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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲
206
:
在カイロ スルタンホテル 塾長まる。
:2011/08/05(金) 06:37:26 ID:8Vvg3nvE
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110802/107140/?P=3
クレオパトラを探して (3/3ページ)
数十年ほど前から、考古学者はようやく本気でクレオパトラの埋葬地を探し始めた。フランスの探検家フランク・ゴディオの手で水中探査が開始されたのは1992年。これにより、古代アレクサンドリアの水没部分を地図にすることが可能になった。そこには、波止場や海岸の遊歩道、かつて宮殿が建っていた土地もある。スフィンクスの巨像、大きな石灰岩の敷石、花崗岩(かこうがん)の柱や柱頭をはじめとする引き揚げられた遺物は、クレオパトラが生きた世界をもっと知りたいという欲望をかき立てることとなった。
「私の夢は、クレオパトラの名が残された女王の像を探し出すことです」と、ゴディオは言う。
女王の墓の在りかとして、最近になってアレクサンドリア近郊の砂丘に建つ神殿が新たな脚光を浴びるようになった。計算高く、先を読む力があった彼女は、自分の墓をアレクサンドリア中心部よりも神聖な場所に造らせ、ミイラとなって、愛するアントニウスの傍らで静かに眠れるようにしたのではないか、という推論に基づくものだ。
クレオパトラと伝えられている大理石の胸像。鼻の曲がり具合など、顔の特徴の一部がコインに刻まれた肖像と合致しており、ローマ滞在中に制作されたと推測される。彼女の知性と機転、カリスマ性は、カエサルとアントニウスという古代ローマの権力者を魅了した。
「クレオパトラ7世像頭部」(紀元前50〜30年ごろ、大理石)
©2011 Christoph Gerigk, at Altes Museum, Berlin / National Geographic
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