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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

866よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:47:21 ID:h7KzoO9o0
川面彩る夏の花 4000発奉納花火で最高潮
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726032.html

 日本三大祭りの一つに数えられ、千年を超える伝統を有する天神祭が25日、本宮を迎えた。色とりどりの衣装に身を包んだ約3千人の大行列で「時代絵巻」を出現させる陸渡御、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御などが執り行われた。夜には船渡御の船団ににぎわいを添える第66回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が大川一帯で催され、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(大阪市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」が執り行われた。その後、陸渡御列が催(もよおし)太鼓を先頭に、船渡御の乗船場になっている天神橋までの約3キロを練り歩いた。夕方からは船渡御の船団が、大川を舞台ににぎやかに航行した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が、船渡御列の行き交う大川の川面を華やかに彩り、水の都・大阪を華やかに演出した。

867よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:49:00 ID:h7KzoO9o0
大阪城、豊臣時代の石垣を募金で再現 売店一新、公募で
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201207260043.html

 大阪市は26日、国特別史跡である大阪城の観光振興策として、豊臣秀吉が築いた石垣の発掘・復元や、新たな売店事業者の公募を始めると発表した。石垣は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、発掘や公開の費用は市民に募金を呼びかける方針。

 大阪府市は6月の統合本部会議で、大阪城周辺を世界的な観光の重点エリアにする方針を示していた。

 現在の石垣は、秀吉による初代大坂城が落城後、徳川幕府が土を盛って新たに築いた。1959年の調査で、本丸の地下に豊臣時代の石垣が埋まっていることが確認されていた。市は発掘や再整備に向け、今秋から募金を開始。市によると、熊本城の復元の際は約5億円が集まったという。

868名無しさん:2012/07/26(木) 22:51:00 ID:J4nD8NLc0
>>860

江戸の風情は確かに違和感ありますね。
「江戸」とするなら「江戸時代の・・・」とすべきで

こここそ「浪花」or「大浪花の・・・」とすべきですね。

普段、しょうもないコテコテ用語でカタカナの「ナニワ」を
乱用し過ぎてるから逆に違和感があるかも?ですが。

869よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:02:51 ID:eDvrme4A0
「模擬原爆」犠牲者しのぶ 東住吉追悼式 大阪
2012.7.27 02:30
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120727/osk12072702300000-n1.htm

 昭和20年7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された「模擬原爆」の犠牲者をしのぶ追悼式が26日、同区の「模擬原子爆弾投下跡地の碑」で行われ、遺族や広島、長崎の被爆者、府内の中学生、東日本大震災の被災地から同区に避難している人たちが参列した。

 模擬原子爆弾は、米軍が広島や長崎への原爆投下を想定して訓練のために作った重量4・5トンの爆弾。20年7月20日から8月14日にかけ東京、富山、愛知、大阪などに計約50発が投下された。大阪では7人、全国で400人以上が犠牲になったことが後の愛知県の市民グループの調査で明らかになっている。

 東住吉区の慰霊碑は、大阪の犠牲者の遺族が戦争のない世界の実現を願い、平成13年に投下場所近くに建立した。追悼式は地元の市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」が毎年主催し、今年で12回目。平和教育の一環で模擬原爆について学んでいる地元の市立東住吉中学校の生徒をはじめ府内の中学生らも参加した。

 長崎の被爆者で同区に住む山科和子さん(90)は「親きょうだいがみんな死に、私1人が生き残った。原爆の悲劇、苛酷さを伝えるため世界22カ国を回ったが、この大阪も模擬原爆で広島、長崎とつながっていることを若い人に知ってほしい」と話していた。

870よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:19:02 ID:eDvrme4A0
幽玄な世界 観衆を魅了 北区で水上薪能
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120725/20120725024.html

 天神祭の宵宮に当たる24日夕、大阪市北区の帝国ホテル大阪前のOAP港に係留した船上で、恒例の「天神祭 宵宮祭 奉納水上薪能」(能楽奉賛会、能楽協会大阪支部主催)が行われた。船上で繰り広げられる幽玄な世界が観衆を魅了した。

 毎年、天神祭の宵宮に合わせて行われ、今年で8回目を迎えた。

 25日の天神祭船渡御列の舞台船の一つ「能船」の船上を舞台に、大阪天満宮の神職による火入れ式の後、狂言の舞「三番三(さんばそう)」、能「羽衣」などが上演され、幽玄の世界が繰り広げられた。

 能船の周りでは、人形船でのおはやしも行われ、祭りの雰囲気をいっそう盛り上げていた。

871よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:23:00 ID:eDvrme4A0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

月が照らす住吉大社と機関車
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120725/20120725044.html

大阪名所「住吉の月影」

 松の木はあり得ないほど倒れ込んで、汽車の勢いと速度を表す効果を生み、客車が放つ光が、月明かりに薄ぼんやりと浮かび上がる住吉大社の反橋の姿を、また鳥居前で人力車に乗ろうとする人や、赤いちょうちんを持つ女性を夜目に浮き出させる。その一方で、汽車は地面に長い影を引くが、これは月明かりによるものである。松の木が平伏するなか機関車がごう音を立てて通り過ぎれば、住吉大社はまた薄闇の中に沈んでいく。

 住吉大社といえば反橋が有名で、大阪の中でも定番の名所として知られている。その前を機関車が走るという景色は出色の出会いだ。この機関車は、日本最初の私設鉄道「阪堺鉄道」(後に南海鉄道が買収)の小型機関車で、明治18(1885)年に難波・大和川間が開通している。描いたのは、林基春(もとはる)、1858年生まれ。大阪の浮世絵師である。

 基春が機関車に何を見たのかは分からないが、私は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というSF映画の、火が燃える中を走る自動車型のタイムマシーンを無意識に連想し、機関車に時代を切り裂いていくようなイメージを重ね合わせてしまう。

 先日見たウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』という映画の影響もあるかもしれない。映画では、パリ観光中の小説家志望の脚本家が、真夜中を告げる鐘が鳴る中、なぜかヘミングウェーやフィッツジェラルド夫妻の闊歩(かっぽ)する1920年代のパリにタイムスリップするのだが、そこでも自動車がタイムマシーンになるのだった。主人公は雨のパリを傘もささずに歩いたり、コール・ポーターの音楽が流れる「懐かしのパリ」といった情趣を好む。

 映画ではこうした古いものに対するセンチメンタルな愛着が創造の契機となるのだが、基晴の月明かりの描き方にも同様のものを感じるのだ。

 今はもっと住吉大社に近い所を、今年で創業101年の「チンチン電車」が走っている。機関車のような迫力は毛頭ないが、街のたたずまいを担い、一つの風情となっている。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

872名無しさん:2012/07/27(金) 09:59:42 ID:9/iOb5lY0
橋下市長が文楽観賞=協会への補助金問題で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000179-jij-soci

大阪市の橋下徹市長は26日、国立文楽劇場(同市)を訪れ、
市からの補助金を全面凍結する意向を示している人形浄瑠璃・文楽を就任後初めて鑑賞した。
鑑賞後に取材に応じた橋下市長は「(関係者と補助金について)意見交換させてほしい」との考えを改めて表明。
一方、演者として市長と面談した鶴沢藤蔵さんは「一歩前進したんじゃないか」と述べた。 

時事通信 7月26日(木)22時49分配信

アンチ市長の連中が伝統保持を盾に批判コメを書きまくっていますが、
こいつらのなかで本当に今の文楽を愛してやまないという人間がどれほどいるかも疑わしいですな。
伝統伝統とそれにばかり固執し過ぎて、現代人に見向きもされない状態になっているのでは何の意味もない。
古き良き部分を残しつつ、現代人に受け入れられるようなアレンジは絶対に必要でしょう。
まして、税金を入れると言う状況の重さを、文楽協会及びその支持者には深く理解梨てもらいたいものです。

873名無しさん:2012/07/27(金) 11:59:36 ID:F4/fewOY0
>>872
税金を入れると言う状況の重さもわかりますが、伝統を絶やさないという価値の重さもまたあるんですよねえ・・・

私は、伝統芸能分野に関してはなるたけ「金のことは任せてもらっていいから」という態度で保護してくれる自治体なりパトロンなりが
ないといけないと思ってるんです。言い方変えると自助努力だけでは無理。

これはそもそも経済合理性に反した領域の価値観になりますので、財政難の大阪には重いわなあと同情してはいます。

874名無しさん:2012/07/27(金) 12:03:40 ID:F4/fewOY0
いっそのこと、橋下市長が文楽の宣伝マンになれば一番良いのでは?と思います。
(皮肉にもすでにそうなってるかも!)

「人気が出るようやり方を変えてください」と要求するだけではなく、もっと皆さん文楽観に行きましょうよ!と宣伝してあげること。
市長自ら旗を振ってあげること。
なんとか3900万円の補助金も無駄ではないぞと価値をアピールしてあげること。

それが一番良いのではないのかなあ。

875よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 20:41:11 ID:rdC9O4sM0
金は任せろ、というのはイコール『無批判で惰性でだまって金を出し続ける』、ではないのでは。

876よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 21:53:17 ID:rdC9O4sM0
大阪ロマン紀行

寺は人が集まる出会いの場
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120727/20120727050.html

「全興寺」大阪市平野区平野本町

 今まで何度か足を運んだことのあるお寺、全興寺(せんこうじ)。なぜ、何度も来たことがあるかと言うと、それはなんと言っても「おもしろい」から。

 取材のその日も境内には、珍しそうにシャッターを切る人、自分が地獄へ行くのか極楽に行くのか、イエス・ノー形式で地獄堂の壁のボタンを押す女性、地獄の音が聞こえるという石に頭を突っ込む男の人、地下に下りて行く瞑想(めいそう)空間「ほとけのくに」のステンドグラスの上でくつろぐ学生カップル……。

 とにかく、それぞれに、このお寺を楽しんでいる。それが全興寺である。「お寺は出会いの場。人が集まる場所であり、安らぎ、癒やされる場所です」

 と語る川口良仁(かわぐちりょうにん)住職。境内の一角には世代を超えた遊びと学びの場「おも路地」があり、そこでは定期的に催しが行われている。「みちくさ学校」は、平日の帰り道にちょっと寄って、いろんな講座を受講でき、「だがし屋広場」は、駄菓子屋さんを兼ねた遊び場で、土・日に子供といっしょに楽しめる。

 また、全興寺は平野の町おこしにも熱心で、「平野の町づくりを考える会」の事務局もお寺の中にある。その一環として行っている「町ぐるみ博物館」は、町を観光化して人を呼ぶのが目的ではなく、住民自身が楽しみながら地域を再発見しようとする試みである。平野にあるお店など、それ自体が博物館になっており、博物館から博物館へと歩く道中で、町並みや歴史や文化を体感できるように考えられている。

 素晴らしいのは、あくまで民間の組織として活動していることで、逆に市の方から後になって補助を付けにきた、という感じがいい。何事も「補助金ありき」で、そこからしか活動を開始しない団体とは大きく違う。あくまで「自分たちが楽しみながら活動する」という信条を貫いているからこそ、誰が訪れても素直に、いっしょになって楽しい気分になれるのだ。

 全興寺の創建は飛鳥時代。平野がまだ、ただの野っ原であったころ、聖徳太子が薬師堂を建て、その周辺に人々が住み始め、しだいに村が形成されていったという。ここの旧町名「平野野堂町」はその過程をものがたっている。

 つまり、昔からこのお寺は人が集まる場所であったということだ。

 千年以上もお寺を中心に人が集まり、町が栄えてきた歴史が、今もなお続いている。「人の集まるおもしろい寺」も、ここまでくれば筋金入りである。

877名無しさん:2012/07/27(金) 22:45:41 ID:9/iOb5lY0
>>873
価値ある伝統文化は残すべきだと言うのは同意するところなのですが、
果たして文楽が「残す価値ある」伝統文化であるか否かというところです。

現状、文楽の鑑賞者のほとんどは中高年層で、
若年層はと言えば、学校の芸術教室などで見に行くだけ。
自発的に見に行っている人はほとんどいないでしょう。

みんなに大事にされて、愛されているのなら存在意義も出てきますが、
ただあるだけで、関心を浴びていないのではないのと同じです。

今の文楽の課題は、後者から前者になれるかどうかですよ。

878よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 23:08:12 ID:rdC9O4sM0
結局、何でもそうですが『新規参入が無い業界は必ず廃れる』ということです。

文楽の場合、伝統に重きを置きすぎて、ややもすると文楽を知らない人にとって「難解で取っ付き難い」という印象を持たれてしまっている感があります。
そして普通の人が見に来なければ、見に来るのは一部の人たちだけとなり、その一部の人たちの為だけになってしまう。

これの極めて顕著な例が劇団です。日本には数多の劇団があるけれども、普通の人には取っ付き難く、限られた人たちだけを対象にしていまっている。
だから日本で劇団で採算が取れているのは、十も無いと言われています。
これは普通の人を弾いてきた結果、市場が広がらなかったのが大きな理由です。

歌舞伎や落語も伝統文化ですが、これらは伝統を守りつつも新しい事に挑戦しています。
新しく六代目桂文枝を襲名した桂三枝さんは、創作落語の達人とも言える人ではないでしょうか。
歌舞伎も落語も新しいものを取り入れる事で新しい客層を開拓し成功している。

文楽の場合は大阪の言葉を使う、という大きな制約があるのも事実ではあります。
何年か前に文楽関係の記事で「テレビの影響で純粋な大阪の言葉を使える若手が少なくなってきていて、文楽の水準の維持が難しくなってきた」とあるのを読んだ事があります。
ですから歌舞伎や落語のように自由に新しい事に挑戦するのが難しいのかもしれない。

しかしまったく新しい事に挑戦出来ない事は無いと思うのです。
私が見てみたい新しい文楽。
それは高知出身で近畿在住の大人気作家の有川浩さんの「図書館戦争シリーズ
」。
曽根崎心中が昔の恋愛ものの大傑作なら、「図書館戦争シリーズ」は21世紀の軽やかな恋愛ものの大傑作。
むろん恋愛だけではない要素も一杯で、とっても面白い。
とてつもなくトンデモナイ提案だとは自分でも理解はしていますが、若い人に向けた「敷居の低い・親しみを感じる・見てみたい」という新しい作品を作っていかないと文楽は将来、ジリ貧になるのではないかと私は危惧しています。

879名無しさん:2012/07/27(金) 23:24:32 ID:9/iOb5lY0
>>878
それいいかもしれません。

「図書館戦争」シリーズは、アニメや映画も大ヒットを飛ばした作品な上、
昨今のもろもろの表現規制騒動の影響で、非常に身近な題材となっています。
若年層の注目を集めるにはもってこいの作品だと思いますよ。

・・・ただし、作品人気で人を集めてしまうと、
演目が変わったら元の黙阿弥、となりかねないという危惧はありますが・・・

880名無しさん:2012/07/28(土) 04:18:27 ID:F4/fewOY0
>>877
>>878
今はお互いやり取りをしている最中ですので
これを機会に文楽教会側が変化するか、大阪市側が歩み寄るかは決まってないですし、その影響もどうでるかは未知数ですので
単に「伝統文化をなくしていいのか!」と突き上げるつもりはないのですが、
報道だとどうしても文化のわからない橋下が経済合理性だけで伝統文化を潰す、という単純化したものになっているのが嫌ですね。

私はそう見られてしまっている橋下さんは可哀想だと感じてます。
彼本人も誤解されて世間に伝わるリスクは自覚しているはずですし、何事も政治なんかそういうものですが
結果的には協会側と市側の付きあわせが良い方向に進むろうなという気はします。
(タブーをおそれず踏み込む市長の方法は皆が評価している通り効果的ですので)

具体的に文楽をどう現代化するか、どういうアピールをすればよいか、という案は私にはありません。
興味のある方がどうぞお考えなさって、というだけです。(私は文楽自体には全然興味ないのです。)
ただ伝統は消えたらまた復活させるのは難しいということだけは常に警戒しておくべき真実だとは思います。
それを踏まえた上で「消えるものは消えるべき運命だった」というのは、淘汰を受け入れる覚悟・姿勢ということでもちろん理解できます。

881名無しさん:2012/07/28(土) 04:42:12 ID:F4/fewOY0
 大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、
前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを
指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。(亀岡典子)

 橋下市長が国立文楽劇場(大阪市)で文楽を鑑賞したのは26日夜。その後、竹本源大夫さん(80)ら人間国宝の
楽屋を表敬訪問した後の記者会見で、「『曾根崎心中』の脚本は昭和30年に作られたそうだが、ラストシーンがあっさりしすぎ。
ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。記者の「文楽のほとんどが江戸時代に作られた。
それでも見直しが必要ですか」との質問に、橋下市長は「へえー、そうなんですか」と答えた。

 「曾根崎心中」は江戸時代に近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いて大当たりをとった。その後、
心中が流行したため、幕府は心中物の上演を中止。ようやく昭和30年に江戸時代の脚本をもとに復活された。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

>わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
>文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。

これが本当に可哀想なのです。
2回しか観てない立場でモノ申すことの必要性、それを示してくれてる市長は本当に体張ってるとおもいます。
100回文楽見た立場ではなく、市井の人々と同じく「文楽?ナニソレ?」という立場からの発言をあえてしている。
一方で伝統を大事にする人たち、もう一方で「文楽?ナニソレ?」という人たち。
後者のポジションで語り、勉強不足と突き上げられることのリスクと辱めをあえて受けてたつ橋下市長はやっぱり立派としかいいようがない。

882名無しさん:2012/07/28(土) 04:49:35 ID:F4/fewOY0
>>881記事の続き) 
 三味線の鶴澤藤蔵さん(47)も「『曾根崎心中』が作られた時代、経緯もご存じなかったようですし、
ただ面白いものを作ればいいという考え方にはうなずけない」と戸惑う。

橋下市長は、文楽の演出についても批判したが、そもそも文楽をはじめ古典芸能には「演出」は存在しない。
長い年月の中でさまざまな人たちの手で磨かれた「型」があるからだ。

 さらに橋下市長は27日には、前夜見た舞台について「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。
これに対して国立文楽劇場の制作担当は「江戸時代から人形遣い個人の魅力が楽しめるよう、
半透明の幕から人形遣いが見えるやり方をしていた。それが顔を出す原点」と説明する。

 人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)は「文楽は、人形を遣う3人、そして人形という、全部の影かたちで一つの役。
そこが他の人形劇とは異なるところ。根幹の部分でわかってもらえていない」と困惑する。

 長年文楽を見続けてきた作家の有栖川有栖さん(53)は橋下市長について「文化行政に一石を投じた」と評価しながらも、
「最近の相次ぐ発言は高い芸を磨いている文楽の人々を侮辱するもの。どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。
知識を深めたり何度も見たりしながら好きになっていく。もし、橋下市長のように『僕の感覚』で文化を取捨選択するなら、
大阪ではその基準の文化しか残らない」としている。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

883よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 06:01:39 ID:n7BQw0GE0
>「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。

 これはさすがに橋下市長、おかしいですよ。
 これは歌舞伎を見て「何であんなに派手なメイクをしているのだ? あれが気になって集中出来ない」と言っている様なもの。
 ね、変でしょう。
 文楽とはそういうものです。それが様式美です。それすら理解していないのでは文楽への橋下市長の発言は全て文楽への無理解からのものだ思われてしまう。
 文楽をまったく知らない人がした発言なら理解出来るのですが、仮にも大阪市長として文楽への補助金問題を扱う身でこれはダメですね。
 府知事時代のクソ教育委員会発言をはるかに超える問題発言だと私は思いますよ。

>どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。

 文化や芸術を語る時に、よく出てくるフレーズですが、私はこれを聞く度に「そうかな?」と思ってしまう。
 
 私の実体験ですが、私が小学校三年生の時、おやじに連れられて生まれて初めて落語を見に行きました。
 演じてらっしゃたのが先代の三遊亭園楽師匠の「目黒のさんま」。 
 生まれて初めての落語でしたが、私は笑いまくっていました。
 それからですね、落語にはまったのは。
 
 落語が文化ではない芸術ではない、という意見は拝聴するに値しないので捨て置きます。
 
 一回見ただけでわかる文化や芸術もあるのですよ。何回か見ないと分からないというもの文化や芸術ではある。
 ただそれに胡坐をかいてはいませんかね、と私は思うのです。
 胡坐をかいて普通の人と縁遠くなってしまったのが舞台・劇団だと私は思っている。
 これも実体験ですが、中学生の時に文化体験という事である芝居を見に行ったのですが、これがまったく理解出来ない。
 すごい劇団だ、という事だったのですが、それがまったく伝わらない。
 ようは玄人には受ける、慣れている人には受けるけども、知らない人にはまったく受けない。
 こういう世界はいずれジリ貧になります。新しい顧客が得られないから。
 
 文楽もそうならないと誰が断言できるのでしょうか。
 玄人には受ける、通には受ける、というのは言い換えれば「オタクの世界」と一緒ではないですか。
 あまりに「オタク臭」が強いと普通の人は敬遠します。
 文楽はあまりに伝統ばっかり連呼するとそうなりかねない。
 様式美は守りつつ、新しいことを取り入れて、裾野を広げていかないとまずいと私は思います。
 普通の人向けに、分かりやすいものを作る。
 それを見てすぐにファンになってくれれば良し、すぐにはファンにならなくても何年後かに「そういえばあの時に文楽を見たっけな」と思い出してまた足を運んでくれればそれでも良し。
 一回見て二度と来ないのもそれで良し、なのです。
 一番良くないのは「これはこうだから、これしかダメ」と決め付けて、限られた人にしかわからないようにしてしまうこと。
 そういう世界はいずれ滅びます。

884よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:09:22 ID:eXs2H96A0
〔碑にきく〕空の旅事業化の夢追う
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120728-OYT8T00037.htm

 潮の香りに抱かれた、堺市堺区の出島漁港外れ。夏草に埋もれて、「航空輸送発祥記念碑」がたたずむ。

 石碑脇の石板に、〈日本最初の定期航空を開始〉と刻まれている。1922年、大阪市でタクシー会社を経営していた徳島県出身の事業家・井上長一(1887〜1972)が、日本航空輸送研究所を設立。ここから和歌山市を経由し、徳島県小松島市までの100キロを1時間10分で結ぶ定期航空路を開設した。

 周辺は戦後、埋め立てて臨海工業地帯が造成されたが、当時は南北約7キロにわたる大浜海岸だった。建設に莫大(ばくだい)な費用がかかる陸地の飛行場ではなく、水上が飛行場になり、下部の平らな飛行艇が海岸沿いの海面で離着水した。定員は乗員乗客計6人程度。海岸から研究所の格納庫までレールが敷かれ、飛行艇を台車に載せて人力で押した。

 大浜海岸には当時、遊園地や水族館、海水の浴場・潮湯が立ち並んでいた。堺で生まれ育った郷土史家の中井正弘さん(73)(堺市南区)は「関西有数のリゾート地としてにぎわっていた。需要があるとみたのでしょう」。

 だが当初、旅客数はわずかで、業績は赤字だった。大卒初任給が50円程度だった時代に、片道40円の運賃を支払うことができる人は限られていた。事故も起きた。石板には、試験飛行などで殉職した飛行士ら20人の名前が残る。

 それでも井上はあきらめなかった。航路を高松市や愛媛県今治市、大分県別府市に延長し、36年には海軍の払い下げを受けて改造した19人乗り大型飛行艇「麒麟(きりん)号」を就航させる。キリンビールをスポンサーにつけ、客室乗務員の先駆け「エアガール」がビールを振る舞い、人気を博した。

 井上の評伝「征空野武士伝」の著書がある元新聞記者の岸積さん(77)(徳島県石井町)は、本人から、若い頃パイロットを目指して操縦の訓練を受けたが上達せず、航空事業を志したと聞いた。「自動車や汽車のように飛行機が商用や旅行で使われるようになる、と信じていた。商才があると同時にロマンチスト。その夢に多くの人がついて行った」

 日本が戦争への道を突き進んだ39年、研究所は国策会社との合併で解散を余儀なくされた。回顧本で「惜別の情がひしひしと胸底を往復する」と悔しさをにじませた井上は戦後の52年、民間航空再開に伴い、現在の全日本空輸の前身「極東航空」を設立。7年後、この石碑を建てた。

 それから半世紀。工場が並ぶ、かつての水上飛行場の上空を、300人乗りの旅客機が行き交う。発祥の地の記憶は薄れたが、夢は現実のものとなった。(南省至)

885よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:10:27 ID:eXs2H96A0
>>884

◆気楽に月へ 時代来る

 漫画家松本零士さん74

  SFアニメの巨匠は、自他ともに認める飛行機マニア。幼い頃、陸軍少佐で、最新型飛行機のテストパイロットをしていた父に憧れた。「自分もパイロットになる、と決めていたが、漫画の描きすぎで近眼になり、あきらめた」

 それでも空への興味が尽きることはなく、世界中の航空機を見て歩いた。鉄の塊が空を飛ぶメカニズムに触れ、代表作「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を生み出した。

 民間航空の黎明(れいめい)期を生きた井上も、「空が好きだからこそ、資金の問題や事故など、多くの挫折にめげず、歯を食いしばることができた」と推し量る。「それが航空業界の今につながっている」と、功績をたたえる。

 井上の時代から飛行機のエンジンや機体の性能は向上した。現代も開発の歩みが止まることはない。「漫画で描いた世界に現実が追いついてきた。近い将来、飛行場から気軽に、月や火星に行く時代が必ず来る」と予測する。「空を飛ぶという人類の夢が、多くの人の努力や犠牲で実現した。そのことを忘れず、今を生きる人たちにも、夢に向かって突き進んでほしい」


 まつもと・れいじ 1938年福岡県久留米市生まれ。東京都在住。著書多数。宝塚大教授。2010年に旭日小綬章を受章。

 ◆交通手段 南海本線湊駅の北西約800メートル。出島漁港の北端の突き当たり。そばには船待(ふなまち)神社御旅所と魚貝海虫慰霊碑がある。

(2012年7月28日 読売新聞)

886よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/30(月) 22:02:47 ID:xlwBj1k.0
「昭和の大阪」写真集発売 産経カメラマンの写真で振り返る
2012.7.30 20:16
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120730/wlf12073020200016-n1.htm

 産経新聞の報道カメラマンが昭和時代の大阪を撮影した写真集「昭和の大阪」(光村推古書院)が発刊され、大阪を中心に全国の主要書店で発売されている。第二次大戦後の焼け野原から驚異的な経済成長を遂げた大阪のエネルギーがモノクロ写真で捉えられている。

 昭和20〜50年の大阪を写真で振り返るというコンセプトで、産経新聞の歴代カメラマンが撮影した数十万以上のカットの中から厳選した228枚を収録。戦争で焼け野原になった大阪の市街地や、復興に向けて動き出す住民たち、高度経済成長期を迎え活気づく街など、“激動の昭和”が伝えられている。

 旭屋書店なんばCITY店(大阪市中央区)は、店内3カ所に特設コーナーを設置。担当者は「写真を通して、懐かしの大阪の街をぜひ振り返ってほしい」と話している。写真集はA5横変型で240ページ、定価2千円(税抜き)。

887よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/02(木) 05:58:53 ID:vDxJ6MYQ0
夜市にエコ屋台
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120801-OYT8T00002.htm

 鎌倉時代に起源のある夏祭り「堺大魚夜市(さかいおおうおよいち)」が31日、堺市堺区の大浜公園で開かれ、約22万人でにぎわった。府立堺工科高校の生徒がリサイクル燃料で発電機を動かして綿菓子などを作り、販売。収益金を東日本大震災の被災地へ送る。

 「被災地の役に立ちたい」と、環境化学システム系で学ぶ3年生11人が昨年に続き出店。高校の食堂で使った天ぷら油などの廃油と、家庭から集めたペットボトルのふたを、生徒らが手作りした装置で燃えやすい油にした。この燃料を利用して、製造器で綿菓子350個、ホットプレートでフランクフルト300本を作った。

 炎天下、訪れた家族連れらに元気に声を掛け、売り込んだ。参加した下川床真さん(17)は「学校で学んだことを生かして、被災者を少しでも手助けしたい」と話していた。

(2012年8月1日 読売新聞)

888よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/04(土) 20:32:38 ID:WwEhoGJo0
情報プラザ:大阪歴史博物館特別企画展「大阪を襲った地震と津波」 /大阪
毎日新聞 2012年08月04日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120804ddlk27040407000c.html

 26日(日)まで。9時半〜17時(金曜20時まで)、大阪市中央区大手前4の同館6階特別展示室(地下鉄谷町四丁目駅9号出口前)。大阪20+件を襲った地震や津波とその被害の実態について、地質学・考古学・歴史学などさまざまな学問分野による最新の研究成果などを展示する。「嘉永七年大坂大地震つなみ 一枚刷」や「友ケ島深蛇池(しんじゃいけ)津波堆積物試料」など約50点の資料を出品するほか、関西を中心に防災や震災復興に向けて活動する機関・団体・個人の取り組みも紹介する。講演会「震災と資料保存」(5日)と「歴史に学ぶ防災の知恵」(19日)は当日先着順。観覧料(常設展示とも)540円。高大生360円(8月末までの家族でお出かけ節電キャンペーン割引料金)。中学生以下・市内の65歳以上・障害者無料。火曜休館。同館(06・6946・5728)。

889よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/08(水) 20:31:06 ID:HW9noyaA0
どんなきっかけであれ、こうやってメディアで取り上げられると多くの人に知ってもらえるわけです。
言い換えれば、橋下市長に文楽の件で、やいのやいのと言っているメディアは果たして文楽を取り上げ、多くの人に知ってもらえるように努力をしてきたか、ということです。
また文楽も伝統文化・世界遺産という称号に胡坐をかいていなかったか、ということです。


禍転じて…文楽夏休み公演の入場者数、なんと4割増
2012.8.8 12:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120808/waf12080813050011-n1.htm

 国立文楽劇場(大阪市中央区)で行われた「夏休み特別公演」(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年の約4割増の2万5516人だったことが8日、同劇場のまとめでわかった。

 夏休み特別公演が3部制になった平成5年以来、2番目に多い。同劇場では、夜間公演の「曾根崎心中」が人気演目であることが大きい、と分析。また、大阪市の橋下市長が、集客への努力不足など文楽批判を繰り返す中、公演前には技芸員がJR大阪駅前でPRイベントを開催しており、「橋下市長の影響があったかどうかはわからない。ただマスコミなどで大きく取り上げられたことで、ふだん来られない方が足を運んでくださったのでは」と話している。

890名無しさん:2012/08/09(木) 00:32:37 ID:F4/fewOY0
やはり橋下効果は間違いないですね。

この人、とんでもない傑物です。
影響力が物凄い。

891よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/10(金) 22:59:36 ID:w9Dppq2Y0
文楽の夏公演観客数が前年比4割増し
http://www.tax-hoken.com/news_afzwdZh88W.html

橋下徹大阪市長が補助金削減方針を示したことから注目を浴びている文楽の夏休み特別講演(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年比約4割増しの2万5,500人を記録した。

技芸員が努力した成果

同公演は大阪・国立文楽劇場で開かれた。8日に劇場がおこなった集計で、期間中の入場者総数がここ10年で最多であることが判明した。

この結果について、橋下市長は「人形遣いらが公演をPRした結果であり、技芸員の努力の成果」と評した。一連の騒動で注目されたこともあり、人気演目の「曽根崎心中」などは期間後半、ほぼ満席の状態が続く盛況だった。


補助金25%カットの方針

橋下大阪市長は今年6月にまとめた「市政改革プラン」最終案の中で、市がおこなってきた文化活動への助成金についても見直す方針を示した。

この中には公益社団法人である大阪フィルハーモニー交響楽団、公益財団法人である文楽協会なども含まれる。文楽協会については、昨年度から25%減となる3,900万円の予算を計上し、関係者の意識改革を求めた。


橋下市長が指摘した3つの問題点

文化事業への補助金カットは一見、芸術を解さない乱暴な政策に見えるが、市長が指摘した問題点は現場の技芸員とも共有できる部分がある。

補助金に頼り切っており、プロモートする努力が足りないこと。報酬が適正配分されていないこと。演者である技芸員、劇場公演をプロモートする「日本芸術文化振興会」、その他の公演をプロモートし、演者のマネジメントをおこなう「文楽協会」の間にコミュニケーションがないこと。

いずれも補助金をもらえるから、という甘えがもたらす組織の構造的な欠陥である。これを改革しないのであれば補助金をカットする、という橋下市長の対応は理にかなっている。


「もう一度見たいとは思わない」

橋下市長はさらに、文楽を鑑賞した後、「もう一度見たいとは思わない」と一蹴。創意工夫が感じられない、と批判した。今回の公演成功は、こういったムチを受け、人形遣い自らが公演のPRにつとめるなど努力をおこなった成果といえる。

乱暴との声も高いが、これまでスルーされてきた因習にメスを入れ、税金の無駄遣いを徹底的にカットしようとする姿勢は、これまでの大阪市長と一線を画す。

892よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 08:00:19 ID:H5HAjNhQ0
〔Naniwaなう〕行基さんゆかり墓市そぞろ歩き
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120811-OYT8T01377.htm

 暑さが和らいだ夕刻、無数のちょうちんがともった。東大阪市岩田町の岩田墓地で11日に開かれた恒例行事「墓市(はかいち)」。近鉄若江岩田駅から墓地までの約500メートルに夜店が軒を連ね、大勢の家族連れらがそぞろ歩く。

 奈良時代の高僧・行基が中河内(東大阪市、八尾市)で飢餓や疫病の犠牲者供養につくったとされる「河内七墓」の一つ。文字の読める最古の墓石には、江戸中期の年号「元禄」と刻まれている。約1500基が並び、今も地元の共同墓地として守られている。

 〈盆の月内に七墓を巡れば、極楽往生できる〉。中河内ではそう言い伝えられ、東大阪市の長瀬墓地など各地の墓地で、8月下旬まで同様の行事が行われる。“行基さん”の記憶は、約1300年を経ても生きている。(司)

(2012年8月12日 読売新聞)

893よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 10:14:06 ID:H5HAjNhQ0
神妙に鎮座する雷の手形石
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120810/20120810055.html

「若江鏡神社」 東大阪市若江南町

 その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまった。神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなった。そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をし、その印として手形を残したのがこの石=写真=である。

 ここは、東大阪市若江南町にある若江鏡(わかえかがみ)神社。伝説によると神功(じんぐう)皇后の御世(201〜269在位)の出来事というからあまりにも古い。この若江鏡神社の創建年代は定かではないが、「文徳(もんとく)実録」(平安時代初期に編まれた歴史書)には、すでにこの神社のことが記されているから、少なくとも1200年以上は、この地に鎮座していることになる。社格も郷社(ごうしゃ)で、敷地も2千坪におよぶ由緒ある神社である。

 この雷の手形石は本殿正面の真ん中に位置しているので、本殿に向かって、何らかの儀式に使われていたものかもしれない。神主が座る「座(ざ)」であったのか、それとも神様が現れるときによりつく依代(よりしろ)であったのか……。

 この本殿が、また実に素晴らしい。山間社流造(さんげんしゃながれづくり)といって、柱と柱の間が三間ある。つまり部屋が横並びに三つあると思ってもらえればわかりやすい。向かって右に大伊迦槌火明大神(おおいかづちほのあけのおおかみ)を、左に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功皇后を祀(まつ)っている。ということは、真ん中の部屋は空き部屋ということで、これだけでロマンをかき立てられる。どうして何もないのか、ひょっとして、ときどき何かがやってくるのか、それとも神様どうし距離を置く必要があるのか、など、楽しい想像がふくらんでいく。

 もちろん、部屋をのぞいて見ることなどできない。「見ることができるのは、代々の宮司ただ一人です」と奥野紀(ただし)宮司は語る。お寺は秘仏などを開帳することがあるが、神社ではご神体を確認するのは宮司のみ。しかも、それが何かを口外することは許されない。これもまた神社の興味深い側面だ。

 この雷の手形石も神の領域のものと思えば、異様な形状も妙に納得がいく。

 奥野宮司が小学校でお話をされてから、近所の子どもたちも連れ立ってやってくる。この石は中庭にあるので通常は見ることができない。宮司が中庭まで案内する。子どもたちも雷の手形石の後ろにある本殿を前にして神妙な気持ちになるのか、ふざけたりすることもなく、ゆっくり、興味をもって見学していくようである。

 気持ちを静かに落ち着かせて、おだやかな気持ちになれる場所。それもまた、神社の役割であろう。子どもにも大人にも、必要な空間がここにある。

894よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:40:23 ID:cmlHUy3E0
大阪襲った地震・津波の歴史展
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004029561.html

大阪を襲った地震や津波の歴史資料を集めて、市民に防災意識を高めてもらおうという展示会が開かれています。
大阪・中央区にある大阪歴史博物館で開かれているこの展示会には大阪を襲った地震や津波について記録した縄文時代から昭和までの文書や写真など50点が展示されています。
このうち、江戸時代の末期に起きた「安政南海地震」による津波を記録した瓦版には何隻もの船が津波で押し流されて川をさかのぼり、道頓堀などに架かる橋を壊したことが地図と文書で記されています。また、大阪・平野区にある「長原遺跡」で見つかった地層を保存したパネルは引きちぎられた木の杭がそのまま土の中に埋まっていて、平安時代後期の「康和南海地震」で地層がずれた地震の痕跡とみられます。
大阪歴史博物館の飯田直樹さんは「大阪は地震や津波に何度も襲われた歴史があることを市民にもっと知ってもらいたい」と話しています。
この展示会は今月26日まで開かれています。

08月12日 12時22分

895よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:55:45 ID:cmlHUy3E0
幽玄の世界を堪能 夏の風物詩大阪薪能始まる
2012年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120812/20120812055.html

 大阪の夏の風物詩「第56回大阪薪能」(能楽協会大阪支部など主催)が11日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。夕暮れから宵へと移り変わる中、かがり火に照らされながら能楽が披露され、来場者らは幽玄の世界を堪能した。12日まで。

 大阪薪能は、同神社が1546年に新築された際、祝いの能が演じられた故事にちなみ1957年から毎年開かれている。観世、宝生などの5流派が競演し、2日間で6番の能楽、2番の狂言などを繰り広げる。

 セミの鳴き声が響く野外の特設会場では、能「竹生島」などが演じられた後、火入れ式が執り行われ、かがり火が灯ると一気に幻想的な雰囲気が深まった。炎の揺らめく中、能「千手」などが披露され、来場者はたえなる日本の古典芸能の魅力に浸っていた。

 家族連れで来場した福西広和さん(40)=同区=は「欧米化された生活の中で本当の日本が舞台の中に残っている」と感じ入っていた。

 12日は午後5時半開演、能「船弁慶」などが演じられる。

896よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/13(月) 09:59:31 ID:OPmButos0
あの大阪の輝きと戦争の影 「旧大阪府庁舎跡」が伝える当時の様子
2012.8.13 08:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n2.htm

 まるで明治時代のテーマパークに足を踏み入れたようだった。昨年夏、大阪市西区江之子島の旧大阪府庁舎跡の発掘現場を訪れると、高層ビルに囲まれた空き地の地下数メートルに、レンガ壁や御影石の階段、人の背丈ほどもあるレンガ積みの暖炉が100年以上前の姿で残っていた。

 旧府庁舎は明治7年に建てられ、中央に円形ドームがそびえた西洋風。大正15年に現在の大阪城近くに移転してからは、別の府施設として使われ、昭和20年3月の大阪大空襲で焼失したという。

 階段付近の鉄扉は茶色くさびて、全体が大きくひしゃげていた。空襲による衝撃かと思って、調査を担当した市村慎太郎・府立近つ飛鳥博物館総括学芸員に尋ねると、「考古学的には判断できないが、空襲以外にはちょっと考えられない」とのことだった。

 発掘からちょうど1年、成果をまとめた調査報告書がこの夏、府文化財センターから刊行された。建物跡や出土遺物の分析が主だが、とりわけ目を引いたのが昭和23年に米軍が同市西区一帯を撮影した航空写真だった。多くの建物が空襲で失われ、旧府庁舎も円形ドームの痕跡がかろうじて判別できる程度。遺跡や遺物中心の発掘報告書で、こうした写真は異例のことだ。

 「建物が空襲で焼け落ちるのを見た」。昨年7月、旧府庁舎跡の発掘を紹介する現地説明会が行われた際、当時の惨状を話すお年寄りもいたという。「たくさんの人が、さまざまな思いを抱きながら関心をもってくれた遺跡だった」と市村さん。「それだけに、報告書は少しでも詳しい内容にしたかった」と話した。

 写真も含めて全268ページで、厚さは2センチ。ずしりとした重みは、近代大阪の輝きとともに、戦争の影をも伝えていた。報告書は1冊千円。問い合わせは府文化財センター((電)06・6785・4531)へ。(文化財担当 小畑三秋)

897よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 09:49:43 ID:CJvNXreQ0
羽広げサギソウ涼しげ 中央区の坐摩神社で見頃 大阪
2012.8.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120815/osk12081502000001-n1.htm

 シラサギが羽を広げたような形の白い花をつけるサギソウが大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で咲き始め、涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。9月上旬まで見頃だという。

 ラン科の多年草で、長さ20〜30センチの細い茎に直径2、3センチの清楚(せいそ)な花を次々と咲かせる。神社では神紋の「鷺丸(さぎまる)」にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが約10年前から育て、毎年植え替えて増やしてきた。現在では「暁」「玉竜花」など5種類約2千株を栽培。このうち3割ほどが見頃を迎えた。

 例年よりやや開花が遅れたが、小さな“シラサギ”を撮影しようと、境内にはカメラマンたちが時折訪れている。神社は「花でひとときの涼を感じてもらえたら」と話している。問い合わせは坐摩神社((電)06・6251・4792)。

898よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 12:02:07 ID:TchyxtxI0
京橋駅で空襲慰霊祭 遺族ら200人参列
2012年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120815/20120815029.html

 終戦前日の最後の大阪大空襲で犠牲になった人たちの冥福を祈る「第58回京橋駅空襲被災者慰霊祭」(京橋駅慰霊祭世話人会主催)が14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口の京橋慰霊塔前で行われた。大雨で交通事情も悪い中、遺族や地域住民ら約200人が参列し、平和への思いを確かめ合った。

 法要を行った妙見閣寺(大阪市旭区)の竹内日祥住職は「市民一人一人の立場から戦争や平和について考え、未来に備えることが大切。67年たった今も慰霊祭を行うことには重要な意味がある」と語った。市立聖賢小6年の畑みゆきさん、佐藤希海(のぞみ)君、南和葵(なぎ)君が式典で「戦争が悲惨で悲しいものだと知った。(その中で親切にしてもらった話を聞き)親切がとても大切だと思った。二度と戦争を起こさないと誓います」と決意を述べた。

 大阪城兵器工場「大阪砲兵工廠」で空襲に遭った高原秀夫さん(79)=城東区=は、自身に防空壕(ごう)に入るよう指示し、直後の爆撃で亡くなった将校のことを思うと「胸が苦しく、今も涙が止まらない」。祭壇を見詰め、「心を込めて焼香し、平和のために少しでも役立つなら私の体験を語っていきたい」と述べた。

 帝塚山学院中、高からは生徒13人が参列。山口みや美さん(18)=住之江区=は「昔のことという意識だったが、ここに来て身近に感じた。もっと平和について考え、意識しないといけないと思う」と話した。

 京橋駅空襲は1945年8月14日の米軍機の爆撃で、判明しているだけで225人が犠牲になっている。

899よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 12:40:31 ID:EbZV3Nfw0
出版:大阪の郷土史家、日常の中にある戦争遺跡を踏査
毎日新聞 2012年08月14日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20120814dde018040081000c.html

 大阪府八尾市にあった旧陸軍大正飛行場(現・八尾空港)と周辺の軍事施設について詳細に調べた『日常の中の戦争遺跡』(アットワークス、2730円)が刊行された。著者の大西進さんは1940年、八尾市生まれ。2003年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父が戦死したニューギニアを訪ねたのがきっかけで、郷土の戦争について調べ始めた。遺跡を踏査し、軍と官が残した史料を調べ、施設に関わった人など約250人から聞き取りをした。

 大正飛行場は国内最大規模の滑走路を持ち、1941年に運用が始まった。建設に伴う強制買収によって土地と職業を同時になくした住民は軍需工場に就職し、子弟は航空機や燃料、弾薬などの補給、整備、修理をする併設の大阪陸軍航空廠(しょう)で働いた。

 飛行機を空襲から守るための格納庫「掩体壕(えんたいごう)」が飛行場内と場外にそれぞれ約20基設けられた。場外からは砂利道を人や牛、トラックが機体を引っ張って運んだという。約4・5キロの誘導路で飛行場とつながる1基が山麓(さんろく)に残っている。旧陸軍飛行第246戦隊の戦闘指揮所は陸上自衛隊の広報展示室となって現存し、機銃砲の弾痕が残る。大西さんは、戦争を想起させるこれらの遺跡を文化財として保存し、平和の意義を問い直す記念物として活用すべきだと訴えている。【佐々木泰造】

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900よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 13:50:49 ID:.DUBpICU0
平和思い絵灯籠1300個 八尾・大聖勝軍寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120815-OYT8T01415.htm

 聖徳太子ゆかりの寺として知られる八尾市太子堂、大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)で15日夜、絵灯籠供養が行われた。盆の行事で、約1300個の灯籠(高さ約20センチ)にろうそくの火がともされ、訪れた人たちは先祖や、昭和戦争の犠牲者らへの思いを胸に静かな時を過ごした。

 鐘の音が響く境内につるされた灯籠には、檀家(だんか)らがお地蔵さんや金魚、犬、猫、花、アニメキャラクターなどを描いた和紙が張られており、暗くなるにつれて絵が闇に浮かび上がっていった。

 1945年3月の大阪大空襲で、住んでいた大阪市内の自宅が焼かれて火の手から逃げ延びたという八尾市春日町、下山トシ子さん(76)は「あんなつらい思いは今の子どもたちに二度とさせたくない」と灯籠を見つめ、平和への思いを新たにしていた。絵灯籠は16日も午後7時から午後10時頃までともされる。

(2012年8月16日 読売新聞)

901よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 14:02:57 ID:.DUBpICU0
130年ぶり復活 町民文化「七墓巡り」
2012年8月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120817/20120817021.html

 先人をしのぶために江戸時代の大阪で行われていた町民文化「七墓巡り」が15日、約130年ぶりに復活した。参加した延べ約40人は七墓由来の地を巡り、各所で披露される踊りや音楽などのパフォーマンスを通して先祖らの霊を弔っていた。

 七墓巡りは、かつて盆の時期に有縁無縁を問わず、大阪に住んでいた先人をしのぶために始まった町民文化。江戸後期ごろには遊び心も加わって若い男女のデートコースとしても親しまれてきたという。

 大阪の歴史文化に関心を持つ有志らが「大阪七墓巡り復活プロジェクト」と銘打ち企画した。

 一行は、葭原墓所(大阪市北区)ゆかりの地などを起点に梅田や南浜、蒲生、小橋、千日、鳶(とび)田を巡回。葭原墓所跡地では、舞踊家・木室陽一さんが西方を向いて鎮座している沖向地蔵を前に、太極拳のような緩やかな動きと獅子舞を思わせる激しい動きを合わせた独特の舞を舞うなどさまざまなジャンルのアーティストたちが各墓所跡地で得意のパフォーマンスを披露していた。

 主催者の一人は「かつてはやっていた大阪の夏の風物詩になれるよう、今後も続けていきたい」と話していた。

902よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 22:00:35 ID:OJe/Ze9E0
[やすらぎ探訪]抜け穴残る真田幸村ファンの聖地…宰相山公園(大阪・天王寺区玉造)
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/serial/health/news/20120815-OHO1T00120.htm

 大阪市営地下鉄・玉造駅から南へ100メートル。緑豊かな宰相山公園(通称・真田山公園=天王寺区玉造)は都心のオアシスであり、戦国武将・真田幸村ファンの一大聖地。

 というのも、大坂冬の陣(1614年)で幸村が出城(真田丸)を築いたのがこの辺り。対陣した加賀宰相(前田利常)を苦しめ、徳川家康を震え上がらせたのは有名な話。翌年の夏の陣で徳川が勝利し、加賀宰相の名が地名に残った。それでも徳川嫌いの浪速っ子は今でも「真田山公園」と呼び合っている。

 「山」と言うだけあって小高い丘は標高15メートル。石段を上ると“山頂”には古社・三光神社。社務所によれば、戦前は生駒や六甲の山並みが一望できたそうだ。

 神社の麓には、真田の家紋・六文銭の盾を背にした真田幸村の銅像がある。故郷(長野・上田市)の銅像は騎馬姿だが、こちらは右手を高く上げて陣中指揮する勇壮な立ち姿。台座は故郷の菩提寺・長谷寺から運ばれた真田石。イラストレーター・成瀬国晴氏のデザインで1987年に建立された。

 銅像の左側には史跡・真田の抜け穴が見える。約2キロ先の大坂城に通じていたといわれる秘密の地下道跡と伝えられ、入り口にはしめ縄が張られた六文銭入りの鉄格子。非公開なので暗い穴の中をのぞく人が後を絶たない。神社の話では、数メートル先で行き止まりだとか。この地下道から豊臣秀頼と淀君がひそかに脱出したという秘話も生まれ、幸村伝説に花を添えている。

 ◆宰相山公園 大阪市天王寺区玉造本町。三光神社(TEL06・6761・0372)で11月に開催される「真田祭り」は甲冑隊の行列や抜け穴の公開などイベントも多彩。陸軍墓地もあり、桜の名所としても有名。

903よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:10:41 ID:ZBTD0mvc0
文楽「広く世界へ」 初のアフリカ公演へ出発
2012.8.18 23:57
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n2.htm
 
 大阪発祥の伝統芸能で世界無形遺産の人形浄瑠璃文楽が初のアフリカ公演を行うため、人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)を団長とする技芸員ら一行が20日未明、羽田空港からパリ経由でアフリカ北部のアルジェリア民主人民共和国に出発する。大阪市の橋下徹市長の補助金削減問題で揺れる文楽界。勘十郎さんは「いま文楽は厳しい状況にある。こんなときだからこそ、日本の伝統芸能である文楽の存在や奥深さを海外の人たちに広く伝えたい」と話している。

 日本を発つのは、勘十郎さんをはじめ太夫、三味線、人形遣いら総勢12人。トランクに文楽人形や舞台セットを作るための道具、絵の具などを詰め込み、自ら手に持ってアルジェリア入りする。一行は21日午後に首都アルジェに到着、25日と27日にアルジェなど2都市の劇場で公演を行う。

904よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:12:18 ID:ZBTD0mvc0
>>903

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n4.htm

 今回の公演は、アルジェリアと日本の国交樹立50周年を記念して行われる。上演されるのは、文楽の人気作「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の「奥庭狐火の段」。戦国の世を背景に、長尾(上杉)謙信の息女、八重垣姫が、敵方の若者に恋をしたことから、父を裏切るという物語。華やかな女方(おんながた)の人形の魅力とともに、姫に狐が乗り移って超人的な動きをするケレン(派手な演出)たっぷりで、「ビジュアル的にもわかりやすくおもしろいので、アルジェリアの人々にもきっと文楽の魅力をわかっていただけると思う」と勘十郎さんは話す。

 アルジェリアは、北は地中海に面し、南にはサハラ砂漠が広がるアフリカ大陸で最も広大な国。宗教はイスラム教。1830年以来フランスの植民地支配を受けたが、1962年に独立を果たした。

 文楽は昭和37年にアメリカのシアトルで初めて海外公演を行って以来、アジア、ヨーロッパ、南米、オーストラリアなど世界各地を訪問。今回のアフリカ公演で五大陸を制覇する。

 現地では、文化人との交流や文楽人形のワークショップなども行う予定。勘十郎さんは「アルジェリアには伝統のある人形劇もあるそうですので、人形遣い同士で交流して刺激を受けたい」と期待している。

905よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:45:52 ID:ZBTD0mvc0
秋祭りの「主役」、毎日練習
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120819-OYT8T00099.htm

 「ベーラ ベーラ ベラショッショイ」。日の落ちた堺市中区土塔町の住宅地で男の子たちの掛け声と太鼓の音が響く。300年以上の伝統がある百舌鳥(もず)八幡宮(堺市北区)の秋祭り(9月29、30日)に向けた練習だ。

 祭りには周辺9町が、朱色の座布団を重ねたようなふとん太鼓を繰り出し、子どもたちはその上に乗って太鼓を打ち鳴らす。土塔町のふとん太鼓は1961年の第2室戸台風で収納庫ごと倒壊して途絶えたが、2003年に重さ約2トンの1基が復活した。

 収納庫に小学5、6年の16人が集まり、毎日1時間、太鼓のまわりに座ってばちを振るう。一度に4人ずつ。ほかの子どもは毛布を置いたパイプいすを太鼓に見立てて打つ。

 「声がちっちゃくならないよう、息をぴったり合わせて楽しい祭りにしたい」と小学6年森川勇哉君(12)。指導する目賀弘二青年団長(24)は「担ぎ手はリズムに合わせて歩くので、太鼓が一番大事」と子どもたちのがんばりに期待を寄せる。(夏)

(2012年8月19日 読売新聞)

906よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/21(火) 05:48:06 ID:L/Q//kOQ0
法隆寺と四天王寺違い説明 斑鳩の里大学21
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20120819-OYT8T00933.htm

. 聖徳太子の遺徳を顕彰する公開講座「斑鳩の里大学21」(斑鳩町文化振興財団主催)が19日、斑鳩町興留のいかるがホールであり、奈良大名誉教授の水野正好・元興寺文化財研究所長が「法隆寺と四天王寺」をテーマに講演して、約330人が耳を傾けた。

 水野所長は「太子は一族で法隆寺や中宮寺などを建て、斑鳩で区画整理を行った」と解説。太子が建立したという法隆寺と四天王寺(大阪市)が今日まで守られてきた経緯に触れ、「法隆寺は創建当初の場所から移されて再建され、四天王寺は同じ場所で何度も建て直された」と違いを説明した。

 大和郡山市の主婦石田美知子さん(74)は「熱心に仏教を広めた太子の姿を改めて、しのぶことができました」と話した。次回の講座は9月16日午後2時からで、講師は阿部泰郎・名古屋大教授。問い合わせは、いかるがホール(0745・75・7743)。

(2012年8月20日 読売新聞)

907よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/25(土) 03:46:40 ID:kEcqVIMA0
「行灯展」準備整う 服部天神宮、夏天神祭
2012年8月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120824/20120824030.html

 足の神様として知られる服部天神宮(大阪府豊中市服部元町1丁目、加藤芳哉宮司)で24、25の両日に行われる「夏天神祭」を前に23日、「行灯(あんどん)展」の準備が行われた。Jリーグ・ガンバ大阪の選手や地域の幼稚園児らが描いた絵や書、計320枚が160個もの行灯の両面に張られ、神職によって同天神宮の本殿横に奉納された。行灯は同祭の期間中、夕方から点灯され、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 同祭は菅原道真(845〜903)の月命日である25日に各地である天神祭の一つ。行灯の展示は夏天神祭で毎年行われる行事で、夏の終わりを告げる風物詩として参拝者らに親しまれている。

 神職と地域の婦人会のメンバーがこの日までに、ガンバ大阪所属の日本代表・遠藤保仁選手らの直筆サインやタレントの浜村淳さんの絵手紙、節電やロンドン五輪にちなんだ水彩画などを行灯の外側2面に張り付ける作業を終えており、この日は長さ約4メートルの木枠五つにつるされた行灯を、境内に設けた高さ約3メートルの支柱に設置した。

 加藤宮司は「夏天神祭は商店街をはじめ、地域と一丸となって開催するお祭りです。残暑が厳しいですが、夏休み最後の思い出に家族で楽しんでもらえれば」と参拝を呼び掛けている。

908よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/25(土) 22:24:10 ID:dU5ohp1g0
津波被害者の冥福祈る  安政南海地震  浪速区で40人
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120824-OYT8T00125.htm

 地蔵盆に合わせ、大阪市浪速区幸町の石碑「大地震両川口津浪(つなみ)記」前で23日、1854年の安政南海地震による津波犠牲者らの冥福を祈る慰霊祭が行われた。

 石碑には、多くの人が亡くなった当時の様子や、津波への心構えがびっしりと刻まれている。住民らは「おじどうさん」と呼んで守り、今年も数日かけて碑文に墨が入れ直された。

 慰霊祭には住民ら約40人が参加。地元の浪速さくら保育園の園児らも手を合わせた。

 近くの増井健蔵さん(75)は「今は意味がわからなくても、記憶に残れば、いつかわかってくれる」と話していた。石碑は24日まで、地蔵盆の飾り付けが施されている。

(2012年8月24日 読売新聞)

909名無しさん:2012/08/26(日) 14:14:47 ID:oT1pFky60
西三国・渡辺邸のいま

http://atamatote.blog119.fc2.com/

910よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/27(月) 23:42:24 ID:lxAhXmY60
大阪城の巨石、どう船積み? 小豆島で海中初調査 
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005332704.shtml

 大坂城や幕末の西宮・今津砲台の建設に使われた巨石が、どう船積みされ運搬されたのか‐という謎の解明に、神戸の研究者らが28日から香川・小豆島で挑む。小豆島には大坂城の残石が残っているが海中は未調査。今回初めて水中考古学の手法で海底を調べ、船積みの係留施設などを確認する。

 江戸幕府は、1620(元和6)年から10年かけて豊臣秀吉の造った大坂城を抜本的に改造。西国などの大名64家が、六甲山や小豆島など瀬戸内の島から巨石を切り出した。幕末には、海防のため砲台が兵庫県と大阪の海域に造られ、今津砲台(西宮市今津真砂町)では小豆島の石が使われた。

 巨石運搬には、船が使われたが、船積み法は、後世に推測して書かれた絵図や文献があるだけ。巨石だけに船積みは容易でなく、作業中に海中に落ちた石も少なくない。

 調査は同志社大文化遺産情報科学研究センター(津村宏臣センター長)の高田祐一研究員(29)=神戸深江生活文化史料館研究員、神戸市東灘区在住=らが、香川県小豆島町の協力を得て計画。同大の学生ら14人が、400年間、海底に眠っている大坂城残石を初めて調査する。

 メンバーらは、三つの採石場沖で漁船を使うなどして潜水。石を切り出すときに刻まれたくさびの跡をもとに海中残石の分布を調べる。また小豆島・岩谷地区の海中に「かもめ石」と呼ばれる目的不明の人工石があり、石の上の突起部分が船積み遺構ではないかと推測されるが、詳しい利用目的などを研究する。11月に小豆島町が開催するシンポジウムで成果を報告する。(大国正美)

911名無しさん:2012/08/28(火) 09:43:25 ID:oT1pFky60
西三国・渡辺邸のいま

http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-709.html

912名無しさん:2012/08/28(火) 09:44:18 ID:oT1pFky60
旧精華小など取り壊さず利益を フォーラムで示唆

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120827/20120827023.html

913よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/30(木) 06:09:20 ID:nvqRlNXc0
奈良時代の「海獣葡萄鏡」出土 四條畷の讃良郡条里遺跡 大阪
2012.8.30 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120830/osk12083002040002-n1.htm

 四條畷市教委は29日、讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡(同市砂、寝屋川市新家)で奈良時代の鏡「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」が出土したと発表した。小型の海獣葡萄鏡は出土例が少なく、府内での出土は初めて。全国でも12枚目で大半が平城京跡と藤原京跡で見つかっていることから、市教委は「都と関係が深い有力者がいたことを示している」としている。

 見つかった鏡は直径3・9センチ。一般的な海獣葡萄鏡の外側(外区)部分を最初から取った状態で鋳造されている。担当者は「小型の鏡は水辺での出土例が多く、雨ごいなどの祭祀(さいし)で使用されたのでは」と推測している。

 今回の調査では、3世紀後半から4世紀前半(古墳時代前期)の竪穴住居と水田跡も見つかっており、近くの前方後円墳、忍岡(しのぶがおか)古墳(4世紀)との関連が考えられるという。

 現地説明会は9月1日午後1〜3時。JR片町線忍ケ丘駅徒歩約20分。駐車場はない。

 問い合わせは現地調査事務所((電)072・812・2855)。

914よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 05:40:56 ID:WyisDA7c0
残暑にひやり幽霊画 大念仏寺で公開
2012年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120829/20120829031.html

 大阪市平野区平野上町1丁目の大念仏寺で26日、年に一度の「幽霊画」の公開が行われた。多くの親子連れなどが訪れ、「野ざらし図」や亡霊、妖怪を描いた12枚の絵や幽霊由来の品々を興味深そうに見つめていた。

 展示された絵は同寺が保管するもので、「姑獲鳥(うぶめ)」や「平知盛」などが迫力ある筆致で描かれている。地獄に落ちた女性が供養を願って巡礼者に渡したとされる「香合(こうごう)」なども展示された。

 絵の作者や品々の由来などの詳細は分かっていない。一般への公開は「平野町ぐるみ博物館」の一環として、十数年前から行っている。残暑厳しい中、寺には朝から多くの人たちが訪れ、順番待ちの列を作った。中には絵の恐ろしさに涙を流す子どももいた。

 家族4人で訪れた区内の会社員の男性(45)は「3歳の長男が泣きだして大変だった。前から幽霊画については聞いていたが、見るのは初めて。うまく幽霊の様子が描かれていて、迫力があった。子どもが大きくなったら、また来たい」と話していた。

915よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 05:42:28 ID:WyisDA7c0
「中村座精神で弟とがんばる」 勘九郎さん襲名奉納
2012年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120829/20120829030.html

 大阪市福島区福島2丁目の福島天満宮で27日夜、歌舞伎の中村勘九郎さんが9月1日から大阪松竹座で始まる「九月大歌舞伎」に先駆けて勘九郎襲名奉納イベントに参加した。平成中村座公演などでゆかりの同天満宮の地車講社中、津軽三味線の高橋竹童さん、太鼓の英哲風雲の会のメンバーがライトアップされた本殿前で演奏を行って、襲名公演に臨む勘九郎さんにエールを送った。

 勘九郎さんは弟の中村七之助さんと一緒に神社を訪れ「いろいろお世話になった先輩に激励していただいて感謝している。中村座スピリッツで弟の七之助とがんばりたい」とあいさつ。七之助さんも「手術後リハビリ中の父(中村勘三郎さん)から“兄をサポートして来い”と言われている」と兄弟目を合わせにっこり。

 演目は人間国宝の坂東玉三郎さんと共演する「瞼の母」「女暫」などで、兄弟で踊る「団子売」では「劇中口上」も行う。夜の部の襲名披露「口上」だけなら一幕料金(千円)で見られる。公演は25日まで。

916よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 21:54:02 ID:S0Q3tY0I0
淀川区、江戸初期の豪農屋敷 9日にイベント開催 大阪
2012.8.31 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120831/osk12083102060000-n1.htm

 ■「渡辺邸」保存 市民ら動く

 江戸時代初期に建てられたという豪農屋敷「渡辺邸」(大阪市淀川区西三国)が解体の危機にあるとして、その保存、活用を求めていこうと住民有志らが「大阪市渡辺邸保存会」を立ち上げ、署名活動を始めた。貴重な文化価値などを知ってもらおうと、9月9日に渡辺邸近くの自敬寺でイベント「渡辺邸を知ろう」も催し、地域一体で運動を盛り上げていく。

 渡辺邸は、約2500平方メートルの敷地に母屋や土蔵など貴重な建物群が並び、歴史的価値などから昭和40年に府文化財に指定。しかし、所有者が建物を解体して土地を売却することを決めたとして、府教委は今年4月、文化財指定の解除を発表した。

 保存会は、大阪市最古ともいう民家を後世に残していくべきだとして今月中旬に結成。現在、大阪市が進める同地域の土地区画整理事業で、渡辺邸を歴史公園として保存、活用することを求める署名活動を展開している。

 保存会世話人の山本憲作さん(40)は「大阪市で最も古い民家を、なんとか残してほしいとの思いで活動している」と話す。自敬寺でのイベントに関する詳細などは、保存会のホームページ(http://watanabetei.org/)。

917よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 20:59:53 ID:nDOtrll20
大阪・堺に「徳川家康の墓」の謎 夏の陣で討ち死に伝説
2012/9/1 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/?n_cid=DSTPCS004

 「堺に徳川家康の墓があるのは知っていますか」。堺支局に赴任してしばらくしたころ、こんな話に耳を疑った。家康は大坂夏の陣翌年の1616年(元和2年)、駿府城(静岡市)で亡くなり、その後に日光東照宮に改葬されたはず。なぜ堺に家康の墓があるのか。謎を探った。

■戦災で焼けるまで東照宮があった

 1557年(弘治3年)創建の堺市にある名刹、南宗寺。一画に「東照宮 徳川家康墓」と碑銘が刻まれた立派な墓がある。「この墓が建てられている場所は戦災で焼けるまで東照宮があったところです」

 同寺を訪れる人を案内する特定非営利活動法人(NPO法人)堺観光ボランティア協会のガイド部長、川上浩さんが説明してくれた。同協会は堺の歴史を前面に出した観光振興に協力している。東照宮跡へ至る石畳の先には、17世紀中ごろに建てられたとみられる徳川家の葵(あおい)の紋が付いた唐門が残る。

 「南宗寺史」には「(家康が)大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。

■松下幸之助氏も建立に賛同

 家康の墓はこの伝説に沿って1967年(昭和42年)に建てられたものだ。墓の裏側には、賛同者として松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏の名前も記されている。

 幸之助氏は東京・浅草寺の雷門、大阪・四天王寺の極楽門の再建にも寄進。いずれもこの家康の墓の発起人で、幸之助氏と親交があった三木啓次郎氏の進言による。パナソニック社史室などに尋ねても幸之助氏がこの墓に言及した記録は見つからなかったが、この墓の建立にかかわったのも三木氏との深い関係があったためと思われる。

 三木氏は水戸徳川家の家老を先祖に持ち、この墓を建てた理由について「徳川家と縁故があり、心から(家康)公を礼賛する者の一人として墓碑を改めたいとの多年の宿願を果たすべく……」と碑文に残す。

918よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 21:01:52 ID:nDOtrll20
>>917

http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/?df=2

■「伝説を裏付けるものがあるんです」

 単なる伝説で、こんな大がかりなことをするだろうか。そんな思いを抱いていると「伝説を裏付けるものがまだあるんです」と川上さん。家康の墓の斜め後ろには伝説にも登場する開山堂の跡がある。そこにある無名塔の隣には、幕末の幕臣だった山岡鉄舟の筆という「この無名塔を家康の墓と認める」との内容の碑文が埋め込まれている。

 開山堂跡近くの坐雲亭内の板額には1623年(元和9年)7月10日に徳川秀忠、8月18日に家光と、代替わりした両将軍が相次ぎ同寺を訪れた記録が残る。川上さんは「2人の将軍が1カ月ほどの間に南宗寺を訪ねるのは、かなり異例でしょう」と説明する。

 ただ、墓を巡る伝説には疑問もある。堺は夏の陣の決戦前に豊臣方に焼き払われた。徳川幕府により街が復興されるなか、南宗寺も元の場所から移転している。伝説があったとされる当時、開山堂はなかったはずだ。また、夏の陣の最後の決戦で真田幸村が家康の本陣を脅かした記録は残るが、槍で突いたとされる後藤又兵衛はその前に討ち死にしたことになっている。

■家康の駕籠の写真、浮かぶ新たな謎

 季刊誌の「大阪春秋」編集委員で堺の歴史に詳しい中井正弘さんは「焼かれた堺の復興に徳川幕府はすぐに取りかかり、以前の街の規模を上回る商工都市にした。堺の人たちには家康への強い感謝の思いがあったはずで、供養の気持ちがいつしか墓伝説になったと考えられる」とみる。

 半信半疑の私に「まだ疑っているようですね」と川上さん。「ではこれを見てください」と取り出したのは、日光東照宮宝物館に収蔵される家康の駕籠の写真。天井には丸い穴が開いている。宝物館に尋ねてみると「(伝説にある)槍による穴ではないと思います。幸村の鉄砲によるとの伝承があります。穴は下まで貫通し、2つありますから」。その時、狭い駕籠に人が乗っていたらどうなったのか。新たな謎が浮かんだ。

(堺支局長 原明彦)

919よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 21:33:46 ID:nDOtrll20
御霊神社で公演成功祈願 咲くや花形文楽出演者ら
2012年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120902/20120902028.html

 「咲くやこの花賞」を受賞した文楽の若手らでつくる公演「咲くや花形文楽」(10月1日、大阪倶楽部ホール・大阪市中央区)の出演者らが1日、同区の御霊神社を訪れ、公演の成功を祈願した。

 同賞は、大阪市が大阪文化を担う人材の育成を目的に1983(昭和58)年から実施。公演では出演者のトークと公演「義経千本桜 道行初音旅」の2部構成で、文楽の魅力を分かりやすく伝える。

 この日は受賞経験のある豊竹呂勢大夫さん、豊竹咲甫大夫さん、三味線の鶴沢藤蔵さん、人形遣いの吉田幸助さん、吉田一輔さんが出席。おはらいを受けた後、それぞれに玉串をささげた。

 式後の記者会見で呂勢大夫さんは「大阪市が毎年このような賞を出していることは若手にとって大きな励み。公演も頑張りたい」と抱負を述べた。

 大阪の文楽は、市による補助金の打ち切り問題でも注目を集めているが、一輔さんは「あんまり(橋下徹)市長のことは意識せずに、自分から動いていかなければと思っている。この賞がこれからの人たちの憧れになるよう華やかな舞台にしたい」と意気込んでいた。

920よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/03(月) 22:00:45 ID:nmADnWk60
楽器や能楽流儀紹介 「なにわ芝能」公演前に
2012年9月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120903/20120903023.html

 古事記1300年記念「第五回なにわ芝能」が行われた2日、公演本番を前に大阪市中央区のエルシアターでは記念講演と能楽ワークショップが開かれ、能の鑑賞を前にした来場者らが楽器の体験などを楽しんだ。

 記念講演では、上方文化評論家の福井栄一氏が「王仁(わに)さんから太閤はんへ」と題し、記紀に記されるイザナギとイザナミから始まる日本創世記からのなにわの歩みについて紹介。天岩屋戸(あまのいわやと)神話の八百万神(やおよろずのかみ)の咲(わら)いが日本の笑いの始まりであったり、岩戸の前での天鈿女命(あめのうずめのみこと)の踊りが、日本の芸能の始まりであることなどを紹介した。

 また芝能で演じられる「難波」に登場する王仁博士が仁徳天皇の即位をたたえて詠んだ「難波津に咲くやこの花冬ごもり−」の歌や、当時の仁徳天皇の即位までの流れなどを紹介した。

 ワークショップでは、芝能の出演者らが、笛と小鼓、大鼓、太鼓の4種の楽器についてや、ひな祭りの五人囃子(ごにんばやし)同様、謡を含めた5人の並び、陰陽五行思想に基づいた能楽のさまざまな考え方や流儀などを紹介した。

921よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/04(火) 21:31:48 ID:DZiQ1..60
大阪市、文楽協会と非公開協議へ
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120904-1011531.html

 大阪市は4日、文楽協会への補助金削減問題をめぐり、市の担当部局と協会側で、近く非公開で協議すると発表した。市はその後、橋下徹市長が求めている協会側との公開での意見交換についても、調整を進める方針。

 市は10月中旬までに問題解決のめどが立たない場合、予算編成のスケジュール上、2012年度の補助金は予算執行せず、13年度も支出できないとの方針を4日、協会側に伝えた。

 市は文楽を担当する市特別参与や、補助金を出している大阪府の担当者も出席させる方向で調整。市の担当者は「とにかく話し合わないと前に進まない」と話している。

 橋下市長は公開での意見交換を補助金支出の条件としているが、協会側は拒否し続けており、実現していない。(共同)

922よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/05(水) 06:16:47 ID:rWvymRFY0
文楽補助金問題 来月中旬期限
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004773851.html?t=1346791774546

大阪の伝統芸能「文楽」の運営団体「文楽協会」への補助金をめぐって、大阪市は、来月中旬までに、橋下市長との公開での意見交換が実現するメドが立たなければ、今年度の補助金3900万円は執行できないという方針を協会に、文書で通知しました。
「文楽協会」に対する大阪市の補助金をめぐっては、橋下市長が、削減の理由などを公開の場で協会側に説明したいとしているのに対し、協会側は、非公開にするよう求めていて、対立が続いています。こうした中で、大阪市は、4日、協会に対して、補助金に対する市の考え方を文書で伝えました。
文書では、来月中旬までに橋下市長との公開での意見交換が実現するメドが立たなければ、今年度の補助金3900万円は執行できないとしているほか、来年度の補助金についても、協会の要求を認めないとして、意見交換への協力を求めています。
これについて、橋下市長は、記者団に対し、「公開ヒアリングをやらないのであれば、『税の投入はいらない』ということだ。市の税が入らない以上、文楽について口は出さない」と述べました。
一方、「文楽協会」は「双方の事務レベルでは橋下市長と公開で意見交換を行うかどうかの議論は避けられないが、ほかのさまざまな問題についても話し合いたい」としています。

09月05日 00時40分

923名無しさん:2012/09/05(水) 19:33:26 ID:yFRC/RE.0
>>922
日頃、市民の知る権利を盾に橋下市政の情報公開にうるさいマスコミが、
なぜ税金投入を左右する、公開ヒアリング拒否の文楽界を批判しないのだろうか?

924よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/06(木) 22:07:06 ID:5P/0.AD.0
ヤマト政権、新潟も勢力圏か 最北の畿内型、未盗掘で発見「日本海の王と同盟」
2012.9.6 16:47
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120906/art12090616470004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120906/art12090616470004-n2.htm

 新潟県胎内(たいない)市にある「城(じょう)の山古墳」(4世紀前半)から、長大な舟形木棺や矢を入れる靫(ゆぎ)、刀剣、銅鏡などが未盗掘の状態で出土し同市教委が6日、発表した。北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。この時期、畿内の影響は能登半島付近までしか確認されておらず、専門家も「ヤマト政権の北限が書き換えられる発見」としている。

 城の山古墳は同市大塚にある全長41メートルの楕円墳。主体部から長さ8メートル、幅1・4〜1・8メートルの舟形木棺が見つかった。人骨片も残り、頭部を北東に向け、木棺やそれを覆う粘土には多量の赤色顔料(水銀朱とベンガラ)がまかれていた。

 副葬品は直径9センチの小型銅鏡やヒスイの勾玉(まがたま)、ガラス玉、銅鏃(どうぞく)など畿内の古墳にみられる遺物が残っていた。靫は鮮やかな黒い漆塗りだった。築造時期は4世紀第2四半期(316年−330年)。

 市教委は「ヤマト政権と同盟関係があったため築造を許された」としている。日本海側で畿内と深い関係を持つ前期古墳は、石川、富山両県までしか確認されていない。

 日本書紀には、第10代崇神(すじん)天皇の10年、北陸道を治めるため四道(しどう)将軍の一人、大彦命(おおひこのみこと)が派遣されたと記される。同古墳は、四道将軍伝承に象徴される日本海側での政権の勢力伸張を裏付ける遺跡といえそうだ。

 福永伸哉・大阪大学教授(考古学)の話「邪馬台国の女王・卑弥呼の没後、数世代しかたってない4世紀前半のこの地に、これほど畿内色を持った古墳が築かれていたことに驚いた。ヤマト政権の勢力伸長の理由は、農具や武器の材料の鉄を独占的に供給できたことだろう」

    ◇

 ヤマト政権 大和朝廷との呼称が一般的だが、近年は国としての大和を越えた広域の連合王国だったとの見方が広がったことなどからカタカナ表記が普及している。卑弥呼の邪馬台国後の、3世紀後半から7世紀前半にいたる古墳時代に、奈良盆地など近畿地方を中心として本州、四国、九州に勢力を伸ばしたことが、遺跡などから確認されている。

925名無しさん:2012/09/07(金) 10:48:53 ID:G1hYGUE60
カタカナ表記は関東の学者たちによるイメージ下げでしょう
なにわがナニワと表記するマスコミと同じで
関東では漢字かつ音読みするのが偉いという風潮ですから

926名無しさん:2012/09/07(金) 11:20:01 ID:ETjK5w6g0
ヤマト政権だなんて
ボラーとかガルマン・ガミラスとかを連想してしまいます

漢字で表記できるものをカタカナにした意図が別にあるのに、連合王国だからと誤魔化しているとしか思えません

927よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/09(日) 22:13:23 ID:v4uO.LpE0
文楽の演者ら「半数以上」が橋下氏との公開討論を希望
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201209080035.html

 人形浄瑠璃文楽の複数の技芸員(演者)が、文楽協会への補助金を凍結した橋下徹大阪市長との公開討論を希望していることが分かった。市は討論が実現しなければ補助を打ち切る方針だが、協会側はこれまで「非公開での面談が技芸員の総意」として市の要請を拒否してきた。

 協会への補助金問題は、公開討論の是非という議論の「入り口」で橋下氏と協会の意見が平行線をたどってきた。技芸員の一人は「協会の説明と異なり、技芸員の半数程度は公開討論に賛成している」と指摘しており、関係者からは「協会に交渉を一任した結果、思わぬ方向に話が進んだ」との声もあがっている。

 昨年末に市長に就いた橋下氏は、行財政改革の一環として文楽協会への補助金見直しを指示。今年度予算には前年度比25%減の補助金3900万円が盛り込まれた。橋下氏はさらに、協会のマネジメントや技芸員の収入格差などに課題があると主張し、技芸員との公開討論が実現しなければ補助金支出を見合わせる方針を示している。
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928よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/12(水) 20:33:42 ID:e2RhqwXI0
たった一言『公開で面談に応じなければ補助金を支給しない』といっただけで、文楽の世界は大きく変わり始めた。
橋下さんという人は、こういう言葉の使い方が本当に上手だと思います。


文楽変わります 補助金凍結に奮起
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120912-OYO1T00789.htm?from=newslist

 大阪市の橋下徹市長の補助金凍結表明で、窮地に立たされている人形浄瑠璃文楽。「演出が物足りない」など痛烈な“橋下節”を浴びながらも、夏公演の入場者数は前年比4割増を達成した。危機感を募らせた演者や劇場関係者、ファンの間に「逆境をチャンスに」との気概が芽生えつつある。

「花形」売り込み

 来月1日、30、40歳代の演者5人が大阪倶楽部(くらぶ)ホールで公演を開く。タイトルは「咲くや花形文楽」。歌舞伎の「花形役者」にならい、将来を担う演者を「花形」として売り込む、文楽界では初めての試みだ。

 「チームプレー重視で、花形として売り出すという発想がなかった」とメンバーの豊竹呂勢(ろせ)大夫さん(46)。吉田一輔(いちすけ)さん(42)も「劇場外でファンを開拓しようという意欲が演者の間で高まっている」と語る。

 企画した演劇プロデューサーの松原利巳(としみ)さん(61)は「『何か行動しなければ』という演者の思いが一つになった。今後、シリーズ化したい」と意気込む。

目玉演目に焦点

 今年の大阪・国立文楽劇場の夏休み特別公演の入場者数は2万5508人。3部制となった1993年以降、歴代2位を記録した。

 劇場は宣伝用チラシ作りに知恵を絞った。重鎮に配慮し、複数の演目の写真を並べるのが定番だったが、今回は目玉の「曽根崎心中」のみをクローズアップ。同劇場などを運営する日本芸術文化振興会の水野英二理事は「思い切ってアピール度が強い手法に転換したが、反発はなかった」と明かす。〈一点豪華主義〉が奏功し、同演目を上演する夜公演は好調な売れ行きだった。

 演者も積極的に動いた。ボランティアとして有志21人が参加。JR大阪駅で実演し、チラシを配った。

 11月の本公演は「仮名手本忠臣蔵」。大阪では8年ぶりとなる人気演目の通し上演だ。地下鉄の駅などでもPRする予定だという。

ファンが写真展 

 ファンの間でも支援が広がる。東京在住の写真家、渡邉肇(わたなべはじめ)さん(48)は今月、吉田簑助(みのすけ)さん(79)、桐竹勘十郎さん(59)らが演じる「曽根崎心中」を3Dカメラで撮影。黒衣(くろご)なしで、人形を持たない人形遣いの動きだけを撮影した「エア人形」シリーズも撮り下ろした。

 来年2月、東京・表参道のギャラリーで上映・展覧会を開く。渡邉さんは「連綿と受け継がれてきた技の美しさを伝えることで、文楽を応援できれば」と話す。

◆大阪市と面談巡り対立

 橋下市長は、今年度補正予算に文楽協会への補助金として昨年度比25%減額の約3900万円を計上。公開の場で、文楽界改革に向けた演者との意見交換が実現しなければ、予算は執行しない、と条件を付けた。

 演者側は個人の年収なども議題になると予測されることから、非公開での面談を要望。両者の対立が続いていたが、今月初め、市担当者と協会側が事務レベルで意見交換することで合意に達した。市側は10月中旬を最終期限と通告している。

(2012年9月12日 読売新聞)

929よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/16(日) 21:55:38 ID:mskUEl0I0
大阪は約1800年の歴史を誇る。
50年ということは、その歴史の三十六分の一を千里ニュータウンは過ごしたということです。


街の過去・未来話そう 千里ニュータウン50年…大阪
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20120916-OYT8T00276.htm?from=yoltop

 国内初の大規模団地・千里ニュータウン(大阪府吹田市・豊中市)への入居が始まって50年を迎えた15日、吹田市津雲台の千里ニュータウンプラザで、記念事業がスタートした。住民らでつくる実行委員会が企画し、11月25日まで展示やフォーラムなどが開かれる。初日は、50年前からここで暮らす住民によるトークセッションなどがあり、参加者は半世紀にわたる街の変遷に思いをはせた。(辻和洋)

 千里ニュータウンを舞台にした吉永小百合さん主演の映画「青春のお通り」(1965年)の上映や、市立高野台中学校(吹田市高野台)合唱部約20人による合唱の後、最初に入居が始まった吹田市佐竹台の住民5人が登壇。同地区の谷川一二連合自治会長(79)をコーディネーターに、入居当時の様子や未来の街づくりについて語り合った。

 家族で一緒に入居した南部正代さん(78)は「当時の府営住宅は人気で、抽選に16回目の応募で当たった」と振り返り、「昔は子どもがたくさんいて、近所同士でお下がりの服を交換し合う助け合いがあった」と懐かしんだ。

 住宅の老朽化で近年は建て替えが進み、若い世代の転入も増加。榊清子さん(76)は「8月にあった地元の夏祭りでは大学の留学生も招待した。高齢化が進んでいるが、いろいろな人と交流のある街にしたい」と語った。

 会場は約250人で満員に。約35年前、千里ニュータウンに住み始めた吹田市高野台、無職藤原千さん(69)は「街開き当時の様子が伝わってきて、自分の暮らす街の歴史がよくわかった」と話していた。

◆千里ニュータウン

 府が吹田、豊中両市の丘陵地1160ヘクタールに開発、1962年に街開きした。1万人規模のエリアごとに学校や診療所、商業施設を徒歩圏内に配置した住区が12(吹田市8、豊中市4)ある。ピーク時の人口は約13万人(1975年)。その後、人口は減少傾向にあるが、団地の建て替えなどで新たに入居する人もおり、現在は約9万人。

◆「一緒に育った」佐竹台小1期生・吉田さん

 トークセッションで語り部の一人となった吉田純威さん(62)は、1962年に開校した佐竹台小学校の1期生。ともに歩んできた千里ニュータウンは高齢化が進んだ。「街を再生させるために奔走するつもり」と話す。

 吉田さんは62年、府が販売する一戸建ての分譲住宅に、両親と姉2人の5人で大阪市内から移り住んだ。当時は小学6年生。卒業までの半年間、自宅近くに開校した同小学校に通った。

 校舎は鉄筋造りで玄関はガラス張り。大阪市内の小学校は木造だっただけに、モダンな校舎での学校生活がうれしかった。入居が始まったばかりで児童数が少なく、6年生は十数人の1クラスだけ。体育では5年生と一緒にドッジボールなどをした。「学年の隔たりがなく、学校全体に一体感があった」

 街は道路が舗装されておらず、土がむき出しだった。大きなブルドーザーやショベルカーがあちらこちらで工事をしていた。道路沿いの木々は直径5センチ、高さも3メートルほどで、自分と同じ〈子ども〉だった。

 「街が活気づく予感がした」。高野台中学校に入学すると、1週間に2人のペースで転校生がやって来た。「かわいい子来るかな、と楽しみだった」

 街の成熟を象徴したのは、高度経済成長期の1970年。自宅近くで万博が開催され、広い舗装道路、新しい駅が整備された。名古屋市の大学で学んだ後、実家に戻り、門真市内の会社に通勤。仕事でミスをして上司に怒られても、千里ニュータウンまで戻ると、ほっとした気分になった。

 2年前、会社を定年退職。久しぶりに小学校を訪れると、道路沿いの木々は枝を張り、すっかり〈大人〉になっていた。「自分と一緒に育ったのだなぁ」と感慨深かった。その後も時折小学校に立ち寄り、子どもたちにかつての様子や街の歴史を語る。「仕事に忙殺されて、街に何も貢献してなかった」と、自治会の役員も引き受けた。

 トークセッションでは舞台からこう呼びかけた。「バトンを渡す次世代がいなかったら、街が終わってしまう。住みやすい環境を守りながら、若い住民を受け入れて、たくさんの子どもたちがいる街にしよう」

930よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/16(日) 21:58:11 ID:mskUEl0I0
>>929

http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20120916-OYT8T00276.htm?from=yoltop

◆変化 空から実感

 千里ニュータウンを上空から撮影した50年前の写真を、府公文書館で見つけた。佐竹台の荒涼とした造成地に、真新しい団地がぽっかりと浮かぶ。

 写真と同じと思われる高度1000フィート(約300メートル)まで上がった。かつての土肌はマンションや住宅で覆い尽くされ、様相が一変していた。阪急南千里駅が見えた。50年前に鉄道はなく、目印にはならない。写真にあった、「く」の字形の菩提(ぼだい)池を探すが、見あたらない。

 1300フィート(約400メートル)まで上がると、こんもりとした森の間から水面が姿を現した。かつてはなかった樹木が大きく伸び、池を隠していたのだ。住区と住区の間に植えられた樹木も成長し、緑のベルトのようになっている。

 半世紀にわたる、人と自然の営み。その力の大きさを感じながら、シャッターを押した。(金沢修)

◆「お祝い」住民が主人公

 2か月以上にわたる記念事業「千里ニュータウンまちびらき50年事業」を企画、運営するのは、公募で集まった住民60人だ。過去の記念事業は行政が中心だったが、今回は住民が主人公になった。(渡辺彩香)

 60人は実行委員会を作り、今年2月から準備を重ねてきた。8月28日、府営千里佐竹台住宅(吹田市佐竹台5)。住民らが足踏み式ミシンや洗濯板、おけなどを運び込んだ。50年前、最初に入居が始まった団地の一室に当時の生活を再現し、タイムスリップ展を開くためだ。家具や生活用品は住民らが今も使っていたり、押し入れの中にあったりするものを持ち寄った。

 「ここでお裁縫して、子どもを寝かしつけて……」「このミニスカート、奥さんがはいてたの、私、覚えてるわ」。時折、準備の手が止まるほど話が尽きない。入居当時2DKだった部屋は二十数年前増築され、浴室や洗面所、和室が加わった。増築部分には、古い新聞記事や写真も並べる。住民らがガイドを務め、16日から11月25日までの計10回、公開する。

 10月20、21日にセルシー広場(豊中市)などで開かれる「千里50年まつり」では、高校生や大学生のダンスや楽器演奏、物産販売、人前結婚式などがある。11月10日夜は千里南公園(吹田市)で、人口と同じ9万個の竹灯籠を並べ、音楽コンサートも催す。最終日の同25日は、よみうり文化ホール(豊中市)で、子どもたちが千里ニュータウンの未来について語り合う「市民まちづくりフォーラム」を予定している。

 実行委員会の永田昌範委員長(67)は、「最初はいろいろな場所から住民が移り住んだ寄せ集めの街だったが、50年がたち、多くの人の古里になった。住民たちが中心になってこれからも千里ニュータウンの歴史を築いていきたい」と話している。

 問い合わせは、同委(06・7172・9102、日祝以外の午前10時〜午後5時)へ。

◆思い出や情報募集

 読売新聞大阪版では、千里ニュータウンの50年をたどる連載を予定しています。次の6項目に関する思い出や情報を9月30日までにお寄せいただけませんか。〈1〉簡易型ユニットバス「バスオール」〈2〉日本初の自動改札機〈3〉竹見台小学校と南竹見台小学校〈4〉近隣センター〈5〉老朽化住宅の建て替え〈6〉その他。〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部大阪版担当へ郵送か、ファクス(06・6361・3001)、メール(o‐naniwa@yomiuri.com)で。

(2012年9月16日 読売新聞)

931よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/17(月) 05:02:06 ID:qj5tiaBg0
「やりまわし」に歓声 岸和田だんじり祭 本宮 大阪
2012.9.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120917/osk12091702020003-n1.htm

 16日に祭り最終日の「本宮」を迎えた岸和田市の「岸和田だんじり祭」。だんじりが市内3神社に無事宮入りすると、祭り関係者は安堵(あんど)の涙を浮かべるなど、盛り上がりは最高潮に達した。

                   ◇

 この日も、最大の見せ場である交差点を猛スピードで駆け抜ける「やりまわし」を見ようと、市役所や南海岸和田駅周辺は多くの観客で身動きがとれないほど。堺市堺区の会社員、坂本晶子さん(24)は「大工方の男らしい感じが格好良かった」と喜んだ。

 日差しの強まった午後からは自由曳行(えいこう)が続き、子供らも汗をかきながら「ソーリャ、ソーリャ」と大きなかけ声で街中を駆け抜けた。宮本町のだんじりを曳(ひ)いた吉福愛利(まなと)君(10)は「勢いがあって面白い。大きくなってもずっとやりたい」と話していた。

932よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/18(火) 22:54:33 ID:3ft2p.ck0
履中陵「円丘」くっきり 大阪府教委が百舌鳥・古市古墳群をレーザー測量
2012.9.18 20:50
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120918/wlf12091820540016-n1.htm

 大阪府教委などは、世界遺産登録を目指す堺、羽曳野、藤井寺3市を中心に広がる百舌鳥(もず)・古市古墳群の航空レーザー測量図を作成し、18日発表した。履中(りちゅう)天皇陵では、前方部分に高さ5メートルほどの「円丘」が浮かび上がり、府教委は「埋葬施設が眠っている可能性がある」と分析している。

 測量は世界遺産登録に必要なデータ取得のため実施。古墳の半数近くは、宮内庁が管理する陵墓や陵墓参考地で立ち入り調査ができないため、本格的な測量調査は80年ぶりになる。

 今年2月、古墳群がある一帯28・7平方キロメートルの上空500メートルを飛行するヘリコプターからレーザー光を照射。全87基中、光が届かなかった古墳などを除く82基の測量図を作成した。

 履中天皇陵の円丘は、大正から昭和初期に作成された測量図でも「ふくらみ」が記録され、埋葬施設がある可能性が指摘されていたが、今回の測量で精密な形状が判明。応神天皇陵でも、一部が崩れた同様の円丘が確認できた。

 仁徳天皇陵は、過去の自然災害で崩れた様子が鮮明になった一方、履中天皇陵やニサンザイ、墓山古墳は築造当初の形を保っていた。また、中世に城に改造された仲哀(ちゅうあい)天皇陵は、兵士が城内の移動に使う「武者走り」のような通路跡も確認された。

 測量図は今月25日〜10月8日、府立近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)で公開されるほか、10月からは堺、羽曳野、藤井寺の各市役所でも順次展示される。

933よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/19(水) 06:05:08 ID:xwaWoxQM0
来年1400歳最古の官道知って 難波−飛鳥
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120919-OYT8T00148.htm

 大阪・難波から奈良・飛鳥を東西に結んだ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が来年、整備されてから1400年を迎えるのを前に18日、太子町や堺市、奈良県葛城市など街道沿いの自治体首長ら11人が同町役場で、「1400年首長サミット」の準備会を開いた。

 竹内街道・横大路は、日本書紀の613年に「難波(大坂)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」とあり、2013年に節目を迎える。

 準備会では、実行委員会長に浅野克己・同町長、副会長に山下和弥・葛城市長を選出。浅野町長が「各自治体が一体的な取り組みを進め、節目を契機に元気なまちにしよう」とあいさつした。

 来年中に同サミットを開き、約2週間で集中的にイベントを行い、継続的な活動にする。一帯に点在する博物館が連携するほか、行政や大学、会社、地域が協力して街道を歩くウオーキング、ワインや菓子など「竹内ブランド」の商品を開発する。

 参加者からは「街道を自転車で往復しては」「共通のロゴを作ってPRを」などの意見が出た。今後、イベントの開催時期や内容などを詰める。

(2012年9月19日 読売新聞)

934名無しさん:2012/09/19(水) 06:17:01 ID:vDvSkBz60
橋下手法によって文楽協会も着実にフェアな公開討論へと本腰入れて進み始めました。

文楽技芸員:「橋下市長と公開討論」決議 方針転換
毎日新聞 2012年09月19日 02時30分(最終更新 09月19日 02時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20120919k0000m040144000c.html

橋下徹・大阪市長との意見交換を「非公開」と要望してきた人形浄瑠璃「文楽」の
技芸員(演者、82人)は18日午後、公演中の東京・国立劇場内で総会を開き、
方針を転換して「公開討論に応じる」と決議した。文楽協会(大阪市中央区、山口昌紀理事長)に通知、同調を求める。
橋下市長は技芸員との公開討論を、文楽協会への補助金支出の条件としており、行き詰まっていた事態は大きく前進する見込み。

総会には数十人が出席。「補助金が一度打ち切られてしまうと復活は困難」との見方があり、
「タイムリミットが迫ってきた」などの意見が出て、約1時間話し合った結果、
公開討論に応じることを決めた。公開討論への出席者などは未定。市側は公開討論の議題として、
(1)協会が売り上げの中からマネジメント料を取る仕組みへの転換
(2)技芸員の収入の適正配分(3)文楽振興の責任の所在−−の3点を列挙。
これらに関して公開で討論するとみられる。

大阪市は今年度の補正予算で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3900万円計上。
しかし、橋下市長は6月、「技芸員と公開の意見交換の場を設けなければ、補助金を全額カットする」と表明した。

935よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/19(水) 06:26:33 ID:xwaWoxQM0
文楽技芸員:「橋下市長と公開討論」決議 方針転換
毎日新聞 2012年09月19日 02時30分(最終更新 09月19日 02時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20120919k0000m040144000c.html

 橋下徹・大阪市長との意見交換を「非公開」と要望してきた人形浄瑠璃「文楽」の技芸員(演者、82人)は18日午後、公演中の東京・国立劇場内で総会を開き、方針を転換して「公開討論に応じる」と決議した。文楽協会(大阪市中央区、山口昌紀理事長)に通知、同調を求める。橋下市長は技芸員との公開討論を、文楽協会への補助金支出の条件としており、行き詰まっていた事態は大きく前進する見込み。

 総会には数十人が出席。「補助金が一度打ち切られてしまうと復活は困難」との見方があり、「タイムリミットが迫ってきた」などの意見が出て、約1時間話し合った結果、公開討論に応じることを決めた。公開討論への出席者などは未定。市側は公開討論の議題として、(1)協会が売り上げの中からマネジメント料を取る仕組みへの転換(2)技芸員の収入の適正配分(3)文楽振興の責任の所在−−の3点を列挙。これらに関して公開で討論するとみられる。

 大阪市は今年度の補正予算で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3900万円計上。しかし、橋下市長は6月、「技芸員と公開の意見交換の場を設けなければ、補助金を全額カットする」と表明した。

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938よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/20(木) 06:11:36 ID:7ZraYpMs0
顕証寺、江戸期の庫裏修復 23日に一般公開 大阪
2012.9.20 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120920/osk12092002010003-n1.htm

 八尾市の久宝寺寺内町の中核的存在である浄土真宗・顕証寺の庫裏(市指定文化財)が修復され、23日午前9時〜午後2時に内部が一般公開される。

 庫裏は傾いていたため、昨年11月に修復工事に着手、老朽化した部材の交換や耐震補強などを行ったほか、瓦をふき替え、外壁のしっくいも修復し、建造当時の姿が蘇ったという。

 市教委文化財課によると、庫裏は江戸時代中期の宝永3(1706)年に建立され、顕証寺の建物では最古。庫裏は住居としても使われるため改造されやすく、この年代にさかのぼる庫裏は少ないという。

 近松照俊住職は「伽藍(がらん)の維持は単に建物の保存ということではなく、受け継がれてきた法灯を次代に伝えることと同じ。工事が無事終えられたことに安堵(あんど)している」と話した。

939よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/22(土) 21:26:33 ID:kOLRfW4I0
古代馬、まるでポニー…近つ飛鳥博物館が模型
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120922-OYO1T00482.htm?from=newslist

 近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)は、大阪府四條畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡で見つかった古墳時代(5世紀後半)の馬の骨から、当時の馬を模型で復元した=写真=。古代の馬の姿や生態を考える資料になるという。

 模型は体高1・3メートル、体長2メートルで、現代の馬と比べて頭は一回り大きく、脚は短い。宮崎県・都井岬に生息する御崎馬(天然記念物)に近い体格という。

 同遺跡は日本書紀にある飼育場「河内馬飼(うまかい)」に関連するとみられ、2003年に馬1頭分の骨が完全な形で見つかった。07年に同博物館が合成樹脂で骨格を再現。今年6月から粘土で肉付けし、アクリル絵の具で彩色した。

 日本列島に馬が来たのは、副葬品として朝鮮系の馬具が見られるようになった4世紀末頃とみられる。

 市本芳三副館長は「ポニーのようなかわいらしい姿で、朝鮮半島から馬が入ってきた当時を想像してもらいたい」と話している。

 模型は、29日から同博物館で始まる「南九州とヤマト王権」(読売新聞社など主催)で展示。同日から10月31日まで、はがきなどにより愛称も募集する。

(2012年9月22日 読売新聞)

940よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/23(日) 11:05:28 ID:2n6GuS5E0
史跡公園で弥生時代の稲刈り
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120923-OYT8T00018.htm

 和泉、泉大津の両市にまたがる池上曽根史跡公園内の水田で22日、子どもたちが弥生時代の衣装・貫頭衣(かんとうい)姿で石包丁を使った稲刈りを体験した。

 公園がある池上曽根遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)集落跡で、国史跡に指定されている。親子連れ約120人が池上曽根弥生学習館(泉大津市)の学芸員から石包丁の使い方を聞いた後、約500平方メートルの田んぼへ。ぎこちない手つきながらも、黒米の稲穂を1本ずつ刈り取っていった。

 稲刈りは初めてという和泉市立鶴山台南小2年今井久美子さん(7)は「難しいけど面白い。食べるのが楽しみ」と話していた。稲は6月に植え、ボランティアが手入れした。乾燥させ、脱穀、精米し、11月に試食する。

(2012年9月23日 読売新聞)

941よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/24(月) 20:38:18 ID:SCYKUWJM0
体験ツアー:石見銀山→大阪 銀の道体感、歴史知って−−来月26〜28日、参加者を募集 /島根
毎日新聞 2012年09月24日 地方版
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20120924ddlk32040323000c.html

 江戸時代、石見銀山から大坂に銀を運んだ陸と海のルートを体験するツアー「銀の道を歩こう」が10月26〜28日に開催される。市民ガイドグループ「石見銀山ガイドの会」による初めての企画で、「銀の道を体感することで銀山の歴史を知ってほしい」と参加者を募集している。

 江戸時代、石見銀山は徳川幕府の支配下に入った。銀貨鋳造所(銀座)は徳川家康が伏見に作ったのを皮切りに、駿府、京、大坂、江戸などに次々開設された。石見の銀は、現在の美郷、飯南両町から銀山街道を通って尾道の港に輸送、瀬戸内海を船で運ばれ、大坂・高麗橋にあった大坂銀座で鋳造されていた。

 銀山遺跡の世界遺産登録5周年を受け、県内外の人たちにルートを実際に知ってもらおうと同会がツアーを企画した。初日は石見銀山世界遺産センター(大田市大森町)を午前6時半に出発。宇津戸(広島県世羅町)から尾道(同県尾道市)まで、街道跡を約7時間かけて歩く。2日目は尾道港からチャーター船で牛窓(岡山県瀬戸内市)、姫路、神戸の各港に寄りながら大阪へ。最終日は大阪市内で銀座跡や住友銅吹所(銅精錬所)跡を見学し、バスで大田に戻る。

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942よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/24(月) 21:11:46 ID:SCYKUWJM0
12基のたいまつ完成 10月の獅子神事祭で奉納
2012年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120924/20120924028.html

 原田神社(大阪府豊中市中桜塚1丁目、高畠光典宮司)で行われる秋祭り(10月1日〜10日)で、同市指定無形民俗文化財になっている「獅子神事祭」を彩る大、小12基のたいまつが完成した。

 氏子らでつくる「たいまつ保存会」(土肥安弘会長)のメンバー10人が周囲約4メートル、高さ約1・3メートルにもなる特大サイズ2基と、胴回り約1・2メートル、高さ約1メートルの小型サイズ10基を制作。束ねたわらの周囲を縦に割った竹で囲み、縄で締め上げて円柱の形をつくり、電動カッターなどでたいまつの上部のわらを刈りそろえるなどして仕上げた。

 完成したたいまつは、宵宮祭の10月9日、上にササを刺して飾り付け、大型の2基を同神社本殿両脇に、そのほかのたいまつは境内各所に据え付けられる。獅子神事の始まる同日午後8時すぎに点火され、たいまつが燃え盛る中、本殿前で獅子神事が奉納される。

 土肥会長(76)は「たいまつは祭りに欠かせないもの。最近は竹やわらなどの材料が手に入りにくくなっているが、たいまつ作りの技術を絶やすことなく、次の世代にも伝えていきたい」と話していた。

 獅子神事は7世紀の後半、天武天皇が悪疫退散を祈願して獅子頭をかぶった舞を奉納したことが起源とされる。1987年、同市の無形民俗文化財に指定された。

943名無しさん:2012/09/25(火) 17:34:10 ID:9/iOb5lY0
今、朝日放送の「キャスト」でもやってましたけど、
なんとか壊す以外の方法はないのでしょうか。
例えば地域の憩いの場にするとか・・・

これだけ立派なのをあっさり壊すのはもったいなさすぎます。
それこそ「大阪ミュージアム構想」に指定できますよこれは・・・

府文化財解除:大阪市内最古の民家解体へ
http://mainichi.jp/select/news/20120924k0000e040182000c.html

大阪市内で最古とされ、大阪府の文化財に指定されていた江戸時代初期の民家「渡辺邸」(同市淀川区)が近く解体される。
所有者が多額の相続税を払えないという理由で建物の解体と土地売却を希望。
府の古い規則に基づく指定だったため、府の文化財保護条例などと違い、所有者の申請だけで4月に指定が解除された。
古い規則に基づく文化財は他に27件あり、府は今後も同様の事態が生じかねないと懸念している。
府教委によると、渡辺邸は平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の子孫の家と伝えられる。
敷地約2560平方メートルに母屋や土蔵など6棟が建つ。17世紀初頭に建てられたと推定される。
府教委は1965年、「府古文化紀念物等保存顕彰規則」(1949年施行)に基づく重要美術品(文化財)に指定。住居として使用されていた。
ところが一人で住んでいた前所有者の女性が10年5月に死亡。
唯一の相続人の女性は昨年12月、府教委に文化財指定の解除を申請した。府教委は土地の買い取りを検討したが、5億円以上かかるため断念。
相続人に寄贈を勧めたが理解を得られなかったという。

944よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/27(木) 06:09:52 ID:thgAS34g0
辰野建築日台交流の場に 旅館・南天苑など
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120927-OYT8T00188.htm

 国内や台湾に名建築を残した明治時代の建築家・辰野金吾(たつのきんご)設計の旅館・南天苑(河内長野市)と奈良ホテル(奈良市)で、それぞれ30日と来月1日に、台湾の演奏家らを招いた音楽と水墨画の催し「辰野金吾 和風建築物語」が開かれる。台湾出身で河内長野市に住む水墨画家・李鴻儒さん(59)らが企画。「辰野建築の魅力を広く知ってもらい、ゆかりの場所で日本と台湾の交流を深めたい」と話している。(岡田英也)

 李さんは26歳で来日。河内長野市などで水墨画教室を開き、NPO法人アジア文化芸術連盟代表も務める。

 台湾では日本統治時代の20世紀前半に辰野の弟子たちが建てた近代建築が、現在も台中市政府や国立台湾文学館(台南市)として使われている。「辰野式」と呼ばれるなど有名で、李さんは来日後、河内長野市や奈良市に辰野設計の建物があると知って訪ね、「芸術的な建物」と魅了されたという。

 南天苑の本館は1913年に堺・大浜海岸で海水を沸かした浴場・潮湯の別館として建てられ、35年に移築された。木造2階建ての数寄屋造り。2003年に国登録有形文化財になった。奈良ホテル本館は1909年に建てられた木造2階建ての御殿風のヒノキ造り。いずれも辰野設計の和風建築の代表格とされる。

 李さんは、辰野設計の東京駅丸の内駅舎が10月に改装オープンするのに合わせて、「記念の企画を」と考え、南天苑女将(おかみ)の山崎友起子さんらに相談。知人を介して5年前に知り合った著名な台湾の伝統弦楽器「二胡(にこ)」の奏者・王文隆さんを招き、演奏と水墨画を合作した催しを開くことにした。

 南天苑では30日午後6時半から、庭園に竹灯籠1000基を設置し、王さんら台湾の演奏家や舞人6人が二胡や笛、琴で14曲を演奏。李さんは演奏中に、辰野の「辰」にちなみ、龍などを描く。奈良ホテルでは10月1日午後7時から、本館に隣接する新館で行われる。

 尖閣諸島問題を巡って台湾も領有権を主張する緊迫した情勢だが、「こういう時だからこそ、文化や芸術を通して互いの理解が進めば」と李さん。山崎さんも「幻想的な雰囲気の中で芸術を楽しんでほしい」と呼びかけている。

 南天苑は無料で、奈良ホテルは入場料3000円が必要。申し込みや問い合わせは李さん(090・2115・4996)へ。

辰野金吾 
 1854〜1919年。佐賀県出身で、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業。ロンドンでも建築を学び、工部大学校教授に就任した。大阪市中央公会堂(重要文化財、大阪市北区)や日本銀行本店本館(同、東京都中央区)が代表作として知られる。後進の指導にも励み、伊東忠太ら多くの人材を輩出した。

(2012年9月27日 読売新聞)

945よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/28(金) 20:55:16 ID:nPxeb58w0
「舞台が一番大事」技芸員、協会に公開面談決めた経緯説明
2012.9.27 23:01
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120927/wlf12092723020026-n1.htm

 文楽協会に対する大阪市の補助金削減問題で、文楽の技芸員(演者)と協会の話し合いが27日、大阪市内で開かれ、技芸員が協会に対して、公開面談を決めた経緯などを説明した。

 この日、協会に説明に訪れたのは人形遣いの吉田玉也さん(67)ら技芸員の世話役7人。技芸員は、公開面談を決断した理由について、事態の早期収束や予算執行の期限が迫っていることなどを説明したうえで、公開面談の際には、協会にも同席してほしいと要望した。協会側は、「理事長(山口昌紀)の判断を仰ぎ、出来るだけ早く返事したい」と即答を避けた。

 技芸員側は、これまで橋下徹市長と公開面談には応じられないという姿勢を示してきたが、今月18日に一転して公開面談に応じる方針を表明していた。

 玉也さんは「我々は舞台が一番大事。心配してくれるお客さんのためにも早く舞台に専念したい。協会が公開面談に同席してくれることを信じている」と話した。

946よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:27:33 ID:H39u3WeU0
[碑にきく] 病押し、揮毫した父
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00101.htm

 大阪の石碑を訪ね、街の記憶をたどる連載「碑(いしぶみ)にきく」には、4月の開始以降、読者の方から多くの声を頂いている。石碑に込められた大切な思い出、未来に伝え残したい願い……。連載が10回を迎えたのを機に、もう一度訪ねた。(安田弘司)

◇てんのじ村記念碑

 〈本当はもっと大きな字を書く予定だったのですが……〉

 7月に「てんのじ村記念碑」(大阪市西成区山王)を取り上げると、建立当時のエピソードがつづられたはがきが届いた。差出人は、童話作家の藤田富美恵さん(73)(同市中央区)。「てんのじ村」の碑名を記した漫才作家・秋田実(1905〜77)さんの長女だ。

 石碑のある一帯は演芸街に近く、戦後、多くの漫才師らが長屋に住んだ。1970年の高速道路建設でその面影が失われていくことに危機感を抱いた住民らが77年、石碑を建てた。藤田さんによると、秋田さんは、石碑に刻む文字の揮毫(きごう)を依頼された当時、肺真菌症を患い、大阪市立大病院(同市阿倍野区)に入院していた。家に帰り、筆で書くつもりで引き受けた。

 だが、退院は実現しなかった。病床では筆が持てないため、漫才の台本を書くのに愛用したあつらえの原稿用紙に鉛筆でしたためた。「緑色のマス目にきちんと入れて書かれた文字を、拡大してもらいました」と藤田さん。〈上方漫才の父〉と呼ばれた秋田さんは、77年9月の除幕式に参加しないまま、翌月27日、世を去った。

 9月下旬、藤田さんと一緒に石碑を訪ねた。石碑を囲うフェンス内側の雑草は一夏が過ぎ、背丈ほどにも伸びていた。

 「秋田の字、ですね」

 藤田さんが石碑と対面するのは約20年ぶり。父の足跡をたどった「玉造日の出通り三光館」(玉造稲荷神社発行)の執筆で、訪ね歩いて以来という。

 「うちに仕事を持ち込まず、生きてるうちは何も知らなかった。でも、ここに来ると、『てんのじ村』と、そこで育った芸人さんを心底好きだったんだな、と感じる」。夏草の陰に、父を見つけたようなまなざしで語った。

947よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:29:55 ID:H39u3WeU0
>>946

◇先人の思い継ぎ防災誓う 大地震両川口津浪記

 4月の初回で掲載した「大地震両川口津浪(つなみ)記」(大阪市浪速区幸町)については、元中学校教諭の長尾武さん(64)(同市阿倍野区)からメールを受け取った。〈語りかけるような碑文に背中を押された〉

 約30年前、西区の中学で教諭をしていた時にこの石碑を知ったが、立ち止まることはなかった。だが、2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震で津波の恐ろしさを痛感。碑文を詳しく調べた。

 江戸末期に建てられた石碑には、一帯を襲った津波の被害とともに、今後も起こりうるから、毎年碑文に墨を入れるように、と刻まれていた。大阪の津波被害について古文書を調査し、今はセミナーなどで心構えの大切さを説く。

 碑文の言葉を守り、今年も8月下旬、地元住民らが墨を入れ、慰霊祭を営んだ。長尾さんも足を運んだ。「石碑は、昔の人の願いを、今を生きる人に伝える『使者』。その思いをくみ、力を尽くしたい」

◇「訪ねたい」声も

 「連載で取り上げてほしい」という取材依頼も数多く寄せられているほか、「行ってみたいので、これまでに掲載された石碑の場所を教えて」との声も届く。

 森安江さん(66)(同市住吉区)は結婚後、夫の仕事の都合で、約40年間東京で過ごし、数年前に古里・大阪に戻った。4月掲載の「芭蕉終焉(しゅうえん)の地」(同市中央区)や、8月掲載の「食野宅趾(めしのたくあと)」(泉佐野市)などについて、「大阪にこんなにも知らない歴史があったことが新鮮。大阪を離れていたからこそ、その良さをしみじみ感じる。やっと夫と2人でゆっくりと過ごせるようになったので、一緒に訪ねたい」と話した。

 (11回目は10月上旬に掲載します)

(2012年9月30日 読売新聞)

>大阪を離れていたからこそ、その良さをしみじみ感じる。

 私は東京の生まれですが、大阪という存在を知り、大阪を知ろうとすればするほどに、その良さに気がつきます。

948よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:31:19 ID:H39u3WeU0
勇壮宮入り ふとん太鼓 堺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00105.htm

 堺市北区百舌鳥赤畑町、百舌鳥八幡宮で29日、秋祭りが開かれた。周辺9町から、太鼓台の上部に朱色の座布団を重ねたようなふとん太鼓9基が次々に宮入りした。

 ふとん太鼓は高さ約4メートルで、約3トン。金色の太縄や大小の白い房で飾り付けられている。そろいの法被姿の約70人が担ぎ上げ、「ベーラベーラ、ベラショッショイ」とかけ声を響かせながら境内を練り歩いた。

 祭りは、旧暦8月15日(今年は9月30日)頃に開催。豊作祈願と中秋の名月を祝う風習にちなむとされ、300年以上の歴史があるという。

(2012年9月30日 読売新聞)

949よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:50:17 ID:H39u3WeU0
ヤマト王権と地方豪族展
http://www.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/4065335801.html

奈良県を中心とした古墳時代の国家「ヤマト王権」と山口県などで勢力を築いていた「地方豪族」との関わりを紹介する展示会が、下関市で開かれています。
この展示会は、下関市立考古博物館が開いたもので、会場には山口県や奈良県などの古墳時代の遺跡から発掘された武具や装飾品などおよそ280点が並べられています。
このうち、奈良県の遺跡から発掘された「銅製の鏡」は、馬車が描かれた装飾が特徴です。
中国製とみられ、ヤマト王権が積極的に海外に進出していたことがうかがえます。
山口市吉敷で発掘された「よろい」は、ヤマト王権の所領地で生産されていたもので、ヤマト王権から地方に配布されていたと考えられ、その深い関わりが感じられます。下関市立考古博物館の学芸員、松永博明さんは、「近畿地方や中国地方、北部九州の重要な古墳の出土品を一堂に集めています。細かな装飾の違いなど中央と地方の違いを見比べてもらいたいです」と話しています。
この展示会は、11月25日まで開かれています。

09月29日 12時29分

950よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 10:08:07 ID:H39u3WeU0
橋下市長と文楽技芸員、来月3日討論会 文楽協会も同意
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201209290013.html

 人形浄瑠璃文楽の保存、普及に取り組む文楽協会は28日、技芸員(演者)とともに橋下徹大阪市長との公開討論に応じることを決め、市側に伝えた。市は同日、討論会を10月3日夕に市役所で開くと発表した。

 橋下市長は就任後、文楽協会の運営方法を疑問視し、補助金を削減。技芸員らとの公開討論も申し入れ、「応じなければ今年度分の補助金3900万円を交付しない」としていた。

 橋下氏は28日夕、「とてもうれしい。技芸員の方とは直接話す機会がなかったので、率直に意見交換したい」と報道陣に語った。
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951よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 12:56:03 ID:H39u3WeU0
まなびやの宝:大阪市立愛珠幼稚園 ビル屋上の田んぼや演奏会 /大阪
毎日新聞 2012年09月29日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120929ddlk27070405000c.html

◇地域の支えで環境充実

 大阪市中央区のオフィスビル街にひっそりとたたずむ市立愛珠(あいしゅ)幼稚園。武家屋敷風の正門をくぐると、子どもたちの元気な笑い声が響く。創立は1880年(明治13年)。21年後に建てられた現在の園舎は、現存する最古の幼稚園で、国の重要文化財に指定されている。

 北船場の住民や商人らの寄付金で建てられ、太平洋戦争の空襲時にはバケツリレーで園舎を守ったと伝えられる。地域の情熱が教育環境の充実に注がれてきた。

 玄関に上がり、黒光りする廊下を抜けると高い天井を備える遊戯室が現れる。合唱やダンスで使用するグランドピアノは、100年以上前に作られたドイツの「イルムラー」製。バイオリンの名器「ストラディバリウス」と共に、地元の有力者から贈られたものだ。毎月プロの演奏家が訪れ、コンサートを開いている。

 園児と保護者が月1回お茶遊びを楽しむ和室を備える一方、園庭が狭いのが悩みの種。だが数年前に隣接するビルの所有者が、園児だけのために屋上に田んぼを設置。春の田植え、秋の稲刈りが新たな恒例行事になっている。

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952よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 19:48:11 ID:OxptyLss0
南九州とヤマト関連探る 近つ飛鳥博物館 特別展開幕 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00115.htm

 府立近つ飛鳥博物館(河南町)で29日開幕した秋季特別展「南九州とヤマト王権―日向・大隅の古墳」(読売新聞社など主催)では、近年発掘調査が進む宮崎や鹿児島の古墳に関する最新の成果が紹介されている。同館は「ヤマト王権との密接なつながりがうかがえる」としている。12月2日まで。

 約430点を展示。神領古墳群(鹿児島県大崎町)から出土した「盾持人埴輪(たてもちびとはにわ)」は、顔のリアルな表現が特徴的で、目と口をくりぬき、口の中には上下に歯を差し込む溝もある。大阪や愛媛から運び込まれた須恵器や、朝鮮半島から入手したとみられる鉄製品も並ぶ。

 前方後円墳8基、円墳43基が確認されている生目(いきめ)古墳群(宮崎市)には、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)と似た形や、九州で3番目に大きい全長143メートルの古墳も含まれる。白石太一郎館長は「なぜ南九州であれだけ大きな古墳が築かれたのか考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 10月14日、28日、11月23日の午後1時30分からは、博物館地階ホールで、南九州の政治環境や古墳についての講演会が開かれる。定員は各回200人。問い合わせは同館(0721・93・8321)。

(2012年9月30日 読売新聞)

953よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 00:36:14 ID:4YzLmL9s0
文楽技芸員約50人が出席 午後6時からエンドレス? 橋下市長と公開面談
2012.10.2 13:09 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121002/wlf12100213160011-n1.htm

 財団法人・文楽協会への補助金削減をめぐり、今月3日に行われる大阪市の橋下徹市長と文楽の技芸員(演者)との初の公開面談に、全技芸員82人のうち約50人が出席することが分かった。半数以上が参加する“異例”の面談になる予定で、文楽関係者は「技芸員の一人一人が正直にありのままの思いを伝えたいと言っている。時間が許す限り、橋下市長と話したい」としている。

 公開面談は大阪市役所で行われ、市側からは橋下市長をはじめ、担当部局のゆとりとみどり振興局が出席。文楽側からは、文楽協会の事務局長ら2人、技芸員からは、病気療養中の文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さん(66)をはじめ、ベテランの太夫、豊竹咲大夫さん(68)ら太夫、三味線、人形遣いの約50人が出席する予定。午後6時から始まり、現在のところ制限時間は設けられていないという。

 文楽協会への補助金削減をめぐっては、公開での面談を求める橋下市長と、非公開を主張する文楽側との間で調整が難航。橋下市長は先月4日に、10月中旬までに公開面談に応じない限り、今年度の予算3900万円を執行しないと「最後通告」。

 これを受けて、先月18日に技芸員側が緊急総会を開き、公開での面談を決断していた。

 参加する技芸員の一人は「文楽は大阪の誇るべき芸能だと自負している。先人たちが築いてくださった350年の歴史や伝統を次代につないでいくためにもしっかりと説明し、市民のみなさんの理解を得たい」と話している。

954よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:45:36 ID:sUvg66Kg0
公開面談詳報(1)“文楽四十七士”、紋付き袴姿で市長と対面
2012.10.3 19:55
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n1.htm

  《財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支出問題で、橋下徹市長が求め続けてきた文楽側との公開面談が3日午後6時から、大阪市役所で行われる》

 《協会への補助金をめぐり、橋下市長は昨年度比で25%削減を決めた上で、技芸員との意見交換を公開で行うよう要請。これに対し協会側は再三にわたり非公開での面談を要望し、議論は平行線をたどっていた。ところが一転、技芸員らは9月18日の臨時総会で公開面談に応じる方針を決定、この日の面談が実現した》

 《市役所地下1階の第11共通会議室。この日の面談には、太夫や三味線、人形遣いら82人の技芸員のうち47人が出席。いずれも紋付き袴姿で、5列に並んで座り、橋下市長を待つ。定刻の午後6時ちょうど、ジャケットなしのクールビズで、橋下市長が到着。まず技芸員側を代表して、豊竹咲大夫さんがあいさつに立った》

 豊竹さん「文楽劇場では11月3日から、仮名手本忠臣蔵を上演する予定になっております。きょうは偶然でございますけれども、47名が参加しておりますが、決して討ち入りに参ったわけではございませんので」

 《赤穂浪士四十七士にちなんだ軽い冗談のあと、豊竹さんは切実な思いを訴えた》

 豊竹さん「技芸員は一日も早く、この問題を解決して舞台に専念したいと思っております。なにぶん皆、個人事業者ですので意見もばらばらかと思いますが、よろしくお願いいたします」

955よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:47:52 ID:sUvg66Kg0
>>954

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n3.htm

 《続いて対面の橋下市長が立ち上がり、右手にマイクを持って話し始める》

 橋下市長「けいこなどでたいへんお忙しい中、大阪市役所まで来ていただきまして、ありがとうございます。きょうは皆さんと忌憚のない意見交換をさせていただきたいと思っております」

 《前置きを終えた橋下市長が本題に入る》

 橋下市長「僕の問題意識の第一ですが、補助金は税ですから、使い方についても受け取り方についても、透明化、いわば『見える化』をしなければなりません。大阪市長になって、市の補助金すべてに見直しをかけました。市民の皆さんには見えない形で支出されているものがたくさんありました。本当に財政的に支援が必要なのであれば、きちんと見える形で支援をすべきだという方針で、見直しを進めていこうと思っています」

 橋下市長「たとえば文楽劇場の場合は、土地の貸付料の半額を援助しています。大阪市の税金から約9千万円が文楽劇場を支えるために使われているということを、ほとんどの方が知らない。そうではなくて、文楽を守っていくために、現在の苦しい状況の中で、一定の経費をしっかりと助成していくんだということであれば、市民の皆さんにも納得はしてもらえると思います」

  《橋下市長に向かって右手には、カメラが一列に並ぶ。橋下市長の額にもうっすらと汗がにじむ》

 橋下市長「今までの役所の助成金は、一定額が毎年毎年、固定費のように支出されるものが多かったんですが、毎年どんぶりでお渡しするのではなく、こういう事業について、この金額をこういう根拠でお出しする、ということを明確化する方針です。その枠組みの中で文楽協会への補助金を判断したときにどうなるかを、皆さんのご意見を聞きながら考えたいと思います。文化に対して補助・助成が必要なことは承知しています。ただし、そこは見える化をする、条件を明確化することが必要です」

 橋下市長「互いの意見がすれ違いのままにならないように、技芸員の皆さんに文楽協会の皆さん、そして大阪市のほうで、また僕のほうで、コミュニケーションをしっかりとりながら、補助金のあり方のルールも皆さんにご理解いただいて、どういう形で文化を支えていくか、意見をいただきたいと思います」

 《冒頭の橋下市長のあいさつは約15分にわたった。続いて技芸員らが交代で意見を述べていくことになる》

956よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:52:18 ID:sUvg66Kg0
公開面談詳報(2)「食べられるのは50歳になってから」「1億の税を入れている」おカネをめぐるシビアなやりとり続く
2012.10.3 20:58
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n1.htm

 司会「それでは自由にご発言をお願いします」

 《橋下市長のあいさつが一区切りついたところで、いったん司会が技芸員に発言をうながすが、補助金の支出のあり方をめぐる市長の説明は、さらに続く》

 橋下市長「大阪市の補助金の支出はすべてオープンに示し、『こういう事業をやるから、こういう金額になる』という枠組みをつくります。アーツカウンシルという芸術を評価する機関を設けて審査します」

 《マイクをしっかりと握りしめ会場いっぱいに行き渡る声で話す橋下市長。その一方で、マイクに不慣れなうえ声が小さく技芸員の声はほとんど聞き取れない》

 橋下市長「もう一つは、若手の技芸員の養成事業の助成金。若手の技芸員の収入が不安定で、伝統芸能を守るためには、『こういう部分でお金がかかるので補助を』と言っていただければ、補助の対象になります」

 《橋下市長の問題提起を受けて、人形遣いの吉田玉也さんが口火を切った》

 吉田さん「予算の『見える化』について、しなければいけないとは思うが、どう技芸員が関わっていけばいいのか、すぐにいい案が浮かびません」

957よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:56:10 ID:sUvg66Kg0
>>956

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n3.htm

 橋下市長「僕が問題意識を持っているのは、文楽協会の『見える化』が不十分だということです。大阪市では、経済的に苦しいご家庭がたくさんいらっしゃっる。子供たちの助成金、補助金の新しい制度をたくさん作っています。しかし給食や塾も、個人が受け取る場合は、所得要件が必ずつきます。それが本来の補助金のルールです。相当な補助金の申請書とかもあります。そこまでを技芸員の皆さんに当てはめるかは別にして、その辺をしっかり審査させていただかないと」

 《橋下市長の発言に、「その話は今、初めて聞いた」「(今まで)漠然ともらってきた」という技芸員も。一方で別の技芸員が「われわれの世界で、平均的にご飯を食べられるようになるのは50歳」と芸の世界の厳しさを訴えると、橋下市長が何度もうなずく場面も》

 竹本津駒大夫さん「事業補助に関してお話ししたい。文楽という芸能の世界は、8月にアフリカのアルジェリアまで行って高い評価をいただいたが、大阪に限った事業とは限りません。大阪市からの補助金が大阪に限って出されるということをされると、非常に動きにくいという実情もあります」

 橋下市長「文楽のPRということを考えれば、上演する場所は大阪市に限らないと思っています」

 《こう答えた橋下市長は、表情を引き締め、言葉を続けた》

  橋下市長「本当は芸をされる皆さんにここまで細かな話をするのは失礼なんですが、なかなかこういう機会はないので、すべてお話しさせていただきたい」

 《この後、橋下市長は文楽に対する税金は、文楽劇場の土地の使用料などが9千万円で、それから府が2千万円、市が4千万円、事業委託費が1200万円であることを説明。文楽と交響楽団については、億を超える金額が入っていることを強調したうえで、こう続けた》

 橋下市長「もちろん文楽を守る、伝統芸能を守るということは承知していますが、子供たちに対する助成一つとってもぎりぎりのところで、文楽に1億円を超えるお金が出ているということも、ご理解いただきたい」

958名無しさん:2012/10/04(木) 09:58:44 ID:ZKAndj8E0
文楽の補助金、凍結を解除 公開面談終え橋下市長「事業ごと支援に変える」
2012.10.4
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n2.htm
 財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支給問題で、橋下徹市長と文楽協会側の公開面談が3日市役所で開かれ、協会幹部のほか、技芸員47人が出席。橋下市長は、保存よりも振興を重視するよう意識改革を求め、協会側も応じる意向を示した。公開面談の終了後、橋下市長は「多くの人に文楽を楽しんでもらいたい」と述べ、支給対象となる事業の明確化などを条件に、今年度分の補助金3900万円の支給を認める方針を明らかにした。

「外部資金獲得の努力を」

 話し合いの中で橋下市長は、1〜2年の移行期間を設けた上で、補助金の支給目的を協会の運営資金への支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針を説明。来年度以降の支給額がどうなるかは未定だが、協会側はおおむね賛意を示した。

 文楽協会の三田進一事務局長は「市長の意向を踏まえ、改革を検討したい」と安堵(あんど)の表情を浮かべ、技芸員と今後の対応を協議する考えを明らかにした。

 公開面談で、橋下市長は「補助金の支給目的や効果を市民から見て分かりやすい形に変える」と説明。協会と技芸員が連携して特別公演などの新規事業を企画し、来年度新設する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」で認められれば、協会の運営資金を含めた事業費として今後も補助金を支給する−とした。

 協会幹部は、文楽の普及・保存を目的に協会が昭和38(1963)年に設立された経緯を説明し譲歩を求めたが、橋下市長は「時代は変わる。新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と一蹴した。

 また補助金の一部が養成費の名目で技芸員の収入になっていることについて、活動費の支給は領収書の添付を求めた上で認めるとも説明。技芸員の生活保障については「税でサポートするなら審査基準が必要」として来年度に制度設計する方針を示す一方、積極的に新規事業を立案し、収入を増やす努力を求めた。

959名無しさん:2012/10/04(木) 18:09:19 ID:o7IIq3aw0
文楽補助 大阪府も凍結解除…松井知事が方針
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121004-OYO1T00843.htm?from=newslist

 文楽協会(大阪市)への補助金凍結問題で、大阪府の松井一郎知事は4日、橋下徹大阪市長が技芸員(演者)との意見交換後に市の補助金の凍結解除を表明したことを受け、府の補助金も解除する方針を示した。府庁で記者団の質問に答えた。

 大阪府は2012年度当初予算で2070万円を計上していたが、市に歩調を合わせ執行を凍結していた。松井知事は「(技芸員との)話し合いがついたので、文化を守る予算は執行する」と語った。

 同協会への補助金について、府は橋下市長が知事時代の08年度に前年度の3600万円から2500万円に減額し、以後も徐々に削減。大阪市も橋下市長が今年度予算で前年度の5200万円から3900万円に減額していた。

(2012年10月4日 読売新聞)

960よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:39:56 ID:XvFDycuk0
文楽はパ優勝の日ハムに学べ ピンチはチャンス
2012.10.4 16:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n1.htm

 阪神タイガースのファンなのだが、北海道で生まれ育ったので、北海道日本ハムファイターズのパ・リーグ優勝を喜んでいる。

 かつて北海道は巨人ファンが圧倒的だった。テレビのプロ野球中継は巨人戦ばかりだから無理もない。そのなかでタイガースを応援していると変人扱いされた。

 ナマでプロ野球の試合が観戦できる機会はめったになかった。子供の頃、夏休みに父に札幌の円山球場へ連れて行ってもらった。ナイター設備がないので、デーゲームでそれも日没で試合終了となる。確か巨人戦で、満員だった。

 野球シーズンは短く、高校野球も北国のハンディで甲子園では弱かった。そんな“不毛の地”に日本ハムがフランチャイズを移すと聞いて、はたして根付くのかといぶかったのだが、結果は大成功である。

                                  ◇

 成功の一因は「北海道」と冠したことではないかと思う。もちろん本拠地である「札幌」でもいいのだが、北海道は広い。札幌は道都だが、東京の出先のイメージがあって、道民には「北海道」と名付けたほうが「おらが球団」の親しみが生まれる。

 加えて、徹底した「地域密着」と「ファンサービス」が道産子のハートをつかんだ。その陣頭指揮をしたのが、サッカーJリーグのセレッソ大阪の社長だった藤井純一さんである。

 藤井さんは赤字だったセレッソ大阪の経営を立て直した手腕を買われて、ファイターズに迎えられた。

961よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:42:13 ID:XvFDycuk0
>>960

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n3.htm

 まずは球場に足を運んでもらわないといけない。札幌ドームは、サッカーのコンサドーレ札幌と共用の多目的スタジアムで、シーズン初めはまだ外は雪が残っているが、ドームの中は暖かい。そこで、午前中から札幌ドームを開放し、さまざまなイベントやアトラクションを行った。野外での娯楽が少ない北海道で一日、家族で楽しんでもらおうという狙いだ。

 さらに曜日ごとに「レディースデー」「メンズデー」「シニア&学生デー」などを設け、対象者のチケットを半額にする。ナイターでは試合途中の午後7時半(現在は7時15分)からの入場を半額にした。

 ファンクラブの拡充にも力を入れた。ちなみに僕の甥(おい)はファイターズ・ファンクラブの会員になったのが縁で結婚した。

 巨人ファンから乗り換えて、いまでは北海道ではファイターズファンが圧倒的に多い。

                    ◇

 最大のファンサービスは勝つことである。北海道に移転して以来、リーグ優勝4回、日本一1回の成績は文句のつけようがない。とくに今年は、ダルビッシュ有投手が抜けて低かった下馬評をひっくり返したのは見事だ。

 阪神タイガースも見習ってほしいと思うのだが、ここでは触れない。ファイターズの経営を見習うべきは文楽協会である。

 大阪市が補助金を打ち切るかどうかでスッタモンダしたが、どうも文楽協会の体質がプロ野球の球団と似ているように感じるのである。

 黒字経営の球団は一部の人気球団を除いてほとんどない。経営改善の努力もあまりせず、親会社の宣伝費名目で赤字を補填(ほてん)してもらっているのが実情である。

 文楽協会も伝統芸能の保存のためと、市からの補助金を当然のようにあてにしてきた。公演の収入だけでは技芸員の生活は成り立たず、芸の伝承が途切れてしまう、と。

 ところが、大阪市の財政は火の車である。橋下徹市長がストップをかけたのも理解できる。ルネサンスのメディチ家のように、金は出すが口は出さないパトロンなど、もはや望むべくもない。

                 ◇

 技芸員との公開面談の結果、今年度の補助金支給は認める方向だが、橋下市長は「税金の支出には領収書が必要」と釘を刺し、協会には「新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と要望した。

 さあ文楽協会はどうする。

 ピンチはチャンスである。少なくとも、これほど文楽がニュースで取り上げられ、話題になったことはない。この機を逃さず、劇場に足を運んでもらう策は。

 スポーツと芸能の違いはあるが、ファイターズといういいお手本がある。まずは“お試し”の割引チケットから始めてはどうか。

962よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:51:23 ID:XvFDycuk0
文楽の補助金、凍結を解除 公開面談終え橋下市長「事業ごと支援に変える」
2012.10.4 06:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n2.htm

 財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支給問題で、橋下徹市長と文楽協会側の公開面談が3日市役所で開かれ、協会幹部のほか、技芸員47人が出席。橋下市長は、保存よりも振興を重視するよう意識改革を求め、協会側も応じる意向を示した。公開面談の終了後、橋下市長は「多くの人に文楽を楽しんでもらいたい」と述べ、支給対象となる事業の明確化などを条件に、今年度分の補助金3900万円の支給を認める方針を明らかにした。

「外部資金獲得の努力を」

 話し合いの中で橋下市長は、1〜2年の移行期間を設けた上で、補助金の支給目的を協会の運営資金への支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針を説明。来年度以降の支給額がどうなるかは未定だが、協会側はおおむね賛意を示した。

 文楽協会の三田進一事務局長は「市長の意向を踏まえ、改革を検討したい」と安堵(あんど)の表情を浮かべ、技芸員と今後の対応を協議する考えを明らかにした。

 公開面談で、橋下市長は「補助金の支給目的や効果を市民から見て分かりやすい形に変える」と説明。協会と技芸員が連携して特別公演などの新規事業を企画し、来年度新設する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」で認められれば、協会の運営資金を含めた事業費として今後も補助金を支給する−とした。

 協会幹部は、文楽の普及・保存を目的に協会が昭和38(1963)年に設立された経緯を説明し譲歩を求めたが、橋下市長は「時代は変わる。新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と一蹴した。

 また補助金の一部が養成費の名目で技芸員の収入になっていることについて、活動費の支給は領収書の添付を求めた上で認めるとも説明。技芸員の生活保障については「税でサポートするなら審査基準が必要」として来年度に制度設計する方針を示す一方、積極的に新規事業を立案し、収入を増やす努力を求めた。

963よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:55:09 ID:XvFDycuk0
武士も見た目が肝心!? 大阪の佐賀藩蔵屋敷跡から江戸時代の入れ歯
2012.10.4 08:48
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100408500002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100408500002-n2.htm

食事には使えない

 武士にとっても「歯は命」!? 大阪市北区西天満の佐賀藩蔵屋敷跡で、江戸時代後期(18世紀末)の入れ歯が、市博物館協会・大阪文化財研究所の発掘で見つかっていたことが分かった。当時、絵図などに「入れ歯師」という職人が記されるなど、入れ歯は比較的普及していたとみられるが、発掘で見つかるのは珍しいという。また現在と違って食べるためではなく、藩士が見栄えを気にして装着していたとみられることも分かった。

 同研究所によると、出土したのは、上の前歯5本分の部分入れ歯(幅3センチ、高さ1・3センチ)で、完全な状態だった。滑石を加工し、入れ歯の側面には穴が開けられ、糸を通して隣の歯に結びつける形で固定したらしい。糸だけではぐらついて滑石自体も柔らかいため、実際に噛むのは困難とみられ、食べるときには外し、外出時などに装着していたとみている。

 調査担当の市川創学芸員は「武芸の稽古などで前歯を欠損した武士が、入れ歯を着けたのかもしれない。実用性より、見た目を気にしていたようだ」と話している。

 入れ歯は平安時代末ごろから作られ、現存する最古のものは、和歌山市内の寺院に伝わる室町時代末(16世紀前半)の尼僧の入れ歯といわれる。江戸時代に普及し、歯茎の部分を木、歯は木や滑石、骨などを加工。古事記研究で知られる国学者の本居宣長(もとおりのりなが、1730〜1801年)も愛用し、知人への手紙で「入れ歯致し申候。口中心持わろくもなき」と、着け心地がよかった様子を記している。

 これまでは、東京都内の武家の墓などから数十例程度、三重県四日市市の代官所跡などで出土している程度で、市川さんは「入れ歯は普及していたはずだが、発掘では意外に見つからないのが不思議だ」と話している。出土した入れ歯は、大阪市中央区の大阪歴史博物館「なにわの考古学2012」で展示中(22日まで)。

964よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/05(金) 05:38:20 ID:CAPItSPA0
秋の和泉市を散策 ツーデーウオーク開催
2012年10月04日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001210040002

 第14回和泉弥生ロマン・ツーデーウオーク(和泉市、日本ウオーキング協会、和泉商工会議所、朝日新聞社など主催)が13、14の両日、大阪府和泉市内で開かれる。平安期の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明ゆかりの神社など歴史や自然が豊かな地域を巡る5〜40キロの計8コース。当日参加も受け付ける。

 今年は、気軽に秋の和泉路を散策してもらえるよう、両日とも新たに5キロコースが新設された。スタート、ゴール地点はいずれも和泉市いぶき野5丁目のエコール・いずみ内アムゼ広場(泉北高速鉄道和泉中央駅から徒歩2分)。

 13日は市南部を歩く。槙尾山施福寺で約650段の石段を登る「西国めぐり槙尾山大自然コース」(40キロ、午前7時半出発)▽「いずみの国光明皇后伝説コース」(20キロ、同9時)▽「歩いて広がる和泉の『わ(和・輪)』コース」(10キロ、同10時)▽タレント・森脇健児さんも参加する「気軽に和泉市お散歩コース」(5キロ、同11時)の4コース。

 14日は市北部をめぐる。安倍晴明ゆかりの信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社や弥生時代最大規模の建物跡を復元した「いずみの高殿」がある池上曽根史跡公園などを通る「弥生ロマン・葛葉(くずのは)伝説たんのうコース」(25キロ、午前8時出発)▽「弥生時代から現在へ 歴史探索コース」(20キロ、同9時)▽「和泉の歴史にふれあうコース」(10キロ、同10時)▽「秋風さわやかお散歩コース」(5キロ、同11時)の4コース。

 当日参加は出発時間の1時間前から受け付ける。当日参加費は2千円で、1日参加、両日参加とも同額。5キロコースだけは1日500円。中学生以下は無料。雨天決行。問い合わせは実行委員会事務局(0725・44・2882、平日午前10時〜午後4時)。
.

965よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/05(金) 23:16:40 ID:73biaJp20
大阪城天守閣で6〜8日、千貫櫓など国重文3棟を特別公開
2012.10.5 10:33
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121005/wlf12100511230008-n1.htm

 大阪城公園(大阪市中央区)内にある国重要文化財の建造物3棟が6〜8日、特別公開される。公開を手がける大阪城天守閣は「普段は外側からしか見ることのできない貴重な建造物の内部見学を楽しんで」とPRしている。

 公開されるのは、千貫櫓(せんがんやぐら)と多聞櫓、金蔵(きんぞう)。千貫櫓は、さまざまな建築や造園を手がけた茶人の小堀遠州が元和6(1620)年に設計監督して創建された2層2階の隅櫓。多聞櫓は、嘉永元(1848)年の再建で、大手口の石垣の上に建つ。金蔵は、宝暦元(1751)年の築造で幕府の金庫の役割を果たした。

 期間中、幕末の解体修理の際に出土した瓦や大阪城の石垣を構成する石にある刻印の拓本などを多聞櫓内で展示する。

 公開は午前10時〜午後4時半。3棟分の入場券は200円、天守閣とのセット券は700円。中学生以下無料。問い合わせは大阪城天守閣(電話06・6941・3044)。


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