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高速道路・地域高規格道路・自動車専用国道
1
:
とはずがたり
:2003/11/28(金) 21:25
建設検討・工事情報
国土交通省
http://www.mlit.go.jp/
道路局
http://www.mlit.go.jp/road/index.html
3362
:
とはずがたり
:2015/01/16(金) 09:52:52
『中央高速道路工事誌』(日本道路公団・S45・以下工事誌)や「中央自動車道の調査結果について」(『建設の機械化』122号)等に中央高速(南アルプス経由のこの道路を実現した現在の中央自動車道に対して元々の通称である中央高速と呼びたいと思う)の経路図が載っているが,大本はどうやら「国土開発自動車道中央自動車道(東京都・小牧市間)調査報告書」(昭和34年12月・建設省・以下報告書)の様である。
この本は総論と各論(2分冊)からなり総論に1:500,000の平面図と縦1/15,000,横1/500,000の縦断図が,分冊には1:200,000の巨大な平面図と縦1/6,000,横1/200,000の巨大な縦断図が載っている。
また知らなかった情報として,現在の道路は【大月線】と呼ばれていて,比較検討された27路線の中の最有力対抗馬ルートに【道志線】があり,更にその折衷案として【秋山線】というのがあったそうな。(地図には秋山線ルートは載っていない。)
現在の諏訪周り(【北回りルート】と云う様だ)に関して,秋山線や道志線は不利になるが,この段階で大月線が選択された事にその伏線が敷かれていたのかどうかが大いに気になるところである。
日本に於ける高速道路導入のはしりは戦前の独逸のアウトバーンや合衆国のターンパイクに刺戟された内務省土木局で検討が始まり,昭和15年(1940年)に始めて予算的に「重要道路整備調査」として採り上げられる事になった。この時も先ず東京〜神戸が優先され,昭和18年に名古屋〜神戸間の調査が行われた。当時のルートは木津川ルートと謂われて今の名阪国道に近いルートだったそうな。予算要求に迄漕ぎ着けられたものの戦局の悪化で雲散霧消することになったとしている(『工事誌』)。この【木津川ルート】であるけど,●木津川と謂うからには伊賀上野以西は今の名阪国道から離れて165に近いルートではなかったと想像されるが,未調査である。『工事誌』の記述に拠れば,産業基盤が育成され自動車交通の需要の多く,将来の裏日本筋との連携を考えて米原経由の関ヶ原ルートとされた,とある。木津川ルートは結局別に名阪国道が建設されているがこの段階では特段,論争にはならなかった様である。
さて,最大の論点であった中央山岳経由か東海道経由かの論争であるけど,よっきは距離が短くて速い事をアピールしてたけど,『工事誌』に拠ると最高速度も抑制されるし霧も発生するし,近辺に代替ルートもないから事故時の迂回も不可能でと色々後ろ向きな事が書かれている。以下詳述:
中央山岳ルートは国造りルートとして一部の政界・財界から強力な支持を得ている一方で,東海道ルートは激増する自動車交通の処理の為に絶対に必要だという道路行政担当者をはじめとする専門家の間で支持を得ていたそうな。つまり夢を追い道路マニアvsリアリストの道路官僚の構図であり,昭和31(1956)年には「道路整備特別措置法」が成立して所謂有料路制度が確立し道路公団が設立され,その前年昭和30年に超党派の議員に拠る「国土開発縦貫幹線自動車道」が共同提案され,立法過程で経由地は別法律とされて昭和32年春に「高速自動車国道法」とともに可決成立の運びとなった。
高速自動車国道法に基づき制定された高速自動車国道の路線を指定する政令によって中央自動車道の法的基盤が確立し,その起終点と主な経由地を東京〜吹田及び相模湖町・富士吉田市・井川村・飯田市・中津川市・小牧市・大津市・京都市とされた。小牧以東は調査が進んでいたので昭和32年10月に施行命令が発せられ,次は懸案の小牧以東となる。(『工事誌』)
調査は昭和32年度から本格的に始まり昭和34年度迄続き,その間約1億6千万円の調査費が費やされ調査結果は昭和34年暮れに公表された。その中身は路線が急峻な中部山岳地帯を経過する為工事には相当な困難が予測されるが,土木技術上必ずしも至難な工事では無いこと,但し高速道路としての機能性や有料道路としての採算性には問題があると報告された。(『工事誌』)
3363
:
とはずがたり
:2015/01/16(金) 09:53:23
>>3362-3363
具体的には「報告書」にある。
全延長のうち,昇り3.1%以上の勾配,及び降り3.1%以上の勾配の坂路の占める割合は,東京・小牧間で19.2%,精進湖・中津川間で35.7%となっている(但し下り線・上り線は異なる)。最急勾配5%またはこれに近い急勾配の坂路については,その長さに制限をつけるのが普通であるが,本計画では地形の関係上制限を設けなかった。昇り5%の最長坂路は長さ6.8kmであり降り5%の最長坂路は長さ7kmでいずれも富士川・大井川間にある。これらは好ましいものではなかったがやむを得なかった。(報告書p.52)
また赤石山脈を越える際には
「硯島トンネル西口から大井川を渡り川に沿って,約4km南下してから,赤石山脈を延長約8.1kmのトンネルで横断する案と,硯島トンネルの西口から直ちに大井川を横断して赤石山脈を延長約10.1kmのトンネルで抜ける案を比較した。前者は,後者よりも延長において約1.6km長くなるが,長大トンネルの延長は,約2km短くなる。したがって前者の建設費は約73億円安くなり,維持費も安くなるので,これを計画線と決定した。」(調査報告書)
とある。
●トンネル部の建設費・維持費はその後の技術革新でどう変化したんかね?近年のマニアックに若しくはストイックに或いはサディスティックにはたまた若しくはフェティッシュに長大トンネルを好んで穿つ国家建設当局であると思われるが隧道部の非隧道部に対する相対的な有利度に変化があったのでは無いかと思われる。(現在最長の道路トンネルは関越トンネルの11km超。)
また採算性であるが,建設資金の利子率であるが年平均利子率を6%とすると償還不能,3%の場合でも47年も掛かるとされた。(調査報告書)
夢をぶち上げる政財界のマニア達に対して実際に調査・立案したリアリストの専門家達の現実直視せよと云う報告書となったようであり,『工事誌』には「推進している方々から大反撃を喰った」とあるw
両資料には勿論その様な事は書かれていないが,●大月線ルート推しがあった時点で背景に北廻り経路が暗黙の前提というか(リアリスト側が埋め込んだ中央道建設の)落とし所としてあったような印象を受けるのはこの為である(縦貫道法別表に相模湖町付近とあるので道志線がそもそも規定外に見えるが,道志線でも"相模湖町「付近」"を津久井町内で通るので法令違反とはならないようである。)。また大月経由は随分と道志線経由に比べて大回りに見えるが,道志線の方が約3km長くなるのだそうな。道志線の利点は建設費が安いということ。但し経済圏から遠く採算性は悪いと云うことのようである。予定線をみると道志〜富士吉田間で山中湖側へ大きく迂回している。現在ならば道志〜吉田間は御正体山ぶち抜きそうなものである。
南アルプス越えを前提としてた時点での大月ルートの決定は国道20号との接続を考えたのであろうと『工事誌』も述べているので結果論として実現しただけという可能性も棄てきれないが,この春開業の東北縦貫線が比較的安価で出来たのは東北新幹線を建設した際に,これ以上線路は増やさないと云う地元との諒解の元で建設されたにも拘わらず東北新幹線の橋脚をもう一段線路を上に乗せられるように頑強に造ってあったと云う準備がなされていたのであり,今の大月Jctの形状を見ても甲府・諏訪方面があとから分岐したようにはとても見えないので計画がちゃんと埋め込まれていた可能性は少なくない様に思われるのである。
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