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商業・流通

1とはずがたり:2006/04/26(水) 23:23:08
スーパー,コンビニ,百貨店,中心商店街の衰退と活性化策など

リンク
http://members.at.infoseek.co.jp/tohazugatali/commerce.html

3063とはずがたり:2016/05/12(木) 11:33:15

賢者の知恵
2016年04月26日(火)
巨大化するショッピングモールは、地方都市の「最後の希望」か「未来の廃墟」か
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48464
文/貞包英之(山形大学准教授)

あらたなモールの出現
近年、地方暮らしはますます豊かになっているが、その反面、「快適性」という檻のなかに人びとはいっそう閉じ込められている。

それを促す有力な装置となっているのが、ショッピングモールである。

ショッピングモールは、とくに1990年代後半以降、地方の郊外に多数進出し、周囲の生活を大きく変えてきた。

全国でみれば、1996年に2000店を超えて以来、2009年には3000店を超すまでの増加をみせたのであり、2007年まででみれば、増加分993店のうち大都市中心部への出店は5.4%でしかなく、中小都市、町村の中心部でも19.3%、残りをそれらの外部の周辺地域や郊外で占めていた(商業界編集部編『日本ショッピングセンターハンドブック』商業界、2008年)。

もちろんそれ以前から、類似の商業施設がなかったわけではない。キーテナントと小売店を計画的に集めた本格的な大店舗としては、1969年に東京の二子玉駅に隣接しつくられた「玉川高島屋ショッピングセンター」が最初といわれるが、その後、全国に同様の施設がつくられるようになった。

大規模小売店舗法(大店法)の成立を前提に、1980年代には小売店を集積する大規模店が従来の市街中心部から離れた場所に林立し、郊外暮らしをますます豊かにしていったのである。

ただしここでは、こうした以前の買い物の場所(=ショッピングセンター)と、モールを分けて考えたい。近年のモールは、あきらかに以前のショッピングセンターとはちがう特徴を持ち、地方の生活を異なるものへと変えているからである。

現代のモールの特徴は、まずその「巨大さ」にある。

1990年代後半以降、モールはますます規模を大きくしたのであり、たとえば新規のモールの売り場面積は、1995年に15000平方メートルを超えてから、1999年には20000平方メートルを抜き、2008年には最大の27791平方メートルに達した。

その頂点となるのが、2008年に埼玉の越谷につくられた「イオンレイクタウン」である。総商業施設面積245223平方メートルの日本最大のモールが、これまで利便性が高かったとはいえない東京の外縁に出現し、そこをある意味では都心以上に便利な買い物の場所に変えている。

ただしこうした巨大化は自然に進んだわけではない。それを後押ししたのが、2000年の大規模小売店舗立地法(大店立地法)の施行である。大店立地法は中心市街地の活性化のために、交通渋滞への配慮等の規制を設け、その結果、事実、街を離れた遠隔地にしかモールは建設できなくなった。

そうして、モールは既存の郊外を離れたさらに遠方に追い出されたが、それこそが大規模化の呼び水になる。遠隔地では、バブル以後の地価の下落を条件として大きな敷地を確保できたことに加え、市街地からの集客力を高めるために多数の店や商品を集め、「快適」な消費環境を整えることが必須とされた。

それを受け、膨大な駐車場とひろい開放空間や通路、吹き抜けやトイレなどの余裕を持った付帯設備、さらにカルチャー施設やアミューズメント施設を備えた低層のモールがつくられる。

消費目的に特化した「街」――そうしたモールの「建築」的特徴が近年、注目されることが多いが、それを可能にする条件として、衰退する地方都市を巡って仕掛けられた上記のような法的規制の大きさを忘れてはならない。

中心市街地から排除されたことを奇貨として、モールは駐車場や膨大な余剰空間、巨大なインフラによって実現される「快適」な空間を、地方郊外に実現していったのである。

皮肉なことに、だからこそ遠隔地に建設されたモールは、中心市街地の営業を邪魔しないという当初の目論見を外れ、むしろますますその衰退を促すことになった。車で乗り付ければ、人びとはモールを出ることなく買い物を楽しむことができる。

3064とはずがたり:2016/05/12(木) 11:33:51
またそのモールは、同時代に力を強めたネットショッピングに、リアル店舗としては唯一抵抗し得る膨大な商品のストックを備えていた。そうした「快適」なモールに引き寄せられ、買い物客はむしろ中心市街地からますます遠ざかっていったのである。

モールは新陳代謝する

ただし「巨大さ」のみが、現代のモールを特徴づけているわけではない。より重要になるのは、2000年以降のモールがいわば人工的に「新陳代謝」を続ける仕組みを整えていくことである。

その前提になるのが、2000年の「借地借家法」の改正である。戦後、借家の権利が強化されて以降、立て替えといった特段の事情がなければ、借家人の入れ替えは難しくなった。

これは商業施設でも同じであり、郊外のショッピングセンターにしろ、市街地の百貨店や商店街にしろ、一度認めたテナントに退店を求めることは事実上不可能になっている。それが少し前につくられたショッピングセンターや百貨店、商店街に、昔ながらの店の集まる「懐かしい」商業空間を留める原因になっている。

対して、2000年に業界主導によって改正された「借家借地法」は、あらかじめ年数を明記したいわゆる「定期建物賃貸借契約」を可能にした。そのおかげで今ではモールは、時代や客の嗜好に合わせ、契約を打ち切り、テナントを自由に変えることができるようになっている。

こうした人工的な「新陳代謝」こそ、現在のモールの魅力の核心にあるのではないか。2000年以降につくられたモールや、高い保証金を払い契約変更した大手系列のモールでは、時代の嗜好にあわせテナントを自由にピックアップし、利益を最大化するように店をデザインできるようになっている。

初発には流行りのテナントを思い切って選び、その後はモール全体の雰囲気の調整や、さらには時代に合わせたリフォーム――近年、「経年優化」と称される――に取り組めるようになったのである。

そうしてデベロッパーは、初めてモールを統治する統一した主体に変わり、それに応じてモールの魅力は、とくに地方の客にとってますます切実なものに変わっている。

最大の変化は、モールがモードとの接触点としての役割を強めたことである。

本当に最先端とはいえないとしても、そうした店に赴くことは、2、30年前の地方ではむずかしいことだった。都会で流行る店はなかなか現れず、できた頃にはすでにモードを外れていた。80年代に進む消費社会化は大量のモードを受け入れ、消費することを人びとに求めていくのだが、しかしだからこそモードから取り残されていたことが、地方では大きな飢餓感につながったのである。

それに対して2000年以降出現したあらたなタイプのモールは、モードへのキャッチアップを地方でも容易にした。既存の店は、たしかにすぐに時代遅れになる。しかしモールはデベロッパー主導の人工的な「新陳代謝」を重ねることで、最新のモードを地方都市でも更新していく。

地方の中心商店街や百貨店では、皮肉にも行政や昔からの顧客に守られることで、古い店を置き換え、新しい店を呼び寄せることがなかなかできなくなっている。

対して、2000年代以降はモールに行けば、人工的な新陳代謝によって直接大都市とシンクロしたモードに触れることが可能になっているのである。

都市の生き残り戦略

だからこそモールは、都市間競争に勝利するための地方都市の重要な装置として注目を集めてもいる。

たしかに都市計画法が改正された2008年以降、新規なモールの建設は難しくなった。先に触れたように、2000年に施行された大店立地法は、市街地での建設を禁止し、モールを遠隔化、また巨大化することで、皮肉にも中心市街地の空洞化を招いた。

それに対処するために、2008年には中心市街地の発展に協力するモール以外は建設を認めないという極端な手のひら返しがおこなわれた。結果として、東京ミッドタウンなどの市街地再開発型や、品川駅を代表とするエキナカの開発型を除けば、モールの建設は急減する。

ただし抜け道もあった。実際、あらたなモールが地方でも今なお出店を続けているが、その有力な手段となっているのが、自治体と手を組み、それまで荒れ地だった場所を「市街地」として開発する道である。

3065とはずがたり:2016/05/12(木) 11:34:19
>>3063-3065
固定資産税の増益や労働市場の確保のために、モールは歓迎されるのだが、注目されるのは、衰退の著しい小さな自治体で、誘致にとくに力が入れられていることである。大規模、中規模の自治体ではなお市街地商店街が政治的な力を保っているため、モールを優遇することは難しい。それに対し、すでに中心市街地の壊滅した小規模な自治体では起死回生を狙う劇薬として、モールに最後の希望が託されているのである。

結果として、地方の中規模の街のぎりぎりの外部のかつての荒れ地に、モールが連なるという奇妙な風景が日本各地に出現している。

たとえば筆者の住む山形市の近隣でも、2014年に隣接市の天童市に東北最大級のイオンモールが、2015年にはモールではないが東北初のコストコが隣接市の上山市に建設された。山形市は地域の中心自治体になっている。そこに入る客をせき止め、またはそこからの客を期待して、行政的に市をぎりぎり越えた外部に、大規模な小売店の出店が続いているのである。

他の地方でも同様である。たとえば隣県の福島市では、2006年に周囲の自治体にモールをつくることへの反対運動が起きた。人口減少の激しい近隣の伊達市にイオンモールの出店が計画されたのだが、この場合には運動が実り、大規模店の出店を制限する条例がつくられ、モールの建設は阻止された。

ただしそれが本当に地域のためになったのかは、疑問も残る。かつて地方の中心市街地は、周囲の町や村から人口や購買力を奪うことで成長してきた。それに対し現在、モールの誘致というかたちで周囲の自治体から反撃がおこなわれている。

そうした歴史的見取り図を踏まえれば、モールを規制することにいかなる経済的、また倫理的な正当性があるのかは、いったん立ち止まり考えてみなければならないのである。

廃墟化するモール

いずれにしてもモールは現在、地方都市の周囲に立ち並び、これまでの商業的な空間配置を掘り崩している。モールの出店には地方を出なくても、モードに触れさせてくれるという意味でポジティブな面もあるが、とはいえネガティブな面がないわけでもない。

ひとつの問題は、モールの出店が近年、過当競争を引き起こしていることである。最近では滋賀のピエリ守山の廃墟化が話題になったが、起死回生の策として自治体に必死に後押しされた出店競争は、人口縮小という現実のなかで、「勝ちモール」と「負けモール」の格差を拡げつつある。

とくに2008年以降、東北や北陸、九州地方でモールの減少が目立つ(日本ショッピング協会『SC白書2014』)。ますます郊外に巨大化なモールをつくり、他のモールから顧客を引き寄せる競争が、地方ではますます仁義なきものになっているのである。

事態を悪化させているのは、いったん客の流れを失うと現在のモールでは衰退が急に訪れることである。モールの結ぶ数年を単位とした契約の一般化は、デベロッパーを有利にしただけではない。それは入居時の保証金を安価なものにすることで、個々のテナントにも出店と退店をやりやすくする。

その上、流行のテナントは、競争に打ち勝つキラーコンテンツとして、複数のテナントから今では引く手あまたなのであり、結果として勢いを失ったモールからは、しばしば一気に退店が続出している。

それだけならデベロッパーの問題に留まるが、しかしモールの撤退は、地域にも大きな困難を生んでいる。農業や製造業などの基幹的な産業が不調な地方では、モールを中心とした郊外の大規模なサービス業は例外的にますます雇用――しかし非正規的な――を拡大しており、だからこそモールがつぶれた場合、一気に街から職が失われかねない。

かつて荒野だった場所に突如現れた大規模なモールのにぎやかな風景は、その裏でこうした「廃墟」の可能性をますます大きく宿している。実際、アメリカではすでに過当競争やネットの拡大によってモールの減少がみられるといわれるが、その波が日本の地方にも避けがたいとすれば、今度は何を頼りにした競争を強いられていくことになるのだろうか。

貞包英之(さだかね・ひでゆき)
山形大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得満期退学。専攻は社会学・消費社会論・歴史社会学。著書に『地方都市を考える 「消費社会」の先端から』『消費は誘惑する 遊廓・白米・変化朝顔〜一八、一九世紀日本の消費の歴史社会学〜』など。


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