イタリアにあるボルツァーノ欧州アカデミー(European Academy of Bolzano、EURAC)内の「ミイラとアイスマン研究所(Institute for Mummies and the Iceman)」の古病理学者、アルバート・ジンク(Albert Zink)氏は「首にあるこの切り傷によりラムセス3世は殺されたという事実にほぼ疑いはない。傷は非常に深く極めて大きく、骨(脊椎)にまで達している。致命傷だったことは間違いない」と述べている。
ラムセス3世は65歳前後で死亡したが、死因は明らかになっていない。ラムセス3世暗殺を共謀した者たちの裁判を記録した「トリノの法のパピルス(Judicial Papyrus of Turin)」という古文書の中にわずかな手がかりがあるだけだ。記録されている4つの裁判にかけられた中には若い妃たちの1人、ティイ(Tiy)とその息子ペンタウアー王子(Prince Pentawere)も含まれていた。