したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

解脱の悟りに続きはあるのでは?

1名無しさん:2014/10/21(火) 10:02:13
解脱の悟りが本当に最後なのか?

それを越えた方がいれば、説いていただきたい。

111慧空:2015/11/20(金) 04:28:48
中道について、おそらくですが、釈迦は中道なんて説いてないと思いますよ。
なぜなら、中道はまだ二元の囚われの範疇なのです。
なぜなら、「中道」という考えがあり、それを言うということはそれが良い考えているからであり、
つまり、まだ良い悪いの囚われがあるということです。

それと、もう一つ、指摘させて頂きますと。
私が言っている一切皆苦の苦は、二元的な世界観の範疇の外にあるんです。
ですから、一切皆楽は、あり得ないのです。

連鎖的に起こってくる意識の展開そのものが苦であると言っているのですから。
しかし、私がいくらこの苦について説明しても、簡単にはお分かりにはなれないと思います。
この苦に関する話が分かるようになるには、相当に囚われが薄くなる必要がありますから。

112あなわ:2015/11/20(金) 05:43:04
すい空さんが正しいと思うのなら、それがすい空さんの正法と思います。

113慧空:2015/11/20(金) 06:34:26
これが正しいなんて考えは、とっくにもうありませんよ。(^o^)
正しいことも、確かなことも、何処にも無いんですが、
お分かりにならないでしょうねぇ。(^o^)

114あなわ:2015/11/20(金) 06:56:45
わかりませんよ。すい空さん。

釈尊より解脱した人は、すい空さんくらいしか
いないでしょう。
ただ、何か突っ込んで欲しそうなので、突っ込んでおきます。

まず、「私」を認めている時点で、よくわかりません。今、この瞬間、、でさえ10000の1秒意識しただけで、今、この瞬間ではなくなります。
今、すら一瞬たりとも認めてはならないのが法です。

苦はあって楽はない、それは二元の外の話とのことは頷けます。なぜならすい空さんは「私」を認識してしまってますから。それは苦はあるでしょうね。

115あなわ:2015/11/20(金) 07:03:02
でもそれはすい空さんの望み所ではないですか?
苦が好きなんですから(笑)

きりがないので、このくらいにしておきます。

116慧空:2015/11/20(金) 07:04:10
あなわさん、おはようございます。

囚われを含む考えには、どうやら深さがあるんです。
その中で、「私」と「苦」は最も深い考えなんです。
しかし、私も苦も考えであり、幻である点では他の考えと同じなんです。

117慧空:2015/11/20(金) 07:04:51
切りが無い、仰る通り。(^o^)

118佐藤:2015/11/20(金) 07:27:24
>苦が好きなんですから(笑)

好きな人なんていないと思いますよ。
でも仕方ない 諦めてくださいという事ではないでしょうか?

119佐藤:2015/11/20(金) 07:35:07
釈迦の善というのは社会で快適に生きるためのツールなだけだと思ってます。

それよりは縁起や四諦などの考え方の方がここでは参考になると思います。

120佐藤:2015/11/20(金) 07:44:18
意識の動き見るのであれば、闇に落ちる事を繰り返すのも一つの手だと思います。

121あなわ:2015/11/20(金) 19:01:06
何故釈迦は経典を残さなかったか、
各々皆さん、そこらへんを考えてみるべきと
思いますよ。

122あなわ:2015/11/20(金) 20:11:47
それから釈迦が実際、3000回以上も転生しているなら、すい空さんや、他の覚者が体感している悟りはすでに何百回と体験している可能性がありますよ(^^) 宇宙とは不思議ですね。いったい宇宙の果ては何処なんでしょう。では、この宇宙は有限なのか無限なのか。限りあるのかないのか。

実に不思議です。わかりませんね^o^

123佐藤:2015/11/20(金) 20:43:24
>釈迦が実際、3000回以上も転生しているなら、すい空さんや、他の覚者が体感している悟りはすでに何百回と体験している可能性がありますよ

残念ながら、そういう側面はあるかもしれません。
受け入れ準備okじゃないと、
何を言っても無駄な面があるなと思います。

124佐藤:2015/11/20(金) 20:46:24
>何故釈迦は経典を残さなかったか、
各々皆さん、そこらへんを考えてみるべきと
思いますよ。

経典云々は、どうでも良い事かと思いますよ。
善であっても縁起であっても苦諦であっても参考になれば使えば良いし、ご自身で検証すれば良い事なだけかと思います。

125あなわ:2015/11/20(金) 22:47:54
佐藤さん

例えば、こういう仮説はどうでしょう。

人は自分が信じている宇宙を選択する事が出来る。つまりこの世界、及び宇宙には正しい事もなければ間違ったこともない。信じて、そうだと思った宇宙が真理現生する。

つまり、これで解決した。もうこの宇宙に必要はないと、悟れはそうなる。それはそれで完結。しかしこの宇宙は永遠だから魂は無限に広がり続けるんだ、成長するんだと思えば無限の旅路にでることになる。みたいな。

つまり答えはないから釈尊が経典を残さなかったなら理解できます。ただし、多くの苦しみを救う段階までの最低限の法だけ示したのならば、釈迦は苦の本質を理解していたのではないか。

つまり苦は何も生み出さない。なにもない。存在すら意味もない。無だけならば良いでしょう。
しかしその空間には全てが否定されるのです。
私はなにも魅力に感じませんでした。自我があればそれは絶望の境地となります。私が体験した苦とはそういった完全否定の世界でした。

宇宙は単に無意味であり続けるのか。
それとも愛ある至福の境地であるべきでしょうか。それとも、苦も至福もどちらにも拠らない
中道であるべきでしょうか。

それは自分自身で選択し現生していきれるなら
面白いとは思いませんか?

126名無しさん:2015/11/21(土) 00:02:05
あなわさんのお話はスピリチュアルをうたってる方がたと同じく感じます。
愛だ!至福だ!宇宙は完璧‼とか
陰陽も
ヒーラーさんが「この世は幻だからどうせなら楽しい方がいい」と言われてたのを思い出しました。
そこを選択されていられるなら解脱しなくていいですよね??
どっぷり至福に神秘体験に浸ってればよろしいじゃないですか♪

それとも一切皆楽が悟りの執着…終着点ならスピリチュアルをうたってる先生方は解脱してるのでしょうかね??

127アナハセ:2015/11/21(土) 10:02:50
 肉体に存在している限り、そもそも解脱はあり得ないのでは?

 苦の拘束から離れられませんから

128あなわ:2015/11/21(土) 14:58:09
名無しさん

わかりません。あくまでわたしの想像ですから^^;
解脱に対しても、仏法の解脱とすい空さんの解脱は違うように思います。
私が思う仏法の解脱は、最終的に残ると仰る「私」をも手放す事ですから。私を認識して認めている時点ですでに二人ずれですし、苦が消えるわけがないというのが私の見解です。

129名無しさん:2015/11/25(水) 08:40:12
 仏教の解脱とどう違うんですか?

130あなわ:2015/11/27(金) 17:37:08
名無しさん

すい空さんは、「私」を認め認識してます。
少なくともはっきり言えるのは、仏法は私も今
も楽も法も、何も認識などしないという事です。
光も、闇もです。

例えば、禅定に入ると非常に、楽になり幸福感に包まれます。それは囚われから解放され今の縁に近づいているからですが、楽だ幸福だ‼︎などその状態を認識して味わい始めると、この楽な「今」は霞のごとく消えていきます。私という自我も同じで認めれば純一の世界から分離して拘りとなり囚われます。

ただ、すい空さんの、二元の外の私というのがよくわかりません。感覚の奥深い所なのでしょうが、それこそすい空さんの解脱なのだという認識です。

すい空さんが、あげている3つの苦の内、1と3
が残るとの事ですが、是非3を手放してみて、その心境を聞いてみたいです(1は肉体がある以上当然と残りますが、悟ると囚われがないので、苦も楽もただ通り過ぎて去るのみと思います)ただ一つ可能性として言えるのは、すい空さんの捉えている二元の外の私とは、通常自我と呼ばれる私と、真我と言われる私の2パターンが考えられますがいずれにしろ、仏法ではどちらも相手にしないとは思います。おそらくは、たぶん。。^^;

131名無しさん:2015/11/27(金) 21:44:41
あなわさんもまだ迷いの中ということですね(^-^)

132なう:2015/11/29(日) 18:04:18
 解脱に私の認識はありません

133大空:2015/11/30(月) 08:48:51
喜びや歓喜はまだ第一禅定の段階です。自覚は先にサマタ力を修業で強めないと、なかなか進まないのでは?

134あなわ:2015/12/06(日) 00:47:29
幸せに生きたければ、幸せにいきる選択をすれば良いと思いますし、苦しんで生きたければ、解脱してもなお苦を握りしめて生きればよいかと思います。それは個人の自由でしょうが、私は遠慮しときます(^^)

135あなわ:2015/12/06(日) 00:54:43
それから私は、苦の本質は私ではなく私を認識する私は、あくまで苦のきっかけに過ぎず、単なる自我です。その本質は単に宇宙の陰陽の底にある隠に過ぎないと思います。

136あなわ:2015/12/06(日) 01:17:22
釈尊は苦の本質を理解していたと思います。
この本質を理解しているからこそ、苦からの解放を広めたのではないでしょうか。陰陽の宇宙は天国と地獄の階層と思います。私は誰しもが地獄に堕ちて欲しくないと願ってます。皆が天国にて苦のない幸せな世界に行って欲しいですし、苦しむ人々を救いたいと思います。それが誰であっても、全ての人々全部です。皆が幸せになって欲しい。ただそれだけを願っています。

137大空:2015/12/06(日) 09:05:10
 同感、苦とは単に思いどおりにならないことですよね。

 苦をもたの

138大空:2015/12/06(日) 09:07:44
苦をも楽しみに変えることができるのがブッタ。

139名無しさん:2015/12/08(火) 21:50:22
あなわさんの天国地獄論よりすいくうさんの無明の話の方が個人的には理解できます〜
以上!

140なう:2015/12/11(金) 08:55:26
 人が天使に生まれ変わるってあるんですか?

141あなわ:2015/12/11(金) 15:03:24
天使がいるかどうかは、どうなんですかね^^;

自分は経験した事から推測出来る範囲は、信じる傾向にあります。
まず、光、無条件の愛、至福、無限の愛の体験。これはそういう全てを肯定する波動の階層があり、たまたま波長が合ったんだと推測してます。当時、呼吸法を色々試しながら散歩してました。その時の体験です。これを光、陽、神、と定義するとします。

その絶対至福の真逆が、私が定義付けする闇という体験です。その空間では全てが否定されました。これは寝ている時でしたが、とにかく凄まじい苦でしたので、闇、悪、隠と定義付けしました。これも無意識のうちたまたま波長があっただと推測。私が苦など何の意味もないと言い切るのはこの経験からです。それは虚無以上に無意味と断言できます。

この光と闇の体験を、極論で分別すると陰陽の宇宙があり、それは双方に無限大に開かれており、それがあまりに両極端な至福と苦でしたので、ならばその間にそれぞれのレベルの階層、光から闇までの波動の世界が縦にあるのかなあ〜と推測しました。その陰陽の無限ともよべる階層をひっくるめて宇宙は一つなのかもしれないなと。わかりませんが。

ただ、この幸福も苦も、肉体があるから感じたような気がします。肉体がなければ幸不幸も感じないのか、感じるのかは、わかりません。たぶん感じないのではないか。
ただし、人間は光、至福の体験は耐えられますが、苦の境地には耐えられないと断言できます。
そうすると、人間という存在はそもそもが光に部類する存在なのかもなと思いました。逆に闇に属するダークマターみたいな存在も宇宙にはあったりして。

ちなみに光そのものの時は、一切闇を感じないはずです。なぜなら上記の定義で言えば波動階層そのものが違うからです。その逆もしかり。
これが今の僕の体験から推測したまあ、想像宇宙ですが多分、そんな一括りにできるものではないでしょう。光と闇について誰か知ってれば、教えて欲しいです。

142なう:2015/12/12(土) 07:54:37
 ありがとうございます。天使って光の玉だと思いますが?

143あなわ:2015/12/12(土) 09:38:59
なうさん

ところで天使とはなんですか?
どんな光の玉なんですか?

144あなわ:2015/12/13(日) 19:32:28
ちなみに、現実的視点からの解脱を語ってみます。

現実、死後やカルマ、輪廻転生などは仏法的視点からみるとこれまた、どうでも良い事。

なぜなら現実人間として、人として生まれ生きているわけですから、今現在を最高に生きることが人としての生であり人生と言えるでしょう。それ以外ないはずです。

その中で苦とは私の考えでは、苦しむだけか虚無への消滅か?それしか意味をなさないと思います。そこで自我とは苦の元ですが、私は自我とは苦のキッカケに過ぎないと思ってます。自我による苦など絶対苦からすると、たいしたものでもありません。

魂の成長的視点からみると苦とはそれを乗り越えてこそ意味をなすものです。ただ苦しむだけでは全く魂は成長なんかしませんし、むしろ捻くれたり、悪に向かうだけです。

従って仏法はその苦からの解放(乗り越え成長する)なので、人生として生きるという絶対的現実、視点からみると、多くの大衆を救うありがたい法であると言えます。釈尊の説く仏法はこの人間社会に生きる人類に対する大慈悲心以外ない。その根源は、苦のキッカケに過ぎない自我なので、全て手放して、今をも認めない今を生き、悟りをも只管にして只管で破り、純然たる今に目覚める法を説いた訳だと思います。

つまり、解脱して残るのは純粋たる今であり、私という認識ではないはずです。何か認めて立ててまで認識するなど魔境にしか過ぎないのが仏法のはずです。

つまり仏法の解脱は、人間を苦の輪廻から解脱させるからこそ解脱と言うのでしょう。たぶん。
釈尊はその法を示したのだと思います。

145あなわ:2015/12/13(日) 22:47:43
つまり「私」と言うイタチが自分のシッポに噛みつくとします(認識)。シッポも私なので痛い(苦)噛み付くのを辞めない限り、痛い(苦)が消えないでグルグル永遠に回っているようなものです。仏法はそんな事はしないとは思います。。

146あなわ:2015/12/17(木) 01:11:40
大応国師いわく、仏祖際断して吹毛常に磨し、機輪転ずる所虚空牙を噛む。
つまり悟り尽くし、捨て尽くして、なお、磨くものも無い世界を磨いている。これが仏法です。

147アナハセ:2015/12/17(木) 08:59:51
私という認識は、解脱するとなくなるんですか?

148あなわ:2015/12/18(金) 00:35:36
さあ、それはアナハセさんが悟ればわかる事でしょう。私は悟ってないのでわかりません。

ただ、経験、体験から推測しているのみです。

例えば、覚者がこの瞬間は永遠だというのもわかります。今、瞬間しかないとそう感じるものです。
少なくとも、釈尊を低いものとしてすい空さんが語ってましたので、祖師仏法の気持ちをくんで、また法に迷う行者の為に、仏法との違いを明確にしておきたかっただけです。

釈尊から2500年、祖師は命懸けでこの仏法を伝来していました。その努力の歴史は壮絶たるもので、さらに2500年に渡って純化され今に至るわけです。悟りなど当たり前で、解脱するまで祖師は祖師をして生死を問わず法を伝来してきたと思います。すい空さんの悟りは何年か知りません。
私は宇宙には正しきも誤りもないと思いますので、それは関係ありませんが、すい空さんの解脱と仏法の解脱は違うとだけは明記しておきたかった。単にそれだけですよ(^^)

149あなわ:2015/12/18(金) 08:55:08
仏法の解脱では、多分ですが、なーんも無い
心境じゃないかな。

150ナウ:2015/12/24(木) 08:45:30
 縁起と苦がやはり関係のないことがよくわかりました。

 麒麟さんありがとうございます。

151名無しさん:2016/01/27(水) 17:12:54
 あなわさん仏教では悟りにレベルがあるが、解脱にはレベルがありませんよね?

152あなわ:2016/01/29(金) 00:02:14
名無しさん

わかりません。悟ってもいないので^^;
ただ、仏法的には解脱の先はないと思います。

しかし宇宙的には広がりに限界はないとみてます。

限りなく肯定する空間が陽。
限りなく否定する空間が隠。

この両極端の神を体験して、確信をもって断言できるのは全ての存在する生命は、無償の愛に生かされているという事です。どんな悪をふりかざす人間ですら、骨の髄まで愛し尽くされているというのが真理です。
これがなければ生命は存在できません。存在とは愛の証明なんです。

そして陽は脳内に囚われがない時に作用します。愛、至福。
隠は囚われがある時に作用します。悪、苦。

人間レベルの苦などサッサと脱してしまうのが賢いといえます。これは神が人間という生命に与えた課題かもしれませんね。多分そんなつくりになってます。

従ってその法を示したのが釈尊です。

釈尊が一本の華を手にとり、かざした。
迦葉のみが、それを見て破顔微笑した。

全てを捨て尽くして、悟り尽くしたものだけがわかる端的な真理です。しかし大衆の前でオヤジギャグばりに真理を示したのでちょっとウケたんでしょう(笑)釈尊はユーモラスな人物であったと推察できます。

153大空:2016/02/01(月) 23:04:31
 あなわさんは、なぜ覚醒が生じないんですかね?

154あなわ:2016/02/02(火) 01:14:14
大空さん

そりゃ 私が覚醒に値しない小物だからでしょう。

155あなわ:2016/02/02(火) 09:43:08
もう一つ理由をあげるとしたら、至高体験や今に覚醒していたのは10年程昔でした。

当時は極限の苦しみがしばしば現れるような精神状態でしたから。覚醒と苦に関連性があるのは否めません。
今は単なる怠け者になっちゃった(笑)

156名無しさん:2016/04/10(日) 17:50:27
『神の使者』という本を読み直していたら、
やはり解脱の悟りの次というのか、
正確には次じゃなくて一気に飛躍する(させられる)段階、
それがあるんだってことが書かれている。
トゥリーヤ(第4の意識)までは連続しているから、
自覚のようなやり方で「到達」することができる、
だけど、トゥリーヤーティタ(第5の意識)は、
もはや「状態」ではなく、意図して「到達」できないと。
だからブッダはもう一度人生をやり直すことになったと。

157名無しさん:2016/04/11(月) 01:22:30
「悟り」は宗教ですかね?
私は違うと思います

雑念である「悟り」に注意を向けてる状態から抜けて、本来の自己(悟り)の状態に入ってくるのです

158名無しさん:2016/04/11(月) 16:39:14
今すぐヤレる出会い系ランキング
http://bit.ly/1OgYRt7

159名無しさん:2016/09/19(月) 13:24:48
 解脱の先って?
 
 それに関連する興味深いサイトを見つけた。

http://breath-awake.com

160名無しさん:2017/01/31(火) 16:36:43
これはどうかな? 悟りや解脱をPCで説明してる 

http://ssovretawssov.web.fc2.com/sub20.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板