き事故で、複数の死者が発生するという事案が発生しています。
今回の逆走車は、黒磯板室IC上り線の出入路が平面交差している箇所で、直進せずに誤って左折し、仙台方向へ逆走を開始してしまったものと観られています。
同様の構造は、身近な箇所にもありますね。そう、東関道四街道IC下り線です。
地方部の高速道では、こうした構造のICは結構見受けられますが、これまではあまりこうした構造が逆走発生の原因であるような報道を観ませんでした。
本線合流部で「あ、間違えた」でUターンして逆走開始、ってケースよりも、出入路平面交差部での誤って左折のほうが、ケースとしては多そうな気がするんですが・・・。
ちょうどそのニュースを見ていた家人がこの構造は危ないと叫び、私は咄嗟にこれ東関道四街道と叫びました。
新直轄なんかけっこう多くある構造なので、そこまで多発していないのは構造ではないと言えるのか、あるいは新直轄はICエリアでも片側1車線が多いからさすがに気付くのか。逆走進入になるところにセンサー式ゲートをつけるしかないでしょうね。正規の方向はいったん停車を強いられて厄介ですが、ゲートの位置とセンサーの距離を開けて無停車で進めるようにするか。エスカレーターの逆乗りのようにセンサーでの制御が最適な気がします。
というわけで新年度初の習志野原でしたがピンクが一斉に青くなった様は違和感を感じます。
自動放送も「京成電鉄をご利用いただき」となっていますし、LCDのイラストも京成パンダに。ただ「このドアが開きます」
で降車するしんちゃんの動画は京成パンダとはならず、ただの矢印です。
さりげなく京成の停車駅案内が貼られていたり、駅の券売機の料金表も京成モードとか、「京成千葉線」として有無を言わさず京成化していますが、乗務員や駅員が京成の制服というのが一番寂しいですね。京成の制服一式をそろえるのもタダじゃないですし、普通は会社が支給(貸与)しますが、それくらいのコストは払ってでも「京成」の一員とするということなんでしょう。バスも京成バス千葉・・・でしたね。そうそう、深夜急行のポールと平和交通の深夜急行のポールも消えていました。
5月号は普通に買えましたし、最終号も当日お昼だとこれも普通に買えましたが、夕刻以降なんですかね。入荷量は心持ち多い感じでしたが。売り切れたらそれで配本は終わりともうのですが、追加入荷があるんですかね。別冊では増刷、三刷と発行した記録はありますが、最終号とはいえ定期便で増刷をかけるのか。であれば余計に最終号らしい誌面にしてほしかったです。
帰りは5分繰り下げになったリムジン朝2便を試すつもりですが、所要時間は5分繰り下げで済むのか否や。そして京成本線からの乗り継ぎ状況はどうなのか。
そして往路はスカイマークでしたが、ちょうどネットメディアで搭乗時の荷物の上げ下ろしが遅延の原因という記事が出ていましたが、荷棚に上げるという「当然の行為」すら咎められる時代というのもなんだかなですよ。ANAなんか荷物は荷棚に上げずに前の座席下に入れてくださいと要請を始めていますが、こんなのダイヤをタイトに設定して搭乗時間が不十分という航空会社側のエゴじゃないですか。一方でキャリーケース(小型スーツケース)の持ち込みを許容するから、自力では挙げられないような客が難儀して糞詰まっています。リュックサックになったとしても持ち手とキャスターがついていたらソフトバッグでも持ち込み不可、とすべきでしょう。これを排除したら相当早くなります。
まあANAのように預け荷物の返却が異様に遅い、降機開始後10分以上というのが乗客が預けたくない志向になる原因です。
グラハンがいないとかもっともらしいことを言っていますが、じゃあスカイマークはなぜ可能なのか。到着ゲートが遠いせいもありますが、普通に歩いてきたら回転台がすでに回っており荷物も見えます。慌てて走ったら警備員に走るとセンサーが反応します、と止められましたが、おかげで荷物とターンテーブルの最終ストレートで競争する破目になりました。
ANAの場合は後方席のバス連絡で最後の1台になってしまったことがありましたが、そこでターンテーブルに到達したらベルが鳴って回り始めたのを見て、最後の客が来ておもむろに回し始めるのか、と疑いましたね。
そして頭を抱えたのがリムジンで、引き換え証を確認して渡すのだから時間がかかりすぎます。最後の1個だっため到着後5分は優にかかっており、新幹線がアレだから荷物があるときは特に空路にしているというのに、これでは話になりません。1個1個順に乗客が名乗りを上げるまで待つというのも無駄です。いったん全部降ろして名乗りがあったものから確認して引き渡すべきでしょう。
北千葉道路東側最後の未開通区間である押畑-大山間ですが、土屋地内のイオンの裏手、根木名川を渡るところでぷっつりと工事が切れています。西側のR408までは橋脚が並び、大半に鋼桁が架けられているというのに、東側は整地すらない状態です。丘陵があり空港線と交差すると思しきあたりは少し手が入っていますが、そこから取香川をどう越えるのかが見えません。
その先R51との交差部には構造物が見え、背後の丘陵内もかなり手が入っています。そして最後の構造物がある場所は丘が切れて谷越しに成田JCTが見えるわけで、位置的には空港道の直進として作りそうですが、R295側に接続しないと料金所との絡みが厄介で、どうするのか。でもまだ見えません。
連休前半、日立市〜いわき市まで出かけ昨日帰ってきたのですが、
日立中央ICから16時半頃常磐道乗ったところ、千代田石岡で発生した事故渋滞で
友部〜土浦北1時間半、友部JCT手前で柏まで2時間以上と表示が…
思い切って東関道鉾田へ向かい、下道で潮来を目指しそこからまた東関道で千葉北経由で帰りました。
田野PA〜千葉北まで2時間弱でした、下道区間も快調で常磐道迂回ルートとして使えそう。
下道区間所々で東関道工事してました。これ全通すると友部から北や宇都宮、那須も東関道経由になりそうですね。
習志野市の都市計画道路整備のHPを見たところ
実籾3丁目〜しょいかーごまでの4車線化工事期限が令和13年度まで伸びているではありませんか。
ショックを受けています、武石からの渋滞にあと7年も付き合うのかと。
平日朝だと実籾アンダーパスまで渋滞伸びているのが、電車からよく見えます。
もしかしてアンダーパスの4車線化のほうが先に開通してしまう気がしなくないです。
忘れられがちですが、八潮陥没事故の草加松戸線の新道一部通行止めの影響で、
それ以降、往年の渋滞箇所の一つ戸ヶ崎交差点の渋滞が復活してますね。
四方向全て右折レーン無しの典型的な千葉県の交差点という感じなところです。
とはいえ新中川橋は利用可能なのが救い
対面通行の場合、往々にして先行車に頭を押さえられてストレスと時間が貯まり続ける感じです。
R51でも鹿嶋から大洗までの2車線区間で数ヶ所追越車線があるもののこれも長いわけで、下道で行くと決め打ちだとR51も選択肢になるけど、という感じです。
こういう「安全運転」のクルマに限って追越車線がある区間になると飛ばして抜かせまいとして、対面通行区間ではノロノロというのがお約束で、先日は一般道の峠越えの登坂車線でトレーラーを抜こうと走行車線に居座ったはいいが全く速度が上がらず延々と終了まで並走という話にならないケースもありましたね。AIとかの技術革新とETCをベースにした双方向通信を活かして、対面通行区間の走行具合で追越区間(登坂車線区間)での追越車線走行の可否や強制的な登坂車線選択を指示するようにしてほしいです。こういう「邪魔」の排除で案外と流れるようになりますからね。
令和13年度(2031年度)ですか。老後の楽しみにとっておくというか、生きていないリスクも考える時期です(爆)
南行きはしょいかーごから片側2車線にして幕張まで流す、という選択肢はないんですかね。その妥協案が出来れば大きく変わるはずですが。
さてr54の旧道経由が「復活」した件ですが、当日応答があったという報道があっただけにトラックの吊り上げ作業の失敗(敢えて断言します)が悔やまれます。トラックのヘッダー部分の構造への無理解としか思えないような吊り位置に加え、ワイヤーの結び方も問題だったようで、ネット界隈でお盛んな「現場は大変」「現場は頑張った」という思考停止もさすがに批判されていますが、まだ横行しています。
戸ヶ崎経由とはまた頭を抱える事態ですが、一方でその昔と違うのはR298があるわけで、谷塚と松原という違いはあるものの、その昔のように代替ルートは三郷橋、という絶望的状況と比べたら全然違います。
新京成が京成松戸線になったわけですが、「京成松戸線」という緩和措置すらなくなってますね。すべてが「京成電鉄」ですから。千葉中央行きが「京成線直通」のとの交互表示だったものが松戸線も京成線だからと交互表示が消えました。京成津田沼方面、と入れればいいのにそれもないですからね。
あと細かいところでは新鎌ヶ谷の自動放送での乗り換え案内が、合併前は「北総線、成田スカイアクセス線、東武アーバンパークライン」だったのが「成田スカイアクセス線、北総線、東武アーバンパークライン」となっており、当たり前ながら「自社」優先になっています。
くぬぎ山にあるLCDの発車案内の電車近接表示も、ピンクのN800系を模したイラストが、青のN800系となっています。まさかこの色味が塗り替え後の姿になるのか。くぬぎ山にいる3両の全面銀色(無塗装状態)のN800系がどう化けるのか。
一方80000系と8900系はこれまで千葉線直通ではなかったため種別表示がなかったのですが、松戸線内でも「普通」の種別表示を行うようになったため、種別を掲出しています。
ちなみにさすがに「京成線」と新しい表示にしている中で、松戸駅の構内(ラチ外)通路などの一部で「新」の字だけを消した手抜きバージョンがやはり出ています。まあ東急で二子玉川園を二子玉川に改称した際、「園」の字だけを消した字幕とかいかにも手抜きという対応に比べると、ラインカラー(カンパニーカラー)も変えるために全部刷新した今回はまだマシなんでしょう。
習志野市の都市計画道路整備の話題が出ていますが、
八千代市では令和14年3月31日の事業期間で新しく新木戸上高野原線
(275m)が事業化されましたね。佐倉市も井野酒々井線には前向きなので
令和10年代に接続が見れるかもしれません。
生きている間に船橋市側の開通も見届けたいですが。
京成グループのバス再編第1弾で登場した「京成バス・・・」の各社ですが、共通して新会社のフロント広告(前掛け)をつけています。今回再編の対象とならなかった京成バス本体はつけておらず、まあ当然ではあるもののグループのバス事業再編という慶事への協賛くらい欲しいところです。
ところでたまたまなのか、津田沼で旧レインボーの神崎線を見たんですが、前掛けがついていませんでした。
京成バス千葉セントラルの前掛けが当然あると思っていたのに意外でした。千葉交通もイーストの前掛けを付けていただけに。
あと、津田沼北口の案内板を見て気づいたのですが、千葉3社すべてに乗れる停留所ってないんですね。
そう、船橋はセントラルとウェストがありますが、津田沼はセントラルとイーストです。新京成がウェストだったら揃い踏みだったんですけどね。津田沼のイーストは旧ちばグリーンの深夜急行ですが、ここからの乗車もできます。(ただし運休中)深夜急行、高速バスという意味では東京駅がウェスト(旧ベイシティ)、セントラル(旧船橋新京成、旧海浜)、イーストが(旧ちばグリーン、千葉交通)と揃う停留所でしたが、セントラルになった2社は既に廃止になっており揃い踏みにはなりません。
印内習志野台線としては八千代市境まではほぼ完成しているだけにここはつながるんでしょうね。
ただし習志野駅の踏切から駿河台の間は生きてる間は無理でしょう。完成形が全く見えませんから。
南本町馬込町線、馬込町古和釜町線も厳しいですね。
といういか、南本町馬込町線の船橋駅付近から東海神駅付近までを除くと、完成形が見える都計道というものがないんですよ。船橋は。現道拡幅にしても船取線の4車線化延伸は影も形もないですし。
道路ついでに余談として、三咲三差路のr57の突き当りに整備される住宅地、十字路化を懸念していましたが、三咲三差路につながる部分は歩道になっています。ロータリーにはなっていないようですが、一種のクルドサックのような仕立てです。
京成松戸線になったことでJR津田沼駅の案内がどうなるかと思っていたらまさかの消滅です。
いわゆる「野良」サインですが、京成線、特に京成津田沼への乗り換えは遠いよ、という案内で、当駅は新京成新津田沼駅の乗り換え駅で、京成線は幕張本郷で、というものでしたが、消えています。まあ京成津田沼まで歩くことを考えたら、新津田沼から京成津田沼もさることながら、幕張本郷から京成津田沼に戻り、大久保方面に行っても早いですからね。船橋での乗り継ぎを見落とすようであれば、幕張本郷→京成津田沼でも遠く感じないでしょうし。
代わって何ヶ所も掲示があったのが始発快速の整列位置の指南。1本だけ1番線始発が入るのでその案内も兼ねていますが、長年乗車位置の左側に次発、という整列という不文律が通用しなくなったんでしょうね。書いてないから俺様ルールでこっちが正しい、という非常識な客が増えてきたんでしょう。発車時刻を明記しての案内になっていますが、書いてなければ何をしてもいいという風潮で、常識で考えればわかるはずが通用しない時代という末法状態です。
そして始発快速も前半戦は東京止めが多く、行って品川と、始発に乗るインセンティブを低めています。
NEXなど特急を増やし、始発快速を間引く格好で、利用者減を快適乗車ではなく、混雑を維持したまま本数減としたい意向が透けて見えます。朝から目が疲れるサイネージの光の暴力を受け続ける欠陥車両での通勤ですからね。
船橋市道路整備プログラムでは南本町馬込町線は船取線までは次の10年間で事業化
を予定しているようですね。
その先00-008号まではあまり立て込んでいないので、生きている間に延伸を
期待したいところです。
もともとは船橋市総合都市交通計画の案があり、そこでは南本町馬込町線、
馬込町古和釜町線、印内習志野台線の一部が優先整備区間でしたが、あまり
にも厳しい状況だからかパブリックコメントに至らずにお蔵入りしてしまった
ようですね。その後に出された船橋市地域公共交通計画でも印内習志野台線は
優先的整備・拡幅区間(検討中)になっていましたが、船橋市道路整備
プログラムでは今後 10 年以内に事業着手する路線からは外れてしまいました。
せめて296の代替路線として、普通にすれ違うことが難しいポイントは拡幅
などの整備が必要だとは思われますが・・・。
船橋市道路整備プログラムの発行は2023年なので、「今後10年」とある次期事業期間は2033年度ということですかね。あるは1月発行なので2022年度の発行となり、2032年度が期限か。それでメニューから除外となると厳しいですね。南本町馬込町線が2030年度末ですからようやくできるかどうかで(長津川遊水地から斎場入口まで)、その先馬込町古和釜町線は断念状態です。
現在事業中も松ヶ丘のバス通りが2027年度から2028年度末、印内習志野台線が2028年度末と大概です。逆に西浦藤原町線(3.4.22号線)は船橋ICを跨ぎ越す区間が2025年度中にできることになっていますが、合鐵の敷地内とか京葉道路の交差部とか全く見えません。これができると西浦交差点から行田方面に抜けられるので、市松道路との分散とか効果が期待できるのですが。
あとは地道に交差点改良ですね。高根木戸近隣公園のところの改良がメニュー化されていますが、変則交差点区間の4車線化を公園敷地を削って捻出する予定であり、少しは好転するでしょう。交差点改良はあとは三咲三差路のr57のクランク状に進行するところと、県民の森の交差点、さらに古和釜十字路ですかね。古和釜十字路は楠が山、金堀方面からの交差点改良と、宮本町古和釜町線の整備終了区間の間を木戸川側に新道とすれば革命的に変わるでしょう。近隣公園も含めてアンデルセン渋滞対応として早期に解決すべき箇所です。
船橋市都市計画マスタープランでは、八木が谷地域の項で、
三咲三叉路等の交差点の改良を千葉県に要請します、とあるので
期待はして待つしかないですね。
古和釜十字路も渋滞はひどくなる一方なので、おっしゃるような対策が
期待されますね。
京成は元から案内では路線名を言わない傾向があったように思います。
松戸線になってもことごとく「京成線」や「京成電鉄」しかないのは他線のそのやり方を踏襲しただけじゃないかと推測しています。
現状、入口の看板で律儀に路線名入れているのは新鎌ヶ谷だけで、あとは社名だけです。
ちなみに、社名が京成化された券売機は、
・京成連絡は自社化され、「⚪︎⚪︎から/京津津田沼→xxx円区間」が「⚪︎⚪︎→xxx円区間」に変更
・新京成時代は発券に対応していなかった千原線区間の発券に対応
・定期券は新京成時代と変わらず松戸線発のみ発券に対応
といったところでした。
クランク状になっている交差点を拡幅で対処は付け焼き刃感が否めないですが、しないよりはマシなんでしょうかね。
かと言って三咲三叉路絡みは直線化は大掛かりになるのでまだしも、高根台のは公園の切り取り範囲を拡大すれば直線化できそうに思えますが。
三咲絡みで余談ついでですが、三咲は下水の整備のエリアには含まれているようですが、私の最寄りで最近できた宅地に大穴から移ってきた知人曰く未だに地下水が通っておらず、未だに浄化槽を埋め込んでいるようです。
道の整備も当然大事ですが、道の計画とかでやるだけ無駄足になるとかならまだしも、そうでもないなら他のインフラもおざなりなのはいただけません。
交差点改良が地味に効いている反面、船取線と交差する側の芝山団地入口交差点のように直進車が満足に流れないという謎現象をどうにかしたいですね。左折で歩行者待ちというのでもないのに流れないというのは、ドライバーの要因大であり、サグでの「速度低下注意」と一緒で注意喚起すべきでしょう。
三叉路が向き合う格好のクランク交差点は千葉県北西部あるあるで、他県のそれがどんどん改良されているのが羨ましいです。クランクの中間部を4車線、せめて3車線化して右折レーンを極大化しないといけないのですが、それすらできていません。
なお高根木戸近隣公園のところのクランクは信号を白紙見直しすることで改善できるはずです。信号サイクルが成田街道方面からくる都計道がなかった時代のままで、公団側から来て突き当りを右折するとそのまま左折矢印が出て右折後の信号左折で坂下に至ります。これが40年くらい前までの習04のルートでしたが、現在の主流である左折して都計道へ右折のコースは信号が連動していないのですぐ詰まります。これの捌け残りで松ヶ丘のバス通りを直進するクルマも通れなくなっての渋滞と最悪ですし。
近隣公園を削っての十字路化は可能ですが、そうすると近隣公園が事実上なくなります。屈曲や急カーブを排するとなると、東側の児童用遊具の広場も、西側のストレッチ器具が置いてある広場もなくなりますから。残るは野球場とテニスコートだけで、木々も大半が伐採でしょう。近所では北習志野第3号公園が房総半島台風の暴風で木々の多くがなぎ倒されており、森林の確保という意味でも難しいです。
どうしても十字路化というのであれば、習志野台側からの突き当たりとなる高根台中学校と西隣の西集会所、西ショッピングセンターをぶち抜く格好で建設するほうがいいでしょう。上記3施設は1960年代前半建設の築60年選手で老朽化も激しく、現道側に移転して集会所は中学校の体育館と併設(大穴中と海老ヶ作公民館のような感じ)、そして西ショッピングセンターも改築したほうが良いでしょう。高根台中は公式には避難所になっていますが、東日本大震災の時に耐震性の問題があり避難所としては適さないという話があったと子供さんを通わせていた保護者に聞いたことがありましたから。
確かに京成は「○○線」という案内はあまりしませんね。「○○方面」ということが多い気がします。
「本線」もSA線開業時に大々的に案内されるようになった表現で、そもそも「上野線+空港線」でしたから。
とはいえ松戸線は出自が大きく違うわけで、そこで「京成電鉄」と一緒くたになってしまうと悲しいですね。
当たり前と言われればそれまでですが、電車とバスの塗装以外、あらゆる新京成カラーが1夜にして消えたわけで、そこまで徹底するかという感じです。別に残してもいいじゃんとしか言いようがない電車型自販機も併合を前に消えましたし、変わったところでは自販機そのものが消えたところもあります。
ところが新京成時代の鳥居型駅名標が残っているわけで、閉鎖された8連用空間の習志野のほか、前原のそれも残っています。前原はギリギリ6連エリアに建っているのでしげしげとみることができますね。(古いデザインの「鳥居」というと、阪神電車の甲子園(降車ホーム)と住吉も長く残っていましたが、住吉は新デザインになって継続しています)
流動と習04の経路を考えると理想は確かにショッピングセンター側を潰して成田街道・実籾方面へ繋ぐ方と直線化する方が向いてそうですね。
中学はいっそ第一小跡が使えればその方がよさそうな気がしますが、残念ながらすでに後継の用途で使っているようですし。
ところで中学といえば、確か去年あたりから市立のはジェンダーレス化の流れが押し寄せ制服ごと改定されたようですが、高校はそれをせずに対応したために、「実物」に遭遇するとえらい不格好です。
京成の鳥居型駅名標はちょくちょく残っていたような印象がありますが、新デザインになることもなく放置とか場合によっては撤去されていた気がするので前者を踏襲するとかなんでしょうかね。
といっても鳥居型は旧新京成のは丸ゴシックの活字なのに対し、元からの京成のは手書き感があった気がします。
>>697 を読み返していたら地下水と書いていましたが、下水の間違いでした。
京成の「鳥居」は1987年の4駅改称が決定したことを機に丸ゴシ化していますが、4駅(葛飾、センター競馬場前、国鉄千葉駅前、京成千葉(現千葉中央))は最後まで旧タイプの「墨痕鮮やかな」書体でした。葛や葉の草冠の真ん中が空いている旧字体チックな筆致でしたね。ちなみに鳥居の下部の広告はノーシンでした。阪神は産経新聞でしたね。なお東成田の未使用ホームにある「成田空港」の電照駅名標の広告は千葉銀行でした。
高根台は第一〜第三まで3つ小学校がありましたが、第一が団地の高齢化と建て替えで複式学級になる規模にまで小さくなり、廃校になった結果、第二と第三しかない状態です。いっそ第三に集約し、中学は第二に移転すればいいんですけどね。第二も1学年で複数の学級ができるかどうかという規模でしたし。若い世代が多い団地から戸建てやマンションになったエリア(怪獣公園の周辺)やアートヒルは第三が近いですし。
もともと「船橋市」の小学校としては最奥だった高根小と三咲小(二和向台駅脇)があり、1961年に高根台第一が分離、1962年に第二が出来て、1972年に第三を分離となっています。
1971年に大穴小、さらにそこから1977年に大穴北小と分離しています。第二小からは1968年に古和釜小が分離しているため、相当な広域の母体だった第一ですが、2007年に消えました。なお「古和釜小」はもともと古和釜十字路付近に豊富小の分校として存在しましたが、1968年に廃校となり、同時にいまの松が丘が独立し第二からの分離の形で古和釜小が出来ています。(豊富小には分校がいくつかあり、今の小室交差点バス停は「分校入口」だった)
このエリアは旧八栄村(東葛飾郡)、旧豊富村、旧二宮町(いずれも千葉郡)の接点で、高根(二和、三咲)は八栄、大穴、古和釜(松が丘)、坪井は豊富、習志野原、飯山満は二宮となっており(七林は八栄の飛地)、1950年代の合併後は旧境を跨いで学区が再編されています。
三咲といえば、二和向台の近所にある三咲小と三咲郵便局って今の感覚だと釈然としない感がありますが、まあ過去の経緯といったところなんでしょうかね。
三咲といえる三咲にある郵便局は三咲東ですし、所在地的には大穴北でも裏門側はほぼ三咲な大穴北小も考えようによっては捩れと取れなくもないです。
かと言ってどれも場所トレードしてどうにかできるような場所もないですし、現状維持以外での現実的な解決法は名前だけどうにかするってところでしょうか。
くぬぎ山で「京成色」化されつつある8800とN800ですが、8800について下馬評では側面は赤電や3400みたいな帯になると思われていたのが、まさかの3000のような細帯になるようです。
オリジナルの茶帯の太さが細かったのを意識した可能性もありますが、フィルムを貼るタイプのようなので単純にコスト面という可能性も無きにしも非ずかもでしょうけど。
ネット上の反応も非難轟々に近しい感じでしたが、直後に東急の塗装変更の話題が出ると流石にそっちよりはマシと一部では手のひらを返すのも現れてはいましたが。
船橋市の本下水は絶望的になるくらい整備が遅れていますからね。三咲は整備予定のままですし。ただ人口ベースではカバー率が9割を超えたことにはなっています。とはいえ5割を超えたのが2006年と遅く、平成元年で23%とこれは少なすぎます。まあ市の公式で「少しずつ拡大」と開き直っていますから仕方がないんでしょう。
新京成の外側は高根台、習志野台の団地と大穴南くらいという時代が長かったです。逆に内側は高根台でも7丁目とか西習志野とかまさかのエリアで整備が今世紀になってから、いや、2010年代というケースが少なくないです。
昔から大穴南在住の知人に聞くと、1970年頃の戸建て住宅街の開発時には都市ガスと簡易水道(自治会単位で井戸水を水道として供給)、浄化槽という組み合わせで、1980年前後に県営水道が入り、下水道は1990年代だったはずと言っていました。まあ都市ガスが当初からあっただけマシで、周囲ではプロパンしかない地域も少なくなかったはずですし、水洗トイレだっただけでも幸せだったと言っていましたね。
別の知人の話だと、住宅地の顔をしているエリアに整備されたマンションが地下に浄化槽を持っているというケースも少なくないそうです。
新金線の旅客化問題でBRT化のプランもあるそうです。
これ、意外と面白いわけで、環七との交点にジャンクションを設ければ、シャトルセブンの高度化が図れます。またリムジンバスもさらに便利な系統になります。
環七から新小岩駅までの専用道を確保できますから、葛西、一之江から新小岩という速達系統が生まれますし、羽田リムジンも小岩でなく新小岩としたほうが速く乗り継げますしバックグラウンドも広がります。(小岩もそっちのほうが速い)
亀有系統もBRT経由金町としたほうが速いでしょうね。亀有固有の需要が多ければ亀有ですが、常磐線沿線に需要が広がっているのであれば金町でしょう。
二和にある三咲小の件ですが、あの位置がかつては三咲に属していた、というのではなく三咲にあった三咲小が戦後移転してきたようです。八栄村時代からの三咲小があった位置はどう探しても出てこないんですよ。戦時中は工兵と山砲の連隊が置かれて三咲国民学校は三咲神社と星影神社に分かれていたそうです。戦後お役御免となった軍の無線局跡に引っ越したのが今の位置だそうです。図書館に行かないと無理ですね。
ついでにいうと、r57がクランク状になっているあたり、r288も含めて明治中期には桜並木があったそうで、「三咲桜」として東京から観桜客が押し寄せたそうです。
今につながる桜の名所である御滝公園は新京成の観光名所として売り出していましたが、ピクの2020年7月号の「人を乗せた貨車」という江原光昭氏の記事だと、初富どまりだった1950年代前半、桜のシーズンに薬園台-三咲間を増発(延長)するために、三咲-初富を折り返し運転とし、工事用に確保していたSLが牽引する有蓋無蓋の貨車を使った臨時列車の設定があったそうです。
1977年に刊行された30年史に記載がわずかながらあるそうですが、これは図書館にあったはずで、実際を見てみたいですね。
>>708
いつも読ませていただいております。
手元に三咲小学校百十周年記念誌がありましたので読んでみました。
八栄村時代の校舎ですが、「明治33年に」「二和88番地に校舎を作り」という記述がありました。現在の地図では二和東2丁目9番の周辺になるのかと思います。校名は八栄第二尋常小学校だったそうです。その後明治44年に道を挟んで向かい側の三咲358番地に移転したようです。現在の地図では三咲1丁目11番周辺でしょうか。
三咲小卒業生さん、ありがとうございます。
三咲駅西側の十字路の南方(滝不動方)ということですね。
1944年や1947年の航空写真だと通りの東側(三咲1丁目側)にはそれらしき土地が見えますが、一方でここに工兵や山砲の連隊があって、学校自体は星影神社と三咲神社に仮住まいしたとあるわけで、連隊が駐屯するには狭すぎるので、ごく一部なんでしょうね。(連隊は大隊-中隊-小隊の編成の複合体) 大久保の軍用地で騎兵連隊2個分ですし、津田沼の千葉工大も鉄道連隊1個分ですから、それくらいの土地がいります。
もともと二和にあって、校名も村名から八栄で、その時期に三咲に移転して、国民学校になった際に三咲を名乗り、戦後二和の現在地に移転ということですから、複雑ですね。
ちなみに新学制になって1947年に高根小と三咲小に中学校を併設し、1949年にそれを統合して御滝中が発足したそうです。
高根台中は1961年ですからそれまでは御滝中の学区だったんでしょうね。そして古和釜中は高根台中からの分離ですが、1954年までは古和釜や大穴は豊富村だったので1947年に発足して1954年に船橋市立になった豊富中のエリアのはずです。
大穴中も古和釜中からの分離なので、いったん豊富村エリアに御滝中の学区が広がり、分離していったのでしょうか。
小学校は前にも言った通り古和釜は豊富小の分校の管轄でしたが、1968年の古和釜小発足時には高根台第一、第二と豊富から移管とあり、1961年の高根台第一、62年の第二の学区にいったんなっています。古和釜小は1971年発足の大穴小の学区も含んでいますが、1954年の豊富村合併と1961年の高根台街びらきの間を挟む学区の変遷はけっこう行ったり来たりがあったのでしょう。
5分繰り下がった朝の津田沼リムジン2便ですが、京成津田沼で20人程度の乗車で半分以上が京成本線からの乗客でした。
5分繰り下がったことでEV経由でも余裕あるアクセスとなっており使えるようになりましたが、羽田2タミ到着は6時前と影響はほぼない感じでした。ただ並行するR357は塩浜で千鳥町立体までの渋滞で、高速も6時台に高谷手前と葛西手前で事故渋滞が発生と、交通量が加速度的に増える時間帯だけにリスクは高まっています。今回の道中も主だった信号のほとんどで信号待ちがなかったことも大きく、2タミ6時ちょうどは覚悟しないといけないでしょうね。
気になったのはせっかく「必殺仕訳人」を投入しながらダメダメだったこと。おそらく新人(新配属)の教育も兼ねているんでしょうが、松戸線始発が到着して列が形成されたら荷物の受付と予約の確認を始めないとスムーズな乗車にならないのに動かなかったこと。本線始発が来てから始めていましたが、2人とも荷物と予約確認の真っ最中にリムジンが到着してしまいました。個人情報保護法絡みで「お名前よろしいでしょうか」と聞くのも現場に即しておらず、「予約番号とお名前お願いします」とすればサクサク進むのですが(過去の仕訳人はこうしていた)、伝承がされていません。さらにバスのドアが開いているのに「ご予約の方からご乗車ください」と言わないから先頭の人が動かず(慣れた人ほど運転手が降りてこないからまだ乗れないと思う)、少し経って運転手が降りてきて乗車させるように促していましたが、正直いって手際がよくないです。荷物もバス横の位置に集めていないからどこに置けばいいかわからずそれらしい位置に置き去りとなり、ターミナル別のタグはあるとはいえ、積み込みの手順も悪くなります。
それでも定刻の5時20分には余裕をもって客扱いを終えていましたが、荷物が少なかったという「特殊事情」でしょう。
次発の35分発を待つ人はほとんどおらず、間際にイチかバチかで駆け込んで、という客がいなくなったのも大きいですね。
間際組と次発待機組の合計よりも今回のほうが多く見受けられたことから、ダイヤ改正で「戻った」という感じですね。
芝山から松が丘のバス通りも船22の廃止でエビス通りと公園前の間のバス路線が途切れました。
ここは宮本町古和釜町線という都計道でもあるんですが、まだ事業期間が4年くらいあるとはいえ、ほぼ完成形が見えてきました。何ヶ所か路側帯と歩道が取れない未完成の場所があるものの、走行環境としては影響が少ないですから。
で、この通り、妙に葬儀屋が多いんですよね。芝山団地から高根木戸駅までの間に5社6軒。ちょっと入ったところにもさらにあるわけですが、高齢化が進むエリアとはいえあんまりな感じです。知人が以前高根木戸駅周辺は妙に床屋が多いと言っていましたが、今も結構あるとはいえ、時代は床屋から葬儀屋という感じで、高齢化で散髪の頻度が低下し、さらに人生の終焉を迎えるケースが多くなったということでしょう。このエリアの町内会では敬老会のお祝いの対象がどんどん繰り下がっていると聞いたことがありますが、もうあとは後期高齢者になって初めて祝ってもらえるという感じです。
葬儀屋もNIMBYとは言いませんし必要なものですが、家族葬をうたう小規模施設が多数、というのも葬儀屋が多いという印象につながっています。それでいて火葬場は公営(都内は民営のようですが)で船橋市だと馬込斎場になるため、「空き待ち」が深刻なようです。タイだと寺が火葬場も持っているので心配はないようですが、さすがに火葬場となるとNIMBYどころじゃない反発になるんでしょうね。とはいえ高根木戸も今回びっくりしたんですが、「駅前葬儀場」なわけで、バス通り側にダイレクトに出入りする動線になっているのもどうなのか。バッファーとなるエリアがないようで、そのまま人通りも多い歩道と交差してバス通りに乗り出すわけですから。
旧新京成バスですが、習04がほとんど使い物にならないというか、北習志野からだと18時台終バスという現状にびっくりです。夕方に緑枠、つまり最終1本前の表示を出したバスを見て時刻表を確認して驚いたわけで、確かに高根公団、高根木戸、北習志野の徒歩圏ではありますが、特に北習志野ベースで見たら東葉線から電車でなくバスで、という需要があるはずで、運転手不足で歩けなくはない路線を犠牲にしているのかもしれませんが、需要に背を向けた格好です。
まあ旧新京成バスは高度成長期の気分で運行しているきらいがあり、団地などの路線をコミュニティ路線風に再編するでもなく、次第にニーズと乖離してきた感じでしたが、それが加速していますね。まあ公園前までは古和釜線があるから東集会所前、七号通り、五号通り、診療所前の4停留所が単独停留所であり、ならば見捨てるか、という感じなんでしょう。他社、他都市ではもっと団地や住宅地の中を走る路線になっているわけで、滅びるべくして滅ぶ途上という感じです。
あとはセントラルとして船橋に入る芝山北習線(旧豊富線)ですが、北習志野発の船23がひどく、平日18時台、休日17時台が事実上の最終です。そのあと平日は2時間半、休日は1時間半あとに終バスが出ますが、これでは使えません。
なお船23は船橋発は平日休日ともにありますが、船橋行きは平日こそありますが、休日は9時台が最後であとは全部東船橋行きです。16時台に1本だけ船橋行きはありますが、こんな上下の区間が非対称なダイヤで誰が使うのか、という話です。
1954年の豊富村合併前は大穴、古和釜、坪井以北は豊富村なので豊富小の学区のはずです。
豊富小の沿革を見ると、1968年に古和釜分校が廃止され、1974年に八木が谷が外れたとあります。豊富中の学区もその時期に変更されており、1968年に大穴、古和釜、坪井が学区から外れたとあり、八木が谷も1976年に外れています。
八木が谷があまりにも遅すぎますが、八木が谷小の沿革を見ると1973年に三咲小からの分離で発足(1976年までは三咲小併設)、1977年に八木が谷北小を分離とあるので、早い段階で八木が谷の西部は三咲小の学区になり、残る部分が1974年に移管でしょうか。あるいは三咲小の分離と同じタイミングでしょうか。(三咲小の沿革は明らかな誤りが散見されるので)
1968年の豊富小からの分離は同年発足の古和釜小で、その後1971年に大穴小、1975年に坪井小が分離しています。高根台第一小の発足は1961年ですから、大穴小が高根台第一小からの分離であれば1961年に豊富小から高根台第一小への移管になるので豊富小の沿革に書いてあるはずで、だとすると大穴地区は全域がいったん古和釜小で受けたことになります。大穴小の学区は全部が古和釜中だったことも考えると古和釜小の学区だったという方が話が通りますが、大穴南の人に高根台からの分離だったという話を聞いたことがあり、そこはどうだったのか。古和釜小の沿革を見ると1971年の移管は161名とあり、今の大穴南の当時の人口を考えると少なすぎますし。(大穴小は発足時に1学年4〜5クラスはあった)
そして中学校がややこしく、1961年に高根台中が発足し、1968年に古和釜地区が豊富中から移管され、1972年に古和釜中が分離しており、こちらは豊富→高根台→古和釜→大穴という流れです。
なお高根台中は御滝中からの分離のはずで(高等小の関係から新学制発足時に三咲小、高根小に中学校を併設後、合併して御滝中が発足)、学区がかなり広いですが、長らく北部エリアは古和釜、豊富しかない状態が続き、八木が谷とかバス(今の船09など)で御滝中に通学していました。
ちなみに習志野原エリアは旧二宮町なので、二宮中から習志野台中が分離し、二宮小から薬円台小が分離し、そこから習志野台第一小、第二小と分離しています。(習志野台、西習志野のほか前原、飯山満、芝山は旧二宮町)
習04の早じまいダイヤの件ですが、一方で操車場との出入庫便と思われていた高02が案外と本数を確保しています。
松が丘地区からは船22の廃止で高根木戸に出られなくなった反面、高根公団に出られるようになったため、徳洲会病院へのアクセスのほか、商業施設としてはカスミとリブレ京成が商圏になった格好です。
一方で割を食ったのが高根木戸のイオンですが、廃止が決まってから下り側に上屋とベンチが新設されたように松が丘方面との利用は少なからずあったわけで、電車乗り換えもさることながら高根木戸イオンの重要な商圏でした。
イオンが合理化を発表するたびに近隣住民が気をもむというのが恒例行事になっていますが、今回のバス路線変更が決定打になる可能性が高いですね。京成的には系列のリブレ京成の方が可愛いですし。
ただ高根公団のスーパーは食品スーパーなので、衣料品など日用品も扱う高根木戸イオンがなくなると津田沼まで行くか、最短でも北習志野のダブル西友になるので、地味に不便になります。なんだかんだと言ってこまごまとした日用品や衣料品が入用になった際に身近なところで手に入るというのは大きいですから。
あと、新高根や芝山からのアクセスという意味では高根木戸イオンの重要な商圏であり、高齢者が多く、また道路事情もあり、クルマでの行き来のメリットが少ないだけに、バスで直接行けない飯山満のマミーマートしかなくなると不便です。
新高根のマルエツが残っていればまた違っていたんでしょうが。
そう考えると、松が丘にもう少しスーパーがあればと思いますね。バス通りから入ったところのマルエツとバス通りのコープくらいで、古和釜側に大きめの食品スーパーがあればけっこう流行りそうなんですが。
その意味では北部は商業不毛ですね。CNT中央や白井、そして緑が丘や坪井で事足りるのでしょうが、道路事情もあり地味に不便です。
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