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解脱の悟りに続きはあるのでは?

144あなわ:2015/12/13(日) 19:32:28
ちなみに、現実的視点からの解脱を語ってみます。

現実、死後やカルマ、輪廻転生などは仏法的視点からみるとこれまた、どうでも良い事。

なぜなら現実人間として、人として生まれ生きているわけですから、今現在を最高に生きることが人としての生であり人生と言えるでしょう。それ以外ないはずです。

その中で苦とは私の考えでは、苦しむだけか虚無への消滅か?それしか意味をなさないと思います。そこで自我とは苦の元ですが、私は自我とは苦のキッカケに過ぎないと思ってます。自我による苦など絶対苦からすると、たいしたものでもありません。

魂の成長的視点からみると苦とはそれを乗り越えてこそ意味をなすものです。ただ苦しむだけでは全く魂は成長なんかしませんし、むしろ捻くれたり、悪に向かうだけです。

従って仏法はその苦からの解放(乗り越え成長する)なので、人生として生きるという絶対的現実、視点からみると、多くの大衆を救うありがたい法であると言えます。釈尊の説く仏法はこの人間社会に生きる人類に対する大慈悲心以外ない。その根源は、苦のキッカケに過ぎない自我なので、全て手放して、今をも認めない今を生き、悟りをも只管にして只管で破り、純然たる今に目覚める法を説いた訳だと思います。

つまり、解脱して残るのは純粋たる今であり、私という認識ではないはずです。何か認めて立ててまで認識するなど魔境にしか過ぎないのが仏法のはずです。

つまり仏法の解脱は、人間を苦の輪廻から解脱させるからこそ解脱と言うのでしょう。たぶん。
釈尊はその法を示したのだと思います。


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