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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲

385在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2013/03/14(木) 20:06:53 ID:M.JTt64o
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130314001&expand&source=gnews


古代エジプト、人骨が語る過酷な暮らし


Traci Watson
for National Geographic News
March 14, 2013

 古代エジプトの都市アマルナの壁に刻まれた彫刻は、豊かな暮らしを物語る。農場では牛が肥え、倉庫には穀物と魚があふれ、ファラオは音楽家の演奏を聴きながら肉のごちそうを食べている。


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 しかし、アマルナでの暮らしは、少なくとも一般庶民には過酷な労働と貧困に耐えるものだったことが、最新研究によって示唆された。彼らは水をくんで運び、ナイル川の船から荷を下ろし、壮麗な石の神殿を急ピッチで建設した。神殿の建設は、時の支配者で“異端の王”とも呼ばれるアクエンアテン(アメンヘテプ4世から改名)の命によるものだ。

 アマルナの平民墓地から発掘された人骨を調査したところ、子どもの多くは栄養失調で発育不全だったことが明らかになった。大人も過酷な労働に従事していたらしく、事故による負傷の痕が多く見られる。

「古代エジプトの人骨で、これほどストレスと病の痕跡を残しているものは報告例がない」と、アーカンソー大学の生物考古学者ジェローム・ローズ(Jerome Rose)氏は話す。ローズ氏は人骨を調査した専門家チーム「アマルナ・プロジェクト(Amarna Project)」の一員で、ナショナル ジオグラフィック協会研究・探検委員会(CRE)の支援を受けている。「アマルナは古代エジプトの首都だ。食物は豊富にあったはずだ。(中略)何かが間違っているように思われる」。

 アマルナは紀元前1350年ごろ、有名な王妃ネフェルティティの夫でツタンカーメン王の父とみられるアクエンアテンが砂漠の中に築いた都だ。エジプトの多神教を廃し、太陽神アテンのみを崇拝したアクエンアテンの命により、現在のカイロの南約322キロにアテン神を信仰する場所として建設された。

 都として栄えた15年ほどの短い期間、アマルナには2万〜3万人が暮らしていたが、そのうちおそらく10%が富裕な上流階級で、広大な邸宅に住み、贅をつくした墓を建てた。残りの90%は、現在は南の墳墓群として知られる共同墓地でその一生を終えた。多くは狭い場所にすき間なく埋葬され、目印に石が積まれた。


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