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▲▲▲エジプト ギザ ピラミッド関連情報スレ▲▲▲

205在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2011/08/05(金) 06:31:47 ID:8Vvg3nvE
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110802/107140/?P=2


クレオパトラを探して (2/3ページ)

 クレオパトラがどこに埋葬されているか、多くの謎が残っている。彼女が最後に目撃されたのは、自ら造らせた霊廟(れいびょう)の中だ。臨終の場面を描いた絵画の中では、王冠と女王の衣を身にまとい、黄金の寝台に横たわっている。

 カエサルの暗殺後、後継者のオクタビアヌスは、ローマ帝国の支配を巡ってアントニウスと10年以上争った。オクタビアヌスの軍が、エジプトの都だったアレクサンドリアに入城したのは紀元前30年の夏のこと。クレオパトラは霊廟に閉じこもり、周りに金銀や真珠などの財宝を積み上げたという。ローマ人に渡すぐらいなら燃やしてしまおうと心に決めていたのだ。

 8月1日、アントニウスが剣で自殺を図る。瀕死(ひんし)の状態だった彼が、クレオパトラの腕の中で息を引き取れるようにと運び込まれたのが、この霊廟だった。愛人の死から10日ほどたって、39歳の女王が毒蛇に胸をかませて自ら命を絶ったという場所も、ここだったのだろうか。

 ローマの歴史家カッシウス・ディオは、遺体はアントニウスの亡きがらと同様に防腐処理を施されたと記している。また、プルタルコスは、敗軍の将となったローマの愛人の傍らに葬られたと書き残している。

 墓の在りかを示す手掛かりは今も見つかっていない。ナイル川流域にあるギザのピラミッドやルクソールなどの遺跡に比べ、アレクサンドリアに対する人々の関心は薄かった。それも無理はない。クレオパトラとその先祖が3世紀にわたって暮らした古代都市は、地震、津波、海面上昇、地盤沈下、そして内戦によって、既に破壊されていたからだ。無情にも、石材として再利用されてしまった建築物もある。現在、古代都市のほとんどは、水深約6メートルの海底に沈んでいるのだ。


アレクサンドリア沖の海底で発見されたクレオパトラ時代の彫像。ローマ人女性の頭部とプトレマイオス朝の王の身体をかたどったもの。地震や津波、海面上昇などにより、当時の首都アレクサンドリアは、広い範囲にわたって海底に沈んでいる。
©2011 Christoph Gerigk, Franck Goddio/Hilti Foundation / National Geographic


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