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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲

706在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2015/06/04(木) 10:15:53 ID:w5iV/MSs
「出土品の化粧道具」エジプト発掘の原点…吉村作治さん

2015年06月04日 08時20分
努力の成果、夢を発掘

◇たからもの

 綿にくるまれ、箱に収められた灰色の石板と白い棒。

 早稲田大学エジプト調査隊を組織し、1971年にエジプト南部のルクソールで開始した初の発掘調査で出土した。「僕にとって、エジプト発掘の原点です」

 紀元前3500年頃の古代エジプトで使われた化粧道具だという。当時、厳しい日光から目を守るため、男女問わず、目の周囲に黒い顔料を塗っていた。この約10センチ四方の石板は顔料をすり潰すためのパレットで、棒は目の周りに塗る時に使う象牙製のスティックだ。「5500年後に掘り出し、当時の生活を想像する。ロマンチックな仕事でしょう」

 ツタンカーメン王の墓を発掘した英国人の伝記を小学4年で読んで以来、エジプト考古学者になるため、ひた走った。早稲田大にはエジプト考古学の学科がなかったため、サークルで勉強会を開いた。タンカーの運航会社に頼んで乗せてもらって中東に渡航。ピラミッドや神殿を見て回った。「この出土品は、子どもの頃からの夢が実現したことを物語る品でもあるんです」

 努力すれば夢はかなう。これが信念だ。

 エジプトで遺跡を発掘するには、同国政府から発掘の許可を得る必要があった。このため、カイロ大学に聴講生として通いながら、当時、窓口になっていた考古庁を何度も訪れて、交渉した。

 ところが、取り合ってくれない。途方に暮れる中、搭乗した飛行機で隣の座席の男性が話しかけてきた。それが考古庁の長官で、その時の出会いがきっかけで許可が下りたという。「努力を続ければ、運も付いてくるんですね」

 最初の発掘で化粧道具が出土したのは、ナイル川が氾濫した際にちょうど水際だった場所。そして、象牙製品を所有できたのは地域の支配者だけだったことから、こう推論した。

最初の発掘で出土した化粧道具
最初の発掘で出土した化粧道具
 <支配者の娘が身分の低い青年と恋に落ち、会うために朝早く家を出て、ナイルの水面を鏡にして化粧しようとした。だが、追っ手に見つかり、逃げようとして慌てて落としてしまった>

 その後に見つかった土器や石器などを含めた出土品は、考古庁と早稲田大学調査隊で分配した。「この推論を長官に話すと感心して、化粧道具は調査隊の取り分にしてくれたんですよ」

 ギザの大ピラミッドの近くで見つかった「第2の太陽の船」の復元プロジェクトに携わるなど、今もエジプトの大地で夢を追い続ける。化粧道具は、初代所長を務めた早稲田大学エジプト学研究所に所蔵されているが、刻まれた文様など細部に至るまで、脳裏に焼き付いているという。

 最近、夢を持っていない学生が多いことが気がかりだ。「大学に入ってから夢を見つけようとする人もいるが、早いに越したことはない」。学長を務める東日本国際大学(福島県いわき市)では、地域の高校を回って講演している。その際はやりたいことを早く見つけるよう、呼びかける。

 エジプトでの発掘を志し、化粧道具などの遺物を掘り当てたように、若者たちも夢を追い続け、それぞれの「出土品」を手にしてほしいと願っている。

 ◇よしむら・さくじ

 エジプト考古学者。東日本国際大学学長。1943年、東京生まれ。電磁波探査レーダーなど、最先端の技術をいち早く導入した調査で有名。青いマスクを着けたミイラの木棺や、親子のミイラが埋葬された墓の発見など、数多くの業績を残している。


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